映画「エルトゥールル」制作支援イベント

トルコと日本の交流の原点、日本人による軍艦エルトゥールル号トルコ船夫救出とトルコ航空機による日本人救出劇
映画「エルトゥールル」制作支援イベント
トルコと日本の交流の歴史とトルコ映画、トルコ寺院、トルコ料理、トルコ観光ガイド、ベリーダンスとトルコ文化を学ぶ一日
●催行日:2011年9月17日(土)
●募集人員50名 最少催行人数30名
※参加費の3%は和歌山県串本町を通じ、映画「エルトゥールル」制作に寄付します。
●参加費:10,000円
●集合場所:トルコ寺院 東京ジャーミー (〒151-0065 渋谷区大山町1-19 代々木上原駅徒歩6分)
映画「蜂蜜」鑑賞料、講話、寺院見学聴講料、イスラム礼拝見学料、東京ジャーミー→渋谷アンカラ 移動
●参加費に含まれるもの:
バス代、昼食代、ウエルカムドリンク1杯、トルコ観光解説聴講料、ベリーダンス見学料
・ウエルカムドリンク以外の昼食時ビール・ワイン等酒代、ジュース等ソフトドリンク代は別途いただきます(@500円)
1890年9月17日、今から121年前の日本の小さな漁村、和
歌山県串本町大島樫野埼で起こった悲劇の遭難事故がひとつ
の奇跡を生みました。そこからトルコと日本の真の友情が生ま
れました。トルコ船「エルトゥールル」の乗組員を救った日本人、
その立役者は自分達が食べるものも乏しい中、救出に尽力した
貧しい漁村に暮らす名もなき庶民たちでした。
そして、約100年後、信義を重んじ、日本人を救ってくれた誇
り高きトルコの人々がいました。
日本とトルコ共和国の歴史はこうして始まり、今も綿々と続い
ています。
全ての原点、その名は「エルトゥールル」
株式会社タビーズでは2013年の完成に向けて両国の歴史を
紡ぐ映画「エルトゥールル」の制作支援をします。
予定スケジュール
8:50 東京ジャーミー集合
9:00 トルコ映画「蜂蜜」鑑賞 セミフ・カプランオール監督
2010年ベルリン国際映画祭最高賞「金熊賞」受賞作品
10:40 講話「1890年、エルトゥールル号救助」:トルコ大使館スタッフ
「1985年、トルコ航空機日本人救助」の歴史について」
:トルコ航空により救出された日本人スタッフ
11:40 「トルコ寺院とイスラム教の説明」:東京ジャーミー館長
12:10 東京ジャーミー礼拝堂でイスラム式礼拝を見学
12:35 代々木上原~渋谷 バスで移動
13:00 渋谷トルコ料理店、ANKARAで昼食
イスタンブール、トルコ観光の魅力について説明
ベリーダンスショー見学
16:00 解散
旅行企画・実施 株式会社タビーズ
観光庁長官登録旅行業第1906号 JATA正会員、ボンド保証会員
〒108-0014 東京都港区芝5-13-18 MTCビル9F
TEL:03-6435-4833 FAX:03-6435-4834
携帯:090-4568-1444
担当:相馬幹広
E-mail: [email protected]
協力:トルコ共和国大使館文化広報参事官室
東京ジャーミィ&トルコ文化センター イラン戦友会
写真はイメージです
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映画「エルトゥールル」制作支援イベント に 名で申し込みます
2011年 月 日
参加者お名前
(①:代表者様お名前)
代表者様連絡先
①
②
③
④
〒
ご住所
E-mail:
TEL
FAX
携帯
Faxまたはメールでご返信宜しくお願いいたします
申込方法:申込書ご記入、ご返信の上、下記口座へお振込み下さい。 締切日9月12日(月)(入金順、満員になり次第締切)
振込先:三菱東京UFJ銀行 目黒駅前支店(店番104) 普通口座 NO.1451008 口座名:㈱タビーズ
取消料:20日前20% 7日前30% 1日前50% 当日全額
注:教会内へは短パン、ミニスカートでの入場はご遠慮ください。女性の方はご希望があれば、礼拝堂で頭髪を覆うスカーフ無しでのイス
ラム式礼拝見学も可能ですが、お持ちの場合、スカーフをお持ち下さい。スカーフは教会内で無償貸与、販売もしています。
映画「エルトゥールル」制作支援に向けて
和歌山県の串本沖に浮かぶ紀伊大島は、太平洋の荒波に洗われる島の南側には断崖絶壁が
切り立っており、天候の穏やかな時でも島へのアプローチは容易ではない。
そんな大島沖で世界の海難史に残る大きな沈没事故が起こったのは、1890年(明治23年)のこ
とだ。事故を起こしたのは、日本への親善航海から帰路についたばかりのオスマン帝国(現トルコ
共和国)の軍艦「エルトゥールル」である。 それは日露戦争をさらに遡る明治二十三年の出来事
に端を発している。勤勉な国民、原爆被爆国。トルコの人々はこんなイメージを日本に対して持っ
