510号 5月発行 - 東京慈恵会医科大学同窓会

長
挨
拶
ター発表形式の 一般演題七
実践の外科 臨床
病 院 にお け る
学内掲示4月1日付
在宅酸素療法
マニュアル
らず世界の子どもの医療に 会総会で前川教授が第 一〇
歴
目でみる
林 伸一
されて以来、教室 ・同窓は
助教授 久保政勝
学内掲示5月1日付
教授 ︵定員外︶を委嘱する
︵小児科学︶
講師 山田 尚
助教授を委嘱する
︵DNA医学研究所︶
講師 ︵
但し無給︶山梨俊志
︵
放射線医学︶
助教授 ︵但し派遣中︶を委
嘱する
4月19日開催
評1
議員会の担当者確認。
2会長 ・副会長 ・評議員選
考協議会の選考委員十名を
会長より指名した。
第 21 回 理 事 会 報 告
5月8日開催
理事会前開催の選考協議会
において承認された会長 ・
副会長 ・評議員五〇名の確
認をした。
東京医科大学教授、皮膚科
OB会鏑木公夫会長らが弔
略
明治39年東京にて出生、
昭和6年 金沢医科 大学卒
業、18年本学皮膚科助教授、
21年教授、47年定年退職、
名誉教授、52年勲三等旭日
中綬章受章。
新 臨床 内科学
尽くすことを期待する旨の 〇回学術集会の会頭に指名
し上げると共にこれからも 客員教授を委嘱する
五〇題、更に公開シンポジ 日本小児科学会創立百周年 あれば議論を交わすものあ 大同窓諸先輩に深く御礼申
小児科学講座の更なる発展
副会長 に小田泰 治君 ︵昭
に本学も積極的に参加し、
鈴木泰雄 ︵
昭19︶鈴木豊 ︵昭 サテライトシンポジウムを
︵
埼玉成恵会病院在職中︶
ウム、モー ニングレクチ ャ 記念式典には皇太子殿下、 りと各人各様に楽しい時を
︵浜田朗生︶
幌での第九十七回小児科学 である。 振り返れば平成六年、札 にご支援をお願いする次第
ー等多岐に亙り、日本全国 雅子妃 殿下のご臨 席を仰 過ごした。
夫君 ︵大3︶ほか 一二八名 レンスに五十万円を援助し
出され、承認された。
また、益子博理事より南 28︶・渡辺盛雄君 ︵昭35︶
収 支決算報 告
雲今朝雄君 ︵
昭5︶の逝去 が立候補されたことを報告
川田忠良理事より収支決 にともない慈大新聞編集発 した。また、五十名の評議
正 ・副 会 長 、評 議 員 決 ま る
逝去
さる
医学書院
前川教授を会頭に、皇太子殿下行啓のもと
まさに 一丸とな って準備を 名誉教授の称号を贈る
酒井 紀
お言葉をいただき、約千名
進めてきた。百年の節目と
の会員は深い感銘を受ける
︵昭34︶
を会頭に、新装成 っ の交換が行われた。会期中 と共に責任の重さに身が引
第 一〇 〇 回 小 児 科 学 会 開 催 さ る
平成九年四月十八日から
岡野 弘
二十日の三日間、本学小児 た東京国際フォーラムで学 参加者は約四〇〇〇名だ っ き締まる思いであ った。引 なる学会を私学の代表とし 名誉教授の称号を贈る
科学講座前川喜平主任教授 会創立百周年記念となる第 た。教室の同窓も北は秋田 き続いて行われた創立百周 て、内容の濃いそして参加
吉武香代子
一〇〇回日本小児科学会学 から南は福岡まで約 二二〇 年祝賀会兼会員懇親会では 者全員の心に残る学会にと 名誉看護学科長の称号を贈
術集会が開催された。当日 名が参加し、過去最高の数 岡村学長も出席され祝辞を
心掛けた。
幸い大学・
同窓会 る
のプログラムは基調講演三 字で母校小児科学講座の主 述べられた。弦楽四重奏の の強力な後押しを頂き、慈
医師四名が新たに加わ った
事を述べられた。
児島忠雄
題、特別講演十二題、シン 催する記念すべき大会を大 奏でる中、帝国ホテル出張 恵医大主催として誇れる学 客員教授を委嘱する
ポジウム七題を中心にポス いに盛り上げた。
の料理を肴に杯を重ねるも 会が出来たと胸をなで下ろ ︵総合健保多摩健康管理セ
学会二日目 ︵
十九日︶の のあり、知己と語らうもの している。紙面を借りて慈 ンター所長在職中︶
院内科学第2は望月正武教
教育については、医学科
さらには海外から参加の小 ぎ、皇太子殿下から、日本
児科医も交えて活発な意見 小児科学会が我が国のみな
五名に、林教授 ︵
生化学第 述べられ、南雲吉和監事よ が指名され、定款細則によ
り設けられた選考委員会の
次いで、平成九年度事業 坂詰正巳 ︵
昭28︶委員長に
2︶が主催した東京ポリア り監査報告がなされた。
林栄太郎理事が庶務報告 ミ ン国際会議 に三十 万円
庶 務 ・事 業 報 告
授が、放射線医学は岡村学
された。教授人事は林教授
一一三名、看護学科三十五
領校化学︶、吉武教授 ︵看 八名であ った。
岩田正晴理事が事業報告
られた。
注ぐ旨の再任の抱負を述べ
れ、児島 ・岡野両教授は客 田副院長が、第三は梅沢院 を、那須元信理事が振興基 算報告が行われた。平成八 行人を諸川会長に変更した 員も選出され承認された。
長、坂井副院長が、柏は久 金委員会報告をおこない、 年度は近年になく多くの会 旨が報告された。
員教授を委嘱された。
引き続き、諸川会長は同窓
また放射線医学の川上憲 保院長、堀越副院長がそれ 日医最高優功賞を受賞され 費納入があり事業が円滑に
会のさらなる発展に全力を
会 長 ・副 会 長
看護学科 長の称号を 贈ら 棟担当を、また、青戸は多
護学科長︶
が定年退職され、 診療については、本院で の平成八年度の物故会員の たことが報告された。
五月十七日︵午
土後
︶三時三 このうち林 ・酒井両教授は は副院長を二名とし、川口 氏名を朗読し、全員で黙祷
名誉教授、吉武教授は名誉 良人副院長は主としてH2 を捧げた。
〇分より大学2号館十階中
ホールにて、第四十三回同
窓会通常総会が本郷可夫理
事の司会のもと、渡辺盛雄
副会長の開会の辞に始ま っ
司教授が任半ばで、亡くな ぞれ新たに就任された。さ た三君に表彰状と銀杯を贈 行われたこと、会館維持積
られたことが報告された。 らに、診療実績は前年とほ 呈したこと、学生 二名に奨 立金は会館積立金として継
春 の 叙 勲
土 肥 淳 一郎 名 誉 教 授
心不全にて逝去された。享
中のところ、去る五月三日 辞を読まれ故人を偲んだ。
立が告げられた。定款によ
︵
昭24専︶原貞夫 ︵
昭45︶
︵
岐阜県医会長︶
本学土肥淳 一郎名誉教授 の合同葬で行われた。本学
通夜 ・葬儀告別式は、五
︵特 ・皮膚科︶は病気療養 岡村哲夫学長、小嶋理 一元
渡辺盛
〃雄
︵
昭35︶ 岸田明宜 ︵昭26専︶北村洋
●勲五等双光旭日章
平成九年度春の叙勲で 小坂孝二 ︵昭21︶ 岐阜
本学関係者は次の通りで
ある。
松島善視 ︵昭24︶神奈川
り諸川会長が議長となり、 評議員 足立武 ︵昭41︶足 一︵昭33︶北原敬市 ︵昭24︶ 浜野巌 ︵昭2
7専︶平野昭邦
議事録署名人に小沢禎治君 立信 一︵昭32︶
