11 1. 「コミュニティ」こそ地域資源 ―― リソース 「自作自飲」のコミュニティビール『野老ゴールデン』が名実ともに誕生したのは、2014 年 2 月 9 日の「 『野老ゴールデン』 オープンタップ・パーティ」の日でした。しかしその前史 は、2009 年 10 月、現在の(株)ベルビア共同経営者緒方と吉村が、市内のとある飲み屋で「所 沢産の麦で自前のビールを作って飲みたいね」とつぶやいた時にまでさかのぼります。 この思い付きからコミュニティビール『野老ゴールデン The First Brewing in Tokorozawa』 ( 『野老ゴールデン FBT』 )の誕生まで、たくさんの物語が生まれました。 それらの物語と『野老ゴールデン』そのものを生み出すリソースとなったものは、所沢とい う、私たちが豊かな人間関係を結び育ててきたコミュニティです。 ある人は所沢麦酒倶楽部の会員として、倶楽部の麦畑で種まきや麦踏み、草取り、収穫とい った農作業を担います。大麦の生産には市内の数件の農家がその農地と栽培技術を提供してく れました。地ビール醸造所の土地と建物を貸していただいたのは、かつて所沢産麦を精麦して いた斎藤精麦経営者のご子孫でした。醸造所の設備を作り上げるために時には無償で専門技 術・技能を提供していただいた方は 10 数人に及びます。その多くも「飲み仲間」だったり市 内の友人や顔なじみ、 「友人の友人...」たちです。 もちろん、 『野老ゴールデン』を消費者に届けていただいている飲食店や酒販店の多くも、 緒方や吉村のなじみの店だったり、小・中・高時代の「ダチ」やその仲間たちだったりします。 所沢には、 「地ビール」というもっとも現代的なトレンドを実現するために不可欠な、専門技 術・技能や建物や信用やもろもろのなにかを持っている友人・知人・仲間たちがたくさんいて、 そうした人たちに『野老ゴールデン』の誕生は支えられてきました。 これは私たちにとって驚きの発見でした。むろん『野老ゴールデン』を支えていただいてい る人たちは所沢市外にもたくさんいます。緒方や吉村などが東京でいっしょに仕事をするなど の機会を通じてつながった人た ちも少なくありません。見学・ 研修にご協力いただいた地ビー ル醸造所などは、主だったとこ ろだけで 15 か所に及びます。 そうした、とても広い「人の つながり」を作り育ててきたジ モト、所沢という「コミュニテ ィ」こそ、私たちにとってまず 第一の「地域資源」だったので す。 図 1 消費者参加型地ビール生産(麦の種まきに向けた「専門家の講義」 ) 12 所沢市の人口動態 400,000 350,000 300,000 単位:人 250,000 所沢市人口 200,000 転入数(黄緑) 150,000 転出数(紫) 100,000 出生数(青) 死亡数(茶) 50,000 2011年 2009年 2007年 2005年 2003年 2001年 1999年 1997年 1995年 1993年 1991年 1989年 1987年 1985年 1983年 1981年 1979年 1977年 1975年 1973年 1971年 1969年 1967年 1965年 1963年 0 「その他」に分類される増減値(職権記載・職権消除の差引)は、社会動態(転入または転出)に算入。1985 年以降は外国 人登録人口を含む。 図2 所沢市の人口動態 1963 年から 2011 年(各年の所沢市統計書より作成) 所沢市人口の自然動態と社会動態 12,000 10,000 単位:人 8,000 6,000 自然動態 4,000 社会動態 2,000 2011年 2009年 2007年 2005年 2003年 2001年 1999年 1997年 1995年 1993年 1991年 1989年 1987年 1985年 1983年 1981年 1979年 1977年 1975年 1973年 1971年 1969年 1967年 1965年 -2,000 1963年 0 「その他」に分類される増減値(職権記載・職権消除の差引)は、社会動態(転入または転出)に算入。