『アルコール依存症ってどんな病気?』(その1) (2004年第12回神戸市民酒害セミナーでの講演要旨) 全日本断酒連盟顧問 新阿武山クリニック所長 平野 建二 当掲載記事は2004年、第12回神戸市民酒害セミナーでの講演内容を文章化し、さらに要約しています。 従って、講演内容すべてを伝えるものではありません。予めご了承願います。 Ⅰ.「アルコール依存症との出会い」 今日のタイトルは、「アルコール依存症ってどんな病気?」ということで、顔ぶれを見ると断酒会の会員の方も 多くいらっしゃる。依存症についてはよくご存じだと思うので、復習ということで聞いていただきたい。 その前に、自己紹介を。私は、昭和48年大阪医科大学の精神病学教室に入局。なぜ精神科を選んだかとい うと、実習で各科を回っているときに、精神科が一番ヒマそうに思えたから。しかし、あとで大間違いだと分かっ た。 主任教授は満田久敏。非定型精神病の概念を提唱した世界的に有名な先生。入局して半年ほど経った頃、週 二日はアルバイトに出てもよいとのことで、岸和田市にある泉州病院に行くことになった。泉州病院は、現在新生 会病院の和気理事長が、その2年前に院長として赴任するまで、「鬼の安田か、蛇の○○、情け知らずの泉州病 院」という有り難くない噂が飛び交うほどの病院。 鬼の安田とは、多くの不祥事件が発覚して、何年か前に消えた大和川病院のこと。安田病院の時代に殺人事 件を起こした。名前を大和川病院に変えてからも事件を起こし、結局は廃業した。そんな泉州病院に、和気先生 は院長として赴任。先ず、アルコール専門病棟を立ち上げた。そして、病棟の開放化を進めた。 その頃はアルコール依存症という言葉がなく、慢性酒精中毒と呼ばれていた。そして、病名の後には精神病質 とか性格異常という言葉が付けられていた。もともと人間性に問題があるから、酒でも問題を起こすという考え方。 回復する人もいないから、真面目に治療する医者もいなかった。 当時の日本精神病院協会の専門部会が治療指針として勧めていたのは、慢性酒精患者は入院患者の10%を 超えないように。さらに、一ヵ所に集めると悪いことをするから病棟ごとに分散して収容する。そして、長期間隔離 入院させて酒を飲ませないようにする。ただそれだけだった。 そんな時代に、アルコール依存症の患者だけを集めて、しかも開放病棟にするのは画期的なことで、大変危 険なことでもあった。和気先生が院長になって三年目の時、助っ人として後輩の私が泉州病院に赴任した。その 頃、大阪には三人のアルコール医療の先駆者がいた。 皆さんご存じの小杉、今道、和気、人呼んで御三家。私は四番目。四番目はなかなか辛い立場。お分かりでし ょうが、オリンピックでもメダルは3個しかない。私は和気先生に嫌々断酒会へ連れて行かれた。 現在は社団法人大阪府断酒会。当時は大阪断酒会。現在の尼崎断酒会や阪神断酒会は、それぞれ大阪断 酒会の尼崎支部、阪神支部だった。その頃から大阪断酒会は、「医療、行政、断酒会の三位一体」のスローガン を掲げていた。私が27歳の頃だから、断酒会の人たちは、私より年上のおやじさんばかり。でも、そのおやじさ んたちは新米の医者を大事にしてくれた。 病院には医師や看護師、ケースワーカーという職種があり、いろんなことに取り組んでいた。私もその人たち に揉まれながらの毎日だったが、自然とチーム医療という考え方が身に付いていったようだ。 ところで、私が入局した大阪医大の精神神経病学教室は、アルコール医療とは関係のない非定型精神病が 専門。だから、満田教授もアルコール依存症専門の教授ではなかった。しかし、なかなか偉い先生で、年に一回 教授との面接があった。入局から一年が経った頃、満田教授から、「平野君、今年君はどんな研究をするのか ね」、と尋ねられた。 「先生、お願いがあります。実は船医になって世界を一周したい」。実はその時、既に商船三井と契約していた。 燃料タンクが小さくて、陸地をベタベタとへばりつくように航海する船の船医として契約。予防注射も済ませてい た。満田教授からお許しが出て、それじゃ行ってこいとなったが、丁度その頃、母親が喀血した。これがまた、私 とアルコール依存症とはよほど縁があるようだ。 当時、診断が的確だと評判の高かったレントゲン科の医師に母親のレントゲン写真を診てもらった。午後の三 時頃。その時私は分からなかったが、その先生、完全なアルコール依存症。午後の三時には仕上がっている。 「これはもう肺ガンや! これが肺ガンでなくてどうする!」と診断されて、「ヒェ~大変だ!」。ということで船に乗 るのは諦めた。実は結核だったが、私は最初からアルコール依存症の人に縁があった。 Ⅱ.国で異なる飲酒の文化 いよいよ本題に入る。今の日本の人口は約1億3千万人。そのうち2%、およそ260万人がアルコール依存症。 20数年前は、男性と女性の比率は30対1。一昨年我がクリニックの新患の男女比率は3対1。これは他の医療 機関でも大体同じ。女性のアルコール依存症はこの20年ほどで10倍に増えた。 人口150万人の神戸市にはその2%、3万人のアルコール依存症、またはその疑いのある方がいる。そのうち 男性が2万2千500人、女性が7千500人。今日は女性の方が体験発表されたので、神戸市にはあと7499人 のアルコール依存症の女性がいる。 3万人いるアルコール依存症のほとんどの方が、肝臓病や膵炎、酒が原因のケガなどで一般病院にかかって いるが、まったく治療を受けていない方もいる。アルコール依存症の疑いがある3万人のうち、依存症として治療 を受けている人は1500人ぐらい。そのうち断酒会やAAで回復している人は300人。将来はさらに150人ぐら い回復されていくと予想される。 残りの2万8千500人はアルコール依存症の治療も受けず、何の知識もないままにノーチャンスで不幸な結 果に終わっている。もっと多くの方たちがアルコール依存症の知識を持っていたら、さらに8千550人の患者さん とその家族が救われることになる。アルコール依存症に関する知識が神戸市民に浸透したら、神戸市内の断酒 会はあっという間に9千人の会員を要する大所帯になる。 ◆飲酒文化について さて、アルコール依存症はそもそもお酒がなければ生じない病気。それでは、何故人はお酒を飲むのか。酔う ためなのか。 酔うとは一体どういうことなのか、ということから始める。 日本では、お酒は酔うために飲むといっても驚かないが、もし私がアメリカで、「酔うためにお酒を飲む」と英 語で話したら、おそらく周りの人は身を引いてしまうだろう。