天女シンポジウム 報 告 書

天女シンポジウム
~地域と人がかがやくまちづくり~
報
告
書
湯梨浜町天女キャラクター
C 湯梨浜町
○
と
き
平成24年11月23日(祝)
10:00~15:30
ところ
ハワイアロハホール(湯梨浜町はわい長瀬584番地)
主
湯梨浜町
催
趣
旨
湯梨浜町では、町の中央部に位置する東郷湖をシンボルとした様々な取り組みを推進しています。東
郷湖を通じた活動の情報を共有しながら、総合的な観光振興、農林水産業振興、環境施策などを推進す
る「東郷湖活性化プロジェクト」をはじめ、昨年度には「東郷湖・未来創造会議」を設立し、東郷湖周
辺にある地域資源の活用をベースに、将来にわたり持続可能で、活力あふれるまちづくりの方向性につ
いて議論を重ねてきました。そして、東郷湖の魅力を最大限生かすためのキーワードを「湖底から温泉
が湧き出る美しい湖であること」
「森里海の連環による豊かな自然環境とその恵みがあること」
「天女伝
説があること」と集約し、今年度から、地域に古くから伝わる羽衣天女伝説を核とした新たなまちづく
りの視点を「天女の降る里づくり事業」として展開しているところです。
町では、このシンポジウムの開催を通して、より多くの町民のみなさまに参画いただきながら、総合
的かつ計画的なまちづくりを推進していきたいと考えています。
日
程
〔天女ぬり絵教室〕
10:00~
開会/主催者あいさつ
講師 文星芸術大学講師 山﨑 宏さん
12:00
閉会
〔天女シンポジウム〕
13:00~
開会/主催者あいさつ
13:05~
湯梨浜町天女キャラクター最優秀賞表彰
13:15~
特別講演「地域力を結集したまちづくり ~湯梨浜町の天女によるまちづくり~」
講
13:45~
鳥取県知事 平井 伸治さん
基調講演「伯耆の国の天女伝説」
講
14:15~
師
師
鳥取大学名誉教授 野津 龍さん
パネルディスカッション
テーマ「湯梨浜町の未来へ向けて ~天女によるまちづくり~」
■コーディネーター
福井
昌平さん
■パネリスト
15:30
鳥取大学名誉教授
野津 龍さん
文星芸術大学講師
山﨑 宏さん
まちづくり団体代表
三津国 美枝子さん
湯 梨 浜 町
宮脇 正道
長
閉会
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天女ぬり絵教室
講 師
文星芸術大学講師
山﨑
宏さん
〔開 会〕
○中本企画課長
本日は、天女ぬり絵教室にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。湯梨浜町では、地域
に古くから伝わる天女伝説をまちづくりに活かす「天女の降る里づくり事業」を推進しており、より多
くの皆さまに天女に親しみを感じていただきたいとの思いから開催するものです。
本日は、講師に文星芸術大学 山﨑 宏さまをお迎えし、楽しみながら進めていきたいと思いますの
でよろしくお願いいたします。
それでは、開会にあたりまして主催者であります湯梨浜町長 宮脇 正道が皆さまにごあいさつ申し
上げます。
〔町長あいさつ〕
〔講師紹介〕
○中本企画課長
開催に先立ちまして、山﨑さまのプロフィールをご紹介させていただきます。
山﨑さまは、東京都のご出身です。1988年、東京藝術大学美術学部絵画課日本画専攻をご卒業さ
れ、その後、大学院でもその見識を深めていらっしゃいます。現在、文星芸術大学日本画研究室非常勤
講師、NPO法人日本ブレインヘルス協会アートセラピー委員会副実行委員長など、幅広くご活躍され
ています。
それでは、山﨑さま、よろしくお願いいたします。
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〔教 室〕
○山﨑 宏 文星芸術大学講師
○以下、山﨑さまによる進行(ガイダンス/ぬり絵制作/全体まとめ)
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〔閉 会〕
○中本企画課長
山﨑さま、どうもありがとうございました。
本日を契機として、天女、そして、ぬり絵に親しみ、興味を持っていただければと思います。ご指導
いただきました山﨑さまに感謝の意を込めまして、今一度、盛大な拍手をお願いいたします。
さて、湯梨浜町の天女に関する取り組みにあたって、NPO法人ブレインヘルス協会、並びに有限会
社CMEコデックス様より、多くの天女ぬり絵をご提供いただいております。
町では、保育所や幼稚園、小学校などの学びの場、生涯学習、いきがいづくりなど幅広く活用してい
きたいと考えているところです。本日のぬり絵教室を契機といたしまして、今後、それぞれの場面で、
楽しみながら取り組んでいただきたいとの願いを込めまして、天女ぬり絵を贈呈したいと思います。
○宮脇町長から参加者代表へぬり絵を贈呈
以上をもちまして、天女ぬり絵教室を終了いたします。
なお、午後1時からシンポジウムを開催します。引き続き、ご参加いただきますようお願いいたしま
す。
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天女シンポジウム
〔開 会〕
○中本企画課長
本日は、天女シンポジウムにご来場いただきまして、誠にありがとうございます。
私は、本日の司会進行役を務めさせていただきます湯梨浜町役場企画課の中本でございます。どうぞ
よろしくお願いします。
それでは、開会にあたりまして、主催者であります湯梨浜町長 宮脇 正道が皆さまにごあいさつ申
し上げます。
〔宮脇町長あいさつ〕
皆さんこんにちは。今日は、お休みの出にくいところありがとうございます。天女シンポジウムとい
うことで、今日は開催させていただきました。この3月に東郷湖・未来創造会議でご提言いただいたこ
となどを踏まえまして、東郷湖~夢・創造~シンポジウムを開催いたしました。その時の内容は、東郷
湖・未来創造会議の検討事項をご説明し、具体的には天女によるまちづくりですとか、或いはウオーキ
ングリゾートの形成、それから、特産品のことですとか、色々な分野での内容説明と、それから、森里
海の連環ということについて、お話をしていただいたりしたところでございます。今日は、それらのう
ちのいくつか進展してきておりますけれども、もう一つは原点に立ち返って、やはり天女の降る里づく
りを進めていくには、町民の間に天女ということに対して共通の思いと言いますか、ある意味、誇りに
裏打ちされたような思いがなければ、上滑りになってしまう恐れもあるのではないかというようなこと
で、天女シンポジウムと名付けて、より深いところで天女について認識を深めていただき、やっていこ
うということでございます。これから、知事もたいへんお忙しいところお越しいただいてご講演いただ
きますし、それから、伯耆の国の羽衣天女伝説の研究の第一人者でございます鳥取大学名誉教授の野津
先生のご講演をいただいた後、パネルディスカッションという形になっております。
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これからこの運動を展開していく上でやっぱり一番大切なことは、色々な分野で、この天女の降る里
づくりは何も観光だけに限ったことではないと私は思っております。今日の午前中、実はぬり絵教室と
いうのを開催いたしました。野澤さんにお世話になりまして、いただいていたぬり絵を活用して、施設
の方たちも出席していただきまして、教えていただく上で人数制限が必要だったものですから、30名
ぐらいのご参加でしたけれども、ぬり絵の教室がございました。そのぬり絵もやはり、この間の敬老会
の時に、健康寿命を伸ばすようにみんなで社会活動など色々なことをやりましょうということでお話し
ましたけれども、ぬり絵もそういうことに有効だと思いますし、とてもいいお話を色々と聞くことがで
きたと思っております。薄い色からぬること、私はぬり絵というのは重ねてぬるものではないと思って
いたんです。色鉛筆ですから。ところが、そうやって薄い色からぬっていくということと、ハッとずば
り当たっておりましたのが、野菜の嫌いな人は緑を使わないとおっしゃいました。パッと見ましたら、
私はやっぱりひとつも緑を使っていなくて、すごいなと思って、これは大目から鱗でございました。
そのようなことですけれども、子どもたちに、例えば絵本を作ってブックスタートの時に持たしたり
とか、色々な活用方法があります。福祉の分野、文化の分野、様々な分野でこの天女を素材にまちおこ
しができる、湯梨浜の独自性を全国に発信できるというふうに思っております。そのためには、住民の
皆さんと一緒になって考えてやっていくことが根っこになければ長続きしない。一過性のものに終わっ
てしまうということもあります。その意味で、今日のシンポジウムが皆さんの心の中に、ヨシッ、本当
でやっぱり天女でやろうよということになればなというふうに思う次第でございます。ようこそお越し
くださいました。ありがとうございます。
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湯梨浜町天女キャラクター最優秀賞表彰
最優秀賞受賞者 久保庭 藍さん
○中本企画課長
続きまして、湯梨浜町天女キャラクター最優秀賞の表彰を行います。
町では、天女の降る里づくりの推進に向けて、去る5月28日から7月末日にかけて天女キャラクタ
ーのデザインを募集しました。北は北海道から南は沖縄県まで、45都道府県から689名、900作
品、6歳から81歳までの幅広い年齢層からご応募をいただきました。選定委員会により厳正に審査し
た結果、神奈川県相模原市在住の久保庭 藍さまの作品を最優秀賞に決定いたしました。
本日、久保庭さまには、遠路当町までお越しいただいておりますので、このシンポジウムにおきまし
て、町長より表彰状及び目録の授与をさせていただきたいと思います。
それでは久保庭さま、ご登壇ください。
○宮脇町長から表彰状、目録の授与
「表彰状 最優秀賞 久保庭 藍 様
あなたは湯梨浜町天女イメージキャラクターの公募において独創性とアイデア溢れる優秀な作品を
創作されました。審査の結果あなたの作品が採用されましたので副賞を添えてこれを賞します。
平成24年11月23日、鳥取県東伯郡湯梨浜町長 宮脇 正道」
どうもありがとうございました。おめでとうございます。
○中本企画課長
皆さま、盛大な拍手をお願いいたします。
(拍手)
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それでは、最優秀賞を受賞されました久保庭さまより、ごあいさつをいただきたいと思います。よろ
しくお願いします。
○久保庭 藍さまごあいさつ
ご紹介いただきました久保庭と申します。はじめまして。この度は、こちらの方までお誘いいただき、
誠にありがとうございます。今回、私のキャラクターが、町のキャラクターとして採用していただけた
ことをすごくうれしく思っております。
ゆるキャラなどのブームがあったみたいに、キャラクターというとちょっとキモかわいいみたいなも
のがスタンダートだったりしたのかなと思うんですが、このキャラクターを作る時には、やっぱり小さ
いお子さまから大人の方まで、皆が見た時にかわいいねと思ってもらえるようなキャラクターを目指し
て描きましたので、皆さんに親しんでいただけたらすごくうれしいです。
これから町のシンボルとして、皆さんに知っていただいて、ご利用いただけたらすごくうれしいなと
思っております。また、この町に住む方以外にも、湯梨浜町を代表するようなキャラクターとして、全
国で活躍できたらすごくうれしいなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
(拍手)
○中本企画課長
ありがとうございました。皆さま、盛大な拍手をもう一度お願いします。
(拍手)
続きまして、キャラクター選定にあたりましては、本日のパネルディスカッションのコーディネータ
ーを務めていただきます福井 昌平さまのほか、漫画家の里中 満智子さまにも特別審査委員として審
査にご協力をいただきました。本日は、所用のためご臨席いただけませんが、ビデオメッセージを頂戴
しておりますので、ここでご披露させていただきたいと思います。
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○里中 満智子さまメッセージ(湯梨浜町天女キャラクター選定委員会特別審査委員)
この度は、天女キャラクターが全国から900もの応募があって、もう本当にうれしいなと思いまし
た。でも、選ぶのは本当にたいへんだったんですけれども、皆さんが湯梨浜の特色、梨とか、温泉とか、
天女伝説とか、そういうものを取り入れた素敵なキャラクターがいっぱいありました。結果的にね、愛
される天女、かわいい天女ということで、何か梨を思い出させるような、髪の色とか、そういうもので
選んだんですけれども、本当にね、もっともっと採用できればよかったなと思うものがいっぱいありま
したね。絵を描くということはとても楽しいことですし、また、あるイメージに沿ってキャラクターを
作るということは、しんどいなと思うかもしれませんが、やってみると、とても自分の知らなかった自
分に気付かせてくれる。そういうことですよね。ですから、こういう企画があることはとてもいいこと
だなと思いました。
最優秀作品はですね、天女の持つけがれない美しさ、しかもそれがかわいく描けておりましたので、
素敵だなと思いました。おめでとうございます。
天女の降る里、実は天(あま)の羽衣伝説というのはあちこちにあるんですけれども、この湯梨浜も
昔から天女伝説がありまして、色々ないわれがあります。意外と遠くに住んでいると知らないんですけ
れども、これをきっかけに天女のイメージでもっともっと広く知られるといいなと思います。
私の感想ですけれども、梨とかね、メロンとか、とても美味しくて、やっぱり可憐な天女と香り高い
フルーツというのはピッタリだなと思います。温泉もありますし、これからどんどんですね、この天女
のキャラクターをきっかけに、湯梨浜が全国の人に知られるとうれしいなと期待しております。
○中本企画課長
里中 満智子さまからのメッセージでございました。
この天女のキャラクターにつきましては、今後、湯梨浜町のシンボルとして、着ぐるみやキャラクタ
ーグッズ、町の観光宣伝などを通じて幅広く活用して参りたいと思っております。また、キャラクター
の愛称も県内の方々から募集をし、131名、172点の応募がありました。本日のシンポジウムで発
表できるよう選定委員会で何点かの愛称を決定していますが、商標登録の確認に時間を要しております。
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本日の発表に至らなかったものであります。確認でき次第、愛称につきましては発表して参りたいと思
いますので、よろしくお願いします。
久保庭さま、どうもありがとうございました。皆さま、今一度盛大な拍手をお願いします。
(拍手)
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特別講演
テーマ
講
師
地域力を結集したまちづくり
~湯梨浜町の天女によるまちづくり~
鳥取県知事 平井 伸治さん
○中本企画課長
それでは、これよりお二人のご講演を賜りたいと思います。
まず、特別講演「地域力を結集したまちづくり~湯梨浜町の天女によるまちづくり~」と題しまして、
鳥取県知事 平井 伸治さまよりご講演をいただきたいと思います。
魅力ある地域づくり、まちづくりに必要なものは何か、それぞれの立場で実践活動に生かせるヒント
をつかんでいただければと思います。
それでは、平井知事さま、よろしくお願いいたします。
