犬と猫の内分泌疾患 ハンドブック (2011.9.11 版) 松木 直章(東大・獣医臨床病理学研究室) はじめに もくじ すべての内分泌疾患は、ある特定のホルモンが 過剰になるか、あるいは不足することによって引 きおこされる。ホルモンが過剰になる原因の多く は、内分泌腺の腫瘍もしくは過形成である。ホル モンが不足する原因の多くは、内分泌腺の破壊か 萎縮である。考えてみれば(考えるまでもなく)内 分泌疾患の発症機序はかなり単純である。もちろ ん、ホルモンと名のつく物質は多種多様であり、 しかもそれぞれが密接な相互関係を保っているの で、実際の症例における病態はそれほど単純なも のにはならない。しかし、どれほど複雑にからみ あった病態でも、ホルモン測定値という正確で客 観的な指標がある限り、迷うことなく理詰めで診 断でき、診断できれば治療でき、それらの情報も 共有できるはずである。 一方、内分泌疾患の検査法や治療薬には、海外 では一般的だが国内では利用できないもの、逆に 国内でのみ利用できるものなどがあり、臨床に際 して制約が多いのは確かである。検査法や治療薬 の多くはヒトの医学に頼っているので、ヒトの医 学が少し変更されるだけで大きな影響をうけるこ ともある。このことから、内分泌疾患の臨床は「わ けのわからないもの」や「面倒くさいもの」だと思 われるかもしれない。しかし、動物の内分泌疾患 は、限られた検査法や治療薬のうち最も正しいも のを選択し、愚直に扱っていくのが王道である。 このハンドブックは東京大学附属家畜病院の学 生・研修医のために編集した。その目的は二つあ る。第一の目的は、獣医師に常識的に求められる common practice の範囲を示すことである。内 分泌学の専門書は情報過多であり、内科学の教科 書には足りない情報がある。このハンドブック は、おもに英米の common practice を意識して 記述した。第二の目的は、新しい検査・治療法や日 本独特の事情など、教科書に書かれていないこと を補完することである。◆一般的でない内容、著 者個人の経験に基づく内容、Tips(コツ)などは 斜体で表記してある。まずは、最近のスタンダー ドな教科書("Small Animal Internal Medicine" 第 3 版.の 49∼53 章を推奨)を一読し、このハンド ブックはそれを補完するものとして利用していた だきたい。 犬の糖尿病 猫の糖尿病 糖尿病性ケトアシドーシス 犬のインスリノーマ 犬のクッシング症候群 猫のクッシング症候群 アジソン病(副腎皮質機能低下症) 原発性アルドステロン症 褐色細胞種 犬の甲状腺機能低下症 猫の甲状腺機能亢進症 低 Ca 血症(副甲状腺機能低下症) 高 Ca 血症 視床下部・下垂体の疾患 内分泌疾患に使用する薬剤の副作用 内分泌疾患に関連する検査の依頼先 p01 p09 p15 p19 p22 p32 p34 p37 p38 p40 p43 p48 p50 p53 p58 p63 注意と免責事項 このハンドブックは獣医学生や獣医師が個人で ダウンロード・保存・印刷・閲覧する限り無償です。 獣医師が診察に利用する場合は必ず自己責任で 行ってください。内容は随時更新されるので必ず 最新版を利用してください。古い版の内容は保証 しません。内容についての指摘は著者に連絡して ください。二次利用(内容改変、不特定多数への配 布、出版)する場合も著者に連絡してください。 ※ このハンドブックは EGWord Universal for Mac で編集し、MacOSX の印刷機能を利用して PDF 生成しています(ヒラギノ丸ゴシックフォン ト使用)。Windows XP+ Adobe Reader でも一 応表示確認しています。 (c) Naoaki Matsuki 2004-2012 E-mail: amki@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp 犬の糖尿病 概要 糖尿病はインスリンの絶対的または相対的な不 足により、持続的高血糖をはじめとする代謝異常 を呈する症候群である。代謝異常の程度によって 無症状からケトアシドーシスや昏睡にいたる幅広 い病態を示す。犬の糖尿病の診断は容易だが、厳 密な血糖コントロールはかなり難しい。犬では白 内障や腎症などの糖尿病合併症が起こりやすく、 数年単位の長期予後は要注意である。 め、現在では IDDM や NIDDM という言葉は使わない方 がよい。また、ヒトと動物では糖尿病の病態が異なるた め、IDDM や NIDDM という言葉を犬や猫にあてはめる と誤解が生じるおそれもある。 病因論:犬の糖尿病 病因論:ヒトの糖尿病 ヒトの糖尿病はその病因に基づいて、以下の 4 つに分類されている(日本糖尿病学会, 1999)。 写真 1. 犬の「原発性」糖尿病でみられる膵島の空胞変 性。 1) 1 型糖尿病 2) 2 型糖尿病 3) その他の特定の機序・疾患による糖尿病 ・遺伝子異常に伴うもの ・膵炎、副腎疾患などに伴うもの 4) 妊娠糖尿病 ヒトの1型糖尿病は自己免疫疾患と考えられて おり、膵島炎により膵 β 細胞が破壊され、絶対的 なインスリン不足により発症する糖尿病である。 2 型糖尿病は多因子性の疾患であり、家族歴、環 境、生活態度が発症因子となる。肝臓、脂肪組織、 骨格筋でのインスリン抵抗性が主因となって持続 的高血糖を示す。初期には膵臓のインスリン分泌 が亢進するが、次第に膵島へのアミロイド沈着に よって β 細胞が減少し、インスリンが不足するよ うになる。 ヒトでは糖尿病をおこす遺伝子異常として、ミ トコンドリア遺伝子異常、インスリン遺伝子異常、 インスリン受容体遺伝子異常などが知られてい る。膵炎や内分泌疾患などによる糖尿病は、 (原発 性に対して)続発性糖尿病と呼ばれることもある。 妊娠糖尿病は黄体ホルモン(プロゲステロン)に よるインスリン抵抗性を主な原因とする。 ◆糖尿病が病因によって分類されるようになる以前には 「インスリン依存性糖尿病(IDDM)」と「インスリン非依 存性糖尿病(NIDDM)」という言葉が使われていた。こ れは患者の治療にインスリンが必要か否かという便宜 的な分類であり、病因を反映するものではない。このた -1- 犬の糖尿病は、およそ以下のように分類できる。 1) 膵島の空胞変性による原発性糖尿病 2) ヒトの 2 型糖尿病に類するもの? 3) 膵炎に伴う糖尿病 4) クッシング症候群に伴う糖尿病 5) 高エストロゲン血症に伴う糖尿病 6) 高プロゲステロン血症に伴う糖尿病 7) 先天性または若年性糖尿病 8) 医原性糖尿病 犬の糖尿病の多くは、写真 1 のように膵島の空 胞変性によってインスリン分泌が不足する糖尿病 である。犬では免疫介在性の膵島炎による真の 1 型糖尿病は報告されていないため(猫や牛では報 告がある)、このタイプの糖尿病は「原発性」糖尿 病と呼ぶのが適切だと思われる。 糖尿病の犬のなかには、ヒトの初期の 2 型糖尿 病のように、高インスリン血症がみられ、しかも 他の内分泌異常が認められないものがいる。これ らはおそらくヒトの 2 型糖尿病に類するのだと思 われるが、疾患像としては確立されていない。 急性膵炎や慢性膵炎は犬の糖尿病の基礎疾患と してしばしば認められ、原因として確定しやすい。 クッシング症候群、高エストロゲン血症、高プ ロゲステロン血症はいずれもインスリン抵抗性を 誘発して糖尿病の原因または増悪因子となる。そ の他の原因として、先天性の膵島形成不全による 若年性糖尿病がしばしば認められる。 シグナルメント 画像診断 日本国内では糖尿病の好発犬種は知られていな い。犬の糖尿病は年齢を問わず発生するが、中∼ 高齢(8 歳以上)の個体が 80%ほどを占める。雄よ り雌にやや多い傾向があり、これは発情と高プロ ゲステロン血症に関連した糖尿病が存在するため だと思われる。 犬の糖尿病に特異的な画像診断所見はない。し かし、腹部 X 線検査と腹部エコー検査は省略すべ きでない。 腹部 X 線検査では、肝腫大(糖尿病またはクッシ ング症候群)、内臓脂肪の増加(クッシング症候 群)、副腎腫大(副腎腫瘍)、子宮蓄膿症など、糖尿 病の基礎疾患あるいは鑑別疾患の発見に役立つ。 腹部エコー検査では、写真 3 のように慢性膵炎 が描出されることがある。正常な膵臓をエコーで 描出することは難しいが、慢性の浮腫性膵炎では 腫大した膵臓が容易に観察できる。さらに、肝臓、 膵臓、腎臓、膀胱、子宮、卵巣、前立腺などをスク リーニング的に観察することで、糖尿病の原因や 増悪因子となる内分泌疾患や炎症性疾患を発見す る努力をするとよい。 病歴と症状 犬の糖尿病症例の多くは典型的な症状(多飲、多 尿、体重減少)を主訴に来院する。他に基礎疾患 (とくに膵炎、クッシング症候群)がある場合に は、その基礎疾患に応じて色々な症状が混在する。 ケトアシドーシスに陥ると食欲不振、元気消失、 衰弱、嘔吐、下痢などを呈する。犬では非ケトン 性高浸透圧性昏睡はまれである。 問診では、食餌内容、過去数ヶ月の投薬歴(とく にホルモン製剤)、雌の避妊の有無、最終発情時期 を必ず聴取しなければならない。 写 真 3. 糖 尿 病 の 基 礎 疾 患:12 歳、去 勢 雄、ヨ ー ク シャー・テリア。糖尿病を併発した膵炎のエコー像。膵 臓が腫大している。膵炎では低エコーと高エコーの縞 模様がみられることがある。 血液検査 写真 2. 原発性糖尿病により多飲、多尿、削痩、被毛粗 剛、糖尿病性白内障を呈する犬。 身体検査 写真 2 に犬の糖尿病の典型例を示したが、この ような典型例はむしろ稀である。糖尿病の犬の栄 養状態は様々であり、痩せている場合が多いが、 肥満していることもある。現時点で肥満していて も、体重は減少過程にあることが多い。軽度の脱 毛、皮膚や被毛の乾燥、抜け毛が多いなどの皮膚 症状はしばしば認められる。白内障があるとして も初診時には軽度であることが多い。基礎疾患あ るいはケトアシドーシスなどの合併症がなけれ ば、犬は一見元気である。 -2- 基礎疾患あるいは併発疾患がなければ、CBC に は異常が認められない。血液化学検査では以下の 変化が現れやすい。基礎疾患や合併症があれば、 それらに応じた異常が現れる。 ・基礎疾患や併発疾患がない場合 高血糖 高コレステロール血症 高トリグリセリド血症 ALP 活性上昇(非特異的) 低 Na(高血糖による見かけの低下) 高 K(インスリン不足による) ・糖尿病性ケトアシドーシスの場合 低 Na 血症(尿への喪失) 低 K 血症(尿への喪失) 低 Cl 血症(尿への喪失) 低 P 血症(尿への喪失) とくに、クッシング症候群、膵炎、雌犬の発情およ び卵巣疾患(黄体嚢腫など)は糖尿病の基礎疾患と して重要であり、必ず除外または診断・治療しなけ ればならない。 尿路感染症やその他の炎症性疾患、白内障やぶ どう膜炎による視力障害は、それぞれ犬に肉体的 あるいは精神的ストレスを与え、糖尿病治療の障 害となる。 ・非ケトン性高浸透圧性昏睡(犬ではまれ) 著しい高血糖(> 600mg/dL) 高窒素血症(腎不全・循環不全による) 高浸透圧血症(> 350 mOsm/L) ・糖尿病の基礎疾患 クッシング症候群 膵炎 発情 卵胞嚢腫 黄体嚢腫 子宮蓄膿症 ◆血漿浸透圧は以下の式でかなり正確に近似できる (mOsm/L) = 2(Na+K) + BUN/2.8 + Glu/18 (Na, K は mEq/L、BUN, Glu は mg/dL) 尿検査 無治療の糖尿病の犬では必ず尿糖陽性になる。 尿に含まれるグルコースのため尿比重は高くなる (1.025 以上)。さまざまな程度のケトン体が認め られる。 多くの犬では尿路感染のため、微生物(細菌、真 菌)、赤血球、白血球などが認められる。尿中のブ ドウ糖を細菌が分解してガスが発生し、気腫性膀 胱炎になることもある。尿路感染症は糖尿病治療 の障害になり、腎盂腎炎などのリスクを高める。 糖尿病の犬では尿細菌培養と、カンジダを含む真 菌培養も行うべきである。 ・糖尿病の併発疾患 尿路感染症 (膀胱炎、前立腺炎、腎炎) 慢性腎不全(腎症) 白内障 ぶどう膜炎 網膜症 皮膚炎・皮膚感染症 脱毛 糖尿病治療の概要 糖尿病治療の目標は QOL の改善であり、具体的 には多飲・多尿の改善、合併症(白内障、網膜症、 腎症など)の予防などである。犬では血糖コント ロールを厳密にしても白内障や網膜症を防ぐのが 難しい。血糖コントロールが不良であれば、かな り早い時期に腎症(進行性の慢性腎不全)が問題と なる。たとえ臨床的な慢性腎不全が起こらなくて も、病理組織学的には糸球体や近位尿細管の障害 が進行しているので、糖尿病が犬の腎臓に与える 影響を軽視してはいけない。その他の合併症は短 期∼長期を通じてあまり問題にならない。 ◆尿の培養検査は、糖尿病の診断時だけでなく治療中に も定期的に行うとよい。顕微鏡的に細菌や真菌が観察 できなくても、培養検査で陽性となることがある。 糖尿病の診断 特徴的な症状(多飲、多尿、体重減少)、空腹時 高血糖、尿糖陽性の 3 項目がそろえば糖尿病と診 断してよい。しかし、以下に述べる基礎疾患や併 発疾患を診断し、解決することが重要である。 基礎疾患・併発疾患の診断 犬を糖尿病と診断したら、糖尿病の疾患分類の ため、治療計画のため、あるいは予後判定のため に基礎疾患・併発疾患の検査をしなければならな い。改めて病歴聴取や身体検査をするなど、基本 に戻って基礎疾患や併発疾患を見落とさないよう にする。 犬でよくみられる基礎疾患・併発疾患を挙げる。 -3- 雌犬の避妊の重要性 発情後には、黄体から分泌されるプロゲステロ ンが強力なインスリン抵抗性を引き起こす。糖尿 病の治療中に発情すると、血糖コントロールが著 しく困難になる。この状態は黄体が自然消退する まで 1 カ月以上も持続する。黄体嚢腫の例ではさ らに長期間の高プロゲステロン血症が糖尿病治療 に悪影響を与える。このため、糖尿病と診断した 雌犬では可能な限り卵巣(子宮卵巣)摘出術を行 う。一過性の発情後高血糖であっても、将来(次回 発情時)の再発や糖尿病移行を予防するためには 手術するほうがよい。同様の理由で、一過性の発 情後高血糖を起こした雌犬は繁殖に使わないほう がよい。妊娠中の高血糖は母体と胎児に悪影響を 与える。 a) インスリン療法の目標 糖尿病のインスリン療法では、血糖値をどの範 囲にコントロールするか、予め目標を立てておく 必要がある。犬では、比較的軽度の高血糖(200 mg/dL 程度)でも尿糖が陽性となり、その程度の 高血糖が持続すると白内障や腎症が現れる。一 方、血糖値が 60 mg/dL 程度になると低血糖症状 が現れる。このため、糖尿病の犬ではインスリン を適切に使用し、血糖値を 80∼180 mg/dL 程度 の範囲に厳密にコントロールしなければならな い。しかし実際には、このような厳密な血糖コン トロールはきわめて困難である。 ◆プロゲステロン自体もインスリン抵抗性の原因にな るが、犬ではプロゲステロンが正常な乳腺組織を刺激 し、乳腺で異所性の成長ホルモン分泌を起こすといわれ ている。この現象は他の動物では知られていない。成 長ホルモンによるインスリン抵抗性はきわめて強力で ある。 b) インスリン製剤の選択 犬の糖尿病は、ヒト用に市販されている組換え ヒトインスリンで充分に治療できる。米国では、 豚インスリンを亜鉛懸濁インスリン製剤化したも の(商品名 Vetsulin)が販売されている。 食事と生活指導 犬の糖尿病を良好にコントロールするために は、食事療法と適度な運動が必要である。食事療 法には糖尿病用の処方食を用いるとよい。犬の糖 尿病処方食は食物繊維が強化されており、食後の 一過性高血糖を抑制する。処方食を好まない犬で は、成犬用または老犬用のドライフードまたは缶 詰を与える。半生フードには多量の糖分が添加さ れているので糖尿病治療には適さない。血糖コン トロールに必要でない限り、間食は避けるほうが 無難である。 運動はできるだけ毎日一定にする。インスリン 治療中の犬が急に激しく運動すると(競技犬、猟犬 など)、致命的な低血糖に陥る危険がある。 ◆犬とヒトのインスリンは、アミノ酸の 1 次配列で 1 箇 所(B 鎖の末端)のみが異なる。犬と豚のインスリンは 全く同一である。犬に投与する場合、ヒト型インスリン と豚型インスリンの作用には事実上差がない。 インスリン製剤を選択するために大切なのは、 皮下投与した場合の持続時間である。 一般に、小 型犬では皮下投与したインスリンの作用時間が短 く、大型犬では長い。このため小型犬では作用時 間の長いインスリン、大型犬では作用時間が比較 的短いインスリンを使用する。犬に用いやすいイ ンスリン製剤を表 1 に示した。これらを単剤また は組み合わせて使用することで、糖尿病の犬のほ とんどに対応できる。また、これらの製剤は猫に も用いることができる。 インスリン療法 糖尿病に罹患した犬のほとんどは、膵臓でのイ ンスリン合成・分泌能を失っている。つまり、これ らの犬では生存あるいは血糖コントロールのため にインスリン療法が必要である。すぐにインスリ ン療法を開始しないのは、クッシング症候群や発 情後高血糖などの基礎疾患が明らかであり、かつ 糖尿病による臨床症状が軽度である場合に限られ る。これらの場合にも血漿インスリンを測定して 高値である(インスリンは過剰に分泌されている が、インスリン抵抗性により糖尿病が発生してい る)ことを確認するべきである。基礎疾患を完全 に把握していない限り、犬を糖尿病と診断したら インスリンの使用を躊躇してはならない。後述す るように、犬では経口血糖降下剤を使用する機会 はまずない。 インスリンの種類 インスリングラルギン インスリンデテミル 豚由来(Vetsulin) NPH 混合製剤(30Rなど) レギュラーインスリン 作用時間 長 守備範囲 小型∼ 中型犬 短 大型犬 表 1. 犬の糖尿病治療に用いやすいインスリン -4- ◆インスリンデテミル(レベミル:ノボ・ノルディスク) はヒトの持続型インスリンとして 2007 年に発売され た。犬では単位あたりの血糖降下作用が他剤よりも強 い。このため、他剤からインスリンデテミルに変更する 場合には、低血糖を起こさないように単位数を減量しな ければならない。 スリンは作用時間が中庸なので、犬で最初に血糖 曲線を作成するには都合がよい。 例)ノボリン N, 0.4 U/kg(q12h) 図 1 のように、インスリン投与前、投与後 3、6、 9 時間の血糖値を測定し、血糖曲線を引く。初期 の段階では、その犬におけるインスリン作用時間 を知ることが重要である。理想的には、インスリ ン注射後に血糖値がゆるやかに下降し、5∼7 時間 程度で極小(底:nadir)となり、次第に投与前値 に復帰するとよい。 ◆国内ではすべてのインスリン製剤が 100U/mL 液とし て販売されている。インスリン製剤はできる限り希釈 せずに用いるべきだが、犬のサイズによってはやはりイ ンスリンを希釈しなければならないことがある。イン スリン製剤を生理食塩水で希釈する場合、希釈倍率はで きるだけ低く抑える(2 倍∼5 倍程度)。インスリングラ ルギン(ランタス)は特殊な酸性緩衝液に溶解されてお り、希釈できない。 c) インスリン療法の実際 犬では、1 日 2 回、決まった時刻に決まった食事 (前記の糖尿病治療食)を与え、食事の直後にイン スリン注射することを基本とする。 ◆わずかな例外を除き、犬へのインスリン投与は 1 日 2 回必要である。1 日 1 回のインスリン投与では充分に血 糖をコントロールできず、合併症が早期に現れるため長 期予後が悪化する。 d) 血糖曲線による初期の管理 「血糖曲線」は、インスリン投与後の血糖値の変 動をグラフ化したものである。グラフは紙に書か なくても、正しく想像できればよい。インスリン の作用時間の長さ、作用の強さを把握し、適正な インスリン治療を行うために、ときどき血糖曲線 を作成するとよい。 ◆ケトアシドーシスや非ケトン性高浸透圧性昏睡の犬 では血糖曲線を作成している余裕がない。これらの犬 では緊急治療が必要である。また、様々な併発疾患がイ ンスリン作用の強さや持続時間に影響する。血糖曲線 を作成するには、併発疾患を管理できているか、少なく とも併発疾患の存在が把握できており、犬が自宅で元気 に生活できるレベルでなければ意味がない。 血糖曲線を作成するときは、犬を数日間の予定 で入院させる。オーナーの生活習慣に合わせて食 事と注射の時間を決める。糖尿病用処方食を 1 食 につき 30∼40 kcal/kg 程度与える。肥満犬では この範囲で少な目に、削痩した症例では多めにし てよい。食べ残した場合には取り除き、インスリ ンを皮下投与する。犬のサイズに関わりなく、最 初は NPH インスリンを用いるとよい。NPH イン 図 1.インスリン初期治療の血糖曲線 インスリンの作用が短い場合には、より作用時 間の長いインスリン製剤に変更する(例:NPH→ イ ンスリングラルギン:表 1 を参照のこと)。インス リンの作用が長すぎる場合には、より作用時間の 短いインスリン製剤に変更する(血糖値が適正な 範囲で維持できるなら、1 日 1 回投与を試してみて もよい)。 使用するインスリン製剤が決まったら、投与前 の血糖値と、極小の血糖値の差(インスリン作用の 深さ)が 200∼250 mg/dL となるように、インス リン投与量を増減する(図 2)。インスリンを使用 し始めたばかりの段階では、血糖値を正常範囲 (100 mg/dL)に近づけようとしてはならない。 インスリンを過剰に投与すると低血糖の危険が ある。低血糖に陥った体内では、血糖値を上昇さ せるためにグルカゴン、グルココルチコイド、カテ コラミンが分泌され、血糖値は急激に上昇する。 また、これらの血糖上昇ホルモンは強いインスリ ン抵抗性をもつため、その後約 1 日はインスリン を投与しても血糖は降下しなくなる。これを「ソ モギー効果」という。 -5- いることもあるが、犬が驚くので細い注射針を薦める。 図 2.適正な血糖曲線とソモギー効果 e) 維持治療とインスリン投与量の調節 自宅に帰ったら、インスリン投与量は一定にす る。初期治療で血糖値の底が高くても、しばらく 投与しているうちに、血糖曲線は全体に降下する (図 3)。これは外因性インスリン投与によって高 血糖が緩和されると、次第に内因性インスリンの 合成と分泌が復活して「グルコース中毒」が解消さ れることによる。これを考慮せずに不用意にイン スリンを増減してはいけない。これは血糖コント ロールで最も陥りやすい失敗のひとつである。 ◆絶対的な低血糖(血糖値< 60 mg/dL)に陥らなくて も、血糖値が急激に低下すると同様の反応が起こる。 反対に、血糖が降下しない場合には、インスリ ンの 1 回投与量を 2∼5 割ずつ増やす。インスリン の 1 回投与量が 1.5 U/kg を越えても血糖が降下し なければ、重篤なインスリン抵抗性と判断し、併 発疾患(クッシング症候群など)を再検討する。 血糖曲線がちょうどよい状態になったら、その 時点のインスリンを当面の投与量として、犬を帰 宅させる。オーナーにはインスリン投与法、低血 糖時の対応、自宅での尿糖検査を指導する。 図 3. インスリン継続による血糖曲線の変化 ◆犬では(猫と異なり)ストレス性高血糖はあまり目立 たないが、皆無でもない。分離不安やストレスを受けや すい犬の場合には、ある程度血糖コントロールの目安が 得られたら早期に退院させるほうがよい。 治療開始後しばらくは 1 週間程度の間隔で再検 査する。朝、普段通りの時間に食餌を与えてイン スリン投与し、午後(血糖が最低になる時間帯が望 ましい)に来院してもらう。 来院時には動物の状態(飲水量、尿量、脱水の程 度、体重)を観察し、血糖測定を行う。体重はその 犬種の理想体重に近づけるようにする。血糖曲線 の底が 80∼180 mg/dL になることを目標にイン スリン投与量を調節する。できれば 1 日を通して 血糖値が 100∼250 mg/dL の範囲に入っている のが理想であるが、ここまでコントロールするの は非常に難しい。 インスリンを増量しても思ったようなコント ロールができないときは、併発疾患を探すか、血 糖曲線を書き直すほうが安全である。糖尿病を治 療しているうちにインスリン感受性や作用時間が 変化することもある。血糖曲線を見れば、適宜イ ンスリン製剤を変更する材料にもなる。インスリ ンをむやみに増量すると致死的な低血糖を起こす 危険がある。また、インスリン投与直後に急激な 血糖降下が起こり、ソモギー効果によって検査時 には高血糖になっているのかもしれない。 ◆ポータブル型の血糖測定器を使えば、採血時に犬に与 えるストレスが小さくなる。オーナーの理解があれば自 宅で血糖曲線を作成することもできる。ポータブル型の 血糖測定器の欠点は、測定値が低めになりやすいことで ある。検査機器と比較すると 30∼100 mg/dL ほど低 くなる。このため、実際にはコントロール不良でも、良 好だと勘違いすることになる。あるいは、実際には低血 糖でないのに低血糖だと勘違いし、インスリン投与量を 減らしてしまうことになる。 ◆ポータブル型で血糖を測る場合、耳介から採血すると 痛みが少ないようである。深爪は犬へのストレスがか かりやすく、繰り返しの検査がしにくくなる。耳介から 採血するには、耳介の内側(短毛なら外側でも可能)に 少量の黄色ワセリンを塗るのがコツである。黄色ワセ リンを塗った部分を 23G の針先で浅く刺すと、じわじ わと出血した血液がワセリンではじかれ、水玉のように なる。この血液を試験紙で吸い取り、機械で測定する。 ワセリンを塗らないと、血液は毛に吸い取られてしま う。