英語動詞句の概念スキーマ

研究論文
英語動詞句の概念スキーマ
──状況認識の構造投射──
溝
口
健
司
キーワード:状況認識、動詞句、概念スキーマ、構造投射
0.はじめに
言語は生存の道具である。そして、われわれは物質である。この意識ある物質が経験する言語現象は、
ほとんどが意識に上らない。したがって、言語に関する仮説は、言語現象の核心的機序が「見えない」こ
とを自覚して構築されなければならない。この点はあらゆる領域の科学的アプローチも同様である。物理
学ほかすべての「学問」が現象以外なにひとつ「見えない」にもかかわらず
(むしろ、だからこそ)
仮説を
構築し、現象断片を用いて検証・反証を繰り返すのである。もちろん言語に関する仮説は、最終的には
(非
言語的検証素材である)物理的言語表現をも含めた形で、あらゆる言語現象を整合的に説明できなければ
ならない。
また、言語現象が無意識的・意識的な認識現象の一部であるからには、われわれは言語認識以外の認識
過程からも多くを学ぶことができるはずである。生物個体が生存持続を最大目的としているとすれば、基
本的にあらゆる生物活動が生存持続というひとつの目標に収斂し、他の認識活動と類同の戦略で個体は言
1)生物個体が物質主体
(身体)
として存在する状況(世界)、
語を道具として利用していても不思議はない。
およびその状況と相互に関わる物質個体の日常的な認識過程を反省的に観察することが、言語現象の機序
や本質を理解する糸口を提供してくれる。
本稿は、言語構造はわれわれ認識主体が経験する状況認識を類像的に言語空間に投射した概念構造であ
るという仮説を提示する。なかでも、英語動詞句の構造は、認識主体がその認識空間において焦点化した
任意状況およびその原因であると認識主体が想定する先行状況から、認識主体が言語空間に高い類似性を
もって構成する関係概念ゲシュタルト(プロセス概念)
であり、言語のこの概念構造が基本的な言語事象の
整合的説明を可能にすることを示す。
状況認識構造と言語構造が類像的であることは、生物個体にとって経済的であり、その生存持続を有利
に運ぶ。外界の現在状況情報を収集しようとする 5 種の感覚システムが高次レベルでそれなりの類同性を
もつように、生物個体の生存持続目的にとって必要な生存の道具である認識能力や言語能力を装備する場
────────────
1)生物に生存目的があるかのように目的論的表現で記述する場合が多いが、これは表現の簡潔を優先するからであ
るにすぎない。認識主体における目的概念の出現は、無意識的であろうと意識的であろうと、認識主体の後付け
解釈(概念のある種の存在化)
による。
― 43 ―
合、先行存在する認識構造と異なる構造を案出するより、既存の構造を模倣することが経済的である。こ
の模倣が個体の諸処理システムが類同的に機能することを実現し、認識主体・物質主体が処理システム間
の連携によって認識操作・身体操作を有機的・統合的に実行することを可能にする。これは生物個体が発達
2)
させた生存持続のための効率・経済性の追求の産物であると考えて問題はない
(cf. 溝口
(1993)
)
。
1.無意識の重要性
3)脳の比喩的に言えば 99.9% 以上の情報処理が無意識でおこな
Libet et al.
(1983)の衝撃的な報告以来、
約 0.5 秒後に意識化され
われ氷山の一角とも言えないほどわずかな脳処理結果だけが
(“ノイズ”4)として)
る可能性が見えている現在、脳を核とする状況認識の処理過程結果が投射されている言語構造
(これも認
(noema/noe識処理過程の結果)をこの視点から真剣に見直す必要があると考えられる。ノエマ/ノエシス
sis)
を提唱したものの、意識される知覚(perception)に関する志向性については必ずしも本来の志向性の対
象ではないかのような Husserl
(1921 : 787)
の弁明にしても
(cf. Moran & Cohen(2012 : 237−239)、その修正
的解釈を提示した Hintikka
(1975)にしても、意識される知覚のみを考察対象とし、無意識レベルの認識活
動に
(現象学的アプローチの立場からは)当然ながらほとんど注意を払わなかった
(というより意識的に無
意識の考察を排除した)
ために、認識活動の 99.9% 以上が無意識で処理されている場合の認識活動に対す
る洞察が欠落している。Hintikka
(1975)は知覚の認識的位置付けに関して、知覚に対する志向性
(intentionality)を可能世界を射程に入れた内包性(intensionality)
と解することで新たな志向性の解釈を試みている。し
かし、内包性が現実世界を越えて可能世界内の外延を知覚所与としてではなく構成的に捕捉するには確か
に有効であるが、現実世界での意識的所与性がいかにして生ずるのか、そもそもなぜ認識主体が知覚やノ
エシスをもちうるのかについての解答は持ち合わせてはいない。この点については、Hintikka
(1975 : 198)
が“Husserl in effect retained the nonitentional character of ‘pure’ perception, and introduced the intentional element only secondarily, in the form of an act of noesis superimposed on the perceptual raw material”と記述して
いることは興味深い。Hintikka は、あくまでも意識上でのことであるが、
「純粋」知覚は志向的ではない
受動経験であるけれども能動志向的行為であるノエシス
(an act of noesis)がその「感覚与件」に二次的で
はあるが付加(superimpose)
されると Husserl が考えていることを指摘している。要するに、Hintikka によ
れば、知覚は認識主体にとって受動経験であるが同時に認識主体が能動意識的に志向性を向ける対象でも
あると Husserl が考えているということになる。本来 Husserl の考えでは、志向性は方向性(directedness)
であり、
をもち、認識主体からのノエシス行為の志向対象であるノエマに能動的に向けられる行為(act)
ノエマがノエシスを介して認識主体に働きかけるものではない。この点に関しては、Hintikka
(1975 : 197)
が指摘する通り、Husserl が志向性は認識主体から認識対象ノエマへの方向性であるという考えに固執し
たことにより生じた Husserl の立場上の難点であるといえる。しかしながらそもそも、Hintikka のように
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2)Givón(1985 : 189)
が提示するコードと経験の類像性(iconicity)
のメタ原理(All other things being equal, a coded experience is easier to store, retrieve and communicate if the code is maximally isomorphic to the experience.)
もこの経済
性に言及したものである。
3)Libet
(2004 : 198−199)
によれば、意識的精神活動(conscious mental events)
は脳の無意識的処理活動(約 0.1 秒以
下)
より約 0.5 秒遅れで意識化される。
4)意識とノイズの類似性については、2.3 を参照。
― 44 ―
志向性を内包性と解釈することで現実世界の知覚の様態が説明できるわけではない。意識上の現象しか対
象としない現象学的発想では、無意識領域に(無意識の)
知覚や
(無意識の)
ノエシスが存在する可能性を考
えもしないだろうし、ノエマやノエシスが無意識で認識されてから 0.5 秒後に意識に出現するなどという
立場をとりえないことから、意識上のノエマやノエシスが
(無意識的でもあり意識的でもある)
認識主体に
とって過去経験であるということを理解できないはずである。言語構造が基本的に無意識的構造であり、
言語現象が認識現象の一部であることを理解すれば、認識主体であるわれわれ自身の認識構造過程を反省
的に再点検しておく必要があるのである。
認識の分析手法として形式
(form)を先験的知識として提唱した Kant5)やノエシス/ノエマ構造を提唱し
た Husserl は、ノイズ的存在である意識上の現象のみを考察対象としていたために、無意識をも包含する
認識過程の全体像を把握することができなかった。これは、無意識的認識が認識活動のほぼ全体を占める
という観点をもちえなかったためである。認識過程の本質を知るには、断片的な意識内容を経験データ
(検証材料)として精査する必要はあるが、それよりも無意識内容に関する洞察や仮説構築がはるかに重要
になる。それは、あらゆる事象における理解は仮説によるのであって検証データによるのではないからで
ある。仮説は理解の一様式であるが、検証データや検証はいかなる意味でも理解そのものではない。われ
われは、先験的知識やノエシス/ノエマ構造が生ずる以前のわれわれ自身の無意識的認識過程の実態を明
らかにする必要がある。
科学的方法論においても、基本的に見えない存在に関する仮説
(理解・説明)
を構築することが目的であ
って、現象は仮説構築のヒントあるいは仮説検証の経験データとして存在するにすぎない。リンゴが落ち
る現象の背後にある見えない引力を仮説としたのが Newton であり、物質空間のマクロ現象を説明しよう
として見えない法則である相対性理論を仮説としたのが Einstein である。また、物質空間のミクロ現象を
説明しようとして量子論を仮説としたのが Bohr である。そもそも科学では、
「見えない
(五感では検知で
きない)」法則を発見・理解することが目的であり、結果それが「見える
(とされている)
」現象を説明でき
ることが「確認」されれば検証されたことになる。ただし、なにをもって「確認」できたとするのかとい
う問題は解決されていないままである(cf. Merleau-Ponty(1964 : 6−18))
。物質空間を支配する 4 つの力(重
力・電磁気力・強い力・弱い力)、ダークマターやダークエネルギー、また素粒子・ひも6)などはそれ自体
「見えない」存在として科学的研究対象となっているのと同様に、意識的認識過程や意識的概念を作り出
す機能をもつ無意識認識過程や無意識的概念(概念はほとんど無意識的存在である)
を研究対象することも
科学的であると考えて差し支えはない。言語研究における検証データは、認識空間で認識される
(脳内)言
語および物理的存在として認識される(脳外)言語表現である。
言語表現は、認識空間外存在物であるから認識的構造をもたず、それ自身もちろん言語ではない。7)言
語表現は脳内の言語ではないからこそ、言語表現作成者以外の言語使用者がこの物理的存在
(から発する
音波や電磁波)を感知してコミュニケーションが可能になるのであり、言語は脳内にあって脳外に出るこ
とができない。このような「見えない」ものを研究対象とすることは、本来遅くとも Freud の無意識に関
────────────
5)Caygill
(1995 : 204)
。
6)ひも(string)
については、Greene
(1999)
参照。
7)喜怒哀楽や愛情などを示す感情表現は、身体的(物理的)
行動であって、感情そのものではないことと同様であ
る。また、Mizoguchi
(1980, 1984, 1986)
、Chomsky(1986)
を参照。
― 45 ―
する研究成果8)の公表時には科学者は明確に自覚すべきであったと思われる。科学は「見えない」ものの
本性を研究対象としている事実にもかかわらず、その事実に対する明確な自覚が欠落していたことが原因
で、五感でナイーブに捕捉できない事象をすべて研究対象から排除してきた。言語に関わる研究領域で
は、アメリカ構造言語学が、言語学と標榜しながら皮肉にも、そもそも言語ではない存在物である物理的
言語表現を基本的な研究対象とし続けたという悲劇的な歴史がある。しかし実際には、五感で「見えな
い」存在をも視野に入れていることに自覚がないままであっても、音素・形態素・構造などの「見えない」
認識的存在を言語的実体として設定したことはこの構造言語学の貢献と言える。また現在、主観的経験で
ある意識やその意識を醸成する無意識が「科学的」研究対象として扱われつつあるのは、研究対象や検証
データがナイーブに五感で検知できるものに限らないという認識が定着しつつあるからである。
以下でいくらか詳しく扱うことになるが、視覚システムが作り出す色や運動(motion)は物理的存在物
(電磁波・光子)ではなく、視覚システムという一認識システム
(解釈フィルター)
が出力として主観的存在
である認識主体に出力した「幻想」
(「脳産物」あるいは「脳フィクション」と言うべきか)
にすぎない。科
学的方法論は、初めから仮説(これも脳フィクション)
をこの脳フィクションレベルの観察によって検証・
反証したと考えてきた。物質空間で物質・エネルギーの変化・移動・運動が現象として存在するとしても、
原理的に科学者は物質・エネルギーレベルで仮説を直接検証・反証ができるわけではない。認識主体は解釈
フィルターを通してしか対象認識を実現する手段をもたない。物質・エネルギーレベルの事象が主観的認
識主体の(幾層もの)解釈装置(フィルター)を介して認識主体に認識される主観的レベルで、仮説の検証作
業がおこなわれたとナイーブにみなしているのである。視覚認識の場合、物理的存在の電磁波
(光子)は、
角膜・水晶体・網膜などの視覚フィルターの処理から始まり幾重の解釈フィルターを経て脳フィクションで
ある視覚像を認識主体に与える。認識主体は、物理的実体に直にアクセスできないわけであるから、決し
て電磁波そのものを見ているのではなく、電磁波に対応する影
(フィクション)
を見ているにすぎない。
2.現在状況の認識
2. 1.現在・過去・未来
なぜ生物は行動するのか。生物個体の行動パタンは単純である。あらゆる生物個体の最大の目的は、ま
ずは自己消滅の危険を回避し、あわよくば時間的空間的自己拡張
(遺伝子存続・拡散)
のための状況
(物質・
エネルギー)を確保することである。感覚センサーによって現在状況の情報を収集し、その情報を分析・総
合によって判断し、その判断によって自己存続に有利になるように運動機能を使って状況対応をする。人
間はもちろんミミズもアメーバも癌細胞やウィルスまた植物や菌類においても、およそ「生物」とおぼし
き存在のこの自己存続戦略パタンは同一である。植物はすでに種子の段階から光合成を効率的におこなう
ための向日性をもち、水分や栄養分を摂取するために根を伸ばす。カビもまた自己生存の可能性を環境に
探し当て自己拡張をもくろむ。その点で言えば、無生物も環境を認識して「自己」拡張をおこなう。重力
を認識してガスは恒星を形成し、物理環境を認識して結晶は成長し、核子と電子は相互の電荷を認識して
原子を形成する。
────────────
8)例えば、Freud(1901)
。
― 46 ―
また、認識主体の脳や感覚システムは、過去状況や未来状況ではなく、なぜ絶えず優先的に現在状況
(最終・最新の状況)の情報を得ようとするのか。たとえば、現在状況の情報は後回しにして、時間的に先
行する過去状況の情報を最優先に収集しても構わないのではないかと考えられなくもない。しかし、その
答えはほとんど自明に近い。生物個体は自己存続の目的をもち、現在状況の危険などの有無を確認し、現
在状況を基盤とする未来状況での自己拡張のために現在状況に物理的に働きかける必要があるからであ
る。まずは最優先で、現状維持の観点から現在状況の様態を確認する必要がある。その次に、現在状況に
対する診断に基づいて、未来への自己存続に有利な状況構築が可能となるように食糧確保・遺伝子保存・環
境整備といった行動を起こす必要がある。それには、なにをおいても絶えず喫緊の課題として現在状況の
(最終・最新)情報を収集し続ける必要があるのである。
物理的にも認識的にも、新しい状況(後状況)はすでに存在する状況
(前状況)
のなかで生ずる。絶えず変
化する現実の状況連鎖のなかで、われわれは常に最後
(最新)
の現在状況に存在している。そして、認識主
体であるわれわれは、現実現在状況を経験する場合も、過去状況を想起したり未来状況を想定する場合
も、認識主体現在において認識対象とする現在・過去・未来の任意状況が必ずそれ以前の状況の結果である
ことを知っている。しかし、いずれの場合もわれわれは認識現在時に最初に対象認識した状況
(後状況)に
その認識時点での最大の関心をもっている。だからこそ、どの場合もその後状況を最初に対象認識したの
である。われわれは常に展開している状況連鎖の任意の特定状況に注意を向けるとき、まさに最初に選択
したその後状況の様態、つまりそれ以前の状況
(前状況)
の結果としての状況様態を確認したいのである。
それ以前の前状況に関心をもつとすれば、それは認識時点で最大の関心を払う後状況を発生させた原因を
知ろうとするからである。
われわれ認識主体が現在経験する現実は瞬間的現在においてのみであることは日常経験から即座に了解
できる(cf. Merleau-Ponty(1962 : 413))
。0.1 秒前も 0.0001 秒後も現実現在としては存在していない。認識
主体の認識現在時に、認識主体は過去状況を想起したり未来状況を想定することはできるが、過去状況や
未来状況を現在するものとして直接経験することができない。認識主体が認識現在に認識経験ができるの
は、認識現在において与えられた現在状況のみである。これは、物理的存在である身体
(物質主体)
にも同
様に当てはまる。他の物理的存在物と同様、現在においてわれわれの身体が過去状況にも未来状況にも存
在しえないことも明白である。認識主体にとっても物質主体にとっても、過去状況と未来状況はその現在
時に存在しない状況である。
現在状況の現在認識経験は、その一部が情報として絶えず瞬時に認識上の過去領域(記憶)
に流れ込む
(図 1 参照)。自己存続に影響する可能性があるという意味で生物個体が重要と判断する情報以外の情報、
つまりほとんどすべての現在状況情報は認識現在時点で廃棄され記憶に残されない
(cf. No/rretranders
(1991))。そして、自己存続に関わると思われる現在状況については、その状況がいかなる原因で生じた
のか、また必要があればその状況までの経過がいかなるものであったのかを知ることが、自己が未来状況
に存続するために必要となるはずである。絶えず押し寄せるタイムスライス状の現在状況が生じた原因