自然動態:出生数 ー死亡数 社会動態:転入数ー転出数。1985 年以降は外国人登録人口を含む。 図3 所沢市人口の自然動態と社会動態(各年の所沢市統計書より作成) 13 (1)埼玉都民の「ジモト」 私たちの所沢麦酒倶楽部が活動を始めた 2010 年代当初は、所沢市にとってある意味で象徴 的な時期でした。人口減少期が始まり、同時に「郊外第 1 世代から第 2 世代への交代」の進行 が人口統計上でも明確になった時期だと思います。 私たち自身が日々暮らしているコミュニティを考えると、そこでは「歴史的伝統的な文化と 習慣が(支配的に)働いている」というイメージが大きく流動化していることをに気づきます。 そして今後もこれは変化し続けるでしょう。たとえばそれは「地元」から「ジモト」への変化 です。 近年社会学の若手研究者として注目されてきた鈴木謙介さん(関西学院大学)は、「…「ジ モト」とは、たとえば若者たちの間では、生まれた街を指すこともあるし、ふだんよく遊びに 行く駅の周辺を指すこともある、かなりあいまいな概念であるが、同時に、その人にとって、 かけがえのない場であるととらえられているものだ」と定義しています1。 以下では所沢におけるこの変化の背景について、いくつか見ていきたいと思います(図2、 図3、図4) 。 所沢市の出生率・死亡率・転入率・転出率 16.0% 14.0% 出生率 死亡率 転入率 転出率 12.0% 10.0% 8.0% 6.0% 4.0% 2.0% 1963年 1965年 1967年 1969年 1971年 1973年 1975年 1977年 1979年 1981年 1983年 1985年 1987年 1989年 1991年 1993年 1995年 1997年 1999年 2001年 2003年 2005年 2007年 2009年 2011年 0.0% 「その他」に分類される増減値(職権記載・職権消除の差引)は、社会動態(転入または転出)に算入。 自然動態:出生数-死亡数,、社会動態:転入数-転出数。1985 年以降は外国人登録人口を含む。 図4 1 所沢市の出生率・死亡率・転入率・転出率(各年の所沢市統計書より作成) 『<反転>するグローバリゼーション』NHK 出版 2007.7 p.iii。太字は引用者。 14 ■人口減少期が始まっている この時期、所沢市の人口統計は ・出生数と死亡数 ・転入数と転出数 がいずれもほぼ均衡し、 所沢市人口は減少へと向かっていることが示されています (図 4 参照)。 むろん、所沢市の 34 万人という人口規模は、地域経済を支える市場規模としても独自の文化 を発展させるコミュニティとしても、十分なサイズです2。 1990 年代の初めから、市街地再開発・駅前再開発(高層マンションの建設)などの人口減 少に対する対策的施策が行われた年には、転入数が小さなピークを形成していますが、中長期 的傾向として人口動態はゼロ(均衡)から減少に向かってきました。むろんこれは、全国的な 人口の減少傾向が、所沢という私たちのジモトで も起きているということにほかなりません。 所沢市の人口ピラミッド(人) 郊外第 1 世代の高齢化が進行する中で、人口減 少はこれからも続きます。毎年人口の 10%以上が 宅地開発によって流入し続けた 「激動の 10 年」 (図 3 グラフ左側のピーク)のツケを所沢は今払わさ れているとはいえ、出生率が長期にわたって低下 し続ける地域コミュニティに未来があるとはなか なか言いにくというのが、私たちから見えた所沢 の現状でした。 3 ■「郊外第 2 世代 」の人口は、第 1 世代を上回っている これと同時に、2013 年 1 月 1 日の所沢市の人口 ピラミッド(図 5)を見ると、戦後の「ベビーブ ーム世代」 (郊外第 1 世代)のピーク人口よりも、 「第 2 次ベビーブーム世代」 (郊外第 2 世代)のピ ーク(40~44 歳)人口が多いことに気づきます。 所沢の地域コミュニティにおける中心的な構成メ ンバーは、 「郊外第 2 世代」に交代してきていると いうことです。 