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亀岡市就学前教育の推進に係る公立幼稚園のあり方について(最終提言)
亀岡市就学前教育の推進に係る公立幼稚園のあり方を考える懇話会(以下「懇話会」
という)は、平成 17 年 11 月 16 日に発足し、亀岡市教育委員会滝本健二教育長より1.
就学前教育の基本理念、2.就学前教育の推進に係る短・中・長期的な方策等について
提言を求められた。また第2項には、具体的な検討事項として、①公立幼稚園に求めら
れる理念と、今後の運営のあり方、②就学前教育と小学校教育との連続性、③適正な集
団活動、集団指導のあり方、④公立幼稚園・教育委員会が就学前教育に果たすべき機能
と役割、⑤その他、の 5 点が付記されている。
懇話会は7回の会合を重ね、また、公立3幼稚園長からの意見聴取、保護者に対する
アンケート結果や京都市子育て支援総合センター(こどもみらい館)の見学・研修の成
果も参考にし、以下のような提言をとりまとめた。
1. 就学前教育の基本理念について
幼児期は、心のはたらき、行動への意欲、事柄への対応や基本的な生活習慣など、
人間形成の基礎が培われる時期である。この時期に幼児は、生活や遊びといった直接
的・具体的な体験を重ねることによって、情操や知的な発達をとげ、社会の一員とし
て生きるための基礎を築いていく。子どもは本来、自ら育つ能力を備えているとはい
え、この時期に計画的、組織的に教育がなされることは、幼児にとって、その後の人
間としての生きかたを左右するほど重要な意味をもつものであり、そこに就学前教育
(「幼児教育」と同義とされているところから以下「幼児教育」として記述する場合
がある)の役割がある。
幼児期の教育の担い手としては、家庭・地域社会・幼稚園や保育所等の教育施設と
いった三者がある。この三者が緊密に連携を保ちながら教育を進めることによって幼
児の健全な育ちが保障されることになる。
これら三者のそれぞれの役割としては、家庭では両親や家族の愛情に包まれながら、
生命のつながりの不思議を知り、感謝の気持ちをはぐくみ、生活習慣の基礎やしつけ
を習得させることが期待される。
地域社会では年齢や立場の異なった様々な人との交わりや、身近な自然との触れ合
いを経験することによって、自分を取り巻く世界の広がりを実感することができる。
幼稚園等の教育施設では、幼児の自発的な活動としての「遊び」を重要な学習と位
置づけ、教員(保育士)の専門的な支えを受けながら、組織的、計画的に教育がなさ
れる。幼児は「遊び」のなかで、好奇心を育み、生活に必要な知識や技能、運動能力
を身につけていく。またほかの同年代や異年代の幼児と集団で活動することにより、
-1-
社会性や道徳心を培い、健康への関心を高め、さらに家庭では体験できない、より広
い社会・文化・自然の豊かさに触れることが可能になる。このような活動を通して、
生涯にわたる人間形成の基礎が培われ、「生きる力」の基礎が築かれる。
蛇足ながら、幼稚園等の教育施設での「学び」は、受験などのために知識を得させ
るような、いわゆる「早期教育」とは本質的に異なるものであって、目先の結果のみ
を重視するのではなく、さまざまな活動を経験することによって好奇心や探究心を養
あと
い、「生涯にわたる学習」の基礎となる「後伸びする力」の育成をめざすものである
ことを付記する。
R. フルガムはその著書「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(池
央耿、訳、河出文庫、1996)で次のように述べている。幼児教育の目指すところを端
的に示していると考え、引用しておく(一部簡略化)
。
「人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、
本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。わ
たしはそこで何を学んだろうか。
何でもみんなで分け合うこと/ずるをしないこと/人をぶたないこと/使ったものは
