フランス終末期法と「死ぬ権利」論 - 福岡工業大学・福岡工業大学短期

福岡工業大学研究論集
Res. Bull. Fukuoka Inst. Tech., Vol.47 No.1, 2(2014)11−20
11
フランス終末期法と「死ぬ権利」論
―その枠組と展開―
大
河
原
良
夫(社会環境学部)
End of Life Care Act and Right to die
―On the recent debate in France―
Yoshio ^
OKAWARA (Department of Social & Environmental Studies)
Abstract
End-of-life issues such as decisions to withdraw or reduce active treatment,palliative care,the role ofthe familyin
end-of-life care and demand for euthanasia are becoming more critical today than ever before,according as medical
progress increasinglyprolongs the life expectancyofthe seriouslyill. In France,the Act of2005 on Patients Rights
and End of Life Care, known as the Leonetti Act , introduced several new measures. Nevertheless, the legal
provisions are still not always fully known : end-of-life decisions are not always discussed with the patients and
medical teams,plus veryfew patients draw up advance directives,as recommended in the Leonetti Act,and which the
Vincent Lambert case is the first court referring to. Legalising right to die such as terminal sedation, assisted
suicide, euthanasia remains a extremely controversial topic in the social and political arena, as seen since the 2012
presidential election - Rapport Sicard - Avis of CCNE and until now. This study focuses on the recent debate on
end-of-life care and right to die in France. Also it looks at how the debates delved.
Key words:end-of-life decisions, treatment withdrawal/withholding, pain relief, terminal care, Patients Rights and
End of Life Care Act (Leonetti Act).
いた。このようにフランスでは euthanasieの概念ないし用
序
終末期新法と「死ぬ権利」論の新展開
語法の錯綜もあって[1]
,積極的安楽死・消極的安楽死・
間接的安楽死と明確に 化区別せずに一括して「安楽死」
⑴ フランスでは,2002年患者の権利についての一般法
として観念されることがあり,法的にも「濃厚執拗( 命)
を制定した後,2005年患者権利・終末期法(LOI n°2005-370
治療の禁止」や「二重効果的治療の容認」をそれぞれ「消
du 22 avril 2005 relative aux droits des malades et a la fin de vie,dite
極的」安楽死ないし「間接的」安楽死と観念するのではな
«
loi Leonetti»以下,「終末期法」あるいは「2005年法」という)にお
く,禁止される安楽死を必ずしも「積極的」安楽死とする
いて,とくに終末期医療について, 命はしない(「消極的安
のでもないことがある。ましてや判決が「安楽死」という
楽死」としての濃厚執拗治療(obstination deraisonnable)の禁止)
・
ことはなく(わが国の判例とは対照的に),したがって,人工栄
患者とその痛みを放置しない(緩和治療(soins palliatifs)と「間
養補給中止の決定が認められた場合にも「消極的安楽死」
接的安楽死」としての二重効果的治療)
・安楽死(積極的)(euth-
を認めたとは言うことはできないであろう。
anasie)はしないの三原則を打ち立てた。そこでは,形式的
これまで生命倫理の領域での議論は,
「死」よりも「生」
には 命治療・緩和治療・安楽死の法的枠組は一応存在し
の方が優勢に推移してきたが,今や様相を異にしてきてい
ていたのであるが,前二者それぞれと「安楽死」との境界
る。とりわけ,近年,2012年以来,そして2013年夏以降に
域の曖昧さを実質的には残し払拭しきれないまま,そのデ
かけて,フランス終末期法をめぐる議論が,その新法制定
リケートな 衡状態を保ってくるなかで,より一歩先を行
へ向けて急展開している。ここでは 命治療中止論はすで
く「死ぬ権利」(安楽死・自殺幇助の権利等)の主張が拡がって
に解決済みとして飛び越して,終末期患者が苦しまずに終
末期や死を迎え,さらには,個人の意思で(自己決定による)
平成26年10月29日受付
死を迎えるための医療・法・倫理環境づくりを,現在,国
12
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
家をあげて社会をあげて本気で真剣に模索し始め,しかも
⑵ 他方,目を転じてわが国では,積極的安楽死につい
立法化を前提とした終末期・死ぬ権利論争がフランスで風
てリップサービスとはいえ,既に判例がその許容要件まで
雲急を告げている。積極的安楽死は認めないが,
セデーショ
提示しているはいるものの,終末期法制論議といえば,ま
ン,さらに急転直下,自殺幇助にまで目配りして食指を動
ずは尊厳死, 命治療中止の要件論にとどまって議論しそ
かす最近の動きは急であり,目を離せない展開になってい
こで足踏みし,しかも,患者の声としての,苦しまずに最
る。
期を迎えるには具体的にどうしたらいいかにまで踏み込ん
苦しまない終末期・そうした終末期 QOL の中で死ぬた
めの医療環境づくりとして,患者の権利構成によって,苦
だ議論,ないしは安楽死を回避するために,別の方法を探
しまずに死ねる権利保障が追求されてきた。
大統領府に
「死
う全く逆のコンテクストにあるというのが,近年の日仏の
ぬ権利」を 求 め る 場 合(Vincent Humbert は シ ラ ク 大 統 領 に
法的動向である。
求するという方向の議論は,ほとんどなされていないとい
(2002),RemySalvat はサルコジ大統領に(2008),それぞれ手紙を
安楽死論は,確かに消極的安楽死論から積極的安楽死論
書いた)もあれば,或いは裁判所に「死ぬ権利」を求める場
へと進むものでは必ずしもないが,しかし,積極的安楽死
合(Chantal Sebireは TGI Dijon 2008に(自殺幇助請求の棄却))も