この世代交代については、所沢市の行政経営推 543 95~99歳 1,996 90~94歳 4,790 85~89歳 9,112 80~84歳 14,866 75~79歳 20,455 70~74歳 23,420 65~69歳 26,714 60~64歳 55~59歳 20,180 50~54歳 20,404 23,854 45~49歳 40~44歳 28,416 35~39歳 27,213 22,757 30~34歳 20,372 25~29歳 18,551 20~24歳 15,732 15~19歳 10~14歳 15,066 5~9歳 14,562 0~4歳 14,076 0 進委員を務める藤井多希子さんが、講演「東京圏 郊外の過去、現在、未来(1)データからみる東京圏 85 100歳~ 10000 20000 30000 所沢市統計書平成 24 年版より作成(2013.1.1 現在) 図5 所沢市の人口ピラミッド たとえば、アメリカ南部のニューオリンズ市が、 「ニューオリンズ・ジャズ」という初期ジャズのスタイルを確立してルイ・ アームストロングを育てた時代、その人口は現在の所沢市とほぼ同じ約 34 万人でした(1910 年/ US Census Bureau) 。 3 ここでは、 「郊外第 2 世代」を、大都市周辺の衛星都市が大量の人口流入で急速に拡大した時期に流入した人たち(流入 第 1 世代) の子供世代だけでなく、 その地域にそれ以前から暮らしている人たちの子供世代を含むことばとして使っている。 2 15 郊外」4の中で、所沢市内の事例研究(藤井さんは所沢出身)も含めて、(世代間で)「住み継が れる地区」と高齢化が深刻化して「捨てられる地区」の分布について分析をしていました。そ の結論を見ると、 ・ 「商工業地区」 「持家戸建住宅地区」 「公的借家地区」「農業地区」では世代交代が難しいと見 通される ・世代交代が見こまれるのは「混在型住宅地区」5のみ と指摘されていて、住宅の種類・土地の用途・人口構造・世代ミックスなどの「多様性」や「郊 外第 2 世代」 (人口ボリュームが大きい)に注目することが、これからの東京圏郊外の街づく りでは重要だと強調しています。所沢の多くの地区でも、ミクロレベル(町・丁目レベル)で は、郊外第 2 世代が流出したまま戻ってこない「捨てられる地区」と世代ミックスや多様性を 持つ「住み継がれる地区」とが、モザイク状に混在していて、全体として「世代交代が穏やか に進行している」と藤井さんはとらえていました6。 この指摘は私たちの実感とも一致するのですが、私たちにとってこの「穏やかさ」は少し過 剰です。所沢という地域はもう少し変化、 「多様化」してほしい。変化させるのは郊外第 2 世 代――私たちの仕事です。 ■「埼玉都民」――都会と田舎の汽水域を漂う 2013 年末に刊行された、地域本シリーズの 1 冊『埼玉 ルール』7は、 「サイタマは今も昔も変わらずに、都会と田 舎の汽水域をふらふらと漂っている――」という入江悠さ ん8の印象的なことばから始まります。 自宅から駅・バス停までの道筋以外の所沢のことは知ら なくても暮らせるけど、池袋・新宿を知らなかったら暮ら していけない「埼玉都民」――郊外第 1 世代(正確には流 入第 1 世代)は、自分たちが「都会で生きている」と信じ られた世代です。 「田舎の海の離れ小島」にあるマイホー ムという囲われた都市型空間には、寝るために帰るだけで よかったのです。 図 6 『埼玉ルール』KADOKAWA 刊 藤井さんのこの講演はインターネット上の動画として公開されている。 http://www.youtube.com/watch?v=PGwuAgoYN9o 5 「混在型住宅地区」を藤井さんは、 「持家率 80%未満」でかつ「公的借家率 80%未満」としている。つまり持家・借家/ 戸建・マンション・アパートなどが雑多に混在している住宅地区。藤井「東京大都市圏ミクロレベルの世代交代と市街地特 性」 、『日本建築学会計画系論文集』73 巻 633 号、2008.11 所収。 