〔講 演〕
皆さま、こんにちは。本日は、天女にちなみました地域づくり、人づくりのフォーラムが、本当に盛
会裏に開催されておられますこと、心からお祝いを申し上げたいと思います。先程は、新しい天女のキ
ャラクターが決まったそうでございまして、私も先程、舞台の袖で初めて見せてもらいましたけど、ま
あ何とハワイアンな天女ができたものでありまして、湯梨浜町は色々な素材がございますので、考えて
みますと温泉もあれば、それからきれいな東郷湖という湖もございますし、海の方にも石脇の海岸、泊
の浜、そうした雄大な日本海の自然もあります。食べ物も美味しい二十世紀梨もあれば、或いはスイカ
であるとか、ブドウであるとか、海の幸、山の幸、海からはイカも揚がれば、様々な魚介類、岩ガキな
どもある。そんなような色々な素材がある訳でありまして、本当にそこで色々な活動が行われています。
最近、とても国際色が豊かになったなと思いますね。中国庭園とか言って中国なんですね。そうかと
思えば、アメリカのハワイだと言ってみたり、ノルディックウオークとか言って何か北欧が出てきてみ
たり、何だか忙しい訳でありますが、それぐらい色々なアイデアで、彩りが豊かなこちら湯梨浜の町が
出来上がってきていると思います。皆さんと一緒にそんな魅力を確認し合いながら、この後、町長さん
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とか、山﨑先生であるとか、三津国さんとか、野津先生だとか、皆さんで色々お話をされるということ
でございます。そういうような話し合いの一つの枕として聞いていただければありがたいかなと思いま
す。
こちらにございますように、東郷湖は非常に夜、美しいですよね。私も家族で時々、ほとりの旅館さ
んに泊まりに来ることがあります。一軒だけではなくて数軒、行ってみたりする訳でありますが、夜、
少しこう薄暗くなってきますと、湖に街の明かりが照らし出されたり、また、ちょうどそうですね、夕
方着いたころだとか、結構、白鳥とかですね、カモであるとか、そうした水鳥たちが出迎えてくれたり、
本当に詩情豊かなところな訳です。だから、天女の伝説もここにふさわしいのかなというふうに思いま
す。
「こころなき身にもあはれはしられけりしぎたつ沢の秋の夕暮」という歌があります。西行の歌で
ありますけども、おそらく天女というのは何かというと、水鳥たちと関係があるのかなと自分には思え
ることがあります。羽衣という、羽の衣というのもそうなのかもしれません。野津先生が詳しいお話を
されるんだろうと思いますけれども、私もそういう色々な想像の羽根を膨らますことができる、それが
羽衣伝説なんだろうと思います。元々、鳥と結び付いた伝説ではないかということも言われている訳で
ありまして、鳥取県のみならず、世界中にこの羽衣伝説が広がっています。沖縄なんかにもあるんです
ね。随分、気候が違うように思いますけれども、本当に沖縄もそっくりなストーリーですよね。宜野湾
市の辺りにそうした羽衣伝説があるんです。あちらもやはり、川辺で水浴びをしている天女の羽衣を隠
して、その後、子どもを儲ける訳ですよね。やっぱりよく似たような話でございまして、その後、隠し
場所がばれまして天に昇っていく訳です。残された子どもが沖縄で出世をすると、そういう物語になっ
ているんですね。
こちらもそうしたパターンの中の一つでありますけれども、世界の天女伝説、こちらはインドの天女
の絵が描いてありますけれども、中国だとかにもあります。特に、東アジア系、大体話が共通していま
すよね。中国ですと、天の川を挟んで彦星と織姫星、牽牛伝説と結び付いている訳です。ですから、牛
飼いの男が降りてきた天女の羽衣を隠してしまうと。その後、結婚できるよと教わっていたんですけれ
ども、正直者でございまして、実はかくかくしかじかだと。そう言って羽衣を返す訳であります。そう
すると男が非常に真正直な人だなということで、ちゃんとその後、結婚をする訳です。その後、天の方
に呼び返される訳ですね。元々、錦を織り込む、そういう職人的な女性だったんです。その関係で帰っ
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て来いと呼び返される訳であります。後を追っかける訳ですね。牛の剥いだ皮に乗って、それで天へと
飛び立って、追いかけていくと。それでまた天で結ばれる訳でありますが、やはり引き裂かれまして、
年に一度だけ七夕の日に会っていいということでありまして、この羽衣伝説が、あの彦星、織姫の伝説
と結び付いたりしているということです。こういうように、世界中に同じようなことが共通している訳
ですよね。日本の中でも、ここ鳥取県の湯梨浜町だけではなくて、色々な伝承があります。関金で採集
された説話、口伝えに伝わっているお話から言えば、結ばれた娘はお倉とお吉といったと。お倉の方が
太鼓を叩きまして、お吉の方が笛を吹いたと。それで、一生懸命にお母さん帰ってくれと言う訳であり
ますが、母親はどこ吹く風で、再び見つかった羽衣で天に上がっていくと。あれは不思議なもので、羽
衣を着るととたんに変わるんですね。人間の心が捨てられて、共通して鳥のように、ただ天を目指して
飛んでいくというのが大体のパターンでございまして、そういうことで天へ天へと昇っていくと。お倉
とお吉は、お父さんに顔向けができないものですから、そのまま住んだ町が倉吉だとかというような話
で伝わっていると。羽衣石も、羽衣石に隠してあったという意味での羽衣石だというように伝わったり、
外道山も何と見えなくしている外道の山だろうということで名前が付いたとか、そういう地名の由来譚
にもなっているというようなお話でございますが、そんなように、各地に伝わっている話との共通性が
ある訳であります。あんまり道徳的な話でもないんですよね、本当は。だって、水浴びをしているきれ
いな女性の衣を隠してしまうということですから、今風に言ったら変なおじさんでございまして、ただ、
昔、なぜかこの話が世界中に、同じように伝わる訳ですよね。おそらく、空を羽ばたく鳥に対する憧れ
だとか、そんなようなことがあって、こういう飛天の像が描かれていますけども、場合によっては宗教
と結び付いたりして伝わっていったのかもしれません。ここ湯梨浜も天女の子孫が多いものですから、
今日もきれいな人ばっかりでありますけれども、そんなような楽しい伝説もある。
最近は、まんが王国というようなことをやっています。まんが王国の守り神がバードプリンセスとい
う、これはまた、鳥だか人だかよく分からないキャラクターが出て賑やかしをしている訳でありますが、
この度は、トリンドルさんもですね、こちらの同じ舞台に来られました。皆さんも来られた方がいらっ
しゃるかもしれませんが、こうして特別住民票というのを渡されまして、ここの町民になったというこ
とでございますし、あの時は土地の名産品を差し上げたり、はわい温泉・東郷温泉に3年間泊まってい
いという許可証といいますか、チケットをもらったりしていました。実はこの間もトリンドルさんが来
られまして、たいへん喜んでいましたね。特に、温泉に泊まれるというのは、結構気に入っておられま
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して、ご自身でもブログに、はわい温泉の看板を出されました。今、はわい温泉といって有名なのは、
はわいのお風呂よりも看板の方が全国的に有名でございまして、看板の方が名所になっているかもしれ
ませんが、色々な効果が出たと思います。これですね。これが有名なはわい温泉の看板ですが、トリン
ドルさんも、あんなに大きなものだと思わなかったというふうに言っていました。先程申しましたよう
に、二十世紀梨であるとか、シジミ、ヤマトシジミですね、こちらの場合は。梨は鳥取のシンボルでも
ありますし、梨については今、新甘泉とか、そういう新しい品種も出始めている訳であります。山陰東
郷、山田錦にこだわって造っておられる地元のお酒であります。或いは、野花豊後、こういう花火、水
郷祭ですね。それから、四ツ手網のところ。こういうすばらしい日本の故郷がここには詰まっていると
いうことです。
そういう中で、今日、これから皆さんがご議論されるのは、天女をキーワードとしてやっていこうか
ということでありますが、是非ですね、県としてもそうした動きを応援していきたいと思います。健康
づくりのウオーキングであるとか、おいしい食べ物であるとか、或いは東郷湖周の散策ができるような
コースの設定、私ども県の方で言いますと、ちょっと気になっておりますのは、洪水が起きて水があふ
れるということが時々あります。昔と違いまして、東郷ダムができて大分良くなったと思います。ただ、
先般の台風の時に増水して、松崎などで浸水がありましたが、この近所でも羽合地区も水が行きました。
私もその時参りましたけれども、千年亭さんに行く橋が架かっている、太鼓橋が架かっている手前のと
ころで、トラックが水の中に浸かって動けなくなっちゃったんですね。バッテリーがあがっちゃいまし
て。それを一生懸命、私も当時、防災服を着ていたものですから、水に浸かりながら押していたら、実
はこれが毎日新聞に出ました。毎日新聞の全国の写真ニュースのところで、「トラックを押す人々」と
かいって私も入っておりましたけれども、まさかあれがあの平井だとは誰も思わなかったと思うんです
が、そんなようなことで思い出深いですけれども、これが何回も続くのはどうかと。地元の方々とお話
合いをさせていただいて、例えば松崎のところには、従来よりも水辺のところの嵩上げをするような形
の堤防というか、堤防なんですけども、あまり景観の邪魔にならないようなものを考えてみようかとい
うことを今、話しております。ご相談はいったと思います。また、こちらのはわい温泉の方に行きます
と、道が走っていますけども、道を嵩上げすることによりまして、それで水が行くのを防ぐというよう
な、どちらかと言うと緩やかで自然な形、地元のこのすばらしい自然や景観にマッチした形をやってみ
ようかということを考えております。そういう我々県の方でもやらなきゃいけないことも含めて、一緒
になってまちづくりを応援させていただければと思います。
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色々な名物料理、これは養生館のものでございますが、今回は「シジミのすり流し」とか言っていま
すが、数年前は「鯉めし」
、鯉ごはんですね。これも賞を取られました。これは結構おいしかったです
ね。鯉の皮を剥いだような、それをきざみまして、後、鱗が入っていたんですかね。ちょっと食感があ
るような、そういうようなものを発明されまして、作られました。この度は、シジミに手長エビ、こん
なような料理を作られたりしました。
それから、ご当地グルメということでありますが、最近、B級グルメが流行りなんですね。隣の岡山
県とも、ご当地グルメ同盟というものを結びました。そしたら知事が変わって、今度は天満屋さんにな
っちゃったんですけれども、天満屋の社長にね。天満屋の社長がB級グルメをやるかなと。これから話
し合わなきゃいけないですけども、こちらにも牛骨ラーメン、更田食堂さんとかございますよね。そう
いうものを売り出そうかということでやっている訳です。ただ、ビックリしたのがこれですね。「あい
すらんど」だとか言い始めた訳です。アメリカのハワイでもなくて。「ゆりはまをあいすらんど」とか
言いまして、アイスクリームを作ってこられました。私も出合ってビックリしたのが、このシジミです
ね。シジミの味噌汁のアイスクリーム。これ結構おいしいですよ。微妙なんですけども。とっても味噌
の風味がございまして、こういうものがアイスになるのかなと思いながら食べておりました。もちろん、
地元のクレオパトラとか、黒豆を使ったりだとか、そんなような色々なアイスが出てきています。
食べ物の魅力は大事でして、和牛でも今、勝負をかけて、オレイン和牛、オレイン55ということで
やっていますが、今度、12月2日には東京の築地の方に行きまして、ハタハタで秋田県と対決をしよ
うということになりました。実は、秋田の佐竹知事さんと話をするんですけれども、どうしても話が合
わないのが、どちらのハタハタがおいしいかということでございまして、それでは一度勝負をしようと
いうことで去年もやったんです。東京の麻布十番という街だったですが、そしたら佐竹さんというのは
お殿様の末裔なんですよね。佐竹藩、角館の。ですから、非常に上品な方でいらっしゃいまして、一緒
に舞台に上がって対決をすると、お互いのハタハタを食べた後、佐竹知事の方から「やあ、平井さん、
鳥取のハタハタはうまいねぇ。
」という訳ですよ。そう言われるとこちらもしょうがないものですから、
「秋田のハタハタもおいしいですなぁ。」と。これで引き分けになっちゃったんですね。今年、もう一
回やることになりましたけど、勝負がつくかどうか分かりませんが、今年は鳥取の応援団でさかなクン
が来ることになりました。まあ、どうでもいいことでありますけれども、そんなようなハタハタとかも
やろうと。今年は、両県のハタハタが食べられるお店として、帝国ホテルのレストランだとか、そうし
たところも入っていますし、鳥取のハタハタを出すのは、炉端かばさんとか、稲田屋さんとか、このあ
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たりは結構東京に出ているんです。そうしたところで出させていただこうとしています。こんなような
ことで、ハタハタの対決をやろうということなど、食の魅力をやろうと。
ここにありますように、野花豊後がお酒になっていると。梅津酒造さんと結び付きまして、そんなよ
うなものを造ったりとかしている訳であります。また、こうした農業などの産業は、今、観光にも結び
付くだろうと。結構評判良かったのは、この梅の散策ツアーでございました。こういう選果場見学ツア
ーも、地元を象徴するものとして好かれるものだと思います。後、この近所では、やはりスイカの選果
場ツアーとか、そういうようなこともされるようになりました。
泊は、我が県で初めて風力発電ができたところであります。それが今ではどんどん広がりまして、鳥
取県の中、たいへん再生可能エネルギーが増えてきました。メガソーラーというような話も出ていまし
て、来年の秋ぐらいには米子でできると思いますけども、多分一番初めにできるのは、隣の北栄町に造
っているものかなと思います。それと日南とが早めにできるメガソーラーになるんじゃないかというふ
うに思います。ここ湯梨浜でも、我々のプロジェクトとして一緒にやっておりますのは、温泉から発電
できないかなということです。結構調べたんですけれども、少し今、中断しています。何故かというと、
ものすごくプラントにお金がかかるんですね。そのプラントがもう少し使いやすい、要は値段がリーズ
ナブルな発電プラントが近々できるようなので、それを見てもう一回考えようかということにしており
ますが、こういうものをバイナリー発電と言うんです。沸点が、沸騰する温度が低い、そういう媒体を
使いまして、それでタービンを回す。そういうようなことを考える訳であります。
北東アジアゲートアウェイ、海外からのお客様がどんどん入ってくるようになりまして、国際リゾー
トとしての風格が出始めています。特に、韓国人が鳥取県は圧倒的に多いです。中国5県で比べますと、
鳥取は本当に韓国の割合が高い。特に、湯梨浜町内は韓国の割合が高いですね。その一つの背景として
は、こういうまんがを活用した観光ということもありまして、先般もアニソンのお祭りがこの会場で行
われました。
マンガサミット、これも各国からお客さんが来ました。先程、里中 満智子先生のメッセージが出て