針が飛び出すタイプの穿刺器具が機械に付属して -6- b) 糖吸収阻害剤 アカルボース(グルコバイ:バイエル)は小腸で の二糖類吸収を遅延させ、食後の急速な血糖上昇 を予防する。糖尿病処方食は、食物繊維を増量し て急激な血糖上昇を防ぐように設計されている。 しかし処方食の嗜好性が悪い場合や、他の疾患(膵 炎、腸炎、アレルギー疾患)の治療を並行する場合 には、通常の食餌または処方食に本剤を添加して 与える意義があるかもしれない。副作用としてし ばしば下痢・腸管での異常発酵(放屁)が認められ る。 f) さらなるインスリン療法 図 4 のように、血糖曲線がいびつになった場合、 インスリン製剤を変更するか、2 種類以上のイン スリンを併用することで、よりよい血糖曲線にす ることができる。とくに、作用時間のより長い製 剤を併用すると、血糖曲線を平坦化しやすくなる ことが多い。 図 4. インスリン 2 剤併用による血糖曲線の改善 グルコバイ: 2 mg/kg, BID c) 糖尿病性白内障の治療 糖尿病の犬では白内障がほぼ必発する。どれほ ど厳密な血糖コントロールをしたとしても、白内 障は避けられないことが多い。 グルタチオン点眼液やアルドース還元酵素阻害 剤の白内障予防効果はほとんどない。白内障の治 療には眼科手術が必要である。白内障が進行する と網膜もすぐに萎縮するため、手術で視力を温存 するには早期治療が重要である。網膜誘発電位 (ERG)検査で網膜機能が正常であることを確認 し、できるだけ早期に手術する。 糖尿病の犬ではブドウ膜炎や緑内障も起こりや すく、白内障治療の障害にもなる。糖尿病に併発 したブドウ膜炎には、非ステロイド系の消炎剤を 用いる。不用意にステロイド系点眼薬を用いる と、ステロイドが血中に入ってインスリン抵抗性 の原因になる。 f) 長期管理 体重が安定し、尿糖が陰性∼弱陽性であり、臨 床症状が良好であれば、インスリン投与量をいっ たん固定して 4∼6 週間ごとに定期検査する。 糖尿病のモニタリング 糖尿病の重症度や治療効果を評価するために、 フルクトサミン、糖化アルブミン、糖化ヘモグロビ ン(HbA1c)などの糖尿病マーカーが利用されて いる。 その他の治療法 a) 経口血糖降下剤 犬で経口血糖降下剤を単独使用する機会はほと んどない。犬ではインスリンが絶対的に不足した 症例が多いため、膵臓のインスリン分泌を刺激す るスルフォニルウレア剤(SU 剤)は無効か、むし ろ有害である。ビグアナイド系の薬剤が部分的な 効果を示したという報告はあるが、ほとんど用い られない。 <フルクトサミン> 持続的な高血糖により血清蛋白が糖修飾をうけ たものである。過去 2 週間程度の血糖値を反映す る。健康な犬では 300 μM 未満(多くは 250μM 未満)であるが、糖尿病の犬の多くでは 400μM 以上(典型的には 500∼600 μM 以上)を示す。 動物検体の依頼先は巻末を参照のこと。 ◆国内では 2007 年に試薬販売が中止され、ヒトの検査 -7- センターでは測定できなくなった。 <グリコアルブミン> 持続的な高血糖により血清アルブミンが糖修飾 をうけたものである。フルクトサミンと同様に、 過去 2 週間程度の血糖値を反映する。測定値は% で表される。動物検体の依頼先は巻末を参照のこ と。 ◆ヒトの検査センターでは犬や猫のグリコアルブミンは 測定できない。 <糖化ヘモグロビン(HbA1c)> HbA1c は赤血球のヘモグロビンが糖化された ものである。HbA1c は全ヘモグロビンに対する 百分比で表され、健康犬では 1∼2%、糖尿病の犬 では 1∼6%の値を示す。高値は過去数週間∼数ヶ 月の高血糖を反映する。動物検体の依頼先は巻末 を参照のこと。 ◆犬や猫の HbA1c はヒトの検査センター(自動分析器) では測定できない。正確な数値が得られるのはアフィ ニティクロマトグラフィ法のみである。 予後 犬の糖尿病の予後は血糖コントロールの程度 や、基礎疾患・併発疾患の程度による。糖尿病その ものが死因になることはなく、心不全、肺炎、腎不 全、感染症、無関係の腫瘍、老衰などが最終的な死 因になる。 -8- 猫の糖尿病 概要 の猫では高率(おそらく 50∼60%あるいはそれ以 上)で慢性膵炎に罹患しており、膵炎が糖尿病の 原因または増悪因子になっていると考えられるよ うになった。 猫の慢性膵炎で嘔吐や腹痛などのはっきりした 症状が認められることは少なく、波のある元気消 失や食欲不振など、非特異的な症状を呈する。糖 尿病の猫のうち、過去に肥満していなかった猫、 インスリン抵抗性のない猫(少量のインスリンで 血糖降下する猫)、しばらく治療しているうちに糖 尿病が寛解する猫、などは膵炎を原因とする糖尿 病である可能性が高い。 猫の膵炎は腹部エコー検査と血清中の膵特異的 リパーゼを併用して診断する。慢性膵炎の腹部エ コーでは膵臓が腫大しており、内部はほぼ均一な 低エコーか、低エコー主体のモザイクパターンと して観察される。膵臓周囲の脂肪組織は炎症が波 及して高エコーになっていることがある。 糖尿病の動物では、インスリンの絶対的不足ま たは作用不足によって持続的な高血糖状態となり、 それとともに種々の特徴的な代謝異常が起こる。 猫の糖尿病は、その原因や程度によって無症状か らケトアシドーシスや高浸透圧性昏睡にいたる幅 広い病態を示す。糖尿病の原因によって治療方針 が異なるため、できる限り糖尿病の原因を明らか にしなければならない。糖尿病の猫の診療で重要 なのは、基礎疾患や併発疾患を正しく管理するこ と、インスリン製剤を正しく選択することである。 猫は糖尿病合併症を起こしにくいため、適切な診 断や治療ができれば長期予後は良い。 病因 猫の糖尿病の原因を以下に挙げる。猫の糖尿病 のほとんどは、ヒトの 2 型糖尿病に類するもの、 慢性膵炎によるもの、あるいは医原性糖尿病であ る。このうち、慢性膵炎によるものが圧倒的に多 いと思われる。 1) 1 型糖尿病:自己免疫あるいは特発性の機序に より膵 β 細胞が破壊され、絶対的なインスリン不 足により発生する糖尿病である。猫ではいくつか の報告があるが、まれである。 2) 2 型糖尿病:ヒトの 2 型糖尿病は家族歴、肥満 などの危険因子、原因不明のインスリン抵抗性、 膵島へのアミロイド沈着などを特徴とする多因子 性疾患である。猫も類似の病態を示すが、ヒトの 2 型糖尿病と完全に同一かは不明である。猫の糖 尿病では肥満(去勢雄)が危険因子であるが、明ら かな家族歴は知られていない。猫で認められるイ ンスリン抵抗性の多くは薬物や診断可能な併発疾 患によるものであり、特発性のインスリン抵抗性 によるものは少ないようである。膵島へのアミロ イド沈着は猫でも高率に認められる。そのため、 最終的には膵島のインスリン分泌が障害され、治 療にはインスリン注射が必要となる。 写真 1. 糖尿病に罹患した 7 歳、去勢雄、日本猫の膵臓エ コー写真。膵臓は腫大し、内部は一様に低エコーであ る。慢性膵炎による糖尿病と診断した。 血清中の膵特異的リパーゼは猫の膵炎に対して 感度と特異性が優れているとして、急速に普及し て き た。2011 年 現 在 は アイ デ ッ ク スラ ボ ラ ト リーズ社が "SpecfPL" として受託している。膵特 異的リパーゼは膵炎の活動期に上昇し、非活動期 には低値を保つので、活動期に検査しなければ意 味がない。エコーや膵特異的リパーゼで確定診断 できなくても、猫でよくみられる化膿性・非化膿性 の胆管肝炎には膵炎が併発していると考えるほう 3) 膵炎:慢性膵炎によって膵島がしだいに破壊さ れ、インスリン不足から糖尿病を発症する。エ コーの高性能化や膵特異的リパーゼの普及によっ て猫の慢性膵炎の検出率が高まった結果、糖尿病 -9- がよい。 猫の慢性膵炎の治療について、決定的なコンセ ンサスはまだない。食事療法(消化器疾患用の フード)、輸液、制吐剤(メトクロプラミド)、H2 ブ ロッカー、広域スペクトル抗生剤、ステロイド剤 (プレドニゾロンとして 1 mg/kg/day 程度)を用 いて総合的に治療するが、改善には数日∼数週間 かかる。 よるまれな病態である。成長ホルモンによるイン スリン抵抗性を介して糖尿病を併発する。成長ホ ルモンの強力な同化作用のため、先端巨大症によ る糖尿病の猫では体重が増加する。進行すれば典 型的な先端巨大症の症状(頭囲拡大、下顎の突出、 歯間の拡大など)が認められる。臨床症状、血清 ソマトメジン C(インスリン様成長因子 1:IGF-1) の高値、下垂体腫大から診断する。 7) 医原性糖尿病:猫のアレルギー疾患(喘息、アレ ルギー性皮膚炎など)に対してグルココルチコイ ドや黄体ホルモン製剤を投与しているうちに、こ れらの薬物のインスリン抵抗性によって一過性高 血糖もしくは不可逆的な糖尿病となる。ステロイ ド製剤だけでなく、さまざまな薬物が糖尿病をも たらす可能性が知られている。 写真 2. 約 10 歳で糖尿病に罹患し、17 歳で斃死した去 勢雄、日本猫の膵臓。重度の脂肪壊死がみられる。生前 には消化器症状やインスリン抵抗性もなく、血糖コント ロールは良好であった。慢性膵炎が再燃と改善を繰り 返すうちに、このような病変が形成されたと考えられ る。 4) 下垂体性クッシング症候群(PDH) :犬と比較す れば猫での発生頻度は低いが、時折みられる。猫 の PDH では 9 割程度の高率で糖尿病を併発する。 犬と異なり、猫のクッシング症候群は外貌に変化 が現れることが少なく、末期に皮膚の脆弱化がみ られる程度である。このため猫のクッシング症候 群はインスリンに反応しない糖尿病として検出さ れることが多く、注意を要する(猫のクッシング症 候群の項を参照のこと)。 5) 副腎腫瘍:猫の副腎腫瘍はおもにエストロゲン やプロゲステロンなどの性ステロイドを分泌し、 グルココルチコイドを分泌することは少ない。過 剰の性ステロイドはインスリン抵抗性を介して糖 尿病を引きおこす。褐色細胞腫もカテコールアミ ン過剰によって糖尿病を引きおこす可能性がある が、かなりまれである。 6) 先端巨大症:下垂体の成長ホルモン分泌過剰に -10- 8) その他ほとんどの併発疾患の影響:全身性の感 染症、炎症、悪性腫瘍、甲状腺機能亢進症、泌尿器 疾患、歯科疾患、消化器疾患、血液疾患、皮膚疾 患、などありとあらゆる疾患は、それ自体は糖尿 病の原因とはならなくても、猫に対するストレス となる。ストレス下ではカテコールアミンやグル ココルチコイドが分泌されてインスリン抵抗性の 原因となる。これらのストレスホルモンに加えて、 炎症性メディエータやサイトカインがインスリン 抵抗性に関与するかもしれない。併発疾患が全身 性であるほど、あるいは重篤であるほどインスリ ン抵抗性は大きくなる。1)∼7)までの糖尿病(基 礎疾患)を持つ猫では、併発疾患の存在によって糖 尿病が顕在化しやすくなり、重篤になり、治療も 複雑になる。 シグナルメント 中∼高齢の猫に多く、好発品種はとくにない。 去勢雄で多いとされるが、これはおそらく肥満に 関連している。まれに、先天的な膵低形成による 若年性の糖尿病がみられる。 臨床症状 糖尿病そのものの症状は多飲、多尿、体重減少、 多食である。糖尿病の猫の 15∼20%は末梢神経 機能の低下により踵(飛節)を地面につけて歩行す る。猫では糖尿病性白内障はまれであり、起こっ たとしても軽度にとどまり、臨床的な視力障害に 至ることはない。 ケトアシドーシスに陥ると急激な削痩、食欲不 振、元気消失、衰弱、嘔吐、下痢、昏睡などを呈す る。続 発 性 糖 尿 病 の 場 合 に は 基 礎 疾 患(膵 炎、 PDH、副腎腫瘍など)に応じた症状が混在する。 治療の概要 1) 治療の目標 猫の糖尿病治療の目標は、臨床症状の改善(適正 な体重の維持、多飲・多尿の消失)と合併症(末梢 神経障害)の予防である。具体的には、血糖値を 100∼300 mg/dL の範囲でコントロールする。 猫の腎臓の糖排泄閾値は約 300 mg/dL と高いた め、血糖値が 300 mg/dL 未満であれば尿糖は陰 性となり、糖尿病の症状も現れない。猫では白内 障や腎症などの糖尿病性合併症がほとんど問題に ならないため、血糖値がこの範囲に入っていれば 健康に生活できる。 ◆糖尿病の猫ではしばしば慢性腎不全がみられるが、こ れは糖尿病性腎症によるものではなく、猫でよくみられ る慢性腎不全である。慢性腎不全の猫では尿細管の障 害によって血糖値が 300 mg/dL 未満でも尿糖陽性にな ることがあり、尿糖陰性になるように血糖コントロール を強化するほうがよい。 写真 3. 糖尿病による踵歩行 2) 治療選択 猫の糖尿病治療では、 a. 基礎疾患・併発疾患の管理 b. 食事療法 c. 薬物療法 d. インスリン療法 を行う。基礎疾患や併発疾患を充分に治療するだ けで血糖値が下がり、それ以上の糖尿病治療が不 要となることもある。東大では、経口血糖降下剤 による糖尿病治療は事実上行っていない。 写真 4. 糖尿病の猫の白内障 診断 食餌療法 以下の 3 点を満たせば、猫を糖尿病と診断して よい。 a. しかるべき症状(多飲、多尿、体重減少) b. 持続的な空腹時高血糖(> 300 mg/dL) c. 尿糖陽性 実際には、猫を糖尿病と診断しただけでは治療 方針を立てることができない。前述のごとく、糖 尿病には様々な基礎疾患が存在するため、それら を一つ一つ見つけ出し、解決しなければならない。 -11- 猫の糖尿病治療では食事管理が重要である。適 正体重を維持し、基礎疾患を管理するために、積 極的に食事指導をしなければならない。 食事管理の目標は、猫を標準体型に保つことで ある。標準体型の猫には、適度の筋肉と脂肪があ る。筋肉と脂肪は主要なインスリンの標的組織で あるため、適度に必要である。削痩している猫で は皮下からのインスリンの吸収が悪かったり、作 用時間が短くなったりする。肥満した猫は過剰の 脂肪組織のためにインスリン抵抗性となる。糖尿 病治療がうまくいっている猫は概ね標準体型であ ることが多いので、猫を標準体型に保つことは糖 尿病治療の手段でもあり、目標でもある。 糖尿病の猫が腎不全、膵炎、アレルギー疾患な どの基礎疾患・併発疾患を有しているときには、こ れらの疾患に対する食事療法を行う。つまり、腎 不全を併発している猫では腎不全用の低蛋白食、 膵炎を併発している猫では消化器疾患用の処方 食、食物アレルギー疾患の猫では適切な除去食を 与える。 これらの基礎疾患・併発疾患がなく、猫が標準体 重に近ければ、猫の糖尿病治療食として市販され ている高蛋白・低炭水化物の餌を与えるとよい (m/d、糖コントロール、血糖アシスト)。糖尿病 の程度によっては、高蛋白・低炭水化物食を与える だけで糖尿病が寛解することもある。 削痩した猫に高蛋白食を与えると、体重が増加 しないことがある。削痩した猫の多くでは膵炎や 腎不全などが見つかるので、それらに対する食事 を与える。基礎疾患がなければ嗜好性が良い仔猫 用のフードを与えてみるとよい。 高度に肥満した猫は、急に減量させると肝リピ ドーシスの危険があるので、ゆっくりと減量する ように注意する。体重が理想体重に近づくまで減 量用処方食または高蛋白食を与える。 1 日の給餌量は、理想体重に対しておよそ 60∼ 80 kcal/kg とする。給餌量は体重の変動にあわせ て増減する。一度に多量に食べると食後高血糖が 悪化するので、猫がゆっくり食べるように工夫す る。1 日量を 3∼4 回程度に分けて与えるか、ドラ イフードを置き餌にするか、タイマー式の餌出し 器を使ってもよい。 病以外に基礎疾患や併発疾患がなく、一般状態の 良好な猫である。このような猫は、糖尿病の猫の 多くても 10%ほどである。著しい体重減少中の猫 や、ケトアシドーシスに陥っている猫では内因性 インスリンが絶対的に不足しているため、SU 剤を 使用してはならない。SU 剤には様々な種類があ るが、猫で定評があるのはグリピジドである。 グリピジド(海外から個人輸入) 2.5 mg/head, q12hr で開始、 血糖値をみながら 5.0 mg/head, q12hr まで増量 経口の糖尿病治療薬には SU 剤の他にもビグア ナイド系(メトホルミンなど)、α グルコシダーゼ 阻害剤(アカルボースなど)があるが、猫に使用す るコンセンサスはない。 インスリン療法 a) インスリンの選択 猫の糖尿病の維持治療のため適切なインスリン は、2011 年現在以下の 4 種類である。 ・インスリングラルギン(ランタス) ・インスリンデテミル(レベミル) ・豚インスリン亜鉛懸濁液(Vetsulin) ・ヒトインスリン亜鉛懸濁液(ProZinc) 経口血糖降下剤 スルフォニルウレア剤(SU 剤)は、膵臓の β 細 胞に作用してインスリンの分泌を促進し、血糖降 下作用を発揮する。このため、β 細胞にインスリ ンの合成・分泌能が残っていることが使用の条件 である。 一方、β 細胞はインスリンと同時にアミリン(ア ミロイド前駆体)を分泌する。β 細胞がインスリ ンを多く分泌すると、自らの周囲にアミロイドが 沈着し、最終的には細胞死を起こす。つまり、SU 剤で内因性インスリン分泌を刺激し続けると、最 終的には β 細胞が疲弊し、数ヶ月∼数年のうちに 不応となる。これを SU 剤の「2 次無効」という。2 次無効の動物では必ずインスリン療法が必要とな る。これらのことを理解した上であれば、糖尿病 の猫に SU 剤を試してもよい。 SU 剤の適応となるのは、削痩しておらず、糖尿 -12- 猫のインスリン療法における最大の問題は、ヒ トや犬と比較してインスリンの作用時間が短いこ とである。このため、ヒトでは持続型インスリン に分類されるインスリングラルギンもしくはイン スリンデテミルを選択する。猫にこれらの製剤を 皮下注射した場合の作用時間はいずれも 10∼20 時間程度であり、1 日 2 回(条件によっては 1 日 1 回)の注射で糖尿病をコントロールできる。 米国で犬および猫用に認可されている豚インス リン亜鉛懸濁製剤(商品名 Vetsulin)も比較的作用 時間が長く(おそらく猫では 7∼10 時間程度)、1 日 2 回の注射で血糖コントロールできる。2011 年現在、国内では正規販売されていない。 米国では 2009 年にヒトインスリン亜鉛懸濁製 剤(商品名 ProZinc)が猫用に認可され、発売され ている。2011 年現在、国内では正規販売されて いない。 犬でよく用いる NPH インスリン(ノボリン N、 ヒューマリン N)は、猫での作用時間は 3∼6 時間 程度と短く、単剤での血糖コントロールは無理で ある。 b) 血糖曲線の作成と血糖コントロール 血糖コントロールの基本的な考え方は犬と似て いる。猫をいったん入院させ、適切な餌を与え、 持続型インスリンを 0.3∼0.5 U/kg 程度皮下注射 し、血糖曲線を作成する。 猫特有の問題として、ストレスや興奮で血糖値 が上昇し、血糖曲線をうまく作成できないことが ある。入院させる場合には静かな場所にケージを 置き、ケージにタオルなどをかけて薄暗くする。 人に慣れた猫であれば、スキンシップを欠かさな いようにする。採血では無理な保定をせず、内股 などから 27G 針で手早く採血する。あるいは、耳 介穿刺で採血し、ポータブル型の血糖測定器を 使ってもよい(犬と同様、測定値は実際より 30∼ 100 mg/dL ほど低くなることに注意)。可能なか ぎり猫にストレスを与えないように注意する。 インスリンの投与経路は皮下注射を基本とす る。筋肉内投与も可能ではあるが、毎日の筋肉内 投与は猫に強いストレスと侵襲を与えることを理 解すべきである。 一般に、猫が脱水するとインスリンの吸収が悪 くなり、血糖も降下しにくくなる。糖尿病の猫で は多飲・多尿のため、水和状態が日によって大きく 違うことがあり、血糖曲線が安定しにくい。 猫の血糖コントロールは、犬ほど厳密にしなく てもよい。1 日のうち大半の時間帯で、血糖値が 300 mg/dl を下回っていればよい。決して血糖値 を 100 mg/dl に近づけようとしないこと。 ◆インスリングラルギン(ランタス)は特殊な緩衝液に 溶解されており、生理食塩水で希釈してはならない(希 釈すると白濁沈澱し、作用が大きく変化する)。インス リンデテミル(レベミル)や亜鉛懸濁製剤(Vetsulin や ProZinc)は生理食塩水で希釈できる。1 単位未満のイ ンスリンを注射するときは、レベミルや Vetsulin を使う とよい。 c) 在宅治療 インスリンの種類と投与量をある程度決定した ら、飼い主にインスリン投与法、低血糖時の対応、 市販の試験紙を用いた尿糖検査を指導して退院さ せる。自宅での猫の一般状態、食餌量、インスリ ン投与時刻、尿量、尿糖などの治療日誌を作ると なおよい。 治療開始後は 1∼2 週間程度の間隔で、体重測 -13- 定、血糖値測定、尿検査を行う。体重は理想体重 に近づいていればよい。血糖は 1 日の最低となる 時間帯(例えばインスリン注射から 5∼6 時間後) に測定し、100∼200 mg/dL 程度の範囲に入って おり、著しい低血糖や高血糖でなければよい。尿 糖は陰性を目標とする。改善が不十分であれば、 インスリンを 1 割程度増量して 1∼2 週間に再検査 する。良好に安定すれば 4∼6 週間ごとに定期検 査する。 糖尿病治療のモニタリング 犬と同様にフルクトサミンや糖化アルブミンを 糖尿病マーカーとして使用できる。HbA1c は猫 では(犬やヒトと比較して)低値であることや、健 康猫と糖尿病症例の値が重なることから、猫の糖 尿病マーカーとしては使いにくい。 長期治療中の注意点 a) インスリン要求量の変化:糖尿病の猫の 1/4∼ 1/3 程度では、インスリン治療開始後にインスリ ン要求量が減り、最終的にはインスリンが不要に なることもある。この現象はインスリン治療開始 から数週間以内に起こることが多い。自宅で低血 糖症状がみられた場合や、来院時に低血糖が確認 された場合には、インスリンを減量あるいは中止 する。 b) 肝リピドーシス:糖尿病の猫では肝リピドーシ スが起こりやすい。血糖コントロール不良や併発 疾患の存在により、肝リピドーシスの危険性は増 大する。臨床症状は無症状∼重度と様々である が、重度の肝障害に至った症例は予後不良である。 c) 尿路感染症:糖尿病の症例は感染症を起こしや すく、とくに尿路感染症はほぼ必発する。細菌性 膀胱炎の場合には可能な限り起因菌を同定し、適 切な抗生剤を投与する。カンジダ症の場合には尿 に移行のよい抗真菌薬(フルコナゾール>イトラコ ナゾール)を投与する。 フルコナゾール(ジフルカン、ファイザー) 50 mg/head PO q12hr d) 腎不全:糖尿病の猫では加齢による慢性腎不全 がしばしば認められる。BUN やクレアチニンを定 期的にモニターし、腎不全を発症したら食餌療法 (高蛋白食 → 低蛋白食への変更)や輸液療法を開 始する。インスリン要求量も変化するため、投与 量の調節(一般的には増量)が必要となる。 ◆自宅で皮下輸液する場合には、頸部に輸液し、インス リンは輸液の影響が及ばない背部∼臀部に皮下投与す る。 -14- 糖尿病性ケトアシドーシス 概要 症状、神経症状の原因となる。脱水やアシドーシ スによるストレス反応(カテコールアミン、副腎皮 質ホルモン、グルカゴン、炎症性サイトカインなど の上昇)がさらに病態を悪化させ、悪循環をひき 起こす。 糖尿病の存在下では、以下のような状況が DKA の引き金になりやすい。 糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)は、急性膵炎 や急性腎不全と並んで内科的エマージェンシーの 最たるものである。犬に較べると、猫のほうが典 型 的 で 重 篤 な DKA に 陥 り や す い よ う で あ る。 DKA は、適切に治療する限り 2∼3 日で離脱でき る。 ・血糖が上昇する状況 (クッシング症候群、様々なストレスなど) ・脱水しやすい状況 (嘔吐、下痢、腎不全など) ・炎症性疾患 (膵炎、胆管肝炎、口内炎、肺炎など) ・全身性疾患 (心不全、悪性腫瘍など) ・消耗性疾患 (感染症、甲状腺機能亢進症など) 病態生理 糖尿病 高血糖 インスリンの枯渇 細胞内糖代謝の低下 血糖上昇 ホルモン・ 炎症性サイ トカイン 脂肪の動員とβ酸化 浸透圧利尿 ケトン体産生 脱水・電解質喪失+アシドーシス DKA の診断 ストレス ・糖尿病である ・尿ケトン陽性 ・代謝性アシドーシス(重炭酸低下) 基礎疾患 図 1. 糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)の発生メカニズ ム 図 1 に DKA の発生メカニズムを模式化した。 DKA の原因として糖尿病が挙げられるのは当然だ が(図 1 の上端)、ほとんどの場合には何らかの基 礎疾患・併発疾患が DKA の引き金となる(図 1 の 下端)。 糖尿病によってインスリンが枯渇すると、高血 糖が生じる。高血糖状態では、浸透圧利尿のため に腎臓から水分と電解質(Na, K, Cl, P など)が失 われる。 また、インスリンが枯渇すると細胞内へのグル コース取り込みが不足し、細胞内の糖代謝が低下 し、細胞はエネルギー枯渇状態になる。細胞にエ ネルギーを与えるため、脂肪組織から大量の中性 脂肪が動員され、最終的に脂肪酸として細胞内で β 酸化される。脂肪酸の β 酸化はエネルギーと同 時に β ヒドロキシ酪酸、アセト酢酸、アセトンな どのケトン体を生成する。 過剰のケトン体は代謝性アシドーシス、消化器 -15- の 3 点を満たせば DKA と診断する。