老年医学におけるサルコペニアの重要性とその栄養との関連 葛谷雅文 名古屋大学大学院 医学系研究科 地域在宅医療学・老年科分野(老年内科) 教授 厚生労働省の予測によると、我が国では 2015 年には“ベビーブーム世代”が前期高齢 者(65 ~ 74 歳)に到達し、2025 年には高齢者人口がピーク( 約 3500 万人、高齢化率 30%)を迎える。しかも、今後急速に高齢化が進むのは、首都圏を始めとする“ 都市部” であり、高齢夫婦+単独世帯(2005 年時点 62.8%)の増加と相まって、介護を始めとす る様々な高齢化問題が増大すると予想される。そこで今回、要介護の大きな要因となって いる frail( 虚弱)およびサルコペニアについて述べるとともに、その予防として重要な栄 養および運動効果に関する臨床試験を紹介する。 要介護の原因 要介護状態とは、ADL( 日常生活動作)や認知機能が低下し、自立して日常生活を送る のが難しい状態をいう。その数は年々増加し、要介護認定者は 2000 年( 介護保険開始年) の 218 万人から、2010 年には 487 万人と倍以上に増加している。したがって、高齢化社 会を迎えるにあたっては、要介護の原因を探り、予防していくことが極めて重要である。 年齢群別要介護の原因を見ると、65 ~ 69 歳では脳卒中などの脳血管疾患が圧倒的に多 いが、加齢と共に減少してゆく。一方で衰弱すなわち frail は、加齢と共に増加し、80 歳以 降に急増する(図 1) 。このように、要介護の原因は疾病だけではなく、80 歳以上ではむし 虚弱 要介護の原因疾患をみると確かに比較的若い年代で要介護状態になる原因は脳血管疾患など疾病によ るもの多いが、75歳以降は徐々に「高齢による衰弱」が原因となる割合が増加し、90歳以上では半 分近くが衰弱による。すなわち、後期高齢者以降の障害の原因は必ずしも疾病に起因しない。 図 1. Causes of dependence (要介護の原因) Nestlé Nutrition Council, Japan September, 2012 ろ frail が大きいことを強調したい。 Frail(虚弱)とは Frail( 虚弱)とは、 “ 老化に伴う種々の機能低下を基盤として、種々の健康障害に対す る脆弱性が増加している状態”と定義されている。Frail の診断基準は未だ国際的に確定され ていないが、Fried らの基準 1)が広く使用されており、①低栄養(1 年間に体重 4.5kg 以上 減少)②疲労感 ③エネルギー使用量( 生活活動量)低下 ④身体能力(歩行速度)低下 ⑤ 筋力(握力)低下の 5 項目で構成される。このうち 3 項目に該当する場合を frail とし、5 項 目中 1 ~ 2 項目に該当する場合を pre-frail としている。 Frail の評価法は世界的に多数存在するが、注目すべきは全ての評価法に低栄養(= 体重 減少)が組み込まれていることである。したがって高齢者にとっての栄養障害は frail に直 結するといえる。また、低栄養は後述するサルコペニアの定義にも組み込まれており、非 常に重要なコンポーネントであることが分かる。 サルコペニアの定義 サルコペニア sarcopenia とは Rosenberg IH の造語で、 “sarco”はギリシャ語の“sarx”由 来とされ“ 肉、肉付き”を、 “penia”は“ 消失、欠如”を意味し、加齢に伴う筋力の低下 または老化に伴う筋肉量の減少を指す。一般にヒトの筋肉量は 40 歳代から年 0.5%ずつ減 少し、65 歳以降に減少率が拡大、80 歳にはピーク時の 30%~40%減少するといわれる。 また、一般に筋肉の減少分は脂肪に置き換わる。 サルコペニアの評価・診断について、Baumgartner RN は DXA ( 二重エネルギーX 線吸 収測定法)を用いて四肢筋肉量を測定し、SMI(skeletal muscle mass index:骨格筋指数)= 四肢筋肉量合計(kg)/身長(m)2 を求め、SMI が 18 ~ 40 歳平均の 2SD 未満をサルコ ペニアと定義した 2) 。国内では真田らが、筋肉量実測値による SMI および SMI 推定式をも とに、サルコペニアを 40 歳以下の被験者 SMI の-2SD 以下、pre サルコペニアを 40 歳以 下の被験者 SMI の-1SD 以下と定義している 3)。 また、European Working Group では、筋肉量減少+筋力( 握力)または歩行速度低下に 該当する場合としており 4)、frail とサルコペニアの評価基準は、かなりの部分がオーバーラ ップしている。 サルコペニアにおける栄養(たんぱく質)および運動の重要性 サルコペニアの原因は良く分かっていないが、栄養および活動量・運動の問題がとりわ け注目されている。以下に、サルコペニアにおける栄養( たんぱく質)および運動の重要 性を示唆する臨床研究をいくつか紹介したい。 我々は比較的元気な老年内科外来通院中の患者および地域高齢者 281 例を対象に、栄養 状態と真田らの定義によるサルコペニアとの関連性を調べた。栄養状態は MNA(® Nestlé Nutrition Council, Japan September, 2012 mini-nutritional assessment:簡易栄養状態評価表)を用いて評価した。その結果サルコペニ アは 3.6%、pre サルコペニアが 32.7%、正常 63.7%であった。また、SMI と MNA 点数との 間に有意な相関が認められ(図 2) 、低栄養リスクまたは低栄養状態がサルコペニアおよび pre サルコペニアの関連因子と判明した( オッズ比=11.17) 。 SMI予測値(真田らの方法)とMNA-SF 点数との関係 r=0.475, p<0.001 SMI実測値とMNA-SF点数との関係 r=0.351, p<0.001 図 2. 骨格筋指数 (SMI) と MNA-SF の関係 Houston DK らは、高齢地域住民 2066 名における 1 日のたんぱく質摂取量を、摂取量ご とに 5 つの群に分け、総除脂肪量および四肢除脂肪量(=筋肉量)を 3 年間追跡した。