アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略 Global Strategies of

日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.8, 45-56 (2007)
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
丑山 幸夫
日本大学大学院総合社会情報研究科
Global Strategies of Tire Manufacturers for the Growing Economies
of Asian Countries
USHIYAMA Yukio
Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies
The Asian economy and the automotive industry of the region have been growing rapidly since the
end of the 20th century. This paper reveals the global strategies of tire manufactures by studying their
expansion and continued operation in the Asian region. In recent years, Chinese tire makers have
increased their exports to advanced countries, especially the U.S., and U.S. tire makers have
accordingly been forced to reduce production. This paper also considers such problems for the U.S. tire
industry caused by growth in the Asian region.
1.はじめに
21 世紀における世界経済は、
2006 年まで比較的順
調に成長を持続しているが、
過去 10 年を振り返ると
地域によってその成長率は異なり、高い成長を遂げ
ている地域と停滞している地域とが混在している。
経済規模が大きい先進主要国(G7 諸国)では成長率
が鈍化しつつあるのに対し、中国、インドを中心と
するアジア地域、ブラジルを核とする中南米地域、
及びロシア・東欧地域などでは、比較的高い成長を
達成している。そして後者は、今後とも高い経済成
長が見込まれている。世界の自動車産業も同様の状
況であり、先進国の主要な自動車メーカーは、成長
著しいこれらの地域への進出を加速し、同地域での
生産台数を増加させている。
20 世紀の世界のタイヤ産業では、先進国市場を中
心に、日米欧のタイヤ企業が全世界的な規模で激し
い競争を展開してきたが、
主要タイヤ企業は 20 世紀
末頃から、先進主要国での従来型の競争を継続しつ
つも、アジアや南米、東欧といった高い成長を遂げ
ている地域での活動を強化するようになっている。
しかし、それらの新興経済地域での企業活動や競
争は、それまでの競争とは性格を異にするものとな
っている。各企業は、先進諸国とは違った政治・経
済体制や社会規範・文化の下で事業活動を行なわざ
るを得ず、
また既存のタイヤ企業や発展途上国企業、
及び現地企業が参加する、より競争相手の多い厳し
い市場で競争している。また、既存企業がこれら新
興経済地域で事業を強化する一方、新興国のタイヤ
企業が、逆に先進国市場への輸出を増大させ既存企
業の販売・生産活動に影響を与えている。新興市場
の成長は、既存企業に成長の機会を提供するだけで
なく、新たな脅威をももたらしている。
本稿では、20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて高
い経済成長を遂げている地域の一つであるアジア地
域の経済と自動車産業の状況を概観した上で、当市
場におけるタイヤ企業の戦略を考察する。また、新
興経済諸国における現地タイヤ企業の台頭が、世界
のタイヤ業界における競争環境に及ぼす影響につい
ても確認してゆきたい。
2.先進主要国とアジア地域の経済動向
1997 年から 2006 年の先進諸国(G7諸国)の経
済規模と成長率は表1の通りである。
この表からは、
米国、カナダ、英国の経済が順調に成長してきたこ
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
表1 先進諸国(G7諸国)のGDPと成長率
項 目
GDP
米国
十億ドル
カナダ
イギリス
フランス
ドイツ
イタリア
日本
成長率
1997
1998
1999
2000
8,304
638
1,328
1,427
2,163
1,194
4,239
8,747
617
1,426
1,476
2,187
1,219
3,858
9,268
661
1,467
1,457
2,146
1,202
4,363
9,817
725
1,445
1,333
1,906
1,101
4,651
2001
2002
2003
2004
2005
2006
10,128
715
1,436
1,341
1,893
1,118
4,090
10,470
735
1,574
1,464
2,024
1,223
3,912
10,961
868
1,815
1,805
2,444
1,510
4,237
11,712
994
2,155
2,060
2,744
1,727
4,517
12,456
1,132
2,229
2,127
2,792
1,766
4,567
13,262
1,273
2,356
2,227
2,890
1,841
4,464
1.6
2.9
2.1
1.1
0.0
0.3
0.1
2.5
1.8
2.7
1.1
-0.2
0.0
1.8
米国
カナダ
4.5
4.2
4.4
3.7
4.2
4.1
5.5
5.2
イギリス
3.0
3.3
3.0
3.8
ベース(%)
フランス
2.1
3.3
3.0
4.0
ドイツ
1.7
2.0
1.9
3.1
イタリア
1.9
1.4
1.9
3.6
日本
1.4
-1.8
-0.2
2.9
出所:IMF World Economic Outlook Database, September 2006
