シンポジウム(要約) ブラジルの現状分析 エ964年4月の軍事革命以後約lU年が経過した今日ブラジルの政治および経済は安 定し急激な発展を辿りつつあることは日本の新聞雑詑等にも数多く報告されている◎. とのシンポジウムにおいては,このⅡ0年間における「安定と発展」の要因および影轡 を中心のテーマとし水野氏上D経済,福嶋氏工,政治,石井氏よ,農業おエび土地制度, さらに平野氏より地域開発の各側面から多角的に報告を行っていただき,ブラジルの現状 について立体的な分析をした上,酎議と質疑応答にうつりた('2。 次に報告要旨を略述しておく。 O水野一氏(上智大学敬授) エ964年革命後,ユU年間にブラジルはいちぢるしい選済成長を遂げてきた。とくに 68年以後は,年平均9,5以上の成長率を示すとともに根強いイソフレーシ。ソもしだい に弱支D,グアナパラ州生計指数によると71年以後は20%を観る堂でになった。今 年の成長率は上期のトレンドをのばすと10.675暖業5%,工業ユ5%)位になり, 最近の原料の供給面におけるネブクを差し引いて、9~】U鴇になる予定である。昨年は GNPも50u億ドル他界8位)を越え,輸出は55億ドルに,外貨準備は(72.6 月)で60億ドルとなっている。 これらのブラジルの奇跡と呼ばれる経済成長を支えた要因としては主に次の5つが考え られる。 ①軍事政禰による政治的安這 ②価値修正,変動為替相場によるインフレ抑制,貯蓄増だ ③国内資本を補うための外資の積極的導入。 ④変動相場,各甑の振興策に上る輸出の促進。 ⑤民業の振興。 又』「ブラジル20U2年」を書いたシモソセソ教授は汰の6点を挙げているC l)イソフレ抑制を長期的にかつ斬新的に行なったので金融危纏が避けられ,民間部門 に対する信用が回復されう妬 -43- 2)~通常の銀行以外の金融制度の確立,例えば退職保証基金や財形貯蓄による資金をもっ て住宅銀行を設立し,これによって工業化のための融資や重点部門への投資を行う。 3)輪出への振興策,その結果,1)プラジルエ業の質的改善(鏡争原理の導入)Ⅱ) 国産品に対する新しい需要,Ⅲ)国際収支の改善Ⅳ)外資導入能力の増大 4)外資の大量流入 5)農業に対する助成,ブラジルでは農業部門かユ鴇増えるとGNPはu、5%増える と言われる。国内インフレの抑制。 6)政府と民間の協力体制,政府はイソフレ部門に,民間はその他の工業部門に重点を鰹 〈・ 次に,ブラジル・モデル(ModeloBrasileiro)の特徴は①輸出の促進 ②外資導入③農薬と工業の均衡発展④インフレ抑制であるが,これは従来のE CLAが一次産品の交易条件の患化にとらわれすぎていたことに対するアンチ・テーゼであ る。 、その評価としては,新しいう米発展のモデルであると言ってよいと思われるが,ECLA によれば,その問題点は①外賛依存型であること②所得格差の増大にあるとされる。 しかし,逆に,ブラジルのデルフィン・ネプト蔵相は外資はなくてもやれるが,利用した 方がより速い発展が出来るとしている.つ戎外外資の有無では成長率は7.3%と6.ユ 男であり,所得倍増するのに3~4年開きがある。又,対外債務にしても;外貨準備の比較 をみると,67年が33億ドル:2億ドル72年が1U0億ドル:5U億ドルとなっておク 憂慮する程ではま('もさらに所得の分配では,賃金を通じてではなく,教育を通じての雇困 増大-,所得の均衡によってなされると反論している。 ②福島正徳氏鮖植大学助教授) 現軍事政樋の安定要因の一つとして軍部とテクノクラートの結合を挙げるのが通説となっ ている。揮事政楢下にあるため研究が困鐘となっているC)しかし,このためにブラジル の政治の歴史に64年を境に大きな断層があると考えるのはよくないように思われる。 エリートが不足し,組織化かおくれていたブラジルでは以前からテクノークラー卜を動員せ ざるを得ない状況力存していた。.例えば産業界や政界の編成が行なわれたユg3o年頃から ▲●■ のパルガス政権以来,多くの平・政府関係者が公営企業のトップにはいっていった事実かみ -44- られる。64年革命によって,造る程それらの人☆自体は一掃されたが,軍事政楢の路駿 にみあった特定の思想の人々が出てきたという点ではともにテクノクラートであることに 差はな児従って,64年を境にテクノクラート達の一層の活用が始言ったという方か適 切てら~ 1958年-69年にかけて大学.教会を中心とする反政府運動を抑制したあと,軍事 政権は経済成長を背景として積極的な対外政策を展開する。