海運業の発達と現状

2015 年 9 月 30 日
海運業の発達と現状
世界に誇れる地場産業『愛媛船主』の概要
愛媛銀行
船舶ファイナンス室
室長 岡山 昭一
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(目次)
はじめに
1. 海運業(船舶)の分類、種類、関係者他
(1)用途による分類
…①商船、②その他の船舶
(2)航行区域による分類
…①平水区域、②沿海区域、③近海区域、④遠洋区域
(3)外航船と内航船の区分
…①内航船、②近海船、③遠洋船
(4)船舶の用途による分類
…①客船、貨客船、②一般貨物船、③コンテナ船、④ウッドチップ船、⑤冷凍船、⑥自動
車運搬船、⑦RO/RO 船、⑧原油タンカー、⑨プロダクトタンカー、⑩ケミカルタンカー、⑪LPG タンカ
ー、⑫LNG タンカー、⑬その他
(5)船用機関(エンジン)の種類による分類 …①蒸気機関、②内燃機関、③電気推進機、④原子力機関
(6)船の要目など
…①大きさや能力などを表すもの、②馬力、速力などを表すもの
(7)関係機関、条約等
…①船級協会、②国際海事機関、③国際安全管理コード、④寄港国による監督
2. 外航海運業の仕組みと特徴
(1)海運業(船舶貸渡業)の仕組み …①資金調達、②子会社へ転貸、③船舶の発注・購入、④船舶の引渡し、登記、
⑤船員の配乗等、⑥船舶の用船(貸船、借船)
、⑦運送契約(オペレーターの役割)
、⑧船主の収支
(2)海運業の仕組みの特徴
…①便宜置籍船、②税制、③船舶建造の規制、国際法による規制
(3)海運業の経理の特徴 …①連結決算、②圧縮記帳、③減価償却、④特別償却、⑤特別修繕引当金、⑥トン数標準税
制(トンネージタックス)
、⑦実態バランスと正味キャッシュフロー
(4)その他の特徴
…①市況(荷動きと需給バランス)、②船価や用船料が世界スタンダード、③為替相場と金利、④
英語基準と専門用語、⑤設備産業(初期投資が大きく、資金需要に偏りがある)
、⑥縦社会
(5)海運業のリスク
…①為替リスク、②金利リスク、③運航コスト上昇リスク、④中古船価格下落リスク、⑤用船料
下落リスク、用船契約解除リスク、⑥海難リスク、事故リスク、海洋汚染リスク、⑦所有船舶のダメージ
リスク、不稼働(off-hire、停船)リスク、⑧戦争リスク、海賊リスク、⑨積荷に対する補償リスク
(6)保険
…①自船や自社の損害に備える保険、②他人に与える損害を補償する保険
3. 外航海運業の歴史と現状
(1)海運業の歴史
…①近代海運業の発展、②船腹量の増大
(2)日本の海運業の発展
…①初期、大手 3 社、②戦後、③復興、④海運集約、⑤ドルショックと円高、⑥石油危機、
⑦プラザ合意、⑧海運バブル期(2008 年リーマン・ショック前まで)
(3)近年の世界経済の動向、海運業を取り巻く環境の推移
…①海外の動向、②日本国内の動静、③日本船社(オペレ
ーター)の現状と今後の展望、④中小船主(オーナー)の現状と今後の展望
(4)近年の海運市況と経営環境
…①ドライ市況、②タンカー市況、③コンテナ市況、④新造船価格と中古船価格の変
動、⑤船舶経費の上昇、⑥為替相場の影響、⑦事業承継問題・相続問題、⑧海賊対策等
(5)最近の傾向
…①船舶の大型化、②外国オペレーターへの用船、③買取オプション、④用船期間の対応、⑤バルカ
ー運航のプール拡大、⑥地方銀行をはじめとした金融機関の船舶市場への進出、⑦後進国の動向、⑧国内造
船所の設備増強と海外造船所の躍進、⑨環境問題への対応
(6)最近の特徴 …①為替対策、②脱バルカーへの動き、③リスケジュール、④海外オペの動向と金融機関の審査の厳
格化、⑤海外展開(シンガポールへの進出)
、⑦船舶投資ファンド
4. 愛媛県の海運業
(1)発展の歴史
…①生い立ち、②発展、③現状
(2)愛媛船主の外航船の分類
…①所有船の種類、②国籍別、③オペレーター別、④地域別
5. 今後の展望と対策
(1)今後の展望
(2)海運対策
…①求められる海運対策、②第二船籍制度と海事都市構想
6. 内航海運業の現状と今後の展望
(1)内航海運業の概要
…①内航海運業とは、②内航海運の役割、③関係法令、④共有船制度
(2)内航海運業の現状
…①内航海運業の現況、②暫定措置事業に至る背景
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(3)内航海運業界が抱える問題
…①事業者と船腹の減少、②船舶の老朽化、③船員問題、④船価の高騰、諸費用の
増加、⑤回復しない用船料
(4)今後の展望
…①市況回復の期待、②待たれる海運対策
7. 当行の海運融資の取組
(1)海運業との関わりと取組姿勢 …①無尽の発展、②愛媛相互銀行(愛媛銀行)の船舶貸出、③地場産業の支援育
成、④融資スタンス
(2)新しい融資手法の導入
(3)リスク管理
…①シンジケート・ローンと債権流動化、②今後の取組姿勢
…①市場リスク、②用船リスク(オペレーターの信用力)
、③船主(オーナー)の信用力、④その他
のリスク、⑤ファイナンサーとしての対応
8. 造船業について
(1)世界の造船状況
(2)日本の造船業の現状
(3)四国の造船業の現状
(4)愛媛県の造船業の発展
(5)最近の特徴
…①操業確保と新規受注の確保、②海外への進出、③系列化・専業化、提携・連携、④修繕事業へ
の回帰、⑤ドックの拡張、クレーンの大型化、⑥設計技術の向上、⑦建造契約のキャンセル、⑧新造船の
船種変更
(6)我が国造船産業の今後の課題
…①我が国造船産業の位置付け、②造船産業と外部環境の現状および課題、③造
船力を強化するための方策、④具体的対策
≪参考①≫
「海、船、そして海運−わが国の海運とともに歩んだ山縣記念財団の 70 年」(編者:田村茂)より抜粋
≪参考②≫
世界海運の歴史
≪参考③≫
日本の海運史
≪参考④≫
今治の造船の歴史
≪参考⑤≫
水軍が育んだ「海のまち」 …「海のまち・今治」 (今治市 企画振興部 海事都市推進課 発行)より抜粋
…
入門「海運・物流講座」(日本海運集会所発行)より抜粋
…
日本船主協会ホームページより抜粋
…「海のまち・今治」(今治市 企画振興部 海事都市推進課 発行)より抜粋
造船産業の戦略的成長
≪参考⑦≫
波方の海運業の発展と現状について
≪参考⑧≫
その他のトピックス
≪参考⑨≫
US$/円の当行の公示仲値(毎月末時点)の推移
≪参考⑩≫
各種の世界一
≪参考⑪≫
用語・略号解説
≪参考⑫≫
実質船主国別船腹量
≪参考⑬≫
ひめぎん物語−愛媛銀行創業 100 年史−より
…
…
国土交通省「海事レポート 2014」より抜粋
≪参考⑥≫
…
東豫海運・大河内利夫氏からの寄稿
フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋
…
日本船主協会およびトヨフジ海運㈱より抜粋
…
UNCTAD「REVIEW OF MARITIME TRANSPORT 2014」より
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海運業の発達と現状
2015 年 9 月 30 日
愛媛銀行
船舶ファイナンス室
室長
岡山
昭一
はじめに
愛媛県は瀬戸内海の複雑に入り込んだ海岸線と多数の島々をもち、人的・経済的な交流は対岸の山陽筋や阪神地域お
よび九州方面が中心で、古くから、それら貨客の輸送は船舶に依らざるを得ず、必然的に海運業が発展しやすい地域で
あった。同時にそれら海運業の発展を支える造船業が共に発達してきた。造船業には格好の地形(リアス式海岸)があ
ったためでもあるが、何よりも海運業者と苦楽を共にし、情報や経験を共有できる環境にあったためでもある。
愛媛県の外航船主群は『愛媛船主』などと呼ばれ、国内のみならず諸外国からも注目される世界有数の海運船主群で、
ギリシャや香港の船主群と比べると歴史的には及ばないが、近年の目覚しい発展とその支配船の規模は遜色のない、む
しろそれらを超えた内容であるといわれている。国内の海運拠点は、東京・横浜などの首都圏、大阪・神戸の阪神地域、
岡山、広島、山口、福岡、徳島、愛媛、大分、長崎の各地にあるが、その中でも『愛媛船主』の所有する外航船数は日
本全体の約 31%を占め、首都圏や阪神地域の大手企業(オペレーター等)を除いた純粋な「船舶貸渡業者」だけを見る
と圧倒的に高いシェアを誇っている。
※2014.5.23.海事プレスによると、2014 年 1 月末時点の日本の船主が所有する外航船(仕組船を含む)は 3,316
隻。このうち、愛媛県の船主が所有する外航船舶数は 1,035 隻で、全体の 31.2%を占める。
(地域別の内訳
は、東京 1,781 隻・53.7%、愛媛県 1,035 隻・31.2%、広島県 155 隻・4.7% 他)
。
※国土交通省作成「海事レポート 2015」によると、2014 年 6 月末時点の「日本商船隊」(我が国外航海運企
業が運航する 2,000 総トン以上の外航商船群)の船腹数は 2,566 隻で、2013 年比△43 隻となっている。
(日
本籍船 184 隻、オペレーター仕組船 920 隻、国内船主関係仕組船 855 隻、単純外国用船 607 隻)
。
※仕組船とは、日本の外航海運企業等が税等の負担の軽い便宜置籍国に設立した子会社を通じて保有する船舶
のこと。単純外国用船とは、日本の外航海運企業が外国の海運企業から借り受けた船舶のこと。
これら、
「世界に誇れる」地場産業『愛媛船主』の概要について広く認知して頂くために、本書で概要を紹介する。
地球の表面積 509,949 千 k ㎡の約 70.8%は海洋(約 361,059 千 k ㎡)であり、四面を海に囲まれた我が国は必然的に
貿易貨物の輸出入は船舶に依らざるを得ない。よって、我が国の貿易量の 99.7%(重量ベース)を海上輸送に依ってい
る。このうちの 61.9%を「日本商船隊」が担っている。この意味からも外航海運業界の重要性が計り知れる。
追申、技術革新が目覚しく全世界を相手にする業界で変動も激しく、計数等は若干現状にそぐわない部分もあるかと
思うが、目安・参考数値としてご理解願いたい。
【海に関する国民意識調査】(出典:2014.7.10.日本海事センター)
日本海事センターは「海に関する国民意識調査 2014」の結果を発表した。
「海が好き」と回答した人は昨年から 0.6 ポイント上がって 69.9%であった。年代別では 10 代が調査開始以来最高の 69.2%となっ
。
ている。「海が好き」な理由として最も多い回答は、「落ち着く/癒される/安らぐ/心が和む/リラックスできる/安心感がある」
一方、
「海が嫌い」な理由として最も多い回答は、
「汚い/汚れる/臭いが嫌/ベタベタする」。また、
「海」と聞いて連想するものは「レ
ジャー」(53.9%)と他の回答に比べて突出している。
日本の海運に対する意識としては、海運(海上輸送)は「とても重要だと思う」
「重要だと思う」
「まあ重要だと思う」の合計は 85.0%
(昨年より 3.3 ポイント低下)という結果であった。
「重要」と回答した理由は、
「島国だから/海に囲まれているから/海洋国家だか
ら」が圧倒的で、続いて「輸出入にとって重要/貿易にとって必要」「大量輸送が可能」などであった。海運は他の輸送・交通手段に
比べて「環境に優しい」と認識している人は半数以下(47.7%)で、その正解率は低下傾向にある。
海の職業の認識としては、1 位「海上自衛官」
(75.7%)、2 位「海上保安官」(72.2%)、3 位「船員」
(71.2%)、4 位「漁業従事者」
(58.8%)、5 位「マリンスポーツ従事者」(44.8%)、6 位「造船技術者」
(41.5%)、7 位「水先人(パイロット)
」(27.1%)の順。
その他、海事産業の重要性に関する設問で「重要だと思う」と回答した人は9割。もっと知りたい海事産業は、1 位「海洋資源・開
発」(47.9%)、続いて「海運業」(35.0%)、「造船業」(25.1%)で、海事産業と呼ばれている業種への関心が高まっている。
今後必要な海に関する取り組みとしては「海の安全確保」
(62.0%)、
「船舶の安全航行」
(62.0%)
、
「海の自然災害対応」
(55.9%)
、
「海
洋漁業資源の保護・確保・育成」
(55.3%)、
「海洋環境保全」
(52.2%)「海洋資源の開発・利用」
(52.0%)で、これら 6 つの項目はそ
れぞれ 50%を超えている。
1. 海運業(船舶)の分類、種類、関係者他
(1) 用途による分類
① 商船
商船とは、事業に用いられ、人や貨物を運ぶ船舶のこと。具体的には客船、貨客船、貨物船(Bulker or Bulk Carrier
他)
、タンカーなどで、
『愛媛船主』のほとんどは商船である。
② その他の船舶
商船以外の、軍艦、漁船、特殊船・作業船などに分類できる。
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(2) 航行区域による分類
航行区域で分類すると次の4つに大別される。
① 平水区域:湖、川、港内の航行区域
(瀬戸内海は平水区域に入る)
② 沿海区域:
(Coasting Area)本州または島々の沿海から 20 海里以内の区域
(1 海里は 1,852m)
③ 近海区域:
(Short Sea Shipping)東経 94 度∼東経 175 度、南緯 11 度∼北緯 63 度の区域
④ 遠洋区域:
(Ocean Going、World-Wide Shipping)地球表面上の全水域
(3) 外航船と内航船の区分
船舶の構造や通信設備、航行能力(堪航性)
、危機対応能力等により航行可能な区域が定められており、大きく外航
船と内航船に区分される。更に、外航船は近海船と遠洋船に分類される。
外航船の大半は便宜置籍船といって、パナマ国などの税制が緩やかな国籍船にしているので日本の法律が及ばない
が、国際法の適用を受ける。ここでは主に外航船について紹介する。
内航船は、外航船と違って日本国内法等による諸規制があり、また、抱える問題も異なるので別の項で紹介する。
① 内航船
通常 3,000 G/T 未満の船舶で国内港間の輸送に従事しており、
「内航海運業法」などの規制を受ける。船籍は全て
「日本」で、船籍港として各地の港が登録されている。船員などについても国内法により日本人船員しか配乗出来な
い。船舶本体は土地・建物などと同様に登記され、抵当権などの設定ができる。
(不動産としての扱い。
)
② 近海船
近海区域に就航する船舶で 7,000 D/W∼10,500 D/W (上限 12,000 D/W)くらいのものが多く、標準船型は 9,000
D/W とされている。主に日本近海と東南アジアなどに就航し、入港する港も規模が小さく設備も十分でないため船体
は比較的小型で、通常本船にはクレーンが装備されている。船籍は外国籍(便宜置籍船)としているものが大半。当
然に国際抵当権の設定が可能。
③ 遠洋船
遠洋区域(世界全域)に就航する船舶。世界各地の港湾規模(入港できるギリギリの長さ・幅・深さなど)やパナ
マ運河、スエズ運河などを通過できる限度、あるいは就航する航路や使用目的などに応じて建造する船舶の大きさを
決めている。船籍は外国籍(便宜置籍船)としているものが大半。当然に国際抵当権の設定が可能。
【標準的な船舶の大きさと呼称】
≪貨物船≫
◇ スモール ハンディ(Small Handy):ハンディの意味は、手頃な大きさで、世界中の大半の港に入港できるサイズということ。ハ
ンディサイズの中でも小型の船舶をスモールハンディと呼んでいる。 数年前までは 28,000 D/W 程度が標準であったが、現在
は長さや船幅を大きくして 33,000 D/W 程度まで大型化している。本船自体にクレーンを装備している。
◇ ハンディ マックス(Handy Max):ハンディサイズの中でも大型のものをいう。同じく数年前までは 45,000 D/W 程度が標準で
あったが、現在は 60,000 D/W 程度まで大型化している。一般的に、本船には 5 つの船倉を持ち、4 つのクレーンを装備してい
る。長さも 190m 程度が標準となっている。このうち、5 万重量トンを超えるものを「スープラマックス(Supra Max)」
、6 万
重量トンを超えるものを「ウルトラマックス(Ultra Max)」と呼んでいる。
◇ パナマックス (Panamax)
: 文字通りパナマ運河を通過できる最大クラス(パナマ・マックス)で、数年前までは 70,000D/W 程度が標
準であったが、現在は 76,000D/W∼82,000D/W 程度まで大型化している。長さは約 225m、船幅は 32.2m と大型船である。
戦艦大和(全長 263m)より少し小さいサイズであるが、高層ビルが横倒しになって海に浮かんでいる様なイメージ。本船クラ
(中にはクレ
スが入港する港湾は大型で荷役設備も整っているところが多く、一般的に本船にクレーンを装備する必要はない。
ーンを装備した船舶もあるが、数は少ない。)最近では長さ 225m を超える「カムサマックス(Kamsar Max)」などと呼ばれ
る新船型も登場している。
◇ ケープ サイズ(Cape Size): 元々の語源は南アフリカ・ケープタウンの石炭積出港「リチャード・ベイ」に入港可能な大型船と
いうこと。スエズ運河やパナマ運河を通過できず、文字通りケープタウン(アフリカの喜望峰)やホーン岬(南米最南端)を迂
回しなければならない程の超大型船で、150,000D/W∼400,000D/W のサイズ。大きいものは、長さ 360m超、幅 65m超とゴル
フの 1 ホールサイズの大きさになる。主に石炭や鉄鉱石などを大量に輸送する目的で建造され、寄港地も特定されていることが
多く、クレーンなどの装備はない。大量効率輸送を目指してどんどん大型化している。パナマ運河を通過するよりも航海日数が
多く掛かるが、その分パナマ運河の通行料が節約でき大量輸送も可能となることで採算面は向上する。最大級のケープサイズは
ブラジル資源大手の「ヴァーレ(Vale)」が所有する 40 万トン型「ヴァーレマックス」で、長さ 362m、幅 65mの規模。
≪タンカー≫
◇ MR(Midium Range): 25,000∼55,000 重量トン型の石油製品を輸送するプロダクトキャリア。
◇ LRⅠ(Large RangeⅠ)
: 55,000∼80,000 重量トン型の石油製品を輸送するプロダクトキャリア。
◇ LRⅡ(Large RangeⅡ)
: 80,000∼160,000 重量トン型の石油製品を輸送するプロダクトキャリア。
◇ アフラ マックス(Afra max)
: AFRA とは Average Freight Rate Assessment の略で、1954 年 4 月よりロンドン・タンカー・ブ
ローカー委員会が作成している運賃指数のこと。79,999 重量トン型がアフラマックスと慣用的に呼ばれるようになり、現在で
は約 8 万∼12 万重量トン型程度のタンカーを広くアフラマックス・タンカーと呼んでいる。
※ロンドン・タンカー・ブローカー委員会が作成しているタンカーの運賃指数は次の 6 船型が示されている。
General Purpose:(16,500∼24,999D/W)、Medium:(25,000∼44,999D/W)、Large1:(45,000∼79,999D/W)
Large2:(80,000∼159,999D/W)、VLCC:(160,000∼319,999D/W)、ULCC:(320,000D/W 以上)
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◇ スエズ マックス(Suez max)
:満載でスエズ運河を通過できる最大船型のタンカーのことをいう。 約 14 万∼15 万重量トン型の
タンカー。スエズ運河は 1869 年に開通した水平式海洋運河。
◇ VLCC: Very Large Crude (oil) Carrier で、一般に 20 万重量トン∼32 万重量トンの大型原油輸送船のことをいう。
◇ ULCC: Ultra Large Crude (oil) Carrier で、32 万重量トンを超える超大型原油輸送船のことをいう。
【パナマ運河(Panama Canal)】
パナマ運河は、太平洋と大西洋との最狭部分の陸地(パナマ地峡)に3組の閘門と 3 つの人造湖をつないだ全長約80km、最小幅
91m、最大幅 200mの運河で、1914 年 8 月 15 日にアメリカが約 30 億ドルを投資し、約 10 年の歳月をかけて開通させた。
パナマ運河は太平洋と大西洋の高低差 24 ㎝(運河の最高点は海抜 25.9mのガトゥン湖)を克服するために水路を閘門(ロック)で
区切って、湖の水を利用しながら水位を上下させることで船舶を上下移動させる方式(ロック方式)を採っている。
※ルートは、カリブ海⇔ガトゥン閘門⇔ガトゥン湖⇔ゲイラード・カット⇔ペデロ・ミゲル閘門⇔ミラ・フローレス湖⇔
ミラ・フローレス閘門⇔太平洋 …所要通過時間約 24 時間
この運河の開通により航海日数が大幅に短縮され、世界経済の発展に大きく貢献している。年間 13,000 隻以上の船舶がこの運河を
通過している。しかし、開通から 99 年が経ち、隻数も増加し、且つ船舶も大型化してきているので、Post Panamax と呼ばれる大型
船が通過できる新ルート(新ロック)を建設中(拡張工事)である。新ロックは現在のものと比べて長さで 40%、幅で 60%広くなる
設計。
(現状ロック 294.3m×32.2m ⇒ 新ロック 365m×49m)
パナマ運河の拡張工事は 2009 年に総額 52 億 5,000 万ドルのプロジェクトとしてスタートした。超大型船の通行に対応した第 3 閘
門の建設のほか、外洋から運河への進入航路の拡大・浚渫、大西洋側にあるガトゥン湖の浚渫や航路拡幅、航路幅が最も狭いクレブラ・
カットの拡幅工事などを行っている。当初は 2014 年半ばの稼働を予定していたが、パナマ運河庁と建設会社のコンソーシアムとの折
り合いが難航し工事が遅れたこと等で、商業運用開始は 2016 年 4 月 1 日なる見通しである。
【スエズ運河(Suez Canal)
】
スエズ運河は地中海と紅海を結ぶ人工運河で、北端の「ポートサイド」と南端のスエズ市「タウフィーク港」を結び、全長 193.3 ㎞、
深さ 24m、幅 205 メートルの運河。運河は、喫水 20m以下または載貨重量数 240,000 トン以下、最大幅 77.5m以下の船が通航でき
る。アジアからヨーロッパへ航海する場合にスエズ運河を利用すると、アフリカ南端の喜望峰を経由する場合に比べて約 4,000 マイル
も航海距離を短縮できる。
(5 分の 1 になる。)地中海と紅海の水面がほぼ同じ高さなので、スエズ運河にはパナマ運河のような閘門(ロ
ック)がない。スエズ運河は南北どちらかの一方通行で運営され、船のすれ違いは途中の湖などの 4 ヶ所で行われる。運河はエジプト
政府が直轄するスエズ運河庁が所有運営している。
1859 年にフランス人レセップスによって建設が開始され、1869 年に開通した。当初はフランスとエジプト両国が出資した「万国ス
エズ海洋運河会社」が運営していたが、1875 年に英国が同社の 44%の株式を取得して経営を支配した。1956 年のスエズ動乱(英仏
両国のアスワン・ハイダム建設援助撤回を発端とするスエズ運河の利権争い)後にエジプトが国有化し、スエズ運河公社の管理下に置
かれた。1967 年の第 3 次中東戦争(アラブ諸国とイスラエル間の対立戦争)以来封鎖されていたが、1975 年に封鎖は解かれた。
スエズ運河庁は 2014 年 8 月に総工費 40 億ドルをかけての拡張計画を公表。当初 3 年を予定していた工事を 1 年間で完了させた。
2015 年 8 月に拡張スエズ運河が開通した。
【戦艦大和】
戦艦大和は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦(大和型戦艦の一番艦)
。本艦は、当時の日本の最高技術を結集して呉海軍
工廠で建造され、1941 年(昭和 16 年)12 月 16 日に就役、連合艦隊の旗艦として活躍したが、1945 年(昭和 20 年)4 月 7 日に米軍
機動部隊の猛攻撃を受けて坊ノ岬沖で撃沈された。
本艦は、排水量(満載)72,809 トン、全長 263.0m、水線長 256.0m、全幅 38.9m、公試吃水 10.4m、主機関 153,553 馬力(艦本
式タービン 4 基 4 軸)、最大速力 27.46 ノット、乗員 3,332 名(最終)、45 口径 46 ㎝ 3 連装砲塔 3 基(9 門、射程距離 41,400m)、60
口径 15.5 ㎝ 3 連装砲塔 2 基、40 口径 12.7 ㎝連装高角砲 12 基、25 ㎜ 3 連装機銃 52 基他を装備、総工費約 137,802,000 円(1936 年
3 月艦政本部試算)を投入した「桁外れ」の戦艦であった。
本艦の建造には工期短縮と効率化のために「ブロック工法」を採用し、この技術と生産管理は日本工業の礎となった。また、進水時
も、陸の船台から進水させるのではなく、現代のように注水済みのドックから曳船によって引き出す形で行われた。艦名「大和」は旧
国名の大和国に由来し、日本の代名詞ともなっている「大和」を冠された本艦に対する期待の大きさが表れている。
大和型戦艦の二番艦は「武蔵」で、1942 年(昭和 17 年)8 月 5 日に就役し、1944 年(昭和 19 年)10 月 24 日に沈没している。
2015 年 3 月、フィリピン中部のシブヤン海で沈没した「武蔵」が発見される。
(4) 船舶の用途による分類
船舶が運搬する貨物の種類(目的、用途)に合わせて一般貨物船から特殊船まで様々な種類の船がある。
① 客船、貨客船
旅客船、連絡船、フェリーボートなど。
② 一般貨物船(Bulk Carrier)
一般的にばら積船(Bulk Carrier = バルク・キャリアー または Bulker = バルカー)のことをいう。バルクとは石炭・鉄鉱石・
小麦・トウモロコシなどの「ばら」の貨物のことを指し、これらを運搬する貨物船が汎用船ということになる。石炭
を積んで行って帰りは小麦を積んで帰るといった風に使われる。もちろん、船倉は毎回クリーニングされ、検査を受
ける。
③ コンテナ船(Container Carrier)
一般貨物を入れたコンテナ(箱)を専用に運搬する貨物船の一種。コンテナの標準サイズは 20 フィート(= 8’ x 8’ x
20’ 容積約 33 ㎥ )と 40 フィート(= 8’ x 8’ x 40’ 容積約 68 ㎥ )があり、コンテナ船の積載能力は 20 フィートコ
ンテナに換算した個数で表す。単位は TEU(= Twenty Foot Equivalent Unit )
。
貨物をコンテナ化することで雨中の荷役も可能となる他、陸揚げした後もコンテナを港で保管(倉庫は不要)した
6−109
り、直ちにコンテナトラックでの輸送が可能で、輸送効率は大幅に向上している。コンテナ船はライナー(定期航路)
で運航されることが多く、スケジュールは分単位で決められている。船型も大型化している。また、コンテナ自体に
冷凍・冷蔵設備を備えたものもある。
※世界最大のコンテナ船は「マースクライン」が大宇造船海洋(韓国)で建造した「トリプル E」と呼ばれ
る 18,000TEU 型の船で、総トン数 194,849 トン、長さ 399m、全幅 59m、深さ 30.3m、喫水 16mであっ
たが、2017 年には商船三井が 20,000TEU 型コンテナ船 6 隻を就航させる計画である。
(建造する造船所は
今治造船とサムスン重工業)
【ライナーとトランプ】
定期航路で運航する方式をライナー(Liner)、不定期航路で運航する方式をトランプ(Tramp)と呼んでいる。定期航路で安定した
貨物(顧客)を確保することで船会社の経営が安定する。一方の不定期運航の場合はオペレーターが各港で上手に集荷し、極力空船で
航海することがないように効率良く運航(配船)することが肝心である。荷揚げした港で次の貨物がなければ空船で他の港まで行って
貨物を積むことになり、空船航海(バラスト航海)の分だけロス(収入は無いが人件費や燃料代等の出費はかかる)になる。このロス
の縮減度合いがオペレーターの採算を左右することになる。バスで例えると、ライナーが路線バスでトランプが貸切バスといったイメ
ージ。ライナーの代表選手がフェリー・RO/RO 船やコンテナ船、トランプの代表選手が一般貨物船やタンカーなど。
④ ウッドチップ船(Wood Chip Carrier)
製紙原料のウッドチップを専門に運搬する貨物船の一種。甲板上にホッパーと呼ばれる漏斗とベルトコンベアーが
装備されている。愛媛県には大手製紙会社が多数あり、多くのウッドチップ船が活躍している。大半が製紙会社の専
用船として運航されている。これらのチップ船の運賃は日本円で支払われることが多く、船主が受け取る用船料も円
建てとなり、為替リスクの少ない用船形態となる。
⑤ 冷凍船(Reefer Carrier)
冷凍貨物を専門に運搬する貨物船の一種。冷凍・冷蔵を要する農産物や海産物などの運搬に従事する。中には冷凍
マグロなどを運搬する超低温冷凍船もある。大型冷蔵庫が海に浮かんで走っているようなもので、貨物船に比べて船
価も高額。貨物の特殊性(鮮度が命)からして運航スピードが速いのが特徴で、したがってエンジンの馬力も大きく、
船型はスマートである。
⑥ 自動車運搬船(PCC=Pure Car Carrier)
自動車を専門に運搬する貨物船の一種。トヨタ自動車や日産自動車などの自動車メーカーの専用船として運航され
ているケースが多い。付加価値が高く、船価も高額。フェリーと似た構造をしている。
⑦ RO/RO 船(Roll-on / Roll-off )
貨物を車ごと積み降ろしするタイプの特殊船で、カーフェリーと似た構造をしている。トレーラーでシャーシーに
貨物を積んで船に乗り込み、シャーシーと貨物のみを残して車体は船外に降りる。主に定期航路で運航される。
⑧ 原油タンカー(Crude oil Tanker)
原油を運搬するタンカーで、一般的に大型船が多い。船体の二重構造(ダブル・ハル=Double Hull)が義務付けら
れている。
⑨ プロダクトタンカー(Products Tanker)
ガソリン、軽油、灯油、ナフサなどの石油精製品を運搬するタンカー。船型によって MR(Medium Range=25,000
∼55,000 トン)と LR(Large Range=55,000∼160,000 トン)とそれ以上のサイズに区分されている。
⑩ ケミカルタンカー(Chemical Tanker)
ベンジン、トルエン、アルコールなどの化学薬品等を運搬するタンカー。その他、パームオイル(ヤシ油)や糖蜜
なども運搬する。油タンカーと構造は似ているが、タンク内が細かく区切られていることが特徴。タンクは酸に強い
ステンレス材を使用するので船価が高くなる。
⑪ LPG タンカー(LPG Tanker)
液化石油ガス(LPG = Liquefied Petroleum Gas)を運搬するタンカー。輸送方式にはガスを常温で加圧して液化
する加圧式と、冷却して液化する冷却式がある。
(複合型もある。
)大型 LPG タンカーは冷却式を採用している。
⑫ LNG タンカー(LNG Tanker)
液化天然ガス(LNG = Liquefied Natural Gas)を運搬するタンカー。LNG はマイナス 161.5℃以下にならないと
液化しないので高度な技術と装備が要求され、船価も1隻200億円以上もするため、一般の船主では所有できず主
に大手海運会社の自社船としている。環境問題がクローズアップされてきており、今後の需要は大きいと見られてい
る。
(LNG は液化すると体積が 600 分の 1 になる。
)
【シェールガス革命】
シェールガスは頁岩(けつがん、シェール)という固い岩盤の隙間に閉じ込められた天然ガスのことをいう。北米、ヨーロッパ、オ
ーストラリア、中国、インドなど世界に広く分布しており、推定埋蔵量は 90 兆立法メートルと、従来型天然ガスの半分ほどに達する。
従来は岩盤から掘り出すのが難しかったが、岩盤の水圧破砕や井戸の水平堀りなどの技術が開発され、生産量が急増している。特に
アメリカはいち早く開発に乗り出し急速に生産量を伸ばしているし、カナダ、ヨーロッパ諸国、オーストラリア、中国などの各国も資
源開発に乗り出しており、今後、世界のエネルギー勢力図を塗り替える「シェールガス革命」につながると見られている。また、これ
らを運ぶ LNG 船の需要が高まっている。天然ガスは石油や石炭に比べ二酸化炭素の排出が少なく、シェールガスの利用は温暖化防止
に役立つと期待されている。シェールガス以外にも、頁岩にたまる石油(シェールオイル)などがある。
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【LNG 船建造、相次ぎ再開】
(出典:2014.4.23.日本経済新聞)
造船大手のジャパンマリンユナイテッド(JMU)と三井造船は液化天然ガス(LNG)運搬船の建造を再開する。両社は 2017 年か
らは北米産シェールガスを運ぶ船の需要が見込めるため、建造能力を高め、受注を進める。
北米産シェールガス事業は日本企業が参画する大型プロジェクト 3 件が承認されており、17 年から輸入が始まる見込み。日本の案
件だけでも 30∼40 隻の LNG 船が必要とされている。アフリカなどで資源開発が進むこともあり、LNG 船の新造需要は 20 年までに
300 隻程度に達すると見られる。円高修正もあり、日本企業の受注の好機となっている。
JMU は、ばら積み船や石油タンカーの建造が中心の津事業所に今後 3 年で約 10 億円を投資し、LNG 船に特化した造船所にする。
年間 3∼4 隻を建造できる体制とする。多くの部分が船体内部に収まって風の抵抗を抑え、燃費性能に優れ、こうした性能が評価され
2014 年 2 月、北米産シェールガスに使う LNG 船を日本勢で初めて受注した。
三井造船も LNG 船を受注する方向で、数十億円を投じて千葉事業所の建造設備を更新する。三菱重工業や川崎重工業などと共同で
受注活動する。LNG 船は 1 隻 200 億円程度と大型タンカーやコンテナ船の 2 倍程度とされる。
【三井物産、LNG 船 5 隻用船契約、キャメロン第 1 弾】(出典:2014.10.1.海事プレス)
米国のシェールガスを輸送する「キャメロン LNG プロジェクト」の新造 LNG 船調達商談で、第 1 弾として三井物産が用船する 5
隻が決まった。三井物産は日本を中心とした需要家向けの LNG 輸送用に全 8 隻の調達商談を進め、このうち 5 隻について 26 日に定
期用船契約を締結した。2017∼18 年から最長 25 年間、定期用船する。5 隻の定期用船料の総額は最大約 4,000 億円。商船三井から
15 万 5,000 立方㍍のモス型 2 隻、日本郵船から 17 万 4,000 立方㍍のメンブレン型 1 隻を定期用船するとともに、残りの 2 隻は三井
物産が出資する船舶保有会社が保有する。造船所は商船三井の 2 隻が川崎重工業、優先および三井物産の計 3 隻が韓国造船所。残る 3
隻についても順次、定期用船契約を締結する予定だ。三井物産は、全 8 隻によりキャメロン・プロジェクトで年間 400 万トンの LNG
を引き取ることになる。
キャメロン LNG プロジェクトはセンプラ・エナジー、GDF スエズ、三井物産、三菱商事/日本郵船が米国で進めるシェールガス
の液化加工プロジェクト。18 年から商業稼働となる予定。米エネルギー省は今月、日本を含む FTA(自由貿易協定)非締結国向けの
LNG 輸出について最終的な許可を行った。同プロジェクトで生産される LNG は年間約 1,200 万トンで、三井物産、三菱商事、GDF
スエズが各 400 万トンずつ引き取る。
三菱商事と GDF スエズも LNG 船の調達作業を進めている。三菱商事は郵船と組んでキャメロン事業に出資しているだけに、起用
船社は郵船を軸に検討しているとみられる。
【新形式 LNG 船、国交省が海外普及後押し、安全評価手法確立】(出典:2015.09.01.海事プレス)
国土交通省は、日本の造船所が開発した新形式 LNG 船の中長期的な受注拡大を、安全評価面で後押しする。日本造船所が近年受注
している LNG 船は、タンク形状を従来の球形からストレッチ型に変更。今後本格化するシェールガス輸送と来年の新パナマ運河の通
航をにらんで積載量の最大化を図っている。国交省は外部有識者の専門委員会を通じ新形式のタンクの安全性評価手法を確立するとと
もに、同委員会には外国船級協会もメンバーに加わり、造船所が外国船級から迅速に承認を得られるようにする。世界の主要 8 船級の
過半での安全性評価手法の普及を目標としている。
⑬ その他
プラントなどの大型建造物を運搬する重量物運搬船や、押船・曳船(タグボート=Tug Boat)などの特殊船、エン
ジンの無い台船・艀(バージ=Barge、 船舶としては登記できない)
、クレーン船、ラッシュ船など様々な船舶が活躍
している。
【海洋汚染防止とダブル・ハル】
座礁などで船体外板にある程度の損傷を受けても原油や重油などの積荷が流出しないように、タンカーの船体を二重構造にするこ
とを「ダブル・ハル(Double Hull)」という。1992 年に発効した改正 MARPOL 条約(船舶による海洋汚染防止に関する国際条約)
によって、1996 年 7 月以降に建造される油タンカーには船体の二重構造が義務付けられている。過去にはタンカーの座礁によって大
量の原油が流出し、周辺海域の環境を大きく損なう大惨事があった。また、貨物船でも燃料油を大量に積んでいるので、事故の際には
油流出は起こり得る。
なお、貨物船(Bulker)についてもダブル・ハルを強制しようという動きがあったが、日本やギリシャの反対でストップされた。
積荷(石炭、鉄鉱石、小麦など)の内容がタンカーとは全く異なり、大規模な油流出事故に発展する恐れが少ないためである。
(5) 船用機関(エンジン)の種類による分類
船舶の推進力を発する機関を「主機(Main Engine)
」といい、それに付属する機械や推進以外に使用する機器を「補
機(Auxiliary Engine)
」という。
「補機」の主なものは、発電機、冷却ポンプ、燃料清浄機、潤滑油ポンプなど。
① 蒸気機関
レシプロ機関、タービン機関などだが、現在は殆んどない。
② 内燃機関
ディーゼル機関(Diesel Engine)
、焼玉機関、ガソリン機関、ガスタービン機関などがあるが、現在の商船の大半
はディーゼル機関(大半が 2 サイクル)で、重油を燃料(Bunker、Fuel Oil)としている。燃料自体がガソリンなど
と比べて安いので燃費効率は良い。その他、LNG を燃料とする船舶も開発されている。
※重油といっても精製後の残りカスのようなもので、不純物が混合し、粘度が高く固まりやすいので、船舶に
は温水パイプによるヒーティングシステムを装備している。
【焼玉機関】
焼玉機関(焼玉エンジン)とは初期のディーゼルエンジンの一種で、高圧燃料ポンプもスターター用モーターも無い時代に使用さ
れていた。このエンジンは「焼玉」といわれる鋳物の玉を、バーナーで加熱してシリンダー上部にある副燃焼室に入れ、焼玉の熱とシ
リンダーの内圧により燃料が気化、発火し、始動する方式。
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日本では 19 世紀頃に輸入され、20 世紀に入って国産化された。このエンジンはその簡易さと廉価さによって小型船などに使用さ
れ、その船は独特の音を立てて航行することから「ポンポン船」と呼ばれていた。
現在では技術は格段に進歩し、船舶のエンジンも格段に性能がアップして、「M ゼロ船」も登場している。
※「M ゼロ船」(Machinery Space Zero Person)とは機関区域に船員を継続的に配置することなく 24 時間主機を運転で
きる設備を備えた船(機関区域無人化船)のことで、日本海事協会が与える符号である。
③ 電気推進機
電気を主動力源とした船舶はほとんどない。ただし、最近では環境対策の一環として太陽光エネルギーを動力源の
一部とする船舶(ハイブリッド船)も登場している。
④ 原子力機関
商船には原子力機関の船はない。原子力機関は軍事用の艦船によく用いられる。原子力機関は高い技術力と高いコ
ストがかかり、建造の規制も厳しいので、民間での利用は不可能である。
※そもそも船価が高額で商船としては採算が合わない。
【LNG 燃料船導入】(出典:2013.8.15.日本経済新聞)
政府が導入を目指す、液化天然ガス(LNG)を燃料に使う船舶などの補助事業に、日本郵船が内定したとの報道があった。LNG 燃
料船の導入は日本で初めて。日本郵船は小型船での実験的な導入で、LNG の補充方法や火災などに備えた防災体制のノウハウを蓄積
する。将来はタンカーやコンテナ船でも導入を検討する。商船三井も内航フェリーで LNG の活用を狙っており、日本の海運会社で
LNG 燃料船の採用が広がる見通し。
背景には国際的な環境規制の強化がある。国際海事機関(IMO)は 2020 年にも船舶による硫黄分の排出規制を強化する予定で、二
酸化炭素の排出量も過去 10 年平均に比べ2割削減が義務付けられる。新規制をクリアするには燃料を LNG に替えるのが有効な手段。
米国で非在来型の「シェールガス」の増産が進み、天然ガスが重油に比べ割安になりつつあることも追い風となる。
【日本郵船、国内初の LNG 燃料船”魁”竣工、京浜ドックで引渡式】(出典:2015.09.02.海事プレス)
日本郵船が京浜ドック(本社=横浜市、庄司勉社長)に発注していた LNG 燃料タグボートが 8 月 31 日、京浜ドック追浜工場で竣
工した。日本初の LNG 燃料船で、船舶燃料としての LNG の有効性を検証し、新たな事業分野を切り拓くフラッグシップとし
て”Sakigake(魁)”と命名された。
同船は郵船が保有し、タグボートを運航する郵船子会社のウィングマリタイムサービス(本社=横浜市、山下俊憲社長)が用船し、
横浜・川崎港での作業に従事する予定。引渡式には、郵船や京浜ドック、ウィングマリタイム、新潟原動機など多数の関係者が出席し
た。入魂式の後、京浜ドック追浜工場を出港した。
日本初の LNG 燃料船となった同船は、2014 年に起工後、通常のタグボートの倍近い期間をかけて建造された。重油と LNG を燃料
として使用できるデュアル・ヒューエル・エンジンを搭載し、LNG を燃料として使用した場合に、SOx(硫黄酸化物)の排出がゼロ
になるほか、従来の重油使用時と比べて CO2 排出量を約 30%、NOx(窒素酸化物)排出量を約 80%削減可能と見込む。
【LNG 産消会議 2015、LNG 燃料普及カギは「インフラ」】
(出典:2015.09.17.海事プレス)
経済産業省などが主催する「LNG 産消会議 2015」が 16 日に都内で開催され、輸送燃料としての LNG のセッションで日本郵船の内
藤忠顕社長が登壇し、海運業における LNG 燃料の活用について説明した。同社が取り組む LNG 燃料の曳船と自動車船、LNG 燃料供
給事業を紹介し、
「これを通じて、LNG 燃料に関するルール、安全基準策定に積極的に関与していきたい。郵船グループとして経済性、
環境の両面で非常に有望な LNG 燃料の普及に力を尽くし、環境に優しい海運業の普及に取り組む」と語った。また、運輸部門の LNG
燃料普及のカギとして「インフラ整備」を挙げた。
内藤社長は IMO(国際海事機関)の SOx(硫黄酸化物)規制強化への対応策として、低硫黄 MGO の使用、スクラバーによる重油
の脱硫、LNG 燃料の使用を挙げた。「3 つとも一長一短ある。低硫黄 MGO の使用は新たな設備を要さないが、最大の問題は価格の高
さ。供給問題も心配される。また、重油を使いつつ脱硫する方法は追加工事が必要で、ランニングコストもかかる。排液処理も課題だ。
LNG 燃料は SOx がゼロであるなど環境に優しいが、一方、船価が上がるし、大型燃料タンクが必要で貨物スペースが減る。燃料供給
インフラの問題で流通コストがかさむといった課題もある」とそれぞれのメリット・デメリットを紹介した。
(6) 船の要目など
① 大きさや能力などを表すもの
a. 長さ(Length):船首の最先端から船尾最後端までの水平距離のこと。
b. 幅(Breadth):船体の最大幅部における横断面で外板の内面間の水平距離のこと。
c. 深さ(Depth):船底から上甲板までの垂直距離のこと。
d. 喫水(Draft):船底から喫水線までの垂直距離のこと。
(水面下に沈んでいる部分の深さ)
e. 載貨重量トン数(D/W =Deadweight Tonnage):満載喫水線の限度まで貨物を積載した時の全重量から船舶自体の
重量を差引いたトン数で、積み込める貨物の量を示す。
f. 総トン数(G/T= Gross Tonnage):船全体の大きさ(容積トン数)を表す単位で、100 立方フィート(2.83 ㎥)が
1 総トンとなる。船体の囲まれた部分の総容積から上甲板以上にある推進・航海・安全・衛生に関する場所を除
いた全容積を示す。
(国際総トン数=船内総容積×(0.2+0.02log10×)
g. 純トン数(N/T =Net Tonnage):総トン数が船全体の大きさを表すのに対して、純トン数は旅客または貨物に供す
る場所の大きさ(容積)を表す。総トン数(G/T)から、機関室、船員室、バラストタンクなど貨物を積載でき
ない部分の容積を差引いたもので、純粋に貨物を積載できるスペース(容積)を表す。
【「トン」の由来】(出典:日本船主協会「雑学ゼミナール」)
「トン」という単位は、じつは酒樽(tun)を叩いたときの”トン”という音に由来するというのは、嘘のようで本当の話。15 世紀頃、
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フランスからイギリスへ、ボルドー産のワインを運ぶ船の大きさを表すのに使われ始めたものだという。ワインの樽をいくつ積めるか
で船の積載能力を示した訳である。
当時の酒樽 1 個の容積は約 40 立方フィート。これにワインをいっぱいに詰めると 2,240 ポンドになり、これをメートル法で表すと
1,016 ㎏になる。このため、以前のイギリスの単位では 1 トンは 1,016 ㎏であった。しかし現在ではメートル法が適用され、1,000 ㎏
が 1 重量トンになっている。容積も、かつては酒樽 1 個を単位としていたが、こちらも 100 立方フィートが 1 総トンとなり、現在で
は船の容積に一定の係数を乗じて得られた数値を 1 総トンとしている。
※イギリスが tun の標準を容積 250 ガロン(40 立方フィート)、重量 2,240 ポンドと決め、tun に代わって ton を使うよ
うになった。
② 馬力、速力などを表すもの
a. 出力(PS =Pferde Starke)
:エンジンの出力の単位で、一般的には馬力(HP = horse Power) で表す。 メートル
法では、1馬力は 75kg の物体を1秒間に 1m動かす仕事率のことをいう。ポンド法では、1馬力は 550 ポンドの物体
を1秒間に 1 フィート動かす時の仕事率のことをいう。
b. 速力(Knots=ノット):船の速力を表すもの。1 ノットは 1 時間に 1 海里(1,852m=1マイル)進む速力のこと。
c. 航海速力(Service Speed)
:船舶の通常の航海速度のこと。貨物船などは約 14 ノット程度で航海している。コン
テナ船や冷凍船などは貨物の特殊性もあって一般貨物船よりもスピードを要求されるが、その分燃料消費も多
くなりコストアップとなる。コンテナ船や冷凍船は船型がスマートでスピードが出る設計。
【ログブック】
ログブックとは航海日誌のこと。海象や気象、針路、船速などを1時間毎(または 4 時間毎)に記入し、正午現在の船の位置、前日
正午からの航行距離、平均速力などを 1 日 1 回記録する。
かつてコロンブスが第 1 次航海の成果をスペイン国王に報告するために航海日誌を提出し、国王はその記録がそのまま航海案内にな
ると考え、以後、外洋を航海する全ての船舶に航海日誌の記録と提出を義務付けたのが始まりといわれている。
「ログブック」の「ログ」は「丸太」の意味で、かつて航海計器が発達していなかった時代に、海面に丸太を投じて速力を計測して
いた名残りで、以後、速力を測る装置全般をログと呼ぶようになり、これが転じて航海日誌をログブックと呼ぶようになった。航空機
の分野においても航空日誌をログブックと呼び、さらに機械などの試験記録やコンピューターの利用記録などにもログないしログブッ
クという言葉が使われている。
【領海と海里】
領海(territorial sea)とは、基線(沿海の岬や島を直線で結んだ線)から 12 海里(約 22.2 ㎞)までの範囲で国家が設定した海域
をいう。領海、領海の上空、領海の海底とその地下には沿岸国の主権が及ぶ。領海の外は公海となる。ただし、公海(主権が及ばない
海域)であっても基線から 200 海里までの海域を特に「排他的経済水域(EEZ=Exclusive Economical Zone)」という。
海里(nautical mile、sea mile)は海面上の長さや航海・航空距離を表す距離の単位。1 海里は 1,852m(1mile)の距離で、北緯
45 度の子午線1分の長さとなっている。1 ノット(Knots)は1時間に 1 海里(1mile)進むスピード。一般的な貨物船のスピードは
約 14 ノットなので、自動車でいえば時速 26kmで航行しているという訳である。
【排他的経済水域】
排他的経済水域(EEZ=Exclusive Economical Zone)とは、国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域のこ
とを指す。沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで、自国の沿岸から 200 海里(約 370km)の範囲内の水産資源
および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利が得られる。その代わりに資源の管理や海洋汚染防止の義務を負うことに
なる。排他的経済水域は、沿岸国の権利と船舶の自由通航の確保という矛盾する要請を同時に満足させるための方策として考え出され
たもので、200 海里もの広範な「領海」を設定していた国の主張を経済的主権に限定して認める代わりに、船舶の自由航行の水域を確
保したもの。
※ローマ法には「海は自然法によって万人の共有物であり、空気と同様に海の使用は万人に自由に開かれている」とある。
我が国の国土面積は約 38 万㎢、これに対し領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせた面積は約 447 万㎢と約 12 倍の面積がある。
この広大な EEZ には、海底熱水鉱床等の鉱物資源や未来の国産エネルギーと言われるメタンハイドレート等の豊富なエネルギー資源
に対する期待が高まっている。
日本最南端の「沖ノ鳥島」は排他的経済水域を維持するために、島の周囲をコンクリートやブロックで固め、波による侵食を防いで
いる。
(この島が水没すると広大な EEZ が失われる。)また、尖閣諸島や竹島、北方 4 島の領有権の問題も単に領土の問題ではなく、
排他的経済水域の海洋資源の維持という顕在的な効果が大きいといえる。
※メタンハイドレートとは、天然ガスの主成分であるメタンをカゴ状の水分子が取り囲んだ物質で、低温高圧の海底下や凍土
下に存在している。人口のメタンハイドレート結晶は白く冷たい氷の様な形状で、火を近づけると燃焼することから「燃
える氷」とも呼ばれている。
(7) 関係機関、条約等
① 船級協会
船舶は、その人命および財産の安全を期するため、それを保証する船級協会の認定を受け、登録されなければなら
ない。(船級協会の認定を受けなければ航行できない。)このため船舶には、建造中および就航中には諸検査が義務付
けられている。登録は船舶が所属する国籍の船級協会に対して行われるが、わが国の船主が支配する外航船はパナマ
籍等であっても実質支配者の国(日本)の船級協会に申請され、検査・認定を受けることが一般的である。
【日本海事協会】
一般財団法人日本海事協会(Nippon Kaiji Kyokai)は ”NK” または”Class NK”の通称で呼ばれる国際船級協会で、船舶に関する様々
な事業の進歩・発展を図り、人命および財産の安全や海洋環境の保全を期すことを目的として活動している。主な業務は、設計図面の
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審査・承認、船級および設備の登録検査・登録維持検査、材料・機器・艤装品の承認、船舶安全管理システムの審査、船舶保安システ
ム審査登録、造船所等の品質システムの審査、船舶関係の技術コンサルタントサービス、船舶の鑑定評価など。
日本海事協会は 1899 年 11 月に帝国海事協会として創立、1915 年に船舶部を設置して船級協会としての体制を整え、1934 年に施
行された船舶安全法により帝国海事協会が日本の船級協会として認定されて基礎が固まった。
現在、日本海事協会は世界一の船級協会となっている。
【世界の主な船級協会】
NK(日本海事協会 = 日本)
ABS(American Bureau of Shipping = アメリカ) *DNV GL(DNV GL AS = ノルウェー)
LR(Lloyd’s Register of Shipping = イギリス)
BV(Bureau Veritas = フランス)
GL(Germanischer Lloyd = ドイツ)
*2013 年 9 月、NV と GL が統合
【船舶の検査】
船舶も自動車の車検のような定期検査が義務付けられている。
外国航路に就航する船舶の検査は国際海事機関(IMO)が定めた国際海上人命安全条約(SOLAS 条約)で世界的な基準が設けられ
ており、バルカーの場合、建造時に 5 年間有効な「船舶検査書」が交付され、以後 5 年毎に定期検査(SS=Special Survey)が義務付
けられている。更に証書の有効期間中に年 1 回の簡単な年間検査(AS=Annual Survey)と、これとは別に 5 年間に 1 回の中間検査
(IS=Intermediate Survey、船底検査・ボイラー検査など)がある。つまり、5 年に 2 回のドックが必要ということ。
② 国際海事機関(IMO = International Maritime Organization)
1958 年に政府間海事協議機関としてロンドンに設置され、1982 年に IMO に名称変更された。外航海運に影響す
るすべての技術的側面に関連した国家規制および慣行に関する政府間協議の場として機能し、航行安全、船舶からの
海洋汚染防止規則に関する高度な規準の策定を目的としている。
【海運自由の原則】
海運自由の原則とは、「海運事業に対する参入・撤退の自由を保証し、貨物の積取りについて政府の介入により自国の商船隊や自国
籍船による輸送を優先させたりすることなく、海運企業や船舶の選択を企業間の自由かつ公正な競争に委ねるとの原則」をいい、国際
法の父とされるオランダの法学者「グロティウス」が提唱した理論である。
この原則に基づき海運業者は地球全体規模(ワールドワイド)で事業を展開し、海運業界は世界全体の経済活動に影響される特長を
持つ訳である。
【海上交通のルールと航法】
航法は国際海事機関で右側通行が基本と定められている。これは、昔の船は右側に櫂(かい)が付いていたため、すれ違う時はお互
いの右側を隠すようにしていた名残りである。これらは船の右舷と左舷の呼び方にも繋がっている。
船の右側には櫂が付いていたため右舷を Steering Board と呼び、それが訛って Starboard Side と呼ぶようになった。一方の左側は、
右側の櫂で操作しながら左側を港に接岸していたため、左舷を Port Side と呼んでいる。
面舵(Starbord)とは右に舵を切ることをいい、取り舵(Port)とは左に舵を切ることをいう。日本では、十二支の「卯」
(進行方
向「子」に向かって右側=子を北とした場合の東)の方向に舵をとることから「卯の舵」と呼ばれ、これが転じて「面舵」と呼ばれる
ようになった。逆に、十二支の「酉」(同じく北に対する西)の方向に舵をとることを「取り舵」と呼んでいる。
【タイタニック号の話】
豪華客船「タイタニック号」は 1912 年 4 月 15 日、英国サザンプトン港からニューヨークへの処女航海中、北大西洋で氷山と衝突
して沈没し、約 1,500 人もの犠牲者が出た。タイタニック号は全長 269.1m、幅 28.2m、総トン数 46,329 トン、エンジン 50,000 馬力、
速力 22 ノット、定員 3,000 人で、レストラン、社交場、温水プール、運動場などを備えた「洋上の宮殿」と称される当時最大級の豪
華客船であった。このタイタニック号は、設計師トーマス・アンドリュース氏によって 15 の隔壁で 16 区画に分けられた最新の水密
構造を持ち、さらに区画間の移動用に設置された水密扉はブリッジから自動で閉鎖できるシステムを装備しており、「不沈神話」とさ
え評されていた。しかし、氷山との衝突から約 2 時間で沈没した。前方に氷山を発見した見張り員の報告を受け、一等航海士は操舵室
に電話で「Hard Starbord(取り舵一杯)」を指示し、エンジンルームには「Stop(機関停止)」と「Full astern(全速後進)」を指
示したが、大型蒸気機関の舵を動かすには 20 秒から 30 秒を要し、氷山を避けきれず右舷が接触した。本船の右舷側は約 10 秒間氷山
と断続接触し、その結果第 1 から第 6 区画までの広範囲の断続破損を生じ、想定を超える浸水が短時間に起こったためである。
さて、当時の Starboard とは「取り舵」を意味し、つまり「左舷側に舵を切る」ということであった。当時の船は構造上、舵柄(舵
輪)を右に回せば船首は左に曲がっていた。(舵の取っ手を回す方向とは逆の方向に舵板本体が向き、船首は舵板の向いた方向に動く
訳で、船首は舵の取っ手を回す方向とは逆の方向に曲がることになる。)タイタニック号は「取り舵一杯」で左側に避けたが、間に合
わず右舷側が氷山に衝突した。
その後、1930 年頃には舵輪は直接梶板に結合せず、歯車や油圧などによって間接的に制御されるようになり、舵輪の回転方向と船
、Port は「取り舵=左方向」となっている。
首の方向が一致するようになった。したがって現在では、Starboard は「面舵=右方向」
③ 国際安全管理コード(ISM Code = International Safety Management Code)
国際海事機関で「船舶の安全運航並びに海洋汚染防止」を目的とした国際安全管理コードを決議、1994 年 5 月に
SOLAS 条約に採択され、1998 年 7 月から施行された。これにより、船主または船舶の安全に関して責任を有する会
社に対し、安全管理制度の確立、陸上安全管理担当者の選定、安全運航マニュアルの作成、緊急時の対応措置、船舶
および装置の維持・管理などが義務付けられている。
船舶および管理者等は定期的な検査を受け、適合証書を備え付けなければならない。これに適合していない船舶は
寄港地において航行停止などの厳しい処分がなされる。船主にとってはこれらの手続き費用も負担増となっている。
④ 寄港国による監督(PSC = Port State Control)
入港される国の監督官が入港船舶に対して、港や船舶の安全、海洋汚染の防止のために IMO(国際海事機関)など
で定めた安全基準(船内設備や乗組員の資格など)を満たしているかを確認するために立入検査を行う。
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※1970 年代後半、大型船舶の海難が増大した。海難を起こした船舶の多くは旗国(船舶を有する国)による監
督体制が不十分であったことから、入港される側の国による監督を実施することの重要性が提起され、1981
年に IMO において PSC についての監督手続きに関する決議が採択され、世界的に PSC が本格的に実施さ
れるようになった。
【沿岸警備隊】
沿岸警備隊(Coast Guard)は主に主権の及ぶ海洋・内水域で、密貿易、密出入国の取締り、哨戒・警備救難活動、航行安全などを
行う組織で、イギリス、アメリカ、カナダなどの諸外国にそれぞれある。日本の海上保安庁もこれに相当する。海軍が領海防衛に注力
するのに対し、沿岸警備隊は主として領海内における警備・警察任務を遂行する。(警察任務を海軍の軍艦が行うことは周諸国との緊
張を招くとの配慮によるもの。)
日本の海上自衛隊には海上警備行動発令時など有事でなければ逮捕権や捜査権はない。海上において発生した事件を捜査し、容疑者
を逮捕するのは行政機関である海上保安庁の役割である。
2. 外航海運業の仕組みと特徴
(1) 海運業(船舶貸渡業)の仕組み
海運業には大きく4つの業者等が関わる。1つは「船主=オーナー(Owner)」、2つは「用船者=オペレーター
(Operator)
」、3つは「造船所=Shipbuilding、ドック(Dock)、ヤード(Yard)
」、4つは「金融機関=ファイナン
サー(Financier)
」で、このうち1つでも欠けると成り立たない。
その他、貨物の輸送を船会社に依頼し対価として運賃を支払う「荷主」(船舶自体を借り受ける場合もある)、エン
ジン等を供給・メンテナンスする「機械メーカー」、船舶関係部品・用品を供給する「船用品会社」、保険を引き受け
る「損保会社や P.I.保険会社」
、運航管理に関係する「管理会社や代理店」、船員の供給元である「マンニング会社」、
船舶建造・売買および用船などを仲介する「商社やブローカー」
、船舶燃料や潤滑油を供給する「船舶燃料の供給者」
、
「海運関連の情報機関」
、
「船舶鑑定業者」
、
「税理士、弁護士、司法書士」
、船舶の検査などを行う「船級協会」および
「国際機関」などがお互いに補完しあって業界を構成している。
【船舶貸渡業の概略図】
(融資)
金融機関
(返済) ※現在は銀行が海外
子会社へ直接融資す
る方法が主流
造 船 所
船舶管理
役員
船用品支給
出資
(転貸)
用船契約
船舶建造契約
代金支払
船用品会社
機械メーカー
(返済)
返済
(ドック、ヤード)
機械部品等調達
(日本法人)
(ファイナンサー)
融資
船用品等調達
船 主
船舶所有者
(オーナー)
(海外子会社)
船体保険契約 用船料支払
船舶燃料支給
船員配乗
用 船 者
(オペレーター)
運送契約
運賃支払
P.I.保険契約 保険会社
P.I.保険協会
マンニング会社
代理店
荷 主
【海事クラスター(マリタイムジャパン)】(出典:日本船主協会)
海事産業は、業種としては海運、船員、造船、舶用工業、港湾運送、海運仲立業、船級、船舶金融、海上保険、海事法律事務など様々
な分野からなり、主体としても、産、学、官およびその連携からなる複合体・総合体である。英国、オランダ等の海運先進国ではこの
総合体を「海事クラスター」と呼んでいる。
海事クラスターはその個々の構成員による付加価値、雇用の創造に止まらず、構成員相互の外部効果、つながり、スピルオーバー効
果により総体としてより大きな付加価値を創造し、全体として競争力を発揮するもの。これら海運国ではこうした施策の総合体、ある
いは目標を「マリタイムロンドン」などと呼んでおり、これに倣えば日本の場合「マリタイムジャパン(海事国日本)」と呼ぶことが
できる。
【瀬戸内サプライチェーン】
瀬戸内海には、海運業、造船業および舶用工業を主とし、海事関連産業が集積している。これらの企業がお互いに連携・補完し合う
ことで「瀬戸内サプライチェーン」を構成している。特に今治市は、船舶建造量世界 7 位、国内 2 位の今治造船グループを始めとする
日本屈指の造船企業があり、日本の船舶の約 19%(今治市に本拠を置く造船会社グループ全体では日本の約 30%以上)を建造する造
船産業集積地となっている。
世界的に海運業者が集積されている地域は今治市の他に香港やギリシャなどがあるが、今治市は香港やギリシャと違って「海運業」
と「造船業」および「舶用工業」が集積している世界に類を見ない特殊な地域で、これらが連携・補完することで海運業が発展してき
たものである。
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① 資金調達
銀行より外貨あるいは円貨の資金を借入れる。昨今の円貨は低金利が続いているので借入の大半は円貨であるが、
「通貨選択条項付金銭消費貸借契約証書(マルチ金消)」により外貨に変更することも可能。用船料収入の大半が
US$建てとなっているので、円貨で借入を行うと通貨変更(US$を円転)時の為替リスクがある。
【シップファイナンスの類型】
シップファイナンスは、貸出先である船主の会社全体の信用力(財務内容、所有船の内容と含み益およびキャッシュフロー、実態バ
ランスなど)を総合的に審査して貸出する「コーポレートファイナンス(Corporate Finance)」と、個別案件毎の事業計画(船価、用
船料、用船期間、オペレーターの信用力、運航コストの内容、自己資金の投入割合、リスクヘッジ策など)を審査して貸出する「プロ
ジェクトファイナンス(Project Finance)」の両面を持つ。または船舶の資産価値に着目した「アセットファイナンス(Asset Finance)」
という考え方もある。
一般的に、船主(船舶貸渡業者)の借入金の返済原資は、大手オペレーターとの用船契約に基づく安定した用船料収入なので、その
意味では大手オペレーターの信用力に依拠した組立てであるといえる。(「プロジェクトファイナンス」の根幹を成す部分でもある。)
「ノンリコースローン」の場合を
しかし、採算の良い船が採算の悪い船をカバーして、最終的には企業全体で借入金を償還していく(
除く)ことになるので、シップファイナンスは「コーポレートファイナンス」でもあるといえる。なお、個別案件の審査に際しては、
外部環境(海運市況・需給バランス・世界経済の展望・荷動き予測、為替相場、金利動向など)を勘案した総合的な判断が必要である。
その他、JOL や船舶投資ファンドによる資金調達手法もある。
【ノンリコースローン、JOL、投資ファンド】
ノンリコースローン(Non-recourse loan:非遡及型融資)とは、返済の原資を借り手が持つ特定の資産または融資を受けた特定の事
業に限定するローンのこと。融資の際に担保となるのは融資対象物件から生じる収益や将来の処分価値のみで、「プロジェクトファイ
ナンス」は「ノンリコースローン」の一種。当該ローンを実行する時には、対象となる資産や事業を SPC(Special Purpose Company:
特別目的会社)に委譲した上で融資を行う。SPC は一般の事業と分離(倒産隔離)されているので、他事業の影響を一切受けること
がない。(逆に、当該事業が不採算となっても、他の事業から補填することはできない。)
JOL(Japan Operating Lease:日本型オペレーティングリース)とは、投資家が航空機、海上コンテナ、船舶等の大型リース案件
に出資参加し、大型の償却資産を取得したのと同様の効果を得ることにより、計画納税を可能とする資金調達手段のこと。
投資ファンド(Investment Fund)とは、複数の投資家から集めた資金を用いて投資を行い、そのリターンを分配する仕組みをい
う。投資信託として組成されることがあるが、投資事業組合として組成されることもある。投資ファンドの実際の投資はファンド・マ
ネージャーと呼ばれる投資の責任者が行う。
※2007 年、アンカー・シップ・パートナーズ㈱は日本初の本格的な船舶投資ファンドを立ち上げている。
※2012 年 12 月、投資銀行業のリサ・パートナーズは広島銀行と組んで「せとうち経済圏・シップ・パートナーズ・ファン
ド」を立ち上げた。新造船・中古船船の購入や融資債権投資などを行っている。
【三菱商事がコンテナ船ファンド、12~18 隻規模目指す、3 億ドル規模】(出典:2015.06.12.海事プレス)
三菱商事は 6 月 11 日、米国の 100%出資子会社がコンテナ船に投資を行う船舶ファンド「MC シーマックス・シッピング・オポチュ
ニティーズ・ファンド」を組成したと発表した。日米欧の機関投資家から約 3 億ドルの出資コミットを受けており、中古買船を主体に
コンテナ船 12~18 隻規模への投資を目指す。
② 子会社へ転貸
船主は銀行から借入れた資金を海外現地法人(子会社)に転貸する。子会社は親会社から出資と役員派遣を受けて
設立されるペーパーカンパニーで、税制が緩やかなパナマやリベリアなどの場合が多いが、実際に現地に社員がいる
訳ではなく、委任を受けた現地の弁護士が必要な事務・手続きを行っている。
(文字通りペーパーのみの会社。
)
※現在は銀行がパナマ会社へ直接融資する方法(直貸し)が主流となっている。
パナマ国にペーパーカンパニーを設立して、その会社に船舶を所有させることにより当該船舶はパナマ籍となり、
緩やかな税制の特典や、賃金の安価な外国人船員の配乗といったメリットを享受できることになる。こういった手法
を「便宜置籍」というが、詳細については後述する。
③ 船舶の発注・購入
海外子会社は親会社(または銀行)から借入れた資金で造船所から船舶を購入する。現状は造船所の船台が 1∼2
年先まで埋まっているので、建造契約自体は 1∼2 年前に締結しているもの。船舶の購入(建造)代金の支払いは、
契約時、起工時、進水時、竣工時の4回に分けて支払うのが一般的で、竣工時に総額の 50∼70%を支払う様な契約が
多い。また、銀行はそれぞれの分割支払に応じて分割して貸出し(ブリッジローン)、竣工時に全額を証書貸付に組
替える。
※総投資額(船舶建造代金、乗り出し費用、登記費用、建中金利などを含む)の 1∼2 割の自己資金を投入し、
借入は 8∼9 割程度に抑えるのが一般的なスタイル。
船舶の建造に際しては、船主が直接造船所と建造契約を締結するケースと、商社が造船所と建造契約を締結し、オ
ペレーターとの用船契約をセットして船主に販売するケースがある。
【船舶の建造工程】
船舶の建造は、受注・設計・契約を経て、「起工(Keel Laying)」「進水(Launching)」
「艤装(Rigging、Outfitting)」「海上公試
(Sea Trial)
」「竣工(Delivery)
」の工程で行われる。船主はこの工程に合わせて分割で代金を支払う。
起工を英語で Keel Laying という。Keel とは竜骨のこと。昔の船は竜骨(船の基本となる背骨のようなもの)をベースに骨組みを
行いながら全体を作っていたのでその名残である。現在はブロック工法といって、陸上で船体各部を小分けにした「ブロック」(パー
ツ)を作り、それを船台の上で組み上げる(溶接する)方法で行っている。
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船台とは、傾斜を付けたブロック組み立て場のこと。進水時にはこの傾斜(スリップウェイ)を使って滑らせて海に浮かべる。なお、
大型船ではこの進水方法はとれないので、陸上に掘ったドックと海面を仕切っているゲートを開く方式になる。
※スリップウェイによる進水式は勇壮で、一見の価値がある。今治市の造船所などは地域振興と自社 PR も兼ねて進水式を
一般に公開しているところがある。
【進水式】
船の進水式は、華麗なマーチが演奏され、シャンパンが割られ、くす玉が弾ける中、巨大な船体が海に向かって船台を滑り降りて海
面に浮かぶ。この進水は船のお尻側から着水する。船は一般的に船首が船尾よりも細くなっているため、船首は船尾に比べて浮力がつ
きにくく、しかも造波抵抗も少ないためである。船首を前にして船台の斜面を滑らせると、船体はまず水中に深く突っ込み、そのまま
勢いで沖合いまで流れて行ってしまう。ちょうど水泳のスタートの飛び込みのような格好である。それに、船首から進水した場合、舵
やスクリュー・プロペラなどが船台を下りる瞬間に、船台の末端に触れて損傷することもある。
なお、進水式は、船台をできるだけ短く使えるように満潮のタイミングで行われる。また、進水の時点ではできるだけ船体を軽くす
るため、通常エンジンなどの重い部分はまだ積み込まれていない。いったん水に浮かんだ後、艤装岸壁から積み込まれる。つまり本当
の意味での船の完成は、進水式のさらに後になる。
【伝承したい技術=鉄を曲げる熟練の技】
船舶の形状は水の抵抗を軽減するために、固い鉄板を曲げて滑らかな流線型に造られている。この鉄を曲げる作業を「撓鉄(ぎょう
てつ)」という。読んで字のごとく鉄を撓(たわ)めること。撓鉄の精度(曲げられた部分の滑らかさ)は船のスビードや燃費にも影
響するので、造船所の職人さんの腕の良し悪しが問われることになる。
撓鉄は、プレス機やローラーで鉄を曲げる方法(冷間加工=機械曲げ)の他、鉄板の片面をバーナーで熱して膨張させ、直後に冷水
で冷却することによりその部分を収縮させて徐々に曲げていく方法(熱間加工)がある。加熱と冷却を繰り返し、少しずつ鉄が曲がっ
ていく様子はまさに「職人技」としか言いようがない。我が国造船業の高度な基盤技術である「撓鉄」は造船所の職人さんの経験の積
み重ねにより習得されたもので、この技術を後継者に伝承して行かなければならない。
④ 船舶の引渡し、登記
造船所から船舶の引渡しを受ける。当該船舶は前述のように外国籍船として登記される。したがって所有者は外国
籍の子会社となるので、実務上は親会社と子会社の決算を連結して実態を把握する必要がある。
※親会社の B/S は銀行借入金⇔子会社貸付金、子会社の B/S は親会社借入金⇔船舶となる。
建造契約の通貨は円貨が大半である。しかし中には建造契約をドル建てで行い、借入金もドル建てとして為替リス
クをヘッジするケースや、借入を円貨で行い為替先物予約によるドル転(円貨でドルを買う)契約を付けてヘッジす
るケースなどもある。為替が円高水準であればドル建ての船価は円換算では随分安い買い物になるが、その反面、船
主は円高のリスク(ドル建て用船料が円換算すると目減りする)を被ることになる。
※海外船主との契約はドル建てやユーロ建ての場合が多く、その場合は造船所が為替リスクを抱える。
また、銀行は貸出の担保として当該船舶に国際抵当権を設定し、加えて、船主が契約した船体保険に質権を設定す
る。その他、造船所から見れば外国企業への船舶の売渡しなので当然に輸出の手続きが必要となる。
【船舶先取特権】
船舶先取特権(Maritime Lien)とは、船舶に関する特定の債権者に、その船舶・属具および未収の運送賃に対して認められる特殊
な先取特権のことを指す。具体的には、総債権者の共同の利益のために生じた債権、雇用契約によって生じた船員の債権、入港税等の
航海に関し船舶に課した諸税のような公益上の債権などについて認められ、他の先取特権や船舶抵当権に優先する。(日本の場合は商
法 849 条に規定している。パナマ法は抵当権に優先する Maritime Lien を裁判所費用、救助料、海員給与の3つに限定している。)
船舶先取特権は通常の先取特権とは異なる性質を持っており、通常の先取特権は目的物を債務者が占有していることが前提となって
いるので第三者に譲渡されると消滅してしまうが、船舶先取特権は「追及性」を持っているので船が第三者に譲渡されても消滅しない。
中古船を購入した後に、前の船主のバンカー代(燃料代)の未払いがあって、突然に債権者から本船を差押え(arrest)されるケース
もある。また、船員の給与未払いなどで船員に本船を差押えされるケースもある。抵当権者である金融機関が本船を売船した場合にも、
抵当権に優先する船舶先取特権があり売船代金を全額債権回収に充てることができないケースもある。
なお、現在、船舶先取特権を含めた「商法(運送・海商関係)」の改正案が審議中となっている。
⑤ 船員の配乗等
船主は当該船舶に船員を乗船させ、運航に必要な用品・備品、潤滑油、水・食料品等を手配する。船員は賃金が安
い外国人(フィリピン人など)が大半。日本人船員は優秀である反面、賃金が高く船主側としては採算が合わない。
韓国人やインド人も最近では賃金が高騰している。
船舶運航面における安全性の確保と人件費の低減は裏腹な面がある。
(人件費が安い=能力が低い船員を雇用すると
事故率が高くなる。
)また、昨今は船舶の増加に伴い船員不足が深刻化しており、これに比例して船員費は上昇傾向に
ある。
※一概に外国人船員の能力が劣っているという訳ではない。フィリピンには海員学校など船員養成機関があり
有能な人材は豊富であるし、英語を公用語としているのでコミュニケーションの面でも問題ない。船主は、
信頼の置けるマンニング会社と契約することで安定した人材が確保できる。
⑥ 船舶の用船(貸船、借船)
船舶を運航可能な状態にして、用船者(オペ)に用船(賃貸)する。実際の本船の運航指示はオペレーターが行い、
運航に関する燃料費や港費、水先料等はオペレーターの負担となる。つまり、本船の維持管理面の費用は船主負担、
運航に関する費用はオペレーター負担となる。したがって、本船の事故等のリスクは所有者である船主が負うことに
なる。
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【主な用船契約の概要】
《定期用船契約》(T/C=Time Charter)
船主が堪航性のある船舶を所有し、船長や乗組員を乗船させ、備品等を備えた完全な状態にして船舶を一定期間貸し渡す契約。用船
者は用船期間中は契約に定めた航路内で自由に配船できる。用船料は日建て(1 日当たり)または期間建て(1 ヵ月当たり)で定額、
原則として前受け(前払い)。用船料は大半が US$建てで、船主は為替リスクを負担することになる。(用船期間や用船料の決め方は
多種多様。)船主は一定の用船料収入の中から必要経費(船員費、船用品費、修繕費、潤滑油費、保険料等)を支払う訳だから、やり
繰りの仕方によって利益は変わってくるので船主の腕の見せ所というところである。用船者は運航費(燃料費、港費等)を負担する。
※オペレーターは用船を受けた船舶(用船契約)を他の船社へ転貸(Sublet=再用船)する場合がある。オペレーターは
原用船契約と再用船契約との差額が収益となる。市況好調時には何重もの Sublet が見られた。
《裸用船契約》(BBC=Bareboat Charter)
船主が船舶を建造し、船体のみを一定期間貸し渡す契約。用船者は本船を占有し、船員の配乗や船舶の保守・管理(保険契約も含む)
の全てを負担する。用船料は日建てまたは期間建てで、定額、原則前受け(前払い)。船主は資本費(船舶建造資金借入)の負担のみ。
定期用船契約と比べて人件費や諸経費等の負担が無い分だけ船主の受け取る用船料は低くなる。船主の収支は安定しているが、反面あ
まり儲からない仕組みである。主にオペレーターのオフバランス(資本費のみを船主に負担してもらう)ニーズによるところが大きい
ようだが、外航船の管理ノウハウが少ない船主の場合はこの裸用船契約により船舶の所有が容易となる。また、船主は大事な資産を丸
ごと用船者に委ねる訳だから、余程の信頼関係がなければ成り立たない。
《委託運航契約》
主に内航船などに用いられる契約で、いわゆる出来高払いの契約。実際の運賃収入から運航コストや手数料等を差引いたものが用船
料となる。収入が不定額で変動幅も大きく、用船料も後払いですので船主の負担は大きいといえる。
※運航実績が良い時は船主の収入は増えるが、運航実績が低調な時は収入が減少し、採算割れとなることもある。
【国際財務報告基準(IFRS)の導入とオペレーターへの影響】
国際財務報告基準(IFRS=International Financial Reporting Standards)とは、国際会計基準審議会(IASB)によって設定され
る会計基準のことをいう。国際会計基準(IAS=International Accounting Standards)は、IASB の前身である国際会計基準委員会
(IASC)によって設定された会計基準で、国際財務報告基準は国際会計基準を含む総称として広義で用いられることもある。経済活
動が国境を超えるグローバル化が急速に進展する中、経済インフラとしての会計基準のグローバル化が求められ、世界各国で採用され
るようになってきている。
※日本の国内企業は日本独自の会計基準を採用し、米国で上場する日本企業は米国会計基準を採用しているが、一定の要件
を満たす企業については 2010 年 3 月期以降の決算から IFRS の採用を容認している。
(日本では IFRS の強制適用はさ
れていない。
)
IFRS の新リース会計基準では定期用船契約が「リース契約」とみなされ、オンバランス処理(貸借対照表への資産・負債計上)が
強制化される恐れがある。オンバランス扱いとなると、財務内容は変わらないのに財務指標(自己資本比率など)は大きく悪化し、そ
の影響は大きいと見られる。
そこで日本船主協会は、「定期用船は契約上も実態上もリース契約とは全く異なる契約」と主張し、オンバランス扱いに反対してい
る。定期用船契約では、船主に船体・機関を整備する責任があり、航路の選定や安全港の判断などが船主の雇用である船長の責任で行
われていることなどから、船舶を実態的にコントロールしているのは使用者(オペレーター)ではなく船主であると主張している。
⑦ 運送契約(オペレーターの役割)
船舶の用船(賃借)を受けたオペレーターは、荷主との運送契約に基づいて貨物を運搬し、その対価として運賃収
入を得る。オペレーターはそれらを原資として船主へ用船料を支払う訳だが、支払う用船料は定額で、受取る運賃は
不定額なので、その点ではリスクを負っている訳である。
運賃収入は一般的には US$、支払う用船料も US$なので為替リスクは殆んどない。大型船や特殊船は長期の運送
契約や数量運送契約などでカバーされているケースが多いので、必然的に輸送手段である船舶の用船契約もそれに合
わせて長期となる場合が多いようである。
【特殊な用船契約、運送契約】
《航海用船契約》(Voyage Charter)
荷主と船会社との間で結ばれる運送契約で、特定の 2 港間の 1 航海(単独航海用船契約)または複数航海(連続用船契約)につい
て、運賃率・積高・輸送条件等を取り決めて用船(船舶の貸借)する方式。鉱石・穀類・石炭などのばら積貨物の輸送の際に用いら
れる。航海用船には、船舶の積荷スペース全部を借り切る全部用船と、一部を借りる一部用船がある。
《腹貸し用船契約、総括運賃用船》(Space Charter)
航海用船の一種で、用船料は船腹(積載スペース)×運賃率で一括して決める。
(積高×運賃率ではない。
)
《日貸し用船契約》(Daily Charter)
用船期間中、1 日いくらと決めて船腹を日貸しする用船方式。
《再用船契約》(Sublet、Sub Charter)
用船者が用船した船舶の一部または全部を更に次の用船者(再用船者)に用船させる契約。原用船者は再用船者に対し船主の立場
(Disponent Owner)となる。ただし、この契約には船主の了解が必要。
《数量運送契約》(COA=Contract of Affreightment)
一定の期間に一定数量の特定貨物を、特定の積み地から特定の揚げ地に一定の運賃で輸送する契約のこと。鉱石・穀類・石炭など
のばら積貨物を大量かつ長期に運送する場合などに用いられる。この契約では使用する船舶は特定せず、積み揚げ港に入港できるよ
うな船舶を任意にその都度使用することができる。
【不定期船運賃指数(BDI)と World Scale(WS)
】
外航ばら積船の運賃や用船料は海上荷動き量と船腹量の需給バランスで決まる。その動向を示すものが BDI(Baltic Dry Index=バ
ルチック海運指数)である。BDI はロンドンのバルチック海運取引所が Dry Cargo Market のスポット価格をとりまとめて算出して
15−109
いる外航不定期船運賃指数で、1985 年の 1 年間の平均値を 1,000 ポイントとして、毎日ロンドン時間の 13 時に発表している。指数
は、BDI(Baltic Dry Index=バルチック乾貨物総合指数)
、BCI(Baltic Cape Index=ケープ型運賃指数)、BPI(Baltic Panamax Index=
パナマックス型運賃指数)
、BSI(Baltic Supramax Index=大型ハンディ型運賃指数)
、BHSI(Baltic Handy Size Index=ハンディ型
運賃指数)の 5 種類がある。
タンカー市況で使用される指標としては WS(World Scale)がある。WS は燃料費などを基に各航路の距離などの条件を加味して
算出され、毎年 11 月頃に World Scale 協会から発表されるトン建て運賃の指標。スポット運賃が基準運賃と同水準の時は WS は 100、
WS が 50 の時はスポット運賃が基準運賃の 5 割であることを示す。
⑧ 船主の収支
船主は、オペレーターから受取る用船料(大半が US$建て)から、船員費(Manning Fee)、潤滑油費(Luburicating
Oil)、船用品費、修繕費、減価償却費(減価償却は資金的支出を伴わない)、保険料・PI 保険料などの運航原価を支
払い、その他銀行への元利金支払(大半が円建て)と本社経費等(大半が円建て)を支払った残りが純益となる。
用船料収入は US$建てなので、支払が円貨の場合は為替リスクがある。例えば月間収入を US$300 千とした場合、
円貨ベースで円/ドル為替相場が 100 円の場合:30 百万円、80 円の場合:24 百万円となるので、実質収入減となる。
現実には、船員費やその他の運航原価を US$での支払い(ドルコスト化)とすることにより為替リスクは軽減(ヘッ
ジ)される。借入金も US$にすれば為替リスクは無くなるが、円貨と比較して US$の方が金利水準が若干高いため
実質的な支払利息の増加となる。
【船舶貸渡業の収支構造】サンプル・・・76,000D/W バルカー、船価格 3,000 百万円、借入 2,700 百万円、為替 80 円
(単位:千円)
用船料収入
支
出
2 年目
初年度
3 年目
426,000
426,000
426,000
収入対比
年増加率
備考
US$15,000/日×355 日
69,120
70,502
71,912
16.9%
2%
US$72,000/月
船用品費
7,680
7,834
7,990
1.9%
2%
US$8,000/月
潤滑油費
10,560
10,771
10,987
2.6%
2%
US$11,000/月
ドック代
0
0
24,000
5.6%
修理・部品代
7,680
7,834
7,990
1.9%
2%
US$8,000/月
船体保険料
8,640
8,467
8,298
1.9%
-2%
US$9,000/月
2%
US$5,800/月
船員費
3 年目 US$300,000
P. I. 保険料
5,568
5,679
5,723
1.3%
減価償却費
426,000
365,508
313,606
73.6%
9,120
9,120
9,120
2.1%
0%
US$9,500/月
12,000
12,000
12,000
2.8%
0%
1,000 千円/月
諸経費・雑費
一般管理費
57,420
56,498
55,125
12.9%
613,788
554,213
526,751
123.7%
支払利息
支出合計
差引き純益
年率 14.2%
年率 2.20%
−187,788
−128,213
−100,751
償却前利益(返済財源)
238,212
237,295
212,855
50.0%
=C/F
借入金返済
180,000
180,000
180,000
42.3%
毎月 15,000 千円宛て
差引余剰金
58,212
57,295
32,855
7.7%
【チャーターベースとハイヤーベース】
チャーターベース(C/B=Charter Base)とハイヤーベース(H/B=Hire Base)とはオペレーターが事業採算をはじく際に用いる計
算手法。船の運航による運賃収入から運航費を差し引きその航海での運航採算を採るが、この数字を本船の 1 ヶ月 1 重量トンで表した
ものが我が国独特の和製英語であるチャーターベースである。これに対して、船費の合計を本船の 1 ヶ月 1 重量トンで表したものがハ
イヤーベース(和製英語)である。
C/B=(運賃−運航費)/(航海所要日数÷30)× 本船重量トン
H/B= 船費 / 年間稼働月数 × 本船重量トン
(C/B −H/B)× 本船の稼働延トン= 航海収益
(2) 海運業の仕組みの特徴
① 便宜置籍船(FOC = Flag of Convenience)
いわゆる「仕組船」のことで、邦船社が海外(パナマやリベリアなど)に子会社(ペーパーカンパニー)を設立し、
その会社が所有(建造または購入)する船舶のことをいう。当然に船舶は外国籍となる。
FOC 船は日本国内法の適用を受けず、パナマやリベリア等の船舶置籍国の「緩やかな法律・税制」の適用を受ける
ことになるので、日本籍船と比べて税金(法人税、固定資産税などはほとんど無税に近い)や船舶の登録費用などが
極めて安いのが特徴である。
(パナマの場合、登録料 US$3,000、年次税 US$3,000、手数料 US$1,500 など。
)
また、日本籍船は日本の法律の定めにより必ず日本人船員を配乗しなければならないが、FOC 船は船員の配乗が自
由であり、発展途上国(フィリピン、インドネシア、ベトナム、ミャンマー等)の賃金の安い船員を配乗させること
が可能で、船主の収益に大きく貢献している。
(日本人船員の賃金は外国人と比べて高い。
)
FOC が進んできた理由の一つには、急激に進んだ円高(= 円貨ベースでの収入の減少)に対抗するための運航原
価の削減という面がある。円相場は戦後20年以上に亘り 360 円の固定相場であったが、1971 年のニクソン・ショ
ック(ドル・ショック)により 308 円に切り上がり、1973 年に変動相場制に移行してからは急速に円高が進展し、
16−109
1985 年のプラザ合意では更に円高が進んだ。実に 20 年間で約 3.6 倍の円高となっている。
【便宜置籍船とマルシップ】
便宜置籍船は、元々は第二次世界大戦中に交戦国からの攻撃を避けるためのカムフラージュ効果を期待して始まった戦時対策であ
ったといわれている。しかし、戦後はその主旨を一変し、法令緩和や節税、船員費の削減などを目的として広がってきた。
しかし問題もある。日本の支配船を便宜置籍船とすることで外国籍になるが、有事の際に当該外国船が運航でき無くなると、日本に
必要な貨物を輸送することができなくなり、日本経済はおろか我々の生活も壊滅的な被害を受けることになる。大半の物資を海上輸送
に頼らざるを得ない我が国の「供給路を絶つ」ことが相手国にとって最も簡単で効率の良い戦術となる訳である。
また、自国の船員なら危険を冒してでも貨物を輸送してくれるだろうが、外国人船員には多くは期待できない。東日本大震災による
原発事故の際、(放射能汚染を恐れて)諸外国の船舶は日本への寄港を拒否したものが多くあったそうだが、我が日本海運は日本のた
めに船舶を運航し、貨物を運び続けた。
マルシップとは、日本籍船を海外に裸用船に出して、これを用船者の配乗権で賃金の安い外国人を乗せ、チャーターバック(自社で
借受ける)し直して運航する船のことをいう。
【船員費の比較】
外航船の船員数を23名として、全て外国人を配乗させれば船員費は約 70%削減できる。
・全て日本人船員を配乗させた場合の船員費・・・年間約 340 万ドル
(※日本人船員の予備員率 47%で試算)
・日本人 4 名、外国人 19 名を配乗させた場合の船員費・・・年間約 190 万ドル
(※外国人船員はアジア人として試算)
・全て外国人を配乗させた場合の船員費・・・年間約 104 万ドル
(※外国人船員は東南アジア人として試算)
※外国人船員についてはマンニング会社との契約により安定的に優秀な人材を確保することが可能である。
フィリピンには日本の船社(日本郵船や商船三井等)の出資による海員学校も設立され、優秀な海員の育成を行っている。
② 税制
日本籍船には日本の税制が適用され、当然に固定資産税や登録免許税が必要である。一方、便宜置籍船にした場合
は船籍国の緩やかな税制(優遇策があり税額は少額)が適用できる。
また、パナマ子会社のように外国子会社合算税制が適用される場合は、子会社の利益を日本の親会社に合算して税
務申告する必要がある。この場合、圧縮記帳や特別償却などの特殊経理が可能だが、最終の税引き前利益に対して高
額な日本の法人税率(約 40%)が適用されるので、日本の船会社の納税負担は諸外国の船社と比べて大きいといえる。
※日本の船社は外国船社と比べて税制面で大きなハンデキャップを負っている。
【海運関係の主な税制、特例等】
項目
制度の概要
適用期間
トン数標準税制
日本籍船について、本来の所得からみなし利益を差引いた額を所得控除できる
※H.25 年 4 月より「準日本船舶」(認定を受けた外国籍船)に拡充
※みなし利益=1 日当たりのみなし利益の金額×年間稼働日数
∼H.30.3.31
船舶の特別償却
外航環境低負荷船…(日本船舶)特償率:18/100
(日本船舶以外の船舶)特償率:16/100
内航環境低負荷船…特償率:16/100 (18/100)
高度内航環境低負荷船…特償率:16/100 (18/100)
∼H.29.3.31.
