京都教育大学紀要 No.114, 2009 105 中動態と他動性 二枝 美津子 The Middle Voice and Transitivity Mitsuko NIEDA Accepted December 18, 2008 抄録 : 態は文法範疇であり能動態と受動態に区別されている。それぞれ能動構文と受動構文で表されると言われ ているが,統語・形態的な違いに基づいた区分と意味が一致しない場合が少なくない。能動態と受動態をつなぐ 中動態を考慮にいれることで,態の範疇の新しい面が見えてくる。本論文では,類型論の視点にたって中動態を もつ言語から中動態の本質をさぐり,認知言語学の視点から能動態・受動態との事態の捉え方の違いをみていく。 中動態は能動態より他動性が弱く,中動態の本質は本来他動詞の参与者の始点と終点の区別が不可能か必要ない 場合に生じる自動詞化であることを明らかにする。そのため中動態の主語は動作の始点と終点の両方の意味をも つ。本来の自動詞と自動詞化された中動態の違いは,前者では参与者が一つと捉えているのに対して,後者では 参与者を二つと捉えてはいるが,精緻化の段階でどちらかをトラジェクターとして区別しないため,参与者は一 つとして言語化される。 索引語 : 能動態,受動態,中動態,他動性,自動詞化 Abstract : It has been said that voice category is distinguished into the active and the passive. Active constructions belong to the active and passive constructions to the passive. But in some cases a meaning does not correspond to the constructions which are regarded as natural. A new aspect of voice category is revealed by establishing the middle voice which is connected with the active and the passive. In this paper the nature of the middle is investigated from the point of typology, and the way of construing the situation will be clarified from the viewpoint of cognitive grammar. In the middle transitivity is less than the active, and the middle is intransitivized from the active in the case where a starting point and an endpoint are not distinguishable. The subject of the middle has a meaning of an agent and a theme. The difference between the true-intransitive and the intransivized one is that the former is recognized as having one participant. In the latter, one participant of the two is elaborated as a subject because of their indistinguishability, though both participants are recognized. Key Words : active voice, passive voice, middle voice, transitivity, intransivization 106 二枝 美津子 1. はじめに 時制(tense),アスペクト(aspect)と並んで,動詞の持つ重要な範疇に態(voice)がある。現代英 語では,文は必ず能動態(active voice)か受動態(passive voice)のいずれかに属するとされている。 態の範疇は複雑であるが,態によって話者のものごとに対する捉え方が比較的明確に形になって表れ る。近年では認知文法や類型論の領域で受動態(passive)を中心に態について研究・分析が盛んに行 われている。この論文では,認知文法の視点にたって「態」とそれに関係する構文について考察して いく。 伝統的に「態」に関しては,能動態と受動態に分かれ,それぞれ能動構文,受動構文で表されると されている。しかし,形は能動構文でも意味は受動という場合,逆に,形は受動構文でも意味的には 能動的である文も少なくなく,形と意味が一致しない場合がある。特に,英語の受動構文には「受身」 の意味を表していない場合が多い。これが,日本人の英語学習者が「態」に関して陥りやすい間違い を引き起こす要因の一つである。「受動(passive)」という語によって「~される」という日本語と結 びつけ, 「行為を受ける」という概念と結びつけてしまいがちである。従って,be born, be surprised, be excited などの表現は初期学習者には容易ではない。また,enjoy oneself, improve oneself など再帰構文は, oneself を目的語ととらえると能動態ではあるが,決して他動性は高くなく,能動の意味ではない。こ のような問題は,能動態と受動態の二分によって起きると思われる。態に能動態・受動態だけではな く,「中動態(middle voice)」を考察にいれることによって,新しい展開が期待できる。本論文では, 類型論の立場で中動態を分析し,認知文法の視点で中動態の事態の捉え方を探り,中動態の本質は自 動詞化であることを明らかにする。 2. 態を表す形態 態という範疇は,確かに分かりにくく能動態と受動態といっても本質は何を示すものか明確ではな い。「態(voice)」は本来,古典ギリシア語の文法に由来する概念である。