音楽学部創設 60 周年記念座談会 ーこれからの発展と将来ビジョンー

音楽学部創設 60 周年記念座談会
ーこれからの発展と将来ビジョンー
2012 年 9 月 25 日(火) 大学会館にて
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真声会 60 周年記念冊子
京都市立芸術大学音楽学部創設60周年記念
音楽学部教員と学部同窓会《真声会》役員との座談会
2012年9月25日(火)午後6時30分~8時30分 京都市立芸術大学 大学会館内にて
出席者:(敬称略)
山本毅音楽学部長(管・打楽) 前田守一研究科長(作曲) 砂原悟(ピアノ・准教授)
増井信貴(指揮・教授) 呉信一(トロンボーン・教授) 津崎実(音楽学・教授)
大嶋義実(フルート・教授)
小濱妙美(声楽・准教授)
中村典子(作曲・准教授)
豊嶋泰嗣(ヴァイオリン・准教授)
上村昇(チェロ・教授)
大村益雄(真声会会長)
大西多惠子(副会長・元非常勤講師)
金森重裕(理事)
三井ツヤ子(理事・名誉教授)
朴実(編集委員長)
青谷哲也(運営委員)
中村典子 ( 学内アドヴァイザー・リエゾン )
2012 年 11 月 29 日発行
朴:本日はお忙しいところ有難うございます。真声
会会報55号(11月発行)に掲載する為に、創立
60周年を迎え、先生方と真声会との座談会を特集
企画しました。法人化に基づく音楽学部60周年の
展望(ヴィジョン)について、先生方と座談会をし
て会報に掲載したいと思います。1期の大村さん始
め古い方は昔の事を良くご存じであるので、最初に
簡単に振り返りながら、主な話はこれからの展望を
お聞かせ頂きたいと思います。まず、大村会長から
一言お願いします。
大村:今日は座談会が持てまして有難うございま
す。大学側から先生方沢山出ていただいて本当に有
難うございます。60周年記念は、人間で云えば還
暦のようなものです。60周年とか50周年とか
100周年と云うのは、産んでくれたり育ててくれ
た人にお礼の意味で祝賀すると考えられます。私は
第一期生ですが、音楽短期大学が出来る前に、新聞
でも凄く騒がれまして、その時に憧れて入った一人
です。その当時の事で非常に苦労された方は沢山い
らっしゃいますが、簡単に資料を作って頂いたので、
あとでご覧になって下さい。むしろ今日は、京都芸
大が法人化されて、これからどういうヴィジョンで
もって将来発展をしていくかということを、卒業生
の方からも現役の先生方からも述べて頂いて、会報
を読んだ方がこういう風に進んでいくのだなと云う
事が判るように、最終的に記事にまとめてほしいと
思います。忌憚のない話を自由にして頂きながら、
まとめる方は上手くまとめて頂ければ、と云うよう
な会合を持てればいいのではないかと思います。よ
ろしくお願いします。
朴:中村さんの準備された100年史(120年、
130年の資料もあります)の資料コピーをお配り
します。学部長の方から何か一言お願いします。
山本:将来ヴィジョンに関して、今はどのような将
来ヴィジョンを描いたらよいのかを模索して苦闘し
ている段階であると私は思っています。というのは
本当に社会の状況が変わってきています。先日ある
財団の奨学生の状況を調べていたのですが、かつて
は奨学金を貰って、勉強して、コンクールとかに通っ
たら、世の中に出て働くということが普通のコース
だったと思うのですが、今は奨学金をいただく為に
は既に国際コンクールに通ってなければという状況
になりつつあります。そこの財団で出て来ている奨
(3)
学生のリストを見ますと、殆ど国際コンクールでは
上位入賞もしくは、国内の音楽コンクールの一位の
人ばかりという状況です。見方を変えますと、物凄
く上手で国際コンクールに通るような人でも、仕事
が無いわけです。まだまだ勉強しないと仕事が無い
状況です。
京都芸大も含めて日本の音楽大学は、いい演奏が
できる人、いい曲を書ける人を一生懸命育ててきた
と思いますが、上手に弾けるようになったら仕事が
あるのかと云うと、それだけでは仕事は無いよとい
う状況になってきています。一方そういう状況の中
でコンクール歴などなくてもその時代をしぶとく生
き残っていく人もあり、これからは単に上手な人を
育てるのではなくて、(もちろん上手になるのは当
然で優れた音楽家を目指すのは当然ですが)その研
究をし、勉強した成果をどうやって社会に発信して
ゆくのか、つまりどうやって社会に役に立てるのか
という視点が必要です。
社会の中で役立っていけば、
つまり必要な人間であれば、仕事があるわけです。
いくら上手になっても社会が必要としてくれなけれ
ば仕事は無いわけです。
私は音楽は絶対人間に必要であると思っていま
す。音楽の必要性、
有益性をしっかりと世に発信し、
自分が社会に貢献しうる人間であることを提示して
行くことができる人、そういう人を育ててゆかない
と、もう大学は持たないのではないかと思います。
その中で自分達はどうしていったらよいのかと云う
事を真剣に考えなければならない時期に来ていると
思います。
おそらく、先生方お一人おひとりがその事を考え
てくださっていると思いますので、それをこれから
大学としてどういう風にやっていくのか、良い音楽
家を育てるのはもちろん、その音楽家たちにどのよ
うに社会に貢献してゆくのか、という目を持たせる
のがこれからの勝負になってゆくと思います。
そういう面でこの 60 周年という時を機会に考え
ようよと云うところに来ていると思っております。
そういう面で、卒業生の方々はこの激動の社会をし
ぶとく生き残って来て下さった方が殆どであると思
いますので、良い意見交換が出来たらと考えており
ます。
朴:できればお一人おひとりにご意見をお聞かせ頂
けたらと思います。ご自由にこれからの音楽学部が
どう発展してゆくのか、ヴィジョンとか展望ありま
したら・・・同窓生の上村先生、何期生でしょうか?