尿ケトンが陽 性でも、明らかな代謝性アシドーシスでなければ ケトアシドーシスとは呼ばない(それはケトーシ ス)。肥満した糖尿病動物では体重が減少する過 程でしばしば尿ケトンが陽性になる。 臨床的に重要な DKA の診断基準は以下の通り である。このような状況では緊急治療が必要であ る。 ・糖尿病である ・尿ケトン陽性 ・電解質異常(低 Na、低 K、低 Cl)である ・全身症状(沈うつ、食欲不振、脱水)がある DKA 治療の概要 DKA 治療の要点は、高血糖、脱水、電解質喪失、 糖代謝の低下によるケトン体産生、基礎疾患の影 響による悪循環を断つことである。 このために、インスリン、水分、電解質、グル コースを充分に与える(輸液療法)。それと同時に にリン酸カリウムを添加すると白濁する。DKA の輸液 療法には必ず生理食塩水を用いること。 基礎疾患を診断・治療しなければならない。 DKA の初期治療とチェックリスト c) 輸液量 輸液量 10∼15 ml/kg/hr で輸液開始する。最初 の 2∼4 時間以内に利尿がみられたら、6 時間まで この速度で点滴し、その後は水和状態をみながら 維持量まで(3∼5 ml/kg/hr)減らす。 最初の 2∼4 時間で利尿がなければ、輸液はいっ たん中止して急性腎不全の治療を考慮すること。 1. 検査の準備 以下の項目は頻繁(1∼4 時間ごと)にチェック しなければならない。頻繁に採血するため、採血 部位を確保しておく。検査機器も準備しておくこ と。 ・バイタルサイン ・尿量 ・血糖値 ・血清電解質(Na, K, Cl) ・血清 P ・血清 Ca 4. インスリン療法の開始 必ずレギュラーインスリンを用いる(東大では ヒューマリン R100)。インスリンは最初から開始 してもよいし、利尿を確認してから開始してもよ い。インスリンを開始すると血清 K と血清 P が急 激に低下する。治療開始前に重度の低 K 血症や低 P 血症がみられる場合には、まず輸液でこれらの 項目を補正してからインスリンを開始するほうが 安全である。 2. 輸液の準備 輸液療法には以下の薬剤を使用する。 ・生理食塩水 ・塩化カリウム溶液(KCl) ・リン酸カリウム溶液(リン酸二カリウム補正液) ・グルコン酸カルシウム溶液(カルチコール) 3. 輸液開始 生理食塩水を用いる。輸液の開始時から、必ず 以下のカリウム補正、リン補正を行う。 開始時のインスリンの投与量は 0.1 U/Kg/hr と する。操作の基本を以下に示す。インスリン量の ミスは致命的なので、必ず(できるだけ 2 人以上 で)検算すること。 ・50mL シリンジに生理食塩水を 50mL とる ・動物の体重(kg)と同じ単位(例:5 kg なら 5 単位)のヒューマリン R をロードーズシリンジで 計り、50mL シリンジの生理食塩水に加えてよく 混ぜる ・シリンジに延長チューブ(細いの)をつける ・チューブを通して液を 10mL 捨てる(ゆっくりと) ・シリンジポンプを準備して 5mL/head/hr で側管 (三方活栓)から点滴 a) カリウム補正(2M の KCl 製剤の場合) 血清 K:3.0∼3.5 mEq/L のとき、輸液に 20 mEq/L(5 mL/500 mL)の KCl を添加 血清 K:2.5∼3.0 mEq/L のとき 40 mEq/L(10mL/500 mL)の KCl を添加 血清 K < 2.5mEq/L のとき 60 mEq/L(15mL/500 mL)の KCl を添加 b) リン補正 血清 P にかかわらず、輸液(生理食塩水)にリン 酸二カリウム補正液を 5 mL/500 mL 添加する。 10 ml/kg/hr で 輸 液 す る と リ ン 酸 と し て 0.05 mmol/kg/hr になる。この濃度(5 mL/500 mL) のリン酸二カリウム補正液は 10 mEq/L のカリウ ムを含むので、必要があれば KCl の添加量を減ら す。 ◆リンゲル液(乳酸リンゲル、酢酸リンゲルを含む)に はカルシウムが含まれているので、血清リン補正のため ◆成書にはレギュラーインスリンの投与法が他にもい ろいろ書かれているが(間歇的に筋肉内注射するなど)、 シリンジポンプを使う方法がいちばん簡単で、血糖値の 変動もおだやかで、致命的な事故が少ない。 治療のモニタリング 治療開始直後は 1∼2 時間ごとにバイタルサイ ン、尿量、血糖値と電解質(Na, K, Cl, P, Ca)をモ ニターする。以下のように、項目ごとに補正する。 1. 血糖値の目標は 250∼300 mg/dL とする。 -16- 維持療法への移行 ・1 時間あたり 50mg/dL を越えて下げない ・血糖降下が早すぎるときはインスリンの 流量を下げる ・血糖が降下しないときはインスリンの流量 を 2 倍まで増やす(これ以上は危険) 摂食・飲水が可能となったら(治療開始後 48∼ 72 時間が目安)輸液を 2∼3 ml/kg/hr 程度に減量 し、持続型インスリンの皮下投与に切り替える。 インスリン皮下投与で充分な治療ができるようで あれば、輸液を中止し、維持療法に移行する。 2. 血清 Na は著しい高 Na 血症に向かわなければ よい。 合併症のケア さまざまな合併症(膵炎、胆管肝炎、尿路感染症 などが代表例)は DKA の増悪因子になる。DKA の治療をしつつ、合併症に対する充分なケア(抗生 物質投与など)が必要である。DKA のほとんどは 救うことができるが、基礎疾患によって DIC が生 じていると治療は困難である。治療中に乏尿がお きたらインスリンを中止し、高血糖による浸透圧 利尿に期待するしかない。 ・腎不全の症例は高 Na 血症になりやすい。 高 Na 血症になりそうな場合には、輸液を 1 号液に変更する 3. 血清 K は 3.0∼4.0 mEq/L を目標に、輸液への KCl 添加量を増減する。 4. 血清 P は 3.0∼4.0 mEq/L を目標に、輸液への コンクライト PK 添加量を増減する。 ◆経験的に、犬や猫の DKA では血糖値が 700 mg/dl を 超えることはほとんどない。それ以上のグルコースは、 腎臓が機能している限り尿に排泄されてしまうからで あ る。つ ま り、DKA と 考 え る 動 物 の 血 糖 値 が 700 mg/dl 以上あるときは、急性腎不全で乏尿または無尿に なっていると予想できる。これを知っておくことは予後 を予測してオーナーに説明するために重要である。 5. 輸液に P を添加すると血清 Ca が低下する。低 Ca 血症(< 7.5 mg/dL)になったらカルチコール (8.5%グルコン酸カルシウム注射液)1.0 mL/kg をきわめてゆっくりと静脈内投与する。カルチ コールは生理食塩水で適宜希釈すると、緩徐に静 脈内投与しやすい。 ◆輸液にリンを添加している限り、グルコン酸カルシウ ムを輸液に添加してはならない。リンとカルシウムはリ ン酸カルシウムとして不溶性の沈殿となる。可能なら 2 本目の留置針を追加する。あるいは、いったん輸液を停 止し、留置針をヘパリン加生理食塩水でフラッシュして からグルコン酸カルシウム液を静脈内投与すること。 ◆グルコン酸カルシウム、塩化カルシウムなどのカルシ ウム製剤を皮下投与してはならない。これらの製剤は、 十分に希釈したとしても、皮下投与によって広範な皮下 壊死を起こすことがある(塩化カルシウムでは皮下壊死 が必発する)。この皮下壊死は治療不可能なほど重篤に なることがある。 6. 血糖値が目標(250∼300 mg/dL)まで下った ら、輸液を 1/2 生理食塩水(生理食塩水と 5%ブド ウ糖液を等量混合したもの)または 1 号液に変更 する。インスリン点滴は継続する。血液検査の間 隔を 4 時間程度にあける。ケトンが消失し、摂食・ 飲 水 が 可 能 に な る ま で 血 糖 値 を 100∼300 mg/dL の範囲に保つ。電解質の管理も継続する。 -17- ◆高血糖(つまりグルコース)は最も強力な利尿剤のひ とつである。高血糖の動物が急性腎不全で乏尿または 無尿になっていたら、もはやループ利尿薬は無意味であ ることが多い。マンニトールは血漿浸透圧をさらに上 昇させるのでほぼ禁忌である。利尿のためには 1/2 生 理食塩水(生理食塩水と注射用蒸留水を等量混和したも の)をゆっくりと点滴して水和するくらいしか方法がな い。この場合は常に(たとえば 1 時間ごと)血液検査を して血漿浸透圧を計算し、浸透圧があまり変動しないよ うにする。しかしこのような動物の予後はきわめて悪 い。 付録. DKA 治療のチェックリストと初期治療 1. 治療の準備 □ 静脈の確保 □ 採血部位の確保 □ 検査機器の準備 2. 輸液の準備 □ 生理食塩水 □ リン酸二カリウム補正液 □ 塩化カリウム液 □ 8.5%クルコン酸カルシウム(カルチコール) □ レキュラーインスリン 3. 輸液の調製 □ (a) リン補充 輸液開始時には生理食塩水 500mL にリン酸二カリウム補正液を 5mL 添加する 輸液速度か 10 ml/kg/hr ならリン酸として 0.05 mmol/kg/hr になる この量てリン酸二カリウム補正液を添加した輸液は 10 mEq/L のカリウムを含む 治療開始後は血清 P の変動に応して添加量を増減する □ (b) カリウム補充 リン酸二カリウム補正液か含むカリウムを考慮すること 血清 K:3.0 3.5 mEq/L のとき、20 mEq/L となるように KCl を添加 血清 K:2.5 3.0 mEq/L のとき、40 mEq/L となるように KCl を添加 血清 K<2.5mEq/L のとき、60 mEq/L となるように KCl を添加 4. レキュラーインスリンの希釈 □ 開始時の用量は 0.1 U/kg/hr とする 50mL シリンシに生理食塩水を 50mL とる 動物の体重(kg)と同し単位(例:5kg なら 5 単位)のレキュラーインスリンを加える シリンシに細い延長チューフをつける チューフを通してインスリン希釈液をゆっくりと 10mL 捨てる シリンシホンフを準備して 5mL/head/hr て側管(三方活栓)につなく 5. 点滴開始 □ リンとカリウムを添加した生理食塩水を 10 ml/kg/hr て点滴開始 □ インスリン液を 5mL/head/hr(/head に注意)て点滴開始 6. モニタリング項目 □ 血糖値(Glu) □ 電解質(Na, K, Cl) □ リン(P) □ カルシウム(Ca) -18- 犬のインスリノーマ 概要 診断:内分泌検査 ヒトのインスリノーマの多くが良性であるのに 対し、犬のインスリノーマのほとんどは癌である。 オーナーへの説明の際には注意しなければならな い。犬のインスリノーマはリンパ節や肝臓に転移 しやすく、診断時にはほとんどの症例で転移がお きている。しかし、腫瘤そのものが生命に影響す ることは少なく、臨床症状のほとんど全ては低血 糖によるものである。このため、治療は血糖値を 保ち、低血糖症状を予防することに向けられる。 腫瘍の外科的切除も有効であり、たとえ部分切除 (腫瘍の減量)に終わっても、低血糖を緩和できれ ば生存期間を延長できる。 診断:症例の検出 a) シグナルメント:中∼高齢の犬に多い。性差や 好発犬種は知られていない。 b) 臨床症状:低血糖によるもの(ふらつき、失神、 発作)と代償性のカテコールアミン分泌によるも の(振戦、異常な行動)が現れる。症状は常にでは なく、ときどき現れる。空腹,興奮,運動,食餌 (餌への期待)などが症状の引き金になる。 c) 身体検査:不可逆的な中枢神経障害に陥ってい ないかぎり、ほぼ正常である。 血糖値と血漿インスリンを測定する。正しい診 断のためには、低血糖(< 60 mg/dL)の状態で検 査しなければならない。実際のインスリノーマの 症例では時として血糖値が正常になっていること がある。その場合は絶食して経時的に血糖を測定 し、60 mg/dL 未満になった時点の血漿をインス リン測定に用いる。以下の式により修正インスリ ン・グルコース比(AIGR)を計算する。 AIGR= インスリン (μU/mL) x 100 血糖値 (mg/dL) - 30 (血糖値が 31 未満のときは分母を 1 とする) AIGR が 30 を超えればインスリノーマと仮診断 してよい。10∼30 であれば境界領域であり、別 の検体で再検査する。10 未満であればインスリ ノーマの可能性はほとんどない。インスリンが SI 単位(pmol/L)で報告される場合は検査センター の指示によって換算すること。 画像診断 インスリノーマを単純 X 線で描出することは難 しいが、腹部エコーでは比較的観察しやすい。 d) 血液検査・血液化学検査:低血糖以外の異常はな い。 低血糖の鑑別診断 ・敗血症 ・飢餓 ・激しい運動(猟犬や競技犬の低血糖) ・小型犬(トイ犬種)の子犬の低血糖 ・インスリノーマ ・悪性腫瘍に随伴する低血糖 ・肝不全(門脈体循環シャントを含む) ・アジソン病 ・医原性(インスリンなどの過剰投与) ・胃の全摘出、胃腸吻合 ・検査のミス(全血を血漿分離せずに放置) 写真 1. 膵臓右葉に認められたインスリノーマ原発巣(8 歳、去勢雄、ウェルシュ・コーギー) -19- 写真 2. 肝臓のインスリノーマ転移巣(9 歳、雄、柴犬)。 低エコーな球状のマスが複数確認できる。 膵臓内の原発巣は、ある程度のサイズに成長す ると低エコーの結節として観察できる(写真 1)。 肝臓におけるインスリノーマの転移巣は、円形(球 状)の小結節として描出され、周囲の肝実質と比 較して低エコーであることが多い(写真 2)。さら に、膵臓周囲のリンパ節が転移により腫大し、エ コーで観察されることもある。術前評価には腹部 CT を行い、とくに肝内の転移巣に注意すると予後 を判定しやすい。肝内に転移を疑わせる多発性の 腫瘤があれば(造影剤投与直後の動脈相で造影さ れる)、一般に予後不良である。 治療選択と内科的治療 インスリノーマの治療の目標は血糖値を維持 し、低血糖症状を防ぐことである。血糖値は低血 糖症状が現れない程度(60∼80 mg/dL)に維持す ればよく、100 mg/dL に近づけようとすると治療 過多になる。まず以下の内科的治療により血糖値 を維持し、外科手術の是非を考える。インスリ ノーマは部分切除に終わっても血糖管理が容易に なると期待できるが、写真 2 のように多発性に転 移巣が認められる場合は摘出術の適応外となる。 b) ブドウ糖:発作などの低血糖症状が現れている 場合にはブドウ糖液を与える。アイスコーヒー用 の小カップ入りガムシロップが便利である。ただ し、合成甘味料ではなくブドウ糖が入っているこ とを確認してから購入すること。 犬が意識を失っている場合は、シロップを唇の 内側になすりつけるようにする。嚥下させようと 喉の奥に垂らしてはいけない(誤嚥のもとにな る)。また、意識消失中の犬の口を無理に開けよう としてはいけない。低血糖発作中の犬は歯を食い しばるため、人間が咬まれてけがをする原因にな る。 犬が低血糖症状を呈している場合には積極的に ブドウ糖を与えるが、低血糖症状が治まったらブ ドウ糖ではなく餌を与えるようにする。ブドウ糖 の半減期はせいぜい数分であり、低血糖症状を持 続的に緩和することはできない。また、必要以上 にブドウ糖を与えると、インスリノーマのインス リン分泌を刺激してリバウンド的に低血糖症状が 悪化する。 ◆インスリノーマの治療で最もよくある間違いは、ブド ウ糖を与えて治療したつもりになることである。かな らず食事療法と以下の薬物療法を行うこと。 c) プレドニゾロン:経口投与可能であり、最も容易 な初期治療である。0.5 mg/kg, BID で開始し、血 糖 が 維 持 で き る よ う に な る ま で 増 量 す る。1 mg/kg, BID を超えると医原性クッシングなど副 作用のリスクが高くなるが、低血糖で死亡するリ スクと副作用のリスクは慎重に比較検討するこ と。肝酵素が軽度に上昇した程度でプレドニゾロ ンを減量し、犬が低血糖で死亡しては治療の意味 がない。プレドニゾロンは生存のために投与して いることを忘れないこと。 d) ジアゾキシド:アログリセムカプセル 25mg と して国内で入手できる。経口投与することでイン スリンの分泌を抑制する薬剤である。プレドニゾ ロンだけでは血糖維持が難しい場合、あるいはプ レドニゾロンの副作用が無視できなくなった場合 にプレドニゾロンと併用する。5 mg/kg, BID で 開始し、血糖値に応じて最大 60 mg/kg, BID まで 増量する。高価であり、作用発現がやや遅く、し ばしば消化器症状を示すのが欠点である。 a) 食事療法:ドライフードまたは缶詰フードを用 いる。半生フードには糖分が多く含まれているた め、インスリノーマのインスリン分泌を必要以上 に刺激して低血糖を招くおそれがある。1 日の総 給餌量を 60∼80 kcal/kg として、それを 4∼6 回 に分けてあたえる。つまり、空腹の時間帯を減ら すことで低血糖を予防する。 プレドニゾロンおよびジアゾキシドで血糖が維 持できない場合には以下の輸液もしくは注射薬を -20- 用いる。ただし、自宅での管理はほぼ不可能であ る。 e) 輸液:5%以上のブドウ糖を含む輸液(5%ブドウ 糖液、3 号液など)を点滴する。輸液だけで血糖を 維持できることはほとんどない。高濃度(15∼ 20%以上のブドウ糖液を末梢静脈から持続点滴す ると、血管痛または血管炎の原因となる。 f) グルカゴン(グルカゴン G ノボ) :最も血糖上昇 作用が強く、安全で管理しやすい。高価だがそれ に見合うだけのメリットはある。開始量として 5∼10 ng/kg/ 分(0.3∼0.6 μg/kg/hr)で点滴静 注する。開始後は血糖値の変化に応じて増減す る。 g) ストレプトゾトシン:一種の抗癌剤であり、膵 β 細胞をかなり選択的に破壊するため、ヒトでは 手術不可能なインスリノーマに用いられている。 医薬品としては市販されていないため、試薬とし て購入する。500 mg/m2 を 1 回投与量とする。 2 時間以上かけて点滴静注する。投与の前後 2 時 間ずつ、リンゲル液などを点滴し、利尿を確保す る。必要があれば 3 週間ごとに追加投与する。ス トレプトゾトシンの副作用は消化器症状、腎不全 である。 f) オクトレオチド(サンドスタチン) :持続型のソ マトスタチン誘導体であり、インスリンの合成・分 泌を抑制する。10∼40 μg/ 頭, sc, TID が基本的 用量である。皮下投与のため、在宅治療に用いる こともできる。効果はインスリノーマ細胞上のソ マトスタチン受容体の有無により、個体差が大き い。長期使用で不応となる。 麻酔・手術 中の血糖測定のために採血用の留置針を確保して おくとなおよい。 外科手術では開腹して膵臓を注意深く精査す る。インスリノーマの原発巣は数 mm であり、肉 眼では確認しにくいこともある。膵臓をやさしく 触診してマスを発見する。術式は成書を参照のこ と。まれに原発巣が全く見つからないことがあ る。その場合は肝臓やリンパ節を精査し、マスが なければ閉腹し、術後の内科的管理にゆだねる。 インスリノーマを発見し、血流を遮断して摘出 したら、できればその場で血糖値を測定し、血糖 値が正常∼高値であればグルカゴンを含まない輸 液(生理食塩水、乳酸リンゲルなど)に変更する。 術中の血糖測定が不可能であれば、閉腹直後に血 糖値を測定し、同様にする。インスリノーマ摘出 後に不用意にグルカゴン点滴を続けると、著しい 高血糖のため術後管理が難しくなる。 術後管理 インスリノーマの摘出が成功すれば、術後には ほぼ必ず一時的な高血糖となる。血糖値が 300 mg/dL を超える場合にはレギュラーインスリンを 点滴静注(0.05∼0.1 U/kg/hr)して血糖値を管理 する。この高血糖は、不可逆的な糖尿病に移行す ることもある。 手術による膵臓のダメージや血流障害が大きい 場合には、膵炎が起こる。絶食、輸液、抗生剤、新 鮮血漿輸注(必要があれば全血輸血)、モルヒネや 酒石酸ブトルファノール(スタドール)による鎮 痛、臭化ブチルスコポラミン(ブスコパン)による 鎮痙、H2 ブロッカー、マロピタント(セレニア)や オンダンセトロン(ゾフラン)による制吐、インス リン点滴による血糖管理など、数日の集中管理を 要する。 予後 画像診断で転移巣が認められず、外科手術の適 応があると考えられれば、オーナーに外科手術を 勧めてよいだけのエビデンスはある。 麻酔下の腹部 CT や外科手術では絶食が必要と なるため、入院して血糖値を維持する必要がある。 上述の内科的治療のうち、輸液+プレドニゾロン +グルカゴンを用い、血糖値を 80∼100 mg/dL 程度で維持する。 術前管理の目的は、低血糖を是正し、安全に麻 酔・手術を行うことである。血糖値が適切に管理 できていれば、麻酔管理は通常どおりでよい。術 -21- 手術により一時的な寛解が得られたとしても、 転移巣がある限りいつかは低血糖が再発する。前 述の通り、インスリノーマの予後は腫瘍そのもの よりも低血糖に左右される。低血糖が再発したら まず内科療法を再開する。また、可能であれば再 手術で腫瘍を減量するのも一つの方法である。最 終的には低血糖発作で死亡するか、低血糖により 中枢神経が不可逆的に障害されて治療不能とな る。 犬のクッシング症候群 概要 いるので、現れている臨床症状をよく確認してか ら検査を進めるようにする。クッシング症候群の 症状が現れていない犬は治療の対象にならないの で、そもそも検査をする意味がない。 コルチゾールをはじめとするグルココルチコイ ドは生体を維持するために不可欠なホルモンであ るが、ホルモン過剰が持続すると代謝異常、異化 亢進や易感染性など、さまざまな負の側面が現れ るようになる。これがクッシング症候群(= 副腎皮 質機能亢進症)である。犬では、ヒトや猫と比較 して圧倒的に発生率が高く、重要な内分泌疾患の ひとつになっている。 シグナルメント:若齢で発生する副腎過形成(非常 にまれ)を除き、PDH は 5 歳以上の犬で発生し、 多くは 8 歳以上である。雄より雌でやや多く、好 発犬種はとくにない。AT はさらに老齢の犬で多 く、やはり好発犬種はとくにない。 病態生理 自 然 発 生 の ク ッ シ ン グ 症 候 群 は、下 垂 体 の ACTH 分泌過剰により発症するもの(下垂体性 ク ッ シ ン グ 症 候 群:pituitary-dependent hyperadrenocorticism:PDH)と副腎腫瘍による もの(adrenal tumor:AT)に分類される。犬の クッシング症候群のうち 90%程度が PDH である。 PDH の 80∼90%は下垂体腺腫・腺癌を原因と し、うち半数程度では下垂体が下垂体窩を逸脱す る ほ ど 腫 大 す る。PDH の 残 り 10∼20% で は ACTH 産生細胞(コルチコトロフ)のびまん性過形 成が認められる。このような異常をもつ下垂体 は、生理的なネガティブ・フィードバックを無視し て ACTH を分泌するため、副腎皮質が持続的に刺 激され、血液中のコルチゾールが過剰になる。 犬の AT は腺癌または腺腫であり、非常にまれに 特発性過形成が報告されている。AT は視床下部 や下垂体による制御から外れ、自律的に(勝手に) コルチゾールを分泌するため、やはりコルチゾー ル過剰となる。 臨床症状:PDH でも AT でも主な症状はグルココ ルチコイド過剰によるものである。90∼95%以 上の症例で多飲・多尿が認められ、これらが主訴と なっていることが多い。80%以上の症例でなんら かの皮膚症状(菲薄化、両側対称性脱毛、色素沈 着、皮膚感染症、石灰沈着、皮下出血など)が認め られる。これらは毛根の休止、コラーゲンの異化、 免疫抑制などによる。肝臓の腫大、内臓脂肪の増 加、骨格筋の萎縮により腹部が膨満する。呼吸筋 の萎縮、肝腫大による胸腔の圧迫などにより、パ ンティングがおこりやすい。 下垂体が直径 10 mm を超えて腫大すると、次第 に脳底部を圧迫して沈うつ、痴呆、旋回、視力障害 などの症状が現れるようになる。副腎癌が大血管 に浸潤すると出血や栓塞によって突然死すること もある。 クッシング症候群の診断 犬のクッシング症候群の診断フローチャートを 図 1 に示した。大切なのは、症例を検出すること、 つまり見逃さないことである。いったんクッシン グ症候群だと疑うことができれば、型どおりに確 定あるいは除外できる。同様に大切なのは、クッ シング症候群でない犬をクッシング症候群と誤診 しないことである。犬の血清でコルチゾールを測 定すると、しばしば偽の高値となる。この測定エ ラーによる誤診が急増しつつある。クッシング症 候群の犬のほとんどは典型的な症状(多飲・多尿、 皮膚症状、腹部膨満、パンティングなど)を呈して -22- 写真 1. クッシング症候群(副腎癌)に罹患した 7 歳、雌、 ビーグル。広範な脱毛と皮膚石灰沈着、腹囲膨満、筋萎 縮による歩行困難が認められる。犬の皮膚石灰沈着は クッシング症候群を強く示唆する所見である。 身体検査:様々な皮膚症状、腹部膨満、肝腫大、頭 部や四肢の筋萎縮、心雑音(僧帽弁閉鎖不全や三尖 弁閉鎖不全による)が認められることが多い。 られる。クッシング症候群の犬は膀胱炎の併発率 が非常に高い。 エックス線検査:内臓脂肪の増加のため、腹腔臓器 がよく分離して見える。肝腫大、大きな膀胱、軟部 組織(気管・気管支、大動脈、腱など)の石灰化が 認められることが多い。軽度∼重度の心陰影拡大 も認められやすい。AT 症例では、腎臓の内側また は頭側に、球形に腫大した副腎が認められる。