主語が動詞の表す事態に対 していかなる関係をもつかを表示するものであり,能動態と中動態があった。古典語においては,伝 統的に動詞の屈折変化の形で態は表された。古典ラテン語では能動態と受動態の区別があり,これら の言語では「態」は動詞がそれぞれ異なる語尾変化をして,形態上どちらの態に属するか明確に区別 されていた。ラテン語の amare の語幹は am- で,1 人称現在の active は amo(I love~),過去形は amabo (I loved ~)であるが,受動 passive の 1 人称現在形は amor(I am loved),過去形は ama-bar(I was loved) というように動詞の屈折語尾の変化の違いによって能動態か受動態か認識される。この動詞の語幹は プロファイルされたプロセスの方向性を設定する。従って,態は無標な形の場合の主語を決定するこ とができる。一方,英語ではドイツ語やフランス語などと同様に,動詞の活用変化という統合的な形 ではなく, 「be 動詞+動詞の過去分詞(+ by 名詞句)」という分析的な形で表現される。ここでは, 「be (または get)+ 動詞の過去分詞」の形を「受動構文」とよび,その他の構文から区別する(1)。基本的 には受動構文は受動態に属すると考えられるが,そうでない場合も存在する。英語では能動構文と受 動構文の使用頻度を比べると能動構文の方がかなり高く,受動構文は低くなる(Svartvik 1966)。換言 すれば,能動構文が無標の形であり,受動構文は有標の形であるといえる(坪井 2004)。 107 中動態と他動性 態を英語のように分析的に表す場合でも,古典語のような統合的に表す場合にも,能動態を表す形 が無標であり,受動態(ギリシア語などでは中動態)を表す形が有標である。従って,能動構文では 伝えられない概念を伝えるために有標の受動構文が用いられると考えられる。 「態」に関して,どちら を選択するかの決定には,話者(認知主体)の捉え方,認知の仕方が重要な影響を与えると考える。 3 態と事態の捉え方 次に,どのような捉え方が態の決定に関わるのか,認知文法の視点,特に Langacker(1990:229-230) の考えを中心に観てみよう。二つの態は事態の言語コードに関しては二者択一の関係にある。下記の (1a)の能動態の文と(1b)の受動文とでは,同じ出来事を表す場合に,話者の事態の捉え方が異なっ ている。 (1) a. John opened the door. b. The door was finally opened. 認知文法においては,プロファイルされたものの中で最も際立ちの高いものがトラジェクター (trajector)であり,トラジェクターは主語になる傾向があるとする。次に際立つものがランドマーク (landmark)であり,ランドマークは直接目的語になる傾向にあると考える。アクション・チェインに おいては,そのトラジェクターが始め(head)に来て,ランドマークは下流(tail)に来る。 ACTIVE S O 図 -1 (Lagacker 1990:229) Langacker(1990:229)は,能動文(active)では文法関係の図(figure)と最もエネルギーのある参与者 (participant)を一致させることによって,二つの非対称なものの一致が達成すると述べている。二つの 非対称物は,それぞれ知覚される実体(複数)が認知プロセスのレベルにおいて,アクセスされやす い順序を反映している。それらの主観的な際立ちに関する順序と客観的なエネルギーの流れの方向性 は一致している。つまり,客観的に高い方から低い方へと流れるエネルギーの流れは,主観的な際立 ちの順序(際立ちの高い方から低い方へと向かう)と一致している。 それに対し passive においては,主語の選択は(1a)でみられるようなパターンと逆である。トラ ジェクターの位置にあげられる参与者は,図 -2 で示されるように,プロファイルされたアクション・ チェインの head ではなく tail である。 108 二枝 美津子 PASSIVE S 図 -2 (Lagacker 1990:229) トラジェクターである最も際立った参与者(the most salient participant)がエネルギーの流れの下流に あるということは,際立ちの順序とエネルギーの流れの方向性が一致していないことを意味する。順 序づけの結果として生じるこの不一致が passive を有標な構文にしているものである。つまり,プロ ファイルされたプロセスは「自然(普通)ではない」と解釈を受け,本来の方向性に関してプロセス の終点(始点よりも)を表わす焦点化された参与者によってアクセスされる。この不一致の有用性が 受動構文の存在理由であると Langacker は考える(1990:229)。 Langacker はさらに,この不一致にはもう一つ言及するに値する面があるとしている。能動文で主語 ではなく直接目的語として選ばれた参与者は,それに対応する受動文では主語として選ばれる。この ことはよく言われることであるが,Langacker はさらに「その逆は正しくない」と述べている(1990:230) 。 つまり,「能動文の主語は,それに対応する受動文の直接目的語としては決して選ばれることはない」 ということである。主語である参与者からのエネルギーの下流にある際立った参与者として,直接目 的語が特徴づけられた結果,こうしたことが生じると考えられる。 図 -1 と図 -2 とを比べてこのことを考えてみよう。受動文は,受動(passive)ではない動詞の語幹に 接尾辞を付与するなどなんらかの影響を与えることによって,受動態であると認識される。動詞の語 幹はプロファイルされたプロセスの方向性を設定し,その方向によって無標の場合(多くは能動態)の 主語を定める(図 -1 の場合)。アクション・チェインの始め(head)が主語であり,主語のほかの参与 者は主語より下流にあるので,次に際立った参与者は直接目的語になる。従ってこの場合の文は他動 詞文である。受動(passive)の効果は,プロセスを「自然でない」と解釈して,プロセスに普通では ない主語の選択を課する。