比較スポーツ論(和田 浩一、2016.11.10)

比 較 ス ポ ー ツ 論 ( 和 田 浩 一 、 2016.11.10)
テーマ:『菊とバット』2
「 Baseball」 と 「 野 球 」 の 比 較 文 化 的 ス ポ ー ツ 論 ― ― 子 規 の 「 愉 快 な ベ ー ス ボ ー ル 」
I.前回の復習
1.ホワイティング:日本の野球の特質――「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」
千本ノック、丸坊主、先輩=神様、合宿生活……
↓ ↓
1) 非 合 理 的 な 練 習 2) 集 団 内 で の 秩 序 と 「 和 」 の 重 視 勝 利 3) 野 球 が 道 徳 教 育 の 手 段 と な っ て い る こ と ←→ 人間形成 4) 選 手 の 個 性 の 否 定 と 画 一 化 5) 選 手 の 生 活 や 態 度 、 外 観 な ど へ の 規 制 の 強 さ 集団の秩序
2.Roden:一高野球 = 帝国主義+エリート+スポーツ
II.「正岡子規・野球」年表
1867. 伊 予 松 山 で 誕 生
1872. 大 学 南 校 ( 現 ・ 東 大 ) 教 師 ウ イ ル ソ ン が 生 徒 に Baseball を 教 え る 。
ひろし
1878. 平 岡 煕 、 新 橋 ア ス レ チ ッ ク 倶 楽 部 結 成
1879. * 9ボ ー ル で 一 塁
1884. 東 京 大 学 予 備 門 ( の ち の 第 一 高 等 中 学 校 、 1894年 に 第 一 高 等 学 校 に 改 称 ) 入 学 。 夏
目 漱 石 、 山 田 美 妙 、 尾 崎 紅 葉 は 同 級 生 。 Baseball と 出 会 う 。
1888. Baseball に 熱 中 す る 。
1889. 喀 血 す る ( 23歳 ) 。
1889. * 4ボ ー ル で 一 塁 。 キ ャ ッ チ ャ ー ミ ッ ト で ダ イ レ ク ト 捕 球
のぼーる
1890. 雅 号 「 野 球 」 を 用 い 始 め る / 5月 、 「 一 高 」 対 「 明 治 学 院 」 で イ ン ブ リ ー 事 件 / 11
月 、 雪 辱 戦 で 勝 利 ( MLB型 → ス モ ー ル ベ ー ス ボ ー ル )
1892. 東 京 帝 国 大 学 を 中 退 。 新 聞 『 日 本 』 社 員 /
ちゅう まんかなえ
1894. 後 輩 の 中 馬 庚 、 Baseball を 「 野 球 」 と 訳 す 。
1895. 日 清 戦 争 の 従 軍 記 者 。 帰 国 船 中 で 大 喀 血 。 神 戸 上 陸 後 、 県 立 神 戸 病 院 に 入 院 。 退 院
後、親友漱石のいる松山へ。
1896. 一 高 vs 在 横 浜 米 チ ー ム ( 29対 4、 横 浜 )
1897. 『 ホ ト ト ギ ス 』 創 刊
1902. 死 去 ( 36歳 )
2002. 野 球 用 語 を 数 多 く 翻 訳 し た 功 績 に よ っ て 野 球 殿 堂 入 り
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III.子規のペンネーム
子規、升(祖父の名)→ 野暮流、能球、野球
IV.野球の俳句・短歌
1890. 色 男 ま た 時 と し て 此 戯 あ り / 恋 知 ら ぬ 猫 の ふ り 也 球 あ そ び | 「 写 真 の 自 賛 」 『 筆 ま
か せ 』 1890年 ( 『 全 集 』 10:420)
. 春 風 や ま り を 投 げ た き 草 の 原 | 「 筆 頭 狩 」 『 筆 ま か せ 』 ( 『 全 集 』 10:426)
. ま り 投 げ て 見 た き 広 場 や 春 の 草 | 「 寒 山 落 木 」 巻 一 ( 抹 消 句 、 『 全 集 』 1:420)
.球うける極秘は風の柳かな|「寒山落木」
1896. 若 草 や 子 供 集 ま り て 毬 を 打 つ | 「 寒 山 落 木 」 巻 五 ( 『 全 集 』 2:447)
草 茂 み ベ ー ス ボ ー ル の 道 白 し | 『 寒 山 落 木 』 巻 五 ( 『 全 集 』 2:513)
1898. 「 ベ ー ス ボ ー ル の 歌 」 『 竹 乃 里 歌 』 明 治 三 十 一 年 ( 『 全 集 』 6:178-179)
