91号 - 青山学院大学山岳部

緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
員は 11 年間も担当しており、組織
緑ヶ丘通信
としては後進の育成も重要課題なの
でこのような態勢にし、人的交流を
含めた地元対策やヒュッテ運営管理
ノウハウの着実な引き継ぎをお願い
する。
青山学院大学山岳部 OB 会 ・ 緑ヶ丘山岳会会報
■創部 85 周年を記念したヒマラヤ山行
は是非とも実現したい。目標とする山
の絞り込みを進めており、近々、計画
の概要を発表したい。
2009 年 8 月 5 日発行
発行人:会長
萩原 浩司
No.91
編集:菊地 理・鈴木 成治
緑ヶ丘山岳会HP:http://www.aac1925.com/~midorigaoka/
■推薦入学希望者の発掘を最重要課題と
して取り組みたい。OB各位には積極
的な情報提供をお願いしたい。
■ヒュッテの稼働状況がジリ貧状態にあ
る。OB各位の積極的な協力を期待し
たい。また、企画担当およびヒュッテ
2009 年
緑ヶ丘山岳会
総会報告
日
時:2009 年 5 月 30 日(土)
①活動計画:一般活動、あずさヒュッ
テ運営活動
②会計予算:一般会計、福島基金会
所:青学会館(校友会A室)
出席者:会員 28 名
欠席者:回答あり:38 名※
※「回答あり」の会員のうち
(1)議決権行使:
さュッテ基金会計
は十分ではないが、満足のいく状況で
■役員選挙結果報告
岩井会長に委任:25 名、棄権:1 名
1.岩井会長挨拶
4.決議事項(別掲を参照)
各議案は出席者および議決権行使と委
(メッセージは別掲のとおり)
待したい。
【総会出席者】(敬称略)
■ 2008 年度活動報告および会計報告
木村、草野、山脇、栗原、永井(敬)
、
■ 2009 年度活動計画および会計予算
永井(桂)、平野(興)
、田村、猪俣、
■役員選挙結果と新執行部
中條、野口、下河辺、齋藤、平野(和)
、
小倉、土田、岩井、岡野、菅田、安本、
5.特記事項
萩原、小山、羽田、鈴木(成)
、神澤、
■新執行部の人事が承認されたので、今
村上、上辻、古城
後の会務執行に期待するが、多少の説明
現役 1 名(永田)
を付け加えたい。
選任されたので特に説明を要しな
い。
② 岩井前会長の相談役就任は、前会
3.報告事項(別掲を参照)
長のもつ体育会OB連合会等の対外
■ 2008 年度報告
的なコネクションを新会長に引き継
①活動報告:一般活動、あずさヒュッ
は極めて低調なので、今後の奮起を期
任状による満場一致で可決承認された。
① 会長ほか副会長、各役員は選挙で
2.高橋山岳部長メッセージ代読
あった。納入率的には平年と変わらず、
満足できる状況にない。特に中若年層
各議案に賛成:12 名、反対:なし
(2)委任状提出:
■会費の納入状況について、昨年度は川
村OBの大口があったので、金額的に
回答なし:61 名
合計:99 名
に期待したい。
計、あずさヒュッテ運営会計、あず
12:00 ~ 15:00
場
担当役員にはヒュッテを利用した企画
ぐためにお願いした。
高橋山岳部長のメッセージ
アドグルの行事と重なったため総会に
出席できない由にて、次のメッセージを
いただき、
総会の冒頭に代読いたしました。
総会にご出席の皆様、本日は部長とし
③ 広報の補佐役には会報編集スキル
て出席すべきところ、総会の日時が分か
②会計報告:一般会計、福島基金会計
の継承とHPの充実策推進のために
る前から予定していた行事と重なり、た
あずさヒュッテ運営会計、あずさ
担当役員のサポートをお願いする。
いへん申し訳ありませんが、欠席とさせ
テ運営活動
ヒュッテ基金会計
④ ヒュッテの補佐役は補佐というよ
ていただきます。
③会計監査報告
りも、担当役員と「2 人でやってく
④ヒマラヤ委員会報告
れ」というニュアンスの方が強い。
年度の新入部員もあり、ひとまずほっと
⑤推薦入学に関する動向報告
前任の小倉担当役員交代には一部の
されていることと思います。しかし学生
OBから異論があったが、小倉前役
がおくる大学生活は昔と様変わりしてお
■ 2009 年度活動計画および会計予算
山岳部の置かれた状況が厳しい中、今
1●
緑ヶ丘通信
り、部員の減少は山岳部だけでなく多く
の部やサークルが抱える共通の問題と言
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
役員の承認
退任役員のご挨拶
えます。こうした状況変化を、山岳部と
役員選挙で選任された会長、役員は、
してどのように受け止めるのか、卒業生
総会において承認され、
新執行部
(相談役、
皆様の意見交換をお願いできたらと思い
補佐役を含む)が決定し、今後 3 年間の
べきは、下河辺OBら諸氏のご協力によ
ます。
会務運営を委ねることになりました。
り、
上高地に新しい慰霊碑を再建したこと、
簡単に対応できる問題ではありません
が、本日の会合が、山岳部としての共通
の認識・方針を形成するきっかけとなる
よう願っております。
会長
岩井 胤夫
2 期 6 年間の会長職を顧みて、特筆す
猪俣事務局の長期にわたる精力的な取り
●会長
萩原浩司(新任、前広報担当
役員)
組みの結果、緑ヶ丘山岳会会則と諸規約
の整備ができたこと、そして山岳部創部
●会長補佐役
岡野達朗(新任)
85 周年事業として、土田OBを委員長と
2009 年 5 月 30 日
●副会長
神澤淳子(新任)
するヒマラヤ委員会を立ち上げてヒマラ
山岳部長
●事務局
土田紘介(新任)
ヤ遠征の企画立案に着手したこと等です。
●企画
西澤直志(新任、前監督)
●会計
古城海太(新任)
となる選挙によって新役員を選出し、萩
●広報
鈴木成治(新任)
原OBの会長、神沢OGの副会長就任な
●広報補佐役(会報)菊地 理(新任、
ど、10 ~ 13 年若返った新執行部に会務
高橋 重雄
役員選挙の報告
任期満了に伴う役員選挙を行いまし
た。選挙の対象は、会長・副会長および
5 担当役員、併せて 7 名です。その経
過と結果を報告いたします。
前広報担当役員)
執行が引き継がれたことはOB会の前途
●広報補佐役(HP)村上正幸(留任、
監督兼務)
緑ヶ丘通信 No.89(2008 年 12 月
28 日発行)にて、役員選挙を通知して
立候補者を募集しました。最終的に立候
補の申し出なく、会員による推薦候補者
を募りました。
●ヒュッテ
に明るいものが見いだされました。折し
も、
萩原会長が日本山岳会の理事に就任し、
小山恭吾(新任)
●ヒュッテ補佐役
OB会のみならず山岳会での指導的立場
小倉雅之(新任、
で活躍されることを願っております。
前ヒュッテ担当役員)
●監査役
安本 出(新任、前会計担
当役員)
4 月 21 日の役員会にて推薦候補者を
またこの度、現行会則のもとで 2 回目
事務局
猪俣 浩
岩井会長に請われて執行部に入り、事
●相談役
岩井胤夫(新任、前会長)
務局(企画担当を兼任)として 5 年間務
内定、緑ヶ丘通信 No.90(2009 年 5
●監督
村上正幸(新任、前コーチ)
めさせていただきました。就任当初は会
月 1 日発行)にて選挙を公告し、投票
●コーチ
伊東晃男(留任)
則改定を巡って「荒れた」時期でしたが、
用紙(はがき)等を配布しました。
●コーチ
中尾秀高(留任)
会則改定案と会計規則等の新規約が総会
5 月 20 日に投票を締め切り、結果は
下表のとおりです。
で承認されて「静かな」状態に戻ってか
【付記】
会員総数:140 名(2009 年 4 月 1 日現在)
●消息不明者:13 名
らは、岩井会長を支えることに専念、会
会則による規定
務執行をサポートして参りました。任期
(1)総会の承認
中の最大の出来事は埋没した慰霊碑の掘
①選挙で選任された会長・副会長およ
●投票権者数:127 名
び各担当役員
●投票総数:66 名
ドして的確な対応ができました。顧みて、
②役員会から推薦された監査役およ
●投票率:51.9%
び監督
※役員の担当は役員会で決定した。
【補注】
り出しと再建立でしたが、執行部をリー
事務局として所期の役割りを果たせたか
どうか、些か自信がありませんが、でも
(2)総会への報告
悔いのない全力投球の 5 年間でした。
①役員会から要請された相談役および
●棄権(投票用紙未返送者)