必ずもとのところに戻すこと/ちらかしたら自分で後片づけをすること/人のものに
手を出さないこと/誰かを傷つけたら、ごめんなさいと言うこと/食事の前には手を洗
うこと/トイレに行ったらちゃんと水を流すこと/毎日かならず昼寝をすること/おも
てに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにするこ
と/不思議だな、と思う気持ちを大切にすること/金魚も、ハムスターも、二十日鼠も、
カップにまいた小さな種さえも、いつかは死ぬ。人間も死から逃れることはできない。
子どもの本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりもたいせつな意味をもつ言葉、
『見てごらん』
」
2. 就学前教育に係る短・中・長期的な方策等について
(1)公立幼稚園に求められる理念と今後の運営のあり方
今回の諮問の主旨に鑑み、就学前教育の担い手の一つとしての亀岡市立幼稚園の
あり方に論点をしぼって検討を加えた。当然のことながら、就学前教育に関わって
いる公立保育所と公立幼稚園の相互関係についても検討すべきであるが、このたび
は充分な論議を尽くすまでには至らなかった。
公立幼稚園における幼児教育は、3歳以上の幼児を対象として、「幼児を保育し、
適当な環境を与えて、その心身の発達を助長すること」を目的とし(学校教育法第
77 条)、学校教育の始まりとしての役割を担っている。この教育は「幼稚園教育要
領」
(平成12年4月施行)に準拠し、幼児の自発的な活動としての「遊び」を重要
な学習と位置づけ、幼児の心身の発達と幼稚園及び地域の実態に即応した適切な教
-2-
育課程を編成して進められている。なお新しい幼稚園教育要領では、よいことや悪
いことの区別、友達や高齢者など他者への思いやりや社会的ルールの理解など、子
どもの自主性を尊重しながら、集団生活を通して道徳性の芽生えを培う指導も重視
されている。
ところで、子どもの発達にとって意味のある「遊び」は、子どもを放任しておい
てはなかなか生まれるものではない。幼稚園では、教員があらかじめ一人一人の子
どもの発達に必要な経験を把握し、綿密な指導計画を立てるとともに、子どもの発
達記録(指導要録)を作成し、継続的に指導がなされる。この指導計画や指導要録
に沿って、教員はそれぞれの子どもに応じて適切な援助を行い、新しい遊具の考案
や配置の工夫を行い、新しい「遊び」が生まれるように配慮する。指導計画の立案
や子どもの理解には専門的な知識や技能の習得が不可欠であり、幼稚園教諭免許を
取得した教員が従事する。教員は指導計画の立案や日々の指導に当って、十分な時
間をかけて論議したり、園独自の研究会を始め、様々なレベルの研究会や講座等に
参加し、常に専門性を高めている。こうした制度と取り組みによって、公立幼稚園
では全国的に一定のレベル以上の教育が保障されている。このことが、公立幼稚園
の果たすべき役割として、最も重要な点であろう。
このことについて、保護者アンケートで、市立幼稚園の保育内容について問うた
ところ、「満足している」
、「おおむね満足している」、とする回答が98%に達し、
その理由について、
「遊びを中心に子どもをのびのび育ててくれる」、
「自主性を尊重
し、その子に合った保育をしてもらいやすい」
、「様々な体験ができる」という答え
が多かったことは、市立幼稚園での教育が至当に行われ、幼児教育のあるべき姿が
保護者に理解されていることをうかがわせる。
いっぽう、公立幼稚園を選んだ理由について78%の保護者が保育料負担の低い
ことを挙げていることは、幼児教育の機会を広げる上で、公立幼稚園の果たすべき
役割の大きいことを示しているといえよう。
公立幼稚園はまた、地域における幼児教育の中核的な施設としての役割を担うこ
とが望まれる。市立3幼稚園ではこの役割を自覚して、すでに未就園児の親も含め
て寄せられる子育てについての悩みや疑問に応える活動を日常的に行ってきている。
また研修や参観を通して、近隣の保育所との交流も進められている。地域の特性や
