エンジニアリングと科学 増 子 曻

 エンジニアリングと科学
東京大学名誉教授
増 子 曻
1 はじめに
最近出版された「エンジニアリングの真髄」 (文献①)には、エンジニアにとって意を強くさせられる
話が数多く出てくる。この本の拾い読みをしてみる。『なぜ、わが国 (米国)の新聞や一般的な用法
では、科学とエンジニアリングが混同され(そしてしばしば後者が除外され)ているのだろうか。』『ロ
ケットの打ち上げが成功すると「科学のお手柄」ともてはやされ、うまくいかないと「エンジニアリング
の失敗」と言われる。』『エンジニアリングの問題を解決するために科学を応用することはたしかに多
い。しかしだからと言って、科学を応用しさえすれば、それだけで完全なエンジニアリングが生まれ
るわけではない。科学はエンジニアリングの道具だ。彫刻刀が彫像を作ったという人はいないだろ
う。それと同じで、科学がロケットをつくったと言うべきではないのだ。』
エジソンやフォードを生みだした国ですらこのような状況なのであるから、わが国(日本)で、寅さん
のセリフをもじって、「科学にいくらお金をつぎこんでも技術は進歩しない。」などと言っても無駄の
ようである。
この本は副題にあるように『なぜ科学だけでは地球規模の危機を解決できないのか』という「問
い」にこたえる意図をもっている。この本を読んでいると、わが国には高度なテクノロジー (技術)はあ
るが、果たしてペトロスキーの言う意味でのエンジニアリング(工学)があるのか不安になる。その不
安がどこから来るのかを考えてみる。
2 ビジネスライク
ビジネスライクは、効率的・簡潔な・直接的・系統的・徹底的など、一言でいえばドライな態度であ
る。ヤマト民族が好きな、おもいやり、おもてなし、ほのめかし、なあなあ、と言ったウェットな態度と
はなじまない。勇敢、優雅、敬虔、という徳目が公卿や武士のものだとすれば、ビジネスライクはさし
ずめ商人の徳目であろう。『ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』、という副題で書かれている
クロスビーの「数量化革命
(文献②)には、次のような文章がある。
『ビジネスライクという言葉は注意深さと綿密さ、そして実践の場では数字を扱うことと同義である。
こうした特性は、これを実践した人々が数量的に把握できる経験をできる限り数量的に表現し、処
理したという限りにおいて、科学と技術の発展をもたらした要因の一つになった。商人にとって、数
量とは“金(カネ)”に外ならなかった。“金”という概念は、常に物事を徹底的に単純化する。』
クロスビーは人類の歴史を、数量化と視覚化という二つのキーワードで読み解く。彼によると、現
実世界に生きる人間にとって、最も影響を与えた数学は「複式簿記」であった。
ヴェネツィアで、1494 年に「算術・幾何学・比及び比例全書」と言う 600 ページの大著が出版さ
れた。著者のルカ・パチョーリは、ヨーロッパに新たに出現した数理的思考をする人々にたいして、
それまでの数学知識の集大成を与えた。序論には「占星術、算術、彫刻、宇宙論、商業、用兵術、
論理学、遠近法、さらには神学さえもが、数学的な原理に基づいている」と書かれていた。 16 世紀
になると数学は、この書物を土台にしてさまざまな分野で目覚ましく進歩した。しかしその中で、複
式簿記法を論じた「計算および記録詳論」と言う部分だけは、今日に至るまで 500 年、そのまま使
われ続けてきた。その内容は、ルネサンス以来ヴェネツィアで行われるようになった方法のまとめに
すぎないと言われているが、この部分だけは幾度も復刻されて、西ヨーロッパに広く普及した。彼は
複式簿記の父と呼ばれている。以下クロスビーを引用する。
『ヴェネツィア式簿記法は、すべてを白か黒か。有用か無用か、問題の一部か解答の一部か、あ
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れかこれか、に峻別するという、しばしば有益だが、時に有害な二者択一的な思考法を助長した。
西洋の歴史家は二元論の源泉としてアリストテレスの「排中律」を指摘するが、私が思うに、これは
“金(カネ)”がもたらす影響よりずっと小さかったのではないだろうか。“金”は決して中庸の立場をとら
ない。』(②‐p.279)
『過去7世紀に亙って、簿記法は哲学や科学の分野で生まれたいかなる単一の新機軸よりも、聡
明な人々が現実世界を認識する枠組みを形成することに貢献してきた。ごく限られた人々がルネ・
