「ユダヤの祭り」

読書感想文
「ユダヤの祭り」
ルース・スペクター・ラセール著
小山
大三
訳
関西聖書学院
3年
1
奥田
昭
はじめに
1、
安息日
2、
過ぎ越しの祭り(ペサク)
3、
ペンテコステ(シャブト)
4、
仮庵の祭り(スコット)
5、
その他の祭り
はじめに
ルース・スペクター・ラセール先生に著による、「ユダヤ人の祭り」について、学ぶ機
会が与えられたことを感謝します。ユダヤの祭りをユダヤ人である先生の実際経験してこ
られたこと、そしてそれが聖書の根拠にもとずくこと、そしてなにより、メシアニック・
ジューであられる先生は、イエスを救い主と信じる立場から、ユダヤの祭りについて再構
築されておられることに、非常に興味を覚えました。しかし、時間的制約と知識における
制約があり、今回は、申命記にある、「 あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れ
ないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前
に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。」(申命記16:1
6)のユダヤ3大祭りを中心にまとめてみたいと思います。なお種を入れないパンの祭り
は過ぎ越しのまつりとしてまとめます。
1、安息日について
1、
P8~
神の聖なる安息日に関しては3つの言葉がある。一つ目は、休息すること、終え
ること、休むこと、完了すること、を意味しているシャバット(安息日)である。神は創
造が完了したので、安息を得ることができたのである。二つ目は、ヌアクであり、休息し
たり、慰められたり、励まされたり、休むことを意味している。神はご自身の御業を大い
に満足されたので、安息されたのである。三つ目は、シャバット・ナファシュで休み憩わ
れたとか、魂が生き返った、回復したと訳されている。神は創造の完全な御業に元気つけ
られたので、安息を得ることができたのである。以上のことは、神の安息に関することで
ある。
2
2、
人のための安息は、神こそ安息された御方であると記録している創世記2-2か
ら2513年出エジプトまで与えられていない。イスラエルの出エジプト以前の全期間に
わたって、安息についての言及は全くない。はじめて言及されるに及んで、イスラエルの
解放の記念としてその国のために定められたことが教えられている。申命記5-14、1
5.神は束縛からの解放を記念して、イスラエルが7日目を聖別するように命ぜられた。
彼等は安息日にエジプトを出たのであった。(聖書では、その年の週ごとの安息日は、い
つでも過ぎ越しの安息日にはじまった。)出エジプト16:23~30において、安息日
は何か新しいものであった。創世記2-2と出エジプト16:30には相違がある。後者
では安息したのは神の民である。彼等は束縛と死から解放されて、休息できるようになっ
たのである。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト20:8)ここ
で「憶えて」に相当するヘブル語は「思いに記す」「思い出す」という意味のザカルであ
る。これは元々の安息の命令ではなくて、すでに与えられている安息の律法を記憶に呼び
起こすように勧めている。最も重要なことは、神ご自身が力ある創造の御業を休まれたか
の規範的な日を覚えて、束縛から解放されたゆえに、いまや休息できることを憶える日で
あった。
3、 旧約聖書の安息日の命令は、儀式的律法に属しており、異邦人に与えられていない。
安息日を守ることの命令は、新約聖書の中ではどこにも語られていない。十戒の「安息日
を覚えてこれを聖なる日とせよ。」という命令は、新約聖書の中には1度もない。新約聖
書の中に語られている律法の二枚の板の他に命令は、愛の律法と関係しているのである。
愛はすべての律法と預言者の成就となっている。例えば、「他の人を愛する者は、律法を
完全に守っているのです。・・・愛は律法を全うします。」(ローマ書13:8・10)
新約聖書において、イエスの復活後、イエスは弟子達や他のどのようなクリスチャンに
も安息日に一度も会っておられないことがわかる。これ以前には、イエスは7日目の安息
日を守られた。なぜなら、彼こそは神の律法全体の成就だったからである。イエスは復活