AT の半数程度では腫瘍表面が石灰化し、エックス線 検査で観察しやすい。 血液検査(CBC) :多血、好中球および単球増多、好 酸球およびリンパ球の減少(ストレスパターン)が 認められることが多いが、クッシング症候群に特 異的ではない。 血液化学検査:90%以上の症例で血清アルカリ フォスファターゼ(ALP)活性の上昇(> 400 U/L)が認められる。その他、高コレステロール血 症(> 350 mg/dL)や血清クレアチニンの低値 ( 0.5 mg/dL)も 高 率 に 認 め ら れ る。症 例 の 10∼20%程度では高血糖(200 mg/dL 以上)が認 められる。 ◆この段階でクッシング症候群とよく似た症状や検査 所見を呈する鑑別疾患は、シュナウザーの高脂血症をと もなう肝空胞変性、シェットランド・シープドッグの家 族性高脂血症、さまざまな内分泌性脱毛(甲状腺機能低 下症、成長ホルモン反応性皮膚症、エストロゲン過剰 症)、さまざまな原因による肝機能不全、慢性腎不全の 多尿期などである。 尿検査:糖尿病併発例を除くほとんどの症例で低 比重(1.010 以下)を示し、しばしば蛋白尿が認め 問診・身体検査 血液検査・血液化学検査 エックス線検査など 診断を再検討 クッシング症候群を否定 ACTH刺激試験 抑制あり 正常 LDDST 過反応 抑制なし 再検討 副腎エコー 抑制なし 判定不能 片側腫瘍 HDDST 両側 過形成 反対側萎縮 または正常 ATと診断 血管浸潤 遠隔転移 抑制あり PDHと診断 脳MRI・CT なし 下垂体 腫大 副腎摘出術 血管浸潤 下垂体 遠隔転移 あり 腫大なし 下垂体摘出術 放射線治療 内科療法 図 1. クッシング症候群の診断フローチャート -23- 身体検査やルーチン検査でクッシング症候群の 可能性があれば、図 1 のフローチャートにした がって検査を進める。クッシング症候群の確定診 断には 2 つの段階が必要である。まずクッシング 症候群であることを確かめ、次に PDH と AT を鑑 別する。PDH と AT では治療法がまったく異なる ため、必ず鑑別しなければならない。 方法:合成 ACTH 製剤(商品名コートロシン)0.25 mg/head(5 kg 未満の小型犬では半量)を筋肉内 または静脈内投与し、投与前および 1 時間後の血 中コルチゾール値を測定する。 ◆ ACTH は静脈内注射しても筋肉内注射しても、得ら れる結果はほぼ同じであるため、東大では筋肉内投与し ている。 a) ACTH 刺激試験 ◆理想的には、試験前の数時間は安静・絶食とし、水は 自由に与え、午前中に検査することで、ACTH 投与前の コルチゾール値(基礎値)の信頼性を向上できる(スト レスがない状態での正しい基礎値が得られる)。ACTH 投与後には安静や絶食の必要はない。 原理:犬のクッシング症候群のスクリーニング検 査として行う。過剰の ACTH を投与して副腎のコ ルチゾール分泌を最大にする。血漿コルチゾール は ACTH 投与後 30∼90 分で最高値となる。PDH では副腎皮質が過形成を起こしていることが多 く、ACTH 投与後の血漿コルチゾールは異常高値 (過反応)となる。AT の場合にも副腎皮質の腫瘍 性増殖のため、同様に過反応を示す。 判 定 基 準:健 康 犬、PDH、AT の 犬 で 実 施 し た ACTH 刺激試験の結果を図 2 に示した。東大で は、1 時間後のコルチゾール値が 25 μg/dL を越 え れ ば ク ッ シ ン グ 症 候 群 と 診 断 し、20∼25 μg/dL であればグレーゾーンとしている。血漿コ ルチゾールは検査機関により測定値にばらつきが あるため、あらかじめ数頭の健康犬で検査し、診 断基準となるカットオフ値を求めておくこと。検 査機関によっては犬の基準値を用意している。 特徴:ACTH 刺激試験は容易であり、1 時間で終了 する。併発疾患や投薬に影響されにくく、クッシ ング症候群に対する特異性は 90%を超える。ただ し、PDH に対する感度は 80∼85%程度、AT に対 す る 感 度 は 50∼60% に と ど ま る。こ の た め ACTH 刺激試験でクッシング症候群と確定できな い 場 合 に は、低 用 量 デ キ サ メ タ ゾ ン 抑 制 試 験 (LDDST)を併用するとよい。 > 80 80 70 60 50 40 30 20 10 0 0 0 1 1 図 2. ACTH 刺激試験の結果と解釈:図では健康犬のデータから、ACTH 投与 1 時間後のコルチゾール値が 25μg/dL を超えたものをクッシング症候群と診断している。コルチゾール測定値は検査センターによって 10∼20%異なるの で、カットオフ値は自分で設定しなければならない。症例の一部では、コルチゾールの 1 時間値がカットオフ値未満 になっていることに注意。これらの症例は ACTH 刺激試験だけでは診断できない。 -24- ◆カットオフ値を下げれば、感度は上がるが特異性が下 がる。カットオフ値を上げれば、感度は下がるが特異性 は上がる。検査機関によっても測定値が違うので、カッ トオフ値の絶対値を議論することは不毛である。実際 の臨床ではある程度ファジーな判断が求められる。 PDH や AT の症例では生理的なネガティブ・ フィードバックが破綻しており、副腎のコルチ ゾール分泌は抑制されない。デキサメタゾンはコ ルチゾール測定法に干渉しないため、内因性コル チゾールの変動を評価するために利用される。 ◆ 1 時間後のコルチゾール値がグレーゾーンであって も、しかるべき症状(多飲・多尿など)が認められ、 ACTH 投与前のコルチゾール値(基礎値)が高値(> 6 μg/mL)であれば、クッシング症候群の疑いが強い。 この場合には次の LDDST を行うとより確実に診断でき る。 ◆近い過去にグルココルチコイド療法をうけた犬でも、 投与量が非常に多い場合(例:免疫抑制療法、リンパ腫 の化学療法など)を除いて、ACTH 刺激試験の結果が影 響されることはない。PDH でも AT でも既にネガティ ブ・フィードバックが破綻しており、少量のグルココル チコイドには影響されにくい(例:プレドニゾロン 0.5 mg/kg/day)。ただし、デキサメタゾンを除く多くのス テロイド剤はコルチゾールの測定系に干渉するので、 ACTH 刺激試験の前日∼当日は投与しないこと。 近い過去にグルココルチコイド療法をうけてお り、クッシング症状が現れており、ACTH 刺激後 のコルチゾールが低値(典型的には 5μg/mL 未 満)であれば医原性クッシング症候群と診断する。 外因性のグルココルチコイドを慢性投与すること によって下垂体の ACTH 分泌が抑制され、そのた め 副 腎 の コ ル チ ゾ ー ル 分 泌 能 も 抑 制 さ れ る。 ACTH 刺激試験は、自然発症のクッシング症候群 と医原性クッシング症候群を鑑別できる唯一の検 査である。 ◆成長ホルモン反応性皮膚症(アロペシア X)の犬では、 血中コルチゾールが極端な高値を示すことがある。こ れはおそらく他のステロイドホルモン(あるいは前駆 体)の交差反応によるもので、真のコルチゾール値では ないと考えられる。この場合はコルチゾール値が信用 できないが、犬種と臨床症状から鑑別・診断できるはず である。 b) 低用量デキサメタゾン抑制試験(LDDST) 原理:正常な視床下部 - 下垂体 - 副腎機能をもつ動 物に低用量(生理的作用を発揮する程度)の外因性 グルココルチコイドを投与すると、視床下部や下 垂体に作用(ネガティブ・フィードバック)して下 垂体の ACTH 分泌を抑制し、副腎皮質のコルチ ゾール分泌が抑制される。 特徴:クッシング症候群に対する LDDST の感度は 90%を超えるが、特異性は 50%あるいはそれ未満 にとどまる。これはストレスや併発疾患の影響を うけやすいからである。検査が 8 時間かかるため なかなか厳密に実施できない。試験中に興奮、運 動、摂食すると健康な動物でも抑制されない。安 静にすることが難しい犬、臆病な犬、分離不安の 犬などは LDDST に適さない。このため、ACTH 刺激試験では診断の難しい症例に限って行うほう がよい。 方法:一晩絶食した動物に 0.015 mg/kg のデキサ メタゾンを静脈内投与し、8 時間後の血中コルチ ゾール値を測定する。試験中は犬を安静にさせ、 絶食・自由飲水とする。 判定基準:8 時間後の血中コルチゾール値が 1.4 μg/mL 未満であれば正常であり、クッシング症 候群を完全に否定してよい。これを超える値を示 した場合には、副腎機能の抑制が不十分と判断し、 クッシング症候群と診断する。ただし、試験が適 切に行われたかを必ず検証しなければならない。 c)副腎エコー検査 PDH と AT を鑑別するためには副腎エコー検査 が最適である。健康な犬の副腎を描出することは しばしば難しいが(とくに右側)、クッシング症候 群の犬では内臓脂肪が増加しているため、両側の 副腎を簡単に描出できる。5∼10 MHz のプロー ブを用い、他の腹腔臓器(肝・腎)と同じ条件で観 察する。腎静脈と後大静脈の交点を確認できれ ば、その近傍に必ず副腎が描出できる。副腎皮質 は周囲の脂肪組織よりも低エコーであり、髄質は 皮質よりも高エコーである。 健康犬の左側副腎は亜鈴型(ピーナツ型:写真 2a)、右側はコンマ型(ダルマ型)である(写真 2b)。副腎のサイズは短径の最大径で評価する。 中∼高齢で健康な小型犬では、最大径は 3∼5 mm 程度であり、大型犬では 5∼8 mm 程度である。副 -25- 腎の長径は個体差が大きいので評価の対象になら ない。 PDH の症例では、副腎の形態は正常であるか、 あるいは亜鈴型・コンマ型を保ったまま両端が腫 大している。最大径が小型犬で 6 mm、中∼大型 犬で 10 mm を超えれば副腎過形成と診断してよ い。このような副腎の皮質は均一な低エコーを示 す(写真 2c)。AT の症例では患側の副腎が球形に 腫大しており、内部構造は不均一であることが多 い(写真 2d)。AT の半数程度では腫瘍表面が石灰 化するため、表面でシャドーをひき内部を観察で きない。対側の副腎は萎縮しており、描出できな いことが多い(とくに右側)。両側性の副腎腫瘍は まれである。 写真 2a) 健康な 9 歳、雌、ミニチュアダックスフントの 左側副腎エコー像。長軸断面を描出し、直径を評価して いる。 写真 2c) PDH に罹患した 10 歳、雄、ウェルシュ・コー ギーの左側副腎エコー像。「亜鈴型」を保ったまま両端 の直径が拡大している。右側でも同様の所見が得られ、 PDH と診断した。 写真 2d) AT に罹患した 14 歳、避妊雌、シー・ズーの右 側副腎エコー像。副腎は球状に変形しており、内部構造 はやや不均一である。左側副腎は萎縮しており確認困 難であった。右側副腎は外科的摘出後の病理組織学的 検査により副腎癌と診断された。 ◆まれに、非機能性副腎腫瘍と PDH が併発することが ある。非機能性副腎腫瘍は球形であり、反対側の副腎は 正常∼過形成である。非機能性副腎腫瘍を切除しても 症状は改善しない。鑑別診断には以下の高用量デキサ メタゾン抑制試験が有用である。 d) 高用量デキサメタゾン抑制試験(HDDST) 原理:PDH と AT の鑑別のために用いられる。検 査自体は LDDST よりも容易であるが、PDH と AT を完全に鑑別することは不可能である。したがっ て、副腎エコー検査の解釈が難しい場合にのみ行 写真 2b) 同じ健康犬の右側副腎エコー像。長軸断面は 屈曲して「コンマ型」である。 -26- うとよい。 HDDST では、大過剰のデキサメタゾンによっ て内因性コルチゾールが抑制されるか否かを評価 する。PDH 症例の一部(約 70%)では、大過剰の デキサメタゾンが下垂体に作用してネガティブ・ フィードバックが生じ、内因性コルチゾール分泌 が低下する。その他の PDH 症例では、コルチコト ロフの調節機能が完全に失われており、ネガティ ブ・フィードバックは生じず、副腎皮質のコルチ ゾール分泌も抑制されない。AT ではネガティブ・ フィードバックを無視して自律的にコルチゾール が分泌されており、やはり抑制されない。 ACTH 分泌の日内変動が大きいため、PDH の犬の 20%程度で ACTH が低値となり、診断には役立た ないため、東大では行っていない。 f) 下垂体の画像診断 以下に述べる治療選択や予後判定のため、PDH と診断した犬では可能な限り MRI・CT 検査をして 下垂体サイズを評価すべきである。小型犬であれ ばエコーで下垂体を描出できることも多い。 PDH の治療選択 PDH 治療の選択肢は内科療法、放射線治療、外 科手術の 3 通りあり、これらの治療法で生存期間 に差はほとんどない。動物の状態、治療の緊急性、 経済的事情から治療計画を立て、インフォームド・ コンセントを経て治療開始する。東大では、下垂 体が腫大していない(あるいは将来的に腫大のリ スクが低い)PDH 症例ではトリロスタンを用いた 内科療法を第一選択とし、下垂体が腫大している 犬には放射線治療を薦めている。 方法:0.1∼1.0 mg/kg(東大では 0.2 mg/kg)の デキサメタゾンを静脈内投与し、4 および 8 時間 後の血中コルチゾール値を測定する。 判定基準:デキサメタゾン投与後 4 または 8 時間で の血中コルチゾール値が 1.4 μg/mL 未満(または 前値の 50%未満)であれば副腎機能が充分に抑制 されたと判断し、PDH と診断する。4 および 8 時 間値のいずれも抑制されていない場合には、PDH と AT は鑑別できない。 内科療法:トリロスタンを使用する場合には効果 が得られるのが早く、作用が可逆的であり、副作 用が少ないのでコントロールしやすい。一方、ト リロスタンが副腎のホルモン産生を抑制すること で下垂体に対するネガティブフィードバックが弱 まり、下垂体腫瘍が急激に大きくなる(ネルソン症 候群と呼ぶ)リスクがある。原発巣つまり下垂体 に作用しないという意味で、トリロスタンを含む 内科療法は姑息的であることを理解すること。 図 3. 高用量デキサメタゾン抑制試験(HDDST)の例。 下垂体性クッシング症候群(PDH)の症例は緑、副腎腫 瘍(AT)症例はオレンジの線で示す。HDDST で血中コ ルチゾールが抑制されれば PDH と判定できる。抑制さ れなければ PDH と AT は鑑別できない。PDH 症例でも 抑制されない場合が多いことに注意。 e)血漿 ACTH 濃度 原理:PDH では ACTH が過剰分泌されており、AT では ACTH 分泌が抑制されているはずである。こ のアイデアを基に、血漿 ACTH 濃度が PDH と AT の鑑別に使われることがある。しかし実際には、 -27- 放射線療法:下垂体に対して定位的にメガボル テージ X 線(リニアック)を照射する。常電圧(オ ルソボルテージ)X 線照射は無効である。放射線 治療の長所は、PDH の原発巣つまり下垂体に直接 作用すること、下垂体サイズと内分泌学的異常を 同時に解決できること、治療後に数カ月以上の無 病期間(投薬が不必要)が得られることである。放 射線治療のプロトコルについてはまだコンセンサ スがないため、ここでは治療の詳細は述べない。 外科手術:経蝶形骨下垂体切除術によって腫瘍を含 む下垂体を全摘出する。成功すれば根治的であ る。一方、手技が難しいこと、乾燥性角膜炎など の合併症があること、小型犬や短頭種には応用で きないこと、治療後は下垂体不全の状態になり生 涯のホルモン補充が必要であることなど、さまざ まな問題点と制約がある。 カベルゴリンを使って下垂体の ACTH 分泌を抑制 しようとする治療法もあるが、残念ながら奏効率 が低い(症例の 20∼40%程度で有効)。 PDH の内科療法の目的は、血中コルチゾール濃 度を低下させ、クッシング症候群の臨床症状を緩 和し、動物やオーナーの生活の質を向上させるこ とである。このため、検査結果が PDH であって も、臨床症状がなければ治療を開始する価値がな い。また、心不全、急性膵炎あるいは腎不全など、 重度の併発疾患をもつ症例では、併発疾患の治療 を 優 先 すべ き で あ る。一 方、糖 尿 病 の よ う に、 クッシング症候群を管理することで併発疾患の治 療がしやすくなるのであれば、クッシング症候群 の内科療法を開始する価値がある。外科手術の不 可能な AT でも、内科療法によって副腎腫瘍のホル モン分泌を抑制することができる。いずれの場合 にも、筆者はトリロスタンを第一選択薬として用 いている。 a)トリロスタン PDH の予後予測 内科療法、放射線治療、外科手術ともに症例の 生存期間に差はなく、適切に治療すれば 60%以上 の 3 年生存率が期待できる。症例の予後は、主に 下垂体サイズと併発疾患に左右される。 PDH 症例の約 80%では、下垂体は重篤な神経 症状を起こすほど腫大しない(直径 10 mm 未満)。 これらの症例は最終的に心不全、膵炎、腎不全な どの併発疾患によって死亡することが多い。一方、 下垂体が直径 10 mm を超えて腫大する症例の予 後は悪く、脳の圧迫による神経障害により死亡す るか、安楽殺が選択される。前述のように、下垂 体が著しく腫大している症例では内科療法を選択 してはならない。 AT の治療選択 AT の第一選択治療は患側の副腎摘出術である。 副腎癌は大血管に浸潤しやすく、肝臓、リンパ節、 反対側副腎などに転移することがある。副腎癌の 部分摘出は内分泌的異常を改善しないので、遠隔 転移や大血管浸潤がみられる場合には手術を選択 せず、QOL 向上を目指して内科的にコントロール す る ほ う が よ い と 思 わ れ る。AT 症 例 は コ ル チ ゾール過剰のために大血管が脆くなっており(石灰 化のため)、術創も治りにくいため、相当に慎重な 術前評価が必要である。 AT の予後予測 良性の副腎腺腫を外科的に完全摘出できれば予 後はよいが、このようなことは少ない。手術不可 能な AT(副腎癌)症例はほとんどがプアリスクで あり、治療を開始する前に熟慮しなければならな い。AT によるクッシング症候群を内科的に管理 することはかなり難しい。 トリロスタンは 3β- ヒドロキシステロイド脱水 素酵素を可逆的に阻害し、ステロイドホルモン全 般の合成を抑制する。犬では経口投与により速や かに効果を発揮し、重篤な副作用も少ないため使 いやすい。2002 年に英国 Dechra 社から動物薬 (Vetoryl)として発売されて以来、犬のクッシング 症候群に対する使用例が急増している。国内では 2011 年に Vetoryl の同等品(アドレスタン:共立 製薬)が発売された。アドレスタンは 10、30、60 カプセルである。また、医薬としてデソパン 60 mg 錠(持田製薬)も入手可能である。以下に PDH 症例に対する投与法を述べる。治療の流れをフ ローチャートとして図 3 に示した。 1) 開始時:PDH 症例ではトリロスタン 3 mg/kg, SID で開始する。開始量は犬の体重と剤形に応じ て(キリのよい投与量を)決めればよい。ミトタン と異なり、食物や油脂と同時に与える必要はとく にない。オーナーに犬の元気、食欲、飲水量を観 察してもらいつつ、まずは 7∼14 日間投与する。 この間は、以下の副作用が発現した場合を除き、 基本的に投与量を変えない。 内科療法の実際 PDH に対する内科療法は大きく 2 つに分かれ る。トリロスタンやミトタンなどを使って副腎の コルチゾール分泌を抑制しようとする治療法が主 流であり、広く行われている。塩酸セレギリンや -28- トリロスタン 3 mg/kg , sid (最大 120 mg/head) で開始 急性副反応の観察 (虚脱・嘔吐・振戦) あり なし ただちにトリロスタン中止 応急処置(輸液・ステロイド) 他の治療法を考慮 飲水量をモニター 有効(飲水量<100 ml/kg/day) 無効(飲水量≧100 ml/kg/day) トリロスタン投与後3∼6 時間で ACTH 刺激試験 数週間ごとに身体検査 血液化学検査 1時間値≦5μg/dl アジソン徴候 (食欲不振・嘔吐・電解質異常) なし 1時間値>5μg/dl 同量を1日2回投与 数日ごとに増量 (最大10 mg/kg) あり 治療を継続 飲水量をモニター 中止または 週2回投与 回復 クッシング症候群が 再発したら治療再開 有効 無効 回復しない アジソン病の治療 他の治療法を考慮 (ミトタンなど) 図 4. PDH の犬のトリロスタン療法 2) 副作用とその対策:臨床的に重要な副作用はア ジソン病(元気消沈、食欲低下、虚脱、振戦、嘔吐、 下痢、血便、高カリウム血症、低ナトリウム血症、 高窒素血症)である。このような症状を認めたら オーナーは直ちに投薬を中止し、獣医師に連絡し なければならない。副作用としてのアジソン病が 重篤であることはまれだが、必要があれば輸液や ヒドロコルチゾン投与などの緊急治療を開始す る。アジソン病に陥った症例はトリロスタンを 1∼数週間中止し、クッシング症状が再発してから 投与再開する。このような症例では 1 回投与量を 半減するか、あるいは 48 時間ごとに投与する。犬 ではアジソン病以外の副作用はほとんど報告され ていないが、ヒトでは薬剤アレルギーや肝酵素の 上昇などが知られているので、治療開始から数週 間はこれらの副作用にも注意するほうがよい。ア ジソン病以外の副作用が現れる症例ではミトタン など他の薬剤を選択すべきである。 -29- 3) 投与量と投与頻度の決定:トリロスタン療法の ゴールは、クッシング症状(多飲、多尿、腹囲膨満、 皮膚病変、運動不耐性、パンティングなど)が消失 し、犬の元気や食欲が保たれている状態である。 ほとんどの症例では 1 回投与量 2∼8 mg/kg、投 与間隔 12∼48 時間の範囲でコントロールできる。 投与量と投与間隔が症例にマッチしていれば、 多飲・多尿は数日以内に改善し、その他の症状も 1∼2 ヶ月以内に改善する。治療が不十分であれ ばクッシング症状は消失しない。投薬過剰であれ ば犬はアジソン病に陥り、元気と食欲が失われる。 臨床症状(とくに飲水量)を観察しながら 1∼2 週間ごとに投与量や投与頻度を調節するのも一つ の方法ではあるが、ACTH 刺激試験を行うと無用 な試行錯誤をしなくて済む。ACTH 刺激試験はト リロスタン投与後 3∼6 時間の範囲で開始する。 これ以外の時間帯に検査するのは全く無意味であ る。ACTH 刺激後(投与 60 分後)の血清コルチ ゾール値と臨床症状に基づいて投与量と投与間隔 を調節する。 ACTH 投 与 1 時 間 後 の コ ル チ ゾ ー ル が 5.0 μg/dL 以下であれば、トリロスタンの 1 回投与量 は副腎皮質を充分抑制している。この状態でクッ シング症状が残っていれば、投薬量ではなく薬剤 の持続時間が不足していると考えられ、投薬を SID から BID に変更する。一方、ACTH 投与 1 時 間後のコルチゾールが 5.0μg/dL を超えていれば 投薬量が不足していると考えられ、1 回投与量を 増やす。 このように、飲水量の観察と、必要があれば ACTH 刺激試験を行うことでトリロスタンの投与 量と投与頻度を決定する。 b)ミトタン ミトタン(op'-DDD:商品名オペプリム:アベン ティス・ファーマ)は副腎皮質を破壊・萎縮させる 作用をもち、PDH の内科療法に広く用いられてい る。ミトタンの長所はグルココルチコイドに対す る選択性が高いことである。適切に使用する限 り、副腎の束状帯(グルココルチコイドを産生)を 萎縮させるが、球状帯(アルドステロンを産生)や 網状帯(性ステロイドを産生)への影響は少ない。 高用量で使用すると副腎皮質全体が破壊される。 ミトタンの作用は蓄積毒性によるものであり、比 較的緩徐に現れる。症状の改善に 1∼3 週間を要 し、臨機応変にコントロールすることが難しいた め、やや使いにくい薬剤である。 4) 維持治療:トリロスタンの投与量と投与頻度が 決定できたら、数週間ごとに通院して身体検査と 血液検査を行う。 身体検査ではトリロスタンの作用不足による クッシング症状、あるいは作用過剰によるアジソ ン症状が現れていないか注意する。トリロスタン の過剰投与によるアジソン病は可逆的であること が多いが、ときに不可逆的なアジソン病に陥る症 例がいる。このような症例では自然発生のアジソ ン病と同様にホルモン補充療法が必要となる。 血液検査ではトリロスタンの副作用である低ア ルドステロン症を検出するため、Na, K, Cl, BUN, Cre を中心に検査する。低ナトリウム血症、高カ リウム血症、腎前性高窒素血症が無視できない場 合には、トリロスタンを中止してミトタンまたは 放射線療法など他の治療法に変更する。 ◆ミトタンは副腎皮質のチトクローム P450 を誘導す るとともに、自らチトクローム P450 で代謝されて活性 型の中間体となり、この中間体が副腎皮質の細胞内に蓄 積して毒性を発揮するらしい。 ミトタンは脂溶性であり、粉末をバターやマー ガリンに混ぜて経口投与すると腸での吸収率が高 まる。初期用量は 5∼10 mg/kg, SID とし、飲水 量を観察しながら数日ごとに漸増する。症状の改 善のために必要な投薬量には個体差があり、10∼ 125 mg/kg もの幅がある。投薬は症状が改善し た時点でいったん中止する。この時点で ACTH 刺 激試験を行うと、刺激 1 時間後の血漿コルチゾー ル値は 10 μg/dL 未満を示しているはずである。 