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真声会 60 周年記念冊子
上村:20期生です。入学は4年制になって、たし
か3年目だったと記憶しています。60周年が人間
でいう還暦にあたるとすると、またゼロに戻るとい
うか、原点を見直す時期なのかなかと考えています。
私が目標としていることは、必ずしも大器でなく
ても、晩成型の音楽家を育てるということです。例
えばコンクールで華々しく賞をとっても、生涯音楽
を続けている人ばかりでもなく、しぶとく生き残っ
ていける人の方がむしろ少ないのではないかと思い
ます。パッと世に出てパッと消えていくのではなく、
長い時間をかけて積み上げていくことの大切さを、
特にここ数年強く感じるようになりました。それと
同時に、これまで私は自分の指導した人たちが、次
の世代にきちんとした技術や音楽の基礎を伝えるこ
とが出来る能力を身につけて貰うよう心がけてきた
つもりです。すでに私の同級生や、もうすこし下の
学年の卒業生の子どもさん達も、京芸で学び巣立っ
ていっています。地道に次の世代を育てていくこと
が、こうした循環を生み、未来の京芸につながる一
つの道かと考えています。
今年は様々な事業が予定されていますが、真声会
からは経済的にも色々と支援いただき感謝していま
す。我々教員も一同力を合わせて各イヴェントを成
功させたいと思います。
豊嶋:ここにきてまだ日が浅いのですが、こちら
(100年史のコピー)を見させていただいて、園
田先生とか岩淵先生とか、僕も影響を受けた方々が
たくさんいらっしゃる所に関われることはすごく有
難いことで、自分のクラスからまだ数人しか卒業生
が出ていないので、これからどう云う事が出来るか
は未知ですけれども、演奏家全員が世の中で生き
残っていくことは本当に難しい事であると思いま
す。けれど、一方で教育者としてそれを意識してき
たわけではありませんが、思い起こせば自分の先生
だったり、岩淵先生や園田先生だったりを思いかえ
して、今教えている生徒がまた教えているという循
環が出来れば、またすそ野が広がると思います。今
日も教授会で感じていましたが、音楽教室の人数が
多いが教える人が少ないという事が課題になってい
るところです。音楽の卒業生がそういうところを手
伝ってする事が出来る環境を作ればいいですし、音
楽教室、高校、大学があって、もっと有機的に行け
ば何年か後には花が咲くのでは、地道な時間をかけ
てする事が必要だと思います。
呉:学部長やお二人の先生のお話はもっともと思い
ます。話は変わりますが、法人化によるメリットに
なるかどうかわかりませんが、私は本当に絞って
絞って管・打楽専攻の将来の事を考えています。
野球では小学生からリトルリーグに入り練習して
もなかなか甲子園に出場できませんが、吹奏楽では
小学校 4 年生から金管バンドを始めても、その後
中学、高校、大学、一般、職場と活躍する場は多く、
吹奏楽人口は野球に比べ、4 倍、5 倍それ以上の人
口がいると思います。吹奏楽の人口は計り知れませ
んが、実は京都芸大は吹奏楽がありません。また、
過去にはサックス科があったようですが、現在はあ
りません。関西の国公立の音楽大学ではサックス専
攻はありませんので、皆私学に行くことになりま
す。一方、東京藝大、愛知芸大はサックス専攻があ
りますので、皆そっちに流れてしまう。従って、関
西圏の中では京芸が専攻設置に是非取り組んでもら
いたいといつも言われているのが実情です。サック
ス・ユーフォニアム専攻を設置すると吹奏楽が出来
ます。現在、吹奏楽の演奏会は私学でもどこの大学
でも超満員の状態なのです。京芸もこの9月に増井
先生が尽力され京都コンサートホールで秋山先生の
指揮による第2回の関西 8 大学合同演奏会を行い、
素晴らしい演奏会でお客さんもリピーターが増えて
います。
このように、
オーケストラはエネルギッシュ
にやっています。
吹奏楽はオーケストラとは演奏スタイルや音の構
成が違いますから、早く吹奏楽の演奏会が出来れば
うれしいなと思っています。法人化されたことによ
り、新しく生まれるだろう吹奏楽科によってブラス
バンドを愛する子供達から大人、勿論市民の方にも
楽しんでいただけるようになることを期待していま
す。また同時に、ハープ科、オルガン科、チェンバ
ロ科等の室内楽も増やし、京芸・音楽学部が大きく
膨らんでいくようにしたいと考えています。
山本:吹奏楽について補足ですが、吹奏楽分野の指
導者を育てれば、社会がもっと変わってゆくのでは
ないかと思います。吹奏楽の愛好家たちはアマチュ
アのプレーヤーであり同時に聞き手である。これは
他の分野ではあまりなく、吹奏楽で顕著な傾向であ
り、将来的に音楽家の働き場所が増えることにつな
がると思います。
朴:音楽高校の生徒で、
何か月か前の演奏会でギター
の演奏がありました。音楽高校でギターもやってい
2012 年 11 月 29 日発行
るようですね。ここは無いですね。
山本:中期目標の中で、現在無い楽器(サックス・ユー
フォニアム等)の拡充を考えていこうとしています
が、予算措置が必要ですので京都市がどこまで決断
してくれるかにかかっています。市にずっと訴え続
けていますが、
いつ実現できるのかはわかりません。
大嶋:そういう意味では、音楽大学としては、まだ
完成していないといえます。東京藝大は古楽科もあ
り世界的な潮流のピリオド楽器を教えているのに、
それもできていません。また、京都市があんなに良
いパイプオルガンを持っているのに、教える専攻は
ありません。また、合唱指導者を養成するコースも
無いなど、伝統的な音楽学校にはあるべきものが足
りてないので、そこをやるべきです。
朴:法人化になって、今までとどう変わるのですか?
山本:最大の違いは、大学独自の意思決定が出来る
という事です。もちろん予算を伴うものは京都市が
出すと言ってくれなければできないので、独自にや
るなら寄付を集めるとかしなければなりませんが。
一方で、学費を上げるという事は簡単にはできませ
ん。ほとんどその可能性は無いと思わざるを得ませ
ん。よって、予算を伴うことを新規にするのはすご
く難しい。しかし今あるお金を組み替えて、何かを
やる、寄付を集めて何かやるということは、知恵出
せば出来るという事で、自分達で意思決定が出来る
ようになった。完全ではないにしても、今までより
遥かに自由に意思決定が出来るようになったことは
大きいと言えます。
朴:議会の承認はいらなくなったのですか?
山本:議会というか、京都市の承認は必要です。し
かし、今までは京都市直営ですから、細部にいたる
まで全てが京都市のOKが出るまで京芸の中では動
けなかったのですが、今は大分違います。自由度が
高まったわけです。
例えばチラシ一つ出すにしても、
3 月末の予算が確定するまでは、4 月 1 日以降のも
のは規則上は出してはいけなかった。4 月 1 日以降
の演奏会のチラシは、4 月 1 日以降しか、本当は出
してはいけなかったのです。もちろんそんなことを
しているわけにはいかないのでフライングで出して
いたのですが、苦しい状況だったわけです。京響も
(5)
同じく苦しんでいましたが法人化しました。それに
続いて我々も法人化しました。賛否両論でしたが、
京都市の決断で踏み切ることになったわけです。
一方で、法人化と云うのは物凄く危険なものでも
あります。下手をするとこけてしまう事もあり得ま
す。しかしそれをチャンスとみて、打って出ようと
思えば色々な事が可能になる。それによって我々は
以前よりはるかに大きい自由を手にしたけれど、そ
れをどう使っていくのかがまだわかっていない状況
です。これから勉強です。
物を買うにしても、かつては消耗品と備品を厳密
に分けていたのですが今はかなり自由で、逆にまだ
我々自身が面食らっている状況です。繰り返しです
が、最大の違いは、今までよりは自由意思で決定が
出来るようになったことです。備品にしても今まで
は京都芸大の備品は一つも無く、全てが京都市の持
ち物だったが、今は京都芸大の名前で物が購入でき
るようになり、楽器を買うにも京都芸大として買う
事が出来ます。それが大きな違いです。
津崎:やるかやらないは別として、法人化したこと
で大学が営利事業をやっても良いのです。公立大学
の使命からすると、学生から暴利を貪ってはいけな
いが、学生の教育を目指して、何かのお金を取るこ
とが出来るようになりました。今までは京都市の機
関という制約上これが出来なかった。上手く成功す
れば大学のお金として、大学がそのお金を持つと、
京都市の年度予算に縛られない。例えばチラシを刷
るのであっても、「予算が決まる前ですからできま
せん」のような堅苦しい事から解放して運営して行
くことは可能になり、自己采配の範囲は確実に広が
ります。ただ、そのための武装も必要になり、それ
だけのコストを組織として払えるかどうかが微妙か
なと、それを管理する人達をそろえなければなりま
せん。それはそれなりに人件費が掛かるので、それ
だけの用意をしていかなければなりません。独自に
左より 呉教授 増井教授 砂原准教授 前田研究科長
(6)
真声会 60 周年記念冊子
儲けるとしても、そんなに儲けられるものでもない
と思います。
今のところの職員は京都市からの出向者が大半で
商売の才覚のある人はなかなか見つからないので、
才覚のある人をお金を払って雇うかどうかと云う事
は大学の決定なので何とも言えませんが、そういう
ことで自由度は少なくとも出て来ていると云えま
す。
増井:法人化になって、直営の時は出来なかったこ
とが出来るようになった事は良いことです。しかし、
いままであったものを変えてはいけないものもある
と思います。専攻を増やすのは良いことですが、少
数精鋭は我々にとっても大きなメリットで大切なこ
とと思っています。私学はたくさんの学生を受け入
れなければいけませんから少数精鋭はありません。
法人化して少々自由になって、楽器の専攻を増やす
のも良いのですが、現在の少数精鋭は絶対守ってい
かなければいけないことですね。
授業料については必要不可欠な値上げはあるかも
しれませんが、私学が徴収している施設拡充費とか
特に必要と思われない費用については、我々は絶対
に抑えていかねばなりません。また、私学は設備の
充実や食堂が素晴らしいとかで、その魅力で来る学
生もいるかもしれませんが、それより本質が大事な
ので、法人化になっても私学化する事は絶対避ける
べきだと思います。
それから、京都芸大の知名度についてですが、特
に関東に於いては京都芸大のことはあまり知られて
いません。
知っていたにしても詳しくはありません。
知られていない事は、学校として本当に損です。そ
こで僕は東京藝大との交流演奏会を設けたり、関西
の 8 大学を集めてのオーケストラコンサートを開
催したりして、京芸の名前を全国的に広めて行く取
り組みをしています。これは本当に大事な事だと思
います。知られていなければどうしようもない時が
右より 三井名誉教授 小濱准教授 中村准教授 上村教授
あるんです。京都芸大のことを短大であるとか男子
学生がいないとか言われているのを聞くと、皆さん
が思っている以上に京都芸大は知られていないこと
を感じます。
津崎:京都芸大を知らない逸話がありまして、私の
家内は国立音大出身ですが、新潟出身です。
音大系を選ぶにあたって京都芸大を受験先として見
てなかった。また、私が京都芸大に移ることになっ
て、大学の名前を言ったら、そんな大学あったの?