後、弟子達に出会われたのは、いつも週の初めに日になっている。
「 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日の
ことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。 これらは、次に来るもの
の影であって、本体はキリストにあるのです。」(コロサイ2:16・17)旧約聖書に
おいて、神は割礼や贖いの日や種々のいけにえなど、多くの儀式的律法をイスラエルに与
3
えられた。メシアが現れるとき、これらのすべての儀式的律法は終わることを意味してい
る。
安息日は次ぎにくるものの影であった。新契約の中に入り、安息の主にあって自由と喜
びと休息を見出し、救いのための労働をやめ、今やとこしえの御腕によりかかる者となっ
た人々にとって、休息は何と意味深いものだろうか。
神は7日目に創造の御業を終えられた。神は疲れて休まれたのではない。完了したと
おう意味で休息されたのである。神は今や御自身の民がその休息を分かち合い、霊的な領
域で自分のわざをやめるように命じておられる。というのは、神の救いに付け加えること
はできないからである。イエスを信じる者は、カリバリの完成した御業に信頼し、イスラ
エルの聖なる御方に対する全き信仰を表し・・神の安息日を聖なるものとしなければなら
ない。
イスラエルは、安息日を守ることにより、束縛からの解放を覚えなければならなかった。
私達は解放された。イエスにあって私達の安息を見出した。私たちは、毎日この方にあっ
て休息するのである。週の初めの日にイエスがよみがえられたことを覚えて、私たちは神
の民として週の初めの日に共に集る。イエスは旧約の安息を成就し、神の民のために新約
の安息としてご自身を確立された。私達は、すでに完了された御業に信頼し、初めの契約
の御言葉の成就となったカルバリの祭壇の完成された御業のうちに休息するのである。
「し
たがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息にはいった
者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずで
す。」(ヘブル書4:9・10)
2、
過ぎ越しの祭り(ペサク)
P22~
過ぎ越しの祭りは、新旧約の聖書をとわず、どの祭りよりも多く語られている。旧約で
は、48回、新約では28回である。過ぎ越しの祭りに対しては、いろいろな名称が与え
られている。「過ぎ越しの祭り」(出エジプト34:25)、「種を入れないパンの祭り」
(出23:15)「春の祭り」(申命記16:1)である。「第一月の十四日には、夕暮
れに過越のいけにえを主にささげる。」(レビ記23:5、出エジプト12:2)神の戒
めによると、ユダヤ歴の最初の月は、ニサンまたはアビブであり、3月か4月の春の時期
にはじまる。過ぎ越しの祭りは三千年にもわたって守られ、今日でもユダヤ教の3大年際
4
のひとつである。
今日クリスチャンには、パロの隷属よりひどく、またエジプトでの束縛よりさらに厳
しい状態からの贖いの解放を私達が受け入れたあの記念すべき日より始まった。悪しき束
縛と隷属から私達を救ってくださった過ぎ越しとしてのメシア(イエス・キリスト)を認
めた時に、初めて私達は本当の意味で生きる者となったのである。
ユダヤ人のすべての祭りの中でも過ぎ越しの祭りは、イスラエル人と世の他のすべて
の民との分離を強調していた。というのは、よそ者はだれも祭りの行事に参加できなかっ
たからである。イスラエルの子らだけが過ぎ越しの祭りの特権を楽しむことができた。た
だ、割礼が参加資格であった。
イエスが隔ての壁を打ち壊した。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを
一つにし、隔ての壁を打ちこわし、」(エペソ2:14) 「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、
奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・
イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ3:28)ユダヤ人も異邦人も彼にあっ
てひとつにされたのである。新しく生まれ変わり、こころの割礼を受け、国籍が天に変え