人材を生かした活動も活発で、その内容も、地域の豊かな自然環境を生かした保育
実践はもとより、栽培・飼育や昔の遊びの伝承にお年寄りの援助を仰いだり、地域
に伝わる祭りや伝統行事への参加、老人福祉施設の訪問・交流、ボランティアによ
る絵本の読み聞かせ、京都学園大学のサークルとの交流など多岐にわたっており、
3園共に「地域に根ざした幼稚園」としての役割を果たしているといえよう。
ところが、こうした積極的な取り組みにもかかわらず、市立3幼稚園の園児数は、
平成 10∼11 年頃からいずれも減少を続けており、平成 17 年 5 月時点での4歳児、
5歳児を合わせた園児数と定員に対する充足率は、亀岡幼稚園で69人、29%、
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一の宮幼稚園で21人、26%、第2亀岡幼稚園で85人、53%となっている。
こうした状況は園児にとって好ましいことではなく、教職員の熱意と努力をもっ
てしても、集団保育の効果が上がりにくいなど、望ましいこととはいえない。
こうした事態を招来した理由としては、少子化が進行しているにもかかわらず、
定員は幼児急増期のままに据え置かれてきたことに加え、なによりも、3歳児保育
が実施されてこなかったことが挙げられる。このことはアンケートでの要望事項と
して、3歳児保育の実施を望む声が多いことからもうかがわれる。また、通園バス
が運行されておらず、駐車スペースの不足とあいまって通園に不便をきたしている
ことも影響していると考えられる。
幼児は3歳になると、取りまく環境への興味や関心が急速に高まり、人とのつな
がりの輪が広がり、親への全面的な依存の状態から自立へと向かい始め、親もこう
した成長をゆとりを持って見守ることができるようになる。
ユニセフの報告(2001 年世界子供白書)によれば、乳幼児の脳の発達に伴って、
視覚や情緒の抑制、習慣的な感応、言語、象徴化する認知能力は、3歳までにはほ
ぼ完成しているのに対して、仲間との付き合い方の理解は3歳頃から、また量的な
認知能力は4歳頃から可能となり始め、どちらの能力も6歳までには完成する。こ
のことは子どもの発達過程において、3歳からの集団保育への参加が可能であると
共に、その後の成長にとって重要な意義をもつことを裏付けているといえよう。こ
うした側面からも、本市の公立幼稚園においても3歳児保育の早急な実施が望まれ
る。
市立幼稚園の今後のあり方についての短・中・長期的な方策について
既に述べたように、現状のままでは、市立幼稚園への入園児の確保はますます困
難になると考えられ、公立幼稚園に対する住民の信頼や期待に応えられないことに
なる。この事態を回避し、公立幼稚園の役割を維持し、さらに発展させていくこと
は可能であろうか、早急に着手すべき抜本的な方策として、新しい理念に基づき、
新幼稚園を併設した「幼児教育総合センター(仮称、以下センター)
」の新設を提言
する。
この構想の実現には、次に挙げる4点を前提とする。
1)市立幼稚園制度は存続、維持する
2)3歳児保育を実施する
3)園舎は、センター本体と共に新築する
4)親子通園を基本とするも、なお通園に便宜を図るため、十分な駐車場スペー
スを確保する。また、通園バスの運行については、要員の配置や車両の確保
などの措置を伴うところから、今後の検討課題とする。
-4-
○センターは幼児教育の実践、子育て支援、研究・開発活動、研修活動、情報収集
と情報発信、関連施設や組織との連携の調整等といった機能や業務を総合的に行
う。
○センターは、亀岡市のすべての公立・私立幼稚園及び保育所の、就学前教育に関
する総合的な交流の場としての役割を果たす。また、幼稚園等と小学校との円滑
な連携を図る。
○センターは、子どもの発達にとって望ましい環境・施設・設備を備えたものとす
る。
○幼児教育の実践は、センター併設の幼稚園で行う。その規模としては、3・4・
5歳児それぞれ2クラス、定員は1クラス各20∼25人、合計120∼150