と云われました。公立大学なので学費も安いにも関
わらず、見えていなかった。増井先生のフォローと
云うか・・・!
砂原:小濱先生と同じ二年目になります。京芸に来
て間もないので、まだ事情が分からないことも多々
あり、これまで先生方がお話しされたご意見に比べ
ると私の話は青臭いかも知れません。ここに来る前
は私立の音大で教えておりました。ピアノの分野に
限って言えば、全員が演奏家を目指して行くのが難
しい状況にあったと思います。人数が多いだけでな
く、学生の質が非常に多様化しています。それに比
べると先ほど増井先生がおっしゃったように、京都
芸大は少数精鋭で、全員が同じ方向を向いて勉強し
ているのは恵まれていると思います。私も焦点を
絞って集中して教える事ができるし、やりがいがあ
ると思います。やはり少数精鋭のところはぜひ引き
継いでいってもらいたいと思います。
また美術学部と音楽学部が一緒になってできるこ
とが増えればいいなと思います。ここの美術学部に
は特に古い歴史があります。音楽と美術の連携とい
う話は、ちょくちょく出る話ではあるのですが、言
うは易しで、実際にはなかなか折り合う事や一緒に
できることを見つけることが難しいと思うのです。
しかし、いまコンピュータの分野ですとか、作曲の
分野ですとか、とりわけ変化の激しい分野がありま
す。伝統的なものとこういう新しいもののコラボ
レーションの可能性がこれからはもっと拡がってく
るのではないかと思います。具体的なアイデアはま
だありませんが、法人化をきっかけにこう云った取
組をもっと積極的に促進していけたらと思います。
伝音(日本伝統音楽研究センター)との連携も重
要ですね。たしかに日本の音楽大学は西洋の音楽を
取り上げ、教えてきた歴史があります。しかしこれ
からは日本の伝統音楽と西洋音楽の連携がより重要
な課題になるのではないでしょうか。そういうチャ
2012 年 11 月 29 日発行
ンスも併せて探っていけないかと。青臭い考えです
が、折りに触れチャンスをうかがっていきたいと思
います。
山本:今の砂原先生のご発言に関連しますが、大学
院の方に日本の伝統音楽を研究する専攻を作ろうと
いう事で、今準備を進めています。もう十中八九出
来るであろうというところまでこぎ着けてきていま
す。それは前田先生もものすごく頑張って頂いたの
ですが、伝統音楽研究センターとの協力関係で実現
にこぎ着けました。京都にある音楽大学としての立
ち位置を模索しながら足元を固めているところで、
今後大きく発展してゆくのではないかと思います。
前田:長い事ここに勤めています。この学校で長い
こと居て、ここが良くないからこうしようとか、こ
うやったらもっと良くなるかな、などは思いませ
ん。確かに大学があまり知られていないかもしれま
せん。しかしこの大学の方向性は間違っていないと
思います。あまりうまく行かない時もありますが、
広げてゆくにも、良いものを失わないようにするこ
とで、良いものはきちっとやる、基礎的なこと、京
都芸大が持っている素晴らしいものを失わないよう
に。欲張ってやって行くと、何か失うかもしれない
と思うので、時間をかけてやってゆければと思いま
す。例えて言えば、徳川家康のように悠々と待ちつ
つも、時期を見極めどう勝負するか、どっしり構え
ている位で良いと思います。
ただ世の中の状況や経済状況とはそぐわないこと
も確かにあると思うので、それには対処してゆく必
要があります。が、これは学校の運営とか経営に係
わることなので、これとは別にして、研究や教育の
面で自信と誇りを持って、学生達と京都芸大を盛り
上げて行き、60周年を機に再確認して行けば良い
のではないかと思います。また特別なことを企画す
ることも悪くはないですが、良いアイデアをお持ち
の方は学内外にたくさんおられると思いますので、
それを適当な時期、良い時期に具体化して行けば、
京都芸大はある意味安泰かと思っています。ただ世
の中は確かに変わってきていますから、どのように
運営・経営して行くか、敏感に対応していかねばな
らないでしょう。
小濱:昨年帰国し、いきなりそれまでの歌手生活と
は全く真逆の教職に就きました。私が生徒を教える
という立場に就きたいと思ったのは、恩師シュヴァ
(7)
ルツコプフが他界したことがきっかけでした。それ
までは舞台をこなす日々に追われ、自分が歌う事で
精一杯でした。一人でも生徒を教えることは責任の
あることですし、自分が自分で許せる状態にならな
いと教える事は出来ないと考えていました。でも、
やっとそういう時期が訪れ、日本に帰ろうと思い始
めた頃、私は東京藝大出身ですが、実家の香川と東
京との間に「京都市立芸術大学」があることを思い
出し、心引かれたのでした。実は私の又従兄弟もこ
こ京都芸大の声楽科出身ですし、故郷・坂出高校音
楽科からも何人もの卒業生が出ているようです。京
都芸大は少人数体制、とてもほっこりアットホーム
でビッグファミリーのようだと以前から聞いていま
した。学生間もそうですし、それ以上に先生方が皆
個性的で、何かやる時には一致団結し実現させる !
そんな温かいハートの塊であると聞いていましたの
で、自分と相通ずるものを感じました。音楽は勿論
上手ければ上手いに越した事はないけれど、人間形
成の上に於いて、例えば…歌っていたらその人の全
て…生き様や歴史、その人が育った環境、その人が
教わった先生、その人が出逢った人達がピュアに見
えて来ます。京都芸大に准教授として受け入れてい
ただいた時に、ひょっとしたらここが私にとって第
二の故郷になるのではないかしらと思ったことも事
実です。
生徒達に初めて会った時の感動は今でも忘れられ
ません。素直で賢いだけでなく自然体…何だか自分
の学生時代を懐かしく思い出しました。東京だと毎
日の生活のリズムに追われ、時間との闘いになりが
ちです。それがここ京都芸大では普段の生活空間が
ゆったりしており、
その中で日々努力すること、
日々
新しい発見をすること等が自然に出来ているのでは
ないかと感じました。今年から法人化という事で、
先生方がいろいろお話下さいましたが、私は着任し
てまだ二年目なので、今後どういう風に動いていく
のかが実際のところまだあまり見えていませんし、
果たして私に何が出来るのかもまだよくわかりませ
ん。ただ、微力であってもお役に立ちたい気持ちで
いっぱいです。今の時代は以前と違って、飛行機に
乗ればすぐ海外に行けるし、コンクールを受けたい
と思えばすぐいくつもコンクールが見つかるし、本
当に便利な世の中になりました。やる気を出し、や
ろうと思えばいくらでも突き進めるのですが、今、
生徒に考えて欲しいのは、自分が一体何を欲してい
るのかを素直に自問自答することです。音楽に翔る
情熱は勿論一番大切かもしれませんが、プラス人間
(8)
真声会 60 周年記念冊子
性を磨くこと…それは音楽にとってイコール = の
条件だと思うのです。シュヴァルツコプフ、相次い
で今年になって畑中良輔先生…私のかけがえのない
二人の恩師が他界され、相談にのっていただける先
生がいなくなりました。あまりのショックで心淋し
い日々が続きましたが、それもようやく吹っ切れた
ような気がしています。京都芸大が60周年を無事
迎え、今後は今教えている生徒達がやがては親にな
り、またその子供達がこの京都芸大で学ぶ…順番で
すね。後世の人に教えるのは全て財産 - その財産を
引き継いでいかなければならないと強く思います。
私は本校の < 大学院オペラ > がとても素晴らし
いという事を以前から聞いておりました。着任して
昨冬、そのオペラの本番を迎えたのですが、全くそ
の通り ! プロにも負けない出来だと感心しました。
それぞれが精一杯努力し、協力し合い、一生懸命作
り上げた感動的な舞台に心打たれました。我々プロ
の立場にあってもひとつひとつの公演は真剣勝負、
舞台は神聖な場所です。若者 = 生徒達の可能性は無
限大だと信じています。生徒達にも常に「初心忘れ
ず」精神で高みを目指し、成長して欲しいです。ま
た、先程の教授会で話に出ました本校の < 大学院オ
ペラ > を、
京都芸大の “ 顔 " として今後もアピールし、
益々発展していくことを心から願っています !