これは異常なこと。言葉では「drunk」と表現するが、 日本語の酔いとはニュアンスが違う。 20年近く前、アメリカの有名なブルームさんという女性のお医者さんが日本にやって来た。私たちの病院に も来た。その前の晩、銀座に行った。そしたら何千人ものアルコール依存症者が街に溢れていたという。どんな 人たちかと問うと、お酒を飲んでご機嫌になって、大声でワーワー騒ぎながら歩いていた。ブルームさんにして みれば、その人たちすべてがアルコール依存症になってしまう。 酔い方やアルコールは社会にとってどんな意味を持つのかは、世界中同じではない。皆さんは世界中のど んな人間でも酒を飲むと同じように酔うと思うかもしれないが、世界から見れば日本の飲酒文化や日本人の酒 の飲み方は結構変わっている。 もっと変わった国もある。南米のボリビアにカンバ族という部族がいる。そこでは滅多にお酒は飲まないが、部 族の成人男子が輪になって座り、98度のきついお酒を黙って飲む。ひと言も、何も言わない。ジーッと静かに飲 んで、時がきたらドタッと倒れて寝てしまう。ただ、それだけ。その部族ではそれ以外の酔い方がない。 また、ブラジルにいるウルバ族。ここでも滅多にお酒は飲まない。飲むと人を殺す。しかし、それもまったくルー ルがないわけじゃなく、自分の部族仲間は殺さない。外の村に出かけて、別の部族の首を獲ってくる。これが彼 らの酔い方である。 社会の中で、人が酒を飲むとどのような変化が起こるのか。それにはいくつかのパターンがある。これを飲酒 文化と捉えると、世界には三つの大きな飲酒文化がある。①スピリット文化、②ビール文化、そして③ワイン文化。 (図1参照) 先ず、スピリット文化。タイムアウトという言葉がある。常日頃、私たちはいろいろなルールに縛られて生きてい る。私の生活を例にとると、月曜日から土曜日まではクリニックに出勤する。そこで私は仕事をする。そんなルー ルの日常がある。少々の風邪なら休まない。 ところが、そんなルールがまったく働かなくなる特別な時間帯、それがタイムアウト。例えば、私が病気になっ たとする。風邪ぐらいだと出かけるが、もっと重い病気の時は出勤せずに家でずっと寝ていてもいい。これは普 段のルールから外れているのでタイムアウト。 普段の精神とは違った状態になるためにお酒(薬品)を飲む。これをスピリット文化という。このように普通では ない非日常の時は、たいてい宗教的儀式と絡み合っている。そういう時にお酒を飲むと神がかり的な状態になり 易く、普段とは違う飲み方をする。 従って、このような文化のある地方では、お酒を飲む頻度は多くない。いつも神がかり的な状態になっていて は日常の生活は成り立たない。しかし、酔いの程度、つまりアルコールを飲む前と飲んだ後の精神状態は大きく 変わる。そういう社会では、アルコールは精神状態を変えるための薬物という意味を持っている。 次のビール文化とは、社交のための飲酒。少しリラクッスして、打ち解けて人間関係を円滑にする。そのため に、嗜好品としてアルコールが使われる。だから、この文化の地方では、スピリット文化に比べてお酒を飲む頻 度が高くなる。 しかし、酔いの程度、飲んだ時と飲まない時の精神状態や行動の変化はあまり大きくない。いわ ばホロ酔い状態。これをビール文化という。 最後にワイン文化。ここ150年ぐらいのフランスがその典型。ワインは彼らにとっては食べ物。私たちは秋に なると保存食として漬物をつくる。野菜のない冬の時期それを食べる。それと同じで、フランス人はブドウから造 られたワインも漬物的感覚で食べる。だから、子どもでも朝から飲んで構わない。日本では子供が味噌汁を飲ん でいる、これと同じこと。 ワインを飲んだからといっても行動の変化は現れない。我々が朝、味噌汁を飲んで浮かれ出すことはない。そ れと同じようにワインを飲んでも、日本人的感覚の酔いではない。 アルコールは脳を麻痺させる薬品だから、反射速度や神経の伝達速度を測定したら多分変化があると思う。 本人の心理状況は、少なくとも外見からの行動変化だけでは分からない。有名な話、なだ いなだ(堀内 秀・精 神科医で作家)も書いているが、フランスにも禁酒団体がある。世の中から酒を追放する運動じゃない。 その団体の会合は、ワインを飲みながらやるそうだ。彼らにとってワインは酒ではない。これがフランスのワイ ン文化。ワインの概念は食べ物。即ち、ワインを食べる。そういう社会でアルコールはどういう意味を持つかとい えば、日常茶飯の必需品としての意味合いを持っている。 ★『アルコール依存症ってどんな病気?』(その2) ◆飲酒文化は変化する(図2参照) 飲酒文化は変化する。 スピリット文化 ⇒ ビール文化 ⇒ ワイン文化の順。ある民族がアルコールと出会っ て、最初はスピリット文化、宗教儀式などで使われる。それが日常的に飲むようになって、最後に必需品となる。 実はこの変化、アルコールだけじゃない。アルコール以外にも、脳、中枢神経に影響を与えるいろんな物質があ る。これらはおおよそ同じように変化する。 例えば、カフェイン。カフェインはお茶などに含まれる興奮系の物質。お茶は禅僧の栄西が中国から持ち帰っ たという説があるが、栄西よりもっと前だという説が有力だ。いずれにせよ、お茶は薬品として日本に入ってきた。 お坊さんが眠気を吹き飛ばし、一瞬興奮して研ぎ澄まされた精神状態になって修行する。そのための薬品として、 お茶は日本に入ってきた。 だからあの時代の日本人は、お茶を飲むと精神状態が変わった。それより時代が下がって、茶の湯と結びつ いて、商人や武士の社交に役立ってきた。お茶は高級な嗜好品として扱われるようになった。今はどうか。今の お茶は嗜好品としての意味を失っている。日常茶飯という言葉がある。今演壇のテーブルにお茶がある。これは 喉を潤すための飲み物。このようにお茶の役割は変わってきた。 ニコチン、これも興奮系の依存性物質。タバコはアメリカ先住民の宗教儀式に使われていた。みんなで喫って、 各人が一体の精神状態になる。それが嗜好品として世界に広がった。今やなくてはならないという人も多い。 Ⅲ.日本人の飲み方 ◆日本の飲酒文化 さて、日本の飲酒文化はどうなのか。やはり、日本でも同じことがいえる。古い時代の飲酒文化は、お神酒あ がらぬ神はなしといって神様にお酒とか食べ物を奉る。奉るからお祭りである。奉った後に『直会』。