と、必要ならその現在状況に至るまでの経過を確認し、有用情報となる可能性があれば逐次その原因発生
様態と経過パタンを記憶に蓄積することが未来状況へのより周到な対応を可能にする。生物個体にとって
経験が価値をもつのはまさにこの理由による。未来状況への対応準備の理想型は、現在経験と主に過去経
験から一般則を抽出しておくことである。一般則は偶有的情報より未来状況への適用範囲が広くなるので
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f+2
未来状況認識
f+1
未来状況認識
未来状況認識
f
f+n
f-1
入
流
f-3
過去状況認識
過去状況認識
過去状況認識
過去状況認識
過去状況認識
過去状況認識
f-k
f-2
瞬間
現在状況認識
記憶領域
ε
ε: 認識主体
図1
:物質主体(身体)
覚醒時状況認識現在の模式図:現在状況・過去状況・未来状況
未来状況認識を含めすべての状況認識はタイムスライスされた現在時認識であり、この現在認
識情報のごく一部が瞬時に(過去認識情報として物質主体経由で)
物質である脳の記憶領域に流
入し続ける。過去も未来も認識現在に存在する。
あるから、一般則の蓄積はその程度に応じて自己生存確率を高める
(であろうと認識主体は期待する)
。現
在状況における潜在的危険などの確認のためにも、また未来への有用情報の候補を獲得するためにも、生
物個体としての自己(とくに物質主体)においてはまずは現在状況の様態を確認することが最重要課題とな
る。
9)対象が認識焦点化されている
(覚醒時などの)認識
認識現在の認識焦点が常にひとつであることから、
現在時においては、現在状況内認識対象が明瞭に認識されるが、過去の記憶情報は極端に圧縮され網膜中
心窩
(fovea)周辺部の視像のように不明瞭にしか現在認識されないし、すぐに消失する
(cf. Pylyshyn
(2003 :
18)
)。未来状況に向けて絶えず自らの現在状況を更新し続ける認識主体は、生存持続上の観点から、ほと
んどの過去情報そのものには最低必要限度の関心しかもつことができない。
現在状況が過去や未来の状況より鮮明に認識されるのは、生物個体にとっての危険やその他関心事が常
に潜在的に存在する現在状況が生存持続に直結している状況であり、詳細な現在状況観察
(五感による情
報収集)をおこない、的確な状況判断(脳による分析・総合)
を施し、適切な状況対応
(筋運動による行動)
を
確実に実行する必要があるからである。それができなければ、個体の生存持続確率は明らかに低下する。
────────────
9)2.6 を参照。
― 48 ―
過去の記憶は 1 秒前の記憶でさえも、まったく現在経験の状況とは比較にならない程度まで劣化し不鮮明
なものとなる
(Pylyshyn
(2003 : 18))
。目を閉じて 1 秒前あるいは 5 分前の眼前の情景をどれだけ正確に再
現できるだろうか。写真画像のような細部の再現は不可能である。生物個体が生存持続を目的とする限
り、過去状況は、そこから生存持続に寄与しうる情報を
(理想的には一般化して)
抽出できない場合は価値
がないわけであるから、そのほとんどの詳細情報を記憶保存することが無意味で不必要であるという域を
超え、脳の記憶容量を圧迫するという意味で認識主体
(結果、物質主体)にとって有害となる。したがっ
て、脳は瞬時にほとんどすべての現在状況の情報を廃棄するか最低限の記憶容量で処理できるように過去
情報を圧縮する。また、未来状況は、当然のことながら現在において経験することは不可能であるから、
もてる過去情報(記憶)
と現在経験から不安定な想像によって予測構成せざるをえず、具体的な詳細をイメ
ージすることは容易ではない。しかし、不測要因に満ちた未来状況は、通常必要に応じてその概略が予想
できれば十分であるから通常は問題がない。それでも、より精度の高い予想への準備として、既述したよ
うに、認識主体は経験から可能な限り一般性が高い法則性を抽出し、この一般則を未来状況において活用
できるように知識として保存(記憶)する。これは、生物個体が置かれる未来状況においてできる限り迅速
に広範な状況に対応できるようにすることで、自己存続を有利に運ぶための生存戦略である。
身体外からの刺激を減少・遮断すれば過去状況や未来状況を認識しやすくなるという事実がある。とく
に目や耳や体表からの(認識現在時にしか存在しない)
外界刺激が強ければ、現在状況にその程度に大きな
潜在的危険などがあると判断できるので、脳は優先的に現在状況の情報収集を感覚器官に要請しその情報
処理結果(判断)に応じた行動を決定しようとする。生物個体が置かれた状況に大きな変化や変化可能性
(大火災・爆撃音・地震や「好みの」食物・異性など)
が存在するときは、過去状況や未来状況について考え
ている場合ではないのである。現在状況に最優先で対応するこの生物特性は、個体が生存持続を有利にす
るための必須の行動パタンである。脳は生存持続のために現在状況を最優先で詳細
(鮮明)
に認識しようと
するのである。
物質主体(身体)
でもあるわれわれ生物個体は当然ながら現在状況に存在している。物質主体も認識主体
と同様に現在以外の状況(過去・未来)に存在することはできない。あらゆる現実経験はこの現在状況内で
起こるのであり、その状況は物質状況であるからこそ、われわれ物質主体との物理的な相互関係
(エネル
ギー移動)を成立させることが可能になる。その相互関係はわれわれの生存持続の阻害要因あるいは促進
要因として決定的な影響力をもつ。それゆえに現実現在の物質状況に対してわれわれは最大の関心を払わ
ざるをえない。生存持続へのいかなる危険も促進要因も、生物個体の現在状況にのみ存在するからであ
る。他方、現在状況と過去状況はすでに生起してしまい変更できないわけであるからそのまま受容するし
かないが、われわれは未来状況に存続しようとする生物個体でもあり、未来状況にはなにがしかの対応が
可能である(と信じている)。
現在状況の連鎖において認識主体が知覚する性質が一定の時空的持続をもつとき、通常その性質をもつ
モノの現在状況内存在が認識的に保証される。その場合にのみ、認識主体がそのモノが現在状況に存在す
ると信じるのである。そして、経験する性質が空間的に位置を変える場合、その性質をもつモノは動くモ
ノであり、質量をもつ潜在的危険因子である。生存にとって重要なのは、認識主体が経験する性質
(クオ
リア)ではなく、その認識的性質を生じさせるモノの物理的特質なのである。理由は明白である。われわ
れ物質主体(身体)
は同じ物質である身体外状況(世界)
とエネルギーのやり取りをするのであって、脳内の
― 49 ―
脳産物である認識概念を物質世界とやり取りをするのではないからである。個体の脳内概念は永遠に脳内
に留まるのであり、脳内概念自体は身体外状況(世界)
にいかなる直接の影響も与えない。以下でやや詳し
く述べることになるが、物体の空間的変化である移動・運動が物質主体にとって最大の危険性などをもつ
確率が高い。したがって、生物個体の存続に直接影響するモノに物質主体は敏感に反応する。要するに、
あらゆる現在状況で、われわれは物質であるがゆえに状況内の物質と関わりをもつことができるわけであ
り、われわれが物質でなければ他の物質(他者)
と関わる
(コミュニケーションをとる)
ことはできない。言
語表現は言語ではなく物質であるからこそ、物質空間を通して他の認識主体に届けることができる。そし
て物質である言語表現から物理的存在である電磁波(光子)
あるいは音波という物質粒子による物理的刺激
を受けて、物質の受け手の他者は自分の「好きなように」解釈を施しているにすぎない。良くも悪くも、
基本的に社会はそのレベルのコミュニケーションつまり物質・エネルギー移動によって成立しているので
ある。このような事情で、われわれ物質主体でもある認識主体は現在状況における物質状況情報を絶えず
収集することになる。
2. 2.後状況の重要性
われわれは、状況連鎖のなかでいかなるプロセス(状況間の時間的移行)を現在認識する場合でも、前
状況・後状況ペアの後状況の様態結果に主な関心がある。後状況がどうなっているのか
(現在)
、後状況が
どうなるのか(未来)、後状況がどうなったのか
(過去)
というように、最終状況の様態が最大関心事であ
り、次にその原因に、最後にその経過に関心をもつ。変化の有無を確認したいのは、変化の結果がどのよ
10)
うな様態であるかを知りたいからである。
認識構成上、結果が存在しない(想定できない)
場合に原因は存在しないし、考えることはできない。認
識主体にとって、原因の認識(想定)は結果認識
(確認)
に対する後付けの認識作業であるからである。結果
に関心があるからこそ原因を探すのであり、原因を措定
(想定)
した段階で初めて原因から結果への経過を
認識することができる。原因や経過は結果を生み出すが、生物個体の生存に最終的に関わるのは常に結果
の状況である。前状況や中間状況は、後状況が措定・想定された時点では存在を終了したものとなってい
る。われわれ認識主体は、プロセスを認識する場合、結果の後状況が前状況と比べて変化したのかしなか
ったのかを確認し、またその変化有無の内容を確認したいのである。そして、後状況における変化有無
は、当然ながらその後状況の様態からしか見究めることができない。原因や経過は前状況内や中間状況内
でその影響を後状況に与えることはできるが、結果時の後状況で影響を与えることができないことは明ら
かである。結果時には、その影響結果は存在するが、
「影響を及ぼすこと」は後状況成立以前に完了して
いる。われわれ生物個体は生存持続の可能性を有利にする目的で、認識対象状況が現在・未来・過去のいず
れかを問わず、プロセス認識では、まず結果状況である後状況を認識し、必要なら原因があると思われる
前状況を探す。さらに必要なら、通常関心度が低い経過を含む中間状況の様態を知ろうとする。そして、
以下で見るように、この状況認識の構造が動詞句という言語レベルに類像的に投射されることになるので
────────────
10)文化を問わず、われわれは日々結果を求める。「結果を出せ!」
「結果次第」
「終わりよければすべてよし(All’s
well that ends well.)
」
。多くの場合、結果時点では原因そのもの経過そのものは「どうでもよい」のである。目的
地に間に合って到着すれば、始業時間に間に合えば、どこから出発しようが交通手段が何であろうが、アロマテ
ラピー愛好会がどんな原料でどういう方法でジャスミンの芳香を作り出そうが問題ではない。原因や経過は知ら
ないほうがよい場合もある。レストランの厨房はあまり覗きたくはない。
― 50 ―
ある。
すべての任意状況はそれまでの結果としての状況であり、確かにその未来における状況の発生原因とな
りうるが、その任意状況時点では、いまだいかなる状況の原因ではない。後状況となるはずの状況がまず
設定・想定されて初めて原因を含むと思われる前状況が求められるのである。要するに、認識主体にとっ
ては、結果を想定しない原因を認識することは原理的に不可能なのである。結果状況を設定して初めて原
因状況を認識できるのであるから、あらゆる原因設定は後状況設定後の認識上の後付け解釈に他ならな
い。そして、原因状況を認識しようとするのは、後状況の結果様態を見究めるために必要とされる認識的
手続きにすぎないのである。
変化有無とその内容は前状況・後状況ペアの後状況で確認することになるが、当然、変化有無の確認は
ふたつの状況を比較することによって初めて成立する。この変化有無の比較はしかし、ふたつの状況間の
比較でなければならない。ひとつの状況でもふたつを超えた状況の比較でも変化有無は
(適切に)
確認でき
ない。変化有無の確認には、有変化でも無変化でもふたつの状況様態の比較が必要条件であるから、必然
的にその認識処理時間が認識主体に要求される。有変化が存在すると主張する場合も、無変化が存在する
と主張する場合も、時間系列のなかでの現象として有変化あるいは無変化を認識していなければならな
い。
タイムスライスされた状況間の変化は、ひとつの状況を 1 枚の静止画像に例えると理解しやすい。変化
有無の確認は、1 枚の静止画像では不可能で、必ず 2 枚の
(2 枚だけの)
静止画像が必要になる。1 枚の静
止画像をいくら眺めたところで、そこに変化は見えない。有変化の想像は可能であるが、それは当然なが
ら変化を見ることにはならない。また、実はそこには無変化さえも見えないのである。変化という認識を
1 枚の静止画像に関連づけることが、そもそも認識上無意味だからである。認識上の変化確認は 2 状況様
態の比較を前提とし、時間経過の位置付けのなかで生ずる変化有無を調べることになる。また、3 枚以上
の静止画像を同時に与えられた場合には瞬時にそれらの画像から全体の変化有無を確認することは困難で
ある。認識時間軸の最初の状況と最後の状況が複数状況全体の変化有無を決定することになるが、その中
間に位置する状況情報は不要であり意味がない。状況 A から状況 G 全体の変化有無確認に必要な状況
は、両端の状況 A と状況 G のみであり、状況 B・状況 C・状況 D・状況 E・状況 F は無駄の域を超えて状況
A・状況 G の比較処理作業を妨害するだけであり、迅速な変化有無確認を困難にする。瞬時の比較処理が
必要とされる場合に、中間状況情報は有害でさえある。
「それで、結局、どうなんだ?」と言うのは、最
終局面が最初と比較してどうなったのかを知りたいのであり、中間状況報告は不要で時間浪費を避けたい
ということである。
また、認識的に、中間状況は前状況とも後状況とも比較できない。前状況と後状況の存在を前提として
初めて存在が想定可能になる中間状況を、仮に前状況と対置すればそれは後状況となり、後状況と対置す
ればそれは前状況となる。前後ふたつの状況の存在が中間状況の存在を推定させるのであって、それ以外
の場合には中間状況の現在認識経験は不可能である。前状況は後状況を前提として認識経験できるが、中
間状況は後状況に加えて前状況を認識しなければ認識できないということである。
変化有無の確認には、有変化でも無変化でも状況様態の比較が必要条件であり、必然的にその認識処理
時間が認識主体に要求されることは既述したが、無変化の存在を主張する場合にも前状況と後状況のふた
つの状況を比較しなければならないという事実は、言語レベルでも極めて重要である。後状況で変化が存
― 51 ―
在しないと主張するには、前状況と後状況の間での比較を前提とする。そして、変化を表さないとされる
いわゆる“状態動詞”も、非状態動詞と同じく、ふたつの状況の比較を表しているということになる。
Oh, Bill is here! と言う場合も、瞬時の発話時間経過のなかで前状況と後状況を認識していることを含意す
るからである。英語が認識過程における時間経過経験を動詞句の概念構造に組み込んでいるとしたら、こ
の文の is を瞬時に前状況・後状況の認識を表す瞬間動詞
(cf. find)として処理することになる。この is が
瞬間的認識動詞であると考える場合には、認識現在時において 2 状況間の比較を無意識レベルで瞬時にお
11)この
こなっていて、その認識処理速度があまりに速いために意識化されないだけであると分析できる。
ように考えることは、われわれの認識経験上からは、まったく不自然なことではない。無意識での瞬時の
比較認識は、われわれが日常絶えず経験していることである。眼を開ければ、実は瞬時より早く眼前の事
物の時間内存在を認識できる。これらの事物が見えていない閉眼状態から開眼時のこれら事物の存在確認
ができるまでの所要時間は、見えない状況から見える状況までの状況移行があったことは明瞭に認識でき
るものの、あまりに短いので意識できない。ふたつの状況の移行に要する時間を認識できなくても、見え
ない状況と見える状況のふたつの状況を連続認識したことは明白である。そうでなければ、見えるという
経験ができないのであるから。それと同様に、瞬時にふたつの状況様態を認識して無変化を確認する時間
が感知できないからといってふたつの状況認識がなかったとは言えないのである。それが動詞 be を使用
する場合に認識主体に要求される処理時間であると考えれば、この be を find と同様の瞬間的認識動詞と
して処理することが可能になる。
2. 3.高速処理と離接分解能
認識処理は、とくに多く緊急を要することがある現在状況に対応するために高速処理が必要とされる。
冒頭に言及した Libet
(2004)
に従えば、意識的認識がほぼ 0.5 秒を要する処理を無意識処理は約 0.1 秒以下
でおこなう。意識の 5 倍を超える無意識のこの処理速度は、生物個体がなぜほとんどの生理的身体処理を
無意識で実行するのかという問いに対する回答になると思われる。迅速な認識活動には無意識が必要なの
である。
とすると、他方、われわれは「意識は何のために存在するのか?」と自問するかもしれない。しかし、
実はそもそも、この問いを設定すること自体が無意味であることを知るべきである。意識は、意識を作り
出す無意識や無意識を作り出す物質身体に対して、いかなる「働き」もしていない
(影響を与えない)
。意
識にはその存在目的など初めから存在しないからである。日常経験を反省してみれば容易にわかることで
あるが、認識内容を意識が事前に選ぶことはできない。12)無意識によって認識内容が選ばれるのであっ
て、その認識内容が意識化された時点で意識は初めてその認識内容を知ることになる。たとえば、なにか
の連想内容を意識的に選ぶことはできないし、失念した名前を意識的に思い出そうとしても思い出すこと
────────────
11)感覚動詞としての see や hear などは、認識動詞 find や notice と同様、明らかに瞬間動詞であるが、その他の認
識動詞 know や like、また「関係」動詞 contain や belong なども、存在認識を表す be と同様、瞬間動詞と考え
ることができる。
12)認識主体が保持(記憶)
する概念は、認識現在の認識焦点が常にひとつであることから、ほとんどが意識的現在に
おいて意識焦点化されないし、できない。つまり、意識は、その意識の発生源
(
「制作者」
)
である無意識的認識活
動(物質身体活動)
に、意識の発生時およびその過程においていかなる影響を与えることも存在論的にできないの
である。それらの時点で当の意識はまだ存在していないのであるから、これは当然の帰結である。
― 52 ―
はできない場合があることは誰しも経験している。意識に上った時点で連想内容が初めて決まるのであ
り、思い出した時点で思い出したかったその名前が(失念してから)
初めてわかるのである。意識は常に概
13)
念内容選択において無意識の決定に従わざるをえないのである。
われわれは外部情報を得る装置として五感という外部センサーと連動した知覚システムをもつが、収集