人規模が妥当と考える。この幼稚園の運営に必要な教職員数は、管理職や支援職
員のほか、3・4・5歳児担任教諭それぞれ2人、合計6人となる。なお、ティ
ーム保育の充実のためには、さらに1,2名の教諭配置が望まれる。
○幼児教育の実践に当っては、保育時間の延長や預かり保育といった保護者の要望
にも柔軟に対応する。
○特別支援教育(障害児教育)にも対応しうる機能を備える。そのためには、専門
職員の配備、市立病院等との緊密な連携が必要となる。
○子育て支援として、0∼3歳児を対象とした子育てについての悩み相談・親子ふ
れあいの活動や読み聞かせ等の取り組みを含み、そのための場や施設を設ける。
○研究・開発活動には、就学前教育に関する研究全般のほか、教材・遊具の開発、
絵本の制作、音楽活動、食育等に関する事柄も含む。
○センターの運営、業務の実施に当たっては、市既設の関連する機関や組織(教育
研究所、地球環境子ども村、子育て支援センター〔かめおかっこ広場〕等)が緊
密なネットワークを組んで当るほか、高等学校、京都学園大学等とも連携をはか
る。また栽培・飼育や昔遊びの伝承、伝統芸能とのふれあいなどについて、シニ
ア層の積極的な協力を得ることを重視する。なおこうした総合的な取り組みや、
連携については先進的な事例として、京都市子育て支援総合センター(こどもみ
や ち また
らい館)
、長崎県佐世保市幼児教育センター、千葉県八街市幼小中高連携教育があ
ることを付記する。
○センターの新設に伴い、現在の市立3幼稚園はセンターに併設される新幼稚園に
吸収移行する。
このところ、幼児教育関係者の努力にもかかわらず、
「近ごろの子どもの育ちが何
かおかしい」と感じられることが多い。具体的には〇基本的な生活習慣の欠如、○
自制心や規範意識の低下、○コミュニケーション能力の不足、○運動能力の低下、
小学校生活への不適応、学びに対する意欲や関心の低下、などが指摘されている。
その背景には、少子化、核家族化、都市化、情報化といった社会の急激な変化と
-5-
それに伴う人間関係の希薄化、地域における地縁的なつながりの希薄化、子ども・
高齢者や社会的弱者を大事にしない社会風潮のまん延があり、その結果、子ども同
士で遊びや葛藤をしながら成長することを体験する機会の減少、身近な自然や遊び
場の減少、近隣の大人たちの無関心など、地域社会の教育力が著しく低下してきて
いる。このことは子育ての孤立化による親の育児不安や情緒不安、子育てに夢を見
いだし難い意識や状況の強まり、過重な労働等による子育てへの影響など、家庭の
教育力の低下につながってきている。
さらに幼稚園教員自体も、自分の成長過程での多様な体験不足もあって、家庭や
地域社会の教育力の低下といった課題に十分に対応できず、保育を組み立て、実践
する能力や保護者などとの良好な関係を築く能力が十分でないといった傾向が強ま
っているといった指摘もなされている。
こうした状況を打開していくことは、わが国の将来にとって緊急の課題であり、
そのためには家庭や地域の教育力の再生・向上を図るとともに、幼稚園等の教育施
設の教育機能の拡大強化が図られねばならないと考える。幼稚園を併設した「幼児
教育総合センター(仮称)
」は、こうした現状認識のもとに構想し、提言するもので
ある。
なお懇話会では、現在の3園を存続し、すべてに3歳児学級を1クラスずつ設置
する案や現在の3園を統廃合することで、2園または 1 園とする案等も検討したが、
新たな教員の配置が必要になること、3園共に園舎の改修や駐車場の確保が必要に
なること、存続する園と廃園となる園が生ずることになり、地域間の不平等感や軋
轢を発生させ、その調整に多大な困難を迫られることなど、実現に多大な困難を伴
うことが予想されるところから、長期的な展望も踏まえて、新幼稚園を併設した「幼
児教育総合センター(仮称)」を新設する構想を提言することとした。
中・長期的な方策としては、まず、就学前教育の中核的施設として「センター」
の機能充実を図ることが期待される。また近年、文部科学省と厚生労働省は、幼稚
園と保育所両施設の連携を進めてきており、少子化が急速に進行している地域など
