「恐竜と地球環境」 東 洋一 - 福井県勝山市 WEBかつやま

基調
調講
講演
演
基
「恐竜と地球環境」
●
福井県立恐竜博物館 特別館長
東 洋一
■恐竜の時代
恐竜が恐竜時代を楽しく過ごしたことについて話し
たい。
恐竜は竜盤目と鳥盤目の大きく 2 つに大別される。
竜盤目はトカゲ型の腰の骨を持ち、獣脚類と竜脚類
に分類される。肉食は獣脚類のみで、鳥盤目と竜脚
類は草食である。なお、鳥盤目には剣竜や角竜など
の種類がある。
恐竜は、三畳紀(約 2 億 5100 万~1 億 9900 万
年前)の終わりから白亜紀(約 1 億 4500 万~6500
東特別館長
■勝山での発掘調査
万年前)の終わりという長い期間、地球上に存在し、
次は、勝山での発掘、そこから出てきた恐竜の話
当時の環境に適応した生物であった。隕石の衝突が
に移る。
主要因となり大量絶滅したと考えられているが、肉食
勝山では、手取層群(富山・石川・福井・岐阜の 4
恐竜の一群が、鳥類に進化し今も生き続けている。
恐竜の進化と移動は、大陸移動と密接な関わりが
県にまたがる地層)から大量の恐竜化石が見つかっ
ある。恐竜出現期の地球は、現在の大陸が一つの大
ている。昭和 63 年の予備調査で恐竜の化石が見つ
きな大陸であった。最初の恐竜は、現在のアルゼン
かり、第一次(平成元~5 年)・第二次(平成 7~11
チン辺りで出現したと考えられている。その後、地続
年)と二度にわたる調査が実施され、近年では平成
きである間に今のアジア大陸付近まで広く拡大した
19~22 年にかけて第三次調査が行われた。この間、
が、ジュラ紀(約 1 億 9900 万~1 億 4500 万年前)
勝山市では、平成 12 年に福井県立恐竜博物館が開
以降、大陸の分裂、移動が進み、恐竜の分化・進化
館し、平成 21 年 10 月に発掘現場と勝山市一帯が
が進んだ。
「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク」として日本ジオパ
ークに認定された。
恐竜の系統図をみると、ジュラ紀以降に種類が増
第一次・二次調査では、恐竜や翼竜の足跡のほか、
えてきた。三畳紀に出現したものが、ジュラ紀に体が
大きくなり、種類が増え、さらに白亜紀には一部の恐
淡水の貝が出てきたことから、手取層群の辺りは海水
竜が特殊化していった。日本で発掘される恐竜は白
ではなく淡水であり、川や湖に堆積した地層であるこ
亜紀、つまり恐竜時代の後半のものがほとんどであ
とがわかった。その他、カメやワニの化石が発掘され
る。
たことから、近くにカメの産卵地があったことが想像で
アジアの恐竜化石の産地は、中国・ロシア・韓国・
き、また、植物ではシダなどの大量の化石が発掘され
タイ・ラオスなど各地に分布する。日本での恐竜化石
たことから、当時の森林の植生もわかってきた。恐竜
産地は北海道から九州にまでおよぶ。現在、世界の
を元にして、植物の化石なども参考にしながら、1 億
恐竜研究の中でアジア地域の恐竜は特に注目され
2000 万年前の勝山の環境をうかがい知ることができ
ている。
る。
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福井県立恐竜博物館
恐竜化石発掘現場
また、この調査で二つの恐竜の存在が明らかにな
れが今のフクイティタンや中国のフアンヘティタンに
った。フクイラプトル・キタダニエンシスという学名を付
なった。つまりフクイティタンが日本にいたことは、大
けた中型の肉食恐竜と、フクイサウルス・テトリエンシ
きな大陸間を恐竜が移動していたことを示していると
スと学名を付けた草食のイグアノドンの仲間である。
考えることができる。
もう一つわかったことがある。平成 19 年 8 月 21 日
ちなみに日本で最初に学名がついたのはフクイラプ
夕方、一つのブロックから小型の肉食恐竜のものと思
トルが最初で、フクイサウルスが 2 番目となる。
第三次調査では、フクイラプトルの上の地層から、
われる大量の骨の化石が発掘された。これには、歯
恐竜の上腕骨や尻尾や肩甲骨など、新たな化石が
を含む頭の骨の一部が含まれていた。まだ、どの種
発掘された。竜脚類に分類される草食竜とみられ、フ
類かは研究中である。上顎骨断面を CT スキャンでと
クイティタン・ニッポネンシスと学名をつけて論文を発
ると歯が 12 本残っていた。中国のシノルニトサウルス
表した。これにより勝山からは三つの恐竜の存在が
に似ているが、毒腺の特徴がなく、一般的な肉食恐
明らかになった。
竜の特徴である、のこぎり状の歯も見られない。この
その後の調査でフクイティタンは、竜脚類の終わり
ため非常に特殊化した小型肉食恐竜と考えられる。
ごろの一群であることがわかった。さらに、この発見で
名前は確定していないが、系統分析からも小型の肉
面白いことがわかってきた。それは恐竜の色に関す