おりましたけれども、里中先生とちばてつや先生、このお二人が実行委員会の委員長さんと幹事長をさ
れまして、今回のサミットを実施された訳です。それで、色々と県内を見ていただいたりしました。海
外からのお客様も県内各地を回られまして、非常にすばらしいところだと鳥取が気に入って帰って行か
れました。実は、海外の有名な漫画家も来ているんですね。韓国でイヒョンセさんという漫画家もこち
らの方に来ていました。こちらにいる韓国の人は、ものすごくビックリするような方でありまして、た
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いへんに迎える方の韓国を知っている人は喜んでおられました。或いは、こういうご時世でありますけ
れども、中国からもシュウタオさんという向こうのトップの方も来られていましたし、滞りなくこのマ
ンガの祭典を実施することができたと思います。
その一環で11月10日、11日に中華コスプレ大会を当地でもされました。私も来たんですけれど
も、例年になく熱気があったように思いますね。参加者も徐々に増えてきているんではないでしょうか。
国から言っても、中国だけではなくて、韓国だとか、それから台湾の方もいましたし、今回は香港も入
っていましたね。そういうように、だんだんとエリアが拡大してきて、いい傾向が出てきているのかな
と思います。また、意外に需要があるなと思っているんですけども、コスプレコンシェルジュでござい
まして、元々は中華コスプレ大会に来られていた北海道から移住された方が中心になってされた訳です。
聞いてみて突拍子もない相手かなと思っていたんですけども、ただ、来られる人にとって、例えば湯梨
浜町内の滝壺とか、そうした色々なスポットで撮影をするということがたまらなくうれしいようなんで
すね。やはり、コスプレを作られる、結構手作りで作られます。そういうものを着てみたところを写真
に撮りたいという、そういう遊びなんですよね。その写真を撮れるところが、なかなか街中で撮る訳に
ならないものですから、皆さんが、言わば応援してくれるようなところで撮れるというのがうれしいよ
うなんです。そんなことで、こういうコンシェルジュツアーというのも、結構順調に動き始めたように
思います。
また、クリエイターが育ち始めていまして、これは皆生のものなんですけれども、皆生温泉の海岸の
ところにこういうブラックアートと言いまして、夜、光を当てると浮かび上がる、そういう絵でありま
す。これを描いたのは、琴浦町の19歳の女性なんですけども、この方は「花とゆめ」という少女雑誌
にこの度掲載されています。そういうように、新しい作家さんがこのまんが博をきっかけにして生まれ
てきている訳であります。ガイナックスという、エヴァンゲリオン、今、Qが映画上映されていますが、
そのエヴァンゲリオンなどを送り出したガイナックスさんだとかも、鳥取の方にやってきていると。先
程申しました韓国からのお客様ですね、やはり多く来るのは、向こうでよく宣伝しているというのもあ
るんです。特に、この湯梨浜町内の旅館さんでテレビショッピングとかもやりまして、増やしてきたの
もありますし、後、鳥取中部国際観光サポートセンターというものをつくりまして、ここでロケ地ツア
ーをやりましたら、昨年度、実に1,560人の外国人、韓国の人が多いんですが、来られたと。アテ
ナというドラマが、向こうでも結構視聴率もありまして、前作のアイリスほどではないんですが、それ
に準じたような効果が出た訳であります。残念ながら東日本大震災がやってきて、私たちが期待してい
た効果が100%出ずにブームが終わってしまったような感じもあるんですが、いずれにいたしまして
も、これは町内の望湖楼さんで撮られたシーンでありますし、この近所を色々と紹介する場面がありま
す。やっぱり、こういうロケというのはたいへんなものだなと思いました。特に、日本と韓国と撮り方
が違うんですね。韓国は割とその場その場で思い付いて、色々なことを始める訳です。ちょっと船を用
意してほしいと。アクションドラマですから。燃やしてもいい船をとか、車10台、黒い車がいいです。
ぶつけてもいいものとか。これは集める方がたいへんでありまして、そんなようなことを大騒ぎしなが
らやっていました。実は、後日談がありましてね。これが、チョンウソンさんという方でありますけど
も、このドラマが向こうで放映された後に、芸能界最大のスキャンダル的なことがあったんです。スキ
ャンダルというか、色恋話なんですけども、このチョンウソンさん、これはスエさんという主演女優さ
んでありますけれども、もう一人イジアさんという助演の女優さんも来ていたんですね。そしたら、こ
のチョンウソンさんとイジアさんという女優さんがラブラブになったということなんです。ところが、
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ラブラブになって、その後、イジアにチョンウソンが捨てられると、そういうオマケがついて、そうい
うようなことでどんどんスキャンダル的に展開していって、非常に向こうで話題になったと。実は、私
も後で聞かされたんですけども、チョンウソンさんの泊まっている部屋には決して近づくなというふう
に夜は言われていたということがありました。そのようなロマンスの地になったということだと思いま
す。
それからこれは倭文神社。これもロマンチックな話ですよね。下照姫のお話でございますけれども、
出雲の方を見やったという展望のいい丘も湖のほとりにあったりします。縁結びの作法なども楽しい味
付けだと思いますし、若い方々を元気にしようとドラゴンカヌーの話もありますし、実は、この東郷湖
羽合臨海公園でローラースケートができる、ブレーダーだとか、そういうことができるような施設を整
備している訳であります。これも若い人たちの提案から生まれた話でありました。これは倉吉ですが、
梅南香ツインズという湯梨浜のダンサーなんかも参加したイベントが開かれたりしました。
また、こういう中国との交流行事であるとか、映画を街中で撮るということが中部でも賑やかにされ
ていますし、湯梨浜の町民ミュージカル、これも本当に有志を集めて手作りでされていますが、元気な
皆さんたちがやられています。また、アーティストリゾートとして、桜小学校の跡には結構アーティス
トが入られるようになっておられますし、これは鳥の劇場などが関わっているんですが、倉吉の明倫地
区のプロジェクトでも出身の方が関わっておられます。
支え愛、こういう温かい結び付きでも、こういう生き生きクラブの皆さんが、不思議な話であります
けれども、若手老人と超高齢者という区分けをされて、それぞれにプロジェクトをやっておられまして、
楽しんでおられるということであります。
県でも総合ボランティアバンクを作って、そういう支え愛を広げようとしています。
この度は、
「水と緑のオアシスとっとり2013」という全国都市緑化フェア、サブ会場が東郷湖羽
合臨海公園になりました。9月21日から11月10日であります。こういうカラーリーフガーデンと
言われるようなサブ会場のプランも今、進めていますし、これはあやめ池公園のところでありますが、
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樹林のシェードガーデン、いにしえの彩り回廊、こうしたようなことを今、検討しているところであり
ます。ぜひ、皆さまもご参加いただければと思います。
来年は、緑豊かな鳥取をアピールする大会を全国植樹祭やエコツーリズム国際大会として展開してい
こうとしております。そういう緑の中でウオーキングですね。先程申しましたノルディックウオークも
そうでありますし、100kmウオークというグランドスラムの大会、これも東郷温泉に泊まられまし
て、そして皆さんが海外との交流も楽しまれたところであります。
もちろんグラウンド・ゴルフもここの発祥でございまして、これは全国で非常に流行ったスポーツに
なりました。
今日、皆さまは色々とこれから話し合いを進められると思います。「未来は偶然手に入るものではな
い。自分の未来は自分で創るものである」こういうように、GMの会長、ロジャー・スミスさんがおっ
しゃっておられました。是非、皆さまの手で湯梨浜の未来を勝ち取っていただきたいというふうに思い
ます。本日は、本当におめでとうございました。
○中本企画課長
ありがとうございました。
その地域らしい魅力あるまちづくりを進めるためには、自然、歴史、文化、観光など、地域にある様々
な地域資源の活用はもとより、それを有機的につなぐ総合的な取り組みが必要であることを改めて感じ
ました。
本日は、お忙しい中、平井知事さまには魅力あるまちづくりのあり方について、貴重なお話をおうか
がいすることができました。今一度、盛大な拍手をお願いしたいと思います。(拍手)
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基調講演
テーマ
講 師
伯耆の国の天女伝説
鳥取大学名誉教授 野津
龍さん
○中本企画課長
続きまして、基調講演「伯耆の国の天女伝説」と題しまして、鳥取大学名誉教授 野津 龍さまより
ご講演いただきます。
地域に古くから伝わる羽衣天女伝説の希少価値や歴史的な背景、そして、その歴史的価値を含めて、
詳細なお話がおうかがいできるものと期待しています。
なお、野津さまのプロフィールにつきましては、本日配布させていただいております資料に記載して
ございますので、そちらをご覧ください。
それでは、野津さま、よろしくお願いします。
〔講 演〕
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました鳥取大学の野津と申します。今日は、伯耆の国の天女伝
説、これを講演してほしいと言われて参上いたしました。しかも、その話は全段階に、伝説のストーリ
ーを話せとこういうことなんですね。長い長い話をそこへ繰り込みますと、三十分しか与えられていな
い時間は、瞬く間にパンクいたします。私は、注釈も何もなく、とにかく二つ伝わっている伝説を多少
早口になりますけれども、話してみたいと思います。本当は、語ってみたいと言わなくてはいけない訳
なんです。鳥取県には、先程申し上げましたように、羽衣伝説が二編伝わっております。二つですね。
これは、二種類と言った方がいいかもしれません。その二つを順次読み上げますけれども、最初は打吹
山の天女伝説でございます。
鳥取県東伯郡湯梨浜町の東郷池の南に羽衣石山があります。この山はその昔、崩岩山と言っていたと
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ても険しい山です。昔、一人の農夫が、この山の近くを通りかかると、何やら妙なる香りが漂ってきま
した。そこで、彼は不思議に思って辺りを探してみると、高さが五丈、約15メートルほどもある大岩
の上に、やわらかで美しい衣が干してありました。さらに驚いたことには、その大岩の近くの湧き水で、
美しい女性が一人水浴びをしていました。農夫はこれを見て、「あの女は、この世のものとは思われな
いほど美しいが、あれはきっと天界に住む天女というものに違いあるまい。とすると、あそこに置いて
ある美しい着物は、天の羽衣ということになるのだろう」と考えて、その女性が水から上がってこない
うちに大岩に近づき、岩の上に干してある羽衣をそっと取って隠しました。左側にその大岩があるんで
すよ。高さが15メートル。さて、水から上がってきた天女は、脱ぎ置いた羽衣を探すのですが、辺り
一面どこにもないので、たいへん驚きました。それに、この羽衣がないと天界にはどうやっても帰るこ
とができません。そこで天女は、近くにいた男が羽衣をきっと隠していると思い、その男に一生懸命、
羽衣を返してほしいと頼みました。けれどもそれは全くかないませんでした。それどころか逆に天女は
説得されて、仕方なくその男と結婚してしまいました。そして、何年か経つうちに、下界の人となった
天女には、女の子が二人生まれました。しかし、夫の農夫は、依然として天の羽衣を箱の中に隠して鍵
をかけ、絶対に妻の天女には見せませんでした。ですから、天女は、羽衣はおろか、その箱のあり場所
さえ知りませんでした。
ところで、農夫と天女の間に生まれた二人の娘は、少しずつ成長していきました。そんなある日、母
親の天女は、子どもたち二人を呼んで、天の羽衣についてのいわれを説き聞かせ、自分はこれを昔から
探していることを告げました。すると子供たちは、羽衣に関する深い訳は知りませんでしたが、父親の
平素の行動から、羽衣とそれが入っている箱と鍵のあり場所だけは知っていました。そこで子どもたち
は、母親をその場所に案内し、その鍵を使って箱の蓋を開けてみると、中から美しい天の羽衣が出てき
ました。母親の天女は、すぐにこれが自分の昔の羽衣であることを知り、飛び上がらんばかりに喜びま
した。そして、母親の天女は、思わず自分の体にその羽衣を羽織ってみると、何故か体が急に軽くなっ
て、空中に浮きあがってきました。それと同時に、どうしたことか、今まであった親子の情愛はたちま
ちに薄れ、天女は子どもたち二人を地上に残したまま、ゆっくりと天界はるかに飛んでいきました。現
在、倉吉市葵町の賀茂神社の境内に神坂(かんざか)というところがあります。そこに、清先(きよさ
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き)の井という古い井戸がありますが、天女が昇天した時には、この井戸の傍らにちょうど夕顔の花が
咲いています。垣根などを作って、白木綿(しらゆう)などを結いまわし、それに夕顔の長いツルをは
わせていましたが、一説に天女は、この夕顔の長いツルを伝って天上に帰って行ったと言われています。
そこで、この井戸を別に、夕顔の井戸と呼ぶようになりました。
ところで、目の前で母親に昇天されてしまった子どもたちは、驚いただけでなく、たいへんに悲しみ
ました。そして、二人は泣き叫んで、母親の後を追いかけましたが、羽のない人間にはどうすることも
できません。その時二人は、母親の天女が、平素から音楽を好んでいたことを思い出して、すぐさま鼓
と笛を取りに行って、近くの小高い山に駆け登りました。そして、そこで一人は鼓を力一杯打ち鳴らし、
もう一人はその笛を力一杯吹き鳴らして、母親の天女を呼び戻そうとしました。けれども二人の鳴らす
楽の音は、母親の天女の耳に聴こえたかどうかは分かりません。天女は、娘たち二人を地上に残したま
ま、振り向きもしないで、大空高くゆっくりと飛んでいき、二度と再び娘たちのところに帰ってきませ
んでした。この二人の子どもたちが鼓を打ち、笛を吹き鳴らした山には、その時からそのいわれによっ
て、打吹山という名前が付きました。ところで、子どもたち二人が音楽を奏でたのは打吹山ですが、そ
の音楽を演奏するために鼓や笛を最初に並べたのは、打吹山のふもとの神坂であったという説もありま
す。また、天女が天界から降臨した場所は、東伯郡湯梨浜町羽衣石の羽衣石山ですが、その時天女が天
の羽衣を脱ぎ置いた大岩は、今でもこの山の頂上近くにあり、その石を羽衣石、或いは天女の影向石(よ
うごういし)と言っています。意味の深い言葉ですよ。そして、不思議なことに、この羽衣石の傍らの
石の上には、小さな天女の足跡が一つ、あたかも天女の忘れ形見のように残っています。また、この羽
衣石に背中をくっつけるような形で、現在、小さな祠が祭られています。この祠は、羽衣姫の大神を祭
る羽衣神社ですが、この山に羽衣石があることによって、山名を羽衣石山、そのふもとの集落を羽衣石
と言うようになりました。
また一説に、天女が降臨した場所は、倉吉市葵町の賀茂神社境内の夕顔の井戸で、ここに天女が民家
の婦女のようにして羽衣を洗濯し、傍らの石の上に乾かしていたところを村の男に見つけられてしまっ