その結果,トラジェクターを際立った参与者間を結ぶ経路(path)の終点と 同一視する。主語は終点の参与者となる(図 -2 の場合) 。主語の選択は,他のどの参与者が直接目的語 として適切であるかを決める。図 -1 では主語が決定されると直接目的語が下流にある際立った参与者 に決定されるが,図 -2 の場合には,これは当てはまらない。何故なら,たとえアクション・チェイン の head がかなりの際立ちをもっていたとしても,それは主語からの流れよりも上流にあるからである。 従って,受動文は直接目的語をとることができず,主語のみの自動詞文であると認識されることにな る。アクション・チェインの head は非明示的に左にあり,周辺的であると認識される。head は屈折言 語では斜格(oblique)として,分析言語では英語のように「前置詞 by +名詞句」の形で表わされる。 ここで重要なことは,受動態において動詞は,他動詞ではなく自動詞的であるということである。基 本的には明示的な参与者は一つであり,その参与者はアクション・チェインの head に来ることができ るようなエネルギーの源になりうるものではないということである。 中動態と他動性 109 4.中動態(the middle voice) 4.1 能動態と受動態の境界 日本における英語の初期の学習段階では,受動構文では能動文の書き換えを軸に教えられている。他 動詞文の目的語を受動文の主語に,そして他動詞文の主語は「by + 名詞句」で表すと半ば機械的な文 の作り方を教える。そのため,能動形 / 受動形という構文の統語・形態上の交替がまず思い起こされ, 態の交替が事態に対する話者の「とらえ方の違い」を表していることは意識しては教えられていない。 つまり,受動構文が用いられる理由は十分に伝えられていない。また, 「by + 名詞句」は共起しないほ うが多く,動作の起点は表現しないのが普通であることもあまり教えられていない。前節 3 で見たよ うに受動態では参与者は基本的には一つであるという事実は,もっと重要視される必要がある。さら に,受動構文によって伝えられる共通の意味は「受け身」と考えられるため,初期日本人学習者は受 動構文を「~られる」という日本語の受動表現と直結する傾向にある。従って, 「~られる」などの日 本語の受動表現で表せる状況は理解しやすいが,下記の例文(2a)~(2c)のように「驚く(いてい る)」 「興奮する(している)」 「退屈する(している)」など主語の動作・状態を示す「~る・~ている」 で表現される場合は,習得は容易ではない。 (2) a. I was surprised at ( by ) the terrible news. b.The children were excited by the scene. c.The students were bored with his lecture. d.*The students were boring with his lecture. (3) a. The terrible news surprised me very much. b. The scene excited the children. c. His lecture always bored the students. d. Am I boring you? しかし, (2a)を理解しにくい場合も, (3a)の文が対比して示されると,動詞 surprise は他動詞であ ることが明確化され,(2a )において受動構文が用いられる理由を理解することができる。(3a)の例 文では図 -1 の流れ,動詞 surprise という動詞のエネルギーの移動の方向性がはっきり認識され,それ と対照的に図 -2 の流れが理解されるからであろう。それに対し,日本語では,無標の形は「驚く」で ある。日本語の「驚く」は図 -2 の方に近く,図 -1 で示されるようなエネルギーの流れはない。図 -1 のようなエネルギーの流れである「驚かす,びっくりさせる」を表すためには,自動詞である「驚く」 に使役を表す「~させる」を付加して表現しなくてはならない。「~させる」をつけることによって, 図 -1 のような流れが認識される。日本語と英語では無標の場合の形でのエネルギーの流れが逆である。 従って,図 -1 の流れをもつ動詞である surprise で表されるエネルギーの動きを, 「驚く」が無標の形で ある日本語話者に有標の形として認識させるためには,英語での無標の構文である能動構文を示すこ とには意味がある。 日本語の「驚く」「退屈する」 「生まれる」などの態は能動態なのであろうか,それとも受動態なの であろうか。形は明らかに能動構文であるが,エネルギーの流れから見れば受動の方に近い。先に見 110 二枝 美津子 たように,図 -1 の流れを捉えるためには, 「~せる,~させる」をつけ,使役の形にしなくてはならな い。本来は図 -2 の方の流れに近いが,head の参与者を際立たせ,そこからのエネルギーの流れをプロ ファイルする場合,つまり受動の意味を表すためには「~れる」 「~られる」をつけなければならない。 従って,日本語の「驚く」 「退屈する」などは能動態でも受動態でもないことになる。一方,英語の be surprised, be born なども次の節でみるように,形は受動構文ではあるが,意味的には完全な受動(受け 身)ではない。ここで,受動態,能動態の他にもう一つその中間的な新しい態の概念が必要となって くる。 4.2 能動態と受動態の限界 英語においても,能動態を表す構文が能動構文であり,受動態を表す構文が受動構文であれば,こ の区別は簡単になる。しかし,実際はそう簡単ではなく,4.1 で見たように,形が能動でも意味は受動 であったり,逆に形は受動であっても意味は能動の場合もある。このような例は英語にも多く見られ る。この節ではそうした区別が困難な場合を見てみる。例えば,下記の文は受動態か能動態か区別す るのが容易ではない。 (4) a.The door opened only with great difficulty. b. A good tent puts up in about two minutes. c. This ice cream scoops out very easily. (5) a.The door opened by itself. b.The ball rolled under the car. c. The ship sank to the bottom of the sea. (6) a.The newspaper unfolded itself in the wind. b.The bag opened itself. c.An idea formed itself in my mind. (4a)~ (4c)の文は中間構文と呼ばれる文で(2),形は能動構文で表わされているが,図 -3 で示され るように,アクション・チェインの head は特定化されずに,エネルギーの到達する参与者がトラジェ クター(主語)の役割を果たしている。その点において受動態(passive)に似ている。 tr 図 -3 (5a)~ (5c) も(4a)~ (4c)と似てはいるが,能格構文(非対格構文)と呼ばれる文である。形は能動 構文をとっており,head の参与者は,動作主など人間が関与しているのではなく自然現象などではあ るが,トラジェクター(主語)がエネルギーの源ではないことでは中間構文と一致している。その意 味では,これも受動態に似ている。 (6a) ~ (6c)は再帰代名詞を目的語にとる再帰構文である。形は他 111 中動態と他動性 動詞構文であり,一見,図 -1 のエネルギーの流れと同じであるが,到達点は出発点と同じであり,動 作は主語自身にのみ向かうため図 -1 と全く同じエネルギーの動きが見られるとは言えない。トラジェ クターから動作が出ている点では能動態であり,形は別ではあるが,トラジェクターと同じ参与者に エネルギーが及ぶ点では図 -2 の受動態と同じである。その点で,能動態と受動態の両方の性質をもっ ている。このような文の態を考察するとき,従来の能動態と受動態の区別だけでは不十分であり,そ の両方の意味を兼ねそなえた態の存在を考察する必要性が出てくる。 4.3 ギリシア語における中動(中間)態 能動態と受動態の中間的な態を設けることが必要と考えて,能動でも受動でもないが,両者に共通 する中間的な態が想定すると考えると,前節でみたような能動か受動が決められない場合の態が解明 できる。そしてそれら 3 つの態の関係を見ることによって態の範疇全体が再構築される可能性が出て くる。両者の中間となる態としては,中動態(中間態)が思い起こされる。ギリシア語の古典文法で は,態は本来,動詞の表す事態が主語に対していかなる関係をもつかを表す表示のことであった。中 動態は,本来形(形態上)は受動であるのに,意味は能動という形を指す語であり,インド・ヨーロッ パ語族の言語では,ギリシア語,サンスクリット語,ラテン語など古い言語に中動態の例が挙げられ る。歴史的には,受動態は中動態からできた。受動態(受動の意味)は中動態と形態的に同じ動詞の 変化をする。従って,受動態か中動態かは文脈でどちらか判断するしかない。中動態に動作主を明記 することで受動の意味を明確に表した。例えば,ギリシア語では前置詞 の後に行為者を表す名詞・ 代名詞の属格形を置いて動作主を明示し,受動の意味を表した。 中動態の意味の一部が受動態になった事実は,態を考察する上で重要なことである。中動態を視野 にいれると,上記のように能動態か受動態だけでは判断しにくい態や,態に関して日本人学習者がお ちいりやすい誤りの原因を導きだすことができる。「生まれる」「退屈する」などの日本語には,先に 見たように能動態,または受動態というより中動態に相当する態が存在すると思われる。日本語には 中動態で表されている表現が多いために,日本語話者が能動態と受動態を示す形態しかない英語に接 した際に間違いを犯しやすい。 先に述べたように,古典ギリシア語文法では,態は動詞の変化という形態上の違いで表される。能 動態とは別に,中動態といわれる動詞の形態が存在し,(1)主語が自分の利益のために行う動作や, (2)再帰的な動作,(3)相互的な動作を表した(田中・松平 1961 (1951):53,池田 1998:46)。 (1)自分の為に~する(「自分を~する」(他動詞)→「~する」(自動詞)) と 例 ( 止める) → や (止める) (2)再帰的 (洗う) → (自分自身の身体を洗う,入浴する) (3)相互用法 (分配する) → (我々は互いに分かち合う) (田中・松平 1962:53,池田 1998:46 から) (1)の主語が自分の利益のために行う動作に関しては,Croft(1993:104)も次のようなギリシア語 の例文を引用して二つの態を比較し,能動態との違いを説明している。 112 二枝 (7) a. hair-o 美津子 moiran take-1SG.ACT share ‘I take a share.’ b. hai-oumai moiran take-1SG.MID share ‘I take a share (for myself).’ (Barber 1975:18, Croft 1993:104 より引用) 中動態の接尾辞 -mai がつくことによって能動態ではなく, (7b)は事態を「自分のために」しているこ とが表されている。Croft はこの解釈を 「自身の受益(self-benefactive)」と呼んでいる ( 1993:104 ) 。 また,(2)の再帰用法のように,動作は自分から発するが自分の身体の一部(a part of the body)を動 作の到着点とする点が能動態と異なる点である。重要な点は,行為は他の参与者には及ばないことで ある。 (3)に関しても,参与者は複数いても一つと捉えられていると考えられる。(1)(2)(3)のエ ネルギーの流れは図 -4 のように表されるであろう。 tr 図 -4 4.4. 中動態のマーカー(middle marker) Kemmer(1983, 1984)は類型論の立場で middle voice について詳しく分析している。Kemmer による と,中動態はギリシア語,アイスランド語,ドイツ語,サンスクリット語などのインド・ヨーロッパ 語族に属する言語だけでなく,ハンガリー語,トルコ語など,他の語族に属する言語にも中動態は見 られる。