られた。大いなる過ぎ越しのいけにえを信じる者だけが、子羊の大宴会に参加できるので
ある。
この祭日は、ヘブル後で「ペクサ」であり、めんどりが危険と害を守るためにひなをおお
う時の「かばうためにおおう」という英語がこれに相当する。信仰によってこころの戸の
上に「神の子羊の血」をぬられた今日の人々にも、神はまったく同様になされる。永遠の
死へと導くすべての罪からまもるためにおおて下さるのである。
「ペサク」という語は、別のヘブル語で「跳ぶ」とか「跳び越す」「躊躇する」あるい
は、「びっこを引く」「踊る」「おおう」から派生した言葉である。神は門柱の上の子羊
の血をご覧になったとき、そこで躊躇し、解放のために完全ないけにえとしての子羊をさ
さげた神の民の従順をみて、喜びのあまり跳びはねられたのである。
イスラエル人がエジプトでの束縛からの脱出を覚えて過ぎ越しを守るように命令されて
いるように、キリスト者は罪のくびきからの解放を覚えて主の晩餐の儀式を守るように要
求されている。
(1)
「パン種」(ハメッツ)
P29~
「ハメッツ」「からい」「発酵した」「あなたがたは七日間種を入れないパンを食べ
5
なければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなけれ
ばならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラ
エルから断ち切られるからである」(出エジプト12:15)
パン種は罪と不義を現わし
ている。パンを焼く時のパン種は罪の鮮やかな象徴である。なぜなら、それはパンを膨れ
上がらせ不自然なまでの大きさに行き渡るからである。
(2)「パン種の売りだし」(メルヒラット・ハメッツ)
P31~
過ぎ越しの八日間の間、許されていない事業は「ハメッツ」とみなされ、命令にした
がって「すべてのパン種を取り除く」ために、事業は売らなければならなかった。7日間
が終わると同じ異邦人から同額で同じ事業を買い戻す。裁きの座に他人を罪に定めておい
て、自分は罪の意識がないとはなんということであろうか。
(3)「パン種の入らないパン」(マツア)
P33~
パン種の入ったパンを食べる代わりに、ユダヤ人は祭りの7日間、パン種の入らない
パンを食べた。過ぎ越しの子羊に関しては、パン種(罪)が入ってはならなかった。子羊の
血によってパン種(罪)を取り除かれた後は、私達はパン種の入らないパン(神の義)をあ
ずかるべきである。
(4)
もたれかかり
P39~
過ぎ越しの最初の夜の儀式で、各々がワインを飲む時、家族は食卓の廻りでお互いに
左向きにもたれかかる。この格好は、休息、安全、自由を指示している。今ではもはやエ
ジプトに束縛された奴隷ではなくなったので、急ぐ必要がない。気持ちを楽にして、ゆっ
くりとすることが出きる。それでお互いに(あるいは杖の上に)もたれかかって、彼らの
自由をあらわしているのである。
(5)
特別なお客
P41~
指導者の左側は、主人の席に次いで最も誉れある場所である。それはメシアの先駆者
としてくることになっている特別なお客のために設けられた席である。コソ・シェル・エ
リヤフ(エリヤの杯)と呼ばれるぶどう酒の杯がその場所にあり、時々都合によっては食
卓の中央に置かれる。最後の晩餐では、食卓の主賓の座をユダが占めていたが、過ぎ越し
6
の儀式の「パン切れを浸すこと」はユダからはじまった。主人の左側の人が最初に給仕さ
れることになっていた。人間の心臓は、左側よりであることから、左側の席は愛情と信頼
の場所であった。
(6)
四杯
P47~
晩餐(セデル)のすべての参加者は、ぶどう酒を四杯飲むことになっている。四つ目
の神の贖いの約束によって決められる。第1番目の杯は、聖化を意味しているキッドウシ
ュという祈りに役立っている。第2番目の杯はセデルの第1部の終わりに飲まれる。第3
番目の杯は食後の祈りの後に続く。最後、4番目の杯は第2部の終わりにくる。
(7)
ぶどう酒
P49~
ユダヤ人は沸騰したぶどう酒を使用するように教えられている。ぶどう果汁を発酵か
ら守るため(発酵すれば「ハメッツ」すなわち「パン種」として禁じられていたため)シ
ロップは、それからボルト(羊の皮もしくはやぎの皮でできている)に収められ、ぶどう
酒が必要な時に水で薄められていた。
