芹沢文学・大分友の会 ふじ 会報No48 ☆第48回 より 芹沢文学読書会の報告 第48回の「芹沢文学読書会 」を 7 月 11 日(日)午前 10 時から、県立図書館の研修室 No4 で開きました。芹沢先生の生前の録音テープは、1979(昭和54年)8月21日に中 軽井沢星野の芹沢光治良の別荘に小串が訪ねて録音したものでした。故郷沼津の人々と作 品との関係などをいろいろとお聴きしたものです 。『美しい秩序』や諸短編、また『命あ る日』の事などが話題になっています。 最近の情報では、芹沢文学愛好会がホームページを開設して、英文の紹介も記載したい とのことで、私に日本語の原稿の依頼がありました。書いて送りましたが、清水さんとい う方が英訳されているとのこと。インターネットで瞬時に全世界と繋がっていて、新しい 芹沢文学の輪が広がりつつあります。芹沢文学の諸作品の英訳が出版されることを念願し ています。是非、ホームページにアクセスしてみて下さい。 読書会としては、書簡体の随筆「或る女流詩人への手紙(一 )(二 )」を読み語りまし た。 「或る女流詩人」が誰であるか、この読書会の時には 、調べていなくて、不明でした。 伊丹公子氏であることが判明しました。俳句雑誌「青玄 」)の1984年8月号に「伊丹 公子への手紙(3)」が掲載されています 。この時は実名の題で手紙を警いているのです。 この二つの手紙も、調べていませんが 、俳句雑誌「青玄」に掲載されたものと思われます 。 句集「時間紀行」が送られて来たことへのお礼の便りです。俳句や和歌のことへの回想、 一高に入学すると詩を書き始め、高原療養所で短詩を作ったことなどが書かれています。 「只今、長編小説創作中のこととて」と書いているのは、最後の長編小説『愛の影は長く』 だと思われます 。「二」では、故郷の我入遣の海浜に建てられた「芹沢文学館」のこと、 富嶽(富士山)、村八分 、文学碑(*海に鳴る碑は風に鳴る碑の間違い)、 『明日を逐うて』 の小山画伯、長女のこと、島崎藤村、浅間山の大壁画のことなどが書かれています。この 書簡体の随筆にも深い味わいがあります。参加されなかった方も、この機会に「或る女流 詩人への手紙(一)(二)」を御一読下さい。 次回は 、『芹沢光治良文学館11エッセイ 』(新潮社)の中に再録されている『幸福へ の招待』の「Ⅲ生きる日々の記録」の9編の随筆を読み語ります。どうぞ、気楽にお出か け下さい。 ☆文学の旅「佐藤義美と瀧廉太郎を訪ねる武田の旅」を企画10月10日 今年の第8回の文学の旅は、「いぬのおまわりさん」で有名な佐藤義美の生誕百年 記念の年であり、「佐藤義美記念館」が出来ていますので、竹田の街を訪ねたいと思 います。8月6日から29日に「佐藤義美と金子みすず 詩と童謡の世界」展が佐嚢義 美記念館と竹田市立歴史賢料館で開催されました。小串が下見もかねて見学してきま した。名誉館長の稗田宰子さんにもお会いしました。また、瀧廉太郎記念館、竹田荘、 広瀬神社(広瀬武夫)なども見てきました。田能村竹田→広瀬武夫→瀧廉太郎→佐藤 義美と繋がりもあり、竹田の風土が育てた偉人の足跡を訪ねたいと思います。 -1- 10月10日(日)に予定していますが、詳紬な案内はのちにお送りします。 ☆<芹沢文学案内No24>長練小説『愛の影は長く』(新漸杜) 最晩年の「神の書 」「天の書」の連作を除いて、芹沢文学における最後の長編小説です。 昭和54年から55年の二年間をかけて書き下ろし、昭和56(1981)年4月20日 に新潮杜から出版されました。白百合のように美しい婦人乃呂春子が昭和18年の5月4 日に唐時代の名器に植えられた藤を杉の家に持参したのですが、戦後に妹の林田秋子が 訪ねてきます。春子が敗戦の年に亡くなったこと、姉の友で杉の愛した安西暁子が三年も 前から植物人間になっていることを伝えます。愛の形は長く続いていたのです・・・。 -2-
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