特定資産の買替特例
船舶から船舶への買替の場合、譲渡差益の 80%を圧縮記帳できる
※買替えた船舶に対して新造船・中古船とも環境負荷低減型の設備要件あり
∼H.29.3.31.
特定外国子会社等の所得の
合算課税
特定の外国子会社等の留保所得のうち、親会社(内国法人)の持ち分に対応する部分を
親会社の所得に合算して課税する
登録免許税の課税の特例
新造から 5 年を経過していない国際船舶の所有権保存登記…3.5/1000
国際船舶の借入等の担保として設定される抵当権の登記…3.5/1000
特別修繕準備金
修繕費用×事業年度の月数/60 ヵ月×3/4
船舶の耐用年数
油そう船…13 年
とん税、特別とん税
とん税…1 純トン
薬品そう船…10 年
∼H.28.3.31.
その他のもの…15 年
16 円、特別とん税…1 純トン 20 円
【外国子会社合算税制(タックスヘイブン対策税制)と最近の動き】
外国子会社合算税制(タックスヘイブン対策税制)とは、内国法人等が(軽課税国に)特定外国子会社等を有する場合に、その特定
外国子会社等が留保した利益を内国法人等の収益とみなして日本で課税しようとするもの。しかし、適用除外要件を満たしている場合
は合算課税は行われない。
※「適用除外」の主な要件は、特定外国子会社等が独立企業としての実体を備え、かつ、その所在地国で事業活動を行う
ことについて十分な経済合理性があると認められること。
パナマ国の税制は「領土主義」(パナマ国内の事業活動による収益を課税対象とする)を基本としており、外国で得た収入は課税の
対象外となる。しかし、ペーパーカンパニーは実体がないので「適用除外」の要件を満たしておらず、日本の法人と合算課税されるこ
とになる。一方で、日本の租税特別措置法により特別償却制度や圧縮記帳制度が認められているため、船社はこれらを駆使して売船益
などで得た多額の利益を圧縮しながら納税負担を軽減(実質無税化)する訳である。
シンガポールは「属地主義」(シンガポールに源泉がある所得が課税対象となる)を採用している。しかし、シンガポールは海事振
興を目指し海運業者に対しては優遇制度を設けているので、海運業者は一定の要件を満たして「認定国際海運業者制度(AIS=
Approved International Shipping Enterprise)」の認可を受け、シンガポール船籍(SRS=Singapore Registry of Ships)を取得する
ことで用船料収入や売船によるキャピタルゲインに対する課税が免税されることになる。
※シンガポール法人は実際に現地に事務所を構え、企業としての意思決定(経営会議等)や経営コントロールなどの独立
「実体」があればタックスヘイブン対策税制の「適用除外要
性が確保されている等の「実体」がなければ免税されない。
17−109
件」を満たしているので合算課税の必要はない。(居住者の要件は同国に 183 日以上滞在すること。
)
③ 船舶建造の規制、国際法による規制
邦船社が発注する船舶の大半は日本の造船所で建造され、売船(輸出)により外国籍船となるので、外国籍船の所
有について特に規制はないが、
「臨時船舶建造調整法」により造船業者が総 2,500 総トン以上または長さ 90m 以上の
船舶を建造する場合には、建造の着手前に国土交通大臣の許可を受けなければならない。また、外航船の所有・運航
については日本の法律は及ばないが、国際法や条約、入港国の法律・規則などの規制を受ける。
(3) 海運業の経理の特徴
海運会社は、便宜置籍船の手法による外国籍船(実質的に支配・管理している船舶)の所有・運航を行っており、親会社と海
外子会社を一体で把握する必要がある。また、海運会社には、戦後、国策として海運会社の支援のために導入された優遇税制
や特殊な経理処理があるので、その内容を把握する必要がある。
① 連結決算
支配する外航船を海外子会社の所有とし親会社と分離した決算をしているため、企業の実態把握には子会社との連
結処理が必要である。親子間の貸借や収支は相殺し、親子を一つの会社と捉えることが大切である。
また、税務申告は日本法人である親会社の決算をベースに行うが、その際には子会社の利益を合算して申告する。
逆に子会社の赤字欠損分は合算申告してはならないと指導されている。
② 圧縮記帳
租税特別措置法第 65 条の 7 に定められている「買替資産の帳簿価額の減額処理(損金処理)
」ができる。圧縮記帳
とは、圧縮基礎取得価額に差益割合を乗じて計算した金額の 80%(圧縮限度額)の範囲内で損金に算入できる制度で、
多額の売船益の圧縮(実質は税負担の繰り延べ)のためにリプレイス船を投入する際に用いられる。
(この場合、リプ
レイス船の簿価を圧縮しているので、その船を売船した時には再び多額の売船益が発生する。
)
これらの優遇税制措置は、戦争で疲弊した日本海運企業の復興・企業基盤確立のために「国策」として導入された
もので、活用次第では納税負担が一時的に軽減(先送り)されるものである。
③ 減価償却
船舶の法定耐用年数(大きさや種類により異なる)は、貨物船(2,000 総トン以上)は15年、油そう船(2,000
総トン以上)は13年とされており、船主はその期間内において定率法(または定額法も選択可)により減価償却す
る。例えば 1,000 百万円の船舶の初年度の減価償却額は 143 百万円(15 年の法定耐用年数の場合の償却率は 14.3%)
となるが、借入金の返済は 67 百万円(15 年均等返済の場合:1,000 百万円÷15 年=66,667 千円)とすると、差額の
76 百万円(143 百万円−67 百万円)は(実際の資金収支がトントンであったとして)経理上の赤字ということにな
る。この分がバランスシート上、資本勘定の赤字に反映されることになるので、船主の決算書は赤字・債務超過とな
る訳である。一方で、船舶の実質価値はあまり劣化していないので、簿価と時価の差額は含み益となっており、実際
に売却した場合は現金収支以上の売却益が出ることになる。
※借入金は基本的に法定耐用年数内で均等返済する。
(一部、バルーンあり)
※償却が先行しているため資本勘定は赤字になるが、その分は含み益という訳である。
※当初に投入した自己資金も当然に含み益になる。
当初のバランスシート
資産
1年後のバランスシート (単位:百万円)
負債、資本
資産
負債、資本
預金
10
借入金
1,000
預金
10
借入金
933
船舶
1,000
資本金
剰余金
10
0
船舶
857
資本金
剰余金
10
△76
【減価償却】
有形・無形の固定資産(土地を除く)は時間を経るごとに経済的な価値が下がる。これを減価という。こうした価値の低下額を各会
計期間ごとに見積もって費用として把握するのが減価償却費である。さらにその額を貸借対照表の固定資産額から控除(減算)する手
続きが減価償却(Depreciation)である。損益計算書では費用として支出する。日本では、各固定資産の取得価格を法定耐用年数で割
る「定額法」
(毎年一定額を減価償却する)と、固定資産の未償却残高に一定の率をかけて毎期算出する「定率法」の他、生産高に比
例して算出する「生産高比例法」などが用いられている。
減価償却費は実際の支出を伴わない(現金は減らない)ので、事実上は固定資産へ投下した資本の回収という意味合いを持つ。した
がって減価償却費は借入金の返済財源としてカウントすることができる。
なお、平成 19 年度税制改革により全体の償却限度は 95%償却⇒100%償却(ただし備忘価格 1 円を残す)に改定され、さらに平成
23 年 12 月 2 日の改正では、平成 24 年 4 月 1 日以降に取得する減価償却資産の「定率法」の償却率は、
「定額法」の償却率の 2.5 倍
(250%定率法)⇒2.0 倍(200%定率法)に改定された。
※法定耐用年数は物件の種類、構造・用途別に決められている。この年数は税法上の「分割期間」という意味合いであっ
て、「物件の経済的・物理的な寿命」ではない。船舶は実際には 25∼30 年は使用できる。
※「定率法」は毎期一定の率をかけて償却額を算出するので、新しいほど償却額は多くなり、年数を経るごとに(期首の
簿価が減少してくるため)償却額は減少する。
18−109
【定率法による減価償却】…200%定率法の償却率
2年
耐用年数
3年
4年
5年
6年
7年
10 年
13 年
15 年
1.000
0.667
0.500
0.400
0.333
0.286
0.200
0.154
改定償却率
−
1.000
1.000
0.500
0.334
0.334
0.250
0.167
0.143
保証率
−
0.11089
0.12499
0.10800
0.09911
0.08680
0.06552
0.05180
0.04565
償却率
0.133
※保証率=取得価額または製作価額に対する比率
④ 特別償却
租税特別措置法第 43 条に定められる特別償却制度で、財務省告示で定める一定の近代化装置を備えた船舶を建造
した場合は、初年度に最大 18%(対象船舶や設備の種類によって異なる)の特別償却(通常の減価償却とは別枠)が
認められている。現行では外航近代化船 18/100、内航近代化船 16/100、二重構造タンカー19/100 の特別償却率が適
用されている。日本商船隊の国際競争力維持に不可欠な税制だが、欧米先進海運国と比較して十分とはいえない。
⑤ 特別修繕引当金
船舶は5年に 2 回の定期検査が義務付けられており、その際には多額のドック費用がかかる。そのための引当金と
して(過去の実績値を使用して)毎年一定額を損金として積立ることができる。
⑥ トン数標準税制(トンネージタックス)
課税方式についても日本では「法人税課税方式(税引き前利益に対して課税)
」が採られているが、諸外国ではかな
りの国が「トン数標準課税方式(トンネージタックス=Tonnage Tax)
」を採用している。これにより日本の海運会社
は諸外国の海運会社と比べて大きなハンディを背負っている。よって日本籍船は減少してきている。
※日本の貿易貨物の大半を運送する船舶が「外国籍」では有事の際に大変困ったことになるし、日本人船員も
減少してきているので憂慮する事態である。先の東日本大震災と原発事故の際、諸外国の船舶は放射能汚染
を懸念して日本への寄港を拒否したものもあったそうである。
そういった現状に対し日本政府は 2009 年から 5 年の間に外航船における日本籍船を倍増する計画を打ち出し、日
本籍船に対してはトン数標準課税制の採用を認めている。
【トンネージタックス(トン数標準税制)
】
海上運送法第 38 条に規定する課税の特例として、海運会社は「日本船舶・船員確保計画」を作成・申請し、国土交通大臣の認定を
受けた対外船舶運航事業者は当該 5 年間、日本籍船に係る所得についてトン数標準税制を適用できる。(通常の法人税に代えて「みな
し利益課税」を選択できる。)
(5 年後に更なる5ヶ年計画を作成・申請し再認定を受ければ更に 5 年間適用できる。)
トンネージタックスは所有船舶のトン数をもとに「みなし利益」を割り出し、その額に対して課税する「外形標準課税方式」で、
売船などにより多額の利益が発生した場合でも税額は変わらず、船主にとっては税負担の軽減になる。逆に赤字でも納税する必要があ
る。トンネージタックスは強制適用ではなく、従来型の方式かいずれかの選択ができるようになっている国が多いようである。
課税の特例として「日本籍船に係る本来の所得」から「みなし利益」を差引いた金額を所得控除(損金算入)できる。
「みなし利益」の計算
1,000N/T トン以下の場合
・・・100N/T 当り 120 円×トン数×稼動日数
1,001∼10,000N/T トンの場合 ・・・100N/T 当り 90 円×トン数×稼動日数
10,001∼25,000N/T トンの場合 ・・・100N/T 当り 60 円×トン数×稼動日数
25,001N/T 超場合
・・・100N/T 当り 30 円×トン数×稼動日数
【準日本籍船制度の創設とトン数標準税制の拡充】
東日本大震災や原発事故の際に外国船社の日本寄港の忌避等の事案が発生し、日本商船隊による経済安全保障の確立の重要性が浮き
彫りとなった。これを受け、2012 年 9 月に改正「海上運送法」が成立し、日本の外航船社の海外子会社が保有する外国船舶であって、
海上運送法に基づく航海命令が発せられた場合に確実かつ速やかに日本籍船に転籍して航行することが可能なものを「準日本籍船」と
して認定する制度が創設された。
また、2013 年 4 月よりトン数標準税制の適用対象船舶に準日本籍船が追加された。
「準日本籍船」の「みなし利益」の金額は、100N/T
「日本船舶」の 1.5 倍に設定している。)
当り、25,000N/T 以下は 90 円、25,000N/T 超は 45 円などとしている。(
【日本籍船、25 隻増の 184 隻、昨年の日本商船隊動向、全体の 7.2%に増】(出典:2015.07.23.海事プレス)
日本商船隊の船腹量は 2014 年 6 月末時点で前年から 43 隻減の 2566 隻となっており、このうち日本籍船は前年より 25 隻増の 184
隻となった。日本籍船が日本商船隊に占める割合は隻数ベースで 7.2%となり、前年同時期(6.1%)に比べ 1.1 ポイント増えた。国土
交通省海事局が作成した「海事レポート 2015」で、日本商船隊の動向が示された。
日本籍船は 1972 年の 1580 隻をピークに減少し、2004 年に 100 隻を下回ったが、08 年のトン数標準税制導入を契機に増加に転じ、
近年は毎年増えている。日本商船隊の船籍国別内訳は、パナマ船籍が 1632 隻(63.6%)、日本 184 隻、リベリア 131 隻、シンガポール
143 隻、バハマ 76 隻、マーシャル 90 隻などとなっている。日本籍船が増加する傾向はあるが、日本以外の国に船籍を置く便宜置籍船
が依然として大部分を占めている。
【川崎汽船、22 年ぶり日本籍コンテナ船が竣工、日本籍船計 40 隻に】(出典:2015.08.28.海事プレス)
川崎汽船にとって竣工ベースで 22 年ぶりとなる日本籍コンテナ船の命名・竣工式が 24 日、今治造船広島工場で開催された。1 万
4000TEU 型シリーズで今年竣工の 5 隻のうちの 4 番船で、”まきなっく ぶりっじ”と命名された。同船により、川崎汽船が運航する
日本籍船は共有船を含め約 40 隻になった。日本籍船の確保を図る日本政府の方針に基づき、川汽は新造船と就航船の両面で日本籍船
の確保を進めている。
1985 年のプラザ合意後の急速な円高などによるコスト競争力の喪失から、日本の外航海運企業は船籍をパナマなどの便宜置籍国に
する傾向を加速化。一方で日本の経済安全保障の中核を担う日本籍船の確保に向け、日本政府は 2009 年にトン数標準税制を導入した。
川汽は日本政府の方針を受けて船隊整備を推進。今回、コンテナ船では 22 年ぶり、トン数標準税制導入後では初となる新造日本籍船
が竣工した。日本商船隊全体に占める日本籍船は、2009 年のトン数標準税制の導入を契機に増加に転じており、昨年 6 月末時点で前
年より 25 隻増の 184 隻となっている。川汽の日本籍船は 09 年に 16 隻だったが近年は増加し、今回で約 40 隻となった。
19−109
⑦ 実態バランスと正味キャッシュフロー
以上のように海運会社の決算処理には特殊要因が多く含まれており、バランスシート上では大きな赤字・債務超過
であっても、実際は大きな含み益を内在しているので、実態バランスによる評価が必要である。また、損益計算書の
上で収支尻は赤字であっても、減価償却費(社外流出しない損金処理であり預金は減少しない)などの損失項目を加
味した正味キャッシュフロー(税引き後当期利益+減価償却費)で償還能力を判定することが大切である。
(4) その他の特徴
① 市況(荷動きと需給バランス)
外航船はワールドワイド(全世界)で運航され、各国の経済活動に伴う生産量や貿易量(海上荷動き量)による影
響を受ける。荷動きが活発になると船腹不足となり運賃・用船料は高騰し、逆に荷動きが減少すれば運賃・用船料は
低下するといった経済原則に則って市況は変動する。また、新造船の竣工量が多い(ダブつく)と運賃は低下する。
つまり荷動きと船腹需給バランスの関係ということだが、これが全世界規模で影響してくるというところが外航船の
特徴の一つで、船主は常に世界経済の動向に注目している。
【航空業界との比較】
海運会社は船舶を建造するとその船舶の写真と縮小スケールの船舶模型を事務所に飾る。その中に飛行機の模型が飾ってあった。聞
いて見るとその会社は飛行機を購入して航空会社へ賃貸しているとのことであった。確かに船舶と航空機は、オーナーが船舶または航
空機を所有し、それを貸出すことで収入を得る事業形態で類似しているし、金額的にも 50 億円∼100 億円と大差がないといえる。ま
た、多額の売船益を手にした船主が節税目的(圧縮記帳や減価償却)で航空機を購入することは容易に理解できる。
※航空機の場合は専門のリース会社所有とする形態が一般的なので、厳密には船主はリース資産・会社への投資ということに
なる。ただし、航空機の場合は製造業者が大手数社に限定され、運航者である航空機会社もある程度限定されている。
また、航空機は運航(就航路)がある程度制限(政府間協議)されているなどで全般的に自由競争が制限されているので、「海運自
由の原則」がある海運業界と比べてある意味安定した業界であるといえる。
② 船価や用船料が世界スタンダード
そういった世界市場で取引される船舶は、船価や用船料が世界統一基準で評価される。歴史的に最も古く世界中の
海運情報が集中しているのはロンドンで、ここにはバルチック海運取引所と呼ばれる公開の海運取引所がある。売買
の対象となる船舶は、土地に固定された(動かすことができない)不動産とは違い「足がある」ので、世界中の何処
へでも、誰にでも売れるという流動性があり、中古船マーケットとしても確立されたものがある。したがって船主は、
最終的には売船して売船益を取ることを念頭に置いているし、また、ファイナンサーも担保として高く評価している。
【バルチック海運取引所とロイズ保険】
バルチック海運取引所(Baltic Exchange)は、イギリス・ロンドンにある海運取引所で、海運市況情報の提供やブローカー業務、
紛争処理などを行っている。バルチック海運取引所は、1744 年にロンドンのスレッドニードル通りにあったコーヒーハウス「バージ
ニア・アンド・バルチック」にロシア貿易等に従事していた商人やブローカーが集まり、商談するための集会所として使われるように
なったのが起源といわれている。1823 年に店の常連客による委員会が作られ、会の規約と入会資格が定められてバルチック海運取引
所の原型となった。
ロイズ(Lloyd’s)とは、イギリスのシティ(金融街)にある保険取引所、またはブローカー(保険仲介業者)およびアンダーライ
ター(保険引受業者)を含めた保険市場そのものをいう。もう一つは、ブローカーおよびシンジケートを会員とする「ロイズ保険組合」
のことをいう。ロイズ保険組合は自治組織であり組合自体が保険を引き受けることはなく、保険を引き受けるのは無限責任を負うアン
ダーライターである。
(一般の株式会社形態の保険会社とは異なる。)元々は 1688 年頃にエドワード・ロイドという人物がロンドンの
タワー・ストリートにコーヒーハウス「ロイズ・コーヒー・ハウス」を開き、保険業者達がその店を取引の場として利用していたこと
に由来する。ロイド氏は顧客のために最新の海事ニュースを発行するサービスを行い、店は大変繁盛していたそうである。
③ 為替相場と金利
外航船は世界規模で運航されるので基軸通貨は US$になる。一般的に、オペレーターは US$で運賃収入を得て、
船舶の賃借料である用船料をオーナー(船主)に US$で支払う。オーナー(邦船社)は US$建ての用船料収入からド
ル建ての運航経費を支払った残りの US$を円転し、この円資金で円建ての運航経費や本社経費および銀行借入金の返
済や利息の支払いを行うことになる。したがって、オーナーは為替相場の影響を受けることになる。
(円貨支払いの経
費部分に対する US$収入は円高により実質的に目減りする。海運業は輸出産業なので、オーナーにとって円高は円貨
ベースで収入減、円安は収入増となる。
)邦船社は通常、国内造船所から「円建て」で船舶を購入するので、その資金
は当然に銀行から「円建て」で借り入れることになる。オペレーターはドル収入・ドル払いで為替リスクがなく、造
船所も円収入で為替リスクはないので、オーナーが為替リスクを一人で背負い込む形となる。
為替リスクをヘッジするためには支払いをドル化するしかない。オーナーは船員費、修繕費、潤滑油費、船用品費、
保険料などの経費をドル化することである程度の為替ヘッジはできるが、支払いの 5∼6 割を占める借入金元金・利
息はドル化しにくいので、完全な為替ヘッジはなかなか難しいといえる。
※運航経費などのうち約 40∼50%はドル払いのため為替リスクをヘッジしている。
【円相場、円金利の推移】・・・当行調べ(tibor は 1month レートを表示)
時期
1990 年
1995 年
2000 年
2005 年
2010 年
2011 年
(2015.9.30.は当日の仲値、金利)
2012 年
2013 年
2014 年
2015/9/30
円相場(平均)
144.83
94.11
107.83
110.21
87.77
79.80
80.12
97.99
106.46
119.96
円 tibor(平均)
7.759%
1.266%
0.284%
0.063%
0.216%
0.180%
0.180%
0.155%
0.144%
0.130%
20−109
140.00
130.00
120.00
110.00
100.00
90.00
80.00
70.00
02/01/04
03/01/04
04/01/04
05/01/04
06/01/04
07/01/04
08/01/04
09/01/04
10/01/04
11/01/04
12/01/04
13/01/04
14/01/04
15/01/04
金利については、従来より総じて US$の金利は円金利よりも高かったので、多額の借入をするオーナーにとって低
金利の円貨借入は(為替リスクを背負ってでも)大きなメリットがあった。円高による実質的な収入の減少(デメリ
ット)は低金利のメリットによりある程度相殺されてきた。
※当行の試算では、概ね金利 1%は為替7円に相当する。つまり、金利が 1%低下することによる支払利息の
減少分は、為替相場 7 円の円高による収入の減少に対応できるという計算になる。
④ 英語基準と専門用語
外航船の世界では英語が基準言語となっている。船舶建造契約書(Ship Building Contract)や用船契約書(C/P=
Charter Party)
、売買契約書(Protocol of Delivery and Acceptance)
、国際抵当権設定契約書(Mortgage Deed、 Ship
Mortgage)
、請求書など全ての関係書類は英語で作成され、もちろん業務上の通信も英語で行われる。
その他、海運・船舶に係る専門用語が多く、また、略号が多く使われるので、非常に奥が深い業界である。
【用船契約書】
用船契約とは、船舶または航空機の全部(または一部)を貸し切り、これに積載した物品を輸送することを約する契約をいう。用船
契約書は C/P = Charter Party と呼ばれ、語源は中世ラテン語の Carta Partita(分割された書類)で、当時は1枚の紙に正副2通の
用船契約書を作成し、これを2枚に分割してそれぞれが保有したことからそう呼ばれるようになった。
世界各国に代理店網を持つ信用力のある定期用船者(オペレーター)が、船主(オーナー)から船舶を用船(賃借)する際に使用さ
れる。実務上使用されている書式は、バルカーに関しては「ニューヨークプロデュースフォーム」(ニューヨーク物産取引所の制定し
た統一フォーム)が 70%以上、タンカーに関しては「シエルタイムフォーム」が過半数を占めている。社団法人日本海運集会所の定
期用船契約書が使用されることもある。
※定期用船のことを T/C = Time Charter とも呼び、用船料のことを Hire と呼ぶ。
【船荷証券】
船荷証券(B/L=Bill of Lading)とは、海上物品運送契約において、運送人が運送品の受領を証明し、かつ、目的港においてこの証
券の正当な所持人に対して運送品を引き渡すことを約束した証券のことをいう。船荷証券は、運送人に対する運送品引渡請求権を表章
する「有価証券」で、船会社などの運送業者(または運送人の請求により船長または船主・代理店が)発行する。
信用状(L/C=Letter of Credit)決済の場合…輸出者は貨物の船積みを終えると、船会社などが発行した船荷証券を受け取る⇒船積
書類(為替手形、商業送り状=Commerical Invoice、信用状等)を添えて銀行に買い取りを依頼する⇒銀行は輸出者に代金を代理支
払う⇒その後、銀行は買い取った船荷証券や添付書類を輸入国の銀行(L/C 発行銀行)に送付し、代金を回収する⇒輸入国の銀行は船
荷証券と引き換えに輸入者から代金を回収する⇒輸入者は入手した船荷証券と引き換えに貨物を受け取る…という流れになる。船荷証
券は貨物の引換証となる訳である。
⑤ 設備産業(初期投資が大きく、資金需要に偏りがある)
海運業は設備産業であり、船舶建造には多額の資金を必要とし、投資の回収には15年程度の長期間を要する。現
在、海運マーケットは海運バブル時(2003∼2010 年)に比べれは随分と低下しており、これに合わせて船価も下が
ってきているが、鋼材価格や機器の価格上昇に加え、船型も大型化しているので、10∼15 年前と比較すると船価も高
額になってきている。パナマックス型で約 27 億円、ケープ型で約 46 億円を要する。ただし、船価に見合う用船料が
設定されれば、借入金返済に対して十分なキャッシュフローが確保されることとなる。
また、船主の所有船の平均が 5 隻として、1隻あたり 10 年間所有すると仮定した場合、2年に一回の売船・リプ
レイスということになり、資金需要にも偏りがある。その他、5年に2回のドック(検査)が必要であり、30∼50
百万円もの費用がかかる。ドック費用等は通常の運航収益の中から徐々に備蓄していくもので、特に借入が必要とい
う訳ではない。
(ドック代等の支出は建造計画の当初からそれらを予見して資金計画を立てている。
)
一般的に、用船料収入は前受けで、経費の支払等は後払いなので、理論的には船主は途中の運転資金は必要ない。
【シップリサイクルへの取組み】
老朽船の解体は、現在はインド、パキスタン、バングラディシュといった国々が中心となって行っている。しかし、これらの国では
労働者の安全や環境対策などが疎かで多数の死傷事故が発生し、人権団体や環境団体から海運国・造船国の責任が指摘されるようにな
ってきた。船舶解体に関する問題は国際海事機関などで取り上げられ、日本は世界有数の海運・造船国としての自負から当初から深く
関与し、2009 年 5 月に香港において「シップリサイクル条約」が採択された。
「環
愛媛県内においては、平成 23 年 6 月に地元企業や地公体などが中心となって「新居浜シップリサイクル研究会」が設立され、
境や安全に配慮した廃船の解体・高付加価値な製品への再資源化を図る先進国型のシップリサイクルシステムを構築し、地域経済の活
性化を目指すための研究を目的とする」取組みが行われている。
21−109
【国交省シップリサイクル検討委、EU 域内法の先行適用に懸念】(出典:2015.09.14.海事プレス)
IMO(国際海事機関)のシップリサイクル条約の発効に先立って EU 域内法の適用が開始される可能性に対し、懸念が強まっている。
世界 1 位の解撤国であるインドの解撤ヤードが EU 域内法で除外される可能性があり、その場合、同国の批准を前提にしてきた IMO
の国際的な枠組みに、狂いが生じる。国土交通省が 2 日に開いた検討会で、シップリサイクル条約にかかわる国際動向と、国内法制化
に向けた今後の検討課題が議論された。
国交省は 11 日、今月 2 日に開かれた「シップリサイクル条約の批准に向けた検討会」
(座長:角洋一・横浜国立大学名誉教授)の第 3
回会合の結果を発表した。
シップリサイクル条約はインドやバングラディシュなどの途上国を中心に実施されている解撤の、施設の労働安全衛生や環境汚染へ
の対策として、IMO が 2009 年に採択した条約。船舶に使用されている環境影響物質の所在を明確にすることや、所定の基準を満たし
たリサイクル施設で解撤を行うことなどを、主に規定している。
⑥ 縦社会
船主の規模と比べて、日本郵船や商船三井、川崎汽船といった大手オペレーターは圧倒的な規模であり、どうして
もオペレーター優位の構造になりがちである。とはいえ、船主側も企業体力(船隊規模等)を増強させてきているし、
オペレーター側からすれば自社船の増加を抑えつつも、用船(借船)は欲しいという状況であり、力関係も変わりつ
つあるようである。
オペレーターは船隊増強を図っているが、資産・負債も膨らむので、資産を適正規模に抑える為には自社船ではな
く船主からの用船(船主に船舶を建造させて、チャーターバックする形)によるオフバランス化も必要な様である。
(5) 海運業のリスク
船主は、為替リスク、金利リスク、コスト上昇リスク、中古船価格下落リスク、用船料下落・用船契約解除リスク、
海難・事故リスク、海洋汚染リスク、所有船舶のダメージリスク、不稼動リスク、戦争リスク、海賊リスクなど様々
なリスクを抱えている。
これらに対して船主は、船舶建造を計画する際にあらゆるリスク(先々で為替相場が円高になる、金利が上昇する、
用船料が下がる、事故等で停船する等)を考慮して収支計画を立てる。また、損害保険(概ね借入金の 120%を付保)
や P.I.保険を掛けたり、長期用船契約を確保したり、あるいは適正な自己資金を投入するなどして資金繰りに余裕を
持たせるなどの対策をとっている。自己資金投入の割合は 10∼20%が多いようだが、自己資金が多いほど利息負担や
毎月の返済額が小額ですみますので競争力が強いといえる。
その他、一般的に船体の事故や機器の故障などのトラブルによる損害は所有者(船主)の責任(費用負担)となる
ので、海運会社には専門の工務監督がいて常時メンテナンスを行い、船体を良好な状態に保つ。特殊船で高度な管理
ノウハウが必要な船舶なども含めて、専門の船舶管理会社へ委託する場合もある。船主は、工務監督などの人材不足
や高齢化が悩みのタネとなっている。
※日本の海運会社の「強み」は、所有する船舶の燃費性能が高く、船舶管理水準が高くメンテナンスも行きと
どいているためトラブルが少ないことである。このため、外国のオペレーターが日本船主から用船するケー
スが増えている。加えて、借入金の円貨の金利が低いため競争力が高いことも評価されている。
① 為替リスク
船主の収入は US$であるが、借入金返済や諸経費の支払いのために US$を円転する時に為替相場が円高であった場
合は実質的に手取り額が減少する。これに対しては運航コストや借入金を US$にすることでヘッジできる。
② 金利リスク
借入金の利率は大半が変動金利なので、先々では金利が上昇=支払利息が増加するリスクがある。これに対しては
固定金利にすることでヘッジできる。しかし、金融機関側からすると貸出原資の調達が変動金利の場合が多く、固定
金利の貸出は金利変動リスクがある。
(調達金利が上昇すると、利鞘が縮小またはマイナスになる。
)
③ 運航コスト上昇リスク
船員費、潤滑油費、船用品費、修繕費等のコストが年々増加していくリスクがある。特に船舶数が増加すると船員
不足となり船員費は高騰し、修繕ドックも手薄となるので修繕費用も増加する。また、原油価格が高騰すると潤滑油
費は上昇する。
2015 年 8 月現在、原油価格の値下がりを受けて、船舶燃料費もトン当たり 270 ドルと安値推移している。なお、
船舶の燃料費はオペレーターの負担なので、燃料費が高騰するとオペレーターの採算に影響する。
【バンカー、4 年ぶり 500 ドル割れ、船社業績押し上げ】(出典:2014.10.15.海事プレス)
船舶燃料油(バンカー)価格が急落している。指標となるシンガポール積み 380CST 油価格は 13 日にトン当たり 498 ドルとなり、
2010 年 12 月以来ほぼ 4 年ぶりに 500 ドルを割り込んだ。バンカーは船社(オペレーター)の運航経費の大半を占める。邦船大手 3
社(日本郵船、商船三井、川崎汽船)の 2014 年度下期のバンカー価格前提はトン当たり 620∼621 ドル。下期のバンカー価格が平均
500 ドルで推移してとすると、単純計算で 3 社の経常利益を従来予想比で計 300 億円押し上げる。
バンカー価格は原油価格とほぼ連動しており、原油価格の急落を受けてバンカー価格も大幅に値下がりしている。シンガポール積み
380 CST 油価格は、8 月までトン当たり 600 ドル前後で推移していたが、9 月以降下落に転じ、10 月に入り下げがさらに加速した。
バンカー安は、一方で進む為替の円安と相まって邦船社の今期業績を押し上げる。
バンカー価格は 2004 年までトン当たり 100 ドル台だったが、エネルギー需要増加に伴う原油価格高騰で 05 年以降上昇し、ピーク
22−109
時には 800 ドルに迫った。リーマン・ショック後 200 ドル台に急落したが、再び上昇に転じ、近年は 600 ドル台が定着していた。
④ 中古船価格下落リスク
市況が悪化すると当然に新造船価格と中古船価格が下落する。船主は運航収益と売船時の売船益を当て込んで船舶
を建造するので、売船時に売船価格が低下すると目論みが大きく外れる。特に海運バブル期に建造した高額の船舶は、
中古船価格が下落して、売船しても借入金を返済できない場合もありリスクが大きいといえる。
⑤ 用船料下落リスク、用船契約解除リスク
船舶の法定耐用年数は貨物船の場合 15 年であるが、用船契約の期間は 5∼7 年程度なので、当初の用船契約期間終
了時に再契約されずに契約が解除される場合がある。再契約できたとしてもその時点の市況に合せて用船料が下落す
る場合がある。また、用船契約期間中であってもオペレーターから「泣き(用船料の減額要請)」がある場合もある。
(小・中型船は用船期間が比較的短く 3∼5 年、大型船は長く 10∼12 年程度。
)
その他、契約期間中であってもオペレーターが倒産した場合、および船主の契約不履行による場合など、用船契約
が解除されることがある。その場合、他のオペレーターと用船契約するにしても用船料は減少し、当初の資金計画・
収支計画と差異が出ることになる。
【用船契約が解除されるケース】
1. 船舶明細表示に重大な違反があった場合・・・例えば、定められた船級(資格)を取得できなかった場合や、積み高(D/W)が不足し
ている場合など
2. 船舶の堪航性が欠如している場合・・・船舶の性能等が低下し、堪航性が保たれていない場合など
3. 一定期間オフハイヤーが継続した場合・・・当事者間の特約で、一定期間(例えば 30 日間)オフハイヤーが継続した場合に、用船者
が用船契約を解除する権利を付与しているものがある
4. 船舶の引渡期限に遅延があった場合・・・期日までに本船を引き渡すことができなかった場合、用船者に解約権を与えている
5. 用船契約がフラストレーションにより消滅する場合・・・フラストレーションの法理に基づき用船契約が解除される場合
※フラストレーションの法理とは、偶発事態の発生により契約の履行が物理的または法的に不可能になった場合や、法律変
更等により契約義務の内容が著しく変わってしまった場合に契約の解除を可能とするもの
6. 用船料の不払いがあった場合・・・用船者がデフォルト状態にあって用船料を支払わない場合は、船主は用船契約を解除することが
できる
7. 戦争が発生した場合・・・ 戦争による解約条項を理由に用船契約を解約されることがある
8. 船主が第三者に売船した場合・・・ 用船期間中に船主が一方的に第三者に売船した場合 (用船契約付きで売船する場合は用船者の
承諾が必要)
9. 船主がデフォルトした場合・・・当事者間の特約により、船主がデフォルトした場合に用船者は契約を解約することができる
⑥ 海難リスク、事故リスク、海洋汚染リスク
船舶は世界中のあらゆる場所で航海するので、狭い・浅い場所や過密な場所(海峡や港湾内など)での航海、夜間
や荒天時(気象条件が悪い時)の航海などもあり、重大な事故に遭う大きなリスクを負っている。船舶が座礁したり、
衝突事故を起こすと自船の修理や相手側の修理に多額の費用がかかる。また、沈没すると全損になる。事故で人命が
失われると多額の補償が必要となるし、油が流出して海洋を汚染したりすると修復に多額の費用がかかる。これらの
リスクに備えて船主は保険を掛ける。
⑦ 所有船舶のダメージリスク、不稼働(off-hire、停船)リスク
船舶が事故を起こすと修繕のために多額の費用が必要になり、また、船舶自体の資産価値が下落することになる。
修理する間は停船(不稼働=off-hire)となるので用船料収入は入らない。定期ドックの間も不稼働扱いになる。長期
の停船がある場合は、用船契約に基づいて契約が解除されるケースもある。修繕費用等は共同海損扱いとして船主・
オペレーター等が相応に費用分担するケースもある。
⑧ 戦争リスク、海賊リスク
紛争地域を航行する場合は紛争に巻き込まれるリスクがある。また、最近はマラッカ海峡やソマリア周辺では海賊
が出没し、船舶や積荷の強奪の他に船員を人質にした身代金目的の事件が多発している。船主にとっては大きなリス
クである。船主の対応としては、海賊船を寄せ付けないようにコンボイ(船団を組む)
、スピードアップ、ジグザグ運
航、迂回、船員による自衛・武装・監視強化、船体の海賊避け装備(水を放射)など。また、各国政府は艦船による
護衛を行っている。
⑨ 積荷に対する補償リスク
船舶が事故を起こすと積荷にダメージを与えることがある。また、ハッチカバーからの漏水で積荷にダメージを与
えることもある。その他、貨物の到着が遅れて荷主に損害を与えるケースもある。それらに対して船主やオペレータ
ーが補償するケースもある。本船の漏水などで積荷にダメージを与えた場合、荷主に船舶を差し押さえられるケース
もある。
【コリアラインの倒産】
韓国の不定期船大手(オペレーター)
「コリアライン(大韓海運)
」は 2011 年 1 月 25 日にソウル中央地方裁判所に法的管理申請(日
本の会社更生法に相当)をし、事実上倒産した。
(2 月 25 日に企業再生手続き開始が決定)同社は世界中の船主から約 150 隻(うち日
本船主からは 40∼50 隻)の用船を受けていたが、大半はマーケットが高騰している時期に締結した「高額な用船料支払い」の契約だ
ったため、運賃市況の下落で運賃収入が減少する中、定期用船契約に基づく用船料の支払いが多額で資金繰りが行き詰まった訳である。
同社との用船契約により用船料を得ていた船主は同社倒産により他オペレーターに用船替えしたが、用船料は大幅にダウンしたケー
23−109
スもあった。大手オペレーターの倒産は海運業界に大きなインパクトを与えた。船主と金融機関は、
「船舶貸渡業はオペレーターの信
用力に依拠した仕組み」であることを再認識したものである。
【三光汽船の倒産】
三光汽船㈱(昭和 9 年設立の独立系中堅オペレーター)は平成 24 年 3 月 15 日に事業再生 ADR(Alternative Dispute Resolution=
裁判外紛争解決手続き)を申請し、借船しているオーナーに対して支払い用船料の減額を要請しつつ経営再建を目指していたが、債権
者の同意が得られず、ついに平成 24 年 7 月 2 日に DIP 型会社更生法を申請した。同社の負債総額は 1,559 億円、運航船は 7 月 1 日
時点で 147 隻(自社船 29 隻)。なお、同社は 1985 年にも会社更生法を申請(98 年に更生計画終了)している。
※DIP 型会社更生法では、現経営陣が管財人に就任し経営に当たることができる。当社が外航海運業という専門性が必要
な事業形態であることから裁判所は DIP 型更生手続きが適当と判断したもの。
同社が経営破綻に至った主な要因は、海運市況の急激な悪化、急激な円高、運航コスト(燃料価格、人件費など)の高騰などである。
同社はリーマン・ショック以前の海運バブル期に大量に船隊拡充(社船建造と用船)したが、バブル崩壊後には市況は急落しスポット
の運賃収入は激減、一方では多額の支払い(借入金返済と高額の用船料支払いなど)が負担となったもの。当社は海運バブル期に利益
を追求するあまりスポット運航に傾注していたため長期運送契約の比率が低く、市況急落により運賃収入と用船料支払い(用船契約は
長期)が逆ザヤとなったものである。また、株式上場を目指していたため、利益優先の経営がアダになったもの。
日本の中堅オペレーターである三光汽船㈱の倒産はコリアラインの倒産以上に業界関係者に大きなショックを与えた。特に金融機
関はシップファイナンスのリスクを再認識し、審査はより厳格化された。
平成 25 年 7 月 31 日、三光汽船㈱は東京地裁に会社更生計画案を提出した。計画案の骨子は、スポンサー契約を結んだ米ヘッジファ
ンドのエリオット・グループから 10 億円の出資と 20∼40 億円の融資を受けて、これを原資に一般更生債権者に対し弁済を行うもの。
(同社は 98∼99%の債務免除を求めている。)また、今後の事業計画については、一定の規模の船隊を維持しながら、船舶の安定運航
を図り、各船舶の黒字収支を目指すもの。計画は債権者の承認を経て正式決定された。本件は、日本のオペレーターを外資が買収する
初めてのケースとなった。
平成 26 年 12 月、東京地方裁判所より更生手続終結決定を受けた。
【事業再生 ADR、会社更生法、民事再生法】
事業再生 ADR(Alternative Dispute Resolution=裁判外紛争解決手続き)は、過剰債務に悩む企業の問題を解決するため、産業活
力再生特別措置法に基づいて 2007 年に創設された企業再生手法。私的整理手法の一つであるが、公平・中立な第三者が関与すること
で当事者間の話し合いを円滑に進めることができ、企業が事業を継続しながら中立的な立場にある専門家の下で金融債権者との調整が
行われる。
会社更生法は、窮地にあるが再建の見込みのある株式会社について、裁判所の監督の下に、債権者、株主、その他の利害関係人の利
害を調整しつつ、その事業の維持更生を図ることを目的とする会社更生手続きを定めた法律。更生手続き開始とともに会社の事業経営
および財産の管理処分権限は裁判所の選任する更生管財人に専属し、この管財人が会社の業務および財産を管理することになる。
民事再生法は、経済的に窮地にあるが再生の見込みがある、とりわけ中小企業者のための再建型の倒産処理手続き。会社更生と民事
再生の一番の違いは、会社更生には管財人が選任されること。民事再生では手続きが開始されても経営陣の退任や地位を変更する必要
がないので、事業再生を引き続き同じ経営陣が続けていくのが通例である。しかし、会社更生法ではそれは許されず、旧経営陣は経営
権を失い退陣することになる。また、会社更生手続きは民事再生手続きよりも厳格で複雑な過程を辿り、手続きにも時間がかかる。
【STX パンオーシャンの倒産】
韓国船社の STX パンオーシャンは 2013 年 6 月 7 日、ソウル中央地方裁判所に法定管理(日本の会社更生法に相当)を申請し、事
実上倒産した。現地の報道によると、負債総額は 4 兆 5,000 億ウォン(約 3,900 億円)で、最近の海運会社の経営破綻としてはコリア
ライン(2011 年、韓国船社)
、三光汽船(2012 年、邦船社)を上回り最大規模となった。同社の運航船隊は 346 隻(2013 年 3 月末時
点)で、うち自社船は 63 隻。2012 年の売上高は 48 億 1,185 万ドル、韓進海運、現代商船に次ぐ韓国海運第3位の規模。ドライバル
ク部門が売上の8割を占め、その他、コンテナ船、タンカー、LNG 船、自動車船など幅広い船種を運航していた。
2011 年に法定管理を申請したコリアラインは当時、約 150 隻を用船し、このうち 50 隻程度が日本の船主からの用船だったので、
日本の船主にとって大きな影響があった。しかし、STX パンオーシャンの用船 249 隻はギリシャ船主などからの用船が多く、日本の
船主からの用船は 10 隻程度で、影響は大きくなかった。
同社の新造船発注残は 28 隻(2013 年 3 月末)
。船種はバルカー主体で、大半がグループの STX 造船と STX 大連への発注。これら
の発注はキャンセルとなり、同造船所への影響は大きい。
【第一中央汽船が民事再生法申請、負債総額 1764 億円、用船 160 隻】(出典:2015.09.30.海事プレス)
第一中央汽船は 9 月 29 日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。負債総額は子会社と合わせて 1764 億 6700 万円で、2012
年に会社更生法を申請した三光汽船を上回る。運航船は 180 隻で、このうち船主からの用船は約 160 隻にのぼる。
第一中央は 2012 年以降、筆頭株主の商船三井や金融機関、船主、造船所などから資金支援を受け、保有船や一部の事業の売却など
の収支改善や資金確保のためにあらゆる手を打った。ただ、ドライバルク市況の低迷長期化で黒字化の見通しが立たなくなり、再建の
ためには法的整理に踏み切らざるを得ないと判断した。上場する邦船社の法的整理は 1985 年の三光の最初の倒産以来 30 年ぶり。
(6) 保険(Insurance)
科学の発達、技術の進歩により船舶の事故は少なくなってきてはいるが、200mを超える大きな船舶は小回りが利
かず、また自然災害や不慮の事故(もらい事故も含む)等あらゆる危険が多数あり、船主はそれらに対して十分な備
えが必要である。船舶保険はそれらのリスクをカバーし、経営の安定を確保できる手段の一つである。
① 自船や自社の損害に備える保険
一般に契約される保険は普通保険(船体保険)
、不稼働損失保険、戦争保険など。保険の金額や保険料率(ロス率=
保険金受取実績により異なる)などによって支払う保険料は異なるので、船主はリスクカバーと支払保険料(収支)
との兼ね合いを検討して決めている。特に、船体保険は船舶が全損(沈没など)となった場合は、保険金で借入金を
24−109
返済し、リプレイスのための自己資金を確保するために、時価一杯まで保険をかけることが多い。ファイナンサーも
保全手段として質権を設定する。
なお、保険には「免責」
(船主の自己負担部分)があるので契約内容のチェックが必要である。
② 他人に与える損害を補償する保険
岸壁や他船に与えた損害、人命・人身に与えた損害、海洋汚染の修復費用などを填補する船主責任保険(P.I.保険
=Protection & Indemnity Insurance)などがある。一般的に P.I.保険は相手に支払うための保険なのでファイナンサ
ーは質権を設定しないが、融資の際に P.I.保険の加入を条件としている銀行が多い。
【船舶保険の種類と填補内容】
① 建造保険・・・建造中の船舶に生じた事故による損害
② 普通期間保険・・・運航中の船舶に生じた事故による損害
③ 戦争(水雷)保険・・・運航中の船舶について、戦争、爆発物との接触等により生じた事故による損害 (戦争保険は一般世界水域
を前提とした 1 年間の保険で、戦争危険の高い水域は「除外水域」として戦争保険の航路定限から除外されている。これらの
除外水域を通過する場合にはその都度「割増保険料」が必要となる。)
④ 不稼動損失保険・・・遭難船舶が、稼動可能な状態に復旧するまでの期間の逸失利益あるいは経済的損失
⑤ 係船保険・・・係船中の船舶に生じた事故による損害
⑥ 修繕保険・・・修繕中の船舶に生じた事故による損害
⑦ P.I.保険・・・岸壁や他船に与えた損害、人命及び人身に与えた損害、衝突以外により他人に与えた損害に対する賠償責任
※①∼⑥までは自船や自社の損害に備える保険で、⑦は他人に与える損害を補償する保険。
※保険には契約内容によって填補される範囲が異なる。第 5 種約款では沈没、転覆、座礁、座洲、火災、他船との衝突に
限定、第 6 種約款ではそれ以外に爆発、地震、津波、落雷、荒天、主機・補機の事故等にまで拡大されている。
【共同海損(G/A=General Average)
】
共同海損とは、紀元前より行われてきた「海の法律」ともいわれる制度で、海上危険に際して、船舶、積荷および燃料などが関係者
全ての利益のための犠牲に供された場合に、当該犠牲によって救われたそれぞれの価額に応じて当該犠牲を分担する制度である。例え
ば、船舶が海難に遭遇した時に貨物の一部を海中に投棄して船脚を軽くするなどして危険を回避する場合や、サルベージ会社に救助を
求めるなどで船舶および貨物双方の安全を図る場合など。
このように、船舶や積荷など個々の財産のためではなく、共同の安全のために故意かつ合理的に行われた手段によって発生した損害
や費用について、救助された船舶、積荷、運賃などの財貨の価額に応じてそれぞれの利害関係人が公平に分担する制度である。
紀元前 3∼4 世紀頃のローマ帝国時代には既に現在の共同海損の原点というべき「投荷規定」があった。我が国には鎌倉・室町時代
より日本最古の海商法規といわれる「廻船式目」があった。これには共同海損の規定が定められていた。海難事故の際に船を守るため
に行った「捨て荷」により損害を被った荷主と、荷を捨てられずに被害が無かった荷主が公平に損害を分担するという考え方である。
【伝染病リスクに英ミラーが新保険、滞船・不稼働に対応】
(出典:2014.10.24.海事プレス)
英国のロイズ保険ブローカーのミラー・インシュランス・サービス(Miller Insurance Services LLP)は、エボラ出血熱などの伝染
病により船舶が滞船・不稼働となった場合の損失等を担保する新たな保険の仲介を開始した。顧客の要望を受け、英国ロイズ保険市場
の商品を仲介する専門家として新しい保険商品を設計した。日本ではリード保険サービス(本社=東京、伊藤正敏社長)を介して船主
や用船者に今後提案していく。本紙インタビューで、マリン部門トップのアンドリュー・ミラー取締役が明らかにした。
3. 外航海運業の歴史と現状
(1) 海運業の歴史
① 近代海運業の発展
海運は人類文明の歴史とともに発展してきた。海運業の原型はフェニキア時代(紀元前 10 世紀前後)に始まり、ロ
ーマ帝国時代に確立した。フェニキア(現在のレバノン辺り)には船舶に適したレバノン杉が多く採れたため造船が
盛んになり、海運が興った。ローマ帝国時代には皇帝の力により秩序が安定し、法体系の確立もあって通商と海運が
発展した。中世後期はイタリア自由都市とハンザ同盟が発展した時代である。
海運が大きく開花したのは大航海時代である。コロンブスによる大西洋航路の発見とバスコ・ダ・ガマによるイン
ド航路の発見などにより、ポルトガルは東洋との交易を活発に行うようになった。1830 年代から 1870 年代は帆船の
全盛時代で、スコッチウイスキーの銘柄にもなっている帆船カティ・サーク(Cutty Sark)は有名である。その後は
イギリスの産業革命により蒸気船が出現し、1890 年代以降は蒸気船(鉄船)全盛の時代となった。オランダやイギリ
スは海上交易を活発に行い、同時に植民地を広げながら発展した。これらにより第一次世界大戦までは世界経済と海
運業界は順調に推移した。
1914 年には第一次世界大戦(1914∼1919 年)が勃発し、参戦国の船は軍用に徴用され、撃沈されるなどして大量
の商船が消失した。一方の日本の海運業は世界的な船舶の減少と軍事物資輸送の増大で飛躍的に発展した。しかし、
1919 年にベルサイユ平和条約が締結され戦争は終結し、一転して船腹過剰となり市況は下落した。
その後は戦後の混乱も沈静化し、海運市況は順調に回復した。特に、アメリカや日本の躍進などで船腹量は戦前以
上に増加した。
しかしながら、1939 年に第二次世界大戦(1939∼1945 年)が勃発し、再び大量の商船が消失した。特に、日本の
商船のほとんどは沈没し、船員の犠牲者は 3 万人にも達した。
25−109
【第一次世界大戦】
(World War Ⅰ)
第一次世界大戦は 1914 年から 1918 年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。1914 年、オーストリアの皇位継承者が銃
撃された「サラエボ事件」をきっかけに、複雑な同盟・対立関係にあった各国は軍部の総動員を発令、ドイツ・オーストリア・オスマ
ン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国の二つの陣営に
分かれ世界大戦へと発展した。後に日本、イタリア、アメリカも連合国側に立ち参戦した。
戦争は、機関銃の組織的運用等により防御側優位の状況が生じ、弾幕を避けるために塹壕を掘りながら戦いを進める「塹壕戦」が主
流となったため戦線は膠着し、長期化した。この結果、大戦参加国は国民経済を総動員する国家総力戦を強いられ、常識を超える物的・
人的被害がもたらされた。
1918 年に入るとトルコ、オーストリアで革命が発生して帝国が瓦解。ドイツでも皇帝が退位に追い込まれ、大戦は終結した。
【第二次世界大戦】
(World War Ⅱ)
1939 年から 1945 年の 6 年にかけて、ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦、フランス、
ソビエト連邦、アメリカ、中国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争のことをいう。
1939 年 9 月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始
まり、1941 年 12 月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。大戦は日独伊の
枢軸国陣営が破れ 1945 年に終結した。
大東亜戦争は第二次世界大戦の一部で、1941 年に日本が参戦した戦争のことをいう。1941 年に東條英機内閣が、支那事変(日中戦
争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定された。敗戦後は、GHQ によって「大東亜戦争」の使用が禁止され、代わりに「太平
洋戦争」という戦争呼称を用いるよう規制された。(のち失効)
)により戦略物
日本はイギリス等の「ABCD 包囲陣」
(A=アメリカ、B=ブリテン(イギリス)、C=チャイナ、D=ダッチ(オランダ)
資や資源の入手を制限されて窮地に追い込まれ、やむなく「自衛」のために開戦に踏み切ったものである。しかし、連合国軍との圧倒
的な物量の差は大きく、1945 年に日本は「ポツダム宣言」を受諾し無条件降伏した。
後に、アメリカ上院の軍事外交合同委員会においてマッカーサー氏(米陸軍元帥)は「彼ら(日本人)が戦争に飛び込んでいった動
機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだった」と証言している。(侵略戦争ではなかったと証言している。
)
【ウォール街大暴落と世界恐慌】
ウォール街大暴落(Wall Street Crash)とは、1929 年に発生した株価大暴落のこと。この株価大暴落は 1 日の出来事ではなく、
「ブ
ラックサーズデー」
「ブラックフライデー」
「ブラックマンデー」
「ブラックチューズデー」の 4 段階がある。当時アメリカは、
(大戦へ
の)輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡大、モータリゼーションによる自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊
に伴う同地域への輸出の増加などによる好景気に沸き、ダウ工業平均が 6 年間上がり続け、一部に株式投資ブームを起こしていた。こ
の状況下、10 月 24 日(木曜日)にゼネラルモーターズの株価が下落したのをきっかけに市場は売り一色になり、やがて株価は大暴落
した。壊滅的な下落は 28 日(月曜日)と 29 日(火曜日)に起こり、週間では約 300 億ドルが失われた計算になる。これは当時の米
国連邦年間予算の 10 倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回る規模であった。これらアメリカで起
こった株の大暴落は世界に広がり、長期に亘る経済不況へとつながっていった。
世界恐慌とは、世界的規模で起こる経済恐慌(World Economic Crisis/Panic)のことで、通史的には 1929 年に始まった経済不況を
指す。ウォール街大暴落から始まったパニックは世界に広がった。第一次世界大戦後、米国には世界の半分以上の「金」が集まり、米
国経済は圧倒的な存在感があったので、米国の株価暴落がそのまま世界恐慌につながったといわれている。これらにより世界中の多く
の銀行が倒産に追い込まれ、金融システムは完全に麻痺した。
日本は第一次世界大戦(1914∼1919 年)の戦勝国の一つであったが、その後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌によって弱体化し
ており、日本経済は世界恐慌の発生と同時期に行った金解禁の影響に直撃され、危機的状況に陥った。株の暴落により都市部では多く
の会社が倒産し、失業者があふれた。しかし、高橋是清蔵相による積極的な歳出拡大や 1931 年 12 月 17 日の金兌換の停止による円相
場の下落もあり、インドなどアジア地域を中心とした輸出により 1932 年には欧米に先駆けて景気回復を遂げた。
② 船腹量の増大
第二次世界大戦後は全般的に海運繁栄の時代に入った。大戦後の特徴的なものは便宜置籍船の増加と船舶の大型化
である。1960 年代の世界全体の船腹量は 129,770 千総トンだったが、1990 年代には 423,627 千総トンへ急増し、2013
年末には 1,122,649 千総トンまで増加している。隻数(100 総トン以上の船舶)についても、2000 年 87,546 隻、2001
年 87,939 隻、2004 年 89,960 隻、2005 年には急増して 92,105 隻、2009 年に初めて 10 万隻を突破し 102,194 隻と
なり、2013 年末には 106,833 隻となっている。
【代表的な国籍別船腹量の推移】(単位:千総トン)
(100 総トン以上の船舶)
(出典:日本造船工業会)
1960 年央
1980 年央
1990 年央
2000 年末
2005 年末
アメリカ
24,837
18,464
21,328
11,111
11,058
11,941
11,601
11,336
11,256
イギリス
21,131
27,151
6,736
5,532
11,194
16,478
17,651
16,922
14,739
リベリア
11,282
80,285
54,700
51,451
59,600
106,708
121,519
126,017
126,439
ノルウェー
11,203
22,007
23,429
22,604
17,532
16,529
16,512
16,528
16,405
日本
6,931
40,960
27,078
15,257
12,751
16,858
17,423
18,527
19,801
ギリシャ
4,529
39,472
20,522
26,402
30,745
40,795
41,276
41,141
41,735
パナマ
4,236
24,191
39,298
114,382
141,822
201,264
214,760
218,663
218,269
世界合計
129,770
419,911
423,627
558,054
675,116
2010 年末
957,982
2011 年末
1,043,082
2012 年末
1,081,205
2013 年末
1,122,649
これを国籍別で見ると、パナマ国が 1960 年代の 4,236 千総トンから 2013 年末の 218,269 千総トンに急激に増加し
ているが、これがいわゆる「便宜置籍船」である。一方で、日本は 1960 年代の 6,931 千総トンから、1980 年代の 40,960
千総トンにまで経済発展と共に順調に増加してきた。この頃をピークとして、2005 年末には 12,751 千総トンに減少
しているが、実際の日本の船主の所有・支配する船舶は急増してきている。現状、実質的にはギリシャに次ぐ海運大
26−109
国となっている。
日本籍船自体は、政府の増加促進もあって 2014 年 6 月末時点で前年より 25 隻増の 184 隻となっている。
250,000
200,000
150,000
パナマ
リベリア
100,000
日本
50,000
0
1960年
1970年
1990年
1980年
2000年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
【世界船種別船腹量の推移】(単位:千総トン)
(100 総トン以上の船舶)
(出典:日本造船工業会)
1965 年央
1980 年央
1990 年央
2000 年末
2005 年末
2010 年末
2011 年末
2012 年末
2013 年末
オイルタンカー
55,046
175,004
134,836
155,429
175,336
213,903
227,645
234,647
238,484
オア・バルクキャリア
18,757
109,596
133,190
161,186
193,213
294,007
343,198
366,083
388,415
その他
86,589
135,311
155,601
241,439
306,567
450,073
472,238
480,475
495,751
160,392
419,911
423,627
558,429
675,116
957,982
1,043,082
1,081,205
1,122,649
世界合計
600,000
500,000
オイルタン
カー
400,000
300,000
オア・バル
クキャリア
200,000
その他
100,000
0
1965年
1970年
1975年
1980年
1985年
1990年
1995年
2000年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
【世界海上荷動量の推移】(単位:百万トン)(100 総トン以上の船舶)(出典:日本造船工業会) ※2013 年は推計・2014 年は予想
1990 年
1995 年
2000 年
乾貨物計
2,577
3,054
3,719
(内、3 大乾物計)
(907)
(1,023)
(1,219)
石油・石油製品計
2005 年
2010 年
4,673
(1,608)
2011 年
2012 年
5,770
6,127
(2,264)
(2,398)
2013 年
6,462
(2,607)
2014 年
6,814
7,165
(2,754)
(2,946)
1,565
1,890
2,248
2,589
2,756
2,766
2,824
2,797
LPG
32
39
45
52
55
59
61
63
66
LNG
58
68
104
142
222
247
243
244
256
4,232
5,051
6,114
7,456
8,802
9,199
9,589
9,918
10,315
合計
2,829
60,000
50,000
40,000
乾貨物計
30,000
石油計
20,000
合計
10,000
0
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
【船種別・船齢別船腹量】(2013 年末、単位:百万トン)
(100 総トン以上の船舶)
(出典:日本造船工業会)
0∼4 年
5∼9 年
10∼14 年
15∼19 年
20∼24 年
25 年以上
合計
85,780
65,912
52,716
20,055
8,890
5,131
238,484
オア・バルクキャリア
206,720
62,592
38,921
41,098
21,080
18,006
388,415
その他
150,826
137,766
69,742
48,459
29,258
59,700
495,751
合計
443,326
266,270
161,379
109,612
59,227
82,837
1,122,649
オイルタンカー
250,000
200,000
オイルタンカー
150,000
オア・バルクキャリ
ア
100,000
50,000
その他
0
0∼4年
5∼9年
10∼14年
15∼19年
27−109
20∼24年
25年以上
【実質保有船腹量、ギリシャ 1 位、中国 3 位で日本に迫る】
(出典:2015.01.13.海事プレス)
各国の保有船腹量に変動が起こっている。ギリシャが日本を抜いて 1 位に浮上。中国は過去 5 年で倍増して 3 位に浮上し、日本を射
程圏内に捉えた。また、世界の海運センターとして存在感を増すシンガポールや、欧米系の船主が節税を目的に本社を置くバミューダ
ーなどが急増。一方で、かつて日本、ギリシャと争ったノルウェーが船腹量を減らして 10 位に後退し、ドイツ、デンマークも伸び悩
むなど、欧州の伝統的な船主国の地位の低下が顕著になっている。
※巻末に参考資料として、≪参考⑫≫
実質船主国別船腹量
…UNCTAD「REVIEW OF MARITIME TRANSPORT 2014」
添付
(2) 日本の海運業の発展
① 初期、大手3社
日本の海運業は明治に入ってから西洋型蒸気船が輸入されて以降、幾つもの海運会社が創業した。明治政府の海運
増強策と日清・日露戦争の特需などもあり、明治末から大正初期の日本海運は世界の一流海運国に肩を並べる地位ま
で発展した。
第一次世界大戦時には参戦国の商船の多くが被害を受け、また、太平洋航路に就航していた欧米の商船が大西洋方
面の物資輸送のために本国に引き揚げたりしたことで、日本船が太平洋航路を独占した。
現在、日本の海運大手と呼ばれる船社は、日本郵船、商船三井、川崎汽船の3社で、幾多の苦難を乗り越え、統合・
合併の末に現在に至っている。これらの企業は世界レベルで見てもトップクラスの企業である。その他にも有力な船
社が多数あり、これら船社群が『日本海運』を担っている。
【大手3社の生い立ち】
《日本郵船》…NYK
日本郵船は明治 18 年 9 月に郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が統合して創設された。日清戦争後は一大飛躍を成し遂げ、第二次世
界大戦前は世界最大の海運会社となったが、大戦により大半の商船を消失し、戦後は37隻の所有船で再スタートした。平成 10 年 10
月に昭和海運を吸収合併した。
《商船三井》…MOL
商船三井は昭和 39 年 4 月に大阪商船㈱と三井船舶㈱が合併して発足した。その後、平成 11 年4月にナビックスライン㈱を吸収合
併し現在の称号となった。前身の大阪商船㈱は明治 17 年 5 月に関西の船主が大同合併して創立され、三井船舶㈱は明治初期より海上
輸送に着手していた三井物産㈱の船舶部が昭和 17 年 12 月に分離独立して創立したもの。日本郵船と同様に大戦で商船の大半を消失
したが、以降は順調に回復してきた。
※昭和 39 年に日東商船と大同海運が合併してジャパンラインが誕生。その後、平成 1 年にジャパンラインと山下新日本汽
船が合併してナビックスラインが誕生。
(山下新日本汽船は山下汽船と新日本汽船が合併して誕生。
)
《川崎汽船》…K-Line
川崎汽船は大正 8 年 4 月に川崎造船所(現川崎重工業)の船舶部を分離独立し設立された。21 年に川崎造船所および国際汽船と3
社共同の配船体制を確立し世界各港に渉る運航ネットワークを固めたが、第二次世界大戦により多大な損害を被り、他社と同様に戦後
再スタートを切った。
【代表的な日本のオペレーター】
旭タンカー、イースタン・カーライナー、飯野海運、乾汽船、上野トランステック、NS ユナイテッド海運(新和海運と日鉄海運が合
併)、NYK バルク・プロジェクト貨物輸送(日本郵船)、川崎汽船、川崎近海汽船、霧島海運商会、近海タンカー、くみあい船舶、栗
林商船、三光汽船(会社更生法)、商船三井、商船三井近海、商船三井内航、昭和油槽船、ショクユタンカー、JFE 物流、辰巳マリン、
第一中央汽船(民事再生法申請)
、鶴見サンマリン、東京マリン、日本郵船、日本マリン、プリンス海運 他
② 戦後
第一次世界大戦などの大戦景気により日本の海運業は飛躍的に発展し、第二次世界大戦に日本が参戦した 1941 年
(昭和 16 年)には我が国の保有隻数は 2,693 隻 633 万総トンであったが、終戦直後の 1945 年 8 月には 873 隻・150
万総トン(うち稼動可能なものは僅か 66 万総トン)にまで激減し壊滅的な状態であった。
戦後の日本の商船管理は占領軍総司令部(GHQ)内の日本商船管理局の統制を受け、日本側に設置された日本商船
管理委員会が一元的に管理・運営を行っていた。
これらの管理を民間に還元すべく 1947 年 6 月には日本船主協会が設立された。こうした動きに歩調を合わせ、1947
年 9 月には第一次計画造船が実施され外航商船建造が再開された。そうして 1950 年 4 月に全船が船主に返還され完
全な民営還元が実現(復元)した。しかしながら邦船社の企業基盤は脆弱であったため、政府による海運助成策(復
興金融金庫を通じた財政資金による計画造船や諸海運施策)が実施され、復興に向けて動き出した。
【ブレトンウッズ体制】
1944 年 7 月、連合国 44 ヵ国が米国のニューハンプシャー州ブレトンウッズに集まり、第二次世界大戦後の国際通貨体制に関する
会議が開かれ、国際通貨基金(IMF)協定などが結ばれた。
※国際通貨基金は 1945 年 12 月に発効した IMF 協定に基づき、1946 年 3 月に設立、1947 年 3 月に業務を開始した。
国際通貨基金は「金(Gold)」だけを国際通貨とする金本位制ではなく、「ドル」を基軸通貨とする制度を作り、ドルを金とならぶ国
際通貨とした。米国の豊富な金をもとに発行されたドルは金と同様の価値があった。このようにドルと各国の通貨価値を連動させたこ
とからブレトンウッズ体制のことを金・ドル本位制という。この制度では、金とドルの交換率を金 1 オンス=35 ドルと決め、金との
交換を保証した。
(為替レートが固定されていたことからこの制度を固定相場制ともいう。)これにより日本円は 1 ドル=360 円に固定
された。しかし、米国は 1960 年代にベトナム戦争などで大幅な財政赤字を抱えることになり、国際収支が悪化、大量のドルが海外に
28−109
流出した。米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなった。
⇒1971 年 8 月 15 日のニクソン・ショックに繋がる。
【ドッジ・ライン】
1949 年(昭和 24)2 月、アメリカ政府は、インフレに悩む日本経済の安定と自立を図るため、当時デトロイト銀行頭取であったド
ッジ氏をトルーマン大統領の特命公使として日本に派遣した。彼の指導による一連の経済安定政策を「ドッジ・ライン(Dodge Line)」
(ないしドッジ・プラン)という。彼は日本経済を、政府の補助金(特にインフレ下の生活物資への価格差補給金)とアメリカの援助
との二つの竹馬に乗った「竹馬経済」と見立て、この竹馬を切ることが自分の仕事であるとした。この政策により闇物価は 1949 年初
頭をピークに下落し、物価は急速に安定したが、さらにこれを国際物価にサヤ寄せさせるために、やがて 1 ドル=360 円の単一為替レ
ートが設定された。この為替レートは 1968 年まで続いた。こうしてドッジ・ラインはインフレの収束と黒字財政をもたらしたが、反
面、49∼50 年にかけて深刻な不況=安定恐慌が発生した。
この恐慌のさなか 1950 年 6 月に朝鮮戦争が勃発し、日本経済は新たな局面を迎えることになった。
③ 復興
その後は、1950 年 6 月に朝鮮戦争が勃発し、軍需物資輸送・国内生活物資輸送等で船舶需要が拡大し海運業界は活
況を呈したが、1951 年の朝鮮戦争の休戦協定以降は船腹過剰となり海運市況は急速に悪化して行った。この中で、日
本の船社は 1952 年までにはほぼ戦前の定期航路へ復帰し、配船を再開した。
1956 年 7 月にはエジプトのナセル大統領によってスエズ運河が国有化され、これに対して英仏連合軍が攻撃、同年
11 月に「スエズ動乱」が起こりスエズ運河が閉鎖された。そのため輸送距離が伸びるなどして船腹需要が増大し、海
上運賃が上昇した。スエズ・ブームの恩恵で邦船各社の業績も向上したが、その後 1957 年 4 月にスエズ運河が再開
されるとブームから一転不況に陥った。
※この間 1959 年∼1961 年、日本は景気のピークを迎えており、岩戸景気と呼ばれている。
④ 海運集約
以降はスエズ・ブームによる大量建造の影響と世界的な景気後退により海運業界は低迷し、国策として海運業界を
庇護するために、1963 年、政府は海運造船合理化審議会、自民党の海運再建懇談会議その他各方面の意見を反映した
「海運再建整備二法」を公布施行した。これにより邦船社は「中核体」と呼ばれる 6 社を中心とする 6 グループに集
約された。
【海運集約】
1964 年に邦船各社は「中核体」と呼ばれる 6 社を中心とする 6 グループに集約された。これを「海運集約」と呼んでいる。6 社は大
阪商船三井船舶(現、商船三井)、日本郵船、川崎汽船、山下新日本汽船、ジャパンライン、昭和海運で、その後、山下新日本汽船(YS)
とジャパンラインは合併してナビックスラインとなり、さらに商船三井と合併した。昭和海運も日本郵船と合併した。現在は、日本郵
船、商船三井、川崎汽船の大手 3 社グループに集約されている。
海運業の集約が行われた 1964 年は世界レベルの「黄金の 60 年代」といわれる時期で、1973 年の第一次石油危機までは世界的にも
順調な発展を遂げた時期でもあった。
⑤ ドルショックと円高
1971 年 12 月、ドル救済を目的としたスミソニアン体制により円は新レート(360 円/US$⇒308 円/US$)に切
り上げられた。海運集約を経て順調に推移していた日本の海運業界は大きな影響を受けた。
「ドルショック(ニクソン・
ショック)
」から始まった円高は、その後もほぼ一貫して円高に推移してきた。これに対抗するために邦船社は税制が
緩やかで賃金の安い外国人船員を配乗できる「便宜置籍」へ傾注し、コスト削減による収益確保に取組んできた。
【スミソニアン体制とニクソン・ショック(ドルショック)
】
スミソニアン体制とは、1971 年 12 月に米国ワシントンのスミソニアン博物館で開催された先進 10 ヶ国蔵相会議により取り決めら
れた固定相場制のこと。これにより金とドルの交換比率は 1 オンス=35 ドルから 38 ドルへ引上げ、ドルは 7.89%切下げ、円は 1 ド
ル 360 円から 308 円へ切上げ(16.88%)られた。
しかし、スミソニアン体制でも米国や英国の国際収支の悪化は止まらず、スミソニアン体制はわずか 2 年で崩壊し、1973 年に主要
先進国は変動相場制へ移行した。
ニクソン・ショックとは、1971 年にアメリカ大統領「リチャード・ニクソン」が電撃的に発表した世界秩序を変革する 2 つの大き
な方針転換をいう。1 つは、ニクソン大統領の中華人民共和国への訪問予告宣言(と翌年の実際の北京訪問)、2 つはドルと金との交換
停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終了と変動相場制突入を告げた声明のことをいう。2 つ目はドル・ショックとも呼ばれている。
⑥ 石油危機
1973 年 10 月、第4次中東戦争によって第一次石油危機が発生、1979 年、第二次石油危機が発生した。石油産出国
による石油輸出の制限と価格引き上げが行われ、世界的なインフレが加速した。タンカーは輸送需要が激減し船腹過
剰に陥り、また、大量の燃料を消費する海運会社にとってその影響は大きいものがあった。
【石油危機】
石油危機(オイル・ショック)とは、1973 年 10 月に勃発した第 4 次中東戦争においてアラブの石油産出諸国がとった石油戦略に
よる世界経済の混乱をいう。
第 4 次中東戦争が始まると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)と石油輸出機構(OPEC)は原油生産削減とアメリカ・オランダ向
けの輸出を禁止し、更に輸出価格を4倍に引き上げた。これにより石油価格のみならず石油製品(および生産過程で石油を使用する製
品等)の価格も暴騰し、市場は大混乱に陥った。
第二次世界大戦後の西側経済は、低価格の石油を大量に消費する「資源浪費型経済」となっていたので、こうしたアラブ諸国の石油
戦略は西側経済の土台を揺るがすものであった。特に、石油の大半を輸入に依存しなければならなかった日本にとってはその影響は甚
29−109
大であった。オイル・ショックは高度経済成長に終止符を打ち、以降、世界経済は低成長・長期不況時代に移行して行った。同時に、
アラブ産油国の政治的発言力の増大と、アメリカを中心とする西側先進諸国の地位の低下をもたらし、新たな南北対立の状況を作り出
した。
⑦ プラザ合意
1985 年 9 月、プラザ合意により円は急激に円高へ推移し、用船料を US$建てで受け取る海運会社は大きな影響を
受けた。1985 年 8 月には船舶の大量発注の失敗などにより大手海運会社の三光汽船が会社更生法を申請した。
日本政府は 1986 年、過剰船舶の処分を促進する「特定外航船舶解撤促進臨時措置法」を制定し、一般外航海運業
を特定不況業種に認定するなど海運業界の救済を図った。
その後、全世界的には産業の省エネ化が進展、原油価格も比較的落ち着いた動きを見せ安定的に推移してきたが、
投機資金の流入などで原油が急騰した局面では船舶燃料価格や潤滑油が高騰し、船主経済を逼迫した時期があった。
【プラザ合意】
プラザ合意とは、1985 年 9 月に米国ニューヨーク市のプラザホテルで行われた先進 5 ヶ国財務相・中央銀行総裁会議において発表
された声明のこと。当時のアメリカ合衆国の対外不均衡解消(対日貿易赤字の是正)を狙いとし、ドル高を是正するために為替市場に
協調介入することの合意であった。これによってドル相場は一挙に下落(ドル安・円高)した。
この合意は為替相場を全く自由に変動させる自由変動相場制から、為替市場の状況によって各国の中央銀行等が適宜介入する管理相
場制への歴史的な転換点となった。
⑧ 海運バブル期(2008 年リーマン・ショック前まで)
その後は多少の波はあったが、海運市況は平均して安定推移してきた。
最近の大きな事象としては、2002 年頃をボトムとし、2003 年後半からは中国(2001 年に WTO 加盟)の自由貿易
による輸入拡大に伴い海運市況は「100 年に一度」といわれる未曾有の好景気に突入したこと。海上荷動きは急増し、
特に鉄鉱石や石炭などを大量輸送するケープサイズ型(約 20 万 D/W)と呼ばれる超大型貨物船の需要が増加し、必
然的に大型船から小型船に至る全ての船舶需要が急拡大した。これにより新造船の価格と運賃・用船料も急上昇し、
中古船価格も高騰した。ピーク時には、ケープサイズ型の運賃は 1 日当り 24 万ドルの高値を付け、中古船価格(船
齢 10 年程度)は新造船とほぼ同等の 1 億ドル(約 100 億円)で取引されたこともあった。当時は、新造船は発注し
てから竣工までに 3∼4 年を要するため、購入と同時に稼げる中古船の価値が高まったという訳である。
※運賃を 10 万ドル/Day とすると、4 年間で 146 百万ドルを稼ぐ計算で、運航コストを考慮しても十分に採算
が合う訳である。高卒ルーキーよりもノンプロ出身・即戦力選手の方が評価が高かったということ。
【新大陸発見、大航海時代、産業革命】
百年に一度といわれる海運好景気の背景を分析すると、主に 3 つの要因が上げられる。1 つは中国の自由貿易への参入で、これによ
り世界全体の貿易量が急激に拡大した。これを歴史上の「コロンブスの新大陸発見」に例えられている。2 つはグローバル化の進展に
よる全世界的な海上輸送の増加。ブラジルから中国などへの貨物輸送など輸送距離も長距離化(船腹需要の増大)した。これを「大航
海時代」に例えられている。3 つは産業構造の変革。例えば、先進国が材料・部品等を製造し、発展途上国でそれを組み立て、その完
成品を他国へ輸出するなどで海上輸送量が増加することになったというもの。これを「産業革命」に例えられている。
その他の要因としては、資源輸出港の荷役能力が追いつかず大量の船舶が港の沖で待機(滞船、沖待ち)する状況が続き、船腹需要
に拍車がかかったことなどがある。
(3) 近年の世界経済の動向、海運業を取り巻く環境の推移
① 海外の動向
サブプライム・ローン問題が船舶金融分野に波及してきたのは 2008 年 11 月頃から。欧州の金融機関が船舶関連融
資の審査厳格化、金利引上げ、新規貸出の停止などに動いた。そこに、リーマンブラザーズ証券の破綻(リーマン・
ショック)があり、金融不安・信用収縮に拍車がかかり、欧州の金融機関では融資引締めが一段と厳しくなった。そ
の結果、欧州の船主は資金調達が困難となり、新規の発注が難しくなるだけでなく、発注済みの新造船のキャンセル
も出てくるようになった。とりわけ新興企業と呼ばれる業界に進出したばかりの船社や中国の造船所が不安視(新興
造船所問題)された。
また、船主は、中国等の造船企業との建造契約に際しては、契約金の返還請求権を担保するために、造船所の取引
銀行から「保証=(RG)Refund Guarantee(リファンド・ギャランティ)」を徴求するのが一般的であるが、中国の銀行は造
船所の信用状態(リスク)を勘案するとこの「保証」を発行できず、建造契約が締結できないといったケースもあっ
た。なお、日本の造船所は経営内容がしっかりしているので保証を求められることは殆どない。
その他、最近の国際経済における主な事象としては「ドバイ・ショック」、「ギリシャ・ショックと欧州債務危機」
などが上げられる。いずれも景気回復基調にあった世界経済に冷や水を浴びせた。
※現在は、ロシア・ウクライナ問題、イスラエル・パレスチナ問題、内戦が続くシリア問題、難民問題などの
国際的な問題が起こっている。
【新興造船所問題】
新興造船所問題とは、造船業に進出したばかりの中国や韓国の民間系造船所が抱える問題のことで、①工場自体の建設資金の調達、
②エンジンや鋼材などの資機材の調達(機器メーカーを含む)、③質・量の両面での人材の確保などの懸念材料を指摘したもの。
欧米や中国・韓国などで金融市場の信用収縮が本格化しており、資金調達面の不安が最大の問題に浮上している状況で、契約通りに
30−109
船舶が竣工できない可能性を指摘しているものである。
【サブプライム・ローン問題】
サブプライム・ローンとは、主に米国において貸付けられたローンのうち、サブプライム層(優良でない顧客)向けの貸出をいい、
厳密には通常の住宅ローン審査には通らないような信用度の低い人向けのローンのことをいう。
金融機関は中古住宅価格の上昇を前提に高い保証を行い安心感を与え、このサブプライム・ローンを金融商品に組み込んで証券化し、
世界中に販売した。しかし、2007 年夏頃から主に住宅ローン(狭義のサブプライム・ローン)返済の延滞率が上昇しはじめ、とうと
う住宅バブルがはじけた。この結果、金融商品の信用保証までも完全に劣化し、世界中の金融機関で信用収縮の連鎖が起こった。
世界金融危機発生の引き金となったのがサブプライム・ローン問題である。これにより、特に欧米の金融機関は多額の損失を計上し、
経営体力を大幅に消耗した。
【リーマン・ショック】
リーマン・ショックとは、2008 年 9 月 15 日の米国大手証券投資銀行のリーマンブラザーズ証券の経営破綻(連邦倒産法第 11 章の
適用を申請・・・日本の民事再生法に相当)のことをいう。
リーマン・ショックは、リーマンブラザーズ証券が発行した社債を保有している企業やリーマンが大株主になっている企業に大衝撃
を与え、リーマンの社債や株を組み入れた投資信託の価額下落を招き、大きな損失を与えた。それに連鎖して全世界的な株価の下落が
起き、信用収縮・金融危機が加速した。これに対して各国政府はそれぞれ経済対策を実施した。
【ドバイ・ショック】
ドバイ・ショックとは、2009 年 11 月 25 日にアラブ首長国連邦のドバイ政府が、政府系持株会社ドバイ・ワールドの 590 億ドルに
のぼる債務について返済繰り延べを要請すると発表したことに端を発し、世界的に株式相場が急落した現象。
ドバイ・ワールドは、ナキール・タワー等の超高層ビル建設や、人工島パーム・アイランド造成などの大規模開発を手がける不動産
開発デベロッパーのナキール等を保有する政府の持株会社。ドバイは 2008 年 9 月のリーマン・ショックに端を発する金融危機によっ
て不動産ブームが縮小するなど、その経済は急激に減速していた。
翌 11 月 26 日の欧州株式市場では、ドバイ政府が債務不履行を起こすリスクや、ドバイへの出資を積極的に行ってきた欧州の金融
機関の債権焦げ付きへの懸念から、銀行株を中心に株式相場が急落、その影響は世界中の株式市場に拡大した。
【ギリシャ・ショックと欧州債務危機(欧州債務問題)
】
ギリシャ・ショックとは、同国の財政危機が表面化(債務不履行の危機)し、ギリシャ国債の格付けが引き下げられたことから国債
が暴落し、同国の国債を大量に保有する支援国や金融機関に大きなインパクトを与えたもの。具体的には 2009 年 10 月のギリシャの
政権交代時に、財政赤字が国内総生産(GDP)の 4%程度と公表していたものが実際は 13%近くで、債務残高も GDP の 113%に上っ
ていたことが明らかになった。
2010 年 1 月、同国は財政赤字を対 GDP 比 2.8%以下にするなどとした3ヶ年財政健全化計画を発表。
2011 年 10 月、同国政府は財政赤字削減目標が未達となる見通しを発表、欧州金融市場は悪化。欧州各国はギリシャ支援を決定。
2011 年 11 月、財政支出削減を前提とした支援策の受け入れについて国民投票を実施すると発表。国民投票はフランス・ドイツ首
脳の、支援凍結とユーロ離脱の圧力をかけた説得により回避された。
2012 年 5 月、ギリシャ議会総選挙で「財政緊縮反対」を掲げる左翼政党が大幅に躍進したが、連立に失敗し再選挙となった。再選
挙の結果、旧連立政権が復権し、緊縮財政に取り組むこととなった。
欧州債務危機(欧州債務問題)とは、ギリシャの財政問題に端を発する債務危機が南欧⇒ユーロ圏⇒欧州へと広域に連鎖した一連の
経済危機を言う。当初はギリシャ危機のみであったが、その後、アイルランド・ポルトガル・スペイン・イタリアなどに飛び火し、さ
らには欧州全土の金融システムまで揺るがす事態となった。
欧州債務危機の根本は、ユーロが通貨・金融政策は統合しても、財政政策は各国が主権を握る中途半端なシステムだったことが挙げ
られる。また、欧州内部での危機の過小評価、関係国間の意見の対立、意思決定の遅さ、ユーロ離脱問題などがある。
この欧州債務危機では、PIIGS 諸国などの財政の持続性への懸念がマーケットで強まり、主に南欧諸国の国債利回りが上昇(価格
は下落)し、一部の国では資金繰り難にまで陥った。また、これらの国の債券を大量に保有する欧州の銀行の信用不安も広がり、2011
年 10 月にはギリシャやイタリアの国債を大量に保有していた大手銀行のデクシアが資金繰りに行き詰って経営破綻した。
※PIIGS は、元々はユーロ圏の南ヨーロッパ4ヶ国(P=ポルトガル、I=イタリア、G=ギリシャ、S=スペイン)の頭文字をと
った略語「PIGS」とされ、これに I=アイルランドを加えた5ヶ国で「PIIGS」と呼ばれている。PIIGS はこれらの諸国の経
済状況(弱い、悪い)を説明するときに使われていたもの。
2015 年 1 月、ギリシャ議会総選挙において急進左派連合(SYRIZA)が第一党になったことにより、党首のアレクシス・チプラス
氏が首相に就任。
2015 年 7 月、欧州連合(EU)が求める財政緊縮策への賛否を投票が実施、反対票が賛成票を大きく上回り、ギリシャの財政破綻
やユーロ圏離脱のリスクが高まった。しかし、チプラス首相は EU 側に歩み寄る姿勢に転換したことで与党が分裂状態とな
った。
2015 年 8 月、チプラス首相が辞意表明、9 月 20 日に総選挙が行われたが、再びチプラス氏率いる急進左派連合が快勝した。新政
権は EU 側の提案を受け入れる姿勢を示した。
【GDP】(国内総生産)
GDP(Gross Domestic Product=国内総生産)とは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額で、ストックに対するフ
ローを表す指標。経済を総合的に把握する統計である国民経済計算の中の一指標で、GDP の伸び率が経済成長率に値する。原則とし
て国内総生産には市場で取引された財やサービスの生産のみが計上される。このため、家事労働やボランティア活動などは参入されな
い。
GDP デフレーターとは、名目 GDP を実質 GDP で割ったものをいう。名目 GDP と実質 GDP はそれぞれインフレの調整を行って
いない GDP と行った GDP だから、その比に当たる GDP デフレーターはインフレの程度を表す物価指数であると解釈できる。従っ
て GDP デフレーターがプラスであればインフレ、マイナスであればデフレとみなすことができる。
※実質 GDP とは名目 GDP から物価変動の影響を除いたものを指す。名目 GDP とはその年の経済活動水準を市場価格で評
価したものを指す。
31−109
【各国の国内総生産(名目)】
(単位:10 億 US$)
2011 年
順位
2012 年
15,094.03
2013 年
1位
アメリカ
15,684.75
2位
中国
7,298.15
中国
8,227.04
中国
3位
日本
5,869.47
日本
5,963.97
4位
ドイツ
3,577.03
ドイツ
3,400.58
5位
フランス
2,776.32
フランス
6位
ブラジル
2,492.91
7位
イギリス
8位
9位
10 位
2014 年
アメリカ
17,418.93
9,181.38
中国
10,380.38
日本
4,901.53
日本
4,616.34
ドイツ
3,635.96
ドイツ
3,859.55
2,608.70
フランス
2,737.36
イギリス
2,945.15
イギリス
2,440.51
イギリス
2,535.76
フランス
2,846.89
2,417.57
ブラジル
2,395.97
ブラジル
2,242.85
ブラジル
2,353.03
イタリア
2,198.73
ロシア
2,021.96
ロシア
2,118.01
イタリア
2,147.95
ロシア
1,850.40
イタリア
2,014.08
イタリア
2,071.96
インド
2,049.50
カナダ
1,736.87
インド