では「就学前の教育・保育を一体として捉えた一貫した総合施設」の設立について
も準備されてきている。本市においても、
「センター」を中核とした「総合施設」設
置が課題となるであろう。
(2)就学前教育と小学校教育との連続性
就学前教育を修了した子どもは、期待と共に不安を抱きながら小学校に進学する。
入学時に戸惑いを覚えたり、それまでの「育ち」を否定されるようなことがあって
はならない。子どもたちが学校生活に適応していくためには、学校と幼稚園(保育
所)の双方がそれぞれの教育内容を十分に理解しておくことが極めて重要である。
従来は、幼稚園等での個々の子どもの生活実態を学校側に伝えることや、運動会
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等の学校行事に参加することに留まっていたが、学校側も幼稚園等での教育に理解
と関心を示すことが望まれる。このことは一般的に、前段階(小学校前の幼稚園等、
中学校前の小学校)で大切にしている教育を、次の段階の教育機関がしっかりと受
け止めることが必要ということである。例えば、小学校にとっては単なる「遊び」
であっても、幼児にとっては大切な「学び」であることも多い。また、幼稚園等で
の年長児、小学校での六年生は、幼稚園、小学校では、それぞれリーダーの役割を
果たしているが、小学校、中学校に入学すると、その力量にかかわらず「新入生」
として扱われることになり、力が発揮できなくなることもある。留意すべきことで
あろう。
幼稚園等と小学校の連携にあっては、教員同士が交流することで地域においても
つながりが生まれ、互いに子どもに対する理解が深まることになる。また、小学校
教員が幼稚園等の保育を参観することも連携強化にとって必要であるが、このとき
「小学校で必要な態度が育まれているか」といった意識になっていないか、考える
ことが求められる。幼稚園教員や園児が小学校での授業を参観したり、施設を見学
したりする試みも取り入れると、園児にとっては不安感の解消にもつながり、学校
不適応を防ぐことにもなる。こうした幼稚園(保育所)と学校間の相互訪問の取り
組みが保護者にも広がれば、連携はいっそう深まることが期待される。ただこれま
での幼少連携の取り組みにあっては、公立幼稚園等と小学校の間では円滑に進めら
れているが、私立幼稚園等と小学校の間のコミュニケーションは必ずしも円滑では
ない。教育委員会の支援が望まれるところである。
(3)適正な集団活動、集団指導のあり方
現在、地域において集団で遊ぶ機会が少なくなってきているだけに、幼稚園等で
の集団活動は重視されなければならない。子どもたちは「遊び=学習」を通じて友
達とのかかわり方やルールを覚え、決断する力やケンカなどでの力の限度なども身
につけ、心身ともにたくましく成長していく。
子どもは仲間と一緒に遊ぶことを求めており、集団で遊ぶことは、ひとり遊びで
は得られない楽しさを伴う。しかし集団での遊びには、楽しさばかりではなく、楽
しくない側面も伴う。わがままを抑え、我慢や辛抱を必要としたり、ウマの合わな
い子どもともグループを組まねばならないこともある。集団活動はこうした両面を
含んでいることに指導者は留意しなければならない。
集団指導においても指導者は、一緒に仲良く遊べるようになることが良いことと
考えがちであるが、必ずしもそうばかりとはいえない。現実の保育の場でよく経験
することであるが、既にグループ遊びが進んでいるとき、新しくグループへの参加
を求める子どもがあった。すんなりと受け容れられれば良いが、グループが参加を
拒否した場合、指導者が介入することで、グループへの参加を認めさせることがあ
る。はたして、そうした指導が適切であったかどうか。
-7-
幼稚園での指導には、完全なマニュアルは存在しない。いかなる指導が望ましい
か、必ずしも解答はひとつとは限らない。指導者に、日々の研鑽が求められる所以
であり、組織的な研究や研修を必要とするところでもある。
集団活動を支える大切な要素に「環境」がある。保育環境には、