これを何と読 むか分かりますか。ナオライと読む。神様にお酒や食べ物を奉った後に、神人共食といって神様と人間が共に飲 み食いする。神様と一体になる。これを直会という。 い ま 現在私たちがお祭りと呼ぶのはお祭りではなく、直会のこと。本来の祭りは、ひっそりと人目に付かない神社 の奥で行われる。古い時代の日本の飲酒文化は、宗教儀式のためにアルコールが薬品として使われていた。そ れが平安時代になると、大臣大饗といって、現在の宴会の原型に似たものが現れてくる。 大臣大饗は二部制から成る。第一部は宴の座。これは古い時代の宗教的儀式の名残。献という言葉がある が、今でもまず一献とお酒を勧めたりするが、この献というのは、一つの杯が一座の一番偉い人から下されて、 その杯が一座をひと巡りすることをいう。 一献につき酒菜が一つ付く。肴というのは酒菜のこと。関西では今でも魚をサカナとはいわずウオという。関 東ではサカナだが、それは何故か。酒の肴にウオが使われたからサカナとなった。一献に酒菜が一つ、それが 三度一座を巡る、それを式三献といった。宴の座はこのように儀式ばったもので、それが終わると場所を変える。 次は穏の座といって無礼講となる。上も下もないドンチャン騒ぎ。このように大臣大饗は二部制から成っていた。 このパターンは現在の宴会に残っている。先ず、一番偉い人が挨拶する。これが神主の祝詞の部分。そして、 次に偉い人が乾杯の音頭をとる。それが式三献にあたる。その後は無礼講となる。無礼講は日本独特の文化で あるが、日本の社会はある意味、階級意識がはっきりと残っている。一方、最近の日本は、どこの国にも負けな いほどの平等社会で貧富の差も小さくなった。 アメリカでは新入社員と社長の給料は一万倍ほど違うが、日本の場合、大企業の社長と新入社員の給料は 手取りでどれほど違うのか。一万倍とまではいかない。その面では平等社会である。しかし、新入社員が社長に 馴れ馴れしく、「〇〇君」とは絶対に話しかけない。大学教授と学生とが親しくあだ名で呼び合うこともない。現在 この日本において、今でも上下関係に厳しい社会がある。そこには厳然たる階級意識は残っている。 そういった社会の組織を維持するには、その社会に相応しいルールがまったく働かない特別な時間帯、即ちタ イムアウトが必要になる。組織を維持するための安全弁、それが無礼講。その時に、皆が同じように高まるのは 難しい。同じように下に落ちていく方が楽。その時に皆が等しく下に落ちるための便利なモノとしてアルコールが ある。だから、日本の宴会では酔うことが強いられる。 日本の文化は、飲酒に関して寛容だといわれるが、実はそうじゃない。飲むことに関しては案外と厳しい。ただ、 酔っ払うことに関しては比較的寛容だ。同じように酔わないといけないから、宴会に遅れると、「早くワシらのとこ ろまで落ちてこい」と飲まされる。これが駆けつけ三杯。みんな酔っ払って赤い顔をしている時に、白い顔をして いると座がシラける。酒席で飲まなくても、酔っ払った行動をとれば、皆と同じところまで落ちたということで許され る。 最近の飲酒文化はどうかというと、『ハレの日常化』となって、毎日小さなお祭りをしているように飲んでいる。 日常のルールで縛られた日々のことを「ケ」といい、「ケ」ではない特別な時間帯、このタイムアウトを「ハレ」と呼 んだ。「ハレ」の日は普段は着ないハレの服装、つまり晴れ着を身に付けて、普段は食べないハレの物を食べて いた。お酒もそのときに飲むものだった。 い ま ところが今はどうだ。私たちは現在、昔の日本人の晴れ着を毎日身に付ける。普段の食べ物も、昔だったら特 別なときにしか食べられない食べ物。小さなお祭りを毎日するように日常的に飲むようになってきた。こういう変 化は新しいアルコール飲料によってさらに進むようになった。 休日は行楽地に出掛け、昼食時にレストランに入り、ごく当たり前のようにビールを注文する。何もアルコール 依存症の人でなくても、最近ではごく普通の光景になった。ところが、昼時に熱燗を頼む人はあまり・・・いない。 しかし、お酒一合とビール一本ではアルコールの量は殆んど同じ。ところが、ビールは気軽に注文しても、熱燗 一本を頼むのには躊躇する。どうしてか。 まつ これには心理的抵抗があるからだ。日本酒には飲み方に纏わる古い作法が残る。昼の日中一人で飲むもの じゃない、みんなが揃っている夕食時に飲むものだとの認識がある。それをなかなか破れない。普通はそういう 心理的な壁を乗り越えるのは難しい。しかし、その壁を越えたのが断酒会のみなさん方ですよね。 ところで、ビールは新しいアルコール飲料として日本に入ってきた。日本人にはモノは入れるが文化は入れさ せない傾向がある。だから、ビールに関しては如何にして飲むべきかの決まりがない。いつでも、どこでも、誰と でも、という感じだ。だから、昼の日中から何の心理的抵抗もなく気軽にビールを飲む。 最近はどうだろうか。清涼飲料水なのか酒なのか分からないアルコール飲料が出回っている。甚だしいのは、 パッケージが同じでひとつはジュース、ひとつはお酒というのもある。よくよく見たら、未成年は飲まないでくださ いと印刷してある。しかし、これは明らかに今まではお酒を飲まなかった未成年や女性をターゲットにした商品だ。 このように、新しいアルコール飲料によって飲酒文化の変化も速くなり、スピリット文化 ⇒ ビール文化 ⇒ ワイ ン文化へと変化する。 長々と主題とはかけ離れた話をしてきたが、何故こういう話をするのかというと、実は、スピリット文化 ⇒ ビ ール文化 ⇒ ワイン文化へと変わる道筋は、一人の人間が初めてアルコールに出会ってから、段々と日常的に 飲むようになって、最後にはなくてはならない必需品になってしまう。つまり、一人の人間がアルコール依存症に 変化していくのと同じ過程を辿るのと重なる。 Ⅳ.アルコール依存症を知る ◆アルコール依存症とは それでは、アルコール依存症とは如何なる病気なのか。アルコール依存症の症状はたった一つ。それは飲酒 のコントロール障害。要するに、ほどほどの飲み方ができない。即ち、飲み過ぎてしまうことだ。これがアルコー ル依存症の中心症状。 だから、どういう酔い方をするのか、飲んで暴れるとか暴れないとか、そんなことは関係ない。時に酒乱になる 場合もあるが、そんな酔い方がアルコール依存症ではない。そうなるまでに飲み過ぎてしまうのが依存症の症状 である。 ◆飲酒のコントロール障害がもたらすもの 飲酒のコントロール障害がアルコール依存症の中心症状だが、それによってもたらされる結果は、大きく分け て三つある。(図3参照) 一つは身体合併症。飲み過ぎて肝臓や膵臓を悪くしたり、怪我をしたりとか。それにも起こってくる順序がある。 依存症初期の頃からあるのが酔っ払った上での怪我や骨折。これは早い段階から最後まで起こる。依存症の最 終段階で起こってくるのがアルコール性の肝障害と脳障害。 アルコール依存症がかなり進まないと肝障害は起こらない。アルコール性の肝障害があるということは、既に アルコール依存症としてかなり進行した段階といってよい。だから、アルコール依存症を内科で早期発見しなけ ればとよく言われるが、厳密には早期発見ではない。 次に、社会的な障害。家庭がうまくいかない、会話が成り立たない、仕事での信用を失う、友人を失う、職を失 くす、離婚する。お父さんはお酒さえ飲まなければいい人なのにと言われていたのが、酒飲みのお父さんさえい なかったらねぇに変わってくる。 もう一つは心理的な問題。これは、自暴自棄になったり、感情のコントロールが出来なくなったり、うつになった りと症状は様々。自殺とアルコール問題、これには大きな関係がある。こういった障害は、互いに絡み合ってい る。体をこわす ⇒ 仕事ができなくなる ⇒ 家庭が崩壊していく ⇒ 追い詰められて自暴自棄になる と進む。し かし、あくまでもアルコール依存症の中心症状は飲酒のコントロール障害。 ★『アルコール依存症ってどんな病気?』(その3) ◆飲酒のコントロール障害に関する誤解 それでは、コントロール障害はなぜ起こるのか。これについてもいろいろと誤解が多い。知識がないものだか ら、多くの人は飲み過ぎる理由を自己流に考える。そうすると、似たり寄ったりの誤解が起こる。先ずよくあるの が、悩みやストレス、寂しいからそれらを紛らわすために飲み過ぎるという誤解。なかには非常に純情な人がい て、30年前の失恋が原因でいまだに飲み過ぎてしまう人もいると聞く。 しかし、ちょっと考えるとおかしいと解る。これらはあくまでもお酒を飲み始めるきっかけでしかない。飲み始め るきっかけや動機の一部ではあるが、飲み過ぎる理由ではない。もし、これらが飲みすぎる理由であれば、ほど ほどにお酒を飲んでいる人は、この世でストレスも悩みも何にもない人となる。 そういう人を恍惚の人とでもいうのですかね。そんな馬鹿なことはない。人間誰しも悩みやストレスを抱え、時 には気分転換にお酒を飲むこともある。しかし、それはそのとき限りで、それがために肝臓を悪くするまで飲んで しまうことはあり得ない。 誤解その二。これは男の人に多く見かけるのだが、根が好きだからつい飲み過ぎると頭を掻く人がいる。しか し、それがコントロール障害の原因になるとしたら、ほどほどに飲んでいる人は、実は嫌いなのに無理して飲ん でいる人ばかりになってくる。そんな馬鹿なことはない。むしろ、酒好きでもほどほどに楽しんでいる人はたくさん いる。 多くの人が考えるのは、意志が弱いから我慢することができない。責任感が乏しいから後先のことを考えずに 飲み過ぎるという誤解だ。つまり、意志や人間性の問題という訳だ。しかし、それがもし事実であれば、ほどほど に酒を飲んでいる人は、みんな意志が強く、責任感旺盛で人格高潔な人ばかりになってしまう。そして、毎晩精 神力を鍛えるために晩酌をするという話にまでなってくる。そんな馬鹿なことはない。 ◆飲酒のコントロール障害は何故起こる それでは一体どのようにして飲酒のコントロール障害が起こるのか。実はアルコールという物質の性質に原因 がある。ここに依存性薬物の特徴を示す表がある。(図4参照) 依存性薬物とはどんなものかといえば、中枢神 経作用、つまり脳に対する直接作用を持った物質のことをいう。 中枢神経作用には二つのタイプがあって、脳の働きを一時的に抑え麻痺させるタイプ、これを抑制型という。 代表的なのが、モルヒネやヘロイン、そして阿片。モルヒネが鎮痛剤として使われるのは、脳の働きを麻痺させ るから痛みを感じなくなる。 その反対が脳を興奮させるタイプ。代表的なものが覚醒剤。文字通り、覚醒や興奮によって眠れなくなる。興 奮状態になるため、一時的に疲労が取れたような気になる。さらに異常な興奮によって、妄想や幻覚が現れる。 このように脳を直接麻痺させる、あるいは興奮させる、これを中枢神経作用といって、この性質があるものを 依存性薬物という。アルコールは中枢抑制型の依存性薬物。脳の働きを一時的に麻痺させるのがアルコールの 主な作用。人が酒を飲んで酔うのは、酒の主成分であるアルコールによって脳が一時的に麻痺した状態なるこ とによる。つまり、アルコールによる一過性の痴呆、これが酔いの正体。 こう言うと、酒乱型で興奮する人がいると指摘する方がいる。それは、人間の脳は層構造になっていて、脳の 一番深いところに脳幹がある。これは生命の中枢である。呼吸中枢とか心臓を動かすとかの生命維持装置があ るので、ここを壊すと死んでしまう。その上に辺縁系があって、本能や食欲、性欲、そして原始的な感情、怒りや 恐怖とか、そういう本能や原始的な感情をつかさどる部分がある。ここは、爬虫類の脳とも言われている。 その上に、人間で最も発達した大脳新皮質、即ち理性や創造力とか、最も人間らしいものをつかさどる部分が ある。脳がアルコールによって麻痺する時は、層構造の上から麻痺してくる。しかし、場合によっては、大脳新皮 質が麻痺して、すぐ下の爬虫類の脳が剥き出しになる。すると、酔ってスケベになったり、泣き上戸や笑い上戸、 怒り上戸になったりする。 飲んで暴れる様をトラに例えるが、トラは哺乳類で新皮質は発達しているから、飲むとワニになるのが正しい 表現。ワニは動くものにすぐ噛みつく。それが食べ物であろうとなかろうが、動くものには噛みつく習性があり、酔 っ払いはすぐに噛みついてくる。 さらに脳が麻痺すると意識が無くなってくる。なぜ一気飲みが怖いのか。徐々に飲んでいたら吐いてしまって、 脳幹が麻痺するまでにはならないが、一気飲みだと、吐くようになった時には胃には既にたくさんのアルコール が入っている。脳幹部まで麻痺している。やがて呼吸が止まってしまう。毎年学生が急性アルコール中毒で亡く なっているのはこのためだ。一気飲みは非常に危険な行為である。 表の中で、アルコールに続いて表示してあるバルビツレートやベンゾジアゼピン。これは如何なるものか。