:61 名
●無効は投票されたが、賛成・反対の
補佐役
会計担当役員
② 監督が指名したコーチ
安本 出
平成 14 年のある日、私の会社の受付
意思表示がなかったもの
嬢から「オミ様がお見えですが・・・」
と連絡があり、てっきり関係会社の小見
結果
担当
選任
会長
選任
氏
名
卒業年度
賛成
反対
無効
萩原 浩司
昭和 57 年
58
0
8
副会長
神澤 淳子
昭和 61 年
58
0
8
選任
事務局
土田 紘介
昭和 43 年
57
0
9
選任
企画
西沢 直志
昭和 62 年
58
0
8
久しぶりの再会に当方も顔では微笑ん
選任
会計
古城 海太
平成 13 年
58
0
8
でいましたが、心ではなんとなく嫌な予
選任
広報
鈴木 成治
昭和 61 年
58
0
8
感がよぎった瞬間、尾身先輩から「OB
選任
ヒュッテ
小山 恭吾
昭和 57 年
58
0
8
会の会計やるよな!」と一言。私の頭の
社長と思い込んで1階に下りてみると、
そこには山岳部で1年先輩の尾身さんが
薄笑いを浮かべながら座っていました。
中では昔の思い出が走馬灯のように巡っ
●
2
緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
て、反射的に「はい!」と。以来7年間、
引継いでもらいたく、萩原会長とともに
会計の職務を担うこととなりましたが、
鋭意彼を徹底教育したいと思っておりま
OB各位には会費徴収や慰霊碑再建等で
す。
「覚悟してね、シゲ。」
色々ご協力とご指導をいただき感謝して
います。今後は自己の反省を踏まえ、監
査役として会計のチェックと的確な助言
に専心したいと思いますので、宜しくお
願い申し上げます。
スが近いのが良いですね。
会計担当役員
古城 海太
新会計担当の古城と申します。現役時
新役員のご挨拶
副会長
神澤 淳子
代には部費の盗難にあったり、OB会費
を多年に渡り未納であったりと、経歴は
かなり怪しいかもしれませんが、旧役員
今年から副会長を務めることになりま
と比較しても遜色無しと認めてもらえる
した神澤(旧姓・江原)淳子と申します。
よう努力していく所存ですので、宜しく
卒業から早や 20 数年 (!?)、現在はフリ
お願いします。また、会費収入、監督会
ークライミング中心に活動しています。
やヒュッテの運営費用等、財務面で改善
あずさヒュッテの運営について、学校を
山岳部から長年遠ざかっておりました
できるところがあれば積極的に諮ってい
初めとしてOB諸氏、一般の方々および
が、山に行くお金も無い現役時代にヤマ
きますので、アドバイスいただければ幸
地元入山地区の皆様の一方ならぬご協力
ケイのアルバイトをお世話していただい
いです。
を得て、大過なく 11 年の歳月が経過し
た等々、大変お世話になりました萩原新
ました。
その間、
特にOB諸氏よりヒュッ
会長からの直々の御指名を受け、力不足
テ運営に関して物心両面に絶大なご協力
とも思いましたが引き受けさせていただ
昨年までの十数年、事情がありかつて
をいただき、誠にありがとうございまし
きました。少しでもお役に立てればと思
の身の周辺や OB 会とも疎遠にしてい
た。また、現在、いくつかの課題を抱え
っていますので、どうぞ皆様のお力添え
ましたが、何人かの方のお声掛かり、ま
ていますが、私もヒュッテ補佐役として
のほど、よろしくお願い致します。
た私自身思うところもあり、事務局をお
ヒュッテ担当役員
小倉 雅之
平成 10 年 5 月 16 日の献堂式以来、
新担当役員の小山OBと連携を図りつ
つ、順次、問題点を解決して参りたいと
事務局
土田 紘介
受けすることになりました。若返った執
企画担当役員
西澤 直志(前監督)
行部の中で、群を抜いた前期高齢者です
思います。今後とも、より良いヒュッテ
2002 年に監督を拝命し、このたび
が、私なりに任務を全うしたいと思って
環境の維持を目指して努力していきます
退任させていただきました西澤です。監
います。老いも若きも会員の皆様、貴方
が、皆様方のご理解とご協力をお願いい
督在任中は、OB 諸氏におかれましては、
の AAC を一緒に盛りたてて参りましょ
たします。
多大なるご支援をいただき深く感謝する
う。是非ともお願い致します。
次第であります。
監査役
野口 照夫
さて、7 年間の監督の責務の中で、現
会長
萩原 浩司
監査役退任に当たって何か書いてくれ
役の下山報告を聞くまでは、晩飯のビー
このたび岩井前会長のご推挙をいただ
と言われて、正直、困ったなーと思いま
ルが飲めないというのが一番辛かったこ
き、また、皆様方からの温かいご支援の
した。監査役なのですが、
私にとっては
「閑
とであり、我が家の晩飯の時間も大分後
もと、新会長に就任いたしました萩原浩
査役」であり、特段、書くことは何もな
ろ倒しになりました ( 笑 )。従って、監
司です。役員人事も全員が新任というフ
いからです。ただ、在任中の3年間、役
督退任後、しばらくは無職でいようと
レッシュな顔ぶれとなり、正直のところ
員会には欠かさずに出席しましたが、正
思っていた矢先に、岩井前会長より OB
不安もございますが、皆様のご期待に沿
常に運営されていていることを確認、ま
会の役員候補としての打診を受け、萩原
うべく、精一杯、OB 会のために努力し
た、会計監査でも何の問題もありません
新会長より突然の「企画担当役員」のご
ていく所存です。会員の皆様方におかれ
でした。任期を無事終了できたことは皆
指名をいただきました。何が出来るのか、
ましてはなにとぞご協力のほど、よろし
様方の協力のおかげと感謝しています。
未だ考えもまとまっておりませんが、山
くお願い申し上げます。
広報担当役員
菊地 理
前号編集後記で紙面をお借りしてご挨
を中心に何か企画できればと思っており
さて、このたびの新執行部は、別掲の
ます。今後とも、よろしくお願い申し上
とおり大幅な若返りが図られました。そ
げます。
の一番の狙いは、ひとえに「OB 会の活
拶させていただきましたが、自宅に戻っ
た折調べてみると、最初の号は No.58
性化」にあります。新しいメンバーによ
広報担当役員
鈴木 成治
る新しい発想と行動力を生かし、これま
で 2000/4/1 発行となっていましたの
このたび広報担当を仰せつかりました
で以上に「元気な OB 会」をめざしてい
で、9 年間、通信の仕事をさせていただ
鈴木です。昨年から、約 20 年ぶりに東
きたいと考えております。具体的な施策
きました。
補佐役に指名されましたので、
京勤務となりました。卒業してからOB
につきましては縷々、会報を通じて申し
ご挨拶をして「幸せにさよなら」させて
会、現役のお役にたつことができずにい
述べたいと思いますが、まずここでは、
いただいたはずが、不届きにも今回編集
ましたので、今年から少しでも皆様のお
おおまかな今後の方向性につきまして、
者として名前を記載させていただきまし
役にたてるようがんばります。東京は大
私の考えを述べさせていただきたいと思
た。早くこの重労働を新任の鈴木さんに
阪に比べて、あずさヒュッテや北アルプ
います。
3●
緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
本峠越えや霞沢岳、六百山、鉢盛山、乗
る思いは、おそらくだれの心の中にも特
鞍岳等、紅葉の山の候補地は盛りだくさ
別なものがあるに違いありません。夢の
ん。土曜日を登山計画に当て、無事に下
実現に向けた歩みを、今後、通信やメー
今年の新年会は近年にない盛り上がり
山した足で慰霊碑に向かい、元気で登っ
リングリストを使って報告しながら、こ
を見ることができました。が、より「元
ていることを報告したいと考えます。
れを機会に多くの会員の皆様がヒマラヤ
■定例行事のさらなる充実を
岩井前会長の熱心な呼びかけにより、
気な OB 会」のためには、さらに多く
そしてこうした定期イベントに加え、
への関心を持っていただけるよう、そし
の会員の結集が必要と考えます。諸行事
今期からは各種企画山行を強化したいと
て夢が現実となって花開くよう、つとめ
に対する参加意識を高め、会員相互のコ
思います。ヒュッテを使ったスキーや沢
ていきたいと考えます。
ミュニケーションを密に図ろうとするこ
登り、
ピークハント、
渓流釣り、
農業実習?