現地通貨
0.8
1.8
2.4
1.8
1.2
1.8
0.4
3.9
3.2
3.3
2.9
3.3
1.9
3.0
1.2
1.2
0.9
1.1
0.0
2.3
2.6
2005 年以降は推定値
3.4
3.1
2.7
2.4
2.0
1.5
2.7
とが見てとれる。そして、フランス経済も穏やかな
この点でもその重要性が確認できる。表2は、アジ
成長を遂げていることがわかる。一方、ドイツ、イ
アの主要諸国の GDP と成長率を示しているが、こ
タリアは変動が激しく、ドルベースでは成長してい
の表から以下の特徴を読み取ることができる。
るものの経済成長は鈍化している。日本は、1998 年
①
各国の経済規模、成長率のなかでも、中国が群
及び 1999 年はマイナス成長を記録したが、2000 年
を抜いている。規模においては、中国に次ぐ規
に入ってようやく経済成長がプラスに転じた。
模をもつインドや韓国でさえ、中国の半分にも
このように近年の先進諸国の経済は、順調に成長
及ばない。
してはいるものの、新興諸国の成長率や潜在的な成
②
インドと韓国は、この表の諸国のなかでは2位
長性には及ばない。特に、ゴールドマン・サックス
グループを形成しているが、インドの成長率は
が指摘した BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中
中国に次ぐ高さであり、今後も大きな成長が見
1
国) の各国に関しては、人口規模や国土面積の大き
込まれる。
③
さ、及び埋蔵資源などを考慮すると、BRICs の潜在
台湾やインドネシアなど、ベトナムを除く諸国
は、20 世紀終盤におけるアジア金融危機を乗り
的な成長力は新興諸国の中でも際立っている。
越え規模は小さいが安定した成長を続けている。
BRICs のなかでも、最も経済規模が大きく成長率
④
も高いのが中国である。人口一人当たりの大きさは
ベトナムは、経済規模はまだ極めて小さいが、
ともかく国全体の経済規模では、すでに欧州の先進
成長率は BRICs 並みに高く、将来的に持続的な
国並みの規模まで拡大し、
また 2003 年から 4 年連続
成長が期待される。
で 10%程度の成長率を記録しており、群を抜いてい
21 世紀の成長セクターであるアジア地域におい
る(表2)
。その他の BRICs 諸国は、2004 年、2005
て、中国とインドは最も注目されている。そこで、
年では、ほぼ同程度の経済規模であるが、成長率で
次節では、経済が急成長している中国とインドの政
はインド、
次いでロシアがブラジルを上回っている。
治経済体制と市場の特徴を概観する。
BRICs 諸国のなかでも、中国とインドが他を凌い
でおり、
成長セクターとしてのアジアの位置付けは、
1
みずほ総合研究所、
『BRICs』2006、4 頁
46
丑山
幸夫
表2 アジア新興諸国のGDPと成長率
項 目
GDP
中国
十億ド
韓国
ル
台湾
フィリピン
インドネシア
タイ
マレーシア
ベトナム
インド
成長率
1997
953
517
301
84
238
151
100
27
411
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
1,019
345
276
67
105
112
72
27
414
1,083
445
299
76
155
123
79
29
442
1,198
512
321
76
166
123
90
31
462
1,325
482
292
71
161
116
88
33
474
1,454
547
295
77
196
127
95
35
494
1,641
608
300
80
235
143
104
40
575
1,932
680
323
87
254
162
118
45
666
2,234
788
346
98
281
173
131
51
772
2,554
877
355
117
351
195
147
55
854
7.1
9.5
5.7
3.4
0.8
4.4
6.1
4.8
6.9
8.4
8.5
5.8
6.0
5.4
4.8
8.9
6.8
5.3
8.3
3.8
-2.2
1.8
3.6
2.2
0.3
6.9
4.1
9.1
7.0
4.2
4.4
4.5
5.3
4.4
7.1
4.3
10.0
3.1
3.4
4.9
4.8
7.0
5.5
7.3
7.2
10.1
4.7
6.1
6.2
5.1
6.2
7.2
7.8
8.0
10.2
4.0
4.1
5.0
5.6
4.5
5.2
8.4
8.5
10.0
5.0
4.0
5.0
5.2
4.5
5.5
7.8
8.3
中国
韓国
9.3
7.8
4.7
-6.9
現地通
6.6
4.5
貨ベース 台湾
フィリピン
5.2
-0.6
(%)
インドネシア
4.7
-13.1
タイ
-1.4
-10.5
マレーシア
7.3
-7.4
ベトナム
8.2
5.8
インド
4.9
5.9
(参考)ロシア・ブラジルのGDPと成長率
項 目
GDP
十億ドル
成長率
ロシア
ブラジル
1997
405
808
1998
271
788
1999
196
537
2000
2001
260
602
ロシア
ブラジル
1.4
-5.3
6.4
10.0
3.3
0.1
0.8
4.4
出所:IMF World Economic Outlook Database, September 2006
(%)
3.中国・インドの経済と市場
(1)中国
近年のアジア経済において、中国の占める割合は
極めて大きくなったが、中国の市場経済化と経済自
由化は、1978 年の改革・開放路線の採択から始まっ
たとされる。中国では、社会主義計画経済を維持し
つつ、経営の自主権などの市場経済的な要素を取り
入れ始め、1980 年には深圳、珠海、汕頭、アモイに
経済特区を設置した。その後、1989 年の天安門事件
による停滞期を経て、中国は、社会主義市場経済体
制の構築という困難な取り組みを更に進めた。それ
は、
国有企業の改革や法制度の整備などであったが、
こうした中国政府の政策に対応して、1990 年代後半
には、日本や韓国、台湾などの企業が、競って中国
に生産拠点を建設した。
「従来日本および NIES(韓、
台、香、星)と ASEAN 諸国との間で続けられてい
2002
2003
307
510
345
461
431
506
5.1
1.3
4.7
1.9
7.3
0.5
2004
589