した外部情報を処理する知覚システムの速度は、とくに視覚システムの場合は超高速であることは容易に
確認できる。目を閉じると視像が瞬時に消失し、目を開けると視像が瞬時に出現する。また、物体 A を
例えば物体 B の後ろに隠せば物体 A は瞬時に見えなくなり、逆に物体 A を物体 B の後ろから引き出せ
ば物体 A は瞬時に見える。この「瞬時」的認識時間はは認識主体にとって、0.1 秒とか 0.3 秒とかの長い
時間ではなく、瞬き時間である文字通りの瞬間より短く実質 0 秒としか認識できない。つまり視覚情報の
出現・消失の認識処理はそのオーダーの超高速でおこなわれているということである。
網膜神経節細胞(ganglion cell)は網膜が感知した視覚情報を脳へ伝達する。この伝達頻度は暗闇の状況
下でも毎秒 1 回から 16 回程度、毎秒平均 10 回程度である(Snowden(2006 : 369−370)
)。つまり、現在状
況の明暗を問わず視覚システムはその状況情報収集のために平均 0.1 秒に 1 回はいわば「視覚シャッタ
ー」を切っているわけである。14)視覚システムは常時、タイムスライスされた最新視像と直前視像を比較
して状況連続における変化有無とその内容を監視しているのである。
視覚認識と同様に、現在状況のあらゆる認識はタイムスライスされた瞬時の状況認識であり(cf. Lan────────────
13)意識はノイズに酷似している。意識は、発生結果であって生成過程で未だ存在していないのであるから、その発
生源に対して「結果的に有害」な場合はあるものの、いかなる「貢献」もできない。動力を発生するエンジン
は、エネルギー変換効率が悪いために無駄なエンジン音や熱を
“ノイズ”
として発生する。エンジン音を発生する
振動・摩擦や過剰な発熱は、エンジン本体を摩耗させたり、冷却装置を付設する必要をもたらし、最終的にはエ
ンジンを破壊することもある。ノイズはその発生源に対して有害でこそあれ、有益なことはないのである。意識
も、意識生成時点で、意識を宿す認識主体・物質主体(身体)
に有害な場合があるが、有益な事例は考えられない。
意識過剰などは意識時点でその意識所有者に何の恩恵ももたらさない。発熱・発汗・赤面・脈拍増加・震え・疲労感
など、どれも生理的に望む反応ではない。意識の存在は、無駄の域を超えて有害・危険でさえある。もし意識し
なければ呼吸ができないとすれば、睡眠中や自失状態で生命は終わる。また、呼吸のような意識可能な身体活動
とは異なり、不随意身体活動は意識できないことが不可欠であり、生命維持に枢要な活動ほど無意識処理をおこ
なう。そもそも意識できる身体生理活動はほぼゼロに等しく、実質あらゆる身体生理活動は無意識に作動してい
る。循環器系・脳神経系・分泌系・消化器系・免疫系・運動系などすべてである。消化器系では、食道から肛門まで、
運動系は脳・神経から筋活動まで、循環器系・分泌系・免疫系ではなにひとつ意識できない。作動に意識を必要と
すると直ちに生命喪失に至るからである。確かに、エンジン音がエンジン状態の情報を、心電計測時の電磁波は
心臓状態の情報を、聴診・打診・触診・視診も“音源”
などの状態を知る情報を与えてくれる。しかし、これはすべ
て発生後のノイズの活用にすぎず、ノイズ発生時や生成過程時の発生源に対する「貢献」ではない。Huxley
(1874 : 751)
の意識「汽笛」説でも同様に、汽笛は蒸気機関が作り出すもので、危険回避の警告音として利用さ
れるが、蒸気機関の機能には何ひとつ貢献しない。蒸気エネルギーの一部収奪であり、推進力低下をもたらすと
いう意味では蒸気機関の目的遂行をわずかであっても阻害する。(意識はしかし、多少の役に立つ汽笛というよ
り、煙突から出る排煙に近いかもしれない。類比的に言えば、エンジンの排煙や物質主体
(身体)
の排泄物と同様
に、意識は脳が作り出す認識主体の排泄物とみなすほうが適切かもしれない。これらはすべてそれぞれに必要と
するもの(動力・栄養・認識)
を物質から取り出し、不要な残滓を排出する。この排出物は放置しておけばそれぞれ
の環境(路上周辺・身体周辺周囲・身体内状況)
を「汚染」する。
)
個体生存にとって意識は無用なばかりか実際には
有害でさえあるにもかかわらず「ノイズにすぎない意識は不要である」という考えを容認したくないという心情
は理解できる。それはしかし、まさにニコチン中毒や薬物中毒などと同類で、「意識中毒」ともいうべき症状で
ある。また、意識になんとしても意味を与えておきたいという社会的要請が存在するが、意識がなければ自由意
志が存在しないという結論にはならないので、意識的自由意志がないとしても社会不安は生じない。自由意志は
無意識レベルに存在するとすれば、懸念される社会的問題は生じない
(cf. Pockett et al.(2006)
)
。
14)ストロボ点滅では、認識主体は毎秒 70 回程度の点滅を正確に識別する能力がある(cf. Anstis
(2004 : 616)
)
。
― 53 ―
gacker
(2008 : 99)
)、各状況内の様態がいわば静止画像的に現在認識され、1 枚の静止画像のなかに変化が
存在しないことと同様に、認識現在における瞬間的現在状況内部には変化は存在しない。現在認識される
変化は状況内に存在するのではなく状況と状況の関係のうちに認識主体が形成するゲシュタルト
(解釈)と
して存在しうるのである。また、持続する変化認識も連続的な状況認識であり、決して瞬間状況内の様態
変化ではありえない。変化を認識したとすればそれは必ず異なる複数状況の連鎖を経験したのであって、
ひとつの瞬間の現在状況経験ではない。さらに、視覚のような外部情報を扱わない
(記憶領域のデータが
主な認識対象の)場合、潜在的危険などが存在する現在状況情報の場合と異なり、細心の処理をおこなう
必要がないので、われわれ認識主体の「認識シャッター」は視覚シャッターよりも高速処理をおこなって
いる想定することは容易である。
視覚を含め認識処理に関わる「シャッター」速度が速いほど状況連鎖に対する微視的な離接分解能は高
くなり、これば状況変化を検出する精度を高めることになる。緩慢なシャッター速度が現実の状況変化に
即応できない場合、認識主体もろとも物質主体をも消滅に至らしめることになりうる。2.2 で言及した瞬
間動詞に関する仮説は、われわれの認識処理が緩慢な速度でおこなわれているのではないことと密接に関
わるはずである。
2. 4.情報消去の必要性
認識上の各時点で状況の変化あるいは無変化状態を確認するために、既解析の状態認識を瞬時に消去し
絶えず新状態の解析結果(状態)を認識できるよう、認識主体は状況の危険度などに応じて頻繁に認識シャ
ッターを切る必要がある。
視覚の場合、目を開けた瞬間に視覚データを処理し視覚像を認識できることは、個体生存上、きわめて
重要な特性である。外界情報収集器官(五感)からの情報処理が遅れることは、個体存続を危うくする。電
磁波(光子)を処理する視覚が最速の外界情報処理システムを認識主体に与えていることは重要な意味をも
つ。目を閉じる前に見ていた鮮明な視覚像が瞬時に見えなくなるのは、鮮明視像を瞬時に消去
(ゲシュタ
ルト破壊)するからである。鮮明残像が長時間持続とすると、そのような緩慢な情報処理は生物個体にと
って非常に危険である。したがって、形成(情報解釈)
された鮮明静止視像は、視覚システムにおいて瞬時
に消去される。次の視像を新たに形成し、物理的状況情報を視像化するための必須の事前処理過程であ
る。
この鮮明視像瞬時消去の必要性は思考実験によっても容易に確認できる。任意時点の鮮明静止視像は、
論理的・存在論的に、瞬時に消去されるか消去されないかの可能性しかありえない。もし瞬時消去されれ
ば、視覚システムはデジタル情報入力の連続によって変化
(空間的移動、時間的「変化」
)
を瞬時に構成
(認
識)できる。もし任意時点の最初の鮮明静止視像が消去されなければ、無数の鮮明静止視像が重畳される
か、最初に形成された鮮明静止視像が一定時間持続して「見えている」ままになるかのいずれかである。
もし仮に鮮明視像と次の鮮明視像が重なることがあると、重畳された不明瞭な視覚像を「見る」ことにな
るはずである。通常、実際にはそうはならずに、視覚システムが常に不明瞭な残像に鮮明現像を上書きす
15)また、鮮明静止視像が一定時間保持されるとすると、数秒であれ数分で
る(か完全に残像を消去する)。
────────────
15)Pylyshyn(2003 : 18)
:“A sequence of retinal images does not appear to be superimposed.”
― 54 ―
あれ最初に「見た」同一の鮮明静止視像がその間「ずっと見えて」いることになる。つまり、認識主体が
置かれた物理的状況(電磁波情報)の変化があるとしてもないとしてもそのことを「視認」できず、その認
識主体を宿す物質個体はその間潜在的に危険な物理的状況に置かれることになることが容易に理解でき
16)
る。
無意識の認識活動においても同様のプロセスが対応するはずであるが、認識現象のごく僅かを占める意
識の処理活動においても、意識の焦点とされた認識対象は瞬時に意識上の過去情報として必要に応じて記
憶領域に送り込まれる。無意識の焦点化によって意識対象となった概念は、それを意識焦点に保持しよう
という無意識の指令がある場合には一定時間意識焦点化された状態が保たれるが、無意識からの指令がな
い場合はすぐに消去されるのが原則である。視覚の場合と同様に、ひとつの意識対象を焦点化しておくこ
とは個体生存上の危険が伴うので、もちろん無意識の指示に従っているのであるが、意識焦点は次から次
へと意識対象を変え、視覚と同様、変化がありそうな範囲に焦点の照準を合わせる。これは、無意識レベ
ルでは能動的営為かもしれないが、意識にとってコントロールできないことこそが重要な認識活動であ
る。
既述したように、われわれ認識主体の認識プロセス一般においても視覚システムと同様な機能が働いて
いると考えられる。もし認識残像に新たな認識像が重ね書きされるとするとなにも「見えなく」なるはず
である。また、ひとつの認識内容が認識空間を占有している場合には、新たな認識内容が認識空間に導入
されることはない。新しい対象が認識される瞬間にそれまでの認識内容は消去され新しい認識内容で認識
空間が更新・占有されることは、覚醒時にわれわれが常に経験していることである。一瞬で消去された過
去の認識内容情報は不明瞭に記憶されるか痕跡を留めず、認識現在の新しい認識内容は鮮明に認識され
る。このように、絶えず更新される状況情報を遅滞なく認識するには、認識すると瞬時にその状況情報を
消去することが生物個体の生存持続に必要な処理なのである。
認識主体は視覚システムによって高速シャッターを切り、離接的
(デジタル)
な多くの残像情報を
(
「残像
を見ている」のではなく)記憶し、現在体験ではなくなった残像情報間の間隙および現像との間隙を内挿
17)状況に変化があるの
をおこなう。
的に埋めることで絶えず情報の統合
(アナログ化/ゲシュタルト形成)
かないのかを知る生物存在持続上の必要性から、身体が疲弊しないレベルで、
(とくに状況に潜在的危険
が高い場合)可能な限りの高速認識シャッターを作動させる必要がある。
不要なあるいは結果的に危険な情報を忘れること
(情報整理)
は、生存にとって必要である。記憶はイメ
ージが整理された形で情報保存ができていれば生存持続の営為に有効に使うことができるが、同一の項目
の同側面の性質が重ね書きされた場合は未整理不明瞭な形の概念混合物が産出され、生存持続には役立た
ない。未整理情報は、その性質が明らかでないためにいつなににどのように適用できるかが不明であり、
────────────
16)視覚システムの瞬時消去機能を失った場合、実際にこのような症状が現れることが盲視症(motion blind)
患者に
起きることが報告されている
(Snowden(2006 : 181−184)
)
。この患者においてはかなりの時間、同じ視像が知覚
されていて重畳されないのである。これは、前視像が消去されなければ、視覚スクリーンに次の視像が映らない
ということを意味している。
17)変化認識統合の処理速度を超える速度のシャッター作動
(危険認識がある場合など)
は、状況変化の知覚認識はス
ローモーション化する。また、疲弊などで脳が不活発な場合は、視覚シャッター速度が視覚情報統合処理速度を
超えるので知覚認識が遅くなり、やはり状況変化の知覚はスローモーション化する。逆に、目が疲れていても脳
が不活性でなければ、状況変化知覚は視覚情報入力速度よりスローになることはない。
― 55 ―
使い道がなく生存に価値がないという域を超えて、経済性の観点からは無用にメモリーを占有するだけで
個体生存にとって有害である。
現実世界では、現在状況より前の状況は不明瞭にしか記憶されない
(もちろん現在時点では、見えない・
聞こえない・触れない・感じない・臭わない・味わえない)
。このことは日常のなかで簡単に確認できる。デ
ィスプレイの画面を切り替えれば前画面の画像は一瞬に消え、その正確な画像は記憶に残らない。眼前で
手を数センチ速く動かす(静止→移動→静止)だけの実験でも、手の元の位置の視像はもちろん静止直前の
位置の視像も明瞭な記憶として残らず、明瞭に見えるのは最終的な停止位置の視像のみであることが確認
できる。一瞬前の認識像の記憶でさえもかすかなものでしかなく、細部情報は記憶に深く刻まれることは
なく、記憶からの正確な再生はもちろん多くの場合は粗雑な概要の再生さえも困難である。まさにこのよ
うな瞬時的情報消去処理は、われわれの認識システムの不備ではなく、生存持続のためにわれわれが獲得
した必須の認識処理方法なのである。
2. 5.デジタルとアナログ
アナログ存在のみから構造はできない。アナログ存在は全体として不分割の「1」ということであるか
ら、アナログ存在を離接的に単位化しなければ、構造も情報も構成できない。情報単位としての離接的デ
ジタル存在はそのまま構造化の素材として使用できるが、デジタル要素として認識することができない存
在の場合や認識主体の解像能力の限界を超える存在の場合には、その存在の内部構造に関与することな
く、アナログ存在として全体でひとつのものと認識するしか了解手段がない。核子発見以前の原子の認
識、素粒子発見以前の核子の認識がまさにそのような認識状況であった。
アナログ存在を(結果的に)
離接化する方法はふたつある。ひとつのアナログ存在自体を分割する方法
と、他のアナログ存在と並置することで集合体を形成する方法である。あらゆる構造化の存在論的前提
は、複数のデジタル要素の存在である。アナログ化は、デジタル要素の統合・構造化であり、統一的な全
体把握を可能にする。われわれの脳がアナログ的認識を好む傾向がある
(cf. Gregory(2004 : 254)
)
のは、ひ
とつには複数の離接的デジタル要素を外挿・内挿によって認識的に統合
(ゲシュタルト形成)
し、一段高次
レベルのアナログ存在に変換することで要素レベルでは認識できない構造的意味
(機能)
をその高次レベル
で認識できるようにするためであると考えられる。要するに、状況部分の全体把握が目的である。脳が生
存装置として存在するとすれば、デジタル要素をアナログ化できなければ生物個体にとって道具としての
機能的価値がない。もちろん、アナログ化するにはデジタル要素を準備する必要があるから、デジタル化
の能力も備えていなければならない。そして、実際に脳にはデジタル/アナログ変換とアナログ/デジタル
変換の機能が存在する
(Lockwood
(1989 : 174−175))
。ふたつには、アナログ存在として扱う利点として、
認識効率の向上が指摘できる。アナログ的了解手段は、より大きな単位
(デジタル要素の統合体)
を扱うこ
とができるので、操作が効率的になる。たとえば、10 mm を 1 cm、100 cm を 1 m、1000 m を 1 km とし
て認識処理すれば、つまり複数のデジタル要素を単一量にアナログ変換
(量化)
すれば、同数・同量の対象
処理が認識的に(も物理的にも)容易におこなえるのである。100 cm は 1 cm のデジタル要素単位の集合で
あるが、統合して 1 m という統合的単位とすれば認識操作が容易になる。脳がアナログ化を好むのは、
対象操作性向上に起因する経済性を得るためでもある。
しかしまた、既述のように、認識主体に状況をデジタル的に離接化
(
“解像”
)
する能力が欠如している場
― 56 ―
合、「次善の」認識手段(解釈方法)として、全体状況の内部構造を認識できないまま、やむをえずその状
況を統一的全体としてアナログ認識することがある。この場合、任意の状況内部の構造認識がないのであ
るから認識主体にとって潜在的危険が存在することもある。その危険をはらみつつも、一応の認識的経済
18)
性を達成したことで脳は満足せざるをえないことがあるのである。
認識空間における状況認識のデジタル化と複数状況を統合・構造化するアナログ化の機能は、ともに重
要である。認識主体は非離接的(アナログ)情報そのままを素材として高次の認識内容
(概念)
を構成できな
いのであるから、認識状況のアナログ情報を一旦離接的
(デジタル)
情報に変換した上で、そのデジタル要
素を再統合して新たなアナログ認識内容
(概念)
を構成する。とくに、これは五感情報を処理するうえで
は、生存にかかわる重要な機能である。デジタル化とは、アナログ情報を断続的に捨象し離接的デジタル
情報の連続体を作ることである。変化し続ける状況
(世界)
で個体が生存を維持するには、絶えず状況変化
の有無をチェックし必要に応じた対応をとる必要がある。これを可能にするのは、状況のアナログ情報で
はなく、複数のデジタル情報の連続である。離接的に連続するデジタル情報をもとにして初めて、状況の
変化・無変化を知ることができる。認識主体は、
(スクリーン自体などには離接化シャッターがない)
映画
やアニメーションの場合と原理的に似た仕方で、認識主体の側で視覚シャッターを切り、アナログ状況情
19)デジタル/アナログの関係は相対的であり、アナログ存在全体はひとつ
報をデジタル化するのである。
20)
の不分割の統合体であり、扱うには情報処理単位として大きすぎる場合が多い。
────────────
18)われわれの視覚システムの粒子検出能力に限界があることが認識主体の視覚対象認識に「有用」な場合がある。
この検出限界があるからこそ、われわれはデジタル写真やアナログ写真
(実はデジタルである)
を問わず、写真で
アナログ画像を見る(意識上で知覚する)
ことができる。つまり、近距離で見る発光ダイオード信号機のように小
粒形集合が見えるのではなく、十分に滑らかな写真画像を見ることができるのである。われわれが極小のデジタ