半数程度の症例では再発することなく良好に経過 するが、すぐに再発する症例では維持治療が必要 となる。維持治療には、症状改善に必要とした用 量で週 1∼2 回投与する。 ミトタンの急性の副作用は、消化器障害、肝障 害、神経障害であり、このような異常を認めたら ただちに投薬中止する。医原性のアジソン病に 陥った場合には、ヒドロコルチゾンやプレドニゾ ロンによるホルモン補充を行う。ミトタンによる アジソン病はほとんどの場合に可逆的であり、数 日∼数週間以内に回復する。 トリロスタンの場合とは逆に、AT はミトタン感 受性が低く、かなりの高用量が必要になることが 多いようである。一方、予期せぬ時点で副腎が急 激に破壊され、致命的な副腎クリーゼを起こすこ ともある。AT 症例をミトタンで管理することは ほとんど不可能である。 ◆ミトタンは適切に使用する限りグルココルチコイド (束状帯)選択的であり、アルドステロンを抑制しにく い。 ◆ AT 症例にトリロスタンを使用する場合には、投薬量 を少なくするほうが安全である(例:開始量 0.5∼1 mg/kg、2∼3 日に 1 回投与)。筆者の経験では、副腎癌 のトリロスタン感受性は PDH のそれより高いようであ る。 ◆トリロスタンは、ポメラニアンなど北方犬種の成長ホ ルモン反応性皮膚症(アロペシア X)にも有効である (Cerundolo et al. Vet. Dermatol. 15: 285-293, 2004)。トリロスタン 5∼10 mg/kg, SID を投与する と、多くの犬が発毛する。トリロスタンを中止すると再 びすぐに脱毛する。副作用としてアジソン病に陥る可 能性があるので、投与には注意が必要。筆者は特別な場 合(ショーへの参加など)を除き、トリロスタン治療を 薦めていない。 -30- c)ケトコナゾール ケトコナゾールはチトクローム P450 を可逆的に 阻害し、ステロイドホルモン合成を全体的に抑制 する。経口投与により速やかに効果を発揮する。 犬での用量は 5∼15 mg/kg, BID である。低用量 から開始し、症状を観察しながら漸増する。ホル モン抑制作用は可逆的であり、治療のためには継 続的な投与が必要である。副作用として、ときに 嘔吐や重篤な肝障害が認められる。トリロスタン が使用できれば、ケトコナゾールを使用する意義 はあまりない。 d)塩酸セレギリン 塩酸セレギリン(L- デプレニル:商品名エフピー 錠:藤本製薬)はモノアミンオキシダーゼ阻害薬で あり、ヒトのパーキンソン病治療薬である。脳で のドパミン分解を抑制してドパミン濃度を上昇さ せることで、結果的に下垂体の ACTH 分泌を抑制 する。1∼2 mg/kg, SID を早朝に投与する。PDH の 20∼60%に有効であるとされている。有効例 では症状が劇的に改善するが、長期投与で不応と なる。塩酸セレギリンは覚醒剤原料に指定されて おり、購入や管理にはとても煩雑な手続きが求め られている。以下のカベルゴリンのほうが入手し やすい。 e) カベルゴリン カベルゴリン(各社から発売)はドパミンアゴニ ストであり、ヒトのパーキンソン病治療薬である。 ドパミン作用が下垂体の ACTH 分泌を抑制するた め、犬の PDH の治療薬として検討されている。文 献 的 な 投 与 量 は 0.02 mg/kg/q48h(0.07 mg/kg/ 週)であり、有効率は 40%程度であった (Castillo et al. Res. Vet. Sci. 85: 26-34, 2008)。覚醒剤原料に指定されておらず、購入に はとくに制限がないため、PDH ではトリロスタン やミトタンに先立って使用する価値があるかもし れない。ヒトでは間質性肺炎、心臓弁膜症などの 副作用が知られているが、犬での副作用はほとん ど検討されていないため注意を要する。 -31- 猫のクッシング症候群 概要 猫のクッシング症候群は、犬と比較すると発生 頻度が著しく低い。現れる症状も犬とはやや異な る。 病因 猫のクッシング症候群のほとんどは下垂体腫瘍 による過剰な ACTH 分泌を原因とする(下垂体性 クッシング症候群:PDH)。猫の副腎腫瘍にはエス トロゲンやプロゲステロンを分泌するものが多 く、コルチゾールを分泌する副腎腫瘍は少ない。 症状 中∼高年齢の猫で認められる。本疾患の猫のほ とんどはインスリン抵抗性の糖尿病を併発してい る。初期の症状は多飲、多尿、高血糖と尿糖陽性 であり、皮膚症状は目立たない。このため単純な 糖尿病と区別することが難しい。実際に、症例は まず糖尿病と診断されるが、高単位(例えば 1 回投 与量が 1.5U/kg 以上)のインスリンを投与しても 血糖は降下しない。このインスリン抵抗性から クッシング症候群が疑われることが多い。 クッシング症候群が進行すると、被毛が粗剛に なり、皮膚が脆弱化し、脱毛や線状の裂傷、二次感 染が認められるようになる。さらに、骨格筋が萎 縮し、運動が困難になる。糖尿病の進行に伴って 体重が減少し、ケトアシドーシスに陥る症例もい る。 写真 2. 下垂体性クッシング症候群に罹患した猫の皮膚。 筋肉の萎縮のために起立不能。皮膚は非常に薄く脆弱 で、容易に裂傷ができる。鼻梁の脱毛や落屑が多いこと にも注目 診断 中∼高年齢の猫がインスリン抵抗性の糖尿病で あり、皮膚の菲薄化、脆弱化、裂傷、被毛粗剛、落 屑などが認められれば、まずクッシング症候群を 疑うべきである。糖尿病に甲状腺機能亢進症が併 発した猫でも一見似たような状況になるが、皮膚 が高度に脆弱化することはない。猫のクッシング 症候群の診断法は犬とほぼ同様である。 1) ACTH 刺激試験 合成 ACTH を犬の場合の半量(コートロシン 0.125 mg/head)筋肉内投与し、30 および 60 分 後に採血し、血漿コルチゾールを測定する。健康 な猫では、ACTH 投与後の血漿コルチゾール値は、 およそ 6∼12μg/dL であり、15μg/dL を越えれ ば高値と考えてよい。しかし、コルチゾールが 写真 1. 下垂体性クッシング症候群に罹患した猫。起立 困難、腹囲膨満、被毛粗剛に注目。 -32- ピークとなる時間にはかなりの個体差がある。こ のため、犬の場合と比較してクリアな結果が得ら れにくい。 ある。 予後 2) 低用量デキサメタゾン抑制試験(LDDST) リン酸デキサメタゾン 0.015 mg/kg, IV し、0、 4、8 時間後の血漿コルチゾールを測定する。4 ま たは 8 時間後の血漿コルチゾールが抑制されなけ ればクッシング症候群と診断する。しかし、猫で は入院や採血ストレスで容易に血漿コルチゾール が上昇するので、判定が非常に難しい。 3) 高用量デキサメタゾン抑制試験(HDDST) ほとんどの症例が糖尿病であり、HDDST は糖 尿病を悪化させる危険性が高いため、行うべきで ない。 4) 腹部エコー 上記のように、猫のクッシング症候群の内分泌 検査は難しいため、腹部エコー検査で副腎のサイ ズを観察するのが診断の早道である。健康な猫の 副腎短径は約 3∼4 mm だが、PDH の猫では両側 副腎が腫大する。副腎腫瘍または副腎癌による クッシング症候群の猫(まれ)では片側副腎が腫大 する。 写真 3. 写真 1 の猫の左側副腎。猫の副腎は円柱形に近 い。この症例では短径が 6 mm を越えて腫大している。 右側副腎も同様に腫大していた。 治療 PDH の 場 合 に は ケ ト コ ナ ゾ ー ル(5∼15 mg/kg, BID)を用いた内科的治療を行う。トリロ スタン(デソパン)も使用できるが、犬よりもはる かに高用量(10∼15 mg/kg 以上, BID)が必要で -33- 猫のクッシング症候群の予後は、治療への反応 により様々である。初期(軽度)であり投薬に反応 すれば、糖尿病が消失し皮膚症状も改善する。治 療に反応しない場合は、糖尿病のコントロールが 非常に困難となり、予後が悪化する。重篤な皮膚 症状を呈する例は、皮膚感染症のコントロールが 難しく、予後も悪い。 アジソン病(副腎皮質機能低下症) 概要 診断 アジソン病は副腎皮質から分泌されるステロイ ドホルモンが不足することによって起きる疾患で ある。犬でしばしば認められ、猫では極めてまれ である。 血液検査(CBC)では軽度の非再生性貧血や好 酸球増多が認められることがあるが、アジソン病 に特異的な変化はない。 血液化学検査では電解質測定が最も重要であ る。症例の 80%では低 Na 血症と高 K 血症の両方 が観察される。Na(mEq/L)/K(mEq/L)< 25 であれば、副腎皮質機能低下症のめやすとなる。 症例の 10%では低 Na 血症と高 K 血症のいずれか がみられる。症例の残り 10%では電解質異常は認 められない。 循環血液量の減少により軽度∼中等度の高窒素 血症が認められることがある。グルココルチコイ ド不足による低血糖もしばしば認められる。高 Ca 血症も認められ、ときに 15 mg/dL を越えるこ とがある。 病態生理 副腎皮質が特発性(自己免疫)の機序、感染症、 転移性腫瘍、クッシング症候群の治療薬などによ り破壊されることが原因となる。犬では特発性の 副腎萎縮によるものが多く、ほとんどの症例では 球状帯と束状帯が破壊されるので、ミネラルコル チコイドとグルココルチコイドの両者が不足する。 これらのホルモンの分泌能が 90%以上障害される と症状が発現する。 臨床症状 若年∼壮年の雌犬で好発し、欧米ではグレート・ デーン、ロットワイラー、スタンダード・プードル などの好発犬種が報告されている。国内では特記 すべき好発犬種はない。グルココルチコイドおよ びミネラルコルチコイドの不足により、虚弱、体 重減少、食欲不振、嘔吐、吐出、下痢、血便、多尿、 乏尿、徐脈、低体温、振戦、痙攣などの症状が発現 する。特発性の副腎萎縮はゆっくりと進行するの で、臨床症状も好不調の波を伴いながらゆっくり と進行する。動物にストレスが加わると体内のグ ルココルチコイド要求量が増加するため、コルチ ゾール不足による臨床症状が現れやすくなる。 写真 1. 原発性副腎皮質機能低下症(アジソン病)に罹患 した 1 歳、雌、パピヨン。外貌に特徴的な変化はない。 ・低 Na、高 K 血症の鑑別 腎不全(腎前性、腎後性を含む) アジソン病 糖尿病 ・高 K 血症の鑑別 腎不全(腎前性、腎後性を含む) アジソン病 糖尿病 組織損傷 腫瘍融解 熱傷 溶血(柴犬の一部:高 K 赤血球犬) ・低 Na 血症の鑑別 嘔吐 下痢 イレウス 心不全 腎不全 肝硬変 アジソン病 利尿剤投与 ネフローゼ症候群(まれ) 甲状腺機能低下症(動物ではまれ) マンニトール投与(みかけの低 Na) 糖尿病(みかけの低 Na) -34- 心因性多飲(非常にまれ) SIADH(非常にまれ) 確 定 診 断 に は ACTH 刺 激 試 験 を 行 う。合 成 ACTH を 0.25 mg/head(小型犬では半量)筋肉 内投与し、60 分後の血清コルチゾール濃度を測定 す る。ACTH 投 与 後 の コ ル チ ゾ ー ル 値 が 3.0 μg/dL 未満であれば、副腎皮質機能低下症と診断 する。 診断の補助として血清アルドステロンを測定し てもよい。健康で無刺激での血清アルドステロン 値は犬で 15∼900 pmol/l(5∼300 pg/ml)、猫 では 150∼400 pmol/l(50∼130 pg/ml)程度で あり、ACTH 刺激後には犬で 200∼2000 pmol/l (60∼600 pg/ml)、猫 で は 250∼800 pmol/l (70∼250 pg/ml)程度まで上昇する。副腎皮質 機能低下症に罹患して電解質異常が現れている動 物では、無刺激、刺激後ともに 10 pg/mL 未満の 値を示す。 治療 a) 重度の副腎不全(副腎クリーゼ)の場合 輸液による循環改善とホルモン補充療法を行 う。輸液には生理食塩水を用い、体重(Kg) 脱水 (%) 10(mL)のうち、半分を開始後 6 時間、残 りを 18 時間で投与する。最初の 3∼4 時間のうち に利尿を確認する。簡単な目安として、10∼15 ml/kg/hr で開始し、利尿が確認できたら 5∼10 ml/kg/hr にする。輸液の開始と同時に、酢酸ヒド ロコーチゾン(ソルコーテフ)の静脈内投与(5∼ 10 mg/Kg)を 行 い、以 後 6 時 間 ご と に 1∼2 mg/kg 追加する。初期治療の時点では、他のステ ロイド製剤はあまり必要ないが、デキサメタゾン (0.2∼0.5 mg/Kg, iv)を同時に投与する人もい る。ほとんどの症例では治療開始後数時間以内に 臨床症状の改善を示す。 ◆高 K 血症の是正のためにグルコース・インスリン療法 を行うことは無意味であり、ほとんどの場合に有害であ る。 画像診断 b) 維持治療 無治療のアジソン病の犬で画像診断が役立つこ とはあまりない。既に(とくに他院で)治療されて いる犬を改めてアジソン病と確定診断するために は、副腎エコー検査が役に立つことがある。 アジソン病であれば、副腎は両側とも高度に萎 縮しているはずである。 自由飲水と摂食が可能になれば、輸液を中止し 酢 酸 フ ル ド ロ コ ル チ ゾ ン(フ ロ リ ネ フ:0.01 mg/Kg, BID)の経口投与による維持療法に移行す る。半数以上の症例は酢酸フルドロコーチゾン単 独で維持できる。維持しにくい(元気・食欲が出な い)場合には、低用量のプレドニゾロン(0.2∼0.3 mg/kg, BID)またはヒドロコルチゾン(コートリ ル:0.5∼1.0 mg/kg, BID:こちらを推奨)を併用 すると維持が容易になる。 薬剤投与量は、臨床症状を観察しながら増減し て維持量を決定する。臨床症状が良好であれば、 多少の低ナトリウム血症、高カリウム血症、血清 ALP 活性の上昇は気にせず放置してよい。AST や ALT は長期間の治療でも上昇することはない。 AST や ALT 活性が上昇した場合は、投薬過剰もし くは他の疾患の併発を疑う。 ◆表 1 の通り、酢酸フルドロコルチゾンはグルココルチ コイド作用も充分に持っているので、アジソン病を単剤 で維持できる。一方、プレドニゾロンやデキサメタゾン はミネラルコルチコイド作用をほとんど持たない。し たがって、電解質異常を伴う(ミネラルコルチコイドが 不足している)アジソン病は、プレドニゾロンやデキサ メタゾンでは維持できない。 写真 2. アジソン病に罹患した 8 歳、雌、ゴールデン・レ トリバーの左側副腎エコー像。本犬種の副腎の短径は 通常 5∼7 mm であり、この症例では高度に萎縮してい る。右側副腎は観察できなかった。 -35- ◆最もよくある失敗は、アジソン病の動物にプレドニゾ ロンを投与して、治療したつもりになることである。 薬剤 糖質C作用 鉱質C作用 コルチゾル(対照) 1 アルドステロン(対照) <0.2 フルドロコルチゾン 10 ヒドロコルチゾン 1 プレドニゾロン 4 メチルプレドニゾロン 5 デキサメタゾン 25 1 >5 125 1 0.8 0.2 0 表 1. 各種ステロイド剤のもつグルココルチコイド(糖質 C)作用とミネラルコルチコイド(鉱質 C)作用の強さの 比較。生体内のコルチゾールを対照(1:1)として、同量 の薬剤同士で比較したもの。 ピバル酸デソキシコルチコステロン(DOCP)は 持続型のミネラルコルチコイド製剤であり、個人 輸入できる。初期用量は 2 mg/kg(筋肉内または 皮下投与)とする。 ほとんどの犬では 1 回の注射で 3∼4 週間、血清 電解質が正常化する。まず 1 回注射し、1 週間ご とに血清電解質を測定し、正常化している期間を 見きわめ、投与量と投与間隔を決める。 DOCP はグルココルチコイド作用をほとんど持 たないので、(ほぼ)必ず少量のグルココルチコイ ド(ヒドロコルチゾンを推奨)を併用しなければな らない。 DOCP が適応となるのは、犬がフルドロコルチ ゾン抵抗性の場合や、フルドロコルチゾンのもつ グルココルチコイド作用によってクッシング症状 が現れる場合である。実際には DOCP が是非とも 必要という状況はあまりない。 予後 特発性副腎皮質機能低下症の予後は良く、適切 なホルモン補充が行われる限り、症例は寿命を全 うできる。 -36- 原発性アルドステロン症 概要 血症レニン活性は原発性アルドステロン症と続 発性アルドステロン症の鑑別のために測定する。 血漿レニン活性の単位は ng/ml/hr であり、健康 猫では 10(典型的には 4)未満である。アルド ステロンが高値、レニンが低値であれば原発性ア ルドステロン症である。一方、腎不全に伴う高血 圧、ネフローゼ症候群、アジソン病、レニン産生 腎腫瘍などでは腎臓でのレニン産生が亢進して続 発性アルドステロン症となる。続発性アルドステ ロン症では血症レニン活性が 10(典型的には 30)以上となる。ただし、動物検体ではレニンが 偽の低値になることがあるようである。実際に は、原発性アルドステロン症では画像診断で副腎 腫瘍がみつかることが多く、続発性アルドステロ ン症の基礎疾患も容易に診断できるため、両者の 鑑別はそれほど難しくない。 原発性アルドステロン症(primary hyperaldosteronism)は、副腎腫瘍(非常にま れに特発性過形成)がアルドステロンを過剰分泌 することにより起こる。猫ではしばしば報告され ているが、犬ではわずかな症例報告しかない。 症状 アルドステロンが過剰になると体内にナトリウ ムが貯留し、カリウムと水素イオンは腎臓で排泄 される。このため高ナトリウム血症、低カリウム 血症、代謝性アルカローシスが生じる。高ナトリ ウム血症は目立たないこともあるが、低カリウム 血症は顕著であることが多い。高ナトリウム血症 は高血圧、中枢神経症状、眼底出血(失明)、心 血管障害の原因となる。低カリウム血症はミオパ チーの原因となる。比較的詳細な観察がなされて いる文献として、猫の原発性アルドステロン症で は低カリウム血症、低リン血症、クレアチンキ ナーゼ活性上昇、後大静脈血栓が認められた。 治療 診断 低カリウム血症と、画像診断における副腎の腫 大が診断のきっかけになることが多い。確定診断 のためには血清アルドステロンと血漿レニン活性 (PRA)を測定する。アルドステロンはヒトの検 査センターに依頼すればよい。健康で無刺激での 血清アルドステロン値は犬で 15∼900 pmol/l (5∼300 pg/ml)、猫では 150∼400 pmol/l (50∼130 pg/ml)程度であり、ACTH 刺激後に は犬で 200∼2000 pmol/l(60∼600 pg/ml)、 猫では 250∼800 pmol/l(70∼250 pg/ml)程 度まで上昇する。 副腎が正常な動物でも血圧が低下すればアルド ステロンは上昇する。動物になんらかの高血圧所 見があり、高ナトリウム血症(155 mEq/L 以上) あるいは低カリウム血症(3.0 mEq/L 未満)に もかかわらずアルドステロンが明らかに高値なら アルドステロン症と考えてよい。無刺激の血清ア ルドステロンが明らかに高値であれば ACTH 刺 激試験は必要ない。ACTH は高アルドステロン血 症と高血圧を悪化させるので、むしろ危険であ る。 -37- アルドステロン産生腫瘍が明らかになっていれ ば、それを外科的に摘出するのが根治的である。 内科療法としては、アルドステロンの作用を軽減 するためスピロノラクトン(アルダクトン A) 0.5∼1.0 mg/kg, bid で与える。スピロノラクト ンで充分な血圧降下が得られなければ、猫ではア ムロジピン(0.625 mg/ 猫, sid)、犬ではエナラ プリル(0.5 mg/kg/day)を併用してもよい。 クッシング症候群の治療に用いられるトリロスタ ンは原発性アルドステロン症の治療にも有効であ る。犬では 2∼3 mg/kg, bid、猫では 5∼10 mg/kg, bid で経口投与し、血圧、血清ナトリウ ムあるいは血清カリウム値に応じて増減する。補 助的に、低ナトリウム食を与えると腎臓でのカリ ウム喪失を抑制できる。 予後 犬・猫ともにアルドステロン症はまれであり、予 後についてのデータはほとんどない。しかし内科 的コントロールはさほど難しくないようである。 褐色細胞種 概要 治療 褐色細胞腫(pheochromocytoma)は副腎髄質 や傍神経節のクロム親和性細胞を起源とする腫瘍 であり、カテコラミンを産生する。クロム親和性 細胞種とも呼ばれる。犬ではときに報告されてい るが、猫ではきわめてまれである。犬の褐色細胞 腫は半数程度が良性、残りが悪性と考えられてい る。 術前検査で完全摘出が見込めるなら、副腎摘出 術が第一選択である。部分摘出に終わっても、臨 床症状はコントロールしやすくなるとされてい る。 症状 褐色細胞種の犬の半数程度は臨床症状を呈さ ず、剖検時にはじめて褐色細胞種と診断されるこ ともある。現れる症状はおもにカテコラミンの過 剰によるものであり、非特異的である。あるレ ビューでは、発現頻度順に虚脱、食欲不振、嘔吐、 パンティング、呼吸困難、多飲・多尿、下痢、体重 減少、後肢の浮腫、失明、鼻出血、落ち着きのな さ、発作などの症状が挙げられている。猫では多 飲・多尿、元気消沈、食欲不振、発作、嘔吐がみら れる。全身性の発作も過剰なカテコラミンによる ものであり、1 分∼数時間持続する。腫瘍の大血 管浸潤による腹腔内出血や腹水は、症例の 15%程 度で認められる。 メトクロプラミドはクロム親和性細胞からのカ テコラミン分泌を刺激する。嘔吐などの消化器症 状に対してメトクロプラミドを使用し、高血圧(あ るいは他のカテコラミン過剰症)が悪化した場合 には褐色細胞腫を疑って副腎を精査するとよい。 診断 副腎エコーは褐色細胞腫を検出するために最も 優れた検査法である。褐色細胞腫は他の副腎腫瘍 と同様に球状に腫大するが、石灰化することはま ずない。犬や猫の褐色細胞腫は内分泌的に確定で きない。動物のカテコラミンは生理的変動がきわ めて大きく、基準値を設定することが現実的では ないからである。このため症状からカテコラミン 過剰が疑われ、副腎に腫瘤が認められ、高血圧の 鑑別疾患としてアルドステロン症が除外された ら、褐色細胞腫と仮診断して治療を開始するほう がよい。α1- 拮抗薬による内科療法が有効であれ ば褐色細胞腫の可能性が高くなる。最終的には外 科手術と病理組織学的検査で確定診断する。 -38- a. 術前管理:術前の症例は、α1- 拮抗薬の塩酸プ ラ ゾ シ ン(ミ ニ プ レ ス)を 0.05∼0.2 mg/kg, bid∼tid 経口投与して血圧を管理する。欧米の教 科書や文献ではフェノキシベンザミンが勧められ ているが、日本国内では販売されていない。使用 頻脈や頻脈性不整脈のコントロールが必要であれ ば、β- 拮抗薬としてプロプラノロール(インデラ ル)を 0.2∼1.0 mg/kg, tid で併用する。β- 拮抗 薬の単独投与は血圧上昇を招くため禁忌である。 b. 麻酔・術中管理:麻酔前のアトロピンは頻脈を増 悪するため使用しない。抗コリン薬を使用するな らグリコピロレートを用いるが、抗コリン剤の是 非については意見が分かれている。ジアゼパム、 ミダゾラム、オキシモルフィンは通常量で安全に 使用できる。アセプロマジンは低用量では安全だ が、用量依存的に重度の低血圧を起こす可能性が ある。バルビツレートは不整脈を誘発するため、 麻酔導入にはプロポフォールが適している。麻酔 の維持にはイソフルレンもしくはセボフルレンの 吸入か、プロポフォールを用いた全静脈麻酔を用 いる。 術中に褐色細胞腫を操作するとカテコラミンが 放出され、血圧が急激に上昇する。麻酔中は観血 的または非観血的に血圧を測定し、血圧が上昇し たらメシル酸フェントラミン(レギチーン注)を 0.02∼0.1 mg/kg で静脈内投与し、血圧の降下を 確認し、効果が不十分であれば追加投与する。あ るいはニトロプルシドナトリウム(ニトプロ注)を 0.5∼10μg/kg/min で点滴静注する。術中に頻 脈性不整脈が現れた場合は、短時間作用型 β1 拮 抗薬の塩酸エスモロール(ブレビブロック注)0.5 mg/kg を 緩 徐 に 静 脈 内 投 与 す る か、あ る い は 50∼200μg/kg/min で点滴静注する。これらの 降圧剤・抗不整脈薬はすぐに使用できるよう、必ず 術前に準備しておくこと。 c. 術後管理:腫瘍の完全摘出後には低血圧が問題 となる。褐色細胞腫の動物は慢性的にカテコラミ ンに暴露されており、心血管系のカテコラミン感 受性が低下している。このため腫瘍摘出直後には 一般的な昇圧剤は無効であり、十分な輸液(晶質 液・膠質液)により血圧を維持しなければならな い。この状況は術後 2∼4 日程度で解消し、症例の 血圧は安定する。手術が不完全摘出に終わった場 合には、引き続き高血圧のコントロールが必要で ある。 予後 症例が少ないため、予後を体系的に検討した報 告はない。予後は腫瘍の悪性度、血管浸潤や遠隔 転移によって大きく異なる。良性腫瘍を完全に摘 出できれば動物は寿命を全うするが、大血管に浸 潤すると数カ月以内に死亡する。遠隔転移は肺、 肝臓、脾臓、腎臓、骨、心臓、膵臓、リンパ節で報 告されている。 -39- 犬の甲状腺機能低下症 概要 高コレステロール血症が認められる。 甲状腺機能低下症は、犬ではクッシング症候群 に次いでよくみられる内分泌疾患である。多くの 症例では様々な程度の倦怠、無気力、不活発を示 す。皮膚病変は必発ではない。他の様々な症状、 たとえば中枢・末梢神経症状、繁殖障害、便秘など も報告されている。 後述する sick euthyroid syndrome が甲状腺機 能低下症と誤診されることが多く、真の甲状腺機 能低下症の症例はそれ(誤診例)よりもはるかに少 ない。 