604
2005
763
796
7.2
6.4
4.9
2.3
2005 年以降は推定値
2006
975
967
6.5
3.6
た垂直分業が弱まり、代わりに中国が日本、NIES
の生産基地となって、ASEAN には新たにその補完
基地としての役割が生じたといえる。
」2
更に、2001 年中国が WTO に加盟すると、外国企
業は、
中国を低コストの生産拠点としてだけでなく、
その市場として価値にも目を向けてきている。2005
年の中国の GDP は、先進工業国(G7)の中規模クラス
の国と同程度の大きさに拡大しているのである。
しかし、BRICs のような新興諸国が今後とも持続
的な成長を遂げていくとは限らない。持続的な成長
に必要な条件とは何であろうか。石井は、制度が成
長に及ぼす影響を考察し、
持続的な成長のためには、
①技術革新力を培う制度、②人的資本育成のための
制度、③「物的インフラ」構築のための制度、④「私
2
47
松山大学総合研究所『東アジアの経済発展とグローバル戦略』,2006
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
的所有権」を保護する法制度、⑤「社会的結合力」
を要請し、経済の自由化と活性化を主な目標とした
を構築する制度、⑥「ガバナンス」向上のための制
新経済政策を推進した。こうした対策により、イン
3
度の 6 つの制度が必要であるとした。
ドは経済危機を克服し、平均で 5%台の成長を実現
した。また、2003 年以降は、7%以上の高成長を達
石井の主張に対しては議論の余地があると考える
成している。
が、みずほ総合研究所は、石井の視座をベースに、
インドは、このように BRICs の一角を占め、経済
統計的な代理指標を用いて、BRICs 諸国の各制度に
4
ついて優劣を比較している。 例えば、石井が必要で
は高成長を実現しているが、インドの今後の成長を
あるとする「人的資本育成のための制度」に関して
左右すると考えられる制度面の整備状況はどうであ
は、保健衛生に関する制度の整備状況の代理指標と
ろうか。中国と同様に分析したみずほ総合研究所の
して平均余命を採用し、また教育水準を示す代表指
解析結果によれば、人的資本と物的インフラについ
標としては 15 歳以上の国民の平均就学年数を採用
ては BRICs の 4 か国中最低であり、市場の効率性も
するなどして、統計分析を試みている。
低い評価であるが、その一方で、私的所有保護制度
や技術革新力、ガバナンスなどについては、4 か国
この分析によれば、中国は、人的資本及び物的イ
の中で最も高い評価である。
ンフラに関する制度の整備に関しては、ロシアに次
いで進んでいるが、技術革新力やガバナンスは、イ
このように、移行経済であり、社会主義国家であ
ンドやブラジルに及ばない。私的所有権保護制度に
る中国は、高い経済成長を達成してはいるものの、
ついては、ロシアとともに低い評価である。市場の
持続的な経済成長のために必要とされる制度面では、
効率性については、長所と短所の両方があり、優劣
高く評価される点が少ないのに対し、インドは、成
をつけ難いとしている。
長率は中国より低いが、旧宗主国から民主主義を引
(2)インド
き継ぐとともに、先進諸国に近い価値観を有してお
り、制度面でも評価される点が多い。
1947 年に独立したインドは、
1951 年より混合経済
体制をスタートさせた。インドは、民主主義の下で
4.アジアにおける自動車産業と市場の発展
こうした世界でも有数の成長市場であるアジアの
新興諸国に対して、時期は前後するものの先進諸国
の多くの自動車会社が進出した。自動車メーカーの
生産拠点設立の動機は各社によって異なる。例えば
60 年代の日系企業のタイ進出においては、各社は内
需を狙っていたが、90 年代に進出した欧米各社はタ
イを輸出拠点として位置づけていた。97 年のアジア
通貨・経済危機によって内需が落ち込むと、日系各
社は生産ラインを輸出仕様へ転換し、輸出を強化し
た。21 世紀に入って新興諸国が高い成長を達成し
GDP の規模が拡大すると、各社はアジア市場を自社
製品の販売先として更に重視するようになっている。
各国別にその状況を概観する。
(1)中国
中国における 2004 年の自動車生産台数は、
日本の
約半分の 507 万台であるが、アジアでは日本に次ぐ
社会主義的経済を追求したのである。
インドの混合経済体制とは、
公共部門、
民間部門、
両者が関与する共通部門の三部門からなる経済体制
であるが、公共部門に重点が置かれ、公的企業が経
済の主要な担い手となるという点で社会主義的であ
った。兵器、鉄鋼、航空機、造船、発電などは、公
共部門が排他的に受け持っていた。この体制のもと
で、1970 年代まで工業化は停滞した。
1980 年代に入ると、混合経済体制を維持したまま
部分的に自由化、規制緩和が図られ、1982 年には、
自動車部門においてもインド政府と日本の鈴木自動
車工業(当時)との合弁企業マルチが設立された。
そして 1980 年代の実質経済成長率は、1970 年代の
3%台から 5%台に加速した。
1990 年に湾岸戦争が勃発するとインド経済は危
機に陥ったが、対策としてインド政府は IMF に融資
3
石井菜穂子『長期経済発展の実証分析』,2003
4
みずほ総合研究所『BRICs』2006
48
丑山
表3 アジア諸国の自動車生産台数
項 目
四輪車
中国
生産台
韓国
数
単位:1000 台
2003
2002
乗用車
幸夫
トラック・バス
計
乗用車
トラック・バス
2004
計
乗用車
トラック・バス
計
インド
1,102
2,651
232
−
193
169
380
−
704
2,185
496
102
−
106
416
−
−
191
3,287
3,148
334
−
299
585
380
−
895
2,019
2,768
265
39
203
252
325
17
908
2,425
410
122
15
119
490
19
5
254
4,444
3,178
387
54
322
742
344
21
1,162
2,316
3,123
300
40
250
299
365
20
1,178
2,754
347
131
15
147
629
8
5
333
5,070
3,469
431
55
397
928
373
25
1,511
世界合計
41,375
17,579
58,954
41,949