ル粒子を絶えず識別することになれば、アナログ写真もモザイク画像を見るように非連続要素の集合を見ること
になる。ダイオード信号機も、一定の距離を置けば視覚システムの解像度が下がることで小粒形を小粒形として
識別できなくなる結果、デジタル発光部分の小粒形集合としてではなく、アナログ統合された全体としてひとつ
の大円形の信号ライトを見ることができることになる。ダイオード信号機の目的は、小粒形集合を認識させるこ
とではなく、一定距離から大円形視像を認識させることである。写真の場合もダイオード信号機の場合も、一定
の状況下におけるわれわれの視標解像能力の限界を「利用」しているのである。
19)物質空間でのアナログ化対応物は物質の構造化であるが、デジタル的存在のみが物質構造化を可能にする。物質
空間における最小存在物がひもであろうと素粒子であろうと、その最小単位の存在様態は単体としてはアナログ
的存在である。しかし、そのアナログ的存在が複数集合する状況では、その最小存在物がデジタル的要素として
高次アナログ的存在の構成素材となる。物質界の存在様態は、原初的にはアナログ的存在である物質が、集合的
状況でデジタル的要素として機能し、一段高次の構造体であるアナログ的存在が生じ、複数のそのアナログ的存
在がデジタル要素としてさらにもう一段高次の構造体が統合され新たなアナログ的存在を形成するというプロセ
スの多層化によって実現されている。この物質構造化のプロセスは、認識レベルと言語レベルにも「投射」され
ている。認識レベルでは他にも複数の要素概念から複合概念への統合構造化プロセスに、言語レベルでは音素や
文字素から始まり、形態素・語・句・節などに至る言語構造化プロセスに、物質空間におけるアナログ化的現象と
の相同性が見られる。デジタル存在様態は統合以前の状態であるから、デジタル存在要素が構造をアナログ形成
する場合にその構造が全体としていかなる性質をもつことになるかが構造形成以前に必ずしも予測できない。し
たがって、構造形成は当然ながら潜在的な「危険」を伴うことにもなる。通常、われわれが不可解な全体状況を
放置せず分析を試みるのはこの潜在的危険などのためである。
20)物体(たとえば、牛)
の解体はデジタル化である。ステーキの素材とするには、牛を肉塊などにデジタル化しなけ
ればならない。さらに、すき焼きの材料にするには肉塊をスライスしてデジタル化しなければならない。カレー
を作るのに牛一頭を鍋に入れたりはしないし、3 kg の肉塊をすき焼きにはしない。あるいはアナログ存在のキ
ャベツ 1 個をまるごとお好み焼きにいれることはないし、まぐろ一尾をそのまますしネタにはしない。家屋の解
体などにおいても同様で、解体した部材は再利用できるが、家一軒をそのまま床や柱に再利用するのは困難であ
る。使えるようにするには、デジタル要素に離接しなければならないのである。
― 57 ―
視覚の場合、映画の「スクリーン」シャッターと同様、まさに瞬間よりはるかに高速な開閉シャッター
21)この視覚シャッターの機能は、離接的な刺激情報を作り出すことである。認識主体は単体とし
をもつ。
てのアナログ情報を離接化せずに解析処理することができない。開眼持続時に電磁波は実質アナログ的連
続刺激を視覚システムに供給するが、静止像や運動像が知覚できるには変化有無を状況比較によって確認
する認識過程が必要であり、複数状況の視覚情報を離接的に「撮影」する視覚シャッターの存在が前提と
される。離接的デジタル情報が一定頻度で視覚システム
(脳を含む多層フィルター解釈装置)
に入力される
ことが不可欠なのである。認識主体は複数のタイムスライス状況のデジタル視覚情報を組み合わせて構造
化しなければならない。視覚システムは角膜から脳の最終処理までのどこかの段階で、状況変化の視像
(アナログ統合体)を形成するためのデジタル入力情報として必要な枚数の静止情報を「撮影」収集してい
るはずである。これを実行するのが、状況経験のアナログ情報を離接化し静止情報を撮影する生理的機
能、つまり視覚シャッターである。そのデジタル情報が脳処理によって再統合
(ゲシュタルト化)
され、最
終的にはアナログ的脳産物(脳フィクション)を認識主体は知覚するのである。
2. 6.認識の単焦点
視覚認識の場合と同様に、われわれ認識主体の認識焦点は認識現在においてひとつに限られている。ネ
ッカーキューブなどの反転図形を脳がどのように処理するかを考えてみるだけでも、視覚システムや認識
システム一般がこの特質をもつことは明瞭に理解できる。焦点化行使時点は常に認識現在であり、現在状
況内の複数対象を同時に認識焦点化することは、個体の生存持続にとって危険である。膨大な詳細情報群
の脳への複数入力は認識主体の処理能力を直ちに超え、また同程度の危険性があると感じられた認識対象
が認識主体に与えられた場合にはいずれが最も危険な対象であるのかを瞬時に判断することが不可能であ
る。現在状況内の部分状況の危険性には優先順序をつけて対応することが生存持続のうえでの至上命令に
近い。他方、生存持続のためにできるだけ広範かつ高速で現在状況の情報を収集しなければならないが、
認識焦点がひとつであれば最も潜在的に危険などが高いと思える状況部分対象から順次情報を収集・処理
することができる。
視覚システムの場合は、状況にとくに切迫して追跡・監視すべき危険性などをもつ視標が存在しない場
合でも、絶えず毎秒 3−4 回のサッカード
(saccade)
と呼ばれる(通常、無意識の)
高速眼球運動で現在状況
をランダムに「パトロール」するかのように監視し続け、視野内物体の動きに極めて敏感かつ「自動的」
に反応する。現在状況情報を広範囲の視野から収集し、危険性などを感ずる視覚対象を発見すればその視
標をしばらく追跡(pursuit)し注意深く監視する。この眼球運動による視標追跡中とサッカード停止中には
22)その膨大な視標情報を脳に送り続け、
視覚システムはいわば超高速の視覚シャッターで視標を連写し、
────────────
21)映画の場合は、通常は毎秒 24 枚の静止映像を連続的に見せることで、スクリーンが 1 秒に 24 回シャッターを切
ることになる。鑑賞者の視覚システムがスクリーンシャッターと同期する必要があるが、これは視覚システムが
クリアしている。毎秒 120 コマの静止像を映し出す映画もあることから、われわれの視覚システムはその連写速
度にも対応できるということである。
22)視標到達予測点に高速焦点移動するサッカードと低速焦点移動する追跡運動はともに視標情報を得ようとする目
的は同じであり、また視覚焦点が固定されている場合にも生ずる超高速の微細眼球運動
(周波数 30 Hz−200 Hz)
のトレモア(tremor)
もまた同じ目的をもつとすると、トレモア運動自体が停止するとすぐに視像は消失すること
から、トレモアも静止像情報を「撮る」ための高周波の微細焦点移動であるという仮説を立てることは容易であ
る。サッカードと同様、眼球運動中の「撮影」には不鮮明
(blurring)
が生ずることを考えると、トレモアも各
!
― 58 ―
脳は視覚最終処理結果として視像を認識主体に提供する。生物個体にとって現在状況における危険性など
が最も大きいのは状況部分の変化であり、なかでも物体の空間的変化である移動・運動が最大の危険性な
どをもつ確率が高い。もちろん物体の接近・接触が生物個体にとって有益な場合
(食物・異性ほかの獲得機
会など)もあるが、物体はその移動結果の接触によって同じ物体である生物個体を損傷・破壊することがで
きるからである。ひとつの状況部分の時間的変化は単に「変化」と呼ばれるが、近接するふたつの空間位
置での視覚対象の出没を脳は物体の移動・運動として認識する。そして、この空間的変化であると認識主
体が判断したものが認識現在状況における最大の潜在的危険などなのである。認識主体のこの状況内対象
に対する認識焦点化を一点のみに限定する特性(能力)
は、生物個体にとって生存に不利な形質ではなく逆
に生存持続のためには必要不可欠の特性であると解釈できる。
このように、生物個体が生存持続の道具として身体に装備した認識装置
(認識主体)
は、認識主体を支え
る身体(自己の物質状況)にとって最も危険性などが高いと思われるひとつの対象のみに認識焦点の照準を
合わせる。したがって、認識主体がその自己の物質身体を認識焦点化することがあるのは、たまたまその
物質身体にその時点で「最も大きな」潜在的危険など
(実質的には物質的危険)
があると認識主体が判断し
たからである。通常は、最大の物質的な潜在的危険があるのは身体外の物質状況であるから、認識焦点は
その無意識的判断によって(意識にとっては自動的に)
身体外物質状況に向けられる
(溝口
(1993)
)
。
さて、認識過程に見られる認識主体のフィギュア/グラウンド構成は、生存持続に不可欠な処理能力で
ある認識焦点化の結果とみなすことができる。生存持続の処理過程が生物個体の基本的能力としてフィギ
ュア/グラウンド認識現象に反映されるのである。そして、このフィギュア/グラウンド構成過程は言語レ
ベルの束縛現象(binding)を必然的に伴うことになる。さらにまた、言語構造における束縛現象は、フィ
ギュアとしての項(argument)とグラウンドとしての 1 項述語からなる述定
(predication)
を形成するものと
して言語(認識)空間に反映される。このように、フィギュア/グラウンド構成および言語束縛現象と述定
形成の認識的源泉は、生物個体の生存持続行動に共通の基盤をもつと考えることに無理はない。
認識主体は、生物としての自己保存目的をもち、自己生存持続を最も阻害・促進する可能性の高いと無
意識に判断した対象(状況部分)から優先的に無意識に認識焦点化し、その認識対象の様態を確認する。こ
の場合、当然ながら生存持続への阻害要因が促進要因よりも認識焦点として優先する。認識焦点化された
23)
であり、性質の一定の状況内かつ
対象は状況から認識主体に与えられた状況内存在する感覚与件
(性質)
状況間の時空的持続確認によってその性質を存在的に担うモノ
(entity)が存在すると無意識に認定できた
場合に、認識主体はその性質をもつ存在物を認識的に状況から分離し、状況内における分離前のその存在
物の認識的位置を保存(記憶)し、その存在物と状況の認識的関係の様態を構築する。状況から存在物を分
離する認識作業はフィギュア化(figuration)であり、この分離後の状況は認識上のグラウンドであり、フィ
ギュアとグラウンドは状況様態を認識的に統合(ゲシュタルト化)
した概念として認識主体に認識される。
この過程において、フィギュアはグラウンドを認識的に支配し
(govern)
、フィギュアが分離・抽出される
────────────
焦点化運動の始動時にシャッターオフとなり停止時にシャッターオンとなると想定することに不整合はない。こ
れについては、本田(1994)
を参照。
23)感覚与件は、物質装置である感覚システムの無意識の作動によって「存在」そのものからフィギュア化された性
質であると考えることも可能かもしれない。われわれの物質身体が存在そのものであり、「身体外」物質状況と
物質レベルで連続体をなしているのであるから、物質レベルの相互作用が身体と身体外状況の間に生起していて
も不思議ではない。むしろ、その様態が当然とも言える。
!
― 59 ―
前のグラウンド内サイトを認識的に同定できるものとして認識的に束縛
(bind)する。
「フィギュアがその
グラウンドの認識的サイトにあるモノとして、フィギュアとグラウンドの関係が認識的に成立している」
という構図である。
2. 7.認識現在の状況認識
われわれは物質であり物体である。物質構造物である状況
(世界)
と、その状況の一部分として状況が作
り出した物質構造物(物体)としての身体(物質主体)
、その身体が支える認識主体、認識主体の認識現在に
おける状況認識の関係を、これまでの考察を踏まえ暫定的に以下の図 2 のように措定する。この状況構造
は、日常的にわれわれが無意識のうちに認識しているはずの構造である(cf. Merleau-Ponty(1962 : 416−
417))。
物質状況である現実世界が、その物質とエネルギーでわれわれの身体を物質として構成している。身体
は物質主体として、現実状況のなかで身体外存在としての物質状況との間で物質・物体/エネルギーレベル
での相互作用を絶えずおこなっている。そして、この物質レベルの相互作用は、当然ながら無意識のうち
に、物質主体と物質状況が同時存在する「物質的現在」状況においてのみ成立する。現在的存在としての
物質主体は、過去や未来の物質状況と物質レベルで相互作用することはありえない。
物質身体と物質レベルの無意識的相互作用の結果、われわれの認識主体が物質・物体を基盤とした現象
として構成される。24)物質を基盤として生成されるわれわれの認識主体の認識は、99.9% が無意識で作動
するが、ときとして意識現象が認識主体に伴うことがある。われわれ認識主体の経験する認識現在は常に
瞬時的現在であり、その瞬時は実際のところ文字通りの瞬間より短い。多くの場合、認識主体にとっては
長さのない時間として認識される。
(食糧・遺伝子保存環境・物理的圧力・重力・電磁波
物質主体は身体外状況からさまざまな物質/エネルギー
(紫外線・赤外線・放射線を含む)など)
を与えられ、それに反応する。この反応は、物質主体をも含む状況
世界に物質/エネルギーを介して物理的変化として現象する。これらの物質・物体間の相互作用は当然無意
識で進行する。この相互作用に意識が伴うことがあるが、それはこの相互作用に意識が存在するのではな
く、たまたま「伴う」だけにすぎない。多くの場合、この意識は無意識の物理反応より約 0.5 秒遅延す
る。物理身体が実行する反応に、とても意識の生成速度は間に合わないのである
(cf. Libet(2004)
)。
認識主体の認識処理はほとんどが無意識であり、危険因子情報を含む可能性の高い外部情報を処理する
必要のない無意識的内部処理は高速
(0.1 秒以下)
で、意識的処理
(約 0.5 秒)
の 5 倍以上の処理速度をもつ
(cf. Libet(2004 : 198))
。図 2 では、認識過程 F/G がこの内部処理のみを基本として実行されると考えられ
る。われわれの意識的認識は、生存持続に必要とされる経済的な無意識的認識を基盤として、必要以上の
物質身体的エネルギーが過剰投入された結果の「オーバーヒート」状態の認識過程からノイズとして発生
すると想定される(2.3 参照。cf. 溝口
(1993)
)。生物個体生存持続に必要のない意識は、緊急を要する無意
識的脳処理より遅れても、あるいはそもそも発生しなくても、いささかの問題もないのである。現実現在
の状況世界が関わる場合、物質主体だけではなく認識主体も、当然ながら現実状況の物理的制約を受け
る。現在状況の様態把握においては感覚システムが捕捉できない情報は推測せざるをえず、他の身体行動
────────────
24)意識など認識現象が量子レベルで構成されるということについては、Zohar
(1991)
を参照。
― 60 ―
現実世界
物質的現在状況
現在 final phase
1.現実世界内のエネルギー移動
は、ほとんど意識できない。
2.感覚システムから知覚までの
過程は身体内の現象。脳の無意識
処理による知覚生成に約 0.5 秒が
必 要 と 想 定 し て い る(cf. Libet
(2004)
)
。
素粒子∼高次構造 digital/analog
光子(視覚)
分子粒子
digital
認識的現在状況
記憶の現在状況
物質 / エネルギー
0.5
秒
″
変化
analog
感覚与件 given
脳(無意識処理)
″
‶
intensional worlds
act
physical
(fix/move)
筋運動
など
non-actual
constructed by ε
act
intentional
( fix )
過去∼現在∼未来
Impossible Past
‷
Impossible Present
Impossible Future
Possible Past
digital/analog
感覚システム
無意識認識
知覚(意識) analog
可能世界
物質 / 物体
変化
digital/analog
‴
物質主体(身体:無意識)
act
intentional
(conceptualize)
‸
物質 / エネルギー
Possible Present
Possible Future
Actual Past
Actual Present
‵ 指令 ‴ 生成
‹
given
intensions
(concepts)
Actual Future
図2
認識主体(± 無意識)
認識現在(瞬間)final phase
状況認識とエネルギー移動
A:身体外状況から身体への物質/エネルギ−移動[身体状況を変化させる]
B:身体による認識現象の生成
C:認識主体からの身体状況の変更指令(主に運動指令)
[身体が身体状況を変化させる]
D:身体から身体外状況への物質/エネルギー移動[身体が身体外状況を変化させる]
E :認識主体による意識経験[CDAB 経路に伴う感覚器固定により「志向的行為」を認識すると想定]
F :認識主体による非現実状況(内包的認識世界)
の(無意識的)
構成[内部知覚可能]
G:認識主体が構成した内包概念の認識主体への(無意識的)
フィードバック[内部知覚可能]
と同様に発話主体としての行動は絶えず瞬間的現在におこなわざるをえない。10 秒間の発話は 10 秒間の
長さをもつ現在ではなく、瞬時の現在が 10 秒間継起したのであり、ひとつの瞬時的現在が引き延ばされ
たわけではない。認識現在に発話した言語表現は、発話と同時に記憶領域に流入し過去状況の一部になる
― 61 ―
のである。
認識主体の現実経験は、その現在認識の瞬間に(必要と判断されれば)
その概要が情報として記憶領域に
蓄積される。記憶領域では、認識主体の内部認識処理に活用される情報を無意識のうちに構成・整理して
記憶している。認識主体の認識処理行為は認識現在にしかおこなえないという現実状況の物理的制約を受
けるものの、この領域の情報自体はすべて認識主体が認識空間で概念化した内包(intensions)
から構成さ
れていて(cf. Hintikka
(1975))
、現実状況の物理的制約はまったく受けない。この領域を「可能世界」と呼
ぶのは、現実世界とは異なり、この世界では「どのような内包の構造化も可能であり、いわば、なんでも
(想像・創造・行動)
できる世界」であるからである。現実世界ではありえない矛盾した想像(cf. 仮定法過
去)も、時間を捨象して無時間の出来事をイメージすることも可能である。詳述はしないが、言語レベル
での総称的表現(Cats meow.)、歴史的現在(JFK dies in 1963.)
