India Report 2015.4.29-5.7 デリーとムンバイにスタジオを持つ

India Report 2015.4.29-5.7
デリーとムンバイにスタジオを持つカンパニーDanceworx の アシスタントコレオグラファー原田
優子さんは同郷、仙台の出身で、2011 年に起きた東日本大震災後、彼女から年に何度か連絡があっ
た。
その後、かつて彼女のソロ公演を一部助成した国際交流基金ニューデリー日本文化センターから「仙
台とインドを繋ぐことは何か出来ないだろうか」という提案があり、仙台を拠点に活動している私
に声が掛かった。
インドという未知の世界に大きな期待と不安を持ちながら、私は古典舞踊とコンテンポラリーダ
ンスの関係や、インドのアーティストたちがどこに意識を向けて活動しているのか、興味がわいた。
9 日間のインド滞在中に、デリーとバンガロールにある舞踊学校、ダンスカンパニー、ダンススペー
スなど 8 カ所を視察することができた。
インドには、国立演劇学校という舞台芸術分野で代表的な場所があるそうだが、今回視察したと
ころはすべて民営とのこと。また、ダンスに関して、劇場がカンパニーを持っているということは
なく、劇場は主に貸館として運営されているという。
◎2015 年 5 月 1 日(金)
デリーにて
★Ganesh Natyalaya
古典舞踊バラタナーティヤムを学ぶ学校へ。
稽古中のスタジオを訪れると、在印日本人 10 名ほどが踊りを習っていた。転勤で 2〜3 年という期間、
インドへやってくる方が多いのだそうだ。火曜と金曜は日本人のためのクラスがある。
2 作品を踊って見せてくれた。
バラタナーティヤムは、ほぼ中腰
の状態で、手のひらや指先がひら
ひらと舞い、顔の表情の動きも妖
しげで美しい。振りも、純粋な身
体表現と物語を表現している動作
がある。長く踊り継がれてきただ
けあり、隙のない完成された世界
という印象を持った。
そこに古くささを感じなかった
のは、音楽を様々なリズムで刻む
足、指先、眼の細やかな動きが観
る者を飽きさせないからではないかと感じた。
★Bhoomika Dance Centre
6 月に本番を迎えるという作品の一部を見学。
インドに伝わる神話をモチーフに創作したという。見せてもらったシーンは、古典舞踊の様式美と武術
の動きと混ざっているが、少し古典色の濃い印象がある。身長と同じ長さの棒をダンサー1人1人が持
ち、円になって踊る。背伸びやジャンプをし、頭の位置が高くなったり、脚を大きく後ろに引いて低く
なったりと、ダンサーたちは実によく動く。
インドの古典舞踊はフィジ
カルな動きが多いので、コン
テンポラリーダンスと融合し
やすいというのが理解できた
気がした。インドでは古典舞
踊を学んだ後、コンテンポラ
リーダンスへ流れてくるダン
サーも多いという。
話を聞かせてくれたディレ
クターの Sangeeta さんは、
「古典舞踊を学んだ身体、培
ってきた精神や表現力は隠そうとしても見えてしまうもの。なので、流れに身を任せる」と言っていた。
身体的な土台、根や幹の部分がしっかりとしていれば、枝葉はどこまでも伸びていく。
デリーの街路樹のように、インドのコンテンポラリーダンスには多くの可能性がありそうだと感じた。
◎2015 年 5 月 3 日(日)
バンガロールにて
★Shoonya
ここは、出来たばかりの空間。現在、鏡なし、定期クラスなし、ワークショップのみ実施という形態
である。このスタジオを支える支援者からのサポート、それとワークショップの収入によって運営され
ているという。
すべてが公演へ向かう、ということではなく、創作の過程、経過をスタジオがサポートをし、「そこへ
行けば何かやっている、何かおもしろいことがある、そんな位置づけになっていけたら」とゼネラルマ
ネジャーの Harshika さんは話をしていた。実際すでにそうなりつつあるのではないかという出来事があ
った。
この日、場所だけを見せてもらうことになっていたのだが、あまりに解放的で気持ちのよい板張りの
スタジオを見ていたら、(ここにどんなダンサーたちが集まっているのか、会って話を聞いてみたい。