18,631
60,580
44,100
19,857
63,956
台湾
フィリピン
インドネシア
タイ
マレーシア
ベトナム
出所 : 日本自動車工業会(JAMA)「世界各国・地域の四輪車生産台数」より作成(2007 年 JAMA ホーム・ページ)
規模に成長している。日米欧の各社が中国メーカー
韓国の自動車生産は、
2004 年で約 35 万台であり、
と合弁企業を設立し、多様な車種を生産している。
中国に次ぐ生産規模を有している。自動車メーカー
中国では、従来から第一汽車などの国有企業が自
は、現代自動車、起亜自動車、大宇自動車、双龍自
動車を生産してきたが、外資としてはフォルクスワ
動車、ルノー三星の5社体制であるが、現代自動車
ーゲンが 1984 年 10 月、上海汽車と合弁会社を設立
が 1999 年起亜自動車を買収し(36.33%出資)
、2001
し乗用車生産を開始した。その後、三大メーカー(第
年には現代自動車グループが総生産台数の8割を占
一汽車、上海汽車、東風汽車)を含む多くの中国メ
めるに至った。一方、大宇自動車は 2002 年、GMに
ーカーが外資系企業と合弁会社を設立した。
買収され、2000 年に三星自動車がルノーに買収され
三大メーカーの内、上海汽車は、フォルクスワー
ルノー三星が設立された。現代自動車と双龍自動車
ゲンの他、GM、ボルボとも合弁製造会社を設立し
は、
ダイムラー・クライスラーから、
それぞれ 8.06%、
ている。また、第一汽車と東風汽車は、中国を代表
1.2%の資本を受け入れている。
するトラック製造企業であったが、第一汽車はスズ
このように、韓国自動車メーカーは、1997 年の経
キ、マツダ、フォルクスワーゲンと、東風汽車はプ
済危機を経て「もはや民族資本だけで単独で生き残
ジョー、ホンダ、現代自動車などと合弁企業を設立
っていくのは困難な状況であり、世界的な自動車生
している。2002 年、第一汽車はトヨタ自動車と合弁
産体制の一角を占めなければ生き残れないという状
関係にある天津汽車を吸収し、東風汽車は日産自動
況である。」6しかし、近年現代自動車は中国、イン
車と合弁契約を結んだ。5
ド、米国などで海外生産を加速させており、世界第
6 位の規模に成長した。
このように、中国の国有企業は日米欧の外資と提
(3)タイ
携することにより、自動車生産技術を吸収し生産の
拡大を図ってきた。一方、中国進出が早かったフォ
タイにおける自動車生産は、60 年代の日系自動車
ルクスワーゲンは、
2001 年 40%を超える国内販売シ
メーカーの現地生産から始まる。その後、90 年代に
ェアを誇ったが、その後日米欧の各自動車メーカー
欧米系の自動車メーカーも進出し、
2004 年には約 93
が参入し競争は激化している。
(2)韓国
5
6
日本貿易振興会 アジア経済研究所 水野順子編著『アジアの自動
車・部品、金型、工作機械産業』2003
日本貿易振興会 アジア経済研究所 水野順子編著『アジアの自動
車・部品、金型、工作機械産業』2003
49
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
表4 アジア諸国の自動車販売台数
単位:1000 台
2003
2002
乗用車
トラック・バス
中国
1,126
2,122
韓国
インド
1,240
−
−
−
−
−
−
707
世界合計
37,343
項 目
四輪車
販売台
数
台湾
フィリピン
インドネシア
タイ
マレーシア
ベトナム
計
乗用車
トラック・バス
3,248
1,972
2,419
399
−
−
−
−
−
−
191
1,639
344
86
318
409
435
27
898
1,021
−
−
−
−
−
−
902
18,476
55,819
38,403
2004
計
乗用車
トラック・バス
計
4,391
2,326
2,745
5,071
318
−
−
−
−
−
−
260
1,339
368
92
355
533
405
43
1,162
882
−
−
−
−
−
−
1,062
238
−
−
−
−
−
−
318
1,120
423
88
483
626
488
40
1,380
19,018
57,421
40,042
20,452
60,494
出所:中国、韓国:日本自動車工業会「主要国の四輪車販売台数」より、台湾:台湾自動車工業会データより
タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ベトナム:「世界自動車調査月報(No.237 May 2005、No.242 October 2005)」(FOURIN)より、インド:インド自動車工業会データより
万台の生産規模に達している。
タイ国内の 2004 年の
づけている三菱自動車が、同国で生産拠点を持って
販売台数は約 63 万台であり、
国内生産の大きな部分
いる。日産自動車も同国に合弁企業を 2 社有してい
が輸出されていることが分かる。
るが、出資比率が低く、事業戦略の再構築が遅れて
この自動車産業の発展は、
「アジアのデトロイト」
いる。この他、GMやフォード(マツダとの合弁)
、
を標榜する政府の自動車産業強化・外資誘致政策に
起亜自動車も同国に生産拠点をもっているが、生産
よるところも大きい。自動車産業は部品など産業の
規模は小さい。8
裾野が広く、その発展による経済効果は大きい。
(4)インドネシア
タイで最も大きな生産能力を有するのは、日野自
2004 年のインドネシアの自動車生産台数は約 40
動車、ダイハツ工業を含めて同国に 8 社の現地法人
万台、販売台数は 48 万台で規模は大きくはない。
をもつトヨタ自動車である。2002 年のトヨタの国内
ASEAN の自動車産業においては日系メーカーの
販売シェアは、
乗用車で 1 位、
商用車で 2 位であり、
プレゼンスが圧倒的に大きいが、インドネシアでも
輸出も行なっている。トヨタは近年タイの事業を強
同様である。上位 5 社を日系企業であるトヨタ、三
化しており、2004 年同国とインドネシアで、2005
菱、スズキ、ホンダ、ダイハツが占めており、上位
年、南アフリカ、インド、アルゼンチンで生産を開
5 社の 2004 年の市場占有率は 84.4%と高い。9国策
始した「IMV」は、世界 10 カ国で生産され世界市場
で設立された Kia-Timor のシェアは 1.3%である。
に投入されるグローバルカーである。トヨタは、主