食恐竜、ドロマエオサウルス類の一群であることが分
る情報が見えてきたことである。
かった。したがって、勝山の一か所から合計 4 種類の
恐竜の化石が出てきたことになる。
フクイティタンと同じティタノサウルス形類に属する
もので、中国河南省産のフアンヘティタン・ルヤンエ
■恐竜から鳥へ
ンシスがある。ティタノサウルス形類は、従来はタイ・ラ
オス・モンゴル以外では発見されていなかった。平成
小型肉食恐竜と鳥類の関係はここ 10 年で詳しくわ
12 年頃以降、三重県鳥羽・京都府丹波・福井県など
かってきたが、ドロマエオサウルス類は肉食恐竜の中
日本国内も含め各地で発見された。原始的な竜脚類
でも鳥類に近い。そして、ここ 10 数年の研究により、
はタイ付近から中国北部へ広がったと考えられてい
ドロマエオサウルス類には羽毛があることが分かった。
る。三畳紀の大陸は地続きだったため、恐竜はどこ
勝山産ドロマエオサウルス類も羽毛恐竜の一種と考
へでも移動できたが、ジュラ紀半ば以降は大陸に裂
えている。
け目が入り、特にアジア地域は他の大陸と孤立した
始祖鳥は鳥か恐竜かという議論がされてきたが、
ため、恐竜の移動ができなくなった。その後、白亜紀
その議論に関して 10 年ほど前に中国遼寧省で重要
前期にヨーロッパ地域とアジア地域の一部が再び地
な化石がでてきた。白亜紀前期のもので体表に羽毛
続きになり、ヨーロッパ地域やアフリカ地域にいたティ
があり、シノサウロプテリクス(中華竜鳥)と名付けられ
タノサウルス類がアジア地域の方に移動してきた。そ
た。ところがその後の研究で、これは、鳥類でなく、毛
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のある恐竜と考えられている。平成 21 年には、ジュラ
鳥が広がり、白亜紀の後期になるとほぼ全大陸に広
紀中期、つまりドイツの始祖鳥より古い最古の羽毛恐
がっていったということ、すなわちアジアから拡散して
竜(学名:アンキオルニス)が中国で見つかり、羽毛を
いったことが化石からうかがい知れる。
持った恐竜の起源が古くなってきた。さらに、平成 23
恐竜が 6,500 万年前に隕石が落ちてきても生き延
年に発表された論文によると、中国でシャオティンギ
びられた一つの原因として、恐竜が鳥になったおか
アと名付けられた、鳥のようなものが発掘された。始
げであると考えられている。恐竜から始祖鳥を経て現
祖鳥の骨格と比べると、頭・鎖骨・恥骨・坐骨などの
在の鳥類に進化し、現在も恐竜は鳥となって絶滅を
特徴が、アンキオルニスと非常によく似ている。始祖
免れたという言い方ができると思う。
鳥はこの論文まで鳥の祖先と考えられてきた。しかし、
この論文以降、結論は出ていないが、始祖鳥はデイ
■恐竜化石からわかる環境
ノニコサウルス類(小型の肉食恐竜)ではないかと考
次に恐竜の足跡からわかる環境について紹介する。
えられつつある。また、現在につながるあるいは既に
平成 14~15 年の中国甘粛省で行われた調査では
絶滅してしまった鳥の化石も同じ場所から出てきてい
1,000 個以上の足跡の化石が見つかった。デイノニ
る。これらのことから、中国で羽毛を持った恐竜が出
クスなどの小型肉食恐竜や竜脚類の足跡、また泳い
現し、それが広がり、アジアを起源としてドイツの始祖
で尻尾を引きずった跡も見つかった。こうした足跡の
鳥になったと考えることができるようになった。
重なりから、足跡を残した恐竜の出現順序が追跡で
鳥の拡散については、我々も一つ面白い発見をし
きる。その追跡結果から環境を復元すると、元々のそ
た。姉妹提携している中国浙江省の博物館と平成 23
の場所は、湖の環境だったが、陸の環境となり、再び
年に浙江省東陽市で共同発掘を行った際、白亜紀
湖となった。このように当時の環境を足跡化石からも
の前期と後期の境目の頃のものと考えられる、鳥の
うかがい知ることができる。
足跡の化石が見つかった。その足跡には水かきがあ
中国遼寧省の羽毛恐竜の発掘現場からは、昆虫・
る。水かきのある鳥は、現在、カモメ・カイツブリ・カワ
魚類・水生爬虫類・原始的な哺乳類、鳥類のほか、
ウ・コサギなど 4 種類の形があるが、浙江省産足跡化
世界で最古の被子植物の化石も出てきた。この植物
石と現生の水かきを比べると、現生のものは指先同
は水底に根を持ち水面に花を咲かせる水生植物だ
士を水かきがつなぐ形だが、化石では指先まで達し
った。これらの発掘から遼寧省付近の植生もわかっ
ていない形となっている。恐らく水鳥になっていく過
てきた。
程を示す足跡と思われる。
恐竜の種類と植物の変化・進化を見比べると、白
まとめると、羽毛を持った恐竜がジュラ紀中期のア
亜紀の初めから被子植物が出現し、領域を広げ、そ
ジアに出現し、ジュラ紀の終わり頃にはヨーロッパま
れが恐竜の食性に影響を与えた。つまり被子植物の