デカルトやイマニュエル・カントの著述について思いを巡らせている間に、何百
人もの勤勉な人々が几帳面に帳簿をつけていた。彼らはやがて、彼らの帳簿に適合する形で世界
を解釈し始めた。現代の科学やテクノロジー、経済活動や行政府の活動にとって、正確さは不可
欠の要素である。だが、中世においては正確さはめったに要求されず、ましてや事物を数量的に
把握する必要性はほとんどなかった。』(②‐p.280)
明治維新ののちわが国は和魂洋才を標榜して、西欧が培ってきた優れた文物を貪欲に吸収した 。
福沢諭吉がアメリカの簿記教科書を翻訳したのは明治6年 (1873)のことである。私が第1節で不安
と述べたことの第一は、洋才として取り入れた、この二者択一的な思考法は和魂とは融和していな
いのではないか、という点である。
わが国の官庁会計は、単式簿記であり収支計算書しか作らない。 2003 年に国立大学が法人化
して企業会計の複式簿記を導入することになったときに困ったのは、資産とは何で、収益とは何か
であった。教授の頭脳は資産ではないのか、学生を教育するときにかけた費用に見合う収益とは
何か。私も長岡技術科学大学の監事を務めたが、ついに複式簿記を根本から理解することはでき
なかった。
決して中庸の立場をとらない“金”が生み出した二項対立的な思考法こそ、西欧の発展を用意し
た数値化ということの源泉であり、複式簿記の思想とその実践がそれを準備した、とクロスビーは言
う。企業経営者の方々には笑われるかもしれないが、国会議員、高級官僚、大学教授などの諸氏
も、複式簿記の貸借均衡の原理という思考形式に慣れないと、グローバル化の波を理解できない
のではないかと心配になる。
3 戦争と冶金技術 第一次世界大戦勃発から 100 年ということで、EU では記念行事が行われている。1870 年
の普仏戦争、1914 年の第一次大戦、1939 年の第二次大戦、と3回も陰惨な戦争を戦ったド
イツとフランスが歴史を共有していることが EU の基盤になっているということが言われて
いる。
最近「レアメタルの太平洋戦争」(文献③)という本を見つけ、1941 年に始まった太平
洋戦争時代の日本の冶金技術の実情を教えて貰った。
『昭和 16 年 12 月に完成した陸軍の三式戦闘機「飛燕」の武装を強化するためにドイツ
からモーゼル社製 MK151
20 ミリ機関砲を 800 門を購入した。この機関砲はオール電動で故障しにくく、しかも通常
の分解で部品数7個というシンプルな設計であった。これならばコピーは容易に造れると
思ったのが間違いであった。各部品を完璧にコピーしたはずだが、出来た機関砲は満足に
動かない。ここで要求される高性能のバネが造れなかったのが原因であった。両翼にこの
800 門を搭載した 400 機の「飛燕」は目覚ましい活躍をしたが、後の「飛燕」は故障の多
いブローニング系のホ5機関砲で我慢することになった。』
ある工科大学の機械科教授が“Spring has come" を“バネ持って来い”と訳した学生が
いると嘆いていた。太平洋戦争中の日本の冶金技術では、ドイツの優れた機関砲と言う実
物を目の前にしながら、同じ性能のコピーを造れなかった。この機関砲の要求する高性能
のバネが作れなかったためである。バネを持ってこれなければ、春は来ない。
この著書には、太平洋戦争では冶金技術の立ち遅れが兵器生産の足を引っ張った、という事例
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が多く紹介されている。しかしよく読むと、それ以前に「ヤマト民族の持つ文化」に大きな問題が
あったということが書かれている。最近の政治の状況をみると、戦争中の状況に良く似ていて、敗戦
から何も学んでいないようである。
『1918 年 11 月、ドイツは休戦協定に調印した。この時点で、すべての戦線はドイツ国外
にあった。封鎖された資源小国が、どうしてそこまでやれるのかと世界は驚嘆した。この
驚異的な軍需生産を指揮した功績はすべてワルター・ラテナウに帰する。
ラテナウはナチス・ドイツの時代ですら「偉大なユダヤ人」と呼ばれた人物だ。アルゲ
マイネ電気会社の創立者、エミール・ラテナウの実子で、父の死後、同社の経営を引き継
いだ。第一次世界大戦の勃発とともに、軍需生産全般を指導した。
資本主義体制の下で、いかに効率的な軍需生産をするか。ラテナウの結論は軍需生産の
各部門を代表的な企業の経営者に任せるというものであった。消費専一の軍人には生産管
理は無理であり、利潤の追求とは無縁の官僚にも任せられない。ラテナウは、技術上の経