6 柴田建・藤井多希子・森田芳朗 「持続可能な都市圏の形成に向けた郊外住宅地ストックのポテンシャル分析」2009 年度 国土交通省国土政策関係研究支援事業研究成果 http://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/kokudokeikaku_fr8_000027.html)。 7 『埼玉ルール』KADOKAWA 刊 2013.12、都市生活研究プロジェクト[埼玉チーム] 8 入江悠さんは映画『SR サイタマノラッパー』などで知られる熊谷出身の映画監督。日大芸術学部卒なので、所沢とも縁 が深い。http://www.norainu-film.net/movies/ 4 16 しかし、所沢をジモトとして育ち、ジモトの小中学校、高校で学び、多くの友人たちを作っ てきた郊外第 2 世代には、 「自宅から駅・バス停まで知っていれば、所沢の他の場所を知らな くてもいい」というわけにはいきません。第 2 世代もまた「埼玉都民」なのだとしても、第 2 世代が育ち人格を形成し、人間関係を結んできたのは、 「都会と田舎の汽水域(大都市郊外圏) 」 なのです。学生としてあるいは勤め先として東京(都会)を「暮してきた」第 2 世代にとって、 所沢は「都会が持ち込まれた田舎」です。駅前のチェーン居酒屋でジモトの仲間たちと飲むと き、その空間はすでに「所沢という田舎」の飲み屋ではありません。東京大都市圏が形成した 高度消費社会の、 「規格化」された文化的表現で満たされた「居酒屋という空間」にほかなり ません。ファミレス、スーパー、コンビニなどさまざまな形態の現代的な小売業(チェーン店 など)も、その意味では同じです。 私たち郊外第 2 世代は、年々強まる私たち自身の「ジモトへの関心」を手がかりにして、こ の「規格化された都会」という「物語」を超えたいと願っています。 私たちの「地ビール」――所沢の市街地に隣接するささやかな麦畑で、原料の大麦を栽培・ 収穫した『野老ゴールデン』は、この「都会という物語を超えたい」という私たちの、「ジモ トへの関心」そのものです。 「都会と田舎が雑居する多様性」 (高度消費社会とは異質な多様性) という「ジモトの物語」がここから始まります。 図 7「規格化された都会という物語」を超えるささやかな麦畑 ■「私の必要」と「市内消費量の市外流出傾向」 所沢だけに限りませんが、東京郊外の衛星都市でささやかれる都市伝説のひとつとして、 「所 沢の住民は、ちょっとした買い物をするために東京(池袋か新宿)まで行ってしまう。だから 所沢ではシャッター街化が進んでしまう」という話はよく聞きました。同じ問題意識を、2012 17 年 3 月の所沢市の「商店街空き店舗実態調査報告書」は、「所沢は消費人口に恵まれている。 しかし市内消費量の市外流出傾向が強い」と指摘して、 西武池袋線・新宿線や関越自動車道・所沢 IC 等を擁し、都心方面や郊外への交通の至便さ が、流入よりは流出をより促進する結果となっていることが推測される。9 と分析しています。 交通の利便性が「流入よりは流出をより促進する」ことになるのは、つまり「あの店に行け ば「私の必要」が満たされる(選択したくなるものがある)」と信じられる店舗が、所沢市内 には少ないということです。当然、近隣の街から買い物客が集まることも少ないでしょう。郊 外第 2 世代には、 「私の必要」が満たされる近隣の街へ車で出かけ、池袋・新宿・渋谷、時に は横浜まで電車で出かけることをためらう必要はないのですから。 ■所沢市の課題意識――商業集積の本来持つべき多様性 これは、大量生産・大量消費を基礎とする大衆消費社会ののちに急成長した「高度消費社会 の文化」でした。 「多様」であることを自己目的化した高度消費社会は、効率的に「個人の好 み(必要)」に合わせた様々な商品群――「規格化された多様性」を私たちに提供します。 私たちはその中から「私の必要」を見つけて消費してきたのですが、私たちは「消費者」な ので、 (収益性の高い) 「規格化された多様性」の創出には、実のところ「参加していない」の です。 この問題のひとつの側面を、 「商店街空き店舗実態調査報告書」は、 「多様性の喪失~チェー ン店化進行」としてとらえています10。