たという伝えもあります。
また一説に、天女が降臨したのは、現在の倉吉市東町の大岳院という寺の境内で、そこにある池の水
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で水浴びをしていたとも伝えています。そして、この寺には、天女が羽衣を掛けた羽衣石、それが今で
も大切に保管されています。それに、天女の羽衣を奪い、ついに夫婦となって二人の子どもを儲けたお
方は、羽衣石のある羽衣石山に初めて城を築いた南條氏の太祖、先祖、初代、伯耆守貞宗であったとい
う伝えもあります。天女が夕顔のツルを頼って天上に帰ったところから、夫の貞宗は名残を惜しみ、夕
顔の花や葉っぱを円形の中にあしらった夕顔枝丸を南條家の家紋に定めたと言われています。
これで一つは終わりなんです。もう一つ話さないといけないですかね。今、話したのは、ちょっとだ
け注釈をしておきます。江戸時代の中期、正確に言いますと1742年、松岡布政という鳥取藩士が伯
耆民談記という書物を書き、その中に色々なことがあるんですけれども、この伝説を四箇所、五箇所と、
断片的にと言ってもいいぐらいに、あちこちに記していたんですね。それを私が矛盾しないようにつづ
り合わせて、そして、多少一説に、一説にと述べてみた訳なんです。そして、現代人の誰にでも分かる
ように、やさしく標準語に書き直してまとめたものです。次の伝説は、これは当時、山陽学園短期大学
の教授でありました稲田和子先生、その方が関金町大鳥居、旧関金町ですね。大鳥居に住んでいらっし
ゃった光村吉司、その方が語るところの打吹山の天人女房を鳥取県関金町の昔話として、昭和47年に
出版したものです。語りをそのまま文字にするのが一番いいんですよ。方言の味わいを入れて、躍動感
があっていいのですが、ここでは分かりやすいことを旨といたしまして、標準語に直してしまいました。
何故ならば、この話を日本全国の人々に知ってもらい、英訳して、その英訳もできているんですよ。全
国、世界各国の人々に読んでもらうためにまとめているからです。また、そうすることによって、伝説
らしいしっとりとした表現になるのです。題名も、東郷池に舞い降りた天女という具合に私が改題いた
しました。本当は、打吹山の天人女房なんですね。何でそんなに倉吉ばかり行くかと。湯梨浜町の方が
メインなんです。ですから、東郷池に舞い降りた天女といたしました。もちろん、稲田和子先生には、
許可を取ってあります。
東郷池は、伯耆の国の東の方にある大きな池です。上から眺めると、鶴が羽を広げたように見えると
ころから、一名、鶴の池という名称もあります。昔、この池のほとりに、舎人(とねり)というたいへ
ん力の強い猟師が住んでいました。彼は毎日、海や山のものを採って暮らしていましたが、ある日のこ
と、東郷池の浅瀬に美しい天女が一人、水浴びをしているのを見つけました。舎人は、しばらくの間、
その美しい天女に見とれてうっとりとしていました。しかし、やがて心が平静になると、近くに脱いで
あった天女の衣をそっと取って隠し、自分の懐に入れてしまいました。さて、天女は水から上がって衣
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を着ようとしましたが、置いてあるはずの場所に自分の衣がありません。その時、見知らぬ男が、美し
い衣をこわきに抱えて、こちらを見ながら立っていました。天女はビックリしましたが、勇気を出して、
「その衣は私のものです。どうぞ、それを返してください」と頼みました。けれども、舎人は、きれい
な羽衣に加えて、美しい天女にまで心を動かし、どうしてもその羽衣を返そうとはしませんでした。そ
こで、天女は仕方なく、舎人の言うままに彼の家に行き、舎人の女房になりました。そして、彼女は東
郷池の浅瀬で発見されたので、浅津(あさず)、鳥取弁では、この辺りの言葉では、浅津(あそず)と
呼ばれながら数年を過ごしました。浅津は、二人の女の子をもうけました。姉にはお倉、妹にはお吉と
いう名前を付けました。ところが、妹のお吉が12歳になった時、母親の浅津は、夫の舎人が近くにい
ないのを見計らって、二人の娘をそっと呼びました。そして、「あなたたち、お父様が私に何か隠して
いるのを知らないかい」と改まって聞きました。最初は、何も期待する答えは返ってきませんでしたが、
母親の浅津があれこれ問い詰めていくうちに、子どもたちはついに言いました。「そう言えば、お父さ
んは時々、急にいなくなることがある」「この間も、不思議に思って捜してみると、お父さんは近くの
羽衣石山に一人で登って、大きな石に腰を掛けて、何か考えているらしくぼんやりとしていました」
「こ
んなところで一体何をしているのか。そう思ってしばらく様子をうかがっていると、お父さんは、石の
下から美しい衣を引っ張り出して、喜んで見ておりました。そして、再びそれを隠して、満足したよう
な顔つきになり、羽衣石山を走って下りて行ってしまいました」
これを聞いた母親の浅津は、あまりのことに驚きあきれ、しばらくは声も出ませんでした。そして、
大急ぎで二人の娘を連れて羽衣石山に登り、頂上近いところにある大石の下から、夫が隠していた羽衣
を見つけました。その時母親はうれしさのあまり、その羽衣をちょっと肩に羽織ったところ、身体がふ
わりと持ち上がりました。そこで母親の浅津は、娘二人を地上に残したまま数メートル舞い上がり、近
くの上空を二、三回、ゆっくりと旋回したかと思うと、続いて大空高く飛び去ろうとしました。二人の
姉妹は、こうした様子をあっけにとられて見ていたのですが、やっと我に返り、「お母ちゃん、お母ち
ゃん」と叫びました。しかし、母親の天女は、少しも娘たちの方を振り返ってはくれません。そこで二
人は、羽衣石山の頂上から走って下りて、自分たちの家に飛び込みました。そして、姉のお倉は、常日
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頃母親から教えてもらっていた笛を取り出し、庭に出て、天にも届けとばかり強く吹きました。妹のお
吉も、大きなお椀、方言で言うと親碗と言っております。親碗に魚のフグの皮を張った鼓を出してきて、
庭で力一杯打ち鳴らし、母親に呼びかけました。こうすれば、母親の浅津は、きっと帰ってくれると思
ったのでしょう。けれども、母親の浅津は、一度も下界を振り向かないで、西の空の彼方にゆっくりと
舞っていきました。二人の姉妹は悲しくなって、ついに泣き出し、ますます悲しくなって泣き出し、小
さくなっていく母親の後を慕って走り出しました。しかし、母親の天女は、残念なことに夕暮れの山の
向こうにすっかり隠れてしまいました。
「ああ、あの山がもしもなかったら、お母ちゃんが見えるのに」
と姉が言えば、妹は、
「あの山は、全くゲドウな山だ。けしからん山だ」と答えました。それから、その
山には外道山(げどうやま)という名前が付きました。打吹山よりも本当はちょっと高いんです。でも
写真ですから、向こうにある方が小さくなるんです。さあ、外道山という名前が付きました。また二人
は、「別の高い山に登ったら、お母ちゃんが見えるかもしれない」と相談して、外道山の近くのもう一
つ別の山に登ってみました。そして、その山の頂上で、姉は一生懸命に笛を吹き、妹は鼓を壊れんばか
りに打ち鳴らしましたが、どのようにしても、天女の母親は二度と再び娘たち二人のところへ帰ってき
ませんでした。そこで、その山は、二人の姉妹が鼓を打ち、笛を吹いたところから、二つを合わせて打
吹山という名前で呼ぶようになりました。その後、二人の姉妹は、母を失った悲しみのあまり、父の舎
人のいる家にも帰らないで、そのまま母の天女に恋い焦がれながら、楽器を演奏した打吹山のふもとの
村に住みついて、一生を終えたと伝えています。この打吹山は、今でも倉吉市に美しい山容を見せてい
ますが、その倉吉は、母を失った二人の姉妹、お倉とお吉の名前から付いた地名だと言われています。
これで終わります。これで終わりますが、後、二分しかないですね。この二つの伝説、前者が伯耆民
談記という書物の中にある伝説です。後者はどうかと言いますと、これは口承文芸、口で語られ耳で聞
く。それが何代も何代も続いて残ったものなんですね。そして、光村吉司さんが語ったテープを読みま
すと、ここにはちゃんと口承文芸の特徴が残っている訳なんです。
最後に、昔こっぽり、或いはその昔こっぽり、ひいごの巣、あけてみたら田舎のことで土くさかった
と述べております。これは、完全に昔話なんですね。打吹山は、実際に倉吉に存在する山です。ですか
ら、題名の中の打吹山は、すぐ我々は思い出すことができます。行ってみることだってできます。こち
らの打吹山を天女伝説の中に入れているにもかかわらず、その述べ方は完全に昔話なんです。また、そ
の題名を天人女房と言っているんです。これも打吹山の天人女房、昔話のネーミングなんですね。です
から、伝説はその年、その年にあるものを、具体的に見ることができるものを、写真に撮れるようなも
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のを話の中に入れているのが伝説なんです。ですから、打吹山の天人女房は、昔話と伝説の口承文芸に
関わるあいのこのような話になっている訳なんです。こういう話が、実は鳥取県にぽっかり生まれてき
た訳ではありません。これは、世界の各国にある、いわゆる羽衣伝説である訳なんです。日本では羽衣
伝説、外国では実は羽衣と言う前に天女伝説。いやいや、白鳥伝説、白鳥姫伝説という訳なんですね。
ですからその白鳥姫伝説が、世界各国にあるんです。もちろん、この後、中国の敦煌の絵などが出てく
る予定になっているはずなんですが、山﨑先生ですかね。中国にたくさんあるんです。そして、東南ア
ジアにもあるんです。インドにもあるんです。ロシアにもあるんです。西洋でも、もちろん日本でも、
幅広く伝承されているんです。あまりにも広範に伝承されているので、これをワールドワイドストーリ
ー、皆さんはワールドワイドウェブの方がきっと関心があるでしょう。これはストーリーなんですね。
そのため、伝承されていないところを探した方が早いくらいであります。現在、白鳥姫伝説が伝承され
ていないところはどこですか。私も色々調べてみましたが、ないところは豪州、つまりオーストラリア
ですね。それぐらいなんです。後は、各国、各民族に古くから伝わっているんです。そしてそれは、我々
の身近なところにもあるんです。どういうところが身近ですか。もちろん、東郷池に舞い降りた天女の
話、打吹山から昇天した天女の話、そういうもの以外にこういう話があるんですね。この古い伝説を基
にして、チャイコフスキーが白鳥の湖というのを作曲したんです。白鳥の湖ね。この白鳥の湖の組曲を
聞いたり、見たりした人は、本当に胸打たれる訳なんです。実は、これをロシア人のチャイコフスキー
がいきなり作ったものではありません。それはまず、ゲルマン民族に伝わっていたこの話、それをゲー
テはドイツ人ですよね。ドイツはゲルマン人民族が非常に多いところなんです。そのゲーテが、「若き
ウェルテルの悩み」などを作ったゲーテが、詩に書いたんです。それをチャイコフスキーが、バレーの
名曲に作曲していったんです。そして、それが白鳥姫伝説であるというのは、ジークフリートとオデッ
ト姫、それが白鳥でありながら、男の方は人間ですよ。女の方は白鳥でありながら、人間のジークフリ
ート王子に恋をする物語になっている訳なんです。
もう時間が本当にありません。でも、折角、私が用意してきた、圧縮して切り詰めてきた話ですので、
一つだけ許してください。それは、西洋の例を今一つ挙げました。今度は、東洋の例を挙げなくてはい
けません。東洋だってたくさんあって、本当に枚挙にいとまがないというのはこのことなんです。東洋
ではやっぱり中国なんですね。その中国にこういう伝説があることを、明治33年に高木敏雄という人
が発見しました。そして、明治33年というと1900年、それは中国東晋代、大体317年から
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420年の間にできた国なんです。その東晋代の書物に載っておりました。漢文で92字でしたかね。
100字足らずのものなんです。今、それを読みますと難しいですから、くだいたものを私が読み上げ
ます。それだけ許してください。そしてもう一つは、捜神記という書物に、同じく東晋代の書物なんで
す。そこにそういう伝説が載っていたんです。これは本当にたいへんな発見なんですよ。そして、それ
を種々研究してみると、大体こういうことが載っております。多少分かりやすく、解説風に述べますと、
現在の中国の江西省である新喩県に住む男が、田の中に六、七人の女がいるのを発見しました。さあ、
湖で見つけた日本の白鳥伝説。こちらは、田んぼの中に六、七人の女がいるのを発見しました。ところ
が、男がよく見ると、鳥であるのか、人間であるのか分からないと書いてあるんですね。そういうんで
すから、日本の下りてきた白鳥、そういう話はあるんですよね。これは、近江の国にあるんです。ほと
んどは八人の天女が降りてきて、その末っ子がある男と結婚する話なんです。ところが、中国のこの話
は、元の姿が鳥であったのかどうか、それはよく分からなかったと言うんです。また、この男は、腹ば
いになって、一人の女の脱ぎ置いた毛衣を取って隠し、自分のものとしました。そのため、他の鳥がそ
れぞれ飛び去ったにもかかわらず、この鳥だけは飛び去ることができず、男がその鳥を妻にしたところ、
三人の女の子が生まれました。後にその母親は、娘を使って父親に質問させ、稲を乾燥させるための稲
積、この辺りではどう言いますか。私の田舎の方ではハッチとか、ハデバとか言う。稲を掛けて干す。
その下に、衣を隠していました。そして、その衣を発見するんです。どうやって発見するか。大体これ
は、子どもが教えるんです。ですから、この伝説で子どもが出てこないと話の筋が展開しないんです。
鳥取県の場合は、二人出ましたね。二人出るのが多いんです。三人出るのも多いんです。どうやって教
えるか。それは色々あるんです。上の子が下の子をおんぶして、体に紐で下の子を結び付けて、昔の人
は皆そうやって妹、弟を育てたんですよ。お母さんは働きに行かなくちゃいけない。田んぼを作ったり、
色々する訳なんです。この中国の場合も、母親は娘たち三人にそれを聞く訳なんですね。そして見つけ
ちゃうんです。そのお母さんは、鳥の毛衣を着ていたお母さんは、人間になって、そしてと言いたいと
ころなんですが、鳥になって飛んで行ったと言われています。ですから、中国では鳥の毛衣を着て、天
女が人界に降りてきたんです。日本ではそれがどうなっているか。中国、韓国、そして、湯梨浜町に伝
わってくるんですよ。そういうルートがあるんです。もちろん、伝わってくるには色々理由があるんで
す。中国にたくさんある鳥の毛衣伝説。後の研究者が躍起になって、それを拾い上げました。
ところが、中国の前にどこがあるか。それは、インドにあるんです。インドはさすがにインダス文明
のすばらしいところなんです。大体紀元前1200年から1000年昔に編集された、もちろん編集さ
れたというのは文字に記録された、リグ・ヴェーダとヴェーダというバラモン教の聖典に書いてある天
女伝説なんです。そしてそれは、羽衣伝説なんですね。羽の衣の伝説なんです。そこから始まって中国
に伝わり、韓国に伝わり、そして、鳥取に来るんです。鳥取は韓国から近いんですよね。ところが、そ
の間に隠岐の島があるんです。島根県の。今、竹島の問題で騒がれている隠岐の島。あれは、私の故郷
でもあるんですけれども、そこを通過していく訳なんです。中国で鳥の毛衣伝説、そして、韓国では木