で広がった。白亜紀の前期には羽毛を持った恐竜や
出現が、昆虫の多様化・増加につながった。ここから、
もともと羽毛を獲得していた小型肉食恐竜の一部が、
昆虫を捕獲する必要もあって、飛翔を獲得したと考え
ることもできる。
産出化石の種類は遼寧省と勝山でよく似ているこ
とから、勝山でも今後、角竜類や水生爬虫類の発見
が期待される。こうした発掘により恐竜時代の環境の
復元ができる。こうしたことが古生物学や地質学の楽
しいところである。
福井県立恐竜博物館 館内
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パネルディスカッション
パネルディスカッション
「持続的発展が可能なまちづくりとは」
●
パ ネ リ ス ト :
北 海 道
ニ セ コ 町 長
片
山
健
也
愛 媛 県
内 子 町 長
稲
本
隆
壽
福 井 県
勝 山 市 長
山
岸
正
裕
多治見市長
古
川
雅
典
北 海 道
斜 里 町 長
馬
場
山 形 県
遊 佐 町 長
時
田
田
中
岐阜県
●
コーディネーター:
法 政 大 学
教 授
隆
博
機
充
課題は何か、これまで住民の取り組みがどのような成
法政大学・田中充教授
環境自治体会議は今回のかつやま会議で 20 回
果を得たかなどをお話しいただき、ここでのディスカッ
目を迎える。第 1 回目は平成 4 年に北海道池田町で
ションの内容が明日以降の分科会のヒントになれば
行われたが、私はそれ以来 20 年間毎回欠かさず出
いいと思う。
席してきた。そして今日 20 回目の記念すべき勝山の
環境自治体会議の会員には特徴のある自治体が
大会に参加できることを感慨深く思っている。今回の
集まっている。さまざまな地域資源や、水、みどり、ご
首長パネルディスカッションは「持続的発展が可能な
み、廃棄物、持続可能なまち、農業、林業など特徴
まちづくりとは」というテーマで、北海道ニセコ町長の
のあるものを活用してまちづくりを営んでいる。環境
片山町長、愛媛県内子町の稲本町長、勝山市の山
自治体会議では他の市町村の持続可能なまちづくり
岸市長、岐阜県多治見市の古川市長、北海道斜里
の事例を学ぼうと、平成 24 年に政策コンテストを行い、
町の馬場町長、山形県遊佐町の時田町長の 6 人の
事例の発掘を行った。全国から 20 の事例の応募が
首長さんにパネリストをお願いしたい。
あり、分野ごとに分けて、各地域の取り組みを詳しく
本日の流れとしては、まず私がパネルディスカッシ
見ていった。その結果アイデア賞、ひかり賞、のぞみ
ョンの主旨、全体の進め方を説明した上で、6 つの自
賞などが選定され、その中でも特に秀逸な事例、持
治体の個性、特性、特徴を 6 人の首長さんからご紹
続可能なまちづくりが行われており、自治体の特性
介いただきたい。先ほども申し上げたように、ディスカ
や個性を生かした“キラリ”としたものが存分に認めら
ッションの共通テーマは「持続的発展が可能なまち」
れ、小さなまちでも発信できる事例が各分野から「キ
である。持続的発展が可能なまちづくりはいかにして
ラリ大賞」として選ばれた。それが岐阜県多治見市の
可能か、地域で、あるいは職員や住民が抱えている
「日本一暑い多治見市の取組(高気温対策事業)」、
北海道斜里町の「100 平方メートル運動の森・トラス
ト」、山形県遊佐町の「食育推進事業」である。この
コーディネーター 田中教授
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3 市町の他にも、全国各地の自治体から様々なアイ
のプロセスの中で「徹底して水を守ろう」というキーワ
デアをいただいた。選考では甲乙つけ難い事例もあ
ードがあがってきた。住民の中から、水を守ることは
ったが、結果としては先ほどの表のように選ばせてい
全てを守ること、つまり川や森を守り、地域を将来に
ただいた。そこから得られたアイデアや経験、教訓を
残すことになる、との考えが出てきた。その結果を踏
環境自治体会議全体で学んでいきたい。
まえ、昨年 4 月に議会を開き、2 つの条例を制定した。
では早速ディスカッションに移りたい。首長さん方
ひとつはニセコ町にある 15 の水道水源地の周辺の
から持続的発展が可能な地域の課題、特徴などにつ
開発を許可制にした。水の問題は命と暮らしの問題
いてお話をお願いする。
なので、これも制定までに 2 年近くかかった。日本の
法律では「自分の土地を自分で好きなように使うこと」
が財産権で守られており、公共が土地利用を規制す
北海道ニセコ町・片山健也町長
ニセコ町では 3 つの循環で持続可能なまちを目指
ることが難しい、という事実があった。そのため条例で
している。ひとつめは地産地消を中心とした「もの」の
開発を規制し、実効性を高めるために罰金制度も導
循環、ふたつめは太陽光、地中熱などを利用した「エ