過ぎ越しの祭りの時は、ぶどう酒は、水とぶどう酒の割合が3対1になるように混合され
ていた。
ヘブル語の「ぶどう酒」に対する言葉は「ヤウイン」である。ヘブル語の「強い酒」
に対する言葉は「シェカル」(酔っ払う)である。幕屋で仕える祭司は、強い酒が禁じら
れていた。聖書の中で「ぶどう酒」と言う言葉は、酔うことのない飲み物だった。聖書の
中の英語のぶどう酒の異なった意味もしらないので多くの混乱がある。イエスは強い酒を
使うことすらされなかった。
(8)
第5番目の杯(エリヤの杯)
P60~
贖いの四つの約束につづいて、イスラエルをカナンへと導き入れる5番目の神の約束
は、セデルにおいて第5番目のぶどう酒の杯の必要を与えた。これは食卓の中央に置かれ
ている通常背の高い杯である。それはセデルの中程に満たされる。この5番目の杯が満た
され、家の戸があけられるのは、ぶどう酒の第3番目の杯の後である。その時一同は「バ
ルーク
ハバー」「来られ方に祝福あれ」といいながら、預言者エリヤにあいさつするた
めに立ち上がる。
7
(9)
「一匹の子やぎ」(ハド・ガドヤ)
P62~
過ぎ越しにおける特別な祈りの後、ユダヤの歌である「ハド
ガドヤ」(一匹の子や
ぎ)という寓話が、過ぎ越しの祭りの最初の夜に歌われたり、朗読されたりする。この寓
話はセフェルハッガダとしてしられているヘブル人タルムードから取られている。
(10)
「過ぎ越しの料理」(カーラ)
P65
家長の前には、苦菜や青物野菜やローストエッグや、「ハロセット」と呼ばれるりん
ごとナッツとレーズンを混ぜ合わせたものや、おろしたものか丸ごとの西洋わさびや時々
たまねぎ、子羊のすねの骨か肩の骨の載った金や銀の皿がおかれる。これは出エジプトの
ときの子羊を思い出させる物に過ぎない。祭りは種の入れないパンのことを強調している。
しかし、子羊なしでは、イスラエルの解放はあり得なかった。子羊なしでは、イスラエル
は生命も自由も贖いも神の民も得ることができなかった。すべてはメシア・イエシュアで
ある子羊のまわりを回っている。
(11)
すねの骨
P70~
過ぎ越しの子羊をユダヤ人に思い起こさせるのは、火の上で焼かれたすねの骨だけで
ある。彼等は、それを苦菜と特別な大皿に載せ、食卓の上に置く。毎年ユダヤ人はパロか
らの自由を喜んでいるが、いまだ奴隷になっているのである。というのは彼らの家には、
子羊の皿もなく、死の刑罰がいまだ彼らの上にあるからである。子羊は、やがて来臨する
こtになっていたイエスの型であったことをユダヤ人が理解できないことは、なんと残念
なことだろう。
(12)アフィコマン
P77~
過ぎ越しの儀式の時に読まれるユダヤ教のハガッダの中に、このアフイコマンの定
義を見ることが出きる。それは「ごちそうの後で」という意味のギリシャ語の「エピコモ
ス」にあたり、「デザートのことである。過ぎ越しにおいては、これ以外何一つデザート
はなく、アフィコマンを食べた後では、何も食べないことになっている。
ユダヤ人は、出された食事で満足すべしとされている。メシア・イエスを知っているわ
たし達は、世のデザートを全く必要としない。私達は子羊で満足しているので、イエスが
8
わたし達に買い取ってくださった解放以外に何も付け加える必要はない。
(13)
三枚のマツオツト
P79~
ハガッタによると、マッアの入れ物(マッア
タシュ)はユダヤ人の国を象徴して
おり、初めのマッアは祭司であり、真中のマッアはレビ人であり、三枚目のマッアは一般
のイスラエル人である。ある人々は、マッオット2枚ハ「ヘレム
聖なる日の2倍の分け前)を、そして三枚目は「レヘム
ミシュナ」(安息日と
オニ」(苦しみのパン)を象徴
していると解釈している。
(14)
ユダヤの過ぎ越しの祭り(詩)
P86~
家庭のすべてのパン種は除かれ
過ぎ越しの祝いの燭第台に火がともされ
食卓のまわりには、お祭り気分の子どもが座る。
今夕はヤコブの流浪の運命のゆえに
喜びと悲しみが交錯している。
(15)
過ぎ越しの物語
(以下省略)
P90~
ユダヤ人のある家庭では、毎年過ぎ越しの祝祭の時期になると、エジプトでの最初
の過ぎ越しに関連している物語が若者たちに語られる。この物語は、出エジプトの物語と同
様に、彼らの家庭において、毎年繰り返されることである。
(16)
ハッガダからの抜粋
P94~
著者の祖父が過ぎ越しのセデルの時に使った過ぎ越しのハッガダからの抜粋が載せら