トヨタなどの日系メーカーは 1970 年代から現地
要部品についても、タイでディーゼルエンジン、イ
生産を開始しているが、
「1999 年以前のインドネシ
ンドネシアでガソリンエンジン、フィリピンとイン
アの自動車産業には、国内産業保護政策の一環とし
ドでマニュアルトランスミッションを生産し、各車
て、国産化インセンティブ政策がとられてきた。」
両生産国に供給するというアセアン内での分業も進
10
1994 年には「ローカルコンテント(現地調達比率)
7
めている。 更にトヨタは、2003 年、タイに R&D 拠
とインセンティブによる規制」が発令され、自動車
点を設立した。
生産における国産化率の向上が求められたが、更に
タイでは、トヨタの他に、タイ国内の商用車のト
8
ップメーカーであるいすゞ自動車、国内乗用車市場
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 『自動車産業サプライチェ
ーン調査』2006
2 位のホンダ、タイを輸出用の生産基地として位置
10
7
みずほ総合研究所 『みずほリポート タイ自動車産業』2003
9
日本貿易振興会 アジア経済研究所 大原盛樹編著『中国の台頭と
アジア諸国の機械関連産業』2003
トヨタ自動車ホームページ
50
丑山
1996 年、フトモ・マンダラ・プトラ社(当時のスハ
される。
ルト大統領の三男が所有する会社)1 社が優遇措置
(6)インド
幸夫
を受ける国民車政策が発表された。同社は、韓国の
インドの自動車産業では、1982 年までインド企業
起亜自動車と提携して Kia-Timor Motors を設立し、
のヒンドスタン・モータース(HM)とプレミアが
国民車 Timor の生産を行なうとしたのである。しか
市場を支配していたが、1982 年「国民車構想」の下
し、スハルト退陣後の 1999 年には、IMF との合意
でスズキとインド政府が合弁会社マルチを設立し小
によりこれらの優遇政策は廃止された。
型車を低価格で供給し始めると、1980 年代には小型
車市場はマルチによってほぼ独占された。12スズキ
インドネシアは、アジア通貨危機後、それまでの
自動車産業に対する国内産業保護政策を自由化の方
の出資比率は 54.2%であった。
90 年代の経済改革後、
向に転換し、保護政策を緩和した。
需要が拡大すると、94 年から大宇、ダイムラー・ク
(5)マレーシア
ライスラー、GM、ホンダ、現代、フィアット、ト
マレーシアでは、1967 年にフォードとボルボが、
ヨタ、フォードといった世界の主要メーカーが直接
そして 1968 年にトヨタが合弁企業を設立し、
自動車
投資を行なった。それに対して、インド企業のプレ
生産を開始している。その後、1983 年、マハティー
ミアはプジョーと合弁企業を設立したが、プレミア
ル首相の「重工業化政策」の下で、三菱自動車は重
は合弁会社とともに倒産した。また、HM は三菱自
工業公社(HIKOM)と合弁でプロトン(Proton)社
動車と技術提携しライセンス生産を行なっている。
を設立した。プロトン社は、
「国民車」の生産・販売
合弁会社のマルチ(スズキ)は、販売台数で他社を
会社であった。その後、1993 年代には、マレーシア
大きく引き離し、
2000 年のシェアは 50%を超えダン
の国民車を製造・販売する会社を統括する持株会社
トツの第一位となっている。マルチの快走はスズキ
として、ダイハツ他 5 社が出資してプロドゥア
の力によるところが大きいが、スズキにとってもイ
(Perodua)社が設立され、続いて 1990 年代にはル
ンドは成長のための重要市場となっている。2006 年
ノー/現代自動車、及びいすゞが合弁会社を設立、
のスズキのインドでの販売台数は日本国内に肉薄し、
2003 年にはホンダも現地に生産拠点を設立した。
2007 年には逆転する見通しである。13
こうしてマレーシアの自動車業界も競争が激しく
2004 年のインドの生産台数は 151 万台でまだ韓国
なり、2004 年、三菱自動車はプロトンから撤退した
に及ばないが、販売台数は 138 万台で韓国を上回っ
が、プロトンはイタリアの二輪車メーカーの買収失
ている。経済成長率も高く、今後同国の自動車市場
敗により 2005 年には赤字を計上、一時 60%以上あ
は大きな成長が期待できるため、多くの企業が力を
った市場シェアも 40%程度に落ち込んだ。そして、
入れており、マルチ(スズキ)が約 5 割のシェアを
マレーシア政府は、2006 年、ASEAN 域内からの輸
握ってはいるものの今後競争は激しさを増すと考え
入完成車への関税を 5%以下に引き下げると発表し
られる。
11
た。 同政府は、プロトン、プロドゥアといった国
(7)ベトナム
ベトナムの経済は、政府が 1986 年にドイモイ(刷
民車メーカーを保護してきたが、事実上の自由化に
新)政策を打ち出してから順調に発展し、2004 年の
踏み切ったのである。
マレーシアの 2004 年の生産・販売台数は、インド
自動車生産台数は 25 千台、販売台数は 40 千台を記
ネシアと同程度である。また、2006 年の販売シェア
録している。台数は少ないものの、2000 年の販売台
はプロドゥアが 31.7%でプロトンの 23.6%を抜き首
数 14 千台と比べると 2004 年の販売台数は 3 倍弱の
位に立った。三位以下は、トヨタ、ホンダ、日産な
増加となった。ベトナムでは 2004 年、11 社の自動
どであるが、自由化の時代を迎え競争の激化が予想
12
日本貿易振興会 アジア経済研究所 水野順子編著『アジアの自動
車・部品、金型、工作機械産業』2003
11
13
日本経済新聞, 2006 年 3 月 23 日付, 朝刊 9 頁
51
日本経済新聞, 2007 年 3 月 31 日付, 朝刊 9 頁
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
車メーカーが活動しているが、販売台数上位は、ト
年、ブカシに工場を建設したが、その後カラワンに
ヨタ(22.8%)、フォード(14.0%)、大宇(12.7%)であ
も工場を建設し 1999 年には生産を開始している。
同
り、この 3 社で総販売台数の約半分を占めている。
国では、
住友ゴムも 1997 年よりタイヤ生産を開始し
各社は、ベトナムの潜在的な成長力の高さや政治
ており、2005 年現在、10 ケ所のタイヤ工場が操業し