踊っているところを見てみたい。)という衝動にかられ、急遽、バンガロールを案内してくれていた Deepak
さんの助けを借りて、ダンサーたちに声をかけてもらうことになった。
「突然のことだし、そんなに集まれないかも知れない」と Deepak さん。
ところが、20 名以上のダンサーが来て、彼も驚いていた。ダンサーたちとは、カラダを動かし、話を
した。
この場所は、ここに居る人たちは、私に故郷を思い出させた。「またここに戻ってきたい!」と思った。
人が場所をつくり、場所が人を育てていく。そんな相乗効果が起きそうな匂いがした。
★Lshva
スタジオとギャラリーが並ぶ空間になるそうなのだが、建設中で観ることができなかったのが残念だ
った。ディレクターRukamini さんの勢いで、新たな繋がりやコラボレーションがここから生まれそうな
予感がした。
◎2015 年 5 月 4 日(月)
★NATYA STEM DANCE KAMPNI
1964 年デリーに創設されたが、1987 年にバンガロールの大学に 3 年間の振付家コースという学部が設
けられるのを機に移設。卒業制作にはインドの社会的問題をテーマに、リサーチ、構成、音楽を決め、
ダンス作品にする、というプログラムがあるそうだ。
カンパニーは、30 数か国へツアーで巡り、大きいイベ
ントを年に一度開催。
また、劇場を飛び出し、ショッピングモールで踊る、ダ
ンス写真の展示、映画の上映、ワークショップなど“観客
のためのダンスフェスティバル”を企画、2011 年から実
施。
カタック舞踊の歴史となる資料のアーカイヴ、35 歳以上の人たちのクラスを開講するなど、教育、パフ
ォーミング、そしてアウトリーチ、すべてにおいて網羅されている印象だ。
「北インドに伝わるカタック舞踊
の芯は変えず、その場に合った形
でダンスが地域に根付くような工
夫をしている」とディレクターの
Madhu さんは語る。
「ダンスは、専門知識・技術を必
要とする職業なのだと、社会に発
信していく」彼女の話はとても明
確で、私は感心しっ放しだったが、
同時にこれだけのことを行なって
いても、キャリアとして認められ
ていないというダンサーの現状も垣間見えた気がした。
★ATTAKARARI
2001 年に創設。
カンパニーには 14 名のダンサーが所
属しており、パフォーマンスの他、学
校やコミュニティでの指導、企業のイ
ベントなどのアウトリーチ活動を行
なっている。一年間のディプロムコー
ス(学部と修士の間)では、20〜30 名
を受け入れ、週に 5 日ダンスに関する
ありとあらゆることを学ぶ。卒業後、
6 ヶ月のプログラムがあり、ダンサー、振付家を仕事としていけるようなプログラムが組まれているとの
事。カンパニーメンバーとなるには、1〜2 年間の見習い期間を要するのだそうだ。
また、2 年に一度フェスティバルを開催。この中に、若い振付家を対象に 5∼6 週間のレジデンスを実施
するプログラムがあり、若手振付家のサポート、育成に貢献している。
各所で活躍しているダンサーもこの場を通っている人が多い、との話だった。Shoonya でも ATTAKARARI
に居たというダンサーに会った。
国際的な取り組みを積極的に行なっている印象だ。
2015 年 5 月 6 日(水)
再びデリーにて
★a unit of performing arts Sadhya
ここはコラボレーションに積極的なカンパニー、と聞く。
彼らが主催する「World Dance Day」では、10 本のプログラムを上演し、ベリーダンス、カタック、ヒ
ップホップなど 130 名の多種多様なダンサーが参加したという。
垣根のない場を設けたい、と思ってはじめたそうだ。年に一度の開
催、もう 5 回目になる。
また、Indian Habitat Center と共催の「Quarter Fest」という
フェスティバルは年に一度、15 分の作品を 1 日 4 本×2 日間上演す
る。8 名の振付家は、所属関係なく、バックグラウンドや創作過程
を見守りながら選ばれるという。再演も可。この企画は、現在、国
内に留まっているが、いずれ海外にも拡げていけたら、と 芸術監