入した。訴訟が起こるかもしれないことも考慮し、警察
ネルギーの循環」、最後に大阪や東京が風邪をひい
とも協議を重ねた。2 つ目の条例では地下水も勝手
たら地方も風邪をひくのではなく、「地方で自立でき
に掘ることができないように規制した。このどちらとも
る経済」の循環の 3 つを確立していくための取り組み
事業者による地元への説明と同意を義務付けている。
である。
法律では自由なのに条例で規制してもいいのか、と
ニセコ町では平成 6 年から徹底した情報共有のま
いう課題は残るが、ドイツやスイスなど諸外国の例も
ちづくりを進めてきた。管理職会議を含め役場の会
参考に検討を行い、今後訴えられた場合どこまで訴
議も全て公開し、住民自治を主体としたまちづくりを
訟に耐えられるかも考えて条例を制定した。
行おうとしてきた。平成 13 年のダイオキシン訴訟が起
日本のこれまでの社会は中央集権的国家で、地
こった大変な時期には、熊本県水俣市の吉本さんに
方は国で決まったことを行ってきた。けれども本来、
何度も来ていただき徹底した地元学の導入について
国と地方は対等・協力の関係であるべきで、これから
学び、ごみの問題にも取り組んできた。ごみ最終処
は、自分達の地域をどこまでどのようにして守るかに
分場も基本的には燃やさない、クローズド型のものを
ついてメッセージをきちっと発する必要があると感じ
建設した。現在 17 種別 21 区分のごみ分別を行い、
ている。北海道議会も今年の 3 月にニセコ町の条例
リサイクル率を 7 割近くあげた。
を補完する形で道条例を制定してくれた。今、国でも
また、平成 13 年には 2 年かけて環境基本計画を
超党派の議員が動いてくれているので、この水を守
策定した。計画づくりは全て住民のグループが公開
る動きが国レベルでも展開していけばいいと思ってい
の会議を行って策定した。その環境基本計画策定
る。
愛媛県内子町・稲本隆壽町長
今日は農産物の直売所を設置することで、中山間
地域の農業がどう変わってきたか、という話をしたい。
現在の農産物の物流システムは、農家の思いや希
望の価格設定が全く反映されずに動いている。その
現行システムこそが農業を守り、再生産につなげて
いくことを妨げている。農業の再生産をどう行っていく
か、どのようにして自主自立の継続的な農家経営を
片山ニセコ町長
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パネルディスカッション
パネルディスカッション
7 億 4000 万円の売り上げがある。いろいろと成果を
出しているが、その中でも最も特筆すべき成果は、農
家の女性が元気になったことだと思う。
福井県勝山市・山岸正裕市長
勝山市は福井県の北の山間部、九頭竜川の中流
にある。事故で廃線の危機にあった勝山-福井間の
鉄道をえちぜん鉄道として復活させたことで有名で、
これも車社会の CO2 削減につながっている。
稲本内子町長
勝山市にもまたがっている白山国立公園はとても
行っていけばいいのか、というところに出発点があっ
美しい景観を持っている。ここは最近貴重な動植物
た。そのことに関する内子町の取り組みを紹介した
が多く生息していることが評価された。この地域は世
い。
界 107 箇所、553 あるユネスコの「エコパーク」に登録
内子町は江戸末期から明治にかけて、蝋(ろう)の
されている。日本にはここ白山国立公園と、大台ケ原、
生産で栄えたまちで、その名残が街並みの白壁に残
志賀高原、屋久島の 4 箇所しかない。
っている。現在は年間 100 万人の観光客が訪れる。
勝山市ではエコミュージアムという考え方を持って
月見を行ったり、大正 5 年に設立された内子座で文
10 年以上まちづくりを進めてきた。これは勝山市に
楽、太鼓などを楽しんでもらう。また棚田で農業を行
伝えられてきた文化や自然を大切にしながら、そこに
っており、その景観はとても美しい。四季の美しい移
あるものを探して、見つけて、磨いて、次の世代に引
り変わりも実感してもらえる。
き継いでいこう、屋根のない博物館をまち全体で構
冒頭にお話ししたように、内子町では農業の活性
成していこう、という試みである。具体的には、食文化
化を図るために直売所を設置した。箱物設置に関し
で掘り起しがあった。勝山市は元来雪深い地域であ
ては、箱物を先に設置してから利用方法を考えてい
り、かつては冬のたんぱく質を得る保存食として北谷
くのでは成果が出ない。内子町では 25 年前に農家
地区で「鯖の熟れ鮨」が作られていたが、一時的に作
の方々と勉強会を開き、一緒に内子町の農業の将来
られていなかったこの鮨を、エコミュージアムの取り組
を真剣に考えた。その結果として直売所を作ることに
みの中で復活させた。これもエコミュージアムの事業
なった。農家も一緒にプランニングをして、直売所を
の一環で、行政が支援はするが、地域の住民の方の