ている。中でも一番先に思い浮かべるのは軍艦エルトゥールル号だ。1887年に皇族がオスマン
帝国(現トルコ)を訪問したのを受け1889年7月、エルトゥールル号は日本に向け、初のトルコ使
節団を乗せ出航し、一年近い航海を経て日本に到着した。1890年9月、日本での任務を終えたそ
の帰路、横浜港を出港した翌日、船は嵐に揉まれ和歌山県串本町沖の大島で沈没した。この
時、乗組員中600人近くが死亡した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を受
け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金
も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥールル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載されている。トルコでは子供でさえ知らない
者はいないほど歴史上重要な出来事だ。ここに挙げられたエルトゥールル号遭難に際して、台風
直撃を受けながらも約70人のトルコ人を救助した地元民とは、和歌山県沖に浮かぶ大島の村民
である。当時、通信機関も救助機関もない離島のことで、救助は至難を極めたという。怒涛に揉
まれ、岩礁にさいなまれ、瀕死のトルコ人達に対して、大島村民は村長沖周の指揮のもと、人肌
で温め精魂の限りを尽くして救助に当たった。さらには非常事態に備えて貯えていた甘藷や鶏な
どの食糧の一切を提供して精をつけさせ、彼らの生命の回復に努めたのである。悲劇ではあった
が、この事故は日本との民間レベルの友好関係の始まりでもあった。
この海難事故に際して、当時の大島島民が行った献身的な救援作業と、日本中に拡がった遭
難者への義援募金運動、また「金剛」「比叡」という2隻の軍艦を仕立てて救出されたトルコ兵たち
を本国まで送り届けた連合海軍の行動は、当時のトルコの人々に深い感動を与えたという。
日露戦争で日本がロシアを打ち破ったことから、トルコが親日的な国になったという話はよく耳
にする。しかし、実はトルコ人の親日感情は「エルトゥールル」の海難事故を契機として芽生えたも
のであり、トルコの人々はその話を代々語り継いできたと言う。そんな想いが思いがけぬ形で日
本に返されたのは、イラン・イラク戦争真っ最中の1985年(昭和60年)のことである。
同年3月17日に、イラクのサダム・フセインは「3月19日の20時半以降にイラン上空を飛ぶ全て
の国の航空機を無差別撃墜する」と宣言した。脱出までに残された時間は僅か48時間しかなく、
当時イランに滞在していた外国人たちはパニックに陥った。
欧米諸国はテヘランに緊急の臨時フライトを飛ばすなどして、自国民の脱出を粛々と進めた。し
かし、当時の日本では社会党などが自衛隊の海外派遣に猛烈な反対をしており、このような非常
時においても自衛隊機を飛ばすことができなかった。また、日本航空の経営陣は救援機を飛ばす
決意をし、パイロットもフライトの準備に入っていたものの、信じがたいことに同社労働組合の激し
い抵抗によってそれも実現しない。
そんな困難な状況下において、トルコ共和国が日本人救出のための特別機をテヘランに飛ばし
てくれた。同地には日本人を遥かに上回る数のトルコ人がいたと言うのに、彼らは自国民を陸路
にてトルコまで脱出させ、特別機では日本人を救ってくれたのである。そして、この行動に対してト
ルコの政府は「ようやく『エルトゥールル』の恩返しをすることが出来た」というメッセージを発した。
様々な権謀術数が渦巻く国際政治の世界だが、それでも国と国の関係において非常に大きな
役割を果たすのは人々の想いであり、個々の人たちの信頼関係の積み重ねであることは歴史が
証明している。熊野灘の島から始まった二国間の関係が、これからも良いものであり続けることを
願ってやまない。
この度、株式会社タビーズでは二つの史実から両国の歴史を紡ぐ映画「エルトゥールル」の201
3年の映画完成に向けて制作支援イベントを開催します。現在和歌山県串本町が中心になり、映
画製作を推進していますが、まだまだ多くの方々の支援が必要です。121年前に救援活動の
あった9月17日に、素晴らしきトルコ映画の鑑賞、二つの事件の真相を学び、トルコ寺院、イスラ
ム式礼拝、トルコ料理、トルコ観光ガイド、ベリーダンスを通じてトルコ、両国の歴史を知るイベント
を開催します。この映画が実現できるよう一人でも多くの方に知っていただき、串本、東京を含む
あらゆる地域の方から、両国の歴史を紡ぐ映画「エルトゥールル」の製作を一人でも多くの方に支
援頂けたらと思います。