安部匡︵昭35︶ 小森亮 ︵昭33︶国府田守雄 ︵
昭33︶松尾敏 一 ︵
昭48︶
●勲三等瑞宝章
年九〇歳。
︵
松島病院長︶
月六 ・七日麻布山善福寺に
大畠景宙 ︵昭24︶ 東京
を指名した。
郎︵昭25専︶
猿谷文男︵昭32︶ 山田修 ︵昭23︶山本真澄 ︵昭
れた。
員が次の通り選出された。 ︵昭36︶小沢禎治 ︵昭27︶ 富田利夫 ︵昭29︶富田有祐
次に、本郷理事より定数 会 長 諸川 薫 ︵
昭27︶ 亀井邦倫 ︵昭26︶川田忠良 ︵昭40︶那須元信 ︵昭30︶
の確認が行われ、総会の成 副会長 小田泰治 ︵昭28︶ ︵昭34︶河村眞人 ︵昭30︶ 並木敦也 ︵昭62︶中林繁司
その他、H2棟準備工事
ると共に強固な団結の下、 学に栗原邦弘教授 ︵昭46︶
31︶鈴木直純 ︵昭26︶鈴木 企画し ている報告 があ っ
一層の活性化をはかる旨の が就任された。また生化学 と しての立 体駐車場 の完
去る五月十七日︵に
土行
︶わ 宇野慶三 ︵昭26︶小田原利 鍾美︵昭25︶高橋千晃︵
昭28︶ た。最後に、小田副会長の
決意を述べた。
第1は大川教授が、第三病 成、H2棟の工事進行状況 れた第四十三回同窓会通常 光 ︵昭18︶小田原稔 ︵昭26︶ 高橋紀久雄 ︵
昭45︶坪田修 閉会の辞ですべての議事を
は順調であることが報告さ 総会で正 ・副会長及び評議 大井田修 ︵
昭25専︶大畑元 三 ︵昭37︶富井純子 ︵
昭48︶ 終了した。
しつつある大学に対応すべ 49︶、内科学第3に田嶼尚
く、同窓会も親睦団体であ 子教授 ︵昭45︶、形成外科
会長挨拶
新任講座担当教授は内科 ぼ同様であること、臨床研 学金三十万円を、海外渡航 続すること、振興基金収支
会長より仮議長に荒川支
次に酒井名誉教授より平
諸川薫会長は着実に変革 学第2に細谷龍男教授 ︵昭 修医として八十八名、歯科 助成金二十万円を大学院生 もほぼ順調であ ったことが 部長 ・近藤市雄君︵昭16後︶ 成十 一年の日本医学会総会
た。
支予算案が川田理事より提 は会長に諸川薫君 ︵昭2
7︶、
学研究所︶、戸澤教授 ︵国 護学科三十五名、大学院十 を、森田 一理事が嘉悦三毅 を、内科グランドカンファ 計画案が岩田理事より、収 説明を求めた。坂詰委員長
野教授 ︵第三病院内科学第 科は全員合格であ った。新
2︶、田中教授 ︵DNA医 入生は医学科 一〇五名、看
︵内科学第2、第3︶、児 名が卒業し、国試成績は医
島教授 ︵形成外科学︶
、岡 学科が九四 ・九%、看護学
︵生化学第2︶
、酒井教授
校長に米本恭三教授が就任 されたことが報告された。
禮子教授、慈恵看護専門学 病院長が定員外教授に就任
の人事は看護学科長に斎藤 られた。さらに久保政勝柏
た。それによると学校法人 ては教授選考委員会が設け
て大学 の現況報告 をされ 尚、放射線医学講座につい
岡村哲夫学長は挨拶とし 長がそれぞれ兼任される。
学
発 行 所 慈 恵 医 大 同窓 会
東京都 港区西新橋
3 − 25− 8
電 話 03(
3431)6 9 7 1
編 集 発 行 人 諸川 薫
︵
昭27︶須田健夫君 ︵昭50︶ 岩田正晴 ︵昭30︶石井嘉男 ︵
昭33︶小林重高 ︵昭30︶ 三木信男 ︵昭30︶村岡伸 一
︵昭26︶石井義之 ︵昭52︶ 坂詰正巳 ︵昭28︶斎藤昭三 ︵昭39︶山崎望人 ︵昭37︶
岩治勇 一 ︵昭15︶ 福井
霜礼次郎 ︵
昭37︶須田富士 23︶横山知爾 ︵昭19︶
新 の 診 療 の ノウハ ウ を 具 体 的 に 記 述 。
● B5 頁 280 図 154 写 真 8 1997
定価 (
本 体 6,
500円 + 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260−
12215−
0]
● A5 頁 31
2 図 30 1997
定価 (
本 体 3,
800円 + 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260−
13833−
2]
● B5 頁 384 図 83 写 真 310
カ ラ ー 写 真 759 原 色 図 16 1997
定価 (
本 体 23,
000円 十 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260一
日 81
0−
2]
● A5 頁 328 図 88 1997
定 価 (本体 4,
300円 + 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260−10905−
7]
本 書 は , 医 療 事 故 紛 争 の 予 防 と ,実
際 に起 こ った場 合 の対 応 策 を細 か く
状 況 設 定 しQ&A方 式 で 解 説 。 全 て の
医療 従事 者 が当 事 者 と して読 め る必
携 の 書 。関 係法 規 も収 載 。
● B5 頁 1886 図 387 写 真 582
原 色 図 96 1997
定 価 (本 体 18,
000円 + 税 ) 〒660
[
I
SBN4−
260−
10907−
3]
清 ・岡 井 清 士 ・木 下 健 治
岡田
本 書 は ,雑 誌 「臨 床 外 科 」に 連 載 さ れ
高 い 評 価 を 得 た 「外 科 研 修 医 実 践 講
座 」に 新 た な テ ー マ を加 え て ま と め た
実 践 的 な 外 科 臨 床 の 決 定 版 。首 都 圏
の 第 一 線 の 5病 院 で 行 わ れ て い る 最
書 は ,今 後 急 速 に 普 及 が 予 想 さ れ
在 宅 酸 素 療 法 に つ い て ,適 応 の 考
方 ,機 器 の 選 択 の 仕 方 ,患 者 と 家
の 教 育 法 ,日 常 生 活 の 注 意 ,社 会
祉 制 度 の 利 用 ,保 険 点 数 な ど あ ら
る情 報 を網羅 。
本
る
え
族
福
ゆ
本 書 は ,東 京 女 子 医 大 心 研 の デ ー タ
を 駆 使 して 臨 床 家 の た め に ,い ま 注 目
の再 狭 窄 を含 めた 諸 問題 に如 何 に対
応 す る か ,視 覚 的 に ま と め た 解 説 書 。
木 田厚瑞
堀江俊 伸
諸川薫会長 を再選す
︵元都職員共済組合青山 ●勲六等単光旭日章
病院長︶
雄 ︵昭29︶須田健夫 ︵昭50︶
●医 療事故 紛争の 予防 を
Q&A方 式で解 説
編集 門田俊 夫 ・坂本 昌義
柵瀬信 太郎 ・鈴木 篤
鶴丸 昌彦
新 しい チ ー ム医 療 をめ ざ して
会 費 年 額 6,000円
(
購 読 料 1,200円 含 )
父兄会春期総会は国領校で開催
● 首都圏 の第一線 の5病 院で