大嶋:小濱先生のお話のように、僕たちは、教える
事がずっと次の世代に繋がるようにすることが使命
なのだとは思います。ただ、最近思うのは、いわゆ
るクラシック音楽は「過去から受け継ぐもの」とい
うイメージが強いですが、実はそうではなくて「未
来からの預かりもの」もしくは「未来から託された
もの」と考えたほうがいいのではないでしょうか。
モーツアルトの曲一つ取っても、未来から託され
た音楽を彼が自分の音楽にした。その「未来からの
預かりもの」である彼の音楽が当時の社会に役立っ
ていたかというと、やっぱり役には立っていなかっ
たと思います。モーツアルトもお父さんから「そん
なに難しい曲を書いてどうするのか、もっと分かり
易い誰にでも受け入れられる曲を書きなさい」と言
われていた。と云う事はモーツアルトの音楽をもっ
てしても社会の役には立たなかったということで
す。
先程山本先生が「社会に役立つ音楽家」というよ
うなことをおっしゃったけれども、モーツアルトで
も社会の役にたっていなかったのに、我々が社会の
役に立つとは思えない。でも、常に「それは社会の
為にどう役立つのか」
を問われる現代社会にあって、
役に立つかどうかなど意に介さず「自分はこれをや
る価値があると思うからやる」という価値観を持っ
ている人間がこの世の中に存在する事をアピールす
る事こそが、音楽家の存在意義のように思えるので
す。
いま殆んどすべての大学が「あなた方の学校でし
ていることは、どのように人の役に立つのですか、
どんな経済効果があるのですか、卒業生たちは、い
かに社会に貢献できますか、それを証明してくださ
い」という問いに応えようと四苦八苦している。そ
んな中にあって「いや、その問いに応えることだけ
が大学の使命ではないはずだ」という価値観を、唯
一示すことが出来るのが芸術大学ではないかと思っ
ています。世の中には一般的な価値観ではない価値
観を持っている人間だって少数はいる。そういう変
な奴らを、そういう予備軍を我々は受け入れますよ
という大学になっていったらいい。そしてそのこと
は長い目で見たら本当は人類の役に立つはずです。
というのも18世紀の社会では役に立たなかった
モーツアルトの音楽が今、どれほど社会貢献をして
いるかを考えればすぐに分かります。少なくとも彼
とは縁もゆかりもない何百年後かの日本に生まれた
僕の役にはたってくれている。まさにモーツァルト
が彼自身の音楽を「未来からの預かりもの」として
大切に育んでくれたおかげです。あらゆる伝統は古
いから守るべきものなのではなく、未来から預かっ
ているゆえに大切にされ続けなければならないので
す。たとえ無意識下であっても、そういう責任を担
う人材をこそ、京芸は育てられればいい。そうした
一定数の変な奴を養っていける力が日本の社会に
は、十分ではないにしてもまだ残っていると信じた
いし、何をやっているかわからない芸術家を食わせ
られない社会は、人間の社会としては終わっている
のではないかとさえ思います。
その時代、その社会の価値観に迎合しないアホな
奴らをどの程度養えるかは、社会の本当の豊かさを
示す指標ではないでしょうか。その意味で音楽家は
社会のリトマス試験紙たりえると思います。逆に卒
業生たちには、本当は食えないところを「知恵と度
胸と愛嬌」で食い繋いでゆくところにこそ芸術の道
を歩む醍醐味があると言いたい。「そんな不安定な
ことは恐ろしくて出来ない」という人間はやはり芸
術家には向いていないと思います。「世の中の役に
立ちます!」だから「私達に仕事をください」だけ
では、やっていけないのでは ・・ と思っています。
2012 年 11 月 29 日発行
津崎:大嶋先生の云われることに同感と云うか、私
は心理学の方なので、先生方には、世の中の役に立
つのではないかと思われているのではないかと思い
ます。
実は聴覚の研究をしていても、すぐに世の中に役
に立つかと云うと、そんなことはないのです。実は
先程大嶋先生がそういうことが出来るのは芸術大学
だけと云われたのに反論があって、芸術大学でなく
ても研究分野でも応用ではなく基礎研究をやる領域
はいろいろあります。よく言われますが、そういう
研究では研究計画を出しても、変な役人からこれは
どう世の中の役に立つのかと聞かれると、お前なん
かにわかるはずがないというような対応をしていた
頃があるのですが、だんだん経験を積んで狡猾に
なってくると、適当に役に立ちそうなこととかを
云って、研究資金をもらうというようなことをやっ
ています。
ただ心根は実は変わっていなくて、まさに大嶋先
生がおっしゃるように、そういう人間が必要なんで
すよ。皆がお金儲けとか、すぐ目の前の事に役に立
つ事ばかりやっていては、いざと云う時に何もでき
ない。それを目の当たりにしたのが、昨年の東北大
震災です。あの状況でマニュアルには何も書いてな
いから、マニュアル人間は何もできなかったのです。
あの未曾有の事態でひとつの決定をするのがいいか
どうかの判断は、おそらく芸術的センスだと思いま
す。
ところが日本の教育は、良い学校へ行って、良い
官僚になってと云う価値観の下で、芸術的な教育が
非常におろそかになっているから、芸術センスが磨
かれぬまま育った管理者達が、みんなマニュアルを
探し回ってしまった。ところがマニュアルに書いて
いないから、皆途方に暮れてしまった。おそらくそ
ういう現場には一人や二人が才覚を発揮する人がい
るのですが、この才覚こそ芸術を必要としている部
分です。それは何もルールが無い時にルールを作っ
てしまうという、これが正しいはずであるという直
観能力のようなものを育成するのが芸術だと思う
し、そのためにも芸術はとにかく必要だし、芸術を
大事にする社会と云うものが無ければ、危機に対応
できなくなる。私は昨年の震災以来、ことある毎に、
マニュアルの無いところで正解を見つけるセンスは
芸術的才覚であると申し上げています。
(9)
やり続けて、マニュアルのない世界を大嶋先生の言
葉を借りれば「知恵と度胸と愛嬌で生き延びて」
、
そう云う人が本当に育っていくことが、実は社会に
とって本当に必要であり有益な事だと思います。実
は、ぼくと大嶋先生とは決して対立しているわけで
はありません(笑)
。
朴:話は変わりますが、実は私は 40 数年間、京都
こどもの音楽教室に関わってきました。来年が創立
60周年です。齋藤秀雄先生がこの大学に就任され
た時に、子供に音楽教育が必要だという事で、つく
られました。その関係もあって、最初の演奏会は小
澤征爾さんが高校生の時に指揮をされたとか、当時
の岸邉百百雄先生が高校生で独奏されましたとい
う記録が残っています。一時期は、大学から全く
離れた状態であって、途方に暮れていたのですが、
2002年に岸邉先生が学部長の時に、音楽教育の
研究機関として迎え入れてくださって、今は山本学
部長が室長兼任です。
私たちの頃は、小さい学校だったので、例えば岡
崎学舎の頃は、音楽教室の生徒や堀音高校生や、大
学生など皆一緒にオーケストラをやって、非常に家
族的で交流も盛んで、京響からも指揮者が教えに来
られていました。最近はどうでしょうかね?こども
の音楽教室が京都堀川音楽高校の校舎に入って、隋
分関係が深まってきました。音楽教室の30人くら
いはここの卒業生が関わっています。京都音楽界の
交流の実情はどうでしょうか?