Tsunoda(2003)はオーストラリアの Warrungu 言語にも中動態は見られるとしている。 中動態(middle voice)の言語研究において,中動態という用語は幅広い用いられ方をしている。そ の用法は大きく二つに分けられる。一つは,形式上の区別,つまり,ギリシア語に見られるように屈 折範疇を言及するような本来の用いられ方を示すものである。他方は,純粋に意味的に中動態という 語を用いる場合である(Kemmer 1994:179)。例えば,Lyons(1969:373)のように「行為や状態が動詞 (3) ものとして中動態を特徴づけたように,中動態の動詞の形の の主語や主語の利益に影響を及ぼす」 定義や特徴はなく,意味の上から定義する場合である。Kemmer の挙げる言語の中動態を表す例を見る と,接尾辞をつけるもの,接中辞,接頭辞をつけるもの,再帰代名詞を用いるものなどがあり,共通 の形は見出せない。また,上記の構文からは各言語内でも意味的な一般性は引き出せない。また,形 態上の特徴を含め,なんらかの形の上で中動態を他の態と区別する場合を見てみると,言語間でも異 なる。下記は(8)は古典ギリシア語,(9)は近代アイスランド語の例である。 中動態と他動性 113 (8) a loúo-mai ( I wash myself) b hallo-mai (I leap) c boúlo-mai ( I wish) (Kemmer 1983: 2) (9) a hann kloeddli-st ( he got dressed) b bókin fann-st ( the book was found) c ég vona-st tel a fara (I hope to go) (Kemmer 1983: 2) ギリシア語では中動態を示す特別の接尾辞(-mai,-sthai)アイスランド語では接尾辞(-st)をつける。 上記の例では,機能的な視点と形態上の視点からも異質であり共通のものは見られない。まず,上記 の構文からは各言語内でも意味的な一般性は引き出せない。次に,言語間でも形が異なる。下記の例 のように,ドイツ語やフランス語では再帰動詞が部分的に似ている。フランス語では再帰代名詞(se) , ドイツ語でも再帰代名詞(sich)を用いている。それぞれの言語内でもその用法は複数あり,いくつか の意味上のタイプに分けられる。ギリシア語の loúomai は「私は自分の体を洗う,入浴する」と受動態 の「私は洗われる」の意味がある。中動態の意味はドイツ語では(10a)に,フランス語では(11a)に なる。再帰代名詞を用いているが,意味上は再帰的というより自動詞的である。 (10b)と(10c), (11b) と(11c)を比べると,(10b) (11b)は再帰代名詞を用いることによって自分自身(自分の手)を洗う こと,(10c)(11c)は代名詞を用いることによって「別の人」を洗うことが示される。 (10) a Ich wasche mich. b. Er wäscht sich(die Hände). c. Er wäscht ihm. (11) a. Je me lave. b. Il se lave(les mains). c. Il le lave. (10c) (11c)は他動詞(能動態)で,参与者の数は二つであり,先の図 -1 のようなエネルギーの流れ が見られる。一方(10b) (11b)ではエネルギーの出発点と到達点が同じであり,参与者の数は一つで ある。 また,英語の中間構文と呼ばれるものは,今では再帰代名詞を失い,能動の自動詞の形であらわさ れる(佐久間 2006:22)。このように,中動態を示す絶対的なマーカーは存在しないため,Jespersen も 中動態には他の文法カテゴリーとちがって明確に区別できる特質はなく,時に再帰的であったり,時 に漠然と主語への言及であったり,また時に純粋に受身であったり,時に普通の能動と区別がつかな かったり,簡単には分類できず用法がバラバラであると述べている(1965:168) 。 4.5 Middle voice の意味と deponents からの推測 このように,各言語間に中動態を示す共通のマーカー(middle-marker)はない。ここでは,共通の 意味はないのかを探り,本質的な意味は何かを考察してみる。文法カテゴリーとしては中動態が先行 し,その中動態が形はそのままで,しだいに意味を「受け身・受動」に変えていったという歴史的事 実を無視することはできない。ギリシア語では形態上の区別は能動態 vs 中動態であったが,ラテン語 114 二枝 美津子 になると,能動態に対立するのは受動態になっている。ギリシア語においては,受動の意味は中動態 の動詞に前置詞句をつけて動作主を顕在化して表される。サンスクリット語は中動態の文でも意味は 能動的である。ラテン語では,-or で終る動詞はほとんど 1 人称現在の受動態であるが,意味上「生ま れる(nascor)」 「怒る(irascor)」 「話す(loquor) 」などは受け身というより能動的である。このラテン 語の受動態も中動態の名残であるとみなされる。形は受動態と同じなのに,意味は受け身でなく能動 的であるとすれば,この中動態とは何なのかということになる。 さらに,中動態の示す形態・統語的形は有標であり,無標の能動態と対になる形を持つのが普通で ある。しかし,ある言語には中動態の形だけを残し,対応する能動形が存在しない動詞がある。古典 ラテン語にも,いくつかの古い動詞にこのような動詞が残っている。ラテン語においては既に中動態 はいくつかの動詞に残っているだけであるが,例えば,「生まれる」は受動の形態素 -r(1 人称語尾は -or )のついた nascor となる。このような動詞は deponents( deponentia, deponens, 能相欠如動詞,形式 所相動詞(4))と呼ばれ,古い中動態の名残といわれている(5)。deponents は本来「受動態の語尾をもっ ているが,意味は能動であるような動詞」を指すのに用いられたが,後に,能動の相対形をもたない 動詞という限られた意味で用いられるようになった。例えば,ラテン語の接尾辞 -r は受動態を示すが, 中動的機能も果たす。