行 われ ているノウハウを記述
急性冠動脈症候群
毎 月 1回 25日発 行
購 読 料 一 部 100円
て土肥家 ・皮膚科学教室と
︵日本医学史会評議員︶
●在宅酸素 療法のあ らゆる情報 を
網羅 した マニュアル
イン ター ベ ン ション 前 後 の
冠動脈病変
本 書 は ,分 子 生 物 学 の 成 果 も 含 め 内 科
各 領 域 の 最 新 の 知 識 を 満 載 した 最 も
新 しい 内 科 学 教 科 書 。各 分 野 の 気 鋭
の 専 門 家 35 1氏 の 執 筆 に よ り,病 態
生 理 を 重 視 した 記 載 と 必 要 な 画 像 情
報 を 随 所 に 配 した 全 面 改 訂 版 。新 た に
「内 科 臨 床 の フ ァン タメ ン タル ズ 」の 章
を 加 え ,カ ラ ー 図 譜 も 大 幅 に充 実 。
351,513,809
第
20
回
理
事
会
報
2,000,000
② その他 の固 定資産
第43回
同窓会通常総会
開催
●勲四等瑞宝章
●東 京女子 医大心 研の データ を
駆 使 した視覚的 な解説 書
監 修 高 久史麿 ・尾形 悦郎
364,479,253
25,139,656
医療事故紛争 の
予防 第 2版
●高学年医学生 と研修医のた めの
内科 学− 全面改 訂版
第 7版
289,105
337,339,597
339,339,597
364,479,253
正味 財産合 計
負債 ・
正 味財産 合計
351,802,914
固定 資産合 計
資産 合計
12,676,339
平 成 9年 3月31日
貸 借 対 照 表
25,139,656
(
負 債の部 )
固定 負債
(
退 職給与 引当 金)
負債 合計
(
正 味財産 の部 )
基 本金
Ⅰ
そ の他
Ⅱ の正味財 産
(
資 産の部 )
流 動資産 Ⅰ
① 有形Ⅱ
固定資 産
告
共 同通信社 提供
第 5 10号
昭 和 32年 9月 12日
(
第三 種 郵 便物 認可 )
聞
新
大
慈
(
平 成 9年 ) 5 月 2 5 日
19 9 7年
(1 )
前
500名 を超 える参 列 者 が献 花
弔電披露の後、五〇〇名
去る三月二十六日逝去さ 授に就任され、将来を期待 表して志を継いでいく決意 残念であ ったと述べた。
を述べた。学生代表堀田亮
式場とな った中央講堂で 君は、五年生以下の学生は を超える参会者の献花が行
れた川上憲司教授の大学葬 されていた。
が、四月 二十五日 ︵
金︶午
つもと変わらぬ優しい面持
弔
辞
葬儀委 員長 岡 村
哲夫
で埋ま った祭壇中央に、い い出来なか ったことが大変 行わ れ、 遺族 ・葬儀 委員
後二時より大学中央講堂で は、丁寧に配置された生花 先生とはついに教室でお会 われた。三時より告別式が
行われた。
先生は昭和三十九年鳥取
大学医学部卒業、同四十六 ちの遺影が飾られた。葬儀
年東京大学大学院博士課程 は兼平千裕助教授の司会で
を修了された。この間、二 始まり、全員で故人の冥福
長 ・各教授立礼の中、多く に表れております。すべて
慈恵人になりきり本学に れる、第十六回医用画像工
の教職員 ・学生や 一般会葬 は先生の誠実な、そして周 尽くされた先生を失 ったこ 学会の会長も出来なくなり
者が献花し、あまりにも早 囲のものを分け隔てなく包 とは、まさに痛恨の極みで ました。残念なことであり
いご逝去に哀悼の意を捧げ み込む温厚なお人柄と、物 あります。大学全体総ての ます。
た。
事に対する秘めた情熱と卓 者が筆舌に尽くし難い深い
先生とお別れするに当た
越した実行力によるものと 悲しみにあります。また大 り、ここに衷心からの敬意
ませんでした。その成果は 存じます。先生御自身当然 学はなお引き続き、さらに と感謝を表する次第であり
CT撮影検査が予約無しで の事ではありますが、将来 種々御尽力頂く予定でおり ます。私どもはいま先生の
当日可能にな ったこと、ま に向けての希望溢れる御計 ました。先生の御逝去は本 御冥福をお祈りするばかり
た先生の専門分野でありま 画を種々お持ちにな ってお 学にと っては勿論、内外医 であります。先生御指導、
高木
胆 石症 の治 療 法 の選 択
消化 器肝臓内 科
一郎
脂肪摂取量の 合せで概ね可能である。
増加など食生活 とくに超音波検査では胆
の欧米化ととも 石種類の診断以外胆嚢壁
に胆石保有率が の状態や体位変換により
上昇し、胆石種 嵌頓の有無も診断でき、
年間仏国給費生としてパリ を祈 って黙祷した。続いて
類も変化しコレステロー 治療法の決定に最も有用
ル胆石や黒色石が多くな である。
ってきている。また超音
一般に胆嚢胆石患者で
昨年十 二月九日定例研究 も って誠実に、また着実に
これらを遂行されました。
辞
でもありませんが、特に興 生のお宅の周囲は桜の名所
味を持たれた核医学と医用 であり、桜の花の咲く頃に
工学に関するものが多く、 なると私共は大挙して押し
一方、以前は胆石症の が強い症例、胆嚢が胆石
が行 った できない
L症
a例
n、
g胆
e石
nが
b頚uch
治療 法は 一八八 二年 に で充満され胆嚢癌が否定
開腹下胆嚢摘出術が唯 一 部に嵌頓していたり胆嚢
の治療法であ ったが、 一 炎所見が強く胆嚢が造影
弔
したRI診断面でも極めて られたことを拝察致し、さ 学界にと っても極めて大き 御尽力誠に有難うございま
大学 へ留学された。同四十 司会者より故人の略歴が紹
七年本学放射線医学教室に 介された。
東京慈恵会医科大学放射 になり、教育 ・研究 ・診療 積極的に新しい技術を導入 ぞかし無念であ ったことと な損失であります。その 一 した。安らかにお眠り下さ
葬儀委員長 ・岡村哲夫学 線医学講座担当、川上憲司 に、さらに講座運営に当た されたこと、その他に如実 存じます。
つとして来る七月に開催さ い。
し大学のために誠実に尽く
されたことに深い敬意と感 科委員会での学位論文審査
解療法や内視鏡的乳頭括 例である。充満胆石や無
対象臓器も多岐にわた って かけ、勝手に酒盛りを始め
おります。なかでもパリ大 ました。お宅には大変ご迷
には体外衝撃波結石破砕 LCや開腹下胆嚢摘出術
幸夫
核医学会理事長 ・石井勝己 り、また続く教授会議では 学は先生にさらに全学放射
謹んで川上憲司先生のご 恨の限りであります。働き 学のMercha教l
授l
のも 惑なことであ ったはずです
北里大学教授は、核医学特 再度立ち上がられ、本学の 線安全委員会委員長、アイ 霊前にお別れの言葉を申し 盛りのお年、講座主任就任 とで行われた肺のX線吸収 が、いつも温かく迎えられ
療法 ︵ESWL︶とい っ の適応である。 コレステ
名誉教授 望月