山本:以前は京響の指揮者が京芸オケも振るという
ことで、歴代指揮者が毎年来てくださっていました
が、山田先生以降は定期的に来られることはありま
せん。130周年の広上先生のように時には来て下
さることもありますが、ある時からそういう関係が
崩れてきて、中々また同じようにするにはちょっと
難しい。しかし、教員としては京響から管楽器の先
山本:本当に、すぐには金にはならないし、人々か
ら簡単に評価されるわけでもないのだけど、黙々と
右奥より 津崎教授 大嶋教授 山本学部長 青谷運営委員
( 10 )
真声会 60 周年記念冊子
生が5名来てくださっているし、指揮科の学生は京
響の練習場には必ず見学に行ってます。音楽高校、
京芸、京響の合同演奏会も毎年のように行っていま
す。
朴:真声会側の方、何かご質問とかご自由に。三井
さんは 3 月までは教授会側におられたのでどうで
しょうか。
三井:数日前にドイツから帰国してあまりの寒さで
風邪をひいてしまいましたが、卒業生の活躍を目の
当たりにして大変な喜びを感じました。ベートー
ヴェンの生まれたボンの演奏会場の音響の悪さには
本当にびっくりしました。経済事情で建て替えが出
来ないのだろうと思います。ブロムシュテット指揮、
ベートーヴェンのミサソレムニスを聴きました。入
団するのが至難のわざであるレベルの高いミュンヘ
ン放送合唱団正団員で、卒業生の鈴木敦子さん(25
期)や合田昌子さん(38期)などが外国人に混じっ
て、その悪い音響のホールにも拘わらず、さすがの
素晴らしいハーモニーを聴かせてくれました。
帰国前の19日はベルリンのドイチエオペラで現
代オペラを観ました。出演のコロラトゥーラの角田
祐子さんはベルリン音大卒業と同時にハノーファー
のオペラ劇場と契約を取り、現在はシュットゥット
ガルトのオペラ劇場に在籍しているソロオペラ歌手
です。一児の母親となってなお舞台上で輝き続け、
活躍しています。各方面からの出演依頼があるよう
です。今回も作曲家であるラッヘンマンさん自身が
彼女の出演を望み実現したらしいです。 彼の作品
「マッチ売りの少女」は大変難しく私なら 1 小節の
暗譜も恐らくできない感じでしたが、優れた演出で
休憩なしの 2 時間舞台に惹きつけられました。
彼女は初期の頃ブレーメンの交換留学生に選ばれ
行って程なく、当時の担当教官から彼女の声の素晴
らしさについて驚嘆の親書をいただいたことをおぼ
一番左 豊嶋准教授
えています。学生時代、いろんな先生方からいろん
な事を要求され消化出来ずに窒息しそうになってい
たのを知っていた私は、彼女に卒業前に本格的な留
学を強く進めたのでした。卒業をせずに留学をすす
めた唯一の学生でした。芸大を卒業する為に帰国す
るかどうかを迷う彼女にもしドイツで卒業するなら
別に芸大は中退でもいいからそのまま引き続きドイ
ツで研鑽に励むように言いました。
人はそれぞれです。大事な事は本人が精神的に成
長出来る環境がなによりと考えたからです。恐らく
偏見や差別の中、沢山の汗と涙を流しての今がある
のだと思います。ウィーンにしろドイツにしろ、出
会う生徒さんの全てがいい顔をしてあたたかいオー
ラに満ち溢れていたことを付け加えたいと思いま
す。こうして卒業生があらゆるところにいて、音楽
と共に在るのが教師として本当に嬉しかったです。
みんないわく「 先生!京芸魂です」私が、私が!、
或いは僕が、僕が!ではないものが確実に引き継が
れていました。
大西:私は10期の卒業で、熊野の校舎時代でし
た。洋服の上からでも蚊に喰われるような所で、壁
もあるのかないのか全く防音がなく、冬はストーブ
ではなく火鉢でした。その後に臭い石油ストーブが
置かれましたが、あまりにも臭くのどに悪いので消
していました。管楽器の人は冷たい楽器を抱えて外
で練習していましたし、ピアノは鍵盤が凍るような
状態で弾いていました。防音がないので、先輩や堀
音の高校生たちが練習する音がまる聞こえで、知ら
ず知らずのあいだに色んな音楽を知ることが出来ま
した。
沓掛に移ってから他の音が聞こえなくなりまし
た。(ものすごく聞こえますよ。笑い)そのような
環境でしたが、オーケストラの時間は聴いても良い
と言うことで、ぼろぼろのカーテンの下で聴いてい
ました。ちょうど卒業する時に専攻科が出来て、い
よいよ 4 年制になるよという時代になろうとして
いるのに、京都市民や議会から、音大はお金ばっか
り掛かって、何の役にも立たないと言う声が上がり
ました。当時、音楽は遊びであり、歌舞音曲の類で
あると言うのが一般的な市民の意識でした。それが
顕著に表れたのが廃校問題でした。
これは一大事と、
卒業生等が中心となってみんなで存続運動をしまし
たが、先生方の多くはあまり関心を示されませんで
した。卒業生の先生が少なく、多くの先生方は、他
の有名な大学から来られていたからだと思います。
2012 年 11 月 29 日発行
そのことをとても寂しく想っていました。
その当時に比べると、今は在学生、卒業生や先生
が一つになっており、ちょうどこのようなときに法
人化という時代になり、温かい大学に育って欲しい
と期待しています。京大のように一見何の役にも立
たないような学問もするが、世界に通用する成果も
残す。京芸にもそのような大学になっていってほし
いです。私は4年前に定年になりましたが、卒業し
てからずっと非常勤で勤めてきました。とても長い
時間を過ごしてきたように感じています。昔は熊野
にあり、校舎ボロボロだったけれど、隣が京都会館
で 6 時 50 分まで練習しても、7 時からの音楽会を
聴きに行けました。残念ながら今は学生も卒業生も
あまり音楽会に行かなくなり、良い聴衆が育たなく
なっています。良い聴衆を育てていくのが重要だと
思います。第 2 次世界大戦の後、真っ先に取り組
んだのがオペラ劇場の修復であった国があるよう
に、やはり人にとって辛いときに最初に必要なのが
音楽であり、成熟した文化の最後も音楽であるとい
う、さすが京都だなあという大学を目指していって
ほしいと思います。
三井:元教員として是非お願いしたいことがありま
す。折江先生の着任以来、京芸オペラの著しい発展
に驚いています。リートは一人でもこつこつ勉強が
できますが、オペラはみんなで作って行くものです。
これからもリートだけでなく、オペラの発展も願っ
てやみません。京芸は予算も少なく大変ですが、先
生方宜しくお願いします。
金森:6期の金森です。私もオペラの世界にいたこ
とがあるのですが、京都会館での「椿姫」(130 周
年記念オペラ)を見て、良くここまでやったなと感
心しました。でも惜しいなあとも思いました。舞台
上のすべての人が演者なんですね、メインを歌って
いるひとは放っておいてもこれはできて当たり前で
すがサブを歌っているひと、コロスで演じているひ
と、オペラはそこが大切だから、心してほしいと思
いました。これからの課題ですね。
小濱:ご指摘有難うございました。私は昨年 1 年
間大学院オペラに係わり、思った事をお話させてい
ただきます。優秀な生徒は自然に自ら演ずることが
良く出来るのですが、脇役の立場においてはどうし
たら主役が引き立つのか、またコーラスの人達は如
何にソリスト達と関わって動くのか、ひとりひとり
( 11 )
の動きを掘り下げて研究出来るようにと演出の先生
共々力を注いでいます。なかなかすぐに結果は出ま
せんが、皆様からも色々アドヴァイス等をいただき
ながら、長い目で見て彼等を育ててあげたい ! と思
います。
金森:私達の頃は岡崎で、1 学年40人中、男子が
13人と一番男が多い時代でした。大阪音大が4年
でやることを京都音大は2年でやり、絶対負けない
という自負がありました。脇目もふらず音楽に没頭