先にみた amor は相当する能動態(amo)があり,amor は「愛されている」とい う受動の意味であるが,対応する能動形が残っていない deponents の一つである hortor「 (私は)励ま す」には受動的な意味はない。ラテン語の deponents には「怒る(irascor)」, 「話す(loquor)」,「忘れ る(obvisicor)」,「恐れる(vereor)」などがあるが,その意味は受動的ではなく能動的である。これら の表現は,現代英語では「生まれる」以外は能動形の自動詞で表される。ラテン語以外にもアイスラ ンド語,サンスクリット語などの言語に,また印欧語族以外にもトルコやハンガリー語などに deponents は見られる(Kemmer 1994:186)。これらの動詞には能動態を示す形がなく,中動態を表す形でのみ残っ た。Kemmer は,このような deponents は中動態の動詞のかなりの割合をしめているはずであるが,存 在しないか数が少ないのは,データが不完全であるからではないかと考えている(1993:187)。 上記の deponents に関しては能動態が残らなかった点が重要である。能動態が本来は無標であるのに 有標の形のみが残ったのは,能動態が必要ではなくなったからではないかと推測される。前節でも見 たように,能動態では,ある参与者から他の参与者へエネルギーの流れが表される。他方,受動態で はエネルギーの下流にある参与者が最も際立っていて,それが主語になっている。そのため目的語を とらない自動詞になるのが重要な特徴である。自動詞は他者からエネルギーがくることはあっても,そ こからエネルギーが他者に向かうことはない。従って,他動詞では能動態と受動態の区別が有効であ るが,自動詞にはその必要がない。deponents で中動態または受動態が残ったということは,始めは他 動詞で捉えられていたものが,やがて自動詞でしか捉えられなくなったことを意味する。deponents は 自動詞,つまり参与者が一つであることを示すのが第一の機能であると考えられる。そして,他動詞 として使われる能動態の形は必要がなくなったのであろう。Haiman(1983)は,これらの動詞は本来, 他動詞である動詞から活用変化してできた形であるが,再帰代名詞や相互的意味を表す形のように,再 帰的・相互的意味を示すのではなく,中動的な意味のタイプの一つを絶えず持つようになったと述べ ている。例えば,トルコ語の中動態の形である sev-In は sev- からできているが,意味は「自分自身を 愛する」というより, 「喜ぶ,うれしい」という意味である。deponents では,能動態の他動詞の形より 自動詞化された中動態の形を残す必要があったと考えられる。このことから推測すると,中動態は再 帰や受身の意味を伝えるより,本来他動詞であった動詞を自動詞化することに本質的な機能を有する 中動態と他動性 115 と考えられる。 英語の中間構文やドイツ語・フランス語の再帰構文で表されるものを考慮すると,形は能動である が,意味は受動的であるものもある。金谷は「文法用語として定着してしまった『中動相』だが,実 に誤解を招きやすい名称である。これではまず能動と受動があって,その後,その『中間』に新たな 中動ができたような印象を与えてしまうからである」と述べ,中動という語は適切ではないと主張し ている(2004:186)。確かに,受動態は中動態から発達したのであるから,能動態と受動態の中間とい う印象を与える中動という名称は適切でないかもしれない。しかし,二つの構文の形と両方の意味が 混ざっている点では中間であるといえる。先の(4a) ~ (4c)のような英語の中間構文(middle construction) の名称に関しては,形は能動態で意味は受動的である,つまり両者の中間ということであるが,今ま で見てきた例は,形は受動で意味は能動であり,これと逆である。従って,この名称は適切ではない かもしれない。ただし,この構文では,下記の図-5 で示されるように,動作主は背景化されており,エ ネルギーの下流にある参与者がトラジェクターとなり主語になっている。動詞は他動詞の場合と異な り自動詞である。能動態の他動詞構文と違い自動詞であることを特徴づけるという点では,中間(the middle)という名称に問題はないと思われる。 tr 図 -5 4.6 中動態が表す状況 これまで中動態を表す形を見てきたが,その現れ方は言語によって異なることが明らかになった。中 動態を示す唯一の形を求めることは不可能であるが,中動態を示す形態が使用される状況は非常に類 似している。また,それぞれの状況タイプを,各言語の中では同じ形態によって表しているという事 実は,中動態は文法的例証の可能性をともなった言語カテゴリーであることを示している。以下の(1) (8) から(8)は Kemmer(1993,1994)が挙げた middle の表す状況である。 (1)身体等の手入れ(Grooming or body care) e.g. wash, shave, bath, get dressed (2)位置変化を起こさない動作(Nontranslational motion) e.g. bow, turm around, (stretch one’s body), turn (3)身体の姿勢の変化(Change in body posture) e.g. sit down, stand up (4)位置変化(Translational motion) e.g. fly, run, flee, go, climb up (5)自然な相互事態(Naturally reciprocal events) e.g. meet, converse, kiss, embrace (6)間接中動(Indirect middle) e.g. acquire for oneself 116 二枝 美津子 (7)感情中動(Emotion middle) e.g. get angry, be frightened, lament, boast, pity (8)感情的発話行為(Emotive speech actions) e.g. complain, lament (9)認知中動(Cognition middle) e.g. think, believe, cogitate, reflect, think over, consider (10)同時に起こる事態(Spontaneous events) e.g. grow, come to a stop, germinate, sprout, recover, occur (Kemmer, 1993:54-92, 1994:182-183 から) 上記のうち,(1) (2)(3)が中動態の表す状況の中心である。