、「真理」表現
(The earth is round.)
、習慣相
(I walk to work. / I am tall. / I like you. / I know him well. / This car drives easily.)
などは、可能世界で時間的
捨象を適用したからこそ、認識現在の瞬間における「想像事象の現在存在」として現在形を用いることが
できるのである(cf. Bach(1981)
)。これらの表現では、デジタル的認識事象の反復
(iteration)認識が一段高
次のアナログ的状態性を作り出している。動詞ではなく文レベルの解釈
(ゲシュタルト構成)
に状態性発生
の本質が存在するのである(cf. 溝口(1990)
)。この言語事象は、認識主体が状況連鎖において同一性質を
離接的・連続的に感知した場合にその性質をもつモノ・コトの存在を認定することに符合する。認識主体が
構成するこの可能世界と認識主体自身の概念操作過程は、言語空間における言語認識の根幹をなすもので
ある。
言語空間は B/E/F/G の認識過程において構成され、言語表現行為は D の筋運動による物質状況への物
理的変化である。言語表現の受容は感覚システムへの物理的刺激 A によるが、視覚入力
(see)
では素粒子
である光子が物理的刺激であり、その他の刺激(hear/smell/taste/feel)
は分子レベルの媒体物質や化学物質で
ある。「触覚(feel)」だけは物体レベルの質量や他のエネルギーを感知する場合もある。また、ガンマ線や
エックス線などの放射線エネルギーに対する情報収集センサーをわれわれは装備しておらず、これらは直
接的に物質身体の構造を破壊する。
次節で見るように、われわれはこのような認識状況のなかで自らの状況構造認識を言語空間に投射して
いる。
3.状況認識の英語動詞句への投射
3. 1.状況認識と動詞句の類像性
認識主体は、タイムスライスされた瞬間的状況認識を認識現在に言語構造へ投射すると想定できる。本
節では、認識主体が状況認識から言語レベルの動詞句の概念構造を形成するまでの過程を、認識主体発生
以前の状況構造から段階を追って概略を示す。
は、状況
(世界)ω の様態を表している。
まず、認識主体 ε がまだ存在していない段階(1)
〈cPeα cPeβ cPeγ 〉
(1)状況 ω が存在:
(cPe)
が存在するのみである。c は ω の不定状況部分、P
(1)
の状況 ω には物理的性質をもつ物質・物体
― 62 ―
は性質、e は存在、cPe は c によって性質 P をもつこととなった存在物
(モノ・コト)
を示す。 α /β / γ は変
項 cPe を表記上で区別する指標にすぎず、状況 ω 内で実体をもつ存在ではない。また、P は単独性質の
場合と複合性質の場合がある。〈
〉は状況領域を示している。
(物質主体)
cPeα から認識主体 ε が無意識のまま認
次の段階
(2)では、物理的状況 ω の一部である身体
識的に離脱する。
]
(2)認識主体 ε の認識的離脱:[ ε〈cPΔeα cPeβ cPeγ 〉
これは、認識主体 ε が状況 ω から無意識に認識的離脱をすることを示している。この離脱は、認識主体
ε が( ω 状況部分である自己がもつ)認識装置(性質)としての認識主体 ε を状況 ω 内の物質主体(身体)
(フィギュア
から無意識に認識的抽出(フィギュア化
(figuration)
)
した段階である。Δ は認識主体 ε の離脱
化)による被束縛部分(P の一部)であるが、便宜上 PΔ と並置表記している。自らが存在する状況 ω 内に
(cPeβ cPeγ )
すべてと関係する物質・物体)
を残置したまま、認
自己身体(物質主体として状況 ω 内の他者
識主体 ε は無意識に状況 ω を離脱し、無意識レベルで状況 ω 内身体を通して状況 ω の様相を感知し
ているものの、その意識的な状況対象知覚はもっていない。この認識段階では、認識主体 ε はまだ状況
ω 内様相を意識的に対象認識していないのである。しかし、無意識レベルでは、認識主体 ε は自らが状
(認識装置)を無意識
況離脱し、自らが状況 ω から自らをフィギュア化し、状況 ω 内の自己の性質部分
に認識束縛していることを無意識に知っている。これらの認識処理は瞬時に実行されるが、すべてが無意
識レベル過程であり処理内容も処理時間も認識主体には意識されない。
(2)の状況 ω 内の cPΔeα は、そ
の Δ 部分がフィギュア ε に認識的に束縛されていることを示している。束縛は同一カテゴリーの要素間
に成立する関係であり、その本質は認識主体が独断的に任意のふたつの認識的存在を同一視することにあ
る。そして、束縛はフィギュア化に必然的に伴う認識的関係であり、束縛関係項の階(order)
により 2 種
の束縛を区別する。認識上の存在物(モノ・コト)
間では外延束縛
(e束縛:extensional binding)
が成立し、性
質間では内包束縛(i束縛:intensional binding)
が成立する。25)したがって、認識主体 ε がその認識装置
を束縛する場合は、i束縛と考えられる。認識主体・認識装置は物質ではなく、物質が作
(cPΔeα の Δ 部分)
り出す現象であるからである。なお、
(2)の表記[ ]は、認識主体が
(無意識的であれ意識的であれ)
現
在経験する認識領域(認識空間)を示している。
次の段階(3)では、認識主体 ε は状況 ω 内に他者として存在するモノ・コト cPeβ の性質 Pβ の認識処
理結果を知覚(意識的認識)する。
]
]
(3)Pβ 知覚:[ ε[P〈cPΔe
β
α cΔeβ cPeγ 〉
(クオリア:表示上の煩瑣を避けるため
認識主体 ε が知覚するのはモノ・コトの性質 Pβ の認識処理結果
に、この認識処理結果を P と表記する)
のみであり、このクオリア Pβ は認識処理結果として強制的に状
況 ω から認識主体 ε に与えられる。クオリア Pβ を知覚したこの段階で初めて、認識主体 ε はその知覚
経験を介して自己存在の意識的な
(推定)確認をすることが可能になると想定される。クオリア Pβ 知覚
────────────
25)2 階述語論理では、内包束縛の概念を用いる(Allwood et al.(1977 : 148)
、Gamut
(1991 : 169)
)
。
― 63 ―
は、状況 ω 内の性質 Pβ を認識レベルでフィギュア化することであり、認識上でこのフィギュア Pβ は対
象認識する状況内モノ・コト cΔeβ の P 部分を i束縛する。26)
次の段階(4)で、フィギュア化され知覚化された Pβ は認識状況 ω 内の被束縛部分に還元される。
〈cPΔeα cPeβ cPeγ 〉]
]
(4)Pβ 還元:[ ε[
この還元によって、認識主体 ε は状況 ω 内に性質 Pβ をもつモノ・コト存在物 cPeβ が存在することを
確認する。また、認識対象状況 ω に Pβ 還元された状況部分 cPeβ が、その状況 ω 内で、同様に認識処
理されたさまざまな他者(モノ・コト cPeγ )と関係していることを認識主体 ε は認識することになる。この
タイムスライスされた瞬時的状況 ω 内で cPeβ は、cPeγ との関係のなかからさまざまの性質 Pγ を認識主
体 ε によって付与される。この Pγ は、cPeβ に属する別の状況内性質であったり、cPeγ との位置関係で
との物理的・心理的距離であったりする。状況 ω 内に経験され
あったり、状況 ω 内 cPΔe(自己の身体)
α
るさまざまな性質 Pγ を統合したモノ・コトを含む認識領域として認識主体 ε が状況 ω を再認識するこ
とは、段階
(2)における認識構造に加えて、新たな認識境界[ ]を状況 ω に対して設定することにな
る。
次の段階
(5)では、
(4)で認識的統合を受けた cPeβ が状況 ω からフィギュア化され、フィギュア cPeβ
が状況 ω 内の Δβ を束縛する。
]]
(5)cPeβ フィギュア化:[ ε[cPe〈cPΔe
β
α Δβ cPeγ 〉
フィギュア化は認識主体 ε の認識的処理操作であり、認識対象状況 ω の様態に変更を加えるものではな
(extract)するだけであり、状況 ω 内でその性質と存在を
い。cPeβ を認識的に認識対象状況 ω から抽出
もつ状況部分(モノ・コト)
cPeβ はフィギュア化後もタイムスライスされた認識対象状況 ω 内でフィギュ
ア化前と同じ様態で存在している。この場合の束縛は、cPeβ 全体がフィギュアとして同じカテゴリーに
属する認識存在を束縛するわけであるから、c/e 同士の e束縛と P 同士の i束縛が並行した認識現象とし
て存在している。27)
タイムスライスされた任意の状況 ω のこの認識構造
(5)は、類像的に言語レベルの名詞句
(NP)を核と
する概念構造である述定(predication, PD)スキーマとして言語認識空間に投射される。認識主体 ε はこの
]
]を言語レベルで構成するという認識操作を実行する主体であるが、
概念構造[ ε[cPe〈cPΔe
β
α Δβ cPeγ 〉
決して「認識主体のまま」認識対象部分として構造化されることはない。対象化された認識主体は、その
時点ですでに認識主体ではなくなっているからである
(溝口
(1993 : 138)、cf. Merleau-Ponty(1964 : 8)
)。こ
の認識現象の制約は、認識主体が言語主体となる場合、最上位の遂行動詞ともに決して表現しえないこと
に反映される。遂行表現として I say と表現する場合の I は対象化された表現主体として描写されている
にすぎず、I が認識主体現在の認識主体 ε を指すわけではない。言語構造も概念構造であるからには、
────────────
26)認識空間ではクオリアそのものを概念として存在化することはできるが、物質空間で性質が存在から離れて「浮
遊」していることはない。あらゆる性質はモノ・コトに「付着」してのみ存在できる。感覚与件として認識上、
存在から性質を「剥離」
(抽出)することは可能である。
27)厳密には、Δβ は ΔΔΔβ と標記すべきであるが、煩瑣を避け略記する。
― 64 ―
絶えず認識主体 ε が言語構造を認識する者として認識上存在しているわけであるが、構造標示が煩雑に
とともに表記しないこ
なることを避け、とくに必要がない限り、以下の言語構造標示からは指標
(α /β /γ )
ととする。
ひとつの状況構造認識に対応する述定スキーマは次の構造をもつ。
(6)PD スキーマ:[NP〈NPC〉]
(NP condition)
に投射され、認識主体 ε は言語レベルで NP を外
cPeβ は NP に、〈cPΔeα Δβ cPeγ 〉は NPC
項
(external argument)
とし NPC を述語
(predicate)とする述定を概念形成する。この PD 構造において、NP
は状況認識 ω から投射された言語レベルのフィギュアとして、NPC は状況認識から投射された言語レベ
ルのグラウンドとして機能する。言語化される以前の認識構造においても言語概念構造においても、フィ
ギュアはグラウンドを支配
(govern)
し、フィギュア内要素がグラウンド内要素を束縛する。したがって、
NPC の統語構造内部には、状況認識構造の場合と同様に、フィギュア NP 内要素によって束縛される部
分(Δβ )が必ず存在することになる。
cPeβ から投射された NP は、Pβ 還元直後に状況 ω 内の他の状況部分との関係性の中で cPeβ に付与さ
(D)
付加および数量詞
(Q)
付加を経て、
れた性質 Pγ に対応する言語操作として、認識主体 ε による決定詞
28)
暫定的に次のような概念構造スキーマをもつことになると想定しておく。
(7)NP スキーマ:[Q
[D
[N
〈NC〉]
〈DC〉
〈QC〉] (XC : X condition where X=N/D/Q)
]
NP スキーマにおける X と XC は、それぞれの認識カテゴリー領域でのフィギュア概念 X とフィギュ
ア化されなかったグラウンド概念 XC に対応すると想定している。NP はタイムスライスされた認識状況
内の瞬間的な性質・関係に対応するので、時間経過を要する述語は XC には含まれない。具体的な XC
は、形容詞句 AP・前置詞句 PP および再帰形など若干の付加詞
(adjunct)である。形容詞句 AP と前置詞句
PP は、Mizoguchi
(1984, 1986)
に従い、形容詞と前置詞はそれ自体は 2 項述語であるが、使用時には必ず
ひとつの内項がすでに埋められた(saturated)
1 項述語として使用され、他の内項は AP/PP を支配する統語
要素(内)の 0 階のモノ・コト統語要素 c/e および cPe
(=NP)
に束縛されるものとする。これら 3 種の統語
要素はいずれも認識状況 ω のなかでモノ・コトの存在を保証する要素であり、いずれも言語認識空間に
投射された概念要素である。
形容詞句 AP は、名詞 N とカテゴリー構造は同じ cPe であるが、状況認識時に名詞対応物とともにフ
ィギュア化されなかったので、フィギュア化された名詞対応物モノ・コトに依存
(
「付着」
)
した性質を表す。
名詞スキーマ cPe の概念内容は、モノ・コトを示すので、
「状況部分 c によって性質 A をもつ存在 e」と
すれば、束縛によって e を認識上「剥奪」された形容詞句スキーマ cPΔ の概念内容は「状況部分 c によ
って性質 A をもつ Δ」というように理解できる。認識上、形容詞を支配するモノ・コト要素の存在部分 e
が形容詞の e 部分を束縛しなければならず、結果として AP は前者の e に対するグラウンドとなる。し
たがって、AP と N には次のようなスキーマを設定しておく。そして、名詞と形容詞句の相違点は存在 e
────────────
28)この統語構造スキーマは、実質的に Mizoguchi
(1984 : 125 ; 1986 : 136)
が提示したものである。
― 65 ―
が束縛されるかされないかにあり、両者の概念核は形容詞 A であると考える。29)
(8)AP スキーマ:〈c A Δ〉
(9)N スキーマ:
[c A e]
前置詞句 PP は、ひとつの状況内でなんらかの認識的量化によって特定されたふたつのモノ・コトに対
応するふたつの NP 間の言語レベル概念を示すと考えられる。量化されたふたつのモノ・コト間の関係を
認識主体が認定し、ふたつの関係内項のうち 1 項をフィギュア化することで残りの内項と前置詞概念をこ
の関係の中でグラウンド化する。しかし、このフィギュア化は前置詞句に対応する状況関係構造内のフィ
ギュア化であり、その 2 項関係全体はフィギュア化されず XC 概念としての状況内の位置を占めること
になるので、同じ認識状況で別にフィギュア化された名詞句対応物のモノ・コト要素によって前置詞句内
のフィギュアが束縛されなければならない。AP と同様に、PP はその構造外部の束縛子に概念存在を依
存しなければならないのである。PP スキーマは次のように措定しておく
(cf. Mizoguchi
(1985, 1988)
)。
(10)PP スキーマ:〈Δ P[NP]
〉
本稿では NP 構造の詳述はしないが、後の論議のために、NP スキーマの具現例を示しておく。認識領
域[
]、状況領域〈
〉、不定状況部分 c、存在 e、被束縛項 Δ などの概念要素は認識主体の言語空間に
存在するが、言語表現(物理的存在)化されることはない。概念である言語に対応して言語表現化されるの
は語彙項目だけである(Mizoguchi
(1984, 1986))
。
(11)[ Q [ D [
N
〈
NC
〉]
〈
[ c [ the[ c river e 〈c navigableΔ 〉
]
〈
DC
c
〉
]〈 QC 〉]
〉
]〈
c 〉
]
[ c [ the[ c picture e〈
c
〉
]
〈Δof the boys 〉
]〈Δitself〉
]
[ all [ the[ c boys e 〈
c
〉
]
〈
〉
]〈
c 〉
]
[ all [ the[ c boys e 〈
c
〉
]
〈 Δin the bus 〉
]〈
c 〉
]
[both[your[c parents e〈
c
〉
]
〈
c 〉
]
c
c
〉
]〈
さて、本稿の主題である動詞句の概念構造スキーマは、状況構造認識から言語レベルに投射されたふた
つの PD スキーマ[NP〈NPC〉
]を核として認識主体によって構造化される。状況変化の有無とその内容
は、ふたつの状況認識、つまり認識主体が措定する後状況と前状況の認識構造から言語レベルに類像的に
投射されると考えられる。後状況は物理的にも認識的にも前状況の「なかで」発生する。この状況認識過
程の概念模式図は次のようになる。
────────────
29)名詞と形容詞の区別が明確なものではない点については、Mustanoja
(1960 : 642)
、Jespersen(1924 : 72)
)
を参照。ま
た、A が 2 項述語であるということについては、Mizoguchi(1980, 1984, 1986)を参照。