れている。例えば、パン種を探索や、パン種の廃棄と焼却等である。
(17)
過ぎ越しの晩餐の食卓
P107~
過ぎ越しの規定のチェクリスト。1、どんな種類の穀物も、普通のものは使用しない。
2、イースト菌のように膨らませるものは使用しない。3、どんな豆科食物も使用しない。
4、どんなビールも使用しない。
過ぎ越し用として受け入れられる食物のチェクリスト。1、果実、野菜、(豆類を除く)、
9
魚、認可を得た肉、2、脂肪や他のすべて食料、及び包装されたもの、缶詰食品、冷凍食
品、穀物で印、Kasher
L‘Pesaahと印が押してある過ぎ越し用のもの、3、
この同じ印の押してあるすべての牛乳と乳製品。
(18)
過ぎ越しの祭りの異なる祝い方
P109~
イエメンの人達は、苦菜として西洋わさびの代わりにはっか大根をだす。彼等はハロ
セットはしょが、ごま、しょうずくの実のさやを含む13の原料からつくられる。
エチオピアの黒人のユダヤ人であるファラシャス(つまりベータ・イスラエル)は戸
外の原始的なオーブンでアラブのピタに似ている特別なパンを焼く。
過ぎ越しの週の間、イスラエルの400人のサマリヤ人はゲリジム山に張られた天幕
で生活する。
(19)
過ぎ越しと種の入れないパンの祭りの日付
P112~
種を入れないパンの祭りは、「過ぎ越し」の継続であり、「過ぎ越しの祭り」とか「主
の過ぎ越し」と呼ばれている過ぎ越しの一部となっている。神は神のことばの中で、これ
らの二つの取り決めに対して日付を与えておられる。(レビ記23章)。過ぎ越しはニサン
(あるいはアビブ)14日となっていた。これは過ぎ越しの祭りではなく過ぎ越しのいけ
にえの時であった。それから、これにつづいて、夕暮れにニサン15日があり、この日に
種の入れないパンの祭りが始まることになっていたが、この日は、
「過ぎ越しの第1日」と呼ばれていた。
(20)
イースーターと過ぎ越しの祭り
P113~
イースター、あるいは「復活の日」は過ぎ越しの2日目にあたり、過ぎ越しの犠牲が
ささげられて、3日目である。ユダヤ人暦は12の太陰暦(ある月は29日で、ある月は
30日)からなっており、定期的に(3年ごとに、19年のうち7回)もう1月が加えら
れて太陽暦に合わせてあるので、イースターの日付と同様に過ぎ越しの祭りの日付はユリ
ウス(ローマ)太陽暦の関係で、年ごとに変化していく。
(21)
過ぎ越しからペンテコステまで
P114~
ニサンの14日の日没後(ニサンの15日の始まり)3人の男が大麦の束を選び、刈
10
り取り、火で乾燥させた後、主の前に差し出すために神殿に携えてきた。そして、安息日
の間はそのままにしておき、安息日の間はそのままにしておき、安息の終わった次の朝(つ
まりニサンの16日)に、祭司は、主の前にその束を揺り動かしながら、ペンテコステま
での日数を数えるのである。
3、ペンテコステ(シャブオト)
P115~
ペンテコステの祭りに対する聖書の呼び名は、いくつかある。「収穫の祭り」(出エジ
プト23:16)、「5 旬節の日」(使徒2:1)「7 週の祭り」(出エジプト34:22)
「初穂の祭り」(民数記28:26)である。過ぎ越しの 2 晩目にオメルを数えて、シャ
ブトと共に終わる。7 週の間、毎晩「セフイラー」つまり数えることにする。 オメル(積
み重ねた山、一束)を数える習慣は、正統派のユダヤ教徒たちによって、いまだに守り行
なわれている。今日の計算は、過ぎ越しの第 2 晩にはじまり、シャアブト(週の週、7 週)
まで 50 日間続くが、「シャブオト」に相当する言葉としてギリシャ語を話すユダヤ人たち
は、50 日を意味する「ペンテコステ」をつかった。このオメルは、最初の収穫の小さな見
本(ふつうは小麦の一束)を含んでいる。
過ぎ越しから 7 週間後にあたるので、ユダヤ人はこの日を「シャブオト」つまり「7 週」
と呼ぶ。エジプトから贖いのために過ぎ越しの子羊がほふられ、紅海(葦の海)を渡って
から 50 日後に、10戒がモーセに与えられた日を彼等は覚えるようにされている。この祭
りは、「律法付与の日」の名称でも知られている。
メシアが真の過ぎ越しの子羊といして十字架にかけられ、死者の中からよみがえられて
から、聖霊なる神は、2 階座敷で待ち望んでいた弟子たちの群れに訪れられた。これはエ
ジプトで子羊がほふられ、約束の地へ旅立って 50 日後に、シナイ山でモーセを神が訪れら