病因論 犬の甲状腺機能低下症のほとんど全てが原発性 甲状腺機能低下症であり、二次性(下垂体性)や三 次性(視床下部性)のものは少ない。原発性甲状腺 機能低下症では、甲状腺に次の 2 つの変化のいず れかが起こり、ホルモン分泌が低下することで症 状が現れる。 ・リンパ球、プラズマ細胞、マクロファージのびま ん性浸潤と甲状腺濾胞の変性を伴うリンパ球性甲 状腺炎 ・細胞間隙に線維組織あるいは脂肪組織の増生を 伴う非炎症性特発性濾胞萎縮 写真上. 甲状腺機能低下症に罹患した 5 歳、雌、ビーグル 犬(初診時)。沈うつ、顔面の粘液水腫に注目。写真下. レボチロキシン Na による内科療法を開始して 5 週後の 同一犬。 臨床症状 甲状腺機能低下症の影響は様々であり、嗜眠、 無気力、肥満、色素沈着亢進や角化亢進を伴う内 分泌性脱毛、 「悲劇的顔貌」、二次性膿皮症、皮膚萎 縮が起こる。皮下にムチンが沈着し、粘液水腫と 呼ばれる状態になる。その他、生殖能力や性欲の 低下、寒さに対する弱さ、徐脈、筋電図異常や神経 伝達異常、筋硬直、歩様異常、沈鬱を伴う神経筋障 害(筋障害、末梢神経障害)、あるいは前庭障害、顔 面神経麻痺、喉頭麻痺なども認められることがあ る。てんかんを持っている症例では発作が増悪す る。 血液検査、血液化学検査 犬の甲状腺機能低下症では軽度の正球性正色素 性貧血が認められることがある。約 66%の症例で 診断法の変遷 1996 年以前には、犬の甲状腺機能低下症を診 断するためのゴールドスタンダードは TSH 刺激 試験であった。TSH 刺激試験では、犬に(牛由来 の)TSH を投与して甲状腺から分泌される T4 の 上昇を観察する。 しかしながら、BSE 問題のために牛 TSH が入手 困難になったことが大きな理由となり、1996 年 の国際シンポジウムで新しい診断基準のコンセン サスが決定された。新しいコンセンサスでは RIA に よ る 総 T4、平 衡 透 析 法 /RIA に よ る 遊 離 T4 (fT4)、イヌ TSH(cTSH)、抗サイログロブリン抗 体を組み合わせて甲状腺機能低下症を診断するこ とになった。 -40- こ の 検 査 法 で は、後 述 す る Sick Euthyroid Syndrome が完全に除外できないため、甲状腺機 能低下症でない犬を甲状腺機能低下症と誤診する 例が急増している。 2002 年以降に組換えヒト TSH が製品化され た。この製剤が普及すれば犬の甲状腺機能低下症 の診断法として TSH 刺激試験が復活すると思わ れる。 患の種類や重症度によって大幅に低下し、これが 長期にわたると甲状腺機能低下症と同様の症状が 現 れ る こ と も あ る。こ の よ う な 状 態 を Sick Euthyroid Syndrome といい、ホルモンは以下の 状態になる。 ・総 T4 < 0.5 μg/dL ・fT4 軽度低下∼< 5 pmol/L ・TSH はさまざま 現在の診断基準 RIA による総 T4、平衡透析法 /RIA による fT4、 cTSH を用いた診断基準は以下の通りである(アイ デックスラボラトリーズ社の検査案内による) 1) 原発性甲状腺機能低下症 ・総 T4 < 0.5 μg/dL ・fT4 < 5 pmol/L ・TSH > 0.3 ng/mL 2) 二次性・三次性甲状腺機能低下症 ・総 T4 < 0.5 μg/dL ・fT4 < 5 pmol/L ・TSH < 0.05 ng/mL 基礎疾患を見落としており、血清 T4 値だけを信 じると、甲状腺機能低下症と誤診することになる。 甲状腺機能低下症を診断するには、数多くの基礎 疾患を必ず除外(あるいは治療)しなければならな い。T4 と比較して fT4 は低下の程度が軽いことが 多いので、fT4 は鑑別診断に有用である。 Sick Euthyroid Syndrome の犬に甲状腺ホルモ ン製剤を投与することは、無意味あるいは有害で ある。とくに心疾患を有する犬では死の恐れがあ る。T4、fT4、cTSH から甲状腺機能低下症を診断 する場合には、Sick Euthyroid Syndrome を引き 起こす基礎疾患や薬物をすべて除外しなければな らない。 ◆ Sick Euthyroid Syndrome は、全身状況が悪化した 生体が、代謝を落としてやり過ごそうとする生理的な反 応である。それを甲状腺機能低下症と誤解して甲状腺 ホルモンを与えれば状況がさらに悪化するのは当然で ある。 3) 抗 T4 抗体陽性例 ・総 T4 高値 ・fT4 < 5 pmol/L ・TSH > 0.3 ng/mL ◆どれか 1 項目をスクリーニングに用いるなら、信頼 性、すべてのタイプの甲状腺機能低下症をカバーできる 点で fT4 検査を勧める。 ◆ T4 や fT4 は、犬用に用意された測定法を用いること。 ヒト用の測定法では正しい測定値が得られないことが ある。 Sick Euthyroid Syndrome 甲状腺が正常(= euthyroid)の動物が甲状腺以 外の疾患(腫瘍、全身性感染症、循環器疾患、貧血、 糖尿病、クッシング症候群など)に罹患すると、ま ず血清 T3 が低下し、ついで血清 T4 が低下する。 抗てんかん薬(フェノバルビタールなど)、グルコ コルチコイド、他のステロイド剤などを投与され ても同様に血清 T4 が低下する。血清 T4 は基礎疾 -41- ◆ Sick Euthyroid Syndrome の犬は TSH 刺激試験では 正常反応を示すので、本当に必要があれば TSH 刺激試 験を行うとよい。牛 TSH(Sigma の試薬)を 2U/head 静脈内投与し、4 時間または 6 時間後の T4 を測定する。 真の甲状腺機能低下症であれば TSH 投与後にも T4 は反 応しない。Sick Euthyroid の場合には T4 が正常高値∼ 高値まで上昇する。 ◆ Sick Euthyroid Syndrome に対応する日本語はな い。医学系では英語表記のままで通る。「偽甲状腺機能 低下症」や「正常甲状腺病的症候群」などという訳語が 使われていることがあるが、それはどこかの獣医の造語 なので使わないでほしい。 治療 甲状腺機能低下症の治療には合成レボチロキシ ン(チラージン S など)を経口投与する(0.01∼ 0.02 mg/kg/day を二分与)。 プアリスク症例(心疾患、糖尿病など)では少量 (上記の半量程度)から徐々に増量するのが望まし い。治療に成功した症例では、1∼2 ヶ月以内に体 重減少、表情や行動の改善、発毛や毛質の改善が 認められる。充分な治療効果が得られた後は、1 日 1 回投与で維持する。 甲状腺機能低下症の是正によって代謝に変化が おきるので、投薬量は治療開始から 4 週間後に再 評価しなければならない。このとき、血清 T4 濃度 をモニターするとよい。レボチロキシン 1 日 2 回 投与を行っている場合、服用 4∼6 時間後に血清 T4 値 が 4∼5 μg/dL の 範 囲 に あ れ ば よ い。6 μg/dL を超えている場合にはレボチロキシンを 減量する。抗サイログロブリン陽性例で、レボチ ロキシンに対して反応が悪い場合には、合成 T3 (チロナミン)を用いる。用量は様々である。T3 は半減期が短いため、1 日 3 回投与が必要である。 予後 診断が正しく、適切なホルモン補充療法が実施 されていれば予後は良い。 -42- 猫の甲状腺機能亢進症 概要 甲状腺機能亢進症は、高齢の猫で多く認められ る内分泌疾患のひとつである。甲状腺の癌、腺腫 あるいは過形成を原因としてサイロキシンが過剰 に分泌され、全身的に様々な臨床症状を発現する。 症状(おもに消化器症状、体重減少など)はしばし ば非特異的であるため、診断にはサイロキシン (T4)のスクリーニング検査(後述)が有効である。 日本国内の猫では甲状腺癌を原因とするものが多 く、外科手術が有効である。 国内外の疫学 米国では甲状腺機能亢進症の猫が増加を続けて おり、2007 年には 8 歳以上の猫の 10∼15%が罹 患するとされた。米国の症例のほとんどは結節性 過形成(nodular hyperplasia)を原因とし、70% 以上の猫で両側の甲状腺が腫大し、前縦隔の異所 性甲状腺組織もしばしば認められる。甲状腺機能 亢進症のうち甲状腺癌の猫は 2%にすぎないとい われている。 一方、日本国内では米国やヨーロッパほど症例 数が多くないため、正確な疫学研究は行われてい ない(報告はあるが、正確な疫学とは言い難い)。 東大の過去 10 年のカルテでは、8 歳以上の猫のう ち 2∼3%程度が甲状腺機能亢進症であった。これ らの半数以上は片側性の甲状腺癌(carcinoma)で あり、ついで片側性の良性甲状腺腫が多く、結節 性過形成はほとんどみられない。 理由はさておき、米国での疫学と日本国内での 疫学はずいぶん違うようである。土壌や食物中の ヨウ素不足など、何らかの環境因子が疫学に影響 していることは間違いないが、何もわかっていな い。疫学については、米国で書かれた教科書はほ とんど参考にならない。疫学が違えば当然ながら 治療選択も異なる。 脱毛、多飲多尿、下痢、嘔吐、活動亢進、元気消失、 呼吸促迫など様々な症状を呈する。 ◆とある米国の教科書に、多食かつ体重減少する猫の鑑 別疾患のトップ 2 は消化管型リンパ腫と甲状腺機能亢 進症だと書かれている。 身体検査 削痩、脱毛、皮膚脱水がよく認められる。半数 程度の症例では頸部の甲状腺腫を触知できる。聴 診では頻脈(> 240/min)、心雑音、パンティング が認められることがある。 血液検査・血液化学検査 併発疾患がない限り、血液検査で異常を認める ことはほとんどない。血液化学検査では ALP の上 昇(> 60 U/L)がほぼ全症例で認められる。 ◆猫で ALP が ALT(GPT)よりも著しく上昇する疾患 は少ないので(他には肝リピドーシス、糖尿病など)、本 疾患のスクリーニング検査として ALP の測定は重要で ある。 画像診断 両側性の心肥大が認められることがあり、X線 検査では典型的なバレンタイン・ハートを呈する こともある。大動脈弓の突出や肺血管の怒張な ど、高血圧所見が認められることが多い。 心臓の超音波検査では心室壁の肥厚、心室内腔 の拡張、心房の拡張、血液の乱流などが認められ る。との区別はできない。 ◆甲状腺機能亢進症による高血圧は容量負荷によると 考えられている。このため肥大型心筋症(心筋の求心性 肥大)とは異なり、心室内腔は拡張する。 内分泌学的検査 シグナルメント 甲状腺機能亢進症は 3∼4 歳以上の猫で認めら れるが、大多数は 8 歳以上である。性差はなく、 好発品種もとくに報告されていない。 臨床症状 発現率の多い順に、体重減少、多食、食欲不振、 -43- 任意の時点で採血した血清総サイロキシン(T4) 濃度が 5.0 μg/dL 以上を示せば甲状腺機能亢進 症と確定診断してよい。成書や文献によっては、 T4 のカットオフ値を 4.0μg/dL に設定している。 健康な猫の T4 が 4.0∼4.9 μg/dL の範囲になる ことはしばしばあり、4.0μg/dL というカットオ フ値は診断特異性を著しく下げる。筆者は 4.0∼ 4.9 μg/dL はグレーゾーンとし、明らかな臨床症 状がない限りは治療を開始せず、必要があれば後 日再検査することを薦める。 ◆むしろ、米国に多い結節性過形成のほうが、複数の甲 状腺が腫大している可能性が高く、手術が煩雑になるこ とが多い。 ◆血清検体はヒトの検査センターに依頼すればよい。 犬の場合と異なり、猫の T4 は RIA でも CLIA でも同様に 測定できる。ただし、海外の研究者のなかには CLIA は 信頼できないとする(おそらく根拠のない)意見もある。 データを海外で発表するなら念のため RIA を用いたほ うが安心かもしれない。 ◆猫の甲状腺腫または甲状腺癌の摘出術は手技として 困難ではなく、麻酔・手術時間も短い。このため、術前 に生検をして治療方針を立てることはしない。甲状腺 を摘出してから病理診断すればよい。 内科療法の意味 猫の甲状腺機能亢進症に対する内科療法には3 つの意味がある。つまり、a) 甲状腺ホルモン分泌 を正常化し、猫の一般状態を改善して麻酔や手術 のリスクを低減すること、b) 隠れている腎不全の 有無を明らかにすること、c) 長期維持治療として 継続することである。また、症例の一般状態をよ りよくするために、おもに心血管系に対する補助 療法も行うべきである。猫では、両側の甲状腺摘 出術後でも甲状腺ホルモン補充療法が必要となる ことはまれだが、術中・術後の上皮小体の障害によ る低カルシウム血症には十分な管理が必要である ◆血漿遊離サイロキシン(fT4)は T4 と比較して日内変 動が少ないという利点がある。犬と異なり、猫ではヒト の検査センターで使われている CLIA 法でも測定でき る。ただし T4 と同様に、fT4 のデータを海外で発表す るのであれば平衡透析法 /RIA のデータのほうが安全で ある。 ◆東大では fT4 検査を第一選択としており、2.0 ng/dL 以上であれば甲状腺機能亢進症と確定診断している (1.5∼2.0 ng/dL はグレーゾーン)。 甲状腺シンチグラフィ 動物に過テクネチウム酸(99Tm)を投与すると 唾液腺と甲状腺に集積するので、シンチグラフィ で甲状腺の位置とサイズを知ることができる。手 術中に直視できない異所性の甲状腺組織でも、シ ンチグラフィであれば描出できる。2009 年に関 連法規が改正され、動物に診断目的で放射性核種 を投与できるようになった。ただし、飼育動物に シンチグラフィを実施できる施設はきわめて限ら れる。 抗甲状腺薬の選択 治療選択 抗甲状腺薬による内科的治療と外科的甲状腺摘 除の二通りの方法がある。腫大した甲状腺が触知 できる場合には外科的治療が第一選択となる。甲 状腺腫が触知できないのは甲状腺腫が小さい場 合、あるいは前縦隔洞などに迷入した場合である。 このような症例の手術は難しいが、試験的手術で 頸部を精査する価値はある。 猫の甲状腺癌のほとんどは被膜に包まれてお り、局所浸潤や遠隔転移をすることはまずない。 手術後に局所で再発することもあまりないため、 手術によって腫大した甲状腺を切除できれば、猫 の寿命の範囲で完治が期待できる。良性の甲状腺 腫も同様であり、手術の良い適応症である。 猫に投与できる抗甲状腺薬として、国内ではチ アマゾール(thiamazole)、プロピオチオウラシル ( p r o p y l t h i o u r a c i l )、 ヨ ウ 素 酸 カ リ ウ ム (potassium iodate)お よ び ヨ ウ 化 カ リ ウ ム (potassium iodide)が 入 手 で き る。こ の う ち、 1 ヶ月以上の維持治療に使用できるのはチアマ ゾールのみである。プロピオチオウラシルは、後 述するように重篤な副作用が多く、選択する意義 がない。ヨウ素酸カリウムやヨウ化カリウムはい ずれも有効な期間が限られるため、チアマゾール 不耐性の猫に対する姑息的治療や、甲状腺摘出術 の術前管理に用いる。この他に、ヨウ素系の経口 造影剤の効果も検討されている。 -44- チアマゾール療法 1) チアマゾールとメチマゾールの関係 チアマゾールは中外製薬から商品名メルカゾー ルとして発売されている。日本国内やヨーロッパ の一部ではチアマゾールと呼ばれ、米国ではメチ マゾール(methimazole)と呼ばれ、さらに代表的 な商品名からタパゾール(Tapazole)とも呼ばれ ることもあるが、これらは全く同一の物質である。 中外製薬のメルカゾールの能書には化学式として 1-methyl-1H-imidazole-2-thiol と記されており、 メ チ マ ゾ ー ル の 化 学 式 は 1-methyl-3Himidazole-2-thione と記されることが多い。この 2 つの構造式は実は互変異性体であり、相互にた やすく変換し、実際には 2 つの異性体の比が平衡 になった状態で存在する。したがって、チアマ ゾールとメチマゾールが別の物質であるとするの は誤りである。 2) チアマゾールの作用機序 チアマゾールはおもに甲状腺ペルオキシダーゼ を阻害することで甲状腺ホルモンの合成を抑制す る。一方、すでに合成・貯蔵された甲状腺ホルモン の放出は抑制しない。甲状腺機能亢進症の猫で は、腫大した甲状腺に蓄えられたホルモンが枯渇 するまでに時間がかかる。一般的に、チアマゾー ルを投与開始してから臨床的な効果が認められる までには 1∼3 週間を要する。 板減少、ALT(GPT)の上昇がみられることがあ る。血液検査の異常は治療開始から 1∼3 週間後 に現れやすい。このため、チアマゾール療法を開 始したら 1 週間ごとに血液検査をしなければなら ない。これらの副作用が無視できなければ、チア マゾールを中止して他の治療法に変更する。一般 に、チアマゾール不耐性の猫はプロピオチオウラ シルでも同等以上の副作用を発現するので、プロ ピオチオウラシルへの変更は勧められない。 6) 治療効果のモニタリング 治療効果のモニタリングにもっとも有用なのは 体重測定である。治療開始から 3∼4 週間で体重 が増加し始めれば、治療は成功している。筆者は、 治療効果のモニタリングとしての血清サイロキシ ン(T4)測定はほとんど行っていない。もしこの時 点で血清 T4 を測定すれば、正常範囲の下限または それ未満になっているはずである。血清 T4 が異常 低値であっても気にする必要はない。猫がチアマ ゾール療法中に甲状腺機能低下症になることはな い。 体重の増加がみられなければ、チアマゾールの 1 回投与量を倍増し、効果と副作用のモニタリン グを続ける。 3) チアマゾールの適応 甲状腺機能亢進症と診断された猫では、外科手 術の予定の有無にかかわらず、まずチアマゾール を投与する。猫では、過去に本剤やプロピオチオ ウラシルに対する過敏症があった場合を除き、と くに禁忌はない。 4) 初期治療 チアマゾールの錠剤(メルカゾール錠 5mg)を用 いる。筆者は、体重 2.0kg 未満まで削痩した猫で は 1.25 mg/head, BID、それ以外の猫では 2.5 mg/head, BID を開始量としている。錠剤を粉砕 しても薬効に影響はないが、味は悪いようである。 嘔吐やストレスのために経口投与が難しければ、 注射薬(メルカゾール注 10mg として発売されてい る)を皮下投与してもよい。注射薬の投与量は経 口薬と同じである。前述のように、チアマゾール の効果が認められるまでには 1∼3 週間を要する ので、以下の副作用を観察しながら投与を続ける。 同時に、後述する β 遮断薬やステロイド剤によ る補助療法も開始する。 7) 腎不全の観察 甲状腺機能亢進症の猫では、腎血流量が増加し て過灌流(hyperpurfusion)の状態になっている。 このため、腎機能が低下していても高窒素血症が 現れにくく、腎不全がマスクされる。チアマゾー ル投与によって甲状腺ホルモンが正常化すると、 3∼4 週間かけて腎血流量が正常化する。この段 階で高窒素血症が現れ、腎不全が顕在化すること がある。腎不全が顕在化した猫では、食事療法を はじめとした腎不全の治療を開始する。チアマ ゾールを減量して軽い甲状腺機能亢進症の状態を 保つことで、見かけ上は高窒素血症を改善するこ ともできるが、腎臓の過灌流は隠れた腎不全を進 行させることを忘れてはならない。 8) 長期治療 チアマゾール療法が成功し、甲状腺機能亢進症 の症状が消失し、体重が正常化したらその後の長 期治療選択を考える。国内では放射性ヨウ素治療 が行えないため、チアマゾール療法を継続するか、 外科的な甲状腺摘出術を選択するかの二者択一に なる。年齢、腎機能、心機能を総合して麻酔と手 5) 副作用とモニタリング チアマゾールの副作用は少なくない。投与され た猫の 20∼30%では何らかの副作用のために投 与中止せざるを得ない。猫に現れやすい急性の副 作用として、沈うつ、食欲不振、嘔吐、顔の痒みや 皮膚炎が挙げられる。さらに、顆粒球減少、血小 -45- 術が可能であると判断できれば、筆者は甲状腺摘 出術を勧めている。外科手術が成功すれば無病期 間が得られるからである。外科手術が不可能であ るか、あるいは同意が得られなければ、チアマ ゾール療法を継続して 2∼4 週間ごとに副作用の モニタリングを続ける。 猫の甲状腺機能亢進症に応用されている。 50 mg/head, BID∼100 mg/head, BID で経口 投与する。治療効果は体重増加で判定する。文献 的な奏効率は 60%程度である。血清 T4 をほとん ど低下させないため、血清 T4 が著しく高い猫には 不向きである。また、2∼3 ヶ月程度で無効になる ため、長期治療には使用できない。副作用はほと んどない。チアマゾール不耐性の猫で、甲状腺摘 出術の術前管理をするためには良い選択肢とな る。 チアマゾール以外の抗甲状腺薬 1) プロピオチオウラシル 国内では中外製薬から商品名プロパジールとし て発売されている。作用機序はチアマゾールと同 様であり、甲状腺ペルオキシダーゼを阻害して甲 状腺ホルモンの合成を抑制する。チアマゾールよ りも副作用の発現率が高く、免疫介在性溶血性貧 血が生じることも知られている。筆者の経験で は、チアマゾール不耐性の猫はプロピオチオウラ シル不耐性であることが多い。理由として、これ らの薬剤の中心構造が似ているためだと考えられ る。このため、プロピオチオウラシルを猫に用い る意義はほとんどない。 2) ヨウ素酸カリウム ヨウ素酸カリウムは試薬として入手する。過剰 なヨウ素により、甲状腺へのヨウ素取り込みが一 時的に抑制され、甲状腺ホルモン合成が停止する。 文献的な用量は 42.5 mg/head, TID であるが、こ の 1/3∼1/2 程度で使用するほうがよい。副作用 として沈うつ、食欲不振、嘔吐がみられることが ある。 甲状腺機能亢進症に対してヨウ素酸カリウムが 有効なのは 1∼3 週間程度である。長期投与は無 効であるばかりか、ヨウ素中毒の原因となるため 禁忌である。筆者はチアマゾール不耐性の猫の術 前管理にしばしば用いている。 ヨウ素酸カリウムの代わりに、ヨウ化カリウム を同じ用量で使用しても同等の効果が得られる。 ヨウ化カリウムの錠剤は、海外ではサプリメント として発売されており入手は容易である。しかし、 ヨウ化カリウムは猫にとって飲みにくい味がする ようである。 3) ヨード系造影剤 イポダートナトリウム(Biloptin:シェーリング) やイオパノ酸は、本来は経口の胆嚢造影剤である。 これらは国内では販売中止されているが、海外で は市販されている。T4 から T3 への変換を阻害し、 甲状腺ホルモンの合成もわずかに抑制するため、 -46- 4) カルビマゾール カルビマゾールはチアマゾールの誘導体である。 ヨーロッパでは広く用いられているが、日本や米 国では販売されていない。経口投与すると体内で 速やかにチアマゾールに変換される。初期用量は 5 mg/head, TID である。投与開始から 1∼3 週間 で効果が現れるのはチアマゾールと同等である。 充 分 な 効 果 が 得 ら れ れ ば、維 持 量 と し て 5 mg/head, BID を投与する。 チアマゾールの副作用としてみられる沈うつ、 食欲不振ならびに嘔吐は、カルビマゾールで軽減 されるとする報告もあれば、大差ないという報告 もある。このため輸入して使用するほどの価値は ないと思われる。 補助療法 抗甲状腺薬と併用して以下の補助療法を行う と、猫の全身状態を改善しやすくなる。とくに、 チアマゾールが効果を発揮するまでの初期治療中 や、チアマゾール不耐性の猫の術前管理には、こ れらの補助療法が有用である。 1) β 遮断薬 甲状腺ホルモンは交感神経を刺激する。甲状腺 機能亢進症の猫でみられる高血圧、頻脈、興奮は 甲状腺ホルモンそのものの作用ではなく、交感神 経刺激を介したものである。したがって、この交 感神経刺激を抑制する β 遮断薬は、血圧、脈拍、 興奮性を正常化させる。 甲状腺機能亢進症の猫に実績のある β 遮断薬は アテノロール(テノーミン:アストラゼネカ)であ る。初期用量として 6.25 mg/head, SID で開始 し、心 拍 数 や 血 圧 を 監 視 し な が ら 6.25∼12.5 mg/head, SID または BID の範囲で調節する。 チアマゾール甲状腺機能亢進症の治療によって 血行動態が大きく変化するので、数日ごとに血圧 を測定して投薬量を調節しなければならない。ま た、既にうっ血性心不全に陥っている猫や、明ら かに心拍出量が不足している猫では β 遮断薬は禁 忌である。これらの猫では、常法に従い、心臓の 状態に応じてカルシウムチャネル阻害薬や ACE 阻害薬などを選択しなければならない。 副甲状腺に血流が再開し、機能するまでには数週 間かかるといわれている。 片側の甲状腺を摘出する場合には、術後の低カ ルシウム血症はほとんど問題にならない。念のた め、手術翌日(退院前)と 1 週間後(抜糸時)に、 他の検査のついでに血清カルシウムを測定してお くと安心である。両側の甲状腺を摘出した場合に は、術後 1 週間、できれば毎日血清カルシウムを測 定する。細心の注意を払って副甲状腺を温存した と思っても、術後の線維化や血流障害によって副 甲状腺機能低下症になることがある。1 週間問題 なければ、その後に問題がおきることはあまりな い。低カルシウム血症になったら、自然発症の副 甲状腺機能低下症と同様にカルシウム・活性型ビタ ミン D 療法を開始する。 