上げます。昨年、川上教授 後 二年に満たなか ったこと から、肺の核医学に関する たのです。こんなことが 二
が健康を害されたことを知 を思いあわせ、激しく胸が 数多くの研究まで、肺につ 十年も続きましたが、今は
切な役職を誠実に果たされ せるものであり、我々 一同 会、アイソトープ研究運営
工学の業績を称えるととも れました。これらは先生の 委員会委員長をはじめ、総
に、学会において数々の大 責任感の強さと覚悟を伺わ 合医科学研究センター委員
なくお元気になられるもの のは、私が縁あ って慈恵医 す。学会活動にも熱心で、 先生の お姿に接 すること
も、心地よく響く流暢なフ
のような先生のこと、間も
りましたが、健康そのもの 痛みます。
ランス語を聞くことも出来
しどの治療法を選択する
になり、治療法が多様化
︵LC︶も行われるよう
より腹腔鏡下胆嚢摘出術
個以内の症例はESWL
例で、直径30 ㎜以下、三
軽度の外殻のみの石灰化
線撮影で石灰化がないか
約筋切開術、 一九八六年 機能胆嚢症例に対しては
たことへの感謝を述べ、今 は深い感動を覚えました。 委員会、実験動物委員会な
なくなりましたが、慈恵出
かが重要とな ってきてい の対象である。胆嚢機能
後も頼るべき逸材を失 った そしてこれが先生の最後の どの委員、さらに東京慈恵
身のご長男、剛氏はこの春
と信じておりました。しか 大放射線医学教室に赴任し 日本核医学会をはじめ多く
研修を終えられ、新進の放
無念を述べた。次いで望月 教授会議御出席になりまし 会医科大学雑誌の編集委員 し病は重く、慈恵医大の医 た昭 和四十八年 の秋でし の学会の理事、幹事の役職
幸夫名誉教授は故人の業績 た。
を務めて頂きました。
療チームによる最新の治療 た。教員総勢、数人の小さ にありました。これも業績
を称え、温和で誠実なスポ
先生は大学改革のさなか
附属病院の診療科方式へ とご家族の懸命の看護にも な教室でしたが、その時す ばかりでなく先生のお人柄
二十 一年間にわた って先生
悟をあらたによりよい放射
一同も先生の志をつぎ、覚
歩んでいます。放射線科の
HU以
1下
0︶
0
、15㎜以下
根治療 法が必要 である めない ︵できればCT値
あ っても胆石を除去する 純X線撮影で石灰化を認
ーツマンであ った故人との の平成七年四月に放射線医 の改編のさいの先生の御尽 かかわらず、今日のお別れ でに最も若い助手として活 の然らしめたところであり
思い出を述べ、教室員を代 学講座の担当教授に御就任 力は並大抵のものではあり とな ってしまいました。痛 動しておられました。以来 まし ょう。
と苦楽 を共にい たしまし もお持ちでしたが、私共に
の症例、とくに浮遊胆石
一般男性並と報告されるが、勤
一九九五年厚生省は、全般的 業医が分煙に成功した職場を紹
総胆管胆石は無症状で 状が軽微な症例で腹部単
た。教室の現在は先生のこ と って先生の温和な性格は
が、胆嚢胆石においては
たのであ った。この中で防煙、 濃度や尿中 ニコチン濃度が低下
世の中に対して厳しい面
ガイドライン﹂を発表した。産
の長年にわたるお力による 魅力でした。そしてなによ 線科、より愛される放射線
無症状例が多くその取り
に対してはウルソデオキ
の指摘もなされている。
に米国医師の喫煙率は5%であ 主的にやわらかな表現であると 年 二月 ﹁職場における喫煙対策
ところが大きく、先生ぬき りも私は明るい先生のご家 科を目指して努力してゆく
扱いが問題となる。治療
る。さらに、本邦の看護婦では
務時間帯の不規則などのストレ なたばこ対策として ﹁たばこ行 介して、喫煙、非喫煙派を調整
ぞ見守 っていて下さい。さ
にしては考えられません。 庭に強くひかれ、優れたス ものと信じています。どう
よぼすことは わか りき ってい 児学童に対しての肺炎、喘息ア かだ。
㎎就6
寝0
前投
0与による経
シコール酸 ︵UDCA︶
口胆石溶解療法を行 って
画像診断による質的診断
を行い、各種治療法の適
いる。
してはあらためて述べるま 家庭は私の憧れでした。先 ようなら。
成3年川崎医師会会長、4
応基準を理解し、全身状
ともあれ、青少年の喫煙抑制
さらに 一九九六年三月には 一 策など、喫う人、喫わない人と
の意見調整を対策立案の条件と
して第 一にあげている。
いるとされる。
コンセンサスを基本的な考え方 納め、雇用し、素材や貨物輸送、
態や社会的背景も考慮し
が嫌にな って久しい。
・3%である。男性は三十代か について論じている。交通機関
それは自分の勝手で自由なので 十∼三十代にピークがあ って減 られてはいるものの、本邦では
きるから、
将来病気になろうが、 ら減少傾向を示すが、女性は二 や公的な屋内では禁煙措置がと
が、本人は楽しくリラ ックスで
吸 い込む煙を主流煙 という べ高く、男性60 ・4%、女性13 の現状を比較検討し、法的規制 る ﹁たばこ事業﹂と関係省庁と
は、WHOは 一九九三年報告書
年から日本医師会代議員。
ならない。胆石種類の診 症状が軽微な症例に対し
き っかけに禁煙し、以後煙、臭 る。
本邦の喫煙率は諸外国にくら を出し、その中で欧州と日本と として強調し、大蔵省が管轄す 広告のサービスを購入し、年間
また昭和53年川崎市保健
去る四月十五日開催第 一 代議員会で、本学出身の田 衛生功労者表彰、56年神奈
三三回神奈川県医師会臨時 中忠 一君 ︵昭30︶が神奈川 川県保健衛生功労者表彰、
種胆石の臨床的特徴を理 科では、症状が軽微な症
の協調共存を柱に、グローバル
ては経過観察でよい。当
胆道造影、CT検査の組 過観察を行 っている。
X線撮影、超音波検査、 量の就寝前投与による経
断すなわち質的診断は各
た治療法を決めなければ 能の良い無症状ないしは
た上で各症例に最も適し 壁に問題がなく、胆嚢機
一方、胆石以外に胆嚢
三兆円の経済効果をもたらして
県医師会会長に就任した。 63年神奈川県県民功労者表
田中君は卒後小児科教室 彰、平成6年川崎市長表彰
解していれば、腹部単純 例に対してはUDCA少
田 中 忠 一 君 ︵昭 30︶が
ある。しかし、口から吐き出し ることを示さない。医師医療従 健康面での理由ではなく消防上 歩前進し、保健医療機関は原則
に入局、38年現在地の川崎
︵市政七〇 周年記念︶
、環
を与えることの方が重大で、各 人よりは低いが、欧米諸国の医 いる。さらに広告、販売、警告 方検討会報告書﹂で述べられて だ。
いる。そして労働省も 一九九六
神 奈 川 県 医師 会 長 に就 任
た煙 ︵副流煙︶が周囲に悪影響 事者の40%弱の喫煙率は 一般の のため規制されていると断 って 禁煙とすることが ﹁
分煙のあり な解決策を見い出していくべき
