命の大切さ 3年水仙組 K.G 皆さんは、 「命」というものを深く考えたことがありますか。私はこの春休み 中に、ある映画を見ました。その物語は、生まれつき心臓が悪く、心臓移植を するしか生き延びる方法がなく、もし心臓を提供してくれるドナーがみつから なければ、二十歳まで生きられないという男の子の話でした。私はその映画を 見ていた時、ずっと涙が止まりませんでした。なぜなら、私には、その男の子 と同じ様な状況にあった人を知っているからです。それは私の妹です。私と妹 は双子として生まれました。妹は母のお腹にいた時から心臓の病気を持ってい ました。そのことを、お医者さんは母が私たちを生むまで言いませんでした。 なぜなら、当時の日本では妹の病気をどうすることもできなかったからです。 今では、自分の血液型などが提供者いわゆるドナーと適切であると知らされた ら、心臓移植をして生きることができます。ですが、当時の日本では、移植は 許されていませんでした。海外へ行けば、手術を受けられましたが、飛行機に 乗ると、心臓をもっと傷つけてしまう可能性がありましたし、そもそも簡単に ドナーは見つかりません。それに、まだ幼かった兄と生まれたばかりの私がい たので、易々と決められるようなことではなかった、と母は言っていました。 私の妹の病気は、一万人に一人という極めてまれなもので、自分で肺呼吸が できないというものでした。当時の日本でも治す手術はありましたが、その時 までに手術を受けた人は二歳の男の子しかいませんでした。その手術は成功し たそうですが、一生病院で生活する体になってしまったそうです。 私の父と母は、妹に生きられる時間を大切な人たちと過ごさせてあげること に決めました。そして妹は、約一か月後に家族にみとられて亡くなりました。 私と妹は二卵性双生児だった為、私は妹と同じ病気を持つことなく、こうし て生きていることができています。 皆さんは、臓器提供の意思表示というものをご存知ですか。カードだったり、 保険証の裏に書いてあったりとそれぞれ違います。私の保険証では、「①私は、 脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。 ②私は心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。③私は、臓 器を提供しません。」という三つの中から一つを選ぶという形式です。私は、一 つ目の「臓器を提供する」というものを選びました。なぜなら、妹と同じ思い をしている人達を少しでも助けたいと思ったからです。この臓器提供のことに ついては、賛否両論あります。もし、自分の大切な家族などの一人が臓器を提 供することになってしまったらどう思いますか。誰であっても、少しは「切り 取らないで欲しい」などと思うのではないでしょうか。その上、家族は臓器提 供をすると同時に、死んでしまったという受け入れがたい事実をつきつけられ るということになります。ですから、私は臓器提供を反対する人達の気持ちも 分かります。ですが違う視点から見てみると、その大切な人の臓器で違う命を 救うことができます。その人のかわりに違う人が生き延びることができるので す。このことをどう考えるのかは、本当に難しい問題です。 こうして考えてみると、私たちが今持っている『命』というものは、どれだ け貴重で大切なものかということが身に染みて感じられます。私はこれから、 この大切な命を疎かにせず、どんなに辛く大変なことであっても乗り越え、様々 な経験をできなかった妹の分も経験し、成長していきたいと思っています。
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