作ったというところに特徴がある。内子町にはぶどう、
力で成り立っている。この地域の古くからの産業であ
柿など県下でもトップの果樹農園があり、農家の技術
る繊維産業の歴史がわかる、ゆめおーれ勝山という
力はとても高い。1 年間仮の直売所を設け、どのよう
博物館がある。もともと機屋だった工場を解体せずに、
な課題があるのか、どのような仕組みが必要なのかを
実験しながら、その仕組みを農家と行政が一緒にな
って作っていった。合意形成のために何度も会議を
行った。その結果として平成 8 年に「からり」が誕生し
た。運営は第 3 セクターが 7,000 万円の資本で行っ
ている。現在は 700 人の株主がおり、430 人の農家
が農産物を提供してくれている。からりの中には直売
所、レストラン、加工所があり、加工所ではパン、ハム、
ソーセージを作っている。年間 74 万人が施設に訪れ、
そのうちの 80%がリピーターである。会社全体では
山岸勝山市長
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博物館として保存し、勝山市が発展してきた歴史が
症で亡くなる、あるいは搬送される人は全国平均より
分かるように展示し、織物の歴史を学べるようにした。
も格段に少ない。街中でドライミスト、打ち水も行って
いる。
また、小中学生を中心に自然環境の保全活動を
推進している。環境保全推進コーディネーターの指
その他多治見市の特徴としては、日本で使用され
導で、勝山にある自然環境が、決して当たり前のもの
る日常陶器の 60%の作製している。産業としても「日
ではない、ということが徐々に子どもたちに伝わってき
本一の暑さ」を利用しようと、建物の外壁に、表面をぎ
ている。また環境学習を通じて赤とんぼが多く生息し
ざぎざにした太陽光を跳ね返すクールアイランドタイ
ていることもわかった。子どもたちがこれを学ぶという
ルを作っている。
他にも多治見市では、うなどん、みそ焼きそばの B
ことは、確実に次世代に繋がっていくということを意味
級グルメも有名である。環境政策としてはみどりのカ
する。
ーテンを徹底し、公共施設、小中学校、地域で苗を
作って配っている。また中心市街地にも植栽を積極
岐阜県多治見市・古川雅典市長
多治見市は日本の最高気温を記録したまちである。
的に行っており、民有地であっても借用して行ってい
多治見市は名古屋市から 30 分のところに位置して
る。街中の緑を増やすという意味では、用水を引き込
おり、名古屋市の最終処分場が存在する。そのため
むなどして水対策を行い、緑の復元に取り組んでい
ごみに関しての関心はとても高く、現在 24 分別を行
る。これは、暑さ対策などの研究対象になっている。
っている。
自分が市長になった年の 8 月に、当時の日本最高
北海道斜里町・馬場隆町長
気温を 0.1 度上回る 40.9 度を記録した。最高気温を
今回キラリ大賞をいただいたが、自分としては当た
記録し、これはチャンス到来と思い、おいしいうなぎと
り前のことを地道に取り組んできたというつもりでいる。
多治見のかっぱ伝説のかっぱをかけあわせたキャラ
けれどもその結果として賞をいただいた、とのことで、
クター、「うながっぱ」をつくり、日本中に発信した。歌
今日はその内容についてお話ししたい。
もつくり、市内の幼稚園、保育園、小学校ではダンス
斜里町は北海道の北東端に位置し、知床半島の
を踊る。日本一暑い、日本一環境に配慮していると
北西の半分が斜里町に属する。運動地は自然遺産
分かりやすく、楽しく市民にアピールをしている。まち
のエリアの中にある。「しれとこ 100 平方メートル運
のイベントや花火でもうながっぱを徹底して出してい
動」は乱開発から運動地を守るために、その土地を
る。
買い戻す運動であり、その土地を天性の森に復元す
一方で「日本一暑いが日本一安全」であることもア
る、というのが「運動の森トラスト」である。昭和 47 年、
ピールし、熱中症予防への喚起、日本で最初のドク
日本列島改造論とともに都市計画ブームが起きた。
ターカーの導入を行ってきた。日本一暑いが、熱中
その時に、イギリスのナショナルトラストを参考に森も
馬場斜里町長
古川多治見市長
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パネルディスカッション
パネルディスカッション
守る運動を始めた。20 年後の平成 9 年目標金額を
農業の様子である。
達成し、運動地を買い戻せることになったが、この運
そのような中で遊佐町の小学校給食における野菜、
動はずっと続けなくてはならない、森作りをこれからも
米などの地元食材の使用は 50 年前から続いている。
続けていかなくてはならない、ということで新たな運動
それらは先人の残してくれた「あるものを大事にして
に発展した。それまでの「夢を買いませんか」から、