しましたよ。チェリウスさんをはじめ教授陣にも恵
まれていました。クラリネット専攻でしたが、声楽
科の伊藤武雄先生のレッスンを受けたり、作曲の安
部幸明先生の研究室でだべったり、とても自由な気
風もありました。自治会長をやっていて、ピアノの
練習室割り振りが役目でした。一瞬の隙間がない程
でしたが、今はどうなのかな。
政治家など社会のトップにいる人たちの多くが、
音楽に興味がなく、そのようなものは必要ないとい
うのですね、そんな人が世の中を動かしている、こ
れは悲しいことです。
何とかしなければなりません。
日本人演奏家は非常にレベルが高く、ヨーロッパの
コンクールでも多くが入賞しているし、世界中の
オーケストラでも多くの人が活躍しています。ピア
ノのある家庭も多いです。でも、音楽の大切さ、役
割を教える人が少ないし、第一、聴衆が育ってない。
音楽が人間形成にとって大切であることを多くの人
が認識することが求められていますね。
津崎:学生達と接していて、単に知識がないという
レベルの話しではなくて「よく18歳までこんなこ
とを知らないで生きてきたな」と思わずにはいられ
ない場面がよくあります。音楽の技量を磨くために
他の教科を犠牲にして生きていた面もありますか
ら、
頭ごなしに彼等を非難するつもりはないですが、
せめて世の中にでて大恥をかかないように教育して
あげたい。「自分の音楽で世の人に一瞬でも浮世を
忘れさせようとする人が浮き世ばなれしてはだめだ
よ」と学生たちに講義をする時に言っています。彼
らがときどきみせるほころびがたたって、彼等の努
力自体が過小評価されないようにしたいわけです。
ただ、いわゆる講義系の授業態度は決して褒めら
れたものではなく、折角講義を受けていながら全然
関係のない私語をかわしている連中もいます。赴任
直後は大学生にもなって授業態度云々を指導するこ
とに抵抗感もあったのですが、最近ではうるさくす
( 12 )
真声会 60 周年記念冊子
大嶋:京芸は関西圏では比較的優秀な学生が来てい
るだけに、津崎先生が言われたような「え!こんな
ことも知らないの?」という、音楽のことしか知ら
ない音楽バカも居るのでしょう。
それでは卒業後、
世の中には通用しない。だから、
先ほどの話とも関連しますが「音楽家をさして必要
とはしていない世の中にあって、自分を生かす場所
を捜すにはなにが必要なのか」を自覚させなきゃい
けない。優秀な音楽的能力にプラスして、世の中を
泳ぎきるバイタリティーとスキルを身につけさせる
ことができれば、鬼に金棒だと思うのですが…。
今や、学生は身近に海外へ行けるので、そのアプ
ローチで、入賞されて活躍されている卒業生も増え
てきたと思います。その海外のコンクールに行きた
いという目標が普通に持てるようになってきまし
た。そのアプローチへの環境を作ってあげたいと感
じます。
今回 60 周年記念事業で東京藝大との交流も非常
に良い事で、外に出ることは素晴らしいことです
ね。また今やそれが簡単に出来るので、そのサポー
トできる体制を作る事が必要です。その体制が今後
ずっと繋がりを持つことになります。先生方には大
学で学生にしっかり教えて頂き、音楽だけではなく
て、それを取り囲む社会の環境に対応できるサポー
トを真声会の卒業生がしてあげる事が大事ではない
かと思います。今や、イタリア、ドイツ、フランス、
アメリカ等にも安い運賃で即飛んで行けます。コン
クールで優勝した人だけが行けるのではなくて、誰
でもが日常に海外に行く気にさせる音楽環境や音楽
の指導を整備する事により学生が育つと感じます。
青谷:15期声楽卒で、植田先生に師事。伊藤武雄
先生にもレッスンして頂きました。2年間植田先生
に師事した後、即イタリアに私費留学しました。そ
の頃は若くして海外に行く環境はありませんでし
た。イタリアに 5 年間滞在して、偶然の出会いで、
ペルージャでテバルディ等の時代のセカンドテノー
ル歌手でオペラブッファを得意とした先生に師事し
ました。先生お弟子さんのレッスンにピアノ伴奏を
してはレッスン代に充てていました。先生の公演は
イタリア各地でオペラ劇場でのオーディションでの
ピアノ伴奏をしながらヴォイストレーナーとしての
レッスンを受けました。その頃日本国内ではまだオ
ペラは盛んではなかったが、その当時イタリアでは
ペルージャのような小さな町でもオペラ劇場があ
り、オペラはローマのカラカラ浴場等の野外劇場も
含めてあちこちで開催されていました。
今や海外に即行ける環境は素晴らしいですね。学
生にその環境をさらに整備してあげればよいと思い
ます。学校としてもそのソースがあるならば望まし
いと感じます。私は5年後に帰国して、ビジネスの
世界に入りました。東京で 35 年、イタリアとの貿
易関係のコンサルタントをしていました。その間
ずっと音楽がなんであるかを考えていて、関東支部
創設から 15 年間コーラスの指揮をさせて頂きまし
た。その後、故郷の京都に戻って、真声会の運営委
員を拝命して、こうして大学と関わっています。
中村:芸大130周年と音楽学部60周年を続けて
音楽学部同窓会をお手伝いし、入学以来約30年弱
を過ごす学舎で両者は(美術+音楽)として地続き
に交差する兄弟姉妹だと改めて全身に感じる毎日で
す。この大きなスパンで見ると、大学創立130年
の十倍は1300年、創立130年がちょうど奈良
遷都1300年に重なっていて、当時遣唐使が中国
への命がけの旅を続けた奈良から京都遷都1300
年を迎える2094年までにはあと82年の年月が
存在することを意味します。これはちょうど人間の
一生分の年月にあたり、その年音楽学部はようやく
現在の美術学部と同じ130周年を迎えます。学生
や教員が時に一週間単位でパリやウィーンと京都を
行き来する現在、音楽学部130年の2082年の
社会で音楽によって達成されるのが何であるかを
遥かに想像するとすると、それは東西南北の文化
がまごうことなく互いに高め深め分かち合うこと
で、その意味で音楽学部60年とは人間の還暦に
あたり、今まさに三世代の交感と共感そのものの
Harmonization が奏でられんとしています。
バックボーンとしての洋楽と日本の関係を確認す
ると、約150年前の1868年の明治維新により
日本に西洋音楽、具体的にはバッハのプロテスタン
ト音楽以降が主に導入され、バッハ・ヘンデルがド
イツで生誕の1685年は「六段の調」の作曲者に
して近世箏曲の祖・八橋検校の没年と重なります。
るとレッドカードを出したりしている。逆に言えば
普段接していると、とても良い学生だということは
解るので、ちゃんと教えれば良くできるし、社会に
対する使命感を持っているのでそこに訴えれば教育
効果はあがります。東大京大より使命感を持ってい
る学生は多いと思いますから,京都芸大はトップ教
育ができるところだと思います。
2012 年 11 月 29 日発行
八橋の墓は京都・黒谷金戒名寺にあり、美術におい
て京都とフランスが結ぶ如く、京都とドイツは東西
の遥かな橋で結ばれています。そして 1549 年種子
島に鉄砲と共にキリスト教が伝来してカトリック音
楽・中世ヨーロッパ音楽が伝わり、当時天下人の信
長の城下町・隣県滋賀にはセミナリオが建ってキリ
シタン音楽が全国に広まり、この専門音楽伝習処は
信長が没し安土の町が陥落するまでの一年半余り安
土に存在した。
日本へのバッハ以降のクラシック音楽全面的導入
から約150年の周期。折しも日本へのキリシタン
音楽受容(グレゴリオ聖歌「クレド」と八橋検校「六
段」の重層(九州の箏曲家からの指摘を受けて研究
された中世音楽学者皆川達夫氏と京都芸大音楽のも
う一翼・日本伝統音楽センター久保田敏子前所長、