簡 単にいうと一種の鎮痛剤。腹痛止めとは違って脳の働きを麻痺させて痛みを感じなくさせるタイプの鎮痛剤。市 販のものも結構ある。それがこの分類に入る。 それからすべての睡眠導入剤。これらはすべてベンゾジアゼピン系。睡眠薬による睡眠は、厳密にいえば睡 眠ではない。脳の働きを抑えて意識を失くさせる。アルコールや睡眠薬を飲んで寝るのは、夜に寝て朝起きるの ではない。夜は気絶していて、朝になって意識がたまたま戻ってくることである。 それでちょっとまずいことが起こってくる。そんな普通でない睡眠をある一定期間続けると、人間の持っている 睡眠の覚醒リズムが崩れてしまう。その結果、不眠が起こってくる。睡眠薬の最大の問題は、使い方を間違える と不眠を作ってしまうことだ。 漫然と続けていると、最初の不眠の原因がなくなっているのに、睡眠薬が原因で不眠になることがある。アル コールもまったく同様。眠れないから酒を飲む人がいるが、そうではない。飲み過ぎているから眠れない。結果が 原因になってどんどん悪循環になっていく。 それからもう一つ。軽い安定剤だと内科でも気軽に処方する抗不安剤がある。これらのほとんどがベンゾジア ゼピン系で、睡眠薬と同じ成分。これは精神が安定するわけではない。精神鈍感剤、ただ鈍くなるだけ。だから、 吸収速度を調整して、スコーンと気絶するようになると睡眠薬、気絶する手前のちょっと鈍い状態ならば安定剤。 たったそれだけの違い。精神医療に使われる抗精神病薬とうつ病に使われる抗うつ剤。この二つはまったく違う が、依存性薬物ではない。 これまで述べた作用は、アルコールには全部含まれる。酔って怪我をしても痛くない。たくさん飲んだら寝てし まう。悩みごとも感じ方が鈍くなるから消えたようになる。だから、人は酒を飲む。アルコールと鎮痛剤や睡眠薬、 そして安定剤は作用が同じだけでなく、次に説明するように性質もほとんど同じ。 それで、アルコール・バルビツレート・ベンゾジアゼピン=グループとして、一つのグループにまとめられる。さ らに、同じグループの中では、交差依存という性質があり、取替えや代用が利く。つまり、酒でいうと、ビールが なければ発砲酒という関係。 ★『アルコール依存症ってどんな病気?』(その4) Ⅴ.精神依存と身体依存 ◆依存性薬物の性質と行動の変化 アルコールは中枢抑制型依存性物質の一種。依存性薬物にはいくつかの共通した性質がある。先ず、すべて の依存性薬物に例外なく見られるのが精神依存という性質。どういうことかというと、依存性薬物が体内に入っ て脳に変化を起こす。その変化が本人にとっていい効果がある、即ち気持ちがいいとか憂さを晴らすとか、そう 感じた場合、その記憶が残る。これを報酬効果という。 報酬効果を覚えると、その記憶によってまた同じ効果を期待する気持が起こる。これを精神依存という。こが 再び同じ薬物を使いたいという心理的な原動力になっていく。例えば、凄い痛みがある時に、モルヒネ注射で痛 みが取れて救われたとする。すると、その記憶によってまた注射してもらったら同じ効果があると期待するのが 精神依存。 アルコールにも精神依存があるから人はお酒を飲む。アルコールは他の物質と違って、文化と結びついてい る。ごく普通にお酒を飲む人であっても、自分から飲む人は大なり小なり精神依存があるから飲む。お酒を飲ん で脳が麻痺した状態がいいと感じたことがあるからお酒を飲む。 う ま よくお酒の味が美味いと味覚のように話す人がいるが、アルコールには匂いはあっても味は無い。アルコール を味覚として感じる感覚器官は人間にはない。だから、美味しいと感じるのは味のことではなく、過去の経験から くる脳の麻痺する加減に期待を込めてただ美味いと言っているだけ。 それが証拠に、美味いと言っている酒のアルコールをすべて抜いても味は変わらない。しかし、アルコールを 抜いたお酒を美味いとは言わない。それでは酔う効果がないからだ。酒が美味いというのは酒の効果に期待す る精神依存をひっくるめて、ただ美味いと言っているだけ。 ところが、精神依存は学習効果といっていい経験の回数を重ねることで、段々と依存性が大きくなる性質があ る。精神依存が大きくなることは、その人にとってその薬物の価値が段々上がること。精神依存が病的なまでに 大きくなると、その人の行動に影響が現れてくる。これが薬物探索行動。 薬物を使うことが本人にとってマイナスになることは理屈では分かっている。そして周囲からも止められている。 それにも拘らず、知恵と工夫をめぐらして薬物を手に入れようとする行動が薬物探索行動。アルコールならば飲 む口実も考えないといけない。 例えば、毎晩懐かしい友人に会うことも飲む口実になる。また、いろんなところに隠して飲む。この様にいろん な努力をする。こうした薬物探索行動が現れることは、その人の薬物に対する精神依存が病的な段階にまでな っている証拠。 ところで、このような精神依存は元々人間には無い。依存性薬物が精神依存を形成する性質を持っている。 チンパンジーでも同じことが起こる。しかも、薬物の種類でその強さのランクが決まっている。表でプラスの数が 多いほど精神依存が強い薬物。これでお解りのように、第一ランクがモルヒネとかコカイン。ところが、アルコー ルは意外に精神依存が強い物質で、覚せい剤と同じくらいかちょっと上のランク。 覚せい剤は何が危険かというと、それが体内に入っている時の作用が危険だ。幻覚や妄想が現れて、異常な 行動を起こす可能性がある。それから、一回の使用で生涯続くような後遺症が残る可能性もある。そう言ったこ とが危険なのだ。依存症そのものは、アルコールの方が上のランク。表は総合的に依存性が強い順番に示して いる。 依存は下から上のランクへ進行するが、上から下には進まない。だから、過去のシンナーから始まって、覚せ い剤の依存になる。覚せい剤はうまくやめられたのに、アルコール依存症になった。こういう人は結構いる。しか し、この逆は無い。アルコール依存症は克服したが、覚せい剤中毒になった人はいない。アルコールが覚せい 剤より依存性が上だから。 それからもう一つ。依存性薬物にみられる性質で特徴的なのは、耐性と身体依存。精神依存は全ての依存性 薬物に共通しているが、この二つの性質は薬物によっては無いものもある。耐性と身体依存という性質がきちっ と揃っているのはモルヒネ型とアルコール型、この二つのグループだけ。この二つの依存性薬物は一点を除い て、間仕切りが要らないくらいよく似ている。