子育てに活かしていこう」という考え方で、現在は学
「夢を育てませんか」となり、生物の復元に取り組むこ
校の栄養士さんがその考えを引き継いでくれている。
とになった。さまざまな手続きを経て平成 22 年に全て
学校では食育については「早寝早起き朝ごはん」を
の土地を取得することができた。
テーマに取り組んでいる。朝ごはんを食べない子が
この運動は斜里町だけで行うことはできず、日本全
いるので、まずはしっかり食べてもらうことから始めて
国、世界の多くのみなさまが運動の趣旨に賛同してく
いきたい、とこのテーマになった。けれどもその動きが
れたことで、ここまで進めてくることができた。今は森
農業、畑作には、なかなか繋がっていかないという現
林の専門家の意見を聞き、現地には森林の専門技
実もあった。それがようやく 15 年前に直売所を設置
術員に入ってもらって、森作りをしている。個人、団体、
することができ、これまでの野菜の掘り起こし、パプリ
企業などから寄付をいただき、最近では 5 年間で 1
カなど新しい野菜の取り込み、新たなまちの産業にし
億 1,000 万円の寄付が集まった。このように多くの方
ようともしている。耕作放棄地でサツマイモを栽培し、
の参加、生物多様性の存在、自然を守る運動が確実
芋焼酎をまちの特産としてつくることも始めた。子ども
に行われていることが評価され、世界自然遺産認証
たちにとっては食が本当に大事で、特に「快食、快眠、
へとつながった。支援してくださった多くの皆様には
快便」が大切といわれている。わが町は東北の小さな
心から感謝をしている。1 口 5,000 円のトラストなので、
町ではあるが、9 月に鳥海山 SEA TO SUMMIT が
是非皆様にもご参加いただきたい。
開かれる。是非とも遊びにきてほしい。
山形県遊佐町・時田博機町長
田中 6 人の首長さんに持続可能なまちの話をいた
今回はキラリ大賞をいただき、本当にありがとうござ
だいたところで、私から中間コメントを述べさせていた
いました。遊佐町では、平成 20 年に第 16 回環境自
だきたい。まずはそれぞれのまちの魅力を聞いてい
治体会議ゆざ会議を開催した。遊佐町は鳥海山、海、
て、住んでみたい、おいしそう、そしてそれを多面的
山、川、砂丘といった自然環境に恵まれ、農業を主
に活用しているというのが第一の感想だった。二つ目
体としたまちである。40 年間生活クラブ生協との付き
は地域資源(水、農業、森、暑さ)、人(子どもたちへ
合いがあり、減農米の栽培にも力を入れている。余談
の教育、職員の育成)、くらしの 3 つが結びついてい
になるが、東京上野の国立科学博物館の「日本の稲
る、全てが暮らしの中に組み込まれている、ということ
作」というビデオに使用されている映像は、遊佐町の
を感じた。次のラウンドでは、政策づくり、持続可能な
まちづくりの特徴をお話しいただきたい。
片山 ニセコ町ではエネルギー政策に力を入れてい
る。3 年前から緑の分権改革で自然エネルギーの調
査を行い、6,000 人が宿泊可能な大規模ホテルでの
使用エネルギーを持続可能なものにできるか、どれく
らい CO2 排出量を減らせるかなど検討を続けている。
日本全体では京都議定書の目標値を達成するのは
難しいと言われているが、ニセコ町では地域温暖化
時田遊佐町長
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全体会 H24.5.25
防止計画で、現行の取り組みを続けていけば、達成
いた時期もあった。勝山が目指しているものを住民自
できると推計している。今後は特に、地域資源を地域
身の目で見て、進めていくのがエコミュージアムの進
で使えるような仕組みづくりを制度として作れないか
め方の根幹。資源を住民自身が探して、見つけて、
と考えている。
磨いて、次の世代に継承していくのが大切だと考え
る。
また、これからの役場は世界に開かれていなけれ
ばならず、ニセコ町役場ではオーストリア、ネパール
などから現在 7 人の外国人の職員が働いていており、
古川 名古屋市のラムサール条約に指定された藤前
職場の国際化も進めている。
干潟を生かすために、名古屋市は多治見市の最終
処分場を拡大した。大都市の利益のために隣接の都
稲本 からりの計画、運営に関わっている、ある農家
市が犠牲的精神を強いられた、そしてそれが全く報
のおばあちゃんの話を紹介したい。そのおばあちゃ
道されない、そういう歴史を多治見市は持っている。
んは、毎日午前、午後の 2 回、からりに自分の作った
そのため環境に対しては徹底的に留意をしよう、焼
大根を持ってきて、お客さんと直接話をしている。そ
却の灰は完全遮断型のものを作ろう、などと強い意
のおばあちゃんがある日私のところに来て「今日すご
思で環境政策を行ってきた。環境の会議の中にはス
くいいことがあった。私の大根をいつも買ってくれる