1,824.83
インド
1,870.65
ロシア
1,857.46
アメリカ
アメリカ
16,799.70
② 日本国内の動静
邦銀はサブプライム問題での損失が相対的に軽く貸出余力があり、船主の資金調達においてはまだ余裕があった。
また、海運大手3社を始めとした邦船社(オペレーター)や地方オーナーの財務体力は、海運バブル期の内部留保も
あり以前と比較にならないほど強化されたこともあって、船主の資金調達面への影響は比較的軽微であった。
当時、日本経済は総じてデフレの状態にあり、景気回復の足取りは重たい状況であった。加えて 2011 年 3 月の東
日本大震災などで多大な経済的損失が発生したが、以降は復興需要などで徐々に景気は回復に向かっている。特に、
安倍政権による「アベノミクス」によるデフレ脱却と景気浮揚策により景気は回復してきている。また、2020 年の東
京五輪の経済効果にも期待されている。
為替相場は長らく超円高が続き、日本の輸出産業に大きな影を落とし、特にドルの運賃・用船料収入を得る「輸出
型産業」である海運業は厳しい経営を強いられてきた。その後、安部政権誕生と黒田日銀総裁の政策により現在は、
為替相場は 120 円前後にまで「円高是正」され、海運業者の業績にプラス影響を与えている。
③ 日本船社(オペレーター)の現状と今後の展望
日本の主要船社(オペレーター)は、海運バブル期に発注した高額の自社船や高い用船料でオーナーから用船した
船舶が海運市況急落により不採算船となり赤字を計上したが、以降、運航コストの削減(減速航海による燃料費の縮
減を含む)や用船契約の切り替え(用船契約期限到来に際し、高い用船料契約を市況水準の用船料契約に更新)など
で黒字回復した。また、過去の円高により実質的に収入減となっていたが円高是正により業績は急回復してきた。た
だし、第一中央汽船は、用船料減額などのコスト削減に加えて燃料安、円安が改善要因となったが、船隊が拡大した
ハンディサイズが市況低迷に直撃され、2015/3 期も赤字となった。2015 年 9 月 29 日、東京地裁に民事再生法の適
用を申請し受理された。
今後の事業展開のキーワードは『差別化』である。現状、海運市場は「コモディティ化」しており、船自体ではも
はや差別化できない。各社は、特殊なノウハウ・技術・経験と資金力が必要な事業や高度な船舶管理が求められる参
入障壁の高い部門で他社と差別化していく戦略である。重点ターゲットは LNG 船や海洋事業。また、
「海運+α」と
して、海上輸送だけでなく、陸上輸送・保管・通関などを含めたサービスの提供などを展開していく。
【主な海運会社の業績】(単位:百万円)・・・出典:各社「有価証券報告書」
(連結業績)
売上高
経常利益
2014/3
2015/3
日本郵船
1,897,101
2,237,239
2,401,820
17,736
58,424
84,010
18,896
33,049
47,591
商船三井
1,509,194
1,729,452
1,817,069
−28,568
54,985
51,330
−178,846
57,393
42,356
川崎汽船
1,134,771
1,224,126
1,352,421
28,589
32,454
48,980
10,669
16,642
26,818
131,379
153,665
157,625
2,529
8,920
10,380
−15,505
10,778
8,626
86,021
96,701
100,177
2,259
5,953
7,194
1,166
4,920
5,213
140,451
165,155
152,267
−18,563
−8,584
−13,966
−31,983
−15,429
−3,307
乾汽船
12,537
16,486
15,814
−1,108
−1,239
−1,045
−3,738
381
9,246
明治海運
22,884
28,152
31,941
2,766
6,856
5,601
542
1,414
2,447
NS ユナイテッド海運
飯野海運
第一中央汽船
2013/3
2014/3
当期利益
2013/3
2015/3
2013/3
2014/3
2015/3
【主な海運会社の第一四半期の業績】(単位:百万円)・・・出典:各社「有価証券報告書」
(連結業績)
売上高
25/4∼6
26/4∼6
経常利益
27/4∼6
当期利益
25/4∼6
26/4∼6
27/4∼6
25/4∼6
26/4∼6
27/4∼6
日本郵船
528,470
582,377
588,703
11,465
12,002
21,500
8,567
10,222
43,067
商船三井
411,924
443,913
449,435
15,291
7,543
10,892
12,941
8,512
12,783
川崎汽船
295,724
319,786
335,457
10,941
6,481
14,587
6,976
4,280
10,194
NS ユナイテッド海運
38,063
39,266
36,025
2,105
2,274
1,913
2,197
2,372
1,641
飯野海運
23,242
25,378
24,877
1,405
1,999
2,372
2,179
1,951
2,436
第一中央汽船
39,484
40,106
29,249
−3,524
−2,027
−5,663
−9,470
−2,521
−7,849
乾汽船
3,956
4,431
5,318
−469
−22
−674
−421
−835
−604
明治海運
6,078
7,044
8,397
3,175
41
1,761
1,180
67
1,810
32−109
【第一中央汽船】
第一中央汽船は主力のドライバルク部門の市況低迷で経営難に陥ったことから、2013 年に筆頭株主の商船三井から 300 億円と国内
船主2社から 14 億円の資本注入を受け、これに加えて取引先の船主、造船所、商社などから 130 億円の借入などの支援を得た。
(130
億円の内訳は、私募債 55 億円、長期借入金 65 億円、支払繰り延べ 10 億円など。)
同社は 2012 年 11 月 30 日に経営立て直しに向けた中期経営計画を発表し、商船三井、船主、造船所および金融機関などの協力を得
て資金繰りを安定させるとともに、収支改善策の一環として高額の用船契約の解約(返船)を進め、黒字化を目指していたが、2015
年 9 月 29 日、自力再建を断念し、民事再生法適用を申請した。
リーマン・ショック前に契約した割高な用船契約が負担となり、収益が悪化。2015 年 3 月期まで 4 年連続で純損失を計上していた
もので、中国の景気減速で石炭等の輸送量が減少したことも響いた。2 月に取引先の国内船主に用船契約の無償解除や用船料減額など
を要請したが、経営状況は改善できなかった。
【川崎汽船、22 年ぶり日本籍コンテナ船が竣工、日本籍船計 40 隻に】(出典:2015.08.28.海事プレス)
川崎汽船にとって竣工ベースで 22 年ぶりとなる日本籍コンテナ船の命名・竣工式が 24 日、今治造船広島工場で開催された。1 万
4000TEU 型シリーズで今年竣工の 5 隻のうちの 4 番船で、”まきなっく ぶりっじ”と命名された。同船により、川崎汽船が運行する
日本籍船は共有船を含め約 40 隻になった。日本籍船の確保を図る日本政府の方針に基づき、川汽は新造船と就航船の両面で日本籍船
の確保を進めている。
1985 年のプラザ合意後の急速な円高などによるコスト競争力の喪失から、日本の外航海運企業は船籍をパナマなどの便宜置籍国に
する傾向を加速化。一方で日本の経済安全保障の中核を担う日本籍船の確保に向け、日本政府は 2009 年にトン数標準税制を導入した。
川汽は日本政府の方針を受けて船隊整備を推進。今回、コンテナ船では 22 年ぶり、トン数標準税制導入後では初となる新造日本籍船
が竣工した。日本商船隊全体に占める日本籍船は、2009 年のトン数標準税制の導入を契機に増加に転じており、昨年 6 月末時点で前
年より 25 隻増の 184 隻となっている。川汽の日本籍船は 09 年に 16 隻だったが近年は増加し、今回で約 40 隻となった。
④ 中小船主(オーナー)の現状と今後の展望
中小船主(オーナー)は、海運バブル期に発注した高額の船舶の償還負担が重くのしかかっている。建造当初は高
い船価に見合う高い用船料を得られたので海運バブル崩壊後も当面の資金繰りに影響はなかったが、過年度の超円高
で各船の採算は悪化した。ここに来て円高是正が進み採算は回復したが、用船契約の更改と共に用船料は大幅に下落
し、円高是正のプラスを相殺しているといった状況である。高額船の償還負担は未だ資金繰りを圧迫している。しか
しながら、海運バブル期以前に建造した低船価の船が企業全体の資金繰りをカバーしている。(または、海運バブル
期に高額で売船した余剰金がストックされている。
)
現状、海運市況は低迷しており、特に、ドライ市況は過去最安値に落ち込み、バルカーの新規需要は減退している
が、タンカー市況については、リーマン・ショック後にほとんど発注がなかった LPG 船やケミカルタンカーは供給
調整機能が働いて市況は回復してきている。
【瀬戸内の船主の金融環境】
リーマン・ショック後の瀬戸内地域の船主(オーナー)の資金調達面は、国内の金融機関が船主向け融資を引き締めている影響で厳
しくなっていた。融資引き締めの背景には、①世界的な景気低迷と金融不安、②船舶経費(船員費、潤滑油費、修繕費等)の上昇(収
支の悪化)、③為替の円高(超円高は是正されたが十分ではない)
、④海運市況の低迷(船腹過剰)と先行き不透明感、⑤中古船価格の
低下(高値売船の当てがはずれ、資金計画が狂う)、⑥先納期(竣工=貸出は 2 年以上先で金融機関の業績に直結しない)、⑦新たな貸
出余力が乏しい(これまで船舶融資を積み上げてきている)
、⑧後継者・相続問題(含み資産が多く、多額の相続税がかかる)などが
あった。
外航海運市況の影響は直接的にはオペレーターの収支に影響するため、船主に与える影響は少ないが、金融機関の審査基準は厳格化
されていた。むしろ、船主固有の事情(経営体力、財務内容、収支実績等)に着目して案件を審査していた。ただし、各船主は過去に
中古船市況の高騰を享受し、高値で所有船を売り抜き多額の売船益=現預金を手にして企業体力は格段に向上しているし、有力オペレ
ーターとの定期用船契約に基づく安定収入を確保しているので、特に不安はなかった。
【国内船主、船隊増強に壁、愛媛の保有船、激減の予想も】
(出典:2015.02.19.海事プレス)
「今は船隊を増やすのが非常に難しい時代」
(大手船主)。国内船主(船舶オーナー)が船隊増強に苦戦している。円安や低金利、金
融機関の積極融資姿勢などで投資環境は悪くないが、主力とするバルカーではドライバルク市況の暴落を受けて国内外のオペレーター
が新造整備を抑制。新規投資が難しさを増している。愛媛船主の船隊は現在の約 1000 隻から大幅に減少するとの予想もあり、船隊縮
小が現実化すれば関連業界にも大きな影響を与えそうだ。
「愛媛船主の船隊は現在の約 1000 隻から、最悪のケースで 700 隻くらいに激減してもおかしくはない。」
こう指摘する大手船主は続けて「バラスト水処理装置の搭載義務化を前にして船主は売船を志向しているが、省エネ船への新規投資
が進まない。邦船大手3社がバルカー投資を抑制し、バルカー主体の第一中央汽船や三光汽船といった中堅オペレーターもかつての元
気がない。海外オペだけでは需要を満たせない。今は船隊を増やすのが非常に難しい時代」と話す。
【国内船主
成長に壁<上>/バルカー最適化モデルに限界】(出典:2015.04.14.海事プレス)
国内船主の根幹をなす自己資金力と船舶管理能力。その能力はバルカー保有に最適化されていることが多い。ドライ市況が過去最安
値に落ち込み、バルカーの新造需要が”消滅”した現在、従来のビジネスモデルが通用しにくくなっている。資金と船舶管理の両面から
船主の手には余る LNG 船や大型コンテナ船の需要が拡大し、オペレーターの用船期間短期化は従来の少額自己資金モデルを揺さぶる。
一般投資家など競合相手も台頭してきた。存在感をどう発揮していき、成長していくのか。国内船主は新たなビジネスモデルの構築を
迫られている。
【国内船主
成長に壁<中>/用船短期化で資金力勝負に】
(出典:2015.04.15.海事プレス)
バルカーの建造を望む国内船主に対して、邦船社は LNG 船や海洋への投資に舵を切っている。こうした需要のミスマッチが船主の
新造投資を停滞させているが、船主が建造しにくい理由はそれだけではない。
バルカーの用船契約で進む期間の短縮化。このトレンドも船主に従来型モデルの転換を迫っている。邦船のドライバルク部門の多く
33−109
は、長期固定船腹(自社船と長期用船)が長期輸送契約を上回っている。その差(エクスポージャー)が過去 3 年間の市況低迷で巨額
の逆ザヤになった。それだけに「長期固定船腹の削減、中短期用船の増加が今後の基調」(邦船関係者)になるのは間違いない。
【国内船主
成長に壁<下>/ライバル台頭、競争激しく】
(出典:2015.04.16.海事プレス)
船舶の保有主体が多様化していること、つまり「競合相手」の台頭も国内船主には逆風になっている。ファンドなど一般投資家が船
舶投資に目を向け始めた。商社やリースなど金融機関も船舶保有事業を拡大している。また、邦船社は海外船主起用への抵抗感が薄れ、
短期用船などで海外との取引を増やしている。
国内船主は少額の自己資金によるハイ・レバレッジ投資で船隊を拡大してきた。金融機関の理解があり、邦船を中心に信用力のある
オペレーターから長期用船を獲得できたからだ。しかし、用船期間が短期化してくると少額建造は難しくなる。リーマン・ショック後
の船主不況の反省を踏まえ、金融機関も少額資金を許容できるのは一部の大手船主だけだ。LNG 船、大型コンテナ船への投資には、
従来とはケタが違う自己資金が求められる。
こうした環境で登場してきたのが投資家だ。「伝統的な国内船主と邦船オペレーター、日本造船所の関係は今後も変わらないだろう
が、すそ野では船主の顔触れが年々多様化してきている」
(金融関係者)。一般投資家の資金力は抜群だ。遊技場の運営会社や健康食品
会社などの異業種企業が税務メリットを求め、償却資産の船舶を購入している。また投資しやすい小口商品も開発されており、「一口
数千万円など小口の船舶投資商品もあり、投資家が購入している」
(同)という。
海運市場に外部マネーが流入しているのは世界的な現象。昨年前半までの新造船建造のミニブームはファンド勢が演出した。従来、
海運不況期には船主の資金力が低下し、発注量が激減する需給調整機能が働いたが、反対にファンド勢は不況下の低船価に着目。潤沢
な資金を持つ世界中の投資家が運用難に陥っている事情を背景に、ファンドなど外部マネーと船舶が結び付き始めたのだ。
(4) 近年の海運市況と経営環境
2003 年後半から始まった中国の自由貿易による輸入拡大に伴い海運市況は「100 年に一度」といわれる未曾有の
活況を呈したが、2008 年 9 月のサブプライムローン問題に端を発したリーマン・ショック(リーマンブラザーズ証券
の破綻)による金融収縮・市場経済の低下により海運市況は暴落した。その後も船腹過剰により市況は低迷している。
新造船・中古船価格や運賃・用船料は大幅に下落した。
「山が高かっただけに谷は深い」といった状況である。
① ドライ市況
ドライ市況(外航船の乾貨物の市況)は 2003 年後半から上昇に転じ、2008 年 6 月にはBDI(Baltic Dry Index
=1985 年の平均値を 1,000 としたドライ貨物の運賃指数)は史上最高水準の 11,793 Point を記録したが、7 月以降
に下落基調に転じ、その後、9 月のリーマン・ショックなどにより海運市況は暴落した。2008 年 12 月 5 日にはBD
Iは 663 Point まで下落した。以降、海運市況は暫く低迷していたが、2009 年 4 月∼5 月にケープサイズが急回復し、
同年秋以降はパナマックスやハンディ・バルカーも再び上昇した。しかし、ドライ市況はブーム期に発注された大量
の新造船の竣工や中国など新興国向けの荷動きの鈍化などで 2010 年後半から軟化し、2012 年 2 月には BDI は 25 年
振りの低水準となる 647 Point まで下がった。以来、海運市況はケープサイズを中心として低水準で推移してきた。
※2003 年秋から始まったドライブームは 2010 年秋をもって終焉したというのが一般的な見方である。
現状は、世界を牽引してきた中国経済にかげりが見え、景気回復基調にあるとはいえ日本の貿易量は微増、米国も
景気回復基調にあるも十分ではなく、欧州では債務危機・金融不安が燻り、ギリシャ問題などの影響もあって低成長
で、世界全体の海上荷動きは微増に留まっている。一方で海運バブル期に大量に竣工した新造船が需給バランスを崩
す結果となり、運賃・用船料市況が低迷している。一言でいえば「供給過剰」
「造り過ぎ」である。海運各社は「減速
航海」などで船腹調整を行っているが船腹過剰は解消されない。
2015 年 9 月 30 日現在、BDI は 900 Point となっている(BDI は 1985 年の年間運賃指数を 1,000 としてドライ市
況の指数である)。2014 年の平均は 1,103Point であった(2014 年 5 月に入ってから 1,000 を割り込み、9 月に
1,000Point を超えた)。2014 年 12 月に 1,000Point をきり、ついに、2015 年 2 月 18 日、過去最低の 509Point とな
った。この時期を底として、BDI は上昇し、8 月の平均は 1,066Point をつけたが、8 月 21 日再度 1,000Point をきり、
9 月の平均は 889Point となっている。
【バルカー新造発注の減速感鮮明、7 月以降は計 110 隻規模に留まる】(出典:2014.10.9.海事プレス)
バルカーの新造発注が減速している。新造船の新規制「改正騒音コード」(騒音規制)が適用された 7 月以降は、規制前の駆け込み
の反動減などで減少。本紙集計によると、7 月以降に表面化した成約は、確定分で 110 隻規模にとどまり、昨年や今年前半のペースと
比べて大幅に減少した。特に、これまで発注を牽引してきた 6 万重量トン超の発注が減少している。
現在の新造船市場は、これまで新造船発注を牽引してきた海外船主に警戒感が広がっているうえ、多くの造船所が当面の手持ち工事
を確保し、無理に商談を進めなければいけない状況にもない。
騒音規制への対応が難しいとされる小型船に比べると、ケープサイズをはじめとした大型船はエンジンと居室の距離が遠いうえ、ス
ペースに余裕があり、対応も容易になる見込みだ。また、用船市況の上昇や一定のリプレース需要が今後見込まれている。現在受注が
表面化しているのは中国造船所が中心だが、日本の造船所もケープサイズなど大型バルカーのエコシップ化を進めており、ラインナッ
プを充実させている。一方、ハンディサイズ・バルカーなどの小型船は規制への対応が見えるまで商談を進めづらい状況が続きそうだ。
【ドライ市況、荷動き好調も予想外の低迷、中国連休明け正念場】(出典:2014.10.10.海事プレス)
バルカーの用船市況が、秋の需要期に入ったにも関わらず伸び悩んでいる。ケープサイズの主要航路平均用船料の 9 月の平均値は、
前年同月と比べて約 5 割安かった。ドライ市況は船腹需給の改善で今秋は好調が予想されていたが、ここまでは予想を大幅に下回る水
準で推移している。ただ「荷動きに何か異変が起こっているわけではなく、ファンダメンタルズから見て市況はいつ上昇してもおかし
くない」
(邦船関係者)と、マーケットでは先高観が依然強い。商談が停滞する中国の大型連休(10 月 1 日∼7 日)が明けた今後のマ
ーケットが注目されている。
34−109
ドライ市況は、これまでも悪天候や経済大変動など突発的な事象によって予想外の動きをすることがあった。今年のドライ市況は原
因不明の低迷というかつてない状況に直面している。ドライ市況は、季節的な荷動きの変動で秋から年末にかけて上昇し、年明けに下
落する傾向がある。昨年も前半低迷したが秋に入り急騰した。今年の秋は昨年を上回る好調が予想されていた。今年の中国の鉄鉱石輸
入量が前年比 2 割近い高い伸びを見せる一方で、ケープサイズの船腹量はこの間に前年比 3%しか増えておらず、需給ギャップがさら
に改善しているからだ。
【バンカー、4 年ぶり 500 ドル割れ、船社業績押し上げ】(出典:2014.10.15.海事プレス)
船舶燃料油(バンカー)価格が急落している。指標となるシンガポール積み 380CST 油価格は 13 日にトン当たり 498 ドルとなり、
2010 年 12 月以来ほぼ 4 年ぶりに 500 ドルを割り込んだ。バンカーは船社(オペレーター)の運航経費の大半を占める。邦船大手 3
社(日本郵船、商船三井、川崎汽船)の 2014 年度下期のバンカー価格前提はトン当たり 620∼621 ドル。下期のバンカー価格が平均
500 ドルで推移してとすると、単純計算で 3 社の経常利益を従来予想比で計 300 億円押し上げる。
バンカー価格は原油価格とほぼ連動しており、原油価格の急落を受けてバンカー価格も大幅に値下がりしている。シンガポール積み
380 CST 油価格は、8 月までトン当たり 600 ドル前後で推移していたが、9 月以降下落に転じ、10 月に入り下げがさらに加速した。
バンカー安は、一方で進む為替の円安と相まって邦船社の今期業績を押し上げる。
バンカー価格は 2004 年までトン当たり 100 ドル台だったが、エネルギー需要増加に伴う原油価格高騰で 05 年以降上昇し、ピーク
時には 800 ドルに迫った。リーマン・ショック後 200 ドル台に急落したが、再び上昇に転じ、近年は 600 ドル台が定着していた。
【海運決算、郵船・川汽が上期増益、市況低迷を円安・燃料安が補う】(出典:2014.11.4.海事プレス)
主要邦船社が 10 月 31 日に発表した 2014 年 4∼9 月期業績は、ドライバルク市況の下振れが逆風となったが、為替の円安進行とバ
ンカー安、コスト削減などでこれを補う格好になった。経常利益は日本郵船が前年同期比 43%増の 367 億円、川崎汽船が 29%増の
259 億円。商船三井は 43%減の 146 億円で、3 社中で唯一赤字だったコンテナ船部門が影響した。郵船は通期経常益予想を 657 億円
に情報修正し、商船三井は 500 億円、川汽は 340 億円の従来予想を据え置いた。不定期船専業の準大手は、NS ユナイテッド海運と飯
野海運が 4∼9 月に前年同期比増益を達成し、通期予想を上方修正。第一中央は赤字が続き、通期経常損益予想を 66 億円の赤字に大
幅に下方修正した。円安とバンカー安が急速に進んだため、各社の下期の前提は足元の水準と比べて堅めの数字になっており、下期業
績の上振れが期待されている。
【BDI の推移】※数値は各月の平均値
8月
9月
2008 年
1月
7,170
2月
6,874
3月
8,063
4月
8,287
5月
10,841
6月
10,245
7月
8,936
7,403
4,975
10 月
1,808
11 月
819
12 月
743
2009 年
900
1,816
1,958
1,659
2,540
3,823
3,362
2,685
2,351
2,746
3,941
3,572
2010 年
3,168
2,678
3,207
3,043
3,838
3,088
1,910
2,432
2,719
2,693
2,321
2,031
2011 年
1,401
1,181
1,490
1,343
1,352
1,433
1,366
1,387
1,840
2,072
1,835
1,869
2012 年
1,039
703
859
1,021
1,101
937
1,056
761
707
952
1,025
856
2013 年
771
745
876
873
851
941
1,123
1,088
1,681
1,883
1,559
2,178
2014 年
1,472
1,140
1,484
1,045
991
912
796
937
1,123
1,101
1,332
910
2015 年
725
539
576
591
597
699
975
1,066
889
12,000
10,000
8,000
6,000
4,000
2,000
0
2002/9/3
2003/2/26
2003/8/19
2004/2/12
2004/8/4
2005/1/28
2005/7/21
2006/1/16
2006/7/7
2007/1/2
2007/6/25
2007/12/11 2008/6/10
2008/11/26 2009/5/27
2009/11/12 2010/5/12
2010/10/29 2011/4/28
2011/10/19 2012/4/16
2012/10/5
2013/4/3
2013/9/23
2014/3/18
2014/9/9
2015/3/4
2015/8/25
【2008 年市況下落要因】
2008 年のドライ市況(スポット)下落の要因は、①2008 年 7 月から始まった北京オリンピック・パラリンピック前後の中国の一時
的な生産活動の低下、②ブラジルおよび豪州の鉄鉱石の一時的な出荷停滞(価格交渉のための出し渋り)、③ブラジル・豪州の積出港
の荷役能力向上による沖待ち(滞船)の緩和、④世界経済の悪化に伴う実需のかげり、⑤金融不安による信用収縮、⑥2010 年問題、
などが挙げられる。
【2010 年バルカー竣工の減少要因】
2010 年問題とは、ケープサイズを中心としたバルカーの大量竣工によって船腹過剰となり、2010 年にドライ市況が大幅に下落する
ことを懸念したものであった。しかし 2010 年問題については、2008 年のリーマン・ショックなどによる金融不安および世界経済の低
迷などで 2008 年頃から前倒しで(船腹過剰・市況下落が)顕在化し、バルカーの大量竣工はある程度抑制された。
(計画に比して)バルカーの竣工量を押し下げた要因は、①新興造船所問題(納期遅れやキャンセル)、②信用収縮による金融機関
の貸出の引き締め・審査の厳格化(船舶建造資金の調達難)、③ドライ市況下落による船主の弱気心理(今後の先行き不安)、④運航コ
スト(燃料費、船員費、修繕費など)の高騰による C/F の低下、⑤日本の船主に限っては円高による収支・資金繰りの悪化、などが
挙げられている。
【夏枯れと干ばつの影響】
ドライ市況は例年、北半球と南半球の穀物出荷の端境期に荷動きが一時的に減少(南米出し穀物は 4∼5 月にピークに達し 6 月以降
減少)する。また、インドがモンスーン期に入る夏場に低迷する。これを「夏枯れ」と呼んでいる。そして秋口には北半球の穀物出荷
35−109
が始まり市況は上昇してくる。
2012 年はアメリカが過去 56 年間で最悪の干ばつに見舞われ、穀物出荷が大幅に減少、穀物輸送を主とする中小型バルカー市況に影
響があった。一方で、北米出しの穀物が減って南米出しが増えればトンマイルが伸びるので市況を下支えする要因にもなる。
市場では特に天候要因が大きなリスクとして意識されている。過去には豪州の豪雨の影響で石炭・鉄鉱石等の積み出しが一時的に停
滞しマーケットの下落を招いたこともあった。
【円安進行、中古船市場を刺激、海外勢は日本船主の売船増加期待】(出典:2014.10.9.海事プレス)
9 月以降急速に進んだ対ドル為替レートの円安は、日本船主が最大の売り手である中古船マーケットの活発化を後押ししそうだ。売
買隻数が最も多い中小型バルカーのドル建て中古船価は、用船マーケットの低迷を受けて 4 月以降 2 割前後下落している。この1ヵ月
の円安進行による円建て船価の上昇はその半分にも満たないが、「中古船価の春以降の下落を受けて売船を先送りしてきた船主が、円
安で売船を決断する動きが出てくるのではないか」(中古船ブローカー)との見方がある。
海外勢は現在の中古船マーケットを底と見ており、円安によって日本船主から多くの売り物が出ることを期待している。燃費などの
性能が高い日本建造船は中古船市場で人気が高い。
バルカーの中古船価格は 2010 年以降下落基調で推移していたが、用船市況の回復期待から 13 年に上昇に転じた。しかし、用船市
況が今年春以降低迷したことで中古船価格も下落。現在は下げ止まっているが、再び上昇に転じるには用船市況の回復が必須条件にな
る。
【ドライ市況、史上最安値に並ぶ、信用不安高まる】(出典:2015.02.12.海事プレス)
ドライ全船型の運賃・用船料指数である BDI(ボルチック・ドライ・インデックス)の 9 日付が 554 となり、1986 年 7 月に記録し
た史上最安値(553.3)にほぼ並んだ。現在、ケープサイズからハンディサイズまでの全船型でスポット用船料が 3000∼6000 ドル台
に低迷。ドライ主力オペレーターの業績は軒並み悪化しており、マーケットでは契約先の信用リスクへの警戒感が高まっている。邦船
大手はドライバルク部門で追加の構造改革を行う方針。
【バルカー中古船価、中国ショックが回復基調に冷や水】(出典:2015.09.08.海事プレス)
“中国ショック”が中古船マーケットにも波及している。バルカー中古船価は大型船を中心に持ち直しの動きを見せていたが、市場関
係者によると、中国の株価暴落後に多くの売買船商談が棚上げされ、船価も軟化基調に転じた。中古バルカーの買い手として台頭した
中国バイヤーも、同国の金融情勢悪化などを受けて買船活動を縮小しているという。ケープサイズの中古船価については回復基調は崩
れておらず、今後の用船マーケット次第で上昇に転じるとの見方もある。
【VW 不正問題、邦船社、自動車船への影響注視】(出典:2015.09.25.海事プレス)
独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)が排ガス規制を逃れるために不正なソフトウェアを搭載していたことが明らかになった問
題で、自動車船関係者は完成車海上輸送台数への影響を注視している。VW の生産台数は年間約 1000 万台で、完成車海上輸送台数は、
欧州近海を除いた遠洋航路(ディープシー)で 150 万台前後とみられる。邦船社の自動車船担当者によると、今のところ船積みのキャ
ンセルなどの影響は出ていないが、「VW の北米の販売が今後落ちるようなことになれば大西洋トレードを中心に荷量に影響が出る可
能性がある」
(邦船関係者)との懸念もある。
VW の完成車の海上輸送は、欧州から北米、アジア向けがメーンで、メキシコ、インドなど国外工場からも輸出している。特にメキ
シコ工場からの輸出が多く。14 年は同国から約 40 万台輸出した。日本自動車輸入組合の集計によると、2014 年度の日本の VW 車の
輸入台数は 6 万 2439 台で、輸入車の 19%を占めている。
邦船関係者は「仮に VW の販売が落ちたとしても、日系などほかのメーカーが好調な北米市場で取って代わる可能性もあり、現時点
では海上輸送への影響は全く見えない」としている。
※フォルクスワーゲン(VW)・・・ドイツ軍政下の 1937 年に国営企業として発足し、60 年代に民営化した。初代タイプ 1(通称
「ビートル」
)は後にポルシェを創業したフェルディナント・ポルシェ博士が開発した。主力車種は「ゴルフ」や「パサート」
で、傘下にアウディやポルシェなど 12 ブランドを持つ。2014 年の世界販売は 1014 万台、純利益は 108 億ユーロ(約 1 兆 4500
億円)
。ポルシェ家が 50%強、独ニーダーザクセン州が 20%の株式を持つ。
② タンカー市況
ドライ市況が低迷する中、タンカー市況は回復している。リーマン・ショック前の 2008 年は、タンカー市況が高
騰していたことや新興国を中心として将来的に荷動きが増加する見通しから新造船発注が急増し、大量の発注残が積
み上がった。リーマン・ショック後は荷動きが大きく落ち込んだが、新造船は契約通りに竣工し、大きな需給ギャッ
プが生じた結果、各船種ともどん底に陥った。
2011 年、中国の原油輸入量の増加等の要因もあり、回復の兆しが見えてきた。2013 年頃からはプロダクト船市況
が回復。2014 年頃からは原油価格の下落等で需要が伸び、VLCC も回復。シュール革命の恩恵を受けた大型 LPG 船
(VLGC)の市況は一段落したがなお堅調である。また、リーマン・ショック後にほとんど発注がなかった中型・小
型 LPG 船やケミカルタンカーも供給調整機能が働いて市況は回復してきている。
【新造商談、H-CSR 適用前で明暗、タンカー発注ラッシュ、バルカー不調】(出典:2015.06.22.海事プレス)
今年の新造商談は船種で明暗がわかれている。新規制の新共通構造規則(調和化船体構造規則、H-CSR)の適用まで残すところ 1 週
間あまりとなったが、期待されていた新規制前の駆け込み契約は、バルカーが年初の想定を大きく下回る一方、タンカーは発注ラッシ
ュを迎えている。ドライバルク市況の低迷から、バルカー新造に対する船主の慎重姿勢は変わらなかったようだ。今年後半の商談は窒
素酸化物(NOx)3 次規制の影響もあるが、新規制発効前の駆け込みは「バルカー以外の船種が中心になるのでは」との見方も多くな
ってきている。
「バルカーの建造契約にサインする姿もあまり見受けられなかった」。今月初旬のノルウェーの国際海事展「ノルシッピング 2015」
に参加した造船所関係者はそう振り返った。昨年のギリシャの海事展ポシドニアでは、船内騒音規制の適用を前に、造船所と船主が新
造船の契約調印を急ぐ姿が多数あったが、今年のノルシップは「バルカーは納期延期の念押しなど後ろ向きな話が中心だった」(造船
所関係者)。
来月以降の契約船から国際船級協会連合(IACS)の H-CSR が適用される。長さ 150m のタンカーと同 90m 以上のバルカーが対象
36−109
で、基準を満たすためには鋼材重量の増加が不可避で、建造コストが増加する。船型などによって違いはあるが、H-CSR 適用に伴う
鋼材の増加分は 100 万ドル程度にのぼるとみられている。このため、年初の段階では「駆け込みがあるだろう」と予想する関係者が多
く、造船所は船主に対して規制適用前での発注をこれまで提案してきた。
ここまでバルカーの駆け込み契約は「ゼロではないが、当初の期待とは大きくかけ離れている」(造船所営業役員)という。多くの
船主がドライバルク市況の低迷などの影響からバルカー発注に対して慎重な姿勢を崩さず、商談は停滞したままだ。「ノルシップでも
バルカーの話はほとんど出なかった」
(造船所関係者)。また、新規制対応前のデザインで船台を売り切ってしまいたい、という思惑か
ら一部の造船所は強気の船価を提示していたが、「それでも成約まで至った件数は多くなかったようだ」(造船所営業幹部)
。
バルカーの駆け込みが不発に終わる見通しの一方、VLCC やスエズマックス、アフラマックスなどのタンカーは発注ラッシュの様相
を呈している。とりわけ海洋案件の低迷で商船に回帰している韓国造船所が欧州船主から相次いで受注している。「タンカーは足元の
用船市況が好調なので、船主も期近の納期を求めている」
(造船所営業担当役員)。日本の造船所に比べて韓国造船所は期近の納期に余
裕もあったことから受注攻勢をかけていたようだ。
日本国内の造船所でもタンカーのデザインを持つ造船所は、VLCC やアフラマックスなどを受注につなげている。タンカー専業の住
友重機械のほか、バルカー主力の造船所もタンカーの受注に軸足を移し、営業活動を展開してきた。また、ここ数年バルカーに特化し
てきた造船所の中にもタンカーでの営業を模索した造船所も複数あった。ただ、設計陣の不足などの事情から規制適用前での営業に間
に合わず、タンカー再開を見送った造船所もある。
バルカーとタンカーではっきり明暗がわかれた今年前半の新造商談。後半の商談では、来年 1 月の起工船から適用される NOx3 次規
制の影響もあり、規制前の駆け込みを見込む声もあるが、ドライ市況に回復の兆しは見えず、「新造商談もバルカー以外の船種が中心
になるのではないか」との見方が強くなっている。
【イラン制裁解除で、原油船の輸送需要増加に期待】(出典:2015.07.16.海事プレス)
イランと欧米など 6 カ国による核協議合意を受けて、
対イラン経済制裁が解除されれば VLCC など原油船の輸送需要増加につながり
そうだ。イラン原油の輸出増加、原油価格下落によるトレード喚起が見込まれるため。一方、船腹供給面ではイラン船社が原油備蓄に
投入している VLCC がリリースされると供給増につながる。海運関係者は原油船市況への影響を注視する。
海運ブローカーのギブソンは最近のレポートで「(制裁が)解除されたらイランは(原油)輸出を制裁前の水準に戻そうと努めるだ
ろう。特に欧州とアジアで市場シェア奪還を目指す」と見通した。
海運関係者は制裁解除によるタンカー市況への影響を注視する。
「イランの原油生産、輸出の増加が見込まれ、短期的にはイランが
洋上で備蓄している原油が市場に供給されるのではないか。原油価格の下落、中国・インド・東南アジア諸国などの購買増につながる
と、タンカー市況にはプラス」
(邦船関係者)と期待する。ギブソンによると原油とコンデンセートを合わせて約 4200 万バレルがイラ
ンに洋上備蓄されているという。
【出光興産と昭和シェル経営統合へ、VLCC20 隻規模、輸送体制は】(出典:2015.08.03.海事プレス)
出光興産と昭和シェル石油が経営統合に向けて本格的な協議に入った。原油輸入は傘下の海運子会社を通じて輸送体制を構築してお
(両社広報部門)になり、
り、両社船隊を合わせると 22 隻程度になるようだ。統合後の輸送体制や船腹調達は具体的には「今後の協議」
海運関係者の関心を集める。
2 社は 7 月 30 日に出光興産が英蘭系オイルメジャーのロイヤル・ダッチ・シェルの子会社から昭和シェル石油の株式 33.3%(議決
権比率)を取得すると発表。株式譲渡は 2016 年上半期を予定する。これを機に、出光と昭和シェルは経営統合に向けて協議を本格化
させる。
石油などの輸送体制にどのような影響を及ぼすか海運関係者は注視する。邦船社にとって主要荷主である石油業界の再編の度に常に
注目されるのが、統合による輸送面の効率化、合理化だからだ。
【船社、イラン制裁解除へ準備、一部で貨物引き受け開始か】(出典:2015.08.05.海事プレス)
イランに対する米国、EU の経済制裁解除に向けて、各船社は同国関連貨物の輸送開始に向けた準備に着手している。海運業界関係
者によると、韓国、中国などの一部の船社はすでにイラン関連貨物の引き受けを開始したもようだ。ただ、邦船社では「制裁解除目前
(邦船関係者)といい、初動で韓国、中国
の貨物の引き受けは、P&I 保険、船体保険などが厳しく規制されているため容易ではない」
船社などに差が付く可能性もある。
イランに対する米国、EU の経済制裁解除は、今年 7 月 14 日に合意された共同包括行動計画(JCPOA)に基づいて実行される。6~9
カ月間の経過観察後、イランが JCPOA を順守していることを確認した上で経済制裁を解除するという段取りになっており、解除日
(Implementation day)は今年末か来年初めといわれている。制裁解除の対象は、資産凍結、渡航規制、原油、海上輸送、金融、保険
などに対する制裁措置が含まれる。ただしイランが JCPOA の義務を履行しない場合には制裁が再発動される。
日本船主責任相互保険組合(ジャパン P&I)とノートン・ローズ・フルブライトがこのほどまとめた海運業界に関連する制裁概要一
覧では「Implementation day までは現在のイランに対する制裁は引き続き有効であり、イランとの取引を行う際には注意が必要」と
している。
【新造船市場、中型タンカーの需要衰えず】(出典:2015.09.28.海事プレス)
新造船市場では中型タンカーの需要が引き続き好調だ。スエズマックスやアフラマックス・タンカーは、新共通構造規則(調和化船
体構造規則:H-CSR)の適用を背景に今年 6 月末までに一定の発注量があったが、規制が適用された 7 月以降も新造成約が相次いでい
るほか、水面下で進んでいる商談もある。本紙集計によると、今年 1 月以降に表面化した中型タンカーの新造発注は、スエズマックス
が確定分だけで 43 隻、アフラマックスが 37 隻で、昨年実績を上回ることが確実な情勢となっている。韓国造船所に加え、デザインを
持つ日本国内の造船所も海外の友好船主向けを中心に受注していく格好のようだ。
ギリシャを中心とした海外船主が、年初からスエズマックスやアフラマックス・タンカーを相次いで発注していたが、来年 1 月の起
工船から適用される NOx(窒素酸化物)3 次規制を目前に控え、中型タンカーの商談が再び加速しているようだ。スエズマックスでは
現代重工業、大宇造船海洋などが受注攻勢をかけており、45 隻規模の発注があった昨年を上回る見通し。ここ数年では 2006 年に 83
隻、2010 年に 58 隻を記録しており、年間の発注隻数は 2010 年に匹敵する可能性もありそうだ。また、アフラマックスは、LRⅡ型プ
ロダクト船を除くと、ここ数年発注が低迷しており、原油仕様のタンカーは既に昨年の水準を超え、リーマン・ショック以降で最高水
準になる。
韓国造船所だけでなく、日本国内の造船所も中型タンカーを受注している。アフラマックスに特化している住友重機械工業のほか、
37−109
名村造船所グループ、常石造船が 6 月末までにアフラマックスを受注したことが表面化しており、7 月以降も水面下で商談を進めてい
るもよう。このほかにも複数の造船所が中型タンカーの商談に意欲的な姿勢を見せている。バルカーの新造商談が低迷していることも
あり、中型タンカーのデザインを持つ造船所は 7 月以降も商談を進めているようだ。
また、海外船主には好調な用船市況や発注残比率の低さを見込んで発注に踏み切っている船主のほか、リプレースの時期を迎えてい
る船主もいる。「かつて建造した実績のある海外顧客から引き合いが寄せられている」(国内造船所関係者)。かつては重工系や専業造
船所など日本国内の多くの造船所でも中型タンカーを建造した実績があり、引き合いが寄せられている造船所も多い。年内に複数の商
談がまとまる可能性もありそうだ。
③ コンテナ市況
2000 年代に入り欧州航路を中心にコンテナ船の大型化が進んだ。大型化の要因は貨物量の増大はもとより、原油価格
が 2008 年に 1 バレル 100 ドルを超え、運航コストに占める燃料費の割合が急増、船社間の競争もあり、大型化によるユ
ニットコストの削減が求められるようになったため。もう一つの要因は、中国をはじめとした東アジアの巨大市場の誕
生である。大量の荷動きに対応するため、マースクをはじめとした欧州勢がいち早く大型化にシフトしてきた。
2014 年のマーケット状況は、主要航路である欧州・北米を中心に年間を通じて概ね良好で、燃料価格の下落も大きく
寄与した。欧州航路については、2014 年は量的緩和政策もあり好況であったが、2015 年に入り一転マイナスに転じた。
大型船の就航が相次ぎ、スペースの増加が荷動きを上回る状況となっている。また、欧州はギリシャの債務問題等も抱
えており明るい見通しが立てられない状況が続いている。
【コンテナ船待機、175 隻・48 万 TEU で今年最高】(出典:2015.09.03.海事プレス)
待機状態にあるコンテナ船の隻数が今年に入って最も高い水準に達している。フランスの海事コンサルタント、アルファライナーの
調査によると、8 月 24 日時点での待機船隻数は 175 隻・船腹量換算で 48 万 4000TEU となり、2 週間前と比較して約 10 万 TEU 増加
した。特に 1000∼2000TEU 型船での待機船増加が顕著で、主としてアジア域内航路の荷動き需要が 7 月以降大幅に鈍化したことが背
景にあるとしている。
アルファライナーの今回の調査では、2000∼3000TEU クラスの船型を除き、全船型で待機船隻数が増加した。8 月 24 日時点での待
機船隻数は、500∼999TEU 型船が 50 隻と最も多く、1000∼1999TEU 型が 48 隻、2000∼2999TEU 型が 28 隻、3000∼5099TEU 型
が 17 隻、5100∼7499TEU 型が 23 隻、7500TEU 以上が 9 隻。2000∼3000TEU 型船のみ、前回集計時から待機船隻数が減少したが、
これはアジアや大西洋およびカリブ海地域などでの需要増によるもの。
これに対し、1000∼2000TEU 型船では過去 11 カ月間で待機船隻数が最高に達している。今年前半は、燃料油価格の大幅な下落に
より多くの船社が新規サービスを開設。アルファライナーによると、今年上半期の新規サービス数は 35 ルートにのぼった。しかし人
民元の切り下げに伴うアジア各国の為替の混乱が荷動き需要のさらなる鈍化を招いており、今後アジア域内航路のうち供給過多となっ
ているいくつかのサービスは数カ月以内の休止に追い込まれる可能性がある。また、アジア/欧州航路の荷動きが冴えないことで、大型
船でも待機船が増加している。
④ 新造船価格と中古船価格の変動
海運バブル期には、海運市況の高騰に比例して新造船価格と中古船価格は上昇した。市況好調時は、荷動きの増加
に伴い船腹需要は旺盛となるが、竣工までに 3∼4 年を要する新造船では間に合わないので、必然的に、買ってすぐ
に使える中古船の価値が上昇していた。
しかし、2010 年頃から海運市況の下落に合せて新造船価格と中古船価格は下落してきている。運賃・用船料が下落
すると当然に船主の収支も低下するので、C/F から逆算して適正な船価まで新造船価格と中古船価格が下落する。
【新造船、中古船、用船料の推移】(単位:船価
2002 年
新造船価格(パナマックス型)
〃
(ケープサイズ型)
中古船価格(パナマックス型)船齢 10 年
百万ドル、用船料 ドル/Daily)※数値は目安です
2005 年
2008 年
2010 年
2013 年
2014 年
2015 年 7 月
20.5
35.2
53.5
35.3
26.7
29.8
27.1
35.1
61.6
95.5
57.9
46.3
50.7
46.1
16.4
10.8
31.9
59.9
29.3
18.1
20.4
(ケープサイズ型)船齢 10 年
18.3
32.0
101.2
40.9
21.2
24.6
17.6
用船料価格(パナマックス型)期間 1 年
9,100
27,855
50,850
25,317
9,275
10,233
7,471
13,600
49,335
116,175
40,308
12,858
17,292
9,671
〃
〃
(ケープサイズ型)期間 1 年
【新造船価格の推移】(単位:百万ドル)
100.0
90.0
80.0
70.0
28型
60.0
55型
50.0
40.0
75型
30.0
170型
20.0
10.0
0.0
1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年
【2014 年問題】
2014 年問題とは、日本の造船会社の新規受注が激減し、
「2014 年には受注残がなくなる懸念がある」ということをいう。海運バブル
期に発注された船舶が大量に竣工した結果、船腹過剰により海運市況は低迷し、新規発注が激減するとの見通しから、「2014 年頃には
38−109
造る船が無くなる」のではないかと不安視されていたものである。また、日本の船主も過年度の円高等で業績が悪化し、体力を消耗し
ているので新規の受注はあまり期待できず、造船各社の受注残が 2014 年に底を付く恐れがあるということであった。
これに対し造船各社は、現状の受注契約の引延し(操業をダウンし納期を先延ばし)等で操業を確保する一方、船価の引下げ、外貨
建ての受注(円貨による低船価の発注が可能)、エコシップの開発等による新規契約の獲得を行ってきた。また、一部の造船会社は同
業者との連携によるコストダウンや、海外進出などを計画・検討してきた。
2014 年問題は、日本の海運業・造船業の事情(円高の影響が大きい)からクローズアップされていたが、円高修正による日本船主の業
績回復(建造意欲の回復)、ドルベースの価格競争力の向上、燃費性能の優位性による引き合いの増加、底値感からの新規発注意欲向
上などにより、造船各社は 2017 年頃までの受注に目途をつけており、日本の造船所は 2014 年問題はクリアしている。
しかし、2014 年問題は、世界的に需給バランスが崩れている状況下、建造量・受注量の多い中国・韓国の造船会社にとっては大きな
問題として残っている。韓国や中国の一部の造船所は業績悪化と過剰設備・借入過多で資金繰り難に陥り、また、契約キャンセルも発
生しており受注残は減少しているようで、倒産に至る造船所もある。
新造船の竣工の減少と老朽船のスクラップが進展し、船腹過剰は徐々に収束するものと見られ、それまでは生き残りをかけた「体力勝
負」ということになる。
なお、本稿作成時点では、国内造船所は 2018 年いっぱいまで、あるいは、それ以上の受注を伸ばしてきている模様である。
⑤ 船舶経費の上昇
船腹量の増加に伴い船員(特に一等航海士といった士官クラス)の確保が船主の課題となってきている。フィリピ
ン人船員は頭数は多いが、事故を防止するためには熟練で優秀な船員を確保する必要があり、そのために船員費が上
昇しているもの。各国(造船所)の受注残高は多額で、これらの船舶が順次竣工していけば船員不足により船員費が
更に上昇していく恐れもある。
船員不足対策として、フィリピン国営の海員学校の増設や日本の海運会社が(フィリピンなどに)船員養成学校を
設立するなどして船員の養成が行われているが、充足するには数年かかると見られている。
また、船腹量の増加は修繕ドック不足も招いている。新造船ドックは多いが、船腹量に対する修繕ドックが相対的
に不足している状況で、これにより修繕費が高騰している。
※各造船所は、手間がかかる割には利幅が薄い修繕事業を縮小し、効率の良い新造船事業を強化してきたため、
特に大型船対応の修繕ドックは絶対数が不足している。また、過密スケジュールのため入渠待ちの日数も長
くなりがちで、ドック需要に拍車をかけている。
その他、船腹量の増加⇒事故の増加で保険料率も上昇し、船主が支払う保険料も上昇してきている。
⑥ 為替相場の影響
船主は、80 円台の円高の時代は若干の「持ち出し」
(預金等で補填)となっていたが、過去のストック=預金が十
分あったので何とか凌いで来れた。現状、為替相場は 120 円/US$程度まで円高修正されてきており、船主の収支は随
分改善(回復)された。船主の円高抵抗ラインは 90 円前後といわれているので、現状の為替相場水準では「増益」
といった状況である。しかしながら、円高修正で収支は改善したが、用船料(運賃)が下落しているので、トータル
では大幅な収支改善とはいかないようである。
また、売船の場合は多額の売船代金(US$)を円転するので、その影響(円換算で増収)は特に大きいといえる。
※売船価格を US$20,000,000 とすると 20 円の円安は 400 百万円の手取り額の差になる。
【最近の為替相場の動向】
※1995 年 7 月には 79.75 の円高を記録した。
※2010 年 9 月には 82 円台に円が急騰し、政府による円売介入が実施された。
※2011 年 3 月には東日本大震災の直後に 76.25 円の未曾有の円高を記録し、日米欧の通貨当局による協調介入により何とか 80 円台へ
押し戻した。
※2011 年 8 月 1 日には米国の債務上限引き上げ交渉が妥結したが、市場は内容が不十分との見方でドルが売られ、一時 76.29 円まで
円高が進んだ。8 月 4 日には単独介入が実施され 80 円まで押し戻した。
※2011 年 8 月 5 日、米国格付け会社「スタンダード&プアーズ」は米国債の長期信用格付けを最高水準の「AAA」から「AA+」に 1
段階引き下げた。先に成立した「米連邦債務上限引き上げ法」に盛り込まれた債務削減計画が不十分と判断し格下げした。
米国債が最上位から転落するのは初めてで、機軸通貨である米ドルの信認は低下した。これにより為替市場でドル売りが進んだ。
※2011 年 8 月 9 日、米連邦準備理事会(FRB)は異例の超低金利政策を「少なくとも 2013 年半ばまで続ける」との方針を表明した。
為替市場はまたもドル売りとなり、76 円台前半まで円高が進んだ。
※2011 年 8 月 19 日(ニューヨーク) 75.95 円、10 月 21 日(ニューヨーク) 75.78 円、25 日(ニューヨーク) 75.73 円、26 日(ロンドン) 75.71
円、27 日(ニューヨーク) 75.67 円、31 日(オセアニア) 75.32 円と史上最高値を更新した。
※2011 年 10 月 31 日、日本銀行が単独で円売介入を実施、78 円台まで押し戻された。その後しばらくは 76 円台∼78 円台で推移した。
※2012 年 2 月後半頃から 80 円台となり、3 月 15 日、84.17 円の水準まで円安になった。しかし、ギリシャ問題から欧州の信用不安に発展し、投
機資金は安全通貨とされる日本円にシフトされ、9 月前半までは 78 円前後で推移した。
※2012 年 9 月 13 日、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)が量的金融緩和政策第 3 弾(QE3)を発表し、ドルは円やユーロに対して下落し、
一時 77.11 円まで円高になった。
※2012 年 9 月 19 日、日本銀行の金融政策決定会合において量的緩和が決定され、一時 79.23 円まで戻った。
※2012 年 12 月 24 日、ニューヨーク外為市場で 84.95 円まで円が売られた。12 月 16 日の衆議院議員選挙において自由民主党が大勝し政権
奪回が確定、安倍晋三総裁による経済対策と「円高是正」への期待から円が売られた。この円安に伴い輸出企業の業績回復期待から日経平
均は1万円台に上昇した。
※2012 年 12 月 26 日、自由民主党による第二次安倍内閣が発足し、円は 85.35 円まで売られた(1 年8ヵ月ぶり)。安倍総理大臣は日銀法改正
39−109
を示唆し、2%の物価目標導入を日銀に迫るなど「円高是正」の姿勢を強く打ち出し、市場が反応したもの。また、日銀も同月に追加的金融緩
和を実施しており、市場は円安方向に舵を切った。
※2013 年 3 月 7 日、ニューヨーク市場では米国の景気回復等でドルが買われ為替相場は 95 円台を記録して、翌 3 月 8 日の東京外国為替市
場において約 3 年半ぶりに 95 円台で推移した。
※2013 年 4 月 4 日、日本銀行で黒田新総裁のもと金融政策決定会合があり、大胆な金融緩和策が発表された。これを受けて翌 4 月 5 日には円
安・株高が一層進行し、為替相場は一時 97 円台前半と 3 年8ケ月ぶりの円安水準となった。海外市場でも円は売られ 98 円台で推移した。
※2013 年 5 月、米国の経済指標が事前の予想数値を上回り景気回復基調が確認されてドルが買われ、為替相場は 100 円台に戻った。一時
103 円台も記録した。日経平均株価は大幅に上昇し15,627 円(5 月 23 日)を記録した。
※2013 年 9 月 9 日、為替相場は 100 円台の円安水準に戻った。シリアの内紛と米国の軍事介入を懸念して安全資産とされる円が買われ、為替
相場は 98 円前後で推移していたが、シリア情勢の緊迫感が和らいだことからリスク回避の目的で買われていた円が売られたもの。
※2013 年 9 月 18 日、米連邦公開市場委員会(FOMC)は 17∼18 日に開催した定例会合において毎月 850 億ドルの債権購入ペースを維持
する方針を決定した。「購入規模縮小には米国の景気回復のさらなる証拠が必要」との見解である。市場では購入規模の縮小が予想されてい
たが、その決定を受けてドルが売られた。(緩和縮小を予想していた投機筋は、ドルから新興国向けに投資されていた資金をドルへ回帰してい
たが、現状維持の決定を受けて再び新興国への投資を再開し、結果としてドルが売られた訳である。)これらの動きを反映して為替相場は円高
に推移し、一時 97.76 円を付けた。
※2013 年 9 月 30 日、米国の与野党対立から暫定予算の成立が遅れ、10 月 17 日には債務上限の引き上げ期限も迫る中、米国債などの信頼
が損なわれる懸念からドルが売られ、投資家が比較的安全資産とされる円に資金をシフトし始め、円相場は 30 日早朝に一時 97.75 円を付け
た。約1か月ぶりの円高・ドル安水準となった。
※2013 年 12 月 19 日、米連邦準備理事会(FRB)は 18 日に開いた公開市場委員会(FOMC)で量的金融緩和策の規模を 2014 年 1 月から縮
小(月 850 億ドルの証券購入額を 100 億ドル縮減)することを決め、2008 年秋の金融危機以降、3 次に亘って続いてきた異例の緩和策は「出
口」に向けて転換点を迎えた。世界の市場では「ドル高・先進国株高」が進んでいる。19 日の東京市場では 104 円台と 5 年2ヶ月ぶりの円安水
準となった。株式市場においても、自動車など輸出関連株を中心に軒並み上昇し、日経平均株価は前日比 271 円高の 1 万 5,859 円で取引を
終え、約 5 年振りの高値をつけた。
※2013 年 12 月 30 日、為替相場は 105.39 円(当行中値)。
2014 年は為替相場は安定しており、101 円∼103 円程度で推移。
※2014 年 9 月 8 日、ニューヨーク外国為替市場はアメリカの金融緩和政策の縮小見通しから長期金利が上昇し、円安・ドル高が進み、5 年 11 ヶ
月ぶりに 1 ドル 106 円台をつけ、翌 9 日の東京市場でも日米の金利差が拡大するという観測から円安が加速して一時 106 円 33 銭まで円安
が進んだ。日本の景気回復のもたつきから日銀の追加緩和観測が再びくすぶり始めたことも円売りの材料となっている。
※2014 年 9 月 12 日、日銀の黒田総裁が量的緩和の追加について言及し、107 円台に下落した。
※2014 年 9 月 17 日、米連邦公開市場委員会(FOMC)より出口戦略へ向けたガイダンス(量的緩和政策の終了見通し)が示されたことから金利
が上昇し、ドルが買われ、為替相場は 108 円台まで円安に推移した。スコットランド独立問題から英ポンドが売られ、ドルが買われたことも遠因。
※2014 年 9 月 19 日、為替相場は 6 年振りに 109 円 46 銭にまで下落した。日米の金利差拡大を意識した円売り・ドル買いが続いた。
※2014 年 9 月 20∼21 日、主要 20 ヶ国・地域の財務相・中央銀行総裁会議で、ドル高を容認する一方で、日欧に景気てこ入れを迫る米国の姿
勢が鮮明となった。金融緩和の出口を探る米国、デフレ懸念が高まる欧州、消費税増税を控える日本など世界の経済情勢はばらつきがある。
※2014 年 9 月 30 日現在は 109.45 円 (当行仲値)。
※2014 年 10 月 15 日、ニューヨーク外国為替市場で円買い・ドル売りが活発になり、円相場は一時 1 ドル 105 円台前半まで上昇した。朝方発表
された 9 月の米小売売上高が前月に比べて減少し、製造業の景況感を表す指数や物価関連の指標も相次いで予想を下回り、米景気の先行
き不透明感から主要通貨に対してドルを売る動きが強まっている。
※2014 年 10 月 29 日、米連邦準備理事会(FRB)は、米連邦公開市場委員会(FOMC)で量的金融緩和の第三弾(QE3)に伴う資産購入を 10
月末で終了することを決めた。米雇用情勢の見通しに「十分な改善が見られた」と判断した。2008 年秋のリーマン・ショックから約 6 年に及ぶ異
例の金融緩和政策の正常化に向け、大きく舵を切った。円相場は 109 円台まで下落した。
※2014 年 10 月 31 日、日銀は 31 日の金融政策決定会合で追加の金融緩和を決めた。資金供給量を年 10 兆∼20 兆円増やし、年 50 兆円に
拡大する。上場投資信託(ETF)と不動産投資信託(REIT)の購入量は 3 倍に増やす。これを受けて為替相場は 112 円台に急落した。
※2014 年 11 月 3 日、ロンドン市場では一時 1 ドル=113 円台後半まで下落した。日銀が追加の金融緩和を決めたことで日米金利差が拡大する
との見方が広がったため。113 円台を付けるのは 2007 年 12 月以来、6 年10ヶ月ぶり。
※2014 年 12 月 4 日、ニューヨーク市場で円相場が一時 120 円 25 銭まで下落し、2007 年 7 月以来 7 年4ヵ月ぶりの円安水準を記録した。要
因は 3 つ。1 つは日銀の大規模緩和。2 つは日本が抱える巨額の貿易赤字、3 つは米国の景気回復によるドル買い。米国は 10 月に量的緩和
を終了し、来年半ばに事実上のゼロ金利を解除して利上げに踏み切ると見られ、投資マネーは金利の上昇が見込めるドルで運用しようと、円を
売ってドルを買う動きを強めている。
※2014 年 12 月 16 日、原油価格の急落により資源国のロシアのルーブルが急落したほか、エネルギー関連の株や社債の価格が下落した。16
日には日経平均株価も 344 円下落し、外国為替市場では一時 1 ドル=115 円台まで円高が進んだ。
※2015 年 1 月 14 日、しばらく 119∼118 円で推移していた為替相場は、一時 1 ドル=116 円台前半と 2014 年 12 月 16 日以来ほぼ一か月ぶり
の円高となった。株安のほか原油価格に下げ止まりの兆しが見えず、投資家心理が悪化し、安全資産とされる円を買う動きにつながった。
※2015 年 1 月 15 日、スイス国立銀行(中央銀行)は、自国通貨スイスフランの上昇を抑えるために対ユーロで設けていた 1 ユーロ=1.20 スイスフ
ランの上限を撤廃すると発表した。外国為替市場では 1 ユーロ=0.86 スイスフランと 3 割近く急騰した。スイスフランと同じように「安全通貨」
とみられている円も一時、1 ドル=116 円台に上昇した。
※2015 年 1 月 16 日、前日の流れを受けて 16 日の東京外国為替市場においても円高推移し、一時 1 ドル=115 円台をつけた。
※2015 年 1 月 22 日、欧州中央銀行(ECB)は同日開催した理事会で国債を買い取る「量的金融緩和」に踏み切る方針を決めた。国債を含めたユ
ーロ建ての資産の買い取りを月額 600 億ユーロ(約 8 兆円)の規模に拡大し、来年 9 月まで続ける。
※2015 年 6 月 5 日午前のニューヨーク外国為替市場は、5 月の米雇用統計で雇用の伸び加速が確認され、ドルが一時、円に対して約 13 年ぶり
の高値水準をつけ、125 円台後半となった。対ユーロについても急伸した。最短で 9 月に利上げが行われる可能性が強まった。
※2015 年 8 月 25 日、上海株が連日の大幅安となり、世界的に株価が急落する中、リスク回避の動きが強まり、円は一時 116 円台まで急騰した。
その後、リスク回避の動きが和らぎ、120 円前後までドルが反発した。
40−109
※2015 年 9 月 30 日現在は 119.96 円 (当行仲値)。
【東日本大震災と未曾有の円高】
平成 23 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災と巨大津波は東北地方の太平洋沿岸に多大な被害をもたらし、多数の人命が失われた。
また、東京電力福島第一原発の事故処理は終わっていない。
さて、この未曾有の震災によって日本経済は多大な損害を受け、これにより外国為替市場においても「円売り」が加速すると思われ
たが、逆に「超円高」に推移した。平成 23 年 3 月 17 日、為替相場は一時 76.25 円/US$の未曾有の円高を記録し、1995 年の 79.75
円を軽く突破した。この背景には、一部では、保険金を支払うために生損保会社がドル資産を売って円資金を手当て(円買い)するだ
ろうといった(誤った)憶測もあって投機的な売買が行われたとも聞いている。
【スイスフラン上限撤廃、無制限介入終了、ユーロ安・円高に波及】(出所:27.1.16.日本経済新聞)
スイス国立銀行(中央銀行)は 15 日、自国通貨スイスフランの上昇を抑えるために対ユーロで設けていた 1 ユーロ=1.20 スイスフランの上限を
撤廃すると発表した。外国為替市場で無制限にスイスフランを売って通貨高を防ぐ異例の金融政策は 2011 年 9 月の開始以来、約 3 年4
ヵ月で終了する。
スイス中銀は声明で、好調な米国経済などを背景に対ドルでユーロとスイスフランが下落したため「フラン相場の過大評価は少なく
なった」と指摘。フラン高を阻止するための無制限介入は「もはや正当化されなくなった」と説明した。
発表を受け、外国為替市場ではスイスフランが一時、1 ユーロ=0.86 スイスフランと 3 割近く急騰。その後も 1 ユーロ=1.02 スイス
フラン前後と 1 割以上、高い水準で推移している。対ドルでも大幅に上昇した。
(2015 年 10 月 2 日現在、1 ユーロ=1.0883 スイスフラン)
スイスフランと同じように「安全通貨」とみられている円も一時、1 ドル=116 円台に上昇した。
※翌日の 16 日の東京外国為替市場においても円高推移し、一時 1 ドル=115 円台をつけた。
【ユーロ圏、国債など購入、来年 9 月まで総額 1 兆ユーロ超】(出所:27.1.23.日本経済新聞)
欧州中央銀行(ECB)は 22 日に開いた理事会で国債を買い取る「量的金融緩和」に踏み切る方針を決めた。国債を含めたユーロ建て
の資産の買い取りを月額 600 億ユーロ(約 8 兆円)の規模に拡大し、来年 9 月まで続ける。デフレ懸念が深まったことから、景気と物
価のテコ入れのために最後の切り札として温存してきた緩和策の投入に動く。金融市場ではユーロ安が加速しそうだ。
ECB がデフレ対策を理由に国債を買い入れるのは 1999 年に通貨ユーロが誕生してから初めてだ。ユーロ圏の金融政策は政策金利を
上げ下げする伝統的な手法から離れ、国債の購入量などによって物価や景気の調整を目指す新しい局面に入る。来年 9 月までに新たに
買い取る資産の規模は総額 1 兆ユーロを超す。
過去に米連邦準備理事会(FRB)や日銀は、国債の購入を政策の主軸に採用した。ユーロ圏ではドイツやオランダなどが「財政赤字
の穴埋めになりかねない」と指摘し、導入を見送ってきた。デフレへの警戒感を強めるドラギ総裁は今回の理事会で、欧州北部の反対
意見を押し切る構えとみられる。
【米大手格付け会社2社による主な国債格付け】
《スタンダード&プアーズ》2015 年 9 月現在
AAA ・・・ ドイツ、ルクセンブルク、オーストラリア、スイス、
デンマーク、スゥエーデン、ノルウェー、カナダ、シン
ガポール、香港、イギリス
AA+ ・・・ アメリカ、オーストリア、オランダ、フィンランド
AA ・・・ ニュージーランド、フランス、ベルギー
AA− ・・・サウジアラビア、中国、エストニア、チェコ、韓国
・・・日本、スロバキア、アイルランド
A+
A
・・・
A− ・・・ ポーランド、リトアニア、ラトビア、スロベニア
BBB+ ・・・ マルタ、メキシコ
BBB ・・・ スペイン
BBB−・・・ 南アフリカ、ブラジル、ルーマニア、インド、イタ
リア
BB+ ・・・ ブルガリア、ブラジル、インドネシア、トルコ、ロ
シア、ハンガリー、ポルトガル
BB ・・・ クロアチア
BB− ・・・
B+ ・・・キプロス
B
・・・
B− ・・・ エジプト
CCC+ ・・・ギリシャ
SD ・・・アルゼンチン
《ムーディーズ》2015 年 9 月現在
Aaa ・・・ドイツ、ルクセンブルク、オーストラリア、スイス、デ
ンマーク、スゥエーデン、ノルウェー、カナダ、シンガポ
ール、フィンランド、アメリカ、オーストリア、オランダ、
ニュージーランド
Aa1 ・・・ イギリス、香港
Aa2 ・・・フランス
Aa3 ・・・ベルギー、中国、サウジアラビア、韓国
A1 ・・・日本、チェコ、エストニア
A2
・・・ スロバキア、ポーランド
A3 ・・・ マルタ、メキシコ、ラトビア、リトアニア
Baa1 ・・・ アイルランド
Baa2 ・・・ ラトビア、スペイン、イタリア、ブルガリア、南アフ
リカ
Baa3 ・・・ スロベニア、ルーマニア、インド、インドネシア、ト
ルコ、ブラジル
Ba1 ・・・ ロシア、ポルトガル、ハンガリー、クロアチア
Ba2 ・・・
Ba3 ・・・
B3
・・・キプロス、エジプト
Caa1 ・・・ アルゼンチン
Caa2 ・・・
Caa3 ・・・ギリシャ
【FRB と QE3】
連邦準備制度理事会(FRB = Federal Reserve Board)は、アメリカの公定歩合や支払い準備率の決定などの金融政策の策定や、ア
メリカ国内の銀行の監視を行っている連邦準備制度(Federal Reserve System)の最高意思決定機関である。連邦準備制度は日本に
おける日本銀行に相当する。関連組織として、連邦準備銀行(FRB = Federal Reserve Bank … 国内 12 地区の主要都市に設置)、連
邦公開市場委員会(FOMC = Federal Open Market Committee)などがある。
QE3(Quantitative Easing Program 3)とはアメリカ連邦準備制度理事会が実施する量的金融緩和政策の第 3 弾のことで、具体的
には住宅ローン担保証券(MBS)を FRB が大量に買い取って、大量の資金を市場に供給するもの。QE は市場に供給する資金量を増
加させることで金融緩和を図るもので、第 1 弾は 2008 年のリーマン・ショック後の金融危機の際に FRB によって 2009 年 3 月∼2010
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年 3 月まで実施され、第 2 弾は景気回復の促進とインフレ率低下の阻止を目的とし、長期金利の押し下げを狙って 2010 年 11 月∼2011
年 6 月まで実施された。
通常の金融緩和策が政策金利を引き下げるものだが、アメリカは既にゼロ金利政策を採っているので金利引下げ政策の余地はなく、
中央銀行が資産の買入れを行うことで市場に出回る資金量を拡大するという量的緩和策がとられた訳である。
【金融政策決定会合と量的緩和策】
金融政策決定会合とは、日本銀行の政策委員会が集中的に金融政策について話し合う会合で、平成 10 年から始まっている。基準割
引率および基準貸付利率(公定歩合)、金融市場調節の方針、金融政策判断の基礎となる経済・金融の情勢に関する基本的見解などに
ついて話し合う。委員会のメンバーは日本銀行正副総裁 3 名と審議委員 6 名の計 9 名で構成されている。
量的緩和策とは、中央銀行が市場に供給する資金量を増やして金融緩和を行うこと。日本銀行はデフレ克服を目的として平成 13 年
3 月に民間金融機関の日銀当座預金残高目標を引上げ、長期国債や資産担保証券、銀行保有株式の買入れを行うなどの量的緩和策を実
施した。これにより市場に潤沢な資金が供給され、短期金利は 0.001%まで低下し、実質的なゼロ金利政策となった。
平成 24 年 9 月 19 日、金融政策決定会合で国債などを買い入れる基金の規模を 10 兆円増額し 80 兆円とする追加の金融緩和策を決
めた。欧州債務危機の長期化に加え、中国などの新興国経済の減速から国内の生産や輸出の回復が想定以上に遅れていることを踏まえ、
追加の金融緩和で景気を下支えする必要があると判断したもの。
平成 25 年 3 月 20 日、第 13 代日本銀行総裁に黒田東彦氏が就任した。(前任は白川方明氏)新総裁の下、同年 4 月 4 日、日本銀行
は金融政策決定会合で新たな「量的・質的金融緩和(QQE=Quantitative-Qualitative Easing)」の導入を決定した。日銀は物価上昇
率2%を目標(デフレ脱却狙い)とし、これを達成するために、マネタリーベースを2年間で2倍にすることとした。これら従来の政
策の枠組みから大きく変更して行った金融緩和を「異次元緩和」と呼んでいる。
※黒田東彦氏は福岡県大牟田市出身。東京大学(在学中に司法試験合格)卒業後、1967 年大蔵省(当時)入省、国際金
融と主税畑でキャリアを積み財務官に就任。2003 年財務省を退官後には一橋大学大学院教授を経て「アジア開発銀行
総裁」に就任。2013 年 3 月 18 日退任。平成 25 年 3 月 20 日、日本銀行総裁に就任。
⑦ 事業承継問題・相続問題
世代交代期を迎えている船主は少なくない。ここで直面しているのが後継者や相続税対策といった事業承継問題で
ある。瀬戸内の各船主は家業として海運業を営業してきており、計画的に後継者を養成できている。しかし、後継者
がいても巨額の相続税支払い負担(リスク)が待ち受けている。
※地方船主は家業として代々海運業を行ってきたので、船主の株式は代表者またはその一族が所有している。
相続に際しては、会社の持つ資産価値で船主株式を評価する純資産価額方式が適用され、さらに国税庁は船舶評価
の時価主義を採っている。そうなると、海運市況は低下したとはいえ依然として多額の含み益を抱えている船主会社
の 1 株当りの価値は高額になり、これを相続する後継者に多額の相続税支払い負担がかかってくるということになる。
⑧ 海賊対策等
ソマリア周辺、マラッカ・シンガポール海峡、インドネシア海域、インド洋等で一般商船を対象とした海賊が多発
しており、日本の船舶も多数被害に遭っている。船主はそれら海賊に対してあらゆる対策を講じており、また、各国
政府も軍艦による護衛などの対応を行っている。
※ソマリア周辺では各国政府の海賊対策が奏功し海賊被害は減少してきているが、最近ではインドネシア海域
やインド洋で海賊被害が多発している。海賊は発展途上国の貧困層が身代金目当てや貨物の窃盗を目当てに
行うもので、経済格差の問題でもある。
【海賊について】
ソマリア周辺海域の海賊はマラッカ・シンガポール海峡などの海賊・武装強盗に比べて犯罪の質と海域に違いがある。ソマリア周辺
海域では重火器による船舶への襲撃などで、マ・シ海峡の事案以上に「海賊の凶悪性」が指摘されている。また、マ・シ海峡は沿岸国
の領海内にあるが、ソマリア周辺の海賊被害は「公海上」で多発している。(ソマリアの海賊は身代金目的、マ・シ海峡の海賊は窃盗
目的である。)船主の対応としては、海賊船を寄せ付けないようにコンボイ(船団を組む)、スピードアップ、ジグザグ運航、迂回、船
員による自衛・武装・監視強化、船体の海賊避け装備(水を放射)など。また、最近では、階段を内部に配置、下層デッキ入口に増厚
された鉄製扉を設置、窓ガラスを防弾化などの海賊防御対策が考えられている。
海賊被害に対して船主は戦争保険を掛ける。これにより海賊による船体へのダメージはカバーされるが、海賊が要求する「身代金」
まではカバーされないので、船主は自己資金で解決せざるを得ないということになる。(身代金の支払は合法との判例もあるが、保険
の対象となるかどうかは不明。)
国土交通省の発表では、2009 年 7 月の海賊対処法施行から 2015 年 8 月末までに行われた護衛活動の護衛対象となった船舶数は 3,600
隻。このうち日本の事業者が運航する船舶は 670 隻、外国の事業者が運航する船舶は 2,930 隻。最近ではソマリア周辺の海賊は沈静
化し、一方でインドネシア周辺の海賊が増加、インド洋にも発生海域が広がっている。
(5) 最近の傾向
中国の輸入拡大に端を発した未曾有の海運好景気、リーマン・ショック以降の暴落、それに伴う船価と用船料の高
騰と下落、多額の売船益、便宜置籍船の増加、為替の円高推移、金利水準の低下などはこれまでに紹介した通り。
それ以外の特徴としては、船舶の大型化、外国オペレーターへの用船、買取オプション、用船期間の問題などが挙
げられる。
① 船舶の大型化
造船技術や素材の進歩、海上荷動きの増加、港湾設備の整備による荷役能力の向上などにより船舶は大型化してき
ている。10 年前は愛媛船主の所有船の中でもパナマックス(約7万 D/W トン)の船舶が最大船型(旗艦=フラッグ
42−109
シップ、ステータス)であったが、現在ではケープサイズ(20 万∼30 万 D/W トン)の船舶を所有する船主も増えて
きている。30 万トンクラスの大型タンカーや 10,000TEU を超える大型コンテナ船を所有する船主もおり、資金力(調
達力)が格段に向上していることが覗える。
【鉄鋼原料船、大型化から柔軟性に重点移る】(出典:2015.09.28.海事プレス)
鉄鋼原料を輸送するケープサイズ・バルカーや鉱石船で、鉄鋼会社や資源会社が船型大型化よりも配船の柔軟性や汎用性を重視する
傾向が強まっている。ケープサイズでは 17 万重量トン前後の「ダンケルクマックス」が再び注目され、大型鉱石船(VLOC)では 30
万重量トン超の超大型船よりひと回り小さい 24~25 万重量トン型のニーズが高まっている。中国を中心とした鉄鋼原料需要の増加が一
服した中、積み地での滞船時間の短縮や揚げ地の多様化への対応に荷主の関心が移っている。
ケープサイズでは近年、海外船社を中心に「ニューキャッスルマックス」と呼ばれる 20 万重量トン型の発注が相次いだ。従来のダ
ンケルクマックスからの大型化ニーズをねらったものだが、汎用性の観点からダンケルクマックスが再び注目されているという。
豪州資源大手ではリオ・ティントが 20 万重量トン型よりもダンケルクマックスを好んでいるといわれる。BHP ビリトンも、25 万
重量トン級鉱石船の整備を進めつつダンケルクマックスも引き続き使用する方針のようだ。邦船社の鉄鋼原料船担当者は「ダンケルク
マックスは石炭輸送、特にインド向けにも使える。受け荷側の観点から汎用性の高いダンケルクマックスのニーズは根強い」と分析。
「今後 24~25 万重量トン級の鉱石船が増えてくれば、20 万重量トン型は中途半端になる可能性もある」との見方を示す。
ある邦船社は今後のケープサイズの新造整備について、20 万重量トン型と 17 万重量トン型を半々としている。「17 万重量トン型が
必要な貨物もあり、フレキシブルな配給をしようとするとこの船型は今後も必要」との考えからだ。
鉱石船では、新日鐵住金が既存の長期契約船の代替で 24∼25 万重量トン型を重点整備する。既存のケープサイズを VLOC に代替し
て輸送効率を高めるねらいだが、30 万重量トン級と比べて汎用性に優れた 24 万∼25 万重量トン級を重点的に整備。輸送効率と柔軟性
を両立した船隊を構築する。
「シッパーは滞船の悪化で出荷が滞った反
鉱石船は 40 万重量トン級「ヴァーレマックス」に代表される船型の超大型化が進んだが、
省から港内での効率を重視するようになっている」(邦船関係者)など、荷役効率や配船の柔軟性に荷主の関心が移っているという。
例外はブラジルのヴァーレで、超大型船で豪州勢に対する地理的不利を補う戦略を維持している。
【中国招商局、ヴァーレと最長 25 年の鉄鉱石輸送契約】(出典:2015.09.29.海事プレス)
中国招商局集団傘下のチャイナ・マーチャンツ・エナジー・シッピング(招商局能源運輸:CMES)は 26 日、ブラジル資源大手のヴ
ァーレとの間で最長 25 年の鉄鉱石の数量輸送契約(COA)を締結したと発表した。輸送量は年間 600 万トン。契約期間は 20 年で、
ヴァーレ側が 5 年間延長するオプションを持つ。1 航海の輸送量は 39 万トンで、ヴァーレが今年 CMES に売船した 40 万重量トン型
鉱石船“ヴァーレマックス”を投入するとみられる。契約総額は明らかにしていない。
ヴァーレは 7 月に CMES へ VLOC4 隻を合計 4 億 4800 万ドルで売船すると発表。CMES は先月末に香港にヴァーレマックスを保
有する新会社「チャイナ VLOC」を設立し、買船した 4 隻を運航する。両社は昨年 9 月に CMES が新造整備する VLOC10 隻を対象と
して 25 年間の長期輸送契約を結んでおり、今回の契約はそれに続くもの。
ヴァーレはこのほかにコスコ・グループと中国海運(チャイナシッピング)との合弁会社「チャイナ・オア・シッピング」(出資比
率:コスコ 51%、チャイナシッピング 49%)にヴァーレマックス 4 隻を売船し、これに対応する輸送契約を同社と結んでいる。
②外国オペレーターへの用船
日本の船主は従来から日本の大手オペレーターに用船していたが、10 数年前から外国のオペレーターに用船するケ
ースが増えてきている。この背景には、①当時は海運市況も芳しくなく日本のオペレーターの用船料水準が低かった
(外国オペレーターは 1 割程度高かった)こと、②船主が積極的に船隊拡充しようとしたこと、③船主は円高による
減収分をカバーしようと高い用船料を求めたこと、④情報網が発達し海外オペレーターの情報が容易に入手できるよ
うになったこと、⑤商社やブローカーの積極的な売り込みがあったこと、⑥徐々に船主側にノウハウが蓄積されてき
たこと、⑦海外オペレーターが日本船主の船舶管理能力を高く評価していること、などが挙げられる。
※外国オペは、(US$と比べて)低金利の日本円で資金調達している日本船主のメリット(低い用船料でも採
算が合う)とその財務内容の健全性を評価しての起用という側面もある。
しかし、市況が低迷している現況下、海外オペレーターからは用船契約の中途解約または用船料引下げの要請が幾
つかきているらしいと聞いている。また、欧米や韓国のオペレーターの倒産などもあり、日本のオペレーターへの回
帰が進んでいるようである。情報開示が進んでいるとはいえ、海外オペレーターの経営状況は正確には計り知れない
といったところか。一方、日本のオペレーターは同じ日本国内で営業している訳だから経営状況も把握し易いし、何
より「義理人情」が通用するケースもあるということである。
なお、運航管理の面から見ると、外国オペレーター(ヨーロッパ系)は大西洋などに配船するケースが多く、船用
品の手配運賃や船員の交代旅費(ヨーロッパ⇔フィリピン)
、修繕・ドックなどの手配等で意外にコストがかかるため、
近場(東南アジアや太平洋などで、日本にも帰港する)に配船される日本のオペレーターへの用船も「利」はある。
【欧州船主の新造発注が停滞、ドライ市況低迷、大量竣工が重し】(出典:2014.10.7.海事プレス)
欧州船主の新造発注が 7 月以降停滞している。特に日本造船所が受注の柱に据えるバルカーは、ドライ市況低迷による失望感が商談
を直撃。今後は大量竣工も控えており、船主の投資マインドが委縮している。船主には現状の船価水準への割高感がある一方、中期的
には中国造船所の安値攻勢に引きずられて日本も船価を下げると見ており、船価先安感も商談を低迷させている。ドライ市況の回復、
船価水準がポイントになるが、仕事量を確保した日本造船所にも焦りは薄く、当面は低調な展開が続きそうだ。
6 月までの約 2 年間、市況の回復期待、省エネ船ブーム、カネ余りなどを背景に欧州船主は新造船を発注しまくったが、騒音規制の
駆け込み発注があった 6 月を境にして風景はがらりと変わった。最大の要因は予想外に低迷するドライ市況だ。しかも来年以降は過去
2 年間に発注された新造船が大量に竣工してくる。欧州船主の多くは現在の船価水準を割高と見ている。しかし、中長期的には割安感
のある船価水準に戻ると見ている船主も多い。ただ、日本の造船所への評価は依然として高く、日本で建造したいという需要は根強い。
エコシップへの期待が大きく、日本建造船は中古船価値も高い。急激に円安が進んでおり、価格に期待する船主も多い。(中国船と比
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べて)価格差が小さいなら日本が良いというのは共通認識。
【国内船主、海外オペの信用不安が台頭、用船料引き下げ要請も】(出典:2015.01.15.海事プレス)
国内船主(船舶オーナー)の経営リスクとして海外オペレーターの信用リスクが台頭してきた。これまで船主経営に打撃を与えてき
た超円高は大幅に修正されたが、ドライバルク市況の低迷が続いており、次なるリスクとして意識されている。「低迷がこのまま続け
ば、今年半ばには海外オペの経営不安が続出する恐れがある」
(関係者)
。すでに一部では用船料の引き下げ要請や滞納が発生している
ようで、船主経営の根幹をなす用船料収入が揺さぶられ始めている。
【海外ドライ船社の上期業績、市況低迷で軒並み悪化】(出典:2015.09.01.海事プレス)
海外主要ドライバルク船社の 2015 年上期(1∼6 月】業績は、ドライ市況の記録的な低迷を受けて軒並み悪化した。巨額の減損損失
を計上した船社は赤字幅が大幅に拡大。黒字を維持した船社は、売船益や特別利益の計上など本業以外の要因によるところが大きい。
ドライ市況は全船型で低迷が続いており、下期も苦戦が予想される。
③ 買取オプション
外国オペレーター(特にヨーロッパ系)との用船契約には「買取オプション」が付いている場合が多い。オペレー
ターはこの買取オプションを行使し、例えば 20 億円で船舶を買取って、30 億円で転売し、10 億円の売船益を得ると
いうことになる。10 数年前、船主の誰もが契約当時に海運バブル時の市況を予測し得ず、借入金返済と多少の売船益
が確保できるだけの水準のオプション価格の設定を受け入れたもので、結果として好景気の恩恵を享受できなかった
ということになる。儲けたのは外国オペレーターだけということ。ただし、マーケットが低下している現状では買取
オプションの行使は見られない。
また、船主にとって悩ましいのが買取オプション行使による売船益の処理である。船主は定率法で減価償却してい
るので簿価は大きく圧縮されており、実際のキャッシュフロー以上に経理上の売船益が出る。この税負担を先送り(圧
縮記帳)するためには代替船が必要だが、今から新造船を発注しても 2∼3 年はかかるので間に合わない。
【買取オプション】
「買取オプション」とは一定期間経過後に、定められたオプション価格(当初の建造価格から経年減価した価格=船主側から見れば
借入金を返済して、自己資金を回収できる程度の価格)で本船をオペレーターが買い取るオプション(選択権)を有しているというこ
と。「買取オプション」は竣工してから 3 年経過後以降に発動するものが多いようである。
マーケットが高騰していた時期にはこの「買取オプション」は多数行使されたようだが、現状は中古船価格も一時に比べて低下して
いるので「買取オプション」の行使はほとんど見られない。
オペレーターは売船益が余り期待できないので「買取オプション」を行使せず、安い用船契約を継続して儲ける方を選択する訳であ
る。また、買い取って自社船としても運航コストが上昇しているので採算性は低いというのも理由の一つである。
④ 用船期間の対応
船主は、用船マーケットの上昇局面では比較的短期の用船契約を締結しようとするが、マーケットに翳りが見え始
めると、比較的長期の用船契約を志向するようになってくる。先々でのマーケットの急落に備える(マーケットが下
がっても契約通りの用船料を受取れる)必要があるからだ。一方でオペレーターは市況が低迷している現状では、船
腹調達では短期用船の比率を増やし柔軟性を高めたい模様である。
安定志向の強い船主はリスクヘッジのため比較的長い用船契約を好むが、契約通りの用船料しか受取れないので、
マーケットが高騰した局面ではその恩恵を受けることができなかった。しかし、マーケットが下落した今となっては、
長期用船契約が結果として「良かった」ということになっている。ただし、長期用船は収入が一定で安定している反
面、船費の上昇による収支の悪化を招くというリスクもある。
なお、用船契約期間中は売船ができないので、含み益のある所有船を自由に売船して益出し(資金作り)をするこ
とはできない。
(ただし、オペレーターの了解が得られれば用船契約の解除や用船契約付きで売船も可能。
)
【国内船主、ブーム時建造船の用船更改期へ】(出典:2015.09.17.海事プレス)
国内船主(船舶オーナー)が海運ブーム時に建造した高船価船が用船更改を迎えている。ドライバルク市況が歴史的に低迷する中、
中古船として売却しても借入金を完済できないケースが大半。短期用船でつなぎ中古船価格の回復を待つにしても、赤字用船は必至の
情勢だ。ブーム時の建造船は自己資金の投入割合が低いだけに影響は一段と大きい。想定以上の円安で手元資金が積み上がり、他船の
収益で対応できる船主が多いとみられるが、中小船主は厳しい状況に直面しそう。次の投資資金も確保できず、船隊縮小が現実味を帯
びてくる。新造案件不足と並び、用船更改が船主経営の焦点になってきた。
⑤バルカー運航のプール拡大
【バルカー運航プール拡大、市況低迷下で船主に選択肢】(出典:2015.06.26.海事プレス)
バルカー運航プールの新設・拡大が海外で相次いでいる。運航プールは複数の船主から募った船隊を主にスポットマーケットで運用
し、その収益を船主に分配する事業形態。海外のバルカー運航プールは、船舶と船舶管理のクオリティが高い日本船主に積極的に加入
を呼び掛けている。現在、ドライバルク市況の記録的な低迷でオペレーターの定期用船需要が縮小。中古船マーケットも暴落する中、
運航プールが船主の避難先になる可能性もある。
⑥ 地方銀行をはじめとした金融機関の船舶市場への進出
陸上の景気は「回復基調」が伺えるが、まだまだ資金需要は増加していないので、必然的に資金需要が旺盛な海運
業に資金が振り向けられるということになる。特に海運業は、融資額が多額で貸出期間も長い、企業体力も向上して
いる、キヤッシュフローも安定している、担保もはっきりしている(船舶の資産価値は世界標準で、しかも流動性が
高い)
、マーケットが整備(国際法規、条約、取引慣行など)されているといった特徴があり、リスクはそれなりにヘ
ッジされている。
44−109
また、銀行は中小企業向け貸出を増やさなければならないといった至上命題をもっているので、格好のターゲット
となっているようである。
(ただし、外国法人向け貸出は中小企業向け貸出にカウントできない。
)
※ただし、海運市況が下落している現況下、円高是正がある程度進んで船主の収支は改善したが、海運市況自
体は船腹過剰で低迷しており、また、オペレーターの倒産などでシップファイナンスのリスクを再認識し、
新規融資には慎重になっているようである。
【欧州銀行の船舶融資、貸出姿勢が前向きに、貸し手市場終焉へ】(出典:2015.09.09.海事プレス)
欧州銀行の船舶向け貸出姿勢が前向きに転じている。世界的な資金余剰や不良債権の処理が進展したことなどで融資を積み増す動き
が目立ち始めた。ドライバルク市況やオフショア船関連の需要低迷で融資案件は激減しているため、
「貸出条件は借り手優位になって
きた。リーマン・ショック後の貸し手市場は終わった」(シンガポール在住の金融関係者)との指摘もある。一部の欧州銀は船舶貸出
債権の売却に動いているが、全般的な回復基調は今後も続きそう。リーマン・ショックから 7 年の時を経て欧州銀が勢いを取り戻して
きている。
⑦ 後進国の動向
マーケットを牽引しているのは中国(世界景気、海運市況のカギを握っているのは中国)であったが、現在、中国
をはじめとするアジア経済は不透明感を増しており、海運業のみならず、日本経済全体に影響が及んでいる。今後も
中国と同じような人口の多い発展途上国も含めてその経済動向を注視する必要がある。