に田中小児科医院を開設し 境庁長官賞受賞、公衆衛生
た。48年川崎医師会理事、 功労厚生大臣表彰、7年川
種の研究成果でわか ってきた。 師にくらべ非常に高い。ちなみ 文の法的規制は強制でなく、自
56年川崎医師会副会長、平
崎市社会功労賞受賞。
︵K︶
る。筆者は ヘビースモーカーだ トピー性疾患、成人の肺癌まで
さて喫煙対策だが、日本医師 分煙、禁煙、節煙などを通して、 した成績を提示した。
ったが二十年前に入院したのを の受動喫煙はおおいに害毒であ 会雑誌1巻
16
4号 一九九六年 で 喫煙者と非喫煙者とのよりよい
一方、たばこ産業は国に税を
先生の研究業績につきま ポーツマン 一家としてのご
ス解消のためと意識調査で明ら 動計画検討会報告書﹂を発表し した結果であるとし、浮遊粉塵
法の選択においては各種
の良い無症状ないしは症
射線医として先生のあとを
る。
に呼吸器核医学や医用画像 教育に関して所信を述べら ソトープ実験施設安全管理
ぎる逝去を惜しんだ。日本 を振り 絞 って のものであ 酷な仕事でありますが、大
いての研究が広く知られて 思い出とな ってしまいまし
九七〇年代に経口胆石溶 されない無機能胆嚢の症
先生と初めてお会いした いるのはご存知のとうりで た。もう長身でスマートな
た非開腹的治療法が開発 ロール胆石と考えられる
され、さらに 一九八七年 有症状例で、腹部単純X
謝を示し、あまりにも早す 報告は、まさに最後の気力 このことだけでも大変に苛
見率も高くな っている。 は、胆石による自覚症状
波検査法の普及により発 治療 の対象と なる症 例
診療メモ
入局された。平成七年八月、
策
し上げました強い責任感を
望月幸夫前教授の後を受け 長は、苦渋の病床にありな 教授の大学葬に当たり弔辞 られました。先生は先程申
対
て放射線医学講座の主任教 がらも最後まで公務を全う を申し述べます。
煙
弔 辞 を 述 べ る 葬 儀 委 員 長 ・岡 村 哲 夫 学 長
喫煙は健康に大きな影響をお 妊婦の早流産、奇形児出産、幼
喫
故川上憲司教授
大学葬行わる
論説
(2 )
(平 成 9 年 ) 5 月 2 5 日
1 9 9 7年
聞
新
大
慈
(
第 三 種郵 便 物認 可 )
第 5 10号
岡村哲夫学長が会頭で開
催される第20回日本プライ
科渡邊禮次郎教授を実行委 ンも含め 一九九題で本学か 授、スポーツ医学科小原誠 るため同窓の先生方の多数
員長に最後の準備が進めら ら看護部も含め十 二題が採 教授、総合内科川村忠夫教 の御参加をお願いします。
新緑の季節となりまし
二 ・九歳であり、年々少
十六 ・四歳、女性は八十
リ ハビリを含めた治療に
焦点をあて、その診断と
今回は、脳血管障害に
生 涯 教育 セ ンタ ーだ よ り
た。街路樹も新鮮な緑で
腎 ・高血圧内科、代謝内
というテーマで行われ、
なされ、さらに米本教授
実地臨床に即した発表が
型Ⅱ
コラーゲン抗
チの早期発見ー抗
● 特 製 ウェディング ケー キ ご 寄 贈
● 結 婚 記 念 日に、レ ストラン プル ニ エ の お 食 事 券
ない。食生活の欧米化に伴
ない今後増加が予想される
おおわれ、新しい息吹が、 しず つではありますが、
科︶
、脳神経外科、リ ハ
のQOLを充分に考慮する
こ のよ うな背 景の も
必要がある。本症例は内科
町を歩いていて感じられ
と、過去の二回の夏季セ
ついて、内科 ︵
神経内科、
門分野から最新の情報を提 的治療が奏功した若年女性
るよ うにな ってきま し
延びを示しています。
供していただき、十分な検 の潰瘍性大腸炎であり、患
た。しかしながら、昔と
本学会を盛大なものとす 会事務局まで。
担当
討を行うことができた。本 者のQOLや長期予後を視
れている。
用され、座長もリハビリテ 授を始め本学関係より計九 尚詳しい問い合わせは附属 が、好発年齢が若年であり
以前本紙で紹介したよう ーシ ョン科米本恭三教授、 名を予定している。
柏病院総合内科資料室内学 治療法の選択に際して患者
消 化器 肝 臓
第 12 回 内 科 グ ラ ン ド カ ン フ ァレ ン ス
さまざまな分野について
6 月14 日︵土 ︶
体を指標として﹂
︵整形外科︶
ンスが巡ることを祈 ってお
ります。 ︵平元︶
東京 會 舘
に会頭講演 は岡村学 長が 環境 保健医学清 水英佑教
﹁病気を診ずして病人を診
よ﹂というテーマで講演さ
れる。特別講演二題、教育
講演 一題、シンポジウム五
いる姿はめ っきり減り、
比べると、子供が遊んで
閑散とした公園も少なく
の司会のもと総合的な討
ミナーは、〃
加令と疾患〃 ビリ科などの各領域より
教育﹂をテーマに本学が中 科グランドカンファレンス 球除去療法などの最新の治 だその病因は解明されてい
ありません。 一目で少子
題を予定している。シンポ
疾患は 一九七三年に厚生省 野に入れた的確な治療法の
ジウムⅠは六月十四日︵に
土︶ 去る五月十 二日消化器 ・ 従来の薬物療法に加え、ス 特定疾患に指定され調査研 選択について多くの示唆を
﹁プライマリ ・ケアと卒前
肝
臓
内
科
担
当
の
第
十
二
回
内
テ
ロ
イ
ド
パ
ル
ス
療
法
、
白
血
究
が
行
わ
れ
て
い
る
が
、
い
ま
与
え
ら
れた症例であ った。
︵相澤良夫 ・鳥居明︶
心とな って企画され、座長 ︵CC︶
が、相澤講師と鳥居 療法が紹介された。続いて
多くの先生方の参加を期
論を行う予定です。ぜひ
り、何れも好評で多くの
日常診療に役立つ内容が
第 13 回 内 科 グ ラ ンド カ ン フ ァ レ ン ス
一方、将来推計人口統
待しております。
豊富 に盛り込 まれ てお
計によると、 二〇 一五年
先生方の参加をいただき
日時
テー マ ﹁慢性 関節 リウ マ
セミ ナール ーム A 講師 藤井克之教授
場所 大 学2 号館 10階
午 後4 時よ り
生 涯 教 育 セ ン タ ー月 例 セ ミ ナ ー
︵森山 寛︶
ました。
に早い時期に達成される
すれば、この比率はさら
正されていることを考慮
計人口統計が常に上方修
のことですが、過去の推
が六十五歳以上となると
には国民の約四人に 一人
化が認識できます。
消化器 ・肝臓内科︶の 池内助手 ︵消化器外科︶が
には内科学第1戸田剛太郎 助手︵
外科の立場から最新の手術
マリ ・ケア学会 学術集 会 教授と外科学第2青木照明 司会により開催された。
症例は三十才女性、腹痛 療法を示し、手術適応と術
が、左記のごとく開催され 教授が予定されている。 一
る。現在附属柏病院総合内 般演題はポスターセ ッショ と粘血便を主訴に入院とな 式について説明された。さ
った重症型 潰瘍性大 腸炎 らに小井戸助手は潰瘍性大