久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも
国人ととつ国人とうちきそふ ベースボールを見ればゆゝしも
若人のすなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者はあらじ
九つの人九つのあらそひに ベースボールの今日も暮れけり
今やかの三つのベースに人満ちて そゞろに胸のうちさわぐかな
九つの人九つの場をしめて ベースボールの始まらんとす
うちはづす球キヤツチヤーの手に在りて ベースを人の行きぞわづらふ
うちあぐるボールは高く雲に入りて 又落ち来る人の手の中に
なかなかにうちあげたるは危かり 草行く球のとゞまらなくに
. 夏 草 や ベ ー ス ボ ー ル の 人 遠 し | 「 俳 句 稿 」 ( 『 全 集 』 3:180)
1899. 生 垣 の 外 は 枯 野 や 球 遊 び | 「 俳 句 稿 」 ( 『 全 集 』 3:308)
1902. 球 及 び 球 を 打 つ 木 を 手 握 り て シ ヤ ツ 著 し 見 れ ば 其 時 お も ほ ゆ
た
ん
ぽ
ぽ
蒲 公 英 や ボ ー ル コ ロ ゲ テ 通 リ ケ リ | 「 仰 臥 漫 録 二 」 ( 『 全 集 』 11:524)
V.子規のベースボール関連著述
参考:坪井玄道『戸外遊戯法』1885
「ベースボール」は其人をして健康と愉快とを得せしむるは他の遊戯に比して過ぐるあ
るも及ばざるなし……一たび此遊戯の法則を了知するときは「ベースボール」を好まざる
なし……之を好んで寝食を忘るゝものあり。
※ . ビ リ ヤ ー ド : 快 楽 mais 酒 ・ タ バ コ ( 不 健 康 ) へ の 誘 惑 。 し か し 、 ベ ー ス ボ ー ル だ
けは一点の害もない。
「愉快」『筆まかせ』1887年(『全集』10:36-37)
十二月廿五日のことなりけん。……正午に学校の寄宿舎に帰ればはやベース、ボール大
会の用意最中なり。余もいつになく勇みたちて身軽のこしらへにて戦場へくり出すに、い
とも晴れわたりたるあたゝかき日なりければ、駒の足もイヤ人の足も進みがちなり。此日
余 は 白 軍 の catcher を つ と め 菊 池 仙 湖 は pitcher の 役 な り し が 、 余 の 方 は 終 に ま け と な
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れ り 。 そ れ に も 拘 ら ず 仙 湖 と 余 は perfect を や り し か ば う れ し さ も 一 方 な ら ず 。
※ . 打 者 中 心 の ゲ ー ム : 1) 目 -胸 、 2) 胸 -腰 、 3) 腰 -膝 か ら ス ト ラ イ ク ゾ ー ン を 選 択 /
キャッチャー:ワンバウンドでキャッチ(素手で)/ファウル≠ストライク(ただ
し、ゴロ捕球=アウト)
「Base-Ball」『筆まかせ』1888年(『全集』10:48-49)
運動となるべき遊技は日本に少し、鬼事、隠れッこ、目隠し、相撲、撃剣くらいなり 西洋にはその種類多く枚挙する訳にはゆかねども 競馬、競走、競漕などはもっとも普通
にてもっとも評判よきものなれども ただ早いとか遅いとかいう瞬間の楽しみなれば面白
きはずなし ことに見知らぬ人のすることなれば なおさらもって興なし 競馬は貴顕の
行うものゆえ繁昌し 競走は道具がなくてもまた誰にでも出来るものゆえ 学校の運動と
きりゆう
来てはこれが大部をしむるなり 競漕は川の中といい軍楽をはやしたて旗旒をへんぽんと
ながとび
たかとび
翻し漕手の衣服を色どりなどするゆえ派手なれども愉快の味少し そのほか長飛、高飛は
なおさらつまらず。まだ竿飛は少しは面白けれども これも高いとか低いとかいうのみ いちじ ょう
柵飛すなわち障害物も一場の慰みに過ぎず 戴嚢、嚢脚、二人三脚、旗拾い 玉子拾い、
などは子供だましといいつべし そのほか無数の遊びあれども特別に注意を引くほどのも
のなし ただローンテニスに至りては勝負も長く少し興味あれどもいまだ幼稚なるを免れ
ず婦女子には適当なれども壮健活発の男児をして愉快と呼ばしむるに足らず 愉快とよば
プリンシプル
しむるものただ一つあり ベースボールなり およそ遊戯といえども趣向簡単なれば、そ
れだけ興味薄く。さりとて囲碁、将棋のごときは精神を過度に費し かつ運動にならねば