ここで例示されている「チェーン店化が進みすぎてし まった」所沢駅前のプロぺ通りでは、高度消費社会の「多様な商品」が提供されていますが、 それは収益性の高さが徹底的に追及された商品群による規格化された多様性、つまり「与えら れた多様性」にほかなりません。どこかで「多様性は偏っている」のです。 これを同報告書は「チェーン店そのものが悪いというのではなく、商業集積の本来持つべき 多様性が大きく損なわれつつある危険性」ととらえていました。端的に言えば、プロぺ通りで 提供される多様な商品やサービスは私たちの多様な必要を満たすものですが、それは隣の街で も、池袋・新宿でも満たすことができる必要でしかないのです(むろん、たとえば所沢駅前の チェーン居酒屋で所沢の住民が集まって飲む機会が増えているのなら、それは所沢というコミ ュニティにとっておそらく悪いことではないでしょう) 。 この報告は、「商業集積の本来持つべき多様性」について明確な説明をしてはいないのです が11、私たちはこれを「与えられる多様性」ではなくコミュニティが内的に生み出す多様性、 つまり「私たちが参加し創出する多様性」だと考えています。したがって、私たちのコミュニ 「商店街空き店舗実態調査報告書」概要版 p.2、2012.3、所沢市。 前出注 9 概要版 p.7 11 むろん、たとえば同報告書本編 が p.84 で、 「商店街としてのまとまり、工夫と心意気が随所に感じられる。市内でも希 少な、下町型の生活感あふれる商店街」とした狭山ヶ丘の「所沢和ケ原商店街振興組合」への評価などに、報告書のかなり はっきりとした考え方を読み取ることができる。 9 10 18 ティビール『野老ゴールデン』は、 「私たちが創出する多様性」として「所沢というジモトの 独自の多様性」を構成する要素のひとつです。それは「商業集積の本来持つべき多様性」の中 で消費者に手渡され消費されるものです。 ■与えられる文化から「参加・創造する文化」へ 「コミュニティ」ということばを説明抜きで使ってきましたが、ここで「所沢というコミュ ニティ」のイメージをもうすこしはっきりとさせておきたいと思います。従来「コミュニティ」 は、たとえば ・近代以前に存在したムラのような地域共同体 ・社会が高度に産業化する以前には存在した――ときに「昭和三〇年代的」といわれる――異な る背景を持った人々の自発的で情緒的な絆のこと と考えられてきたわけですが12、これは郊外第 1 世代までの「田舎」と田舎が持ち込まれた「都 会」のイメージです。特に後者は、近年ではある種のノスタルジーだとも言われてきました。 郊外第 2 世代の「コミュニティ」のイメージは、現在では大きく変わっています。上記はい ずれも「地域」に固定的に結び付けられたイメージですが、第 2 世代は「汽水域を漂って」い て、その「汽水域」は過去数 10 年間激しく変化を重ねている「都会が持ち込まれた田舎」に ほかならないからです。同時に、郊外第 2 世代は必ずしも「所沢ネイティブ」ではなく、近隣 の郊外都市で育ち、結婚や独立を機会に所沢に移り住んできた人も少なくありません。「埼玉 都民」であることが当然だった環境で、私たちは育ってきたのです。郊外第 2 世代にとって、 「近代以前」や「昭和三〇年代的」な、 「地域」と強く結びついた社会関係として「現在のコ ミュニティ」――郊外都市のコミュニティをイメージすることはある意味でナンセンスなので す。 しかし私たちは、私たち自身が子どもを産み育て年老いていくだろう「ジモト」に、強い関 心を持たないわけにはいきません13。 「昭和三〇年代」以来すでに失われてひさしい「異なる(多 様な)背景を持った人々の自発的な」絆を、 2010 年代の所沢というジモトで、私たちは % 12『ウェブ社会の行方』 NHK 出版 2013.8 鈴木謙介、 p.195。 13 若い世代の「地域への関心」の指標として、地方選挙 の年代別投票率(図 8)を見ると、たとえば 2011 年の所 沢市長選における 20~29 歳の投票率は約 15%で、異常 ともいえる低いものだった(全体投票率は約 35%で、こ れも高いとはとうてい言えない) 。