校長室から

校長室から
27.1.7
宮崎奈穂子(歌手)さんから学べること
私は、もの物心ついた時から「歌手になりたい」と憧れを抱いていました。けれど、私
は、地味で目立たないタイプの人間です。周りには恥ずかしくて言い出せず、次第に「ど
うせ歌手になんてなれるわけがない」という気持ちが芽生えるようになりました。
ところが、大学2年となり、進路について考えるようになった時、自分の気持ちを誤魔
化せなくなったのでしょう。このまま何もしなかったら後悔する。だったら、とにかくい
ま動こう。そう決意し、音楽活動を本格的にスタートさせました。
カラオケで録音したデモテープを片っ端からレコード会社に送りましたが、当然の如
く音沙汰はありません。そんな生活が延々と続き、一年半。ある日、当時通っていたボー
カルスクールのオーディションで運よく担当者の目に留まり、CDデビューをすることに
なったのです。とはいっても、無名の歌手がCDを出しても誰も買ってくれません。そこ
で私は路上ライブを始めることになりました。
大学3年の時、初めてマイク片手に渋谷の路地に立ちました。誰もが無関心そうに目の
前を通り過ぎていき、第一声がなかなか出せない。いざ歌い始めたものの、冷たい視線が
心に苦しく、いますぐ逃げ出したい……。そう思いながら2曲を歌い切り、片づけ始めた
その時、スーツ姿の男性が近づいてきて、こう言ったのです。「いい歌ですね」 私は嬉
しさのあまり、 込み上げてくる涙を抑えることができませんでした。その方は社交辞令
で言ってくださったのかもしれません。でも、このひと言に私は救われ、音楽活動を続け
ていこうと腹を決めました。
それから3年後のことです。「武道館を目指してみない?」 所属事務所のマネジャー
のこの言葉がきっかけで、私は「武道館サポーターズファミリー一万五千人挑戦」という
試みをスタートさせました。これは1年間路上ライブを行い、サポーターを15,000
人集めれば、武道館単独ライブを開催できるというものです。15,000という想像し
難い数字を目の前に一瞬怯みましたが、とにかく行動あるのみと、毎日のように街へ出か
けていきました。 誰にも足を止めてもらえなかったり、「武道館なんて無理」「あなたの
歌からは何も伝わってこない」と言われたこともあります。
そんな時、頭の中を駆け巡るのは「休みたい」という思いでした。しかし、私は雨の日
も、雪の日も、嵐の日も、猛暑の日も歌い続けました。サボってしまうと、出会いのチャ
ンスを逃すことになる。手を抜いたら、手を抜いた未来しか待っていない。これはどんな
仕事にも共通することだと思います。そんな姿勢が天に通じたのでしょうか。 ある日、
路上ライブを終え、帰ろうとしていた時、 一人の男性がCDを買ってくださいました。
名刺交換をすると、その方はローソンの販売促進の担当者でした。奇しくもその頃、応援
してくださっている方の一人がローソンの「ツイリク」(ツイッターで楽曲をリクエスト
し当選すると、それを店内放送してくれるサービス)を見つけてきてくださり、「これな
ら自分たちにもできる」と、ファンの方々が一斉に私の歌をリクエストしてくださってい
たのです。2つの出来事が重なり合い、私の楽曲が全国のローソンで流れるようになりま
した。これが一つの大きな転機となり、 遂に武道館単独ライブが決定したのです。
しかし、そのことに対して素直に喜べない自分がいました。 確かに夢だった歌手には
なれたけれど、歌手として何を伝えたいのかと聞かれると、答えられない。私には特別な
歌唱力があるわけでも、美人なわけでもない。こんな私が武道館に立っていいのだろうか。
不安や恐怖で私の心はぐちゃぐちゃになっていました。そんな正直な気持ちをプロデュー
サーに話すと、彼はこう答えてくれたのです。
「それでいいじゃないか。普通の女の子が、
夢に向かってがむしゃらに頑張っている。その姿そのものがメッセージになる」
自分自身の使命に気づかされた瞬間でした。 忘れもしない、私の26回目の誕生日の
時でした。
「苦しくても歩みを止めない時にこそ、ターニングポイントとなる人が現れる」
この言葉を肝に銘じ、今日も心を込めて歌いたいと思います。 出会ってくださったす
べての人に恩返しするために。
夢をもち、あきらめずに努力しつづけることが自分らしく生きることにつながっている
のですね。
-1-
-2-