れたことの型の成就となっている。
ペンテコステの日に、祭司は主の御前で「パン種を入れて焼かれた」2 個のパンを揺り
動かした。この場合には、パン種には隠された意味があった。2 個のパンは、メシアにあ
って一つとされた2つの国民、ユダヤ人と異邦人、を表していた。そして、彼らの両方共
の中にパン種、罪があったのである。永遠の神の目的は、ユダヤ人と異邦人の両方から御
名のために1つの国民を得、メシアにあって1つの結合体とすることであることを聖霊は
ユダヤ人使徒、パウロに現わされたものである。
11
4、
仮庵の祭り(スコット)
P165~
「特に、あなたがたがその土地の収穫をし終わった第七月の十五日には、七日間にわ
たる主の祭りを祝わなければならない。最初の日は全き休みの日であり、八日目も全き休
みの日である。年に七日間、主の祭りとしてこれを祝う」(レビ記23:39・41)仮
庵の祭りは、9月下旬か10月上旬に当たる第7月のチスリにまもられることになっていた。
ヨエル書2-23~24では、最初の月は農耕上の最初の月であり、「季節の始め」であ
って、宗教歴の第7月、チスリのことであった。この時期はぶどうやオリーブの実が集めら
れる収穫の最盛期であった。この祭りに当たるヘブル語は、スコットで、「小屋」「仮小
屋」「幕屋」などを意味している。イスラエルの民に、エルサレムの神殿に集り、主にい
けにえとささげ物をささげるように神がお命じになった3大祭りのひとつである。
この祝いは、別名
ハグ・ハ・アシフ、収穫祭とも呼ばれている。(出エジプト23:
16)今日のイスラエル人は、これを国民的祝日として祝い、奴隷の地から約束の地まで
の旅を覚える。それはユダヤのすべての祭りの中で、最も長期間の最も喜ばしい華やかな
祭りである。
「あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、
仮庵に住まなければならない。これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ
出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。
わたしはあなたがたの神、主である。」レビ記23:42・43)スコットの日に小屋に
住んで、小屋を色々な果実や花で飾ることは、今日のユダヤ人の間で習慣になっている。
家族全員が「スカー」(仮庵)を建てるのを参加しなければならない。これらの仮庵は庭
や家の中や時々家の屋根の上に建てられる。ある人々にとっては、祭りの7日間、仮庵が
住居となる。
1週間の仮庵の祭りの間、安息日を除いて、祭りを守るユダヤ人は命令を実行して
(レビ記23-40)手に「アルバ、ミニム」(「四つのもの」)の植物を取る。四つの
ものは、1、「ルラブ」(なつめやしの葉)、2、「エトログ」(シトロン属の植物の実)、
3、「ハダッスイム」(茂りあった枝)、4、アラボット(川緑の柳)である。聖書では、
それらは、1は松の木、またはオリーブの木、これは聖霊の力、2はなつめやし、これは
勝利、3はてんにか、これは喜びと楽しみを、4は柳、これは涙と悲しみを象徴している。
12
四つのものは、荒野の旅の四段階をイスラエルに思い起こさせるものだった。仮庵の
祭りは、7日間祝われ、「シェミニ・アツエレス」(厳粛な祭り)として知られている8
日間が続く。「厳粛な祭り」は不完全な訳であって、むしろ「慎みの日」がよいであろう。
神はスコットの最初の日と八日目が安息日(シャバット)になるように命ぜられた。
聖書が安息日を7と関連つけているのは興味深い。仮庵の祭りはチスリの月の15日に始
まり、7日間つづいたので、7の3倍にあたる21日目(3×7)に終わることになって
いる。ここに、霊、魂、肉体のために全き休息とも言える、三重の休息をみることができ
る。
この祭りにおいて、神の目的は、ただ中に神が住まわれるために民を一つに集めるこ
とであった。この目的は、仮庵の祭りのなかで繰り返されている。神は贖った民の中に住
みたいと願っておられる。この祭りは、神の民のためにまだ残っている安息日の休み(ヘ
ブル書4-9)のことを予示しているが、その時には、民は神の内に真に休み、神は民の
中に休まれるだろう。
メシアは、民が祈り求めた雨である。彼は世の光であり、神殿に満ちる栄光である。彼