の代替を求めて,二重効果的(緩和)治療,あるいは一気に
あるが,いずれも,その声は聞き遂げられなかった。オラ
自殺幇助論にまで突っ走ってしまっている観があるフラン
ンド(Hollande)現大統領は,2012年の大統領選挙に際し
て
(注1)
,これに耳を傾け,当選後動き出したのであった。
スの方がむしろ,こうした 命のための濃厚執拗な治療の
死の苦しみと自由の追求としての死の要求には耳を傾けね
きているのか,そのうえで積極的安楽死周辺ないし間接的
ばならぬ,苦痛の声・叫びを聴こうとするのが,大統領諮
安楽死・セデーションの議論をしているのか,が問題とは
問への答申としての以下に見る報告書や議会の提案であ
なろう。ただ,議論の順番が決定的に異なっていることに
る。
注意しなければならないのは,フランスではまずは通常医
このような状況での議論は,これまでの伝統原理の維持
かその変
中止ないしは医学(治療)的無益の議論をどれほど行なって
療における患者一般の権利法(2002年)が先行して制定さ
修正か,社会秩序か個人の自由かの哲学が正面
れた上で(すべての患者の治療を受ける権利を保障),終末期医療
からぶつかり合って,かなり具体的に突っ込んだぎりぎり
における患者に特殊な終末期法(2005年)がそのあとに制
の議論となる。終末期「新」法においても,最近の議論,
定され(治療が不合理執拗に続けられてはならない,さらには自己決
特に重要な三報告書(後出)はそうした議論をさらに進め
定できない・していない患者については医師がその中止を決定する)
,
ており,すなわち,一方では安楽死は封印し続け,禁止原
そこでの議論が行われているのに対して,わが国ではその
理としての形式は崩さないが,他方ではその実質をとる方
大前提もないところで,裁判所が「安楽死」を論じたり,
策を模索し,終末期患者の苦しまない死の要求の声は聴か
さらには立法府が「尊厳死」法案を上程しようとしている
なければならないとして,個人の意思・自己決定による意
ことである。
図的死の禁止の方にも手をつけようとしている。つまり,
現在まさにフランスで進行中の終末期新法に至る議論の
現行終末期法の枠の中で,緩和(治療)目的として行うター
成り行き,新たな制度作り・法形成に至る前の真剣な議論,
ミナル・セデーション(sedation 鎮静)を終末期患者の権
利として認めようとする方向で大方収斂してきた。安楽死
しかもこれまでとは大きく違って,政府提出法案の上程(本
との区別はどのようにつけたのかは問題となるが,これは
まり法案成立の実現性が高い)議論を行っている国でのそれを
これで,「フランス流の安楽死」
ともなりかねない安楽死ぎ
しっかり押さえておくことは,今後のわが国の終末期論議
りぎりの切羽詰まった議論であるといえよう。
やその法制化にあたっても比較法的な示唆が得られるに違
戦)
2005年法は議員提出法案であったが
を前提とした(つ
しかしながら,それだけではない。さらに踏み込んで,
いない。わが国も安楽死を否定する原則を貫いて同時に終
患者の「ターミナル・セデーションを請求する権利」を提
末期 QOL・苦しまない死の追求を模索しようとする限り,
言したその同じ重要報告書が,自殺幇助の検討を始めたり,
あるいはそうするのであれば,同じような道を らなけれ
さらにはその許容要件までをも具体的に提示し始めてお
ばならないであろうからである。
り,今回は(つまり新法では)見送るとはしているものの,自
⑶ 本稿では,終末期法制・終末期患者の権利(「死ぬ権
殺幇助を認めようとする方向での検討を同時に行っている
利」)論の最近の全体の流れに
って,これを俯瞰する(1−
からである。
5)
。そのためにまず,終末期のあり方,ないし患者の苦し
積極的安楽死立法の波は,すでに,オランダ(2001)か
まない死の要求に,法がこれまでどう対応してきたかの問
ら南下して,ベルギー(2002),ルクセンブルク(2009),
題枠組を 論的に提示する(1)。そのうえで,一方,ター
そしてついにフランス(上院 2011)まで迫っていたなかで
[2]
,フランスは,苦しまない死の追求として,終末期患
ミナル・セデーション(sedation 鎮静)がどのようにして
急浮上してきたのかを押さえ(2−4),他方, 命治療中止
者の苦痛に耳を傾けそれにどう答え,どのような生命倫理
の議論の方は,これまでどのように具体的に展開してきた
ないし法規範を定立するのか。
のか,をそれぞれ問題とするものである(5)(前注)。
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フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
1. 終末期論議・死ぬ権利論の枠組
二つの潮流・四つの要素
つぎに第二の潮流は,③緩和治療を受ける権利(art. L.
,および④緩和治療(目的)
1110-9,anc.art.L.1,A)(第三要素)
としての二重効果的治療(art. L. 1110-5, al.5)として現れる
(第四要素)
。③は,すでに前記1999年法に緩和治療へのアク
2005年終末期法は,振り返ってみると,議員(Leonetti)
提出法案であり,2003年に設置された(法案審議)委員会は
セス権として規定されていたものであるが,疼痛緩和,精
党派を超えた31人の議員で構成され,学界・医療界・宗教
目的とする積極的・継続的ケアを発展させようとするもの
界など国民各層から意見を聴取し,その8ヶ月後の2004年
であった(art. L. 1110-10, anc. art.L. 1, B)。④は,それをさら
に報告書(国民議会(下院)・終末期看取り委員会報告書『生を尊重
に踏み込んで,死を早める二重効果(doubleeffet)的治療を
し死を受入れる』
(全二巻1329頁,第一巻報告書307頁,第二巻聴聞922
新たに認めたのであった。この点で,法的には比較的新し
頁)
(AN Rapp n°1708,Rapport :«
Respecter la vieAccepter la mort»
,
い議論(セデーション論)であり,終末期論議・死ぬ権利論の
[3]がその成果として提出され,全会一致
Leonetti 委員長)
第二章ともいえよう。
神的苦痛軽減,患者の尊厳保持および家族らのサポートを
で可決された法律である。この報告書の成果を反映して,
さらに,次の章はあるのであろうか。第三章への布石は
オランダ・ベルギー型の安楽死非犯罪化法を忌避して(殺人
すでに打たれている。2013年末から翌年夏にかけて提出さ
禁止原理の維持)
,その一方で,執拗治療拒否権と終末期患者
れた二つの重要な答申(後出報告書・意見)が,すでに,終末
に特殊な権利を法認した。後者は,死の医療化のなかで緩
期新法の次をも見据えた,つまり現行終末期法の枠をはみ
和治療ケア(soins palliatifs)によって終末期をヒューマニズ
出る安楽死と自殺幇助
ム化しようとするものであった。
している。このように,第三の潮流はすでに動き出してい
終末期法制,終末期患者の権利に関する議論の最近年の
特に後者
の提言可能性を模索
る(後出・結びに)。
系譜をたどるところから始めるが,今後の展開を明らかに
するために,ここで,まず基本的な枠組を提示しておく。
第一の潮流が,消極的安楽死( 命治療中止ないし尊厳死)を,
実定法上の起点は,2005年終末期法から始まる。この法律
また第二の潮流が,特に新設④が間接的安楽死をそれぞれ
は,死ぬ権利としての安楽死を主張する場合でさえも([2]
法認したものと一般に解することができるよう。終末期論
参照)