※BRIC’S・・・ブラジル、ロシア、インド、チャイナなどで、それらの頭文字をとって「BRIC’S」と呼ばれ
ている。
また、それらに続く新興国として、ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン(頭文
字をとって「VISTA」と称されている)などの国々があり、その動向も注視していく必要がある。
※ブラジルは資源国で、鉄鉱石などの輸出が急増し、一方で輸入も増えてきており、経済活動は既に活発化
している。インドも人口からすると第二の中国になる可能性を秘めているが、カースト制度の足枷もあっ
て一気に爆発する期待は薄いようである。
⑧ 国内造船所の設備増強と海外造船所の躍進
海運バブル期、国内の造船所は多数の建造契約を受注し、造船各社はそれらの建造契約を履行するために建造能力
の増強と工期短縮による建造量アップを目指してドックの拡張やクレーンの増設・大型化に積極的に取組んできた。
これらにより各社は好業績を上げた。
しかし、海運バブル期が終わって以降、新規受注が急激に減少し受注残高も減少してきたため、設備投資・建造能
力増強の動きはスローダウンしている。むしろ、各社は工場の稼動率を落として対応してきた。
ところが最近は、船主の円高是正による収支改善と船価下落による建造意欲の復活や、環境問題に対応し、且つ燃
費性能に優れた日本の造船所建造の「エコシップ」需要の高まり、輸送効率化のための船舶の大型化などに合わせた
受注増加に対応して、造船各社には再び船台の拡張等の動きが出てきている。しかし、一時減産していたために職人
が他業種へ流出しており、再び増産体制に戻しても人手が思うように集まらないといった悩みもある。
一方、海外の造船所でも設備増強が行われ建造量を増やしてきている。2014 年の船舶竣工量は、中国 22,682 千総
トン、韓国 22,455 千総トン、日本 13,421 千総トンで、世界全体では 64,442 千総トンの状況。
韓国は数年前より建造量では日本を抜いて世界1位となっており、2010 年には中国が韓国を抜いて 1 位となってい
る。韓国の上位造船所は巨額の設備投資を行っており、日本の造船所の数倍の建造能力を有している。中国の造船所
の強みは、国土の広さと低賃金および政府のバックアップ(国策)である。コストは安いので価格競争力がある。
※後進国の場合は US$に対して自国通貨が安い為、自国通貨に換算して採算を確保できる程度の US$ベース
価格に値下げする余力があり、価格競争力があるということ。
⑨ 環境問題への対応
過去にはタンカーの座礁による油流出事故があり環境問題がクローズアップされ、これを受けて、海洋汚染防止の
ためにタンカーの船体を二重構造にするなどの改定が行われた。
また、バラスト水排出基準を定め海洋生態系への悪影響を抑える動きがある。この他にも騒音規制、二酸化炭素排
出量の削減、窒素酸化物の規制などがある。
【海洋環境問題への対応】
船舶はその運航に際して、魚介類・プランクトン・細菌などを含む海水をバラスト(Ballast)としてタンクに取り込み、航海後に
到着地(本来の生息地域とは異なる地域)でそれらを排出・拡散するなどで海洋生態系へ悪影響を及ぼし、地球規模で環境問題が起き
ている。(バラスト水とは、船舶の喫水を調整してバランスを保つために積み込む海水のこと。)
これらの対策として 2004 年 2 月に IMO(国際海事機関)が「船舶のバラスト水および沈殿物の規制および管理のための国際条約
(バラスト水管理条約)」を採択し、国際航海船舶に対してバラスト水排出基準を定め、順次適合させていく計画がある。具体的には
バラスト水に含まれる海洋生物を一定水準まで殺滅させることを義務付けられるもので、殺滅方法は、水に紫外線を照射、水中酸素量
を低下、オゾンなどの化学物質を添加、薬剤による殺滅などが開発されている。
※条約発効には IMO 加盟国 35 ヶ国以上の批准と世界の船舶に対する批准国の総船腹量 35%以上を満たす必要があるが、
現時点では条件を満たしておらず発効に至っていない。
なお、条約が発効されればバラスト水処理装置の設置で約 2 兆円の需要が発生すると見られており、業界ではこの経済的効果が期待
されている。しかし、オーナーやオペレーターにとっては多大な出費となり、経営上の大きな課題でもある。
45−109
【バラスト水管理国内法、国会で成立、施行は条約発効時点】(出典:2014.6.12.海事プレス)
IMO(国際海事機関)のバラスト水管理条約に対応した「海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律」
(海洋汚染防止法)の一部
を改正する法律案が、11 日の参議院本会議で可決された。今後は国土交通省が関係政令・省令を作成し、閣議決定後に日本政府とし
て IMO 条約を批准する手続きに移る。国内法は条約の発効と同時に施行される。
法案が成立することにより日本国内で設置義務が生じる船舶(日本籍船)は 340 隻、日本関係船舶は約 2,000 隻である。船社の負
担を軽減する措置として、既存船への搭載コストを修繕費として損金計上でき、税負担が軽減される措置が講じられている。
国内法は条約の発効と同時に施行される。発効要件は批准国数 30 ヶ国以上で、かつその合計船腹量が世界の 35%以上を占めること。
5 月末時点で批准国数は要件を満たしているが、船腹量は 30.25%とまだ要件を満たしていない。船腹量の大きなパナマ・香港・シン
ガポール・バハマ・ギリシャ・マルタなどのうち1ヵ国でも批准すれば条約は発効することになる。外務省関係者は「パナマが条約締
結の準備を開始したという情報もあり、年内にも発効要件は満たされる見通し」と説明した。
【バラスト水管理条約、トルコも加入】(出典:2014.10.16.海事プレス)
IMO(国際海事機関)のバラスト水管理条約にトルコが加入した。第 67 回海洋環境保護委員会(MEPC67)に合わせて締結した。
条約は 30 か国以上が締結し、その商船船腹量の合計が 35%以上になった 12 か月後に発行する。トルコの加入で船腹量は 32.54%と
なり、条約の発効要件の一つである 35%を満たすまで残り 2.46%となった。締結国数の要件は既に満たしている。
【三浦工業、バラスト装置が AMS 承認取得】(出典:2014.12.03.海事プレス)
小型貫流ボイラ大手の三浦工業は、今年 10 月に発売を開始したバラスト水処理装置で、
米国沿岸警備隊(USCG)の AMS
(Alternative
Manage system)承認を 11 月 21 日に取得した。
三浦工業のバラスト水処理装置「HK」は、今年 3 月に IMO(国際海事機関)のバラスト水管理条約に基づく承認を国土交通省から
取得し、今回の承認で、米国排他的経済水域外を航行後、米国排他的経済水域へ航行するバラスト水タンクを持つ商船に対しての搭載
が可能となる。また、同処理装置は、日本海事協会(NK)の鑑定書を取得し、防爆仕様の適合証書も取得している。
今後、USCG バラスト水処理装置規制の承認を、2016 年度を目標に取得する予定だ。
【三浦工業、バラスト水処理装置向け設備投資】(出典:2015.07.01.海事プレス)
小型ボイラトップメーカーの三浦工業はバラスト水処理装置向け設備投資を行い、2017 年以降、年間 750 台以上の生産が可能な体
制を整える。現状の生産能力は年間 300 台で、今年度の販売台数は 100 台強を見込む。
三浦工業はフィルタと紫外線による殺菌を組み合わせたバラスト水処理装置を開発し、昨年 10 月から販売を開始している。2018 年
度にバラスト水処理装置で売上高 100 億円を目指し、国内造船所などへ売り込んでいく。
【三浦工業、USCG 指定試験機関と契約】(出典:2015.07.17.海事プレス)
小型ボイラトップメーカーの三浦工業は 14 日バラスト水処理装置「HK」における米国沿岸警備隊(USCG)の型式承認取得に向け
て、独立認定試験期間(IL)と契約が成立したと発表した。同社は、今年 6 月に USCG 指定の IL である「NSF International」と試
験契約を締結した。今後は 2017 年を目標に、承認に必要な淡水・汽水・海水の各水質条件下で行われる陸上試験・船上試験の本格的
な型式承認取得に取り組む。
「HK」は 14 年 3 月にIMO(国際海事機関)のバラスト水管理条約に基づく承認を国土交通省から取得し、同 11 月に米国沿岸警
備隊(USCG)の AMS(Alternative Manage system)承認を取得している。
【地球環境に配慮した船舶の規制】(出典:日本海事協会「Class NK」
)
地球温暖化防止の観点から、地球温暖化ガス(GHG: Green House Gas)の削減が世界的に急務となっている。こうした動きの中
で、国際海運は他セクターに先駆けて、先進国や新興国の区別をしない各国共通の GHG 削減スキームを 2011 年 7 月の IMO 海洋環
境保護委員会(MEPC 62)において採択した。
船舶からの GHG(具体的には二酸化炭素)排出を規制するための MARPOL 条約 ANNEX Ⅵは、エネルギー効率設計指標 EEDI
(Energy Efficiency Design Index)を用いた新造船の「省エネ性能の見える化」と規制値への適合、更に、船舶エネルギー効率管理
計画書 SEEMP(Ship Energy Efficiency Management Plan)を用いた省エネ運航の促進をその骨子とし、個々の船舶エネルギー効
率を改善することにより、その結果として国際海運からの GHG 排出量を低減することを目的としている。
改正 MARPOL ANNEX Ⅵは、原則として国際航海に従事する 400GT 以上のすべての船舶に適用され、条約への適合が認められ
た船舶に対しては、国際エネルギー効率証書、通称 IEE(International Energy Efficiency)証書が発給される。IEE 証書の発給を受
けるための初回検査は、「新船」(①2013 年 1 月 1 日以降に建造契約が結ばれる船舶、②建造契約がない場合には 2013 年 7 月 1 日以
降に起工される船舶、③2015 年 7 月 1 日以降に引き渡しされる船舶、のいずれかに該当するもの)の場合は建造時に、新船以外の「現
存船」の場合は 2013 年 1 月 1 日以降最初の IAPP(International Air Pollution Prevention)証書に関する中間検査又は更新検査時
に受検することが要求される。ただし、EDDI 関連の規定については、条約が指定する船種における新船のみが適用対象となる。
※船種は、ばら積貨物船、ガスキャリア、タンカー、コンテナ船、一般貨物船、冷凍運搬船、兼用船、客船、Ro-Ro 客船等
※ただし、主管庁が認めた場合、条約発効後4年間は EDDI に関する要件の適用を免除できる。
EEDI は、規定されたある一定の条件下において、1 トンの貨物を 1 マイル運ぶ際に排出される二酸化炭素のグラム数として定義さ
れる。この値は、当該船舶が有するエネルギー効率のポテンシャルを表す指標としてみなすことも可能であり、例えて言えば自動車の
カタログ燃費に相当する。
一方、SEEMP に関する規定は、国際航海に従事する 400GT 以上の全ての船舶に適用されるため、新船だけでなく現存船も規制の
対象となり、個船毎に省エネ運航計画を記載した SEEMP を作成、所持することが要求される。SEEMP は、実際の運航において船舶
のエネルギー効率を改善するための工夫、例えば、減速運転、潮流や海象を考慮した最適ルートの選定、適切なメンテナンス等を組織
的かつより効率的に実施するために船主又は船舶管理会社が用意すべき管理計画書である。
【H-CSR 対応、バルカーは大型化や NOx も考慮、商談低迷で大幅見直し検討】(出典:2015.09.07.海事プレス)
今年 7 月から国際船級協会連合(IACS)の新共通構造規則(調和化船体構造規則:H-CSR)が適用されたが、バルカーの H-CSR 対
応は船型の大型化や NOx(窒素酸化物)3 次規制を念頭に置きながら開発を進める造船所も多いようだ。既に新規制への対応とともに
積み高の大型化と NOx3 次規制を考慮した新船型を開発した造船所もあるもよう。営業の期間が限られる中で、NOx3 次規制非対応の
H-CSR 船型を開発するのかどうかが焦点の 1 つとなっていたが、足元の新造商談低迷を受けて、バルカーは大幅な見直しを含めた長
46−109
期的な視点で臨む造船所も増えているようだ。
【船内騒音規制】(出典:日本海事協会)
当初、船員の健康を保持する目的で 1981 年に船内騒音コードが採択された。その後、2007 年 10 月に開催された IMO 第 83 回海上
安全委員会において、船員の健康保持のために機関室から発生する騒音及び船員の騒音曝露を一定以下に抑えることを勧告する「船内
騒音コード(IMO Res.468(XⅡ):非強制)」について、デンマークを中心とする欧州諸国より本コードの強化及び強制化の提案があり、
見直しが行われていた。2012 年 11 月に開催された IMO 第 91 回海上安全委員会(MSC91)において、同年 5 月開催の同委員会で承
認された船内騒音コードの改正案及び同コードを強制化する SOLAS 条約の規則が、一部修正のうえ採択された。
改正船内騒音コードは第 1 章∼第 7 章で構成されており、強制要件と勧告(非強制)を含んでいる。航行中、主機関等の各機器から
発せられる騒音に対し、居住区域及び制御区域等における騒音計測を行い、基準値を満たす必要がある。各機器から発せられる騒音へ
の対策に加え、隣室および通路からの音を遮断するため居室の仕切りに対する防音特性が求められている。
改正船内騒音コードの適用対象船舶は総トン数 1,600 以上の新造船となっており、適用時期は 2014 年 7 月 1 日以降に建造契約する
もの、2015 年 1 月 1 日以降に起工するもの、2018 年 7 月 1 日以降に引渡しするもののいずれかに該当するもの。
【IMO の次期 CO2 削減策・燃費報告制度、対 COP/EU、対策問われる】(出典:2015.09.28.海事プレス)
IMO(国際海事機関)の次期 CO2 削減策、燃費報告制度(Monitoring,Reporting and Verification:MRV)の早期確立が問われてい
る。今年 11 月末に迫る国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第 21 回締約国会議(COP21)で浮上している海運業界を特定した基金拠
出案や、EU の地域規制の動向をにらみ、IMO としての CO2 削減策が期待されている。
IMO は船舶からの CO2 削減策として、技術的手法(エネルギー効率設計目標:EEDI)と運航的手法(船舶エネルギー効率管理計画
書:SEEMP)を 2013 年 1 月から導入した。だが、CO2 削減の中間的対策の案として当時から浮上していた MRV については具体化に
時間がかかっており、EEDI の導入以降、CO2 削減の次の展開が進まない状況が続いている。
MRV は船舶の運航データのモニタリングと報告、認証を既存船を含め課す制度。EEDI 規制が始まった年の 5 月の第 65 回海洋環境
保護委員会(MEPC65)で検討に着手していくことで合意。14 年 3 月の MEPC66 から本格的な審議を開始し、同年 10 月の MEPC67
で制度の枠組み案の検討に着手。今年 5 月に開催された MEPC68 で、中間会合を今年開催することを合意している。
一方、欧州では燃費報告制度に関する地域規制(EU MRV)を独自に検討している。EU 加盟国管轄内の港に寄港する 5000 総ト
ン以上の船舶を対象としており、実質的に外航船が全般的に規制される。18 年 1 月からの実施が予定されているが、17 年 8 月が燃料
消費量を監視するための計画者を認証者に提出する締め切りになっている。同規制との併存を避けるため、IMO での早期の制度確立が
求められている。
(6) 最近の特徴
① 為替対策
為替相場は超円高が是正されたが、船主は引き続き為替対策を行っている。具体的には、運航コスト(船員費など)
のドル化、借入元本のドル化、円建て用船料の確保など。中には、用船料を円とドルでそれぞれ受取る契約(円ドル
MIX)や、為替相場が一定水準以上の円高になればオペレーターがそれなりの補填を行う(円安になればオーナーが
利益の一部をオペにバックする)ような契約もある。なお、金利については、FRB が政策金利を 2015 年内に引き上
げる見通しであり、その場合、ドル金利は上昇する。
② 脱バルカーへの動き
ドライ・ブームは終焉を迎えマーケットは長期低迷している。比較的堅調であったハンディサイズ/ハンディマッ
クス市況も回復できていない。ハンディサイズ等は貨物や航路が多岐にわたるため需要が安定しており、また、新興
国向けを中心に輸送需要が増加していたが、船腹量の供給過多、環境規制による石炭輸入量の減少、中国の景気減速
懸念等の要因で、バルカー全般において低迷が続いている。
バルカー案件が激減する中、バルカー以外の船種であるコンテナ船、ケミカル船、自動車船、チップ船等多様化の
動きも出てきている。
【国内船主、投資判断で岐路、脱バルカーが焦点】(出典:2015.09.16.海事プレス)
国内船主(船舶オーナー)が投資判断で岐路に立っている。大手有力船主は希少なバルカーの優良案件を取り込み、保有船もタンカ
ーなどに多様化して船隊規模維持を図っている。一方、中堅以下の船主はバルカーの案件不足で投資難に直面。比較的需要のあるタン
カーやコンテナ船などは資金、船舶管理面などでハードルが高く、踏み出せない。当面は船隊縮小も覚悟して将来のバルカー需要回復
を待つのか、船隊維持に向けて新規船種を手掛けるのか難しい判断を迫られている。
「バルカー案件は激変。これほどまでに減るとは思わなかった。特に期待していたケープサイズの商談がない」(今治船主)
。
円安で業績が好調に推移する国内船主だが、投資案件不足に直面している。特に主力とするバルカーはマーケットが長期間低迷。中
国の経済不安もあり、マーケット回復のシナリオがいまだ描けない。国内外のオペレーターの多くはバルカー発注を見合わせている。
しかし、船主の案件不足は一般的な傾向にすぎない。今治の大手船主は「(バルカーでも)案件はある。ないのは従来型の長期用船、
高用船料の恵まれた案件。いまは契約期間が短期化し、用船料も低い。それでも自己資金を厚めに投入すれば、発注はできる」と話す。
従来型プロジェクトも数少ないが存在する。国内荷主向けなどの長期用船付きリプレース案件だ。こうした希少な優良案件は大手有
力船主に持ち込まれるケースが多い。用船料が低く、契約期間が短い案件も投資できるのは企業体力のある船主に限られる。バルカー
案件の絶対値は激変しているとはいえ、船主の規模や体力によってバルカー投資は「案件がある」とも「案件がない」とも見えるのだ。
③ リスケジュール
一般的に船主の円高抵抗力は 90 円前後と言われており、2012 年末まで続いた 80 円前後の為替水準では利益が出
ない船主が多く見られた。その当時は、各社は C/F の不足分を自己資金(預金)や売船余剰金を充当しながら借入
金の約定返済を履行してきた。本来ならば「返済元金の減額(リスケジュール)」を要請したいところだが、企業の信
用力を維持し、次の新造船の支援を得るために、含み益のある船舶の売船や経営者の個人資産を投入するなど自助努
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力をしてきた。その他、オペレーターに対する用船料の引き上げや、用船契約期限前での売船の承認、あるいは所有
船の買取りを要請するケースもあったと聞いている。
しかし、中古船価が下落しており計画通りの資金作りができなかったり、投入できる資産も底をついた一部の船主
は金融機関にリスケジュール(元金返済猶予)を依頼していたようである。リスケジュールの際には弁護士や会計士
などを交えて再建計画を策定し、基本的には各船の C/F に応じて返済額を減額することを前提に、取引銀行が一斉に
リスケを行う。また、銀行によっては貸出債権を売却して取引をクローズ(残債を貸倒れ償却)するところもあった
そうである。
なお、現在の為替相場は 120 円程度まで円高修正されているので、船主の収支は改善されており、所有船の売船に
際しても(円換算ベースで)手取り額が増えるので、リスケジュールの解消も展望できる環境になっている。
【船主、2∼3 割がリスケ脱却、円安で業績好転】(出典:2014.10.9.海事プレス)
船主経営はリーマン・ショック後から 4 年以上も続いた超円高に直撃された。さらに三光汽船の会社更生法申請に代表されるように、
オペレーターの経営不振で用船料の減額や返船が相次いだ。金融機関には借入金の返済に窮した船主からリスケ要請が急増、船主経営
は行き詰まりかねなかった。
コスト削減、売船による資金確保も限界に達し、打つ手がなくなりつつある中で円ドル相場が反転したのが 12 年末。経営改善は実
(船主経営者)ともいわれた。その後も円安傾向で推
質的に円安待ちの状況だっただけに、12 年末以降の円高修正は「神風が吹いた」
移し、船主経営は劇的に改善した。リスケを受けた船主の経営状況も大きく好転している。足元の借入金返済は、円安による収支改善
で通常返済に戻っている船主が大半。過去の減額分も完済して「リスケから完全に脱却した船主も全体の 2∼3 割になっているのでは
ないか」
(金融関係者)
。円ドル相場が一段と円安に進み、それが長期化すればリスケ状態から抜け出せる船主がさらに増えることにな
りそうだ。しかし、円安になってからまだ日が浅いため、金融関係者は「全ての船主がリスケ状態から脱却するには早くてあと 2∼3
年、普通に考えればあと 5 年はかかるのでないか」とも話す。また、返済正常化は簡単ではなく、早期脱却には船主が売船益を返済原
資に充てることが必要不可欠と見る金融関係者も多い。
④ 海外オペの動向と金融機関の審査の厳格化
従来、円の金利は US$と比べて圧倒的に低く為替も円安だったため、日本の船主は海外オペレーターに対して競争
力のある用船料を提示(安い用船料でも許容)できていたが、現在は円とドルの金利差が(5∼6 年前と比べて)縮小
し、為替も(7∼8 年前と比べて)円高に振れているので、海外オペレーターにとって日本の船主の魅力は薄れてきて
いる。しかし、欧州の金融機関は欧州債務問題から新規貸出に消極的であり、海外オペレーターは日本の船主からの
用船に頼らざるを得ないという事情もあるようである。また、燃費性能に優れている日本の新鋭船を擁しており、且
つ高度で緻密な船舶管理を行える日本船主の起用は採算面からも重要である。
日本の船主業(船舶貸渡業)はオペレーターの信用力に依拠する仕組みであるが、海外オペレーターの信用力を判
断できる十分な情報が無い中での海外オペレーター(業績が悪化し、倒産するオペも出ている)への用船案件につい
ては、日本の金融機関の審査や条件もおのずと厳しくなる。また、国内中堅オペレーターの三光汽船の倒産に続き、
第一中央汽船の民事再生法申請もあり、金融機関は『船舶貸渡業の真のリスクはオペレーターの信用リスクにある』
ということを再認識し、審査・貸出条件が一層厳格化している。
【コスコと中国海運が合併検討、コンテナ船統合なら世界 4 位に】(出典:2015.08.12.海事プレス)
中国国有 2 大海運大手の合併構想が浮上している。現地の業界関係者の話と現地報道を総合すると、中国遠洋運輸集団(コスコ・グ
ループ)と中国海運集団(チャイナシッピング・グループ)が合併の検討を始めたもよう。両社の幹部を集めて統合などを検討する「改
革幹部プロジェクトチーム」を近く発足させるようだ。コンテナ船部門の再建が目的ともされ、合併が実現すれば単純合算で計 304 隻・
156 万 5866TEU を抱える世界 4 位のコンテナ船社が誕生する。一方、コスコ・コンテナラインズ(コスコン)は CKYHE、チャイナ・
シッピング・コンテナラインズ(CSCL)はオーシャン・スリー(O3)とそれぞれ別のアライアンスに所属しており、合併に伴いアラ
イアンスの再編が起こる可能性もある。
【欧州銀行の船舶融資、貸出姿勢が前向きに、貸し手市場終焉へ】(出典:2015.09.09.海事プレス)
欧州銀行の船舶向け貸出姿勢が前向きに転じている。世界的な資金余剰や不良債権の処理が進展したことなどで融資を積み増す動き
が目立ち始めた。ドライバルク市況やオフショア船関連の需要低迷で融資案件は激減しているため、
「貸出条件は借り手優位になって
きた。リーマン・ショック後の貸し手市場は終わった」(シンガポール在住の金融関係者)との指摘もある。一部の欧州銀は船舶貸出
債権の売却に動いているが、全般的な回復基調は今後も続きそう。リーマン・ショックから 7 年の時を経て欧州銀が勢いを取り戻して
きている。
⑤ 海外展開(シンガポールへの進出)
海運会社は、子会社の売船益等を含む事業利益を親会社に合算して税務申告するため多額の法人税の負担がかかる
が、海運会社は特別償却や圧縮記帳の優遇制度を駆使して利益を圧縮し、税負担を軽減してきた。これらの優遇制度
は時限立法であり、平成 23 年 3 月に「廃止」の動きがあったため、日本の船主は実質的に法人税が無税化できるシ
ンガポールへの進出を検討した。また、事業承継(相続税対策)においても相続税が無いシンガポールへの進出は有
効な対策の一つであった。しかし、特別償却制度や圧縮記帳制度は延長・維持され、一方で海運市況の低下、中古船
価格の下落などにより利益が出にくい経営環境下、税負担は実質的に軽減され、シンガポール進出のメリットは薄く
なった。
※一方で、相続税に関しては船価が低くなっている昨今では 1 株当たりの資産価値も低下しており、株式譲渡
などを進めやすい環境にある。
なお、シンガポールは人件費や事務所費・住居費が高く費用対効果を考えるとデメリットも大きいといわれている。
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(コストは、東京を 10 とするとシンガポールは 9、今治は 7 といわれている。
)
【三菱商事、自社船事業を星港に集約、今年度中に 50 隻弱に】(出典:2014.11.18.海事プレス)
三菱商事は将来的に船舶保有事業をシンガポールに集約し、同国のダイヤモンド・スター・シッピング社(DSS)を受け皿にする方
針だ。DSS 社の勝山泰宏マネージング・ダイレクターは、まずは今年度中に東京管理の短期用船船隊を同社に移管する考えを明らか
にした。来年 3 月末時点の船隊は 50 隻弱の規模になり、三菱商事全体の約半分を同社が保有することになる。今後の新規発注案件も
担い、2020 年頃には 65 隻前後の船隊を目指す考え。保有船はパナマックス型以下のバルカーとし、船舶管理は第三者に委託していく。
三菱商事は 1980 年代後半から自社船ビジネスを始め、竣工後 10 年をめどに新造船に入れ替えながら、邦船オペレーターを主体に
定期用船してきた。現在は東京の MC シッピング社(MCS)、DSS のグループ 2 社を中心に自社船事業を行っているが、長期的には
シンガポールに集約する方針だ。三菱商事の船舶部門としては、東京が新造船売買などの伝統的なトレーディング事業、シンガポール
が自社船事業を担う体制になっていく。
【国内船主、シンガポール進出停滞、ドライ市況低迷が影響】(出典:2015.09.28.海事プレス)
ドライバルク市況の低迷が国内船主(船舶オーナー)のシンガポール進出を阻んでいる。船主による同国での事業展開は新造船保有
から始める場合が多いが、市況低迷でバルカーの新造案件は激減。希少な投資案件もマーケットが振るわない中で低用船料が大半にな
り、高コスト体質となったシンガポールでの事業展開を難しくさせている。市況低迷は相続税負担の軽減にもつながり、この面からの
進出意欲も盛り上がらない。船主の星港進出は当面停滞を余儀なくされそうだ。
「税制メリットの観点などから、長期的にはシンガポールに進出すべきと考えている船主は少なくない。しかし、実際に進出すると
なると乗り越えるべきハードルは高い。最近ではドライ市況の低迷が影響している」(現地関係者)。
国内船主によるシンガポールでの事業展開はここ数年停滞している。「過去 1~2 年で進出してきた船主はほんの数社だけ」と現地関
係者は明かす。その理由の 1 つがドライ市況の長期低迷による新造案件不足だ。
船主のシンガポール進出では、新造船の保有からスタートを切る船主が圧倒的に多いという。
「中古船は用船者の承諾や船籍の変更、
税務面など実務的な難しさがある」(同)からだ。しかし、新造投資案件は激減している。特に船主が主力とするバルカーは中国経済
不安もあり、マーケット回復のシナリオがいまだ描けない。国内外のオペレーターの多くはバルカー発注を見合わせている。これがシ
ンガポール展開の足かせになっている。
加えて、現地関係者は「用船料が回復しないと、高コストのシンガポールで事業展開するのは難しい」とも指摘する。船主だけでな
く、シンガポールのコスト高は海事産業に共通する問題。ただ船主の場合、コスト高問題の影響は大きくなりがちだ。最近は案件不足
で船主間の競争が激しく、用船者も市況低迷下で高水準の用船料を提示できないため、案件があっても低用船料の契約が多いからだ。
船主が進出しても売船益を手にするまでには相応の時間を要する。キャピタルゲインが非課税になるとはいえ、すぐに売船できるわ
けではない。実際に売船益を得るには用船契約の終了を待たねばらなず、それは 5 年、7 年と先になってしまう。売船までの期間、事
務所経費や生活費などシンガポールコスト高に対応しないといかない。用船料が高い”宝船”を保有していればまだしも、薄利の 1~2 隻
(同)とされる。コスト高に対応するためには一定規
の船隊で経営していくのは簡単ではない。
「できれば 3 隻以上の船隊が望ましい」
模の船隊が必要だ。
また、地銀関係者は「シンガポール進出が盛り上がったきっかけの 1 つは相続税。ドライ市況の高騰時には莫大な相続税負担が予想
され、事業継承が懸念されたが、この低迷マーケットではその心配がない。シンガポール熱は完全に下火になった」と指摘する。ドラ
イ市況の低迷による税務コストの低下もシンガポール進出を停滞させる要因になっている。
船主がシンガポールに進出すれば、日本にはない多くのメリットを享受できる。広く知られているように、一定条件を満たせばキャ
ピタルゲインと用船料は非課税。
「タックスを気にしないで経営できることの利点は非常に大きい」
(現地関係者)。相続税も一定条件
を満たせば非課税になる。ビジネス拠点としてもシンガポールはアジア・太平洋地域を代表する海事センターで、事業環境は抜群だ。
しかしドライ市況の低迷を起因とした新造案件不足、低用船料、相続税負担の軽減が船主進出の壁になっている。
【星港の船舶管理、コスト対策着手、”地の利”生かし機能拡大も】(出典:2015.09.28.海事プレス)
邦船社などにとってシンガポールが船舶管理の主要拠点であることは当面は変わりなさそうだ。邦船社の多くも船舶管理拠点を置い
ており、主要課題であるコスト高に対処するために、シンガポールで船舶管理実務を継続しつつ、バックオフィス機能の一部を他国に
移転するといった取り組みに着手した会社もある。一方、シンガポールのメリットを存分に生かすために、同地を通じた業務を拡大す
る動きも出ている。
邦船社の船舶管理におけるシンガポール拠点の活用は各社によって若干、色合いが異なる。船舶管理実務の拠点の 1 つとして活用す
る例もあれば、海運会社の海務部門の本社機能の一部を担う海上技術の中核を構える会社もある。いずれにしても、船舶管理において
欠くことのできない拠点。これは、船が荷役や給油のために寄港することで「管理する船を直接みることができる」(船舶管理会社首
脳)という立地、インド人を中心とする SI(船舶管理監督)など海技者ソースの存在、修繕ヤードや船用品供給など関連業者の集積な
どが背景にある。また、近年は邦船社などが船舶の保有や運航、集荷の拠点をシンガポールに移す中で、本体とより緊密に船舶管理を
行えるようになってきたこともメリットに加わった。
かねて課題となっている人件費や事務所費などの「コスト高」に対して、一部では「このコスト高ではシンガポールで船舶管理を続
けることが難しくなる…」との声が聞かれるものの、現時点ではメリットが上回っているためだ。引き続きそのメリットを生かすため、
船舶管理会社は「コスト高」への対策に着手し始めた。日本郵船のインハウスの船舶管理会社がバックオフィス機能の一部をマレーシ
アに移転したのは好例で、その他にもシンガポール内でよりコスト効率のよい場所にオフィスを移転するといった対策を船舶管理各社
が試みている。
一方、東西航路の要衝で、どこへでも移動しやすい航空網などを誇るシンガポール拠点を通じた業務を拡大する動きもある。用船者
である本体に代わってシンガポールや中国など他国で行われる用船の修繕工事に立ち会う海技者を派遣したり、用船の検船などを手掛
ける取り組みだ。
「まだ、ここにいる価値、意義、効果はある」
(船舶管理会社首脳)。シンガポールにはコスト高という大きな課題がある一方で、引
き続きその優位性を生かす取り組みが進んでいる。
【船協が「新外航海運政策」提言、外航海運を「国家戦略産業」に】(出典:2015.07.14.海事プレス)
日本船主協会は 13 日、
「新外航海運政策」の早期実現に向けた提言を取りまとめ公表した。外航海運産業を国の存立にとって重要な
「国家戦略産業」として位置付け、日本の外航海運産業と商船隊の国際競争力強化を明確に目的とした施策を、国家政策の最重要項目
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の 1 つとして打ち出していくべきと主張。その上で、主要海運国に劣後する税制の見直しや、海事クラスターの今後の発展を左右する
日本人・外国人船員の確保育成に向けた真剣な検討が必要と訴えた。
⑥ 船舶投資ファンド
世界的に運用難に陥っている資金力が豊富なファンドマネーが船舶投資に進出し、船主の役割を肩代りし始めてい
るようである。日本では船主の財政が疲弊している中、資金力のある投資ファンドや異業種のキャッシュリッチ企業
は強大なライバルでもある。
日本の船主とファンドの大きな違いは、日本の船主が家業として海運業を行っているのに対し、ファンドは海運事
業を投資として捉えているという点である。従って船主は財産である船舶を大切にして自社管理するが、ファンドは
管理会社へ外注することになる。世界的な諸規制の複雑化もあって船舶管理も高度化しているので、日本の船主も管
理会社へ外注するケースもあるようだが、きめ細かな船舶管理が採算を左右することもあるので、船主に「一日の長」
があるといったところであろう。
【投資マネーに退潮の兆しか、新造・中古市場に、金融緩和縮小が影響】(出典:2014.11.13.海事プレス)
海運セクターに流入する投資マネーの勢いが細り始めている。「バイヤーがファンドのカネを当て込んで進めていた買船案件が、最
終的にまとまらない場面が相次いでいる」(商社関係者)といった現象が見られるようになってきた。米国の金融緩和政策が縮小に向
かい、新規供給されるマネーが抑制される中で、市況低迷が長期化している海運からも退出し始めたとの見方が出ている。一昨年来の
大量の新造船発注や高値買船などを演出していた「緩和マネー」が、今後退潮に向かう可能性が出てきた。
新造船マーケットでは今夏以降、造船所への新規の引き合いがぱったり止まっている。海運市況の低迷が長期化していることや、発
注残が大量に積み上がったことで船主が慎重さを増していることがあるが、中でも「ファンド筋とみられるロットの引き合いが姿を消
した」
(造船営業担当)との声が聞かれるようになった。ファンド退潮の兆しは中古船市場にも表れている。
「船主がファンドマネーを
当て込んで買船交渉を進めていたが、カネの手当てがつかずにフェール(不成立)するケースが増えた」
(商社)。ここでも、緩和マネ
ー縮小が影響を与えているとの見方が強い。
米国の量的緩和が終幕を迎える中、今後海運セクターでも過剰流動性が本格的に縮小すれば、これまでのような投機的な新造発注な
どが抑制される可能性がある。一方では、ファンド筋などが大量売船などに踏み切ることで、船価急落などをもたらしかねないとの懸
念も強まる。
4. 愛媛県の海運業
(1) 発展の歴史
① 生い立ち
愛媛県は瀬戸内海に面しており、経済的・人的な交流は対岸の山陽筋や阪神地区で、また、県内には数多くの島々
があり、人と物の移動に船舶は欠かせないものであったため、海運業が発達しやすい環境であった。リアス式海岸で
港に適した地形が多かった点も要因の一つである。また、海運業の発達とともに地元に造船や関連産業が集約されて
おり、お互いが影響しあって共に発展してきたものである。
海運会社の発足パターンには 4 通りがある。1 つは、家業として古くから海運業を営んできたもの、2つは、創業
者の次世代が分離独立(分家)したもの、3つは、海運関連産業からの新規参入(造船所や機械メーカーが船舶を所
有するケース)
、4つは、全くの異業種からの参入ある。異業種からの参入は船舶の減価償却や特別税制などによる本
業の節税対策や本業で儲かった資金の投資・運用が目的であったと考えられる。例えばタオル業者などで、以前はタ
オル製造業者は「作れば儲かる」時代で、節税対策は必要であった。
その他、瀬戸内海では古くから村上水軍や河野水軍などと呼ばれる海賊が(海賊)が勢力を持っており、商船とと
もに発達してきた。
【今治の海運業のルーツ】
今治地域は阪神と九州を結ぶ瀬戸内海の中央にあるため古くから交通の要衝として栄え、この地の利を生かして海運が発展してき
た。また、島々が点在する複雑な地形のこの地域では村上海賊などの海賊が活躍し、船舶の運航・操船技術が発展した。これらは後に
水軍となって歴史の表舞台に登場している。また、今治地域では海運業に使う船舶の建造が盛んになった。
今治・芸予地域が日本の歴史や文化の中で重要な地位を占めてきたのは、その地理的要因が大きいようである。この地域を安全に通
り抜けるため、往来する船舶や水夫たちはここに停泊し、新しい文化や風習を伝えた。また、この地域の人々は、天候や潮流、安全な
航路、時間や季節による自然の変化を深く知っているため、さまざまな航海に重用された。こうした交流の中から、「進取の気風」と
「勇猛心」が育った。この地域の人々は自らの度量を武器に域外へと進出している。海に生きた水軍の DNA がこの地方の風土や気質
を造り上げてきた。この地域が海運・造船の町として大きく発展してきたのは、こうした水軍気質に負うところが大きいようである。
波方(旧、越智郡波方町)の海運業の歴史は古く、長谷部九兵衛氏が天和 3 年(1683 年)に波止浜に塩田を開いてからは「入浜式」
の製塩に波方海岸の砂が使われるようになり、これを運ぶための「入替船」が造られた。これが波方船舶の最初の船だったそうである。
製塩業が盛んになると、
「千石船(塩買船)」が各地から漆器や肥料などを積んで入港し、代わりに波止浜の塩を積み込んで出航するな
どで随分賑わった。また、製塩に使われる資材や塩を煮詰める燃料としての薪や松葉が運ばれた。
その後、菊間に瓦泥が無くなり、代わって波方で大量に出土した「五味泥」を波方から菊間に運ぶための船が数隻造られた。また、
大島石を運ぶ船もでき、順次、波方の船は増加していった。
② 発展
当初は内航船での営業であったが、1960 年代から更なる飛躍を求めて外航船に進出していった。船型も従来の木帆
船から鋼船へと切り替わって行った。(内航船の建造が制限されたのも要因の一つである。)とはいっても当時は船価
も高く、船主の資金力も十分ではなかったので、当初は比較的小型の近海船クラスが主流であった。
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愛媛県では、今治の瀬野汽船㈱が 1956 年に来島船渠で建造した 850 トンの近海船が第一号だそうで、次いで今治
造船では愛媛海運㈱の海上トラックと呼ばれる 700 トン積み新造鋼船を建造した。木帆船から鋼船へ切り替える際に
は多額の資金を必要としたが、この資金は地元の愛媛相互銀行(現、愛媛銀行)が従来の無尽方式から一般融資へと
切り替えて積極的に支援した。
その後、それらの近海船の運航収益や売船益を元手に大型船へリプレイスまたは増船してきた。船舶は初期投資も
大きいが、売船のタイミングをうまく捉えれば巨額の利益を得ることが可能である。逆に失敗して廃業した船社も多
数ある。
また、為替相場は 360 円から約 4 分の 1 にまで切り上がり、船主経済に与えた影響は多大なものがあったが、船主
は様々な対策をとって乗り切ってきた。
外航船主の発展の背景には、便宜置籍船による運航原価の低減と国策による優遇税制、南洋材の輸入が増加したこ
と、地元造船所の建造能力の増加と積極策(来島ドックの割賦販売方式など)
、大手船社のオフバランスニーズの高ま
りなどが挙げられるが、忘れてはならないのが金融機関の支援である。便宜置籍船なので、所有者はパナマ法人、船
籍もパナマ、抵当権もパナマで設定するので不安は多かった。また、内航船と比べて格段に大口貸出であったが、当
行を始めとする地元金融機関はそれらのリスクを理解した上で積極的に支援してきた。
③ 現状
愛媛県の外航海運業者の大半は日本郵船や商船三井などの大手オペレーター(船主から船舶をチャーターし、それ
で荷物を運んで収益を上げる)とは異なり、いわゆる「オーナー」業なので、一般的に「船舶貸渡業」と呼んでいる。
日本の海運会社が所有・支配している外航船数は 3,316 隻、そのうち愛媛船主の所有・支配船は 1,035 隻といわれ
ているので、全国の約 31%を占める規模である。
世界全体では 2013 年の船腹量は 106,833 隻・11 億 2,265 万総トン(100 総トン以上)
、日本の船主が所有する船
舶は 3,316 隻なので、
日本の世界シェアは約 3%である。
(2,000 総トン以上の外航船で見ると日本は世界全体の約 20%
を占める。
)これは大変な数値で、大いに誇れるものである。
これらを金額で見ると、
(注)計数は概算
愛媛船主の所有船の資産額は・・・1,035 隻×30 億円=3 兆 1,050 億円
愛媛船主の年間用船料収入は・・・1,035 隻×US$13,000×365 日×@100 円=4,911 億円
※愛媛船主の年収 4,911 億円÷平成 24 年度の県内総生産 4 兆 7,000 億円=10.4%
※県内造船所の建造売上は約 5,000 億円で、海運業の収入と合わせて県内海事産業は 1 兆円産業といえる。
※なお、これだけの巨額な資金が投入されてはいるが、船員は外国人であり地元の雇用増には結びつかず、船
員費も海外へ流出、船用品なども香港やシンガポールなどで手配するケースも多く、地元経済に与える影響
は限定的といえる。なお、地元造船所で船舶が建造されるケースでは、建造代金が造船所を通じて下請け業
者や船用品業者等へ還流されるため、経済効果は大きいといえる。
【経済活動別県内総生産(愛媛県)】(単位:億円)
主な業種
製造業
建設業
運輸通信
卸・小売
金融保険
不動産業
サービス
その他
合計
20 年度
8,399
2,224
3,671
5,555
2,623
6,172
10,223
7,934
46,801
21 年度
8,361
2,284
3,473
5,558
2,565
6,289
10,171
7,619
46,320
22 年度
9,981
2,130
4,169
5,190
2,737
6,551
9,197
9,000
48,955
23 年度
11,860
2,288
3,943
5,465
2,316
6,406
9,147
9,040
50,465
24 年度
8,877
2,217
3,990
5,441
2,258
6,531
9,298
8,548
47,160
【経済活動別県内総生産(24 年度、四国 3 県)
】(単位:億円)
主な業種
製造業
建設業
運輸通信
卸・小売
金融保険
不動産業
サービス
その他
合計
香川県
7,917
1,972
3,050
4,817
1,604
5,070
7,262
5,943
37,635
徳島県
7,185
1,429
1,822
2,637
957
3,280
5,063
6,016
28,389
高知県
1,496
1,260
1,843
2,396
868
2,550
5,381
5,810
21,604
(2) 愛媛船主の外航船の分類
① 所有船の種類
種類で一番多いのが貨物船(ばら積船やコンテナ船など)で、全体の約 8 割を占める。これは特殊船(オイルタン
カー、ケミカルタンカー、LPG タンカー等)に比べて比較的船価が安いことと、運航管理やメンテナンスが容易であ
ること、船数が多く(売船時の)マーケットが大きいこと、などが要因として挙げられる。
その他 2 割は、オイルタンカー、ケミカルタンカー、LPG タンカー、自動車運搬船、チップ船、冷凍船、Ro/Ro 船
など。特にタンカー類は運航管理が難しい上に、事故による海洋汚染などのリスクが高く、所有する船主も限られて
いる。また、自動車船、チップ船、冷凍船もニッチマーケットであり、船数は少ない。
② 国籍別
外航船の殆んどが便宜置籍船で、国別ではパナマが圧倒的に多い。古くから馴染みがあること、ブローカーや弁護
士が多く手続きが容易であること、税制や法律(英国法がベース)がしっかりしていること、世界的にもパナマ籍が
51−109
多いことなどが挙げられる。
その他はリベリア、香港など。シンガポールは税制面から注目されている。
③ オペレーター別
愛媛船主は従来から日本の大手オペレーターに用船していたが、6~7 年前頃から外国のオペレーターに用船するケ
ースが増えてきている。しかし、市況が低下傾向にある現況下、海外オペレーターからは用船契約の中途解約または
用船料引下げの要請が幾つかきているらしいと聞いている。また、海外オペレーターの倒産などもあり、日本のオペ
レーターへの回帰が進んでいるようである。情報開示が進んでいるとはいえ、海外オペレーターの経営状況やフリー
ト(支配船の状況等)の内容は正確には分からないということである。
④ 地域別
愛媛県内の船どころといえば、今治、北条、三津浜、長浜、八幡浜、三瓶といったところだが、旧今治市・波方町・
伯方町などが合併した新今治市はダントツである。県内のシェアは約9割といわれている。今治市の船主はケープサ
イズや VLCC などの超大型船を所有している先も多い。今治地区には今治造船をはじめとする大手造船所が多数あり、
その系列の海運会社も多数の船舶を所有・運航している。
【国内船主、船隊増強に壁、愛媛の保有船、激減の予想も】
(出典:2015.02.19.海事プレス)
「今は船隊を増やすのが非常に難しい時代」
(大手船主)。国内船主(船舶オーナー)が船隊増強に苦戦している。円安や低金利、金
融機関の積極融資姿勢などで投資環境は悪くないが、主力とするバルカーではドライバルク市況の暴落を受けて国内外のオペレーター
が新造整備を抑制。新規投資が難しさを増している。愛媛船主の船隊は現在の約 1000 隻から大幅に減少するとの予想もあり、船隊縮
小が現実化すれば関連業界にも大きな影響を与えそうだ。
「愛媛船主の船隊は現在の約 1000 隻から、最悪のケースで 700 隻くらいに激減してもおかしくはない。」
こう指摘する大手船主は続けて「バラスト水処理装置の搭載義務化を前にして船主は売船を志向しているが、省エネ船への新規投資
が進まない。邦船大手3社がバルカー投資を抑制し、バルカー主体の第一中央汽船や三光汽船といった中堅オペレーターもかつての元
気がない。海外オペだけでは需要を満たせない。今は船隊を増やすのが非常に難しい時代」と話す。
5. 今後の展望と対策
(1) 今後の展望
愛媛船主はマーケット上昇局面で一通りのリプレイスを終え、市況下落と超円高の時期には無理な投資をせずにじ
っと耐えてマーケットの動向を見極めようとしていた。その後、
(海運市況は低迷してはいるが)新造船価格が下がり、
円高も是正されて業績は改善しており、加えてエコシップ需要の高まりもあって「今が仕込み時」と考えて新造発注
に動き出していたが、ここに来て、ドライ市況の歴史的な低迷で、バルカーの新造発注が停滞している。
オペレーターは船腹過剰・海運市況の低迷による採算悪化で、新たに船主から用船する余力は乏しいようである。
市況高騰時に高い用船料で契約した船舶が採算を悪化させているからである。
(2) 海運対策
① 求められる海運対策
第二次世界大戦で疲弊した海運会社を復興させるために、特別償却や圧縮記帳などの優遇措置が採られて来たが、
諸外国と比べるとまだまだ十分とはいい難いものである。船主は便宜置籍の手法でコスト削減に取組んでいるが、現
在の税制では、子会社の黒字は親会社に合算して課税され、逆に子会社の赤字は親会社に合算することは認められて
おらず、諸外国の船主と比べて多大な負担を強いられている。
課税方式についても日本では「法人税課税方式(税引き前利益に対して課税)
」が採られているが、諸外国ではかな
りの国が「トン数標準課税方式(トンネージタックス)
」を採用している。
※日本籍船(または準日本籍船)に限ってトン数標準課税方式を選択することができる。
このように国内船主にとって我が国の現状の税制は諸外国の船主との競争において大変なハンディである。利益の
40%以上が税金として徴用されると内部留保も十分に行えない。あるいは、税金対策として圧縮記帳制度を利用する
ために高額船を無理して買うケースは、結果として多額の含み損を抱えることにもなりかねない。
【諸外国の海運強化策一覧】
○
船員の社会保険料の軽減
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
52−109
日本
船員所得税の免除・軽減
○
韓国
○
アメリカ
○
○
第二船籍制度など船籍制度
イギリス
スペイン
ポルトガル
ノルウェー
オランダ
○
イタリア
ギリシャ
ドイツ
トン数標準税制
○
フランス
○
船舶の買換特例(圧縮記帳)
デンマーク
ベルギー
償却制度上の優遇措置
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
また、相続税の問題も大きいといえる。2008 年の国税庁の通達改正によって、税務上の船舶の評価方法が従来の簿
価に近いものから時価に近い「売買実例価額」などを基本的に用いる方法に変更されたため、多額の相続税が掛かる
可能性が指摘されている。
※海運会社の株式の大半は経営者が所有している。相続に際しては会社の純資産を 1 株当たりの資産価値に引
き直してそれを息子達に相続するので、多額の相続税が発生する。
② 第二船籍制度と海事都市構想
国土交通省は 1996 年に国際船舶制度を創設したが、
「使い勝手が悪い」などの理由で、創設後も日本籍船は減少の
一途を辿ってきた。
※国際船舶制度は「船長および機関長の 2 人は日本人で、さらに日本政府承認の外国人でないと配乗できない」
と定められている。
これに対して、日本船主協会は便宜置籍船並の競争力を持つ「第二船籍制度」の創設を提唱している。この制度は
自国籍船に「外国籍船並みの税や、船員の配乗などにおいて一定の優遇措置を認める」もので、今治市と共同で「特
区構想」として提案したが、
「特区としての対応不可」との回答であった。
今治市は 2005 年 1 月に伯方や波方などの広域市町村が合併して誕生した世界に誇れる「海事集約地域」であり、
その地域特性を活かした「まちづくり」を行っていくことを目的として「今治海事都市構想」
(経済特区)を策定して、
積極的に取組んでいる。実現できれば、現在便宜置籍として外国に登録され毎年多額の費用を支払っているものが日
本国内に還流されることになるし、海運に携わる事業者・弁護士・代理店なども今治市に集中することになるので、そ
の経済効果は計り知れない。また、民間レベルでの国際交流が活発化されるはずである。
※シンガポールは国策として税制面を優遇(海運会社は申請により無税化)することで海運会社の誘致に成功
し、東南アジアの海運集積地になっている。
(地理的にも東南アジアの中心にあり、大手荷主もシンガポール
に拠点を開設している。)海運会社からの税収は殆どないが、代わりに海事関連業者の経済活動が活発化し、
また、それら企業の従業員の個人消費や住居などが同国に大きな経済効果をもたらしている。
【第二船籍制度】
便宜置籍船による自国海運の空洞化は日本に限ったものではなく、欧米でも同様の現象が起こった。これを受けて欧米諸国は自国海
運を強化・保護するための優遇制度を創設してきた。その代表的なものが第二船籍制度である。第二船籍制度とは、本来の船舶登録制
度とは別に特定地域を定め、そこに登録された船舶について、配乗要件、船舶税制、船員税制、社会保障制度などを緩和する制度。
なお、日本では船舶が不動産と見なされ、法務局への登記が必要で、固定資産税が課税される。日本以外に船舶を不動産と見なす
国は殆どない。ちなみに航空機は不動産ではなく動産と見なされているので、法務局への登記は不要で、さらに登録料も船舶と比べて
はるかに安く設定されている。
6. 内航海運業の現状と今後の展望
(1) 内航海運業の概要
① 内航海運業とは
内航海運業は、内航海運業法において「船舶による物品の運送であって、船積港および陸揚港のいずれもが本邦内
にあるもの」とされている。つまり、一般の日本籍貨物船やタンカーなどによる鋼材、セメント、石油、コンテナな
どの国内輸送業のことを指す。したがって、外航船による輸送(国際貿易貨物を船舶によって運ぶ海上輸送)や旅客
船・漁船などによる輸送は該当しない。
内航海運業を営む者は、オペレーターと呼ばれる「内航運送業者」と、オーナーと呼ばれる「内航船舶貸渡業者」
に区分される。オペレーターは荷主と直接運送契約を行う者で、自社の保有船とオーナーから用船した船舶で貨物輸
送を行う。一方のオーナーは荷主との直接契約は認められておらず、一般的には船舶と船員を保有し、オペレーター
と用船契約を結んで実際の船舶運航を行う。これらのオペレーターやオーナー業を営むには内航海運業法に基づく許
可が必要である。
※オペレーターとオーナーという概念と営業形態は海運一般に見られるが、法律上で両者を区分しているのは
日本だけである。これは、零細事業者が大半を占める内航海運業界において、事業規模の適正化を図る観点
から昭和 41 年より制度化されたものである。
用船の形態は基本的には「定期用船」だが、中には船舶のみを保有しながらその船舶を他社へ貸し出す「裸用船」
や「委託運航」などの契約もある。その他、船員のみを雇用し、他社から船舶を借りて用船契約を行う形態もある。
【カボタージュ(Cabotage)
】
沿岸輸送については、船舶法第 3 条の規定に基づき、
「法律若しくは条約に別に定めがあるとき、外国籍船舶は海難若しくは捕獲を
避けようとするとき又は国土交通大臣の許可を得たとき以外は、日本国内の港間における貨物又は旅客の沿岸輸送を行うことができな
い」こととされている。つまり、内航海運における「カボタージュ=Cabotage」とは「国内輸送については当該国の船舶と企業など
に限り、外国船舶による輸送は原則認めない」というもの。
カボタージュは、国家の安全保障、地域住民の生活物資の安定輸送、自国船員の雇用の確保等の観点から、従来から維持されている
制度で、「自国内の物資または旅客の輸送は原則として自国籍船に限る」ことが国際的な慣行となっており、国際的にも多く採用され
ている制度である。これにより内航海運業者の経営環境が保護されている。(イギリスでは 1651 年に自国貨物の保護を目的としたク
53−109
ロムウェルの航海条例において、自国貨物の自国船による積み取りが定められている。
)
※カボタージユ(Cabotage)とは、
「岬から岬に至る間の海岸に沿って航海すること」をいうフランス語の Caboter に由来
する。そもそもは cabotage のうち cabot はスペイン語の cabo(岬を指す)に由来する。日本においては国内各港間の旅
客・貨物の沿岸輸送を指す。
② 内航海運の役割
内航海運は、国内の港と港を結んで産業資材や工業製品あるいは食料品・日用品などを輸送する日本の大動脈であ
る。日本国内の輸送機関別輸送量に占める内航海運のシェアは、輸送量(トン数ベース)では 7.28%であるが、輸送
活動量(トンキロベース)では日本全体の 40.69%にも及んでおり、これは内航海運が長距離・大量輸送に適した輸
送機関であることを示している。
内航海運は、平成 25 年度の平均輸送距離でみると 489 ㎞で、自動車の 10 倍となっている。内航海運輸送量を主要
品目別に見ると、石灰石等、石油製品、鉄鋼等、セメント、砂利・砂・石材、化学薬品・肥料、石炭、製造工業品、
自動車等の産業基礎物資 9 品目で輸送トンキロの 91%、輸送トン数の 89%を占めている。
また、内航海運は1トンの貨物を 1km運ぶのに必要なエネルギー消費量は、営業用貨物車の約 6 分の 1 という効
率の良さを誇っている。内航海運は大量輸送に適した、しかも、環境にやさしい輸送手段ということである。
【モーダルシフト(Modal shift)】
モーダルシフトとは輸送のモード(方式)を転換すること。具体的には、トラックによる貨物輸送を船または鉄道に切り替えようと
する国土交通省の物流政策で、地球環境問題や交通渋滞および労働力問題など制約要因が顕著になってきたトラックから、低公害で効
率的な大量輸送機関である内航海運や鉄道貨物による輸送に転換することをいう。
内航海運はエネルギー効率が良く、『地球にやさしい輸送手段』だが、モーダルシフトは計画通りに進んでいない。推進の阻害要因
として、①トータル時間が長く荷主の物流システムに合わない、②多頻度少量輸送といった輸送ロット・頻度に適していない、③ドア
to ドアのトラック輸送に比べて利便性が低い、といったことが挙げられている。RORO 船やコンテナ船などその受け皿となる内航貨
物輸送に適した船舶の整備が急がれる。
③ 関係法令
内航海運業界は、零細な事業者が多いため戦後数十年の長きに亘って規制によって保護されてきた。制度としては
昭和 21 年(1946 年)の海上運送法、昭和 27 年(1952 年)の木船運送法に始まり、最も重要なものは昭和 39 年(1964
年)に制定された内航海運組合法と内航海運業法のいわゆる「内航二法」である。それらを根拠とし、事業者間の過
当競争を防止することを目的として「船腹調整制度」(スクラップ・アンド・ビルド方式=船舶を建造する場合には、
それと同等の船舶の解撤を要する)という業界の自主規制が作られた。この船腹調整制度は平成 10 年 3 月に廃止さ
れ、新たに「暫定措置事業」へと切り替わったが、内航二法はそのまま存続している。
【内航二法と内航総連】
昭和 30 年代後半は内航・外航ともに不況に喘いでいた時期だった。外航海運については「海運業の再建整備に関する臨時措置法」
と「利子補給法」の一部改正により、外航海運事業者の集約を促進するインセンティブとして、当該事業者が船舶を建造する際に利息
補助等の財政的支援を実施するなどの対策が講じられた。
一方、内航海運業については、昭和 38 年 7 月の内航海運問題懇談会の意見書において「内航海運不振の基本的な要因の一つとなっ
ている恒常的な船腹過剰傾向を是正するため、新船建造については、新たな輸送需要に見合うものと老朽船・不経済船などと代替する
ものについて行うものとする共に、内航海運の船隊構成の近代化を図るものとする」とし、内航船舶の建造に当たって「スクラップ・
アンド・ビルド制度」の導入が提言された。これを踏まえて、当時の「小型船海運業法」および「小型船海運組合法」が新たに「内航
海運業法」および「内航海運組合法」に改正された。
(昭和 39 年 7 月 2 日公布)これにより昭和 42 年から日本内航海運組合総連合会
(内航総連)による船腹調整事業が実施されることになった。
日本内航海運組合総連合会は、調整事業を一元的に処理する機関として昭和 40 年 12 月 4 日に設立された。全国組織の 5 海運組合
(全国海運組合連合会、全国内航タンカー海運組合、全日本内航船主海運組合、全国内航輸送海運組合、内航大型船輸送海運組合)を
構成組合とし、新たに調整規程を制定して調整事業を行っている。
≪参考≫…内航二法の目的(第一条)
内航海運組合法 第一条:
「この法律は、内航海運事業を営む者が、その経済的地位の改善を図るため内航海運組合を結成することが
できるようにし、もって内航海運事業の安定を確保し、国民経済の健全な発展に資することを目的とする。
」
「この法律は、内航運送の円滑かつ適確な運営を確保することにより、輸送の安全を確保するとともに、内航
内航海運業法 第一条:
海運業の健全な発達を図り、もって公共の福祉を増進することを目的とする。」
④ 共有船制度
内航海運の特色として共有船の制度がある。これは、資金力が十分でない事業者が船舶を建造できるように配慮し
た制度で、
「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」が建造資金の約 80%を負担して船舶を建造し、負担割合に応じて両
社が船舶を共有するもの。共有船の運航管理は船主が行い、船主は機構の持ち分相当に対して対価を支払うもので、
この制度は実質的な借入金としての位置付けである。支払いが終われば 100%自社船となる。
【機構の共有建造業務】
鉄道建設・運輸施設整備支援機構は、2003 年 10 月に特殊法人である日本鉄道建設公団と運輸施設整備事業団を廃止したうえで統合
し、新たに設立された独立行政法人で、国の運輸政策に応じて船舶などの運輸施設の整備を推進するための支援を行い、輸送に対する
国民の需要の高度化、多様化等に的確に対応した大量輸送機関を基幹とする輸送体系の確立を図ることなどを目的としている。(運輸
施設整備事業団は、1966 年 12 月に発足した船舶整備公団と 1991 年 10 月に発足した鉄道整備基金が 1997 年 10 月に統合されたもの。)
機構では、国内旅客船または貨物船等の建造について、共有建造業務を通じて低利・長期資金を供給し、また、建造に関する技術的
支援を行っている。
54−109
共有建造方式の仕組みは、国内海運事業者と機構が共同で船舶の建造を発注し、完成した船舶は費用の分担割合に応じて「共有」す
る。この共有船は事業者が使用・管理し、これにより生じる収益と費用については事業者のものとなる。機構に対しては、共有船の機
構持分の使用料として元金均等割賦弁済方法により計算した元金および利息に相当する金額を、共有期間を通じて支払っていく。最終
的に事業者は、共有期間満了時に共有船の減価償却後残存簿価で機構の持分を買い取ることで 100%所有船とする。
(2) 内航海運業の現状
① 内航海運業の現況(2014.7)
貨物船の輸送量は、2008 年 10 月を境に急速に減少し、2009 年 3∼5 月にかけて前年同月比は 60%台の低い水準ま
で落ち込んだが、2009 年 10 月にはリーマン・ショック直前の輸送量に対する比率は 80%台まで回復した。2011 年
3 月に発生した東日本大震災の影響を受けて再び減少に転じた後、回復の足取りに力強さに欠ける状態が続いていた
が、2013 年後半から全般的に荷動きの改善が見られるようになってきた。2014 年 6 月(実績値)における貨物船の
輸送量は 18,320 千トンとなり、前年同月比 100%となっている。輸送主要品目別の前年同月比は、鉄鋼は堅調に推移
して 109%、原料はセメント原料の石灰石輸送の減少から 96%、燃料は火力発電所の定修や需要の減少で 83%、紙・
パルプは消費税増税前の駆け込み需要の反動や新聞の販売不振で 98%となっている。雑貨は消費税増税後の反動減が
ある一方で、輸出向けの自動車関連部品、飲料等が下支えし 100%、自動車は消費税増税後の反動減がある一方で、
軽自動車販売が好調で 103%、セメントは定修や民需・官需工事の終了が集中したこともあり伸び率は少し低下して
102%となっている。
タンカーの輸送量は、2008 年から減少を始め、2009 年 4 月には前年同月比で 90%を割り込んだ。2011 年 6 月に
は原発の不稼働に伴う電力向け需要の増大を反映して、黒油の輸送量が全体を押し上げたことから合計輸送量は前年
を上回り改善傾向となったが、2012 年 10 月以降は前年同月比を下回る結果が見受けられる。なお、2014 年 6 月(実
績値)における油送船の輸送量は、黒油(電力需要)の需要減少や白油(ガソリン)需要の低迷が続く一方で、
「エネ
ルギー供給構造高度化法」による国内転送の増加等により 10,085 千 kl で前年同月比 100%となり前年同月比変わら
ず。輸送品目別の前年同月比は、黒油が 92%、白油が 106%、ケミカルが 104%、高圧液化が 90%、高温液体が 93%、
耐腐食が 93%となっている。
② 暫定措置事業に至る背景
内航海運は前述のように日本経済の根幹を担う重要な物流手段として、政府・法令等により厚く保護されてきた。
その代表的なものは、スクラップ・アンド・ビルド方式による船腹調整であった。これは、海運業者の経営基盤の安
定を図り、ひいては市場全体の安定を図るために物流量と船腹量のバランスを保つ施策でもあった。
しかし、平成 10 年 3 月にこの施策の廃止が決議され、
「解撤権」は資産価値が無くなることとなった。ただし、長
きに亘り無形資産として扱われてきた「解撤権」が一瞬にして消滅すると市場の混乱を招き、船主経済にも大きな影
響を及ぼすことから、完全撤廃までの暫定措置として「内航海運暫定措置事業」がスタートすることになった。
暫定措置事業への切り替えの背景には、日本版ビッグバンによる自由化・規制緩和の流れと、独占禁止法に抵触(運
賃協定など)するのではないかといった指摘があったとのこと。また、バブル経済の崩壊に伴う物流量の低下と荷主
の合理化・効率化などにより船腹過剰(運賃・用船料の低下により船主の収支は赤字)に陥っていた市況を回復させ
るために「船減らし」は必要な対策でもあった。
【船腹調整制度と解撤権および暫定措置事業】
船腹調整制度は、昭和 39 年に公布された「内航二法」
(内航海運組合法と内航海運業法)を根拠として作られた業界の自主規制であ
る。具体的には、日本内航海運総連合会(以下、総連合会という)が取り仕切り、新造船を造る場合はそれと同等以上の既存船の解撤
(スクラップ)を要するというもので、俗に「スクラップ・アンド・ビルド方式」と呼ばれていた。つまり、日本全体の船腹量の引き
締めが必要な時には、新造船 1 に対して解撤 1.2 といったように比率を変えるという方法で船腹量を調整する訳である。この結果、船
舶には「解撤権」という無形の資産が生じ、権利として売買(増船などの場合は、他業者から解撤権を買う)の対象ともなった。これ
は造船に係る船主の資金負担の増加となり、収支を圧迫することにもなった。同時に新規参入の障壁ともなった。
「暫定措置事業」の概要は、総連合会が「解撤権」を買上げ「交付金」を交付し、一方で、新造船の際には納付金を徴求するとい
ったもので、
「スクラップ・アンド・ビルド方式」と似たような制度であるが、解撤権を総連合会が買上げる(償却する)ことで日本
全体の船腹量を減らしていけるという効果がある。何れにしても総連合会が日本全体の船腹量を調整する機能を持っているということ
である。
当初、総連合会は、権利の買上げ資金として金融機関などから借入を行い、納付金は交付金に一定の金額を上乗せした単価に設定し
てその差額部分が総連合会の借入金返済財源となる予定であった。暫定措置事業は総連合会の収支が均衡(=借入金を完済)した時点
で終了する予定であったが、新造船の建造(=納付金収入)は当初見込みよりも少なく、一方では買上交付金の支出も多く、総連合会
の借入金は多く残って、現在も事業は継続されている。
【内航船舶数の推移】(出典:日本内航海運組合総連合会)
S55/3 末
隻数
総トン数/千
S60/3 末
H5/3 末
H10/3 末
H15/3 末
H20/3 末
H24/3 末
H25/3 末
H26/3 末
H27/3 末
11,161
10,062
9,101
8,216
6,593
5,956
5,357
5,302
5,249
5,235
3,906
3,804
3,960
4,027
3,841
3,586
3,502
3,566
3,609
3,686
※隻数は昭和 55 年と比べて 53%減少している。総トン数もピークの平成 10 年 3 月と比べて 8%減少している。
※隻数は大幅に減少してきているが、一方で総トン数の減少は比較的少ない。これは船腹自体が大型化しているということ。
したがって内航海運全体の輸送能力はあまり縮小していないということ。
55−109
【内航海運登録事業者数の推移】(出典:日本内航海運組合総連合会)
H24/3 末
H25/3 末
運送事業者数
S42/3 末
9,149
S45/3 末
1,175
S50/3 末
901
H12/3 末
680
H17/3 末
613
H20/3 末
713
664
652
H26/3 末
647
H27/3 末
641
貸渡事業者数
1,792
9,129
6,051
2,671
2,206
1,872
1,567
1,513
1,450
1,395
合計
10,941
10,304
6,952
3,351
2,819
2,585
2,231
2,165
2,097
2,036
※総トン数 100 トン以上または長さ 30m 以上の船舶による内航運送をする業者を集計。
※内航海運事業者は昭和 42 年 3 月の 10,941 先⇒平成 27 年 3 月の 2,036 先に減少している。これは事業者の統廃合と集中
化が進んできているということである。
【内航貨物輸送量の推移】(出典:日本内航海運組合総連合会)
輸送トン数/千
S45 年度
S50 年度
S55 年度
S60 年度
H10 年度
H15 年度
H20 年度
H21 年度
H23 年度
H24 年度
H25 年度
376,647
452,054
500,258
452,385
516,648
445,544
378,705
332,175
360,983
365,992
378,334
1,512
1,836
2,222
2,058
2,270
2,182
1,879
1,673
1,749
1,778
1,849
輸送トンキロ/億
※内航貨物の輸送量は我が国の経済発展に伴い年々増加してきたが、鉄道・トラック輸送網等の発展に伴い内航海運の輸送
量は減少してきている。近年では国内景気低迷により荷動きは低調であったが、平成 21 年度をボトムとし、平成 22 年度
以降は景気回復に伴い増加に転じている。
(3) 内航海運業界が抱える問題
① 事業者と船腹の減少
内航海運業者数と船腹量は減少の一途であるが、それにも拘わらず運賃・用船料は回復せず、一向に内航海運業者
の経営は改善されない。
また、内航専門の造船所の経営も当然に厳しいものがあり、中小造船所の中には廃業しているところもある。仮に
景気回復による物流量の増加で船腹需要が上向いてきても、船舶を建造する事業者も造船所も無いといった事態も想
定される。
(技術の伝承という意味からも大きな問題であるといえる。
)
② 船舶の老朽化
景気低迷により事業者の体力は消耗し切っているので、当然に新造船への切り替えもままならず、老朽化した船舶
を修繕しながら使用している。内航船舶を船齢別にみると、6 年未満が隻数比 14.4%、総トン数比 26.3%となってい
る。
(全体として新造船が減ってきており、平均船齢が上がってきている。
)また、法定耐用年数を越えた船齢 14 年
以上の船舶は、隻数比で 71.6%、総トン数比で 49.3%にもなっている。船齢別平均トン数は、6 年未満が 2,550 総ト
ンとなっているのに対し、14 年以上の老齢船が 493 総トンとなっており、小型船ほど老朽化が進んでいるといえる。
このような状況では、日本の産業資材・物資の大半を輸送する内航海運業が、安定的かつ安全な輸送使命が果たせ
なくなる危険もある。
【船齢別船腹量】(平成 27 年 3 月 31 日現在)(出典:日本内航海運組合総連合会)
隻数
区分
船齢
総トン数(トン数単位:千トン)
油送船
貨物船
合計
構成比
隻数
隻数
隻数
隻数
油送船
貨物船
合計
総トン数
平均トン数
総トン数
平均トン数
総トン数
構成比
平均トン数
総トン数
0∼6 年
276
461
737
14.4%
507
3,406
461
2,135
969
2,550
26.3%
7∼13 年
223
496
719
14.0%
291
1,305
607
1,223
898
1,248
24.4%
14 年以上
756
2,918
3,674
71.6%
385
509
1,428
489
1,813
493
49.3%
1,255
3,875
5,130
1,184
943
2,496
644
3,679
717
合計
③ 船員問題
こういった経営状態なので、事業者は船員費等のコストダウンに取組むことになる。そうすると賃金水準も十分と
はいえず、船員の内航離れ(減少)が深刻な問題となっている。
(内航船だから外国人の配乗はできない。
)もとより、
いわゆる3K の業種で年々新人船員は減少傾向(若年船員の離職率も高い)にあり、船員の平均年齢は上がり、労働
力は低下してきている。定年を迎えて離職するケースも考えると、大きな問題である。
また、船員法の一部改正があり、内航船員の安全最少定員の確保が義務付けられ、中小型内航船では船員数を増員
せざるを得なくなり、さらに事業者の収支を悪化させている。この背景には、事業者が人件費削減の目的で船員の人
数を絞り、結果として船員に過剰な残業を強いることとなり、事故が多発するといった安全面および人道的な配慮も
ある。
※内航海運業が好調な時代には、海上船員の給料は陸上部員の 1.5∼1.8 倍以上と高給であったが、現在は 1.2
倍程度と下がってきており、船員としての魅力はサラリーの面からも低下してきているようである。
※内航海運の特徴の一つである予備船員の確保も大きな問題である。
【予備員制度】
船員とは、一般に特定の船舶に継続して乗り組み、航海その他船舶上の労務に従事する者をいう。
(船長以外の乗組員を海員という。
)
船員法においては、現実に乗り組んでいる船長と海員の他に、乗船を待機している「予備船員」を含めて船員と規定している。この予
備船員に対しても給料が支払われるので船主の収支を圧迫することになるが、船員の安定確保という意味においては有効である。
予備員制度は日本海運固有の制度である。これは明治の中頃、大手海運会社が上級船員などに限って下船中にも手当を支給し、自社
船につなぎ止めるために導入したものといわれている。その後、戦争遂行のために昭和 17 年に設立された船舶運営会は、遠洋定期航
56−109
路を持つ会社の一部乗組員に導入していた予備員制度を、危険な海域に出る船員確保のため、はじめて運営会所属全船員に適用した。
船舶運営会の制度であった予備員制度は、昭和 25 年に船舶運営会から民営還元された時点において、必要乗組員の他に一定の割合
で各社に按分配置して、予備員を制度として定着させることになった。予備員制度は日本の一般的な終身雇用制度の考え方とも一致し
ており、今日においても受け入れられている。
④ 船価の高騰、諸費用の増加
その他、鋼材価格・機器の高騰や労務費の高騰等による建造船価の上昇、暫定措置事業による建造納付金の負担、
安全対策や環境保全対策費用の増加、登録免許税・固定資産税・消費税などがあり、事業者の経営を圧迫している。
⑤ 回復しない用船料
そういった窮状をオペレーターや荷主に訴えても、なかなか運賃・用船料は上がってこないようである。オペレー
ターや荷主は大手企業であり、一方の事業者は中小零細企業(いわゆる一杯船主も沢山ある)だから、力関係も大き
く作用しているようである。
(もともと内航海運業界は「縦社会」といわれている。
)また、オペレーター(又は荷主)
の合理化・集約化・効率化による輸送コスト削減などもあり、用船料は回復する気配がない。
(4) 今後の展望
① 市況回復の期待
平成 17 年に入ってからは、国内景気の上昇もあって用船料は若干(5~7%程度)上昇した。当時、国内景気は踊り
場を脱したといわれ、内航海運業界にも回復の兆しが見え始めたところであった。しかし、平成 20 年のリーマン・
ショック以降の全世界的な景気後退により日本国内の経済活動も低下し、用船料は直前ピーク時と比べ 10∼20%減少
した。また、用船契約の期限には契約は更改されず船舶は返船となるケースや、委託用船(運航)契約に変更される
ケースも散見された。
※委託用船契約は出来高払いの契約なので、荷物がないと船は動かず、船主は収入を得られない。
現状はアベノミクス効果で国内景気は回復しつつあるが、前述の通り海上輸送量は前年並みで、用船料も微増とい
った状況である。また、船腹量は前述の暫定措置事業などの施策により計画的に削減することができているが、それ
以上に海上貨物量が伸び悩み(荷主の統合・連携などによる合理化も要因の一つ)
、用船料は中々上昇する気配が見ら
れない。国内景気の本格的な回復が待たれる。用船料が回復しない以上、船主サイドとしては人件費を中心としてコ
スト削減しかないが、これも限界にきている。
ただし、タンカーについては東日本大震災以降「脱原発」⇒「火力発電」
(発電用黒油の輸送)の動きが出たことも
あり、今後も動向が注目される。
【脱原発の影響=タンカー争奪戦】(出典:2011.7.8.産経新聞)
電力各社が原子力発電の代替として火力発電の増強を急ぐ中、燃料となる重油を国内で搬送する専用タンカーを増やす動きが広がっ
ている。十分なタンカーを確保できなければ火力増強に黄信号がともることになるが、国内タンカー数は減少傾向で、船会社との新た
な契約を目指す”タンカー争奪戦”が各社の経営課題となっている。
国土交通省によると、国内の石油製品輸送量は平成 6 年度の 2 億 2,800 万 kl をピークに 21 年度には 6 割の 1 億 3,500 万 kl へ減少
している。内需減退や共同輸送による効率化および環境への配慮から電力業界が石油火力への依存度を減らしてきたことも大きい。こ
れに伴いタンカーも減少。全国内航タンカー海運組合によると、電力用重油を運ぶ 5,000kl 級のタンカーはかつて国内で 50 隻程度が
運航していたが今は 30 隻で、来年度後半に向け需要が逼迫する可能性があると見られている。
② 待たれる海運対策
内航海運業は、近年、国内産業構造の変化や世界経済のグローバル化により厳しい経営環境下にある。政府はコス
ト削減対策、環境対策、安全対策、技術開発、船舶の標準化、グループ化などの各種対策を実施し、また、
「海上運送
事業の活性化のための船員法等の一部を改正する法律」により内航海運業に係る参入規制(登録制へ)の規制緩和等
を行ってきたが、これらは必ずしも海運業者の新規参入等による内航海運業の活性化には繋がっていない。
内航海運業は依然として我が国経済を支える生命線であり、政府、業界団体、組合等の抜本的な対策が待たれる。
【消費税】
消費税は原則として全ての商品やサービスの売上を課税対象とし、消費一般に負担を求める国税である。納税義務者は各段階の事業
者等で、課税の累積を排除するため、仕入・経費・資産購入などに含まれている消費税額を、売上に対する消費税から控除する。
消費税は、1989 年(平成元年)4 月以降の取引から 3%の税率で導入され、1997 年(平成 9 年)4 月から 4%に引き上げ、同時に
地方消費税 1%が導入され合計で 5%となった。
(平成 16 年 4 月からは価格の表示は消費税込みの総額表示としている。
)
2012 年 8 月 10 日、消費税の増税を柱とする「社会保障と税の一体改革関連法案」が可決され、現行の消費税率 5%は、2014 年 4
月から 8%に引き上げられ、2017 年 4 月から 10%に引き上げる予定となっている。
【関税と TPP】
関税(Customs Duties)とは、国境を越えて取引される商品に課せられる税金のこと。自国を通過する商品に課せられる通過税、
外国への輸出品に課せられる輸出税、外国からの輸入品に課せられる輸入税があるが、このうち通過税は 19 世紀後半に各国で廃止さ
れ、輸出税についても輸出品価格を高め国際競争力を弱めて輸出を阻害することになるので各国で廃止されてきている。日本では 1901
年(明治 34 年)に廃止されている。したがって今日では関税は輸入品に課せられる税金(輸入関税)という意味に使用されている。
関税は国内産業の保護または財政上の理由(税収)から輸入品に対して課せられているものである。
※国内において国策上保護や振興を要する国際競争力の低い産業・製品等を、海外からの輸入品に高関税を課することにより
その海外製品の国内での価格競争力を低下させ、国内産業・製品を保護する目的がある。
57−109
TPP とは環太平洋経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)のこと。環太平洋の国々における
(Trans-Pacific)、戦略的な(Strategic)、経済連携協定(Partnership Agreement)、つまり経済の自由化を目的とした多角的な経済
連携協定で、2005 年 6 月 3 日に、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、その後、アメリカ、オー
ストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルー、カナダ、メキシコが加わった。日本は 2013 年 3 月 15 日、アベノミクスを推し進める
安倍首相が「聖域なき関税撤廃が前提でない」としながら TPP 参加を正式に表明した。現在、諸条件等の交渉が行われている。
TPP 参加により、特定の製品等に係る関税が撤廃されると貿易の自由化が進み、日本製品の輸出が増加するものと見られ、GDP が
10 年間で 2.7 兆円増加すると見積もられている。半面、外国製品の輸入に係る関税も無くなり、安価な外国製品が流入することによ
りデフレを引き起こす可能性や、安い農産物(特に米)の流入により日本の農業に大きなダメージを与える等のデメリットも指摘され
ている。更に、食品添加物・遺伝子組み替え食品・残留農薬の規制緩和等により「食の安全」が脅かされることや、医療保険の自由化・
混合診療の解禁により国保制度の圧迫や医療格差が広がると危惧されている。
2015 年 9 月 30 日、米アトランタで閣僚会合開始、医薬品や乳製品をめぐる関係国の対立を解消して全体交渉の妥結を目指している。
交渉は最終局面を迎え、参加国は新たな自由貿易圏の誕生をかけて瀬戸際の交渉を続けている。
【NOx3 次規制、適用外の内航船でも一部駆け込み、船台確保に焦り】(出典:2015.09.14.海事プレス)
来年 1 月の起工船から対象となる IMO(国際海事機関)の NOx(窒素酸化物)3 次規制が適用されるのを前に、国内造船所は未対応船
でできる限り線表を進める方針をとっているが、規制が適用されない内航船でも船主が船台の確保を急ぐ動きが出てきている。外航船
に比べて短納期での発注になることが多い内航船だが、船台が埋まっていくのを前に、リプレースを予定する船主などに焦りもみられ
るという。特殊な船種が船型で建造造船所が限定されるものでは、船主が 3 年以上先の船台を押さえたケースもあるようだ。
内航船は外航船に比べて建造期間が短く、契約から竣工までの期間が 1 年以下というケースも数多くある。ただ、造船所が線表をで
きる限り進める方針をとっていることを受けて、「リプレースを予定している内航船主の中に船台がなくなるという懸念もあり、発注
を急いでいる」
(市場関係者)
。このため、リプレースを予定している内航船主は実際に正式契約に調印していないケースもあるものの、
内定という形で船台を押さえているようだ。
NOx3 次規制は、排出規制海域(ECA)の航行が想定される船舶に適用されるため、内航船は適用対象外になる。また、海外へ外航船
として転売する場合には規制の対象になる可能性はあるが、転売先としてメーンとなる東南アジア諸国などでは現時点で対象外。
7. 当行の海運融資の取組
(1) 海運業との関わりと取組姿勢
① 無尽の発展
明治代の「波方(現在の今治市波方町)
」の船主の船は木造船で、風を推進力として動く帆船であった。しかも船型
が小さく風や波に弱かったので、天候によっては思わぬ大事故に遭遇し、多大な損害が発生することがよくあった。
沈没せぬまでもその修理代の調達は大変であった。これらの船舶の建造や修理には多額の資金が必要だったが、当時
は銀行もなく簡単に資金を調達することができなかった。そこで波方の船主達は「無尽」を組織し、資金を融通し合
った。無尽制度は金融機関の発達しない頃の地方での唯一の金融手段であった。
今治においては「今治無尽株式会社」があり船舶金融を行ってきたが、昭和 18 年 3 月には県下の5つの優良無尽
会社(東予無尽、常盤無尽、松山無尽、今治無尽、南予無尽)が合併して「愛媛無尽株式会社」となった。この「愛
媛無尽㈱」が当行「愛媛銀行」の前身である。平成 27 年 9 月 16 日、当行は大正 4 年の「東予無尽貯蓄株式会社」の
創業から起算して創業 100 年を迎えた。
当時の波方・波止浜には他にも金融機関はあったが船舶への貸出は無く、船舶貸出はもっぱら愛媛無尽㈱であった。
当行は、前身の「無尽」の時代から当地ではいち早く船舶貸出に取組んできた実績がある。
【無尽制度】
「無尽」とは、日本で古くからあった相互扶助を理念とした金融方式のことをいう。(無尽講、頼母子講ともいう。)複数の個人や
法人等が「講」等の組織に加盟し、一定の口数を定め、一定の期日ごとに一定の出資(掛け金)をさせ、1 口ごとに抽選や入札によっ
て所定の金額を順次加入者に渡す方式でお金を融資するもの。
「無尽」は 1500 年前にインドから中国を経て仏教とともに日本に伝わったものといわれており、
「相互扶助、助け合い、思いやり」
の精神で庶民の間で発達してきた。
愛媛県にも古くから各地に「無尽」があった。現代のように金融機能が発達していない時代に、多額の資金が必要な船舶の建造や大
事故の修繕費用を調達する場合において、互いが資金を持ち寄り大金を用立てる「金融システム」が必然的に発達してきた訳である。
【愛媛の無尽会社】
無尽業法施行後、愛媛県では、東予無尽蓄積株式会社(大正 4 年 9 月設立、新居郡西条町)、今治無尽株式会社(大正 5 年 2 月設立、
越智郡今治町)、常盤無尽金融社(大正 10 年 1 月設立、宇摩郡土居村)
、松山無尽株式会社(大正 12 年 9 月設立、松山市久保町)、南
予無尽株式会社(昭和 7 年 10 月設立、宇和島市本町)が設立され営業を開始した。
以後、5 つの無尽会社がそれぞれ東予、中予、南予を地盤としながら競合していたが、戦時下の昭和 18 年 3 月 20 日に大蔵省の行政
指導下で 5 社は合併し「愛媛無尽株式会社」となった。その後、昭和 26 年 10 月に愛媛相互銀行、平成元年 2 月に愛媛銀行となった。
愛媛県では、大正 8 年に工業生産額が生産総額の過半に達してはいるものの、県統計書で就業構造を見ると、総戸数 204 万戸のう
ち農業を本業とする農家と副業とする農家を合わせて 62%あり、農業は県内最大の産業であった。県内の農村でも無尽・頼母子講が
盛んだった。
※巻末に参考資料として、≪参考⑬≫「ひめぎん物語−愛媛銀行創業 100 年史−より」添付
② 愛媛相互銀行(愛媛銀行)の船舶貸出
船舶貸出を得意としていた愛媛無尽㈱は、昭和 26 年 5 月に相互銀行法が成立に伴い、同 10 月、新しく㈱愛媛相互
58−109
銀行となった。また、当地の船舶は木帆船から鋼船へと切り替わっていき、それに伴い船価は高額化していった。そ
れに対応して愛媛相互銀行も無尽方式から一般融資へ切り替え、更に積極的に船舶融資に取り組んでいった。船舶融
資では伊予銀行を上回った時期もあり、巷では「海運銀行」と呼ばれた。
その後、平成元年 2 月には㈱愛媛銀行となり普銀転換した。海運業の発展に伴って海運業者は内航船から外航船へ
進出し、便宜置籍船を建造して来たが、当行は外国船を担保とした海外子会社への貸出にも早くから理解を示し、積
極的に取組んできた。
③ 地場産業の支援育成
海運業は愛媛県の地場産業であり、当行は古くから海運業向け貸出を積極的に行ってきた。お客様との取引歴も古
く、
「先々代社長からのお付き合い」という取引先も沢山ある。その間、内航船も外航船にもいくつもの山谷があった
が、お客さまと苦労を共にし、助け合い今日に至っているものと確信している。弊行は、お客様と我々地域金融機関
は運命共同体であると考えている。
これからも変らず、お客様との「絆」を大切にしつつ、地場産業である海運業を積極的に支援していく方針である。
④ 融資スタンス
海運市況は大きく変貌しているが、当行の融資スタンスは従来と変わることはない。融資の考え方の基本は、船主
コーポレートの信用力(財務内容、所有船のキャッシュフローと含み資産、実態バランスなど)と個別案件の事業計
画・収支計画(船価、用船料、用船期間、オペレーターの信用力、運航コストの状況、リスクヘッジ策、自己資金の
投入割合など)および外部環境(海運市況・需給バランス、世界経済の展望、為替相場、金利動向など)を勘案した
総合的な審査・判断である。
基本的な貸出形態は対象船舶の法定耐用年数内での均等返済(自己資金 10∼20%、テールヘビー10%)である。ま
た、契約・起工・進水から建造までの分割貸出(ブリッジローン)についても対応している。
その他、基本的な考え方は「1 船 1 行主義」である。
(ただし、大型船などについてはシンジケート・ローンや協調
融資も排除していない。
)また、船の種類やオペレーターについて特に排除しているものはないが、基本的には国内オ
ペレーターまたは海外有力オペレーターで、造船所は原則として国内造船所としている。
(2) 新しい融資手法の導入
① シンジケート・ローンと債権流動化
平成 16 年 12 月には、当行がアレンジャーとなり地元船主向けにシンジケート・ローンを組成した。シンジケート・
ローンは当行では初の試みであると同時に、地方船主向けの船舶シンジケート・ローンとしても国内初の取組みであ
った。近年、愛媛船主の財務内容は格段に向上し、大型・高額船を所有できるようになってきており、これに対応し
た取組でもあった。
続いて平成 17 年 1 月には船舶貸出債権の流動化スキームを立上げた。このスキームにより当行貸出債権の一部を
機関投資家に譲渡することで当行には新たな融資枠が生まれ、新造船の貸出支援につながった。
【シンジケート・ローン】
シンジケート・ローン(Syndicated Loans)とは、複数の金融機関がシンジケート団(協調融資銀行団)を組成し、一つの契約書
に基づき同一条件で融資を行う貸出形態で、借入人からの組成依頼を受け、アレンジャーが参加金融機関の募集・契約書の取り纏め等