験を相互に与え合い、工場単位の分業、定型化、規格化、により同一設備、同一労働経費
で2倍の生産が可能になるとし、実際それをやってのけた。1942 年 2 月までナチス・ドイ
ツの軍需相を務めたフリッツ・トート、その後継者のアルベルト・シュベール、ともにラ
テナウの手法を踏襲した。それだからこそ、連合軍の戦略爆撃の最盛期、1944 年上半期に
ドイツの軍需生産はピークを迎えられた。』
ドイツでは、軍需生産を専門家の企業家に任せたのに対して、日本では軍人が国家によ
る統制という点ばかりに目を向けた体制を作った。資本主義体制の下でやれることと、
やってはならないこと、とを区別できないまま、総力戦体制と言うスローガンを掲げて、
役所と法律を作った。理念や願望だけが先に走り、それを実行する戦略、戦術、が無いま
ま軍人が空威張りしている状況では、いくら末端が戦闘レベルで努力しても良い結果は生
まれない。これが第1節で不安と言ったことの第二である。
当時の日本の合金鋼技術は、磁性材料を除いては遅れていた。前述のバネ、機関銃の銃
身に使う特殊鋼、装甲鈑用の防弾鋼、装甲鈑を撃ち抜くための徹甲弾、などレアメタルを
使った合金鋼およびその熱処理などの技術の遅れが兵器の性能を左右した。
「零戦」は機体こそ日本の五十嵐技師が発明した ESD(超々ジュラルミン)を使って軽量
化を果たした名機であるが、エンジンはアメリカのライト、機関砲はイギリスのヴィッ
カース、とスイスのエリコンの系統の技術であった。個々のテクノロジーを模倣すること
もままならないレベルでは、兵器生産体系というエンジニアリングなど望むべくもなかっ
た。
技術が未熟の上に、資源が不足し、さらにその不足の資源を陸軍と海軍が奪い合う。滑
稽なのは陸軍が潜水艦を造り、海軍が戦車まがいの舟艇を研究した。同じ陸軍の内部でも
用兵側と造兵側とが対立して野砲の規格が統一できない。このような体質は、東日本大震
災の復興、福島原子炉事故の後始末、などいまでもあまり変わらない。
資源が不足するなら鉱山を占領すればよい。占領はしても、採鉱冶金の技術者、熟練し
た鉱山労働者は、一兵卒として戦地にいる。鉱山技術など何も知らない軍人が責任者とし
て怒鳴るだけでは鉱山経営などできない。アルミニウムが足りないと航空機ができない。
それなら、と言うのでボーキサイト資源のある地域まで戦線を広げた。しかし、なけなし
の輸送船は途中で沈められて、ボーキサイトは半分も内地に届かない。さらに、実は航空
機生産が計画通りにいかないのは、アルミニウムが無い所為ではなく、エンジンの供給が
間に合わないからであった。ラテナウなき軍需生産体制では埒もなかった。
4 二つの文化
ペトロスキーは「二つの文化と科学革命」(文献④)を話題に取り上げて、『半世紀前の二つの文化
が科学と人文科学だったとすれば、今日の二つの文化は科学とエンジニアリングだろうか。科学と
エンジニアリングという文化を全体としてみると、C.P.スノーが科学と人文科学の間に見出したのと
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同じくらい、大きな差があるように見える。エンジニアリングとエンジニアを見下す科学者もいれば、
実際には役に立たないと科学を切り捨てるエンジニアもいる。しかし、現代は全世界的な問題が山
積している時代なので、どちらも互いの重要性を認めねばならない。それは両方の文化に課せら
れた義務である。同時に人文科学および社会科学という文化と繋がることも、科学者やエンジニア
にとっての義務である。』(文献①‐p.239)と言っている。
半世紀前には、シェークスピアを知らない理科人間と、ニュートンを知らない文科人間という区別
が実感を持って語られていたが、近年ではシェークスピアも知らなければニュートンも知らない大学
生が大勢生まれている。理科人間と文科人間という区別は意味が無くなり、自然を相手にする“科
学”と人工物を相手にする“エンジニアリング”とが、同じ IT 機器の提供する舞台の上で競い合う時
代になった、と私は解釈している。
かつて複式簿記が西欧世界に植え付けた思考法が、今度はコンピューターのアルゴリズムという
形で全世界の人間を縛る。ローマ時代には野蛮人でしかなかった今の西欧諸国は、古代文明の
伝統的な文化の枠組みにとらわれなかったことが幸いして、近代科学、産業革命、帝国主義、物
質文明、人工物社会、を作ってきた。ペルシャ人、エジプト人、ギリシャ人、などかつて偉大な文明
を築いた西ヨーロッパ以外の文明社会では、過去に深く根付いている伝統が災いして新しい歴史