― 66 ―
前状況
②原因措定
中間状況
③経過
後状況
①結果措定
④結果確認
図3
状況認識順序:後状況
→
前状況
→ (中間状況) →
後状況
すでに述べたように、われわれ生物個体は状況の変化の有無を知ろうとする場合、ふたつのタイムスライ
スされた状況を比較しなければならない。そして過去・現在・未来のどの状況を考える場合でも、認識現在
において最も関心がもてる後状況タイムスライスに最初の認識焦点を当てる。これは無意識がおこなう認
識対応であり、意識的に操作することはできない。認識焦点を「自由」に選択することは、生存持続を目
的とする個体にとっては致命的であり、そのような危険な認識装置をわれわれは備えてはいないからであ
る。状況間における変化有無を確認しようとする場合、認識主体の状況確認順序は、図に示した通り、①
後状況の様態(それまでの結果)を確認し、次に②前状況の様態と後状況発生原因を確認し、通常③の経過
確認はほぼ割愛し、再び④後状況の結果様態を確認し、②−④の確認内容を認識現在時に自己あるいは他
者に対して報告するのである。いかなる場合でも、なにかが起こったか起こらなかったかを認識主体が知
るのは常に後状況である。前状況だけでなにが起こったか起こらなかったか、あるいは起こるのか起こら
ないのかは判断することは不可能である。仮に前状況だけあるいは後状況だけを観察したとしても、その
場合はひとつの瞬間的タイムスライス状況を認識しているだけで、静止画像を見る場合と同様に、何事も
起こらない。状況間における変化有無を確認しようとする場合、つまりプロセスの変化有無を確認しよう
とする場合、「前状況」から原因確認を開始して状況結果確認に至る状況認識経験も不可能である。まず
は後状況を最初に措定・確認しなければ、(認識的に存在しない)
原因というものを探しようがないことに
加えて、後状況まで至らなければそもそもなにが起きたのかも判断ができないからである。因果関係の認
識は認識上のフィクションであり、原因認識は後状況
(最新認識状況)
認識の後付け了解作業にすぎないの
である。原因探しは結果をまず措定してからの後付け作業であるから、当然ながら後状況から状況確認作
業を始めるしか因果性確認の手段がないのである。そして、われわれの最大の関心は後状況の結果様態に
ある。後状況でなにがどうなったか、どうなるのかが重要なのである。生存持続という営為をできるだけ
有利に運ぼうとするために、われわれは絶えず現在・過去・未来の最終状況の様態を知りたいのである。英
語動詞句には、まさにこの状況確認作業におけるわれわれの過程認識がそのまま投射され、言語構造とし
て組み込まれている。
英語動詞句には、時間軸に沿ったふたつの離接的状況を比較する認識構造が端的に投射されている。動
詞句においては、生存持続上の理由で、後状況と前状況というふたつの状況比較が認識上必要なのであ
り、それ以下の状況数でも以上の状況数でもない。動詞句の存在意義はまさに、このふたつのみの状況を
― 67 ―
時間経過のなかで比較するところにある。ひとつのタイムスライス状況を描写するのであれば、そもそも
言語に動詞や動詞句は不要である。また、ふたつを超える数の状況を比較することは論理的に不可能では
ないが、生物個体にとっては無用の域を超えて致死的である。動詞や動詞句は Langacker
(1987, 2008)
な
どが想定するような段階的移行を示そうとする概念構造をもつものでは決してない。状況認識構造から言
語構造への投射は、認識対象がタイムスライスされた瞬間的状況
(後状況・前状況)
のペアであり、認識状
況はその各時点で認識主体によって瞬時に把握され、言語構造への投射も瞬時に実行される。
現在・過去の後状況に意味・関心を認めるからこそ認識的に原因を探す、未来の後状況に意味・関心を感
じるからこそその結果状況を認識的に想定する。後状況を措定・想定しなければ認識対象とするプロセス
が決まらず、使うべき動詞がそもそも決まらない。ということは、動詞句構成や文構成が始まらない・で
きないということである。また、後状況を認識しなければその原因となるべき前状況が措定・想定できな
いわけであるから、中間状況は、後状況認識と前状況認識ペアの関係のなかでしか想定できないというこ
とは明白である。動詞は後状況をまず措定(認識)
し次に前状況を措定
(認識)
しなければ使えない認識構造
をもつ言語様式なのである。認識行動と同様に、他のあらゆる行動においても、後状況を想定して
(つま
り、目標を設定して)われわれは行動する。目標を決めなければ行動ができないのである。正確には、後
状況認識がなければ認識的行動は不可能なのである。意識的であれ無意識的であれ、認識が伴わない「行
動」があるのではないかという反論があるかもしれないが、そうではない。その場合は、認識主体の関わ
らない出来事(事件・事故)にすぎず、「行動」とは言わない。現状認識に反して
(誤って)
物質身体が崖から
転落することは行動でも活動でもない。
状況認識一般およびその状況間比較の構造認識から投射された言語空間の英語動詞句認識構造を図示す
れば次のようになるが、図 4 と図 5 に見られる構造の類像性は決定的で、この認識的関連性は疑う余地が
ない。
前状況
②原因措定
中間状況
③経過
後状況
①結果措定
④結果確認
図4
後状況①
→
認識一般の状況認識順序
前状況②
→ (中間状況③) →
― 68 ―
後状況④
[AS[AO<AOC>]<ASC>]
②原因措定
<PRC>
③経過
[EO<EOC>]
①結果措定
④結果確認
図5
言語レベルの状況認識順序(動詞句)
[EO
〈EOC〉
]
①→[AS
[AO
〈AOC〉
〈
]ASC〉
]
②→(
〈PRC〉
③)
→[EO
〈EOC〉
]
④
※
[EO
〈EOC〉
]
[AO
/ 〈AOC〉
]
[AS
/ 〈ASC〉
]は PD スキーマ[NP
〈NPC〉
]構造をもつ。
〈PRC〉は中間状況に対応する。詳細は次節参照。
認識主体が認識現在において最初に認識焦点化するのは後状況であり、これには PD スキーマ[NP
〈NPC〉]構造をもつ[EO
〈EOC〉]が対応する。次に認識主体が焦点化するのは前状況であり、そこでは
やはり PD スキーマ[NP〈NPC〉]構造をもつ[AO
〈AOC〉
]が前状況の状況部分に対応し、[EO
〈EOC〉
]
は[AO
〈AOC〉]のまさに「なかに」構造化され、
[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉
]という後状況・前状況ペアを
投射した概念構造をもつことになる。さらに、この[AO
[EO
〈EOC〉
〈AOC〉
]
]連鎖を生起させた原因はや
はり前状況にあるはずであるか ら、[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉]は、前状況の部分である原因状況[AS
〈ASC〉]の「なかに」認識主体によって構造化され、
[AS[AO
[EO
〈EOC〉
〈AOC〉
]
〈ASC〉
]
]という概念構
造を形成する。後状況・前状況ペアから投射された概念構造はそれぞれフィギュア NP とグラウンド
〈NPC〉で構成されているが、3.2 で詳述するように、認識主体はこれらのフィギュア/グラウンド要素か
ら内包的要素をフィギュア化(抽出)し、その要素を概念統合(conflate)
することによって動詞を語彙化
(lexicalize)す る。こ の 動 詞 は、機 能 的 カ テ ゴ リ ー PR と し て 概 念 構 造[AS[AO
[EO
〈EOC〉
〈AOC〉]
]
〈ASC〉
]の全要素を構造的に統合し、フィギュア PR のグラウンドとしての〈PRC〉とともにこの概念構
造に組み込まれ、[AS PR
[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉]
〈PRC〉
〈ASC〉
]という動詞句構造を形成する。
ここに見られる状況認識順序がある限り、動詞句をもつ文を用いる場合には、たとえば以下の図 6 の文
(1)
−
(7)
を後状況のみあるいは前状況のみの様態認識をもとに発話することはできない。文を使う限り
は、後状況 A の様態 Bill dead を想定・確認しなければ使用すべき語彙が選択できないからである。発話
者は、後状況 A の様態 Bill dead を認識した後に、その結果を招来した原因を求めて前状況を認識し、両
者の様態情報を統合して動詞を選択し、動詞句を構成するのである。認識現在において後状況をまず認識
しなければ、その後状況に関連づけて、前状況に原因を探す動機がない。なにも認識していない場合に
は、「その原因」を認識上求めようがない。そもそも、
「その」が存在しない。プロセスを認識する場合に
は、最初に「前状況」を認識することはできないのである。いかなる場合も、最初に認識した任意の状況
が認識現在上の後状況なのであり、この場合の「前状況」なるものは、前状況ではなく、実は後状況であ
る。動詞句は後状況の様態認識を必然的に言語構造化しているのである。
― 69 ―
前状況B
Bill: dead
前状況C
Bill: not dead
前状況G
Bill: not dead
Mary: kissing Bill
前状況D
Bill: not dead
Mary: beating Bill
後状況A
Bill: dead
前状況F
Bill: not dead
Mary: choking Bill
図6
前状況E
Bill: not dead
Mary: shooting Bill
プロセス認識:後状況認識は前状況認識の必要条件
(1)
Bill is dead.
(2)
Bill died.
(3)
Mary killed Bill.
(4)
Mary beat Bill to death.
(5)
Mary shot Bill to death. (6)
Mary choked Bill to death. (7)
Mary kissed Bill to death.
(1)Bill is dead. は前状況 B 様態と後状況 A 様態を比較して、その結果認識として後状況 A の無変化
(Bill dead)様態を認識現在において報告している表現である。
(1)
が報告したいのは認識現在の後状況 A
様態 dead であって、前状況 B 様態 dead ではないということである。つまり、(1)は「今
(も)
dead であ
る」と言いたいのであり、「過去に dead であった」あるいは「今だけ dead である」と言いたいわけでは
ない。さらに確認しておくべきことは、
(1)
Bill is dead. と認識するときは、前状況の Bill dead という様
態と比較して Bill is dead. と認識しているのであって、前状況 C の様態 Bill not dead と比較しているので
はないということである。任意の後状況で Bill dead であり、その前状況で Bill not dead という場合は、not
dead から dead への状態移行であるので die を使う。
(2)Bill died. を使うのは、認識現在において、後状況 A が過去に設定され、それ以前の前状況で not dead
が認識された場合である。(3)
−
(7)
では、後状況・前状況が
(2)と同様の様態確認関係をもって過去に設定
されるが、前状況の様態内容によって使う語彙が異なってくる。しかし、どのような動詞を選択しよう
−
(7)
の動詞句を形
と、前状況認識の前提である後状況 A における様態 Bill dead が認識されなければ
(1)
成することができないことは、共通の条件である。
平叙文の内容を前提しなければ否定文や疑問文や条件節を形成できないことと同様に、後状況の認識を
前提としなければ動詞・動詞句が選択できないのであるから、文の形成が不可能になるのである。状況構
造認識に基盤をもつこの言語構成上の事実は、動詞句が状況間プロセスを概念化したものである限り、動
詞句は後状況に対応する言語構造要素[EO
〈EOC〉
]およびそれを組み込んだ[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉
]
のような概念構造を必然的にもつことを意味する。
― 70 ―
3. 2.動詞句と節の概念スキーマ
名詞や動詞あるいは形容詞や前置詞などの統語概念カテゴリー、また主語や目的語などの機能概念カテ
ゴリーは当然、その独自の概念に対して一元的な概念スキーマを認定できなければならない
(cf. Langacker
(2008 : 370))。また、任意のカテゴリーの要素はすべてその概念スキーマに適合しなければならない
(cf.
Langacker
(2008 : 34))。そして、これらの言語的概念規定は実際に状況認識構造から類像的に投射可能で
ある。この状況認識構造が類像的に投射された英語動詞句の概念スキーマは、まさに前節で示した状況確
認順序を構造内にもっている。次に示す動詞句(VP)構造および節(S)
構造の機能概念スキーマは、Mi30)前節の図 4・図 5 に示す通り、後状況に対応す
zoguchi
(1984, 1986)
が提示したもの(一部修正)
であるが、
る[EO
〈EOC〉
]が前状況に対応する[AS[AO
〈AOC〉
]ASC〉
]の内部に組み込まれた概念構造が動詞句
(VP)
の統語構造を形成している。機能概念スキーマの下部には、各機能要素として使用可能な統語カテ
ゴリーを示す。
(12)統語構造概念スキーマ
VP:
[AS PR [AO [EO〈EOC〉
]
〈AOC〉
] 〈PRC〉 〈ASC〉
]
S:
[RT OM [AS PR [AO [EO〈EOC〉
]
〈AOC〉
] 〈PRC〉 〈ASC〉
]〈OMC〉
〈RTC〉
]
NP Mμ
NP V μ
機能カテゴリー
NP
NP
AP/PP
AP/PP
MN/ μ C
AP/PP
μ C AP/PP
AS : affective subject PR : process AO : affective object EO : effective object
XC : X condition(X=EO/AO/PR/AS/OM/RT)
RT : reference topic OM: objective modal [
統語カテゴリー
]
: situational domain 〈
NP : noun phrase M : modal V : verb μ : mood-tense-aspect complex
PP : prepositional phrase MN : manner adverb
〉
: syntactic ground
AP: adjective phrase
μ C : modal/time adverb
(12)の定式化が示すのは、英語におけるすべての動詞句とすべての節がそれぞれ同一の統語構造をもつと
いう主張である。VP は S の要素として OM の「目的語」となるが、状況認識構造が VP に投射された
後に言語主体が VP に認識操作を加えることによって AS は RT
(reference topic)
にフィギュア化される。
このフィギュア化は、PR が時制をもつ(V に μ が付加される)場合に義務的に起こる認識操作である。
時制を付加するということは、現実世界にも可能世界にも属さない命題
(可能的様態)
を表す VP が、いず
れかの世界に存在する事態として認識されたことで、認識対象となった世界
(状況)
での主題
(フィギュア)
と位置付けられるからであると考えられる。RT は命題の存在を割り当てられた世界の主題として指名
(nominate)
され、人称代名詞などの場合は「指名格」と呼ぶべき nominative となる。因みに、前状況に存
在し、VP が表すプロセスを引き起こす主原因 AS と付随原因 AO は「原因格」と呼ぶべき accusative に
なる(cf. Mizoguchi
(1984, 1986)
)。31)各統語領域の X と XC は、投射前の認識概念構造のフィギュア/グラ
────────────
30)S にさらに認識操作を加えた最上位の節構造スキーマは、S から投射された S″
で、[SP PF[FT SM[ S 〈
]SMC〉
〈FTC〉
〈
]PFC〉
〈SPC〉
]という概念構造をもつ(SP : speaker、PF : performative verb、FT : focal topic、SM : subjective
modal)
。詳細は Mizoguchi
(1984)
。
31)accusative はラテン語動詞 accusare(ac=to, cus=cause)
に由来する。VP が可能的事態を表す表現として使用さ
れる場合は、AS は accusative のままで、動詞は時制をもたない。直接主語(direct subject)
とでも言うべき AS は
常に accusative である(cf. Mizoguchi
(1980 : 7)
)
。また、RT では accusative は使えない(cf. Akmajian(1984)
)
。次
例は Terence O’Brien の判断による。
!