遊技とはいいがたし 運動にもなり しかも趣向の複雑したるはベースボールなり 人数
よりいうてもベースボールは十八人を要し したがって戦争の烈しきことローンテニスの
非にあらず 二町四方の間は弾丸は縦横無尽に飛びめぐり 攻め手はこれにつれて戦場を
馳せまわり 防ぎ手は弾丸を受けて投げ返しおっかけなどし あるは要害をくいとめて敵
とりこ
うち
を擒にし弾丸を受けて敵を殺し あるは不意を討ち あるは挟み撃し あるは戦場までこ
ぬうちにやみ討ちにあうも少なからず 実際の戦争は危険多くして損失夥し ベースボー
ルほど愉快にてみちたる戦争はほかになかるべし ベースボールはすべて九の数にて組み
ずつ
立 て た る も の に て 人 数 も 九 人 宛 に 分 ち 勝 負 も 九 度 と し pitcher の 投 げ る ボ ー ル も 九 度
を限りとす これを支那風に解釈すれば九は陽数の極にてこれほど陽気なものはあらざる
め
で
た
き
べし 九五といい九重といい皆九の字を用ゆるを見ればまことに目出度数なるらん
「啼血始末」『子規子』1889年(『全集』9:295, 302)
赤鬼.「出京後も矢張散歩や運動はせぬか。
被告.「これ等はきらひですが、ベース・ボールといふ遊戯だけは通例の人間よりもす
きで、餓鬼になつてもやらうと思つてゐます。地獄にも矢張広い場所があります
か、伺い度ございます。
赤鬼.「あるともあるとも、そんなにすきなら其方が来た時には鬼に命せて其方を球に
して鉄棒で打たせてやらう。
被告.「へゝゝゝゝこれは御笑談者、鬼に鉄棒、成程これは、へゝゝゝゝ。
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判事.「だまれ被告。地獄では笑ふことは大禁物だぞ……
……
ママ
被告.「又自分は散歩や運動はきらひな癖にやるといふとベース・ボールの如き過劇な
運動をするのも却て身体を害したでせう……
ママ
「常磐会寄宿舎の遊戯」『筆まかせ』1890年(『全集』10:393)
マ マ
など
常磐会寄宿舎は一昨年以来、鉄棒、高飛、棹飛抔の遊戯盛にして、余等勝田氏と時々
「ボール」を以て遊びしかども、常に他の遊戯のために制せられたり。然るに昨年夏、竹
村氏も亦寄宿せしかば、こゝに「ボール」に一人を加へしが「ボール」は追々盛大になる
の傾きあり、一人引きこみ二人引きこみ、終に昨年節季に至ては二十人程の仲間を生ずる
に至りしかば、一の「ボール」会を設立し、上野公園博物館横の空地に於て二度許りベー
ス、ボールを行ひしことありたりき。
「ベース、ボール勝負附」『筆まかせ』1890年(『全集』10:398-399)
三月廿一日午後、上野公園博物館横空地に於て興行せし球戯の番附は
(略)
此日は朝より小雨のふりいでたるに、一時は皆延引せんといひたれども、佃氏の主張に
より又々気を取り直して身軽に支度をとゝのへ、午後上野公園に向ひける、……雨にもか
ゝはらず公園は群衆の山をきづきたり。ボールを始めしや否や、往来の書生、職人、官吏、
りっすい
婦人など皆立ちどまりて立錐の地なし。……此日の遊びは常盤会寄宿舎のベースボール会
の第四の大会なるが、今年一月の頃施行せし時にくらぶれば皆非常の上達を現したり。
「老人の仲間入り」『筆まかせ』1890年(『全集』10:399)
ばい
三月廿一日は上野にてベースボールを行はんと思ひゐたれば、前日夕暮、黴毒病院空地
に於てストライキ[打撃練習のこと]をはじめ、余は数十分のピッチャアをつとめけるに
や。帰舎後肩のつかへ甚だしかりければ、鐵山、ぬかり二氏かたみがわりに肩をもみ首を
たゝき給はりたり。其快きこといはんかたなく、眠り入りたき心地せり。予が生れて巳来、
肩をたゝくの快味を覚えたるはこれをはじめとす。
「舎生弄球番附及評判記」『筆まかせ』1890年(『全集』10:400-401)
勝田氏は二三年前より少しボールをやられしが、此頃に至りて大に上達せられたり、其
手軽くやらるゝ所、如何にも感心なり。竹村氏も一両年前より青山にて修行せられし程あ
りて、青山流で中々うまくやられたり。併し御両人ともボールをうけらるゝ割合には、打
つ方が一段劣る様に覚ゆ。吉田氏も……
「戸外遊戯」『松蘿玉液』1896年(『全集』11:29-30, 36-37)
○ベースボール に至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚だ狭かりし
マ ッ チ