こりと天女、そういう話になって、だんだん下がってくる訳なんです。そして、隠岐の島では、飯田の
天人女房となって語られ、さらに隠岐から鳥取県に移るんです。
お時間となりましたので、ここで打ち切りにしたいと思います。たいへん失礼いたしました。ありが
とうございました。
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○中本企画課長
どうもありがとうございました。ご講演の途中ではございましたが、お時間の都合により止めさせて
いただきました。すみませんでした。
湯梨浜町に古くから伝わるもの、中部に古くから伝わる羽衣伝説ということで、詳しく教えていただ
きました。
野津さま、貴重なご講演をありがとうございました。今一度、盛大な拍手をお願いいたします。
(拍手)
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パネルディスカッション
テーマ
湯梨浜町の未来へ向けて~天女によるまちづくり~
■コーディネーター
福井
昌平さん
■パ ネ リ ス ト
野津
龍さん
鳥取大学名誉教授
山﨑
宏さん
文星芸術大学講師
三津国
美枝子さん
まちづくり団体代表
宮脇
正道
湯梨浜町長
○中本企画課長
続きまして、パネルディスカッションを始めさせていただきます。
湯梨浜町長をはじめ、パネラーの皆さまにご登壇いただき、東郷湖・未来創造会議のファシリテータ
ーでもございます福井さまにコーディネーターとして加わっていただきながら、「湯梨浜町の未来へ向
けて~天女によるまちづくり~」をテーマにご議論いただきたいと思います。
なお、これからの進行につきましては、福井さまにお願いしたいと思いますので、よろしくお願いし
ます。皆さま、ご登壇お願いします。
〔パネルディスカッション〕
○コーディネーター 福井
昌平さん
それでは、パネルディスカッションを始めさせていただきたいと思います。昨年、湯梨浜町が、東郷
湖・未来創造会議ということで、湯梨浜町の職員と県の中部総合事務所の職員、それから、町民の皆さ
んから公募して参加された方など、四十人ぐらいで東郷湖・未来創造会議というのが一年間行われたん
です。この会場の中にもそのメンバーの方がいらっしゃいますけれども、その時に、故郷の出身者だと
いうことで、総合ファシリテーターをやれということで、計画づくりの介添え役をやらせていただきま
した。そういうことが縁で、ここに座らせていただいています。
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先程の知事さんの講演を聞いていて私は思いましたけれども、すごい芸能プロダクションのオヤジの
ような、すごいコーディネート力だと思いましたね。あんなにたくさんの芸能人の名前、特に、韓国系
の芸能人の名前がスラスラと出てくるんですね。それぐらい鳥取県を全国に、世界にどうやって売って
やるかということを一生懸命考えているんだなと非常に感心いたしました。
それから、先程の野津先生ですね。鳥取大学名誉教授。この一人芝居のような、一人語りというか、
一人芝居というか、もう名優でございました。どうも野津先生、ありがとうございました。一緒にパネ
ルディスカッションに入っていただきまして、ここに書かれているように「湯梨浜町の未来へ向けて~
天女によるまちづくり~」というのをやろうということであります。
チラシの中にも書かれておりますように、湯梨浜町は、特に、東郷湖ですね。東郷湖というのは、こ
れは確か、この春のシンポジウムで、京都大学の田中克先生が森と里と海がつながっている。全部連環
しているんだ。そういうすばらしい場所ですよと。それから、何と言っても、この縄文時代から続いて
いる地形が、自然景観がそのまま残っている。そして、さらに、天女が湯浴みをしたいと言って天から
降りてきた場所だと。今のお話にございましたように。そういう非常に優れた特性を持っていると。こ
れを活かしたまちづくりをしようということになった訳でありますけれども、これを昨年は計画段階で
すから、こういうことがあるな、ああいうことがあるなと色々あった段階ですけれども、もう聞きまし
たところ、既に色々始めているよということなんですね。何と言っても、考えることよりもやることの
方がたいへんなんです。始める活動、そういうものを今、どんなところにあるのかなということをお互
いに話し合いながら進めてみたいなと思います。
今、写真を一つ出していただきましたけれども、我が故郷、湯梨浜町の東郷湖ですね。ちょっと変で
すね。普通は、こちら側が上でこちら側が下みたいな、何となくそういう感じで、日本海を大体北の方
に置くのが普通なんですが、若干これは、天女が上から俯瞰をして、どうやって降りて行くかと考えた
時の写真だという具合に思ってください。嘘です。実は、この写真は、ちょっと次を出してください。
これをちょっと見てもらいたかったからなんですね。
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これは、今から750年前の鎌倉の中期、今、平清盛を皆さん見ていますが、平氏が終わって源氏に
なって、鎌倉幕府が開かれるんですが、その鎌倉の中期、今から750年前の東郷荘の絵図なんですね。
これは国宝です。今は東京大学の史料編纂部の中にあるんですが、これがちょうどこういうふうに描か
れているんですね。普通は北が上で、南が下の方になるのが普通なんですが、これは当時の絵図を見ま
すと、こちら側に多くの集落がありますね。それも本格的な集落。こちらの方はどちらかと言うと、ち
ょっと仮設住宅的なものの方が多いんですよ。ということは、しっかりした村がこちら側にあって、そ
して、そこから領地と言いますか、東郷荘を描いた絵図なんですね。鎌倉の中期の絵図なんですけれど
も、すごいんですよ、これ。もう一回、最初の写真を見せていただけますか。これが今の地図です。こ
れは要するに、橋津川が河川改修をしていますから、ちょっと蛇行した跡が残っていますけどね。
今の地図にもう一回戻れますか。本当に、今の東郷湖というものとその周辺の自然景観というものは、
そんなに変わっていないんですよ。これは、すごいことなんですね。田中角栄という人がいて、日本国
土改造計画という、日本中色々と改造された訳でございますけれども、非常にこの人里、人がたくさん
いる場所でありながら、あんまり景観が変わっていない。ちょっと見ていきますか。一ノ宮がここです
ね。先程出ていた倭文神社がありますね。ちょっと上の方に上がってみますか。野方、別所ですね。そ
れから、長和田もよく分かりますね。それから、長江ですね。ここに耳江というのがありましたね。こ
こに、すごい別れの一本杉のような巨大な巨木が領地を分けているというのが分かりますね。ちょうど
この長瀬の辺りですね。ここに伯井田(ははいだ)
、ははいだと読むんです。万葉語で言うとははいだ。
どうもこの伯井田(ははいだ)が、羽合(はわい)になったというふうに言語学者は言っていますね。
だから、羽合というものの語源というのは、この辺りにも出ていますね。橋津川の方に行ってみると、
これは今、蛇行しているところですね。今、南谷のところに残っていますね。それから、馬ノ山の方に
来てみますと、本当に馬がいるんです。鎌倉の中期には、もう馬ノ山というのは馬の放牧場だったとい
うことが分かりますね。だから馬ノ山。昔は、古代の古墳があるところですけれども、こちらには宇野
もありますね。もう少し港の方に戻ってくると、湊神社がありますね。海の方をもう少し見ていきます
か。船がありますね。要するに、もう日本海航路と言いますかね。そういうものがあったということで
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す。ちょっと東郷湖の中をもう一度見てみましょうか。船がありますね。これは、渡しをやっているん
でしょうかね。二人で漕いでいますから、結構これは渡しですね。それから、右側の方にもうちょっと
船がありますね。これは、どうもシジミを獲っているような感じがしますね。今とそんなに変わらない。
今でもこの辺りでシジミを獲っていますよね。私も小さい時に、この辺りでシジミを獲ったような気が
しますけれども。今日、私の兄貴が来ていますけども、大体この辺りにシジミがいましたね。頷いてい
ますから大体間違いありませんが、今から60年ほど前でございますけれども。
東郷湖というのは、これは学説によりますと、縄文時代の縄文海進というか、今よりも水位が高くな
って、天神川とそれから日本海の増給運動の戦いの中でできた自然地形で、おそらくこの形を今、何十
兆円投入してもできない。それぐらい貴重な資源というふうに思う訳であります。ここを舞台に、先程
野津先生のお話がございました。そういうことで、今、偶々750年前の絵図をお見せいたしましたけ
れども、そんなに変わっていない。その変わっていない中に、多くのアイデアが今、生まれつつある訳
でありまして、ここが湯梨浜町の非常におもしろいところというふうに思います。
まず、今日の午前中、天女のぬり絵を指導していただきました山﨑先生に、先程野津先生の方からお
話のあった天女の絵画的なというか、アートとしての価値といいますか、歴史といいますか、そういう
ことについてちょっと先におうかがいして、それから、お話に入っていってみたいと思います。それで
は山﨑先生、お願いいたします。
○文星芸術大学講師 山﨑
宏さん
どうもこんにちは。山﨑と申します。私は日本画が専門なんですけれども、そういった立場から、飛
天の歴史と、それから、アジアの飛天がどのように変化していくかということを十分ほどで簡単なんで
すが、話をさせていただきたいと思います。
アジア地域にみる飛天の諸相ということでお話をしたいと思います。これは、丁寧にお話をしていま
すと一時間かかってしまいますので、早口になってしまいますが、簡単にお話したいと思います。
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そもそも、今回のシンポジウムが天女と出ていますが、飛天と天女がどう違うのか。天女はいるけれ
ども、天男はいないのか。その辺りのことも少し交えながら、お話をしたいと思います。
そもそも、飛天がいつ、どこで生まれたかということなんですが、やっぱり探ってみますとインドに
なる訳ですね。しかも、紀元前の二世紀まで遡ります。仏像を作りだしたのが二世紀ですから、その
400年前からいます。ここに飛んでいるのが飛天のルーツですね。名前をガンダルヴァという、イン
ドの神話に出てくる神様なんですね。ですけれども、形は男性でして、当時は羽衣も羽も生えていない。
ピョン、ピョンと飛んでいるような、そういう姿で作られています。ここに出ていますけれども、イン
ドの神々が飲むお酒を守る神というふうになっていますから、お酒を飲んで、酔っ払って飛んでいるか
もしれません。分かりませんけれども、そういう形で飛んでいると。仏像を作りだすと、まさにこのよ
うに、仏像の上に描かれるという格好ですね。セットになってくる訳です。これがガンダルヴァですね。
当初は男性像だけだったんですが、やがて女性像も含まれてきます。そして、その頃から羽衣が表れて
くる訳です。これは、六世紀から七世紀に作られたものですね。
仏像はインドで作られましたけども、二世紀ですね。中央にあるマトゥラーという場所と北西のガン
ダーラと、とても有名ですが、その二箇所でほとんど同時期に作られ出したんですね。しかし、その二
つの場所で作られた飛天の姿というのは、全く違っていきます。どう違うかと言うと、これは、インド
の中央部マトゥラーで作られた仏像の上に彫られた飛天ですね。先程の跳躍している像に羽衣を付けて
いる感じです。まさに、羽衣を付けた状態がマトゥラーで作られてきた訳です。一方、ガンダーラの方
では、これは二世紀なんですが、こういうふうに羽が生えています。同じインドでも、マトゥラーとガ
ンダーラでは全く違ってくる。どうもガンダーラの方は、今のキューピット、西洋のキューピットのよ
うな感じに近いものになってくる訳ですね。これもそうですね。ガンダーラで作られた飛天ですね。天
使のルーツが飛天ということにもなかなかいかない部分もあるんですが、羽が生えて飛んで行くという
のを、西洋における主体的な主張、意志を持って飛んで行くという主体性になってくるような気がしま
す。一方、東洋の飛天というのは、羽衣をまとっていますから、身を任せると言いますか、その雰囲気、
空気を大事にすると言いますか、客体性を重視すると言いますか、そういう文化思想にも関わってくる
ような、そのぐらいの大きな変化なんじゃないかなというふうに思いますね。
インドの飛天が西域の方に伝わるとどうなるかということなんですが、これはバーミヤンなんですね。
バーミヤンでは、男女のカップルで描かれます。或いは、男性が中心にいて、左右に女性がいる。男天
とか、女天という言葉があるんですが、こういうふうにカップルで描かれるというのが、バーミヤンの
飛天の特徴です。これは、五世紀から六世紀の絵ですね。
バーミヤンの作品は、キジルの方に影響を与えまして、今度、キジルの方では男女の飛天像が描かれ
ているんですが、どうも楽器を手にしている像が多いんですね。楽器を手に持って、音楽を奏でている
ような、そんなようなイメージのものがあります。そして、豪華な飾りを身に付けていると。これは、
六世紀から七世紀の作品で、大分色も豊かで、華やかになっていきます。
これはミーランなんですけども、こうなるとまさに天使、キューピットに近い部分がありますね。目
がはっきり開いているのは、どうもギリシャの技術の影響なんでしょうけれども、しかし、その姿とい
うのは、やっぱりギリシャとも違うし、中国、日本、インドとも違う。西域独特の雰囲気があると思い
ます。
これはクチャの飛天ですね。骨を入れる舎利の容器なんですけども、少し画像が荒いんですが、そこ
に小さく出ていますけども、羽が生えていて、そして、前髪ともみあげが剃り残されている。これが、
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中国の唐子に非常に似ている感じがするんですが、それぞれ微妙に絵柄が違ってくる訳ですね。もう、
完全にこうなってくると、中国、インドとは違ってくるような感じがしますね。
さて、この西域の作品が、今度、中国の方に影響を与え
ていくんですが、最も中国で古いとされている飛天の像は、
五世紀の作品です。これは、北涼の時代なんですが、非常
に太い隈取りの飛天でして、骨太と言いますか、がっちり
した感じがします。ただ、上半身が裸で、飾りを身に付け
ているというのは、西域の影響を受けているというふうに
言えると思います。当時、この頃はまだ、雲が描かれてい
ないんですね。ある時から雲が描かれ出すんです。
この西魏の時代の飛天というのが、敦煌莫高窟の中で一
番美しいとされているものですね。午前中のぬり絵の中に
も、ちょっとこれに似た絵柄のものをぬられた方がいらっ
しゃるかもしれませんが、非常にスピーディーと言います
か、霊的で、超越的で、少し人間離れしているような、独
特な細身の動きのある作品です。この時代というのは、人
間の肌を見せてはいけないという、そういう中国の文化的
な背景がありますので、足元も裳で隠して、足元は描いていませんし、上半身もほとんど衣で身をまと
っています。ですから、国の文化背景によって、飛天の姿も微妙に変わってくる訳ですね。この北魏の
あたりから、裸体を隠す傾向にあるというようなことですね。
ちなみにこれは、風神、雷神です。日本でもたくさんありますが、やっぱりルーツは中国にある訳で
して、この西魏の時代に風神、風袋をとっているというのは、どうも飛天の羽衣の変形のように見えて
