マタイ7:6-11 『求めなさい』2011.4.10

求めなさい 2011年 4月 10日
2011.4.10. 泉キリスト教会礼拝
「求めなさい」 マタイの福音書 7 章 6 11 節
はじめに.
東日本大震災発生後一ヶ月になろうとしていますのに、なおかなり強い余震が続
いていますが、今朝の礼拝のみことばをいただく前に、新約聖書のヘブル人への手
紙12章26 28節をお読みいたしましょう。
さて、キリストは先にマタイの福音書 6 章 5 15 節において、祈りの心得をお
教えになりました。そこでは、人に見せるための祈りや高ぶった祈りに対する警告
が述べられていました。
また、7 章 1 5 節においては、私たちが、例外なしに、自分の間違いや罪をそっ
ちのけにしておいて、他の人をあれこれ、さばいてしまう人間であることを、主イ
エスさまは鋭くきびしく指摘しておられます。
そして、この 7 章 6 11 節では、祈る勇気や信仰の確信をさえ失ってしまいが
ちな者に対する励ましを述べておられるのです。
ところで、キリストはなぜ、どういう意味で、この励ましの部分のはじめの6節
において、格言のようなお話を持って来られたのでしょうか?
→マタイの福音書7章6節
" 聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりま
せん。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。"
Matt. 7:6
Mh\ dw◊te to\ a‚g ion toi√ß kusi«n mhde« ba¿lhte tou\ß margari÷taß uJmw◊n
e¶mprosqen tw◊n coi÷rwn, mh/pote katapath/sousin aujtou\ß e n
˙ toi√ß
posi«n aujtw◊n kai« strafe÷nteß rJhx
/ wsin uJmaק.
kusi«n kuwn NOUN m. pl. dat. 犬
coi÷rwn coiroß NOUN m. pl. gen. 豚
ba¿lhte ballw VERB 2nd pl. aor. act. subj. to throw、 投 げ る
margari÷taß margarithß NOUN m. pl.acc. 真 珠
e¶mprosqen emprosqen IMPROPERPREPOSITION gen. (+gen) before,
in front of
(一)犬、豚とは誰のことか?(→マタイの福音書 7 章 6 節)
1)犬、豚とは誰のことか?
最近では、犬や猫だけではなく、豚までもペットとして飼われることがあるとい
うことですが、キリストが新約聖書に登場しておられる時代においては、パレスチ
ナの地方で犬はペットとして飼われてはいませんでした。羊飼いの手助けをする牧
羊犬(sheperd )もいませんでした。
「犬」 kuwn ,
bRlkR
旧約聖書には 34 回、新約聖書には9回出て来ますが、聖書の中で、犬といえば
「野良犬」であり「山犬」でありました(ただ一回だけ「羊の番犬」の意味で用い
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られている)。
<参考>→ヨブ 30:1
" しかし今は、私よりも若い者たちが、私をあざ笑う。
彼らの父は、私が軽く見て、私の群れの番 犬とともにいさせたものだ。"
犬は、レビ記 11 章の「汚れた動物」のリストの中には入れられていませんが、
聖書の中では、あまりよい意味では使われていません。戦場に葬られることなく放
置されている人間や獣の死体を鳥と共に食い漁るもの、また*価値のない人間の意
味で、また敵対する者の意味で使われることが多いのです。
<参考>→申命記 23:18(ヘブル語聖書 19 節)
" どんな誓願のためでも、遊女のもうけや犬のかせぎを
あなたの神、主の家に持って行ってはならない。
これはどちらも、あなたの神、主の忌みきらわれるものである。"
ここで「犬」は「神殿男娼」を指している。
→1 列王記 14:11
" ヤロブアムに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、
野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。』主がこう仰せられたのです。"
→2 サムエル 9:8
" 彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、
あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」"
→詩篇 22:16
" 犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、
私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。"
→ピリピ 3:2 (ユダヤ主義者を指している)
どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。
肉体だけの割礼の者に気をつけてください。"
→黙示 22:15 (キリストを信じない異邦人をさしていると思われる)
" 犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、
偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。"
ryIzSj
「豚」 coiroß , ryIzSj は一回だけ「いのしし」と訳されている。)
(
<参考>→詩篇 80:13 (Heb.では v.14)
" 林のいのししはこれを食い荒らし、・・・・・・"
旧約聖書では7節(一回は「いのしし」)で、新約聖書では 14 節で用いられている。
聖書の中では、豚は犬よりも嫌われており、旧約聖書では豚を食べることは禁止
されています。
<参考>→レビ 11:7
" それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れた
ものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。"
→申命記 14:8
" 豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、
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あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。
またその死体にも触れてはならない。"
→イザヤ 66:17
" おのが身を聖別し、身をきよめて、園に行き、
その中にある一つのものに従って、豚の肉や、忌むべき物や、
ねずみを食らう者たちはみな、絶ち滅ぼされる。♢♢主の御告げ。♢♢"
新約聖書の中には、豚を家畜として飼育していた者たちがいたことを示す記事が
記されていますが、それは異邦人たちがしていたことでありましょう。その異邦人
の豚飼いに雇われた放蕩息子の例え話は、あの息子がいかに落ちぶれていたかを示
すものでありましょう。
<参考>→2 ペテロ 2:22
" 彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る。」とか、
「豚は身を洗って、またどろの中にころがる。」とかいう、ことわざどおりです"
2 ペテロ 2:20 22 の文脈から明らかなように、ここでは、背教者が犬や豚にたとえられてい
るのです。
一度は、キリストを信じて聖なる恵みに浴しながら、背教したり、キリストの恵みを弄んだりし
ている不敬虔な者たちを指しているものと思われます。
2)聖なるもの、真珠とは何か?