は水と共に注ぎ出されるぶどう酒であり、またいのちの水である。「イエシュア・ハ・メ
シア」(イエス・キリスト)は収穫の主であり、大収穫者である。栄光に満ちたいつの日
か、ヨハネが描いているようにより大きな収穫があるであろう。「その後、私は見た。見
よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群
衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、
大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」(黙示録
7:9・10)
5、その他の祭り
① 新年(ロシュ・ハシャナ)
P130~
ロシュ・ハシャナという言葉は、「年の頭」と訳されている。ロシュ・ハシャナは、
チスリの月の第1日にあたる。(普通は9月)。しかし、出エジプト2-2によるとニ
サンの月が「年の頭」、「月の始まり」とみなされている。新年という言葉は聖書の中
に見られず、ただ1箇所、エゼキエル40:1で、ロシュ・ハシャナという表現が現れ
る。チスリの第1日は、一般にラビによって創造の初めと見なされている。なぜなら、
13
聖書の最初の言葉は「ペレシャト」(ヘブル語で「初めに」)であり、その文字
の配列を混ぜると「テヴェテイシュリ」つまり、チスリの第1日となるからである。
異邦人の1月1日の祝い方と異なり、ユダヤ人は元旦を大変厳かに祝う。過去の1
年の成果を吟味し、来る年にはもっとがんばろうと決意する。
レビ記23:24において与えられた命令を実践して、新年のゆえに、ユダヤ人は、
ロシュ・ハシャナの日にシナゴーグに集るが、そこで宗教儀式として最大事は、祭りの
備えのしるしとして雄羊の角笛を吹くことである。雄羊の角笛は、良心を呼び起こし、
債務への注意を喚起するために吹かれる。このため、ロシュ・ハシャナは「角笛を吹き
鳴らす日」として知られている。また、その日には、神が過去1年の失敗と罪の記憶を
呼び覚まされるので、「記憶の日」としても知られている。
②
贖罪に日
(ヨム・キプル)
P139~
「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなた
がたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。その日のうちは、
いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、
あなたがたの贖いがなされるからである。・・・どんな仕事もしてはならない。これは、
あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。これは、あなたが
たの全き休みの安息である。あなたがたは身を戒める。すなわち、その月の九日の夕方に
は、その夕方から次の夕方まで、あなたがたの安息を守らなければならない。」(レビ記
23:26~32)ヨル・キプルの会堂での重要な聖書朗読の一つはイザヤ書58:6~
8である。「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめ
をほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、
これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの
光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主
の栄光が、あなたのしんがりとなられる。」主はイスラエルに質問をされた。「わたしの
好む断食、人が身を戒め日は、このようなものだろうか」ここでの断食は身を戒める、と
いう句に関連しており聖書中の多くの事例においてこのことが根本的なこととなっている
が、贖罪の日には、特にそうである。危機的な時にハ、神の指示の下に、くびきのなわめ
をほどき、しいたげられる者たちを自由の身として、くびきを砕くために、神の民は断食
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するのである。絶望の中で、神への従順さを持って、断食して主を呼び求める時に神は民
の叫びに答えてくださるのである。断食祈祷の価値を示す聖句は聖書のいたるところにみ