改善し退院とな った。症例 に解説した。最後に渡辺助
呈示に先立ち、稲玉助手よ 教授 ︵慶應
義塾大学内科 ・
と考えられます。また現
もと心筋のカルシウムイオ 町自体は大きいとい っても ど苦痛ではなく、全てのこ 己を見失わないようにする 幸運であり、今回この貴重
ン動態に関して研究を行 っ ビルが建ち並ぶ中心部から とに関して余裕を持 って行 姿勢は自分に欠けていると な機会を与えて下さ った生
ていた関係で、ここリーズ 車で十五分も走れば、住宅 うことが出来ます。この現 ころだと痛感しています。 理学第2栗原教授、そして
プ レゼ ント(
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田嶼 尚 子 (
内科 学 講 座 第 3 ・教 授 )
5、 リハ ビ リテ ー シ ョン科 の 立 場 か ら
宮野 佐 年 (リハ ビ リテ ー シ ョン 医学 講 座 ・助教 授 )
味 とサ ービスひと
すじに…ご婚 礼 は東 京 會 舘 で
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がん慶
セ應
ンター︶が本疾
り炎症性腸疾患の最近の動
向が紹介され、近年増加傾 患 の免疫学 的病態 につい
真
日 時 平成9年6月9日 ︵月︶午後6時∼7時30分
場 所 慈恵医大西新橋校 ・中央講堂
担 当 循環器内科
テーマ ﹁冠危険因子と冠動脈硬化﹂
〃
司会
清水光行 ︵循環器内科︶
会沢 治 ︵
循環器内科︶
冠危険医子とは
冠ー
疾患患者と健診受診者間の年代別検討ー
渡辺久之 ︵循環器内科︶
和田高士 ︵健康医学科︶
症例提示︵1︶危険因子の多い若年例
溝上恒男 ︵循環器内科︶
コメンテーター池脇克則 ︵
青戸病院内科︶
冠危険︵因2子︶
の少い若年例
鈴木清文 ︵循環器内科︶
コメンテーター小川和彦 ︵循環器内科︶
注目されている冠危険因子
小峰武明 ︵循環器内科︶
インスリン抵抗性
ACE遺伝子多型性
宇都宮正範 ︵循環器内科︶
まとめ
望月正武 ︵循環器内科︶
井
出 席 ご希望 の 方 はハ ガ キ に住 所 ・氏 名 を記入 し、 7月31日
まで に 下 記 へ お 申 し込 み下 さい。受講 者 に は 「
証 」 を発 行 し、
向にあることが示された。
次に山下医員の症例呈示 中心とした最近の研究成果
の後、有廣医員より内科的 を述べられた。
今回は重症型潰瘍性大腸
治療法が説明され、サラゾ
スルファピリジン、副腎皮 炎の症例を呈示し、その治
川
のどかな所です。その為か
大学でも単離心筋細胞を用 大きな犯罪はなく治安は比
いてカ ルシウムイ オン動 較的良いです。そしてなん
態、特に細胞の収縮には不 とい っても忘れてはならな
きと時として苛立ちさえ覚
可欠な筋小胞体機能に関し いのが、日本人にと って驚
て実験を行 っています。
リーズは英国のヨークシ えてしまう英国人ののんび
ャ地方の西側にある比較的 りとした 気質だと 思いま
います。最近では分子生物 大きな町で、近辺には工業
学的な内容も加わり、ます 都市 マンチ ェスターやビー
ます複雑な研究に変化して トルズで有名なリバプール
徳留悟朗 (
内科 学 講 座 第 2 ・講 師)
4、糖 尿 病− 血 管 障害 の予 防 と管理−
で、プレド ニゾ ロンの点滴 腸炎の長期予後に影響を及
日 時 平成 9年 6月 14日 ︵土︶ ∼15 日 ︵日︶
会 場 東京 国際 フ ォーラ ム ︵有 楽町 駅前 ・旧 都庁 跡︶ 静注と注腸、およびアミノ ぼす癌化の問題に触れ、そ
メインテーマ
サリチル酸内服により症状 の発癌機構を分子生物学的
﹁プライマリ ・ケアのさらなる展開をもとめて
健︱
やかな生命 ・社会 ・文化を育てよう︱﹂
会頭講演 ︵14日午後1時30分︶
﹁病気を診ずして病人を診よ
﹂
特別講演
宇Ⅰ
沢弘文先生 ︵東京大学名誉教授︶
﹁社会的共通資本としての医療制度︱生命 ・社会 ・文
化を支えるものー﹂
和Ⅱ
田俊氏 ︵ニュースステーシ ョン コメンテーター︶
﹁
21世紀への視点︱狭くなる地球︱﹂
教育講演
のカルシウムイオンと収縮
英 国 リ ーズ 大 学 よ り
平井俊策先生 ︵東京都神経病院院長︶
質ステ ロイドを中心とする 療法を中心にそれぞれの専
﹁無症候性脳梗塞とその対策
﹂
シンポジウム
プⅠ
ライ マリ ・ケアと卒前教育
東京慈恵会医科大学担当 ︵14日午後4時より︶
高Ⅱ
齢者のQOLと在宅ケア
内科第 4
老︱
後を我が家で暮らしたい︱
地Ⅲ
域医療をすべての人々に
私は平成八年九月より英 に関する研究では数多くの
健︱
やかな少子、高齢社会 への挑戦︱ 国のリーズ大学 ・生理学教 報告をされています。現在
在Ⅳ
宅訪問歯科診療の現状から将来について
室にポストドクターフ ェロ ここでは単離心筋細胞にお
V医薬分業とかかりつけ薬局
ーとして留学しています。 ける各種イオンチ ャネルに
パネルデ ィスカ ッシ ョン
﹁介護保険とプライ マリ ・ケア
この教室のオーチャード教 関する電気生理学的研究や
﹂
学会事務局 柏病院総合内科資料室内
授は、生理学的 ・病態生理 蛍光色素を用いた細胞物質
TEL0471−64−1111 FAX学
0的
4状
7態1に−お6
26の測定等が盛んに行われて
け4
る−
心1
筋1
細胞
同 窓 会 ・同 門 会 予 告
きています。私は以前、生 といった日本人にも比較的
理学の栗原教授のご指導の 馴染み深い町があります。
井 上聖 啓 (
神 経 内 科 ・教 授 )
2、脳 神 経 外 科 の立 場 か ら− 診 断 と外 科 的 治 療
小川武希 (
脳 神経 外 科 学 講 座 ・助教 授 )
3、 腎 ・高 血 圧 疾 患− 血 管 障 害 の 予 防 と管 理
来 月 6月 14日 ・15日開 催
昭 52 卒 後 20 周 年 記 念 同 窓 会
脳 血 管 障 害 の診 断 と治 療
司 会 :米 本 恭 三 (リハ ビ リテ ー シ ョン医 学 講 座 ・
教授)
1、神 経 内 科 の 立場 か ら− 断 と治療 につ い て
す。とにかく待つことに関
しては真似の出来ないほど 代社会の中ではなかなか培
この快適な環境の中で研 留学を快く承諾してくださ
辛抱強く何をするにもこの われない余裕と、幼少時か 究だけに止まらず、今まで った内科学第4望月教授と
忍耐が要求されます。それ らの習慣で常に自らの意見 と全てが違う生活を経験す 医局員の方々には深謝申し
でも慣れてしまえばそれほ が要求されいかなる時も自
る
こ
と
が
出
来
る
の
は
非
常
に
上げます。更に多くの先生
方にこのような留学のチ ャ
(日本医師会生涯教育講座 )
岡村哲夫学長が会頭
絡.