を行う。借入人にとっては、アレンジャーを窓口とすることで大口の資金調達が可能となり、また、条件交渉が効率化される等のメリ
ットがある。
なお、借入実行後についても、エージェント(一般的にはアレンジャーが担当する)が資金管理やシンジケート団との折衝・連絡等
を担当する。そういった意味で、シ・ローンは一般の「協調融資」とは異なる。
【船舶貸出債権の流動化、ローン・パーティシペーション】
貸出債権の流動化とは、金融機関が保有する貸出債権を特別目的会社(SPC = Special Purpose Company)へ譲渡し、当該債権の
みのキャッシュフローを担保として、資本市場において不特定多数の投資家から資金を調達する市場直接金融の手法である。
ローン・パーティシペーション(Loan Participation)とは、貸出債権に係る債権者と債務者間の権利義務関係を移転・変更せずに、
原貸出債権に係る経済的利益とリスクを原債権者から参加者(ローンの購入者)に移転させる契約のことをいう。
② 今後の取組姿勢
シンジケート・ローンや貸出債権の流動化といった手法は、船舶が大型化、高額化する中で、お取引先様の資金ニ
ーズに積極的にお応えする一方で、銀行としての「適正な資産規模の維持と貸出金の特定業種への偏重を回避」しな
がら、且つ、お取引先様との良好な取引関係を保った上での「貸出資産の効率的な回転」を志向して導入しているも
の。当行の基本的なスタンスは前述の通りで何ら変わること無く、これらの新手法は銀行としての融資手段の品揃え
の一つとしての位置付けである。これらの手法を駆使することで、理論的には VLCC や LNG などの超高額船にも対
応することが可能となった。
当行の融資スタンスは前述の通りで、基本的には 1 船 1 行主義としながらも、案件によってはシンジケート・ロー
ン等の手法を組み合わせながら、お客様のニーズに応えていきたいと考えている。いずれにしても海運業は当地の有
力地場産業であり、お客様とのリレーションを大切にしつつ、引き続き海運業の発展に積極的に関わっていく方針に
変わりない。
59−109
(3) リスク管理
① 市場リスク
マーケットの下落等のリスクに対して船主は、全世界規模の経済動向予測(海上貨物量の増減予測)
、現状の船腹量、
建造契約(受注)残高、新造船の竣工予定、造船所の建造能力、船齢・船種別の構成、スクラップ予測などを総合的
に分析し、将来の需給バランスを把握(予測)した上で事業計画を策定しなければならない。
それらの情報収集・分析を行い、情報提供と適切なアドバイスを行うために当行では審査部内に「船舶ファイナン
ス室」を設置し、専門スタッフを揃えて対応している。
(スタッフは海運会社やオペレーター・商社等へ出向して専門
知識を習得している。
)また、営業店にも海運会社・商社・ブローカーなどの出向や OJT により海運業の専門知識を
習得した行員を配置している。(中にはロンドンやハンブルグなどの海外勤務経験者もいる。)その他、現在、都内の
海運会社へ 1 名、ジャカルタの ERIA(=東アジア・ASEAN 経済研究センター)に 1 名、メガバンクのハノイ支店
に 1 名、国土交通省に 1 名が出向している。これらの専門スタッフの人的情報網や各種データを活用し、常日頃から
調査・分析を行うと共に地元船主との情報交換を行っている。
【ERIA(東アジア・ASEAN 経済研究センター)
】
ERIA は、インドネシアの首都ジャカルタに拠点を置く国際シンクタンクである。東アジア経済統合の推進を目的に、地域の課題分
析、政策の立案および提言を行う国際研究機関として 2008 年 6 月 3 日に設立された。東アジア経済統合の推進、域内経済発展格差の
是正、持続的な成長の実現を主要な政策分野とし、各種政策研究プロジェクトを立ち上げて、その成果を東アジアサミット等の場を活
用して各国首脳・閣僚を含む政策当局者に提言、実現を促していく機関である。
※ERIA のスタッフは 45 名。その内、民間企業としては、双日(総合商社)、JR 東日本、九州電力、全日空、金融機関と
してはみずほ銀行、大和證券、愛媛銀行、その他として JETRO、ASEAN 事務局などが参加している。
② 用船リスク(オペレーターの信用力)
海運マーケット自体が低迷する場合、一時的に影響を受けるのはオペレーターである。船主は、オペレーターとの
定期用船契約があり安定した用船料収入を確保しているので、当面は直接的な影響は少ない。ただし、定期用船契約
の期限には契約は更新されない(あるいは用船契約が更新されても用船料は減額される)というリスクを抱えている。
また、最悪の場合、オペレーター倒産(用船契約の中途解除、用船料の未収)のリスクもある。
これらのリスクに対しては、オペレーターの信用力の十分な調査や用船契約内容のチェックを行い備えなければな
らない。船主や金融機関は、コリアライン、ドーヴァル海運、三光汽船、STX パンオーシャン、第一中央汽船などの
破綻があり、船舶貸渡業の根幹である『オペレーターの信用力』の審査・把握が如何に大切か身をもって経験した。
③ 船主(オーナー)の信用力
市場リスクや用船リスクが顕在化した場合においても、最終的には船主の体力勝負ということになるので、ファイ
ナンサーは個別案件の審査と同時に船主の総合的な企業体力を審査する。具体的には、所有船全船の実績チェック、
全体収支計画の検証、新造船の計画と売船計画、含み資産および現預金等のストックの検証などの他、企業・船舶の
管理態勢と陣容、経営者の経験・資質・後継者の有無、個人資産による補填余力の確認などを併せて行う。また、ス
トレス・テスト(最悪シナリオによるシミュレーション)による船主体力(抵抗力)を検証する。
その他、企業にはその企業力(資金力や管理能力・スタッフなど)に見合った適正規模というものがあり、それを
超えている場合は適正に指導していく。
【用船料債権譲渡担保と用船契約地位譲渡契約】
船主とファイナンサーとの間で(用船者の承諾を得て)用船料債権譲渡契約を締結する場合がある。これは、法的には譲渡担保設定
契約で、船主に信用不安がある場合にファイナンサーが船主に先んじて用船料を受け取ることができるようにしたもの。ただし、ファ
イナンサーが用船料収入を先に受取り貸出金の回収に充当してしまうと、本船を動かすために必要な経費(船員費、船用品費、潤滑油
費など)を支払うことができなくなり、最悪の場合、本船の運航が止まり用船料収入がストップするといった事態も考えらるので、一
概に有効な対策とは言い難い。(先取特権の問題もある。)
一方、用船契約地位譲渡契約は、船主がデフォルトした場合にファイナンサーが用船契約を譲り受け、他の船主に譲渡し、船舶を継
続して用船・運航することができるようにするもの。オペレーターの船隊維持のために採られる手法でもある。この場合、逆に、ファ
イナンサーからは用船者に「抵当権を行使しない」(船舶を売船しない)旨の契約が結ばれる。
④ その他のリスク
その他のリスクとして以下の項目が考えられる。
a. 為替リスク・・・現状相場より1割程度円高の相場で収支シミュレーションし円高抵抗力(収支が均衡する限界為替相
場)を判定
b. 金利リスク・・・年々金利アップのシミュレーションで判定
c. 経費上昇リスク・・・年率2∼5%アップのシミュレーションで判定
d. 用船期間リスク・・・大型船は7∼10年を目安
e. 事故リスク・・・主要航路を確認、船体保険、P.I.保険の付保状況を確認
f. 戦争・海賊リスク・・・紛争地域へ配船される可能性の有無を確認、保険の付保状況を確認
※これらのリスクをヘッジするためには、個別の船舶整備計画(借入計画)において、適正な自己資金の投入と
全社的な資産(現預金を含む)のストックが必要。
60−109
⑤ ファイナンサーとしての対応
以上の各種リスクに対応しファイナンサーとして留意すべき事項は以下の通り。
a. 経営者の管理能力と管理スタッフの充実を指導する(後継者の育成を含む)
b. 企業体力に見合った船隊整備(隻数等)を指導する
c. 所有船は特定船種に偏重させない(汎用性のある船種を基本とする)
d. 用船期間は短期のものは避け、中長期用船で安定したものとする
e. 短期集中的な新造船計画は避けるよう指導する(船齢の分散)
f. 投機的な新造船計画は避けるよう指導する(過大投資の抑制)
g. 適正なリスクヘッジを指導する(保険契約、為替対策等)
h. 業種への偏重を避け、適正なポートフォリオを確保する
i. オフバランス(流動化)、協調融資(シ・ローン)の対応を流動的に検討する
8. 造船業について
(1) 世界の造船状況
造船業界は 2008 年のリーマン・ショックまでは海運市況の高騰を受けて順調に新造船の契約を獲得し、各社フル
操業で多数の船舶を建造してきたが、2009 年以降は新規受注は激減してきた。新規受注は減少したものの、海運好調
時の契約が残っていたため 2011 年までは高操業が続いていた。ところが 2011∼12 年は新規契約も減少し受注残も減
少してきたため、各社は操業をスローダウンするなど工夫をしながら凌いできた。建造量で世界一の中国、二位の韓
国、三位の日本と各国の造船所は厳しい経営を続けてきた。
しかし、2013 年に入ると、海運市況は依然として低迷していたが、これにより新造船価は下がり、船主は「船価は
底値」と見て新たに新造船の発注に動き出したため、受注量は増加に転じた。特に、日本の造船各社は燃費性能の優
位性と円高是正による価格競争力向上等により 2013 年前半に新規受注が急増し、現状は概ね 2017 年中の工事量を確
保している。
※新造船竣工量は、2014 年は世界全体で 64,442 千総トンで、海運市況の低迷を受けて 2011 年をピークとして
減少傾向にある。国別で見ると、2014 年の建造量は、中国が 22,682 千総トン(2011 年比△16,927 千総ト
ン)
、韓国が 22,455 千総トン(2011 年比△13,395 千総トン)
、日本が 13,421 千総トン(2011 年比△5,946
千総トン)となっており、各国とも減少している。
※手持ち工事量は、2008 年がピークで、2012 年がボトム。2013 年は増加している。
※受注量は、2007 年がピークで、2012 年がボトム。2012 年は 2007 年比△77.6%である。
【世界造船首脳会議、造船過剰能力「対策不十分」、技術革新など促進】(出典:2014.11.19.海事プレス)
造船 5 極(日本、欧州、中国、韓国、米国)の主要造船所の経営者が一堂に会する「JECKU 造船首脳会議」が 5∼7 日にフランス・
パリで開催された。課題となっている造船所の過剰供給能力については、オフショア市場進出などによる形で是正が図られているもの
の、「造船業の健全な需給バランスを取り戻すには、これらの対策だけでは不十分」との認識で共有。技術革新を促進させることで老
齢船の市場撤退を促すといった方向性が確認された。
【JECKU 議長声明概要】
▼2014 年の世界経済は困難な状況で、造船市況も全ての地域で受注残は限定的な増加にとどまった。
▼大宗船マーケットの供給は依然として需要を上回っており、不均衡を生み出している。造船所は過剰供給能力への対策として、造船
の量より質の向上や、オフショア市場のような新しいハイテク事業分野への特化を実施しているが、これら対策では不十分。
▼海運業界が環境対策を推進していることは、造船業界が不効率船の市場退出を支援し、規制を満たす高性能で技術先進性のある船を
提供するための真の機会をもたらす。
▼現在の環境規制の枠組みとは別に、海運・造船業界のパラダイム・シフトとして、船舶の自動化、輸送効率の向上、ビッグデータ、
情報技術の拡張的な採用に焦点を当てた議論が行われた。
海運に対する認識を革新的に変え得るパラダイム・シフトの導入を模索する際、CESS(造船関係専門委員会)はベストプラクティ
スを議論するための効果的なプラットホームを提供できる。
【船舶海洋工学会、ビッグデータの海事利用で討論会】(出典:2014.12.02.海事プレス)
日本船舶海洋工学会は英国造船学会(RINA)と共同で、
「第 4 回世界船舶海洋工学ファーラム」を 11 月 28 日に開催した。海事業界
でも、ビッグデータを活用できるかがテーマとなり、共有可能なデータの選別と共有化などを進めるべきとの考えが打ち出された。ま
だ暗中模索な部分もあるが、ビッグデータ利用による様々なメリットが見込める可能性を秘めていることが確認された。
【国別の船舶竣工量の推移】(単位:千総トン)
(出典:日本造船工業会/造船関係資料)
2004 年
2005 年
2006 年
2007 年
2008 年
2009 年
2010 年
2011 年
2012 年
2013 年
2014 年
日本
14,515
16,434
18,176
17,525
18,656
18,972
20,218
19,367
17,426
14,588
13,421
韓国
14,768
17,689
18,717
20,593
26,379
28,849
31,698
35,850
31,583
24,504
22,455
中国
4,679
6,466
7,665
10,553
13,956
21,969
36,437
39,609
39,003
25,903
22,682
欧州諸国
2,712
2,440
3,112
3,956
3,616
2,680
2,955
1,332
1,243
992
1,189
その他
3,497
3,940
4,448
4,693
5,083
4,602
5,125
5,687
6,320
4,493
4,695
40,171
46,970
52,118
57,320
67,690
77,073
96,433
101,845
95,575
70,480
64,442
世界合計
61−109
45,000
40,000
35,000
30,000
日本
25,000
韓国
20,000
中国
15,000
10,000
5,000
0
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
※以前は日本は造船大国として世界をリードしてきたが、2004 年には韓国が日本を抜いて世界1位となり、更に 2010 年に
は中国が韓国を抜いて 1 位となっている。韓国の造船企業は財閥系企業など圧倒的なスケールを有している。中国の造船
企業は国営企業を中心とした国策として躍進している。
※以前は日本と韓国が世界全体で高いシェアを占めていたので、両国が生産調整し不況を乗り切ってきたが、現在は中国が
竣工量、受注量、手持ち工事量ともにトップなので容易に調整が効かないようである。
【世界主要造船国別手持ち工事量】(単位:千総トン)
(出典:日本造船工業会/造船関係資料)
2006 年
2007 年
2008 年
日本
2004 年
49,708
2005 年
51,871
56,933
63,814
63,641
2009 年
51,966
2010 年
2011 年
2012 年
2013 年
2014 年
42,474
34,270
25,828
26,089
32,875
韓国
54,355
59,282
77,265
126,531
137,596
中国
20,466
25,940
44,778
97,761
123,961
104,252
89,595
75,872
52,109
60,624
61,080
111,148
103,031
84,000
63,475
73,039
その他
21,684
26,929
29,899
41,626
80,452
42,872
33,145
25,916
22,825
18,957
23,112
世界合計
146,213
164,022
208,875
329,732
22,982
368,070
300,511
261,016
216,967
160,368
182,863
197,389
160,000
140,000
120,000
100,000
日本
80,000
韓国
中国
60,000
40,000
20,000
0
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
※日本の 2014 年の竣工量 13,421 千総トンの実績からして、手持ち工事量 32,875 千総トンは約 2.4 年。
【世界主要造船国別受注量】(単位:千総トン)
(出典:日本造船工業会/造船関係資料)
2010 年
2011 年
2012 年
2013 年
2014 年
日本
2004 年
28,860
2005 年
16,502
2006 年
22,557
2007 年
20,413
2008 年
14,733
2009 年
8,509
11,921
7,689
8,851
13,804
19,325
韓国
24,976
21,609
38,109
67,893
34,643
8,522
27,912
25,125
11,967
35,452
24,649
中国
10,974
10,621
27,352
61,342
29,112
14,947
36,118
19,112
13,761
43,925
32,057
その他
12,390
11,268
11,582
18,192
8,059
1,622
6,449
4,874
3,821
10,019
6,551
世界合計
77,200
60,000
99,600
169,600
88,000
33,600
82,400
56,800
38,400
103,200
82,582
80,000
70,000
60,000
50,000
日本
40,000
韓国
30,000
中国
20,000
10,000
0
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
【世界造船所売上ランク、中国が拡大、三井造船が5位に】
(出典:2015.09.04.海事プレス)
2014 年度の世界の造船・海洋事業の売上高(邦貨換算)ランキングでは、前の年から売上規模を増やす造船所が目立った。特に中
国の国営造船所が、再編などの影響で大幅に売上を拡大した。トップ 10 社は前年と同じで、日本からは三井造船、今治造船、ジャパ
ンマリンユナイテッドの 3 社が 10 位内に入った。順位には変動があり、三井造船が子会社の三井海洋開発の大幅増収によって船舶部
門の売上が今治造船を上回り、初めて世界 5 位に浮上した。
62−109
【主要造船所の造船・海洋事業売上高】(出典:海事プレス)(韓国は 2011 年以降は連結ベースで表示)
(売上順)
(2012 年度、単位:億円)
企業名
国籍
(2013 年度、単位:億円)
売上高
現代重工業
韓国
16,267
サムスン重工業
韓国
大宇造船海洋
企業名
国籍
(2014 年度、単位:億円)
売上高
企業名
国籍
売上高
現代重工業
韓国
19,952
現代重工業
韓国
22,007
9,699
大宇造船海洋
韓国
13,474
大宇造船海洋
韓国
16,188
韓国
9,504
サムスン重工業
韓国
12,934
サムスン重工業
韓国
13,055
STX 造船海洋
韓国
4,417
フィンカンチェリ
イタリア
4,946
フィンカンチェリ
イタリア
6,171
今治造船
日本
4,196
今治造船
日本
4,033
三井造船
日本
4,917
ジャパンマリンユナイテッド
日本
3,346
三井造船
日本
3,773
大連船舶重工業
中国
4,029
三井造船
日本
3,212
STX 造船海洋
韓国
2,906
今治造船
日本
3,787
大連船舶重工業
中国
2,761
ジャパンマリンユナイテッド
日本
2,844
ジャパンマリンユナイテッド
日本
3,003
常石造船
日本
2,523
大連船舶重工業
中国
2,705
STX 造船海洋
韓国
2,993
フィンカンチェリ
イタリア
2,447
上海外高橋造船
中国
2,231
上海外高橋造船
中国
2,933
三菱重工業
日本
2,258
ダメン・グループ
オランダ
2,206
ダメン・グルーフ
オランダ
2,806
上海外高橋造船
中国
1,894
常石造船
日本
2,159
江南造船
中国
2,390
揚子江船業
中国
1,867
新世紀造船
中国
2,050
揚子江船業
中国
2,350
ダメン・グループ
オランダ
1,744
揚子江船業
中国
2,024
新世紀造船
中国
2,322
滬東中華造船
中国
1,615
三菱重工業
日本
1,838
常石造船
日本
2,236
大島造船所
日本
1,414
大島造船所
日本
1,309
広州広船国際
中国
1,774
新来島どっく
日本
1,268
江南造船
中国
1,672
武昌船舶重工
中国
1,560
成東造船海洋
韓国
1,252
SPP 造船
韓国
1,251
大島造船所
日本
1,242
ティッセン・クルップ
ドイツ
1,218
名村造船所
日本
1,093
SPP 造船
韓国
1,185
SPP 造船
韓国
1,050
韓進重工
韓国
982
名村造船所
日本
1,174
名村造船所
日本
1,036
成東造船海洋
韓国
910
韓進重工
韓国
1,017
江蘇熔盛重工
中国
1,004
新来島どっく
日本
904
澄西船舶
中国
944
※入手可能な最新の公開資料より作成。中国の一部造船所は現地報道より。グループ企業の連結実績を表示。
※売上高は現地通貨を邦貨に換算。
【韓国造船、4 社が最終赤字、為替・低船価・海洋混乱が影響】(出典:2015.04.06.海事プレス)
韓国造船主要 7 社の 2014 年 12 月期連結決算は、
経営再建の特殊要因で黒字化した STX 造船海洋を除く全社で最終損益が悪化した。
このうち現代重工業グループ 3 社と韓進重工は、赤字決算になった。採算悪化を招いたのが、ドルに対するウォン高と、低船価船の建
造による新造船事業の悪化。これに加えて、海洋構造物の工事でコストが膨れ上がり、大規模な損失が発生した。
【燃料安で省エネ装置の経済性に変化、
「エコ」のコストに見直し】(出典:2015.06.15.海事プレス)
船舶の燃料油(バンカー)価格の水準が昨年までと大きく変わったことで、燃費削減のために取り付ける機器や装置の経済性にも変
化が生じている。燃料価格高騰時期には、比較的高価な省エネ装置を付加しても燃費節減効果で「数年間で元が取れる試算が成り立っ
た」(造船所関係者)が、バンカー価格の下落で当初計算とずれが生じている。以前は新造船発注時にオプション的に省エネ付加物を
追加で搭載する例があったが、コストアップにつながる機器は採用を見合わせる例もあるようだ。バルカー用船料低迷もあり、「エコ
シップ」のコストが改めて見つめなおされている。
【上期新造船受注量、日本が 2 位に浮上、世界シェア 26%】(出典:2015.08.10.海事プレス)
IHS(旧ロイド)統計速報値によると、2015 年 1∼6 月の新造船受注量で日本が 2 位に浮上した。日本が 2 位になるのは 2005 年以
来約 10 年ぶり。首位は韓国で、ここ数年首位だった中国は 3 位に転落した。シェアはそれぞれ 37%、26.4%、25.9%。バルカーが低
迷する一方、コンテナ船やタンカーの受注が好調だったことが影響した。また、世界全体の新造船受注量は 917 隻・3652 万総トンで、
前年同期比 31%減(総トンベース、以下同)となった。国際船級協会連合(IACS)の新規制の新共通構造規則(H-CSR)適用前の駆
け込み契約があったものの、前年同期を下回った。
【中国造船、1~8 月受注量 7 割減、8 月わずか 100 万重量トン】(出典:2015.09.18.海事プレス)
中国船舶工業行業協会(CANSI)によると、今年 8 月の中国造船業の新造船受注量は前年同月比 37%減の 105 万重量トンだった。
100 万重量トン割れとなった 4 月に次ぐ低水準で、バルカーの商談停滞による中国造船業の受注低迷が浮き彫りになった。単月ベース
の受注量は 11 カ月連続で前年同月を下回っている。1~8 月累計は前年同期比 68%減の 1505 万重量トンとなった。
竣工量は 8 月が前年同月比 85%増の 262 万重量トン、1~8 月累計が前年同期比 15%増の 2531 万重量トンとしており、昨年に比べ
上向いている。手持ち工事量は受注低迷に伴って減少が続いており、昨年に比べて上向いている。手持ち工事量は受注低迷に伴って減
少が続いており、8 月末時点で 1 億 3514 万重量トンで、7 月末時点と比べて 156 万重量トン減少。1 年前と比べると 1856 万重量トン
減少した。
【世界造船業の利益率ほぼゼロに、昨年 0.3%に低下】(出典:2015.09.11.海事プレス)
海事プレス試算によると、2014 年度の世界主力造船 30 社の造船・海洋事業の売上高営業利益率は平均 0.3%だった。同じ 30 社の前
年平均に比べて 0.9 ポイント低下し、ほぼ収支均衡(利益ゼロ)のレベルにまで落ち込んだ。韓国大手が海洋事業の悪化に伴い、大幅
に採算が悪化していることが影響している。その中で、日本の専業造船所は利益率が低下したものの 10%超を維持しており、世界的に
みても稼ぐ力が突出している傾向が続いている。
(2) 日本の造船業の現状
2010 年頃からの海運市況の低下を受けて新造船価格も下落してきており、日本の造船各社の業績(採算)は低下
傾向にあった。海運好況期に受注した船舶(高価格船)の引渡しがあった 2012 年までは業績はまずまずの状況であ
63−109
ったが、
2013 年 3 月期は 2011 年以降に契約した低船価の船舶の引渡しが増える一方で、
資機材は高止まりしており、
各社ともに業績は悪化してきていた。
また、2014 年問題で解説したように、顧客である海運会社も市況低迷、円高・コスト高、燃料価格の高騰などによ
る採算悪化で体力を消耗し、新造船の発注意欲は低下してきており、造船所の新規受注は低調な状況で、受注残高(手
持ち工事高)は減少してきていた。
2013 年以降になり、受注環境は好転してきた。一部の船主(特に欧州の船主)は「船価は底を打った」とみて新規
発注に動き出し、世界的な金余りからファンドマネーが海運市況に流入してきたことも受注増加の一因とみられた。
特に、日本の造船所は円高修正もあって価格競争力(US$ベースで値下げも可能)が出て来ており、加えて、この時
点では、燃料価格が上昇してきていて、燃費性能に優れた「日本船」の評価が高まってきたということであった。
また、日本の造船所は 2017 年まで工事(受注)を確保していたので、
「低船価の受注は見合わせている」というこ
ともあり船価は上昇傾向にあった。その他、船舶管理能力が高い日本船主の評価が高いことから用船の引き合いも増
えていた。
※加えて、船舶に関する環境に対する諸規制(バラストタンクの新塗装基準、地球温暖化ガス排出規制、バラ
スト水管理規制、騒音規制、窒素酸化物排出規制、
)が順次発効(予定も含む)してきており、船価は上昇す
る見通しであった。
ところが、2014 年に入り、上記諸規則を適応できる次期船型について方向性がつかめず、バルカーの新造需要が低
迷する中、規制適用前の新造交渉を各造船所は進めていた。
2015 年に入ると、他の船種に受注をシフトする等造船所ごとの営業戦略により営業を活発化、その結果、国内造船
所は少なくとも 3 年以上の手持ち工事を確保できている状況となっている。
【重工系および造船各社の業績(連結)
】(単位:億円)
売上高
2013/3 期
経常利益
当期利益
2014/3 期
2015/3 期
2013/3 期
2014/3 期
2015/3 期
28,179
33,496
39,921
1,490
1,832
5,771
6,701
8,165
262
262
川崎重工業
12,889
13,855
14,861
393
住友重機械
5,859
6,153
6,671
名村造船所
1,184
1,246
1,356
サノヤス HD
590
467
佐世保重工業
359
内海造船
271
三菱重工業
三井造船
2013/3 期
2014/3 期
2015/3 期
2,747
973
1,604
1,104
149
−82
429
95
606
842
309
386
516
310
330
451
59
179
243
145
237
221
80
127
146
487
44
34
21
4
10
17
310
316
−8
−16
9
−5
−28
1
223
258
30
−19
1
2
−21
1
※有価証券報告書より転記(重工系各社は造船以外の売上も含む)
。ジャパンマノリンユナイテッド㈱は経営統合しているので除く。
【造船 4 社で 400 隻超受注、今治・常石・名村・大島で日本の 7 割】(出典:2014.10.3.海事プレス)
日本の有力専業造船 4 社(今治造船、常石造船、名村造船所、大島造船所)の新造船受注が、昨春から今年 6 月までの 1 年強の間
に合計で 400 隻を超えたことが明らかになった。各社とも受注隻数としては過去最高とみられ、1 年分以上の仕事量を確保した。エコ
シップブームなどを背景に日本全体が新造船受注に沸いたが、特にこの 4 社の受注が突出しており、日本全体の受注のうち 7 割前後を
占めた。また、ジャパンマリンユナイテッド(JMU)は昨年 1 月の発足以来の受注が 50 隻程度とみられ、専業 4 社と JMU を加える
と昨年来の受注隻数は 500 隻近くになり、日本全体の 8 割近いシェアを占めている。
今治造船は 2014 年 3 月期の新造船受注が 150 隻を超え、単年度としては過去最高の受注を獲得した。常石造船は昨年 1 年間で新造
船 63 隻を受注し、今年は内定を含めて 45 隻を受注済みで、1 年強で 108 隻の受注を獲得した。名村造船は前期に函館どっく分を合
わせて 52 隻を受注し、今年度は 4∼6 月で 20 隻を受注していることから、1 年強で計 72 隻の受注を獲得した。このほどグループ化
した佐世保重工の同期間の受注は 20 隻となり、新グループとしてみると受注隻数は合計で 92 隻となる。大島造船所は 2014 年 3 月期
の新造船受注が過去最高の 65 隻で、3 年以上の手持ち工事を維持している。
同期間の日本全体の新造船受注隻数は、輸出船契約ベースで 616 隻だった。厳密には対象となる船と期間が若干ずれてはいるもの
の、4 社がこのうち 7 割前後を受注したことは間違いなさそうだ。もともと日本国内に占める 4 社の市場シェアは大きい。ただ、新造
船の竣工量でみても 4 社のシェアは総トンベースで 50%強。
【国内造船所の造船人員、5 年連続減、9 年前水準に】(出典:2014.10.6.海事プレス)
日本造船工業会がこのほど取りまとめた統計によると、国内造船所の造船部門の総人員数(造工会員)は、今年 4 月時点で前年同月
比 5%減の 4 万 4,340 人だった。減少は 5 年連続。団塊世代のリタイヤや、操業減に伴う協力工の縮小で、造船ブーム初期の 2005 年
頃と同じ規模まで減った。職制別では、事務・技術職が 1%減の 8,972 人、技能職が 11%減の 1 万 1,867 人、協力工が 3%減の 2 万
3,501 人だった。
造船業の人員数は造船ブーム期に増え続け、ピーク時の 2009 年には 5 万 3,896 人に達した。増産のために人を増やしただけでなく、
将来の団塊世代の退職に備えた採用で膨らんだ面もあった。その後、需要低迷に加えて、大量退職が実際に始まったことから 2010 年
以降に減少に転じている。今年はピーク時の 2009 年に比べて 9,556 人減少した。
【原油価格、造船業のリスク要因に、海洋とエコ船の需要に影響】(出典:2014.10.7.海事プレス)
下落を続ける原油価格が、造船所にとって新たな事業リスクとして認識されつつある。これまで燃料油価格が高止まりしてきたこと
が、燃費性能の優れた「エコシップ」への代替需要を促していた。また、原油価格高騰を受けて石油メジャーらが海洋開発投資を積極
化したことで、造船所には大型海洋構造物や支援船などの仕事がもたらされてきた。これらの需要が減退するような水準にまで原油価
格が即座に落ち込むことは考えにくいものの、
「海洋」と「エコ」という造船業を支える 2 つの柱が、いずれも原油価格によって支え
られていることが改めて浮き彫りになっている。
64−109
このまま原油価格下落が続いた場合、影響が予想されているのが海洋開発関連の市場だ。こうした製品分野(海洋構造物関連)は、
これまで韓国造船大手やシンガポール大手が注力してきた分野。特に韓国大手は海洋開発に関する製品全般を戦略製品として育成して
きたため、大きな影響がでる。また、日本の造船所も原油価格下落とは無縁ではない。過去数年の造船マーケットで、船腹供給過剰に
も関わらず新造発注が続いてきた大きな理由が、エコシップへの代替需要だった。省エネ性能は日本造船業が他造船国との競争を図る
うえでの中核的な戦略でもあり、燃料油価格が大きく落ち込めば、この前提が崩れることになる。
世界各地の造船所の事業戦略が、原油価格高騰の上に立脚していたことが浮き彫りになり、需給の危うい均衡が改めて認識された格
好だ。
【今治造船、丸亀に大型ドック、2 万 TEU 型 11 隻受注】(出典:2015.01.30.海事プレス)
今治造船は、丸亀事業本部の隣接地で全長 600mの大型ドックを建設する計画を正式に発表した。関連設備も含めた投資総額は 400
億円。これと同時に、2 万TEU型コンテナ船 11 隻の受注も発表した。全長 400m規模のメガコンテナ船をはじめとした大型船のロッ
ト建造に対応し、西条工場建設以来の大型投資に踏み切る。
新ドックは長さ約 600m、幅 80mで、グループの新造船用設備としては最大となる。丸亀市都市開発公社から払い下げを受けた埋立
地約 10 万㎡に建設し、吊り能力 1200 トンのゴライアスクレーンを 3 基設置する。完成は 2016 年 10 月の予定。ドック建設に合わせ
てブロック工場なども建設する。設備投資の総額は約 400 億円を予定している。
【専業造船、脱バルカーで線表確定、今治はコンテナ船、名村はアフラ】(出典:2015.07.22.海事プレス)
バルカーの新造需要が低迷する中、他の船種を製品メニューとして併せ持っていたプロダクトミックス型の専業造船所が、バルカー
以外の船種に営業をシフトして少なくとも 3 年∼3 年半分の仕事量を確保した。今治造船はコンテナ船の受注を拡大し、名村造船所は
アフラマックス・タンカーの受注を進展。尾道造船は MR 型プロダクト船の受注と船種変更を進めた。「脱バルカー」に機動的に動い
た造船所の多くは、これまでも新造商談にはさまざまな形で柔軟に対応していた造船所が多く、今回も新造マーケットの潮目の変化に
素早く対応したともいえそうだ。
【国内造船、アフラ受注残 30 隻規模、住重・名村・常石、新規制対応は三者三様】(出典:2015.07.31.海事プレス)
バルカーの新造商談が低迷する中、下期以降の商談でもアフラマックス・タンカーへの期待が高まっている。国内造船所は新規制の
新共通構造規則(調和化船体構造規則、H-CSR)適用前の駆け込み需要を背景にアフラマックスを相次いで受注しており、本紙集計で
国内造船所のアフラマックスの受注残は昨年 6 月末時点の計 10 隻から計 29 隻に大幅に拡大した。今後の商談では H-CSR への対応が
必須になるが、来年 1 月の起工船から適用される窒素酸化物(NOx)3 次規制への対応を含めるかどうかで、各社違いもある。下期は
秋口までが商談の分岐点の 1 つになりそうだ。
【国内造船、LPG 船やコンテナ船で営業展開】(出典:2015.08.07.海事プレス)
バルカーの新造需要が低迷する中、国内造船所に LPG 船やフィーダーコンテナ船の営業を積極的に展開する動きが広がっている。
ドライバルク市況の低迷を受けて、プロダクトミックスを展開する造船所がタンカーなどバルカー以外の船種に営業をシフトする動き
は以前からあったが、7 月から適用された新規制の対象となるタンカーやプロダクト船は、規制に対応したデザインがまだ少ない。そ
の一方で、コンテナ船や LPG 船は新規制の影響を受けないことから、複数の造船所が水面下で新型船の開発を進め、7 月以降の商談
でいち早く営業を開始している。
【日本の造船受注、リーマン後最高の公算大、156 万トン】
(出典:2015.09.17.海事プレス)
日本船舶輸出組合が 16 日発表した 8 月の輸出船契約実績は 27 隻・156 万総トンだった。総トンベースで前年同月の 3.5 倍となり、4
カ月連続で前年同月を上回った。来年 1 月の起工船から対象となる NOx(窒素酸化物)3 次規制などを背景に契約実績は高水準が続い
ている。1∼8 月累計は 19%増の 1384 万総トンで、年間実績はリーマン・ショック後最高を更新する公算が大きくなっている。
7 月以降の契約船から国際船級協会連合(IACS)の新共通構造規則(調和化船体構造規則:H-CSR)が適用され、6 月の“駆け込み”
契約の反動などから受注量が急減速するとの懸念もあったものの、月間 100 万総トンを大幅に上回っている。今年は 2 つの大型規制が
重なったことで、月間 100 万総トンを下回ったのは 2 月のみとなっている。
8 月の契約船の内訳は自動車船 2 隻、バルカー18 隻(ハンディ 2 隻、ハンディマックス 8 隻、パナマックス 2 隻、ケープサイズ 3 隻、
鉄鉱石運搬船 3 隻)
、LNG 船 2 隻、ケミカル船 5 隻。27 隻のうち純輸出船はわずか 3 隻で、邦船系が大半を占めた。
【JMU、スエズ型タンカー建造再開、10 年ぶり受注】(出典:2015.09.29.海事プレス)
ジャパンマリンユナイテッド(JMU)は、新規制に対応したスエズマックス・タンカーの新船型を開発し、建造を再開する。海外紙
によると、ギリシャ船主キクラデスから 16 万重量トン級タンカー2 隻を内定したようだ。正式に受注すれば、JMU は契約ベースで約
10 年ぶりのスエズマックス受注になる。津事業所で建造するとみられる。バルカーの新造需要の低迷を受けて、スエズマックスでいち
早く新規制に対応した船型の開発を進め、建造再開に踏み切った格好だ。
受注したスエズマックスは 16 万重量トン級で、今年 7 月に適用された国際船級協会連合(IACS)の新共通構造規則(調和化船体構
造規則:H-CSR)に対応した新船型になる。寸法や積み高なども見直したほか、エコ使用にアップデートしており、従来船型から大幅
に燃費性能を向上させている。JMU は、今年 7 月以前からスエズマックスの開発を進め、営業を開始していた。
津事業所では近年、ケープサイズやパナマックスなどのバルカーをメーンに建造している。昨年には、SPB タンクを搭載した LNG
船を約 24 年ぶりに受注するなど船種の多様化も進めている。ただ、原油価格の低迷を背景とするシェールガスプロジェクトの開発の
遅れなどにより、LNG 船の新造商談も停滞しており、バルカーの新造需要がなくなる中、LNG 船以外の船種も以前から検討を進めて
きた。中型タンカーの建造実績としては、アフラマックスもあったが、手掛けている造船所が少ないスエズマックスを選択したようだ。
【国交省、事業再編計画を認定、三菱重工の造船分社で税軽減措置】(出典:2015.09.28.海事プレス)
国土交通省は 25 日、三菱重工業が産業競争力強化法に基づいて申請した長崎地区の商船事業分社化に関する「事業再編計画」を認
定したと発表した。これにより登録免許税の軽減措置が受けられる。造船所の事業再編としては同法の適用第 1 号となる。
三菱重工は 10 月 1 日付で長崎地区の商船事業を、三菱重工船舶海洋と船体ブロック製造の三菱重工船体に分社。新造船はガス船の
建造に集約し、船体ブロックは外販も行う。国交省に提示した再建計画によると、2017 年度までの生産性向上目標として、有形固定
資産回転率を三菱重工船海は 62%、三菱重工船体は 64%、それぞれ向上させる。
同法適用の対象となるのは今年 10 月から 2018 年 3 月までの 2 年半。
国交省は造船業の再編や事業転換を促すため、以前は産業活力再生法の活用を勧めており、昨年度からは新たに設けられた産業競争
65−109
力強化法を適用してきた。産活法ではサノヤス・ヒシノ明昌のホールディングス制移行、ユニバーサル造船とアイ・エイチ・アイマリ
ンユナイテッドの合併、常石造船の多度津工場売却の 3 件が対象となった。
【3~4 年後に売上高 1000 億円―三菱重工造船子会社】(出典:2015.09.29.日本経済新聞)
三菱重工業は 28 日、10 月 1 日付で分社する船舶建造子会社「三菱重工船舶海洋」について、3~4 年後に 1000 億円規模の年間売上
高を目指す方針を明らかにした。新社長に就く長崎造船所(長崎市)の横田宏所長が同日に記者会見し、2016 年度に黒字化するとの
見通しも示した。長崎造船所の商船部門を船舶建造子会社と船体ブロックを手掛ける子会社「三菱重工船体」に分社し、コスト削減や
生産効率の改善に取り組む。
船舶建造子会社の売上高は 15 年 3 月期ベースで約 747 億円あり、今後は液化天然ガス(LNG)などのガス運搬船に特化する。船体
ブロック建造の子会社も 3~4 年後に年間 100 億円規模の売上高を目指す。
【三井造船、独社を買収】(出典:2015.09.29.日本経済新聞)
三井造船は 28 日、液化天然ガス(LNG)などを運ぶ中小型ガス運搬船の設計に強みを持つ独 TGE マリンを買収すると発表した。
。温暖化ガスの排出量が少ない天然ガスは今度、世界で需要が広がる見通し。三井造船
買収額は約 1 億 6400 万ユーロ(約 221 億円)
は技術力の高い TGE マリンを取り込み、成長市場のガス運搬船の事業拡大を狙う。
三井造船はガス運搬船分野では大型船を主力にしており、容量 1 万∼4 万㎥程度の中小型はほぼ手掛けていない。TGE マリンが持つ
中小型船向けの圧力式ガスタンクの技術や設計ノウハウを取り入れ、中小型のガス運搬船の製品開発に生かす。
三井造船ではガスエンジニアリングを得意とする TGE マリンとの協業でガス輸送ビジネスで一貫性のあるサービスを提供する構
え。同社はガス燃料を使う船舶用エンジンも手掛けており、こうしたガス運搬船向け機器の販売面での相乗効果も期待できる。
(3) 四国の造船業の現状
四国管内には大小多数の造船所があり、瀬戸内海沿岸を含めて造船所および舶用機器メーカーなどの企業が集積し
ている。(これらを海事クラスターまたは瀬戸内サプライチェーンと呼んでいる。)世界にはギリシャや香港などに海
運集積地は多数あるが、瀬戸内海のように海運業と造船業・舶用工業が集積した地域は他にはない。
四国運輸局の統計では、四国地区の造船業の平成 26 年度分の建造許可実績は、隻数で対前年度比 9%増の 142 隻、
総トン数では対前年度比 3%増の 4,487 千総トンとなっている。四国の船舶建造実績は全国シェアで約 3 割を占めて
いる。竣工実績は、隻数で見ると対前年度比 2%減の 125 隻、総トン数で対前年度比 5%減の 3,854 千総トンとなって
いる。これは日本全体の約 3 割を占める。種類別で見ると、貨物船 9 割で、その殆どが輸出船(仕組船)である。
2003 年からの海運市況の高騰を受けて受注量、建造量は年々増加してきたが、2008 年のリーマンショック以降の
景気低迷・海運市況の暴落を受けて、新規受注は激減している。しかしながら、円高是正と燃費性能の優位性から引
き合いは増加してきており、当面の受注残は確保できているので、各造船所とも安定操業が続いている。
【竣工実績の推移】
(四国・全国)(単位:隻・万トン)
(出典:四国運輸局)
H22
H23
H24
隻数
総トン数
隻数
総トン数
隻数
総トン数
四国
149
464.5
161
516.2
155
485.3
内 国内船
7
25.4
10
13.5
7
17.8
外 輸出船
142
443.9
151
502.7
148
467.5
船 貨物船
101
333.4
124
414.1
144
469.4
種 油槽船
48
131.1
37
102.1
11
15.9
全国
487 2,001.0
485 2021.4
421 1,686.8
四国の占有率
30.6%
23.2%
33.2%
25.5%
36.8%
28.8%
H25
隻数
総トン数
128
409.2
8
10.6
120
398.6
112
378.8
16
30.4
335 1,294.7
38.2%
31.6%
H26
隻数
総トン数
125
385.4
9
34.3
116
351.1
104
369.0
21
16.4
376 1,359.8
33.2%
28.3%
【竣工実績の推移】
(県別)(単位:隻・万トン)
(出典:四国運輸局)
H22
H23
H24
隻数
総トン数
隻数
総トン数
隻数
総トン数
香川
37
182.5
44
236.8
44
198.3
徳島
4
1.7
3
1.4
1
0.6
愛媛
100
269.1
106
265.5
102
273.8
高知
8
11.2
8
12.5
8
12.6
四国
149
464.5
161
516.2
155
485.3
全国
487 2,001.0
485 2,021.4
421 1,686.3
H25
隻数
総トン数
32
147.7
1
0.4
88
252.3
7
8.8
128
409.2
335 1,294.7
H26
隻数
総トン数
30
124.4
1
0.4
87
252.7
7
7.9
125
385.4
376 1,359.8
【四国運輸局管内の造船所数】(平成 26 年 3 月末現在)(出典:四国運輸局)
許可造船所
香川県
全国
30
2
21
4
27
9
3
2
今治支局
23
0
小計
4 県合計
7
10
宇和島支局
高知県
届出造船所(専業)
15
松山支局
徳島県
愛媛県
登録造船所(専業)
8
合計
5
9
14
35
16
4
6
10
4
20
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17
126
265
556
285
1,106
66−109
23
55
※許可造船所:総トン数 500 トン以上又は長さ 50m以上の鋼製の船舶の製造又は修繕をすることができる造船所。
【大型船建造 2%減
4 県昨年度
騒音規制強化など響く】
(出典:2015.09.29.日本経済新聞)
四国運輸局がまとめた 2014 年度の四国管内造船事情によると、大型船(総トン数 2500 トン以上か長さ 90m以上)の建造実績は隻
数で前年度比 3 隻減(2%減)の 125 隻、総トン数で 6%減の 385 万トンだった。
円高是正で上半期は受注好調だったが、国際的な騒音規制の強化や中国経済の先行き不安などで下半期に減速した。
建造許可実績ベースでは、上半期が 2 桁増だったが、年間では 4%減の 136 隻、9%減の 410 万トンとなった。
昨年 7 月以降の契約分から船員の健康への配慮で船内の騒音規制が強化されたことや、鉄鉱石などを運ぶばら積み船の過剰感なども
影響したとみられる。
ただ新たに調査を始めた 14 年度の契約済みの受注実績は 159 隻、496 万トンと「外航・内航造船業とも当面の仕事量を確保してい
る」(四国運輸局)という。
総船価は 4332 億円でトン当たり 19 万 2 千円とほぼ前年度と同じ。県別の建造実績は愛媛県が 1 隻減ったが総トン数は微増だった。
4 件の中・小型船(大型船以外で総トン数 20 トン以上)の建造実績は 2 隻減(4%減)の 52 隻。受注実績は 55 隻だった。
(4) 愛媛県の造船業の発展
「愛媛船主」が日本商船隊の 3 分の 1 を占めるまでに発展してきた背景には、地元に有力な造船所および造船関連
産業が多数存在しているということが挙げられる。当地においては、船主と造船所は身近な存在であり、お互いに情
報を共有し、試行錯誤・切磋琢磨を繰り返して今日に至っている。造船所の造船技術の向上は造船所自らの自助努力
もさることながら、それを実際に所有・運航する船主の経験・苦労がフィードバックされていることもある。特に今
治市は海運業者と造船業者が共に発展してきた特殊な集積地である。
愛媛県には大小合わせて 55 社の造船所があるが、そのうち総トン数 500 トン以上又は長さ 50m以上の鋼船を建造
する「許可造船所」は 35 社あり、全国シェアは 13.2%を占める。愛媛県には国内第 2 位の建造量(世界第 7 位)を
誇る今治造船グループを始め多数の大手・中堅造船所があり、それらの売上高は約 5,000 億円にも上る。愛媛県の海
運業の売上高と合わせて約1兆円の産業がある訳である。
【愛媛県の主な造船所】
あいえす造船㈱、㈲赤松造船所、浅川造船㈱、㈱今井製作所、今治造船㈱、岩城造船㈱、㈱大内造船所、㈲岡島造船所、㈱栗之浦ドッ
ク、佐川造船㈱、㈱繁造船所、しまなみ造船㈱、白浜造船㈲、㈱新来島どっく(=登記上は東京都)、住友重機械工業㈱(一部工場)、
伯方造船㈱、檜垣造船㈱、保内重工業㈲、㈱波方造船所、松田造船㈲、三好造船㈱、村上秀造船㈱、矢野造船㈱、山中造船㈱ 他
≪参考≫(香川県)(企)大崎造船鉄工所、川崎重工業㈱、四国ドック㈱、常石造船㈱ 他、
(高知県)今井造船㈱、新高知重工㈱、㈲中之島造船所 他、
(徳島県)井村造船㈱、神例造船㈱、㈱徳岡造船、村上造船㈲ 他
(5) 最近の特徴
最近の特徴としては、海運市況の好調を反映した設備の増強が挙げられる。海運バブル期には受注は好調で 3∼4 年
先まで船台は埋まっている状況であった。各社はそれらを消化するために建造能力の向上に取組んできた。
しかし、現在はバルカーを中心に海運市況は低迷しており、設備増強は一服していた。こうした状況の中、今治造
船は、丸亀事業本部の隣接地で全長 600mの大型ドックを建設する計画を正式に発表。全長 400m規模のメガコンテ
ナ船をはじめとした大型船のロット建造に対応した、西条工場建設以来の大型投資である。
新ドックは長さ約 600m、幅 80mで、グループの新造船用設備としては最大となる。丸亀市都市開発公社から払い
下げを受けた埋立地約 10 万㎡に建設し、吊り能力 1200 トンのゴライアスクレーンを 3 基設置し、完成は 2016 年 10
月の予定。ドック建設に合わせてブロック工場なども建設する計画である。
① 操業確保と新規受注の確保
「2014 年問題」で解説した通り、日本の造船会社の新規受注が激減し「2014 年には受注残がなくなる懸念がある」
といわれていた。現状の船腹過剰の状況ではこれ以上の船舶は必要ないし、また、船主も超円高は修正されたものの
過年度の円高等で疲弊しているので、新規の発注はあまり期待できない。
これに対し造船各社は、現状の受注契約の引延しと、操業率をある程度スローダウンすることで当面の操業を確保
する一方、船価の引下げや外貨建ての受注、エコシップの開発(燃費性能の向上・差別化)による新規契約の獲得を
行っている。これらにより日本の造船各社はほぼ 2017 年までの受注を確保し、2014 年問題をクリアしている。
しかしながら、好況時に設備投資を積極的に行い、建造能力を格段に増強してきた中国・韓国の造船会社の受注環
境は依然として厳しいようで、一部の造船所は業績悪化と過剰設備・借入過多で資金繰り難に陥り、倒産する企業も
あるようである。
【エアロ・シタデル、燃費性能】
今治造船は、燃費性能の改善と海賊対策を考慮した次世代型上部構造「エアロ・シタデル(Aero-Citadel)」を開発した。船舶の上
部構造物の風圧抵抗は船全体の約 6 割を占めるが、「エアロ・シタデル」では居住区・機関部ケーシング・ファンネル(煙突)を一体
化し流線形状とすることで、航行時の上部構造物の風圧抵抗を 25∼30%削減し、燃料消費量を約 2%削減することが可能となる。また、
舶用 LED 照明を採用し、照明用の電力消費量を半減させている。
海賊対策としては、海賊の侵入を防ぐために暴露部階段を上部構造内部に収め、下層デッキ入口の鋼製ドアは従来の 1.5 倍の板厚に
強化(内部には 3 条のカンヌキを設置)、放水装置や侵入防止柵の設置、防犯フィルムを窓に採用するなどの工夫がなされている。ま
た、船員が数日間立てこもることができる避難場所(シタデル)を船内に設置している。
67−109
日本の造船技術は優秀だが、中国も技術力を向上させており、現在では(船体に関しては)中国建造船の品質に大きな問題は出てい
ないようである。しかし、燃費性能については日本と中国の造船所ではかなりの差がある。1 日当たりの燃料消費量は同じスピードで
3∼5 トンも違うそうで、今のバンカー価格で換算すると大きな金額になる。
※1 日当たりの燃料消費量差 5 トン×US$650×365 日×@100 円=118,625 千円
・・・10 年で約 12 億円の差がでる計算。
【船舶の帆装装置の開発】
三井造船と商船三井は、日本海事協会と三井造船昭島研究所の協力で、新型の帆装装置「Power Assist Sail」を開発し、実機スケー
ルのプロトタイプで実証試験を開始したと発表した。同装置は船舶の補助推進力に風を利用するシステムで、横風時には飛行機の翼と
同様に発生する揚力、追い風時には発生する抗力を用いる。帆本体はアルミ合金製で、風向・風速・速力等に応じて帆の角度を自動制
御するシステムを搭載。実運航時の二酸化炭素削減効果は 2∼5%を想定している。
【最大 50%省エネの新型帆船、2017 年に実証船の就航目指す】(出典:2014.10.8.海事プレス)
伸縮可能な巨大な硬翼帆を外航貨物船に搭載して、平均 30%、最大 50%の省エネを目指す。東京大学や邦船大手らが参加している
産学共同研究プロジェクト「ウィンドチャレンジャー計画」は、陸上での帆による実験によるデータ収集を終え、次は実船搭載に移る
計画。船主からの協力を募り、まずは既存船の船首部に帆を立てて、2017 年頃をめどに実際の運航を開始したい考えだ。
「ウィンドチャレンジャー計画」は、東京大学の大内一之特任教授らが中心となり、2009 年 10 月から産学研究プロジェクトとして
進められている。民間からは日本海事協会(NK)と日本郵船/MTI、商船三井、川崎汽船、タダノ、大島造船所が参加している。高
さ 50m、幅 20m、面積 1,000 ㎡という巨大な硬翼帆を船に複数基搭載して、主推進力を帆によって得るコンセプト。上下伸縮型の独
特の縮帆方法が特徴で、これにより帆の大型化と、縮帆時の小型化が可能になる。帆は風の強さや向きによって自動で伸縮・旋回し、
風の力を最大限に利用する。84 型バルカーでは、太平洋航路の往復で年平均約 30%の燃料削減、貿易風などの定常的追い風航路であ
れば 50%以上の削減も可能と試算している。
大内氏は新型帆船の経済性について「帆の政策・設置費用は量産時には 1 本 2 億円程度で、4 本搭載すれば 8 億円。これに対して、
燃費削減効果は平均 36%で、燃料代をトン当たり 6 万 5,000 円とすると、初期投資は 5∼6 年で回収できる」と説明する。
【船舶投資ファンド】
国土交通省と国内造船業界が設立を目指していた船舶投資ファンド運営会社「日本船舶投資促進(JSIF)」(国内主要造船所 14 社
が出資)が正式に発足した。新会社が船舶建造案件をコーディネートする形で、船舶案件毎に船舶保有会社(SPC)を設立、国際協力
銀行(JBIC)や民間金融機関の協調融資を受けて新造船を建造し、海外の海運会社に貸船(裸用船)するスキーム。
船舶を用船(借船)したい海外オペへの営業ツールとして活用する計画で、国内造船所側から見れば新規の建造契約に繋がるものと
して期待されている。
② 海外への進出
造船企業の海外への進出は特に最近始まったものではない。以前からフィリピンなどに工場を構えて現地生産して
いるところはあるが、海運市況が好調で大量の建造契約を確保した時期から海外進出の動きが顕著となり、超円高が
進行してきた頃から円高対策として海外進出の動きが活発になってきた。
また、海外で船体ブロックなどを建造させて、それを輸入するなどといった外注による工期短縮と建造コストの低
減を狙っている企業もある。その他、仕入れをドル化することによりドル建て契約の為替リスクヘッジを行っている
企業もある。
【三浦工業、オランダと上海に拠点開設、欧州と中国で舶用事業を強化】(出典:2014.10.24.海事プレス)
小型還流ボイラ大手の三浦工業は 21 日、オランダ・アムステルダムと中国・上海に舶用事業の拠点を 11 月 1 日付で開設すると発
表した。アムステルダムには、舶用事業の欧州拠点として新たに販売会社「MIURA METHERLANDS B.V.」を設立する。2012 年
に駐在員事務所を開設したロッテルダムから、アムステルダムへ拠点を移し、世界の 40%以上の商船を占める欧州・中東地域への本
格的な進出を図る。
今月販売を開始したバラスト水処理装置をはじめ、補助ボイラ、排ガスエコノマイザ、焼却炉などの販売を拡大し、船舶搭載機器の
メンテナンスとアフターサービスの充実を強化する。
一方、中国現地法人である三浦工業設備(蘇州)有限公司は、舶用事業の海外メンテナンス拠点として上海駐在所を開設する。近年
の中国修繕ドックに入渠する外航船の増加から舶用ボイラなどの定期検査に伴う一連のメンテナンス需要の増加を受け、顧客ニーズに
対応するものだ。
【三浦工業、台湾に支店】(出典:2014.11.19.日本経済新聞)
三浦工業は台湾に船舶用ボイラーなど舶用機器の営業拠点を 20 日に開設する。台湾では工場向けボイラーの製造販売を手掛けてい
るが、舶用機器も売り込むため 2013 年に同事業を担当する駐在所を設立。フィリピンなど東南アジアにも営業活動を広げるため、駐
在所を支店へと格上げする。舶用機器のアジアでの売上高の増加を目指す。台北市内に支店を設け、人員も従来の 1 人から 3 人へと増
やす。台湾や中国本土、香港に加えて、東南アジアの船主や造船所も対象に営業展開していく。
船内の居住区で使う暖房や給湯の熱源として必要なボイラーのほか、船上焼却炉や造水装置も販売していく。船舶を安定させるため
船内に取り込む海水「バラスト水」の処理装置を 10 月に発売しており、採用を働きかける。
同社は舶用事業の海外拠点の整備を進めている。オランダに舶用事業の販売会社を設けたほか、中国では上海にメンテナンス拠点を
整備した。来年度には米国にメンテナンス拠点を整備する計画で、海外展開を加速する。
【インドネシアに造船所、ツネイシ ASEAN 需要狙う】(出典:2014.11.4.日本経済新聞)
造船・海運のツネイシホールディングス(広島県福山市)はインドネシアに進出する。現地企業グループと共同出資し、日本企業で
初めて造船所を設ける。インドネシアでは新政権が海運インフラの整備を急ぐ方針だ。早ければ 2016 年に船の修繕から始め、19 年に
も建造に乗り出す。旺盛な東南アジアの貨物輸送需要などを取り込む。
造船所は数十億円を投じスラウェシ島ピンラン県に建設する。事業会社にはツネイシが過半数を出資する見通しだ。まずフェリーや
コンテナ船など内航船の修繕事業から立ち上げる。鋼板など資機材の調達ルートの確保や人材育成を進めた上で、新造船に取り組む考
68−109
えだ。
ツネイシの海外拠点は、大型船を建造する中国・浙江省やフィリピン・セブ島に次ぎ、4ヵ所目となる。
【渦潮電機、フィリピン電動車事業に実車投入】(出典:2015.07.28.海事プレス)
渦潮電機は、フィリピンで展開する電動三輪自動車(Eトライシクル)事業において国際協力機構(JICA)「中小企業海外展開支援
事業―普及・実証事業―」に応募し、今年 6 月に採択された。大気汚染が深刻化するフィリピンで環境負荷の少ないEトライシクルを
普及・展開するための実証事業として、今年 10 月から 2017 年 3 月まで商業地区や居住区などが混在するケソン市でEトライシクル
20 台の運行・管理を実施する計画。
③ 系列化・専業化、提携・連携
最近では、グループ化・系列化して各ドックを専業化することにより効率化を図っているところもある。船舶は種
類によって工程や工法も異なるので、同一船型を連続して建造する方が効率は良くなる。
(設計が同じで工程も変わら
ないので、現場サイドの段取りがやり易くなる。
)
また、造船所同士が提携(または合併)し船舶建造の協力(外注)を行ったり、造船所や機器メーカーが技術提携
を行い、技術開発コストの削減を行うなどの動きが見られる。韓国造船所のスケールに対応して日本の造船業界もア
ライアンスを組み、規模のメリットを発揮していくことが求められている。
【ジャパン マリンユナイテッド㈱の誕生】
2013 年 1 月 1 日、㈱IHI マリンユナイテッドとユニバーサル造船㈱が統合して「ジャパン マリンユナイテッド㈱」が発足した。売
上規模で 4,000 億円弱の専業造船所が誕生したもので、世界全体では韓国大手4社(現代重工、大宇造船海洋、サムスン重工、STX
造船)と日本の今治造船に次ぐ世界第6位とる。(売上では三菱重工や三井造船を上回る国内2位の規模。
)
㈱IHI マリンユナイテッドは、1853 年 12 月 5 日に創業した石川造船所を発祥とする㈱IHI(旧・石川島播磨重工業)の造船事業と、
1897 年に設立された浦賀船渠を起源とする住友重機械工業㈱の艦艇造船事業を統合した会社。
(1995 年 10 月、㈱マリンユナイテッド
設立、2002 年 10 月、IHI の海洋船舶部門全体を統合し㈱IHI マリンユナイテッドとなった。
)
一方のユニバーサル造船㈱は、2002 年 10 月 1 日に日本鋼管(現・JFE エンジニアリング)と日立造船の船舶・海洋部門が統合し
て発足した造船所。
同社の社名は、NKK/造船部門(日本鋼管)、住友重機械工業/艦艇建造部門、石川島播磨重工業、日立造船、JFE ホールディングス
が連携している「日本連合」が想起される。「日本の造船連合として、世界の造船業のリーディングカンパニーを目指す」という同社
の思いが感じられる。
④
修繕事業への回帰
昨今の海運市況を反映して新造船の新規受注はやや低調であり、最近では造船各社は修繕部門のウエイトを増やし
ている。造船各社は市況が好調な時期には修繕ドックを新造船ドックに転用していたが、今後はそれを元に戻し操業
を確保する狙いもあるようである。大量の船舶を建造してきた訳だから、当然に事後のメンテナンスや定期ドックお
よび事故修理などの需要は多い。修繕は新造船に比べて収益・採算面では見劣りするが、そうもいってられない状況
である。また、新造船を建造する造船所として、建造船の修理・メンテナンスはそれら企業の責務でもある。
【修繕ドック逼迫、バラスト規制で、ドライ市況低迷も影響】(出典:2015.05.12.海事プレス)
修繕ドックの需要が逼伯し、船主が予定していたスケジュールで船舶をドック入りさせることが困難になってきている。国際ルール
で義務化されるバラスト水処理装置の搭載工事を先送りするため、定期検査を前倒しする動きが出ているほか、バルカー用船市況が低
迷している今のうちにドックを済ませようとする船主が増えているためだ。修繕ドックの逼伯はバラスト規制の発効が見込まれている
来年までは少なくとも続くとみられており、逼迫状況がさらに悪化すれば船主のドック費用が増加する可能性もある。
⑤ ドックの拡張、クレーンの大型化
ドック=船台を広くすれば大型船の建造が可能となるし、1 つのドックで2隻同時に建造するタンデム建造なども可
能である。そうすることで建造期間を短縮し、採算性の向上を図ってきた。好調時には大量の受注があったので、そ
れらを消化するためにもドックの大型化は必須であった。回転率を上げれば儲かる時代であった。
また、建造効率を上げるためにはドックの使用期間を短縮する必要があり、そのために陸上で作るブロックを大型
化する。ブロックが大型化すると当然にそれを船台に搭載するクレーンの吊り上げ能力も必要になってくる。各造船
所には超大型クレーンが設置され、遠くからでも目視できる。
【中国で造船投資再開、川重、新ドックなどに 300 億円】
(出典:2014.11.19.日本経済新聞)
川崎重工業は造船事業での投資を再開する。約 300 億円を投じて中国の合弁会社に造船設備を設け、2017 年 10 月に稼働させる。
川重が造船で大型投資をするのは 7 年ぶり。世界の造船市場は 08 年のリーマン・ショック後の落ち込みから回復基調に転じている。
低コストで建造できる中国に重点投資し、中国や韓国メーカーとの受注競争に対抗できる体制にする。
川重の 13 年の建造実績は国内外合わせて 194 万総トンで、日本の造船会社では 4 位。中国での投資で川重の建造能力は 330 万総ト
ン程度となり、日本の造船会社では首位の今治造船(13 年は 384 万総トン)に次ぐ規模になる。
中国の海運最大手、中国遠洋運輸(COSCO)グループとの合弁造船所である大連中遠川崎船舶工程(遼寧省大連市)に投資する。
建造設備(ドック)を整備し、大型クレーンや鋼材の加工工場なども増設する。積載量 20 万トン級の大型ばら積み船やコンテナ船を
建造する。
⑥
設計技術の向上
船舶が大型化するためには、それなりの設計が必要である。全長 300m 以上の大型船もあるが、これ程になると大
海を航海する中では大きな圧力がかかり、捩れや歪みが生じ、時には船体が折れるといった事故もある。それらを科
学的に検証し、それに耐えうる素材や構造(設計)が必要になっている。また、船体を大型化せずに積載能力を増や
す技術も格段に向上しており、各社が多様な船型を開発している。
69−109
【今治工業高に造船コースを新設、来年度から、人材育成へ】(出典:2015.09.08.海事プレス)
愛媛県立今治工業高校が、来年度から造船コースを新設する。造船の集積地の高校として、学生が設計や技能を学べる環境を整え、
造船業界や関連業界で活躍できる人材を育てる。造船技能の実習棟を建設し、造船設計用の 3 次元 CAD も導入する予定だ。
来年 4 月に現在の機械科を「機械・造船科」に改編する。定員や教育内容などは県教育委員会で 10 月に正式決定する予定だ。これ
に先立ち、県が 9 月補正予算として造船コース新設の準備費として 5052 万円を計上。実習棟の設計費や、設計システム導入費、既存
教室の改修経費、教員の研修費用などを盛り込んだ。実習棟は来年度に工事を行う予定。
県によると「業界からの要望もあり、地方創生の独自の取り組みとして地場産業である造船の専門学科を新設する」という。
【ザギングとホギング】
水面に浮かんでいる船体は波の浮力または満船・空船の状態などによって変化し、長さ方向に対して凸や凹の状態となる。凹の状態
(船体中央部が船首部・船尾部より沈下している状態)のことをザギング(Sagging)という。逆に凸の状態(船体中央部が船首部・
船尾部より浮いている状態)のことをホギング(Hogging)という。大海原の大波の頂点にあったり谷間にあったりすると 200mもの
長い船舶には浮力が不均等にかかる訳である。そのため、造船所は強度計算を精密に行い、鋼船の中央部分の鉄板は強度のある厚いも
のを使用する。また、航海中に発生する捻れや振動などにも対応している。
※厚くて頑丈過ぎると船体自体が重くなり、積載能力が低下しますし速力も落ちる(燃費も悪化)ので、ギリギリのレベ
ルが要求される。
商船三井が所有・運航するコンテナ船「MOL confort」(8,000TEU)が 2013 年 6 月 17 日正午頃、荒天下のインド洋を航行中に船体
中央部に亀裂が生じホールド(船倉)内へ浸水、自力航行不能となった。その後本船は前後に破断し、沈没した。本件海難事故を受け
て商船三井は同型船 6 隻に対し船体強度を大幅に引き上げる工事を実施すると発表した。6 隻は国際船級協会連合会(IACS)に準拠
した日本海事協会の船体強度基準を十分に満たしているが、予防的な安全策の一環として実施するとのことであった。
※本船の海難事故(船体への亀裂発生と沈没)はコンテナの積み付けが悪くバランスが狂っていたことも原因の一つとい
われている。
【バルバス・バウ】(出典:日本船主協会/海運雑学ゼミナール 他)
バルバス・バウ(Bulbous Bow)とは、船の造波抵抗を打ち消すために、喫水線下の船首に設けた球状の突起(「球状船首」)のこ
とをいう。これは米国の造船学者デヴィッド.W.テーラー少将(米海軍)が 1911 年に発明したもの。こうした球状物を船首水面下につ
けることにより、航走中の船の前面の水圧が上がり水面が盛り上がる一方、通常は最も「うねり」の起こりやすい直ぐ後部の水圧は低
くなり「うねり」の発生が抑えられるというもの。これにより航走中の造波抵抗が少なくなり、通常の船首(突起がない)の場合より
も同じ燃料消費量でよりスピードが出せることになる。
※バルバス・バウの発明から半世紀後、この効果を初めて理論化したのが日本の乾教授らのチームで、その 10 年後には
全世界の船が球状船首を採用し始めた。
バルバス・バウは、特定の船速域で効果が出る設計となっているが、船腹過剰・市況低迷の昨今では各社は減速航行をするようにな
り、この場合はバルバス・バウの効果が得られず、むしろ抵抗増加を招くことになる。そこで最近では、上から下まで船首を尖らせた
船首形状「LEADGE-Bow」の船が建造されるようになった。低速肥大船の分野では球状船首が姿を消しつつある。コンテナ船のよう
な船速の早い船の場合はバルバス・バウは有効であるが、船舶の省エネと二酸化炭素排出削減が求められる昨今、船首の形状は再び大
きな転換点を迎えている。
【三菱重工、空気潤滑採用バルクで CO2 27%減、大島建造船で目標上回る成果】(出典:2014.10.30.海事プレス)
三菱重工業は 29 日、「三菱空気潤滑システム(MALS)」を採用した新型のバルカーで、二酸化炭素(CO2)排出量削減が従来船比
27%減となり、目標の同 25%以上を達成したと発表した。大島造船所に技術供与した 1 番船で、海上公式試運転により MALS が想定
どおりの性能を発揮していることを確認した。
MALS は、省エネ・CO2 削減を実現する三菱重工の独自技術で、送風機を使って吹き出した細かな気泡が船底をカーペット上に覆
うことで、泡の力で航行時の船体と水の摩擦抵抗を減らすシステム。これまでモジュール運搬船やフェリーなど自社建造船に採用して
実績を積んできた。
今回 MALS を採用した船は、三菱重工が開発した省エネ、9 万 5000 重量トン型バルカーの 1 番船で、技術供与先の大島造船所で完
成し、29 日に米穀物メジャーのアーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社(ADM)に引き渡された。同船は、浅喫水を採用すること
で MALS の効果を追求しやすくした。このほか造波抵抗を低減する新型船主の採用や、プロペラボスキャップに特殊な溝を設けたこ
とによる推進力の向上などの技術により、CO2 の 27%削減を達成した。
三菱重工は国際的な環境負荷低減の抑制によるエコシップの需要拡大を受け、ニーズに対応した船の開発・建造に加え、エンジニア
リング事業でも MALS をはじめとする技術普及に力を注いでいる。
⑦ 建造契約のキャンセル
契約のキャンセルはサブプライム・ローン問題が発生した 2008 年頃から始まり、金融危機後には資金調達難から
キャンセルが急増した。当初は海運バブル期に発注した高船価の契約が大半であったが、最近では船価下落後に発注
された低船価船のキャンセルもあるようである。市況悪化で船主の財政が悪化し、船舶ファイナンスも厳しくなって
いることなどが背景にある。
特に契約キャンセルが多いのは中国・韓国などの新興造船所のようであるが、日本国内造船所も多少のキャンセル
があったようである。
※基本的に、造船所は建造契約時には契約船価の約 1 割程度(契約金=手付金)を受け取っており、キャンセ
ルがあっても手付金は返還しないので大きな痛手とはならない。契約自体をリセールする場合には船価を 1
割値引きすれば売れる。
⑧ 新造船の船種変更
ドライバルク市況が低迷しており、海運各社は発注済みの船種をバルカーから他の船型へ変更する動きが見受けら
れるようになってきている。
70−109
【国内造船にも船種変更の要請、バルカーからタンカー】
(出典:2015.04.16.海事プレス)
ドライバルク市況の低迷長期化を受けて、日本の造船所にも船主から契約済みのバルカーの新造船を他の船種に変更したいとの要請
が寄せられている。工程に混乱が生じない先物納期の受注船を対象に、友好船首の要望に柔軟に応じる造船所もおり、複数の造船所が
バルカーからタンカーなどへの変更で交渉を進めていたり、既に船種変更を決めた案件もある。ただ、資機材の発注が済んでいる期近
納期の案件には対応できないほか、船主と造船所が合意に至っても、ファイナンサーの了承を得られず断念するケースもあるもようで、
成立の条件は限られているようだ。
【中国の造船事情】
中国船舶工業行業協会(CANSI)の「2013 年上期船舶工業経済運行情況」によると、「経営状態が正常な造船会社は全体の 3 分の
1 にとどまり、3 分の 1 は工事不足に直面し、3 分の 1 の企業は操業を維持することが困難になっている」そうである。同報告書によ
ると、「有力企業の発展を支援し、生産能力に劣る企業を淘汰し、資源配分を最適化(中国造船全体の供給過剰を解消)するために企
業の買収を促進し、産業の集約をさらに進めていくことが必要」としている。加えて、「企業買収・合併を促進するために財政や税、
金融面における優遇措置を求めていく」とのことである。
また、中国国務院が 2013 年 8 月に発表した「船舶工業構造調整加速・促進変化実施方案(2013∼2015)」によると、今後、中小造
船所を撤退させて大手に集約、建造能力の総量規制で新規投資を凍結させる方針だそうである。中国船舶化学研究センターによると、
2010 年末時点で一定規模以上の造船所は 2,142 社あり、30 万トンドック 33 基と 10 万トンドック・船台計 76 基があるそうである。上
位 20 社で全土の竣工量の約 7 割を占めており、民間大手の大規模設備が廃棄されない限り中国造船業界の再編には繋がらないのでは
ないかと見られている。
中国の造船業界は、好況期に参入した「砂浜造船所」といわれる民間の小規模な造船所がたくさんあるが、これらの造船所は受注難
に喘いでいる。受注を確保するために採算を無視した低船価の受注も行っている。また、中国の造船所では建造契約のキャンセルも多
い。財務においても、新造船価格が下落する一方で建造コストは高止まっており、赤字の造船企業が急増しているようである。
【CSSC と CSIC のトップ交換、中国 2 大造船集団合併への布石か】(出典:2015.04.16.海事プレス)
中国政府が検討を始めたとされる国有 2 大造船グループの合併に関して、具体的な動きが見られている。中国共産党中央委員会と国
務院は、中国南部を管轄する中国船舶工業集団(CSSC)のトップだった胡問鳴薫事長を同国北部を治める中国船舶重工業団(CSIC)
の薫事長、逆に CSIC のナンバー3 だった薫強副総経理を CSSC の薫事長とする人事を決定し、両氏はこのほど着任したようだ。現地
業界からは「将来への布石」(中国船舶工業行業協会=CANSI・郭大成会長)と判断されている。
【韓国の造船事情】
韓国造船所では 2008 年のリーマン・ショック後に、新規受注の停止や相次ぐキャンセルなどで、各社ともに手元資金不足に陥って
いるようである。要因の一つは新規トレンドの変化にあるといわれている。造船ブーム期の受注船の多くは、船価の支払い条件は均等
払いまたはトップヘビー型であったが、リーマン・ショック後は買い手市場となり、引き渡し時 60%払いなどの「テールヘビー型」
が主流となっているので、資金繰りの悪化を招いたようである。
大手 3 社はドリルシップなどを含む大型案件が竣工を迎えつつあり資金繰りが一息ついたようであるが、一方、新興系ヤードなどは
引き続き資金状況が厳しいようである。これらのヤードは商船が中心のため、建造量が減少しているほか、低船価船が中心で採算が悪
化しているようである。韓国主要造船所は、船価暴落後の受注した船が売上の大半を占めている。
韓国では金融危機後に中小造船所の大半が経営破綻に陥っており、現在も中小造船所 23 社のうち 22 社がワークアウトによる再建手
続き中であるが、再建に失敗する事例も出ており、2012 年 2 月には「サムホ造船」が、2013 年 6 月には「21 世紀造船」が破産してい
る。「STX 造船海洋」は資産査定(デューデリジェンス)を実施し、金融団の支援(返済猶予および追加融資など)の下、経営再建を
目指している。
【韓国の船舶技術研究院、2.5 万 TEU 型船の開発に着手、STX らと共同で】(出典:2014.11.19.海事プレス)
韓国の釜山大学船舶海洋プラント技術研究院は 17 日、世界最大船型となる 2 万 5,000TEU 型コンテナ船の開発に着手すると発表し
た。韓国の STX 造船海洋、日本海事協会(NK)、NAPA、米国の DRS グループらと 3 年にわたって共同開発を進めていく方針とし
ている。
同研究院は、独自に開発した座屈折損解析技術と最適構造設計技術を活用して世界最大のコンテナ船の開発に着手するとしている。
世界的にコンテナ船の大型化が進んできたものの、2 万 TEU を大幅に超えるコンテナ船は構造設計技術の面で課題も多いようだ。
現在、韓国の現代重工業や大宇造船海洋が 1 万 9,000TEU 型のコンテナ船を受注しており、表面化しているものではこれがマース
クラインが運航する 1 万 8,000TEU 型『トリプル E』シリーズを抜き最大船型となっている。大型船型の方が 1TEU 当たりの輸送コ
ストを削減できることから、船社はこれまでコンテナ船の大型化を進めてきた。これに伴い、造船各社も大型船型を開発。とりわけ韓
国造船大手が開発を先行している。
【韓国主要造船所 2015年1∼3月期連結決算】(単位:億ウォン)(出典:海事プレス)
売上高
実績
現代重工
122,281
営業利益
増減
実績
税引前利益
増減
実績
純利益
増減
実績
増減
△10%
△1,924
赤字拡大
△1,657
赤字拡大
△1,252
赤字拡大
大宇造船海洋
44,861
10%
△433
赤字転落
△1,765
赤字転落
△1,724
赤字転落
サムスン重工
26,099
△24%
263
黒字化
325
黒字化
109
黒字化
現代三湖重工
21,815
12%
△486
赤字縮小
△514
赤字縮小
△377
赤字縮小
現代尾浦造船
10,733
11%
167
黒字化
289
黒字化
237
黒字化
STX造船海洋
8,048
△18%
△51
赤字縮小
△75
赤字転落
△177
赤字転落
韓進重工
7,091
17%
△5
赤字転落
△395
赤字拡大
△346
赤字拡大
※増減は前年同期との比較。現代重工には現代三湖重工と現代尾浦が含まれる。現代三湖重工には現代尾浦が含まれる。
【韓国造船大手、上期に海洋で巨額損失、過去最大の赤字、3 社で 5500 億円】(出典:2015.07.31.海事プレス)
韓国造船大手 3 社が、1~6 月期連結決算でともに、全損益段階で巨額の赤字に陥った。税引前損失は、3 社合計で 5 兆 2000 億ウォ
に達し、合計の赤字額としては過去最悪。大宇造船海洋が海洋案件の損失計上により税引前損失 3 兆 2736 億ウォン
(3500
ン(5500 億円)
71−109
億円)の大規模赤字に転落したほか、サムスン重工業も税引前損失が過去最大の 1 兆 4654 億ウォン(1600 億円)の赤字に転落。現代
重工も赤字が継続して税引前損失は 4676 億ウォン(500 億円)だった。いずれも海洋構造物の一部工事で工程が混乱に陥り、コスト
が膨れ上がった。
【韓国造船の 1∼3 決算、大宇造船が赤字転落、現代重工業は赤字拡大】
(出典:2015.5.19.海事プレス)
韓国の主要造船所 7 社の 2015 年 1∼3 月期連結決算は、大宇造船海洋が赤字に転落したほか、現代重工業は前年同期に比べて赤字
が拡大。主要 7 社のうち 5 社が赤字決算となった。商船事業の採算悪化が続いているとみられるほか、海洋部門でも新たに損失が発生
しているようだ。
【ブラジル造船業、汚職で混乱、事業停止で日本造船も憂慮】(出典:2015.04.09.海事プレス)
ブラジルの造船プロジェクトが揺れている。国営石油ペトロブラスの汚職問題の余波で、ドリルシップなどの大量発注の主体となっ
ている投資会社セッチ・ブラジル(Sete Brasil)による建造資金が未払いの状況となり、各造船所とも工事続行が困難になっている。
造船所の損失が膨らみ、出資する日本造船所らも損失引当などを進めている。今後の見通しは不透明で、現地では「ペトロブラスが投
資計画を示すと噂される 6 月頃に動き出すのではないか」との見方が強まっているようだが、それまで造船所が停止すると事業への影
響は深刻。ブラジルを足がかりにして海洋開発市場への参入や同国の資源関連のビジネスに事業を拡大しようと見込んだ日本企業は、
難しい判断を迫られている。
(6) 我が国造船産業の今後の課題
・・・ 新造船政策検討会最終報告(平成 23 年 7 月)より抜粋
① 我が国造船産業の位置付け
我が国の海事産業は、貿易・流通の基盤として我が国の経済活動を支える基幹産業である。また、グローバル市場
の中で厳しい競争を行っており、この国際競争に勝ち抜けば世界の経済成長を取り込んで今後とも日本の成長に寄与
することができる産業である。造船・舶用工業の従業者数は 13 万人強を数え、我が国製造業の従業者が減少する中
にあって雇用を増やしている。また、裾野が広い産業であり、多数の関連事業者が集積し地域の雇用と経済を支える
重要産業である。
② 造船産業と外部環境の現状および課題
a. 造船市場の需給ギャップと為替
世界の商船船腹量は約 10 億総トンであるが、その約 4 分の1にも及ぶ各国造船所の手持ち工事合計量約 2.6 億総ト
ンが今後 2∼3 年のうちに市場に投入され、短期的には需給ギャップは大変大きいと予想される。このような造船市
況の供給過剰の状況にあって、数年前に比べての円高・ウォン安等により我が国造船産業の受注環境は悪化している。
b. 中国・韓国の状況
2010 年の世界の商船建造量のシェアは、中国 38%、韓国 33%、日本 21%。この 3 国で9割を超える。中国およ
び韓国は 2003 年からの海運ブームに乗って造船設備を大幅に増強し、2006 年∼2009 年の間で我が国の造船能力は
ほぼ横ばいであるのに対し、韓国は約 1.5 倍、中国は約 3 倍に増やしている。
c. エネルギー・環境
世界の経済発展に伴ってエネルギー需要は長期的に増加していき、海洋資源開発や代替エネルギーの開発は今後と
も有望と考えられる。また、石油燃料価格も長期的に上昇すると見込まれ、積極的に省エネルギーへの対応を行うべ
きである。さらに、将来的には環境負荷の少ない天然ガスなどの代替燃料への移行も視野に置く必要がある。
d. 海事クラスター
我が国は、海運・造船・舶用工業ともに世界トップクラスの規模と能力を有しており、互いに強く結びついている。
我が国海運企業は早くからグローバル化し、日本発着物流のみならず、三国間においても安定的かつ効率的な海上物
流を提供しており、これを支えているのが「海事クラスター」である。逆に、日本海運の業容の拡大が造船・舶用工
業の規模の維持と質的成長に大きく貢献しており、海事クラスターを維持・強化することは死活的に重要である。
e. 我が国造船業
我が国造船業は生産性が高く、船主から品質と性能への厚い信頼を勝ち得ている。しかし、長年に亘って激しい好・
不況の繰り返しによる淘汰と需給調整の歴史を経験してきた我が国造船会社は、造船業の歴史が浅い韓国や中国と比
べて一社一社の事業規模が小さいため、技術開発への投資不足、鋼材に対する脆弱な価格交渉力、リスクがとれない
といった問題を抱えている。また、人材の確保や技術の伝承が難しくなっている。
③ 造船力を強化するための方策
a. 短期的方策の視点
上記の環境を考慮し、造船力を強化するための方策としては、まず、我が国の強みをさらに伸ばす取組みが挙げら
れる。我が国海事クラスターの基盤を強化する対策を講じ、海運・造船・舶用工業の結びつきをさらに深めるととも
に、環境性能への投資を促進し、この分野でのリードを確保し続ける必要がある。
次に、一社当たりの生産規模が小さくリスクを取りにくいという弱みを克服するには、規模の利益を得るための造
船会社の連携や統合も必要である。さらに、商社や金融機関と連携して大型商談をリスクテイクする仕組みを作り、
経済発展の著しい新興国の市場への進出や海洋開発などの新事業分野への展開を進める必要がある。
最大の脅威である当面の造船供給能力の過剰問題への対応に関しては、我が国の強みである海事クラスターの総合
力と高い技術力を発揮してこれに打ち勝っていかなければならない。
72−109
さらに、新しい価値のある船舶(イノベーション)を顧客に提供することで、過剰な質の劣る生産設備の淘汰を促
すことが必要である。
b. 中長期的方策の視点
我が国造船業が、習熟した技術力と顧客の信頼関係に依存してこのままでも造船事業を維持できると考えることは
安易に過ぎる。
既に中国および韓国の造船業は強力であり、このままではいずれニッチマーケットへ追いやられ、人と資本への再
投資が困難となって衰退の道を歩むこととなる。日本の造船業は、発展か衰退かの岐路に立たされているといえる。
今であれば前述の短期的視点で述べた方策を確実に実施し始めることにより資本・技術・人材を得て、将来性のある
産業として発展を維持していくことが可能である。
人材については、現場の技術を伝承していく取組みの強化とグローバルな市場を見据えた人材の国際化の課題に加
え、イノベーション推進の核となり得る人材を育成する必要がある。また、造船産業がイノベーションを続けていく
ためには、技術開発への投資不足を解消し、官民全体で技術革新を推進し実用化する仕組みを創っていかなければな
らない。
④ 具体的対策
a.《海事クラスター強化を含む競争力強化策》
◇ 海運会社・船主対策
我が国海事クラスターの維持に決定的に重要な役割を担う国内船主が、企業体力を保持し適切なタイミングで船舶
投資を継続していくため、今後とも海運会社および船主に対する政策税制による支援の維持・強化を図るとともに資
金調達を容易にするスキームを検討する。
◇ 受注力強化(造船舶用メーカー海外進出、輸出船ファンド、その他)
現在の造船業の受注環境は、円高基調の下で船舶の価格が下落するという二重の困難に直面している。これにはま
ず建造コストのドル・リンク化を進めて為替リスクを低減する方策が考えられる。資機材の海外からの調達について
は船舶の品質の保持と調達先との信頼関係構築に時間を要するが、造船・舶用メーカーが連携して内外の市場での販
売拡大に向け海外での生産を含む戦略的な海外進出を図るべきである。
また、我が国造船業の受注を拡大するため、造船会社自らが出資し政策金融の支援を受けた輸出船用船舶投資ファ
ンドの設立を検討する。さらに、主要造船国・地域と産官の両方で関係を強化し、造船国が協働して対応するメリッ
トがある国際ルール整備や資材調達方法の改善などについて協力を進める。
その他、発注者の多様なニーズに応えるために設計力を強化するとともに、中長期的には造船所の事業統合を進め
て購買の規模を拡大して鋼材の価格交渉力を強めること、造船施設の機動的な整備等を行えるようにするための規制
緩和を行うこと、外国人労働者の受け入れを拡充すること、および税制・会計制度を見直して税コスト負担を弾力化
すること、また、これらの対策を経済特区で実現する方策について検討を進める。
◇ 省エネ性能
まずは、国際海事機関において議論されている「エネルギー効率設計指標(EEDI)」、「エネルギー効率運航指標
(EDOI)
」等に基づく船舶の燃費規制の国際基準・強制化に取組むとともに(国際基準化・条約発効を待つまでもな
く)国際海運業界とも連携しつつ当該燃費指標のデファクトスタンダード化を推進する。さらには、既に開発してい
る船舶の省エネ性能を客観的に評価し得る指標等も用いて、我が国で建造される船舶のライフサイクルコストの優位
性を世界中の荷主や運航者に対して積極的に売り込む。
◇ アフターマーケットビジネス
我が国で建造される船舶の品質および省エネ性能のメリットは、適切なメンテナンスを実施することにより発揮で
きるので、船主が安心して委ねられるメンテナンス委託先への需要は大きい。造船メーカーとしても日本製船舶のメ
リットを活かし、エンジンメーカー等と連携して修繕・メンテナンスサービスを提供するビジネスへの進出を検討す
る。
b.《新市場・新事業への展開》
◇ 海外販路開拓
大型の船隊整備や我が国固有技術を活かした洋上施設の設置の可能性がある、または、我が国の造船所や舶用メー
カーが工場進出する可能性があるインド、インドネシア、トルコ、ブラジル、ベトナムといった新興国・途上国に対
し官民を上げて密度の濃い持続的な接触・輸出促進を行う。
具体的には、政府間で、海事技術および海事産業に関する包括的な協力の覚書を結ぶなど協力関係を樹立し、テー
マごとに官民合同のチームをつくって持続的な販路開拓を行う。また、先進国への船舶輸出に対して国際協力銀行の
融資が可能となることを活用し、クルーズ旅客船、海洋施設のサポート船やアンカー敷設船、洋上風力発電施設の設
置船など付加価値の高い船舶の積極的な販路開拓を図る。
◇ 海洋
海底石油資源開発分野においては、FPOS(浮体式の石油生産・貯蔵・積み出し施設)のエンジニアリングを除き、
エンジニアリング、機器設備の製造、海洋施設の建造のいずれも実績が乏しいことから、この分野に進出するために
73−109
は海外から技術・ノウハウを獲得してキャッチアップする必要がある。浮体式洋上風力発電についてはこの分野の先
進国と連携して国際基準を早急に整備するとともに、国内の実証プロジェクトへの参画等により技術の向上を図り、
輸出も含めた普及拡大を目指す。
また長期的には、海洋基本計画に従って我が国排他的経済水域(EEZ)および大陸棚の海底資源開発に向けた生産
技術等の研究実証と商業化の実現のための技術の整備等の取組みが進められていることから、その進捗を踏まえつつ
EEZ 等における海底資源開発に参画すべきである。
c.《企業連携と事業統合の促進》
◇ 産業活力再生法の活用
「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」の規定に基づき、造船業について、事業の規模が国際
的な水準に比較して著しく小さく、かつ、新需要の開拓が特に必要な事業分野として「事業分野別指針」を定め、こ
れに基づく事業再構築計画等の策定を通じて事業の統合と再編を促す。
◇ 大量受注への対応
メガコンテナ船など一契約で短期間に大量の船舶を建造する案件に対し、一社あたりの生産規模が小さいために受
注競争に参加できない恐れがあることから、設備投資による造船施設の大型化および事業統合による生産規模の拡大
を図る。これらを実現するまでの対応策として、共同受注・共同生産を前提とした業務提携を検討する。
◇ 開発会社等の設立
造船会社の経営統合に至る過程の前段階として、種々のアライアンスを組むことは現実的である。前述の共同受注・
共同生産を行う提携に加え、共同の技術開発会社や技術・ライセンスの買収・保有会社などの設立を検討する。
d.《イノベーション推進と人材育成》