られる。
イエスは言われた。「しかし、花婿が取り去られる時がきます。その時には断食しま
す。」(マタイ9:15)十字架刑で取り去られた後に、天に昇っていかれることについ
て、語られたのである。そして、イエスが預言されたように、彼等は「断食」したのであ
った。それからというもの、特別な使命のための決まった備えの一部といて、また奉仕の
ための神を待ち望むなどにおいて、主の弟子が断食して、身を戒めることは、受け入れら
れた努めであった。
③
律法の喜び
(シムカス・トーラ)
P175~
第7月の23日の仮庵の祭りのすぐ後に、ユダヤ人はいわゆる「ムシュ・トーラ」
(律法の喜び)を祝う。これはユダヤ人の暦の上で、最も陽気な日である。これはトー
ラの朗読が毎年会堂において終了する日であり、すぐその後に再開される日でもある。
この習慣は、またどんな時にも律法が廃れることのないように守られている。
イスラエルの霊的暗黒を思うとき、これらすべての律法に対する喜びはなんと悲しい
ことであろうか。確かに「彼等は神のいろいろなおことばをゆだねられています。(ロ
ーマ3:2)が目があっても見えず、イスラエル人の一部が盲目になったのである。イ
スラエル人の目が開かれて、彼らがメシアを見るようになる時、それは真の{シムカス・
トーラ}になるであろう。
④ アブの月の九日
(テイシャ・ベ・アブ
)
P178~
ユダヤ教の伝統の中の主要な断食日の一つであり、ユダヤ人の生活の中で歴史的な哀
悼の日とアブ(ユダヤ人の第8月)の九日になっている。これはユダヤの1年の中で贖罪
の日(ヨム・キブル)に次いで重要な断食の日である。それは、かつては紀元前586年
にネブカデネザルの下で強力なバビロン軍がエルサレムを荒廃させ、多くの住民を殺し、
生存者を奴隷として捕囚としたことを覚えて守られていた。
エルサレムではアブの九日に、1948年以前は敬虔なユダヤ教徒たちは西側(嘆き
の壁)に集った。そして1967年までは西側がアラブ人の手中にあった時は、ダビデの
墓を訪れ、エルサレムの陥落に対する痛みの声を上げた。今再び彼等の所有となっている
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コーテル(西側)で、嘆き泣き叫んでいる。
⑤
くじの祭り
「
(プリム)
P182~
なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダ
ヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうと
したが、そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してた
くらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。こうい
うわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。」(エステル9
-24~26)現在に至るまでユダヤ人は、どこででも「くじの祭り」を踊りをもって、
また、ごちそうと浮かれ騒ぎで祝う。
ユダヤ人は、くじ投げについて、次のように説明している。ハマンは、過去においてユ
ダヤ人のすべての敵が失敗したにもかかわらず、迷信にとらわれて、虐殺のために最適の
日を決定するのに、くじを投げる決心をした。しかし、ハマンはモデルカイのために前も
って用意していた柱にかけられ、すべてのユダヤ人は大虐殺を免れた。次の日、すなわち
アダルの月の14日、彼等は喜んで勝利を祝った。
⑥
奉献・・光の祭り
(ハヌーカー)
P196~
ハヌーカーという言葉自体が、それを守る日付けを表しているといわれている。「ハ
ヌー」は休んだ、という意味であり、「カー」は25を意味している。ユダヤ人が、歴史
のある時期において敵から休息したのは、キスレウの25日であった。
クリスマスの祝祭近くになると、ヤダヤ人は「ハヌーカー」(ヘブル語の奉献)とし
て知られている八日間の祝日を守る。これは、シリアの王であったアンチオコス・エピフ
ァネスによって汚された神殿を、ユダス・マッカベウスが、BC164年に再奉献したこ
とを記念するものである。
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