マスメディアにおける「ヤンキー」のゆくえ:アイドル文化のフィールドをふまえて 太田省一(無所属) 1.アイドル文化のメディア性と二重性 アイドルという存在が本質的に大衆の支持を必要とするものである限り、そこにマスメディア が根本的な役割を果たすことはいうまでもない。そして現在の日本のアイドル文化の直接の起点 が 1970 年代にあったとすれば、とりわけテレビの存在は大きい。 『スター誕生!』(1971)という 番組の成功、そしてその手法が現在に与えた影響を見れば、そのことは明らかだろう。 そこで生まれることになった「アイドル」とは、一言でいえば「普通の人」ということだった。 それは、アイドルが、身近な存在、自分と同じような存在だということであり、言い換えれば、 アイドルはどこか不完全な存在であるということである。例えば、アイドルに対してしばしば向 けられる「カワイイ」という反応は、その典型である。そのとき私たちは、アイドルに対し、基 本的に従順で愛らしい人形のような存在であることを求める。 だが、不完全さは、まったく別の、むしろ対極的な形をとることもできる。人形のような存在 に甘んじることをよしとせず、世間の常識に逆らってでも確固とした自分の意思を主張するその ようなスタイルは「ツッパリ」と呼ばれ、それもまたアイドル文化のひとつの重要な系譜を形成 している。ツッパリは、子ども扱いされることを拒否するが、その反抗心や早熟さゆえに世間か ら逸脱する。その意味で、それもまた不完全さのひとつの表現である。 このような「カワイイ」と「ツッパリ」の対比は、1970 年代の時点では、テレビというメデ ィアの内と外に対応していたように思われる。そしてそれは、テレビというマスメディアが日常 生活との一体感を増していったことを背景に、タテマエとホンネ、オモテとウラという世間的な 規範の二重性にも対応していたように見える。カワイ子ちゃん的なアイドルが、テレビ的なタテ マエを象徴していたのに対し、例えば山口百恵のようなツッパリ的なアイドルは、テレビには素 直になじまないホンネの部分を象徴していた。 2.アイドル文化における不良性の位置:「ツッパリ」と「ヤンキー」 しかし、その場合、ツッパリは、不良性の一面を示すとはいえ、見るからに不良ということで はなかったように思われる。そのような姿が 1970 年代の時点でわかりやすく可視化されたのは、 演者よりもむしろ親衛隊に代表されるファンの側だった。 1980 年代になると、その構図に変化が起こる。 その象徴だったのが 1980 年デビューの横浜銀蝿で、彼らは見た目がそのまま不良という風体 でありながら、アイドル的人気を獲得するに至る。それはいわば、前述の二重性の構図が転倒し、 本来ウラにとどまるものだったはずのホンネが前景化したという現象だったと考えられる。そし てその文脈の中で、ツッパリであることは、真摯さのひとつの形と解釈され、むしろひとつの生 き方として肯定してよいものであることが、アイドル本人の側から主張され始める。 ただし可視的なツッパリのアイドル化が、コンサートなどの現場だけでのことではなく、テレ ビというメディア上でのことでもあるとき、同時にツッパリは、一種の虚構化を被ることにもな る。例えば、『ヤヌスの鏡』(1985)などの大映ドラマや『スケバン刑事』シリーズ(1985~87) などが、それである。つまり、ツッパリは、風俗の一部として意匠化されるのである。 だが 1980 年代は、不良性が、そのように可視的な娯楽化の対象になるとともに、再び表面に は出ない不可視なものになっていった時期でもある。そしてそれは同時に、不良性を指す表現が 「ツッパリ」から「ヤンキー」へと移っていく過程と、どこかで重なっているようにも見える。 言い換えれば、ヤンキーにおいて、不良性は、外見ではなく精神の問題になる。横浜銀蝿のよ うなツッパリの場合、外見は、精神の表現として欠かせないものになっていた。それに対し、ヤ ンキーでは、外見と精神の間の直接的な対応関係は重要ではなくなる。例えば、「元ヤン」とい うような言い方が示唆するのは、外見を伴う不良性はあくまで過去の事として切り離される一方 で、不良の精神は、現在を規定する生き方の原点にもなっているということである。 ファンの側での親衛隊の衰退という事態も、その移行に対応しているように思われる。だがそ の場合、親衛隊に代わって台頭したのが、ヤンキー的な属性をもつ集団ではなく、オタクと呼ば れる人たちだったということがある。そのずれは、アイドル文化の起点にあると考えられる、テ レビの視聴者という立場において培われてきた視線のあり方に関わっているだろう。 テレビは、その時々の世相を反映すると同時にそれを自ら増幅させるそれ自体がミーハーなメ ディアである。1970 年代のアイドルもやはり、そのようなミーハー的視線を前提にしていた。 ただ前述のように、アイドルは常に未完成な存在であり、そこに視聴者が向ける批評的視線の余 地がある。つまり、アイドルに関していえば、視聴者は、愛着と批評という両義的な視線を獲得 することになったのであり、それが、1980 年代以降浮上してくるアイドルオタクの土壌にもな ったように思われる。その意味でいえば、アイドルの実演の現場へのオタクの進出は、テレビ的 な文化のテレビ外への拡張という側面を持っていたように思われる。 3.誇示するヤンキー/すり抜けるヤンキー:現在の状況 では、現状はどうだろうか。2000 年代に入り、アイドルでも再びヤンキー的な事象が可視化 してきた感もあるが、それは劣勢にあった不良性の単なる復活ということだけでもないだろう。 例えば、不良性を可視化した外見で人気を得た氣志團は、その点かつての横浜銀蝿を髣髴とさ せる。しかしそれは、本人が自覚的に選択した戦略であり、いわば不良のコスプレである。ただ し本人は「元ヤン」であり、その意味ではそれは、自己模倣でもある。つまり、本物が自分をコ スプレしているという構図がそこにはある。 このような不良性の冗長化は、別の角度からいえば、現在さまざまなところで享受されている ように見える「実話」的なリアリティの問題につながっているように思われる。 ここでいう「実話」とは、フィクションに対する事実ということではなく、事実かフィクショ ンかという選択自体が無意味になるようなところに成立するような語りの位相である。例えば、 あるアイドルが不良だったというような過去は、微妙に外見の似たそっくりさんが出演する再現 VTR といったような形をとって、実にわかりやすく、かつあっけらかんと可視化される。それは 事実ではあるが、あくまで再現というフィクションの形式でもあり、アイドルである現時点の本 人との結びつきはどこか緩いものでしかない。その関係性もまた、自己コスプレ的といってよい。 もちろんそこには、かねてからメディア文化の中で見られてきたヤンキー的なものへの日本人 の偏愛という面もあるだろう。しかし、かつては確認することのできた不良性をめぐる可視性と 不可視性の葛藤や、それに伴う不良性を表現する際の屈折といったことは、そこにはあまり感じ 取れない。言い換えれば、ヤンキーは、誇示されることで同時に私たちの視線をすり抜けてしま っているかのようだ。このすぐには名状しがたい違和感こそが、現在の日本の大衆文化を見てい く上でのひとつの大切な糸口であるように思われる。 (※参考文献等は、当日配布資料に示す)
© Copyright 2024 Paperzz