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所
ーテ
マ
場
平 成 9年 8月23日 (
土)
時
日
18 回
日本プライマリ・ケア
学会
場所 丸の内東京會舘
研究室 にて
第
第 5 10 号
(
第 三 種 郵便 物 認可 )
聞
新
大
慈
(平 成 9 年 ) 5 月 2 5 日
19 9 7年
(3 )
仕事をしている。このよう
に医師としても、人間とし
慈恵俳壇
木蓮のきそう空あり風強し
山之内製薬
(
03)
HypoCa
会としてホテル内のバー へ わろうと同じラグビー部員
都 心 五 支 部 同窓 会 開 催
有意義な話であ った。
物 故者御 氏名
土 屋安 佳 ︵昭9 神奈 川︶
山 本隆 司 ︵昭34 ・東 京︶
ご用 命 をお 待 ち申 しあげ てお ります。
り、東医体等で大いに活躍 君の司会で進行し、大学理 声で乾杯し祝宴に入 った。 最後は同窓会理事の益子博
した。大学二年の折、大学 事の松井道彦君が代表して 田嶼 ・久保両君を中心に昔 君の楽しい閉会の辞でお開 席を移し、田嶼 ・久保両君 であるというだけで何ごと
祭にクラスでモリ エールの 祝辞を述べ、遠路福島から から仲の良い四五卒生、三 きとな った。しかしまだ話 を肴にしながら真夜中まで にも 代え難い親 近感を覚
岩国 村井 一露
の尽きない三十人程は二次 歓談した。︵赤羽清彬記︶ え、他から見て縦の繋がり 花楓斑か濃くなりし鯉の稚
なられた猿田春彦先輩 ︵
昭
今 回 は文 京 支 部 が担 当
去る平成九年二月十九日
長、馬詰良樹部長の挨拶の
14︶菅野武君 ︵昭41︶に黙
祷を捧げた。石川昭OB会
内科2の酒井紀教授がそれ 老いたれば淋しきことのみ
ぞれ講演をされ、たいへん 更衣
が強いと思われるような集 魚
十二名のOBの参加があり 練習内容に程度の差はある 思いながら苦い経験として 団になるものと思われる。 薔薇匂ひ大き枕の旅に覚む
現役にと っては何よりの激 としても、医学部学生にと 体に刻み込まれているので 現役部員の更なる奮闘を期 駅弁の箸のみじかき薄暑か
励にな ったことと思われる。 っては恐らく体力の限界を ある。それゆえ、世代が変 待したい。︵三森教雄記︶
な
会に先立ち今年度に亡く
岡山 藤本剛平
喜劇を出した際に田嶼君は 参加した大平謹 一郎君の発 時間ほど大いに盛り上がり
主人公のオカミさん役を演
じ、メリ ハリの効いた台詞
と大胆な演技に中央講堂は
笑いと歓声に包まれた。ま
た試験前には彼女のノート
のコピーが悪童共の貴重な
勉強資料であ ったことはい
うまでもない。卒業後も意
後、福井より駆けつけられ
︵
水︶第十五回都心五支部 室にて懇親 会が開催 され
︵千代田、中央、港、新宿、 た。鈴木黄港支部長の乾杯
欲的に研究 ・診療を行い、
た田中広昌君 ︵昭37︶の乾
で歓談が始まり和気藹々と
講演会終了後記念撮影を 老鶯やこれより先に家のな
して午後八時十五分より別 し
杯の音頭で会が始まり、そ
文京︶同窓会が、虎ノ門パ
すごした。宴も酣ではあ っ
海外からも認められて客員
れぞれの学生時代を思い起
ストラル ︵東京農林年金会
助教授として米国で二年半
平成 九年 一月 二十 五日 こしラグビー談義に花をさ
たが九時十分に次期世話人
耳 塚千 秋 ︵昭14 ・愛 媛︶
ても素晴しい田嶼君が本学
館︶新館五階にて開催され
土 肥淳 一郎 ︵
特 ・東 京︶
︵土︶、平成八年度慈恵医 かせ有意義な 一時をすごし
の杉本寿 一千代田支部長の
博 ︵昭21 ・東 京︶
感を、あまりにも如実に反
から多数の参列者がみえて ったからなのだろうか。
事はも っと単純に違いな 映する結果を生み出してい
いたが、これとは対照的に
学生の姿は非常に少なく、 い。というのも学生会とし るようで、少し寂しい思い
ちょっと奇妙な光景であ っ てそうした行事 への出席を がしている。
大 学 葬 に 出 席 し て 変わ っていないとすると学 くはないが、式に出席する
先日行われた故川上憲司 生が行事に出席しないのは ﹁自由﹂が、学生個々の人
教授の大学葬には大学内外 これに出席するクラブが減 とのつながりに対する価値
光景など、とても想像した
学生で埋めつくされている
をもらう為だけに集ま った
祐 野彰 治 ︵昭55 ・東 京︶
河井
有 松久 雄 ︵昭25 専東 京︶
大 矢莞 爾 ︵昭17 ・広 島︶
た。
の教授となることは、我が
クラスが卒業以来念願とし 大ラグビー部OB総会が芝 た。現役部員の紹介、六年
てきたことであり、級友全 パークホテルにおいて開催 生の挨拶がありみなラグビ
︵友成正記︶
の参加が望まれた。
最初に ﹁脳梗塞の臨床﹂ 閉会挨拶で散会した。感想
という演題で内科2の本田 としても っと多くの若い人
英比古講師が、次に ﹁慈恵
された。この会は現役の今 ー部に所属したことに悔い
久保政勝君は医師として シーズンの成績報告、六年 のない様子であ った。山之
医大の現状﹂という演題で
員が心から喜んでいる。
極めて優秀である上に、意 生の送別会、OBと現役の 内照雄君 ︵昭42︶作詞のラ
思が強くかつ他人の気持を 親睦を兼ねて例年この時期 グビー部歌、慈恵医大学生
去る四月五日満開の桜の るためであ った。
思いやることが出来る人柄 に開催されている。今年度 歌 を全員 で肩を組 み斉唱
田懊君は入学以来常に我
中、 四五卒生 四十 一名 が
年が明け、気にはしてい の ﹁あらめ﹂は、今も私ど
りになりました。その渥美
学 生 通 信
嬉々として東京プリンスホ がクラスの中心的存在であ
を過ごさせていただいたの
ているとか、大変楽しい夜 と、少し心配でした。
ダンスをお二人で楽しまれ に無理に誘い出したのでは にすることなく、お亡くな
奥様もお見えになり、社交 が大変悔やまれます。それ 八日渥美の ﹁あらめ﹂を手