とこそ、OB 会活性化のための第一歩と
などを企画していきたいと考えていま
いえるでしょう。
すので、どうぞよろしくお願いします。
山岳会である以上、
「ともに登る」こ
とも重要ですが、
「誰がどんな山に登っ
ているのか」
、
「最近の彼は何をやってい
また、近年、稼働率が落ちてきたとい
うあずさヒュッテについても、その魅力、
利用方法をより多くの会員に知ってもら
い、あるいは外部への PR も積極的に行
■現役部員獲得への取り組み
なって、利用していただくよう務めたい
と思います。もちろん、新執行部の企画
るのか」といった仲間たちの行動を知る
現在、山岳部で最も深刻な問題が現役
担当、ヒュッテ担当の間では新たなアイ
ことも大切です。それにはまず、1月の
部員の確保です。7月現在の部員数は、
ディアを出し合い、多くの人が楽しめる
新年会、5月の総会、10 月の慰霊祭と
4年生 ( 在籍7年目 ) が1名に1年生1名。
環境づくりをめざすつもりでいます。竣
いった OB 会の3大定例行事を強化し、
新人が入ったとはいえ、部の存続が危う
工から11年、
今一度、
各人があずさヒュッ
皆で登り、意見を交わし合う機会を設け
い状況であることに変わりありません。
テの魅力を見つめ直してみましょう。
ていきたいと思います。
たとえば1月の新年会。ここではぜひ、
現役部員があってこその OB 会です。
最初に挙げた3つの定例行事が山岳会
一年間の報告の場を設けることにしま
勧誘活動も現役だけにまかせることな
運営の基本とするならば、海外遠征と山
しょう。前年度の現役部員や各会員の山
く、OB 会からも、より積極的に部員獲
小屋の積極的運用は、会の結束をあら
行をスライドショーにして発表し、新年
得の応援をしていきたいと考えます。
ためて強化するための両輪と考えていま
の目標についてもそれぞれ報告していた
具体的には募集告知のためのポスター
す。85 年といわず、その先の 90 年、
だきたいと思います。仲間たちが一年間
製作や、ウェブサイトでの呼びかけと
100 年につながる長期的な企画もまた、
どんな活動をしてきたのか、情報を共有
いった広報活動が中心になりますが、そ
考えていきたいものです。
し、総括しながら、新たな年度の計画を
れ以外にも、スポーツ推薦入試による部
語り合う場にしようではありませんか。
員獲得も進めてみたいと考えています。
さて、とりとめもなく今後の運営につ
5月の総会におきましては、懇親会の
大学の応募規程によれば、対象者は「全
いて述べさせていただきましたが、忘れ
席上で山用具を中心としたリサイクル交
国大会規模でベスト8以上の成績をおさ
ないでほしいのは、皆様ひとりひとりが
換会を行ないたいと考えています。新入
めた者」となっていて、出願期間は9月
集まってできているのが今の山岳会であ
部員や若い OB たちが登山装備を揃え
16 ~ 18 日。そこで、この8月に奈良
るということ。執行部だけが勝手に動か
るのに困っている時期に、使わなくなっ
県で行なわれているインターハイに注目
そうとしている会ではありません。
た用具や買い換えなどでダブってしまっ
し、上位入賞校に対してアプローチをか
たもの、山の本や、場合によっては生活
けてみることを考えています。他のクラ
あるいは声をくみ取りやすい環境を作っ
用具なども含めて、役に立ちそうなもの
ブとの兼ね合いもあり、狭き門ではあり
ていきたいと考えています。
を持ち寄って交換会を開いてみたらいか
ますが、まずは可能性を探ってみなけれ
「こうしたほうがいい」とか「こんな
がでしょう。また、併せて、今年の6月
ば始まりません。現役部員の指導ととも
企画を考えてほしい」といったご意見、
に行なって好評だった「あずさヒュッテ
に、未来を託す新人の発掘にはこれから
ご要望がございましたら、どうぞ遠慮な
を基点とした新人とOBの懇親山行」
も、
も力を傾けてみたいと考えています。
くお申し付けください。
■創部 85 周年に向けて
気な山岳会」を目標に頑張る所存ですの
会員ひとりひとりの声が届きやすい、
この場で話し合ってみたいと思います。
10 月の慰霊祭については、あらかじ
め何本かの山行計画を立案し、参加者を
募って「下山してから慰霊碑へ」向かう
昨年度、創設されたヒマラヤ委員会は、
計画を立ててみたいと考えます。せっか
現在、活発に会議を重ねており、目標と
く山に集まる機会なのですから、元気な
する山の絞り込みも最終段階を迎えよう
人は前日に山に登り、その翌日に集合す
としています。まもなく創部 85 周年と
るようにしてみてはいかがでしょう。
いう記念の年を迎えようとする山岳部の
おなじみの焼岳はもちろんのこと、徳
●
4
歴史のなかで、ヒマラヤの未踏峰に対す
皆様の声をもとに、「みんなで作る元
で、ご協力のほど、どうぞよろしくお願
い申し上げます。
緑ヶ丘通信
2008 年度緑ヶ丘山岳会会計報告
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
2008 年 4 月 1 日 ~2009 年 3 月 31 日
(単位:円)
(1)一般会計
収 入
725,000
275,000
0
643
会費
会合等会費
寄付金
雑収入
監督会交付金
会合費
OB 連合会関連費
交際費(新年会手土産)
(単位:円)
(3)あずさヒュッテ運営会計
支 出
収 入
150,000
310,120
45,000
13,275
支 出
210,500 借地料
2,800 営繕費
227 一般管理費
備品費
利用料
寄付金
雑収入(受取利息)
18,420
0
127,425
0
(受取利息)
通信費(郵送費等)
消耗品費
寄付金(箱根駅伝)
(校友会)
雑支出(振込手数料)
ヒュッテ基金繰入金
1,000,643
小計
168,789 次期繰越金
1,169,432
合計
小計
前期繰越金
合計
(2)福島基金会計
(単位:円)
収 入
一般会計繰入金
寄付金
雑収入(受取利息)
過年度分利息修正
小計
前期繰越金
合計
0 遭難事故対策費
0 雑支出
4,662
1,124
5,786
小計
3,016,461 次期繰越金
3,022,247
合計
収 入
0
3,022,247
3,022,247
200,000 営繕費
0 雑支出
0
2,423
202,423
1,884,012 次期繰越金
2,086,435
合計
一般会計繰入金
ヒュッテ運営会計繰入金
寄付金
雑収入(受取利息)
小計
前期繰越金
合計
(単位:円)
0
0
0
2,086,435
2,086,435
小計
450,000 監督会交付金
300,000 会合費
0 OB 連合会関連費
大同窓祭関連費
通信費
事務用品・消耗品費
雑支出(振込手数料)
福島基金繰入金
ヒュッテ基金繰入金
750,000
小計
383,132 次期繰越金
1,133,132
合計
収 入
150,000
300,000
50,000
10,000
40,000
20,000
0
0
200,000
770,000
363,132
1,133,132
(単位:円)
(2)福島基金会計
収 入
(単位:円)
(3)あずさヒュッテ運営会計
支 出
支 出
350,000 借地料
0 営繕費
0 一般管理費
消耗品費
交通費
地元友好対策費
ヒュッテ基金繰入金
前期未払金精算
利用料
寄付金
雑収入(受取利息)
315,578
1,018
316,596
(単位:円)
(4)あずさヒュッテ基金会計
収 入
0 遭難事故対策費
0 雑支出
0
0
0
0
小計
3,022,247 次期繰越金
3,022,247
合計
0
3,022,247
3,022,247
18,420
5,000
160,000
5,000
50,000
20,000
0
57,158
350,000
小計
▲ 33,404 次期繰越金
316,596
合計
小計
前期繰越金
合計
支 出
一般会計繰入金
寄付金
雑収入(受取利息)
支 出
2009 年 4 月 1 日 ~2010 年 3 月 31 日
収 入
小計
前期繰越金
合計
(単位:円)
(4)あずさヒュッテ基金会計
0
0
(1)一般会計
会費
会合等会費
雑収入(受取利息)
0
50,000
57,158
14,600
110,250
0
377,853
▲ 33,404
344,449
消耗品費
交通費
未払金
地元友好対策費
10 周年記念品代
ヒュッテ基金繰入金
213,527
小計
130,922 次期繰越金
344,449
合計
小計
前期繰越金
合計
支 出
2009 年度緑ヶ丘山岳会会計予算
小計
前期繰越金
合計
39,450
24,405
1,000
2,000
1,050
200,000
786,300
383,132
1,169,432
一般会計繰入金
ヒュッテ運営会計繰入金
寄付金
雑収入(受取利息)
小計
前期繰越金
合計
支 出
200,000 営繕費
0 雑支出
0
0
200,000
小計
2,086,435 次期繰越金
2,286,435
合計
0
0
0
2,286,435
2,286,435
監査報告書
緑ヶ丘山岳会会則第 15 条および監査規定に基づき会計監査を実施いたしましたので、下記のとおりご報告いたします。
1.