,これをよりどころとするほど,すべてこれとの継続
議・死ぬ権利論は,まず後者の議論(第四要素)が先行する
性・連続性の上に,死ぬ権利論は展開されることになる。
形で展開する。
安楽死(積極的)は否定しているので,これを除き,展開の
枠組には四つの法的要素(下記①∼④)があり,これが二つの
方向へ展開してゆくことになる。
2. 緩和目的での二重効果的治療
第二の潮流(特に④)の先行
終末期論議・死ぬ権利論の最初の潮流は,まず,①「濃
(obstination deraisonnable,art.L.1110-5)
(al.2,Code
厚執拗治療」
こうして四つの要素が二つの潮流となって 合して,一
,および②治療(toute
de la sante publique)の禁止(第一要素)
つの法律(2005年法)となり終末期患者の権利法として出発
。
traitement)拒否権(art.L.1111-4)として現れる(第二要素)
した。2005年法では,終末期患者の苦痛にどう対応するか
①は2005年法で新設されたものであるが,すでにこれ以前,
(そして安楽死を避けるか)の問題に対して,
医業倫理法に規定があったもの(37条,1995年改正)を立法に
治療禁止・中止と並んで,安楽死を望む原因は,患者を孤
格上げしたものであった。そして②は,1999年緩和治療を
独にして見放すことと患者の苦痛にあるとして,緩和治療
受ける権利保障法(Loi n°99-477 du 9 juin 1999 visant a garantir
の原理を non-abandan(患者を見捨てない・孤独にしない)と
ledroit a lacces aux soins palliatifs)と2002年患者の権利法(LOI
n°2002-303 du 4 mars 2002 relative aux droits des malades et a la
non-souffrance(苦痛をさせない)に置き,そうした緩和医療
を展開しようとするものであった。この二つの方法(組合せ)
qualite du systeme de sante)の流れをくむものである。2002年
によって終末期の苦痛に答えようとする路線(ルール)がひ
法の治療(un traitement)拒否権には死までの自己決定権は含
かることになる。とりわけ,苦痛緩和については,どうし
まれないと解されてきたが
[4]
,2005年法によって,これ
ても患者の苦痛が緩和されない場合のセデーションが法的
は終末期患者の「すべての」治療拒否権と修正されその射
倫理的に問題となりえたのである(注2)
。
程が強化され,別 てであった第一要素①と結びつき生命
命(濃厚執拗)
2005年法によって,緩和治療としての二重効果的治療が,
維持まで含めた治療の制限・中止(LAT)決定へと展開する
実定法上承認されたにもかかわらず,それは,安楽死との
一大潮流を形成することになる(art.L.1111-4)。
「死ぬ権利」
区別を巡り,実際の運用状況・医療現場においてもに混乱
に対する消極的法対応は,このような形ですでに始まって
があって行われないことがあった。生命維持治療(栄養水
いた。この潮流は,特に①は比較的古くからある議論であ
補給)中断後セデーションをしなかったために患者の死ま
り,終末期論議・死ぬ権利論の序章であるといえよう(後出
で時間を要した HervePierra 事件を契機にして,二重効果
5)
。
的な緩和治療としてのセデーションの議論が展開されるこ
14
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
とになるのである。しかも,それを患者から要求できる権
が,そのような法案が議会(審議)レベルにまで達する,と
利として,すなわち上述の比較的新しい部類に属するフラ
いう注目すべき出来事であった
[2]
。否決の理由は,やは
ンスにおける「死ぬ権利」論第二章としての展開である。
り,2005年法の不知・運用不徹底,特に現場医療者のそれ
こうした方向を Pierra 事件を契機にしていち早く打ち
で, 命措置中止や緩和医療さえいまだ十 に行われてい
出したのが,2008年,国民議会(下院)の終末期法評価委員
ない等々にあった。このことは,この後も随所で繰り返し
会報告書『終末期を前にしての連帯』(以下「Leonetti 報告書」)
指摘される点と同様である。この法案は,終末期法が排斥
(全二巻1005頁,第一巻報告書305頁,第二巻聴聞700頁)
(AN Rapp
した安楽死立法であるにもかかわらず,同法との継続性を
n°1287, Rapport :«
Solidaires devant la fin de vie»
, Leonetti 委員長)
装っている点に注意を要する必要があり,また,
「生死の決
[5]であった。すなわち,2005年法制定三年後,同法評
定権は本人にあり,死を早める決定についても妥当する」
価のための委員会が設置されて,この
命を与えられた
との前提から立論していたが,フランス法の確定判例は,
Leonetti 議員(2005年法の立法者で,この法は loi Leonetti と称さ
れる)は,医師・医療関係者,法律家,宗教家,患者家族ら
「死ぬ権利」主張の本質的原理をすでに,コンセィユ・デ
57人を聴聞したから,国民(患者)の声に広く耳を傾けた最
て否定し フランスでは個人の意思で死ぬという主観的な
初となる終末期医療に関する大部の重要報告書となった。
権利はない>(Heers 論告)と述べていたのとは正反対の方向
報告書は「第一部 適用されない立法」から説き起こし,
であることを指摘しておかねばならないであろう[4]。
タが維持した輸血拒否判例において,その共通性を見抜い
そこで20項目にわたる提案(答申)がなされ,2005年法の不
また,これら三法案の趣旨説明・逐条審議等で中心的役
知,その適用不全・不十 の改善のための機関(Observatoire
割を果たした Godefroy報告書が出された後もその法案の
,司法(検
de fin de vie)を設置すること(Proposition no.1-3)
廃案後も,同種の議員提出法案が,2012年7月上院で(Propo-
察)と医師の関係改善(同4・5)
,合議手続・事前指示書
,2013年6月にも上院で(Proposition deloi
sition de loi n°735)
(directives anticipees)
・患者指名代理人における患者の権利
,下院で(Proposition de loi n°1140),同年12月にも上
n°629 )
の拡大(同6・7)等々のほか,とりわけ,生命維持治療の
院で(Proposition deloi n°182),2014年2月にも上院で(Proposi-
制限中止後のターミナル・セデーション(sedation 鎮静)の処
tion de loi n°336-337)等々,と繰返し提出されているが,こ
方を増やす目的での医業倫理法37条改正提案(同12)が含ま
れらは,その実質的内容からいって,2005年法の枠内での
れていた。
展開とはいわば別枠での展開として区別しておかなければ
この37条修正の目的は明らかに,患者に苦痛の合理的な
ならないであろう。
証拠はないという理由で,医師がターミナル・セデーショ
ンの処方を拒否することのないようにすることであり,法
的枠組に組み入れて規制し,同時にその処方にためらいが
4. 終末期論議・死ぬ権利論の本格化
起点としての Sicard 報告と CCNE 答申
ちな医師を保障することであった。枠組④の方向への徹底
である。この改正提案は,2006年の Pierra 事件(その家族は