的なリスクのなさなどに注目し、今後も投資活動を
ている。インドネシアは、タイヤ産業の多国籍企業
活発化させていくと考えられる。また、中国への一
にとって天然ゴムの供給地として重要であるだけで
国集中リスクが高まっている今日、中国を補完する
なく、生産拠点としても古くから戦略拠点であった
投資先としてベトナムの重要性が高まっている。
が、今後の同国の経済成長と自動車産業における
ASEAN 内での分業を考慮すると、より一層重要な
5.アジアにおけるタイヤ各社の戦略と企業活動
前節までにおいて、高成長が続くアジア各国の経
済動向と自動車産業の状況をみてきた。当節では、
この様に発展途上にあるものの、今後も高い成長が
見込まれるアジア地域における、タイヤ各社の事業
戦略について概観する。
(1)ASEAN 諸国におけるタイヤ企業の活動
日米欧の主要タイヤ企業による ASEAN 諸国での
タイヤの現地生産は、1935 年、米国企業であるグッ
拠点になると考えられる。
タイにおいては、1960 年代、日系自動車メーカー
が同国に進出すると、1968 年、グッドイヤーがタイ
ヤ工場の操業を開始したが、続いてブリヂストンも
1969 年よりタイヤ生産を開始した。その後、タイは
自動車産業の集積を進め大きく発展したが、ミシュ
ランも 1988 年に製造施設を開設した。
2005 年には、
横浜ゴムも同国でタイヤ生産を開始しており、タイ
では自動車産業の発展に伴い、日米欧の有力タイヤ
製造企業が操業するに至った。
2005 年現在、タイでは 17 工場が操業している。
タイも天然ゴムの生産国であり、タイヤ産業の重要
拠点であったが、
自動車産業の発展もあり、
今後益々
重要性を帯びてくると想定される。また、自動車産
業に見られるように、同国の工場をタイヤの輸出拠
点として位置づける企業も出てきており、グローバ
ル供給拠点の役割も担いつつある。
マレーシアでは、1972 年よりグッドイヤーが生産
を開始した。2005 年、独コンチネンタルが 2 工場を
運営しており、同国では合計 7 工場でタイヤを生産
している。また、フィリピンでは、グッドイヤーの
1 工場、横浜ゴムの 1 工場を含む 3 工場がタイヤを
生産している。自動車市場が小さいことと政治的な
カントリーリスクがあることから、各社による同国
への積極的な投資はまだ少ない。
ドイヤーによるインドネシアでのボゴール工場開設
(2)韓国におけるタイヤ企業の活動
に遡る。グッドイヤーは、当時オランダ領であった
韓国では、クムホ(2005 年の売上高:世界 10 位14)
当地でゴム園を取得したが、併せてタイヤ生産も行
が 1972 年にタイヤ工場の操業を開始、その後 1989
なったのである。ミシュランも 1926 年、インドネシ
年と 2003 年に新工場を稼動させている。また、1979
アでゴム園を取得している。
戦後、インドネシアでは、ブリヂストンが 1973
14
52
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
丑山
幸夫
年には韓国タイヤ(同 8 位15)も生産を開始し、1997
ピレリが、2005 年、中国企業を傘下に収めている。
年に新工場を立ち上げている。韓国タイヤ産業にお
このように中国では、日本、台湾、米国、フラン
ける有力企業であるクムホと韓国タイヤは、アジア
ス、イタリア、韓国などの有力タイヤ・メーカーが
経済危機により一時苦境に陥ったが、経済が回復す
表5 中国における中国系タイヤ企業
ると米国や中国などにおいて海外戦略を再度強化し
つつある。この他、韓国には一時ミシュランも進出
売上高
(百万ドル)
1,150.0
980.0
637.2
612.3
509.0
500.0
451.2
企業名
したが、その後撤退したため、日米欧の有力タイヤ
GITI Tire Co. Ltd.
企業は進出できていない。2005 年、韓国では 7 ケ所
Triangle Group Co. Ltd.
のタイヤ工場が操業している。
Shanghai Tyre & Rubber Co. Ltd.
Shandong Linglong Rubber Co. Ltd.
(3)中国におけるタイヤ企業の活動
Hangzhou Zhongce Rubber Co. Ltd.
Tire Business 誌によれば16、2005 年時点で、中国
Shandong Chengshan Tire Co. Ltd.
工場数
6
2
4
1
1
1
1
には数多くのタイヤ工場が存在し、中国は乗用車用
Aeolus Tyre Co. Ltd.
及びトラック用タイヤでは世界第 3 位の生産国であ
出所:Tire Business 2006 年 8 月 28 日号より抜粋
る。同国では、日米欧の有力なタイヤ企業の他、現
成長著しい内需をターゲットに中国に進出し、高成
地資本の企業や日系ではないアジア企業もタイヤ製
長が見込まれる市場で強固な基盤を確保すべく競争
造拠点を建設し操業している。自動車産業の黎明期
している。
中国では、現地資本による数多くのタイヤ製造会
を迎え、最も競争が激しい市場となっている。
社が操業しており、世界タイヤ製造企業の上位 30
中国への外国企業によるタイヤ生産関連投資の開
始は遅く、日米欧の有力タイヤ製造企業が進出を開
表6 中国における外資系タイヤ企業
始したのは 1990 年代に入ってからであった。
ブリヂ
企業名
マキシス
ストンは、それ以前、既に瀋陽に生産拠点を持って
売上高(百万ドル)
(台湾)
クーパー (米国)
いたが、ゴム・クローラを生産していた。
韓国タイヤ (韓国)
中国で最初にタイヤ生産を開始した外資系企業は、
ブリヂストン (日本)
グッドイヤーの現地合弁企業であり、1992 年の進出
クムホ (韓国)
である。ミシュランも同時期に合弁企業、上海ミシ
ミシュラン (フランス)
ュラン・ウォリアー・タイヤを設立し 1993 年より生
グッドイヤー (米国)
産を開始、
更にまた 1996 年に新工場を立ち上げてい
住友ゴム (日本)
る。日系のブリヂストンは、遅れて 1997 年より中国
ナンカン(南港)ゴム (台湾).
ケンダ(建大) (台湾)
でタイヤ生産を開始した。自動車と同様、中国にお
横浜ゴム (日本)
ける日系タイヤ企業の生産拠点設立は遅かった。
ピレリ (イタリア)
外資系タイヤ企業としては、この他、台湾系のマ
工場数
695.0
500.0
400.0
N.A.