英語に訳してみると,英語はドイツ 語・フランス語より再帰や受動構文で表すことは少なく,自動詞で表す傾向にあるようである。英語 では動詞 speak, sleep は自動詞構文で,wash, shave は再帰構文で表されるが,トラジェクターのみが存 在するのではなく,動作・行為の対象も存在する。存在はするが,対象となるのは自分の身体である。 自分の身体を動作・行為の対象にする場合,印欧語族の言語でも他の言語でも,中動態がある言語で は能動態ではなく中動態で表すことが多い。動作の終着点が出発点の一部であるため,区別する必要 がないか,区別しないためだと推測される。能動態と決定的に異なるのは,deponents を除き中動態は 有標であるという点である。中動態はそれに対する無標の能動態(形)をもち,その無標の形は参与 者が二つある他動詞である。それに対し中動態の形は,再帰代名詞を用いる以外は参与者が一つの自 動詞である。他動詞は他動性が強く,動作はある参与者から他の参与者へ影響を及ぼす。一方,中動 態で自動詞化された場合は,トラジェクターからランドマークへとエネルギーが他動詞の場合ほど十 分に伝わるわけではない。上記の(7) (8)の状況を除いて,エネルギーの伝達はないわけではないが, 自分に及ぶため,その強さはさほど強くある必要はない。 (7)(8)の状況では,英語のように「be 動詞と形容詞」で表す場合もあるが,日本語ではこれらは 自動詞で「怒る」 「よろこぶ」というように表現する。 「座る」をドイツ語では setzen sich, 「楽しむ」を ドイツ語では freuen sich,英語では enjoy oneself, 「上達する」は improve oneself などの再帰代名詞を用 いるが,日本語では自動詞で表すため,日本人の外国語学習者は再帰代名詞を忘れる傾向にある。日 本語では「ル・ラル」で終る動詞は自動詞と解釈され,動作の対象を述べる必要はない。逆に,対象 を表現するためには,他動詞化して使役(causation)の要素を付加しなくてはならない。ここでは詳し くは議論できないが,日本語の多くの自動詞が中動態であると考えられる。日本語話者は動作主と動 作の対象をあまり区別する必要がない,あるいは区別していないと考えられる。日本語話者は,中動 態を表している「ル・ラル」になれているため,対象を区別してそれぞれを言語化(精緻化)する言 語の表現は不得手で,理解が困難であると思われる。つまり,エネルギーの始点と終点を区別して精 緻化しする再帰代名詞を用いる再帰表現は日本語にはなじまないと思われる。細江逸記も「印欧語の (9) 中動相は,日本語の『る・らる』と基本的には同じである」(金谷 2004:197)と述べている。 5.他動性と中動態(transitivity and middle voice) 他動性は能動態・中動態・受動態の分析において理論的に大いに重要である。これまで見てきたよ 117 中動態と他動性 うに,各言語に共通の特定の形としての中動態のマーカー(middle marker)は存在しないが,さまざ まな middle marker はいずれも自動詞化することを示す形(つまり,統語的に自動詞であることを示す マーカー)であるとして分析された。4.5 で見たように,中動態を動詞の接尾辞で示す言語では,ほと んどの動詞がそれに対応する能動態の形をもち,それは他動詞として用いられる。中動態ではそれら の他動詞が自動詞として用いられる。つまり,統語上,目的語を持たないということである。 この節では,中動態を示すマーカーを文の形態統語的な他動性(transitivity) ・自動性(intransitivity) と関連づけて議論する。今まで述べてきた説明とは対照的に,中動態の統語・形態上の自動性と意味 上の自動性との相互関係は,統語上は自動詞であれば,意味的にも自動詞的(つまり,参与者が一つ) ということを示すものではない。中動態では本質的にはトラジェクターとランドマークになる可能性 のある参与者の存在を認め,その上で,程度の差はあれ,それら二つの参与者の片方(ランドマーク) を区別する度合いが低いと考えられる。従って,能動態は他動性が高いが,中動態はそれよりも他動 性が低い。ただし,他動性が比較的高い場合は,再帰目的語をともなうが,他動性が低い場合には自 動詞化して自動詞の形をとるか,中動態を示す接尾辞が付与されると考えられる。この意味で,形態 統語上の自動性は,精緻性が低い事象構造が言語化されたものである。つまり,中動態は統語的には 自動性のマーカーであるということになる。 他動性の視点にたてば,Hopper and Thompson(1980)の示した他動性のパラメーターのうち,意味 性質のモデルに照らし合わせると中動態は,①動作主性がない(動作主の意志がない),②(言語化さ れた)参与者の数が 1 である,③非瞬間的変化,④動作の対象(目的語)の影響性( affectedness )が 低い。こうした理由から中動態の他動性が低いことは明らかである。特に,①と④の要因が強い。中 動態で表される状況は参与者が一つしか言語化されず,エネルギーが他の参与者に及ぶことはないた め他動性は当然低くなる。4.6 で見たように,参与者の意志が高い状況は少なく,状態を表す場合もある。 Langacker(2008:385)も active と passive に加えて,多くの言語では伝統的に middle voice として知 られている構文をもつとしている。さらに,この middle voice という語は多様な構文に当てはまり,多 くの場合,様々な構文を精緻化するので,どんな性質も一つだけで「これが middle を表す性質」とす ると,簡略化しすぎることになると述べている。