聴聞者の一人)
に触発されたもので,植物状態患者のように苦
さて,これまでの,マスメディアの取り上げてきた Hum-
痛評価が不可能な場合について,生命維持治療中止後の
bert,Salvat,Sebire,Pierra 事件などそのときどきに社会が
国はむしろそれを押さえ
国民が刺激されては再燃してきた
ターミナルであれば,セデーションは可能であるとするこ
なだめてきた
とで,HervePierra(注3)のようなケースの繰り返しを避
けることであった。そして,2010年には医業倫理法37条改
状況が,前述のように,2012年の政権
正(Decret no.2010-107 du 29 janvier 2010)となる成果を得て,
会 CCNE 委員長)にそうした死ぬ権利を含む終末期医療の問
またこれが,セデーションに対する法的枠組の最初のもの
題を諮問し,同年12月末それに対する報告書が提出された
となる
[6]。後に議論の対象として登場し,重要な報告書
からである。終末期委員会報告書『終末期を連帯して え
がこぞって取り上げることになるターミナル・セデーショ
る』である(以下,「Sicard 報告書」)[7]
。
ンへの伏線・ヒントとなるものと言うことができるが,こ
こではまだ権利としてのセデーションではない。
安楽死権・自殺幇助権論争とは少し違った
代後生じた。当選
した Hollande新大統領が,Sicard 教授(前国家諮問倫理委員
この報告書の提出を契機にして,それまでとは逆に,ま
さに上から,国をあげて国が先導して終末期・死ぬ権利論
議の先頭に立ったことにより,政府提出法案の議会上程,
3. 積極的安楽死立法・議員提出案の続出
法的枠外の第四の潮流
さらには新・終末期患者権利法成立の現実味が増してきた
のである。この報告書では,終末期法の不知と運用適用の
不徹底,事前指示書(directives anticipees)のあり方,ターミ
そのような現行法の枠組内での動きの中で,ここに割っ
ナル・セデーションの提案(注2)
,積極的安楽死の新法へ
て入ってきたのが,2011年1月,上院で,それまでに別々
の組込み拒否等々が議論されたが,自殺幇助については
に提出されていた安楽死合法化三法案が統合一本化され,
慮の余地ありとの立場を表明した。この報告書が,時期的
それが,上院審議に付された後に,結局否決廃案となった
にも内容的にも,終末期論議・死ぬ権利論を再燃・活性化
15
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
させ,本格化の動きの発端・機転点となり,その後の賛否
コミュニケーションも不十 で,患者の声を聞いてくれな
論議の前提参照資料・たたき台となって,各所で引用され
いなど,そうした現実が共通認識として浮かび上がってき
てきた。
た。このような状態では,全く最期は苦しまないで死を迎
この報告書をうけた大統領は,現行法では重篤不治病患
えたい・苦しまない終末期 QOL という課題に答えられな
者の苦痛の声全体に答えることはできないとの Sicard 報
いとしてそれへの比較的新しい答えとして,安楽死という
告を受けとめて,さらに,事前指示のあり方,意図的死の
方法が えない中で,セデーションが見直され,しかも,
条件,苦しまない最期・終末期の条件についての三点を国
患者の権利として,
「ターミナル・セデーションを受ける権
家諮問倫理委員会(ComiteConsultatifNational d Ethique)に諮
利」を認めた点でも,両答申は共通していたのである。
問した。これが政府法案提出前の最終段階であり,その新
法案提出がアナウンスされていた。
しかし,政府提出法案が上程されない中,2013年4月,
Leonetti 国民議会議員(UMP)がしびれを切らして,患者に
「ターミナル・セデーションを受ける権利(請求権)」(Droit
a la sedation en fin devie)を保障する議員立法(自ら制定させた
ここまでが,この第二の流れの到達点であり,このまま
新法へと行き着くはずであった。この流れを一時ストップ
させるのが,Vincent Lambert 事件である。
5. 命(濃厚執拗)治療の禁止・中止論とその決定プ
ロセス
ランベール事件と第一の潮流の顕在化
2005年現行法の改正案,いわば«
)を Sicard 報告の
loi Leonetti bis»
趣旨に う形で提出するところとなった
[8]。これは,結
5.1 治療の「濃厚執拗(不合理)性」の概念
局,大統領多数派(PS)の占める議会で廃案となったが,自
医師の治療中止決定権か患者の治療拒否権か
らの2005年法(緩和治療について定める art.L.1110-5)に枝番を
2013年はフランスで,前述のように,現在進行中の新法
加えて(art.L.1110-5,al.1),ターミナル患者の権利としての
制定へ向けて展開されてきた(間接的安楽死としての)ターミ
セデーションを 設しようとするものであった。
ナル・セデーション(sedation 鎮静)や自殺幇助等の議論が盛
そして,大統領の諮問を受けた国家倫理委(CCNE)が,
んに行われてきた。一転して2014年の年頭からは,終末期
同年7月1日,
「終末期・個人の自律・死ぬ権利」と題する
論議・死ぬ権利論議を一気にその原点に逆戻りさせ,あら
意見(CCNE avis N°121)[8]を答申として提出した。これ
ためて 命・生命維持治療の中止の議論に 行させてそこ
は,形式的にも,前文をつけ,また反対意見をもつける異
から議論し直させるような新たな事件が起きたのである。
例のものとなった。内容的にも,安楽死・自殺幇助につい
この事件は,その意味でこれまで疑うことのない当然の合
てはメンバーの意見が かれ統一意見を形成できず多数・
意(大前提)のもとにあった 命治療中止の議論
少数意見を併記し,ターミナル・セデーションについては
栄養水
再評価してこれを提言勧告するものとなっている。
らためてやり直す絶好の機会となるものであった。しかも
Sicard 報告書に国家倫理委の答申が加わったことによ
り,ここわずか一年くらいの間に,新法案提出を前提とし
この事件は,植物状態(ないし Etat deconscious minimale,ECM
た重要な二つの答申が出揃ったことになる。これら二つの
中止の可否が行政裁判所に持ち込まれたフランスで初めて
答申は,つぎの新法で,
「フランス流の解決提案」として,
の
したがって,そこで2005年法が初めて「適用される立法」とな
ターミナル・セデーションを受ける権利を患者に認めるだ
る
事件であるというだけでなく,この事件はあらため
けでなく,
つぎのつぎの自殺幇助権まで見据えている点で,
て,新法制定にも影響を与えることになろう。
本件では
補給は治療か,不合理な執拗治療に当たるか等々
ou Etat pauci-relationnel, EPR)患者の栄養水
をあ
補給(治療)の
政府提出法案上程(いわばここが本戦)までの前哨線におい
ところで,2005年法(art. L. 1110-5, al.2, Code de la sante
て,新法制定に向けて中心的役割を果たし,終末期論議・
publique)およびその法的源流である医業倫理法典(Le code
死ぬ権利論(いわばその第二章と,そこから第三章へ)の非常に重
de deontologie medicale, R.4127-1 a R.4127-112, CSP)(37条,1995
要な文献資料となっている。
年)による
命(濃厚執拗)治療・不合理執拗治療の禁止は,
これら二つの答申の立場は,全会一致で成立した法律で
患者の要求による治療中止・拒否(art. L. 1111-4)とは一応