「身体的な発育に
かかわる環境」と「精神的な成長にかかわる環境」の二つの側面があるといわれて
いる。子どもは成長の過程で、体験を通して「環境」と関わりを持つと同時に、
「環
境」に触発されて、豊かな体験を持つことになる。保育環境の豊かさは、遊具や教
材、絵本等々の「物の豊富さ」にあるのではなく、子どもの興味と関心を引き出し、
子ども自身が主体的に働きかけ、関わりを持とうとするような環境であるかどうか
にかかっているといえる。この点でも、指導者の経験と力量が問われることになる。
幸い本市にはのびのびと遊べる環境、農業が体験できる農園など、豊かな自然や緑
とふれあうことができる環境が備わっており、この利点を活用していく必要がある。
(4)公立幼稚園・教育委員会が就学前教育に果たすべき機能と役割
公立幼稚園の機能、特色、役割、3歳児保育の必要性等については(1)で述べ
ている。
教育委員会の果たすべき役割について、京都市のこどもみらい館では、教育委員
会や福祉部局といった行政の壁を取り払い、館の運営や子育て相談業務などに対応
していることは画期的である。亀岡市においても、そうしたネットワーク型の組織
や、こどもみらい館のような機能を備えた機関をもつことが必要ではないか、国に
先行して、地方から垣根を取り払うような意識を持つことが必要、といった意見が
出された。
(5)その他
上記のほか、就学前教育のあり方にかかわって様々な意見がだされた。以下に列
記する。
【子どもや親のネットワーク】
・ こどもみらい館は、子ども同士、親同士の新しい地域の輪を創り出している。亀
岡で施設に通っていない親子にもそういう場が必要。
・ 近所には友達が少なく、ガレリアかめおかには遠い地域では、親同士がコミュニ
ティをつくる場を求めている。
・ 小学校入学までに、どのような子どもに育てたいのか、親の役目や目標も大切。
【公立・私立幼稚園の役割分担について】
・ 亀岡の幼児教育においては、私立幼稚園が、量的にも、特徴的な取り組みの面か
らみても、大きな責任を果たしている。就学前教育においては、私立も含めて亀
岡の子どもの育ちを見守るという視点が必要。
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・ 公立・私立は、ともに亀岡の子どもを育むという意識で互いにがんばっていくこ
とが大事で、垣根があることはおかしい。
・ 公立幼稚園は、研究成果を共有できるよう、情報発信をこれまで以上に強めてい
く必要がある。
【私立幼稚園への期待】
・ 私立幼稚園では、園児が知識を吸収しすぎるという側面があるが、子どもが伸び
る過程で芽を摘むことなく、個性を伸ばすことは必要。
【親育て・親育ち】
・ 家庭に閉じこもっていると、子育ての負担感は大きい。子育てに悩みや不安を持
つ親に対する「親育て」が大きな課題。
・ 子どもの発表会で、自分の子どもが出ていないときには騒がしい親もいて、注意
も難しい。
「親育ち」が必要。
・ コミュニケーションや対人関係が苦手な保護者もいることを理解する必要がある。
・ 父親や母親が学び、日頃の思いを打ち明け、発散できる場をつくることが大切。
・ どの親も一生懸命、子育てに取り組んでいる。
「親育て」という議論はその努力を
否定されるようで違和感がある。
・ 新興住宅地では新たな友人を求める人も多く、みんな輪の中に入りたいと思って
いるが、
「学ばなければいけない」という押し付けには抵抗がある。
・ 子どもの育ちへの父親の参加も重要。
【食育・食生活】
・ 食べることに対する力が弱まっており、家庭と共に、地域社会でケアする方法を
考えることも必要。
まとめに代えて
就学前教育に関して、ことは日本の未来にかかわっている重い課題であり、懇話会
では真剣な意見交換が行われた。むすびに、幼児教育の成果が如実にあらわれている
詩を紹介してまとめに代えたい。
ようちえん
ああ
あ
す
み
島田明日望
(6歳)
はやくおとなになりたい/おとなになったら/ようちえんのせんせいになっ
て/また/まつえようちえんに/かようの
-9-