一方,軍自体も率大学に政治 ・社会・経済などの露義を開いたり,あるいは民間人か正大学に学ぶということを通じて いろいろな人々と接触をもち,視野を広めている。又,ブラジルに関する講義を中学から 大学室で義務化し,なんとかして国民のコンセンサスを形成しエゥとしているcさらには 柔軟ではあるが積極的な公営企業化(電信・電話)・州単位での外国企菜の吸収化を行な っているb 内政に関してい,と,宣す政治ストは禁止され経済ストは労働裁判所で処理されている。 楠報部活動は積極的であり,予防拘禁もある。69.9月には死刑の適用か開始され,皿 事裁判の管轄窟かl広大されている。国会対策では公民楢の剥奪,公職からの追放,政党の 解散がなされ,形式的には二党制をとっているか,]97U年の選挙では事実上一党制に 左っ7t◎困離に際しては国会は休会をもって対処し,又地方自治に対する制約も大倉児 外交の面では,1968年頃注では海外(とくに米国)からの援助に依存し,経済成長 は不十分で,国内体制も未確立であったために対外政策もさほど活発的ではなかった。し かし,ユ968-9年をさかいに,ブラジルは米国とリンクしながらも世銀.米州銀行か らの借入れを行いlg7U・3月にはZuO海里錘をとなえて,プラジノルの周辺海域をかた めてゆこうとしてい蜀又,米ドルの下落にエろ,輸出の促進さらには市鰐の多角化がは かられた。アユ~72年のブラジル政府首脳の訪米.妨日,アルゼンチン大銃領の訪伯, アフリカ諸国の外相の肪伯など外交政策も活発化しているが,要約するば国民の=ソセン サスを得るための外交と言える。 最後に各政楢の特色を述べると,力ステープランコ政繼ではインフレ抑制と反軍事勢 力の一掃,コスク・イ・シノレペ政権では軍事政描の性格をゆるめよう(hmmnniza- tion)としたが,その後半には,反政府勢力の台頭もあって預種的な治安対策をとった。 〆ディシ政櫨ではテクノクラートのさらなる活用かはかられ,北東部,アマゾン.、中西部 地域の飴発・対外政策の多角化かはかられたか,全体としてはデリケートな運営が左され ている。 -45- O石井陽一氏(神奈川大学助教授) ブラジルの高度成長の要因としては農業の振興も忘れては左ら左いものである。ブ ラジルでは食料品の不足がイソフレに拍車をかけているという観点から農産物の増産が はかられ各種の助成策がとられた。 ①をず農業融資の拡大である。1967,中央銀行・決議・第69号によって市中銀 行も預金残高の’0%以上を農業金融に向けねば造らなくなった。②次に農村の電化で ある。農民も5U家族以上を単位に電化組合を作ってある程度出資する一方,政府はイ ソクラを通じて,その助成とともに長期の融資を行なったo電化は都市と農村の文化の 差をうずめるだけで注ぐ,潅潅・消毒の動力源としても不可欠のものである。③最後に リオ・グラソデ。F・スール川とサソフラソシス=川流域の潅漉・開発が進んだことの 3つで.ある◎ エ966年は新農業組合法が制定され,農業組合の助成がはかられ7t・本法によっ て農業組合は所在地と隣接区域を基盤として育成されることになったが,-時は中南米 一の規模をほこる日系のコチア産業組合をつぶすためとも言われた。コチア産組はユ万 o-.4口 3000人を擁する大農業纏合である力:(この他にもアシス・ブラジル狙合66UO人 力;ある。)木組合は組合員から出荷額の3U%という高い手数料をとって営な責れてい たが,中央に農事部をもうけてそこに多くの技術者をプールして,技術の研究や試験な どを通じて農業指導を行なっていたために,言葉の問題もあって多くの日本人・日系人 がそこに参加していたのであるか,-面では多くの日系人がそこに就職ロを求め,組合 員3人につき,職員ユ人という注でになり,農業生産を行う商事会社的性格を帯びてい たので参ク,幹部は農業貴族化したとさえいわれる。 しかるに,前述した新農業組合法によって,コチア産組は各地に単組をもうけて分解 ・され,その中央会としz従来のものが存続する形と承った◎との結果単運には民事部を 設ける財力がないためにpractiCal竃営農指導を行なって、らえ赴くなると同時に かっては農協を通じると税を免除されていたのが,ユ966の流通税にエって平均ユ8 %(出荷額の)の税を払わねばならなくなった。 ユ969.3月には政令第494号によって,外国人もしくは外国籍移住者の土地 所有制限がなされだ.