あった2005年終末期法が,その法施行後の運用において,
別に,回復治癒の見込みのないとき等に決定される治療中
その理念・規範とした二本柱である 命治療の禁止と緩和
止であり
治療の実施が十 になされていないという問題が,随所で
権が前提とされていると解されよう
ことあるたびに指摘され続けるほどあまりに明らかとなっ
に限らず「治療の(濃厚)執拗の不合理」性・限界性
ている,との現状認識にやはり立っていた(2013年の調査
わち,無益性・不相応性・人工的生命維持(
(IPSOS)によると,医師の半数以上が2015年法の詳細を知らない)
。
問われる議論がなされるはずである(前出の枠組①)。近年の
前出2008年 Leonetti 報告がすでに指摘していた「適用され
安楽死と見 うばかりのターミナル・セデーション論と同
ない立法」状況である。そのうえに,さらに,安楽死を恐
じだけの質と量の議論が,治療の「不合理執拗」性概念に
れ安楽死と混同する現場医師が,依然として 命治療を続
ついて,これまで真剣に行れてきたのであろうか。つまり
け,死を早める二重効果的緩和治療も行わない,医師との
問題はとくに,①の 命治療の無益性等についての議論が
つまり,ここでは医業倫理上の,医師の治療中止決定
,そこでは,終末期患者
命)性とはなにか
すな
が
16
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
1110-5, al.2)
これまでどれだけ本気で行われてきたかである。
現行終末期法制においては,どの時点でその限界
性・不相応性・人工的
命性
無益
を越えるかは,合議(collegialite)
このように,不合理な濃厚治療を中止して緩和治療ケア
に切り替えることを定めた。その上で,前者の場合の治療
決定,事前指示書の参照,患者指定代理人,家族,近親と
の制限・中止(LAT)の条件は,患者が意思表明(自己決定)
の協議のプロセスを経て決定されることになり,その限り
できるかどうかによって,その決定プロセスをそれぞれ別
で患者の意思が 慮・忖度されはするが,つまり,「不合理
様に規定した。
な執拗治療(obstination deraisonnable)の中止・禁止」(ないし
「治療の執拗 acharmement therapeutique」
)
概念自体が,それだけ
で患者の「死ぬ権利」論の原点・源泉となるものではなく,
5.2 自己決定できる患者の場合の LAT 決定プロセス
患者による治療拒否権
それはずっと後の2002-2005年法の患者の治療拒否権と結
まずは,末期でない意識のある患者について,2002年法
びついてはじめて,そうなるのはずのものであろう。そう
で,患者の同意を唯一の根拠として,治療(un traitement)の
であるとすると,前出要素①だけでは,患者の不合理な執
拒否権を認めていたが,
これはかなりの制限つきのもので,
拗治療を拒否する権利を認めたのではなく,2005年法では
患者がその治療を拒否すると生命に危険がある場合,医師
その「権利を強化する」
,
「終末期患者に特殊な権利を認め
に治療を拒否しないよう「万事を尽くし」て説得し翻意さ
る」との名目をとりながら,実はやはり,医師の治療中止
せる義務が課されていた(art.L.1111-4,al.2)。輸血拒否事例
決定権が医業倫理法をへて追認されたものと解されていよ
(前出)について,コンセィユ・デタは,患女(非末期)が若
う。
いエホバの証人信者であっても,輸血は重大な侵襲ではな
命(濃厚執拗)治療を医師がしない,患者が
く,説得して翻意しない場合などの要件を満たせば,輸血
拒否することを認めるために,2005年法は,前出の2002年
をするのは正しいとしたが,この判決が維持したその控訴
法の治療を受ける権利(art. L. 1110-5)を修正し,そこに第
審論告は,輸血拒否の中に安楽死を見て取り, 輸血を拒否
2項を追加して,三要件充足の場合,濃厚執拗治療となるよ
して死ぬ> ことを認めることは,原理的には 個人の意思
うな治療を中止ないし行なわないことができるとの例外を
で死ぬ> ことを認めることになると述べて,さらに フラ
設けて(art.L.1110-5,al.2),患者の治療を制限・中止できる,
ンスでは個人の意思で死ぬという主観的な権利はない> と
としたのである(ここでの終末期患者の意思(自己決定)尊重につい
まで断定するほど[3]
,安楽死に対する警戒は非常に強
ては,すでに2002年法における治療をする場合のインフォームド・コ
かったのである。
そのような
ンセントの権利(art.L.1111-1以下)のコロラリーとされている)
。これ
2005年法は,この医師の説得義務をより明確に,医師に
だけ見ると,2005年法は医師の治療中止決定権を認めたの
は他の医師に助言・意見を求める(appel)こと,患者には合
ではなく,医師の治療中止の要件を定めただけで,それを
理的期間経過後に自らの決定を反復することを課した(art.
充足した医師の刑事免責を法定したものとも解することが
。
L. 1111-4-2)
できる。つまり,そのような条件つきで,医師が患者の生
他方,終末期(意識がある)患者については(art.L.1111-10
命しないこと)を認めた。終末
∼1111-13)
,非末期患者の場合よりも緩和した手続を設け
期の医療について,改善の見込みのない相応性をこえるよ
て,患者の決定のカルテへの記載義務とその選択結果の説
うな場合に中止しうる治療(treatement)と,患者の尊厳保持
明義務があるだけで,患者を説得するために「万事を尽く
のため続けることが不可欠な治療ケア(soins)とを明確に区
す」義務は外されて,意識がある終末期患者が治療中止を
別している。
求めたときは,
「医師は,その選択結果の説明をした後に,
命を危険な状態に置くこと(
現行法をここで確認しておこう。すなわち,同条はまず
その意思を尊重する。」(art.L.1111-10)とされ,患者の意思
「いかなる(患)者も,……最適な治療ケアを受ける権利
はより尊重されることとなった。患者の治療拒否の射程も,
を有する。……」としたすぐ後で,突如,濃厚執拗な治療
(tout traitement)
「あらゆる治療」
拒否権を有すると修正され
を規定するところで,主語がなくなり受け身形となって,
て終末期患者の権利性も強化されたのである。
こうなると,
「これらの行為(予防,検査,治療ケア
引用者注)は,不合
たとえ前にあげたと同じケースで終末期あるいは高齢患者
理な執拗性(obstination deraisonnable)によって続けられては
である場合に,輸血を断行することは,生命が多少 びる
ならない。それらが無益,不相応,或いは生命の人工的維
(死を早めない)ことがあっても,精神的暴力(自己決定違反)
持だけで他に目的を有しない(initile, disproportionne ou
n ayant d autre objet que le seul maintien artificiel de la vie)と認め
という苦痛で終末期 QOL を低下させるだけなので,そう
られる場合,これらを中止するか或いは始めないことがで
は決せられない複雑な 慮要素があるので,今日コンセィ
きる。その場合,医師は,L. 1110-10条に定める治療ケア
ユ・デタが同じ解決をするとは思えないのである。
(soins)
(緩和治療ケア
引用者注)
をおこなうことによって,
臨終・ターミナルを迎える(患)者(mourant)の尊厳を保護
してその生の質(QOL)を保障する。
」(傍点引用者)(art. L.