― 71 ―
ウンド関係に対応し、当然この統語構造においても言語レベル上のフィギュア/グラウンド関係は投射に
よって保持される。
[EO
〈EOC〉]は後状況に対応し、EO は EOC のフィギュアであり、EO 要素は EOC
内要素を束縛する。その外側には前状況に対応する[AO
〈AOC〉
]が[EO
〈EOC〉
]を内部に取り込む形で
存在する。AO も同様に AOC のフィギュアであり、AO 要素は AOC 内要素を束縛する。また、前状況
には後状況成立の原因を含む多様な状況要素が存在し、
[AS〈ASC〉]では AS が後状況を引き起こす主原
因として認識され、AS が ASC からフィギュア化される。残余のフィギュア化されなかった ASC 要素
(意図・手段・付帯状況など)はグラウンドである ASC 内において AS に束縛される。さらに、前節で言及
した よ う に、後 状 況 と 前 状 況 と が 構 成 す る 状 況 ペ ア 全 体 の 関 係 か ら、つ ま り[AS[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉
〈PRC〉
]
〈ASC〉
]という
(前状況・後状況が)認識統合された全体関係から、多様な状況要素を統合
(conflate)
した概念として PR がフィギュア化される。統語カテゴリーの動詞 V に対応するフィギュアと
して、PR が前状況・後状況ペアの状況移行関係から内包要素を抽出するが、前状況の状況部分[AO
〈EOC〉
]までを
〈AOC〉
]と主原因状況部分[AS〈ASC〉]および中間状況〈PRC〉から結果状況部分[EO
PR は i束縛によって統合し、語彙化する。また、PR はフィギュア化されなかったグラウンド PRC 内要
素を束縛する。PRC の統語カテゴリーは様態副詞 MN および μ C である。PR は中間状況 PRC を内蔵す
るプロセス全体に対応する概念であるが、PR 全体の認識範囲を設定するのは後状況フィギュア EO と前
状 況 フ ィ ギ ュ ア AS で あ る。こ の 認 識 が、AS と 残 余 の 統 語 部 分[[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉
〈PRC〉
]
〈ASC〉
]とを結合する位置に存在することにより、
[AS PR
[AO
[EO
〈EOC〉]
〈AOC〉
〈PRC〉
]
〈ASC〉]という
VP 構造の成立を実現する。なおしかし、この VP 構成認識過程において認識主体が最大の焦点を当てて
いるのは、依然として後状況に対応する[EO
〈EOC〉]部分の様態である。[EO
〈EOC〉
]という結果を認
識したからこそ、その結果を言語化しようとするからこそ、VP 構成という認識作業を認識主体はおこな
うのである。繰り返すが、後状況の結果[EO
〈EOC〉
]を措定・想定しない VP 認識は存在しないというこ
とである。なお、このスキーマでは、XC の構造的位置が便宜上 X 領域内末尾に設定してあるが、多く
の場合に X 領域内部の他の位置に移動することが可能である
(Mizoguchi
(1984)
)。
〈XC〉で、X は XC を統語支配し X 内要素が XC 内要素を束縛
すべてのフィギュア/グラウンド関係 X
することにより節構造が成立している。また、S スキーマにおいて、統語カテゴリー NP をもつ機能カテ
ゴリーは項として、その他の機能カテゴリー要素はすべて述語として機能する。すなわち、スキーマ構造
のなかで、RT/AS/AO/EO は
(0 階)項として、OM/PR/XC は(PRC 以外)
(1 階)
述語として機能しそれぞれ
述定を形成する。同様の述定形成は、一段高階レベルで PR
(V)
と PRC
(MN)
の間で成立する。この場合
には、V が 1 階項で MN は 2 階述語となる述定である
(詳細は Mizoguchi
(1985, 1988)参照)
。
われわれの意識には無意識空間の概念のごく一部が投影されるにすぎないことはすでに論議した。認識
主体の言語空間に存在する言語構造や認識処理のほとんどすべても、同様に通常の意識には上らない。し
たがって、ここで設定している概念スキーマやほとんどすべての概念要素や概念処理が日常の言語活動で
意識されないのは当然の結果であると考えてよい。膨大な量の言語的無意識概念が無意識の言語空間で処
理されているのである。
────────────
(ⅰ)
What! Her/*She call me up! Never.
(ⅱ)
What! She/*Her calls me up! Never.
!
― 72 ―
次に、具体的な言語表現に対応する言語レベル概念
(意味)
形成が S スキーマを核とする統語構造から
的確に導出されることを検証するために必要となる最小限の統語規則を Mizoguchi
(1984, 1986)から簡略
化して示しておく。まず、状況認識に対応する動詞句が言語空間に投射された節構造内での述語・項の存
在に関する規則である。
(13)統語構造内のカテゴリー的・機能的な要素として統語規則で指定された述語・項は常にその構造内に
存在する。
次は、状況認識での無意識的認識が言語レベルに投射され、S 構造内で語彙化されない要素 c に関する規
則である。
(14)不定状況部分 c は、言語主体が特定の意味を認識せず、無意識で認識できる要素である。
次は、状況認識時のフィギュア化に伴う束縛が言語レベルに投射された束縛規則である。
(15)束縛(bind)
には、外延束縛
(e束縛)と内包束縛
(i束縛)
があり、任意統語領域の束縛子
(binder)
が隣接
下位統語領域の同一統語カテゴリー要素を被束縛項
(Δ : bindee)
とする。
この束縛規則が(12)の統語構造スキーマに適用され、PR 語彙化に伴う i束縛以外の束縛としては、次の
領域で束縛関係が成立する(X>Y : X
(partially)
binds Y)
。
(16) a.
RT>AS>AO>EO
b.
OM>PR
c.
X>XC
(X=EO/AO/PR/AS/OM/RT)
) 統語構造概念スキーマ
(S)
(12′
]
〈OMC〉
〈 RTC 〉
]
]
〈 AOC 〉
]
〈 PRC 〉〈 ASC 〉
S:[RT OM [AS PR [AO[EO〈 EOC 〉
NP Mμ
NP V μ
NP
NP
AP/PP
AP/PP
MN/ μ C
AP/PP
μC
AP/PP
さてここで、英語の平叙文が S スキーマを満たし、とくに動詞句 VP の統語構造が正確に各文の意味
に対応することを確認しておきたい。表記の簡略化のため、不定状況部分 c、存在 e、被束縛項 Δ、また
ときに統語構造領域[
]/〈
〉の標示は最低限にとどめる。なお、to 不定詞は PP、分詞は AP に準じて
1 項述語として扱う。これら準動詞の概念スキーマとして、to 不定詞は〈Δ to[VP]
〉、現在分詞 ING は
〈Δ Ving NP〉、過去分詞 EN は〈c Ven Δ〉を暫定的に想定しておく
(詳細は Mizoguchi
(1984, 1985)を参
照)。なお、既述したように、名詞 N の概念スキーマは[c A e]、形容詞句 AP の概念スキーマは〈c A
Δ〉である。また、煩瑣を避け、ここでは OM/PR の統語カテゴリーに付加される μ(mood-tense-aspect complex)
の標示は省略する。32)
────────────
32)不定状況部分 c および統語境界[ ]
〈
/ 〉
を認識主体 ε による被束縛項とみなせば、言語表現に対応物が存在
しない統語概念カテゴリー要素はすべて束縛理論で処理できる可能性がある。
― 73 ―
次の(17)
は、後状況の様態を述定する EO
〈EOC〉で、EO と EOC がそれぞれ語彙化された文の対比で
ある。
(17) a.
b.
Bill will make Mary a doctor. [Bill will[Δ make[Mary[a doctorΔ
〈c〉
]〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
〈 〉
〈 〉
]
Bill will make Mary sick.
[Bill will[Δ make[Mary[Δ 〈sick Δ〉
]〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
〈 〉
〈 〉
]
(17 a)は、文の主題 RT
(Bill)が make の原因 AS(Δ)
として同じく前状況に存在する AO
(Mary)
に影響を与
え、Mary が未来の結果としての後状況で EO
(a doctorΔ)になることを焦点化している。この EO
(a doctorΔ)は AO
(c Mary e)
内要素である e に束縛されているので、EO の a doctor は Mary であることが保証
されている。この文を発話するとすれば、まず「Mary が他でもない a doctor になっている」という結果
状況を想定して、そうなるということを表現したいのであり、その後状況以前のさまざまな中間状況の経
過などを表現したいわけではない。そして、この後状況を想定したからこそ make や a doctor という語彙
を選択使用したのであり、その想定がなければそもそもこの文の認識さえ認識空間に発生しないし、この
文の発話は不可能である。EOC
〈c〉は、後状況で Mary が a doctor 状態であることのみに関心の焦点があ
り、後状況の他の様態には表現上の関心はないことを示している。
(17 b)では、EO
(Δ)
の Mary が sick 状
態であるという結果状況をまず想定し、その後状況の様態を焦点化しているのであり、決して前状況に存
在する AO
(Mary)の様態が焦点ではないし、むろん前状況で Mary が sick であるということでもない。
前状況では Bill が Mary にまだ make が表す影響をなにも与えていないはずで、前状況の直後の中間状況
で Mary になにかをするとしても、その経過における Bill の行為内容も関心の焦点ではない。それは表現
上「どうでもよく」、中間状況でなにがあるかは問題ではないのである。発話者の関心は後状況で Mary
がどうなるかであって、中間状況ではない。もし中間状況に関心があるなら、その内容に焦点を当て、Bill
overworks Mary. とか Bill gives Mary nothing to eat. とか、その「中間状況」を後状況として文を作るはず
である。(17 b)では、後状況でだれが sick なのかは、束縛連鎖 AO
(Mary)−EO
(Δ)
−EOC
(sickΔ)
で保証さ
(Bill)
は AS(Δ)を束縛し、make するのは Bill であることを保証す
れている。また、いずれの文でも、RT
る。
次の(18 a)と(18 b)は、名詞句 the house が異なる機能カテゴリーである AO と EO として語彙化され
た場合の対比である。
(18) a.
Bill ruined the house.
[Bill c [Δ ruined[the house [Δ
b.
Bill built the house.
[Bill c [Δ built [
c.
Bill made the house ruined. [Bill c [Δ made [the house [Δ 〈c ruined Δ〉]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
〈 〉
〈 〉]
c
〈cΔΔ〉]
〈 〉]
〈 〉
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
[the house
〈cΔΔ〉]
〈 〉]
〈 〈
〉 〉]
〈 〉
〈 〉
]
ruin は動詞の行為がおこなわる前に ruin するものが存在していなければ行為が成立しない affective verb
であるから、the house は AO でなければならない。他方、build は動詞の行為の結果として the house が
存在することになる effective verb であるから、EO を要求する。
(18 a)
では、AO
(the house)
が前状況で存
在し、後状況では EO
(Δ)として束縛され、その AO と同一である EO
(Δ
(=the house))
が EOC の〈cΔΔ〉
状態になったという、あくまでも後状況の述定を表現したいのである。EOC
〈cΔΔ〉は EN の Ven 部分が
動詞 ruined の語彙化によって i束縛され、e 部分は EO
(Δ)の Δ に e束縛されている。もし Ven が i束縛さ
― 74 ―
れなければ、EOC は e束縛されるだけで、(18 c)のように〈c ruined Δ〉となる。
(18 b)
は、発話者がまず
後状況に EO
(the house)が存在する事態を措定し、Bill が build した結果様態の述定を焦点化している。
前状況には the house の建築材料などがあったはずであるが、そのことに発話者は関心がないので AO
(c)
となっている。もちろん、(18 a)と同様、中間状況に関心はない。あくまで the house を build した結果で
ある後状況認識に焦点があり、後状況におけるフィギュア EO
(the house)
のグラウンド EOC は〈cΔΔ〉と
なっている。この EOC の Ven は built に i束縛され Δ
(=built)
となり、e 部分は、EO
(the house)
によって
e束縛されている。
次の(19)は、the tea が AO あるいは EO として、weak が双方で EOC となる例(Halliday(1967 : 77))で
ある。
(19) a.
b.
She made the tea weak. [She c [Δ made [the tea [Δ
She made the tea weak. [She c [Δ made [
c
〈weakΔ〉
〈 〉]
]
〈 〉
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
[the tea
〈weakΔ〉
〈 〉]
]
〈 〉
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
(19 a)では、make しようとする前状況時点ですでに AO
(the tea)が存在し、後状況でその the tea がフィ
ギュア EO
(Δ)として存在確認され、後状況でそれが EOC
〈weakΔ〉であるということを表しているのであ
る。すでに前状況あった the tea を後状況で weak にした
(濃度を薄くした)
という意味に対応する文であ
る。発話者の認識焦点は後状況にあり、前状況で the tea がどうであったかとか、中間状況でどのような
方法をとったかなどには基本的に関心がない文である。あくまで結果状況の EO
〈EOC〉という述定が表
す状態に関心がある。(19 b)では、AO
(c)が前状況でなんであったかは問題にせず
(材料に関心がない)
、
(weakΔ)
状態であるという述定 EO
〈EOC〉が示す結果状況
後状況でフィギュアである EO
(the tea)が EOC
様態に関心があったのである。この場合も、中間状況には関心がない。結局、後状況で the tea を weak
に make
(初めから薄く作った)という結果が発話時の報告内容である。
次の(20)は、EOC の現在分詞 ING が共通で、AO と AS の同一指示性の有無を示す対比である。
(20) a.
b.
May got him crying. [May c [Δ got [him [Δ
〈Δ crying〉
〈 〉]
]
〈 〈
〉 〉
〈 〉
]
〈 〉
]
May got crying.
[May c [Δ got [Δ
[Δ
〈Δ crying〉
〈 〉]
]
〈 〉
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
]
(20 a)では、RT
(May)
に束縛された AS(Δ)である May が、前状況の AO
(him)
になにかをして後状況で EO
と言っている。中間状況は焦点化していないので him を
(Δ)である him を〈Δ crying〉の状態にした(got)
crying 状態にするのになにをしたかは表現されていない。後状況の結果様態である EO
〈EOC〉を焦点と
して[Δ
〈Δ crying〉]と表現している。EO は AO
(him)
に束縛され、crying 状態であるのは him であるこ
とが保証されている。AS は May なので、him が crying となったのは May に主原因があるという発話者
の認識である。(20 b)が
(20 a)と異なるのは、AO が AS に束縛されていることである。この文では RT
(May)−AS(Δ)−AO
(Δ)
−EO
(Δ)
−
〈Δ crying〉の束縛連鎖が、文の主題が May であり、got の原因 AS も get
された AO も crying 状態になった EO もすべて May であることが保証されている。May は自らが原因で
crying となったのであるが、中間状況になにが起きたのかは表現されていない。発話者は後状況に関心が
あり、中間状況には焦点を当てていないのである。なお、May に get する意図があったかどうかは、文
脈任せで不問である。
― 75 ―
次の(21)は、EOC が EN となっているだけで、統語構造は
(20)と同じである。
(21) a.
b.
May got him beaten. [May c [Δ got [him [Δ
〈c beaten Δ〉]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
〈 〈
]
〉 〉]
May got beaten.
[May c [Δ got [Δ
[Δ
〈c beaten Δ〉]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
〈 〈
]
〉 〉]
(21 a)では、AS(Δ)
である May が原因で AO
(him)
が後状況で EOC
〈c beaten Δ〉状態になったのである。
中間状況は焦点化されていないので、どういう経緯で May が get したのかはわからないし、発話者はそ
もそも May がどのように got に至ったのかは表現上関心がないのである。関心事は後状況の結果である。
(21 b)では、May 自身が広い意味で got の原因 AS(Δ)となり、May に beat される意図があったかどうか
は前状況の他の要素次第である。
次の(22)は、言語表現上は同じであるが、dry が EOC か AOC かの構造的相違がそれぞれの文意に対
応する例(Halliday(1967 : 65)
)である。
(22) a.
She cooked it dry. [She c [Δ cooked [it [Δ
〈dryΔ〉
〈 c 〉
]
〈 〉
]
〈 〉]
〈 〉
〈 〉
]
b.