の流れから遅れている。
「ひと」は、自然の風土という絶対条件の中で生活していた時代から、自分の都合に合わせて
自然を改変する時代を経て、やがて自然に替わる人工物環境で生活するようになった。 21 世紀に
入ると、人工物の作り出す「豊かな」基盤の上で、文化と技術、主観と客観、機能と表象、が境界を
失うようになる。しかし人工の環境は、計画(design)、管理(management)、維持(maintenance)、
を必要とする。自然を環境としていた時代から、人工物を環境としている時代への変化に対応する
には、自然を対象とする科学者と人工物を対象とするエンジニアとの協調が必要になる。その協調
のための共通の基盤として「工科教養」が大切になる。自然と人工物は協奏が必要で、競争しては
ならない。
近年アメリカでは STEM を振興する教育政策が重視されている。 STEM とは Science(科学),
Technology(技術), Engineering(工学), Mathematics(数学)の四つの分野を意味する。現在では当
然のこととして、これらの分野はそれぞれ独立の存在であると考えられている。辞書を引くと stem に
は、流れに逆らって進むという動詞がある。話題の細胞生物学では幹細胞(stem cell)を意味し、す
べて体細胞はここから分化して生育する。
職業として科学者という存在が認識されたのは 19 世紀に入ってからのことで、それまでは STEM
は科学者という単一の存在が、それぞれ果たすべき分野と考えられていたようである。たとえば、
ニュートンは反射望遠鏡という技術の発明で英国王立協会の会員になり、万有引力という考え方
で近代科学の基盤を作り、微分という数学を編み出した。晩年に錬金術に傾倒したのは、人工物
を対象とする、今で言うところのエンジニアリングという考え方を意識していたのかもしれない。
STEM の分化がはっきりしてきた 19 世紀中ごろには、メンデレーエフの周期律表によって、物質
は元素からなると言う考え方が整った、それぞれの分野に専門の異なる“科学者”が生まれた。日
本の明治開国がこの時代に間にあったということは仕合せなことであった。
『エンジニアリングという言葉は、常に単数形であり、ジェランド(動名詞)の形をしている。ジェラン
ドは未完の動作を表す。エンジニアリングはたんに既存の知識を創造的に活用して、かって存在し
なかったものを生み出すというだけではない。たとえ既存の知識が存在しなくても、常に前に進み
続けるのがエンジニアリングの本質なのだ。』とペトロスキーは言う。
STEM の中の E をこのようににとらえるとすると、Technology(技術)はどのようなものと考えれば良
いのかという問題が残る。両者をうまく仕分けするのは難しいが、われわれが要素技術と呼んでい
る も の が 近 い よ う に 思 う 。 Mathematics( 数 学 ) と 並 ん で 、 人 工 物 環 境 を 維 持 、 管 理 す る
Engineering(工学)の必要条件ということであろう。となると、自然を対象とする Science(科学)もまた
Technology(技術)と Mathematics(数学)を必要条件とすることになる。こうなると、「科学にいくらお金
をつぎこんでもエンジニアリングは進歩しない。」という発言が正当化される。
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5 おわりに
ペトロスキーの著書に刺激されて、現代の技術の状況について考えさせられていることを述べた
学生並みにコピペを多用したが、おかげで STEM に関して自分なりに納得のいく解釈を作ることが
できた。納得がいくということは、今まで発言してきたことがピント外れではなかったという自己満足
を意味するだけで、あるいは大きな勘違いをしているかもしれない。皆様の御意見を聞かせて頂け
れば幸いである。
参考文献
① ヘンリー・ペトロスキー著、安原和見訳「エンジニアリングの真髄」筑摩書房(2014)
② アルフレッド.W.クロスビー著、小沢千恵子訳「数量化革命」紀伊国屋書店(2003) ③ 藤井非三四著「レアメタルの太平洋戦争」学研パブリッシング(2013) ④ C.P.スノー著、松井巻之助訳「二つの文化と科学革命」みすず書房(1967)(原著 1964)
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