Matt. 7:6 a
Mh\ dw◊te to\ a‚gion toi√ß kusi«n
mhde« ba¿lhte tou\ß margari÷taß uJmw◊n e¶mprosqen tw◊n coi÷rwn,
<参考>「真珠」は旧約聖書中では7節に、新約聖書中には8節に出てきます。
→箴言 3:15
"知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。"
→箴言 8:11
" 知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。"
ここでは、知恵は真珠にまさり、真珠よりも尊いものであると言われています。
なお、箴言第8章は知恵を擬人化して表現しているだけでなく、ご自身「知恵」であられるキリ
ストを指しているものと思われます。
→コロサイ 2:3
" このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。"
マタイの福音書 13 章 45 46 節を開いて見ましょう。
" また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
:46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、
行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。"
ここでキリストは、天国を真珠にたとえておられますが、よい真珠を探している
商人のようにどんな犠牲を払ってでも天国を獲得しなさいと教えておられるのです。
それは、先にマタイの福音書 6 章 33 節で学んだように、まず「神の国とその義」
すなわちまず「天国とその義」を求めることです。すなわちキリストによる救いを
求めることです。またキリストによる聖化(聖め)を求めることなのです。
だから、イエスさまは、マタイの福音書 7 章 6 節のみことばに続けて、7 8 節
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のみことばを私たちにお話し下さっているのです。
→マタイの福音書 7 章 7 8 節
" 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
: 8 だれであれ、
求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。"
(二)求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。
(→マタイの福音書 7 章 7 8 節)
キリストが 6 節で私たちに教えようとしておられることは、他人ではなく、こ
の私が犬や豚のような者であり、犬や豚になり下がってしまいやすい人間であると
いうことです。ですから、私たちはときどき、すっかり失望落胆してしまいます。
祈る勇気を失い、救いの確信さえなくしてしまいそうになります。こういう私たち
に対してキリストは、ここで適切な指示を与えて下さっているのです。
→マタイの福音書 7 章 7 8 節
" 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。"
1)前のものに向かって前進せよ。
イジイジ、グジグジと過去の失敗などを思い出していないで、また自分の現状を
見て落ち込んだりしていないで、未来に向かって前進しなさい。上を見上げ、前向
きに考え、求めなさいということです。
ピリピ人への手紙 3 章 13 節後半 14 節をお読みしましょう。
" ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。"
私たちの信仰生活は前向きで積極的でなければなりません。
<参考>→コリント人への第一の手紙 16 章 13 節
目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。
→新共同訳コリント人への第一の手紙 16 章 13 節
" 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。
雄々しく強く生きなさい。"
2)求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。
→マタイの福音書 7 章 7 8 節
" 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
: 8 だれであれ、
求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。"
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Matt. 7:7
Ai˙tei√te kai« doqh/setai uJmi√n, zhtei√te kai« euJrh/sete, krou/ete kai«
aÓnoigh/setai uJmi√n:
Matt. 7:8
pa◊ß ga»r oJ ai˙tw◊n lamba¿nei kai« oJ zhtw◊n euJri÷skei kai« twˆ◊ krou/onti
aÓnoigh/setai.