◇ イノベーションの推進
造船業が競争力を保ち差別化した商品を市場に投入していくためには海運からの要請に応えるのみでは不十分であ
り、海運とともにサービスや市場を変えるイノベーションが必要である。そのためには、社会的課題をいち早く検出
しそのソリューションを先行的に模索していく必要があることから、産業が検出した課題と大学等研究機関のマッチ
ングを行うとともに、海外の先進的な産学連携事例等を考慮しつつ、技術開発に関するベンチマーキングを行って、
戦略的かつ効果的な研究開発スキームを構築する。
◇ 海洋環境イニシアティブ
現在、革新的な船舶の省エネルギー技術等の短期集中開発と我が国主導による国際的な燃費基準作りにより、船舶
からの二酸化炭素排出量の削減と我が国海事産業の国際競争力強化を目指す「海洋環境イニシアティブ」を進めてい
る。今後は、開発した各要素技術を統合して開発目標を達成した実際の船舶をいち早く市場に投入するため、新技術
導入リスクを低減する仕組みを早急に検討する。
◇ 天然ガス燃料船
国際海運に従事する船舶の燃料の種類は最も価格が安く取扱いが容易なものの中から(さらには最近では環境への
影響を考慮して)選定されるが、天然ガスは上記観点から次世代の主力船舶の燃料として有力な候補であるとして注
目されている。
従って、環境技術による国際競争力の確保戦略の重要な要素として天然ガス燃料船の実用化・導入に海事クラスタ
ー内のみならずガス供給者や港湾インフラ関係者とも連携して取組む必要がある。このため、早急に関係者間でその
実用化・導入の戦略を検討し、パイロットプロジェクトの実施などを通じて技術的課題の解決、インフラシステムの
確立、合理的安全規制の整備などを含む天然ガス燃料船の導入促進のための環境整備を行う。
◇ 人材育成
優秀な大学の人材が海事産業の魅力を理解しこれを志向するよう海事産業界から資金、研究テーマ、人材を提供し
て産学連携講座や寄附講座を拡充強化する。また、若手職員について海外を含めた海事クラスター内の他セクターと
の人事交流や重要プロジェクトへの積極的登用を通じ世界的に通用するプロジェクトマネージャーを養成するととも
に海事技術者のキャリアパスの多様化を図る。また、幅広い海事・海洋教育を行う学内・学問アライアンス、業界が
共同で実施している「造船技術者社会人教育センター」および「技能開発センター」
、海上技術安全研究所が行う「船
舶海洋工学研修」などの海事分野の横断的取組を強化する。
【「地方創生」
、造船業に追い風、雇用産業と再評価、投資認可などもスムーズに】(出典:2015.09.14.海事プレス)
政府が成長戦略の柱に掲げる「地方創生」が、造船業には追い風となりそうだ。地元経済や雇用を支える重要産業として再評価され
ており、設備投資に関係する許認可などで、自治体からの理解が受けられやすい環境が整ってきた。
ある国内造船所の経営者は「工場所在地の自治体から、岸壁使用などで打診が来ている」と話す。別の造船所関係者も「以前は認め
られなかった埋め立てがここにきて認可された」と語る。「地方創生」をキーワードにして、自治体が造船所の拡張などに協力する姿
勢を強めているようだ。
国内造船所では今年、今治造船が丸亀事業本部で大型ドックの建設を決めたほか、大島造船所が工場隣接地で 12 万㎡の埋立地取得
を目指すなど、大規模な設備投資案件が相次いで具体化している。競争力を高めるため、建造船の大型化や規模拡大、内製化率の向上
などを目指した設備投資は今後も続きそうだが、地元自治体からの協力を得やすくなっているといえる。
また、政府系施設の地方移転の一環として、長崎県と愛媛県が海上技術安全研究所の設備誘致に手を挙げるなど、地域で造船クラス
74−109
ターの強化に向けた動きも活発化する可能性がある。
≪参考①≫ 「海、船、そして海運−わが国の海運とともに歩んだ山縣記念財団の 70 年」… 編者:田村茂(山下新日
本汽船、乾汽船を経て山形記念財団理事長に就任、故人)より抜粋
【内航海運大国であった話】
江戸時代、徳川幕府による”鎖国令”はわが国の海外貿易を 200 年余に亘って途絶させた。わずかに菱垣廻船、樽廻船、北前船などい
わゆる「千石船」を中心として「和船」が沿岸航路に従事していた。これらは小型船ではあったが相当に活発な内航輸送が行われてお
り、当時わが国は世界でも有数の内航海運大国であった。実際、寛延 3 年(1750 年)の浦賀入港船(江戸への物流通過基地)は年間
延べ隻数で 4,000 隻、40,000 人の乗組員、250 万石の貨物が輸送されたとの記録がある。
徳川幕府の幕藩体制の維持には「物流システム」の確立が必要であり、そのため廻船航路開発が進められていった。その中心人物
が「河村瑞賢(1618 年∼1699 年)」で、
「城米」
「蔵米」輸送のため寛文 11 年(1671 年)に仙台から江戸への「東廻り航路」、そして
翌寛文 12 年(1672 年)には酒田より西からの大回りで江戸への「西廻り航路」を相次いで開発し、これによって本州一周航路の整備
が完成した訳である。
【菱垣廻船・樽廻船の話】
江戸時代、江戸は人口 100 万人(全国の人口は約 3,000 万人)の大都市であった。ちなみに、当時、パリ、ロンドンの人口は 50 万
人から 60 万人であり、江戸は世界一の大都市であった。この時代、多くの品物が大消費地の江戸に送られていて、これを”江戸積み”
といっていた。将軍のお膝元に送るものは一級品でなければならず、江戸に下っていく商品は”下るモノ”(=高級品)で、それに適さ
ないものは”下らぬモノ”(=下級品)となり、今日の”下らぬものですが”とか”下らない話”という言葉に残っている。
その江戸への海上輸送に活躍したのが「菱垣廻船」(千石船、弁財船ともいう)である。天下の台所である大坂から江戸への航路は
一番の基幹航路で、元和 6 年(1620 年)頃より定期貨物便として木綿、油、綿、お酢、醤油、酒などが混載されて運ばれていた。そ
の中でも「酒専用船」として活躍していたものを「樽廻船」と呼んでいた。千石船のサイズは長さ 29.4m、幅 7.4m、深さ 2.4m、帆
柱 27m、帆 18×20m、乗組員 15∼20 名程度で、大坂/江戸間を 6 日程度で航行した。
【惣一番船、新酒番船の話】
「惣一番船」というのが、享保 15 年(1730 年)頃からはやりだした。これは、その年の新酒を一番先に江戸に届ける船便レース
(西宮から江戸新川まで)で「新酒番船」とも呼ばれた。西宮の恒例行事の一つとなり、酒造元や船主は勿論のこと、街の人々も旗や
幟を立て、鉦や太鼓で船を見送るのである。江戸までは海象状況が良ければ3日程度の航程ながら海が荒れれば 10 日も掛かる場合が
ある。一番に新酒を届けた船は”新酒番船惣一番”(ゴールド・メダリスト)で、大変な名誉と実利が与えられ、新川初上り(のぼり)
した船にはその後1年間は今でいう優先荷役が認められた。
その酒は縁起物として次のレースまでの1年間は他の酒より相当に高値が付くため、各醸造元はこのレースにかけたという。また、
本船の乗組員全員には緋の陣羽織が贈られ、それを着た乗組員は帰りの東海道各宿場では全てフリーで歓待され、その後も優秀な船
長・船員として高給で雇われた。多くの乗組員はせめて一生に一度その栄誉に浴したいと励んだという。このように灘の蔵元は良い船
を造り、また優秀な船頭を養成することに大変な意を用いた。
【北前船の話】
江戸時代、菱垣廻船とは別に「北前船」という内航海運が日本海で活躍していた。こちらは菱垣廻船や樽廻船の運賃積みとは違い、
買い積み商法が特徴であり、船頭は航海の経験のみならず商品売買の知識が要求された。その利益は 1 航海 1,000 両の儲け(下り 300
両、上り 700 両)といわれ、うまくいけば 1 航海で建造船価を回収するというボロい商売ながら、海難事故や全損のリスクも大きか
った。北前船は年間 1 航海がベースで、多くの荷物を積んで春に大阪を発ち、瀬戸内で塩を積み、関門を抜け、日本海を通って北海
道に向かい、そこで積み荷商品を売りさばく。帰りは北海道のニシンや昆布などの海産物を積んで初冬に大阪に帰着するという航海
であった。この北前船主は福井などの北陸地方の船主が中心で、その多くは明治以降も外航船主団になっていった。広海、馬場、大
家、右近などがそれである。
【廻船式目の話】
鎌倉、室町時代から内航海運で使用されていた「廻船式目」はわが国最古の海商法規で、内容の実質的価値は今日でも遜色がなく、
わが国の民族的発達の産物で普遍性・客観的価値が大きく、日本が世界に誇れる海運遺産といわれている。特に、契約自由の原則は法
に伸縮性を持たせ使い易くしており、借船の規定、積み荷の損害賠償の規定、衝突の際の取決め、刎ね荷(共同海損)の規定、難破船
の処理の規定などが折り込まれた相当高度な海商法で、かつてのベニスの海商法にも決して引けをとらない優れたものであった。
例えば、海難事故の場合に行われる「捨て荷・刎ね荷」の海損をその荷主のみの単独海損にするのは不公平(荷物を捨てられなかっ
た荷主は一切被害なしというのは不合理)であるとして、関係者全員が等しく損害を分担するという、今でいう「共同海損」の制度が
採られている。また、用船契約を借り手の都合によって解除する場合には、借り手は契約しただけの借船料を支払う。しかし船主は別
途配船(他の荷物を運んで利益を得る)することは余りにも有利になるので、その場合には、本船が揚げ地に着いて揚げ荷を終了して
元の港に戻るまでの日数を計算し、その間、船主は本船をそのままにして置くというもの。それではバカらしいというのであれば、双
方相談して金銭上の問題を適宜解決することとしている。
【わが国の近代海運業の成立の話】
わが国海運業界では、明治 7 年(1874 年)の台湾出兵を契機とした三菱商会「岩崎彌太郎」の活躍と、それに対抗する「渋沢栄一」
の共同運輸とのし烈な競争が展開され、明治 18 年(1885 年)に政府の斡旋で両社が合併し「日本郵船」が設立された。この両者は政
府の手厚い助成を受け発展し”社船”と呼ばれた。
一方、明治 17 年(1884 年)には関西の船主が大合同して「大阪商船」が発足する。それに続いて明治 13 年(1880 年)頃より後
に”社外船”と呼ばれる不定期船船社が徐々に台頭していった。三池炭輸送から発展していった後の「三井船舶」、石炭輸送に始まる「山
下汽船」、そして江戸時代より沿岸帆船(樽廻船、北前船)で活躍していた船主も和船を西洋型帆船に替えたり、外国汽船の輸入など
によって近代化を進めていった。
台湾出兵は、明治 3 年(1871 年)11 月に台風のために台湾に漂着した琉球漁民 66 名のうち 54 名が原住民に殺された事件が発端と
なった。明治政府は琉球が日本国の領土であることを認知させるため中国(清政府)にクレームしたが清政府は取り合わず、明治 7
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年(1874 年)に初の海外派兵を挙行した事件で「征台の役」といわれるものである。その際、政府は兵員などの海上輸送のために外
国からの用船を考えていたが、英国など船舶保有国からは「局外中立」の立場から船舶の提供を拒否された。(結局、船舶は三菱の岩
崎彌太郎が提供した。)
この一連の事柄により、政府は自国商船隊の保持が国家安全保障のために如何に重要かを認識することとなる。そして採られたのが
「日本海運業の強化策」で、その骨子は、「わが国の海運を民営自由主義とし、政府の保護の下に民間海運会社を育成し、これに海運
を任す」というものであった。その政府の庇護を受ける会社に三菱が推された。
【大正∼昭和初期のわが国近代海運業の躍進の話】
日露戦争終了後、大正時代に入ると景気は一進一退を繰り返していたが、大正 3 年(1914 年)に起こったヨーロッパでの戦火は第
一次世界大戦へと拡大し、世界の船腹需給は完全に均衡を失い、市況は高騰していった。わが国の海運界・造船業界は空前の活況を呈
し、大正 6 年(1917 年)∼大正 8 年にはわが国海運業界は未曽有の戦時好景気を謳歌した。定期船各社は多くの新航路を開設、不定
期船を営む社外船主はその自由な立場を使って世界中の三国間航路に進出するなど、邦船各社の活躍は目覚ましかった。第一次世界大
戦終戦直後には日本は英米に次ぐ世界第 3 位の海運大国に成長していた。
しかし、第一次世界大戦終戦後、世界経済は深刻な戦後不況に見舞われた。また、昭和 4 年(1929 年)10 月にはニューヨーク発の
世界恐慌が起こり、わが国の不定期船業界も各種不況打開策を実行していった。わが国では近代に入って新たに富を築いた資産家が、
新たな投資先として安価な外国中古船を輸入し船主になっていった。更に第一次世界大戦による海運ブームに乗じて、貸船業を目的と
する船主は社外船船腹を大きく増大していった。
そして、それらの大量の船腹を運航する大手オペレーターと、そこに船腹を提供するオーナーという二つの柱をもって日本独特のシ
ステムができあがっていった。
【計画造船と三島型貨物船の話】
第二次世界大戦後の日本海運は戦時補償も打ち切られゼロからのスタートとなった。この窮状を救い、わが国経済の復興を実現する
ため、政府が財政投融資によって船社に資金を融資して新造船を計画的に建造させる事業が「計画造船」であった。1947 年を第 1 次
として、その後 1987 年の第 43 次まで実施され、合計 1,272 隻・4,200 万 G/T の船舶が出来ていった。その中で、中心船型であった
のが「三島型貨物船」であった。
「三島型貨物船」は在来型貨物船の典型的なスタイルで、三つの上部構造物(船首楼・船橋・船尾楼)を持っていることから「三島
型」と呼ばれていた。船首楼(フォックスル=Fore Castle)は本船のオモテに位置し、向かってくる波が甲板上にヒットするのを防ぐ。
船橋(Bridge)は本船の中心部にあり最上階には操舵室がある。船橋の下には機関室(Engine Room)がある。船尾楼(Poop Deck)
は本船のトモに位置し、追い波から船を守る。船倉はオモテ 3Hatch、トモ 2/3Hatch で、大体 3 層(Three Decker)となっていた。
載貨重量は 12-13,000DWT で、馬力は 9,000-9,500 馬力、スピードは 17-18Knots の高速船も多かった。当時は”トン馬力”といわれ、
本船の総トン数に等しい馬力を持っていた。
その後、造船技術の発展と船舶の大型化により、
「三島型」から「船尾機関型」に変わっていった。船体の大型化・エンジンの小型
化に伴い船幅の大きい船体中央部に機関室を設置する必要がなくなったことなどによる。
【海運集約の話】
昭和 35 年(1960 年)に池田内閣が国民所得倍増計画を発表した。計画を遂行するため海運業界には外航船腹の拡大と企業体力の増
(海運再建整備臨時措置
強が求められ、官主導による海運企業の集約が要請された。そして昭和 38 年(1963 年)ら「海運再建 2 法」
法、利子補給法改正法)が成立する。海運集約の骨子は外航海運会社1グループの扱い船腹量を 100 万 DWT 以上とする6中核体体制
に集約するもので、90 社が参加し、当時わが国外航船腹量の 90%がこの集約体制に加わるといった画期的なものであった。集約した
海運会社に対しては、計画造船制度の下で日本開発銀行による船舶建造融資、利子補給などの公的助成が行われた。
この政策は成功した。当時のわが国の高度経済成長の波に乗ったことにもよるが、集約から 3 年後の昭和 42 年(1969 年)には 6
社全てが復配を実現し、さらに昭和 44 年(1969 年)にはそれまでの償却不足分と償還延滞分を全て完済して海運企業は自立体制を確
保することができた。
【仕組船の話】
昭和 39 年(1964 年)の海運集約以降、日本船社は計画造船で大幅に隻数を増やしていったが、計画造船の厳しい資格要件や限ら
れた融資枠の下では伸び続ける船腹需要をカバーできないとの不満が噴出した。加えて、円の実質的切り上げによる日本人船員費の高
騰により日本船のコスト競争力が低下したことへの対策が求められた。
一方、日本輸出入銀行の輸出船に対する融資条件も国際水準並みになり、造船業界の船舶輸出ドライブもあって、香港の船主などか
ら(彼らの安い船舶管理コストを背景に)日本船社に競争力のある長期用船の話が持ち込まれてきた。香港オーナーの問題点は信用力
で、彼ら単独の信用力では日本の造船所は船台の予約に応じず、銀行も融資条件に First Class Charterer の長期定期用船契約(8 年
間の T/C)の締結を求めた。これが初期の”仕組船”のスタイルであった。その後、特定の日本船社が自分の信用で船台を押え、それを
外国の船主に斡旋してその船を長期用船するスタイルに変わっていった。
しかし、日本船社は本船の資産(Equity)を有していないため、本船の価値がアップしてもその利益は船主に行ってしまうし、定期
用船契約があるため期中売船もできないという本来の船社が持つ大きな利点が発揮できなかった。そこで船社は自分自身で海外に子会
社を作り、そこで船舶を建造・所有させ、外国人船員を配乗してそれを用船するスタイルに進化していった。
【わが国の高度経済成長∼海運不況の話】
昭和 39 年(1964 年)の海運集約は成功した。昭和 39 年から昭和 48 年(1973 年)まで、わが国はいわゆる高度経済成長期にあた
り、外航海運も大きく成長していった。とりわけ不定期船マーケットでの大宗貨物である鉄鋼原料輸送は日本の鉄鋼会社の増産体制に
応じて大きく船腹を伸ばしていった。わが国の粗鋼生産も昭和 44 年(1969 年)あたりから大きく伸び始め、昭和 48 年(1973 年)
に史上最高の 1 億 2,000 万トンに達した。そして昭和 49 年(1974 年)にはわが国の船舶保有量は世界第一位となっていった。
しかしながら、この時期には日本船の国際競争力の低下が進行していき、日本籍専用船の建造熱は冷めていった。その代わりに競争
力のある「計画用船」「仕組み船」などの FOC 船(便宜置籍船)での船隊整備が進んでいった。
1980 年代に入ると大きく状況が変わっていった。第 2 次オイル・ショックにより世界経済は不況色を強め、資金需要がなくなり、
結果として余剰資金が船舶に向かい世界的に船舶金融が過熱していった。つまり、新造船の大量発注とその後の海運不況による船価の
大暴落になっていくのである。特に昭和 57 年(1982 年)から昭和 62 年(1987 年)の5年間は「海運大不況」といわれ、昭和 54 年
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(1979 年)のオイル・ショック後のタンカー不況、昭和 57 年(1982 年)のバルカー不況、そして昭和 59 年(1984 年)にはライナ
ー不況と、海運各社は3部門同時不況に見舞われるのである。昭和 60 年(1985 年)には 5,000 億円の負債を抱えていた三光汽船が倒
産に追い込まれ、「戦後最大の倒産」といわれた。
※同社は昭和 57 年(1982 年)に 125 隻という大量のバルカーを発注し、これを見た世界中の多くの船主がそれに習ってハ
ンディ・バルカーを一斉に発注した。結果、三光汽船の発注隻数の3倍以上の 400 隻近いバルカー発注となり、その供給
過剰圧力でバルカーの不況は深刻なものとなった。この時期、船価 3,000 万ドルだったパナマックスの新造船は、2∼3
年後には中古船市場でも買い手がつかず 500 万ドルまで下がり、1 日当たりの用船料も 2,000∼3,000 ドルとみじめな水
準であった。
【オイル・ショックなどの話】
国際競争力という面で日本商船隊の転換点ともなった事件が昭和 40 年(1971 年)の全日海の 90 日に亘るストライキであった。こ
の時およそ 1,000 隻の外航船が停止し、全体で 500 億∼600 億円以上の損害が発生した。この時期から日本人の船員費が大きく上昇し
始め、日本人船員離れが進んでいった。
昭和 48 年(1973 年)10 月に第 4 次中東戦争が勃発し、石油輸出機構(OPEC)は原油価格を 21%アップ、さらに翌昭和 49 年(1974
年)1 月からは2倍に引き上げるという第 1 次オイル・ショックが起こる。この原油の供給逼迫と価格高騰は大きな経済混乱をもたら
し、わが国ではインフレが進み、昭和 49 年(1974 年)の消費者物価指数は 23%アップとなった。結果、この年の GDP は戦後初め
てマイナス 1.2%となり、ここに長く続いたわが国の高度経済成長が終わることになる。トイレット・ペーパーや洗剤などの物資の買
い占め騒動などの社会現象が起こったのもこの時である。
さらに昭和 54 年(1979 年)のイラン革命を契機に第 2 次オイル・ショックが起き、バンカー(船の燃料油)価格はトン 200 ドル
に上昇していった。
【英国が影響力を有する三つの事業の話】
かつて英国では 16 世紀から 18 世紀にかけて重商主義時代といって、次の三つの仕事が幅を利かせた時期があった。銀行業
(Banking)、保険業(Underwriting)、海運業(Shipping)がそれであり、イギリスの栄光は衰えたとはいえ、今なおこれら三つの
部門では世界の中で依然としてその存在感を維持している。
つまり、Banking では「LIBOR」(London Inter Bank Offered Rate)といわれる国際金利水準の指標はロンドンが中心である。
Underwriting では「Lloyd’s」であり、ロイズが依然として世界の保険の中心である。そして Shipping では「Baltic Shipping Exchange」
で、このバルチック海運取引所で毎日発表される「BDI」
(Baltic Dry Index)という海運指数は世界中の海事関係者の間で使用されて
いる。
【保険業者をアンダーライターと呼ぶ話】
保険用語で「アンダーライター」という言葉が良く出てくるが、この意味、いわれは、保険契約では保険業者が保険証券の下方に、
例えば£10,000.00 I, ___, am content with this Assurance which God preserve, for ten thousand ponds, this ___ day
of ___ ・・・・ とある契約書の I, ___, のところに署名することによって成立する。
そこで、「下方に」(Under)「書く人」(writer)、つまり「Underwriter」は「保険引受人」または「保険業者」を意味する言葉とな
ったのである。
【船のトン数の話】
商船のトン数は、税金を取り立てる目的から、15 世紀の初めにイギリスで定められたとされている。当時は船に積むことのできる
酒樽(ワイン樽)の数で船の大きさを決めていた。その樽の容積は 252 ガロン(40.3 立方フィート)で、それに酒を満たすと重量が
2,240 ポンド(1,016 ㎏)となるのが標準だった。そこから海上運賃計算の基準となる容積建て計算基準の 1Measure Ton = 40CFT
(Cubic Feet)、あるいは重量建て計算基準の 1Weight Ton = 1Long ton = 2,240 Ibs(ポンド)となった。また、英語では TON と書
くが、その空の樽をたたけば「タン」と響くことから、樽を「TUN」と呼び、タンが転じて重さをトン(TON)というようになった
と伝えられている。
一方、わが国では室町時代以降、
「米俵がいくつ積めるか」で船の大きさを決め、
「石」が基準であった。有名な千石船の積載量は米
1,000 石(2,500 俵)であり、酒なら 4 斗樽で 1,600 樽を積んだ。米 1 石は 150 キロであるから、本船の積載重量は 150 トン、現在の
典型的な内航貨物船 499 型の約 10 分の 1 になる。
【ノアの方舟の話】
旧約聖書の「創世記」に出てくる「ノアの方舟」は長さ 300 キュビト、巾 50 キュビト、深さ 30 キュビトであったといわれている。
1 キュビトは約 44.5cmとして換算すると、長さ 133.5m、巾 22.3m、深さ 13.4mとなる。
注目すべき点は「長さ・幅・深さ=30:5:3」の比率であることで、この比率は今でも大型タンカーなどを建造する際に最も安定
した比率として使用されている。いわゆる黄金比率(Golden Section)がそんな昔に既に考えられていたとは驚きである。ちなみに、
大型タンカーVLCC の形状は長さ 330m、幅 60m、深さ 30mが一般的で、長さは東京タワーの高さとほぼ同じである。この黄金比は
「神の比」とも呼ばれ、人間にとって最も安定的な、美しい比率とされ、古代より多くの建築(パルテノン神殿など)や美術品(ミロ
のヴィーナスなど)に採用されている。身近なところでは、日ごろ使用している名刺の縦:横も 1:1.64 の黄金比率になっている。
※黄金比(Golden Ratio)は、美容外科の分野では、身体において足底から臍(へそ)までの長さと、臍から頭長までの長さ
の比が黄金比であれば美しいとされている。また、顔面の構成要素である目、鼻、口などの長さや間隔なども黄金比に合致
すれば美しいとされているようである。
【猫と船の話】
かつて、多くの船が積荷を鼠害から守るためにネコを乗せて航海していた。イギリスの海上保険法では貨物船の船上でネコを飼って
いない場合には船長は「故意」に鼠害を防がなかったとして保険の支払いを拒否した時代もあったという。また、ネズミを捕るための
ネコとネズミ取り人夫を乗せるということは、船の堪航性の一要件とした時代もあった。大航海時代には「Ship’s Cat」と呼ばれ、船
のロープや木造部分をかじり、積荷や食料を食い荒らし、また伝染病を仲介するなど厄介なネズミを退治するという重要な存在であっ
た。さらに、ネコは天気の占い(ネコが騒げば嵐がくる、ネコがくしゃみをすると雨が降る、ネコが眠れば好天が続く)や、磁石代わ
り(ネコは船上では常に北を向く)としても役に立ち、そして乗組員たちの格好のペットにもなった。
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今では本船にネコを乗せるようなことはないが、外航船には駆鼠証明書(Deratting Certificate)の所持が義務付けられていた。2007
年からはそれに代わり Ship Sanitation Control Certificate の所持が必要となっている。また現在も、岸壁に係留中の本船の係留索
(Rope)には Rat Guard(ラットガード=金属製のフライパンのようなもので「ネズミ返し」ともいう)を取り付け、岸壁からロー
プを伝ってネズミが侵入しないようにしている。
【船名の「丸」の話】
かつて日本の商船は、明治 33 年(1900 年)に明治政府が公布した「日本の船舶の名称には、なるべくその末尾に丸の字を付ける
「船名の丸は城を意
べし」という規則を尊重して、船名の末尾に「丸」をつけていた。また、なぜ「丸」なのかの謂れは諸説あるが、
味し、海に浮かんだ城である・・・本丸、二の丸などどいうように」とか、
「昔から可愛い子供には丸を付けてその成長を願った・・・
牛若丸など」
、あるいは「丸は円であり球である、つまり完全な形として航海安全を祈願した」とか色々ある。
※その他、
「麿(まろ)」の転化という説もある。昔は自分のことを「麿」といっており、やがて敬愛の意味で人に付けられる
ようになり、更に愛犬や刀などにも転用されるようになり、これが「丸」に転じたということである。
また、かつては船名を見るとどこの船会社の船であるか直ちに分かったものである。新日本汽船の「・・・春丸」をはじめ、山下
汽船は「山・・・丸」と山で始まる船名、日本郵船は日本の地名に丸を付け、大阪商船は外国の国名・地名をひらがなで表しそれに丸
を付け、三井船舶は「・・・山丸」と山の名前を使用、川崎汽船は「・・・川丸」と川の名前を使用、大同海運は「高」を頭文字とし
て「高・・・丸」と命名、乾汽船も「乾」を頭文字として「乾・・・丸」としていた。今は殆どの船がパナマ籍となり船名もアルファ
ベットの横文字が使われており、船名で船会社の判別は難しくなっている。
【船のスピードと減速航行の話】
船の速力はノット(Knot)で表され、1 ノットは 1 時間に 1 海里(Mile)進む速さである。船舶で使用するマイル(Mile)は海里
または浬と書き、ノーチカル・マイルといって、陸の哩(陸の 1 マイルは 1,609m)とは区別している。1 海里は 1,852mで、北緯 45
度の子午線 1 分の長さである。なお、子午線 1 分の距離が 1,852mであるから、地球の 1 周は、1,852m×360 度×60 分=40,003,200
m=約4万㎞となる。
また、造船工学の理論では、エンジン主機の出力と速力の関係は「馬力は速力の 3 乗に比例する」、つまり速力を 2 倍にするには 2
の 3 乗(=8 倍)の出力の主機が必要となる。当然ながら燃料消費量も主機の馬力に比例するので 8 倍になる。つまり、船のスピード
を上げることは簡単ではないことが分かる。
【船の灯火識別の話】
本船の夜間の灯火識別は、白色のマスト灯を前と後ろに 2 個、両舷灯では右舷(Starboard)が緑、左舷(Port)が赤、そして船尾
に白色灯と合計 5 個の灯火が必要である。そして夜間では相手船の赤と緑の灯火の位置を見て、その船の進行方向を確認する。商船学
校では「赤玉ポート(ワイン)」と覚えるとのこと。ちなみに、街の信号機も向って右が「赤」となっているが、これも船を正面から
見た色の位置からきているものである。
船は岸壁には左舷付けが基本であるが、航空機においても乗客の乗り降りは左側からである。そして航空機の言葉やシステムは船か
ら来ているものが多く見られる。例えば、機体は Ship と呼ばれ、機長は Captain で、乗務員は Crew、客室も Cabin と呼ばれている。
また、灯火識別も船と同じ色分けである。
≪参考②≫ 世界海運の歴史 … 入門「海運・物流講座」(日本海運集会所発行)より抜粋
≪古代≫
海運業の原型はフェニキア時代に始まりローマ帝国時代に確立した。フェニキアは紀元前 10 世紀前後に登場する。場所は現在のレ
バノン辺りで、当時は船舶に適したレバノン杉の森があった。フェニキア人は非常に器用で、造船においても優れた技術を発揮してい
た。
≪ローマ帝国時代≫
ローマ帝国時代は海運の歴史においても黄金時代であった。ローマ帝国の秩序と治安の維持が地中海の通商船の安全通航を可能と
し、ローマ帝国の発展とともに海運は発展した。ローマ法には、「海は自然法によって万人の共有物であり、空気と同様に海の使用は
万人に自由に開かれている」とあり、これはまさに「航海の自由」の原点である。ただし、「皇帝は海においても王である」という法
の文言があるように、これらの法律は皇帝の力の上に成立していた。言い換えれば、ローマ帝国の力が地中海の隅々まで行き渡り、そ
の力を背景とした法体系が通商と海運の発展の背景であったと考えられる。これらにより通商、交易、旅客を通じて海運は飛躍的に発
達したが、船舶の所有者である船主、その船を借りて運航する運航者、荷物を持っていてそれを運航者に委ねる荷主などが分離され、
現在の海運業と変わらない概念が生まれた。
≪中世≫
中世前期はイスラムが地中海世界へ進出した時代である。サラセン帝国はペルシャからトルコまでの小アジアおよび北アフリカから
スペインにまで拡大していった。この時代は安全や通商の秩序が失われ、海賊行為が横行する世界であった。北欧でも 8∼12 世紀にか
けてはバイキングの時代となり、バルト海を中心に海賊行為が経済活動の中心になっていた。地中海世界が分断され、ヨーロッパとイ
ンド、アジアを結ぶ通商路も分断された。
中世後期はイタリア自由都市とハンザ同盟が繁栄した時代であり、十字軍の時代でもある。イスラムの地中海進出に対抗して西欧が
十字軍を編成し、エルサレムを目指した。十字軍は 7、8 回大規模な遠征を行ったが、これは海運に大きな輸送需要をもたらした。各
地の兵士が集結したのがベネツィアのあたりで、イタリアの都市国家が戦争景気で潤った訳である。
13 世紀には中央アジアでモンゴルが興り、急速に勢力を強め、中国大陸を席巻し、
「元」という帝国を建設した。これはユーラシア
大陸をモンゴルという一つの秩序が統一したことを意味し、これによりアジアと中近東、欧州を結ぶ一大通商路ができた訳である。こ
のような時代背景の中で、ベネツィアは地理的優位性を活かして繁栄していった。ローマ帝国時代にできた海運のコンセプトに加え、
船舶の共同所有組合制度もできた。船員の雇用制度も現代と似通ったものになった。海賊に襲われた場合の補償制度も整った。食糧に
ついても船主がきちんと供給することが要求されていた。また、船齢を 3 種類に分類して、それに応じた船舶の格付け評価を行ってい
た。これが船級協会の評価に発展していった。配乗人数の規定や船の構造規制も船の種類ごとに決められ、運航ルールも定められた。
安全航行のための過剰積載制限ルールもできた。投荷、共同海損という危険分散の仕組みの中に、第三者による危険分散の仕組みも導
入された。これが海上保険の原型となった。
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≪近世≫
近世は、14 世紀のルネッサンス、15∼16 世紀の産業革命、大航海時代、16 世紀の宗教革命、16∼18 世紀の重商主義と展開していく
時代である。
≪大航海時代≫
ポルトガルの航海王ヘンリーはアフリカを廻ってインドへの航路を拓きたいと希望していた。かつての欧州海運は、インドとペルシ
ャとの交易によって栄えた歴史があるから、その交易ルートを開きたいと考えたのであった。これは最終的にはコロンブスによる大西
洋航路の発見、バスコ・ダ・ガマによる喜望峰経由のインド航路の発見につながる。これを背景に、ポルトガルは東洋との貿易を独占
し、南北アメリカ大陸の発見につながる。当時の交易は植民地の収穫という要素が強く、必ずしもビジネスの形態をとっていなかった。
こうした中でイギリスが台頭してきた。
≪イギリス海運の勃興≫
イギリスはイタリアやスペイン、ポルトガルに比べると、羊毛や畜産の第一次産業中心の低開発国であったが、エドワード 3 世の時
代から原材料の輸出を禁止して毛織物産業の振興に励んだ。海運分野でも 14 世紀の末、自国貨物の保護を行った。その流れが 1651 年
のクロムウェルの航海条例である。自国貨物の自国船積み取りを定めた非常に重要な考え方である。この条例の標的となったのがオラ
ンダ海運である。かつてオランダはイギリスの支配下にあったが、16 世紀末に独立した。オランダはイギリスと共にスペイン、ポル
トガルを駆逐し、自国海運を興し、ポルトガルの植民地を奪っていく。
イギリスでは、海運は「マーチャント・ネイビー」と呼ばれ、第二の海軍として商船は武装することが常識であった。当然費用の高
い船になったが、武装商船建造奨励のため建造補助制度が用意された。一方のオランダはイギリスとは対照的に商売本位に徹し、軽量
で乗員定数も減らし、荷物に合った船型(経済性本位の船型)を開発した。金融システムの発展と相まってオランダ海運は発展した。
オランダは 17 世紀の半ばには全ヨーロッパの商船隊のほぼ 45%を保有し、貿易額においてもイギリスのほぼ 3 倍になった。しかし、
こうしたオランダの繁栄がイギリスの嫉妬を買うことになり、イギリスのクロムウェルの航海条例という形になって現れた。イギリス
は、自分たちが世界の植民地を支配し、海運秩序を形成している中で、オランダだけが繁栄するのは「けしからん」ということで航海
条例を作って、イギリスの海外貿易すべてを自国船で行わなければならないとした。こうしてイギリスがオランダを攻撃する英欄戦争
が勃発した。
≪最近世≫
18∼19 世紀は二つの歴史的な革命の時代である。1つは産業革命、もう 1 つは政治革命である。海運でも帆船から蒸気船へ技術革
新が興った。
≪海運の産業革命とグローバル化≫
汽船と鉄・鉄鋼船が発達、電信海底電線の発明、スエズ、パナマ運河の開通等で一気に世界が小さくなっていった。このような時代
背景の中で、イギリスでは従来、海運と貿易は不可分であったが、資本の蓄積が進み、海運から貿易会社が独立し、19 世紀半ばには
株式制度ができ、有限責任の株式会社が設立された。鉄鋼船は資本費が大きくなり、資金調達が仲間内では困難になったが、株式会社
制度によって調達可能となったものである。イギリスの 19 世紀はパックスブリタニカと呼ばれ、七つの海を支配するパワーと整備さ
れた社会制度、保険制度がイギリス海運発展の大きな背景となっている。イギリスは 1849 年に航海条例を廃止し、自由主義政策に転
じている。
≪参考③≫ 日本の海運史 … 日本船主協会ホームページより抜粋
≪古代から中世≫
大小無数の島によって形成された自然条件から、日本では、古くから海上交通が盛んだったと考えられている。
「古事記」や「日本
書紀」などにも船に関する記述が数多く見られるし、「魏志倭人伝」など中国古代の文献にも、和人(日本人)が何度も訪れて朝見し
たとの記述があり、この時代にはすでに朝鮮半島沿岸を迂回して中国に達する航路が開けていたと考えられている。
推古 17 年(607)には、聖徳太子が小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、隋との間に正式な国交が開かれた。この時代の日本の船は、
刳舟(くりぶね)と呼ばれる丸木舟をベースにしたものが中心であったことから、おそらく大陸の技術を導入して特別に建造されたも
のだと考えられている。しかし、当時の航海術はまだ稚拙で、遭難による死者も多く、大陸と日本を結ぶ当時の航海は、現代の宇宙旅
行以上の難事業だったことが容易に想像される。
その後、唐の時代になって、630 年から 894 年まで遣唐使船が 18 回派遣されたが、この当時の船は、ジャンク船型だったといわれ
ている。船は大型化したが、それでも日本に無事に帰ってきたのは、18 回中 8 回に過ぎなかった。やがて平安時代(794−1192)に
入り、遣唐使が廃止されると、以後、一旦は大陸との行き来は途絶えるが、平安末期、平清盛が再び海外との交易に着目する。清盛の
宋貿易掌握への野望は、源氏の挙兵によって挫折するが、瀬戸内海航路の整備や大規模な港の修築など、海上交通発展への功績は、現
在も高く評価されている。
その後、鎌倉時代(1192−1338)には、国家レベルでの外国貿易は特に行われなかったが、民間では対宋貿易が盛んに行われ、宋
からは、香料、医薬、陶器、絹織物などが輸入され、日本からは扇、刀剣、水銀などが輸出されていた。この頃、中国や朝鮮半島の沿
岸の町を襲うなど活動が活発化したのが倭寇である。
室町時代(1338−1575)に入ると、足利義満が「明」との間で勘合貿易を開始し、外国との貿易が再び盛んになった。義満には、
民間で盛んに行われていた対明貿易の利益を独占しようという意図があった。一方の明は、和寇(倭寇)の鎮圧を幕府に求めており、
双方の利害が一致した結果、明は義満の派遣した遣明船を喜んで迎え、勘合符 100 通を贈与した。これを官許貿易船の証明として行
われたのが勘合貿易である。対明貿易の発展に伴って造船技術も進み、15 世紀には 2,500 石クラス(千石船で約 150 トン積み)の航
洋型の大型船も造られるようになった。しかし帆走技術は未発達で、風待ちのため往復に 3 年以上かかる場合もあった。
一方、国内では、この頃から日本海側の航路が発達をみせはじめ、若狭の小浜と宇須岸(函館)との間を商船が往来し、近畿地方の
産物や、昆布を中心とする蝦夷地の産物を運んでいた。
≪近世の海運≫
戦国時代になると鉄砲の伝来(1543)やスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルの来日(1549)など、西欧の文化や技術が流入
してきた。この頃の貿易品は、輸入品が中国産の生糸や絹織物、鉄砲、火薬など、輸出品は主に銀であった。織田信長と豊臣秀吉は、
ともに海外貿易に熱心であった。特に秀吉は、朱印状を発行し、外国貿易を政権の管理下に置いた。この朱印状を持つ官許の貿易船は
「御朱印船」と呼ばれ、広くアジアの国々と活発な交易活動を行った。
79−109
徳川家康も同様に貿易を奨励し、オランダ人ウィリアム・アダムス(三浦按針)を召し抱え、日本最初の西洋型帆船2隻を建造させ
た。その1隻は、遭難したマニラ総督に与えられ、3ヶ月の航海で無事メキシコのアカプルコに到着(1609)した。この船には親書
や宝物を携えた商人・田中勝介が便乗しており、日本人による初の太平洋横断記録を残している。その後、家光の時代になって江戸幕
府は鎖国政策をとり、以後 220 年間海外との隔絶時代が続いた。その間、唯一開かれた長崎の「出島」には中国船とオランダ船だけ
が入港を許され、この出島を通じた貿易が海外と日本をつなぐ唯一の架け橋となった。
鎖国時代を通じて未曾有の繁栄をみせたのが、当時の内航定期航路の「廻船」である。太平洋岸を通って大阪∼江戸間を結んだ「菱
垣廻船」や「樽廻船」、日本海・瀬戸内海経由で北海道や日本海側の港と大阪を結んだ「北前船」などがその代表で、生活必需品や、
時には人も運んた。こうした廻船業者は、わが国で最初の定期航路の運航者ともいえる存在であった。それまでは荷主である商人自身
が船を所有・運航し、自らリスクを負って交易活動を行っていたが、廻船の登場で、商人たちは運賃を支払えば、どこへでも品物を運
ぶことができるようになった。荷主と海運業の分離が、この時代にすでに始まっていた訳で、これは世界でも最も早い時期に当たる。
この時代使われた船は「弁才船」と呼ばれ、近世から近代までの和船のスタンダードといえるものである。横帆1枚の単純な帆装に
もかかわらず、帆と舵の巧みな操作で横風や逆風でも帆走が可能で、時代とともに速力も向上の一途をたどっていた。この強力な輸送
力は、江戸時代の経済や文化を支える上で大きな役割を果たした。
≪近代的日本海運の誕生≫
嘉永 6 年(1853)ペリーが浦賀を訪れたことがきっかけとなり、220 年に亘った鎖国時代は終わり明治維新を迎える。明治新政府が
まず直面した問題の一つが全国の貢米の輸送であった。困ったのはその輸送手段で、当時の西洋型帆船は、ほとんどが幕府や諸藩が建
造した軍艦だったため、国内の海上輸送には日本型帆船しか使えず、その輸送力には限界があった。これに乗じて日本の沿岸輸送を独
占しようとしたのがアメリカのパシフィック・メール社である。明治政府は、これに対抗すべく半官半民の回漕会社を設立、貨客定期
航路を開設したが、わずか 1 年で経営困難に陥った。同じ頃、土佐藩士の岩崎弥太郎も定期航路を開設し、その後、土佐の乱や台湾征
討の物資輸送で海上輸送業者として躍進を果たした。
政府はこれらの戦役を契機に自国海運拡充の必要性を改めて痛感し、民間海運会社の筆頭となっていた三菱商会を全面的にバックア
ップする政策を採用した。三菱商会は、その後、郵便汽船三菱会社と改称し、政府の保護の下、横浜/上海航路を牛耳っていたパシフ
ィック・メール社の独占体制に果敢に挑戦し、ついには同航路および日本の沿岸航路から撤退させた。明治 18 年(1885)には共同運
輸が合併して日本郵船会社が誕生した。他方、瀬戸内海を中心とする内航の船主らが団結し、明治 17 年(1884)、大阪商船会社を設
立した。
その後も明治政府の助成政策は続き、日本海運は積極的に外国航路に進出するようになった。さらに日清・日露の両戦争による特需
も、発展の大きなバネになった。こうした海運の発展に伴って、造船業も次第にその基盤を固めて外国航路に就航する大型汽船の多く
が国内で建造されるようになった。長い鎖国の眠りからさめてわずか 40 年ほどで、日本は世界を代表する海運国の一つとして華々し
く歴史の舞台に登場した。しかしそれは第 1 次世界大戦、第 2 次世界大戦という 2 つの戦争を通じて激しく転換する明と暗の新たな
ドラマの幕開けでもあった。
≪第 1 次世界大戦と日本海運≫
明治政府の海運増強策や日清・日露の両戦争による特需をバネに、明治末から大正初期にかけての日本海運は、すでに世界の一流海
運国に伍する地位を確立していた。その勢力をさらに飛躍させたのが第 1 次世界大戦(1914−1919)である。参戦国の船は続々軍用
に徴用され、撃沈される船も数多く出てきた。船舶の欠乏と軍需物資の輸出増大で、日本の海運・造船界は異常な熱気に包まれた。太
平洋航路の米英船舶は大西洋方面での膨大な軍需物資輸送のために本国に引き揚げ、これに伴って日本船が太平洋航路を独占するよう
になった。
こうした戦時需要は日本の産業界に空前の好況をもたらし、貿易収支は一気に黒字に転換した。しかし、大正 5 年(1916)4 月にイ
ギリスは鉄鋼の輸出を禁止。最後の供給国となったアメリカも翌年に輸出禁止措置に踏み切り、戦時需要に対応して増産体制を敷いて
いた日本の造船業は大きな打撃を受けた。一方のアメリカも船腹の不足が深刻化し、大正 7 年、日米船鉄交換契約を結んだ。これはア
メリカが供給する鋼材 1 トンにつき日本の造船業者が 1 重量トンの船舶を建造して提供、残りの鋼材は日本側で自由に使用できること
としたものである。この契約で日米両国の窮状は救われた。この大戦の前後で、世界の海運地図は大きく塗り替えられた。日本の船腹
量は英・米に次ぐ第 3 位へと躍進した。
大正 8 年(1919)にベルサイユ平和条約が締結され、ついに戦争は終結。船腹は一転して過剰状態に陥り、市況は急速に下降した。
貿易の不振で運賃は低落し、長く海運界は低迷を続けた。昭和 6 年(1931)、金輸出の再禁止で円為替が下落したのがきっかけとなっ
て輸出が増大し、海運界はやっと健全な経営状態を回復した。この時代は大型優秀船建造ブームの時代で、日本の高速貨物船や豪華客
船などが覇を競い、太平洋や南方で外国船を圧倒した。
≪第2次世界大戦と日本海運≫
こうして安定的な軌道に乗りはじめたかにみえた日本の海運界に、再び風雲急を告げる時代が訪れた。第 2 次世界大戦(1939−1945)
の勃発である。太平洋戦争突入後の昭和 17 年(1942)には、戦時海運管理令が施行された。新たに設立された船舶運営会が、政府が
徴用した船舶の運航・管理に当たるようになり、日本商船隊は国家の管理下に置かれた。国際定期航路の多くが閉ざされ、戦前、太平
洋航路を舞台に覇を競った日本の優秀船は次々に戦場に向かった。これらの優秀船のほとんどは沈み、船員の犠牲も 30,592 人に及ん
だ。敗戦直後の日本海運は、まさに崩壊といってもいい状態から再出発したのであった。
敗戦後も引き続き船舶を運航・管理するようになった船舶運営会の初仕事は、660 万人に上る外地からの引き揚げ者の輸送であった。
残存する日本船では到底運び切れず、米国から 200 隻もの船舶を借り受けての大事業となった。
総額 25 億円に上る喪失船舶に対する戦時補償が打ち切られ、経済再建に不可欠な船腹を何とか確保しようと実施されたのが計画造
船である。財政資金と市中銀行の協調融資による資金をベースに建造量と建造船種を決定し、これを申込船主に割り当てるというもの
で、復興金融公庫を通じた第 1 次計画造船が、昭和 22 年(1947)9 月に実施された。この計画造船は、その後も長期に亘って継続さ
れ、戦後の海運再建の原動力となった。
昭和 25 年(1950)には、ついに船舶運営会が解散。全船舶が船主に返還され、待望の民営還元が実現した。朝鮮特需で一旦は海運
界もまた活況を呈した。しかし翌 26 年には休戦協定が結ばれ、景気は下降に向かった。
昭和 26 年(1951)9 月、ついに 49 ヶ国との間に講和条約が結ばれ、日本は主権を回復した。昭和 27 年(1952)までには戦前の定
期航路への復帰もほぼ完了した。
昭和 30 年(1955)頃から先進諸国を中心に工業生産が拡大し、海運市況も上昇し始めた。日本海運も活況を呈し、計画造船の早期
80−109
着工や自己資金船の大量建造も行われるようになった。
≪戦後の成長期から現代まで≫
昭和 35 年(1960)頃には、先進国間の貿易量の増大、世界的な石油輸送需要の増大、ソ連の北米からの小麦大量買い付けなどによ
って世界の海運市況も活況を呈し始めた。日本の造船業も世界的なレベルに達し、高経済船の建造や、大型タンカーが建造されていっ
た。この頃、国際定期航路でも一大革命が起こった。海上コンテナ輸送の出現である。これにより国際定期航路の輸送は飛躍的にスピ
ードアップ、さらに陸上輸送との連携で海陸一貫輸送を実現。定期航路の輸送効率化に大きく貢献した。
世界経済が好調を続け、国内でも高度経済成長の時代を迎えたこの時期にも、日本の海運業界は収益面での不振にあえいでいた。昭
和 39 年(1964)業界全体を6グループに再編成する海運集約を行うに至って日本商船隊の経営基盤がようやく確立された。
昭和 48 年(1973)の第 1 次石油危機、さらに昭和 54 年(1979)の第 2 次石油危機など、その後も困難は続いたが、昭和 60 年(1985)
のプラザ合意以降急激に進んだ円高は、それ以上に日本の海運業にとって大きな打撃となった。円高はその後もとどまることを知らず、
海運企業の収益を圧迫し続けた。そうした中でも日本海運は、石油代替エネルギーの中心となる LNG(液化天然ガス)輸送のための
LNG 船の積極投入をはじめ、産業や国民生活からの需要に応える豊富な船種を整備し、石油をはじめとするエネルギー原料から工業
原料、穀物、木材、工業製品まで、日本の暮らしと産業を支える膨大な物資輸送を続けてきた。また近年、高まりを見せる地球環境保
全の観点から、タンカーの二重船殻化やシップ・リサイクルの促進等にも力を注いでいる。
日本に近代海運が誕生して百有余年。時代の荒波に揉まれながらも、国民生活と産業の発展を支える日本海運の力強い活動は途切れ
ることがなかった。経済のボーダーレス化が進展する今日、地球規模で展開する物流の唯一の担い手である海運にも、より複雑で高度
なニーズが生まれている。21 世紀を迎えての、その果敢な挑戦は、波乱に満ちた活動の歴史に、さらに創造力あふれた新たな1ペー
ジを付け加えようとしている。
≪参考④≫ 今治の造船の歴史
…「海のまち・今治」 (今治市 企画振興部 海事都市推進課 発行)より抜粋
≪創成期≫
江戸末期から明治にかけて、今治地域には小浦の守田造船所、波止浜の矢野造船所が漁船や帆船の建造や修理を行っていた。のち、
守田造船所は小浦から波止浜に移転する。この地域では中古船が多く使われていたが、新造船の場合は、広島県の木江から移ってきた
吉岡造船所や伯方の造船所を利用したという。
≪明治から太平洋戦争まで≫
明治時代となり、石炭船が増えてくると、波止浜、波方、大浦の有力者たちは、明治 35 年(1902 年)ら木造船の建造と修理を行う
「波止浜船渠㈱」を設立した。この造船所は大型船の修理が可能な「乾ドック」を持っていたため、日本各地から船が集まった。
大正元年(1912 年)に波方へ越智造船所、大正 13 年(1924 年)には大浦造船所ができるが、これらは小さな規模のものであった。
大正 7 年(1918 年)に第一次世界大戦が終結すると、不況の波が世界を襲い、大型船を扱う「波止浜船渠㈱」は不振となったため、
大正 12 年(1923 年)石崎金久氏が経営を引き継ぎ、鋼船の建造を始める。昭和 5 年(1930 年)になるとこの造船所は呉海軍工廠の
下請けとなり、砲弾製造も手掛けるようになった。資材統制が厳しくなった昭和 15 年(1940 年)には住友傘下の造船所となっている。
住友は造船部門を持っていなかったため、喉から手が出るほど欲しかった造船所の入手で、25 百トンと 35 百トンの船渠を急遽建設し、
甲種造船所の指定を受けた。
昭和 15 年(1940 年)暮れには、檜垣造船、村上(実)造船、渡辺造船、村上造船、吉岡造船、黒川造船の6社が合併して「今治造船
㈲」が誕生し、渡辺造船社長だった渡辺弥平氏が新しく社長に就任した。
この年、造船業には無関係だった今治市内の有力者たちが集まり、「今治船渠㈱」が誕生した。この会社は四国海運局の指導により
「今治造船㈲」と合併して「今治造船㈱」となり、今治船渠社長だった村上潔氏が社長に就任している。
太平洋戦争がはじまると、50m以上の鋼船を製造する造船所は海軍艦政本部の直轄となった。しかし、この地域の造船所は漁船や渡
海船などの小型木船を造るところが多く、甲種造船所の指定を受けたのは「波止浜船渠㈱」だけであった。しかも、この会社は管轄下
に置かれた造船所 40 社のうち最も規模の小さい造船所であった。
戦時中の昭和 18 年(1943 年)には、西造船など数社が合併し「伊予木鉄造船㈱」となり、木鉄船や上陸用舟艇を建造した。
≪戦後の出発≫
昭和 23 年(1948 年)
、
「伊予木鉄造船㈱」は造船所の機械・設備一式の払い下げを受け、鋼船の造船所として出発した。昭和 25 年
(1950 年)には「波止浜造船㈱」に社名を改称している。
敗戦後、住友傘下から離れた「波止浜船渠㈱」は激しい労働争議のため、昭和 24 年(1949 年)に解散し、新しく「来島船渠㈱」を
設立して工場設備を引き継いだ。しかし、デトロイト銀行頭取ドッジ氏の指示により実施された強力なデフレ政策(ドッジプラン)の
ため、補助金や復興債が打ち切られて経営が悪化し、その上、労働争議によって工場閉鎖に追い込まれてしまった。
、波止浜町長・今井五郎氏の依頼を受けた坪内寿夫氏が社長となり「来島船渠㈱」は再出発している。
「来島船
昭和 28 年(1953 年)
渠㈱」は独自の市場開拓策を採った。小型鋼船を中心に製造して工程の合理化を図り、船価を抑えた船舶を造った。低価格とするため、
大きさと設計を規格化し、同じ形の鋼船を流れ作業で建造した。この合理化は、設計コストや発注の手間を省くことができたため、驚
異的なコストダウンが実現した。鋼船の年賦償還(手形延べ払い)方式も昭和 25 年(1953 年)から始められている。零細な個人船主
のために、6 年間で建造費を返済するという内容である。木船から鋼船への切り替え需要を狙ったものであったが、金融機関のバック
アップもあり、資金力の乏しい船主がこぞって新造船に乗り出した。愛媛の船主数はこのことで大きく拡がり、今治地域が日本有数の
海運の町になる基礎ができた。また、海運需要の高まりによって中古船市場が高騰したため、手持ちの船を売却してワンランク上の船
を造ることがたやすくなり、新造船需要に拍車がかかった。昭和 41 年(1966 年)「来島船渠㈱」は「㈱来島どっく」と名称を変えて
いる。
「今治造船㈱」は、戦後、従業員の多くが離散したこともあって鋼船建造の見通しが立たなくなり、昭和 29 年(1954 年)に休
業に陥ったが、これを救ったのは、過去に「今治造船㈱」で現場総監督を務め、檜垣造船所を経営していた檜垣正一氏であった。檜垣
造船所を吸収合併して、今治造船の再建が図られ、愛媛汽船社長・赤尾柳吉氏を社長に迎えて、昭和 30 年(1955 年)に「今治造船㈱」
は再出発することとなった。昭和 34 年(1959 年)には檜垣正一氏が社長に就任している。「今治造船㈱」は建造能力に優れた工場を
持っていたため、小型内航船から大型近海船へと船舶建造をシフトし、事業の拡大を図った。
「波止浜造船㈱」も昭和 29 年(1954 年)
頃から鋼船建造に変っている。
≪苦難の時代を乗り越えて≫
昭和 30 年第後半になると、船舶は大型化していった。そのため波止浜の筥潟湾は、湾の大きさや深度の点から大型船の建造には向
81−109
かないので、他の地域へ進出する造船所が増えている。「㈱来島どっく」は昭和 36 年(1961 年)に大西へ、「今治造船㈱」は昭和 45
年(1970 年)に香川県丸亀へ、
「波止浜造船㈱」は昭和 49 年(1974 年)に香川県多度津に進出している。
しかし、昭和 48 年(1973 年)の第一次石油危機が起こると、造船業は深刻な不況に直面した。既契約船のキャンセルや船種変更が
続き、昭和 51 年(1976 年)の建造量はピーク時の 5 分の 1 に落ち込んだ。原材料の高騰とインフレ、人手不足による人件費の高騰、
円高は造船の国際競争力を低下させ、造船所経営を圧迫した。造船業界は構造不況業種に指定され、深刻な危機的状況が訪れたのであ
る。日本各地では、昭和 52 年(1977 年)から翌年にかけて中堅造船所 21 社が倒産。負債総額は 1,500 億円にものぼっている。この
地域では「㈱来島どっく」の坪内社長が退陣する結果となった。また、同年 12 月には「波止浜造船㈱」が倒産している。
政府は昭和 53 年(1978 年)に造船業の経営を安定させる方策として、総トン数 5 千トン以上の外航船舶建造施設を持つ造船所を
「特定船舶製造業における計画的な設備の処理を促進するため、特定船舶製造業の用に
特定不況産業に指定した。造船所救済のため、
供する設備および土地の買収等を行うことにより、特定船舶製造業における不況の克服と経営の安定を図ることを目的」とする「特定
船舶製造業安定事業協会」を設立し、造船所経営はやや回復することができた。
しかし、昭和 60 年後半から海運不況の長期化、円相場の急騰により、再び海運業の景気は悪化した。造船業界は深刻な不況に陥り、
政府は 20%程度の設備処理や集約化による産業体制の整備などの対策を実施することになった。さらに平成元年(1989 年)にはこの
構造調整の結果を踏まえ、高度船舶技術の開発と造船業の活性化を推進する方針を打ち出している。この方針に沿い、国内物流改革に
伴う需要構造の変化対応と生産規模の適正化を図るための機関「造船業基盤整備事業協会」が新たに設立され、中小造船業の設備買い
上げが行われた。
「波止浜造船㈱」は業績・資金繰悪化を受けて、船舶修繕を専業とする「㈱ハシゾウ」を分社し、本体の「波止浜造船㈱」は平成
12 年(2000 年)に「常石造船㈱」との合併を行った。更に、平成 13 年(2001 年)には隣接する「今治造船㈱」が「㈱ハシゾウ」を
系列化(後に吸収合併)した。常石造船に吸収された同社「多度津工場」は別法人として分社し、これを今治造船が買収した。「㈱来
島どっく」は太平工業㈱、徳島船渠㈱の経営に参画し、昭和 62 年(1987 年)に「㈱新来島どっく」を創立した。
≪参考⑤≫ 水軍が育んだ「海のまち」 …「海のまち・今治」 (今治市 企画振興部 海事都市推進課 発行)より抜粋
≪海賊の台頭≫
『三代実録(さんだいじつろく)』には「貞観(じょうがん)9 年(867 年)11 月、伊予国宮崎、海賊群居して掠奪もっとも切なり」という
記述がある。伊予国宮崎という地名は今治市波方にある宮崎の鼻が有力視されていて、良くも悪くもこの地域には海賊が出没していた
ようである。
この時代になると中央集権制度が有名無実化して、地方に朝廷の力が及ばなくなり海賊が横行してきた。朝廷は乱れていく地方の治
安を取り戻すため、追捕使(ついぶし)を瀬戸内海沿岸に派遣し、国司や郡司に任命された地方官吏とともに海賊を鎮圧しようと試みた。
しかし、国司や郡司はその地方の豪族たちと手を組み朝廷との関係は疎遠になっていった。
伊予国日振島(ひぶりじま)で挙兵した藤原純友(ふじわらのすみとも)は伊予掾(いよじょう)という官僚であったが、土豪や有力農民と手を
結び海賊となった。純友の乱は失敗に終わったが、これを鎮圧したのは越智氏や河野氏などの地方豪族たちで、後に(勢力を)伸ばし
ていった。中でも河野氏は、平氏に叛旗を翻して源氏を助けたことにより伊予国の実権を握ることとなった。
≪南北朝時代の伊予国≫
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、王政復古を図ろうと正中の変(1324 年)、元弘の変(1331 年)などの倒幕運動をおこし、各地で戦
いが行われた。元弘 3 年(1333 年)、幕府軍の宇都宮貞宗(うつのみやさだむね)が占拠する府中城を土居氏、忽那(くつな)氏、大祝(おお
ほうり)氏らが攻撃して落城させ、今治の石井浜に上陸しようとする長門探題(ながとたんだい)
・北条時直(ほうじょうときなお)の兵の上陸を
阻止している。これらの激戦の後、北条高時(たかとき)の自刃によって幕府は滅亡したため王政復古が実現した。これを「建武の中興
(けんむのちゅうこう)
」(1334 年)という。
しかし、後醍醐天皇の新政は、武士をないがしろにしたものだったため武士方に不満が渦巻き、足利尊氏(あしかがたかうじ)は京都を
攻めて後醍醐天皇の兵を打ち破り、建武 3 年(1336 年)には光明天皇(こうみょうてんのう)を皇位につけて建武式目(けんむしきもく)を発
布した。後醍醐天皇の南朝と足利方の北朝が争う南北朝時代がここに始まった。
伊予国では、水軍の多くは南朝方につき、伊予国は南朝方の拠点ともなった。南朝の四国総大将として今治入りした新田義貞(にった
よしさだ)の弟・脇屋義助(わきやよしすけ)は、国分寺で軍議を練った後、突然の病死をむかえた。義助の死は南朝方にとって大きな痛手
となり、伊予国での南朝勢力は急激に衰えていった。
≪村上水軍と河野氏≫
越智諸島を中心に活躍した村上氏は村上義弘(むらかみよしひろ)の跡を南朝方の武将・北畠師清(きたばたけもろきよ)が継いだといわれて
いる。師清の孫たち三人がそれぞれ能島(のしま)、来島(くるしま)、因島(いんのしま)という三家に分かれた。因島村上氏は河野氏や中国
地方で勢力を振るった山名氏、大内氏、毛利氏などの守護との関係が強く、能島村上氏は河野氏に従いつつも独立的な性格を持ってい
た。来島村上氏は河野氏と密接な関係にあり、家臣団に組み込まれていた。
村上氏たちはその力を増すに従い瀬戸内海の制海権を掌握していった。この地域を航行する船舶の帆の大小による帆別銭(ほべつせん)
や櫓の多少による櫓別銭(ろべつせん)、荷駄別役銭(にだべつやくせん)などと呼ばれる通行料を徴収し、その代わりに航海の安全を保証し
た。また、これらの警固料(けごりょう)や水先案内料、他国との貿易などで村上氏は経済力を増していった。
16 世紀初めになると、道後湯築城主・河野通直(こうのみちなお)の後継者に来島の村上通康(むらかみみちやす)が選ばれたことから内紛
がおこった。重臣たちは通直の居城する湯築城や通康の来島城を攻め、予州家の通政(みちまさ)を担いだ。しかし、通政は急死し、幼
い通宣(みちのぶ)がその跡を継いだ。この争いは後に村上氏が河野氏から離反する遠因となっている。
≪村上氏の活躍≫
弘治元年(1555 年)主君・大内義隆(おおうちよしたか)を討った陶晴賢(すえはるかた)に対して毛利元就(もうりもとなり)が戦いを挑んだ
「厳島の戦い」で村上水軍は毛利氏の勝利に大きく貢献した。数で優勢な陶軍を駆逐するため嵐の中を進んだ毛利軍の急襲に驚いた陶
軍は、軍船で陸路に逃げようと混乱して力を発揮できず、晴賢は厳島の大江浦で割腹した。この戦いで村上水軍は第三軍となり敵の退
路を断つ役割を見事に果たし、能島・来島村上氏に周防国屋代島が戦功として与えられた。この戦い以降、村上氏と毛利氏の関係は長
く続くこととなった。
天正 4 年(1576 年)、毛利軍は大坂木津川口で、織田信長軍と戦った。毛利家に加勢した能島の村上武吉(むらかみたけよし)、因島の
村上亮康(むらかみすけやす)、来島の村上通康(むらかみみちやす)ら村上水軍は、伊勢・紀伊水軍の大型船である安宅船(あたけぶね)へ、村上
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水軍特有の爆弾の炮碌(ほうろく)や火矢を使って攻撃(撃破)し、
(信長軍から兵糧攻めにされていた)大坂本願寺内へ兵糧を送り込む
ことに成功した。敗退した信長は毛利軍に一矢報いようと、船を鉄板で装甲し大砲と無数の銃を備えた戦艦を作らせた。そのためか、
天正 6 年(1578 年)の第二次木津川口戦では織田軍の圧倒的な勝利に終わった。本願寺は毛利軍の助けもなく窮地に陥り、信長と和
睦した。
≪秀吉の海賊禁止令≫
信長の命を受けた豊臣秀吉は、来島の村上通総(むらかみみちふさ)を誘い信長に協力させた。これを不服に思った能島村上氏は天正 10
年(1582 年)に毛利氏と連携をとり、来島村上氏への総攻撃を行った。通総は来島を脱出して秀吉のもとに逃れたが、その 2 年後、
豊臣秀吉は毛利家へ仲介をとって通総を来島に帰国させた。
天正 13 年(1585 年)、四国全域を手中に治めた豊臣秀吉は、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて河野通直を攻めた。通直は摂津、
高野へと移った後、安芸国竹原で病没し、湯築城主の河野氏は途絶えた。
来島城主の村上通総は秀吉の四国征伐の時に小早川隆景の下で戦い、軍功として風早郡、野間郡で 1 万 4 千石、兄の得居通之(とく
いみちゆき)も風早郡 3 千石の所領を得、瀬戸内海水軍の将として唯一の豊臣取り立の大名となった。通総はこれを機に「来嶋」を名乗
った。秀吉の意に副わなかった能嶋の村上武吉は毛利氏の家臣となり、周防の屋代や安芸の江田島などに知行(ちぎょう)を与えられ、
本拠地の能島を引き払った。
秀吉は海賊勢力の一掃を図るため、天正 16 年(1588 年)海賊禁止令を発布した。海賊たちはこの法により姿を消すこととなった。
≪秀吉の朝鮮派兵≫
天正 19 年(1591 年)、豊臣秀吉は朝鮮に出兵し 14 万人の兵が海を渡った。9 千 2 百万人の水軍のうち 3 分の 1 が伊予国からの兵
力で占められていた。能島村上氏は陸軍となり、来嶋通総と兄の得居通之は四国の諸大名による 5 番隊に属して 7 百人の水軍を指揮し
た。文禄元年(1592 年)
、日本軍は釜山に上陸し平壌まで侵攻したが、水軍は連敗。住民の抵抗で日本軍は苦戦に陥った。
秀吉は「明」と講和を結ぼうとしたが交渉は決裂し、慶長 2 年(1597 年)に兵を再び朝鮮に送った。約 15 万人が動員され、来嶋
通総は 6 番隊に属し 6 百人の水軍が出陣した。藤堂高虎(とうどうたかとら)と加藤嘉明(かとうよしあき)が伊予国からの軍勢を主とする水
軍の指揮をとったが、通総は水営浦(スヨンポ)で戦死した。
朝鮮出兵は、慶長 3 年(1598 年)
、秀吉の死により中止され、藤堂高虎が撤退の指揮をとった。
≪豊後へ移った来嶋氏≫
慶長 5 年(1600 年)の関ヶ原の戦いで徳川方が勝利した結果、毛利氏の領地は周防、長門 2 か国に減封され、能島の村上武吉も周
防に下りた。因島村上氏は島を去って没落し、因島村上氏の主な人々は菊間の佐方に来て庄屋になったといわれている。
、本多
同じく西軍に属した来嶋康親(くるしまやすちか)は後に寝返って東軍を支援したが、領地は没収となった。慶長 6 年(1601 年)
正信(ほんだまさのぶ)や福島正則(ふくしままさのり)のとりなしもあり、来嶋氏は豊後国森藩(現、大分県)1 万 4 千石へ転封となった。康
親は、日田、玖珠、速水の 3 郡を領した後、名前を長親、名字を「来嶋」から「久留嶋」と改めた。久留嶋氏は明治維新を迎えるまで
山の中で大名を続け、維新後は華族となった。
重臣を除く家臣たちは移封の折、来島近隣の地に残され、やがて帰農した。能島村上氏に属していた人たちは、周防の屋代島や芸予
諸島、今治周辺に居住したといわれている。
≪水軍のDNAが残る今治地方の人々≫
今治・芸予地域が日本の歴史や文化の中で重要な地位を占めてきたのは、その地理的要因が大きいようである。この地域を安全に通
り抜けるため、往来する船舶や水夫たちはここに停泊し、新しい文化や風習を伝えた。また、この地域の人々は、天候や潮流、安全な
航路、時間や季節による自然の変化を深く知っているため、さまざまな航海に重用された。
こうした交流の中から、
「進取の気風」と「勇猛心」が育った。この地域の人々は自らの度量を武器に域外へと進出している。海に
生きた水軍の DNA がこの地方の風土や気質を造り上げてきた。この地域が海運・造船の町として大きく発展してきたのは、こうした
水軍気質に負うところが大きいようである。
≪参考⑥≫ 造船産業の戦略的成長 … 国土交通省「海事レポート 2014」より抜粋
≪造船市況の変化≫
造船業は、輸出が全体の 81%(総トン数ベース)を占める輸出比率が高い産業であり、国際市場で受注競争を行っている。2008 年
9 月のリーマンショックを契機とした世界の造船市場における建造需要の急落及び円高の影響により、我が国造船業は、韓国・中国等
の造船国との間で非常に厳しい競争環境下にあったが、2012 年末からの円高の是正等を背景に、受注量は急速な増加に転じており、
市況は回復しつつある。
今後、世界経済の拡大に伴って海上輸送量が増加すると予測されており、輸送需要に対応した船隊増強が見込まれる。さらに、シェ
ール革命に伴い、2017 年頃から、北米からシェールガスの輸出が開始・拡大される予定であり、この輸送需要に対応する液化天然ガ
ス(LNG)運搬船の建造需要の大幅な増加も見込まれている。
≪我が国造船業の競争力強化≫
今後成長が見込まれる造船市場において、我が国造船業が引き続き発展するためには、韓国及び中国等との国際競争に勝ち残ってい
、「企業連携と事業統合の促進」、「新市場・
く必要がある。国土交通省では、我が国造船業の競争力の強化に向けて、「受注力の強化」
新事業への展開」を 3 つの柱として様々な施策に取り組んでいる。
1. 受注力の強化
我が国造船業が得意とする船舶の省エネ技術等の更なる発展と、その技術力を発揮できる環境整備に取り組んでいる。具体的には、
船舶から排出される CO2 削減や海洋資源開発分野への展開を目指した民間事業者の技術開発を支援するとともに、IMO における環境
規制の議論を主導する等、技術開発・新技術の普及促進と国際的枠組みづくりを推進している。
2. 企業連携と事業統合の促進
造船業界においては、設計・開発を含めた技術力、受注のための営業力、資機材の調達力の向上及び、制裁体制の強化等を目的とす
る分社化、経営統合、新会社の設立等、様々な取り組みが進められている。(以下は取り組み例)
・三菱重工業㈱及び今治造船㈱が、LNG 運搬船の共同受注・設計を担う「MILNG カンパニー」を設立(2013 年 4 月)
・造船専業 5 社、海運会社等により研究開発・設計を共同で行う「マリタイム イノベーション ジャパン(MIJAC)」を設立(2013 年 4 月)
・㈱名村造船所と佐世保重工業㈱が経営統合(2014 年 5 月)
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これまで、産活法(産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法)に基づく支援を講じてきたが、2014 年 1 月、同法は
廃止され、産業競争力強化法(新法)へと拡充されたことに伴い、今後は新法の下で支援していくこととする。
3. 新市場・新事業への展開
我が国造船産業及び舶用工業が今後も持続的な発展を遂げるためには、これまで培ってきた優れた技術を活かし、新しい分野「新市
場・新事業」への提供が必要不可欠である。
このため、国土交通省では、大規模な船体整備や我が国技術を活かした大型浮体施設利用の可能性がある新興国、低環境負荷船や海
洋開発に使用される船舶等の付加価値の高い新事業分野への展開を推進しており、官民を挙げて、相手国との密度の濃い持続的な関係
構築を図っている。
≪参考⑦≫ 波方の海運業の発展と現状について … 平成 19 年 8 月 東豫海運会長・大河内利夫氏からの寄稿
波方町は周辺が山に囲まれ、これといった耕作面積は無く、百姓専業で生活する事は非常に難しい村である。反面、目前には来島海
峡を控え広々とした海があった。
当地の「来島氏」が 1 万 4 千石として治めるようになって、来島だけでは手狭のため、その家臣団の一部の者は波方に居住したと思
われる。来島氏は、関が原の戦の後、九州は森藩 1 万 4 千石に転封となったため水軍は不要となり、殆どの家来はこの地に残った。そ
の後、来島藩は無くなり松山藩に吸収となったため、この地方には武士はいなくなった。
波方海運の歴史は古く、波方の住人「長谷部九兵衛」が天和 3 年(1683 年)に波止浜に塩田を開いてからは波止浜港に出入りする
船の数は日々かなりな数に及ぶようになり、波方の若者は競ってこの船員として乗船し、波方は船員の供給地となった。同時に、波方
海岸の砂が塩製造のために必要な砂として使われるようになり、毎日これを波止浜塩田へ運ぶようになった。その砂を「入れ替え砂」
といい、これを運ぶ船を「入れ替え船」といった。当時波方にはこの「入れ替え船」が 8 隻程いたが、これらが波方船舶の最初の船で
あった。
その後、菊間に瓦泥が少なくなり、代わって波方で大量に出土した「五味泥」を波方から菊間に運ぶための船が数隻できた。また、
大島石を運ぶ船もでき、順次波方の船の数が増加していった。こうして小さな「入れ替え船」からスタートした波方の海運は、幕末頃
には大小 20 隻程度いたというが、これらは大は 700 石積み、小は 200 石積み程度の帆船であった。
明治 30 年頃になると船数も増え 36 隻となり、小村としては数多い船舶数であった。また、小さいながらも船舶組合もでき、当時と
しては全国的にも珍しい船舶の組合として運営していた。当時の船は木造船で、風を推進力として動く帆船であり、しかも船型が小さ
く風や波には弱かった。各船には長老が乗り組み、長老は毎朝早くに起きてその日の天候を予想して航海していた。天候が外れると思
わぬ大事故に遭遇し、沈没せぬまでもその修理代は大変であった。当時は銀行も無く、簡単に金を借り入れすることができず困窮した。
その対策として波方には古くから「無尽制度」があった。
無尽にも2通りあって、
「①助け合い無尽」と「②普通無尽」があった。
「助け合い無尽」は、思わぬ大事故に合い修理代に相当な金
が必要なのに金策ができない人を助ける無尽である。その無尽の世話は波方船舶組合が務め、広く村中に呼びかけ約 70∼100 人程度で
月掛け無尽を構成した。その無尽の親だけは無利子であるが、無尽に救済される者(親)の名前が付き不名誉であった。「普通無尽」
は貯蓄の意味あいで、50∼70 人程度の人が親無し無尽として普段から積み立てて行く無尽である。各無尽とも証券預かり人が2名(村
の有力者)いて、落札すると保証人2名を立てて資金を手にすることになる。この 2 名の保証人について証券預り人が厳重な審査をし
た。無尽制度は金融機関の発達しない頃の村で唯一の金融・融資制度であった。1回の掛け金は当時としてはかなり高額であったが、
万一に備え苦労して積み立てたものである。
世の中が進み、明治 30 年頃になると波止浜塩業の塩作りのための釜焚き燃料が、周辺の島々からの割り木から石炭に変わってきた。
そのため波方周辺の船の積荷も石炭に変わってきたが、石炭の積地が遠方(山口県宇部、九州筑豊など)のため船も大型になってきた。
このため資金には大変苦労したものである。
やがて近代諸工業が発達し各種産業の動力元が蒸気へと変わり、石炭の需要は製塩業のみではなくなり、船も忙しい航海が続くよう
になってきた。船型も帆船から機帆船へと変わっていったが、反面、機帆船には船体保険が無く、対外的には信用度が低く、資金調達
には苦労した。
昭和 16 年頃の波止浜の金融機関は今治商業銀行と㈱共栄貯金銀行の出張所があり、波方に仮事務所を置いていたため現金の出し入
れはできたが、事故や修理等で思わぬ金が要る時の貸出はしなかった。他に今治無尽会社があった。無尽会社には営業店舗の他にも会
場があり、そこで無尽の抽選または入札をしていた。今治無尽の管内には 10 ケ所の会場があり、その一つが波止浜にあったと思われる。
戦争中、今治の無尽会社が波方の各船主の家を回り、無尽加入を勧めるようになった。この無尽は、無尽会社が親を務め、子(加入
者)は月掛け金を支払い、必要な時に落札して金を貸してもらう方法であり、木造の機帆船船主にとっては唯一の金を貸してくれる銀
行であり、好評を博した。戦時中、今治市には銀行としては、今治商業銀行(明治 25 年 5 月創立)と㈱共栄貯金銀行があった。昭和
16 年 9 月に今治商業銀行・松山52銀行・豫州銀行の3行が合併して㈱伊予合同銀行が設立され波止浜支店が設置されたが、この銀
行は預金銀行であったため船舶融資はしなかった。また一方では、昭和 18 年 3 月に県下優良無尽会社の常盤無尽・東豫無尽・今治無
尽・南豫無尽・松山無尽の5無尽が合併して愛媛無尽株式会社がスタートした。波止浜には今治無尽当時の営業所(会場)があり、引
き続き営業をしていた。
昭和 16 年頃には波方には101隻の機帆船がおり、大船団になっていた。従って資金需要も旺盛になり、伊予合同銀行は波方に仮
出張所まで出して金銭の出し入れの利便を図っていたが、船舶への貸出は無く、船舶貸出はもっぱら「愛媛無尽」であった。愛媛無尽
株式会社も昭和 20 年 12 月から銀行法等特例法施行で普通預金・定期預金の取扱い、および定期預金を担保とする貸付の取扱いができ
るようになった。
大東亜戦争が始まり激戦になってくると戦域が長く広くなり、各島々に軍隊が駐留するようになると、武器弾薬を始め食糧等の補給
が大量に必要になり、数多くの商船が必要になってきた。しかし昭和 19 年中頃になると敵の潜水艦を始め飛行機の攻撃により殆どの
日本商船は撃沈され、壊滅の状態であった。やむなく機帆船を徴用船として南方方面への軍需輸送を行った。波方の多くの機帆船も徴
用船として参戦したが、全船戦地で沈没し、乗組員も多数戦死し大被害を被った。波方では徴用船に乗組み45人の人が現地で戦死し
ている。また、徴用船を嫌って売船した人もおり、戦後、波方船舶組合には機帆船大小合わせて21隻にまで減少した。
太平洋戦争も終わり、軍人として参戦した人や徴用船で南方に行き船は沈没したが無事帰還した船主関係の人々は、再度船主として
の道を歩むべく努力した。ある者は家屋敷は勿論、親戚の力も借りて船舶を購入し、またある者は共同で資金を出し合い無尽等も利用
して船舶を購入した。戦後は、海外を始め大勢の人が兵役解除となり帰郷した。その数 600 万人といわれている。その復員者の帰郷輸
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送を始め食糧輸送が活発となり、各種の輸送機関(特に汽車)の増便が図られたが、汽車の燃料である石炭が大量に必要となり、その
石炭を運ぶ海上輸送機関である機帆船は引っ張りだこになった。
愛媛無尽株式会社も戦後 20 年 10 月(銀行法等特例法施行)により普通預金・定期預金の取扱い、および定期預金を担保とする貸付
の取扱いができるようになった。当時の無尽会社としては画期的なことであり、最初の銀行金融拡大を意味した。
敗戦によって建造途中で立ち腐れ寸前であった機帆船もたちまち買い手がつき、運炭機帆船が瀬戸内海を忙しく行き交いしはじめ
た。戦後の世の中は品物が不足したため悪性のインフレとなり、諸物価は急騰した。昭和 23 年「芦田内閣」の時には諸物価が年内4
倍にも値上がりし、船の運賃も3.1倍にも跳ね上がったこともあった。日本の国の極端な物価上昇を抑えるため連合軍は昭和 24 年 6
月ドッジラインを実施し、経済9原則を発表したが、各企業が不況のため人員整理をし始め失業者が 170 万人にも達した。そのため景
気は悪くなり始め、やがて深刻な不況のどん底に陥り機帆船も積む荷物がなくなり、各船は係船の止む無きに至った。
ところが昭和 25 年 6 月朝鮮戦争が起こり日本も急速に好景気となって石油価格が急騰したため、石油と競争関係にあった石炭の需
要が一段と高まり、石炭は「クロダイヤ」と言われる程急騰した。内航船も忙しい航海が続いた。
しかし昭和 28 年朝鮮戦争が終わると日本の景気も一段落した。その後は世界景気の好調に支えられて景気は次第に良くなってきた。
愛媛無尽株式会社も昭和 26 年 5 月相互銀行法が成立し、10 月に新しく㈱愛媛相互銀行となり、波止浜は晴れて業務取次所となった。
愛媛無尽として長年付き合ってきた繋がりは強く、愛媛相互銀行は益々活躍した。当時、波止浜(業務取次所)には八束氏や桑原氏と
いう行員がおり波方周辺を回っていた。
昭和 30 年代に入ってくると陸上産業の技術革新による設備投資が活発になり、同時に、特に石油コンビナートの出現により石油、
石炭、鋼材等の輸送が非常に活発となり、内航船も大型化が必要となった。これに対応して船型は機帆船から鋼船へと進化した。波方
船舶組合でも数隻の鋼船を所有する船主が出てきたが、当時の船主は資金力が無かったので、客船上がりの中古船を改造し、主機(エ
ンジン)換装して貨物を積む船として使用した。しかし、そうした中古船は数が少なく、仕方なく新造船に目が向くことになった。新
造船の鋼船となると船型も大きく船価も高額であった。そのため一時は船価の安い木鉄船(船体の骨部が鉄で、外板が木でできている
船)を造る者もあり、波止浜湾内でも 10 数隻の木鉄船が出現したが、この船は機帆船と同じ扱いで資金面で苦労があったため、数多
くはできなかった。㈱愛媛相互銀行も昭和 31 年 5 月には正式に波止浜支店が開設され、船舶融資には力を注いだ。
その頃、来島船渠㈱は坪内氏が再建途上で、また、㈱今治造船も檜垣氏が購入して店開きの途上にあった。昭和 33 年頃波方船舶組
合の船主は機帆船 158 隻、鋼船 6 隻を所有しており、伯方船舶組合でも波方以上の木船があった。この船主達の船を鋼船に乗り換えて
もらう方法はないかということを各造船所が検討していた。結論として、各船主とも現在の機帆船をできるなら鋼船に切り替えたいと
いう希望は持っているが、①建造資金が無い、②建造しても使ってくれる用船者を知らない、③建造できる造船所を知らない、といっ
た鋼船建造の問題があるとし、この解決方法として各造船所は機帆船船主に、①現在使用している船を売船してもらう、②用船先を推
薦する、③自己資金で足りない残金は銀行を斡旋する、④造船所が一部延べ払いにする、といった事を提案し、小型鋼船の建造を勧め
た。また、各銀行や船主には、①船体保険に加入でき、もし万一船災に遭っても保険会社が保証する ⇒ 従って船が不動産化し銀行融
資の対象となる、②用船方式となり、月の収入が確定し、返済計画が立つ、③法人組織となり、会社の内容がはっきりする、などを力
説した。㈱来島船渠は主として波方方面の船主を、㈱今治造船は主として伯方および今治方面の船主を懸命に勧誘した。そうした効果
もあって機帆船はこの頃を頂点とし、その後は内航の鋼船が増え始めた。
当時の船主は、現在所有している機帆船を売却しその金を自己資金とし、残る資金は銀行と造船所に借りる、いわゆる「三分割方式」
での建造が始まった。その第1号は、来島船渠㈱では波方の瀬野汽船が昭和 31 年 2 月に建造、㈱今治造船では愛媛海運が昭和 31 年 6
月に建造した海上トラックといわれる 700 トン積み新造鋼船である。爾来、波止浜湾内の各造船所を中心に機帆船から鋼船へ変わって
いき、一方、資金面では地元銀行として㈱愛媛相互銀行が無尽方式から一般融資へと切り替え本格的に船舶融資に乗出した。
(船舶融
資では㈱伊予銀行を上回った事もあったと聞く。)
昭和 30 年後半になると、内航船がやや船腹過剰になり始め、波止浜湾内では来島船渠㈱・波止浜造船㈱・㈱今治造船の3社が近海
船クラスの船舶を建造し始め、同時に大型船の建造用に適地を探していた。
昭和 38 年 5 月には波方船舶組合も従来の自由組合を法人化して「波方船舶協同組合」とした。その時の組合員の所有船腹は、機帆
船80隻(9,700 ㌧)、鋼船43隻(21,000 ㌧)であった。しかし、昭和 39 年頃になると内航、外航の海運業界も船腹過剰で不振に喘
いでいた。外航大手海運会社でも不況のため政府に救済を求め、政府は国際競争力強化のため「海運業の集約合併再建整備法」を作り、
これにより大手は、日本郵船、大阪商船三井船舶、川崎汽船、山下新日本汽船、ジャパンラインの6社に集約され、昭和 39 年 4 月か
ら新しい船社としてスタートを切った。
一方、内航海運では、昭和 40 年 9 月に既に結成されていた内航 5 組合を一つにまとめ「日本内航海運組合総連合会」として発足し、
同時に従来からある「内航海運業法」と「内航海運組合法」を合わせ内航二法を整備した。この法律に基づき内航の各船種の年度別適
正船腹量を算出し、最高限度量を告示した。この法の成立により適正運賃の実行はもとより、新船建造時は各船種とも「スクラップ&
ビルド」に依るものとなり、内航新造船の建造は非常に難しくなって行った。この内航二法成立により内航船建造量が急速に減じたた
め、各内航造船所は仕方なく近海船および遠洋船建造の道を開くべく懸命であった。
昭和 40 年代に入ると、最初は来島船渠㈱が、戦時中に住友が大西町に開発中であったが戦争のために中止した大型船建造用の大西
船渠を開発し、進出した。続いて㈱今治造船が昭和 46 年 1 月に丸亀市の埋立地に進出、一歩遅れて波止浜造船㈱が多度津の埋立地に
進出した。これら造船所の誘いもあって波方周辺の機帆船船主も機帆船から鋼船へ切り替え、また、先頭グループは内航船から近海船
へ、そして遠洋船にまで進出すべく各社の建造が始まった。各銀行の貸出金は大幅に伸びた。㈱愛媛相互銀行も昭和 40 年代に入ると
海運業者に積極的な貸出支援を行い、「海運銀行」といわれることもあった。
近海船を含む外航船は全て用船料がドル建てであり、為替相場が固定相場の時は関係無かったが、昭和 46 年 8 月のニクソンショッ
ク(ドル防衛措置)により為替相場が308円となり、更に昭和 48 年 2 月以降は変動相場制となり、外航海運関係者にとっては苦し
い時代となった。
こうして昭和 55 年頃になると波方船舶組合の組合員所有船は、鋼船の内航貨物船103隻、内航タンカー30隻、木船9隻、近海
船17隻、遠洋船15隻の規模となり、伯方船舶組合でも同じ状態で、殆どの船主が鋼船船主となってきた。これらの建造資金は殆ど
が地元銀行、特に㈱伊予銀行と㈱愛媛相互銀行の貸出によるものであった。
振り返ってみると、昭和 18 年頃の波止浜の金融機関は、伊予合同銀行/波止浜支店があり、他に今治無尽会社があったが、無尽会社
には営業店舗のほかに会場(無尽の抽選または入札をする場所)があり、その一つが波止浜にあったと思われる。昭和 18 年 3 月、5
社合併で愛媛無尽株式会社ができたが、波止浜の店舗は今治無尽当時の波止浜会場を使用して営業していたと思う。昭和 26 年 10 月に
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は愛媛無尽株式会社を㈱愛媛相互銀行と改名し正式に銀行として発足した。そして昭和 27 年 4 月に正式に波止浜(業務取次所)開店、
昭和 31 年 5 月波止浜支店開店、昭和 46 年 4 月大阪証券取引所第2部に上場(その後、東京証券取引所第1部に上場)
、昭和 50 年 3 月
外国為替業務の認可を受け、平成元年 2 月㈱愛媛銀行(宮武頭取)となり、普通銀行としてスタートした。
波方町は平成 17 年 3 月に今治市と合併し、今治市は新海事産業都市としてスタートした。
以上、愛媛銀行の昔の姿と印象を知る限り振替って見ました。古い昔のことなので定かで無いことが多く、不正確な事もありますが、
ご了承の程お願いします。
平成19年8月吉日 大河内 利夫
≪参考⑧≫ その他のトピックス
【典型的なシッピング・サイクルの各段階】(出典:「マリタイム・エコノミクス」Martin Stopford 著)
ステージ 1:谷(Trough) 谷は 3 つの特徴を持っている。第一に、積み地で列をなして荷を待つ船舶や燃料を節約するための減
速運航など船舶過剰の明確な兆候が示されることである。第二に、運賃が最も効率的でない船舶の運航コストの水準まで下がり、それ
らの船舶は係船される。第三に、低い運賃と、厳しい金融機関の条件がキャッシュフローの赤字をもたらし、資金調達に対する圧力が
高まる。厳しい決断が先延ばしされるにつれて、停滞が始まり、最終的には市場の圧力がこれまでの限界を超えると窮迫に至る。極端
な状況では、銀行が抵当権を行使してしまい、海運会社が、現金を確保するために最新の船舶を簿価よりも低い「投げ売り価格(distress
price)」で売却することを強いられる。古い船舶の価格は解撤価格の水準まで下落する。これによって解撤市場が活発化し、市場復活
の種がまかれることになる。困難な選択の波を乗り越えるにしたがって、市場の状況が正常化し始め、静止(quiescence)が始まるこ
ととなる。
ステージ 2:回復期(Recovery) 供給と需要が均衡状態に向かい、運賃はわずかながら運航費用を上回るようになり、係船船腹量
が減少する。市場の思惑は相変わらず不確実であるものの、少しずつ市場に対する見込みが改善に向かう。市況の回復が本当に起こっ
ているか否かについて長く続く楽観的な見方と、懐疑的な見方が交互に見られるようになる。(ときには悲観主義者の見方が正しいこ
ともある。)流動性が高まるにしたがって、船舶の中古価格が上昇し、市場が順調に推移していく中で、市場に対する見込みもしっか
りしたものとなる。
ステージ 3:ピーク/高原(Peak/Plateau) 余剰となった船腹量が需要に吸収されるにしたがって、需給がタイトになってくる。
輸送を行えない船舶のみが係船され、船舶はフルスピードで運航される。運賃は上昇し、運航費用の 2∼3 倍になることもしばしばで
ある。ピークは 2∼3 週間から、何年にも及ぶこともある。ピークの長さは需給バランスによる圧力にも依存するが、ピークの時期が
長くなるにしたがって、
「市場の興奮度(excitement)」もさらに高まってくる。収益が高いことは興奮をもたらすほかに流動性の向上
ももたらす。銀行は価値の高まった資産に対して融資を行おうと熱心になる。世界の報道機関が海運業の繁栄について「新時代」の話
題として記事を発信する。そして海運企業が株式市場で存在感を強めることとなる。これらは全体として、過熱した船舶の売買をもた
らし、中古船の価格がその更新費用を上回ったり、新しい船舶が新造船の価格よりも高く売られたり、古い船舶が精査なしに購入され
たりする。新造船の発注ははじめゆっくりと増加するが、その後発注は加速度的に増えて、残された建造パースは 3∼4 年先のものか、
希望に合わない造船所の建造バースとなる。
ステージ 4:崩壊期(Collapse) 船舶の供給が需要を上回ると、市場は崩壊(動乱)の局面に入り、運賃は非常な速さで下落する。
この動きは景気全般の下降局面によってしばしば強化されるが、他の要因もこの状況の発生に寄与する。たとえば港の混雑の解消や市
場が市場のピーク時に発注された船舶の引き渡し(デリバリー)などが挙げられる。さらに不景気の際には、これらの要因が、経済的
なショックによってより強いものとなることが一般的に見られる。1973 年と 1979 年のオイルショックはその顕著な例である。主要
港でスポット契約を待つ船舶が増加する。運賃は下落し、船舶は運航速度を落として、最も魅力に欠ける類の船舶は貨物を待って係留
される。流動性は引き続き高い状態であるものの、船舶の売買はほとんど行われない。船主たちがピーク時の価格で購入した船舶をデ
ィスカウントして売ることを望まないためである。市場の思惑は運賃の変化に伴って、はじめ混乱したものであるが、ピークが終わっ
たことをいやいや認めることとなる。
【各国の外航海運における税制度比較】(出典:国土交通省/海事局「海事レポート 2014」
)
国名
5 年間の償却可能範
囲(含特別償却率)
買替特例
登録免許税又は登
録料(※3)
固定資産税
トン数標準税
制の導入有無
61.3%(※1.2.)