きて、風神のルーツはひょっとしたら飛天かもしれないとちらっと思っているんですが、はっきりまだ
分かりません。下の方では、異様に太鼓をたくさん持っている雷神がいて、コミカルな感じですね。こ
れは六世紀です。
これは、中国・隋の時代の飛天ですね。こうなってくると、もう段々と今の日本の飛天に近寄ってく
るような、そういう感じがしますね。
これが初唐の飛天でして、実はこの姿と非常に近いものが、法隆寺金堂の壁に描いてあります。です
から、この頃のイメージが日本人の心を捉え、この絵柄と非常に似たものが日本に入ってきている訳で
すね。唐になりますと、非常に国際的な交流が盛んになりますので、大分華やかになってきまして、開
放的になりますので、飛天も衣を脱ぎ始めます。こういうふうに、上半身は衣をまとっていない訳です
ね。
中唐ですね。こうなると少しずつ写実的になってきます。だんだんとこうリアルになってくる。これ
は八世紀ですね。
これは盛唐です。まさに写実が極まった状態です。肉体のボリューム感だとか、それから、雲の描写
がたくさんありますね。写実的になってくると、ただ壁に飛天を描くだけではどうしても違和感がある
ものですから、その飛天が乗っかるような雲でないとやっぱりいけないという訳で、だんだんと飛天に
ボリューム感が付くに従って、雲も重厚感が出てきます。そして、さらに雲が飛天に近寄って行って、
雲の上に飛天が乗っているようになってくる訳ですね。これが、写実の最も際立った時代ですね。です
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から、スッと流れるような雲から、こういうふうにモクモクとした雲になっていきます。ちなみに、雲
が出てくるのが、北魏の時代から雲が描き始められます。
これは元の飛天ですね。本当にもうふくよかな、何と言いますか、西魏のスッとした飛天とは全く違
う、そして雲も、今のマンガやアニメに共通するような、非常にマンガチックな雲になっていきますね。
これが十三世紀から十四世紀の作品です。
ちなみに、朝鮮はどうかと言いますと、高句麗に仏教が入ってきたのが四世紀なんですね。ですから、
そのころからこういう飛天が出てきます。しかし、中国、朝鮮、日本というのは、基本的に先程お話し
たように、天女、女性が多いんですね。何故かと言いますと、中国には仙人というのがいるんです。仙
人というのは、男が多いんですね。ですから、おそらく中国人は、仙人と区別するために、やはり飛天
は女性であった方がいいというふうに思った形跡があります。インドでは男女がいますし、西域にも男
女がいますが、中国では、男と言えば仙人、女性は飛天。ですから、天女ということが言える訳ですね。
朝鮮でもやっぱりそういう傾向がありまして、だんだんと仙人と飛天が融合していく形跡があります。
そうなると、天女ということになってくる訳ですね。ちなみに、三津国さんが頭に今、髪の毛を二つ重
ねていますが、古代の中国の仙人像というのがありまして、耳が大きいんですね。頭より出っ張るぐら
い耳が大きいんです。この二つの大きな突起を髪の毛の形で表現したものが仙人なんです。ですから、
二つかたまりがあるのが仙人の証拠なんですね。ですから、仙人が羽衣をまとうと天女になる訳です。
これは高句麗の、飛天と書いてある本と仙女、仙人の女性と書く本とがあって、微妙なところでなかな
か区別が付かないんですが、しかし、上体が起きている、そして、やっぱり身を任せていないと言いま
すか、ちょっと主体的なポーズをとっている、そういうところで仙人の仲間に入れてもいいかもしれま
せん。ちなみに、仙人というのは、白い鶴に乗ってきたり、龍に乗ってきたり、そういう乗り物と言い
ますか、生き物に乗ってくる場合が多いですね。
これが、日本に入ってきた最初の飛天の像です。これは、法隆寺金堂の小壁なんですけども、大体左
手に華盤を持って、華盤というのは散華する花を入れる器ですね。右手で花びらを舞って、右足は伸ば
し、左膝は曲げるという、こういう一つの型があります。
これは、鎌倉時代の飛天として有名な法界寺の飛天なんですが、非常に描写が優れているんですが、
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やっぱりどこか主体的に飛んで行くというよりは、身を任せているような、地面すれすれに浮いている
ような、そういう印象も受けます。
これが最後なんですが、近世に近寄っていけばいくほど飛天像というのは大衆化しますから、非常に
俗っぽくなっていく訳ですが、この近代の有名な村上華岳という日本画家が描いた飛天というのは、も
う一度、霊的な、誠実性の高い作品を描いているということで非常に有名なんですね。
私は、飛天、天女を考えていく時に思うことが一つだけあって、それでお話を終わりにしたいんです
が、インドで生まれた飛天と、中国で生まれた仙人がまず融合しているということがあります。しかし、
仙人というのは神仙思想から生まれていまして、山が非常に大事なんですね。ですから、飛天と仙人だ
けではなくて、山岳信仰もあるだろうと。山岳信仰というのは蛇信仰とセットですから、蛇の信仰も裏
側にあるんじゃないかと思っています。天女が水辺で水浴びをして、羽衣を置くというのは、おそらく
蛇が水辺で脱皮をして、脱皮をして脱いだ抜け殻を側に置く。そういうモチーフがきっとあるんじゃな
いかと。そういうふうに思って、今、調べているところです。ちょっと時間をオーバーしましたけれど
も、以上で終わります。
○コーディネーター 福井
昌平さん
どうもありがとうございました。先程見せ
ていただいた元の時代の飛天さんは、何かお
相撲さんみたいですね。なかなか一貫的な感
じがいたしますけれども、野津先生、ちょっ
と今の山﨑さんのお話、この絵画史的な流れ
みたいなものでね。私もやっぱり日本に入っ
てきた飛天というのは、すごい消化されて、
すごいチャーミングになっていると思うん
ですけれども、どうですか。
○鳥取大学名誉教授 野津
龍さん
本当に、たいへんすばらしい写真、元は絵ですね。これを見せていただいて、私、なんか胸が震える
みたいなんです。実は、そういう飛天が、鳥取県の倉吉の打吹山長谷寺に描いてあるんですね。どこに
描いてあるかということは、なかなか住職さんはおっしゃってくださらないんですが、元は厨子に描い
てあったと言われておりますね。それが天女になってしまって、釣り鐘に今でも行けば、もう薄らとし
ているんですが、天女があるんです。そういうことを考えると、やっぱりインダス文明、中国文明、敦
煌の絵画、ずっと流れてやがて日本に入ってくるんだと分かりますよね。私は、ストーリーの方からず
っと行くんですけれども、先程話足らずになって、極めて欲求不満になっちゃったんですけれども、白
鳥伝説が、白鳥姫伝説が、鳥であって、羽があって、それはもちろんこの飛天に通じる訳なんです。で
も、日本に入ってきた羽衣伝説は、白鳥のことをはっきり書いているのは近江の国、琵琶湖のすぐ北に
あるところの小さい、周囲が6.4kmの余呉湖という余呉の湖にあるんです。ここが一箇所だけ、何
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十、何百とある天女伝説。そこに、白鳥を生で出してくるのはここ一箇所なんです。後は全部、天女な
んですよね。天女なんです。
そしてそれは、羽衣を脱いだり、そしてまた、着たりする天女なんです。天女はなるほど、女性なん
です。色々名前は付いておりますが、一言で言うと天女なんです。それは、着るものが天の羽衣なんで
す。そして、女性なんですよね。皆さん、こういうことをご存知ですか。日本では、男性がこの羽衣を、
天の羽衣を着るんですよ。学生に対して質問するような言い方でたいへん失礼なんですが、この方が何
人も何人もいらっしゃるんです。どなたですか。誰ですか。それは天皇陛下なんです。天皇陛下が一生
に一度だけ着る天の羽衣というものがあります。いつ着るか。それは、大嘗祭というお祭りで着るんで
す。天皇が天皇になった時に初めて、そしてそれっきり最後まで着ないんです。死ぬまで着ないんです。
一回だけ着るんです。一世一代の晴れ衣なんです。どこで着るか。大嘗祭の祭典というのは、最初に十
も二十もある社殿がいっぱい造られます。その最初のところに廻立殿(かいりゅうでん)というところ
があるんです。そこでみそぎをなさるんです。そして、悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)と、
そこで天皇様が、天照大神以来の歴代の御霊を身体の中に入れる秘密の神事が行われるんです。今の今
上天皇(きんじょうてんのう)もやりました。大正天皇もやりました。明治天皇もやりました。もちろ
ん、昭和天皇もやりました。歴代やっていない天皇も何人かおりますけれども、第85代仲恭天皇(ち
ゅうきょうてんのう)という方は、それをやらなかったがために、天皇になれなかったんです。噂では
半帝と言われたと。半分の帝(みかど)だと。即位式はやったけれども、その天の羽衣を着ないからな
んです。天皇の霊を身体の中に入れないからなんです。そうやって初めて、真の天皇になる儀式が大嘗
祭なんです。では、いつそれを着るか。それを被るか。それは、先程の廻立殿でそれを着るんです。廻
立殿はみそぎをする殿社なんです。そこに、皇太子からもう半分は天皇になっている天皇がまず着るの
が、天の羽衣なんです。天の羽衣を着て、そして、お湯の中に浸かるんです。お湯の中に浸かって、み
そぎというのは水じゃないですか。それをお湯の中に浸かるんです。私の大学の先輩の学者は、何故か
と言うと、天皇陛下が生まれるたびに天の羽衣を着る、それは、産湯を使うからぬるま湯に入るんだと。
そう言って説明しましたね。
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その話は、天皇陛下が天皇になる時でしょ。そうやって天の羽衣は、羽衣伝説の天女が着るよりも男
性の天皇が一生に一度、125代ですか、今は。そういう習俗、民俗であったということを知らなくて
はいけないかと思うんです。どうも失礼いたしました。
○コーディネーター 福井
昌平さん
ありがとうございました。インドから始まって、悠久の旅をして日本に入ってきて、結局、飛天さん、
羽衣さん、皆大好きなんですけれども、そういう背景があったんですね。天皇陛下が羽衣をまとうとい
うのは、何か身が引き締まりましたね。そういう身が引き締まった後に、この天女さんを活用してまち
づくりをやろうという町長さんに、どういうまちづくりにするのかという決意表明をしていただきたい
と思うんですけれども、よろしいでしょうか。それでは、よろしくお願いいたします。
○湯梨浜町長 宮脇 正道
どうも。身を引き締めないといけない、運動をもう少しして、食事を制限しなければいけない宮脇で
ございます。今日は、冒頭より十五分ほど時間をいただいていたんですが、若干押し加減かなとも思い
ますので。
(大丈夫です)私の思いなりを申し上げたいと思います。
天女の降る里づくりというのを何故考えついたかということであります。これまでの取り組みとして、
合併以来、もちろん、町民の皆さんの融和ですとか、或いは行政改革を進めたり、健康づくりをどうす
るか、或いは子育てに力を入れてやろうとか、色々なことをやってきた訳なんですけれども、その中の
一つの要素として、素材を生かし、特徴を生かすということにも取り組んできたつもりです。また、住
民の皆さんとの協働、それによって町をつくろうと、足腰の強い町にしようという思いでやってきたと
ころでございます。
素材を生かすという点では、例えばグラウンド・ゴルフの発祥地ですから、子どもたちのグラウンド・
ゴルフ大会を文部科学省の指定を受けて実施したりとか、或いは特徴を生かすという面では、廃校にな
った小学校校舎を工芸品工房にしたりですとか、或いはセンコースクールファームをつくったりですと
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か、色々な形での活用をしてきたということがございます。住民との協働という点では、一番大きなの
はやっぱり、東郷湖活性化プロジェクトだと思います。その中で、色々な取り組みが生まれました。ア
ダプトプログラムもそうですし、一斉清掃もそうですし、そういう清掃関係だけではなくて、他の分野
でも取り組みが生まれてきたところです。トライアスロン大会の東郷池を活用した実施もこの活性化プ
ロジェクトの中から生まれました。東郷池の環境をベースにしたまちづくりをしようということでやっ
たものでございます。そういうことをやってきたんですが、皆さんがよくご承知のとおり、湯梨浜町は、
野球で言いますと二割七分程度打てるバッターはたくさん素材としてありますし、います。けれども、
王や長嶋のようなスター選手、イチローのような高率の打率を誇る選手というのはいない。そういう中
で、湯梨浜町を今後どうしていくかということを考えた時に、ある一定のモチーフの基に、皆が共通な
認識を深めて、それに沿ったまちづくりをやって、主張なりをしていこうということでございます。
情報発信と町民のアイデンティティ強化と書いていますが、アイデンティティというのは、統一とか、
そういった意味で使わせていただいています。町民の方が「あんたどこから来なった?」と言われた時
に、旧町をまたがる人が聞かれた時に、いつまでも「私は泊だで」
「羽合だで」
「東郷だで」ということ
ではいけないんじゃないかと。
「あんたどこから来なった?」
「私は橋津だに」
「私は国信だに」
「私は石
脇だに」と、そうやった町に早くしたいなという思いもあって、アイデンティティという言葉を使いま
した。そういうことで、魅力アップ、地域活性化を図っていこうということでございます。
それで、何故天女かということです。今日、私は二つのことをお話したいと思います。一つは、何故
天女かということ、もう一つは、一体何をするのかということです。何故天女かということは、今日の
あいさつの中でも申し上げましたように、そこの部分で皆の思いが一致していないと生かせれない。天
女なんて人を呼ぶための道具だということではないんです。実は、天女の持つ優しさなり、美しさなり
が、私たちの色々な分野での活動に生かすことができると。そういう思いもありまして、天女を選んだ
ということです。その理由は、一つは、伯耆の国の羽衣天女伝説がございますし、活かしうる素材の存
在ということがございます。時期的に、ある意味チャンスだということもございます。
伯耆の国の羽衣天女伝説につきましては、先程野津先生の方から詳しくお話をいただきましたので省
略させていただきますが、土地の名前の中に、この羽衣石という名前もそうですし、天女が何々した池
とか、岩とか、羽衣岩ですか、そういったものがきちんと現在でも存在しているということは、やっぱ
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りこれは大きな要素です。少なくとも、今になっての作り話ではない。昔からそうやって言い伝えられ
て、その場所があったということでございますから、それが当然のこととしてございます。
それから、歴史上の天女たちとして挙げ得るのが、下照姫命のお話がございます。大国主命の娘さん
が、この町にいたということでございます。それから、敬虔なお姫様ということで、九品山(くほんさ
ん)大伝寺に祭られております中将姫(ちゅうじょうひめ)がございます。ご本尊と言いますか、大も
とは、当麻寺(たいまでら)という奈良県のお寺さんのようですけれども、こういう歴史上天女と言う
べき人たちが湯梨浜に存在していたということがございます。