督の Santosh さん。
カンパニーは、1998 年に創設。
メンバーは、毎週金曜に行なわれるオープンクラスから、週 3 回の
3 か月コースで、ボディコンディショニングや、チャオ(西インド
に伝わる民族舞踊)、即興・振付のクリエイションなど学ぶ。この
期間に、ダンサーが持つ身体以外の潜在性や人間性を観察し、問題
がなければ、さらに 3 か月の見習い期間を経て、入団。現在、13
名のダンサーが所属している。
Santosh さんは、「アーティストとして生きるこの旅は、何かを成
し遂げるのではなく、学びの一途である。その中で、一番大切なの
は、幸福と平和だ」と言っていた。
話を聞いてから、見せてもらった作品は「原始の人たちがどんな風に生活していたか」を再現した、
という内容だった。恐るおそる舞台に踏み入ってくるダンサーの姿を観ているうち、私も、森の奥深い
ところに彼らといた。
自然への畏怖、仲間と戯れる、いのちをつなぐために獲物を捕える。死。生きるということ。
生きて明日を迎える、ということの歓びを、ただ素直に噛みしめながら、涙した。「あぁ、仙台の、東
北の人と一緒にこの作品を観たい」とつよく感じた。
★THE GATI DANCE FORUM
コミュニティ・ダンス・スペースとして 2005 年に小さなはじまりがあり、2007 年に 3 名で創設。
創設後 2 年間は「なんのためにつくるのか?」「この国におけるコンテンポラリーダンスとは?」を考
えながら、方針が形成されていったという。
それは、それぞれのダンスをカテゴライズせずに、まずはそれそのままを見守っていく、ということ。
そして、ワークショップなどで講師を依頼
する際には、引っ張っていく人やリードする
人ではなく、インドのコンテンポラリーダン
スに貢献できる人を招聘した。すなわち、
「型」
ではなく、「指導法」や「つくりかた」を中
心に持ってきたのだそうだ。
そうして 2009 年にレジデンスをスタートさ
せる。
若手振付家のために、スペースと資金、集客
すべてにわたるカバーと、メンター(助言者として若手振付家に質問を投げる人)を提供する。当初は、
メンターという役割を担える存在も少なかったので、そのためのワークショップをはじめたそうだ。
現在は、国内および国際的視野を持つメンターに参加してもらっていて、2 ヵ月半のレジデンス期間に、
メンターによる試演会、レジデンスアーティスト同士による試演会、本番 3 週間前には、一般公開によ
るワーク・イン・プログレスの実施と、常に作品についてのやり取りを行ないながら、作品制作をして
いく。
過去にこの GATI のレジデンスを経験
したダンサーの Rachinika さんは、
「そ
のときは混乱していたけれど、作品制
作するときに問われたことは、今も自
分自身に返ってくる」と話していた。
この他にも、6 人の振付家が 6 分間
の作品を上演する「6 キューブ」、様々
なジャンルのダンサーが集まり、対話、
ディスカッションを行なう「ダンスユ
ニオン」など興味深い取り組みもここにはあった。
様々なレジデンスがインドではじまっていること、ここを通ったアーティストがあちこちのプロジェ
クトに関わっていること、学校ではなくアーティストのユニオンとして広がってきていること、手応え
を感じていると 責任者の Mandeep さんは言う。創設から 10 年も経っていないのにこれだけ成果を得て
いるのは、本当に素晴らしい。
★その他
パーカッショニスト Schet さんに会って、
2014 年からインドではじまった音楽フェスティバル「ETHNO」
の話や彼の演奏を聴いたり、ダンス公演「the Navdhara show」を鑑賞、Gurgaon にある Danceworx Academy
にてワークショップをさせてもらったり、
見知らぬ土地でこれほど多くの人た
ちに、表現に携わる方たちに出会うこと
ができたのは、大きな喜びだった。
今回視察したスタジオやカンパニーは、経済的に恵まれた環境にあるというわけではない。
国からのわずかな助成や財団からの支援のほか、チャリティ公演や企業のイベントで踊り、人脈を