そ の結果、最高摂取群では最低摂取群に比べ筋肉量の減少が約 40%軽減され、たんぱく質摂 取量と筋肉量減少との間に有意な負の相関を認めた 5)。 また Kim HK らは、運動+アミノ酸による身体機能および筋肉量改善を明らかにした優れ た臨床試験結果を発表している 6) 。サルコペニアと診断された 75 歳以上の地域住民女性 155 例を、運動+AAS( アミノ酸補充)群(n=38) 、運動群(n=39) 、AAS 群(n=39) 、お よび HE( 健康教育、介入なし)群(n=39)の 4 群に無作為に割り付け、3 ヵ月間の介入 を行った。その結果、歩行速度は 3 介入群すべてで有意に上昇、下肢筋肉量は運動+ AAS 群および運動群で有意に増加、膝伸展力は運動+AAS 群で有意に増強した。また、下 肢筋肉量および膝伸展力、下肢筋肉量および歩行速度のオッズ比は、ともに HE 群に比べ運 動+AAS 群で 4 倍以上であった(表 1)。このことから、サルコペニアの高齢者に対して は、栄養( たんぱく質)と運動の併用が極めて有用であることが示唆される。 Nestlé Nutrition Council, Japan September, 2012 表 1. 運動の効果 Change in Leg Muscle Mass and Functional Fitness After Intervention According to Study Group Adjusted Odds Ratio(95% Confidence Interval) Dependent Variable® Change in leg muscle mass and Knee extension strength AAS Exercise Exercise+AAS 1.99 2.61 4.89 (0.72-5.65) (0.88-8.05) (1.89-11.27) Change in leg muscle 1.35 2.41 4.11 mass andusual walking (0.45-4.08) (0.79-7.58) (1.33-13.68) speed Reference;health education *1= improve, 0 = no change or decrease. AAS= amino acid supplementation. Kim HK, et al . J Am Geriatr Soc(2012) おわりに サルコペニアにおいて栄養、特にたんぱく質摂取が重要性であることは、今や数多くの 臨床試験で明らかにされている。国のたんぱく質必要摂取量基準では、高齢者の場合 0.8 ~ 0.85g/kg/day で十分と言われているが、最近では増加すべきとの意見もある。また、加齢 とともにたんぱく質推奨量を摂取できていない者が増加することも報告されており、高齢 者でのたんぱく質摂取量丌足が懸念されることから、今後は高齢者に対する栄養指導が必 要となってくると考えられる。 参考文献 1. Bandeen-Roche K, et al. Phenotype of frailty: characterization in the women's health and aging studies. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 61(3) : 262-266 (2006). 2. Baumgartner RN, et al. Epidemiology of sarcopenia among the elderly in New Mexico. Am J Epidemiol. 147 (8) : 755-763 (1998). 3. 真田ら、体力科学 59:291-302.2010 4. Cruz-Jentoft AJ, et al. Sarcopenia : European consensus on definition and diagnosis: Report of the European Working Group on Sarcopenia in Older People. Age Ageing. 39 (4) : 412-423 (2010). 5. Houston DK, et al. Dietary protein intake is associated with lean mass change in older, Nestlé Nutrition Council, Japan September, 2012 community-dwelling adults: the Health, Aging, and Body Composition (Health ABC) Study. Am J Clin Nutr. 87 (1) : 150-155 (2008). 6. Kim HK, et al. Effects of exercise and amino acid supplementation on body composition and physical function in community-dwelling elderly Japanese sarcopenic women: a randomized controlled trial. J Am Geriatr Soc. 60 (1) : 16-23 (2012). 略歴 1983 年、大阪医科大学卒業。1989 年、名古屋大学大学院医学研究科(内科系老年医学) 卒業。米国国立老化研究所研究員、名古屋大学大学院医学系研究科健康社会医学専攻発育・ 加齢医学講座(老年科学分野)助教授、名古屋大学附属病院老年科診療科長等を経て、2011 年から名古屋大学大学院医学系研究科健康社会医学専攻発育・加齢医学講座(地域在宅医 療学・老年科学分野)教授。専門は老年医学、栄養・代謝、サルコペニア、認知症、動脈 硬化。 Nestlé Nutrition Council, Japan September, 2012
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