監査実施日
:2009 年 4 月 15 日
2.
監査対象会計 : 一般会計、福島基金会計、あずさヒュッテ運営会計、あずさヒュッテ基金会計
3.
監査結果:会計帳簿、預金通帳、領収書等を精査した結果、各会計とも適正に処理されていることを認める
4.
指摘事項:特になし
5.
特記事項:特になし
2009 年 4 月 21 日
監査役
野口
照夫
5●
緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
メラメラ燃える
愉快な登頂隊
…メラピーク登頂記…
下河辺 史郎 昭 40 年卒
「 緑ヶ丘通信 」 前号に「メラメラ燃え
て! 全員登頂 ( か )……」と、登頂計画
を掲載していただきましたが、結論から
報告しますと、頂上でグリーンの部旗を
風になびかせることが出来ました。
今回の目標は、ネパール・ヒマラヤ、
クーンブ山群のメラ・ピーク (6654 m
) の 参 加 者 全 員 登 頂( 高 度 に つ い て は
諸説が有るようですが、登頂証明では、
▲メラピーク山頂にて
2008 年度
活動報告
2009 年度
活動計画
1.一般活動
1.
一般活動
■定例行事
■定例活動の着実な励行
①総会
5 月 24 日(土)
②慰霊祭
10 月 19 日(日)
③新年会
1 月 27 日(火)
■役員会
7 回開催
7 回のうち 3 回は緑ヶ丘通信発送作業)
■会報「緑ヶ丘通信」 3 回発行
■推薦入学について
①催事(総会,慰霊祭,新年会、定例
役員会等)
6654 mとなっておりましたのでこの表
記とさせていただきます)
。
今回は、登頂確率を高めるために国内・
海外でのガイド経験が豊富なプロガイド、
志小田清光氏にガイドをお願いしました。
志小田さんは、昨年中條夫人が登ったロ
②会費納入状況の改善
ブジェ・イースト峰遠征のときのリーダ
③会報「緑ヶ丘通信」の充実
ー。わかりやすく言えば、
登頂請負人です。
④会員名簿メンテナンス(消息不明者
対策を含む)
■会員相互間の親睦推進
①数名の受験希望者がいたが、出願要
登山の時期は、プレ・モンスーンの4
月 10 日 ~ 5 月 6 日 の 27 日 間。 メ ン
バーの中には、ヒマラヤが初めての人、
4000 m級の山スキーだけの経験者、な
2.ヒュッテ関連活動
どとメンバーは色々。そのために、東京
■通常保守管理遂行と地元対策の推進
で数回の打ち合わせを志小田ガイドと共
■稼働率アップ策の推進
に細部にわたり行いました。
■ヒマラヤ委員会発足(創部 85 周年記
3.役員選挙の実施
に依頼。登頂のカギとなる食料は、かな
念事業の一環)
■公告、投票および新役員の総会での承認
りの量の日本食を準備、キッチンボーイ
■新旧役員の引き継ぎ
は、志小田さんが日本まで呼んで訓練し
件を満たさず、推薦断念
②全国高等学校総合体育大会(イン
ターハイ)登山大会資料入手
現地での手配は、シーガル・トラベル
①委員 8 名を指名(委員長:土田OB)
②委員会 6 回開催
たドメさん。彼は、日本のエベレスト隊
③目標とするピークを 2 座に絞り込
4.推薦入学対策
に参加するところを、志小田さんが呼び
み
■推薦入学希望者の確保
戻し、我が隊のキッチンを切り盛りして
■学校対策,OB連合会対策の推進
くれ、調理以外に衛生面もしっかり管理
■HPの活用
してくれました。おかげで、
今回の登攀中、
■対外活動への参加
①体育会OB連合会への参加
②体育会他部祝勝会(女子バレー部他)
毎回我々の口に合う食事が供され、下痢
5.創部 85 周年記念事業の検討立案
2.ヒュッテ関連活動
功の大きなファクターになったと考えま
■通常の保守管理
6.ヒマラヤ委員会
■地元対策(林道清掃、村祭り協力等)
■ヒマラヤ特別会計の開設(銀行預金口
■地元を中心にヒュッテ建設 10 周年記
座の設置)
念タオルを配布
3.役員選挙
●
6
もう一つの大きなファクターは、全行
程中、志小田リーダーの汗をかかないゆ
水分は十二分に補給し、行動中はもとよ
り、朝は、モーニング・ティーとは別に
8.若手会員(OB)の活性化
ジュールを発表
(2)立候補者募集
す。
っくりした歩行と呼吸法。食事は腹七分、
7.故鈴木弘元会長追悼集の発行
(1) 緑 ヶ 丘 通 信 No.89 に て 選 挙 ス ケ
をする隊員も出ず、これが今回の登頂成
朝食前に飲み物の準備、幕営地に着けば
夕食前に飲み物の準備等、細かい気配り
9.対外活動への積極参加
のおかげで、隊員に落伍者 ( 一部例外有
■OB連合会、他大学OB会交流等
り ) が出なかったと考えます。
緑ヶ丘通信
■行動概要
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
とのこと。本当に頂上に立てるのか、不
明日からの行動に備え、冬靴、アイゼン
安が募る。峠から天幕地には、同じル
等の準備をして今日の行動を終わる。
東京~バンコク~カトマンズ(カトマン
ートを戻るのだが、峠からほんの 20 ~
ズでは、ロイヤル華の戸張 OB に挨拶)
30m ほどの距離安全のため、シェルパ
からルクラに出発するまでは順調だった
がザイルをたらしてくれる。
が、ルクラは天候不順で着陸できないた
め、手前のパプールに臨時着陸。なぜこ
4 月 22 日
昨晩、我々の知らないう
ちにポーター1名とキッチン・スタッフ
が、高山病のためにコーテまで下山、そ
4 月 18 日
今日は、前半のポイント、
の先はヘリでルクラに降りたようだ。今
んなところにこんなすばらしいロッジが
ツァトルア・ラ(4400 m)チェトラプ・
日は高所順応のため、次の目的地メラ・
あるのかが不思議。翌朝の一番機で無事
ラ(4600 m)の2つの峠を越え、ツ
ラの途中まで。
ルクラ入り。
ァトルワ(4200 m)までの行程。
メンバーの多くが今回のトレックが始
ツァトルワ・ラマでは昨日より雪も少
まってから、咳き込んでいる。特に中條
メラ・ピークに向けて最
なく、2度目なので登りやすい。峠を越
隊長と後藤さんが酷い。それでも中條隊
初の一歩が始まる。ルクラでシェルパ7
して南斜面に出ると雪は無く、北斜面に
長は喫煙が止められないようだ。
人、キッチン関係5人、ポーター 25 人
入ると雪が出てくる。上り下りを2時間
アイゼンが付けられるように冬靴に履
と会い、昼食後、隊を整えて最初の幕営
ほど繰り返し、4600 mのチェトラプ・
き替え、いつものように天幕を8時に出
地デュクデン(3300 m)に向けて出発。
ラに到着。峠の南斜面に、石で作った小
発。カーレからの道は、すぐにモレーン
翌日は高所順応のために 3600 mま
屋があった。我々は、日当たりの良い所
のゴロゴロした急な登りとなる。
で往復。全員、体調は良く、途中には石
でキッチンが準備してくれた握り飯で昼
中條隊長は、首を垂れて歩きペース上
楠花もちらほら咲いていた。
食。後は、今日の天幕地ツァトルワまで
がらず。氷河の末端(5100m くらい?)