それから、現代に生きる多くの天女たちということで挙げさせていただきました。町民ミュージカル、
今年が六回目になりますけども、町民の皆さんが本当に汗をかいて、頑張ってやっていただいておりま
す。今年も12月2日に、このハワイアロハホールで開催されることになっております。それから、こ
れはワイワイカンパニーの活動の一環なんですけれども、後でまた三津国さんからワイワイカンパニー
の活動についてお話しいただけると思いますけれども、これは三八市という東郷地域の松崎の駅前の通
りで三と八の付く日に市をして、昔の賑やかさを取り戻そうと。それに、新しい要素も取り入れてやっ
ているということがございます。それから、加工グループで活躍する女性たちもいます。それから、こ
の会場で行いますハワイアンフェスティバルというイベント、今現在、町内にも三つのフラグループが
あって活躍しておられます。この間、役場の職員もフラグループに入って、新たな活動に加わるという
ようなことも聞いております。そういう天女たちが湯梨浜にはいらっしゃいます。まだ紹介しきれてい
ないたくさんの天女がいらっしゃるんですけれども、代表例で挙げさせていただきました。
それと、活かしうる素材の存在の中で、東郷湖周の美しい景観、改めて申すまでもありませんが、山
陰八景の一つ、鶴の池とも称される美しい池を有しているということがあります。それから、東郷湖羽
合臨海公園、これはもう、今だったらとても県はこのような公園を造れません。昭和三十年代の、これ
から日本が上昇していくその時世に、県が着手して造ってくれたものです。こういうものも備えている
と。皆さんご承知の通り、韓国のドラマアテナの撮影の舞台にもなったところでございます。それから、
白砂青松の美しい海岸、砂浜を有しているということで、これは、潮風の丘とまりから見た石脇海岸の
景色です。それから、3つの全国百選というものを持っております。一つが、この石脇海水浴場。快水
浴場百選、水浴場88選にも選ばれております。それから、宇野の地蔵ダキがございます。平成の名水
百選に選ばれております。それから、朝日新聞が実施したにほんの里100選というのに、別所・国信
地区が選ばれております。これは、里山を本当にいい状態で維持していることがその受賞理由でござい
ます。このように、美しい景観なりを持った湯梨浜ということです。天女が出てくるにふさわしい景観
を持っているということがございます。
先程、福井先生からお話しいただきました伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図、これも大きな存在でご
ざいます。先程申し上げました一ノ宮さんのほかに、古墳も西日本最大級のものとか、或いは重要文化
財の埴輪が出た古墳とか、色々ある訳なんですけれども、中国庭園の燕趙園がございます。本格的な中
国庭園ということで、国内屈指の規模を誇るものだということでございます。
それから、豊富な果実等、二十世紀梨をはじめ、ピオーネブドウですとか、章姫イチゴ、クレオパト
ラメロン、東郷池のシジミなど、女性がたいへん大好きなスイーツに使われる素材、そのものとしても
恵まれた果物を持っているということでございます。
三番目に挙げました、時期的にチャンスであるということでございます。一つは、多くの人が集まる
町であるということでございます。ハワイトライアスロン大会を始めまして、東郷池を泳いで、自転車
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で走って、そして、最後はランニングをするというようなこと、なかなか思い付けないと言いますか、
そこまでできるのかという心配もあったんですが、参加される方たちは非常にいい環境の下でできる大
会だと。住民の温かい気持ちもありがたいというようなことをうかがっております。それから、東郷運
動公園の多目的広場、これを人工芝に替えました。totoの助成金などを使ったりして、景観照明や
クラブハウス、左側に見えますけども、そういうものを整備しました。年間の利用者が五、六千人ぐら
いだったでしょうか。それが今はもう三万人という規模になっております。年中、人工芝にしたことに
よって、子どもたちが来て、色々な大会ができるということが近年始まったことの一つでございます。
それから、先程申しました東郷湖活性化プロジェクトの
中で、環境面での住民の皆さんの取り組みも盛んになって
きています。美しい東郷湖を守る。そのための取り組みで
ございます。アダプトプログラムと言いますが、里親制度
ということです。右側に掲げてあるような看板を行政が掲
げます。ここは誰々さんが守しておられますよと明記する。
守される方たちは、これを表記してもらって、自分たちで
そこの手入れをしていくという活動が、将来的にはこれが
池の大半、この活動で覆われることを願っているところで
ございます。それから、ウオーキング。これは、NPO未
来さんがされますウオーキング大会で、韓国の人たちから
もたいへんいいコースだということで評価を得ているとい
うようなことがございます。先だって、ノルディックウオ
ーク学会の初めての学会が、この湯梨浜町の水明荘で行わ
れました。ノルディックウオークというスポーツを、湯梨浜町をノルディックウオークのメッカにしよ
れ
うというような思いもございます。これは、そういった意味で、人を入れ込むことではなくて、住民の
皆さんの健康を守るという上からでも、たいへん貴重なスポーツであろうというふうに思っております。
そのため、町の方でも、指導員の養成講座などで、今年既に十人の指導員を養成いたしました。皆が健
康のために、湖周を歩いたりするような環境を作れればと思っています。
それから、個性的な店舗の開業ということで、東郷池のちょうど対面と言いますか、12kmあれば
6kmごとみたいな感じで、ぱにーにというパン屋さん、池を見ながら足湯に浸かって、パンやパスタ
の食べれるお店。それからもう一つは、よりウオーキングに密着したウオーキングカフェという名前で
ございますけれども、ippoというカフェがオープンいたしました。ここは、もう一つは地元の素材
を使って、地元の素材を提供して楽しんでいただくカフェになっております。それと、ウオーキング関
係のものを販売していただいたり、或いは情報発信といったことも行っていただくことになっておりま
す。このようなものができたと。今年になってから開店したということもございます。
それから、国際まんが博が今年ありました。アニソン祭りのことを知事さんが話されましたが、ちょ
うどイメージキャラクターの募集も、このまんが博に絡めて我が町が展開した事柄の一つです。それか
ら、来年は都市緑化フェアがございます。メイン会場であります湖山池のほとり、湯梨浜町のこの東郷
湖羽合臨海公園、或いは燕趙園も、とっとり花回廊とともにサテライト会場として展開されることにな
っております。
それから、これはもう一つ大きな話なんですが、男女共同参画の推進について、昨年あたりから少し
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本腰を入れて取り組んでおります。色々な分野で男女共同参画を推進していくことが、町の元気の基に
もなるというような思いがあって、その点からも天女はふさわしいだろうというようなことでございま
す。
それでは、何をするのということです。イメージキャラクターの活用、天女にちなんだイベントの開
催、ウオーキングリゾートとしての整備、森・里・海連環の推進、オリジナル商品の開発、これらをや
っていきたいなと思っております。
イメージキャラクターの活用の面では、明るい湯梨浜町のイメージの全国発信ということで、こうい
う印刷物ですとか、封筒とかに全部、まだ名前が付いていませんけれども、素敵な名前が付いたキャラ
クターを使おうということでございます。それから、これは自動販売機、コカコーラの自動販売機です
が、そこの左側に書いてあります。湯梨浜と書いてあります。正面のところ、少し見にくいですが、一
番右側がフラダンス、真ん中は恐竜がグラウンド・ゴルフをしているところ、左側が浪人踊、それらの
絵が描いてあります。そういったところにも、イメージキャラクターが活用できる。バスの後ろにも活
用できるというようなことがございます。それから、マンホール蓋。色々なものに活用できます。それ
から、情報発信の一環として、今回、トリンドル玲奈さんに特別住民になっていただきまして、ポスタ
ーですとか、或いは今日お配りしたクリアファイルですとか、シールですとか、ここに付けております
缶バッチですとか、色々なものを作りました。これは序の口ですけれども、こういうことにも使いたい
と思っております。それから、駅の、これは松崎駅のホームの中のものなんですけども、これを少し変
えて、もっと魅力あるものにしたいと思っております。これは、実は東郷梨選果場が作ったチラシでご
ざいます。進物の梨の箱にこのチラシを入れて、裏に東郷梨選果場をPRしているということでござい
ます。トリンドルさんに引っかけて、湯梨浜の農産物も一緒にPRしているというところがミソでござ
います。
それから、天女サミットを開催したいと思っております。先だって、長浜市にも行ってきました。余
呉町というところで、天女のことを一生懸命やっていた町がありまして、そこをちょっと覗いてみまし
た。東郷池の半分ぐらいの、周囲が6kmの池でして、駅では五百円で自転車を貸しておりました。そ
れでずっと見て回ってくださいというようなことでございました。それから、天女コスプレも考えられ
ます。天女体験、これは、ミュージカルの時の天女の役の方の服装ですけれども、燕趙園で中国の服を
着たりということもございますが、そうした天女体験みたいなこともあり得るなと。それから、天女凧
揚げ大会。ちょっと凧が魅力的に映っていないのが残念ですけれども、これはさくら工芸品工房でやっ
たものでございます。
それから、ウオーキングリゾートとしての整備という点では、ウオーキングマップの作成、ウオーキ
ング、ノルディックウオークの推進。それから、歩道の整備。これは藤津の桜並木のところですが、こ
こに歩道を付けていただくことで、今、県の方が設計をしておられます。桜をなるべく残してほしいと
言っているんですが、若干切らなければならないかもしれません。それから、モニュメントの設置とい
うことで、先程申し上げましたような三人の湯梨浜の天女と言える聖女たちの像を、景観とマッチした
ような形で作りたい。これが、今は長浜市ですが、余呉町のモニュメントでございます。それから、花
木の植樹。池の周りをそういうふうにゾーニングしてやりたいということです。きれいな出雲山展望台。
ここに休憩施設を整備したりということもあります。それから、ippoの側、南谷ですが、これはも
う今、使っておりませんので、こういう形でちょうどあるので、足湯にしたらどうかということも、今、
県に提案しています。
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それから、森・里・海連環の関係では、森の学校。これは、この間のリレー植樹の時の写真でござい
ます。それから、森は海の恋人活動。研修や実践活動をやろうということです。
地元の農産物を活用した商品。この梨バームクーヘンは、ぱにーにで新たに作られたものでございま
す。一個千五百円、二十世紀梨が丸ごと入っていて、年中販売されるという予定になっております。そ
れから、湯梨浜の四季がございます。
これはもう、三津国さんが多分作ってくれたんだろうと思いますけども、シジミを使った天女です。
たいへん韓国の人にも評判が良かったとうかがっています。
それから、天女伝説を発刊したいと思っております。公共施設の名称や橋の名称にも使ったらどうか。
例えば、中村橋というのを架け替えしたんですが、羽衣石の上の橋でございまして、これに天女口橋と
か、そういう名前にしたらどうかなということで、今、名前を付けずに完成したまま、中村橋のままで、
橋名板を付けずにいます。東郷運動公園も例えば、飛天スポーツパークですとか、テニスコートは天女
コートですとか、そういったことで名称を付けるのもいいのかなと思っております。
このようなことを考えている訳ですが、これが全てではなくて、実はもっと色々な分野にあると。そ
のことは、住民の皆さんに意見を聞かせていただきながら、共にやって参りたいということを思ってお
ります。この五年間を目途に、一定の成果が出るようなことをやってみたいと思っておりますので、是
非とも皆さんのご協力をお願いします。ありがとうございました。
○コーディネーター 福井
昌平さん
ありがとうございました。施政方針演説のようにだんだんなっておりますけれども、今、町長さんの
お話を私なりに聞いていながら思ったことは、天女がついついこう湯浴みをしたくて、あまりの美しさ
に舞い降りてきたこの湯梨浜町、東郷湖を、今でも天女が空から舞い降りるようなまちづくりをしたい
と、こういうことですよね。その天女とは何かと言うと、私はちょっと極端なことを言うと、女性だと
思うんです。女性が行きたくなる町、働きたくなる町、住みたくなる町、そういう町じゃないかな。じ
ゃあ、男はどうすんだ。男はついて来なさいと。こういう感じなんじゃないかなと思うんですが、その
最先端を行っているのが三津国さんじゃないかなと思うんです。今日、天女コスプレをしていただいて
いるんですけれども、先程三八市の話が出てきましたけども、非常に湯梨浜町で天女をテーマにした形
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のアクションプログラムを進めていらっしゃるんですが、ちょっとそのご紹介を、町長長かったんです
けども十分、短くしないでいいですから、どうぞお話しいただけますでしょうか。
○まちづくり団体代表 三津国 美枝子さん
こんにちは。三津国です。よろしくお願いします。先程のすばらしい話の後に私の話で、ちょっと引
け目を感じますけれど、重複するところもあると思いますけれどお聞きください。
天女は倉吉とのバッティングもありますが、湯梨浜には羽衣石と書いてうえしと読む地名が今も残っ
ている、この地ならではの羽衣伝説が語り継がれています。その昔、天女が舞い降りたであろう山や池、
湯梨浜の自然は天女をも魅了したのでしょう。これから、私の関わっている天女関係の取り組みを何点
かお話させていただきます。
まず、湯梨浜町民ミュージカル。ミュージカルは、三町村合併、湯梨浜町誕生を機に結成、心はひと
つを合言葉に、毎年公演を行っています。先程、平井知事さんからも少しお話をいただきましたが、鳥
取県のとりアート事業にも二回、二年認定をいただきました。たいへんでしたが、何より資金面の助成
は本当に助かりました。毎年の公演では、自然環境への啓発も行っています。この画面は、一昨年前に、
ミュージカルによる東郷池アダプトプログラム清掃の様子です。この時は、トラック一杯のゴミが集ま
りまして、非常に驚きました。その後は残念ながら、人数が多いものですから日程が取れなくてまだし
ておりませんけれど、また続けていきたいと思っております。それから、昨年からは、町の天女による
まちづくりの協働になればと、オリジナル天女物語を二年続けて公演しております。公演以外にも、誰
でも参加できるワークショップ、これはダンスですけれど、各種イベントへの参加、ショートパフォー
マンスみたいなことをしますので、それから、小中学生の公演無料招待も行いました。半年以上の練習
を重ねる子どもから大人までの幅広い年齢層は、次世代を担う青少年の育成へも貢献できると自負して
おります。出演者は、今、公演を控え、一生懸命練習に励んでいます。長期の練習の成果は、たった一
日に集約されます。公の場を借りてではありますが、今年もここハワイアロハホールにおいて、12月