She cooked it dry. [She c [Δ cooked [it [Δ
〈 c 〉
〈dryΔ〉]
]
〈 〉
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
(22 a)
では、AO
(it)
が後状況で EO
(Δ)
として EOC
(
〈dryΔ〉)
になるように cook したことを示し、cook の
(22 b)では、前状況の段階で AOC
結果最終的に it が dry になったという意味に対応する。それに対して、
が〈dryΔ〉ということであるから、AO
(it)が dry 状態で cook を始めたことになる。(22 a)では、前状況
で it の様態はまったく表現焦点となっていないが、
(22 b)ではフィギュア AO
(it)が焦点化され、それに
加えて AO のグラウンドにある AOC 様態 dry にも二次的に関心が向けられている。しかし、いずれの場
合も中間状況には焦点は向けられていない。
(22 b)ではただ、前状況において dry のまま cook を始めた
としたら中間状況でも dry ではあるかもしれない。
次の(23)では、EOC と AOC が同時に表現されている例
(Halliday(1967 : 80))
である。
(23) You can rub it smooth wet. [You can[Δ rub[it[Δ
〈smoothΔ〉
〈wetΔ〉]
]
〈 〈
〉 〉]
〈 〈
〉 〉
]
(Δ)を束縛し、未来に想定した後状況で it が[Δ
〈smoothΔ〉
]とい
(it)が EO
この文の構造は、前状況の AO
う結果になる可能性を焦点化している。同時に AOC
〈wetΔ〉を付加することによって、前状況時点でのフ
ィギュア AO
(it)
の状態に二次的焦点を当てて語彙化している。前状況で wet 状態なら後状況で it が
smooth になるように rub できることに発話者が焦点を当てていることになる。やはり中間状況の経過に
は関心がない。結果が重要なのである。また、後状況の様態を想定しなければ、前状況を次に想定するこ
ともなく、この文を言語空間で構成することもない。
次の(24)は、EOC と AOC に加えてさらに ASC が同時に語彙化されている例
(Halliday(1967 : 80)
)であ
る。
(24) They keep warm naked young. [They c[Δ keep[Δ[Δ
〈warmΔ〉
〈nakedΔ〉
]
〈 〉
]
〈youngΔ〉
〈 〉
]
〈 〉]
Halliday が付記するこの文のパラフレーズ“They can keep warm even when they are naked while they are
― 76 ―
young.”からもわかるように、束縛連鎖によって RT/AS/AO/EO であることを保証されている they が、ASC
〈youngΔ〉の頃には AOC
〈nakedΔ〉の状態でも自らを EOC
〈warmΔ〉にしておくことができるという意味
である。この文では、EO
〈EOC〉/AO
〈AOC〉
/AS〈ASC〉3 通りの述定が同時に成立しており、フィギュア EO
/AO/AS はそれぞれグラウンド〈EOC〉
〈AOC〉
/
〈ASC〉内の
/
AP の e 部分を束縛し、統語構造が文の意味に
適切に対応していると考えられる。
次の(25)
は to 不定詞が EOC に組み込まれている例である。to 不定詞はそれ自身が VP をもつ構造に
なるが、ここでは to 不定詞内の VP 構造の詳細には立ち入らず、to 不定詞がいかなる形で EOC などの
XC に組み込まれるのかを示すにとどめる。
(25) a.
b.
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
]
Bill wants Mary to eat it. [Bill c[Δ wants [Mary[Δ
〈Δto[Δeat it]〉]
Bill wants to eat it.
[Bill c[Δ wants [ Δ [Δ
〈Δto
[Δeat it]
〉
〈 〉
]
〈 〉
]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
]
(25 a)では、この文の発話時現在に RT
(Bill)が同じ前状況に存在する AO
(Mary)
に対して未来の後状況に
おいて EO
(Δ)
として結果的に EOC
〈Δ to
[Δ eat it]〉状態になることを wants していることになる。EOC
内の modal である to はその VP 内からのフィギュアとして to の前に、33)前置詞と同様、NP 項をもつと
考えられ、その NP 項は外項の束縛子
(ここでは EO
(Δ)
)
に束縛されていると想定している。つまり、EO
(Δ)
である Mary が、to に支配される VP 内の V
(eat)
に対する AS(Δ)
として機能するということになる。
Mary から始まる束縛連鎖は AO
(Mary)−EO
(Δ)
−
〈Δ to[Δ eat it]〉となり、3 カ所の NP が Mary に順次束
縛され、eat it するのは Mary であることが保証される。(25 b)
では、AS と AO が Bill であるので、RT
(Bill)から順
(Bill)
−AS(Δ)
−AO
(Δ)
−EO
(Δ)
−
〈Δto
[Δeat it]〉の束縛連鎖が発生し、5 カ所の NP はすべて RT
次束縛されることになる。その結果、eat it するのは Bill であることが保証される。このいずれの文にお
いても、Mary/Bill が未来状況で to eat it 状態となるように Bill が wants しているという現在状況を発話
者が想定して初めて、この文を表現することができるのである。発話者のこの現在状況認識は、発話者に
とっての瞬時的な後状況現在認識判断として認識現在時点で表現することになるのである。もちろん、こ
の瞬時的判断の中間状況に発話者が焦点を当てているわけではない。
次の(26)は、AO が表現されない文例である。
(26) a.
b.
Bill ate himself sick.
[Bill c [Δ ate
[ c[himself 〈sickΔ〉]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
Bill laughed his head off. [Bill c [Δ laughed [ c[his head〈Δoff c〉]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉
〈 〉
]
〈 〉]
いずれの文も、AO が表現されず、EO は動詞が表す行為の被動者
(patient)
ではない。
(26 a)
では、RT/AS
の Bill は前状況に存在するなにか後状況の原因となるものを eat したはずであるが、その原因となるなに
かに対する関心を発話者はもっていない。動詞句を使うのは、そもそも後状況の結果を確認したいからで
あるが、その結果がやや普通ではない EO
〈EOC〉状態であるために、発話者の関心は後状況の結果様態
に集中し、AO がなにであるかは実質「どうでもよく」とにかくなにかを eat したことが確認できればそ
れでいいという程度の認識をもった結果が統語構造に反映し、AO
(c)
となっていると考えられる。実際に
────────────
33)to は、法助動詞と同様に可能世界の状況間描写を導入する点で、法接続詞
(modal conjunction)
あるいは法前置詞
(modal preposition)
とみなすべきである(cf. Pullum
(1979)
)
。
― 77 ―
この AO に語彙要素を置くことはできない(*Bill ate lunch himself sick.)
。さらに注目すべきは、EO
(himself)が ate の意味的選択制限を破り、EO として用いられていることである。これは、機能カテゴリー PR
として使用される V は、VP 内の V 自身以外の状況要素
(とくに EOC)からさまざまな意味要素を収集統
合(conflate)して形成(語彙化)
されるが、語彙化しきれない意味要素が EOC から EO
(himself)
としてフィ
ギュア化され、グラウンド EOC と述定を形成することを示す事例である。この事実は、
(本来 fuzzy な)
意味的選択制限が言語構造に関与しないひとつの証拠と考えることができる。34)状況の結果様態を表すフ
ィギュア EO として、そのグラウンド EOC から NP が抽出され、EOC にはフィギュア himself の述語と
して〈sickΔ〉が使用されている。この EO
〈EOC〉という述定こそがこの文のハイライトであり、前状況
AO
(c)
は後状況様態の報告のための参考程度の情報にすぎないことを示す好例である。ましてや、中間状
況の語彙化の意義は皆無に近い。(26 b)
には(26 a)の説明がすべて当てはまるが、laughed は ate と異な
り、AO が語彙化されることはない。なお、EOC
(〈Δ off c〉)
における off などの副詞辞
(adverbial particle)
は、基本的に前置詞句(〈Δ P[NP]
〉)
であると考えることができる。
次の(27)
は、受動文の EN が EOC であるか AOC であるかによって文意が異なる動態受動と静態受動
の対比である。
(27) a.
The door will be closed at ten. [The door will[Δbe[Δ[Δ〈c closed Δ〉〈
]c 〉〈
]at ten〉
〈 〉〈
] 〈
〉 〉]
b.
The door will be closed at ten. [The door will[Δbe[Δ[Δ〈Δ〉〈
]c closed Δ〉〈
]at ten〉
〈 〉〈
] 〈
〉 〉]
(27 a)では、RT からの束縛連鎖 RT
(the door)
−AS(Δ)
−AO
(Δ)
−EO
(Δ)
−EOC
(
〈c closedΔ〉
が示すように、the
door は後状況の EOC の時点で初めて結果として closed 状態になったことに対応し、
「閉められる」とい
う動態受動の意味に統語構造が対応する。他方、
(27 b)
では、RT からの束縛連鎖 RT
(the door)
−AS(Δ)
−
AO
(Δ)−AOC
(〈c closed Δ〉は前状況で AO
(Δ)
がすでに AOC
(c closed Δ)状態であることを示している。
そしてその前状況の closed 状態の性質を伴った AO が後状況の EO を束縛し、その EO が EOC をさらに
束縛して EO
〈EOC〉が[Δ
〈Δ〉
]となっていると考えることができる。この場合の統語構造に対応する意
味は「前状況で閉まっていた the door が後状況でも閉まった状態になっている」つまり「閉まっている」
という後状況に関する結果様態を示すことになり、静態受動文の意味に合致する。
(27)に関しては、そのふたつの文の意味が統語構造の違いを反映していることよりも重要なことがあ
(copula)の機
る。それは、本来 grow の意味をもっていた動詞 be35)が束縛現象と連動して同定を表す繋辞
能をもつことになると説明できると思われるからである。前状況の AS として存在するモノ・コトが、そ
れ自身の存在が原因で、前状況では AO として存在し後状況でも同一性質をもつ EO
(モノ・コト)
として
存在する、つまりわずかでも認識的時間差のある 2 状況間で同一物として存在する
(同じモノ・コトであり
続ける)ということが AO を EO として同定することに他ならないと考えられるからである。これは、同
定が認識主体の認識処理であり、認識上の処理時間を要することを示している。
以上、若干の文例について、(12)
で提示した一元的統語概念規定である動詞句スキーマと節スキーマに
────────────
34)Chomsky(1957)
の有名な文 Colorless green ideas sleep furiously. の本質的価値を考える必要がある。また、本質的
に fuzzy な意味論的概念(例えば、意味役割(theta-roles)
やプロトタイプ概念)
に統語構造記述の基盤を置く言語
理論に展望はない。
35)Jespersen(1924 : 131)
。
― 78 ―
よって、各文の統語構造と意味の正確な対応関係を説明できることを示した。しかし、それにもまして重
要なことは、これらの言語レベルの概念スキーマが決して恣意的に設定されたのではなく、われわれ認識
主体が状況(世界)のなかで生存持続するために獲得した能力の構造認識そのものから直接に投射・導出さ
れるという事実である。すべての言語に存在するはずの名詞句と動詞句の基本構造、フィギュア/グラウ
ンド関係とそれに必然的に伴う束縛関係は、われわれが言語を獲得する以前に身につけているはずの状況
認識能力に基盤をもつものであることが明らかに示されたと考える。
3. 3.動詞句スキーマのアスペクト
節スキーマの核を形成する動詞句スキーマの内部構造を時間軸に沿って展開し、次に図式化しておく。
英語動詞句の基本特性の理解に極めて重要な内容をこの概念構造スキーマから見て取れるはずである。英
語動詞句には後状況 Vf、前状況 Vi、中間状況 Vm の 3 状況が統合されている。ただし、認識現在時の最
初と最後に焦点化されるのは常に後状況 Vf であり、この構造に Vf の原因となる前状況 Vi が組み込ま
れ、中間状況 Vm は動詞プロセスの本体であるがほとんど焦点化されない。
V
V=〈Vi-Vm-Vf〉
(V=〈原因-経過-結果〉)
[EO<EOC> ]
[NP <Δω > ] ①
[ NP <c Ven Δ> ] ④
[AS<ASC>]/ [AO<AOC>]
AO: [NP <Δω>]
<AS Ving AO>
Vf=結果
AS: [NP <Δω>]
<Δ Ving NP>
状況f (final): in focus
Vi=原因②
Vm=経過③
time span=0
状況i (initial): for reference
状況m (middle): out of focus
(AS: suppressed as c)
time span=0
time span≧0
図7
動詞句(単純形)
の認識構造:①状況f →
②状況i → (③状況m) →
④状況f
この図式が示していることは、これまでの論議を踏まえると、例えば次のようなことである。
▶
すべての動詞句は状況i−状況f の様態比較を示し、Vi−Vm−Vf を構造化し、状況f に最大の認識焦
点がある。
▶
動詞句はすべて、状況f の様態を示すことが目的であり、それを示さない動詞句は存在しない。
▶
状況f が先行認識されて初めて状況i が認識でき、状況f・状況i が認識されて初めて状況m が認識で
きる。
▶
すべてのタイムスライス状況は瞬間であり、認識上、状況内に変化や時間は存在しない。
▶
すべての状況認識はタイムスライスされた瞬間状況であるから状況f は瞬間である。
▶
認識現在も瞬間的タイムスライス状況であるから、すべての認識・発話は瞬間的現在行為である。
― 79 ―
▶
状況m はタイムスライス瞬間状況のデジタル連続であり、単純形では焦点化されない。
▶
状況m の持続時間は認識上 m≧0 である。m=0 で動詞句は瞬間を示し、認識上、進行形・命令文は
形成できない。
▶
be は状況i−状況f の変化・無変化を示す瞬間動詞である。
▶
進行形は瞬間的タイムスライス状況 Vm(m=0)の様態を状況f に代入したものであり、be が現
在形なら進行形も認識現在の結果的瞬間状況を示す
(It is raining at this moment/*for an hour.)。
また、現在形が発話時点の瞬間的状況の描写を報告するものである(Bach(1981)
)とすると、発話現在
における現在形は、瞬時に Vi−Vm−Vf が確認可能な、つまり Vm=0 となる、瞬間的内容をもつ動詞句
(I
see a cat.)しか使えないことが容易に了解できる(cf. 注 11)。同様にまた、現在時を描写する表現として
は、He is here at this moment. は容認されるが、*He is here for an hour. は容認されないことがわかる。過
去・未来はタイムスパンがゼロではないので、He was here for an hour./He will be here for an hour. はもちろ
ん問題がない。因みに Vi ではなにも起こっていないので分詞は存在しない。He is sick. はもちろん Vf
において sick であることを表現したいのであるが、決して Vf だけの観察から He is sick. とは言えないの
であり、Vi と Vf の様態を比較して、Vi から Vf までの間の様態が無変化であることを瞬時に確認した
からこそ is という動詞を使用したことになる。タイムスライス状況の Vf だけの描写なら動詞は使えな
い。動詞の中間状況 Vm の時間がゼロとしか認識できない動詞句では、進行形や命令文にはできないこ
とは一目瞭然である。He is being careful./Be careful! が容認され*He is being tall./*Be tall! が容認されない
のは単純な理由であり、be が Vm≠0 か Vm=0 かの違いである。動詞である限り be は Vi と Vf のアス
ペクト要素はもっている。Vm=0 では経過を示す進行形は不可能であり、命令文は現実に行動すること
を要求するが、行動は時間を要するので Vm≠0 の場合しか行動ができないのである。
4.おわりに
われわれ生物個体が生存持続目的から認識装置である認識主体をもち、認識主体がその目的に利用され
る道具にすぎないとすれば、認識主体が生存維持に向けておこなう認識活動一般、なかでも言語認識活動
も同一の目的をもって営まれていると考えるのが、生物個体の存在様式を理解するうえで整合性をもつ。
われわれの認識活動の一般的様式が言語様式に類像的・相同的に投射されているとする動詞句スキーマや
節スキーマが妥当であるとすれば、これらの概念スキーマの含意は、広範な根源的言語事象に明瞭な説明
を与えるものとなる。すべての言語事象は、生物個体の生存持続というひとつの目的に収斂するはずだか
らである。そして、ここで示した動詞句スキーマやさらに拡大投射される節スキーマは、生物個体が生存
する文化的認識様式に沿った形で存在することになる。英語が発生し展開してきた文化圏は、状況の変化
・無変化に強く原因を求める「責任追及型」の文化であり、原因認識を明確に構造化した動詞句スキーマ
36)後状況を発生させる原因が前状況にあるという認識様式は人間に普
をもつこととなったと考えられる。
遍的であると考えられるが、前状況にあると認識する原因要素をどれだけ明確に言語構造化するかは、任
意の文化圏が獲得するに至った思考様式により異なることは当然であると言える。しかし逆に、その意味
────────────
36)Lakoff
(1977 : 249)
は、英語における主語は control/volition をもたなくても、動詞内容に関して常に primary responsibility をもつとして、次例を示している:John hit Mary(accidentally)
./John dropped the dish(accidentally)
.
― 80 ―
では、本稿に示した状況認識順序の一般的スキーマ、後状況から前状況・中間状況・後状況への認識焦点化
過程は、言語認識を含む認識一般に見られる普遍的な認識過程であると考えて問題はない。
とすれば、英語という一言語に関する次のような言語問題への解答は、その言語事象が見られるすべて
の言語にも適用できることが期待される。すでに一部言及したが、なぜ言語には束縛現象やフィギュア化
があるのか、なぜすべての言語に名詞・動詞があるのか、なぜ自然言語の述定は 1 項述語をもたなければ
ならないのか、なぜ動詞句がなければならないのか、なぜすべての文は後状況
(結果)
を示さなければなら
ないのか、なぜ動詞の目的語はふたつまでなのか、なぜすべての文が完結相をもつのか
(cf. Brinton
(1988 :
16−17))、なぜ 5 文型なるものがあるのか、なぜ動詞は目的語や補語をもつ場合ともたない場合があるの
か、なぜ同族目的語なるものがあるのか、なぜ「自動詞」の過去分詞は形容詞用法をもてないのか、なぜ
動態受動と状態受動があるのか、なぜ PP/AP/ING/EN は時制をもたず叙述用法で動詞を必要とするのか、
なぜ状態動詞は存在しないという一般化ができるのか、などなど英語
(や他言語)
の根源的言語事象に対し
て、動詞句は生存持続を目的とする生物の獲得した状況認識能力が作り出す認識構造からの直接投射であ
る概念スキーマをもつという事実が即座に解答を用意する。
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