年間第 16 主日(Lectio Divina A 年) 7 月 20 日 年間第 16 主日 最後の収穫 マタイによる福音書 13 章 24 ~ 30、 36 ~ 43 節 * 24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い 種を畑に蒔いた。25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26 芽が出て、 実ってみると、毒麦も現れた。27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種 をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28 主人は、『敵の仕業だ』 と言った。そこで、僕たちが、 『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29 主人は言った。 『い や、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30 刈り入れまで、両方とも育つままにして おきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」 と、刈り取る者に言いつけよう。』」 36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来 て、 「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く 者は人の子、38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、 刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40 だから、毒麦が集められて火で 焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるもの すべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼 らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のよう に輝く。耳のある者は聞きなさい。」 * マタイによる福音書 13 章 24 ∼ 43 節を通して読むこともできる。 他の朗読:知恵 12:13, 16 ∼ 19 詩編 86:5, 6, 9, 10, 15, 16 ローマ 8:26, 27 Lectio …読む 今日のたとえ話のイエスの解釈は重要です。種を蒔く人についての前週のたとえ話では種は「神の 言葉」でしたが、ここでは「神の言葉」ではありません。この 2 つのたとえ話は同じように見えます が、ここではイエスは教会共同体、世界中の神の民について語っています。 イエスに従って生きようとしている人々を、イエスは「御国の子ら」と呼んでいます。彼らの間に隠 れているのは「悪い者の子ら」です。言葉を換えて言うなら、神に従わず、悪魔によって生活が支配 されている人々です。 僕たちはただちに毒麦を抜き集めることを望みます。しかし主人は刈り入れまで待つように指示し ます。同様に、教会の中で教会のメンバーがお互いを裁くのを避けるべきです。裁きは「人の子」に 属することで、「人の子」だけが種の違いを知っているのです。 一方、良い種は刈り入れの時まで、毒麦が収穫を邪魔するとしても、成長し茂ります。イエスは、 最後の日である刈り入れまでは仲介するのを拒否しています。 教会には行くが、実際にはイエスに従っていない人たちにとって、ここに警告があります。私たち はひとりひとり注意深く、イエスに従って私たちの生活を生きなくてはなりません。審判の日には、 誰もが自分たちの生き方に責任を取らなければならないでしょう。 Meditatio …黙想する 年間第 16 主日(Lectio Divina A 年) このたとえ話はあなたの霊的な生活とどのような関連性がありますか。 ここでのイエスの教えから何を学ぶことができますか。 あなたの答えは何ですか。 Oratio …祈る 「同様に、 〝霊〟も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませ んが、 〝霊〟 自らが、言葉に表わせないうめきをもって執り成してくださるからです。」 (ローマ 8 章 26 節) 私たちは皆、神に従うために神の助けを必要としています。そしてこの節は聖霊が私たちのために執 り成してくれている、と私たちを励ましています。祈りの中で神に応えてみましょう。「より深い信 仰へと呼ぶあなたの声に従うために、私に恵みをお与えください」と祈ってもよいでしょう。 Contemplation …観想する 詩編 86 編を読んで、神の偉大さと慈しみについて黙想しましょう。
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