400 mほどの下りである。
まで登り、アイゼンをデポして天幕に戻
4 月 13 日
4 月 16 日
4000 mのテンカルカに
南斜面のため雪は無く、ゴロゴロした
向けて出発。ここはすでに日本一の富士
道を下る。ツァトルアには ISDN が通じ
山より高い地点である。道中、周りを見
るようだ。立派な小屋が建っている。使
渡せば、6000m を超えた雪を頂いた
っている人は見かけなかったが、シャワ
山々。ヒマラヤに来た実感。
ールームもあった。小屋の中でシェルパ
頂上に向けての行程が始まる。出発に先
が歌を歌っている。子守唄に眠りに付く。
立ち、プジャ(登頂の安全と成功を祈願
特に日の出と、日没前の景色は最高。
ルクラに飛来する飛行機も見え、昨日
高所順応で登った 3600m 地点も通過。
装備の点検を各自行う。
4 月 23 日
今日からいよいよメラの
する儀式)を行う。たまたまシェルパの
4 月 18 日
コーテ(3800 m)、20
順調に高度を稼ぎ、昼食前に本日の目的
日 タ ン ナ(4300 m )、21 日 カ ー レ
地テンカルカに到着。さすがにじっとし
(4900 m)今回のベースキャンプに向
ていると寒い。明日登る 4400 mのツ
る。午後は、明日からの行程に合わせて
けて毎日7~8時間の道を進む。
中にいた、僧侶経験のある者が式をとり
行った。
メラ・ラに向け8時に、いよいよ出発
である。今日も天気は良い。しかし、目
ァトルア・ラも望むことができる。室堂
特 に、 ツ ァ ト ル ア か ら の 下 り は、
的のメラ・ピーク頂上は、見ることが
あたりから別山あたりを望むようにそそ
3500 m ま で 一 気 に 下 る こ と に な る。
できない。ひたすら、モレーンの急な登
り立って見える。
途中タシングディンマには、小屋があっ
りを2時間半ほど登る。中條隊長の体調
て沢が流れており、ヒマラヤではめずら
は、相変わらずすぐれないようだ。11
しく?
時 30 分、氷河末端手前に到着。早めの
東京での下調べでは雪が付いており、
場合によってはアイゼンも必要かも?
ポーターが滑落したこともある第一関
門。しかし今年は雪が少なく、テンカル
カの幕営地から見ると窪地に多少雪が残
っている程度。
綺麗な水が流れている。我が隊
のキッチンが明太スパゲッティーを準備
してくれた。実に美味であった。
昼食をとる。
ここで計画変更。中條隊長、斎藤副隊
コーテのキャンプ地は立派な小屋がい
長、志小田さんで話し合い、体調不良の
くつも建っており ISDN も通じ、地元の
中條隊長は、シェルパとともにカーレに
前夜は、雨と雷に見舞われた。翌朝、
ウイスキー、コーラ、ジュース、ビスケ
戻り、我々の帰りを待ってもらうことに
天幕の外に出てツァトルア・ラを見ると、
ット等も売っている。天幕地もしっかり
なる。本人も残念であるし、我々も心中
高所では夜のうちに雪が降ったようだ。
整備されている。
を察するに余りある気持ち。メラの登頂
上部はかなり白くなっている。寒い。
コーテからタンナの道は、ヒンクー・コ
は、中條婦人に委ね、メラメラ燃える隊
本日は高所順応の日。ツァトルア・ラ
ーラに沿って登ったり下ったりの長い道
はここで中條隊長に別れを告げ、残り8
に向け出発。シェルパが先行し、雪の凍
のり。タンナからカーレまでは、沢筋の
人がメラ・ラに向けて出発。1時 30 分
っている部分に足場作りのルート工作を
ごろごろ道を行く。槍沢を登っているよ
にアイゼンを装着し、氷河末端の急なセ
してくれた。峠の目前は急峻の上、雪が
うだ。実に長く感じる。午前中、日の照
ラックの中を登る。
付いているので慎重に登る。峠でメラ頂
っている間は、高度があっても暑く感じ
セラックを登りきると、なだらかな氷
上方面からの帰りの日本人夫婦に会う。
るが、2時ごろから曇ってくると、寒さ
河の上に出る。氷河の表面は、カサカサ
「メラは登れましたか?」の質問に対し、
を感じる。日によっては夜に雷、小雨が
しており、あまり歩きやすいとは言いが
大きなクレバスに阻まれ頂上直下で断念
降る。
ここ一週間ほとんど同じ天候である。
たい。メラ・ラでは先行したポーターと
7●
緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
キッチンスタッフがすでにテントを設営
頂上で全員の記
しており、テントは見えるが中々到達で
念写真後、下山開
きない。一歩一歩が息苦しい。
始。急登の部分は
3時 30 分にやっとの思いでメラ・ラ
ザイルを使って下
に到達。幕場は雪原にあり、広い。斎藤、
降。後は、来た道
小倉、中條婦人以外、ヒマラヤでは、初
をハイキャンプに
めての雪の上での天幕生活である。これ
向けて下降する。
から BC のカーレに戻るまでの4日間は、
ハイキャンプの
氷河の上である。幸い風もなく、天気も
手前 1 時間くら
良いので思いのほか寒さを感じない。
4 月 24 日
いのところで、下
河辺が酸素を吸い
高所順応日。天気は最高。
始める。酸素を吸
風もない。
ってもあまり楽に
定刻に天幕を出発。出発に先立ち全員
アイゼン、ハーネスを付ける。練習のた
め、1時間ほど歩いた後、ザイルを出し
アンザイレンして氷河の上を 5300m
地点まで歩く。12 時に帰幕。
4 月 25 日
での道のり
ハイキャンプ 5600 mま
我々はアイゼンを装着して
の登行であるが、ポーターは粗末な靴で
重い荷物を担ぎ、同じルートを登ってい
く。慣れとはいえたいしたものだ。
2ピッチも歩くと、はるか遠方に右か
らマカルー、エベレスト、ローツェ、チ
ョ・オユー等のジャイアントピークを見
ることができた。
本人は登るのに精一杯、
志小田さんの説明もうわの空。
なかには、
来年、志小田さんがチョ・オユーにツア
ーを出すと言う話に興味を示したメンバ
ーも居たようだが……。相変わらず、メ
ラは、「皆さんここまで来てごらん」と
言わんばかりに、はるか遠方に丸い頭を
チョコンと覗かせている。
表面のカサカサな氷河の上を、下を向
▲メラ・ラからメラピーク
ならない。結果論
いため、パーティによっては崖っぷちぎ
だが、ここ2~3日の高度の影響による
りぎりに張られている天幕もある。ハイ
キャンプでの食事は、各自東京から持参
「シャリバテ」のようだった。
15 時にハイキャンプに帰幕。11 時
したインスタントの食料。
明日は、いよいよメラ・ピークの登頂
日。朝が早いので、各天幕ごとに早い時
間に夕食をとり、暗くなる前に ( 午後6
時ころか? ) 寝袋にもぐりこむ。
4 月 26 日
メラ・ピークアタックの
日である。午前2時に起床。身支度を整
え、天幕地出発は4時。まだ、真っ暗だ、
全員ヘットランプで足元を照らしながら
▲メラピークへの最後の登高
凍っている氷河の上をゆっくりと歩を進
間行動は、さすがに堪えた。今日は一日
める。
中好天に恵まれ、まさにアタック日和で
5時ごろになると 8000m 級の山々
あった。
が朝日に照らされ、影絵のように見え出
す。6時ごろ、中條婦人が体調不良を訴
え、シェルパ1名とともにハイキャンプ
に戻る。隊列も早い人と遅い人でバラバ
ラになる。
4 月 27 日
ハイキャンプから中條隊
長の待つカーレの BC までの下り。
メラ・ラを通り、氷河末端のセラック
を越えたところでアイゼンを外し、モレ
ルートは困難なところはなく、急な登
ーンのゴロゴロ道を下る。BC は直ぐ下
り、なだらかな登りの繰り返し。9時ご
に見えるが、すごく長く感じられる。中
ろにザイルを出して早い組、遅い組でパ
條隊長に登頂の報告をする。
ーティーを組み、ひたすら頂上目指し歩
みを続ける。頂上直下で大きなクレバス
いてひたすら歩く。途中、何人ものポー
ターに追い越され、上から降りてくるポ
ーターも居る。彼らの元気なこと。
それに引き換え我が登頂隊は“ハーハ
ーゼーぜー”
。( 筆者だけかも? )
13 時にハイキャンプにたどり着く。
天幕地は南側のため雪はない。ただし狭
●
8
今日からルクラに向けて
の下り(途中で 4600 mの峠越えがあ
に向けて、最後の雪壁に取り付く。
るが……)
シェルパがルート工作をし、ザイルを
▲ハイキャンプ
4 月 28 日
を避け、右にトラバース。いよいよ頂上
岩がゴロゴロした道を、往路では2日
張ってくれる。
我々はアッセンダーを使い、
かけたところを一日でコーテに向けて
壁に順次取り付く。足場は雪が柔らかく、
10 時間ほどの道のり、実に長い。コ―
登りにくい。標高差50m くらい?