2) グルココルチコイド グルココルチコイドは甲状腺の T4 分泌を抑制 し、末梢での甲状腺ホルモン作用を阻害する。グ ルココルチコイドによっていわゆる euthyroid sick syndrome 状態を誘導し、甲状腺機能亢進症 の症状を軽減できる。 高血糖、感染症、腎不全などグルココルチコイ ドの使用がためらわれる問題がなければ、プレド ニゾロンを 0.5 mg/kg, BID で投与する。チアマ ゾールなど抗甲状腺薬の効果が現れれば、グルコ コルチコイドはもはや必要ないので中止する。 3) 総合ビタミン剤 甲状腺機能亢進症は消耗性疾患である。治療初 期の補助療法として、ビタミン B 群やビタミン C などの水溶性ビタミン剤を与えるとよい。 猫が甲状腺摘出後に甲状腺機能低下症になるこ とはほとんどない。もし肥満、元気消失、被毛粗 剛、脂漏症、低体温など甲状腺機能低下症の症状 が現れたら、レボチロキシンナトリウム(チラーヂ ン S)の補充療法を開始する。補充療法の詳細は 犬と同様である。 外科手術 経皮的エタノール注入療法 上記のような内科療法によってホルモン異常が 是正され、猫の心血管系症状が改善され、腎不全 が顕在化しなければ外科的甲状腺摘出術のチャン スである。東大では内科療法によって猫の体重が 増えはじめたら手術計画を立てている。 甲状腺機能亢進症が充分に管理されていれば、 麻酔管理は通常どおりでよい。頸部正中切開後に 両側の甲状腺を精査し、腫大した甲状腺を切除す る。両側の甲状腺が腫大していれば両側とも切除 する。いくつかの術式が考案されているが、東大 では「被膜内法」を用いている。すなわち、副甲状 腺の血流を温存しつつ被膜を剥離し、甲状腺実質 のみを摘出する。この方法では被膜に甲状腺組織 が残る可能性があるが、実際には残存甲状腺組織 による再発率は低い。 外科手術の代替療法として、腫大した甲状腺へ のエタノール注入療法が報告されている。猫を全 身麻酔し、エコーガイド下で甲状腺に 27G 針を刺 入し、96%エタノールを甲状腺全体に浸透するま で(甲状腺内部のエコーレベルが変化するまで)注 入する。副作用として高率(20%∼)に喉頭麻痺 (声の変化、呼吸困難、誤嚥)が現れるので、両側 の甲状腺が腫大している場合でも、期間をあけて 片側ずつ行う。両側の喉頭麻痺は致命的だからで ある。外科手術と比較して大きなメリットがある とは思えないため、筆者は実施したことがない。 副甲状腺は 4 つのうち 1 つを温存できればカル シウム代謝は障害されないといわれている。副甲 状腺の温存が難しい場合には(両側甲状腺癌な ど)、術中に副甲状腺を摘出・トリミングして細切 し、近傍の筋膜下に自家移植する。自家移植した -47- 予後 猫の甲状腺機能亢進症そのものの治療は難しく ないが、患者が高齢であるため、予後は併発疾患 によって大きく左右される。慢性腎不全が併発し ている場合、甲状腺機能亢進症を治療することで 腎血流が減少し、高窒素血症が悪化することが多 い。このような場合には慢性腎不全に対する維持 治療をしっかりと行う。 低 Ca 血症(副甲状腺機能低下症) 概要 低 Ca 血症は小動物でしばしば認められ、そして 見落としやすい異常である。低 Ca 血症の原因は 様々である。 臨床症状(おもに神経・骨格筋症状) が現れるほどの低 Ca 血症を起こすのは、副甲状腺 機能低下症、産褥テタニー、リンの投与、クエン酸 の投与などに限られ、病歴や状況だけから診断で きることも多い。 低 Ca 血症の鑑別診断 副甲状腺機能低下症 産褥テタニー リンの投与 クエン酸を含む血液の急速輸血 急性膵炎 慢性腎不全 急性腎不全 低 Mg 血症(PTH 抑制) 低アルブミン血症(みかけの低 Ca 血症) エチレングリコール中毒 ビタミン D 欠乏症 腫瘍溶解症候群 腸の吸収不良症候群 検査の失宜(クエン酸、EDTA 使用) 現れ始める。血清 Ca が 6 mg/dL 未満になるとテ タニー(けいれん)、意識消失などが現れ、血清 Ca が 4 mg/dL 未満になると死亡する。 副甲状腺機能低下症の犬や猫の半数以上では白 内障がみられる。 臨床検査 原発性副甲状腺機能低下症では、低 Ca 血症(< 7 mg/dL)が高 P 血症(> 6 mg/dL)特徴である。 併発疾患がないかぎり他の異常はみられない。 PTH 測定法の選択 動物の PTH は(株)DPC・イムライズ:インタ クト PTH Ⅲという測定系で測定できる(例として モノリス社が受託検査で使用している)。他の測 定系では測定できない。PTH を測定しようとする 場合には、検査センターの学術担当者にどの測定 系を使用しているか問い合わせること。 確定診断 低 Ca 血症にもかかわらず血清 PTH が低値∼正 常(<30 pg/ml)であれば副甲状腺機能低下症と診 断する。 治療 副甲状腺機能低下症 1) 低 Ca 性テタニーにおける緊急治療 原発性副甲状腺機能低下症は、副甲状腺(上皮小 体)におけるパラソルモン(PTH)分泌不足を原因 とし、低 Ca 血症を主徴とする疾患である。腎の PTH 不応による偽性副甲状腺機能低下症は犬や猫 では報告がない。 ◆低カルシウムテタニーと頭蓋内疾患による間代強直け いれんは、血清 Ca 値を知らない限り区別できない。緊 急治療としてジアゼパム(ホリゾン)やミダゾラム(ド ルミカム)で止めることができるし、止めてよい。遊泳 運動はマイナートランキライザーでは止まらないので、 むやみに増量しないこと。 病因 自然発症の副甲状腺機能低下症は、副甲状腺の 形成不全や特発性の副甲状腺萎縮を原因とし、 若∼中年齢で発生する。占拠性腫瘍や甲状腺摘出 術により副甲状腺が破壊されて発症することもあ る。 臨床症状 血清 Ca が 7mg/dL 未満になると食欲不振、虚 弱、振戦、運動失調、頭部の押しつけなどの症状が -48- 可能な限り心電図モニターを装着し、8.5%グル コン酸カルシウム(カルチコール、大日本)0.5∼ 1.5 ml/kg を緩徐に静脈内投与する。徐脈、不整 脈が発現する場合には投与を一時中断する。投与 後に少量採血して血清カルシウムを測定し、8∼ 10 mg/dL になるまで投与を継続する。この時点 で神経症状は緩和されているはずである。ここま でに投与したグルコン酸カルシウム量を記録して おく。 ◆グルコン酸カルシウム、塩化カルシウムなどのカルシ ウム製剤を皮下投与してはならない。これらの製剤は、 十分に希釈したとしても、皮下投与によって広範な皮下 壊死を起こすことがある(塩化カルシウムでは皮下壊死 が必発する)。この皮下壊死は治療不可能なほど重篤に なることがある。 ◆希釈したグルコン酸カルシウムを皮下投与した場合、 脱水した動物、削痩した動物、低アルブミン血症の動物 では皮下壊死のリスクがとくに高いようである。おそ らく皮下から血行へのカルシウム移行が悪く、皮下に高 濃度のカルシウムが残留しやすいためだろう。 2) 維持治療 治療の目標は、血清カルシウム値を維持し、テ タニーなどの神経症状を予防し、生活の質を保つ ことである。治療には活性型ビタミン D3 製剤を 用い、初期にはカルシウム製剤を併用する。血清 カルシウム濃度が安定すれば、カルシウム製剤は 漸減中止する。通常の食餌には充分量のカルシウ ムが含まれているからである。 臨床症状が消失している限り、血清カルシウム 濃度は低めに維持するのがよい。血清カルシウム 濃度の目標は 8∼9 mg/dL とする。活性型ビタミ ン D3 製剤を用いた治療では、高リン血症は是正さ れない。血清カルシウム濃度(mg/dL) 血清無機 リン濃度(mg/dL)が 70 を超えると、軟部組織の 石灰化や腎不全により予後が悪化する。 a) 活性型ビタミン D3 製剤 アルファカルシドール (アルファロール、中外;ワンアルファ、帝人) 0.03∼0.06 μg/kg PO q24hr カルシトリオール(ロカルトロール、ロシュ) 0.03∼0.06 μg/kg PO q24hr b) カルシウム製剤 沈降炭酸カルシウム(各社) 100∼250 mg/kg PO q24hr -49- 高 Ca 血症 概要 血清 Ca 濃度が 11.5 mg/dL を超えたとき「高 Ca 血症」と呼ぶ。高 Ca 血症の原因は様々である。 軽度(11.5∼13 mg/dL 程度)の高 Ca 血症は、そ れ自体が臨床症状を引き起こすことはなく、血液 検査で偶然発見されることが多い。しかし血清 Ca 濃度がおよそ 15 mg/dL を越えると神経・骨格 筋症状が現れるようになり、腎不全のリスクも高 まる。高 Ca 血症の治療は基礎疾患に対して行う のが基本であるが、重篤な高 Ca 血症では腎不全を 予防するために血清 Ca 濃度を低下させる緊急治 療も必要である。 高 Ca 血症の鑑別診断 腺腫またはびまん性過形成により、PTH が過剰に 分泌されて起こる。犬では腺癌、腺腫によるもの が多く、ときにびまん性過形成のものもみられる。 猫では原発性上皮小体機能亢進症はきわめてまれ である。 アジソン病では、ステロイドホルモン不足と腎 血流減少のため、尿への Ca 排泄が減少することで 高 Ca 血症になる。アジソン病は犬でしばしばみ られ、あまり意識されないが重度の高 Ca 血症に 陥っていることがある。アジソン病でみられる高 Ca 血症と高カリウム血症は、心電図の異常に直結 する。猫では自然発生のアジソン病そのものがま れである。 高 Ca による症状 悪性腫瘍随伴高 Ca 血症 原発性副甲状腺機能亢進症 アジソン病 腎不全 ビタミン D 中毒 悪性腫瘍の骨転移 猫の特発性高 Ca 血症 脱水 肉芽腫性疾患(ブラストミセス症など) 骨髄炎 殺鼠剤中毒 若齢の動物 元気消沈 食欲不振 虚弱 振戦 神経過敏 多飲・多尿 嘔吐 下痢 軟部組織石灰化(高 Ca、高 P 血症のとき) 心室性期外収縮 これらの鑑別診断のうち、重度の高 Ca 血症(> 15 mg/dL)が引き起こされるのは、悪性腫瘍随伴 高 Ca 血症、原発性上皮小体機能亢進症、アジソン 病であり、他の原因による高 Ca 血症は軽度にとど まることが多い。 悪性腫瘍随伴高 Ca 血症は、腫瘍が上皮小体ホル モン関連ペプチド(PTHrP)を分泌することで起 こる。PTHrP は PTH レセプターに作用し、高 Ca 血症と低 P 血症を引き起こす。高齢犬の高 Ca 血 症の大半は悪性腫瘍によるものであり、リンパ腫、 多発性骨髄腫、肛門腺癌(アポクリン腺癌)が原因 になりやすい。猫では犬より悪性腫瘍随伴高 Ca 血症の発生頻度が低いが、リンパ腫、扁平上皮癌 が原因になりやすい。 原発性上皮小体機能亢進症は、上皮小体の腺癌、 -50- 高 Ca 血症は神経・骨格筋に影響を与えやすい が、現れる症状は非特異的である。高 Ca 血症は腎 臓での抗利尿ホルモン作用を阻害するので、多飲・ 多尿も現れやすい。長期の高 Ca 血症では腎不全 となり、多飲・多尿が持続する。 ただし、原発性上皮小体機能亢進症以外の疾患 であれば、高 Ca 血症よりも基礎疾患(悪性腫瘍、 アジソン病、腎不全など)による症状のほうが目 立つことが多く、鑑別診断は比較的容易である。 診断・鑑別診断 犬で高 Ca 血症を疑ったら、補正 Ca を計算し、 真の高 Ca 血症であるか確認する。猫ではこの式 は使えない。 補正 Ca(mg/dL)= 血清 Ca(mg/dL)- 血清アルブミン(g/dL)+3.5 さらに、血液一般検査(CBC)、血清 Na、K、P、 BUN、クレアチニンなどを測定し、基礎疾患を鑑 別する。多くの場合、高 Ca 血症はホルモン測定を する前に鑑別・確定診断できるが、必要があれば PTH および PTHrP を測定する。 高 Ca・低 P 血症であり、PTH が正常高値∼高 値、PTHrP が低値であれば副甲状腺機能亢進症と 診断し、頸部の超音波検査で副甲状腺の腫瘍を探 す。PTH が低値であり、PTHrP が高値であれば悪 性腫瘍随伴高 Ca 血症と診断し、全身を検査(触診、 直腸検査、画像診断)して悪性腫瘍を探す。 PTH 動物の PTH は(株)DPC・イムライズ:インタ クト PTH Ⅲという測定系で測定できる。 PTHrP 高 Ca による明らかな症状があるとき 血清 Ca > 15 mg/dL のとき 血清 Ca が急激に上昇しつつあるとき 血清 Ca 血清 P(mg/dL)> 70 のとき 高窒素血症があるとき 動物が脱水しているとき である。このような場合には、速やかに血清 Ca を 低下させなければ腎不全などの不可逆的な臓器障 害に陥る。以下の順に開始する。 1) 輸液 生理食塩水を用いる。特別な禁忌がない限り、 高 Ca 血症を是正するためには生理食塩水の持続 点滴が最も効果的である。脱水があれば 24 時間 かけて補正するように流量設定する。脱水がなけ れば維持量(3 mL/kg/hr)程度を点滴し、利尿を 確認する。 2) フロセミド(ラシックス) フロセミドは腎臓での Ca 再吸収を抑制する。 1∼2 mg/kg を 6∼8 時間ごとに静脈内投与する。 フロセミドは必ず生理食塩水を点滴しながら使用 すること。 国内の検査センターで PTHrP 測定法として用い られているのは ・第一ラジオアイソトープ社の RIA ・二コルス社の IRMA ・三菱化学の IRMA(PTHrP-Intact) の 3 種類であるが、犬や猫の PTHrP を測定できる と確認されているのは三菱化学の PTHrP-Intact だけである 3) プレドニゾロン プレドニゾロンも腎臓での Ca 再吸収を抑制す る。1∼2 mg/kg, BID で静脈内投与する。プレド ニゾロンは高 Ca 血症の是正に有効だが、使用する ことで基礎疾患(とくに悪性リンパ腫)の診断が難 しくなることがある。 ◆ PTHrP 測定法が複数ある場合には、ヒトの基準値が 「1.1 pmol/L 未 満」に な っ て い る の が 三 菱 化 学 の PTHrP-Intact である。 測定依頼する場合には、検査センターが用意し た専用の採血管を使用し、血漿分離と検体の保存・ 送付も検査センターの指示に従うこと。 動物の基準値もヒトと同じく 1.1 pmol/L 未満 (測定限界未満)である。高 Ca であり、血漿 PTHrP が 1.1 pmol/L 以上の数値として報告されたら 悪性腫瘍随伴高 Ca 血症と診断してよい。 高 Ca 血症の治療 高 Ca 血症の治療の基本は、基礎疾患の治療であ る。高 Ca 血症そのものに対する治療が必要なの は、 4) ビスホスホネート(アレディア) ビスホスホネート(パミドロン酸 2 ナトリウム: 商品名アレディア)は、悪性腫瘍随伴高 Ca 血症や、 悪性腫瘍の骨転移による高 Ca 血症にきわめて有 効である。ビタミン D 中毒による高 Ca 血症にも 使用できるとされている。 1 mg/kg を 2 時間かけて点滴静注する。作用は 投与 1∼3 日後に現れ、血清 Ca が徐々に低下する。 効果は数日∼4 週間持続する。 腎機能が低下している動物ではまず 1/4∼1/2 量で使用すること。 5) エルカトニン(エルシトニン:旭化成) エルカトニンはウナギのカルシトニンの誘導体 である。5∼20 単位 / 頭を 1 日 2∼3 回投与する。 -51- 開始直後は効果的に血清 Ca を低下させるが、数日 間で無効になる。 6) サケカルシトニン(サーモトニン:山之内) 合成サケカルシトニンであり、5∼10 単位 / 頭 を 1 日 2∼3 回投与する。開始直後は効果的に血 清 Ca を低下させるが、数日間で無効になる。 予後 基礎疾患による。基礎疾患の治療に成功して も、不可逆的な腎不全に陥った動物の予後は悪い。 -52- 視床下部・下垂体の疾患 はじめに 視床下部は、発生学的に脳の最も古い部分のひ とつである。摂食、満腹、飲水、熱産生、熱放散、 睡眠、覚醒や性行動など、動物にとって根本的な生 命活動は、それぞれ視床下部の中枢によって調節 されている。視床下部はまた、大脳皮質に入力さ れた情報に基づき、下位の脊髄や延髄を介して自 律神経活動を統括している。さらに、生命活動に 欠かせない内分泌メカニズムのほとんどが視床下 部に支配されている。 下垂体は、視床下部の支配にしたがってホルモ ンを分泌する小器官である。下垂体は発生学的か つ解剖学的に前葉、中間葉(中葉)および後葉に分 けられる。前葉および中間葉は、胎生期の口窩上 皮が脳底に向かって伸張したものである。それに 対し、後葉は間脳の一部が腹側に向かって伸張し たものである。 下垂体前葉から分泌されるホルモンと、それら の分泌を制御するホルモンを表 1 に示した。下垂 体前葉には、6 種類の前頭ホルモンすなわち成長 ホルモン(GH)、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)、 甲状腺刺激ホルモン(TSH)、卵胞刺激ホルモン (FSH)、黄体形成ホルモン(LH)、プロラクチン (PRL)を産生、分泌する細胞群が混在している。 また、メラニン細胞刺激ホルモン(MSH)は中葉 ホルモンに分類されるが、その分泌細胞の多くは 前葉に局在している。 前葉ホルモンの産生と分泌を制御する視床下部 ホルモンは、下垂体門脈を経由して下垂体前葉に 達する。GH ならびに PRL は、視床下部由来の放 出ホルモンと放出抑制ホルモンのバランスにより 制御されている。ACTH、TSH、FSH および LH は、視床下部由来の放出ホルモンの刺激により分 泌されるが、視床下部には直接抑制されない。そ のかわり、ACTH、TSH、FSH や LH の刺激によ り末梢器官で分泌されるホルモンが視床下部に達 し、各々に対応する放出ホルモンの分泌を抑制す る(ネガティブフィードバック)。 表 1: 下垂体前葉ホルモンと、その放出を制御するホルモン 下垂体前葉ホルモン 成長ホルモン(GH) 副腎皮質刺激ホルモン(ACTH) 甲状腺刺激ホルモン(TSH) 卵胞刺激ホルモン(FSH) 黄体形成ホルモン(LH) プロラクチン(PRL) 放出ホルモン 放出抑制ホルモン (視床下部における由来) (視床下部・末梢における由来) 成長ホルモン放出ホルモン(GHRH) (弓状核) コルチコトロピン放出ホルモン(CRH) (室傍核) 甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH) (室傍核) ソマトスタチン (視床下部室周囲核) コルチゾール (副腎皮質) 甲状腺ホルモン(T4、T3) (甲状腺) ソマトスタチン (視床下部室周囲核) エストロゲン、アンドロゲン (性腺) エストロゲン、アンドロゲン (性腺) ドパミン (視床下部弓状核) ソマトスタチン (視床下部室周囲核) 黄体形成ホルモン放出ホルモン(LHRH) (内側視索前野、弓状核、腹内側核 黄体形成ホルモン放出ホルモン(LHRH) (内側視索前野、弓状核、腹内側核) 甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH) (室傍核) -53- 下垂体前葉の場合と異なり、下垂体後葉は軸索 を介して視床下部と直接連続している。バソプ レッシンやオキシトシンは視床下部にある細胞体 で合成され、下垂体後葉にある神経末端まで軸索 輸送され、一時的に貯蔵され、細胞体の興奮によ り分泌される。 何らかの原因によりこれらのホルモンの分泌が 不足したり、あるいは調節機構の破綻によりホル モンの分泌が亢進すると、末梢におけるホルモン の作用が不足あるいは亢進し、特異的かつ様々な 臨床症状が発現する。 【診断】 併発疾患がない限り、血液検査、血液化学検査、 尿検査で異常所見を得ることはない。下垂体性矮 小症は、血漿中の成長ホルモンが低値であるか、 インスリン様成長因子 -1(IGF-1)が低値である こ と に よ り 確 定 診 断 す る。犬 GH に つ い て は ELISA キットが市販されている。猫 GH は一般に は測定できない。犬と猫の血清 IGF-1 について は、ヒト用の測定系で相対値を得ることができる。 1.下垂体性矮小症 【概要】 下垂体性矮小症は、下垂体での成長ホルモン (GH)分泌が先天的に不足することにより成長不 良などを呈する疾患である。犬、猫ともに発生頻 度は低い。 【発症機序】 下垂体性矮小症の原因としては下垂体前葉の発 生異常、脱落、ラトケ嚢胞による下垂体前葉の圧 迫萎縮などである。これらの異常により、GH の 産生と分泌が障害される。GH の分子異常や、末 梢での GH 不応による矮小症は、犬や猫では報告 されていない。下垂体障害の原因や程度により、 複数の前葉ホルモンが不足する下垂体機能低下症 や、すべての前葉ホルモンが不足する汎下垂体機 能低下症に陥る場合もある。犬や猫では TSH 不 足による続発性甲状腺機能低下症が高率に併発 し、ACTH 不足による続発性の副腎皮質機能低下 症も併発することがある。その他の下垂体前葉ホ ルモンについては、犬や猫では臨床的意義があま りない。 【症状】 犬ではジャーマン・シェパードに好発し、ヨー ロッパや米国では症例の大多数を占めている。猫 の好発品種はとくにない。生後間もなくの期間は 健康な同腹仔同じように成長するが、3∼4 カ月齢 になると短躯、うぶ毛の遺残、トップコートの発 毛不良、皮膚色素沈着など、成長遅延と皮膚症状 が目立つようになる。成長ホルモン単独の不足で あれば、小さいながらも均整のとれた体型となる。 甲状腺機能低下症を併発した症例では、骨端線の 閉鎖不全、長骨の変形、大泉門の開存、歯の発達遅 延など骨格の異常が現れる。 (a)クロニジン刺激試験 健康な犬の GH の基礎値は 1∼4μg/l である。 下垂体性矮小症の犬の GH 基礎値もこの範囲にあ るので、基礎値の測定だけでは診断を下すことが できない。そのため、α2 アドレナリン作動薬の クロニジンやキシラジンを用いて成長ホルモンの 分泌を刺激し、上昇したホルモン濃度を測定する 刺 激 試 験 が 考 案 さ れ て い る。ク ロ ニ ジ ン (10μg/kg)またはキシラジン(100μg/kg)を静 脈内投与し、投与 20 分後の血漿 GH を測定する。 健 康 犬 で は 刺 激 後 の GH の ピー ク 値 が 10∼ 60μg/l を示すのに対し、下垂体性矮小症の犬で は反応が乏しいか、欠如している。 (b)血漿 IGF-1 血漿 IGF-1 値は日内変動が少なく、とくに GH 測定が不可能な猫では意義が高い。ヒト用の測定 系で得られる猫の IGF-1 値は相対値であり、得ら れる結果は検査機関により異なる。症例が下垂体 矮小症と考えられる症状を呈しており、同時に測 定した健康猫の IGF-1 と比較して低値を示せば、 下垂体性矮小症と診断してよい。 【治療および予後】 ヒ ト GH を 用 い た 補 充 療 法 を 行 う。犬 で は 0.15U/kg、猫では 0.1U/kg を週 3 回皮下投与し、 主に皮膚症状を観察しながら 4∼6 週間継続する。 GH 投与の最大の副作用は糖尿病である。来院ご とに血糖値を測定し、高血糖が認められたら GH 投与を延期または中止する。甲状腺ホルモンが不 足している場合にはサイロキシン補充療法もあわ せて実施する。適切なホルモン補充を行えば、少 なくとも皮膚症状の改善が可能であり、短期的な 予後は良い。しかし、長期的な内分泌不全や併発 疾患により、健康な同腹仔と比較して早期に死亡 する例が多い。 -54- 2.猫の先端巨大症 では利用できない。血清 IGF-1 はヒトの検査機関 で相対値を得ることができる。同時に測定した健 康猫の IGF-1 と比較して高値であれば、先端巨大 症と診断してよい。猫のインスリン抵抗性糖尿病 の鑑別疾患として、下垂体性副腎皮質機能亢進症 (高コルチゾール血症)および副腎腫瘍(主として 高エストロゲン血症)が重要である。先端巨大症 と診断した猫では、下垂体サイズの評価および予 後判定のため、造影剤を用いた X 線 CT あるいは MRI が薦められる。多くの症例では下垂体サイズ が増大し、脳底部を圧迫している。 【治療および予後】 下垂体腫瘍に対する治療は、猫では確立されて いない。可能性のある治療法としてガンマ線照射 あるいは下垂体切除術が挙げられるが、現実的で はなく、報告も少ない。猫の先端巨大症の長期予 後は不良であり、下垂体の拡大に伴う神経症状に よってさらに増悪する。糖尿病のコントロールは 困難かつ不安定であるが、インスリン治療は継続 して試みるべきであろう。 【概要】 成猫で成長ホルモン(GH)が慢性的かつ過剰に 分泌されると、骨、軟骨、結合組織、内臓の成長過 剰によって先端巨大症が生じる。 【発症機序】 猫の先端巨大症の多くは、GH を産生・分泌する 下垂体腫瘍を原因とする。GH の過剰は主に肝臓 でのインスリン様成長因子 -1(IGF-1)の産生・分 泌を亢進させ、IGF-1 の強力な同化作用によって 骨、軟骨、結合組織および内臓が肥大する。GH そ れ自体はインスリン抵抗性を持つため、先端巨大 症の猫のほとんどは糖尿病を併発している。 犬では下垂体腫瘍を原因とする先端巨大症は非 常にまれであるが、プロジェステロン過剰に続発 する先端巨大症はしばしば認められる。副腎や性 腺由来のプロジェステロン、あるいは発情抑制や 皮膚疾患の治療に用いられるプロジェステロン類 似化合物は、犬の正常乳腺組織からの成長ホルモ ン分泌を刺激することが知られている。同様の現 象は猫の乳腺でも起こるとされているが、顕著で はない。 3.尿崩症 【症状】 猫の先端巨大症は、主に高齢の動物で発生する。 