このことについては後ほどお話しする。 耐性とはどういうことか。使っているうちに、その効果の現れ方が次第に鈍くなってくる。だから従来よりも量を 増やさないと同じ効果が得られなくなる。そういう性質だ。モルヒネはおよそ50倍まで増える。アルコールや睡眠 剤、鎮痛剤はそこまではならないが、数倍までは増える。ただし、モルヒネ型の耐性は、効果が現れるまでの量 も上がるが致死量も上がる。 アルコール型は、同じ効果が現れるまでの量は上がるが、致死量はそんなに上がらない。だから、段々幅が 狭くなってくる。効かない、効かないといっても量があるレベルを超えたら息が止まる。あるいは、アルコールを飲 んでいて、そこに少しだけ睡眠薬や安定剤を飲んだだけで致死量になる。 それでは、耐性は何故起こるのか。どうやらこのモルヒネ型とアルコール型のグループには神経適応という性 質があって、このような薬物が初めて体内に入った時から、その人の脳の微小構造にちょっとした変化を起こす らしい。そして、この変化は元には戻らない。従って、この系統の薬物が体内に入る度に、その変化が積み重な って段々と進行する。これは、知能とか性格の変化ではない。薬物によって起こる変化である。 この変化が進んでいくと最後にどうなるか。アルコールを例にすると、アルコールは本来薬物。しかも、残念な がら強力な細胞毒の一種でもある。アルコールはバイ菌を殺す殺菌剤。私たちの体は細胞の集まりだから、体 にアルコールが入ると細胞は壊れる。しかし、体全部で60兆から70兆の細胞からできているから、細胞が悲鳴 を上げても人間は酔いを楽しんでいる。体内にアルコールが入ることは、人体にとって非常事態発生ということ だ。 ところで、肝臓は解毒作用や毒物を分解する働きを持っている。ここを通ってアルコールは分解される。これ は何十年も前から解っている。エチルアルコールはアセトアルデヒド、さらに酢酸になって、最終的には水と炭酸 ガスに分解される。普通はこれだけだが、長年飲んでいるうちに脳の変化が段々積み重なる。それがあるレベ ルを超えると、脳の中に新しい回路が生まれるのではといわれるようになってきた。 中でも興味深い仮説がある。アルコールが分解される途中で生まれるアセトアルデヒドと脳の中にある神経伝 達物質のドーパミンが結合する。すると、テトラハイドロイソキノリン・・・(これはモルヒネの20倍から50倍も強い 神経遮断作用がある物質で、脳内麻薬物質とか脳内モルヒネ物質と呼ばれている)・・・を合成する回路が、ある 時期に完成するらしい。 それをもって身体依存が完成すると唱えるのが先ほどの仮説。こういう人がお酒を飲むと、脳の中に麻薬物 質が形成される。それが原因でいくつかの変化が現れてくる。 ◆依存によって起こる身体の変化 先ず、酔い方そのものが変わってくる。何故か。普通の酔いは、アルコールによって脳が麻痺するだけの話す べてのことを忘れさせてくれるような大それた効果はない。ところが、身体依存が形成された、つまり麻薬物質を 作る回路が完成した人がお酒を飲むと、酔う過程でモルヒネの効果が加わる。 すると、さらに強い遮断作用が起きて、自分の置かれた不安な状態から解放される。つまり、自分だけの世界 に入ってしまう。それによって精神依存がさらに強くなる。また、別の世界にいた時の記憶が抜けることがある。 深酒をして寝るという条件が必要だ。 朝起きた時に、前の晩の記憶がボコッと抜けている。全部の記憶じゃなく、あるところまでは覚えているが、そ の後のことは全く覚えていない。これがブラックアウト。生まれて初めてそれを経験した時が、身体依存の回路が 完成するかしないかの境目だと言われている。断酒会の会員の多くは20代で経験しているのではないか。ブラ ックアウトは一生経験しないのが普通だ。 そして、酔い方にも変化が起こる。普通の酔いは運動障害が起こる。舌がもつれたり足元がふらついたり。さ らに、アルコール濃度が上がると意識が飛んでしまう。しかし、アルコール依存症の人はこの順序が逆になる。 喋り方も歩き方もしっかりしているのに、先に意識が飛んでしまって気が付いた時には覚えていないことが多い。 飲酒欲求にも変化が起こる。何故か。お酒の効果は単に脳が麻痺するだけ。例えば、普通の状態をゼロとし て、お酒を飲んでプラス10だけ気持ちがよくなったとする。マイナス10のしんどい状態からは上手くいって、せい ぜいプラスマイナスゼロの状態まで。普段お酒を楽しんで飲んでいても、しんどいとか苦しい状況では飲酒欲求 は自然になくなる。飲むどころじゃないから飲むことを思いつかなくなる。 ところが、身体依存が完成した人はその反対。つまり、アルコールを飲むことで脳に麻薬物質が現れる。麻薬 の効果が凄いのは、マイナス50の辛くて苦しい状態からでもプラス50の状態までもっていける。ゼロからプラス 50よりも、マイナス50からプラス50に成る方が効果は大きい訳だから、こういう時にこそ飲みたくなる。 依存症の人は、「子どもが交通事故に遭ってお酒を飲んだ」とか、カミさんが入院したのでお酒を飲んだ」、と 言い訳をすることが多い。普通これはお酒を飲まない理由だ。アルコール依存症は、今こそ飲んではいけない時 に限って飲んでしまう病気である。ついには飲酒のコントロール障害が起こる。これは離脱症状とも関係するの で、先にアルコールの離脱症状について次に話しておきたい。 ◆離脱症状(図5参照) 身体依存が完成すると、アルコールを飲むことで脳の中に麻薬物質が生まれる。しかし、いずれ脳の中では 麻薬が切れる。そのために禁断症状が現れる。まだお酒が少し残っている、あるいは切れ始めの状態から起こ る症状を小離脱症状という。手の震えや発汗、特に寝汗として自覚する場合が多い。 寝ている時に切れる場合が多いから不眠やイライラ、また嫌な夢を見る。時には痙攣発作やアルコールの離 脱発作といってひきつけを起こす。これはよくテンカンと間違われて専用の薬を処方されることがあるが、本当は 何の治療も必要ない。 次に吐き気やシャックリ。酒をやめ始める頃は、水を飲んでもモドしていたのが、おも湯なら口に入るようにな る。次に麺類が食べられるようになる。四日目にもなると、何でもバリバリ食べるようになる。あとは暫く不眠が続 くだけで離脱症状が終わる人が多い。小離脱症状も落ち着いてきた三日目の晩あたりに最も強い離脱症状が現 れてくることがある。 これを大離脱症状あるいは振戦せん妄といって、意識が半分曇った上にいろんな幻覚が乗りかかる。