これらの様々な現象を考慮にいれて,Langacker は “middle” という語が適切であると積極的に認めているようである。middle construction に関してもっと も典型的な構成は下記のように描かれている。middle voice は能動態(active voice)の canonical transitive clause(基本的な他動詞文で下記の図では(a)で表される)と, (c)で描かれる absolute intransitive(絶 対的自動詞文)のちょうど中間にあるように見えるとしている。 (a) active transitive (b) middle tr tr lm John opened the door. (c) absolute intransitive The door opened easily. (d) passive tr tr The door was opened. The door opened 図 -6 (Langacker 2008:385) 118 二枝 美津子 Langacker(2008:385)は,I opened the door という active transitive clause は動作主(agent)のエネル ギーの広がりと,それが引き起こす対象のプロセス(thematic process)を喚起してプロファイルすると 考えている。その両極にある the door opened のような自動詞は,エネルギーや動作主(agent)に言及 せずに,絶対的な形で(in absolute fashion) ,thematic process を解釈すると考える。Langacker によると, 典型的な middle は,Croft(1994)が指摘するように使役(causation)を発動するがプロファイルしな いままであるので,両者の中間である。従って,形は能動ではあるが,中間構文は中動態(middle)で あるとみなすことができる。The door opened easily の副詞 easily は,暗に動作主にとって「容易である」 ことを示しているので,動作主の存在は意識にはいっている。統語上は参与者は一つであるが,二つ の参与者の存在が認識されていることは明らかである。 6.結論 これまで見てきたように,中動態は参与者を二つと捉えながら,その二つを明確に区別して精緻化 せずに自動詞として機能するものであることが明らかになった。本来の自動詞と自動詞化された中動 態の違いは,前者が元々参与者を一つと捉えているのに対して,本来参与者を二つと捉えてはいるも のの,精緻化の段階でどちらか一方をより際立った参与者にするか,または両者の区別をする必要が ない場合に中動態が採用される。つまり,参与者は二つと認識しながら,始点と終点を精緻化しない。 参与者が二つあると認識している点で中動態は,能動とも受動とも結びついている。始点により重点 をおいてプロファイルしている方が能動態,終点に重点を置いている方が受動態である。中動態は始 点と終点の区別を明確化せずに,結果的に言語化する段階で参与者が一つとなったものである。意味 の上でも始点と終点の区別が明確化されていないので,主語は始点(動作主)と終点(被動作主)の 両方の役割(意味)を持つ。中動態を考慮することによって,他動詞構文と自動詞構文の関係,さら に自動詞構文の種類を考察する手がかりが得られる。 注 (1)同じく過去分詞を用いる完了形(Perfect)も考察の範囲にいれると,過去分詞に関して興味ある点 が明らかになる。完了形は「have+ 過去分詞」の形をとり,完了形も共通の意味をもっているので, 一つの構文と見なすことができる。完了形では have は文法化されて「所有する」という have 本来の 意味は希薄化されている。しかし,過去分詞にも意味があると考えられ,Langacker は過去分詞を [PERF]と略してその形の意味役割を[PERF1]から[PERF4]まで認めている(1990:200)。 (2)これらの文は伝統的には activo-passive や,active voice with passive meaning と呼ばれてきた。 (3)Lyons は middle を implications という語を用いて次のように説明している。“The implications of the middle (when it is in opposition with the active) are that the ‘action’ or ‘state’ affects the subject of the verb or his interests.” (4)deponents の訳語のうち, 「能相欠如動詞」は田中・松平(1961) , 「形式所相動詞」という訳語は『言 語学小辞典』による。 119 中動態と他動性 (5)『言語学小辞典』では,medium として中動態のことに触れ, 「中間態はしばしば再帰的意味を表さ ず,自動詞的意味をあらわした。・・・Medium の名残としてラテン語の Deponentia[受動形で能動 的意味を表す動詞]がある」と記している(1985:84)。 (6)金谷(2004:188)では「サンスクリット語もギリシア語も,中動態の文が二つとも意味が能動的で ある。形は中動なのに(能動と異なるのに),中動態の文が意味的に能動だとすれば,この中動態の 機能は果たして何か,という点が 2000 年以上も論争になってきたのだ。・・・まだ私の知る範囲で はきちんと解決されていない」と述べている。 (8)例にあげた動詞は,Kemmer の挙げた諸言語の例を英語に訳したものである。 (9)金谷はさらに,「細江は一般に思われているほど印欧語と日本語は違わない,共通点は特に動詞の 相において著しい,と主張する」と細江の説を引用し, 「日本語の助動詞『る・らる』 (口語では『れ る・られる』)がその機能として『可能・自発・尊敬・受身』を持つことに注目して,実は印欧古語 の中動相も(日本語に完全に一致してはいないが)様々な機能を担ったものだ」と説いている(金 谷 2004:197,198)。 参考文献 Croft,W. 1994. 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