性差や好発品種はとくにない。初期に目立つ臨床 症状は糖尿病による多飲、多尿、多食であり、先端 巨大症の猫のほとんどはインスリン抵抗性の糖尿 病として検出される。IGF-1 による同化作用は ゆっくりと進行し、頭囲拡大、腹部膨満、体重増加 が現れる。同時に下顎の突出、四肢の変形性関節 症、舌の肥大、内臓肥大も進行する。下垂体腫瘍 が成長して脳実質を圧迫するようになると、元気 消失、嗜眠、行動異常、旋回などの神経症状が現れ る。 【診断】 血液検査(CBC)、血液化学検査では、糖尿病に よる異常以外は現れない。症例が糖尿病を有して おり、高単位のインスリンを投与しても血糖が降 下せず、頭囲拡大や下顎突出など体型の変化が認 められれば、先端巨大症の可能性が高い。血糖コ ントロール不良の糖尿病にもかかわらず体重が増 加することは先端巨大症を強く示唆する。確定診 断には血漿 GH 高値あるいは血清 IGF-1 高値を確 認する必要があるが、猫の GH 測定系は日本国内 【概要】 バソプレッシン(AVP)は視床下部の視索上核と 室傍核で合成され、軸索輸送されて下垂体後葉に 達し、一時的に貯蔵される。視床下部の浸透圧受 容体が血漿浸透圧の上昇を感知すると、下垂体後 葉から AVP が分泌される。AVP は腎の遠位尿細 管や集合管にある AVP 受容体に結合して水の再吸 収を促し、血漿浸透圧を低下させるように作用す る。その結果、尿は濃縮され、尿浸透圧は上昇す る。AVP が存在しなければ、腎臓は血漿を超える 浸透圧の尿を産生することができない。 この AVP 作用が不足すると、血漿浸透圧が上昇 しても腎臓では水が再吸収されず、血漿浸透圧と 等しいかそれより低い浸透圧の尿(等張尿あるい は低張尿)が多量に排泄され続ける。動物は脱水 と口渇のため、多量の水を飲む。このような病態 を尿崩症という。 尿崩症は非常にまれな疾患であり、目にするこ とはほとんどない。尿崩症の診断の多くは誤診で あり、ほとんどの例は慢性腎不全など他の疾患に よって多飲・多尿を呈している。 【病態生理】 尿崩症は、下垂体後葉の AVP 分泌不足による中 -55- 枢性尿崩症と、腎臓における AVP 作用不全による 腎性尿崩症に分けられる。視床下部や下垂体後葉 の先天的な異常による中枢性尿崩症は、犬や猫で 数多く報告されている。外傷や腫瘍などにより視 床下部や下垂体が障害されると、続発性の中枢性 尿崩症が起こる。腎性尿崩症は AVP 受容体の変異 による家族性のものと、種々の腎障害によって起 こる続発性のものに分けられる。小動物では家族 性腎性尿崩症はきわめてまれである。続発性腎性 尿崩症は要するに腎不全であり、本来は尿崩症に 含めるべきではないだろう。 胆管炎・胆管肝炎 肝不全 多血症 利尿剤 グルココルチコイド 甲状腺ホルモン ビタミン D 中毒 他の疾患が除外されれば、尿崩症の確定診断の ために水制限試験を行う。健康な動物の飲水を制 限すると、次第に血漿浸透圧が上昇して下垂体後 葉からの ADH 分泌が刺激され、腎では水の再吸収 が増加して尿が濃縮される。尿崩症の動物では ADH の分泌や作用が不足するため、尿は濃縮され ず、尿浸透圧が血漿浸透圧を超えることはない。 中枢性尿崩症と腎性尿崩症の鑑別には ADH 投 与試験を行う。中枢性尿崩症では腎臓の ADH 受 容体が正常であるため、外因性の ADH に反応して 尿が濃縮される。腎性尿崩症では ADH の作用が 障害されているので、外因性 ADH を投与しても尿 は濃縮されない。 水制限試験と ADH 投与試験は同時に行うこと ができる。検査の手順を表 3 に示した。 【症状】 最も特徴的な臨床症状は著しい多尿と多飲であ る。水分の摂取が制限されていない限り、脱水状 態に陥ることはほとんどない。多量の飲水により 食物の摂取が制限され、成長不良や削痩に陥るこ とはある。外傷や腫瘍などにより視床下部や下垂 体に障害をもつ動物では、尿崩症の症状とともに 神経症状が現れることがある。このような脳底部 の障害では意識混濁、見当識障害、運動失調、視力 障害などが起こりやすい。 【診断】 症例のほとんどは多飲と多尿を主訴として来院 するが、飼い主が動物の正確な飲水量を知ってい ることは少ない。与えた水と残した水を計量する ことにより、24 時間の飲水量を把握しなければな らない。これにより、動物が多飲(100 ml/kg/ 日 以上)を呈していることを確認する。尿検査は数 回以上行い、比重が常に等張ないし低張(1.012 以 下)であることを確認する。血液検査は、多飲や 多尿を呈する他の疾患の鑑別のために行う。 表 2. 多飲・多尿の基礎疾患 尿崩症 心因性多飲 糖尿病 先端巨大症 副腎皮質機能亢進症 副腎皮質機能低下症 甲状腺機能亢進症 高 Ca 血症 慢性腎不全 腎盂腎炎 腎性糖尿・ファンコニ症候群 子宮蓄膿症 【治療および予後】 中枢性尿崩症の治療には合成 AVP 製剤である酢 酸デスモプレッシンを用いる。症状をみながら 1∼4 滴を 1 日 2∼3 回点眼または点鼻で投与す る。先天性の中枢性尿崩症の動物は、水が充分に 与えられている限り、ほぼ健康な生活を送ること ができる。続発性の中枢性尿崩症の予後は、下垂 体や視床下部における基礎疾患により決定され る。 腎性尿崩症の治療にはサイアザイド系利尿剤を 用いるが、反応は個体により様々である。腎性尿 崩症のほとんどは続発性であり、予後は腎臓にお ける基礎疾患に決定される。 表 3:水制限試験プロトコル (Modified water deprivation test, Water metabolism and Diabetes insipidus, canine and feline endocrinology and reproduction, 2nd ed, eds: Feldman, E. C. and Nelson, R. W., W. B. Saunders 1996 を改変) -56- 【実施前の準備】 自宅での飲水量を、試験 72 時間前から 120 ml/kg/ 日、48 時間前から 90 ml/kg/ 日、24 時 間前から 60∼80 ml/kg/ 日に制限するよう指導 する。試験当日には、水和状態や神経症状に注意 しながら身体検査を行う。多飲多尿以外の問題が なければ、採血して血漿浸透圧を測定する。血漿 浸透圧の測定は専用の機器を用いるのが望ましい が、血漿 Na 濃度、血漿 K 濃度、尿素窒素 (BUN)、血糖値から近似値を得ることもできる。 血漿浸透圧(mOsm/kg)=2(Na + K) + 0.05(血糖 mg/dl) + 0.33(BUN mg/dl) 尿道カテーテルによる採尿で膀胱を空にし、動物 の体重を測定する。このときの尿の比重または浸 透圧を測定する。 【水制限試験】 動物をケージ内で安静にし、水と餌を取り除く。 1∼2 時間ごとに体重を測定し、採血と採尿を行 い、血漿浸透圧、尿比重および尿浸透圧を測定す る。水制限試験は動物の体重が 5%減少した時点 (通常 6∼8 時間後)に終了し、ADH 投与試験に 移行する。試験中に動物の一般状態が悪化した場 合には直ちに中止しなければならない。試験中に 尿比重が 1.030 を超えた場合は、尿崩症を否定 して水制限試験を中止する。 判定:尿浸透圧が血漿浸透圧を超えない場合は尿 崩症と診断する。尿浸透圧が血漿浸透圧を超えた 場合は尿崩症を否定する 【ADH 投与試験】 水性 ADH 製剤を 0.5U/kg(大型犬では半量)筋 肉内投与し、投与後 30 分ごとに 2 時間後まで採 血と採尿を行い、血漿浸透圧、尿比重および尿浸 透圧を測定する。 判定:尿浸透圧が血漿浸透圧を超えない場合は腎 性尿崩症と診断する。尿浸透圧が血漿浸透圧を超 えた場合は中枢性尿崩症と診断する 【試験終了後】 試験終了 2 時間後までは、ときどき少量の水を与 えながら、動物の状態を観察する。動物の一般状 態が良好であれば、自由飲水として帰宅させる。 -57- 内分泌疾患に使用する薬剤の副作用 概要 2. 甲状腺疾患 ここでは、おもな内分泌疾患に使用する薬剤に ついて、使用上の注意と副作用を概説する。ほと んどの疾患に対する治療法は確立されており、薬 剤の副作用をはじめとする治療の合併症もよく知 られている。薬剤自体による副作用は意外にも少 なく、発現した場合にも対処可能であることが多 い。残念ながら、診断や治療の失宜による事故の ほうが起こりやすく、重篤である。内分泌は生命 の基幹システムであり、内分泌疾患は極めて慎重 に診断・治療しなければならない。誤診に基づく 治療、誤った薬剤選択、薬剤相互作用に関する無 知、過剰投与、オーナーの教育不足、不十分な経過 観察、副作用の見落としなど、すべての失宜は致死 的である。 2-1 甲状腺機能低下症 レボチロキシンナトリウム (チラージン S:帝国臓器) リオチロニンナトリウム (サイロニン:大正、チロナミン:武田) 乾燥甲状腺 (チレオイド:三共) 甲状腺機能低下症は犬に多い内分泌疾患であ り、甲状腺ホルモン補充療法によりほとんどの症 例を良好に維持できる。診断にあたっては sick euthyroid syndrome の除外が必須である。Sick euthyroid syndrome の動物に甲状腺ホルモンを 投与することは、無意味または危険である。レボ チロキシンナトリウムは合成サイロキシン(T4)製 剤であり、犬の甲状腺機能低下症の第一選択薬で ある。動物が抗 T4 自己抗体を有するなどレボチ ロキシンナトリウムが無効の場合には、合成トリ ヨードサイロニン(T3)製剤であるリオチロニンナ トリウムを用いる。乾燥甲状腺製剤は T4 と T3 を 含み、安価である。粉末より錠剤が投与しやすい。 どの製剤を使用する場合でも、ホルモン補充療 法として適切に投与する限り、副作用が生じるこ とはまずない。副作用のほとんどは過剰投与によ る甲状腺中毒症状である。過剰投与すると頻脈、 興奮、多動、神経過敏、多飲、多尿、呼吸促迫など の甲状腺中毒症状が現れる。このような症状を認 めた場合には投与量を半減する。誤って一度に大 量投与した場合には、胃腸からの吸収抑制(催吐、 胃洗浄、活性炭経口投与)、換気維持(酸素吸入、人 工換気)、交感神経抑制(β 遮断薬など)、さらに発 熱、低血糖、体液喪失などに対する監視と対症療 法を行う。 レボチロキシンナトリウムを用いる場合の開始 量は 0.02 mg/kg, po, BID とし、臨床的に充分な 改善がみられるまで投与量や投与回数を調節す る。維持期には 1 日 1 回投与に変更するほうがよ い。適切な投与量を決定するため、治療開始およ び投薬量変更の 2∼4 週間後に血清総 T4 を測定す るとよい。投薬 4∼6 時間後の血清総 T4 を測定 1. 下垂体疾患 1-1 中枢性尿崩症 酢酸デスモプレシン (デスモプレシン点鼻液:協和) 中枢性尿崩症には非常に有効である。腎性尿崩 症の一部では多量投与で有効であるとされてい る。慢性腎不全多尿期はしばしば尿崩症と誤診さ れるが、適応外である。1∼4 滴(5∼20μg)を 1 日 2∼3 回点眼する。酢酸デスモプレシンは結膜 から直接吸収されるか、鼻涙管を経由して鼻粘膜 から吸収される。本剤に対する過敏症は比較的多 く報告されている。その他の副作用は過剰投与に よるものであり、水中毒、低ナトリウム血症、全身 浮腫、脳浮腫による意識障害、発作などが挙げら れる。とくに脳浮腫は致死的であり、回復しても 後遺症が残ることがある。このような副作用を認 めた場合には、酢酸デスモプレシンの投与を中止 し、水分摂取を制限し、高張食塩水を静脈内投与 し、利尿剤(フロセミド、場合によりマンニトー ル)を使用する。ただし、高張食塩水や利尿薬を 使用する際には血清電解質の急激な変化を避け る。これらの薬剤を不適切に使用することもまた 致死的である。 -58- し、正常高値(3∼5 μg/dL)の範囲に入っていれ ば、投与量は適切である。6μg/dL を超えていれ ば過剰投与であり、減量する。 (カルチコール注:大日本) 2-2 甲状腺機能亢進症 副甲状腺機能低下症の動物は、副甲状腺ホルモ ン(PTH)が不足することにより、低 Ca 血症、軽 度∼中程度の高 P 血症を呈する。PTH 補充療法は 現実的に不可能であるため、活性型ビタミン D3 を 投与してカルシウムを保持させるという治療が行 われる。活性型ビタミン D3 療法では血清 Ca 値を 正常域(9∼10 mg/dL)ではなく、テタニーなど の低 Ca 症状を起こさない範囲で低めに(8 mg/dL 前後)維持することが重要である。治療中も高 P 血症が持続するため、血清 Ca 値によっては軟部組 織 の 石 灰 化 が 生 じ る。目 安 と し て、血 清 Ca (mg/dL) 血清 P (mg/dL)が 60 以下であれば安 全であり、70 を超えると石灰化の危険性が高い。 石灰化は大血管や腎臓で生じやすく、時として急 速に進行する。臨床的に問題となりやすいのは腎 実質の石灰化による腎不全である。このような腎 不全は不可逆的であり、治療法はなく、予後も悪 い。高 P 血症の予防のため、水酸化アルミニウム ゲル(各社、0.3∼1 g/head, po, TID)をリン吸着 剤として使用することはできるが、血清 Ca と血清 P を頻繁(週に 1 回程度)に測定し、活性型ビタミ ン D3 投与量や投与間隔を調節するべきである。 沈降炭酸カルシウム(各社) チアマゾール(メルカゾール:中外) 甲状腺機能亢進症は中∼高齢の猫でしばしば認 められる。国内ではチアマゾールが第一選択薬で ある。チアマゾールはサイログロブリンのチロシ ン残基へのヨウ素取り込みを阻害することで、甲 状腺ホルモンの合成を阻害する。副作用は薬剤自 体によるものであり、甲状腺ホルモン低下による 症状はあまり認められない。元気消失、食欲不振、 嘔吐、顆粒球減少、血小板減少、皮疹(薬疹)など の副作用が 10∼20%の猫で認められる。また、抗 核抗体を伴う様々な自己免疫疾患を誘導すること がある。チアマゾールを低用量(1.25 mg/head, po, BID)で投与開始し、臨床症状や血清 T4 をモ ニターしながら数日ごとに漸増(最大 5 mg/head, po, BID∼TID)すると、比較的低用量の時点で副 作用を発見でき、対処しやすい。ほとんどの副作 用は投薬中止により軽減される。副作用が重大な ものでなければ、副作用が消失した後に投薬を再 開することもできるが、再び同様の副作用が発現 した場合には他の治療法(甲状腺切除術)を選択す べきである。 プロピオチオウラシル (プロパジール:中外、チウラジール:三菱東京) 本剤の副作用はチアマゾールとほぼ同様である が、比較的高頻度に発生し、さらに溶血性貧血な どの自己免疫を惹起しやすいとされている。この ため本剤を使用する意義はほとんどない。 4 副腎疾患 4-1 副腎皮質機能亢進症 トリロスタン(デソパン:持田) ミトタン(オペプリム:アベンティス) ケトコナゾール(個人輸入) メチラポン (メトロピン:ノバルティスファーマ) 3 副甲状腺(上皮小体)疾患 3-1 副甲状腺機能低下症 カルシトリオール (ロカルトロール:ロシュ、など) アルファカルシドール (アルファロール:中外、ワンアルファ:帝人) グルコン酸カルシウム -59- 副腎皮質機能亢進症(クッシング症候群)は犬に 多く、猫ではまれな疾患である。犬猫ともに、症 例の 80∼90%は下垂体前葉の ACTH 過剰分泌に よる下垂体性副腎皮質機能亢進症(PDH)である。 残りの症例は糖質コルチコイドを分泌する機能性 副腎腫瘍(AT)である。内科療法の適応となるの は PDH であり、AT では腫瘍の外科的切除を優先 する。外科手術が不可能な AT 症例では内科療法 を選択できるが、治療はしばしば困難である。副 作用は大きく分けると、薬物への副反応によるも のと、薬剤の作用過剰(アジソン症状)とに分けら れる。副反応とアジソン症状は区別が難しく、対 処はアジソン症状の場合に準じる。他の合併症と してネルソン症候群が挙げられる。PDH の犬の約 30%では下垂体が腫大し、次第に脳底を圧迫する ようになる。このような症例に内科療法を実施し て副腎皮質を抑制すると、下垂体に対するネガ ティブフィードバックが失われ、下垂体腫瘍が加 速的に腫大し、神経症状が発現することがある。 この病態をネルソン症候群と呼ぶ。ネルソン症候 群の治療は他の脳腫瘍に準じるが、予後不良であ る。犬の PDH の場合、筆者はトリロスタンを第一 選択薬とし、治療効果や経済的に問題がある場合 にはミトタンを用いている。猫の PDH の場合に はケトコナゾールを第一選択薬とし、効果が得ら れない場合にはトリロスタン、メチラポンの順に 変更している。 4-2 副腎皮質機能低下症 コハク酸ヒドロコルチゾンナトリウム (ソル・コーテフ:住友 -P&U、など) 酢酸フルドロコルチゾン (フロリネフ:ブリストルマイヤーズ) ヒドロコルチゾン (コートリル:マルコ - ファイザー) コイド作用をもつ薬剤は長期投与しない。過剰の グルココルチコイドを長期投与すると、医原性 クッシング症状(多飲、多尿、多食、腹囲膨満、脱 毛、皮膚石灰化など)を引き起こす危険がある。 4-3 成長ホルモン反応性皮膚症 メラトニン(個人輸入) トリロスタン(デソパン:持田) 犬の成長ホルモン反応性皮膚症はアロペシア X、 偽クッシング症候群などとも呼ばれ、ポメラニア ン、トイ・プードルなどの限られた犬種(いわゆる 北方犬種)に多発する脱毛症である。現在では、 副腎のステロイド合成系における 21- または 17ヒドロキシラーゼ部分欠損により、プロゲステロ ンや 17- ヒドロキシプロゲステロン(17-OHP)が 過剰に分泌されることが原因だと考えられてい る。動物用成長ホルモン製剤は、入手困難である ことや糖尿病発症の危険から、現在では使用され な い。近 年 で は メ ラ ト ニ ン(3∼6 mg/head, SID∼BID)が頻用されているが、奏功率は低い。 経験的にはメラトニンの副作用はほとんどない が、犬での長期大量投与の安全性は確認されてい ない。ごく最近、本症にトリロスタンが有効であ ると報告された 1)。経験的にもトリロスタンは本 症に対して非常に有効である。とはいえ、ほぼ健 康な犬に適応外使用することになるため、副腎皮 質機能亢進症の症例と同等以上の説明と観察が必 要である。 プレドニゾロン(各社) 5. 性ホルモン製剤 副腎皮質機能低下症(アジソン病)は犬で多く、 猫では非常にまれである。多くの症例ではグルコ コルチコイドとミネラルコルチコイドの両方が不 足しているので、両方を補充しなければならない。 急性期(副腎クリーゼ)にはコハク酸ヒドロコルチ ゾンナトリウムを静脈内投与する。経口投与が可 能になれば、酢酸フルドロコルチゾンを投与する。 酢酸フルドロコルチゾンはグルココルチコイドと ミネラルコルチコイド両方の作用をもつが、単独 投与ではグルココルチコイド作用が充分でないこ とがある。このような場合には、ヒドロコルチゾ ン(推奨)やプレドニゾロンなど、グルココルチコ イド作用をもつ薬剤を少量併用する。デキサメタ ゾンやトリアムシノロンなど、強いグルココルチ -60- エストロゲン製剤は、雌犬の皮膚疾患にしばし ば使用され、避妊後失禁にも有効である。一方、 犬に対するエストロゲン投与は子宮蓄膿症や骨髄 癆の危険因子となる 2)。前者は子宮卵巣摘出術に より対処可能であるが、後者の骨髄癆は時として 不可逆的である。これらの副作用はおそらく犬固 有の問題であり、ヒトでは薬剤の能書に記されて いない。ヒトと動物共通の副作用として耐糖能異 常が挙げられる。エストロゲン製剤を継続使用す るにあたっては、用量の多少に関わらず、白血球、 血小板、血糖値、肝酵素などのモニターが必須で ある。 プロゲステロン製剤は、雌犬の発情抑制、猫の 行動治療などに用いられている。プロゲステロン 製剤の副作用として沈鬱、性格の変化、多食、多 飲、雄の雌性化、乳房下垂、泌乳、皮膚色素沈着、 子宮蓄膿症、糖尿病などが挙げられる。多くの副 作用は休薬により解決するが、糖尿病は時として 不可逆的である。プロゲステロン製剤は猫のアレ ルギー疾患にも用いられているが、あまり推奨で きない。グルココルチコイドとプロゲステロンを 長期投与され、糖尿病を発症する猫は非常に多く、 残念なことである。 まとめ 以上、内分泌疾患について使用する薬剤の副作 用を概説した。しかしながら、これらの薬剤を単 味で使用することはむしろ少なく、他の薬剤と併 用することが多い。薬剤併用にあたっては、それ -61- らの相互作用も熟知しておく必要がある。本稿で 述べた薬剤に関する相互作用のうち、重要と思わ れるものを別表にまとめた。 参考文献 1) Cerundolo, R. et al. (2004) Treatment of canine Alopecia X with trilostane., Vet Dermatol. 2004 Oct;15(5): 285-93. 2) Weiss DJ, Klausner JS. (1990) Drug-associated aplastic anemia in dogs: eight cases (1984-1988).J Am Vet Med Assoc. 1990 Feb 1;196(3):472-5. 他) Plumb, D. C. Veterinary Drug Handbook (3rd. ed). 1999. Iowa State University Press/Ames. 他)高久史麿、矢崎義雄監修『治療薬マニュアル』医学 書院 表:内分泌疾患に使用する薬剤の相互作用 酢酸デスモプレシン 塩酸クロルプラミン(三環系抗うつ薬はデスモプレシンの作用を増強) 酢酸フルドロコルチゾン(デスモプレシンの作用を増強) エピネフリン、ヘパリン(デスモプレシンの作用を減弱) チアマゾール 小動物では報告なし 甲状腺ホルモン製剤共通 エピネフリン、ノルエピネフリン、交感神経作動薬(心血管系への影響) インスリン(インスリン要求量の増加) エストロゲン(甲状腺ホルモン要求量の増加) ジゴキシン、ジギトキシン(これらの薬剤の代謝亢進) ケタミン(頻脈、高血圧) カルシウム製剤 テトラサイクリン系抗生剤(テトラサイクリン系抗生剤を吸着) ジゴキシン、ジギトキシン(不整脈悪化) ※他にも混合注意すべき薬剤多し ケトコナゾール 制酸剤、抗コリン剤、H2ブロッカー(ケトコナゾールの吸収を阻害) ミトタン(ミトタンの作用を阻害) インスリン(インスリン要求量の減少) メチルプレドニゾロン(メチルプレドニゾロンの作用を増強) シサプリド(シサプリドの作用を増強) シクロスポリン(シクロスポリンの作用を増強) ※その他、チトクロームP450系で代謝される薬剤の作用を延長・増強 ミトタン スピロノラクトン(ミトタンの作用を阻害) ケトコナゾール(ミトタンの作用を阻害) インスリン(インスリン要求量の減少) トリロスタン(副腎障害を増強) ※その他、チトクロームP450系で代謝される薬剤の作用を短縮・減弱 トリロスタン ミトタン(副腎障害を増強) 酢酸フルドロコルチゾン アムホテリシンB、利尿薬(低K血症の増悪) グルココルチコイド共通 バルビツール酸誘導体(グルココルチコイドの代謝亢進) インスリン(インスリン要求量の減少) インスリン(インスリン要求量の増加) 経口血糖降下剤(血糖降下作用を減弱) エリスロマイシン(エリスロマイシンの血中濃度上昇) シクロスポリン(シクロスポリンの血中濃度上昇) 利尿薬(低K血症の増悪) メラトニン 小動物では報告なし -62- 表:内分泌疾患に関連する検査の依頼先(2011.9.11 現在: 編集中) ヒトの検査センター (SRL など) アイデックス ラボラトリーズ(株) (株)ヒストベット (株)モノリス 犬 TSH (cTSH) ー ○ ○ ○ 猫 TSH ー ー ー ー 犬 GH ー ー ー ○ (EIA) 猫 GH ー ー ー ー IGF-1 ○ (IRMA) ー ー ー ACTH ○ (IRMA) ー ー △ (CLEIA)※1 ○ (RIA) ー ー ー ○ (CLIA) ー ー ○ (CLEIA) ADH プロラクチン T4 ○ (ECLIA) ○ (CLEIA) ○ (RIA) ○ (CLEIA) fT4 △ (ECLIA)※2 ○ (平衡透析 /RIA) ○ (平衡透析 /RIA) ⃝ (CLEIA) ー ー ○ ー ○ (?) ー ○ (イムライズ) ○ (IRMA) ○ (IRMA) ー ○ (IRMA) 犬インスリン ○ ○ ○ ○ 猫インスリン ー ー ー ○ (EIA) 抗 TGB 抗体 PTH (Intact PTH) PTHrP フルクトサミン HbA1c (糖化ヘモグロビン) グリコアルブミン 犬膵リパーゼ 猫膵リパーゼ (Nichols-ECLIA) ○ ○ ー (ラテックス凝集法) ー ○ (HPLC) ー ー (比色法) ー ー ○(比色法) ー ○ ー ー ー ○ ー ー ○ (RIA) ー ー ー コルチゾール ○ ○ ○ ○ アルドステロン ○ ー ー ー 17-OHP ○ ー ー ○ エストラジオール ○ ー ○ ○ プロゲステロン ○ ー ○ ○ テストステロン ○ ー ○ ○ ○ (RIA) ー ー ○ (RIA) ガストリン エリスロポエチン ※1:IRMA と測定値が一致しないとの報告がある ※2:犬用とヒト用の測定系では値が一致しない。 -63-
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