小動物 幻視といって蛇や虫が幻覚の中に現れてくる。また、職業せん妄といって夜中になって、これから仕事に行くと言 い出すことがある。このような状態は昼間には軽くなり、夜になってまた酷くなったりする。一晩か二晩、長くて三 晩。その間ほとんど眠らないが、ついには終末睡眠という深い眠りに落ちる。そして、目を覚ましたら普通に戻っ ている。 離脱症状の程度は、酒をやめる前の一ヵ月間の飲酒パターンによってほぼ決まる。同じ人でも出たり出なか ったりするのはそのせいだ。振戦せん妄は、いったん始まるともう止まらない。自然に終わるのを待つしかない。 他人に危害を加えることはなく、むしろ危険から自分の身を守れなくなる恐れがある。 危険がないように誘導してあげるとか気を付けてあげれば、あとは時間が経てば落ち着いてくる。また、電解 異常が起こらないようスポーツ飲料を飲ませることだ。夜は幻覚を誘発しやすいので、豆球ぐらいは点けておくよ う注意すれば入院しなくとも大丈夫。単身の人は入院しないと危ないが。 このスライドは、ある美術の先生が、自分が体験した幻覚を思い出して描いたもの。(図6参照) カーテンにシ ャレコウベや西洋の棺が描かれている。女性の脚が怪物に見えたようだ。花が女性の怖い顔になる。この先生 は、花と女性が怖いイメージとして重なっている。何故だろうと思っていたら、奥さんが面会に来た時その理由が 判った。 ★『アルコール依存症ってどんな病気?』(その5) ◆飲酒のコントロール障害 身体依存が完成すると、やがて離脱症状が現れる。続いて飲酒のコントロール障害も現れる。多くの人が、意 志が弱いからほどほどの飲み方ができないと誤解している。診察の時、奥さんがよくグチをこぼす。「この人は意 志が弱いから我慢できないのです」。 そこで、「それでは奥さん、あなたが意思を強く持って、ご主人と同じように肝硬変になるまでお酒を飲むことが できますか」と尋ねる。「それはできません」と答える。「それじゃぁ、それは奥さんの意志が弱いからじゃないです か」という話になる。これは意志が強いか弱いとかの問題ではない。(図7参照) 水を飲む場合を考えてみる。誰でも喉が渇けば水が飲みたいもの。喉が渇いてコップ一杯の水を飲むと喉の 渇きは小さくなる。続いて二杯目を飲むと喉の渇きがゼロになったとする。すると、三杯目は我慢しなくてもよい。 むしろ、よほど意志が強くないと三杯目は飲めない。四杯目となるともう飲めない。この様に水を上手に飲もうな んて思う人はいない。意志がどうのこうのという問題ではない。アルコールも同じこと。 アルコールの場合、水と違って最初の一杯を飲みたいという欲求はいろいろある。それは精神依存、過去の 記憶からくる期待だから飲みたいと思うきっかけは人それぞれ。憂さを晴らしたい。楽しくなりたい。信号が赤に なった。雨が降った。きっかけは何でもよい。 普通は一杯飲み、二杯飲みしたら満足してもう要らなくなる。それ以上無理して飲もうとすると吐いてしまう。だ から、体を悪くするまで飲み続けるのは思ってもできないこと。はじめは誰でもそうだ。しかし、長年飲んでいくう ちに身体依存が出来上がる。 そんな人が最初の一杯を飲むと一旦は満足するが、その一杯がいわば引き金や弾みとなって、脳の中に麻 薬物質が形成される。すると今度は、麻薬物質からくる病的な飲酒欲求が現れて、さらに二杯目が欲しくなる。 二杯目を飲むと脳の中に麻薬物質がさらに増えるから、三杯目に対する欲望がもっと増す。そして四杯目と次々 同じことが起きるからさらに飲みたくなる。こうして飲酒のコントロールが利かなくなる。(図8参照) この病的な飲酒欲求が小さいうちは飲む量を控えようとか節酒しようとか、何とかコントロールしようと努力す る。しかし、コントロールしようと考えているのはコントロールを失った人だから、最初から矛盾する。始めのうち は飲み過ぎないようにしていても、次第に量が増え、結局ズルズルと飲むようになっていく。 このような飲み方が続くと、脳の中には麻薬物質が一杯になってくる。こんな状態になってお酒が切れるという ことは、脳の中の麻薬物質が切れるということ。そうすると、麻薬が切れた時のような離脱症状が現れる。離脱 症状が出て苦しいから酒を飲むと、切れかけていたモルヒネが元に戻るので楽になる。これでお酒の価値がま た上がる。最終的には、脳の中に麻薬物質が多くてもいけないし切れてもいけないことになる。そのために飲む パターンが固定化して同じ飲み方になる。(図9参照) ところで、お酒には、結婚式や法事、晩酌とかお付き合い、仲間と飲んだり、一人酒といろんな飲み方がある。 身体依存が完成すると、どんな飲み方から始めようとも最後は皆同じワンパターンになる。最初の一杯は貪欲 飲酒といって水やお茶のようにキューとイッキに飲む。脳内麻薬物質を早く一杯にするためである。 その後は、一度に飲み過ぎないように、アルコールが切れないようにと、麻薬物質の分解速度に合わせて飲 む。つまり、少量ずつ何回にも分けて飲む。少し飲んでは寝て、目を覚ましてはまた飲んでという飲み方になる。 通常24時間以上もの間こんなの飲み方をする。これを連続飲酒発作という。 これを横から見ていると、飲み方が波を描くようになっている。初期の頃は、ウィークデーには飲み過ぎないよ う意識して頑張っている。しかし、明日は仕事が休みだと深酒になり、休日には昼の日中から飲むようになる。や がて、月曜日まで飲酒が及び、さらに火曜日にはまた飲んでしまう。 さらに進むと、飲んだり止めたりの繰り返しになる。飲み過ぎて体が酒を受けつけなくなる。入院して飲めない 状態に追い詰められて仕方なく酒をやめる。このように、飲み過ぎるか止めるかの飲酒パターンを山型飲酒サイ クルという。 今迄の話をまとめると、先ずお酒を飲む ⇒ 報酬効果、つまりいい経験をする ⇒ だからまた飲む ⇒ 脳の 構造が変わって次第に量が増えてくる。そして、それを繰り返す ⇒ 脳に麻薬物質を作る回路が完成する ⇒ 酒が切れると離脱症状が現れる。苦しいから酒を飲んで離脱症状から逃れようとする ⇒ 飲むと楽になる。報 酬効果を経験する ⇒ さらに精神依存が大きくなっていく。つまり、アルコールの価値が一層高くなる。こういっ たことが繰り返されて螺旋のように進行する。(図10参照) Ⅵ.さあ これからどう生きる ◆依存を進行させる条件(図11参照) アルコールという薬品そのものに人間の脳を変化させる作用がある。