しかし投票率は、年齢 が上がるにしたがって(ある意味で当然とも言えるが) なだらかに上昇し、子産み子育て世代の 35 歳から 40 歳 代では約 26%ないし 31%になる。全体の投票率と比較す るならそれほど低い値とは言えないだろう。 「地域」への 関心は暮らしの必要に応じているのではないかと考えら れる。 所沢市長選挙年代別投票率 2011年10月23日 単位:% 60 40 20 15.23 14.91 21.03 26.16 31.19 36.77 48.29 49.06 0 所沢市選管『選挙の記録 平成 20 年~23 年』より作成 図 8 年代別選挙投票率(2011.10 所沢市長選挙) 19 新たに創ろうと思います。それは、 「近代以前に存在したムラのような地域共同体」の文化で はありえません。また、高度消費社会から「与えられる文化」でもありません。それは新しい、 「私たちが創造に参加するジモト文化」なのです。 ■所沢の「ジモト文化」の創造 「ジモト文化の創造」 (グローカリゼイション)は、ゆるキャラの「くまもん」の大ブレイ クに見られたように、東京郊外圏などよりも「地方」で先行して進んでいるようです。こうし た地方での「ジモト文化」への強い関心に共通してみられるものは、農業や水産業、観光業な どが基幹産業として機能していて、その産物や観光資源などを地域独自の資源として活用して いることだと思います。場合によっては最近注目されている書籍『里山資本主義』が提唱して いるように、身近にある「手つかずの資源(リソース) 」を新たに発見して活用している地域 もあります14。 では、所沢にとってそのような「地域資源」 (リソース)はなにでしょうか? 所沢市(郊外都市)の基幹産業は「労働力の移出」です。その主要な市場(労働市場)は東 京ですから、所沢という地域にとって、この高い技能を身に着けた労働力(「埼玉都民」とし ての所沢市民)は「ジモトでは手つかずの資源(リソース) 」にほかなりません。 私たちは、本報告書の冒頭でも書いたように、この高い技能を持つ所沢市民を広範な「人の つながり」として育ててきたジモト、所沢という「コミュニティ」そのものをリソースだと考 えました。この手つかずの地域資源を活用することが、私たちの「参加」によって実現される 「ジモト文化の創造」です。 図 9 ジモト文化の創造――仲間たちの手で内装工事が進む所沢コミュニティビールの醸造所 14 この本の場合は「里山」の木材資源が「発見」されているのだが、発見される資源は里山や木材に限らないというのが著 者たちの考え方である。『里山資本主義』KADOKAWA 2013.7、藻谷浩介、NHK 広島取材班。 20 (2)所沢における「ジモト文化の創造」の先行例 所沢でも早い時期から、 「ジモト文化の創造」のためのさまざまな試みが行われていました。 ここでは私たちの『野老ゴールデン』が学ばせていただいた、 『恋も咲くところ』と『ゆめと ころ』の 2 つについて触れておきたいと思います。 市内で大規模に生産されてきた里芋のうち、市場価値を持たないために捨てられていた「親 芋」の有効活用としてつくられた「里芋焼酎」が『恋も咲くところ』です。これは使われてい なかった資源を見つけ出し地域の商業活性化につなげるという、商業部門と農業部門の強い連 携の中で作られたものでした。製品のネーミングやパッケージデザインなどには、焼酎の主要 な需要層である郊外第 1 世代男性に限定せずに、女性も含めて焼酎市場に呼び込もうという酒 販店の意欲が表れていると思います。 一方、所沢産米を使った地酒『ゆめところ』は、郊外第 1 世代(流入第 1 世代)を中心とす る「消費者」と酒販店との強い連携を核として、市内の農家が長期間にわたって『ゆめところ』 のための「所沢の米」を作り続ける――という「物語」が成功している事例だと思います。米 作りなどの農作業に「消費者」がかかわるというやり方も、 『ゆめところ』で採用されました。 