した患者への輸血は濃厚執拗かという治療そのものだけで
これまで積み重ねられてきたフランス法の伝統原理とし
て,同意原理(Consentement eclaire, Informed consent)の根底
に横たわる前提価値としての身体統合(integrite 不可傷)
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
17
性原理があり,同意は必要であるがそれだけでは十 でな
また加えて,とくに事前指示書の効力・あり方について
い> という確定した伝統判例がある。この判例の下で,患
は,これに拘束力をもたせるよう改善提案が相つぎいでい
者の自己決定ないし意思に偏重せず,伝統社会の秩序原理
る[5,
7,
8,
9]。このように,終末期,あるいはそうで
える議
なくとも意識がない時などは,同意の限界ないし免除・省
論を行おうとしてきた。そこからすると,死までの自己決
略の法理が働き,それぞれの場合における最善利益の社会
定(個人の意思で死ぬこと)は,社会との関係でかなりの制限
的決定,終末期法では,医師による合議決定プロセスの問
を受けることになるはずである。フランス伝統社会の法原
題に議論の重点は移り,合議による決定プロセスの多方面
理は,
2005年に終末期患者について例外設定したのに続き,
への拡大が推奨されることになる[9]
(p.51)
。
(医療
序ないし社会連帯 solidalite)とのバランスを
「死ぬ権利」論の隆盛によってこれが揺るぎはじめている
のか。
さて,このような実定法の下で,これらの規定が初めて
裁判上で適用される Lambert 事件が起こるのである。とり
5.3 自己決定できない患者の場合の LAT 決定プロセス
合議・意見聴取(consultation)手続前置主義
わけ,同事件原審では LAT 手続違反が争われ,上告審で
は,治療の「不合理な執拗」性とは何かを中心に,事前指
患者が意思表明できない・していない場合の治療中止に
示も信頼代理人の指名もない中で推定意思をどうとらえる
ついては,
患者の同意を直接の根拠とすることはできない。
かも問われることになる。そこで問題が具体的に浮き彫り
しかし,同意原理にもかかわらず(art.L.1111-4,CSP),患者
にされ,さらに新法制定にどう影響するのであろうか。
の意思表明がない場合,医師が治療中止決定をすることが
認められている(前出)。このように患者が自己決定(事前の
結びに
終末期新法のゆくえとランベール事件
同意)をしていない・できない場合,その扱いが難題なので
あるが,自己決定していないのだから,他者が決定しても
⑴ 法律は一旦でき,そこで原則が定立されると,あと
それに反することはないとの前提に立ちながら(opt-out),患
は要件がそろったから,プロセスを踏んだから問題はない
者の事前の意思ないし他者によるその援用・歪曲や安楽死
とされ,もう議論の済んだ原則の部 はあらためて え直
をも警戒して,厳格な規定が特に設けられている。医師に
さず疑うこともなく,すんなりと物事が決まってしまう恐
よる治療の制限中止(LAT)決定は,終末期(art.L.1111-13)
れはある。満場一致で可決されたような場合は尚 である。
(注4)も非終末期(art.L.1111-4,al.5)(注5)もともに,
その原則の問題点が浮かび上がってこず議論もなされな
合議手続(procedurecollegiale)を経,患者の推定意思等
事
い。治療をやめる結論が簡単に出されてしまい議論の質も
前指示書・信頼代理人・家族等の意見(非医学的意見)
を
薄くなり,量も減ってしまう。死の迎え方,そのときの治
慮することとされている。そして,前者の合議
療をどうするかについては,多くの人が深く話し合ってい
手続については適用のデクレに委ね,決定をする主治医
ない現状では法律に引っ張られる怖さが残ろう。受けたい
(medecin en charge du patient 担当医)が,医療チームがある
治療が受けられなくなり,切り捨てられるのではないか,
場合にはそれとの協議の後に,少なくとも一人の医師(con-
などの不安の声にも耳を傾けなければならないのであろう
sultant)の理由づけのある意見を求めて治療制限中止決定を
(その点,Lambert 事件で,頭蓋外傷・脳脊髄損傷を受けた家族団体
行う,というプロセスである(R.4127-37)。後者の患者指名
(lUnion nationale des associations de familles de traumatises
代理人(personnedeconfiance)についてはすでに2002年法(art.
craniens et decerebro-leses)の訴 参加が認められていることは重要
L. 1111-6)が,事前指示書については,05年法(art. L. 1111
である。それだけでなく,法律で定めるべき大原則は,終末期患者の
-11)が,成人であれば,意思の表明ができなくなった時の
治療を中止することではなく,むしろすべての患者(終末期患者を含めて)
ために,LAT の条件について終末期の希望を示すことがで
き,医師はこの事前指示を 慮する義務を負う(art.L.1111
がすべての治療(生命維持治療を含む)を受ける権利を保障しておくこと
-11-3 ;R.1111-17∼20,Decret no.2006-119 du 6 fevrier 2006)
。事前
との え方も出てくるのはそのためである。法律ができた
指示がない場合,治療等の決定において,患者が指名する
ら,法律で明確に要件と医師免責を定めたら,問題はすべ
者の意向が,他の医師以外(家族・近親)のそれに優先さ
て解決して争いはなくなるのか。医師が,一定の要件の下
れる(art. L. 1111-12)。
で治療を中止しても,要件を満たしたから責任は問われな
聴取して
である)
。そこから,医療の領域に法が介入しないほうがよい
その治療の制限・中止の決定プロセスがとりわけ重要だ
いと思っても,患者側ないしは家族(或はその一部)から要件
とされるのは,
推定意思を援用しての合議決定となるので,
不備を争われることはある。逆に法から出発するのではな
本人の意思に反するようなことがあってはならず,望まぬ
く,患者にとって何がベスト(インタレスト)であるのか等を
過剰治療によって苦しむようなことがあってはならないと
患者側と医師とが十 に話し合いを重ねることが基本で,
いう要請と,透明性の要請である。安楽死が行われるのは,
そこが十 であれば法律に引っ張られることも頼ることも
医師が他の誰の判断も仰がずに単独でその決定を行ってき
なくなろう。法がどう定めようとどう適用されようと,法
たことによるからである。
の精神は,そうした十 な話し合いを大前提にしていると
18
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
えなければならない(cf.TA Chalons-en-Champagne,ord.Ref.