テで、今回の東京連絡所を引き受けてく
7名が頂上に揃ったのは 11 時。天気
は良く、風も弱く寒さは感じない。360
れた野口 OB(39 年卒 ) に国際電話で登
頂の成功を連絡。
度の展望のすばらしさ。
全員で登頂を喜ぶ。
AAC グループは、小倉さん持参の懐か
4 月 29 日・30 日
傷害保険の関係で
しの AAC 部旗を出し記念撮影。おそらく
2日間かけ、途中のトゥクトに1泊して
AAC 部旗の最高到達地点であろう。
ザトルワまで。今回の山行は天候に恵ま
緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
和気藹々と 27 日間、些細な
●個人装備
トラブルも無く元気に下山で
登山靴(高所用、軽登山靴)
、アイゼン
きたことは、天気に恵まれ(プ
(12 本爪 )、ハーネス、デイジーチェーン、
レのヒマラヤは、考えていた
カラビナ×2、アッセンダー、その他日
以上に晴天が続き、なにより
本の冬山と同じ。
ポストに比べ暖かくお奨めで
▲メラピーク山頂からエベレスト、ローツェ
れ、アタック予備日を使わなかったので
す)、食事に恵まれ、さらに
●行動概要
メンバーそれぞれの個性がか
4/10
成田発 ( バンコク一泊)
み合い、毎日愉快に山が楽し
4/11
カトマンズ着
めた結果であり、大成功であ
4/13
カトマンズ発、ルクラへ
ったと確信しています。
4/14
ルクラ到着、最初の幕営地デュ
クデン着
今回、はからずも隊長を仰せつかった
ものの、言いだしっぺの私たち夫婦が揃
4/16
デュクデン~テンカルカ
って登頂できず、「全員登頂」という
4/18
テンカルカ~ザトルワ
隊の大目的が果たせなくてメンバー諸
4/19
ザトルワ~コーテ
兄には“スミマセン”のひと言しかあ
4/20
コーテ~タンナ
ザトルワから 4600 mのチェトラプ・
りません。誠に残念至極です。とりわけ
4/21
タンナ~カーレ
ラまでの 400 mの登りは、思ったより
AAC3人の仲間と一緒に、若き日、と
4/23
カーレ~メララ
楽に登れた。ザトルワ・ラまでのルート
もに歩いた部旗を40数年ぶりにメラに
4/25
メララ~ハイキャンプ
は、往路に比べ殆ど雪は消えていた。
揚げることが果たせず心残りです。
4/26
ハイキャンプ~メラピーク頂上
余裕の下山だった。
5月1日
今日は、いよいよ出発点の
ルクラまで。
~ハイキャンプ
ザトルワ・ラの北側斜面もほとんど雪
しかし、3人が立派に登頂をなしと
はない。テンカルカを過ぎれば、すぐに
げ、部旗は世界の屋根・ヒマラヤのピ
4/27
ハイキャンプ~カーレ
森林帯のなかに入り、所々に高山植物が
ークに翻りました。願わくはこの部旗
4/28
カーレ~コーテ
咲いている ( 残念ながら、誰も花の名前
が、AAC諸兄により世界のピークを目
4/29
コーテ~トゥクトー
はわからず )。わかるのは石楠花くらい。
指し、翻る事を念じてメラ・ピーク報告
4/30
トゥクトー~ザトルア
往路はそれほど長いと感じなかったが、
とします。
5/1
ザトルア~ルクラ~カトマンズ
5/5
カトマンズ発(バンコク経由)
5/6
早朝成田着
ルクラ診療所の空色の屋根が見えてから
の長いこと、朝7時に歩き出してから、
●メンバー(平均年齢 66.5 歳・敬称略)
実に9時間 30 分の長丁場であった。
隊
長
ルクラのロッジで今回の遠征?の登頂
中條 好司
昭 39 年卒
斎藤 健一
昭 40 年卒
と、全員が無事にルクラに戻り着いたこ
下河辺 史郎 昭 40 年卒
とに乾杯。夕食は、シェルパを交えての
小倉 雅之
昭 42 年卒
宴会となり、シェルパ一人一人に中條隊
田尾 陽一
斎藤・麻布高校同
級生
長からボーナスが支給された。この日の
高橋 努
夜は、ビールやワインを飲んでにぎやか
岳部 4 年後輩
に歌ったり、踊ったり。10 時ごろまで
大いに盛り上がった。
5月2日
中條・開成高校山
いよいよカトマンズである。
堀越 仁治
JAC スキークラブ
後藤 敏彦
堀越・スキー仲間
中條 雅子
中條夫人
志小田清光
プロガイド
何のトラブルも無く、一番機でカトマン
ズに戻る。カトマンズのホテルで久しぶ
ガイド
りの風呂に入り、ひと息。6日のカトマ
ンズを出発まで、各自ポカラ観光、カト
●山岳傷害保険 ( 今後の参考のために )
マンズで体調を整える者、それぞれが時
山岳旅行傷害保険は、昨年 12 月1日よ
間を過ごす。カトマンズ最後の夜は、ロ
り、監督官庁の指示により審査が厳しく
イヤル華で盛大に打ち上げパーティーと
なっている。そのため、我々も出発間際
なり、遠征を締めくくった。
に保険料が 1 万 6,510 円も値上がりす
■中條隊長所感
ることになった。我々の対処方法は、高
所行動日程限定として、峠越え・往復5
あずさヒュッテ
入山地区
秋祭りのお知らせ
来る9月 20 日(日)と 21 日(月祝)
、
あずさヒュッテがある入山集落で秋祭り
が予定されています。
青木神社の飾り付けや幟立てなどを行
い、集落の人と共に祭りを祝います。土
地の歴史と文化を理解する絶好のチャン
スとなりますので、興味をお持ちの方は
ぜひともご出席ください。
この期間、ヒュッテ宿泊は慰霊祭用と
しておりますので、ご利用、ご参加を待
ちしています。
申込みはヒュッテ担当、小山まで。
<青木神社祭>
9月 20 日〔日〕
8:30
お宮前集合 祭り準備
16:00 ~ 公会堂にて本祭り
9月 21 日(月)
13:00 ~ 片づけ
夕方
慰労会(公会堂)
「メラメラ燃える、愉快な全員登頂隊
日、HC -ピーク3日に限り高い保険料
……」。ヒマラヤ初見参の2人の仲間を
を支払い、後の 20 日間は通常の保険に
待し、日曜日に変更したと聞いております。よ
含め、全員が救助ヘリの世話にならず、
てカバー、全体の保険料をセーブした。
ろしくお願いいたします。
※入山地区では、祭りの日を、我々の参加を期
9●
緑ヶ丘通信
訃報
●鈴木 弘 OB(昭和 19 年卒)
鈴木 弘OBが、平成 21 年 5 月 3 日、
ご逝去されました。享年 85 歳。
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
マナスル峰初登頂 1956(昭和 31)年
をきっかけに未曾有のヒマラヤ登山ブー
ムが到来しました。我が山岳部もヒマラ
ヤ遠征に熱い情熱を抱き、昭和 40 年、
当時、幹事長だったズキさんを中心にラ
シャール峰初登頂の計画を進め、栗林O
戒名「慈峰院真覺弘照居士」
、ここに慎
B(昭和 19 年卒)を隊長とするOB・
んで心からご冥福をお祈り申し上げます。
現役混成の遠征隊を組織しました。遠
5 月 7 ~ 8 日、護国寺において通夜
征費にも目処をつけ、ネパールに向けて
および告別式が執り行われ、多くの参列
出発するばかりになっていましたが、ネ
者が故人に最後のお別れをいたしまし
パール東北部で勃発した中印国境紛争の
た。山岳部からは、高橋山岳部長をはじ
ためにこの地域一帯が入山禁止となり、
め 45 名のOB・現役が葬儀に参列、カ
ラシャール峰は断念せざるを得なくな
きを的確にリードして学校の承認も得て
トマンズ在住の戸張OBはそのために一
りました。その後、昭和 43 年に現役中
建設にこぎつけました。建設に当たって
時帰国して参列しました。
心でアラスカのマーカスベーカー峰に遠
は、鮫島山岳部長(当時)をはじめとす
征したりして海外登山の経験を積み、や
る多くの関係者のご協力をいただきまし
故鈴木OB(以下、
「ズキさん」と愛称
がて昭和 49 年のヒマルチュリ遠征に繋
たが、これはズキさんの熱意とお人柄、
させていただきます)は 2 年程前に自宅
がって行きました。この遠征は青山学院
手腕に因るところが大であったことは万
の庭で転倒して骨折、近所の医院に入院、
創立 100 周年、山岳部創部 50 周年を
人の認めるところです。
その後も動脈瘤、前立腺疾患、不整脈等
記念した事業でしたが、副会長だったズ
山小屋は「あずさヒュッテ」と命名さ