ただしどちらも『野老ゴールデン』と同じ事情で、製造は市外の事業者に依頼しています。 図 10 『恋も咲くところ』 (左) 、 『ゆめところ』 (右) 『野老ゴールデン』はこのような 2 つの、先行した「ジモトの成功事例」から次のことを学 び、 「私たちの物語」を形成していくことにしました。 ・ 「所沢のコミュニティビール」を創る ・原料の一部はジモトの畑で生産する ・ 「消費者」が、生産(農作業)に参加する ・製造(地ビールの醸造)はジモトの醸造所で行う ・消費者、販売者(飲食店・酒販店) 、農家(生産者)、醸造所(製造者)の 4 者による 所沢麦酒倶楽部を作り、協働と共感の循環を形成する なお、ラベルが毎年変わっていることに現れているように、 『野老ゴールデン』の「物語」 は、 『ゆめところ』や『恋も咲くところ』の「物語」ような固定的なものにはなっていません。 21 それは所沢麦酒倶楽部のメンバーとともに、ジモト所沢で暮らす消費者・住民が日々作り、作 り直していく、多様な「ジモトの物語」なのです。 左から、『野老ゴールデン 2011』 、 『野老ゴールデン 2012』 、『野老ゴールデン FBT』(2013 年収穫麦使用) 図 11 『野老ゴールデン』のラベル 22 (3)地域経済の再生という課題 中世時代に街道町として形成された所沢は、明治・大正時代には蔵造りの商家が軒を連ね、 綿織物をはじめとした農産品の集散地として賑わいました。しかし、高度成長期以降の爆発的 人口流入( 「激動の 10 年」 )は、東京のベッドタウンとして街を大きく変貌させました。 そしてバブル経済崩壊以降、日本全体の人口や経済の縮小傾向が始まり、所沢ではこれまで の地域経済のあり方による弊害があらわになってきています。 現在、所沢市民の全就業者のうち6割以上 が市外に働きに出ていますが、なかでも東京 所沢市と川越市の市民の就業地比率 で働く人は全体の 36.7%に上ります(図 12 100.0% 左側) 。とはいえ、よく知られているように 90.0% 東京の労働市場は飽和していて、失業率も高 まっています。このため近年では、東京に通 勤する所沢市民は減少し、これを埋めるよう 80.0% 70.0% その他 その他 15.5% 24.6% 市内 市内 43.7% 38.7% 所沢市 2005 所沢市 2010 の他」 )で働く人の比率が増えました。 30.0% 20.0% 10.0% く人が急速に増えています(図 12 右側) 。 もはや東京郊外圏の街は、東京の単なる「寝 東京 20.0% 18.1% その他 27.9% 市内 52.1% その他 37.9% 市内 44.0% 0.0% も、東京に通勤する人と市内で就業する人が 減少し、東京郊外圏の他都市などに市外で働 40.8% 36.7% 50.0% 40.0% は市内就業者が半数を超えていた川越市で 東京 60.0% に東京以外の近隣市町など(図 12 では「そ 所沢近郊の同じ東京衛星都市で、5 年前に 東京 東京 川越市 2005 川越市 2010 各年の国勢調査より作成 図 12 所沢の市民は市外(東京)で仕事をしている 床」ではなくなり、経済的に東京に依存する「衛星都市」としては早晩やっていけくなるとい うことです。 ■「地域の賃金収支」は製造建設業の生産額を超える所沢の基幹産業のひとつ いままで東京で働く所沢市民の賃金等がもたらす消費や税収で、所沢という街が成り立たっ てきました。所沢の「基幹産業」のひとつは「労働力の移出」なのです。表 1 では、2010 年 の所沢の地域経済における「賃金の収支」の概算を試みています。 23 市外へ通勤 (人) 市外から 通勤(人) 2005 年 89,131 45,770 43,361 2010 年 82,924 42,795 40,129 △ 6,207 △ 2,975 △ 3,232 93.0% 93.5% 92.5% 増減 05 年に対する 10 年の比率 差引 市外へ(人) コメント 2010 年所沢地域の「地域 間賃金収支」の総額は、 平均年収を 470 万円と仮 定すると約 1900 億円の 「収入」になることが推 測できます *注:平均年収「470 万円」は、2010 年の厚生労働省「賃金構造基本統計調査」をもとにした全国平均 467 万円の概数をとりあえず採用した。