拡げ、自分たちの活動に理解と共感を得、個人や企業にも支援してもらうなどの働きかけをしなが
ら運営している。人が育つためにはそれなりの時間もかかるし、結果もすぐにはついてこない。
だから、長期的なスパンでの支援や協力は、とても重要だと感じた。
それは経済的なことだけでなく、精神的な面においても果たす役割は大きい。
こうやって別の土地を観てまわると、自分の周りにある状況と比較してしまい、「ない」という
ことにばかり捕らわれてしまいそうだったので、純粋に「ある」ものに対して目を向けるようにし
ながら各所を視察するよう心がけた。
訪れたどの場所でも、私たちは温かく迎えてもらった。
話を聞きはじめると、今ここに至るまでの経緯に興味を持った。
彼らはとても明確に、自分たちの、先輩方のたどってきた道程を教えてくれた。
「だから、今、私たちはここに居る」という説得力があった。
古典舞踊の様式美、そこで培われた身体と新しい表現との出会い、インド映画のダンス、古典舞
踊に様々なダンスシーンの要素をミックスして振り付けられた Bollywood の台頭。
ここから、インドのコンテンポラリーダンスはどこへ向かうのだろう。
いくつか見せてもらった踊りのテーマを聞くと、インドのダンスは、宗教ととても深く関係してい
るように感じた。
もし、神話や信仰による精神論から少し離れた作品があるとしたら、どんなことをテーマに掲げる
のだろう。インドにおけるダンスと宗教との関わり、私には想像することしかできない。それは、
とても複雑で難しそうだ。
Shoonya に集まってくれたダンサーたちと話をしたとき、「どんなに暗くて落ち込んでいても、踊
ることで Happy になれる」という意見がでた。
それは、「社会に対してダンサー・表現者としてどんな発信、投げかけをしますか?」という私か
らの問いへの答えだったのだけど、それは後からじわじわと私の中で拡がってきた。Santosh さんの
言っていた「幸福と平和」という言葉を思い出した。
アートに触れることで日常がいつもと違った景色に見えたり、嫌なことを忘れることができたり、
気持ちがふっと軽やかになったり、そんなアートへの評価と認識が社会にあって、世の中の人すべ
てが Happy になるために踊りだしたら、ダンサーという仕事はなくなっていくかもしれない。ダン
サーに限らず、きっと他のアーティストの仕事もなくなっていくだろう。それは、究極の世界だと
感じた。
「社会」という括りになるとどうも漠然とした意見や考えが出がちだけれど、自分の身近にいる
誰かと繋がっていく、出会った誰かと繋がっていく、Happy になるために。
その単位で考えると、インドも日本もそう変わらない。ここからまた新たな繋がりを持つことがで
きそうな気がする。
*最後に、視察させていただいた舞踊学校、ダンスカンパニー、ダンススペースの皆さん、本当にありがとうございまし
た。通訳を介しての私の理解なので、もし解釈が違っていたらご容赦ください。
*国際交流基金ニューデリー日本文化センターの夫津美佐子さん、Danceworx の原田優子さん、このように考える機会を
与えてくださり感謝しています。ありがとうございました。
千葉里佳(ダンサー・振付家/制作)
千葉里佳プロフィール
ダンサー・振付家。
仙台市出身。3歳よりクラシックバレエをはじめる。
持ち前の好奇心を道しるべに身体表現の可能性を探す振付家。
そして、踊ることのよろこびとうれしさとせつなさを体現するダンサー。
クラシックバレエに基礎を置きながら、境界を越えて、
映像、美術、音楽、テキスト、非劇場空間とのコラボレーションを試みる探検家。
BalletCompany~demain~主宰。HyperWind 運営委員。NPO 法人バー・アスティエ協会理事。
また、2011 年に起きた東日本大震災を機に、伊藤み弥と共にカラダとメディア研究室を立ち上げる。
「踊りに行くぜ‼」Ⅱ(セカンド)仙台公演のサポートをはじめ、ダンス・ワークショップの実施、
「国際ダンス映画祭 in 仙台」、MDM ダンスプロジェクトなど、ダンスを通して“心くすぐられる
街”“遊び心溢れる人づくり”のための制作活動も行なっている。