論が,濃厚執拗治療の禁止は当然の前提とされてきたため
。Lambert やこれと類似する Theresa Marie
11 mai 2013)
に,十 に具体的に展開されてこなかったのではないかと
(夫が栄養補給の中止を求め,両親がこれに反対)
は,その
Schiavo
いうことである。しかしながら,2005年法が初めて個別具
ことを示しており,わが国も法制化を目指すのであればそ
体的文脈のなかで適用されるランベール事件において遅ま
こに十 な注意を向ける必要があろう。
きながら,判決が具体的コンテクストのなかで「治療の執
⑵ 2014年1月,下級審(上記地方行政裁判所に続く二度目の
拗性」概念の解釈を迫られることになるので,これをまず
決定 TA Chalons-en-Champagne,ord.Ref.16 janvier 2014,M.Pierre
検討しなければならない。つぎに,現行2005年法の無益・
Lambert et autres,no.1400029 )で医師の栄養補給治療中止決定
不相応・人工的生命維持を三要件とする「不合理な執拗治
の執行を一時中断させていた Lambert 事件が,コンセイ
療」
(obstination deraisonnable)の中止・禁止(の概念)に
ユ・デタに上告されるに及んで,
政府提出法案の上程に待っ
ついて立法過程まであらためて実証的にたどり直し,さら
たがかけられる情勢になっている。法律もあり,要件も満
に
これに反対)があるのに医師がそのまま LAT 決定を行った
って,その起源にある《治療の執拗性 acharmement
therapeutique》概念の形成・展開をめぐって行われたであろ
う終末期論議(ないし「死ぬ権利」論)における古典的な治療
事例であった。コンセイユ・デタは,すぐには判決で裁断
中止ないし医学的無益論の系譜をたどることも必要になろ
をせずに,三人の専門医(neurologues)の医学鑑定(expertise
う。そこでの医学哲学・倫理学的そして法的な原点でなさ
medicale)を求め,さらに,不合理執拗治療と人工的
命の
れた議論の上に,
「治療の執拗性」
の禁止が医師の職業倫理
概念を明確にするため,医学アカデミー・全国医師会・国
となって医業倫理法典(37条)の上に結実し,さらにこれ
家倫委等に倫理的所見(observaions ecrites)の提出を要請した
が患者の権利として,まずは2002年法をへて,つぎに2005
(CE 14 fevrier 2014,refere)
。これに応えた医学アカデミーは,
年終末期法に取り込まれることになるからである。2005年
栄養や QOL に見合った処置を受ける権利は意識や意思伝
法の立法過程に るだけでは十 でないのは,
「不合理執拗
達能力の程度によらないと断言していたし,また,医学鑑
性」概念は,医業倫理法に既にあった規定をそのまま立法
定も,意識損傷の程度は治療中止の決定打とはなりえない
に格上げしただけのものなので,この概念についての原理
との意見を提出していた。しかしながら,医学鑑定報告書
的かつ実践的な議論が質量ともにあらためてそこで十 に
の結論は,本件患者の状態は悪化しており,遷 性植物状
態にあり不可逆で予後不良とするものであった。結局同6
行われたのか,またそもそも,«
obstination deraisonnable»
概念と«
概念とは同じものなの
acharmement therapeutique»
月に,この医学鑑定をふまえて
か等々には疑問が残るので,源流にまで る必要があるの
たしていたが,家族内対立(妻が栄養補給の中止を求め,両親が
命効果しかない不合理な
執拗治療(obstination deraisonnable)に当たるとした論告
(Concl.R.Keller,Rapporteur public)を採用して,また患者の
である。
意思
⑶ 死ぬ権利論の展開は,終末期「新」法が成立すれば
をも 慮して,医
それで終章を迎えるのではなく,さらにその次の新たな章
師の人工栄養補給中止決定を認める命令が出された(CE
が用意されていると えなければならない。終末期患者の
。
ass.24 juin 2014,MmeP…U… et autres,nos 375081,375090,375091)
死ぬ権利論を現行法の改正
すると今度は,両親側がその判決日の前日に,ヨーロッパ
いう形で進行させているフランスは,あくまで現行法の枠
人権裁判所(CEDH)に対して,コンセイユ・デタ判決の執
内で,苦しまない終末期と意図的(自)死の要請に答えう
行停止を緊急に求めて訴え(requete Lambert et autres c.France
る「セデーションを受ける権利」を設ける方向で矛を収め
を提起するという展開に発展している。しかし
no.46043/14)
るのか
これに対して政府は,
法案の準備を優先的に進めるために,
るが
Claeys(PS)・Leonetti(UMP)の二議員を指名して,同年末
までに法案を提出し議会付託する日程を示した。
一方,
ヨー
終末期論議の起点となった Sicard 報告書は,
「フランス
流の解決提案」として,権利としてのターミナル・セデー
ロッパ人権裁判所は,先の両親の訴えを受けて6月24日フ
ションの提言を行ったが,この報告書の中でも特に目を引
ランス政府に対して中止決定の執行に待ったをかけ,数ヶ
くのは,現行法の枠外にまで議論の範囲を拡げて,安楽死
月後に判決が出されることが予定されている。しかし,フ
ランス国内での早期判決を求めるなか,10月7日,同裁判
と自殺幇助(assistance a la suicide)の提言可能性を検討
しているからである
[7]
(p.94以下)
。この報告書は,一方
所は,17判事で構成する大法 に移すとの意向を声明した
で,安楽死の合法化について,一片の安楽死立法で明確な
(Communiquedepresse,CEDH 290(2014))
。かくて,この一連
限界を設けてもあらゆる終末期問題に対応できるわけでは
の連続裁判劇は終わっていない(行政地裁2件(TA I・II)→最高
ないとみてさだめ,ベルギーで2002年に安楽死法ができた
裁2件(CE I・II)→欧裁1件(来2015年1月予定のものを含めると2件))
。
後も,その適用を拡大する25もの法案が続出している状況
事前指示書の形式ではなかったが
安楽死法の制定ではなく
と
しかも,それが終末期法の改正で可能なのかも問題であ
,これはおそらく最終的解決ではないであろう。
以上,本稿では,終末期・死ぬ権利論の最近の全体の流
を引合いに出して,
「禁止されているものを動かすと,また
れに って,これを俯瞰してきた。そこから浮かび上がっ
別の限界状況をつくり出し,そして常に当初は予想もして
てくる問題は,死ぬ権利論の枠組①②(前出1)における議
いなかったものを,そしてそれは新しい法を際限なく要求
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
する」と強調して,結局,禁止原理(現行法)を変 する道
1 終末期論議・死ぬ権利論の枠組(提示)
はとらないとし,安楽死の合法化は提言していない。現に
そのとおり,ベルギーではさらに未成年者の安楽死までが
二つの潮流と四つの要素
2 緩和目的での二重効果的治療
立法化され(2014年3月)
[10]
,また,受刑者・死刑囚に
も認めるとの報道もあった。形式原理は動かさずに,その
第二の潮流(特に④)の先行
3 積極的安楽死立法・議員提出案の続出
実質的内実を追及することで同じ結果を見いだそうという
のが,フランスである。
法的枠外の第四の潮流
4 終末期論議・死ぬ権利論の本格化
つまり他方,自殺幇助については,選択肢として提言し
ないとしつつも,立法化(depenalisation)する場合の要件
として,①死ぬ意思の明確・反復性,②患者の終末期状態
起点としての Sicard 報告と CCNE 答申
5
命(濃厚執拗)治療の禁止・中止論とその決定プロ
セス
の合議による確認,③苦痛緩和の選択肢すべてを尽くして
いること,自殺幇助の具体的条件について説明を受けてい
19
ランベール事件と第一の潮流の顕在化
5.1 治療の「濃厚執拗(不合理)性」の概念
ること等,④行為時に主治医師が立会うこと,⑤医師と薬
医師の治療中止決定権か患者の治療拒否権
剤師の良心的拒否,⑥行為実行の日取りを前もって決めな
か
いこと,⑦当該事例についての国家による情報集中管理,
5.2 自己決定できる患者の場合の LAT 決定プロセス
等々を提示までしている。どうしてそこまでするのか。一
つは,よく引用されるが,薬を手にした者の約半数がそれ
を
わないアメリカ・オレゴン州の例(幇助自殺 suicideassiste)
患者による治療拒否権
5.3 自己決定できない患者の場合の LAT 決定プロセ
ス
を引きながら,実際に生命を絶つというよりも,そのよう
な究極的な手段を持っていていつでも えるのだという安
合議・意見聴取手続前置主義
結びに
終末期新法のゆくえとランベール事件
感をもてる点,もう一つは,自殺幇助は,究極的な行為
を自 自身で行うことのできる自己完結性があって,第三