箏曲家野坂操壽氏・ヴィオラダガンバ奏者神戸愉樹
美氏と中世合唱団の実演発表による)から約300
年の二倍周期。中世ヨーロッパ音楽の日本到達約
600年、
という四倍周期による3重(さんじゅう)
の虹は京都及び関西圏で完全に重なっています。
その点においても京都芸大音楽学部の歴史的意義
とは、日常ダイレクトに海外で活動・就職できる素
晴らしさと共に、海外を経由した人達が京都で京都
の新たな音楽表現を共に作るため使命を持って世界
各地からやってくる基点であることと感じます。
21世紀の始めの10年は911(ニューローク・
北アメリカ東部)と311(東日本・アジア)とい
う痛ましい自然と人為の犠牲のもとに始まりまし
た。この二重のクロスへの回答が芸術の常に背負う
ものであることは言をまたず、この素晴らしい過去
と未来の間に聖潔かつ清新に、奇跡の歴史的架橋の
地・京都で生命を第 1 義に新たな表現を求め、ゼ
ロからの真なる創造を誰もが恊働する時代到来への
通奏低音と化している。そこからも、多数のノーベ
ル賞受賞者を抱き育む京都のコアがサイエンスとア
ジアの交差にあり、京都芸大の今後 10 年間がまさ
にこの一点に集約されると感じ、その責任の重大さ
に身が引き締まる思いです。
大村:今日は大学の先生方からそれぞれユニークな
良い話しを来かせて貰ってとても有意義な会になり
ました。このような真声会と大学の話し合いは、恐
らく10年前なら当たり前にはできなかった座談会
であったと思います。卒業して教授になり、定年で
辞められ、また同窓会の一員として活躍されておら
れる方もおられ、とても有意義だったと思います。
( 13 )
私は 1 期生で、
その当時は齋藤秀雄先生がおられ、
豊増昇先生がおられ、伊藤武雄先生もおられ、とて
もユニークな授業をされておられました。学生も京
大、同大、立命館などの 4 年制大学を卒業してか
ら入ってきた新入生も居て、とてもユニークな人が
多かったのです。それから岡崎に校舎が変わったと
きに、廃校問題が起こり、7 月に亡くなられた伊吹
新一さんら、市議会に掛け合ったりして、卒業生達
が学校を存続させてきました。残念ながら、当時の
先生方はあまり存続運動をされていませんでした。
京都芸大は正直いって海外では余り知られていま
せん、けれど京都という話しをすると目の色を変え
られる。やはり京都の文化は高い評価を得られてい
る。それと京都芸大がどう結びついていくのか。そ
れと今日先生方はとてもユニークな話しをされまし
たが、それを学生達がどう受け止めていくのか、そ
れに対応する学生をどう育てるのか。大学は入学試
験の時に学生を選ぶ権利を持っています。音楽のテ
クニックだけでなく、心の豊かさとか、人間性の豊
かさを選抜基準に選ぶことがここの大学のユニーク
さを出せることにつながると思います。京都芸大は
学生数の割に、海外コンクール入賞者率が高い。そ
れも大切だが、社会で市民に影響を与え、民衆と共
に音楽を支え合っている人も多い。心の豊かさ、音
楽を心の支えとしているユニークさを持てる人材を
選ぶことができる点が大切だと思います。入試で、
心の豊かさとか、思慮深さとか、人間性を見るとか、
大学の個性を出せる人を選抜することが出来るよう
にする、少し過激ですがそのように思います。
大嶋:先ほどから「京都芸大が無名だ」という話が
出ていましたが、
海外では案外よく知られています。
このようなエピソードがあります。韓国の檀国大
学でフルートを教える知人から「なんとしても直ち
に京都芸大と交流協定を結びたい」という話があり
ました。どうやらどこかで「京都芸大は日本のセカ
ンドベストだ」と聞いてきたらしい。「セカンド」
左より 朴編集委員長 大村会長 大西副会長
( 14 )
真声会 60 周年記念冊子
は悔しいけれど、少なくとも東京藝大に対抗しう
る「もうひとつの選択肢」として海外では意識さ
れている。音楽事情に興味を持って海外から日本
をリサーチしたら、ベストトップを争う学校とし
て京都芸大の名前があがる様です。
大村:京大はセカンドベストでなく、東大とは
違った面があり、独特な良さがある。そう言う面
で京都芸大も一つのユニークさを出せればと思い
ます。
山本:確かに日本(関東方面)ではあまり知られ
ていないかもしれませんが、海外に眼を向けると
京都芸大を出てきちんと仕事をして活躍している
人は案外多いと思います。他大学と比較しても比
率的にいえば多いのではないでしょうか。三井先
生のご発言にもあるように、欧米のそこかしこで
いい活動をしています。これからそれをもっと発
展させていきたいですね。そのためには、すぐに
は役に立たないように見えるかもしれないが、基
礎教育をしっかり大切にしてゆかねばと思いま
す。それが実は仕事の現場で一番役に立つという
か、必須のものだと思います。昔の徒弟制度のよ
うな良さを失いたくないものです。
金森:60 周年を機に、今一度建学の精神をひもとき、
我々もそこからもう一度学び直して、何をどうする
か研究・研鑽したいですね。そして改めて、市民へ
どうアプローチしていくかを考えることも大事だと
思います。
市民のコンセンサスを得て、京都に芸大音楽学部
があるのだということを強く確認してもらう必要が
あると思います。研究と同時に、演奏活動とその環
境を整え、
例えばワークショップやミニコンサート、
アウトリーチと言いますが、実際、音楽とはこんな
に楽しい良いものであるということを知ってもらう
ために、学生たちと共に市民の中に入っていくこと
にも努めて欲しい。学生たちにとっても力をつける
ことになると思います。
朴:先日の京都市議会で、京都芸大の移転のことが
取り上げられ、副市長も移転を確約しているという
話しもありますが、本日は予定時間も過ぎましたの
で、そのことは他の機会にしたいと思います。沓掛
学舎でこのような音楽学部創設60周年を考える座
談会を持てたことはとても有意義でした。本日は、
先生方には教授会から引き続き長時間ありがとうご
ざいました。これからも宜しくお願い致します。
座談会を終えて
今回の
「音楽学部創設60周年記念座談会」は、真声会会報第55号の発行に併せて行われました。原稿締切日まで、
あと2週間という急な企画にも拘わらず、山本学部長がこの企画を快く引き受けて下さり、座談会当日の9月25日
はお忙しい中、学部長をはじめ11名の先生方がご参加して下さいました。
当初は座談会の全記録を会報に掲載する予定でしたが、私たち真声会役員を含め出席者が17名になり、残念なが
ら会報には全文を掲載できず、改めて今回座談会の全記録と、略史や写真などで、音楽短大時代からの60年を振り
返る小冊子として発行することになりました。
座談会の中でも触れられていましたが、京都芸大音楽学部は日本のみならず、世界的にも優秀な音楽家を数多く輩
出しているにも拘わらず、全国的には名前が通っていなくて、大学としての力を、まだ充分に発揮できていない側面
があります。今回の60周年・法人化を機に、日本だけでなく世界的にも「京芸音楽学部ここにあり!」と飛躍して
いくことを望みます。
現在の世界情勢は政治的混乱に加え、経済的にも1930年代的大不況が迫ってきています。このような状況下、
日本では昨年3月11日の東日本大震災と、福島原発事故という未曾有の大災害に見まわれました。政治的混乱と経
済的不況下、社会では曾て経験したことのない少子高齢化時代を迎え、社会全体が不安と混乱、試行錯誤が繰り返さ
れています。大学もこのような社会状況とは無関係ではなく、全国の多くの私学では経営が成り立たず、廃校を余儀
なくされています。逆に言えば、このような時代であればこそ、社会に生き残れる大学は、その質と個性が試されて