ペシャリストが行うものもある。けれども自分が市長に
お客さんが誰かわかった。それは松山の寿司屋の板
なってからは、政策はできるだけ単純に、簡単に、繰
前さんで、その板長さんに大根の作り方を説明し
り返して行う、ということをやってきた。日本一暑い都
た。」と話してくれた。そのおばあちゃんは、何十年も
市は、日本一環境に留意しているということを掲げて
農業一筋でやってきて、お客さんから直接「あなたの
きた。産業の分野では、多治見市内ではクールアイ
作る大根は本当においしい。どうやって作っているの
ランドタイルを使い、また同時にこれを外にも売りにい
か教えてほしい」と言われたこと、そしてお客さんに大
く。観光の分野では、日本一暑いところでゴルフをし
根の作り方を説明したことは今までなかったそうだ。
ようと宣伝する。スポーツの分野では、日本一暑いと
おばあちゃんはお客さんが直接評価してくれたことが
ころでトレーニングをしたら根性がつく、などと言って
とても嬉しく、自分はこのおばあちゃんに、農家が本
きた。高気温対策会議は庁内では 1 年中やる。役所
当に求めていること、そして自分の作物がお客さんに
の節電は総務課が決定して他の部署にお願いにい
評価されることの喜びについて教えてもらった。この
っては失敗する。多治見市役所内では、1部局1提
喜びは次につながっていく。特に女性には強みにな
案を繰り返し行い、全庁舎で節電に取り組んできた
る、ということを自分は学んだ。
からこそ、待望の夏が来た時、18%の節電に成功し
た。
山岸 持続的発展というのは、これから先の事を言っ
日本一暑い都市だから、小中学校にエアコンをつ
ている。現在は過去からの流れのプロセスのひとつ
けて欲しいと PTA から言われた。エアコンを設置す
であり、過去があるから現在が存在する。そのため過
れば、教室の中は涼しくなるが、熱風が外に出て、多
去に何があったのかを振り返るのも大切だと思ってい
治見市内はもっと暑くなる。そのため PTA と「20 年前
る。そこには豊かな自然があり、歴史・文化がある。そ
は今ほど暑くなかった。なぜ気温が上がったのか」に
れらが現在の勝山市を作っている根源である。でもそ
ついて議論をした。多治見市の人口はここ 20 年間で
のことに気付いている人は必ずしも多くない。長く住
倍増し、そのため山を剥いでベッドタウン化した。そ
んでいると周囲の環境が当たり前のものになってしま
の結果街中の緑、水が減少したという結論にいきつ
い、それが実は当たり前ではないことに気付く人は少
いた。現在は中心市街地にたっぷりの緑を、というこ
ない。ないものばかりを見て、あきらめ感が先行して
とを行っている。また以前に用水の蓋を開けた。政策
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パネルディスカッション
パネルディスカッション
は明確に、単純に、言ったら実行する。これを全市民
あることはお話しいただきよくわかったが、それを活
が感じてくれており、職員も全ての政策も環境という
用していくためには人的資源、つまり、住民、職員を
横軸で見るようになった。暑さを売りにしながら、それ
どうやって見つけ、育てるのか、ということが要になっ
でも安全な都市をアピールできた結果、企業誘致に
てくると思う。その点についてもう少し聞かせていただ
も成功し雇用拡大にもつながった。
きたい。あわせてもし強調したいことがあれば、最後
に一言ずつお願いしたい。
馬場 持続可能であることの必然性について話をし
たい。斜里町はとても自然豊かなまちであると同時に、
片山 ニセコ町には毎年 150 万人の観光客が来てく
自然の恵みをもらって生かされているまちでもある。
れる。観光も農業も、環境を守り安心安全な地域をつ
農業、漁業、環境どれをとっても豊かな自然があるか
くることが大前提にある。そのためには規制が大切だ
らこそ成り立っている。その全ての拠り所を失っては
と思う。日本は全体的に規制緩和、自由、グローバル
決してならない。そこに運動を行う必然性がある。
化、市場原理主義の方向に向かっているが、自分は
流氷の海域と、生態系が狭まっているという問題が
徹底して環境、景観の規制をしている。規制こそが地
ある。そこをつないでいるのは川であり、そこには海と
域の価値を上げるキーワードだと思う。その点は住民
川を行き来するサケもいる。このつながりの中で斜里
の方たちとも議論をして進めている。
町では、秋サケの水揚げを 9 年前からやっている。そ
あと多治見市の古川市長にお聞きしたい。近頃
こで獲れるサケを、どうやって多くのみなさまに食べ
「日本一の暑さ」が北関東に移動しているが、それを
ていただくかという課題が町内にある。国内だけでな
どうやって多治見市に戻すのか、アイデアはあるの
く、海外でも食べていただかなければ捕ったサケを消
か?