同調査の埼玉県平均 469 万円、東京都平均 574 万円。 表1 所沢の労働力流入・流出状況(所沢市統計書平成 24 年版ほかによる試算) 2010 年の統計によれば、所沢市外の職場で働き賃金を得ている所沢市民は 82,924 人で、所 沢市の外に住みながら所沢市内の職場で働き賃金を得ている人は 42,795 人です。差引 40,129 人が所沢市外から賃金収入を所沢の地域経済圏にもたらしていることになります。この人数に、 この年の平均年収(概数)470 万円をかけると、約 1900 億円という所沢の賃金収支の推計が 得られます。 この「地域の賃金収支」の規模を、他の地場産業の生産額と比較するために、所沢の産業別 市内総生産(2009 年の統計のため 1 年ずれていることに注意)を表2に示します。 生産額 (億円) 総計 構成比 (%) コメント 8,691 - 第 1 次産業 46 0.5% 林業は 1 億円未満、水産業はカウントなし 第 2 次産業 1,080 12.4% 製造業約 670 億円、建設業約 410 億円。 鉱業はデータなし 第 3 次産業 7,793 89.7% 不動産とサービス各約 2200 億円、政府サー ビス約 1200 億円、卸小売約 810 億円、その 他 ここには「控除」等15を記載していないため、各部門の合計は「総額」と一致しない。構成比は対「総額」 比。「サービス」は、公共サービス、対事業所サービス、対個人サービスの合計 表2 2009 年・所沢の産業別市内総生産(単位:億円。所沢市統計書平成 24 年版より作成) 「所沢の賃金収支」は、第 2 次産業の生産額を超え、「消費の市外流出傾向が強い」と言わ れながらも、市内生産額の約 90%を占めるまでに肥大化している16所沢の第 3 次産業(商業・ サービス)を支えています(ここには公共サービスや市役所なども含まれます) 。 しかし現在、「東京がクシャミをすれば所沢が風邪を引く」ということばは現実の問題にな っています。東京の景気の浮沈、労働市場における競争の激化などの影響をもろに受ける所沢 の地域経済を自立性の高い地域経済に転換していくことが、所沢にとって優先的な課題になっ ています。 15 16 輸入品に課される税・関税(75 億円加算)、総資本形成に係る消費税および帰属利子(約 303 億円控除) 2009 年の内閣府「国民経済計算」によれば日本の経済活動別国内総生産における「商業サービス業」が占める比率は 72.9%。 24 ■所沢における「ジモト」の活力――農業の伝統と 34 万人の市場 自立した経済的基盤を確立するには、原料生産から消費までが地域内で完結する「地域内経 済循環」を形成する必要があります(図 13) 。そして、その柱となる産業が、他の地域での代 替不可能性、すなわち歴史や文化、風土を活かしたものであればベストです。 所沢の場合、唯一、この条件に当てはまるのが 農業でしょう。生産額 46 億円、市内総生産のわ ずか 0.5%の農業ですが、私たちはそう確信して います。 水利が悪く、本来畑作には向かない粘土質の関 東ローム層がたい積する武蔵野台地で、長年手塩 にかけて肥よくな農地を育ててきた先人たちの 血と汗の結晶は、現在でも市の面積の 25%を占 めます。これを郊外第 2 世代が活かさない手はあ りません。 加えて、すぐ隣に消費者がいるのが都市型農業 の強みです。人口 34 万人もの巨大マーケットを 抱える所沢においては、地域で売れる仕組みをつ くれば、自然と農業は元気になって行くのではな いでしょうか。 このことは同時に、農業の後継者不足や遊休農 地問題の解消につながり、小売業や地場の製造業 図 13 が元気になっていくことに確実につながっています。 地域内経済循環へ
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