いるともいえます。
京都芸大音楽学部がさらに発展し、飛躍していくために、私たち同窓生、真声会は全面的に支援していく所存です。
改めて、今回の座談会にご参加下さった先生方、役員のみな様、この小冊子の編集・発行のために労力を注いで下
さった関係者のみな様に、この紙面をお借りして感謝申し上げます。
2012年11月18日 真声会会報 編集委員長 朴 実(12期作曲)
2012 年 11 月 29 日発行
い
思 ( 15 )
出 写 真 館 ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
①校舎前の土手を歩く一期生 ②校舎横土手の対岸ののどかな風景 ③土手左上に見える木造校舎 ④・⑤開学式の行われた講堂入口 講堂の左奥には正門があった ⑥前列右から 作曲 安部幸明先生 櫻井武雄先生 大村現会長(1期生)
⑦開学式でのコーラス「カヴァレリア・ルスティカーナ」 指揮:本田皞(しろき)先生 写真提供:熊谷房子(1 期声楽)
( 16 )
真声会 60 周年記念冊子
京都市立芸術大学音楽学部60周年略史
年
1952
1953
1954
1955
1956
1957
1959
1963
元号
昭和 27 年
昭和 28 年
昭和 29 年
昭和 30 年
昭和 31 年
昭和 32 年
昭和 34 年
昭和 38 年
月
4月
5月
11月
3月
8月
4月
9月
9月
4月
5月
5月
4月
1965
昭和 40 年 3月
1968
昭和 43 年
1969
昭和 44 年 4月
1970
1972
1974
1980
1986
1990
1990
1992
1994
2000
2002
2003
2003
2005
2008
2009
2010
2011
2012
昭和 45 年
昭和 47 年
昭和 49 年
昭和 55 年
昭和 61 年
平成 2 年
平成 2 年
平成 4 年
平成 6 年
平成 12 年
平成 14 年
平成 15 年
平成 15 年
平成 17 年
平成 20 年
平成 21 年
平成 22 年
平成 23 年
平成 24 年
4月~
8月
11月
6月
1月
3月
7月
4月
5月
4月
11月
11月
7月
12月
4月
6月
5月
10月
2月
4月
11月
5月
4月
7月
2月
11月
4月
11月
京都市立音楽短期大学、京都市北区出雲路立本町 103 番地に設立
京都市立音楽短期大学後援会発足
第1回入学試験実施、定員50名
京都市立音楽短期大学開学
学長:堀場信吉 教授:蔵田春平 吉原好人 林龍作 齋藤秀雄 伊藤武雄 豊増昇
助教授:青山政雄 元濱綏子 吉池浩 片岡義道
専任講師:高階陽一 中原都男 鞍谷敦子 櫻井武雄 鈴木良一 鳥井晴子 吉田輝子
第1回定期演奏会(弥栄会館)
第1回卒業式、卒業演奏会
作曲科教授に安部幸明氏就任
京都市立音楽短期大学同窓会、名称を「真声会」と決定
嘱託講師(指揮)カール・チェリウス氏(初代京響指揮者)就任
学舎を京都市左京区聖護院円頓美町(旧・武徳殿)に移転
「京都子どもの音楽教室」市立音楽短期大学校舎使用
「京都子どもの音楽教室」を音楽短期大学教育研究部が運営
「京都子どもの音楽教室」室長を堀場学長が兼任
音楽専攻科設置。定員10名
京都市議会に於いて「市立音楽短期大学は1年以内に廃止する方向で検討を
加えるべきである」との委員会報告がなされる。
真声会、保護者会が中心になり市立音楽短期大学の存続運動始まる
高山義三京都市長が市立音楽短期大学を当面存続させる意向を表明
真声会本部を大学校舎内に設置
真声会会報第1号発行
京都市立芸術大学(以下、京都芸大)開学、初代学長 近藤悠三
音楽学部発足、初代学部長 安部幸明 音楽学部第1回入学式、音楽短大専攻科最後(第7期)の入学式
真声会定期演奏会(音楽短大・京都芸大生参加)
京都芸大第1回卒業式、第1回卒業演奏会
梅原猛美術学部教授、学長となる
京都芸大、沓掛学舎へ移転
京都芸大100周年・新学舎落成記念式典
大学院修士課程設置
大学創立110年 大阪公演(シンフォニーホール)
交換留学制度開始(ドイツ・ブレーメン芸術大学)
大学院オペラ初海外公演(アメリカ・コロラド大学)
ドイツ・ブレーメン芸術大学と交流協定
新研究棟開設、日本伝統音楽研究センター開設、初代所長 廣瀬量平
大学創立120周年 プラハ海外初公演(チェコ・スメタナホール) ドイツ・フライブルク音楽大学と交流協定
音楽学部創設 50 周年記念ドイツ公演
ドイツ・フライブルグ音楽大学と交換留学開始
大学院博士課程設置
オーケストラ東京初公演(桐朋学園大・オペラシティ)
オーストリア・ウィーン音楽大学と交流協定
韓国・檀国大学と交流協定
大学創立130周年 大同窓会(美術・音楽合同)
イギリス・王立音楽アカデミーと交流協定 桐朋学園大学と合同京都公演
公立大学法人化 音楽学部創設60周年
オーケストラ東京公演・東京藝術大学交流演奏会(東京藝大・奏楽堂)
2012 年 11 月 29 日発行
目で
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見 る 60 年 の 歩 み ③
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① 1952 (S27) 4 月 開学時の出雲路学舎 ② 1952 (S27) 5 月 堀場信吉 音大初代学長 ③ 1952 (S27) 11 月 林龍作 齋藤秀雄 豊増昇教授による開
学時の歴史的記念演奏 ④ 1954 (S29) 3 月 音短大 第1期卒業生 ⑤ 1954 (S29) 9 月 音短大 初期教職員 ⑥ 1955 (S30) 9 月 来日の指揮者チェ
リウス夫妻 ⑦ 1956 (S31) 9 月 聖護院・岡崎学舎 ⑧ 1956 (S31) 9 月 岡崎学舎本館(武徳殿跡)
⑨ 1957 (S32) 4 月 京都子どもの音楽教室・
音大学舎を使用
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真声会 60 周年記念冊子
①
②
③
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① 1958 (S33) 11 月 真声会会員によるドイ
ツオペラ「ヤーザーガー」
② 1958 (S33) 11 月 同・創作オペラ「一寸
法師」
③ 1959 (S34) 3 月 子どもの音楽教室と堀川
音楽コース・合同演奏会
④ 1962 (S37) 1 月 学生オペラ
「尼僧アンジェ
リカ」
⑤ 1962 (S37) 11 月 創設10周年祝賀式典
⑥ 1964 (S39) 10 月 学生オペラ「マルタ」
⑦ 1967 (S42) 11 月 創設15周年記念演奏会
⑧
⑧ 1972 (S47) 3 月 芸大音楽学部4年制第1
回卒業生
⑨ 1974 (S49) 7 月 梅原猛学長 沓掛学舎移
転に貢献
⑩ 1980 (S55) 3 月 芸大音楽学部教職員
⑪ 1980 (S55) 4 月 沓掛学舎 新キャンパス
⑫・⑬ 1992 (H4) 7 月 大学院オペラ初海外
公演コロラド大学
⑭ 2000 (H12) 6 月 プラハ・スメタナホール
⑮・⑯ 2000 (H12) 6 月 プラハ海外初公演
⑰ 2000 (H12) 現在の芸大全景空中写真
⑱ 2002 (H14) 10 月 音楽学部創設50周年
ドイツ公演
⑩
⑲ 2011 (H23) 11 月 桐朋学園大学と合同京
都公演
2012 年 11 月 29 日発行
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