費しきれない。
そこで課題となるのは、持続可能な漁業であり、環
古川 埼玉県熊谷市の夏場の気温は多治見市と同
境に配慮した製品でないと評価されないという現実
一首位。皮肉なことに、この 5 年間に環境施策を一
がある。特にヨーロッパでは、エコラベル、MSC の認
生懸命やればやるほど温度は上がらなくなった。今
証を受けた水産物でないと商売として相手にされな
度は日本一暑い都市でも、環境施策をきちんと行え
い。ヨーロッパの市場に出ていくため、そして漁業そ
ば、気温は下がると何でもプラス思考で広めていきた
のものの性質として、持続可能なものでなくてはなら
い。
ないが、現在行っている人工孵化したサケでは持続
今年は人材育成を最優先ということでやっている。
可能とは言えない。サケが野生であり続けるためには、
多治見市では人材は人財という。一人ひとりを大切
自分の力で川をのぼり、自然に産卵し、孵化して海
にする。特に保育園、幼稚園から、給食を残さないの
に出て、戻ってくるサイクルを自分の力で行えるよう
がなぜ良いのかなど、単純なことから徹底的に教えて
にならなくてはいけない。世界遺産になる際にたくさ
いる。環境をきれいにするのも人間だが、残念ながら
んある河川に設置された多くのダムを取り払う、という
壊すのも人間である。最近では妊婦さんへの環境教
宿題をもらったがそれは現実的に不可能である。そこ
育も徹底して行っている。環境問題は議論から実行
でサケが川を上りやすくなるような仕組みをつくった。
実践のステージに移っている。会議、シンポジウムで
世界遺産の価値が、持続可能な産業につながった。
もよく言っているが、ひとり1提案を必ずし、そしてそ
生態系再生への取り組みが認められるように期待し
れを次の日から必ず実行する。一人ひとりの小さな行
ながら今後とも続けていきたい。
いの積み重ねで、環境問題が今後奈落のそこに落
ちることは決してない。
田中 持続可能な地域づくりのために、地域資源が
電力は国の問題でなく、多治見市内では、原発が
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う事例を研究しながら勝山市でやりたいと思う。
なくなったら、何で補っていくのか、辛さはどう責任を
取るのか、少し昔の時代に戻ることをやっていこうで
はないか、としっかり議論している。有言実行を小さ
馬場 人を育てるにはどうすればいいか、という問い
な子どもたちから徹底している。
かけがあった。運動に関しては本当に多くの方が参
加してくれている。地元の人は地元の自然の良さに
稲本 町民と一緒に汗をかくことが大事だと思ってい
なかなか気付けない。そこで知床の良さに気付いた
る。25 年間農家のみなさんと勉強してきて、その一環
人がどんどん発信するようにしたら、それを見て新し
でヨーロッパの農村や、オーストラリアのビクトリアマ
い人が知床に足を運んでくれるようになった。そういう
ーケットも町民と一緒に見てまわった。そこで、どうし
いい循環ができてきている。
てヨーロッパの農村は美しいのか、なぜ派手な看板も
この運動のためには人が必要。そこで斜里町では
なく、電柱もないのか、自分達は何を見習わなくては
知床財団をつくり、ヒグマなどの動物管理をしている。
いけないのか、何ができるのか、そういう議論をしてき
そこには町外から約 30 人の知床ファンが集まり、仕
た。その結果内子町では、農家が作物を作るだけで
事をしている。知床財団は地域のために働き、地域
なく、マーケティング、リサーチも自ら考えて行ってき
を守り、そして雇用の場でもある。このいい形を継続
た。今では農家が自分達でデパートなどと話をつけ
していきたい。
てくることもある。農家の世界がだんだんと広がってき
た。そして農家さん達は、このままこの地域に住んで
田中 6 人の首長さんと持続可能なまちづくりについ
いきたい、子どもたちを呼び戻したい、と思ってくれて
て意見交換をさせていただいた。持続可能なまちづ
いる。状況は依然厳しいが、芽が出だしたのかな、と
くりには地域の資源、担い手、暮らし(産業)を並立さ
思っている。
せることが必要で、6 つの事例の中では部分的である
ものも含め、それが実現していることがわかった。断
山岸 人間の究極の欲求は自然回帰だと信じている。
片的に励まされた言葉を挙げると、「環境を守るため
人間も自然の一部であることから、自然を蔑ろにして
には規制こそが大切である」「ひとり1提案」「快食、快
はいけない。そのためには大人も子どもも自然体験、
眠、快便」「早寝早起き朝ごはん」などといったものが
それによる感激、感動が生き方、まちづくりに反映で
あったと思う。ぜひ 6 人の首長さんの話を持ち帰って
きる。そのような政策、考え方を大事にしたい。
いただき、資源の活用の仕方、地域の守り方、人の
育て方を明日の分科会で引き継いで議論していただ
先ほどニセコ町の片山町長からも話があったが、
きたい。本日はどうもありがとうございました。
勝山市では景観計画をつくり、条例化した。その条
例の中で、規制したエリアは看板を立てさせず、今あ
るものは徐々に撤去している。風景にそぐわない色を
使った建築物を許可しない、そのような視点でまちづ
くりを行っている。勝山市といえば、原風景があり、心
が落ち着く景観がある、企業が来たい、というまちに
したい。
多治見市の古川市長の考え方と似ているのは、勝
山市はたくさんの雪が降る豪雪地帯である。特に北
谷町では積雪が4mにもなる。そのため過疎になった
パネルディスカッションの様子
が、そこを逆の発想にして、日本中の雪の好きな人に
来てもらうなど、雪の冷房、雪の貯蔵などの資源を使
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