売却益の 80%を損金算入可能
100
課税
有
ノルウェー
53.0%
無
19.5
非課税
有
デンマーク
52.0%
売却益の 100%を損金算入可能
47.8
非課税
有
ドイツ
41.7%
無
21
非課税
有
オランダ
100.0%
売却益の 100%を損金算入可能
0
非課税
有
フランス
84.0%
無
0
非課税
有
イギリス
76.0%
売却益の 100%を損金算入可能
0.5
非課税
有
アメリカ
80.0%
無
0.1
州により課税
有
シンガポール
100.0%
売却益非課税
23.35
非課税
無
中国(香港)
100.0%
売却益非課税
1.1
非課税
無
日本
※1.特別償却 18%を含む
2.定率法の場合
3.日本の税額を 100 とした場合の各国の指数
【船舶管理会社を活用したグループ化の促進】(出典:国土交通省海事局「海事レポート 2014」)
内航海運は所謂「一杯船主」と呼ばれる保有船舶が 1 隻のみの船主を含めた中小零細業者が 99%を占めており、厳しい経営環境の
なかで内部留保が十分に確保されていない事業者も多い。このため、内航海運における船舶の老朽化が進んでおり、老朽化の割合が 7
割を超えるなど、安全・環境面での影響や効率性の低下が懸念されているところである。一方で、内航海運の競争力強化、持続可能な
サービスの確保を実現するためには、内航海運事業者の競争力を高め、その零細性を克服することが必要である。この零細性の克服に
86−109
対する方策のひとつとして、船舶管理会社を活用したグループ化の取り組みを支援している。
多くの内航海運事業者は、船舶管理会社が業務として行っている船舶の保守管理や船員の雇用・配乗等の業務を事業主自らが行って
いる状況であるが、これらの業務を船舶管理会社に委託できるような環境整備を進めてきたところである。2012 年 7 月に「内航海運
における船舶管理業務に関するガイドライン」
(以下「ガイドライン」という)を策定し、内航海運分野における船舶管理業務に関し
て、その定義や満たすことが望ましい基準を具体的・体系的に示し、内航海運における船舶管理会社設立の指針を示した。また、2013
年 4 月に内航海運事業者が船舶管理会社の活用を検討する際の判断基準となる考え方を示した。同年 2 月に地方運輸局等に船舶管理会
社相談窓口の設置やセミナーの開催を通じた情報発信を行っている。
≪参考⑨≫
US$/円の当行の公示仲値(毎月末時点)の推移
Date
1995/1/31
1995/2/28
1995/3/31
1995/4/28
1995/5/31
1995/6/30
1995/7/31
1995/8/31
1995/9/29
1995/10/31
1995/11/30
1995/12/29
95年平均
仲値
Date
98.70 1996/1/31
96.82 1996/2/29
86.55 1996/3/29
84.33 1996/4/30
82.91 1996/5/31
84.63 1996/6/28
88.00 1996/7/31
97.31 1996/8/30
99.72 1996/9/30
102.08 1996/10/31
101.55 1996/11/29
103.51 1996/12/31
93.84 96年平均
仲値
Date
107.07 1997/1/31
104.73 1997/2/28
106.46 1997/3/31
104.40 1997/4/30
108.29 1997/5/30
109.81 1997/6/30
107.08 1997/7/31
108.65 1997/8/29
111.43 1997/9/30
113.60 1997/10/31
113.60 1997/11/28
116.36 1997/12/31
109.29 97年平均
Date
仲値
121.34 1998/1/30
120.51 1998/2/27
123.82 1998/3/31
126.67 1998/4/30
116.37 1998/5/29
114.48 1998/6/30
118.31 1998/7/31
119.32 1998/8/31
121.24 1998/9/30
120.13 1998/10/30
127.59 1998/11/30
130.17 1998/12/31
121.66 98年平均
仲値
Date
127.13 1999/1/29
126.34 1999/2/26
132.90 1999/3/31
132.17 1999/4/30
138.87 1999/5/31
139.93 1999/6/30
144.25 1999/7/30
142.27 1999/8/31
135.77 1999/9/30
116.57 1999/10/29
123.10 1999/11/30
113.63 1999/12/31
131.08 99年平均
仲値
Date
116.40 2000/1/31
120.43 2000/2/29
118.92 2000/3/31
119.81 2000/4/28
121.79 2000/5/31
120.82 2000/6/30
115.33 2000/7/31
109.46 2000/8/31
105.60 2000/9/29
104.97 2000/10/31
102.35 2000/11/30
102.47 2000/12/29
113.20 00年平均
仲値
Date
106.82 2001/1/31
109.97 2001/2/28
103.96 2001/3/30
107.24 2001/4/30
107.29 2001/5/31
104.86 2001/6/29
109.37 2001/7/31
106.46 2001/8/31
107.94 2001/9/28
109.17 2001/10/31
110.87 2001/11/30
114.84 2001/12/31
108.23 01年平均
仲値
Date
116.32 2002/1/31
117.08 2002/2/28
125.07 2002/3/29
123.55 2002/4/30
118.92 2002/5/31
124.19 2002/6/28
124.85 2002/7/31
118.61 2002/8/30
118.75 2002/9/30
121.83 2002/10/31
123.72 2002/11/29
131.40 2002/12/31
122.02 02年平均
仲値
132.98
133.76
132.76
128.46
123.88
118.44
120.26
118.06
121.86
122.68
122.47
118.69
124.53
Date
2003/1/31
2003/2/28
2003/3/31
2003/4/30
2003/5/30
2003/6/30
2003/7/31
2003/8/29
2003/9/30
2003/10/31
2003/11/28
2003/12/31
03年平均
仲値
Date
119.07 2004/1/30
117.88 2004/2/27
118.67 2004/3/31
119.49 2004/4/30
118.76 2004/5/31
120.06 2004/6/30
120.02 2004/7/30
116.65 2004/8/31
110.36 2004/9/30
109.02 2004/10/29
109.36 2004/11/30
106.92 2004/12/31
115.52 04年平均
仲値
Date
105.68 2005/1/31
109.00 2005/2/28
103.90 2005/3/31
110.24 2005/4/29
109.10 2005/5/31
108.88 2005/6/30
111.41 2005/7/29
109.83 2005/8/31
110.82 2005/9/30
105.99 2005/10/31
102.99 2005/11/30
102.48 2005/12/30
107.53 05年平均
仲値
Date
103.63 2006/1/31
104.35 2006/2/28
106.88 2006/3/31
105.15 2006/4/28
108.18 2006/5/31
110.68 2006/6/30
112.32 2006/7/31
111.74 2006/8/31
113.39 2006/9/29
115.93 2006/10/31
119.51 2006/11/30
117.48 2006/12/29
110.77 06年平均
仲値
Date
117.17 2007/1/31
116.13 2007/2/28
117.73 2007/3/30
114.17 2007/4/30
111.93 2007/5/31
114.63 2007/6/29
114.43 2007/7/31
117.13 2007/8/31
117.94 2007/9/28
118.01 2007/10/31
116.28 2007/11/30
118.88 2007/12/31
116.20 07年平均
仲値
Date
121.49 2008/1/31
118.54 2008/2/29
118.04 2008/3/31
119.55 2008/4/30
121.64 2008/5/30
123.39 2008/6/30
119.33 2008/7/31
116.48 2008/8/29
115.29 2008/9/30
115.12 2008/10/31
110.49 2008/11/28
112.02 2008/12/31
117.62 08年平均
仲値
Date
106.47 2009/1/30
104.24 2009/2/27
99.64 2009/3/31
104.14 2009/4/30
105.50 2009/5/27
105.38 2009/6/30
108.24 2009/7/31
108.76 2009/8/31
105.09 2009/9/30
97.45 2009/10/30
95.28 2009/11/30
90.21 2009/12/30
102.53 09年平均
仲値
Date
89.55 2010/1/29
97.50 2010/2/26
98.40 2010/3/31
98.15 2010/4/30
95.34 2010/5/31
96.01 2010/6/30
95.47 2010/7/30
92.74 2010/8/31
90.21 2010/9/30
91.44 2010/10/29
86.81 2010/11/30
92.10 2010/12/30
93.64 10年平均
仲値
89.77
89.43
93.04
94.07
91.31
88.48
86.70
84.56
83.82
80.89
84.27
81.49
87.32
Date
2011/1/31
2011/2/28
2011/3/31
2011/4/28
2011/5/31
2011/6/30
2011/7/29
2011/8/31
2011/9/30
2011/10/31
2011/11/30
2011/12/30
11年平均
仲値
Date
82.13 2012/1/31
81.71 2012/2/29
83.15 2012/3/30
82.08 2012/4/27
80.88 2012/5/31
80.73 2012/6/29
77.85 2012/7/31
76.74 2012/8/31
76.65 2012/9/28
77.75 2012/10/31
78.13 2012/11/30
77.74 2012/12/28
79.63 12年平均
仲値
Date
76.38 2013/1/31
80.68 2013/2/28
82.19 2013/3/29
81.19 2013/4/30
78.92 2013/5/31
79.31 2013/6/28
78.17 2013/7/31
78.60 2013/8/30
77.60 2013/9/30
79.66 2013/10/31
82.12 2013/11/29
86.58 2013/12/30
80.12 13年平均
仲値
Date
91.14 2014/1/31
92.51 2014/2/28
94.05 2014/3/31
97.92 2014/4/30
101.18 2014/5/30
98.59 2014/6/30
98.08 2014/7/31
98.36 2014/8/29
97.75 2014/9/30
98.51 2014/10/31
102.42 2014/11/28
105.39 2014/12/30
97.99 14年平均
仲値
102.86
101.94
102.92
102.61
101.66
101.36
102.85
103.74
109.45
109.34
118.23
120.55
106.46
Date
2015/1/30
2015/2/27
2015/3/31
2015/4/30
2015/5/29
2015/6/30
2015/7/31
2015/8/31
2015/9/30
15年平均
仲値
118.25
119.27
120.17
119.00
123.73
122.45
124.04
121.18
119.96
120.89
≪参考⑩≫ 各種の世界一(出典:フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋)
・世界一大きい大陸・・・アフロ・ユーラシア大陸:陸続きであるアフリカ大陸とユーラシア大陸の総称
・世界一大きい島・・・グリーンランド(デンマーク):面積 217 万 5,600 ㎢
・世界一大きい半島・・・アラビア半島(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエメン、オマーン、カタール)
:面積 273 万㎢
・世界一高い山・・・通常論ではエベレスト(中国、ネパール):海抜 8,848m
・世界一面積が大きい海・・・太平洋:169,200,000 ㎢
・世界一深い海域・・・マリアナ海溝:海面下 10,920m
・世界一幅の広い海峡・・・ドレーク海峡:最も狭い場所でも 650 ㎞
・世界一大きい湖・・・カスピ海(ロシア等5ヵ国)
:面積 37 万 4,000 ㎢
・世界一大きい淡水湖・・・スペリオル湖(カナダ、米国)
:面積 8 万 3,670 ㎢
・世界一水面の低い湖・・・死海(イスラエル、ヨルダン)
:海抜−400m
・世界一塩分濃度の高い湖・・・死海(イスラエル、ヨルダン)
・世界一流域面積が広い川・・・アマゾン川(ブラジル等5ヵ国)
:総面積 705 万㎢
・世界一長い川・・・ナイル川(エジプト等9ヵ国)
:総延長距離 6,695 ㎞
・世界一流量のある滝・・・イグアスの滝(アルゼンチン、ブラジル):毎秒 6,500t
・世界一落差のある滝・・・エンジェルフォール(ベネズエラ):落差 979m
・世界一面積が大きい砂漠・・・サハラ砂漠:総面積約 910 万㎢余
・世界一長大な建築物・・・万里の長城(中国):総延長 8,851.8 ㎞
・世界一高い超高層ビル・・・ブルジェ・ハリーフア(アラブ首長国連邦):全高 828.0m、162 階建て
・世界一の高さで計画中の超高層ビル・・・ドバイ・シティ・タワー(アラブ首長国連邦):予定全高 2,400m
・世界一長い橋・・・青島膠州湾大橋(中国)
:全長 42.5 ㎞
・世界一長いトンネル・・・キャッツキルアケダクト(米国):
(上水道導水路)全長 147.2 ㎞
・世界一コンテナ取扱量の多い港・・・上海港(中国)
・世界最大出力の水力発電ダム・・・イタイプダム(ブラジル、パラグアイ):出力 1,260 万 kW
・世界最速のスーパーコンピュータ・・・天河 2 号(en):計算速度 33.86PFLOPS(2013 年 11 月発売)
87−109
・世界最速の市販自動車・・・ブガッティ・ヴェイロン・スーパースポーツ:434.211 ㎞/h(テストコースで計測)
・世界一速いオートバイ(公道走行可能な市販車で)
・・・スズキ・GSX1300R ハヤブサ:312.29 ㎞/h
・世界最大の通常動力空母・・・キティホーク級航空母艦:満載排水量 80,000 トン超
・世界最大の船舶・・・ノック・ネヴィス(ノルウェー船籍の原油タンカー)
: 載貨重量 56 万 4,763 トン、全長 458.45m、全幅 68.8m
・世界最大の巡洋艦・・・キーロフ級ミサイル巡洋艦:全長 252m、排水量 2 万 6,500 トン
・基準排水量及び満載排水量が世界一大きな戦艦・・・大和型戦艦:排水量 6 万 5,000 トン(艦載砲も口径 46 センチで世界一)
・全長が世界最大の戦艦・・・アイオワ:全長 270.43m(且つ速力 33 ノットと最も早い戦艦)
・世界最大の排水量を持つ軍艦・・・ニミッツ級航空母艦:満載排水量 9 万 8,500 トン以上(世界最大の航空母艦)
・総トン数、全長が世界最大の客船・・・アルーア・オブ・ザ・シーズ:総トン数 22 万 5,282 トン、全長 361.05m
・総トン数が世界最大のフェリー・・・カラー・ファンタジー:総トン数 7 万 5,027 トン、全長 223.9m
・世界最大のばら積み貨物船・・・ヴァーレ・ブラジル(鉄鉱石専用の運搬船)
:載貨重量トン数 40 万 2,3471 トン、全長 362.0m
・世界最大の潜水艦・・・タイフーン級原子力潜水艦:全長 172.8m、水中排水量 4 万 8,000 トン
・世界一深く潜った有人潜水艇・・・トリエステ:深さ約 1 万 900m
・世界一速いプロペラ機・・・Tu−95:最高速 950 ㎞/h
・世界一速い航空機・・・X−43A:最高速 11,199.6 ㎞/h
・世界一速い有人ジェット機・・・SR−71A:最高速マッハ 3 超(3,529.56 ㎞/h)
・世界一速いジェット旅客機・・・Tu−144:最高速マッハ 2.35
・世界最大の実用輸送機・・・An−124
・世界一乗客定員の多い旅客機・・・エアバス A380:もし全席をエコノミークラスに設定すれば最大で 853 人搭乗可能
・歴史上最大の飛行船・・・ヒンデンブルク号:全長 245m
・現存する世界最大の飛行船・・・ツェッペリン NT:全長 75.1m、全幅 19.7m、全高 17.5m
・世界一大きな宇宙ロケット・・・サターン V ロケット:全長 110.6m
・世界最高速記録を持つ蒸気機関車・・・マラード号:時速 202 ㎞
・交直流電気機関車世界最高速度記録を持つ電気機関車(4 軸)・・・オーストリア鉄道:時速 357 ㎞(2006 年 9 月 2 日)
・粘着走行型で世界一営業速度の速い列車・・・TGV POS(フランス)
、ICE3(ドイツ)、E5 系・E6 系(日本):時速 320 ㎞
・粘着走行型で世界一速い速度を出した列車・・・TGV(フランス):時速 574.8 ㎞(特別に架線電圧を 31kV まで昇圧)
・営業中の磁気浮上型で世界一速い列車・・・上海トランスラピッド:営業最高速度は時速 430 ㎞
・磁気浮上型で世界一速い列車・・・超電導リニア:時速 581 ㎞
・世界一速い(分類上は)鉄道、かつ、世界一速い陸上の乗り物・・・ロケットスレッド:最高速度時速 10,330 ㎞(ニューメキシコ
州ハラマン空軍基地の施設にて記録。ただし実験装置であり、強烈な加速度のためにとても生物が安全に乗れるものではなく、
ギネスに登録されてはいない)
・世界一強力な牽引力の蒸気機関車・・・エリー鉄道5000形蒸気機関車:最大牽引力 67.8tf
・世界一の豪華列車・・・ブルートレイン(南アフリカ)
・世界一距離の長い鉄道・・・シベリア鉄道:全長 9,297 ㎞
・世界最長距離列車・・・ロシア号:モスクワ∼サハリン(ロシア国境)∼平壌。走行距離 10,214 ㎞
・鉄道の世界最高地点にあたる峠・・・タングラ峠:海抜 5,072m
・世界一低い場所にあたる鉄道駅・・・青函トンネル竜飛斜坑線体験坑道駅(日本):海面下 140m
・世界一長いプラットホームを持つ鉄道駅・・・カラグプール駅(インド):全長 833m
・世界一乗降客が多い駅・・・新宿駅(日本)
:1 日平均 347 万人
・世界一長い鉄道トンネル・・・青函トンネル(日本):全長 53.85 ㎞(別名「ゾーン 539」)
・世界一海底部の総距離が長い鉄道トンネル・・・英仏海峡トンネル(イギリス、フランス)
:海底部 37.9 ㎞
・世界一長い陸上鉄道トンネル・・・レッチュベルクベーストンネル(スイス)
:34.6 ㎞
・世界一長い鉄道橋・・・丹陽-昆山特大橋(中国):164.8 ㎞
・世界一上り速度が速いエレベータ・・・ブルジェ・ハリファのエレベータ(OTIS 製)
:毎分 1,080m=約 65 ㎞/h
・世界一下り速度が速いエレベータ・・・横浜ランドマークタワーのエレベータ(三菱電機製):毎分 750m=約 45 ㎞/h
≪宇宙一≫
・太陽系一高い山・火山・・・火星のオリンポス山:平均加重面からの高度で約 25,000m
・太陽系一体積の大きい山・火山・・・火星のオリンポス山
・太陽系最大の谷・・・火星のマリネリス峡谷:全長約 4,000 ㎞、深さ約 7 ㎞、幅は最大 200 ㎞程度
・宇宙の全質量に占める割合が、総量において最も多いとされる元素・・・水素
・宇宙に存在する天然物質の中で最も質量が重いとされる元素・・・ウラン 238.
・最大の直径の恒星・・・はくちょう座 V1489 星:約 2,300,000,000 ㎞
・最大の質量の恒星・・・R136a1:太陽の約 265 倍
・最大のブラックホール・・・OJ287:約 106,310,000,000 ㎞、質量は太陽の 180 億倍
・最大の球状星雲・・・G1 星団:アンドロメダ銀河にある球状星団、局部銀河群で最大の球状星団
・最大の星雲・・・NGC604:約 1,520 光年
・最大の銀河・・・IC1101:約 600 万光年
・最大の構造物・・・ヘルクレス座・かんむり座グレートウォール:長さは約 100 億光年
≪参考⑪≫ 用語・略号解説(出典:日本船主協会、トヨフジ海運㈱)
≪用語≫
圧縮記帳: 法人が保険金収入や特定資産の買い替えなどで差益が生じたときには、差益には課税せず、その代わりに代替資産の帳簿
価格を実際の価格から差益分だけ減額して記帳することができる経理処理。
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アフラマックスタンカー: AFRA とは、Average Freight Rate Assessment の略。1954 年 4 月よりロンドン・タンカー・ブローカ
ーが作成している運賃指標。現在では、8 万載貨重量トン数(D/W)から 12 万 D/W 程度のタンカーを広くアフラマックスタンカ
ーと呼ぶ。
アライアンス: 船社間協定の一形態で、世界規模での最適配船、コスト合理化を図るための戦略的船社間協定。1992 年後半から 1993
年にかけて欧州航路や北米航路でアライアンスを模索する動きが始まった。
アンカー(Anchor): 錨。船を係留するためにチェーンまたはロープに連結して水底に沈める係止力を持つ錘。
アンローダ(Unloader): 荷役機械としての意味は、①クレーンの一種で岸壁において本船から鉱石や石炭などのばら積み貨物を陸
揚げする機械、②トラックや貨車、コンテナやパレットからの荷卸し装置、である。
一次エネルギー: 天然のままエネルギー源になる石油、石炭などの化石燃料、ウラン、水力などを一次エネルギーという。二次エネ
ルギーは、資源をそのまま使用せず、用途に合わせた形に加工、転換したエネルギーで、電気、都市ガス、石油製品(ガソリン、
灯油など)等がある。
インボイス(Invoice): 荷送人(出荷主)が作成して荷受人(受荷人)に送付する文書。カーゴの価格、内容を明らかにし、送貨明
細書兼請求書の役割を担う。
インマルサット(Inmarsat)
: 国際海事衛星機構。1979 年に設立。サービス開始は 1982 年。静止軌道に打ち上げられた 9 つの衛星
により、船舶をはじめ航空機、陸上交通機関による電話・テレックス・ファツクス・パソコン通信など世界的な利用を可能とする
システム。
ウェイビル: 船荷証券(B/L)を参照。
右舷(Starboard Side): 船尾から船首方向に見て船の右側。左側を左舷(Port Side)という。
運航委託契約: 船主が所有船を自ら運航しないで、集荷力のある他の船会社に配船、運航を委託し、所定の手数料を支払う契約のこ
と。船主は、所有船の運航によって得られる運賃を取得し、港費、燃料費などの運航費を負担する。
運航費: 船舶を特定の航海に向けて運航するのに必要な経費のこと。港費、燃料費、その他運航契約締結にかかる仲介手数料、さら
に通信費などの運航雑費等がある。
曳船(Tug Boat): タグ・ボート。他船を曳いたり押したりするための船舶。外洋で故障を起こし航行不能になった船舶を曳航した
り、港内に出入港する船舶の操船の補助として使用される。
エージェント(Agent)
: 船舶代理店。船の積地、揚地などにおいて、船会社(船主または運航者)との代理店契約に基づき、船の入
出港手続きや、荷役の手配、諸般の事務手続きなどを船会社の代行として行う業者。
液化石油ガス(Liquefied Petroleum Gas = LPG)
: プロパンやブタンといった石油ガスを液化させたもの。輸送の際は、常圧で冷却
あるいは常温で加圧して液化したまま LPG 船で運ばれる。
液化天然ガス(Liquefied Natural Gas = LNG)
: メタンを主成分とする天然ガスを海上輸送のため液化させたもの。マイナス 162℃
の超低温で液化し、体積が 600 分の 1 になる。輸送の際は、超低温維持の特殊なタンクを持った LNG 船で運ばれる。
エプロン(Apron): 岸壁の最も海寄りの場所。本船が着岸しているところ。
M ゼロ船: 機関区域に船員が継続的に配置されない船舶(機関区域無人化船)で、日本船主協会(NK)が機関区域無人化船に与え
る符号。
沿海区域(Coasting Area): 船舶安全法施行規則で定められた沿岸から 20 海里以内の区域。
沿海資格(Coasting Qualification): 船舶の航行区域により与えられる資格のひとつ。この資格は北海道、本州、四国、九州および
これらに附属する特定の島から 20 海里以内を航行できる資格をいう。
遠洋区域(Ocean Going Area): 船舶安全法施行規則定められている航行区域のひとつ。平水区域・沿海区域・近海区域を除く一切
の海面を指す。
乙仲(オツナカ): 海運貨物取扱業者。船会社と荷主の間に立って海運カーゴの港湾における運搬、受け渡し、それらに伴う業務を代行
する業者。戦時中に、船舶の売買などを仲立する甲種海運仲立業に対して、乙種海運仲立業と称した言葉が残ったもの。
オフ・ハイヤー(Off Hire)
: 用船の期間中に船主側の責任における事故あるいは事情により本船が使用できなくなった時、その期間
中の用船料は船主に支払わなくても良いという条項のこと。
オペレーター(Operator): 運送業者。自己の所有船および用船などを運航して、定期航路・不定期航路を運営する企業。
面舵(オモカジ=Starboard): 右に舵をとり、船を右旋回させること。反対は取舵(トリカジ)。
おもて(Bow): 船首。船尾は「とも」という。
オン・ハイヤー(On Hire): 用船開始。または用船契約算入期間。反対は「オフ・ハイヤー(Off Hire)」
。
海運自由の原則: 海運事業に対する参入撤退の自由を保証し、貨物の積取りについて政府の介入により自国の商船隊や自国籍船によ
る輸送を優先させたりすることなく、海運企業や船舶の選択を企業間の自由かつ公正な競争にゆだねるとの原則。
海運仲立業: カーゴの取次ぎ、船舶売買の仲介、用船の斡旋などを扱う事業。
外航船(Ocean Giong Ship): 外国と往来する船舶。
海事クラスター: 海事産業は、業種としては海運、船員、造船、舶用工業、港湾運送、海運仲立業、船級、船舶金融、海上保険、海
事法律事務所など様々な分野からなり、主体としても、産、学、官およびその連携からなる複合体である。英国、オランダ等の海
運先進国では、この総合体を「海事クラスター」と呼んでいる。
海上人命安全条約(The International Convention for the Safety of Life at Sea = SOLAS): 航海の安全を図るため船舶の検査、証
書の発給などの規定を設け、船舶の構造、設備、救命設備、貨物の積み付けに関する安全措置等の技術基準を定めた条約。
: 海洋に港湾などの形状、底質、海流、水深、暗礁その他の障害物、島沿岸の地形、地物、航路標識などを表示した地
海図(Chart)
図で、航海に用いる。
海洋汚染防止条約(International Convention for the Prevention of Pollution form Ships = MARPOL): MARINE POLLUTION
の頭文字をとって MARPOL 条約と称する。海洋汚染の防止を目的に、船舶の構造や汚染防止設備等の技術基準を定めている。
海里(Mile)
: マイルともいう。赤道上の経度 1 分の長さを 1 海里(マイル)と定めた航海距離の単位。1 海里=1,852m。航海速度
を表す「ノット」は、1 ノット当たり 1 時間に 1 海里を走る速さ。
ガントリー・クレーン(Gantry Crane): 岸壁に設けられ、レールの上を走行する大型のクレーン。コンテナ船には本船にガントリ
ー・クレーンを装備しているものもある。
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喫水(キッスイ=Draft): 船体のうち、水面下に沈んでいる深さ。
ギャング(Gang)
: 作業員の一組をいう。荷役をする際には作業員の何人かを一組として共同作業するが、その一組をワン・ギャン
グという。
強制水先: 水先とは、船舶が輻輳する港等の交通の難所において、免許を受けた水先人が船舶に乗り込み当該船舶を導く制度であり、
船舶交通の安全確保および運航能率のために国際的に実施されている。わが国では、外航船の出入の多い港や水域は水先区として
設定されている。
共同海損犠牲損害(General Average Sacrifice): 船舶と積荷が共同の危険にさらされた時、この危険を避けるために、船長が故意、
かつ合理的に船舶または積荷の一部を犠牲にすること。その犠牲によって利益を受けた関係者(船舶所有者と積荷の所有者等)が
到着地における価格に応じて(損害を)按分負担する。
共同海損費用(General Average Expenditure)
: 例えば、座礁した場合、離礁するために「はしけ」を使って積荷を瀬取りする費用
や、避難港への入港費用、水先案内料などが共同海損費用であり、その費用によって利益を受けた関係者が到着地における価格に
応じて按分負担する。
共有建造制度: 内航船舶を建造する際、船主と運輸施設整備事業団がその費用を分担し、竣工後も両者の共有として船舶を使用管理
する方式。同事業団は、企業規模が小さく資金力に乏しい船主を共有方式で資金、技術両面から支援している。
近海区域(Greater Coasting Area): 船舶安全法の規定により定められている船舶の航行区域。近海資格を参照。
、南
近海資格(Greater Coasting Qualification): 沿海資格の区域を拡大し、東経 175 度(日付変更線の西)∼94 度(マレー半島)
緯 11 度(ジャワ島)∼北緯 63 度(カムチャツカ北)の線に囲まれた区域を航行できる資格をいう。
: 南アフリカ共和国東岸のリチャードベイ港に入港可能な最大船型をいう。一般的には、
ケープサイズバルカー(Cape Size Bulker)
15 万∼17 万載貨重量トン数(D/W)程度。
係留(Mooring): いつでも運航できる状態で、船を一時的につなぎ止めておくこと。
検疫(Quarantine): 外国から来た船舶、航空機あるいは人に対する、伝染病予防のための検査。これを受けた後でなければ入港、
入国できない。広義には植物、動物に対する検疫を含めた意にも用いる。
減価償却: 船舶、諸設備などの固定資産の取得価格から、残存価格を差し引いた部分を耐用年数内の各期間に分割し、費用として計
上する会計手続き。毎期一定額を償却する定額法と、毎期帳簿残高に一定率を乗じて償却する定率法がある。
兼用船: 一種類の貨物しか積載できない専用船に対し、2 種類以上の貨物を積載できるように工夫した船舶で、その時々の市況に応
じて運賃の高いほうの貨物を積むことができることや、空船航海を少なくすることができるなど、小回りが効く利点がある。
原料炭: コークス・ガスの製造原料とされる石炭。主に製鉄に使用され、熱量 6,000cal/kg 以上のものをいう。
航行区域(Navigation Area): 船舶の各等級について航行できる水域。平水区域、近海区域、遠洋区域に分かれる。
港費(Port Charge)
: 揚積荷役や燃料補油のための入出港に要する費用で、入港料、水先料、曳船料、岸壁使用料、綱取放し料など
がある。
国際安全管理コード(ISM コード): 船主または船舶の安全に関して責任を有する者に対し、安全管理システム(SMS)の確立、陸
上安全管理担当者の選定、安全運航マニュアルの作成、緊急時の対応措置、船舶および装置の維持・管理などを義務付け、これを
船舶の旗国政府が審査し、審査に合格した会社および船舶には適合証書が発給される。
国際海事機関(International Maritime Organization = IMO): 海上の安全、航行の能率および海洋汚染の防止等、海運に影響する
技術的問題や法律的な問題について、政府間の協力を促進するとともに、最も有効な措置の採用や条約等の作成を行っている国連
の専門機関。
国際船舶制度: 国際海上輸送力の確保上重要な一定の日本籍船を国際船舶と位置付け、税制上の支援措置を講じるとともに、外国人
船員(職員)の配乗も可能にする制度。国際船舶には STCW 条約締結国が発給した資格証明書を持ち、試験によって国土交通大
臣の承認を受けた者は、日本の海技資格がなくても乗船することが可能となった。
国際総トン数(Gross Tonnage = G/T)
: 船舶の大きさ(容積)を表す単位。G/T は主として客船などの大きさを示すときに使われる
のに対して、載貨重量トン数(D/W)は船が積める貨物の重量を示す単位で、主として貨物船の大きさを表す場合に使われる。
国際標準化機構(International Organization for Standardization = ISO): 1947 年に創立された全世界的な非政府機構で、本部を
ジュネーブに置く。国際連合および関連国連機関ならびに国連専門機関における諮問的地位を有する。製品やサービスの国際交流
の容易化、知的、科学的、経済的活動分野における国際間協力の推進を目的とし、約 190 の専門委員会が、コンテナの海陸一貫輸
送に不可欠なコンテナ標準の規格化をはじめ、近年では ISO9000(品質管理)や ISO14000(環境マネジメント)に見られるとお
り、ソフト面での国際規格化作業も行っている。
国際労働機関(International Labor Organization = ILO)
: 1919 年ベルサイユ条約によって設立された。各国の政府、使用者代表、
労働者代表で構成され、社会福祉の向上と労働条件の改善を目的としている。現在は国連の専門機関の一つになっている。
国連海洋法条約(The U.N. Convention on the Law of the Sea = UNCLOS)
: 1994 年 11 月に発効した「海の憲法」ともいうべきも
の。海洋に関する事項を包括的に規律するもので、領海、接続水域、排他的経済水域、公海、大陸棚、深海底、海洋環境の保護お
よび保全、海洋の科学的調査、紛争の解決など海洋問題一般を包括的に規律している。
コンサイニー(Consignee): 受荷主。
混乗: 日本人船員と外国人船員とが同一の船舶に乗組む配乗形態を混乗という。
コンテナ(container): もともと「容器」を意味するが、一般には貨物、特に雑貨輸送の合理化のために開発された一定の容積をも
つ輸送容器をいう。サイズは通常、長さで表示され、10、20、40 フィートのものが主流。コンテナの幅と高さはそれぞれ 8 フィ
ートが標準である。
コンテナターミナル: コンテナ船が接岸し、荷役することが可能な地区をいい、荷役機械、運搬用具が常備されている。日本のコン
テナターミナルの運営は、
(A)公社バース、(B)公共バースの 2 通りの方式が基本となっている。
サーチャージ(Surcharge)
: 割増料金。危険負担や燃料油などの急激な値上がりのため、既に定められた通常の料金の適用が困難な
場合に定める付加料金。燃料費の値上がりに伴い運賃にその分を加算する場合、バンカーサーチャージという。
載貨重量トン数(Deadweight Tonnage = D/W): 満載喫水線の限度まで貨物を積載したときの全重量から船舶自体の重量を差し引
いたトン数。この中には運航に必要な燃料、水、食料などの重量も含まれるが、積める貨物の量を示す目安となり、船舶の新造、
売買、傭船契約などの取引の基準として使用される。
90−109
左舷(Port Side): 船尾から船首方向に見て左側。
サブスタンダード船: 構造・設備・人員等の面で、現行の国際条約による安全基準を満たしていない船舶。海上交通の安全の観点か
らも、海洋汚染防止の観点からも、市場からの排除を徹底する必要がある。ポートステートコントロールにおける改善命令や出港
停止などの処分の対象となる。
サプライ・チェーン・マネジメント: 原料や部品の調達から、生産や販売、さらには在庫管理からデリバリーまで、物と情報の流れ
(サプライチェーン)を効率化し、消費者ニーズを反映した商品をスピーディに適正な価格で提供するための仕組み。供給連鎖管
理とも呼ばれる。
仕組船: 日本の外航海運会社が、リベリア、パナマなどの便宜置籍国に設立した子会社を通じて船舶を建造し、それらの国の船籍で
登録・保有させ、外国人船員を配乗させた上で用船(チャーター)して運航する船舶。形式上は海外からの用船という形になるが、
実質は日本の海運会社の支配船である。
シッパー(Shipper): 出荷主のこと。
シッピング・インストラクション(Shipping Instruction): 出荷主から送られてくる船積指示書。
シッピング・オーダー(Shipping Order =S/O): 船積指図書。運航者から船長に対するカーゴ船積みの指図、またはその書類。
シッピング・ドキュメント(Shipping Document): 船積書類で、船荷証券、保険証券、インボイス(Invoice)、パッキングリスト
(Packing List)、マニュフェスト(Manifest)、E/D(Export Declaration)をいうが、外航では輸入国によって、この他、原産
地証明書などがある。
シップリサイクリング: 従来用いられてきた「船舶解撤」あるいは「スクラップ」に代わって登場した用語。船舶は解撤による鋼材
や部品のリサイクル(再利用)率が 90%前後と、自動車や家電と比較して極めて高く、解撤の促進は海洋環境の保全とともに資源
の有効利用という点でも意義が大きい。
仕向地(シムケチ =Destination): 荷物の送り先る船舶の行き先。
社船: 自社で所有する船舶のこと。
純トン数(Net Tonnage = N/T)
: 総トン数(G/T)から、機関室、船員室、バラストタンクなど貨物を積載できない部分の容積を差
し引いたもので、純粋に貨物を積むことができるスペース(容積)を表す。
スエズ運河(Suez Canal): 1869 年に開通した水平式海洋運河。全長 162.5 ㎞、幅 160∼200m、水深 14.5m。
スエズ運河トン数(Suez Canal Net Tonnage = SCNT)
: 1973 年の万国トン数会議で定められた純トン数規則をもとに、スエズ運河
当局独自の控除基準を加えて算出する。
スエズマックスタンカー(Suez Max Tanker)
: スエズ運河を満載状態で通航し得る最大船型。満載状態での最大船型は、14 万∼15
万載貨重量トン数(D/W)程度。
スタビライザー(Stabilizer): 減揺装置。航海中に波浪の影響により船体が動揺する(ローリング)のを減少させる装置。
ステベドア(ステベ)(Stevedore): カーゴを船積または陸揚する荷役作業に従事する人々のこと。一般に港湾荷役作業者のことを
いう。
スルーB/L(Through Bill of Lading): 通し船荷証券。複数の輸送人や運送手段を利用して、積地から揚地まで単一責任でカバーす
る B/L。
船級: 船主協会(船舶に船級を与える保険業者・造船業者・船主・荷主などからなる民間の非営利団体)が、機関・船体・艤装品な
どを、一定の規定に基づいて検査し証明する船舶の資格・等級。保険・売買などのための国際的標準となる。
船主(Owner): 船の所有者。
船主責任保険(Protection and Indemnity Insurance = P&I 保険)
: 油濁等の第三者に対する責任や船員の死傷に対する賠償あるい
は積荷に対する責任などを担保することを目的に、船舶所有者や運航者が P&I Club と呼ばれる相互保険組合を組織し、船舶の所
有、貸借または運航に伴う事故による経済的損失(船主責任)を相互に補填しあう保険。
船籍国(港)
: 船舶が登録されている国(港)。全ての船は船籍を持つことが義務付けられ、登録国の法律に従い、船舶の検査、税金
の支払いがなされる。外国船は、外国の領海では船尾に船籍国の国旗を掲げる。
船底塗料: 船底塗料には 2 種類がある。防錆(anti-corrosive paint ; A/C)と防汚(anti-fouling paint : A/F)。A/C で船体鋼板の腐
食防止をし、その上に A/F を塗装することで海洋生物の付着を防止する。
船舶貸渡業: 船舶の貸渡または運航委託をする事業。
船舶経費: 船舶を運航できる状態に維持するために必要な費用のことで、船員費、船舶修繕費、船用品費、潤滑油費、船舶保険料、
設備資金金利、船舶減価償却費、船舶固定資産税、船主一般管理費、雑費などで構成される。燃料費、港費および運送業者の一般
管理費は含まれていない。
船舶自動識別装置(Automatic Identification System = AIS): 自船の船名、位置、速力および進路等の情報を、船舶の管制を行う
陸運局および他船に自動的に送信すると同時に、他船からも同様の情報を自動受信し表示することにより、輻輳海域での航行管制
および他船との衝突回避に役立てるためのシステム。
船舶保険: 船体、機関、具属自体の損失、損害を補填することを目的とした損害保険会社による保険。貨物保険とともに海上保険の
一つとして、船舶の沈没、座礁、火災、衝突などの海上危険のほか、特約がある場合には、建造、修繕、検査のために入渠中の船
舶がさらされる陸上危険、さらには戦争やストライキの危険などを引き受けている。
船腹(Tonnage of Fleet)
: 船艙にカーゴを積める量を表す。また、船舶の輸送能力を総称する。広義には船の量を表し、需給バラン
スのとれた状態を適正船腹量という。
総トン数(Gross Tonnage = G/T)
: 船全体の大きさ(容積)を表す単位で、外航船においては、一般的に、総トン数といえば「国際
総トン数」を意味する。
速力(Speed): 船のスビード。速力はノット(knot)で表す。1 ノット=1,852m。
滞船料(デマレッジ = Demurrage)
: 用船契約では用船者(荷主)と船主との間で、一定停泊期間で貨物の揚積みを行うことを取り
決め、荷役がその期間に終了しない場合、超過期間について用船者は船主に対して滞船損害賠償金を支払わなければならない。
タグボート(Tug Boat): 曳船を参照。
ダブルハル(Double Hull)
: 座礁などで船体にある程度の損傷を受けても、原油や重油などの積荷が流出しないようにタンカーの船
体を二重構造にすること。1996 年 7 月以降に建造されている油タンカーには二重構造が義務付けられている。
91−109
タックスヘイブン税制: 軽課税国にある子会社を利用した租税回避を防止するために導入された制度。税負担率が 25%以下の軽課税
国に本店を有するもの(特定海外子会社等)の留保所得のうち、その外国法人の発行済み株式の 5%以上を直接または間接に保有
する内国法人の当該保有割合に対応する金額は、その内国法人の所得に合算して課税される制度。
単独海損: 座礁、火災、衝突などの偶発事故によって船舶や貨物に生じた滅失または損傷のうち、被害を被ったものが単独で負担す
るもの。
チャーター・バック(Charter Back): 用船に出した船舶を再び自社で用船し直すことをいう。例えば、A 社が B 社に裸用船し、B
社が船員を乗せた上で再び A 社に用船するような場合をいう。
チャーター・ベース(Charter Base = C/B): 海運業の経費基準であるハイヤー・ベース(H/B)に対し、収益基準として用いられ
る。運賃収入から運航費を差し引いた収益金(Net Proceed)を一ヵ月一重量トン当たりで算出したもの。従って、C/B と H/B の
差がプラスであれば益、マイナスであれば損、となる。
チョッサー(Chief Officer): 一等航海士。チーフ・オフィサーがなまったもの。
通関(Customs): 外国からきたカーゴあるいは外国へ送るカーゴは全て税関で所定の手続きをしなければならない。この手続きを
して税関を通過することをいう。
定額法(減価償却)
: 固定資産の耐用期間中、毎期均等額の減価償却を計上する方法で、(取得価格−残存価格)×定額法の償却率、
で求められる。
定期船(Liner Boat)
: ライナー(Liner)ともいう。一定の港間に日程を公表してカーゴの有る無しにかかわらず定期的に運航する
貨物船、旅客船、貨客船などの船舶。不特定多数のカーゴを積み取るために公共性は高いが、採算上はかなりのハンディキャップ
があり、同業者が運賃同盟を組織してその運営に当たるケースが多い。定期の積み荷は雑貨類が主体で、コンテナ船、RORO 船、
フェリーなどの近代化船が数多くみられる。
定期用船契約(Time Charter Contract)
: 貸渡業者(船舶所有者)が所有する船舶に船員を配乗して、用船者に一定期間貸渡す契約
であり、しかも船長およびその他の乗組員を用船者の指揮命令下に置くこと。用船者は一定額の用船料を支払い、船舶所有者は船
員の配乗を始め、修繕、船用品の調達などの船舶管理を行う。
定率法(減価償却)
: 固定資産の耐用期間中、毎期々首の未償却残高に一定の率を乗じて減価償却を計上する方法で、
(取得価格−償
却累計額=帳簿残高)×定率法の償却率、で求められる。船舶でも新造時に大きな償却額を計上することが合理的と考えられ、定
率法によるものが圧倒的に多いが、企業にとって負担があるような時、あるいは収益が後年に期待されるような時には定額法が用
いられる。
デリバリー・オーダー(Delivery Order = D/O): カーゴの引渡しを指図する証書。
特別償却制度(船舶関係): 船舶の減価償却に関する租税特別措置法に基づく特例制度。特定の船舶に対し、通常の償却に加えて一
定の償却を認めるもので、現行では外航近代化船 18/100、内航近代化船 16/100、二重構造タンカー19/100 の特別償却率が適用さ
れている。日本商船隊の国際競争力維持に不可欠な税制だが、欧米先進海運国と比較して十分とはいえない。
ドック・レシート(Dock Receipt = D/R): 貨物受取証。船会社が、船荷証券(B/L)の発行前にカーゴを受け取る際に発行する。
トップ・ヘビー(Top Heavy): 船の上部に重みがかかって重心が上がり安定を欠く状態。
とも(Stern): 船尾。船首は「おもて(Bow)」という。
: 乾貨物、固定貨物。リキッド・カーゴ(液体貨物)に対して、通常貨物船で輸送されるカーゴ。鋼材、
ドライ・カーゴ(Dry Cargo)
セメント、石灰石、石炭、非鉄金属鉱物、砂利、砂などの産業基礎資材や穀物、飼肥料、農産物、食料品などの消費財、電気製品、
自動車、機械、雑貨などが主な貨物である。
トランシップ(Transhipment): 積荷港から荷卸港まで、同一の船舶で運送されずに、途中港で積み替えされること。
トランパー(Tramper): 定期船に対し、特定の航路を定めずに、貨物の有無により不定期に運航される船舶。これにより運送され
る貨物をトランパー(不定期)貨物という。
トリップ・チャーター(Trip Charter): 航海用船。長期契約によらず一航海毎に用船する契約形態をいう。
トリップ用船契約: 定期用船契約の形態のうち、特に期間の短いものをいう。用船開始地点と用船終了地点がほぼ同一地域となる場
合を one round trip charter、積地から揚地までの片道航海を one way trip charter と呼んでいる。
トンキロ(マイル): 輸送トン数に輸送距離(キロ/マイル)を乗じたもの。輸送量を見る場合に重量だけでは輸送活動全般が把握
しにくいため、船舶などの輸送機関の活動量を表すために用いる。
トン数標準税制(Tonnage Tax)
: 海運にかかる所得税につき、1 年間の所得金額に課税される法人税に代替して適用し得る外形標準
課税。所有する船舶の大きさに対して一定に課税される。
トン税(Tonnage Tax): 外航船が入港したときに納入する税。ただし、海難などの理由により入港する場合は非課税。
内航船舶貸渡業: 内航運送に使用する船舶の貸渡しをする事業。
日本商船隊: 日本の外航海運会社が運航する船隊全体を指し、仕組船を中心とする外国籍船と、日本籍船によって構成される。近年、
日本籍船のフラッキングアウトの進行により日本商船隊全体に占める日本籍船の割合は減少している。
入港料(Harbor Due)
: 港湾法の規定に基づき、港湾管理者が徴収できる港湾使用料の一種。船舶は入港すると岸壁、ブイ、上屋な
どの使用料が徴収されるが、入港料金は防波堤、航路などの利用料金と解釈されている。
バース(Berth): 係船場。埠頭、桟橋などのうち船を係留する場所をいう。
バーゼル条約: 正式名称は「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」。有害廃棄物の国境を越え
る移動およびその処分によって生じる人の健康または環境に係る被害を防止することを目的としている。
排水トン数(排水量)(Displacement Tonnage): 船体の水面下部分の容積。排水容積を立方メートルで求め、海水の比重 1.025 を
乗じたもの。排水トン数は、積荷によって船の総重量がほとんど変化しない艦艇などの大きさを表すのに使用される。
ハイヤー・ベース(Hire Base = H/B)
: 船舶による貨物の運送に必要となる諸経費から、運航に要する諸経費を差し引いた費用全額
を一ヵ月一重量トン当たりで算出したもの。H/B を構成する諸経費は、船舶経費(船員費、消耗品費、修繕費、船舶保険料、設備
金利、減価償却費、船舶固定資産税など)、店費(人件費、事務所経費、交通費、医療費など)などである。
裸用船契約(Bare boat Charter Contract)
: 貸渡業者(船舶所有者)が船体だけを用船者に貸渡す契約。用船者は船員を配乗して運
航するか、再用船に出す。用船者は船舶経費のうち、船員費、消耗品費、修繕費、保険料等を負担し、船舶所有者は船舶固定資産
税、設備金利、減価償却費等を負担する。
92−109
パナマ運河(Panama Canal): 1914 年に竣工した閘門式運河。閘室は長さ 335m、幅 33.5m。
パナマ運河トン数(Panama Canal Net Tonnage = PCNT): 1969 年のトン数条約による国際総トン数の算出に用いた船舶の総容積
に、パナマ運河当局独自の係数をかけて算出する。船舶法に定める総トン数、純トン数とも異なる。
パナマックス(Panamax): パナマ運河を満載状態で通航し得る最大船型。パナマ運河を通航可能な船の最大幅は 32.31mであるた
め、通常は船幅を 32.2mとしている。一般的には、6 万∼8 万載貨重量トン数(D/W)程度。
バラスト水(Ballast Water): 船舶のバラスト水とは、船体の姿勢制御や復原性確保のためにバラストタンクに積載される海水で、
船舶の安全運航上で欠くことができないものである。20 万トンクラスのバルクキャリアの場合、空船時には約 6 万トンのバラス
ト水を積載し、貨物の積出し港において積荷の進行に合わせて排出される。IMO(国際海事機関)の推定では、年間約 120 億トン
のバラスト水が地球規模で移動しているといわれている。バラスト水には微小な生物(バクテリア等の微生物やプランクトン等の
浮遊生物等)に加え、魚類等の卵や幼生等も含まれ、バラスト水に含まれる生物の種類は 4,500 種類以上といわれる。バラスト水
により移動した水生生物が新たな環境に定着すれば、その海域の生態系や水産業等の経済活動に影響を与え、また、一部の病原菌
は人体の健康に直接影響を与えることもあり得る。このため、IMO では 1994 年から条約化のための検討を続けてきたが、2004
年 2 月 13 日に「バラスト水の管理に関する条約」が採択され、30 ヶ国以上の批准、かつ合計船腹量が世界の 35%を越えてから
12 ヶ月後に発効することになっている。
ばら積み: 貨物を梱包しないでそのまま船倉に積み込む方式で、穀物、石炭、鉱石類、木材、チップ、セメントなどのように粒状、
粉状の貨物が適している。また、液体貨物をドラム缶などに入れず、タンカーの貨物タンクに直接入れて運搬するのもばら積みの
一形態である。
ハンディバルカー(Handy Bulker): 一般的に、1 万 8 千∼5 万載貨重量トン数(D/W)程度のばら積み船の総称。
バンニング(Vanning): コンテナにカーゴを詰込む作業。
ファンネル(Funnel): 煙突。
ファンネル・マーク(Funnel Mark): 船の煙突両側に描かれた社章。一般に運送業者の社章が表示され、これによって識別されて
いる。
フィーダーサービス: 輸送効率向上のため、コンテナ船は主要港のみに寄港し、貨物取り扱いの集約化と運航の迅速化、安定化を図
っている。主要港以外の貨物は主要港まで輸送され、主要港からは別便に積み替えて輸送される。この主要港と支線港との間のコ
ンテナ輸送をフィーダーという。
不稼働損失保険: 船舶が一定の海難事故等によって稼働不能の状態となった場合に、得ることができなかった収入や、支出せざるを
得なかった費用等を補填することを目的とした損害保険会社による保険。
ブッキング(Booking): 船会社が船積を引き受けたことを指す。
不定期船(Tramper): 定期スケジュールを定めずに荷主のオーダーに合わせて運航する船舶。
船荷証券(Bill of Lading = B/L)
: 運送人と荷送人との間で、特定の貨物について物品運送契約を結んだことを証明する書類で、荷
送人の請求により運送人が発行する。B/L はその所有者に貨物引渡しを約束した引換え証であり、貨物の運送/引き渡し条件を定
める運送契約書でもある。同時に流通性を持つ有価証券でもあり、これら 3 つの権能を有する。
フラッギングアウト: 先進海運国の海運会社が、主として人件費の削減を目的に所有船の船籍をパナマやリベリアなどの便宜置籍国
に移すこと。これらの国々は税収等のために先進国船社の運航船舶の誘致、置籍を図っており、船員の知識や資格の最低基準を定
めた国際基準(STCW 条約)を批准している他国の海技資格を簡易な方法で承認しているため、先進国の船員に替えて人件費の低
廉な東南アジア人の船員等を乗組ませることができる。
フレート・トン: 港湾取扱貨物量の単位。容積 1.113 ㎥または重量 1,000 ㎏を 1 フレート・トンとして、このいずれか大きい方で計
上される。
便宜置籍(船)(Flag of Convenience = FOC): 船の所有権や、管理者が掲げている旗の国とは別の国にある場合、その船は FOC
と呼ばれる。登録税、固定資産税などの軽減や、賃金の安い外国人船員を雇用して運航コストを下げることを目的に、先進国の船
主が保有する船舶をパナマ、リベリア、キプロスなどの諸国に便宜的に置籍した船舶をいう。船員費の高い米国が始めたが、今や
世界的に用いられている。
ベンチマーク: FOC 船に乗組む AB 船員(able seaman = 甲板手、経験 3∼4 年の部員)の月額賃金のこと。ITF が一方的に決定し、
ボイコット(荷役拒否)などを背景に強制的な適用を船主に要求している。
ポートステートコントロール(Port State Control = PSC)
: 寄港国による監督のこと。IMO(国際海事機関)が定める国際条約の基
準に適合していない船舶を排除するために、船舶の寄港する国(ポートステート)の監督官が入港船舶に対して船舶の設備、乗組
員の資格などについて条約に適合しているかを検査すること。
マルシップ(海外貸渡方式): 日本船に外国人船員が配乗されている船舶。日本籍船を外国船主に裸用船に出し、これを受けた外国
の用船主が配乗権を持って外国人船員の配乗を行う。
マンニング(Manning): 船員の配乗に関する業務。
モーダルシフト: 輸送のモード(方式)を転換すること。具体的には、トラックによる貨物輸送を船または鉄道に切り替えようとす
る国土交通省の物流政策。地球環境問題や交通渋滞、労働力問題など、制約要因が顕著になってきたトラックから、低公害で効率
的な大量輸送機関である内航海運や JR 貨物による輸送に転換すること。
ヤード(Yard): 荷物の置き場。岸壁の背後地にある。なお、造船所のことをヤードと呼ぶこともある。
用船(Charter Hire): 運送業者が貸渡業者から船を借りること。またその船舶。
ライナー(Liner)
: 定期船。特定の航路に定期的に運航される船舶のこと。これにより運送される貨物をライナー(定期)貨物とい
う。
ランプ・ウェー(Ramp or Gate): 船内に直接車両が乗降できるように設けられた架橋構造の斜路。
ロール・オン / ロール・オフ船(Roll-on / Roll-off Ship = RORO 船)
: 貨物を載せた台車を岸壁からそのまま船内外に誘導して荷役
する方式の船舶。
≪英語略号≫
ABS(American Bureau of Shipping): 1862 年に設立された米国の船級協会。海事関連施設の設計、建設・建造および運用上の維
持管理に関する水準の向上、その証明業務を通して、人命の安全、財産の確保、天然資源の保全に資することを目的とする。
93−109
AIS(Automatic Identification System): 船舶自動識別装置を参照。
AMETIAP(Association of Maritime Education & Training Institutions in Asia Pacific)
: アジア太平洋地区海事教育・訓練機関連
合会議。アジア太平洋地区において海事教育を実施する機関が集まったもの。メンバーは、同地区における海事教育・訓練を行う
専門学校、学校、カレッジ、ポリテクニック、大学その他海事教育機関で構成される。
AMOSUP(Associated Marine Officers’ & Seamen’s Union of the Philippines)
: 1972 年に設立。ITF 加盟のフィリピンにおける最
大の組合。
AMVER(Automated Mutual-Assistance Vessel Rescue System)
: 1958 年に運用が開始された遭難船舶の船位を他船に通報する制
度。
BAF(Bunker Adjustment Factors): 燃料費調整料率。FAF(Fuel Adjustment Factor = 燃料油割増)とも呼ばれる。船舶用燃料
油の価格変動を運賃に反映させる料率。
B/C(Blue Certificate): ITF が承認している船員との労働協約が適用されていることを示す A5 版サイズの青い色の証明書。
BDN(the Bunker Delivery Note): 燃料油の供給者によって発行される文書で、供給者名、燃料油の品質、含有硫黄分、および比
重等の情報を記載することが MARPOL 条約付属書によって規定されている。
BIMCO(Baltic and International Maritime Council)
: ボルチック国際海運協議会。1905 年に発足。事業としては傭船契約等書式
の標準化など。
B/L(Bill of Lading): 船荷証券を参照。
BRM(Brigde Resource Management)
: ブリッジチームマネジメント(Brigde Team Management)ともいう。人間のミスを未然
に防ぎ、あるいは起こったミスからの影響を早期に断ち切るため、船橋(ブリッジ)において、人材(船長、航海士および甲板員
等の乗組員)および情報等の資源を最大限に利用しようという考え方。
B/V(Bureau Veritas): フランス船級協会。
:標準貨物船換算トン数。造船所で建造する船舶の種類や船型は多種多様である
CG(R)T(Compensated Gross (Registered) Tonnage)
ため、総トン数は造船所の仕事量なり付加価値を的確には反映し得ない。従って造船所の工事量を仕事量として把握するための指
標として CGRT が使われる。CGRT は、船舶をいくつかの船種・船型に分類してその分類項目別に係数を定め、それぞれの船舶
の総トン数に乗じて算出される。
CIF(Cost, Insurance and Freight)
: 運賃・保険料込み条件。貿易取引における取引条件の一つで、品物の価格に海上運賃、海上保
険料を含めた値段。
C&I(Cost and Insurance): CIF のうち運賃を含まない価格のこと。
C&F(Cost & Freight): 運賃込みの品物価格。本質的には CIF と同じだが、買い手が付保するので、売り手は付保の義務がなく、
保険料が含まれない。運賃は売手負担。
CKD(Complete Knocked Down)
: 海外の組立工場などに輸出される組立用・生産用部品セット。メーカーの海外生産拡大に伴い海
上コンテナ輸送の大宗貨物となっている。
COA(Contract of Affreightment): 本来の意味は包括的な海上運送契約だが、一般的には数量契約あるいは数量輸送契約と呼ばれ
る。使用船舶を特定せず、一定の期間に一定量の特定貨物を一定の運賃で輸送する契約。
: 石油中継基地。原油を低廉かつ安定的に供給するため、大型船で搬入し、中型船に積出す基地。
CTS(Central Terminal Station)
備蓄基地としての役割も持つ。
DIS(Danish International Ship Register): デンマーク国際船舶登録制度。
DNV(Det Norske Veritas): ノルウェー船級協会。NV とも略す。1864 年に創立され、オスロに本部を置く。
DOC(Document of Compliance)
: 適合証書(ISM コードで会社に要求される証書)。各船の旗国政府もしくは政府により委託され
た船級協会が認定し、船舶管理者の陸上事務所に対して発給する安全管理システム適合証書。
D/W(Deadweight Tonnage): 載貨重量トン数を参照。
EDI(Electronic Data Interchange): 電子データ交換。企業間の商取引などをコンピュータ化し、見積、受発注、出荷指示、請求
書などをネットワークを利用して行うこと。これにより、親会社と子会社間、金融機関との関係、国際間で効率的かつ迅速に処理
が可能となる。
ETA(Estimated Time of Arrival): 入港予定日時。
ETD(Estimated Time of Departure): 出港予定日時。
FEU(Forty Foot Equivalent Unit): 長さ 40 フィートのコンテナを 1 単位とした換算個数。コンテナ積載能力などを把握する時に
使用する単位。40 フィートコンテナ=長さ’40 フィート(約 12m)×幅’8 フィート(約 2.4m)×高さ’8 フィート(約 2.4m)。
FMC(Federal Maritime Commission): 米国連邦海事委員会。
FOB(Free on Board)
: 船積港本船積込渡。貿易取引において、売り手が契約に指定された船積港で、買い手の手配した本船側で約
定品を引き渡す条件の契約。引き渡し完了で貨物の危険負担は買い手に移る。
FOC(Flag of Convenience): 便宜置籍船を参照。
GATS(General Agreement on Trade in Services): サービス貿易に関する一般協定。1995 年 1 月に発効。モノ貿易を対象とした
これまでの協定(GATT:関税と貿易に関する一般協定)の範囲を拡大し、モノ以外のサービス貿易分野(運輸、通信、海上保険、
金融)の規制緩和と競争原理の導入、自由化を目的とするもの。海運も対象。
GATT(General Agreement on Tariffs and Trade): 関税と貿易に関する一般協定。WTO を参照。
GL(Germanischer Lloyd): ドイツ船級協会。
GMDSS(Global Maritime Distress and Safety System): 海上における遭難および安全の世界的制度で、SOLAS 条約に基づく人
工衛星を利用した海上安全通信システム。船舶が航海中、いつでも陸上の救助機関や付近を航行する船舶と、船舶の安全に関する
通信を確実に行えるようにしている。
G/T(Gross Tonnage): 総トン数を参照。
I/A(Independent Action): 独自行動権。1984 年制定の米国海事法で新たに規定された制度で、海運同盟メンバーが運賃同盟で設
定した運賃と異なる独自の運賃を設定できる権利。
IALA(International Association of Marine Aids to Navigation and Lightouse Authorities): 国際航路標識協会。1957 年に設立。
94−109
本部はフランス。航路標識に関する情報や資料の交換、航路標識システムの標準化等を行い、加盟国の技術向上等航路標識の発展
を図ることを目的としている。
ICJ(International Court of Justice): 国際司法裁判所。所在地はオランダのハーグ。
ICS(International Chamber of Shipping)
: 国際海運会議所。各国船主協会を海員として 1921 年に設立された組織で、本部をロン
ドンに置く。
ILO(International Labor Organization): 国際労働機関を参照。
IMO(International Maritime Organization): 国際海事機関を参照。
INMARSAT(International Maritime Satellite Organization): インマルサットを参照。
INTERCARGO(International Association of Dry Cargo Shipowners): 国際乾貨物船主協会。1980 年に設立。
INTERTANKO(International Association of Independent Tanker Owners): 国際独立タンカー船主協会。1970 年に設立の独立
系タンカー船主の団体。
ISM Code(International Safety Management Code): 国際安全管理コードを参照。
ITF(International Transport Workers’ Federation): 国際運輸労働者連盟。1896 年に結成された運輸関係労組の国際的な産別組
織の一つで、船員、漁船員、港湾、鉄道、陸上運輸、内航、民間航空、観光関係業種の各部会に分かれる。
JASREP(Japanese Ship Reporting System): 日本の船位通報制度(ジャスレップ)。米国の AMVER に相当。
: 日本船主責任相互保険組合。船舶の運航に伴う船主・
JPIA(The Japan Shipowners’ Mutual Protection & Indemnity Association)
裸用船社の法律上・契約上生じた責任および賠償をカバーするため、船主の発起により、船主相互保険組合法に基づいて 1950 年
に設立された非営利団体。
JSA(The Japanese Shipowners’ Association): 一般社団法人日本船主協会。
JSE(The Japan Shipping Exchange Inc.)