が近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合ありしより以来ベースボールという語はは
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しなく世人の耳に入りたり。されどもベースボールの何たるやはほとんどこれを知る人な
かるべし。ベースボールはもと亜米利加合衆国の国技とも称すべきものにしてその遊技の
しょ うが ん
わがくに
国民一般に賞翫せらるるはあたかも我邦の相撲、西班牙の闘牛などにも類せりとか聞きぬ。
(米人のわれに負けたるをくやしがりて幾度も仕合を挑むはほとんど国辱とも思えばなる
つまびら
べし)この技の我邦に伝わりし来歴は詳かにこれを知らねども……明治十八、九年来の記
憶に拠れば予備門または高等中学は時々工部大学、駒場農学と仕合いたることあり。また
新橋組と工部と仕合いたることもありしか。その後青山英和学校も仕合に出掛けたること
ありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るま
で十四、五年を費せりといえども(もっとも生徒は常に交代しつつあるなり)ややその完
備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこ
の時よりやや真面目の技術となり技術の上に進歩と整頓とを現せり。少くとも形式の上に
おいて整頓し初めたり。すなわち攫者(キャッチャー)が面と小手(撃剣に用うる面と小
手のごとき者)を着けて直球(ジレクトボール)を攫(つか)み投者(ピッチャー)が正
投(ピッチ)を学びて今まで九球なりし者を四球(あるいは六球なりしか)に改めたるが
ご と き こ れ な り 。 次 に そ の 遊 技 法 に つ き て 多 少 説 明 す る 所 あ る べ し 。 ( 7月 19日 )
○ベースボールの特色 競漕競馬競走の如きは其方法甚だ簡単にして勝敗は遅速の二に過
ぎず。故に傍観者には興少し。球戯は其方法複雑にして変化多きを以て傍観者にも面白く
感ぜらる。且つ所作の活発にして生気あるは此遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せ
しむる事多し。但し此遊びは遊技者に取りても傍観者に取りても多少の危険を免れず。傍
観者は攫者の左右又は後方に在るを好しとす。
ベースボールいまだかつて訳語あらず、今こゝに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳
そうそつ
語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜
え 。 ( 7月 27日 )
「新年二十九度」『日本人十三号』1896年(『全集』12:150)
明治二十一年は一橋外の高等中学寄宿舎の暖炉のほとりにて迎へぬ。此頃はベースボー
ルにのみ耽りてバット一本球一個を生命の如くに思ひ居りし時なり。
VI.参考文献
1. 坂 上 康 博 『 に っ ぽ ん 野 球 の 系 譜 学 』 青 弓 社 、 2001年
2. 高 津 勝 「 日 本 ス ポ ー ツ 史 の 青 春 ― ― 子 規 と ベ ー ス ボ ー ル 」 ( 金 井 淳 二 ・ 草 深 直 臣 監
修 、 有 賀 郁 郎 ・ 山 下 高 行 編 著 『 現 代 ス ポ ー ツ 論 の 射 程 』 文 理 閣 、 2011年
3. 平 出 隆 『 ベ ー ス ボ ー ル の 詩 学 』 講 談 社 、 2011年 ( 筑 摩 書 房 、 1989年 ) 、 pp. 161-188.
4. 神 田 順 治 『 子 規 と ベ ー ス ボ ー ル 』 ベ ー ス ボ ー ル ・ マ ガ ジ ン 社 、 1992年
5. 城 井 睦 夫 『 正 岡 子 規 : ベ ー ス ボ ー ル に 賭 け た そ の 生 涯 』 紅 書 房 、 1996年
6. 『 松 山 の 野 球 : 正 岡 子 規 が 故 郷 に 伝 え た 「 ベ ー ス ボ ー ル 」 を 再 発 掘 : 秘 蔵 写 真 で 振 り
返 る "野 球 王 国 "の 歩 み 』 ベ ー ス ボ ー ル ・ マ ガ ジ ン 社 、 2014年
7. 岡 野 進 『 正 岡 子 規 と 明 治 の ベ ー ス ボ ー ル 』 創 文 企 画 、 2015年
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