従って、アルコールを飲む人は全員ア ルコール依存症になるはずだ。ところが、現実はそうではない。そこが唯一、アルコールグループとモルヒネグル ープとの違い。 モルヒネは、毎日使用すると半年ほどで身体依存が完成する。アルコールの場合、その変化は遅く、多くの人 は身体依存が完成する前に寿命が来る。生きている間は身体依存にならない人の方が多い。これが、アルコー ルが麻薬として扱われていない理由。 そのアルコールでも、一部の人には変化が早く起こる場合がある。人口の約2%の人に起こる。それでは何故 一部の人は早く身体依存になるのか。それにはいくつかの要素がある。一つは、依存を獲得しやすい体質。これ は無視できない。 双生児の研究で解ったことがある。一卵性双生児が生後数週間以内に里子に出され、全然環境の違うところ で育っても、片方がアルコール依存症になっていると、片方も50%の確率でアルコール依存症になる。つまり、 育ての親よりも実の親がアルコール依存症の場合、依存になる確率は高くなる。 従って、実の親がアルコール依存症の場合、他の人よりもアルコールによる依存を獲得しやすい素質がある のは間違いない。それとは別に、飲める体質と飲めない体質、これもはっきり解っている。 モンゴロイドの場合、アセトアルデヒドを酸化する酵素が全て揃っている人と、それが不完全か欠けている人 がいる。そのため、酒に強く飲める体質の人と、少し飲んだだけで赤くなりあまり飲めない体質の人に分かれる。 これは飲める体質かどうかであって、依存が身に付きやすいかどうかとはまったく違う。 ところで、酒豪でも依存になりにくい人もいる。逆に、あまり飲めない体質であっても頑張って飲めば、依存症 になりやすい人もいる。依存になる一番の条件は、飲める体質で、且つ依存ができ易い素因を持った人となる。 しかし、これは遺伝病ではない。一卵性双生児でも一致率は50%。遺伝病だったら100%。他にも条件が必要 となる。 飲み始めの年齢が若ければ若いほど、早く依存が形成されやすい。未成年飲酒禁止法が成立した時は、こ のことが解かっていたわけではないが、意味あることだ。習慣性飲酒とは、週4回以上飲む場合を指す。毎日と なると常習飲酒。このような習慣が身に付くと依存形成に加速がつく。 もともと日本には晩酌という習慣はなかった。これが庶民の間に広まったのは大正時代。それまでの日本人 は、ごく一部の富裕層を除いて日常的に飲酒することはなかった。毎日白いご飯を食べる人がどれだけいたか。 お祭りや宗教的な行事の時にしかお酒は飲まなかった。しかし、大正時代を過ぎるころから晩酌をする人が増え てきた。 い ま しかし、現在も毎日酒を飲む人は思ったほど多くない。不思議なことに、飲む人には似たような人が集まる。飲 む人の周りには飲む人ばかりになるので、世の中みんなそうだと錯覚する。手術で胃の一部を取った人も依存 が進みやすい。胃の吸収面積が少なくなるとアルコールが直ぐ小腸に届くので、吸収速度もグーンと速くなる。 急激なアルコール濃度の上昇と下降、これも依存を早める。 女性は男性よりも早く依存になり易い。だから、女性は酒を控えるとか飲まない文化を持つ民族が多い。依存 の理屈など分からなくても、何千年もこういう危険な薬品と接してきた経験から、女性は飲まない方がいいと自然 と身に付いてきた。 日本でもそうだった。 少し前まで女性はお酒を飲まなかった。ところがこの20~30年で、女性がごく普通に お酒を飲む社会になり、女性のアルコール依存症は10倍に増えた。その昔、アルコール依存症の男女比は3 0:1。一昨年私どものクリニックでは初診の男女比は3:1。 その他にも、飲酒を誘う環境や文化がある。また、神経症や気分障害を持ちながら、薬物のようにお酒を飲む と依存を早めやすい。そんなことが重なって依存になる人が増えた。つまり、断酒会の皆さんは、よい素質に恵 まれ、よい環境の下で人並み以上に飲んだので、多くの人が一生かかっても獲得できないアルコール依存症の 体質になってしまった。 一度身体依存が完成すると、この体質は元には戻らない。だからいくらお酒を止めていても、一杯口に入ると 脳内麻薬が形成されるので、飲酒のコントロール障害が再び起こる。しかし、原因の素が身体に入らない限り脳 内麻薬は生まれない。最初の一杯に対する欲求は精神依存。これは過去に飲んでよい経験をしたことからくる 期待で、飲む人なら誰にでもあるごく普通の欲望。これをコントロールできないことはない。 従って、まったく飲まなくても日常は送れる。しかし、ほんの少しでもアルコールを口にすると、飲酒のコントロ ールはまったく利かなくなる。これがアルコール依存症の怖さ。それを利用して、最初の一杯をやめ続けることが 最善の治療であり、これからの人生にも目的が持てる。 人は生まれた時に、一生かかって飲んでもよい量が天国の台帳に書かれている。依存症になった人は、多く ひ と の人が一生かけても飲めない量を飲んできた。これから飲む酒は、他人の酒だからツケを払わないといけない。 依存が完成した人は、世の中にあるアルコールは全て他人のもので自分のものは一滴も残っていないと考えて 欲しい。 身体依存の体質は一生戻らないのか、はっきりしたことは分かっていない。しかし、50年は駄目というのは分 かっている。アメリカで50年断酒して、その後一杯飲んで酒が止まらなくなって死んだ人がいた。50年は駄目だ。 ただ51年は分かっていない。だから皆さんは、一生とはいわず、51年を目標に頑張っていただきたい。 いよいよまとめ。飲み急いで依存症になった人は、自助グループに参加して、お酒のない人生を楽しんでも らいたい。まだ依存症になっていない人は、自分の持ち分をゆっくり楽しんで欲しい。アルコールは依存性薬物 であることを忘れずに。(図12参照) 断酒会に身を置く皆さんはお分かりと思うが、依存症から回復するのは並大抵の努力ではない。一滴のアル コールも口にせず生きて行くのは、アルコール依存症の人にだけ難しいのではない。誰にとっても難しい。断酒 を継続するには、普通の人以上に質の高い生き方を目指すことになる。依存症になったからこそ分かる人生の 歓びもある。「病気はマイナスのことばかりじゃない。病で人は豊かになることもある」。恩師満田久敏教授の言 葉で終わる。(完)
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