若者は再び政治化するか 大妻女子大学 小谷敏 1. 「抗議する若者たち」の出現 「失われた10年」以降の日本の若者たちは、大変な窮境におかれてきた。経済の 停滞のなかで「フリーター」と呼ばれる非正規雇用の若者たちが多数生まれていた。 しかし00年代の初頭、そうした若者たちを待ち受けていたのは、同情ではなくむし ろ 非 難 だ っ た の で あ る 。非 正 規 雇 用 増 大 の 原 因 は 労 働 市 場 の 収 縮 に よ る も の で は な く 、 若者たちが質的に劣化した(怠け者・無能者が増えた)からだ、という言説が幅をき かせていた。指導的な社会学者のなかには、依存的な若者の存在それじたいが、日本 経済の停滞の原因であると主張するものさえいたのである。 しかし、00年代の後半になると顕著な変化がみられるようになった。若者を不当 に 貶 め る 「 俗 流 若 者 論 」 に 反 論 す る 若 い 論 客 が 出 現 し た ( 後 藤 2008)。 生 存 ぎ り ぎ り の 経 済 状 態 に お か れ 、「 プ レ カ リ ア ー ト 」( 雨 宮 2007) と 自 ら を 規 定 す る 若 者 た ち の 真 剣だがユーモラスな抗議行動も各地で生まれている。もちろん、若者の現状について の知的な議論に参画し、ユニークな直接行動に関わっている人たちが、若者のなかの 多 数 派 で は な い だ ろ う 。 し か し 、「 若 者 を 見 殺 し に す る 国 」( 赤 木 2007) に 対 す る 若 者 た ち の 抗 議 行 動 が よ う や く 活 性 化 し て き た 。 日 本 の 若 者 た ち は 、「 ポ ス ト 団 塊 の 世 代 」 以降、政治に背を向け続けてきた。その意味からも、言論と行動によって社会のあり 方を変えようとする「抗議する若者たち」の出現には意義深いものがある。 2.先行世代の負の遺産 それでは若者たちの抗議行動のうねりは、さらに大きな広がりをみせ日本社会のあ り方を変えていくほどの力をもつようになるのだろうか。その点についてはおよそ楽 観的なことはいえないだろう。若者のさらなる政治化を阻む壁は何か。それを主とし てこの国の世代間関係と権力構造という観点から論じることが本報告の課題である。 男 性 と 女 性 。 有 名 大 学 を 卒 業 し た 若 者 と そ う で は な い 者 。 正 社 員 と 非 正 社 員 。「 ロ ス ジ ェ ネ 」と「 ポ ス ト・ロ ス ジ ェ ネ 」。東 京 圏 の 若 者 と 地 方 の 若 者 。日 本 の 若 者 た ち は 性 差 ・ 学歴・出生年・雇用形態等々によって分断され、根強い相互蔑視の念を抱いている。 また日本の若者の反乱は連合赤軍事件が象徴する惨めな挫折に終わった。その後に あ ら わ れ た ポ ス ト 団 塊 世 代 (「 し ら け 世 代 」・「 新 人 類 世 代 」) は 、 政 治 に 背 を 向 け て 豊 かな消費社会の受益者となっていたのである。80年代以降、この国からは政治的な 議論や運動はほとんど姿を消してしまった。いまの若者たちは、政治行動を行う大人 の背中をみることなく育った世代ということになる。抗議行動の様式や、運動のレト リ ッ ク 、さ ら に は 連 帯 の あ り 方 に 至 る ま で 、お 手 本 と す べ き も の が 若 者 た ち に は な い 。 このことも若者たちが連帯し、抗議行動を行うことを困難にしている要因である。 3.真に「強大な敵」としての日本権力構造 若い論客たちによる「俗流若者論」批判に対して、論者は優れたものとして高く評 価する反面、彼らは本当の敵を見誤っているのではないかという危惧を抱く。たとえ ば あ る 若 い 論 客 は 、 俗 流 若 者 論 を 「 強 大 な 敵 」( 赤 木 2007) と 呼 ぶ 。 果 た し て そ う だ ろうか。若者を貶める言説の背後には、何かより大きな力が存在するのではないか。 そ の「 よ り 大 き な 力 」こ そ が 、若 者 た ち に と っ て の 真 に「 強 大 な 敵 」な の で は な い か 。 「より大きな力」とは硬直的な日本の権力構造である。論者はそう考える。 バブルの崩壊に伴って工業化=経済成長の時代は完全に幕を閉じた。経済成長が終 わり、日本経済が成長を止め、労働市場が収縮していけば、新規参入者としての若者 たちは企業社会から排除されることになる。これが「失われた10年」に起こったこ とである。経済成長路線に変わる新しい経済の仕組みを作り出すことがこの時代の課 題 で あ り 、そ れ が 若 者 を 救 う 道 だ っ た で あ ろ う 。し か し 硬 直 的 な こ の 国 の 権 力 構 造 は 、 新 し い 経 済 の 仕 組 み を 構 想 し 、経 済 成 長 路 線 を 転 換 し て い く 意 思 も 力 も も た な か っ た 。 それまで包摂的だったこの国の経済システムは、バブルの崩壊と同時に、はっきり と排除的なそれに転換していった。多くの人々に経済成長の果実を配分することが、 この国の権力構造の正統性の基盤となっていた。だから権力の側に立つものたちは、 若 者 の 社 会 的 排 除 と い う 事 実 を 認 め る わ け に は い か な い 。そ こ で 、経 済 成 長 路 線 は「 が ん ば り 」(「 プ ロ ジ ェ ク ト X 」 を み よ ! ) に よ っ て 持 続 可 能 で あ り 、 非 正 規 雇 用 が 増 え たのは若者の質的劣化によるものだというキャンペーンが行われたのである。 「俗流若 者 論 」 は 若 者 の 社 会 的 排 除 を 正 当 化 す る 言 説 装 置 で あ っ た と い え る ( 小 谷 2008)。 4.大人は再び政治化するか 硬直的な日本の権力構造が、若者たちにとって「真に強大な敵」であると論者は述 べた。しかし日本の権力構造を変えていくことは、到底若者たちだけなしうることで はない。まず大人たちがアクションを起こさなければならないだろう。政府批判の集 会が長きにわたって続く韓国や、アンチグローバリズムの運動の盛んなフランスなど に 比 べ て 日 本 の 大 人 は 異 様 に 大 人 し い 。ど う す れ ば 大 人 た ち が 再 び 政 治 化 す る の か が 、 問 わ れ な け れ ば な ら な い だ ろ う 。そ し て 大 学 人 の 果 す べ き 役 割 に つ い て も 言 及 し た い 。 後 藤 和 智 2008『「 若 者 論 」 を 疑 え !』 光 文 社 新 書 雨 宮 処 凛 2007『 生 き さ せ ろ ! - 難 民 化 す る 若 者 た ち 』 太 田 書 店 赤 木 智 弘 2007『 若 者 を 見 殺 し に す る 国 ― 私 を 戦 争 に 向 か わ せ る も の は 何 か 』 双 風 社 小谷敏 2008『 子 ど も た ち は 変 わ っ た か 』 世 界 思 想 社
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