が所見されて検査等で病院通いをしなが
キさんはOB会の意見集約や学校の承認
れ、献堂式は、平成 10 年 5 月 16 日、
ら自宅で骨折治療に専念していました。
取り付け等に八面六臂の働きをして遠征
学長、宗教主任、体育会長、学生部長、
実現に貢献してくださいました。
地元奈川村関係者等々、多くの VIP と
18 年前の平成 3 年、癌で胃を全摘出
したこともあってか、万全の身体状況に
そのズキさんご自身も平成 11 年、奥
OB会関係者列席のもとに盛大に執り行
なく、次第に体力が衰え、杖を使って
様と木村OB(昭和 25 年卒)と共にヒ
われました。ズキさんもOB会長として
歩行していましたが、昨年 8 月、再度、
マラヤトレッキングに出掛け、ヒマラヤ
奥様帯同で式典に出席され、冒頭の挨拶
自宅内で転倒して股関節の骨折で入院、
の山々を堪能して来られました。
をして多くの方々と笑顔と握手でヒュッ
体力的に手術ができないために自然治癒
を目指して施設や自宅で療養しておりま
テ完成を祝っておられました。
<会則改定>
した。しかし、歩行ができなくなって外
ヒマルチュリ遠征の企画立案の過程を
ズキさんと青山学院の関係、これは
に出掛ける機会が少なくなって気持ちの
通じてOB会組織の問題点を覚ったズキ
72 年前に遡ります。名古屋の愛知県立
上で滅入ってしまったのでしょうか、他
さんは、会則の改定に取り組み、1975
明倫中学校に入学したズキさんは、父親
の要因もあったのでしょうが、体力的に
(昭和 50)年、意思決定をする理事会、
(朝日新聞社勤務、後に参議院議員になっ
急激に衰えて寝たきりの状態になり、最
会務を執行する幹事会の 2 層体制を標
た)の転勤で東京に戻り、昭和 12 年 9
後は自力で起き上がることができなくな
榜する会則に改め、自ら理事長に就任し
月、青山学院中学部 1 年に編入学しまし
るほどに衰弱して、遂にご自分のベッド
ました。その後、この会則の下で 24 年
た。青山学院には中学部から専門部(高
の中で永遠の眠りにつかれました。
間の永きに亘って会長や理事長を務め、
等商業学部)卒業まで 6 年 7 か月間通学、
先頭に立って会務運営に当たりました。
勉学のことは兎も角、ここで盟友・栗林
ズキさんは平成 11 年 5 月のOB会
総会において、体育会OB連合会会長に
一路OB(昭和 19 年卒)に出会います。
<あずさヒュッテ>
山に関しては、ズキさん自身、初めて
就任するのを機にOB会長を辞しまし
ズキさんのOB会における最後の大仕
登った山は中学部 2 年生のときの昭和
た。40 年以上もの長い間、OB会の会
事は山小屋の建設でした。「山小屋を持
13 年、夏の白馬岳→唐松岳→鐘釣温泉
長や副会長、理事長、幹事長等のポスト
つ」は山岳部の永年の「夢」であり、過
→黒部で、天候に恵まれてトロッコ電車
を歴任して先頭に立って会務運営に携わ
去に何 10 年もの間、山小屋の話は持ち
にも乗り、この山行を満喫したのがきっ
れ、OB会の取りまとめと発展にご尽力
上がっては消え、消えては持ち上がるこ
かけになってか、次第に山にのめり込ん
されました。その活動のいくつかを紹介
とを何回も繰り返してきました。それが
でいきました。3 年生のときに栗林さん
しましょう。
平成 7 年ごろ、俄に実現性のある具体
と図って中学部内に同好会「山とスキー
的な話に発展、老中若年OB有志が一丸
の研究会」を立ち上げて、10 数名の仲
となって建設場所の選定や建設資金調達
間と丹沢や奥多摩、秩父の山々を手始め
等に取り組み、会長のズキさんがこの動
に、八ヶ岳や北岳にも登りました。
<ヒマラヤ遠征>
日本の山岳界には、日本隊のヒマラヤ・
●
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緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
昭和 16 年、専門部進学と同時に何の
ので、結果的には二足草蛙を履くことに
受け入れ推進とネパール・プロジェクト
躊躇もなく山岳部に入部、ズキさんはこ
なりました。学校の会計は公認会計士が
として現地ポカラに開設した日本の本の
の頃から本格的な登山活動を開始し、山
完璧に処理し、監事の出番は余りなかっ
図書館が特筆されます。
岳部での歴史が始まりました。入部した
たようでしたが、それでも毎月の理事会
ゴルフは昭和 34 年、35 歳の頃から
頃の山岳部の状況は、ご自身が 75 年史
には欠かさずに出席し、毎年 5 月の評
始められたようですが、兎に角、好き
「山靴の跡」に書き綴っていますが、当
議員会で監査報告をして監事の業務に精
でした。クラブでのプレー主体のゴル
時は授業には余り出ず、もっぱら部室に
励しました。この頃、企業における監査
ファーでしたが、OB会や体育会OB
たむろして先輩たちと山の話に華を咲か
役の重要性が見直され、その存在が社会
連合会のコンペにも積極的に参加され
せていたと自伝に書かれています。
的に認知されて重要視される傾向にあり
ました。ご自身、生涯に川越カントリー
昭和 19 年 3 月、青山学院専門部を
ましたが、学校関係においても同じで、
倶楽部、柏カントリー倶楽部、霞ヶ関
卒業、9 月に海軍航空隊(滋賀)に入隊、
ズキさんはその動向を先取りして青山学
カンツリー倶楽部(KCC)に所属され、
翌年 4 月に海軍少尉に任官の後、
米子
(鳥
院に独自の「内部監査」制度を創り出し、
ご自分のゴルフ人生を全うされました。
取県)にある第 5 航空艦隊第 105 飛行
他校に先駆けて学内に「自浄能力と牽制
KCC は 1929(昭和 4)年創設の、我
隊(特攻要員の訓練基地)に異動して、
機能」が発揮できる仕組みを定着させま
が国で最も格調の高いゴルフクラブで、
ここで終戦を迎えて復員しました。もし、
した。
お金さえ出せば誰でも入会できるとい
戦争が長引いていたら、ズキさんも米艦
平成 13 年、日本私立大学連盟主催の
うようなクラブではなく、社会的地位や
めがけて突っ込んでいたかも知れません。
監事会議が創設されました。主題は「ユ
人格、お人柄が伴っていなければ入会で
昭和 21 年 4 月、東京商科大学(現
ニバーシティ・ガバナンスの確立」でし
きないクラブでした。ズキさんは父親が
一橋大学)に入学、同時に山岳部に入部
たが、ズキさんはこの会議の運営に精力
KCC の「チャーターメンバー」であり、
して登山活動を再開しましたが、食糧難
的に取り組み、先駆的な青山学院が主導
弟さんがメンバーであったこともあり、
の時代でもあり、記憶に残っている山は
的役割を果たしてそれなりの成果を挙げ
昭和 44 年に一般募集に応募して入会、
甲斐駒ヶ岳くらいで、余り活発な山行が
ました。それは即ちズキさんの功績その
爾来 40 年間、メンバーとしてクラブラ
できないまま昭和 24 年 3 月に卒業し
ものです。
イフをエンジョイされました。KCC で
ました。
東京商大卒業後、出版社の「ホーム社」
平 成 18 年 5 月、 ズ キ さ ん は 26 年
は理事、常務理事、監事、そして評議
間務めた監事を辞しました。そして、6
員、評議会議長を歴任されました。また、
に就職、その年の秋に 25 歳で結婚しま
月 28 日付にて学校法人青山学院から
KCC 内に自然発生的に「例の会」とい
した。奥様は旧姓を増田トヨさんといい、
「名誉理事」の称号を授与されました。
う会が組織され、私的集まりだったこの
青山学院女子専門部国文科を卒業した才
ご自身は理事ではなく監事でしたので、
会が次第に大きくなってメンバーに認知
媛、後に 2 人のお嬢さんに恵まれ、家
庭では全く子煩悩の親父さんでした。
その後、ホーム社が倒産したため、義
「名誉監事」という称号が欲しかったよ
うですが、この称号がなく、諦めたと自
伝に書かれています。
されるに至り、ズキさんはこの会の会長
に推挙されています。
また、広報委員としても力量を発揮さ
父が社長の日刊工業新聞社に入社、出