者を動員する度合いが強い安楽死とは違った点がある(長
所)
,とみているからである。
(注1) Proposition 21 du candidat Franç
ois Hollande a
において,
《不治病の進
lelection prsidentielle 2012
行乃至ターミナル期の成人は何人も,耐えがたい身
さらに加えて,国家倫委がセデーションでは十 ではな
体的精神的苦痛を生起する明確かつ厳格な条件の下
いと えられる「限界状況」
(situations limites)があり,
で,尊厳のうちにその生を終えるため医療的補助
その知見が絶対に必要で,この掘り下げなしには問題は終
(assistancemedicalisee)を受けることを要求できる
よう》立法提案する選挙 約・政策綱領が示されて
わらないとしているからである。そして,自殺幇助につい
て,非終末期の場合,多数意見は否定的であるが,終末期
いた。
の場合はその扱いが難しいとし,さらに,幇助自殺や安楽
(注2) 大河原「フランス終末期法とセデーション」磯部
死については,合法化すべしとの少数意見があるというよ
力先生古稀記念論文集
『都市と環境の 法学』(勁草
うに,同委員会の内部での立場の大きな対立が にされて
書房,未刊)所収
おり[9](p.53)
[11],将来的には多数意見と少数意見の
(注3) 植物状態(Etat vegetatif chronique,EVC)の青年の経
布が不変であるとは必ずしも言えない状況にあるのであ
腸栄養補給を中止したが,その後痙攣発作(苦痛)が
る。このように,上述の Sicard 報告書と国家倫委答申に限
続き,それを見かねた家族がセデーションを要求し
らず, 最近は,安楽死と自殺幇助等がセットになって議論
たが医師が拒否したので,その死亡まで6日間を要し
されることが多くなっている[11,12]
。
た事件。後出 Vincent Lambert はその前の段階の不
今後も,この二つの主要答申(Sicard と CCNE)および,
それらと同方向の,前記 Claeys・Leonetti 法案が大統領に
提出されるに及んで(2014年12月12日),これらを軸に終末期
論議が展開されてゆくであろうが,終末期患者権利新法に
合理執拗治療の認定→ LAT 決定のところで引っか
かっているが,これはそこをパスした後のところで
問題となった事例である。
(注4) 終末期患者の LAT 手続
向けては,終末期 QOL の追求として,患者のターミナル・
……重篤不治病の進行ないしターミナル期に
セデーション請求権を保障する流れができあがった。さら
あって,意思の表明ができない(患)者の場合,医
にそのつぎには,意図的(自)死の追求として,非終末期患
師は,医業倫理法に規定する合議手続(37条−引用者
者に自殺幇助権までをも見据えた流れ(第三章)ができつつ
注)
を遵守し,かつ,L.1111-6条に定める信頼代理人
あるようにさえ思える勢いである。
(personnedeconfiance)
,家族,またはそれがいないと
きは近親の一人,および当人の事前指示書(directives
(前注)
序
全体構成は,つぎのとおりである。
終末期新法と「死ぬ権利」論の新展開
があるときにはそれを,
聴取参照した後に,
anticipees)
無益で不相応ないし当人の人工的生命 長のみの効
20
フランス終末期法と「死ぬ権利」論(大河原)
果しか有しない治療を制限ないしは中止することを
[10] M.Schooyans,L euthanasie des enfants et la corrup-
決定できる。……」(art. L. 1111-13)
tion de droit, RGDM no.512, 2014, p.265
[11] Le Monde, Vendredi 14 fevrier 2014, p.16 : De la
(注5) 非終末期患者の LAT 手続
意思の表明ができない(患)者の場合,生命に危
polemique sur laffaire Vincent Lambert aux limites de
険がある治療の制限乃至中止は,医業倫理法に規定
la loi Leonetti, Andre Comte-Sponville (et Corine
する合議手続(37条−引用者注)を遵守し,かつ,L.
Pelluchon).
[12] Conference de citoyens sur la fin de vie,Avis citoyen
1111-6条に定める信頼代理人(personne de confiance)
または家族,それがいないときは近親の一人,およ
de 14 decembre 2013.
び,当人の事前指示書(directives anticipees)がある場
(なお,フランス語文献(報告書類)は,ネットからの入手が可能で
合にはそれが,聴取参照された後でなければ,これ
ある。)
を行うことはできない。……」(art. L. 1111-4, al.5)
(後記・謝辞)
[引用文献]
[1] Observatoire national de la fin de vie«
Rapport 2011
-Fin devie:un premier etat des lieux»
,14 fevrier 2012,
p.153 : J.-M. Boles, L euthanasie: reflexions d un
medecin reanimateur, RGDM 2008, no. spec, p.95
[2] 大河原
「フランスにおける安楽死立法の最近の動向」
福岡工業大学研究論集,2013年,45年2号65-90頁.
[3] Rapport fait au nom de la mission d information sur
laccompagnement de la fin de vie:Tome I -Rapport ;
Tome II - Auditions, le 30 juin 2004, President et
Rapporteur Jean Leonetti.
[4] 大河原「輸血拒否と安楽死の間」同上2009年,41巻
2号141頁
[5] AN rapp n°1287,Rapport d information fait au nom
de la mission d evaluation de la loi n°2005-370 du 22
avril 2005 relative aux droits des malades et a la fin de
la vie -Tome I :Rapport;Tome II :Auditions(Titre :
Solidaires devant la fin de vie ),par Leonetti,Decembre 2008
[6] Cremer, Folscheid, Modification de larticle 37 du
codededeontologiemedicale:pourquoi la commission
d ethique de la SRLF s est-elle battue pour un
adverbe ? Reanimation 2010 :19 ;718-722.
[7] «
Penser solidairement la fin de vie»
, Rapport de la
commission de reflexion sur la fin devieen France,par
Didier Sicard(委員長), 18 decembre 2012
[8] AN no.970 - Rapport de Leonetti au nom de la
commission des affaires sociales sur la proposition de
loi de Leonetti et al. visant a renforcer les droits des
patients en fin de vie (no.754), deposee le 27 fevrier
2013 -Document mis en distribution le 24 avril 2013 et
XIVe legislature, Compte rendu integral, 2e seance du
jeudi 25 avril 2013, JO Annee 2013, p.5011
[9] Comite ConsultatifNational d Ethique,avis N°121:
«
Fin de vie, autonomie de la personne, volonte de
mourir»
, 1 juillet 2013
正段階(2015年2月5日)では,欧州人権裁判所で,
2015年1月7日口頭弁論が開かれたが(Communique de
presse, CEDH 2 (2015)),その後,判決はまだ出されてい
ない。
本研究は,平成26年度
(2014年度)
科学研究費補助金 基
盤研究(C)
(研究課題:フランス終末期法と「死ぬ権利」
,
研究代表者)による研究成果の一部である。