Matt. 7:7
ai˙tei√te aitew VERB 2nd pl. p r e . act. imp. 求 め る
doqh/setai didwmi VERB 3rd s. fut. pass. ind. 与 え る
zhtei√te zhtew VERB 2nd pl. p r e . act. imp. 捜 す
euJrh/sete euriskw VERB 2nd pl. fut. act. ind. 見 つ け 出 す
krou/ete krouw VERB 2nd pl. p r e . act. imp. ノ ッ ク す る 、 た た く
aÓnoigh/setai anoigw VERB 3rd s. fut. pass. ind. 開 け る
Matt. 7:8
ai˙tw◊n aitew VERB pre. act. pt. m. s. nom. 求 め る
lamba¿nei lambanw VERB 3rd s. pre. act. ind. 受ける、受け取る、
zhtw◊n zhtew VERB pre. act. pt. m. s. nom. to seek、 捜 す
euJri÷skei euriskw VERB 3rd s. pre. act. ind. to find、 見 つ け 出 す
krou/onti krouw VERB present. act. pt. m. s. dat. to knock、 ノ ッ ク す る 、 た た く
先ず、求めることです。求める気がなくてはお話になりません。ところが、求め
ようにも、一体、何を求めてたらよいのか、わからないことがあります。また、求
めているものが何処にあるのか、わからないことがあります。
そのときは、捜すのです。自分の足を運び、出て行って八方を捜し、それを求め
るのです。求めているそのものの在り場所がわかり、それを得たいと切に願ってい
ても、自分の目の前には固く閉ざされた門があり、門は開けてもらえず、求めてい
るものが自分には与えられそうにないと思える場合もあるでしょう。
しかし、キリストはそのときも、門を「たたきなさい。」と命じておられます。
「求めなさい。」ai˙tei√te aitew 「求め続けなさい。」
「捜しなさい。」zhtei√te zhtew 「捜し続けなさい。」
「たたきなさい。」krou/ete krouw 「たたき続けなさい。」
(三)天の父は、求める者たちに良いものを与えて下さいます。
(→マタイの福音書 7 章 9 11 節)
→マタイの福音書 7 章 9 11 節
" あなたがたも、
自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、
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自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、
どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。"
Matt. 7:9
h· ti÷ß e˙stin e˙x uJmw◊n a‡nqrwpoß, o§n ai˙th/sei oJ ui˚o\ß aujtouv a‡rton,
mh\ li÷qon e˙pidw¿sei aujtwˆ◊;
Matt. 7:10
h· kai« i˙cqu\n ai˙th/sei, mh\ o¡fin e˙pidw¿sei aujtwˆ◊;
Matt. 7:11
ei˙ ou™n uJmei√ß ponhroi« o¡nteß
oi¶date do/mata aÓgaqa» dido/nai toi√ß te÷knoiß uJmw◊n,
po/swˆ ma◊llon oJ path\r uJmw◊n oJ e˙n toi√ß oujranoi√ß
dw¿sei aÓgaqa» toi√ß ai˙touvsin aujto/n.
ai˙th/sei aitew VERB third singular future active indicative to ask
a‡rton artoß NOUN masculine singular accusative b r e a d
li÷qon liqoß NOUN masculine singular accusative s t o n e
e˙pidw¿sei epididwmi VERB third singular future active indicative to give
i˙cqu\n icquß NOUN masculine singular accusative f i s h
o¡fin ofiß NOUN masculine singular accusative s n a k e
ponhroi« ponhroß Adj. m. pl. nom. noDegree e v i l、 名刺的:悪者、邪悪な者
o¡nteß eimi VERB pre. act. pt. ma. pl. nom. to be, exist、ある
oi¶date oida VERB 2nd pl. pf. act. ind. to know
do/mata doma NOUN n. pl. acc. g i f t、贈物
aÓ gaqa» agaqoß Adj. ne. pl. acc. noDegree good
dido/nai didwmi VERB pre. act. inf. to give
po/swˆ posoß
PRONOUN interrogative substantival n. s. dat.
how much, how many
ma◊llon mallon ADVERB comparative more, rather
po/swˆ ma◊llon な お さ ら →マタイ 10:25、ルカ 11:13
ai˙touvsin aitew VERB present active participle masculine
dw¿sei didwmi VERB 3rd s. fut. act. ind. to give
aÓ gaqa» agaqoß Adj. n. pl. acc. noDegree good
plural dative to ask
Matt. 7:11( N A S B)
“If you then, being evil, know how to give good gifts to your children, how much more
shall your Father who is in heaven give what is good to those who ask Him!
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マタイの福音書 7 章 11 節私訳:
「悪い者であるあなたがたが
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのであるならば、
なおのこと、天におられるあなたがたの父は、
ご自身に求める者たちにもっと多く良いものを与えてくださいます。」
→ローマ人への手紙 5 章 8 10 節
" しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでく
ださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
: 9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、
彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、
和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、
なおさらのことです。"
私たちが「悪い者」であり、まだ「罪人」であったとき、キリストが私たちのた
めに十字架の上で死んで下さったことにより、神さまは私たちに対するご自身の愛
を明らかにして下さいました。すなわち、私たちの罪を赦して下さり、私たちを神
の子にしてくださいました。
私たちは、神さまを天のお父さまと呼ぶことが出来る者とされているのです。で
すから、私たちは祈るときに、他人に対して口をきくようにするのではなく、子ど
もがお父さんに話しかけるように祈ることが出来るのです。
仏教のお経や神道の祝詞のように難しいことばを並べ立てる必要はないのです。
自分のことばで親しくお話をするようにお祈りすることが出来るのです。神さまの
子どもなのですから・・・・・。
むすび.
天のお父さまである私たちの神さまは、ご自身の子どもである私たちが、お祈り
して求めているものより、もっと良いものを用意し、お与え下さる御方なのです。
終りに、ローマ人への手紙 8 章 32 節をご一緒にお読み致しましょう。
" 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。"
<祈り>
→エペソ人への手紙 3 章 20 21 節
" どうか、私たちのうちに働く力によって、
私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
:21 教会により、またキリスト・イエスにより、
栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。"
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