また、校友会活動では中央支部の創設
れました。「年史編纂委員会」の副委員
版局次長を振り出しに、取締役出版局
に係わり、支部内に「味楽会」や「ゴル
長のときに「霞ヶ関 50 年史」
、委員長
長、常務取締役に昇格されてから大阪支
フ同好会」等を立ち上げて会員同士の親
として 60 年史も手がけ、平成 13 年 1
店長、経営企画室長等の経営の中枢に座
睦を深めて支部組織の結束を促進しまし
月に記念誌「KCC 70 年の歩み」を刊
し、その後、数社の関連会社社長を歴任
た。その後、副会長を歴任するなど、長
行し、並みいる長老メンバーから大変な
して、通算 53 年間の永きに亘って同社
年にわたって活躍して確たる足跡を残さ
評価を得ました。
に奉職、平成 6 年 6 月に退職しました。
れました。
ズキさんは生涯で 3 回のホールイ
ンワンを記録しています。ゴルフを長
ズキさんの青山学院との関わりは専門
ズキさんを語るときに、忘れてはなら
年やっていても、1 回もできないゴル
部卒業をもって終わった訳ではありませ
ないのはロータリークラブの活動とゴル
ファーの多い中、3 回とは何と運の良い
んでした。
フです。
方なのだろうと思います。しかし、エ
専門部卒業後 32 年経った昭和 51 年
ロータリークラブの活動も熱心でし
に校友会理事に就き、また、昭和 54 年
た。日刊工業新聞社大阪支店長だった昭
イジシューター(自分の年齢以下のスコ
アーで 18 ホールをラウンドすること)
には学校法人青山学院の理事長だった大
和 42 年、大阪天満橋ロータリークラブ
の夢は叶えておられず、恐らく天国で達
木金次郎先生(学院長を兼務)から学校
に入会、東京に戻った昭和 44 年に東京
成することでしょう。
法人青山学院の「監事」就任を懇請され、
芝ロータリークラブに移籍、平成 13 年
※この記事はズキさんのHP「我人生録
これを応諾いたしました。
には東京芝の会長に就任、ロータリアン
Digest of My Life」および山岳部 75 年史「山
監事は非常勤でしたが、当時、ズキさ
として熱心に活躍されました。数多くの
靴の跡」を参照しながら書かせていただいたも
んは日刊工業新聞社に在籍していました
ボランティア活動のうち、交換留学生の
のです。
文=猪俣 浩(昭和 37 年卒)
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緑ヶ丘通信
No.91
2009 年 8 月 5 日発行
永田、成毛(新人)
新人& OB 懇親山行
沢 上 谷 は、 乗
慰霊祭のご案内
鞍 岳 の 西 面、 高
本年も下記の通り慰霊祭を開催します。
あずさヒュッテをベースに、新人(女
原川の支流で、栃
仲間を偲び、ここに集い旧交を温める、
子)と OB の懇親山行を実施しました。
尾~神岡間に流れ
あるいは、若手 OB と年輩 OB の交流の機
コースは、ベーシックな焼岳登山と、乗
込む小さな谷であ
会でもあります。例年、一夜語り明かすと
鞍岳山麓に位置するビギナー向けの沢
りながら、美しい
いうことが「好例」になっております。
ナメと豪壮な滝を
「沢入谷(そーれたに)
」です。
擁し、最近は初心
●参加メンバー
【OB・OG】永井桂子、菅田、野口、小
倉、 岩 井、 萩 原、 小 山、 鈴 木、 角 田。
【現役】永田、成毛(新人)計 11 名
●行程
▲蓑谷大滝の前で
者向けの沢として
是非、皆様の参加をお待ちしています。
●日時:10 月 18 日(日)
午前 10:00 より
●集合:当日午前9:30 明神館前
高い人気を誇っている。アプローチは
●宿泊:前日宿泊ご希望の方
ヒュッテから約1時間。
○あずさヒュッテ宿泊を希望の方は、小山
10 時に入渓。ジャブジャブと沢の中
OB に申込みください。
(ヒュッテと同じ)
6 月 12 日 ( 金 ) 永井、
菅田 OG ヒュッ
を歩く。角田 OB はもう夏だとばかり
○ 明神館宿泊はまとめて予約しますので、
テ入り。夜中に小倉、野口、永田、岩井
に淵にドボン。枝沢にある美滝「五郎七
ご希望の方は9月中旬までに事務局まで
岩井、角田がヒュッテ入り。
郎の滝」に寄り道をし、しばらく遡行を
【山行計画】
6 月 13 日 ( 土 ) 朝、萩原、小山ヒュッ
続けると、やがて蓑谷大滝の巨大なスラ
前日の 17 日に次の山行を計画していま
テ入り。朝食後、ヒュッテ滞在&畑仕事
ブが立ちはだかった。高さ 30 ~ 40 メー
す。候補地は、1焼岳、2鉢盛山、3六百山、
組と焼岳登山組に別れる。
トルほどの巨大な一枚岩に、白いスダレ
4霞沢岳、5徳本峠越え
を掛けたように水を流した、見事な滝で
る山々で一日を過ごし、翌日は慰霊碑で下
ある。涼やかな滝の音を聞きながら、梅
山報告というのはいかがでしょう。
●焼岳登山組
●お申込み:事務局/土田 紘介
【メンバー】野口、
岩井、
萩原、
小山、
角田、
Tel:03-5575-6320
永田、成毛
の登山口より入山。
天気はまずまずだが、
あずさヒュッテ
夏期利用のご案内
上部はやや雲がかかっている。樹林の急
登にしばらくあえぐが、森林限界近くに
【夏期利用料金】
なると傾斜も緩くなり上部に焼岳の噴煙
噴煙間近を通り、
焼岳北峰へ全員登頂。
1 泊・ 1 名料金
▲沢上谷を行く新人成毛さん
500
登れば、そこから上は再びナメの廊下が
延々と続いていた。川岸にはピンク色の
残念ながら視界はなく、穂高連峰は望め
タニウツギが可憐に咲き、目を楽しませ
なかった。下りは同じルートで車まで。
てくれる。そして周囲に杉の植林が目立
ヒュッテでは永井・菅田 OG が美味
つようになるころ、目の前に林道の橋が
現れて遡行は終了となった。
方、鈴木成治が到着。永井さんと菅田さ
時刻は 13 時。大滝の高巻きで安全の
んは、新人が女性一人のため、わざわざ
ために懸垂下降をしたが、全体に危険な
参加していただいたもので、夕食後に帰
箇所も特になく、手ごろな距離のなかに
京。本当にありがとうございました。
沢の要素がコンパクトにまとまった三ツ
星級の沢だった。ここから林道をのんび
●
12
1500
2000
れる。左岸に固定されたロープを使って
●沢上谷沢登り組
1500
小学生以下
は直登可能な十数メートルのナメ滝が現
【メンバー】萩原、小山、鈴木、角田、
1000
同伴者
ジャブと水の廊下を歩いていくと、今度
岩井シェフによる朝食をいただく。
家族
500
山岳部 OB 会員
メートルは続いているだろうか。ジャブ
6 月 14 日 ( 日 )
本人
永井 OG 手作りケーキをいただく。美味!
れそうな傾斜の緩いナメが現れた。数百
しい料理を作って待っていてくれた。夕
山岳部員
期間:5/15 ~ 11/14
雨の晴れ間の日差しを全身に浴びつつ、
大滝を高巻くと、今度は自転車でも走
▲焼岳山頂にて
FAX:5575-6360
E-mail:[email protected]
中ノ湯温泉の上、安房峠のちょっと下
が見えてくる。
新緑がとても綺麗だった。
等。紅葉を迎え
り歩いて車まで下り、平湯温泉「平湯の
森」の露天風呂で汗を流し、ヒュッテに
戻り、順次解散となった。
文=小山恭吾(昭和 57 年卒)
【お申し込み方法】
往復ハガキ、ファックス、E-mail で
①希望利用日(入室、退室予定時間明記)
②代表者の名前、住所、電話番号
③利用人数…OB会員、その家族や非会員
の区分と、利用人数を明記
④ご利用月の 3 ヶ月前の 1 日より受付け。
●申込み連絡先
小山 恭吾 OB
①往復はがき:
東京都小金井市緑町 1‐2‐34‐315
② FAX:042-301-7912(自宅。夜中厳禁)
③ Email:[email protected]
●振込先
①郵便局口座
記号 10160 番号 73522931
青山学院大学山岳部梓ヒュッテ
②三菱東京 UFJ 銀行 麻布支店
普通口座 5069075
アオヤマガクインアズサ キクチ
●詳しくは…ヒュッテ HP で。
緑ヶ丘山岳会HPトップページからリンク
(あずさヒュッテ運営委員会)