テルに集 った。それは我が った。学業成績は無論優秀、 である。我々からも信望厚 はラグビー部の公式戦であ し、今年度の現役の健闘を
クラスの エース田嶼尚子君 在学中は全学年に於いて特 い久保君は、柏病院長とし る東医体、関東医歯薬リー 期待し散会とな った。
ラグビーというスポーツ
が内科学講座第3の主任教 待生となり卒業時には慈大 て皆さんから信頼され必ず グ戦での成績は優勝を争う
授に就任し、また久保政勝 賞を授与されている。生来 良い仕事をしてくれるもの までには至らなか ったが、 は最も運動量の激しい部類
石川昭 ︵昭38︶OB会長の の 一つであり、それゆえ練
君が慈恵柏病院の院長とい のスポーツウーマンである と思う。
祝賀パーティーは原貞夫 号令により、例年以上に五 習 ・合宿などは年代により
う要職に就いたお祝いをす 彼女 はテ ニスの名手であ
山 本 隆司 君 を悼 む
正人
ましたが話づらく、ずるず もの家に寂しく残されてい
(
03)3582−0111
〒 105 東 京 都 港 区 虎 ノ 門 2−10−4 ︵
昭 34︶ 近 藤
新入生歓迎会や京府戦、
た。このことは先生があま 学生に促すと、決ま って﹁出
りに早く亡くなられたばか 席はとるのか﹂という質問 愛宕祭などの行事が、形式
りに、我々五年生でさえ、 が返 ってくるからである。 的なものにならないことを
が印象的でした。
︵
学生委員長 堀田亮︶
願う今日この頃である。
肺炎や関節痛等︶で苦しん もしい隆さんでした。
とはできなか ったという実 の会場が ﹁出席﹂のカード
先生と講義でお会いするこ 個人的には、葬式や卒業式
でいたのを知 ったのは数年
学
生
時
代
を
振
り
返
る
と
、
昨
年
、
同
窓
会
の
一
、
二
ケ
る
日
が
進
む
中
、
四
月
三
日
隆
ま
す。
前でした。奥様と私の家内 田口君と隆さんが埼玉大学 月前でしたか、奥様から電 さん自身から電話がありま
まだまだ多くのやりたい
★通常総会が五月十七日に 私学の雄である本学にと っ
が亡くなられました。
★土肥淳 一郎名誉教授
開催されました。大学の改 て名誉なことであります。
革も順調に進み、徐々
本学の 一時代を支えら
れました名物教授が亡
くなられることは、や
はりさびしい気がしま
す。
心より御冥福をお祈りい
オ ーク ラ
〒1
03 東 京都 中 央区 日本橋 本 町2−3−11
薬価収載
〔資料 請 求先 〕
山 之内 製薬 株 式 会社 学 術情 報 部
ホテル
O B現役 の強 い繋 が り
とは同級生でよく連絡を取 の出身でお 二人と政治、社 話があり、隆さんに肺癌が した。渥美の ﹁
あらめ﹂を ことが残されていたと思い 状と少なからず関係してい
り合 っていましたが、家内 会、国際問題を喧々諤々と 見つか ったという知らせで 都合できないかとのこと。 ます。しかしご子息が後を たのかもしれない。しかし
も自己免疫肝炎でステロイ やり合 ったのが昨日のよう した。間質性肺炎に肺癌と テレビの紹介で便秘によい 継がれ、隆さんも安心して 大学葬に限らず、最近、大
あえて隆 ︵リ ュウ︶さん ドを服用していた関係で、 に思われます。その田口君 はや っかいな事にな った物 事を知 ったが、麻薬による 旅立たれ たことと 思いま 学のそうした行事に学生が
催 し盛会 に終 りまし
た。記念式典に皇太子御夫
妻をお迎えできたことは、 たします。
藤 原健 二
国 内 セ ールス 課
持効性Ca拮抗剤〈
塩酸 バルニジピン徐 放製剤〉
東 京 慈 恵会 医 科 大 学 担 当
田嶼尚子教授 ・
久保政勝柏病 院長就任 を祝 う
と呼ばせていただきます。 ステ ロイドの量がよく話題 も既にいません。卒業後私 だと思いつつも、同窓会 へ 便秘が良くなるかと思って す。思えば学生時代、共に 出席しなくな ってきている に落着きをとりもどし
つつあります。
奥様のお話では隆さんと呼 にな っていました。間質性 は名古屋に帰り、隆さんは の出席を お聞きし たとこ との事。その時の話し声が 活動した田口君、同級では ことは確かである。
本学では元来、入学式や ★第1回
0小
0児科学会総
ばれることをあまり好まな 肺炎とはいやな病気にとり 泌尿器科 へ進まれました。 ろ、あまり気乗りはしてい いかにも苦しそうで、明ら ないが宮田君、宮地君、そ
か ったと いうこと でした つかれた物だ と思 いつつ 子供の事もあ って、その後 ないようでしたが、行 って かに呼吸困難があるようで して山本君と次々に友を失 卒業式などの大学の行事 へ 会が前川教授会頭の下
早速、渥美の﹁あらめ﹂ ったことは大変残念なこと の出席はクラブ単位でのこ に本学小児科教室が主
が、学生時代、隆さんで親 も、診療は勿論のこと、手 もず っと交際を続けていま みようかという事になり、 した。
いが、そうしたシステムが
を手配し、たまたま手元に です。あらためて、山本隆 とが多い。その是非につい
あ った伊勢大王岬の ﹁
あら 司君のご冥福をお祈りして てここで述べるつもりはな
め﹂を送りましたが、四月 お別れの言葉とします。
3224−6600
ダイヤル イン
昭45卒クラス 会が
を 盛大に 開 催
しまれていたことを思い敢 を つなぐ親の会 ︵知的障害 したが、五、六年前のこと 楽しい夜を過ごすことがで
えてそう呼ばせて下さい。 者の︶をはじめ公的な仕事 だ ったでし ょうか、同窓会 きましたが、これが隆さん
隆さんが膠原病 ︵間質性 を精力的にこなしていた頼 に出席した折り、二次会に との最後の日にな ったこと
編集局 だより
Ya m anouchi
ご婚 礼 、ご宴 会 、 ご宿 泊 、ご会 食 、出 張 宴 会 の
50名 以上 の参 加 で 開催
(4 )
(
平 成 9年 ) 5 月 2 5 日
19 9 7年
聞
新
大
慈
(
第 三 種郵 便 物 認可 )
第 5 10号