: (社)日本海運集会所。1921 年の創立。海事に関する学術研究、商取引上の諸契約書
式の制定、調査、報道、図書、雑誌の編纂発行、海事に関する一切の紛争についての仲裁、調停、鑑定、証明、契約その他慣行等
に関する相談、助言等を行っている。
JSU(All Japan Seamen’s Union): 全日本海員組合。創立は 1945 年。国際・国内海運、水産、港湾に働く船員や水際労働者で組
織する労働組合で、日本唯一の産業別単一労働組合。
LASH(Lighter Aboard Ship): 艀運搬船。貨物を積載したバージを 80∼100 隻、船尾のクレーンを使って搭載できる船。
L/C(Letter of Certificate)
: B/C(Blue Certificate)とは異なり、全日本海員組合が発行している。丸シップに乗り込む船員が組
合の認める労働条件で就労していることの証明書。
: 銀行が発行する保証状。輸入者に代わって輸入者の取引銀行がその代金の支払を保証するもの。輸入信用状。
L/C(Letter of Credit)
L/G(Letter of Guarantee)
: 荷主が発行する保証状。輸入カーゴが到着したが船荷証券(B/L)が着かずカーゴを受け取れない場合、
取引を急ぐためにこの L/G を差し出して B/L 到着前にカーゴを引き取る方法がある。
LNG(Liquefied Natural Gas): 液化天然ガスを参照。
LPG(Liquefied Petroleum Gas)
: 液化石油ガスを参照。
LR(Lloyd’s Register of Shipping): ロイズ船級協会。1760 年の創立。本部はロンドン。
MARPOL(International Convention for the Prevention of Pollution form Ships): 海洋汚染防止条約を参照。
NIS(Norweigan International Ship Registry): ノルウェー国際船舶登録制度。
NK(Nippon Kaiji Kyokai): (財)日本海事協会。1899 年に設立された、船級検査および船級証書発行のために船舶を検査・監督
する機関。船舶に関するさまざまな事業の進歩発展を図り、人命および財産の安全、海洋環境の保全を目的とする。
NKKK(Nippon Kaiji Kentei Kyokai): (社)日本海事検定協会。1913 年の設立。国内外の商取引における貨物、船舶等の鑑定、
検査、検量、分析を行う検定機関。
N/T(Net Tonnage): 純トン数を参照。
OBO(Ore/Bulk/Oil Carrier): 鉱石・撤積および油兼用船。鉄鉱石・石炭・穀物などのドライカーゴと原油の何れも積込むことが
できる船舶であるが、数は少ない。鉱石か石油に限られる兼用船は Ore/Oil Carrier という。
OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries): 石油輸出国機構。石油の生産および輸出国で構成する政府機関。加盟
国は 11 ヶ国。現在の加盟国は、アルジェリア、リビア、ナイジェリア、インドネシア、イラン、イラク、クウェート、カタール、
サウジアラビア、アラブ首長国連邦、ベネズエラ。
PCC(Panama Canal Commission): パナマ運河委員会。運河通航船舶の安全と効率的な運営を主な目的とする米国政府機関。
PCC(Pure Car Carrier): 自動車輸送専用船。最近では PCTC(Pure Car and Track Carrier)の方が用いられる。船内が何層も
のデッキに分かれた自動車を専門に運ぶための船。
PCNT(Panama Canal Net Tonnage): パナマ運河トン数を参照。
P&I(Protection and Indemnity Insurance): 船主責任相互保険を参照。
PSC(Port State Control): ポートステートコントロールを参照。
ROB(Retention of Oil on Board または Remaining on Board): 油の船内貯留。油送船の残油量のこと。
SCA(Suez Canal Authority): スエズ運河庁。
SDR(Special Drawing Rights): 国際通貨基金(IMF)の定める特別引出権のこと。国際間の為替変動を避けるために主要通貨の
加重平均から算出される。
SMC(Safety Management Certificate): 安全管理証書。具体的な船舶運航の手順・緊急時の対応など、SMS(安全管理システム)
を文書化した証書。船舶管理者・本船は常時所持していなければならない。ISM コードにより義務付けられた。
SMS(Safety Management System): 安全管理システム。ISM コードで求められている条件を満たす船舶管理システムで、船舶管
理者はこのシステムを策定・実施・維持しなければならない。
SOLAS(The International Convention for the Safety of Life at Sea): 海上人命安全条約を参照。
TEU(Twenty Foot Equivalent Unit): 長さ 20 フィートのコンテナを 1 単位とした換算個数。コンテナ積載能力や輸送実績などを
示す際に用いられる。20 フィートコンテナ=長さ’20 フィート(約 6m)×幅’8 フィート(約 2.4m)×高さ’8 フィート(約 2.4m)。
ULCC(Ultra Large Crude Oil Carrier): 30 万 D/W を超える超大型原油輸送船の通称。
95−109
UNCTAD(United Nations Conference on Trade and Development): 国連貿易開発会議。1964 年に政府間機関として設立。
USCG(US Coast Guard): 米国沿岸警備隊。1790 年発足。沿岸警備はもとより、米国海上交通安全の確保、海洋環境の保護等、
活動は多岐にわたる。
VDR(Verband Deutscher Reeder): ドイツ船主協会。
VLBC(Very Large Bulk Carrier): 大型撤積貨物船。
VLCC(Very Large Crude Oil Carrier)
: 一般的には 20 万重量トンから 30 万重量トンまでの大型原油油送船をいう。最近の VLCC
の主力船型は 28 万∼30 万重量トン型で、貨物量は 200 万バレル以上になる。
WS(Word Scale Rate): ロンドンおよびニューヨークのワールド・スケール協会が制定している Worldwide Tanker Nominal
Freight Scale を指す。世界中のタンカー航路の運賃を列挙した本で、傭船契約では適用率をその額の 23%、100%、45%などと
協定して個々の航海に適用する。
WTO(World Trade Organization): 世界貿易機関。1995 年に発足。関税その他の貿易の障害を軽減し、貿易に関する差別的待遇
を廃止することなどを目的としている。また、国際協定遵守の監視と世界貿易自由化の枠組み構築を進める。
≪参考⑫≫
実質船主国別船腹量
実質船主国別船腹量(2014年1月1日時点、1,000総トン以上の船舶対象)
船腹量
外国籍船
09年比
09年
シェア
前年比
比率
増減
順位
隻数
船主国別船腹量
千D/W
増減
1 ギリシャ
258,484
7.8%
3,826
15.4%
73%
52.6%
2
2 日本
228,553
2.1%
4,022
13.6%
92%
31.9%
1
3 中国
200,179
5.8%
5,405
11.9%
63%
115.7%
4
4 ドイツ
127,238
-2.1%
3,699
7.6%
87%
21.2%
3
5 韓国
78,240
5.8%
1,568
4.7%
79%
67.8%
5
6 シンガポール
74,064
12.1%
2,120
4.4%
45%
162.4%
12
7 米国
57,356
5.4%
1,927
3.4%
74%
43.5%
7
8 英国
52,821
5.8%
1,233
3.2%
84%
70.9%
10
9 台湾
47,481
4.9%
862
2.8%
92%
59.3%
11
10 ノルウェー
42,972
-1.5%
1,864
2.6%
94%
-14.4%
5
11 デンマーク
40,504
-0.2%
955
2.4%
99%
28.2%
9
12 バミューダ
36,793
5.8%
250
2.2%
99%
1039.9%
35
13 トルコ
29,266
0.4%
1,547
1.7%
71%
89.4%
17
14 香港
26,603
16.9%
610
1.6%
30%
-21.1%
8
15 イタリア
24,610
-2.1%
851
1.5%
24%
24.6%
13
16 インド
21,657
-2.2%
753
1.3%
32%
25.8%
15
17 ブラジル
19,510
9.5%
346
1.1%
86%
314.1%
30
18 UAE
19,033
12.7%
716
1.1%
98%
110.7%
22
19 ロシア
18,883
-1.0%
1,734
1.1%
71%
3.3%
14
20 イラン
18,257
8.8%
229
1.1%
78%
25.4%
19
21 オランダ
17,203
3.7%
1,234
1.0%
62%
104.7%
23
22 スイス
17,012
3.3%
350
1.0%
93%
344.3%
33
23 マレーシア
16,797
0.6%
602
1.0%
48%
45.3%
21
24 モナコ
16,698
20.6%
194
1.0%
100%
--25 インドネシア
15,511
-0.1%
1,598
0.9%
19%
120.9%
26
世界合計
1,676,853
4.0%
51.8%
UNCTAD「REVIEW OF MARITIME TRANSPORT 2014」より
300,000
250,000
200,000
150,000
100,000
50,000
0
≪参考⑬≫ ひめぎん物語−愛媛銀行創業 100 年史−より
第 1 部 ふるさととともに
≪第 1 章 無尽講と無尽会社≫
・・・省略・・・
≪第 2 章 無尽6社の沿革≫
第 1 節 屋敷町からの企業---東予無尽
◆ありがたい土地
・石田今次(いしだいまじ)が、最初の赴任地である山口地方裁判所から、松山地裁西条区裁判所判事として西条へ赴任してき
96−109
たのは明治 36 年夏のことであった。30 歳になったばかりの独身であった。石田家は石田三成を遠祖としている。そこに、鉱
山を経営していた三品兵馬(みしなひょうま)が、今治藩の家老の家柄だったという戸塚家の娘トヨとの見合いの話を持って
きて、婚姻となった。今次は結婚を機に判事を辞すと、自宅の一室に弁護士事務所を開業した。
◆棚ぼた的な創業
・西条町には既に西条銀行をはじめ、今治商業銀行と五十二銀行の支店が進出していた。その他、肥薩銀行(ひさつぎんこう)
の松山支店西條出張所が町の繁華街の東町に店を構えていた。その出張所が 1 年も経たない内に閉鎖されることになり、引き
受け手を探しているとの三品からの情報であった。今次は郡会議員の長老格で素封家の文野昇二の同意を得て、同行を引き受
けることにした。
・大正 4 年 9 月 16 日、街中の新屋旅館で、肥薩貯金松山支店西条出張所を買収して設立することになった東豫無尽蓄積㈱の創
立総会が開催された。今次の弁護士事務所内(明屋敷)を本店とし、今次が代表取締役に就いた。
◆四国の第1位
・今次は県議会議員、弁護士、無尽会社の社長を兼務していた。無尽業法の施行(大正 4 年 11 月 1 日)を前にして、政府は大
蔵省官制を改正し、大蔵大臣の管掌事項に無尽を加えた。また大蔵大臣官房銀行課の分掌事務に「無尽に関すること」が追加
され、さらに「無尽業法施行細則」と「無尽業者取扱方に関する件」の 2 つの省令と、地方長官あての「無尽業者取締規則取
扱方細目」の通達が発せられて、営業無尽の許可申請に関する行政面の態勢は整えられた。当時、愛媛県内には東予無尽を含
めて 16 の無尽があったが、みな動きは鈍く、業法施行後の成り行きを見定めようとしていた。今次はこれをチャンスと捉え、
積極的に打って出ることにした。
・今次は上京して有力国会議員に陳情した。何度も大蔵省へ足を運び、免許を取得するための出願手続きをした。今次の熱意と
陳情が功を奏し、東予無尽蓄積㈱は大正 5 年 2 月 3 日付大蔵省指令第 6 号をもって無尽業の営業免許を得ることができた。四
国の中では最も早い免許取得であった。
・大戦に伴う船舶不足で、国内大手の造船会社だけでなく、まだ木造船が主体の今治の海運と造船も好調であった。今次は東予
無尽の顧客をこれらの小商工業者へ広げることに会社の将来を託した。彼は今治支店へ最も優秀な人材を送り込み、会員の獲
得に力を注いだ。時代に先がけたこの戦略は、今治の海運・造船界が機帆船から鉄鋼船へと飛躍していく中で、東予無尽がそ
の飛躍を支える資金融通に大きな役割を果たす布石となるのである。
・美代子(今次の長女、今次の長男は今朝夫)は、大正 12 年の春、今治で鉄工所を経営する村上家の長男の村上潔(きよし)
と結婚した。潔は東京商科大学(現、一橋大学)卒の秀才で、名古屋の愛知銀行(後の東海銀行)に勤める銀行マンだった。
・今次は専務の三品とも相談し、設立当初に株主へ約束した本店家屋の建設に取りかかった。場所は邸宅の北東の角地にした。
昭和 2 年 7 月 28 日、本社は完成した。
◆後顧の憂い
・昭和 4 年夏、美代子は豊橋で長男・驍(つよし)を産んだ。今次の初孫である。その後、美代子は肺結核を患い、昭和 6 年の
初夏に驍を連れて西条の実家に帰ってきた。
・今次は名古屋にいる娘婿の村上潔へ手紙を書いて、西条に帰って東予無尽の経営を手伝って欲しいと頼んだ。村上は、昭和 7
年の年明けに妻子が待つ西条の明屋敷へ帰ってきた。1 月 27 日、村上は東予無尽の監査役に就任した。そして大学を卒業した
今朝夫(けさお)が東予無尽に入社した。4 月に村上潔は商工業の発展が著しい今治へ支店長として単身赴くことになった。
・昭和 8 年 7 月、今次は西条町長を拝命した。弁護士、県議、会社経営、町長と、今次の西条での人生は社会的には成功者その
ものである。しかし、昭和 9 年の晩秋、美代子は 6 歳の息子・驍を残して永眠した。驍は村上家に引き取られた。その後、再
婚した村上潔は昭和 11 年 7 月に監査役を辞任したが、今治支店長は続けた。
・1 年後の昭和 12 年 8 月 10 日、今次は 65 歳の生涯を西条で閉じた。最後を看取った三品が今次の遺志を組み、月末に臨時株主
総会を開き、若干 26 歳の今朝夫を代表取締役社長とする議案を可決した。
◆異郷に没す
・振興工業地帯である今治と新居浜へ早くから支店を出し、さらに県都の松山の一等地へ店舗を構えた東予無尽は、地域の特色
と時代状況に対応して常に無尽形式を工夫し、会員数を着実に増やしていった。とりわけ潔が支店長として采配を振るう今治
支店は業績が良かった。彼は、銀行が相手にしない木造船の船主たちへの融資にも踏み切り、今治の海運・造船業界の発展を
金融面から支えた。
・昭和 16 年の春、今治の商工業者たちが資金を出しあって造船所を造ることになり、波止浜に今治船渠㈱が設立された。出資
者に請われて潔は社長を引き受けた。
・こうした中、大蔵省による無尽 5 社の合併話が進められていた。昭和 18 年 3 月、合併後の愛媛無尽の役員を決めた。東大出
身で大蔵省に人脈がある松山無尽の新野毅が代表取締役社長に就き、今朝夫は専務になった。潔は今治支店長。
・18 年 3 月下旬、今朝夫は松山(愛媛無尽の本店所在地)に引っ越すことになった。子供たちはトヨが面倒を見ることになり、
今朝夫は妻・梨枝子と松山のアパートに引っ越した。しかし、19 年 4 月、梨枝子は心臓発作にみまわれ急逝した。20 年 7 月
の松山空襲で愛媛無尽の本店が焼け落ち、今朝夫は西条に引き上げた。
・終戦から 2 年経った 22 年 5 月、新しい社屋が建ち、今朝夫は本店に顔を出すようになったが、社内の陣容はかっかり変わり、
専務の肩書きはあっても居心地が悪く、今朝は再び西条へ引っ込んだ。無尽会社から相互銀行へ転換して半年後の 27 年 4 月、
今朝夫は取締役を辞任した。
第 2 節 商人町の共済---今治無尽
◆町医者が世話役
・今治の城下の米屋通りの一角にある三藤猛内科医院へ村上七三一(なみかず)という馴染みの患者がやってきた。村上は、勤
めている肥薩貯金会社の出張所(今治)が閉鎖されることを話した。
・明治 8 年生まれの村上七三一は、島の小学校の訓導をした後、今治に出て木綿製造会社で経理係をして小銭を貯め、今治一の
繁華街である川岸端に木綿縞販売の店を構えた。彼は金融業には強い関心があり、一念発起して肥薩貯金の松山支店と交渉し、
木綿縞販売の店を松山支店の出張所にすることになった。村上七三一はその所長となった。
・ところがその出張所が、一年もしないうちに本店の都合で閉鎖されることになった。大正 5 年 2 月 10 日、村上七三一は支援
者からの出資金を得て、川岸端に今治無尽㈱の事務所を開設した。
97−109
◆海に生きる
・今治は高輪半島の東部にあり、今治、波方、波止浜などで海運業が発展していた。長谷部九兵衛が波止浜の湾内に入浜式塩田
を開き、波止浜には数多くの船が出入りした。しかし、銀行は木造船自体には資産価値がないので一杯船主を相手にしなかっ
た。そこで帆船組合は「資金貸付制度」をつくり融資した。波方では「助け合い無尽」と「普通無尽」が盛んで、船の新造や
修理に資金を融通した。
・日中戦争が始まった頃から、地元の今治無尽と東予無尽/今治支店の外交員が波止浜や波方の船主を勧誘した。特に東予無尽
では支店長の村上潔が豊富な資金量をもとに船主の勧誘には積極的であった。村上は、東予無尽の今治支店が講の親元になり、
加入者は必要な時に落札して資金を手に入れる方法の無尽を提案した。信用を担保にした事実上の無尽掛金の融資である。船
主は機帆船に切り替えたものの、木造なので銀行からの融資が受けられない状況であったため、船主の間で村上の提案は好評
だった。波方の船主に対する無尽会社の融資はこのようにして始まった。
◆町のへそくり
・医師の三藤に頼まれて今治無尽に出資し、専務取締役になった松本平蔵は鉄工所の経営者である。この鉄工所で労働争議が起
きた。
・松本平蔵は今治無尽の経営の面倒を見ていたが、昭和恐慌にともなう機械・鉄工産業の沈滞は松本鉄工所にも深刻な影響を与
え、平蔵は昭和 7 年に今治無尽の経営から手を引かざるを得なくなった。
・今治無尽は何とか持ち堪えたが、大株主が去って、4 年後の昭和 12 年から経営が振るわなくなり、経理操作でなんとか利益を
計上するという状況に追い込まれた。利益が上がらず、規模も小さくなり、「町のへそくり」に成り下がった。
第 3 節 医も無尽も仁術なり---常盤無尽
◆一生を託す仕事
・大正 10 年の元日、山内遊助は、これまで念願だった無尽会社をいよいよ本格的に立ち上げる決心をした。根っからの商人で
ある遊助は、金融こそが経済を動かしているという信念を持っていた。「農民や町人たちの暮らしの向上に役立つ仕事がした
い」という思いを強く抱くようになった。そして、不惑を迎える年に、「庶民金融こそが一生を託すに足る仕事」であり、信
仰する弘法大師から授かった使命だ、と自覚するようになった。
・明治 14 年生まれの遊助は、小学校を卒業した年に、家業である雑貨商・田邊屋を継いだ。15 歳という若さで、隣村で雑貨商
を営んでいた商家の次女・タケを妻にした。
・軍隊生活 6 年を経験し退役。家業に精を出し、宇摩郡内でも指折りの事業家になった。
◆誓松と常盤橋
・元日の昼前、四国八十八カ所の番外札所・延命寺へ妻のタケと出かけた遊助は、境内の四方八方へ 400 坪余りを領して、見事
な枝を広げる「誓松」へ視線を投げかけていた。タケは「松は常盤木ですけん。やまじががいに吹いても、この誓松は小枝一
本落としませんぞい」と言った。
・明治 32 年 8 月 28 日、宇摩郡を流れる三つの川の堤防がことごとく決壊し、周辺は瓦礫の原野と化した。その後、浦山川に新
しい橋ができ、常盤橋と呼ばれるようになった。
・三男四女の子に恵まれた。繁雄は西条中学へ進学し、岡山医学専門学校で医師を目指していた。
◆常盤無尽金融社
・繁雄は父に、あと 1 年で医専を卒業し、附属病院で無給の副手として働くことになる、と先の見通しを話し、仕送りを願い出
た。附属病院で経験を積んだ後は土居村へ帰り、医院を開業することになる。
・遊助は、
「農民の暮らしがようならんと、日本は発展せんぞい。せめてこの土居村の農民だけでも楽になるよう手助けしたい」
といい、「無尽講を金融会社にする」と決意した。社名は「常盤無尽金融社」に決めた。
◆普請道楽
・大正 13 年 6 月、遊助は繁雄との約束を果たし、田邊屋の中央部の店舗にしていた 3 部屋を改造して山内医院を開業させた。
その後、大正 15 年 10 月、後世に残る建物を建築した。さらに、繁雄の希望を汲み、柔道の道場を造った。道場の玄関には「誓
道館」と墨書きした看板をかけた。村唯一の柔道場はたちまち評判になり、郡内のあちこちから若者が通ってくるようになっ
た。やがて繁雄の弟子たちは各地の大会にも出場するようになり、昭和に入ると「誓道館」の名は全国にも響き渡るようにな
った。
◆医も無尽も仁術
・大正 14 年には愛媛にも無尽協会が設立され、常盤無尽金融社も 12 月に加入した。
・昭和 4 年 5 月 9 日、昔から昵懇の間柄である素封家に 1 割の配当を約して出資をつのり「常盤無尽株式会社を立ち上げた。
・昭和 12 年 5 月 13 日、遊助は他界した。常盤無尽㈱の経営は繁雄が引き継ぐことになり、繁雄は代表取締役となった。しかし
業績は芳しくなく、期待を抱かせた賞与や配当は一度も実施されることなく、昭和 18 年 3 月の無尽 5 社合併で愛媛無尽に形
を変えた。繁雄は愛媛無尽の相互銀行への移行を機に昭和 26 年 4 月に退行した。繁雄は病院経営と道場を通した青少年の育
成に情熱を注いだ。
・繁雄は昭和 55 年 5 月 8 日、77 歳で長逝した。「誓道館」は 50 年の歴史に幕を下ろした。医院は長男の育郎に引き継がれた。
病院は医療法人誓生会松風病院へと改組発展し、4 代目の紀子の時代に入っている。
第 4 節 兄の大志をいだいて---松山無尽
◆垣生村の三傑
・明治は垣生村から 3 人の銀行頭取を産んだ。その一人は新野米太郎(にいのよねたろう)は今出(いまず)で江戸の初めから
続く旧家の生まれ。東京に遊学していた米太郎は、明治 7 年東京専門学校(早稲田大学の前身)政治学科を卒えて垣生村(は
ぶむら)へ帰ってきた。まだ 20 歳の若さだが、今出の郵便局に局長として勤めることになった。
・姻戚で遊び友達の新野伊三郎(後の伊予鉄道社長)が訪ねてきた。伊三郎は京都の同志社予備校の学生だった。伊三郎は東京
の早稲田大学に転身する。
・村上半太郎は、松山中学では 1 年先輩の正岡子規に手ほどきを受け、事業家だけでなく、俳人としても評価を高めていた。
・新野米太郎は明治 26 年の夏、村内の親しい者に呼びかけ、質屋業としては高額な資金を融通することが可能な垣生円融合資
会社を立ち上げた。
98−109
・一方、日清戦争後、拡大する経済状況に呼応して、垣生村で最初に銀行を設立したのは村上半太郎である。半太郎は川上村の
豪農・松木喜一の出資を受け、更に味生村の新田長次郎を紹介され、資本金の半分を出してもらった。明治 30 年 10 月、
「伊
予農業銀行」を松山市湊町 4 丁目に立ち上げた。
・米太郎はこの伊予農業銀行に刺激され、行き詰っていた垣生円融合資会社を銀行に転換することにした。垣生村から 5 人、生
石村から 2 人の計 7 人が出資して、垣生円融合資会社は発展的に解散し、株式会社今出銀行が設立された。頭取には米太郎が
就いた。
・日露戦争終結後の景気の後退は愛媛の金融界にも影響を及ぼし、県内では銀行の整理統合が進んだ。こうした中、伊三郎は仲
間を募って、明治 44 年 1 月に松山信託銀行を設立し、市内の三番町で営業を始めた。
・ところが、大正 2 年 7 月、米太郎が松山信託に対抗して、伊予農業銀行の監査役の松木喜一らを誘って松山市内湊町 4 丁目に
興産金融株式会社を設立した。伊三郎と米太郎の対立は決定的となり、二人は袂を分かつことになった。伊三郎は今出銀行の
取締役を辞任して松山信託の社長に就き、ここを基盤に金融業への本格的な進出を試みる。しかし、新たに銀行を設立するこ
とは困難な経済情勢であり、そこで伊三郎は、大正 5 年 5 月、宇和島財界の大物である山村豊次郎と密談し、山村がとりまと
めていた吉田銀行株を買い取る契約を結んだ。伊三郎はこの吉田銀行を伊予銀行と称号を改め、市内三番町に本店を構えた。
伊予農業・・・村上半太郎、今出銀行・・・新野新太郎、伊予銀行・・・新野伊三郎。
◆今出銀行
・松山の政財界の実力者である井上要の仲介で、大正 11 年 3 月、伊予農業銀行が末広町にあった松山商業銀行を吸収合併し、
社名を愛媛銀行(現在の愛媛銀行とは異なる)とした。頭取には村上半太郎が就いた。
・無尽会社の設立を思い立ったのは松木喜一であった。喜一から資金面の相談を受けた新野米太郎は、「いま無尽こそ、干天の
慈雨ではないか」と必要を認め、設立に積極的に与することにした。大正 12 年春、二人は興産会社の二階の一室で設立の準
備を始め、8 月 17 日に資本金 20 万円で松山無尽株式会社を設立した。
・9 月 1 日、関東大震災が起き、経済も金融も大混乱となった。米太郎の子供たちは次々と他界した。うち続く不幸の中、米太
郎は倉庫、酒造、製氷、捺染など数多く事業に手を出すようになった。そして本業の銀行経営には厳しさが無くなり、何事も
情実にとらわれることが多くなった。経営は放漫になり、融資は縁故がはばをきかし、信用調査はなおざりになっていった。
・金融恐慌の翌年の昭和 3 年から、政府は無資格銀行の整理統合を強力に進めることになる。松山市内に本店がある 9 つの銀行
を合同合併する動きが強まったが、合併案は成立しなかった。旧愛媛銀行の場合、乱脈経営が原因で 300 万円の負債を抱えて
いた。村上半太郎は全財産を投げ打ち、他の重役もできる限りの支援を行い 100 万円を都合した。残りの 200 万円は新田長次
郎が支援した。昭和 3 年 12 月、旧愛媛銀行は、西条銀行、伊予三島銀行とともに広島の芸予銀行に吸収合併され消滅した。
・一方、今出銀行は、昭和 5 年 12 月 1 日、松山手形交換所で交換尻が合わなくなり決済不能となった。新野米太郎は今出銀行
と松山無尽の両方の社長をしていたが、松山無尽の掛け金を流用することはしなかった。他の銀行の支援も得られず、今出銀
行は昭和 8 年 4 月 19 日に破産宣告に追い込まれた。
◆無尽 5 社の中核
・新野毅は、昭和 8 年 1 月 18 日の株主総会で代表取締役社長に就任した。帰松して松山無尽の経営に参画するようになってま
だ 2 年余りしか経っておらず、明らかに世襲人事だったが、松木喜一をはじめ重役陣からの異論は無く、誰もが若く頭脳明晰
な毅の手腕に期待を寄せた。
・愛媛県の無尽各社の掛金表は、掛込金額が最終的に給付を受ける給付金額に満たない大阪方式を採用していた。この大阪方式
は東京方式と比べて射幸的な利益が薄らいだ方式で、貸付と預金の両面に金利の考え方を取り入れており、近代金融として優
れている、と毅は判断し、松山無尽でも従来通りの大阪方式を重視した。しかし一方で、無尽金融の利用者を都心や都市近郊
の商工業者に広げていくために折衷方式の掛金表も作成し、契約高を増やすことを積極的に試みた。
・昭和 12 年 7 月、日中戦争が始まった。大正 10 年に全国無尽集会所が設立され、その後全国無尽中央会へと改称した。愛媛で
は大正 14 年に愛媛無尽協会が設立され、愛媛県の商工課長が協会長を務めていた。愛媛無尽協会は全国無尽中央会に加盟し
ている。中央会の理事は四国に 1 名割り当てられていて、14 年度は愛媛から理事を出す順番であった。その全国無尽中央会の
四国代表理事に新野毅が任命された。
、
・昭和 17 年 12 月、愛媛の無尽 5 社が合併して新会社を設立する調印が行われた。招致されたのは、山内繁雄(常盤無尽社長)
石田今朝夫(東予無尽社長)
、村上七三一(今治無尽社長)、新野毅(松山無尽社長)、文野(ぶんの)俊一郎(南予無尽社長)
の 5 名であった。昭和 18 年 3 月 13 日、松山無尽㈱内のホールで新会社創立の総会が開催された。役員は、取締役社長:新野
毅、専務取締役:石田今朝夫、常務取締役:高田周蔵(南予無尽)、取締役:村上七三一、取締役:山内繁雄、取締役:文野
俊一郎、常任監査役:塩崎悦次(西条)
、監査役:岡田頼吉(松山)
。
第 5 節 庶民金融に光を---南予無尽
◆教育界からの転身
・三宅清忠は、日露戦争が終わった翌年の明治 39 年、今治中学校へ入学。その後、小樽高等商業学校を卒業し山下汽船に入社、
そこを 2 年で辞め、関西大学商学部に入学。大正 12 年、市立宇和島商業学校の教師となって愛媛に帰ってきた。
・明治 27 年生まれの三宅は、あと 3 年で 40 歳になる。このまま田舎の教師として終わりたくないと数年前から金融業で独立す
るつもりでいた。三宅は父を説得した。父は母方の親戚で西条では指折りの資産家である文野昇二(ぶんのしょうじ)を紹介
した。文野昇二は体調を崩していたので、代わりに長男の俊一郎が対応した。文野氏は大口の出資者になる。
◆庶民金融の拠点
・三宅は、南予無尽の営業許可が早くおりるよう大蔵省へ働きかけて欲しいと、宇和島市長の高橋作一郎に頼んだ。高橋作一郎
は、八幡浜と宇和島の警察署長を歴任した後、大正 15 年に 39 歳という若さで松山警察署長になった文字通り警察畑のエリー
トで、宇和島市長には昭和 5 年 11 月に就任している。
・三宅を代表取締役とする南予無尽金融株式会社は昭和 7 年 10 月 18 日に設立された。資本金 10 万円で、その 4 割は文野俊一
郎の出資である。
・三宅は早速、仲井喜六に南予一円への事業展開について相談を持ちかけた。仲井は、創業段階から三宅が最も信頼していた相
談相手で、八幡浜漁港に進出しているカネカ魚市場㈱の取締役の一人である。三宅は仲井の意見を入れて外務員 10 名を新た
に増員し、周辺の郡部の出張所に配置し、重点地域の八幡浜には事務所を開設した。
99−109
◆大衆の良薬
・三宅は仲井とカネカを実効支配するための方策を話し合った。カネカの発行株数は 740 株であった。そのうち 300 株は仲井が
所有しており、残り 440 株を南予無尽の取締役陣が個人的に買い占めれば完全にカネカを支配できる。三宅は仲井の勧めで予
州銀行鶴島支店から 1 万 3,000 円の融資を受け、カネカの株を買うことにし、6 月下旬に手続きが完了した。
・昭和 10 年 4 月 29 日、念願の新社屋が完成した。三宅は、「地方の大衆の金融を円滑にし、自力更生、互助共栄をモットーに
立ち上がったのがわが南予無尽であります。無尽は民衆の小口金融機関として実に 500 年を超える歴史を有するもので、これ
を新しい時代の要求に適応せしめるのが無尽会社であります。その精神において、その資質において、日本古来の多くの良い
習慣と慣例を取り入れ、経営者の責任を重大にしたものが今日の無尽会社であります。
」と述べた。
◆社長交代
・三宅が予州銀行から借りた 1 万 3,000 円の返済期日が迫ったが、資金の手当てはできていた。文野俊一郎が、三宅の所有して
いるカネカ魚市場の株を買い取っていたのである。そこで三宅は予州銀行へ返済を告げたが、予州銀行からは「金利を下げる
からもう一年借りて欲しい」と頼まれた。
・三宅は商工会議所の議員に立候補したが落選した。一方、衆議院選挙に立候補していた山村代議士も「危ない」ということで、
三宅は支援者に 1 万円を振り込んだ。するとその翌日、予州銀行から突然、借りた 1 万 3,000 円の返済督促があった。三宅は、
会社の遊資の中から 3,000 円を持ち出し、三宅が管理していた 1 万円に足して 1 万 3,000 円を返済した。その後の総選挙で、
山村氏はかろうじて当選した。三宅は月末に、自分の給与の中から、会社から借りた 3,000 円を返した。
・3 月 7 日の深夜、三宅の自宅に宇和島署の刑事が訪れ、出頭を求められた。カネカ魚市場の買収にかかる南予無尽の不正融資
の嫌疑であった。会社から一旦流用した 3,000 円は直ぐに返した。その他の嫌疑も地検の取り調べて晴れた。
・しかし、警察には南予無尽と三宅個人に対する中傷と誹謗の投書が何通も届いていた。女性からの投書は「道徳的に経営者と
して問題がある」と書かれており、投書の主は「社長を辞めない限り法廷で争う覚悟」であるとされていた。留置場で迎えた
3 日目の朝、三宅は辞表を書いた。後任は文野俊一郎に託した。
・文野は、南予で最も人望の厚い高橋作一郎に取締役になるよう懇願した。山村豊次郎に請われて昭和 8 年 3 月まで宇和島市長
「西条の町政が混乱しているので町長をやってく
を務めた高橋は、1 期で退任して郷里の広見町に帰り農業をしていたところ、
れ」と県の大物代議士から頼まれ、昭和 10 年 6 月に西条町長に就任していた。高橋は取締役を引き受ける条件として、高橋
の娘婿の高田周蔵を監査役とすることを提案した。
・4 月 12 日、南予無尽は臨時株主総会を開催し、三宅清忠社長の辞任と旧取締役全員の更迭を認め、文野俊一郎を代表取締役社
長とする新たな経営陣を満場一致で承認した。高橋作一郎の引立てで監査役に就いた高田周蔵は、家業の酒造業を営んでいた
が、宇和島に居を移し、無尽会社の経営に本格的に取り組んだ。高田は文野の指示を仰いで「職務章程 17 条」を作成し、社
員の職務を明文化した。次に「社員服務並びに給与規定」を整えた。
◆大衆金融をめざして
・昭和 12 年は、前年の社長交代の余波や掛金表が新しくなった事もあって業績は停滞した。しかし、無尽会社の利息は他の金
融機関よりも高く貯金としても有利な状況にあったことから、13 年に入るといくぶん回復した。
・文野は花屋旅館の部屋にこもり、
「無尽の大儀と募集の心得」と題する 42 項目からなる草案を書き上げた。冒頭から 6 頁まで
は、無尽金融は庶民の誇るべき金融機関で日本独自のものであることを記した。
・高田周蔵は取締役に昇進し、南予無尽の躍進が始まった。この好成績は昭和 17 年まで続き、南予無尽は急成長の途上で合併
されることになる。文野社長は愛媛無尽に合併するに際し「謝恩の辞」を読み上げた。
第 6 節 庶民金融の中核---合併前の無尽5社
◆愛媛の状況
・昭和 18 年 3 月 20 日、大蔵省の行政指導下で 5 社は合併して愛媛無尽㈱となった。合併する前の昭和 17 年の各社の経営状況
は、掛金契約高で東予無尽が抜きんでており、資産額も一番多い。これに対して商工業が発達していた今治市の今治無尽が契
約高も資産額も最低であるのは意外である。また、最後に設立された南予無尽は経営規模で松山無尽を追い抜き、東予無尽に
次ぐ業績を上げている。
◆5 社の業績
・日清戦争から第一次世界大戦の時代までの 20 年間、愛媛県内の会社数は 3.5 倍ほどに増え、払込資本金も 15 倍近い伸びを示
している。
・明治 22 年 12 月に市制が敷かれた松山を核とする中予は、銀行、運輸、繊維、米穀取引、電気、各種販売小売りなど県内生産
活動の中心地ではあった。しかし、この時代、中予に比べて、諸会社も銀行も南予の比重の方が遥かに大きい。会社数の 61%、
払込資本金の 51%は南予に集中していた。これらの二つの地域に比べ、東予の産業化はまだ遅れていたが、その萌芽はあった。
・大阪方式は掛金が回数毎に少なくなる逓減方式なので、給付金の受け取りが最終回になればなるほど掛金総額と給付金の差が
大きくなり、利益が膨らむので貯蓄目的の会員には有利であった。東京方式は掛金が一定で、掛金総額が給付金よりも多くな
るが、給付を受ける前の会員にも入札差金による配当があるので、相当の利回りがあり、給付が最終回に近くなってもそれな
りのメリットがあった。愛媛の場合、設立当初から合併まで一貫して大阪方式で会員を募っていたのは、常盤無尽と南予無尽
の 2 社である。
◆果たした役割
・昭和 7 年から昭和 17 年まで、5 社の給付済高は一貫して増え続けている。一方、普銀は 13 年まで低調で、昭和 7 年の水準を
ずっと下回っているのとは対照的である。
・無尽会社が順調に業績を伸ばした背景としては、大蔵省当局が無尽会社を積極的に育成するようになり、庶民金融機関の中核
にしてゆくため、法律を改正して貸付制限の撤廃など無尽業の足かせを外していったことが指摘できる。
第 7 節 戦後復興のいしずえ---愛媛無尽
◆無尽で国をまもれ
・愛媛無尽の設立された昭和 18 年 3 月といえば、太平洋を巡るアメリカの反転攻勢が本格化し始めたころである。戦況の厳し
さは当然、銃後の国民生活にも影を落とし始めた。社長の新野毅は第一期営業報告書に、
「樹てよ計画、無尽の金で」
「長期戦
たゆまぬ無尽で国護れ」の勇ましいスローガンを刷り込み、銃後をまもる臣民の心意気を示した。報告書は勇ましかったが、
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統制経済が強まり、経営の先行きは見通しがつけにくい状況であった。
・新野は実務能力に秀でているがゆえに、何事も人任せにできないところがあった。支店長と部長の任免は合併条件のなかで役
員会の合意をと取り付けることになっていたが、社員の任免、証書類の保管管理、掛金の受入れ、そして伝票の引き合わせに
至るまで、社長自らが行った。支店長の給付貸付金額は 1,000 円以下に抑え、支店自体に経営に関わる大きな権限は持たせな
いようにし、手許準備金を極度に絞り、資金は本店に集中させた。また、資金の運用は公債を第一にし、次に国策会社の社債
と株式へ投資するという極めて手堅いやり方に徹した。
◆戦後経済の大波
・本土空襲により本店は消失した。その2日後、新野社長は岩崎長の自宅を仮事務所にして営業を始めた。その 8 月、日本政府
はポツダム宣言を受諾して、15 日に戦争を終えた。
・政府は急激なインフレに対処するため、国民の貯蓄奨励を推進した。10 月 3 日には軍需金融等特別措置法施行令の第 13 条が
改正された。これにより、「無尽会社は主務大臣の認可を受け、預金の受け入れをなし、または、受入れたる預金を担保とし
て貸付をなすこと」が認められた。12 月 1 日からは無尽会社は預金業務に付随して預金担保貸付ができるようになり、業界の
飛躍への途が開かれることになった。
・年が明けた 21 年 2 月、金融緊縮措置令、日本銀行券預入令、緊時財産調査令の 3 つの法令で政府は高進するインフレを強力
に抑え込む対策をとった。3 月 2 日までに日本銀行券を金融機関に預入させ、新日本銀行券である「新円」と等価交換させた。
その際、世帯員一人当たりの新円の引換額を 100 円までとし、残りは全て預金として封鎖した。
・無尽会社の扱う無尽掛金や無尽給付金も封鎖の対象となり、無尽会社の経営は一旦苦しくなったが、大蔵省は相互金融である
無尽業の特殊性に鑑み、4 月から新円無尽の取り扱いを認めた。新円無尽の給付に何の制限も無くなったので、新円の給付を
目当てにした無尽加入者が急増した。
・しかし、新野社長は時代の大きな変化に対応できないでいた。戦争は終結し、民主主義の国家になったことは理解できるもの
の、気持ちはまだ戦前のままである。役員等の言うことは一切耳を貸さず、堅実だが独善的な経営に固執し、積極的な事業展
開をしようとしない。各支社からは新野社長の退陣を迫る声が強く上がるようになった。
・みんなの一致した意見は、「新野社長の功績は大であるが、この際組合の要求を入れ、一旦社長を退任し、会長に退いてもら
う」というものであった。高田周蔵は、「自分たち役員にも責任がある。役員はみんな一蓮托生で辞任すべき」と主張し、辞
任をあくまで拒否する石田専務と対立した。
・文野は北宇和郡広見町にある高橋作一郎の実家を訪ね、社長就任を要請した。高橋は終戦直前の 7 月で西条市長を満期退任し
ていた。4 月 30 日の定時株主総会と、5 月 17 日の臨時株主総会を経て、新野が引き続き社長に留任し、高橋が取締役会長に
就任することが決まった。また、高田と文野は取締役を辞任し、代わって村上潔、岡善恵、清水要が新しく取締役になった。
・「和」を大事にする高橋が会長に座ることで、組合と新野社長との対立は解消され、支店長の権限も大きくなり、愛媛無尽は
時代も味方して業績を伸ばした。
・しかし、2 年ばかり経った 23 年 3 月、社員の定年制を強行しようとした新野社長と経営陣の間で再び対立が生じた。規程では、
八幡浜支店長が 3 月末で退職になる。この支店長は農地改革で土地を没収され家族と支店の 2 階に住んでいた。高橋も他の役
員も、半年か 1 年の猶予の時間を与えてやるように主張したが、新野は「規程通りにすべきだ」と譲らず、孤立した新野は自
ら社長を辞任し会社を去った。
・5 月 8 日に定時株主総会が開催され、空席になった社長に高橋作一郎が就任した。会社の将来を託す逸材として高田周蔵は再
び常務に返り咲いた。
◆躍進と規模の拡大
・昭和 22 年 5 月、末広町の焼け跡に本店の新社屋が完成した。21 年 4 月から取り扱いが始まった新円無尽目当ての中小事業主
の顧客の増加は、愛媛無尽の業績を着実に押し上げていた。新野が社長を辞任すると、高橋は直ちに積極的な経営に転換した。
・この年の 11 月、愛媛無尽は初めて大蔵省銀行局の検査を受けた。結果、書類整備の不備という事務的なことの他に、掛金の
未収が滞っていることが問題視された。もう一つは、銀行と同様に預貯金の取り扱いができるようになったにも拘わらず、金
融機関として預貯金が少なすぎるという問題が指摘された。
・無尽会社に見做無尽(みなしむじん)の取り扱いが認められたのは、翌 24 年 5 月のことである。無尽会社に銀行の機能も与
えるもの。見做無尽は、これまでの無尽とは違い団や組をつくることがないので、契約者はいつでも誰でも自由に加入できた。
また、給付はこれまでのように抽選によるものではなく、無尽の総回数が半ばを超すと契約者と会社双方の合意によって任意
に受け取ることができるようになった。これは事実上、普通銀行の受信及び与信業務に近く、異なるところは契約期間、金額、
利回りに一定の制限があり、払込みが日掛方式だったことである。見做無尽は無尽会社に驚異的な発展をもたらした。愛媛無
尽についてみると、預金高と貸付金を昭和 20 年と比較すると、25 年には預金高で 46.6 倍、貸付金に至っては 115.9 倍に激増
している。
・この飛躍の 25 年は、大蔵省の勧奨によて松山市内に本店を置く伊予殖産無尽㈱を愛媛無尽が買収した年でもある。またこの
年、朝鮮戦争にともなう特需景気にも後押しされ、業務の拡張も盛んだった。
・ところで、政府は戦後間もなく中小企業専門の金融機関として、これまで法律的に不備が多かった無尽会社の改革に乗り出し
「銀行以外には預金業務を認めない」というGHQの意向を考慮した
ていた。昭和 24 年 6 月、政府は地方銀行業界の意見と、
「銀行法改正草案」を作成した。これは無尽業界にとっては死活問題である。業界ではこの草案の動きを阻止し、無尽会社を
銀行に昇格させるため「無尽銀行法」の立法化を目指す運動を全国的に展開した。
・しかし、地方銀行協会の反対やGHQの理解を得ることが難航し困難な情勢であった。そこで無尽業界は議員立法による「相
互銀行法」の成立を目指して運動を強めてゆくことになった。25 年 11 月に開かれた全国無尽協会の役員会および定時評議会
に招かれた池田勇人大蔵大臣は、中小企業を相手にするような銀行をつくることに努力してきたが、既存の銀行には期待でき
ない状況であることを指摘したうえで、相互銀行法案について前向きに取り組む意向を示した。こうして「相互銀行法案」は
昭和 26 年 5 月 8 日に可決され、6 月 5 日に公布、即日施行となった。
・愛媛無尽では年明けから相互銀行への転換に備え、銀行業務上の準備を始めた。大蔵省銀行局へ申請していた当座預金取扱に
伴う業務方法書一部変更の認可がおりたのは 8 月 24 日。相互銀行営業免許に関する内免許が交付されたのは 9 月 21 日。こう
して昭和 26 年 10 月 20 日付をもって愛媛無尽株式会社は相互銀行への転換が許可され、同日、株式会社愛媛相互銀行が発足
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した。この日までに相互銀行の免許を受けた全国の無尽会社は 58 社であった。
第 2 部 殻を破る挑戦
≪第 1 章 創業以来の危機をのりこえて≫
第 1 節 順風をうけて躍進
◆目覚ましい成長
・高橋作一郎が愛媛無尽の社長に就いた昭和 23 年 4 月当時、資金量 1 億 6,000 万円、貸出金 1 億 2,000 万円、社員 270 名だっ
た無尽会社は 5 年後のこの年、資金量 43 億円、貸出金 39 億 5,000 万円、従業員数 745 名を擁する相互銀行へと躍進した。
店舗数はわずか 5 年間で、14 から 42 へ 3 倍に急増している。各支店を統括できる経験豊かな人材が不足した。高橋は旧陸軍
の将校だった者や都市部に本拠を置く金融機関の松山支店の幹部、学校の管理職、それに地元新聞社などから有能な人物を探
しだし、幹部行員としてどんどん入行させこの難題に対処している。
・また、彼らの中で事務に明るい者を中心に、無尽時代から整備が急がれていた事務処理規程を作成させた。「成規要覧」と題
する規程集ができあがった。これは全国の相銀に先駆けた取り組みだったので、大蔵省の担当役人はこの規程集を他行指導の
参考にした、と伝えられている。
◆当行の社会的な責務
・警察署長、町長、市長という公職を長らく経験してきた高橋には、「銀行経営は社会の各層に密着し、大衆の中に溶け込み、
社会とともに生き、ともに繁栄するものでなければならない」という公への奉仕の精神が根強くある。高橋は高金利で複雑な
相互掛金表を改善させ、昭和 30 年 4 月に全国の相銀では最初の逓減式を採用した。当行の残債式は、取引先の利益を優先し、
相互掛金契約に加入すると同時に給付(貸出)を行うというもので、顧客とともに発展していこうという経営理念が明確に打
ち出されていた。
◆経営基盤の確立
・いざなぎ景気のただ中の昭和 43 年 4 月、高橋作一郎は、社長を高田周蔵専務へ禅譲し、自らは会長に就いた。高田は、高橋
が愛媛無尽時代から常に身近に置き、経営と「人間」を学ばせてきた秘蔵つ子の後継者である。期待に違わず高田が経営の陣
頭に立つようになってからも、当行の経営は成長を続ける日本経済に呼応して順調だった。
・44 年 8 月には末広町支店を鉄筋コンクリート 5 階建てビルに新築、3 階∼5 階までが事務センターなった。翌年 5 月にはここ
にコンピューターが導入され、2 年後の 47 年 10 月には四国の金融機関としては初めて松山市内支店預金のオンラインが開始
された。46 年 4 月 1 日には当行の株式を大阪証券取引所第 2 部に上場した。株式上場は四国の相互銀行では初めてのことで
あった。
◆公金に強い銀行
・当行が地域社会に貢献していくために、「公金業務」に強い銀行に成長することが重要な目標とするようになった。昭和 41
年に当行は松山市出納代理金融機関に指定され、47 年には松山市公営企業局出納取扱金融機関となった。40 年代に「水と病
院はひめぎん」の合言葉で取引を深めてきた努力が実を結んだのである。
・本丸の県については当初、「たとえ下請の立場であっても地域の金融機関として、地域が困っていることについてはトコトン
お手伝いしよう」というスタンスで取り組んだ。白石県政において、4 事業の出納を当行に取り扱いさせることについて伊予
銀行と協議を重ねた。この結果、伊予銀行は引き続き電気事業を担当し、残りの 3 事業については当行も取り扱うことができ
るようになった。
・また、当行は白石の地盤である愛媛県信用農業協同組合連合会とともに愛媛県指定代理金融機関に指定された。これによって
当行は県内の自治体との取引が自由にできるようになり、「公金に強い銀行」としての基盤が確立した。
◆金融行政の変化
・昭和 56 年の新春、高田は 13 年間に亘って務めてきた社長の座を退く肚(はら)を固めた。やり残したことは多々あった。業
界全体の立場からいうと、相互銀行を新しく生まれ変わらせることは長年の悲願でもあった。普通銀行への転換は困難なので、
せめて「相互」の 2 文字だけでも取り除きたい、というのが業界一致の希望であった。
・銀行法と外為法の改正で金融行政のあり方も大きく変わりはじめていた。国際化と国債の大量発行にともなう金融構造の変化
などで従前の過保護的な行政は後退し、業界は自由化の大波に曝されている。このままだと業界再編の動きは避けられず、都
銀、地銀、相銀、信金の各業界の中で、最も立場が弱く再編の嵐にも揉まれることになるのは相銀に違いなかった。
◆自由競争の時代へ
・高田に後継指名されたのは宮武隆専務。宮武は、松山の地元の新聞社に勤務していたところ、高橋から声をかけられ 26 年 1
月に愛媛無尽に入社した。高橋の命を受け、残債式掛金制度を作り上げた。
◆勝ち残る戦略
・宮武は、
「当行が生き残るためには、地域に生きて、地域になくてはならない銀行になることである」
「ふるさとの発展に役立
つ銀行にならなければ当行は生き残れない」と考えた。
・また、ふるさとの銀行に徹するため、時代に即応して宮武が重要視したのが情報である。「銀行が持つ情報も地域や顧客に積
極的に伝え、地域社会と一体となって発展していく具体的な取り組みを展開しなければならない」と宮武は考えた。
・更なる飛躍を期するため、内外ともに知名度をあげてゆく必要があり、宮武は 1 年前から東証 1 部へ当行株式を上場する準備
を常務に命じていた。そして、度重なるヒアリングを無事パスして、当行株式は 60 年 12 月 2 日に東京証券取引所第 1 部へ上
場された。
◆相銀から普銀へ
・制度問題研究会はおよそ 2 年間にわたる審議を経て 62 年 12 月、相互銀行協会の長年の主張をほぼ全面的に認める報告書を金
融制度調査会へ提出した。この中で、「相互銀行を普通銀行化し、普通銀行と資金の調達・運用面、国際業務面、証券業務面
において、公正な競争を行うことができるよう環境の整備を図らなければならない」とした。
・当行は「普通銀行転換内認可申請書」を大蔵省へ提出。当行を含め一斉転換を希望した 52 行に対して大蔵省が許可書を手渡し
たのは平成元年 1 月 25 日。翌 2 月 1 日、当行は愛媛銀行として新しくスタートし、宮武社長は初代の頭取になった。普銀転換
にあたって確立された経営の二つの大きな幹は、「ふるさと銀行」と「学習銀行」であった。「学習銀行」は資格制度、専門職
制度、能力開発体系などを導入し、行員のスキルアップと自己啓発を促すとともに、普銀にふさわしい企業風土づくりを目指
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すものであった。
第 2 節 厳しい時代の到来
◆日本経済の曲がり角
・平成 2 年 4 月 1 日、宮武は専務の森信義を後任の頭取に指名し、自らは会長に就いた。新しく頭取になった森は昭和 4 年 8
月生まれの 60 歳。出身は温泉郡川内町。森には銀行経営に大変な時代が来る予感があったものの、外部環境の激変は予想を
超えることになる。森の頭取就任から 1 年後に、いわゆる「失われた 20 年」が始まる。
・既に平成 2 年前後から、日本経済は大きな曲がり角に差し掛かっていた。低金利と金融緩和を背景とするバブル経済の発生と
その資産効果で、内需を中心に景気はなお活況を呈していたものの、日銀は景気過熱にともなうインフレを懸念して、平成元
年 5 月から金融の引き締めに転じていた。公定歩合は階段を上がるように引き上げられ、2 年 8 月には 6.0%にまで上昇した。
◆量から質へ
・厳しい時代が目前に迫った平成 2 年 4 月の支店長会議で、森は「自分がやらなければならないことは、第 6 次中期経営計画を
達成して、新時代に対応できる愛媛銀行の基盤をしっかり作り上げることだ」と抱負を語った。外に向かっての「ふるさと銀
行」、内に向かっての「学習銀行」の具体化に取り組む。そのための重点方針として、
「資産の健全性の確保、収益力の強化、
各種リスク管理体制の確立と管理能力の向上を具体的に進めていく」、と訓示した。
・しかし業績は不振に陥り、改善の気配がなく 1 年が過ぎた。森は第二地銀と地銀の決算実績をつぶさに分析し、以前から懸念
していたことを具体的な数値で確認した。金融自由化の時代になって、当行の創業から続く伝統的な経営方針が、収益体質を
弱める大きな要因となっていた。無尽の精神そのままに、「まずお客様に繁栄してもらい、そのおかげで銀行が育つ」という
のは良き時代の理想であるが、金融の垣根がなくなった自由競争下ではそうは言っておれないのである。当行は他行に比べて
貸出利回りは低く、預金利回りは高い。この高コスト低収益の伝統的な体質を改善しないかぎり、収益力は強化できないので
あった。
・平成 3 年 8 月の当行の貸出利回りは平均 7.834%、第二地銀の平均が 8.079%であるから平均より 0.245%低く、順位は低い方
から 8 番目で、四国地区の第二地銀の中では最下位である。
・こうした事情に加えてBIS規制の問題があった。BIS規制とは、銀行の自己資本比率に関する国際統一基準で、海外に営
業拠点のある日本の銀行では、平成 4 年末以降は 8%以上であることが求められていた。2 年 4 月に香港駐在員事務所を開設
した当行は、この 8%の基準をクリアしておく必要があった。
・当行も質への転換が順調に進んでいることに森は明るい見通しを持った。しかしその一方、気がかりなこともあった。リスク
管理債権が年ごとに増加し続けているのである。不良債権の中でも「破綻先債権」の割合が多くなり、毀損処理しなければな
らない額が年々増加する傾向にあった。
◆厳しい環境が続く
・平成 5 年は金融改革元年ともいわれる。4 月 1 日に金融制度改革法が施行され、金融機関は業態別子会社方式で他の業態へお
互いに参入できることになった。当行は、住友信託銀行の代理店の許可を大蔵省から受け、9 月 1 日から信託業務の取り扱い
を始めた。
・翌 6 年 4 月、森は従来からの検討課題であった TQC を推進するようすべての部署と支店に指示した。商品・サービス・仕事
などの質の管理や改善を行うことを通して、サークル仲間の相互啓発と人間性を高めていくことが狙いである。
・一方、バブル崩壊後、不良債権をかかえ苦しんでいる銀行同士の合併や、地元の東邦相互銀行の伊予銀行による吸収合併など、
生き残りをかけた金融機関の再編が始まっていた。
◆変化が当たり前
・日本経済はゼロ成長時代に入っていた。公定歩合は平成 7 年には 2 度にわたって引き下げられ、0.50%と史上最低水準を更新
した。
・当行の第 7 次中期経営計画を総括すると、3 年間で預金と貸出の伸び率は約 7%と 9%で、それぞれ目標額は下回ったものの、
質の改善効果で、平成 7 年度末の業務純益は目標の 85 億円を超えて 97 億円になり、12 億円の超過であった。
・第 8 次中期経営計画の策定に当たり、当行は「変革を迫る経営環境の変化」に関わる事項を 10 項目挙げて検証した。1.業務
の自由化、2.金融制度改革、3.金融行政の転換、4.自己資本比率、5.金融システム破綻リスク、6.景気動向、7.市場構造の変化、
8.雇用慣行の変化、9.ふるさととの共生、10.不確実性の高まり。
◆揺らぐ信頼の中で
・平成 9 年、戦後の成長を支えてきた日本経済の様々な神話が崩壊し、金融界だけではなく、政治、社会、企業全般に対する信
頼が揺らいでいた。日産生命保険相互会社は経営破綻に追い込まれ、日産生命と提携ローンを組んでいた当行では、森の断固
とした指示のもと、お客様の立場になって親身に相談に乗った。さらに 11 月には北海道拓殖銀行が都銀では初めて経営破綻
に追い込まれた。また、金融界で総会屋への巨額な利益供与事件が明るみになった。
・全銀協は、企業倫理の再構築、コーポレート・ガバナンスの充実、コンプライアンス・プログラムの確立、反社会的勢力への
対応、ディスクロージャーの充実の 5 項目からなる「銀行の社会的責任とコンプライアンス」について検討し、銀行とその役
職員が銘記しておくべき「倫理憲章」を決定し、社会からの信頼の確立に努めることになった。支店長会議において、森は「倫
理憲章」の精神の遵守を切々と説き、銀行の経営トップ自らが率先垂範し、かつすべての役職員がその意義を十分に理解して
実践することを求めた。
・銀行間はいうに及ばす、業態を越えた企業間競争はますます厳しさを増していた。これからはグローバル化とユニバーサル化
を同時に進める巨大金融機関か、もしくは専門分野または地域に特化とした金融機関しか生き残ってゆけない時代になる。当
行の目指す銀行像は、地域の中小企業や個人にマーケットを特化した「ふるさと銀行」に他ならない。地域とともに発展して
ゆくことが当行の正道である。そのために一人ひとりが学習を深め能力を向上させることによってお客様満足度と生産性を高
めること、さらに何よりもマスコミなどが提供する華やかな情報には惑わされず、相互に牽制の働く組織とルールの守られる
企業風土を作ることで、金融界再編の暴風雨にも耐えられる「たくましい銀行」作りをしなければならない、と森は訓示した。
◆金融ビッグバン
・平成 10 年 3 月の取締役会で、会長に森、後継の頭取に専務の一色哲昭、新しい専務に中山紘治郎の就任が決まり、日本版の
いわゆる「金融ビッグバン」の始まった 4 月 1 日、当行の新体制もスタートした。頭取に就任した一色は昭和 10 年 10 月、
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周桑郡小松町に生まれた。昭和 35 年 4 月に当行に入行。一色は、
「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」(孟
子)を座右の銘としており、どんな立派な戦略や戦術があっても、人の和が崩れては戦に勝てない、と経営の基本に置いた。
・一色は頭取就任後の初めての支店長会議で、「全員が一枚岩となり、同じ考え方をもち、同じ方向を向いて、目的の達成のた
めに進んでいくことが、このビッグバンに勝ち残っていく一番の道だ」と述べ、各支店と本店が人の和でしっかりと結ばれた
銀行にならないといけないと説いた。そして、銀行業務が広範囲に多様化し、かつ高度に専門化していく中では、証券、損保、
年金などの幅広い知識を身に着け、業務の専門性も高めないとビッグバンの中で生き残ることはできない、と支店長が率先垂
範して学習し部下を教育するよう督励した。
・一色体制と同時に始まったビッグバンは、日本の金融市場の国際的な信認の復活と活性化のために、金融制度を抜本的に改革
しようとするものであったが、このためには特にコンプライアンスの充実と強化が不可欠であった。そこで金融機関には、従
来にも増して倫理的な価値基準に基づく経営判断が求められることになり、銀行に対しては経営の健全性を確保するため、行
政当局の監督手法として早期是正措置制度が導入された。経営が悪化している銀行には、自己責任で健全化計画を経営に積極
的に組み入れ、経営基盤を強化させようという狙いである。具体的には、自己資本比率の低い銀行に対して、その比率に応じ、
三段階の是正措置を行政当局が発動し、経営の改善を促すことになった。海外に営業拠点を有しない銀行は「修正国内基準」
が適用され、自己資本比率が 4%以上が健全な銀行と見做される。
・自己資本比率の算出は正確でなければならない。したがって決算時の償却・引当を算出する自己査定は公正かつ適正であるこ
とが求められる。そこで行政当局は自己査定に関して厳しい基準を設けた。銀行が保有する貸出金、有価証券、外国為替、支
払承諾などの資産を、回収の危険性や損失度により、Ⅰ分類(非分類)からⅣ分類までの 4 段階に判定し、さらに債務の信用
度に基づき、債務者区分を「正常先」
「要注意先」
「破綻懸念先」
「実質破綻先」
「破綻先」まで 5 段階に区別したうえで、債務
者区分と分類額に応じて償却・引当を行うものである。
・平成 10 年度下期の支店長会議で、一色は日本経済の所得、消費、生産が負のスパイラル下にある中、愛媛県内の地場産業も
きわめて苦しい状況に立ち入っているため、このような時こそ第 8 次中期経営計画の推進テーマであるCS(お客様満足度)
を率先して実践することが肝要である、と支店長を激励した。そして会議の最後に、数字をあげて不良債権問題を取り上げた。
不良債権が多数発生するようになり、それも累積額が年ごとに増加していることが気掛かりだった。一色は、破綻懸念先や破
綻先への訪問の頻度を増やし、債務者にしっかり寄り添い親身になって素早い対応をするように命じた。
◆順調だった第 9 次中計
・平成 11 年 4 月、
「お客様に信頼され、選ばれる銀行を目指して」を推進テーマに第 9 次中期経営計画がスタートした。基本方
「整理・淘汰という厳しい時代を乗り
針は、健全性の確保、収益性の向上、質の高い経営体制の整備の 3 点である。一色は、
切り、当行が生き残っていくためには、コンプライアンス体制の確立とディスクロージャーの充実を図り、自己責任原則のも
と今まで以上に健全・堅実経営に徹し、安定した収益基盤を確保してゆくことが極めて重要となります」と呼びかけた。
・先行きを楽観している経営者は無かった。一色は、このような時こそ、お客様との信頼の絆を一層強くし、お客様に一番頼り
にされる銀行でなければならない、という思いを強くした。
「私たち愛媛銀行は金融機関としての業務の健全かつ適切な運営を期すため、たゆまない
・平成 11 年度下期の支店長会議では、
自主的な努力を重ねるとともに、銀行業務の公共性に鑑み、その社会的使命を果たすため、役職員全員が法令順守の姿勢をこ
こに再認識し、この着実な実行を宣言する」とコンプライアンス宣言を行った。
◆負の処理 873 億円
・ペイオフの全面解禁を 1 年後に控えて、金融機関の再編成がものすごい勢いで進んでいた。平成 13 年 5 月、一色は第二地方
銀行協会の会長に就任した。金融界の不良債権問題に厳しい認識を示した。一色は、当行の銀行経営上のリスクを 6 点洗い出
し、不良債権の思い切った処理に備えることになった。1.貸出資産の大口化リスク、2.預金面のリスク、3.有価証券保有リス
ク、4.流動性リスク、5.システムリスク、6.不祥事のリスク。
・平成 15 年の見通しでは、リスク管理債権総額は 1,000 億円を超えることが確実であった。このまま放置しておけば、不良債
権はさらに上積みされてゆく惧れが目に見えていた。赤字決算をしてでも、溜りにたまった膿を出さなければならない時にき
ていた。当行は企業支援室の人員を強化し、債権回収に全力を尽くす態勢を整えたうえで、14 年度決算において一般貸倒引
当金繰入額 26 億 900 万円、不良債権処理損失 270 億 1,200 万円、さらに株式関係損失 102 億 2,700 万円の合計 398 億 4,800
万円を計上したため、289 億 3,000 万円の経常損失を出した。当期損失は 187 億 7,420 万円となった。
・1 年後の平成 16 年 4 月、一色は 3 期 6 年間務めた頭取を専務の中山へ引き継ぎ、自らは会長に就いた。一色の 6 年間は、バ
ブル経済崩壊に始まる日本経済の長期不況下で断行された金融ビッグバンの時期と重なり、銀行の経営者としては安眠の許さ
れない苦難ばかりが続く日であった。
第 3 節 公共性と収益力向上
◆あとはよろしく頼むぞ
「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という強い信念のもと、聖域のない構造
・平成 13 年 4 月に誕生した小泉内閣は、
改革を強力に推し進めた。翌年 2 月、景気は底を脱し、69 か月におよぶ緩やかな景気回復の基調が続くこととなった。県内
経済は、9 年度からマイナスに転じた県民所得の伸び率は、12 年度に一旦プラスになるものの、13 と 14 年度もマイナスにな
った。そして 15 年度からわずかにプラスに転じた。
・当行の低迷の一因を、深刻なデフレ経済に求めることに異論はないが、それだけでは済まされない経営上の問題もあったと推
測される。当行のここ 14 年間の伸び率は異常に低い。16 年 3 月に終了した第 10 次中期経営計画の 3 年間、経営陣は 600 億
円以上の貸出金引当償却と有価証券等の減損処理に直面していた。
・次期頭取候補の筆頭にいた中山は、経営の先行きに重き垂れこめた暗雲をはらうために模索する日々が続いた。中山氏は県内
の政財界の要人と会い、「改革を断行できる人物は中山だ」と明言されていた。
◆つちかった信頼
・16 年 2 月 27 日の取締役会で、第 11 次中期経営計画がスタートする 4 月 1 日から中山紘次郎が頭取に就任し、一色は会長に
なることが決まった。中山は無尽時代から数えると 7 代目の経営トップになる。松山商科大学の出身者としては、宮武から連
続して 4 人目の頭取だった。
・昭和 40 年 4 月に入行した中山は、郷里の宇和島支店を皮切りに、組合専従、大阪支店、本店審査部を経て 39 歳で本町支店
104−109
長になった。それから伊予三島、広島、東京で支店長を務めた後、平成 2 年 6 月に取締役に就任し、銀行経営に携わることに
なる。
◆原点に帰れ
・頭取に就任した中山の第一声は、「今までやってきた事を今まで通りのやり方でやっていてはダメだ。変化の激しい困難な環
境の中にあるからこそ、銀行経営の原点に立ち返ってじっくり考える。銀行は何のために存在しているのか、社会に対してど
のように役立っているのか、銀行の利益の源泉は何か。この原点を忘れてはならない」であった。
・中山は、「いま当行に求められているのは、コンプライアンス態勢を整備する一方で、自己資本比率等財務の健全性を高めて
効率的な経営を行うことであり、そのためにリスクマネジメント能力を高めて二度と大きなロスを出さないこと、コストを下
げる工夫をしてコスト競争力をつけてゆくことを徹底しなければならない」と述べた。
・初めて臨む 4 月当初の支店長会議では、中山はまず意思決定を速やかにすることを求めた。つぎに、専務時代からずっと懸念
していたことに思い切って言及した。不祥事のことである。出納事故と不祥事件はあってはならないが、どこの金融機関も遺
憾ながら完全に断ち切ることはできないでいる。加えて、企業のモラルハザードが問題となったバブル経済を契機に、全国的
にも行員による事故や事件は漸増し、恒常化している傾向があった。当行の不祥事件の場合も殆どの事案が第一号に該当する
預金の着服、詐欺、それに有印私文書偽造等であった。
・中山は、「金融庁からミスや不祥事件が若干多いのではないか、と注意を促されたことについては、私自身責任を痛感してお
ります。事故や不祥事件から部下を守ってやるために、支店内部でのチェックはもとより、支店相互での牽制機能を充実させ
てゆかなければならない。また常日頃からもっと部下を大事にし、部下をよく知ることで事件や事故は防げるはずだと思いま
す」と述べた。創業者精神「お客様を第一に、社員を大事にすることが繁盛の元である」。支店の運営には血が通い合うよう
な濃い人間関係が求められる。中山は部下を家族同様に大事にすることを改めて説いた。
◆業務改善命令
・中山は頭取に就くと直ちに本部の監査機能を強化し、各店においては管理システムを遺漏なく働かせるように通達した。
・支店長会議から 10 日経った 4 月 15 日、不祥事件が発覚した。中山は、監査を厳しくすれば不祥事が露見することもあると考
えた。
(あってはならないことであるが)
・一般的に事件を起こす行員は多重債務者である場合が多く、当行も例外ではない。「借金をしている行員の中から不祥事件を
起こす者が出る」というのが、銀行経営者が密かに心得なければならない人事管理の基本的な認識である。
・役員がまず範を示すことが急務である。どんどん営業店へ出向き、諸々の具体的な事例に基づいて細部にわたって指導するよ
う、役員に命じた。
「子が悪いのは親が悪い。行員が不祥事件を起こすのは上司が、ひいては役員が、頭取が悪いからである。
私自信が全面的に前に出て、事件防止に向け徹底的にやる。妥協はしない。事件から行員を守るため頭取以下全員で必死に取
り組みたい」と中山は決意を語った。
・平成 16 年 8 月 6 日、当行は四国財務局から法令等遵守に係る経営姿勢の明確化を柱とした業務改善命令を受けた。中山は直
ちに全役職員へ内部管理態勢の充実・強化を経営の最重要課題ととし取り組むことを改めて文書で通達し、経営責任者として
次のように要望した。「二つのことを徹底してもらいたい。まず、人格を磨き自らを高めて、節度ある人間を目指すこと。次
に職業人として、愛媛銀行の行員として、自分に与えられた職責を全うすること。特に各支店長と各部長は、各店・各部の法
令等遵守上の任務を十分理解のうえ、その機能発揮に全力を尽くすこと」
。
◆問題の背景と刷新
・コンプライアンス委員会で、それぞれの不祥事件について綿密に調査が行われた。不祥事件に共通していることは、バブル時
代の浪費癖や贅沢が習い性になり、収入に見合わない高級車、マンション、住宅を購入していたことである。
・委員会では、全役職員が気持ちを新たにし、人間の在り方・生き方についての学習に取り組むことにした。人づくりこそ経営
の要諦である。経営資源を行員の人格の向上と魅力ある人づくりに惜しみなく投資することになった。
・平成 16 年 10 月の支店長会議において、中山は、不良債権問題にも不祥事件にも共通する原因は、他人のことには無関心で自
分さえよければ、という自己中心的な考えにあることを明らかにした。部下に胸を貸し、正すべき時は即座に納得するまでト
コトン教え正さなければならないが、部下にもどんどん自己主張させることが大切である。同僚や上司に対しても気づいたこ
とがあればその場で直言できる行風を作っていかなければならない、と支店長全員を厳しく説得した。そして、これからの人
事評価について、業績、人格、見識に加えて自己主張できることを重視することを明言し、これからは女性の活用にも積極的
に取り組むため、組織全体の見直しを行うことを下達した。
・孔子は「帥いるに正を以てす。其の身正しければ、令せずして行はる。其の身正しからざれば、令すと雖も従はず」と言って
いるが、中山は経営トップとして当然ながら、先んじて「その身を正す」ことを実践した。
第 4 節 健全性の強化と信頼回復
◆風通しをよくしろ
・18 年 3 月、再び不祥事件が発覚した。前回の最後の不祥事件から 1 年半が経っていた。当行は 3 月末に松山財務事務所へ事件
の報告をし、警察への届出を終えると、中山と担当常務が記者会見をして、お客様をはじめ社会全体に対してお詫びをした。
地元のテレビ局は夕方のニュースで事件を報じた。
・ところが、3 日後の 4 月 5 日に再び不祥事件が発覚した。業務改善命令を受けて3か月に 1 回、改善計画の実行状況を記した
分厚い文書を四国財務局へ提出し指導を仰いでいる最中であった。財務局への報告と警察への届出をすませ、中山は前回と同
様に記者会見をして自ら矢面に立った。翌朝の新聞各社は「またも着服発覚」の見出しが躍った。
・平成 18 年 6 月 8 日、当行は四国財務局から 2 度目の業務改善命令を受けた。すでに業務改善命令下であるのに当行は依然と
して内部管理態勢に重大な問題がある、というのが当局の認識であった。
・平成 24 年 7 月、中山は会長となって経営の一線から退き、中山改革を支え推進した本田元広が頭取に就任した。本田頭取は
中山時代の改革改善を積極的に承継し、かつ創業 100 周年を迎える当行の新たな行風作りに取り組んでいる最中である。
◆ブランド力を高めよ
・不祥事件への対応に追われる中であったが、このような時こそ、当行のお客様が何を考え、何を望んでいるのか、その率直な
声をしっかりと把握し、それを踏まえて業務の改善や新しい商品・サービスの開発を推進しなければならない、ということで
役員の思いは一致していた。そこで、平成 17 年 8 月から 11 月まで、当行の顧客 1 万人と法人 3 千を対象にした「お客様アン
105−109
ケート」を実施した。
・アンケート・意識調査の結果、お客様と当行との関係では意外な事実が浮き彫りになった。当行の業績が上がるほど、お客様
ロイヤリティは低くなっていたのである。原因はお客様ニーズに合わない目標を達成することで業績を上げている支店が多い
ことにあった。また、業績を上げている支店ほど、従業員のジョブロイヤリティは下がっており、このことは業績を上げるた
めに無理をし、結果的に従業員のジョブロイヤリティを低下させている可能性が指摘された。さらに女性の活用という面では、
部店長や役席は男性よりも女性の能力を高く評価していながらも、女性には単純で反復的な作業をさせており、質の高い仕事
を任せていないのが現状であった。
◆BPRの推進
・企業にとって生産性の向上による収益の拡大は普遍的な経営目標である。とりわけバブル経済崩壊の影響で経営体力が弱って
いた当行は、金融ビッグバンの荒波に直面して、業務内容や業務の流れ及び経営の組織構造を分析し、すべての活動を首尾一
貫したお客様志向のビジネスプロセスとして再統合していくことが急務となった。
・中山はまず、BPR を推進するに際して導入する次世代バンキングシステムと当行の経営理念の相関について各部署から考え
や意見を求め、役員会で次のように決めた。
※経営理念=「ふるさとの発展に役立つ銀行」
「たくましく発展する銀行」「働きがいのある銀行」
・中山はBPR推進会議とその下に 7 つ部門からなる業務BPR検討委員会を組織し、次世代バンキングシステムを構築するた
めの検討を命じた。1.経営計画・リスク管理面、2.店舗政策面、3.営業店後方レスと集中化、4.営業推進面、5.融資審査面、
6.外為・証券面、7.人事制度面。
◆ロイヤルティの向上と業績の改善
・平成 18 年 4 月からスタートした第 12 次中期経営計画は、
「地域 No.1の金融サービスの提供」という経営指針を実現するた
め、「お客様に最初に相談される銀行」というブランドイメージの確立を目指すものであった。お客様と従業員がそれぞれと
もにロイヤルティを高め、当行としても組織のガバナンスを強化し、ブランドイメージを確かなものにしようという狙いであ
る。
・ジョブロイヤリティの追求について、中山が特に力を入れたのは女性行員の活用である。女性行員の意見を商品開発や店舗の
運営に活かし、また積極的に役席に登用することで女性行員の働きがいをいっそう高めることにした。若手中堅行員のスキル
向上と、専門性を高めるために公募制職務の導入に踏み切ったことも特筆できる。
・ガバナンスについては、本部のスリム化・フラット化とブロック運営態勢を強化し、課題となっていた意思決定のスピード化
を図った。そしてお客様の声を経営にいっそう活かしていくため、コンプライアンスとリスク管理の態勢を強化した。
・改革改善の成果が業績に現れはじめたのは、18 年度からである。19 年 3 月の決算では、コア業務純益が 135 億円となり過去
最高の利益を計上した。コスト意識が徹底し、金融を取り巻く外部環境も良くなっていた。この好業績はこれまで不良債権や
不祥事件に悩まされてきた当行にとって、やっと嵐が去ったという思い一入であった。
・20 年代に入ると、中山は地域社会への貢献という経営姿勢を明確に打ち出し、20 年度上期の支店長会議で「CSR宣言」を
行い、次のように訓示した。「無尽の精神というのは思いやりで、目的は相互扶助、共存共栄です。お客様を第一に、社員を
大切にすることが繁盛の基本であるという創業者精神は、すべて無尽の精神からきています。従業員は家族です。株主様も地
域社会のお客様も家族です。創業者から私に至るまで大家族主義というこの思想、哲学、規範は継続しており、今後も変える
ことはありません。
」
・当行は 21 年度から 23 年度までの 3 年間を期間とした第 13 次中期経営計画を策定した。中山はその際、当行の経営理念の根
幹をなしている「無尽の精神」と「創業者精神」を経営計画の礎とするよう指示し、地域シェアの縮小、信用リスク管理上の
課題、収益力の低下という、第 12 次中計の 3 つの反省点を踏まえ、第 12 次中計の基本方針を継続しながら、主要な施策を
全行あげて実行していくように命じた。
・中山の強いリーダーシップの下、主要計数は目標の数値へ順調に近づいていた。特に大きな目標であった資金量は計画当初の
2 年間で 2,000 億円伸びた。22 年 10 月の支店長会議で、中山は初めて資金量 2 兆円はやればできる目標であると公言した。
・当行は 24 年 3 月に目標通り資金量 2 兆円の大台に乗せた。この年、2 兆円以上の資金量を誇る第二地方銀行は、7 兆円台の
北洋銀行を筆頭に 11 行を数え、当行は資金量で 41 行中の第 11 位となり、日本格付研究所(JCR)でシングルAの格付けを
取得した。当行の業績は著しく改善した。低迷し先行きに陰りが見え始めていた当行は改革に成功し、ふたたび発展の軌道に
入った。
◆創業100周年へ向けて
・24 年 4 月、当行は「創業 100 周年に向けて”殻を破る”新たな挑戦」をスローガンに、第 14 次中期経営計画を策定した。銀行
を取り巻く環境も、Tier1 比率を実質 7.0%へと引き上げるバーゼルⅢや、いわゆる国際会計基準(IFRS)等への対応という
課題が山積していた。そこで当行はこれまでの中経の成果を踏まえ、第 14 次中経では銀行経営の原点に立ち返り、第一に「お
客様サービスの向上」、第二に「リスク管理体制の充実」、第三に「効率経営の追求」という 3 つの基本方針を掲げた。そして
従来からの経営理念のもと、これら 3 つの方針を着実に実行し、引き続き「最初に相談される銀行」という愛媛銀行ブランド
を目指すこととなった。
・24 年 6 月 28 日、株主総会後に開かれた取締役会で、会長に中山紘治郎、頭取に本田元広が選任され、当行の新体制がスター
トした。
・本田は頭取就任のあいさつで、地域金融機関が勝ち残る条件を三つあげた。一つは、自己資本が厚く、不況が来ても赤字にな
らない銀行になること。二つに、預金が増える銀行、預金は信用力の証である。最後に、お客様、株主、そして地域のニーズ
に応えられる銀行であること。この三つの全てが備わっている銀行といわれるよう、総預金 2 兆円を達成した今こそ、もう一
度原点に返り、一歩一歩着実に前進していきたい。
・銀行は、その行員以上でもなければ、それ以下でもない。私たちの人格と能力と情念の水準がそのまま当行の評価となる。当
行の社是でもある「学習銀行」として自己研鑚し、「ふるさと銀行」としての地域貢献にいっそう努め、「行くに径(コミチ)に
よらず」り言葉通り、真正面から正々堂々業務に取り組んでほしい。
≪第 2 章 殻を破れ≫
第 1 節 挑戦するこころ
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◆はるかなゴール
・ここ数年、業績があがらない中で、度重なる訃報と不祥事で行員みんなに精彩がなかった。そこで世間も目を見張るような挑
戦をし、当行の伝統的な行風である野武士的なダイナミズムを復活させたい、と行員の国際ラリーへの参加を福富常務が計画。
エコ部門に銀行の営業バイクで、本店営業部の渉外主任・坂本浩一郎が挑戦することになった。資金は行員からカンパを集め
た。平成 17 年 8 月、西原恒夫と平岡敏幸が同行。結果、坂本は最終ステージでリタイヤすることとなったが、4 つのステージ
を坂本はカブで完走した。主催者のSSERはモンゴルのオリンピック委員会と相談し、特別表彰を贈りそのチャレンジスピ
リットを称えた。
◆まだ見ぬ未来へ
・坂本の無念を晴らそう、と「ひめぎんラリーチャレンジを応援する会」が自然に組織され、前回サポーター役であった平岡が
再チャレンジしたいと名乗りを上げた。次回は小型四輪駆動車も参戦させ、カブのナビゲートと後方支援を行うこととした。
ジープのドライバー・ナビゲーターには営業統括部の月岡純と久米支店の仙波未来。翌年 8 月 7 日にラリーをスタート、16
日に完走を果たした。ウランバートルのゴールにはラリー参加者全員が集まり、銀行マンが 2 年越しで挑戦した夢が実現する
「まだ見ることのできない未来への挑戦こそ
瞬間を祝ってくれた。この 10 日間の挑戦でひめぎんチームが感じ学んだことは、
が明日を拓く」ということであった。
◆自らを高める部活
・<野球部> 戦後も間もない愛媛無尽の時代に発足した当行の軟式野球愛好会は、草野球レベルからみるみる実力をつけ、昭和
26 年 11 月に開催された第 5 回四国地区相互銀行野球大会で優勝した。昭和 30 年には正式に当行の硬式野球部に昇格。昭和
51 年夏の第 47 回都市対抗野球大会では四国代表となり、全国大会で準々決勝にまで進出した。またこの年の秋の第 3 回社会
人野球日本選手権では競合の日本鋼管を破り、
「愛媛相銀」の名を全国に知らしめた。ふるさと愛媛の地域経済が低迷する中、
57 年 2 月に惜しまれながら解散した。
・<陸上部> 開発部次長の中山隆夫は、同僚の篠藤淳一郎を誘って「ひめぎん走友会」を結成し、駅伝に参加することになった。
平成 3 年 4 月、この走友会が「愛媛銀行陸上部」に発展改組された。部員は全員内勤の部署に所属し、仕事を少し早く切り上
げることが許されたので、平日は愛媛大学グランドに集合して駅伝の練習をした。部員たちが優勝の経験を始めて味わったの
は 5 年 11 月に開催された第 7 回佐田岬メロディーライン駅伝競走大会で、以後この大会は 4 連覇を達成し、愛媛銀行陸上部
の名を県下に知らしめることになった。念願の駅伝初優勝は、7 年 1 月の今治-松山コースで争われた大会で、この頃から陸上
部は駅伝の全盛期を迎え、当行は愛媛駅伝の強豪チームとなった。
・<卓球部> 卓球部の誕生は、競技実績のある女子行員がたまたま入行していた、という偶然にも恵まれている。当行には、松
山大学出身で国体メンバーにも選ばれる実力者の塩崎恵理子が入行しており、また、四国学生シングルスを連覇した地元松山
大学の瀬川歌織が内定していることを知り、創部のまたとないチャンスであると考えた。愛媛県が標榜している「スポーツ立
県」に当行も協力したい、と常々考えていた松末支店長の二宮英規は平成 16 年 3 月初旬に「卓球部創設」の稟議書を提出し、
創部した。当行に全国の大会を目指す卓球部が誕生したというニュースは、卓球では本県唯一の実業団チームの創設というこ
ともあって、地元紙に好意的に取り上げられた。現在、新戦力も加わり、全国レベルの大会まで出場して活躍する状況となっ
ている。
・<茶道部> 専務時代、参禅を常とするようになった中山が座右の銘とした言葉に「和敬静寂」がある。千利休の言葉である。
茶道からは学ぶべきことが多い、と考えていた中山は、頭取に就くと行員研修に茶道を取り入れ、礼儀作法や日本の伝統文化
を学ばせることにした。奥ゆかしい人柄がにじみ出るようになることが、茶道研修の意義と目的であり、これからの時代に求
められる行員の資質である、と中山は思った。茶道部の創設は茶道研修と同じ時期である。茶道部の呼称「清楽会」は、22
年 12 月に裏千家御家本から頂いたものである。23 年 10 月には本店 2 階に茶室が造られ、「清楽庵」と名付けられた。
・<ひめぎん音楽部> ひめぎん音楽部「サウンドオアシス」の創設は平成 17 年 6 月である。元々愛媛新聞社音楽部の「フェニ
ックス」に所属していた当行行員が、専属の吹奏楽団を作ろうと提案し、頭取である中山が快諾したのがきっかけであった。
「サウンドオアシス」の主な活動の場は福祉施設が多く、また、愛媛新聞社と合同で歳末に開催される「愛・愛チャリティ」
でのコンサートなどが有名。
・<ひめぎん BASEBALL CLUB> 平成 22 年 6 月、軟式野球チーム「ひめぎん BASEBALL CLUB」が発足した。発足の中心となったの
は飯尾則雄、豊田孝司、一色裕二、忽那繁也の 4 人である。同クラブは行員間のコミュニケーションや健康増進を図るほか、
県内のスポーツ振興の一翼を担うことを目的に活動を行っている。
・<ひめぎんサイクリングクラブ> 愛媛県では、行政が中心となって県内各地を世界的なサイクリングの聖地とすべく、サイク
リングイベントを開催するなど積極的に取り組んでいる。当行でも平成 24 年 12 月にひめぎんサイクリングクラブが創設され
た。各種サイクリングイベントへの参加だけでなく、サイクルスタンドの贈呈や自転車交通安全教室を開催するなどして「ふ
るさと愛媛」に貢献している。
◆二つの歌碑
・研修所駐車場入り口には、表に面して二つのモニュメントがある。テラコッタレリーフと歌碑である。歌碑は楠瀬兵五郎氏の
歌である。
・楠瀬氏は大正 11 年 10 月 28 日、高知県安芸郡井ノ口村の農家に生まれた。昭和 27 年に愛媛相互銀行に入行、山田支店で 17
年もの長い間、支店長を務めた。昭和 32 年には高知アララギを興した歌人でもある。楠瀬氏は、歌人としても銀行員として
も地域の人々から絶大な人望を集めていた。
◆歴史の風格
・当行のテラコッタレリーフ「伊予柑を収穫する男女の像」で、歴史的価値が高い。昭和 27 年、映画館のロマン座から、
「移転
するので跡地を買わないか」と持ちかけられ、大街道と一番町の交差点の物件を購入した。跡地に支店を建築する際に、大成
建設㈱からテラコッタレリーフの提案を受け、伊奈製陶㈱に発注した。手掛けたのは伊奈重孝(59 才)で、常滑を代表する彫
刻家であった。・・・このレリーフは、平成元年の大街道支店の建て替え時に取り外され、伊奈製陶の後継会社であるイナッ
クスに引き取られた。・・・その後、同社の資料館に展示されていたレリーフを、当時専務の池田が買い戻し、現在地に展示
されている。
第 2 節 人を育てる
107−109
◆一緒に働こう
・
「銀行という殻を破らなければ生き残れない」これは中山が抱き続けた問題意識であった。中山は、
「地域とともに生きていく
ための自己変革」こそ最優先事項であるという認識を強い危機感とともに強めた。変革のために、当行の自由闊達で積極果敢
といった伝統的な行風はしっかり守り、若い行員達に「うちの銀行はどんなことでも挑戦させてくれる」という気持ちを持た
せることと、行員として地域の人々と運命をともにするという感覚を持たせること。
・これまでにない発想を生み出すため、中山は新入行員の採用に並々ならぬ力を注いだ。何よりも経営の根幹は優秀な人材の確
保である。また、中山は中途採用にも積極的であった。
◆海から陸へ
・「練習船に乗せて日本海の荒波を体験させる。みんなが船酔いをするぐらいになって初めて弱者や困っている者へ手を差し伸
べ、また自分が介護を受けることで労りや思いやりを実地に学ぶことができる」との考えの下、新入行員研修のカリキュラム
の中に、国立弓削商船高等専門学校の練習船への乗船体験が組み込まれた。
・・・この研修は 23 年 3 月の東日本大震災を契機
に中止された。
・新入行員研修で中山が力を入れたのは、失われていくばかりの「日本人らしさ」を取り戻すことであった。それは当行創業の
理念である無尽の精神に通じるものでもある。1か月間の研修の中に、「裏千家おもてなしの心得」「座禅研修」「石鎚山登山
研修」
「護国神社研修」
「日本の近代史講義」を組み込んだ。
◆職場で輝く
・当行においても、新卒者は一般的に即戦力としてではなく、潜在能力を評価しての採用である。内定の時からの数年間は、新
卒者が国家社会の有為な形成者になるための健全な世界観を育み、一人前の大人としての人間力を培う機関でもあるという認
識に立ち、当行は新卒行員の成長を支援している。
第 3 節 新事業・創業支援
◆地域密着型金融の推進
・平成 15 年 3 月、金融審議会は「リレーションバンキングの機能強化に向けて」と題する報告書を公表し、リレーションシッ
プバンキング機能を強化することで、地域金融の再生を図って行くという道筋を示した。この報告書は、まずリレバンについ
て、「金融機関が顧客との間で親密な関係を長く維持することにより、顧客に関する情報を蓄積し、この情報をもとに貸出等
の金融サービスを行うことで展開するビジネスモデルを指す」と定義し、リレバンの長期に亘るサスティナビリティ(持続可
能性)を確保することで、金融機関と顧客の双方の収益性を向上させ、経済の活性化を促すというものであった。
・リレバン機能強化に基づいて、新しいアクションプログラムが策定された。それは地域企業の創業・新事業支援機能の強化、
取引先企業の経営相談・支援機能の強化、早期事業再生に向けた取組み、新しい中小企業金融への取組みの強化、顧客への説
明態勢の整備と相談・苦情処理機能の強化、そして地域貢献に関する情報開示等であった。
・リレバンの中心的な担い手になるのは中小の地域金融機関であり、その本質的な役割は「地域密着型金融」である。これはも
ともと無尽金融を起源とする当行においては、とりたてて示達するまでもなく、いわば経営理念そのものである。さっそく当
行では「リレーションシップパンキングの機能強化計画」
、
「地域密着型金融推進計画」をそれぞれ策定継続し、地域経済の活
性化に向けた新たな取組みを始めた。
・その基本方針は、地域密着型金融の推進と、産学官の連携の一層の強化、そして高度化・多様化するニーズに的確かつ迅速に
対応することで、お客様満足度の高い金融サービス・商品の提供を目指すことであった。
◆シーズ重視の時代へ
・これからの地域金融は、新しい事業を立ち上げる場合のシーズ(技術、ノウハウ、企画力、人材、設備等)や事業計画、経営
者の能力とやる気を総合的に目利きして資金を供給し、経営者と一緒になって成長していくことが求められるのではないか。
リレバン機能を強化するためには、新たにこのような戦略ツールがなければならない、というのがファンドの研究を始めた若
手行員の時代認識だったのである。
・企画広報部の安倍は、銀行が投資事業組合を作ってベンチャー企業の立ち上げを支援し、ゆくゆくは株式市場に上場させる、
というビジネスモデルをすでに立案していた。これからは、日本でもファンド法に基づく有限組合によるベンチャー企業への
投資が増えていくに違いないと確信した。
◆若い者にまかせてみよう
・平成 16 年 1 月、安倍は、これからの時代はベンチャーファンドを活用した地域経済の育成と活性化を推進していく必要があ
ることを上伸し、当行が想定する「ベンチャーファンド育成支援体系図」を示して基本的な事項を説明した。・・・常務会に
出席していた一色会長は、
「ここはひとつ、若い者にまかせてみようではないか」と発言し、常務会は安倍の熱意を買い、5 億
円規模のファンドを立ち上げるという大枠を決めた。
・安倍はファンド組成で提携するベンチャーキャピタルについて、絞り込んだ候補先 3 社を常務会に提出し、最終、池田常務の
判断で城下の所属するFVC(フューチャーベンチャーキャピタル)を提携先に選んだ。
・16 年 8 月、「投資事業有限責任組合えひめベンチャーファンド 2004」と名称を決め、フアンドが設立された。
◆えひめベンチャーファンド 2004
・ファンド事務局は当行本店5階南会議室に設置された。提携先のFVCから常駐社員を 1 名受入れ、業務は正式にスタートし
た。創業・新事業に対する支援を通じて地域経済へ貢献していくことが設立の本旨であり、運営もこの本旨に基づいて行うこ
とを徹底させることにした。
・最初の投資先に決まったのはトラフグの養殖業だった。愛南町の山林を切り拓いて土地を造成し、そこに養殖プールを作り最
新の設備を設置するという完全な陸上養殖である。社名は㈱オプティマ・フーズで、当ファンドは 16 年 12 月に 3,000 万円の
投資を行ったオプティマは投資会社等からの総額約 5 億円と、数行の銀行融資 4 億円弱の合計 9 億円弱の資金調達に成功し、
四国南予の「山育ちのふぐ」を都心の料亭や割烹に供給する体制を整えた。閉鎖型の陸上養殖で日本一の規模になったオプテ
ィマは、約 5 万匹のトラフグを飼育し、天然ものと変わらない美味しさは評判となった。
・しかし、山育ちのトラフグに病気が発生するようになった。病気の原因そのものが十分に解明されず、対策が追い付かなくな
り、数年後には養殖自体が立ち行かなくなり事業は頓挫、24 年 3 月にオプティマは倒産した。
・えひめベンチャーファンド 2004 が投資したベンチャーの数は 11 社である。上場できたのは 6 社で、すべて愛媛県内のベンチ
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ャーである。
・・・業種は、精密機関(アドメテック)、情報・通信(ピーエスシー)、サービス業(パワーアップ)、農林業(ベ
ルグアース)
、化学(ダイキアクシス)
、小売業(ありがとうサービス)
。
◆第 1 次産業の衰退
・愛媛県の基幹産業である第一次産業の生産高の推移をみると、平成元年に 1,987 億円だった生産高は 17 年に 1,222 億円にま
で落ち込んでいる。この間の減少幅は 39%で、年ごとに愛媛県でも第一次産業は衰退しておりとりわけ地勢的な要因のある南
予の落ち込みは顕著である。
・宇和島圏の第一次産業生産高の県全体における構成比をみると、平成元年の 29.4%(584 億円)が平成 17 年には 19.4%(237
億円)まで低下し、生産高自体も 60%もの大幅な減少となっている。
◆えひめガイヤファンド
・地域に密着した銀行である当行にとって、衰退する南予地区の振興を図って行くことは重要な使命である。当行では、県と歩
調を合わせ、農林水産省の指導を仰ぎながら、第一次産業の生産者を育成・支援するためのファンドを創設することとなった。
・18 年 11 月 28 日、国内で初めての農業ファンドである「えひめガイヤファンド」が設立された。GP(無限責任組合)はひめ
ぎん総合リース㈱。19 年 2 月、最初の投資先となったのは、愛南町の特産である河内晩柑を生産している事業者。この他にも
あなごの養殖業者と有機大葉の栽培に取り組む業者へ出資した。以後 24 年までの 4 年間で 5 先、南予中心に重複を除いて 17
先に 3 億 6 千 7 百万円が投資されている。
・徳島の㈱丁井の社長である丁井俊が、愛媛の吉田町にある宇和青果農業協同組合から、柑橘の搾汁と加工部門を継承し、平成
21 年 2 月に「愛工房㈱」を設立した。ガイヤファンドからは 3,000 万円の投資が行われた。
◆感性価値の創造
・経済産業省の官僚だった三宅和彦が、当行に転職したのは平成 20 年 9 月である。
「銀行員にはない斬新な発想が欲しい。君な
らやれる」と中山頭取が直接口説いてスカウトした。
・当行は 19 年 9 月、県内で初めての官民協働によるビジネスマッチングフェア「メイド・イン愛媛 2007」を開催した。翌 20 年
1 月に「食のミニ商談会 2008」を開催した。このビジネスマッチングを考察し、「出品された生産物はいいモノであるにも拘
わらず、その良さが来場者に十分に伝わっていないものが多い」と感じた。デザイン、ネーミング、パッケージ、ラッピング、
さらには物語性や提案力など、どれをとってもまだまだ発信力が弱く、「ワクワク感」や「ドキドキ感」、さらには「信頼感」
や「納得感」を来場者に与えるまでの工夫がされていないと感じていた。
・三宅はただちに、感性価値創造プロジェクトチームの発足を稟申した。「当行の顧客企業の製品や商品、農林水産加工業者の
生産物が消費者に感動や共感を呼び起こさせ、売れる商品となるための提案や環境基盤の整備を、当行行員が経営者と向き合
いお手伝いする」というのがプロジェクトチームの目的である。・・・「感性価値推進室」となった。
・一方、三宅は、経済産業省が行っている中小企業支援策の一つである地域力連携拠点事業の拠点金融機関に名乗りを上げ、21
年 4 月に四国の金融機関としては初めて、拠点機関の認定を受けた。
◆6次産業化
・農林漁業者が自らの産品を加工しかつ販売し、6 次産業化(1 次×2 次×3 次で 6 次)すれば価格の決定権を持ち、それ相応の
「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産
付加価値を手にすることができる。22 年 12 月、
物の利用促進に関する法律」
(略称:六次産業化法)が施行された。農林漁業のもつ潜在的な価値を、さまざまな分野で事業化
することで新たな産業を創出し、農漁村の活性化を促そうとするものだった。
・23 年 7 月、当行は農林水産省から「愛媛 6 次産業化サポートセンター」を委託された。これは銀行としては全国でも初めて
のことで、「えひめガイヤファンド」で第一次産業の振興を支援してきたことが評価されたのである。
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