これは軍部を中、心とLノて,外国人が土地を所有すると,国が長さ れるという誤解から生じたものであるが,この結果,日本人を含めて,独立して民業を 営むのが困難となった。しかし,イタリー籍やドイツ籍でいた宣室の移住者や彼の代護 -46- 士を通じて1971年に改正法が通り,国内に居住する外国人や法人も土地を所有できる ようになった。 日系人は主として野菜・果物の生鮮食料品を中心にブラジル社会に浸透しているが,曾 葉の問題もその一因であろうc最近では,日本の通産省や農林省でも,ブラジルの大豆や とうもろこし,畜産に目をやっているが,(米国の大豆規制もろク)これらは大規模な樫 械生産(とくにリオ・グラソデ・ド・スール州)で参ク,日系人はほとんどタッチしてい なし、しかも,ブラジル民法の11条に外国の政府,もしくはその指導を受けている組織 に上るブラジルの不動産取得を禁止している条文があるために基本的には民間ベースで進 める方がよいだろう。 O平野重利氏(海外移住事業団,技術移住課長) 私はブラジルのノルデステ(北東部)地域の現状分析を行い宣すが,現在のブラジル の基本政策は,国家統合計画であり,その柱は地域の経済格差の解消・所得格差の是正の Z点であるロノルデステはしばしばブラジルの貧困地帯であるといわれるが,その後進性 を理解するためには,当地域の気候・地形,さらには奴隷の流入といった歴史的条件を考 慮に入れる必要があるだろう。 ノルデステは北はマラニヨソ州から南はペイーア州に至る南緯2.5度~18度にあり 面積は国土の18%(日本の4倍)人ロは32%(2800万)をしめ,多くの地域で人 口密度は50人/ib2(72年,国全体では11.18人)をとえ,人的資源にはめC堂 れている。海岸からほぼ100血進むごとに沿岸・平原・かんばつ地帯となっておク,雨 量は100~5U0画であるか,一時期にふることか多く,干ばつ地帯が同時に水害地帯 ともなるロこのため以前から睦民問題をかかえ,ノルデステは多くの主要な政治家・軍人 を生むと同時に,急進的な進歩人も輩出してきておク,ゴラール政権の頃には共産革命の 可能性すらあったと言われる。ノルデステは最初,Paudobrasilを通じて,つづ いて砂鱈地域として商品経済にくみ入れられるのだが,この過程に,その後の発展をセー ブした原因があるエゥに思える。即ち,モノカルチマーの砂鱈蕊嗜を通じて,地主と被搾 取層との分離が明砿となり,さらに奴隷の流入によりbアフリカとポルトガルとの文化的 ・人的混合が注されたのであるo しかし,l85U頃をさかいに,産業の中心は南部へ移ってゆき,かつての先進一後 -47- 進域は逆転することに童っ妬その一因としては外国植民者・移民が南部に集中して,ノ ルデステにはいらなくなったことも考えられる。 現在のブラジルの産業構造は-8k.二次・三次かそれぞれ19.4%,29.エヲ6,5 ユ.5%となっているか,ノルデステで絃一次が80%・二次か】5.6%と明確に農村 における大地主制度の残置がみられる。又,教育にしても初等の1年には相当年令人口の 78%が就学しても,高学年には18%しか就学せず,高等教育に進むほど,急激に就学 率は低下している。このため,文盲率は国全体より6か左,底いものとなっている□ 次にSUDENEについて述べようoこの前身は1909年の連邦政府によるサソフラン シス=川の流域開発に宣できかのぼる。クピチニプク以来,政府は工業開発に中心を歴< とともに農村改革をうちだしていたが,革命後の第ユ次計画(~1967)ては,インフ レ抑制と経済の不均衛是正,第2次(~1970)てはイソブレ抑制と経済成長率の促進 がはかられた。第3汰(~1973)ては高度遷済成長のために内陸開発を中心とする地 ・域開発が進められたが,南部との格差はむしう広がった。 第4次では,農業部門の開発に重点をおいて植民地の造成,各種試験場の増設(とくに サソフラソシス=河流域全体に)がなされる予定である。 奥地の農業技術については,17~8年前に入植した日本人がリーダーと注っておい ブラジル人もそれにみならっているように思われるO高級・中級技術者は南部から,ある いは日本から呼んで行なっているcいづれにしても,都市に流出した人口も条件しだいで は農村にUターンすることが多くあり,いか忙して,ノルデステにある人的資源を活用す るかが大き左課題であろう。 以上 -48-
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