246.0
N.A
N.A
N.A
N.A
N.A
N.A
N.A
出所:Tire Business 2006 年 8 月 28 日号より抜粋
キシス(2005 年の売上高:世界 12 位17)が 1992 年
社のうち 7 社が中国企業である。中国企業の上位 3
から、
韓国系のクムホと韓国タイヤが 1996 年から中
社は、
GITI Tire (2005 年の売上高:世界 13 位)、
Triangle
国で操業を開始した。日系では東洋タイヤが 1997
Group(同 14 位)
、Shanghai Tyre & Rubber (同 19 位)
年から、
そして横浜ゴムも 2003 年からタイヤ生産を
となっている。これらの中国タイヤ企業は、中国に
開始している。また、住友ゴムも 2004 年よりタイヤ
おいて自動車メーカーへの納入や補修市場に製品を
工場の操業を開始し、米国系のクーパータイヤと伊
供給するのみならず、米国、欧州、オーストラリア
などに製品を輸出している。18
15
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
16
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
17
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
18
53
Tire Business, 2007 年 2 月 12 日号
3
1
2
3
1
2
1
1
1
2
1
1
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
そしてそれらの日系企業がアジア各国への日系自動
(4)インドにおけるタイヤ企業の活動
インドにおけるタイヤ産業は、大衆層への自動車
車関連企業の進出を促したことにもよる。日系タイ
の普及に伴う需要増により成長しつつある。2001 年
ヤ企業の中でもブリヂストンのアジア各国での生産
から 2005 年の 5 年間の平均生産量増加率は、
乗用車
拠点の建設は早く、
タイでの生産開始は 1969 年であ
用タイヤで 16.1%/年、トラック・バス用で 8.9%/
った。同社は続いて 1970 年代にインドネシアで、
年と高くなっている。2005 年のインドの総タイヤ生
1980 年代には台湾でタイヤ生産を開始している。日
19
産量は 66 百万本に達しており 、インドでは 40 を
系タイヤ企業は、国内市場が生産能力に見合う規模
超す工場でタイヤが生産されている。
がないことから輸出を強化していたが、海外市場の
成長に伴いまずアジアから現地生産に乗り出した。
インドで生産されるタイヤは、90%以上が国内で
その後、1990 年代から 2000 年代にかけて、日系
販売されており、輸出比率は低い。
インドでは、
大手 10 社のタイヤ企業で市場シェア
タイヤ企業は中国や ASEAN などに進出した。特に
の 95%を占めているが、その内 8 社は国内メーカー
中国には、ブリヂストン、住友ゴム、横浜ゴムの 3
である。インドのタイヤ産業上位 3 社を挙げると、
社が進出し高成長を続ける中国のタイヤ市場での生
MRF(世界 15 位)、Apollo Tyres(同 18 位)、
産、販売基盤の強化を図っている。また、横浜ゴム
J.K.Industries(同 22 位)である。外資系企業の 2 社
は、フィリピンやベトナムにもタイヤ工場を建設し
はグッドイヤーとブリヂストンであるが、インド国
たが、参入企業が少なく今後の成長が期待できる同
内での売上高は、それぞれ 6 位と 7 位である。イン
国を投資先として選択したと思われる。
日系企業は、
ドでは、トラックタイヤのラジアル化が進まず、ま
自国に権限を集中して海外での拠点建設を進めてお
た関税も高いことから、国内メーカーが 8 割の市場
り、バートレットらのいう「グローバル戦略」をと
を押さえている。
ってきたといえる。20
(5)台湾、ベトナムにおけるタイヤ企業の活動
(2)日系以外のアジア企業の戦略と活動
台湾では 15 のタイヤ工場が操業している。
台湾企
日系以外のアジア企業としては、韓国、台湾、中
業の大手は、マキシスとケンダ(建大)
、ナンカン(南
国のタイヤ企業が国際戦略を強化している。韓国企
港)ゴムである。マキシスは中国やタイにも生産拠
業では、
韓国タイヤとクムホが中国に進出している。
点を有し、
ケンダも中国やベトナムに進出している。
また、台湾系では、マキシスが中国とタイに、ケン
外資系企業では、グッドイヤーが 1971 年から、ブリ
ダとナンカンが中国に進出している。特に台湾企業
ヂストンが 1982 年から台湾で操業している。
は、同一民族の利点を活かし、早くから中国に生産
ベトナムではまだ、自動車産業が未発達であるた
拠点を設立し市場での基盤を築いている。
め、タイヤ生産拠点も 5 工場であり少ない。外資系
一方、中国のタイヤ企業は、国内市場で製品を販
のタイヤ大手では、
横浜ゴムとケンダが 1997 年より
売するだけでなく、欧米や豪州などへの輸出を強化
操業を開始している。
しているが、まだ生産拠点を海外に設立するまでに
は至っていない。ポーターのいう「マーケティング
を分権化した輸出中心戦略」21をとっているといえ
6.アジアにおけるタイヤ企業の戦略と活動
(1)日系タイヤ企業の戦略と活動
アジア新興国のタイヤ市場における日本企業の基
盤は、欧米各国のそれよりも強固である。それは、
中国を除くアジア各国に対し、日系自動車各社が早
い時期から進出し生産、
販売で主導権を握ったこと、
る。
20
19
21
Tyre & Accessories, 2007 年 2 月号
54
Bartlett, C. and S. Ghoshal ,『地球市場時代の企業戦略』1989
M. E. Porter,『グローバル企業の競争戦略』1989
丑山
表7 アジアにおける主要タイヤ企業の生産拠点数
中国
韓国
台湾
タイ
ブリヂストン(日)
3
1
3
ミシュラン(仏)
2
3
グッドイヤー(米)
1
1
1
インドネシア
1
1
1
2
1
1
3
6
2
フィリピン
ベトナム
インド
2
1
コンチネンタル(独)
ピレリ(伊)
住友ゴム(日)
横浜ゴム(日)
韓国タイヤ(韓)
クーパー(米)
クムホ(韓)
マキシス(台)
GITI Tire(中)
Triangle Group(中)
MRF(印)
Apollo Tyres(印)
Shanghai Tire(中)
ケンダ(台)
ナンカン(台)
マレーシア
幸夫
1
1
2
1
2
1
1
1
1
2
3
1
1
6
3
4
2
1
2
2
出所:Tire Business 2006 年 8 月 28 日号より作成
(3)米国タイヤ企業の戦略と活動
ブラジルにも工場を建設したが、米州での事業基盤