2日、昼と夜の二回公演を行います。美しい天女も待っていますので、どうか皆さん、見に来てくださ
い。
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それから続きまして三八市。先程、町長さんからもお話を少しいただきました。毎年恒例の松崎三八
市は、戦前より農具市として栄え、今に至っています。しかし、今では以前の面影はなく、先細りの状
態でした。実は、この市のど真ん中に生まれ、これまたど真ん中の三軒隣に嫁がれた友達、彼女の子ど
もの頃のような賑やかな市にしたいとの強い思いから、三年前、女性を中心とした実行委員会が立ち上
がりました。十月の三と八の付く日、十月六日間の朝市、これが三八市の名前の由来です。土日が入れ
ばイベントも行います。回数が多いので、とても忙しくたいへんですが、楽しい一ケ月です。毎年、空
き店舗を借り受け、片付けから展示、出店へとつなげています。今年で五店舗。準備の段階から、町内
外、県外からも若い人たちが集まり、交流の場ともなっています。天女の足湯。これはもう、こじつけ
なんですけれども、天女の足湯、カフェ、惣菜、地元アーティストのライブ、マッサージ、餅つき、と
れたて野菜、お茶席、工芸品展示など、他にも色々行っております。
今年は絣の青空ファッションショーを企画しました。七
十代から幼稚園児までのなりきり美人、イケメンたちのモ
デルウオークは大盛況でした。次回のモデル志願者まで現
れ、ご近所のおばさんモデルは大満足でした。また、天女
によるまちづくりにつなげたいと、実行委員の一人がオリ
ジナル天女伝説を書き上げました。読み聞かせの達人によ
る朗読会を行い、これは、今年三月のシンポジウムにおい
て、パネラーの一人が、今いらっしゃっているコーディネ
ーターの福井先生の提案を受けて考えた企画です。福井先
生、約束が少し果たせましたでしょうか。ちなみに、この
天女コスプレの朗読美人は、既に人妻です。羽衣は隠さな
いでください。多分松崎辺りで見かけられると思いますけ
れど。
では、最後となります。会社名、ワイワイカンパニー東
郷池。略してワイワイ。笑っちゃうようなネーミングでし
ょ。文字通り女八人、ワイワイ言いながら、見ての通り重
い体に軽いフットワークで、ボランティアやお土産づくり、イベントの出展など、幅広く、浅く活動し
ています。婚活パーティー燕宴縁(えんえんえん)も行っています。人集めなど苦労もあり、ネガティ
ブになることもありますが、二組のゴールインはとても励みになります。次回、12月23日予定の燕
宴縁、フラッと軽い気持ちで来てみられませんか。男性には、あなただけの天女が見つかるかもしれま
せん。会場を見回しましたところ、独身の方は本当に少ないのかなと思いますけれど、もしお知り合い
とかでありましたら、声掛けをしてみてください。お待ちしております。ところで、ワイワイの天女で
すが、これです。顔は、東郷池の黒いダイヤと言われるシジミ貝で作りましたシジミ天女。簡単な天女
つながりですみません。でも、気持ちは協働です。
色々と話しましたが、一過性のイベントでは町内外のアピールは弱いと思います。ありきたりですが、
モニュメント的なもの、銅像とは限りませんが、壁画のようなペイントとか、サプライズ的な、夜の湖
の上に湖上で鶴、または白鳥と天女が舞い踊る映像などが出たら面白いなとも思います。また、新鮮な
地元食材、ウオーキング、温泉、パワースポット、神話など、魅力いっぱいの、湯梨浜ならではの、こ
れであなたも天女、先程福井先生がおっしゃいましたよね。女性がターゲットだって。やっぱり、女性
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だと思うんですよ。そういうコースツアーづくりなどもどうかなと素人ながら考えます。もちろん、未
来創造会議で色々検討中のことと思います。私たち町民の癒しやパワー、それから、観光資源へと広が
ることを期待しています。でも、まずは、私たちがすぐにでもできること、東郷池アダプトプログラム
のように、団体や個人でのボランティア活動を通して、天女が舞い降りたくなる美しく豊かな自然を守
ることも、天女によるまちづくりの一端になると考えます。
この画面は、商工会女性部、モッコウバラによるまちづくり会の作業です。合併前より、松崎駅から
めぐみのゆ公園までの沿道に、中国庭園にちなんで、中国原産のモッコウバラや四季の花を植栽、手入
れを行っています。今、紹介しました天女がチラッと見える活動、すべてに出会いがあり、友達、仲間
とのつながりにとても感謝しています。湯梨浜は、天女のような心を持った人がいっぱいです。ありが
とうございます。
○コーディネーター 福井
昌平さん
どうもありがとうございました。今、宮脇町長の方から社会資本の整備も含めて、町の施策として天
女の降る里をつくるぞという具体的な取り組みも含めてありましたし、三津国さんのような町民が自発
的に活動を進めていくという、そういうお話がございました。
ちょっと時間の関係があるんですが、山﨑先生と野津先生の方から、今、この二人のプレゼンテーシ
ョンというよりも、こういうふうに進めているよということを聞いてどうですか。感想はございますか。
山﨑先生と野津先生、一言感想を言っていただけますか。短めによろしくお願いします。
○鳥取大学名誉教授 野津
龍さん
私が考えている天女の追求というのは、もうただ一つなんです。それは、どうして天女が湯梨浜町に
やってきたかと。こういうことなんです。伝説が書いてあるから来たんじゃないんです。ちゃんと理由
があるんです。そのためには、倭文神社を探求しなくちゃいけません。伯耆一ノ宮、何度が写真が出て
おります。その他、南條貞宗という人物を調べなくてはいけません。もっとありますけれども、短めと
いうことで、これだけでやめさせていただきます。
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○コーディネーター 福井
昌平さん
どうもありがとうございます。それでは、山﨑先生どうですか。
○文星芸術大学講師 山﨑
宏さん
本当にたくさんのプロジェクトを拝見しまして、驚いています。これは本当にすばらしいなと思って
いるんですが、私はやっぱり飛天を考える上で一番重要なことは、先程もお話したんですが、浮遊感だ
と思うんですね。考えてみますと、日本文化というのは皆浮いているんです。高床式住居、高床式も床
が地面から浮いていますし、その中で飾ってある日本画も基本的には浮いているんですね。浮遊感とい
うものを色々な形で生かしていくことで、何かきっかけになるんじゃないか。湯煙をライトアップした
中でちょっとお食事をするとか、床をガラス張りにするとか、遊歩道の話が出ましたけれども、橋とい
うのは非常に重要なものでして、ヨーロッパの建築家が日本の家に来てまずびっくりするのが、日本人
は橋のようなところで暮らしているということを言う訳ですね。それぐらいフワフワと浮いている。そ
ういったものを色々な形で活用していくと、日本文化の一つの表現になるんじゃないかというふうに思
っています。
○コーディネーター 福井
昌平さん
先生、湯梨浜町には、湖に浮いている湖上温泉というのがあるんですけれども、それは全く正しい訳
ですね。学説としても。
○文星芸術大学講師 山﨑
宏さん
すばらしいと思います。
○コーディネーター 福井
昌平さん
そうですか。じゃあ、ぜひ湖上温泉にも入っていただきたいと思いますね。
色々とちょっと時間が参ってきましたので、私がまとめることではないんですけれども、皆さんもこ
れから選挙ですよね。国政選挙も含めてあると。その中で、たくさんの党派があるんですけれども、い
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つも共通して出てくる言葉、それは、持続可能な故郷を、地域をどうつくっていくのかということにな
ってきているんじゃないかなと思うんですね。本当にその施策が持続するのか、その町の在りようが持
続可能であるのかということが非常に重要でありまして、その中で特に、今日話されている事柄の中で
重要なキーワードは、環境、健康、そして、観光ということなんじゃないかと思うんですね。かつて3
Kというと、きつい、汚い、何かそんなことで嫌われていたんですが、今、新3Kということで、環境
と健康と観光、観光というのは、要するに、ただ温泉にポーンと入って、お酒をガーンと飲んで、ガー
ンと寝るという、そういうんじゃないんですよ。観光というのは、光を観るという意味なんですね。そ
の地域の持っている光を学ぶ、それが観光なんです。そういう意味で、環境と健康と観光、その一番の
資源性というのは、東郷湖。そして、それを取り囲む山々、海、そういうことになると思うんですね。
この春、シンポジウムをやった時に、京都大学の田中克先生が森里海の連環のお話をされましたね。
山に雨が降る訳でありますけれども、山に積もった落ち葉をバクテリアが食べるんですね。バクテリア
が食べて、そしてそこから酸を発生して、酸が土の中にある酸化鉄を溶かすんですね。そしてそれをフ
ルボ酸鉄という鉄イオンに変えて、それが水に運ばれて、川に運ばれて、湖や海にくるとそれが光合成
を促進させていくんですね。光合成が促進されると膨大な植物性プランクトンが発生して、その植物性
プランクトンを食べるために、膨大な動物性プランクトンの食物連鎖が起きてくる。だから、そこには
豊かな里の資源が生まれてくると。こういうことが解明されてきているんですね。そういう意味で、元々
ものはいいんですよね。湯梨浜町は。そこに、色々な人たちの知恵、そういうものが一緒に合わさって、
豊かな地域をつくっていくというものでありまして、天女はその入り口というふうに考える必要がある
んじゃないかなと思うんですね。ですから、今、町長さんの方から、町の施策として地域政策、或いは
社会資本の整備、制度的な支援、色々な形のスキームを作っていらっしゃいます。そして、三津国さん
のような形のNGOとか、NPOが色々なアクションを起こしていく。そこに一緒に、それがバラバラ
を向いているんではなくて、お互いにカップリングするというか、ハイブリッドになるというか、お互
いに汗を流して、そしてそれを育んでいくと。こういう時代に来ているんじゃないかなと思うんですね。
ですから、そういう意味で是非皆さんも、今日は三連休、今日来た人は天女のほとんど専門家になった
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んじゃないかと思うんですけれども、そういう形で皆さんがやっぱり中心になって、是非これからも進
めていただきたいなというふうに思います。
ちょっと時間がオーバーしているんで、町長、何か一言、これだけは言っておきたいと、私も後でボ
コボコとやられるのは嫌だから、何かございますでしょうか。
○湯梨浜町長 宮脇 正道
天女の降る里づくりを続けていけば、そこに、天女がたくさん住む町になるという具合に確信してお
ります。
○コーディネーター 福井
昌平さん
どうもありがとうございました。
そこで、ちょっと締めをやらなきゃいけないなと思っているんですが、時間が来たので本当は早く終
わらないといけないんですけれども、私が一つ湯梨浜町に提案があるんです。それは何かというと、湯
梨浜町の旅館やホテルに泊まりに来た人、或いは場合によってはお店にお買い物に来た人、でもお買い
物に来た人というのはちょっときついなと思うんですが、宿泊をした人に羽衣を羽織ってもらうという
習慣を、運動を始めたらどうかなというふうに思うんですよ。その羽衣は、できればさくら工芸品工房
とかね。そういうところでどんどん作っていくというような感じで。ちょっといいですか。女将さんで
すか。どちらの女将さんかお話くださいますか。
○はわい温泉女将 青木 由紀子さん
はわい温泉 ゆの宿彩香の女将、青木でございます。よろしくお願いします。
○コーディネーター 福井
昌平さん
例えば、三津国さん、ちょっと来ていただけますか。もう既に羽衣を着ていらっしゃるんですけれど
も、三津国さんのような女性が、もちろん亭主と一緒でもいいんですけれども、やって来ますよね。や
って来ましたら、
「どうぞいらっしゃいませ」と。何かちょっと羽衣を着ていただく感じをやっていた
だけますか。
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○はわい温泉女将 青木 由紀子さん
「どうぞいらっしゃいませ。天女が舞う湯梨浜にお越しくださいまして、ありがとうございます。ど
うですか。天女になってみられませんか」
○コーディネーター 福井
昌平さん
こういうふうに掛けた方が何か感じとしては出てきますよね。皆さん、どうですか。(拍手)
大体こんな感じですよね。もちろん、男性が来ても男性には出ません。こういうふうにやってみたら
どうかなと思うんですが、ちょっと女将さん、すいません。実は、私の女房がこんなようなものもある
からどうだとちょっと借りてきたんですよ。こんな感じでどうですか。ちょっと立っていただいて。
長さとか、そういうのは、これからさくら工芸品工房で研究してもらってもいいんじゃないかと思う
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んですよ。私は、もっと長くてもいいと思うんですよ。市販のものでは駄目だと思います。ですから、
こういうものを創作する。頷いていますけれども、自分でもチャレンジしてみてもいいですよね。そう
いうことで、この地域がもっと自分たちの暮らしの中で、ちょっとしたことでクリエイティブになる。
教育委員会でも始めてもいいですよね。どうですか。そういうことで、今、学校の子どもたちも全部、
ダンス教室が始まりましたね。子どもたちが皆、ダンスをするんですよ。ですから、そういうことを含
めて、何か我々の生活の中で天女のコンセプトを生かした豊かな暮らしづくりというものに挑戦してい
ただければなというように思います。ぜひ旅館で始めていただきたいんですが、女将さん、何とか始め
ていただけますでしょうか。
○はわい温泉女将 青木 由紀子さん
そうですね。検討してみたいと思います。皆さんにお越しいただきますようにね。少しでも天女に近
付いていただきますように。
○コーディネーター 福井
昌平さん
皆さん、どうもありがとうございました。パネラーの皆さんも、つたないファシリテーターで申し訳
なかったんでございますけれども、これで我々のパネルディスカッションは終わりたいと思います。
どうもご静聴ありがとうございました。
(拍手)
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〔閉 会〕
○中本企画課長
福井さま、そしてパネリストの皆さま、本当にありがとうございました。今一度、盛大な拍手をお願
いします。
(拍手)
本日は、お二人の方によるご講演、そして、パネルディスカッションといった有意義な時間を過ごす
ことができたのではないでしょうか。
町では、天女をキーワードにした新しいまちづくりを「天女の降る里づくり事業」として推進して参
ります。多くの町民の皆さま、関係団体の皆さまとともに、魅力あるまちづくりを進めて参りたいと思
いますので、今後ともご協力をよろしくお願いします。
これをもちまして、本日すべての日程を終了させていただきます。長時間にわたり、ご静聴いただき
まして誠にありがとうございました。
なお、本日の資料にアンケートを同封しておりますので、お帰りの際は回収箱に入れてください。
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