アジアにおける米国企業の活動は、グッドイヤー
を確保すると、同社は更に 1988 年、タイに 2 カ所の
とクーパーのタイヤ生産拠点設立に代表される。
製造施設を開設し、日本でもオカモトと合弁生産を
グッドイヤーは 1930 年代のインドネシアへの進
開始した。ミシュランは、欧州、米州の基盤を固め
出を初めとして、韓国などの一部の国を除き殆どの
た後、アジアに橋頭堡を築くといった手順を踏んで
国々でタイヤを生産しておりグローバル企業であり
いる。ブリヂストンがファイアストンを買収し米州
続けている。1992 年には日系企業よりも早く中国へ
と欧州の事業を大きく拡大したのも 1988 年であり、
の進出を果たしている。
日欧の有力メーカーが同時期にお互いの本拠地に生
グッドイヤーの従来の経営スタイルは、各国の製
産拠点を開設したことになる。ミシュランはその後
造会社に本国の技術を移転するものの現地子会社に
1993 年より中国で生産を開始したが、日系企業より
経営を委ねるというもので、バートレットらのいう
早い中国への進出であった。
22
「インターナショナル戦略」 をとってきた。しか
同社のアジアにおける生産投資は、タイ、日本、
し、近年の中国への進出に当たっては、本社主導の
中国に集中している。Michelin Annual Report 2005 に
経営スタイルに移行していくものと想定される。
よれば、同社はインドの Apollo Tyres との共同事業
の少なくとも 1 年間の延期を決定したとしているが、
クーパーは、2005 年中国企業を買収したばかりで
あるが、同社の汎用タイヤ中心の製造技術を中国工
トラック用タイヤのラジアル化が更に進めば、同社
場の生産に活用するとともに、米国での商品ライン
のインドへの進出が具体化すると想定される。
その他の欧州企業としては、コンチネンタルがマ
アップに中国製タイヤを加えていくものと思われる。
レーシアに、
そしてピレリが中国に進出しているが、
(4)欧州タイヤ企業の戦略と活動
ミシュランに比べるとアジアでの事業基盤は小さい。
アジアでは、ミシュラン、ピレリ、コンチネンタ
ルの 3 社が生産拠点を建設している。
7.アジア新興国現地企業の成長と先進国市場へ
の進出
アジア新興国における自動車産業の発展と先進国
タイヤ企業の合弁を主体とした進出により、新興諸
フランス企業のミシュランは、1970 年代から 80
年代にかけて米州に進出し、北米に 8 工場を建設、
22
Bartlett, C. and S. Ghoshal ,『地球市場時代の企業戦略』1989
55
アジアの経済成長とタイヤ企業のグローバル戦略
国の現地企業が技術力を蓄え飛躍的に成長しつつあ
とっても地域間のバランスに配慮した国際戦略が求
る。Tire Business 誌によれば、世界タイヤ製造企業
められている。
(了)
の上位 75 社のうち 17 社が中国企業であり 9 社がイ
ンド企業である。
参考文献及び参考資料:
そして、2005 年の中国タイヤ企業 17 社合計の売
みずほ総合研究所 (2006)『BRICs』東洋経済新報社
松山大学総合研究所 (2006)
上高は 64 百万ドルで全世界需要の 6%に達し、
「乗
『東アジアの経済発展とグローバル戦略』晃洋書房
用車用タイヤとトラック用タイヤに限って言えば、
石井菜穂子 (2003)『長期経済発展の実証分析』
中国は.
.
.おそらく世界第一位の輸出国である。
」と
日本経済新聞社
同誌は指摘している。23
日本貿易振興会 アジア経済研究所 水野順子編著 (2003)
しかし、中国及び韓国のタイヤ企業は、低価格製
『アジアの自動車・部品、金型、工作機械産業』
品の先進工業国への輸出を増加させており、このた
トヨタ自動車ホームページ, 2007 年
め低価格ゾーンのタイヤ需要が大きい米国市場では
みずほ総合研究所 (2003)『みずほリポート タイ自動車産業』
タイヤの市況は悪化し、特に大きな影響を受けてい
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 (2006)
る。グッドイヤーは、2002 年と 2003 年、北米市場
『自動車産業サプライチェーン調査』
で営業赤字を計上しているが、原燃料の高騰や販売
日本貿易振興会 アジア経済研究所 大原盛樹編著 (2003)
政策の問題に加え、アジアからの低価格タイヤの輸
『中国の台頭とアジア諸国の機械関連産業』
入増加もその一因であると考えられる。同社は、低
日本経済新聞, 2006 年 3 月 23 日付, 朝刊 9 頁
価格のプライベート・ブランド品の生産を縮小して
日本経済新聞, 2007 年 3 月 31 日付, 朝刊 9 頁
いる。2006 年には、ミシュランがカナダのキッチェ
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
Tire Business, 2007 年 2 月 12 日号
ナー工場を閉鎖し、ブリヂストンも米国のオクラホ
Tyre & Accessories, 2007 年 2 月号
マ工場を 2006 年末までに閉鎖すると発表した。
クー
M. E. Porter 編著 (1989)
パーも工場の閉鎖を計画している。このように、北
『グローバル企業の競争戦略』ダイヤモンド社
米で操業している多くのタイヤ企業が、低価格ゾー
Bartlett, C. and S. Ghoshal (1989) 吉原秀樹監訳
ンのタイヤの生産縮小や工場閉鎖に直面している。
『地球市場時代の企業戦略』日本経済新聞社
Michelin Annual Report 2005
8.アジアの経済成長とタイヤ企業の国際戦略
本稿では、アジアの新興諸国における経済成長と
自動車産業の発展、及びタイヤ産業の成長について
概観するとともに、この成長市場において先進国の
主要タイヤ企業や現地企業がどのような戦略で事業
活動を展開してきたかについて考察した。先進国の
主要タイヤ企業は、他地域にも増してアジアにおけ
る事業基盤を強化する戦略をとっているが、中国で
は現地企業を巻き込んだ多くの企業による競争が展
開されている。しかし、まだその競争の帰趨は見え
ず、北米地域などでは逆にアジアからの輸出攻勢で
事業運営に影響が出ている。アジアと欧米での事業
戦略は深く連携しており、既存の主要タイヤ企業に
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Goodyear Annual Report 2002-2005
(Received: May 31, 2007)
(Issued in internet Edition: July 1, 2007)
Tire Business, 2006 年 8 月 28 日号
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