「アジアの航空事情と LCC(低コスト航空会社)の動向」

第 3 回1限
平成 22 年度富山県大学連携協議会公開講座
「アジアの航空事情と LCC(低コスト航空会社)の動向」
平成 22 年 9 月 25 日(土)
13:30~14:50
富山県民会館 302 号室
第3回
1限目
「アジアの航空事情と
LCC(低コスト航空会社)の動向」
講師 富山国際大学 現代社会学部
教授
成澤
義親
氏
1.航空機の歴史とシカゴ体制
航空機には約 100 年の歴史がある。
1903 年にライト兄弟が初めて空を飛
び、第二次世界大戦中にはジェット戦
闘機が開発された。1952 年に登場した
世界初のジェット旅客機であるイギリ
スの「コメット」は機体構造の欠陥か
ら空中爆発を 2 回起こして生産中止に
なったが、その後 1969 年にはジャンボ
といわれるボーイング 747 が就航した。
同年にイギリスとフランスが共同開発
したコンコルドは衝撃波がすごかったことと燃費が悪かったことで長くは続かなかったが、
2007 年にはヨーロッパ 4 カ国が共同開発した超大型機エアバス A380 が就航している。日
本では三菱重工が三菱航空機という子会社を作り、MRJ(Mitsubishi Regional Jet)を現
在開発中である。MRJ は日本国内を飛ぶような中型機で、カナダのボンバルディアやブラ
ジルのエンブラエルが現在開発している 100 人未満の中型機市場に日本が割って入ろうと
いう計画だ。また、中国とロシアもこのクラスの旅客機を開発中である。
現在の国際航空の枠組みは、第二次大戦中に作られたものだ。日本の敗色が濃くなった
1944 年、戦勝国側の約 50 カ国がアメリカのシカゴに集まり、戦後の民間航空の枠組みを
決める会議を開き、シカゴ条約が採択された。そして戦後の 1946 年、アメリカとイギリス
がバミューダで二国交渉を行い、それを条文化したバミューダ協定が締結されたのである。
このシカゴ条約とバミューダ協定から成る枠組みがシカゴ体制で、以下の五つの自由が設
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定されている。
シカゴ条約において採択された第 1 の自由は、自国から相手国へ飛ぶ際に第三国の上空
を飛ぶ自由(上空通過の自由)、第 2 の自由は自国から相手国へノンストップで飛べない場
合に途中で一度給油したり、乗員を交代させるための技術的な着陸(Technical Landing)
の自由である。
一方のバミューダ協定
において採択された第 3
の自由は、自国から相手
国へ有償で旅客や貨物を
運ぶ自由、第 4 の自由は
相手国から自国へ有償で
旅客や貨物を運ぶ自由で
ある。第 5 の自由は自国
から相手国へ飛行機を飛
ばし、相手国で旅客や貨
物を積んで第三国へ飛ん
でいくという三国間輸送のような自由である(以遠権)
。この第 3、4、5 の自由については
二国間で話し合い、どの航空会社の飛行機を飛ばすか、1 週間に何便飛ばすか、飛行機の
大きさは何席ずつにするか等を対等な関係で結んでいくことになった。
2.世界の航空規制緩和の流れ
今から 30 年ほど前、
国際観光の伸びに伴い、
アメリカで規制緩和の
流れが起こり、1978 年
にはカーター政権で航
空企業規制廃止法が成
立した。最初に規制緩
和の対象となったのが
参入規制である。当時
アメリカには多くの航
空会社があったが、運
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航権は、ある州内だけを運航してよいという権利、州と州をまたいで運航してよいという
権利、アメリカ国内と海外を行き来してよいという権利の三つに分かれていた。しかし、
航空企業規制廃止法により、1981 年には参入規制の撤廃が実現し、1982 年には運賃の政府
認可もなくなった。その後も国際航空企業の国内線参入許可などの規制緩和を積み重ね、
1985 年には商業的な航空を規制する CAB(民間航空局)が廃止され、完全な航空自由化が
実現している。ただし、安全や保安については連邦航空局(FAA)が引き続き管理している。
一方、ヨーロッパで
は第二次世界大戦の反
省から、ヨーロッパを
一つにまとめようとい
う動きが起こり、1952
年に ECSC ができた後、
EEC、EC と続き、1993
年に EU(欧州連合)が
成立した。同様に航空
の世界でも、1988 年か
ら 5 年ほどかけてパッ
ケージ 1、2、3 と段階的に統合が進められ、現在、航空の世界ではヨーロッパを一つの国
と見なすことになっている。その結果、まだ創業 10 年前後のアイルランドのライアン航空
等がヨーロッパで自由に飛行機を飛ばせるようになったのである。
今、尖閣諸島の問題で日中がもめているが、沿岸での漁業はその国固有の権利であるこ
とが世界的に認められている。同様に航空の世界でも、国内線はその国の航空会社だけが
運航権を持つ(カボタージュ)というルールがある。アジアではまだヨーロッパのような
単一の航空市場は成立していないが、ASEAN のマレーシア、シンガポール、タイなどが 2015
年の単一航空市場の成立を目指して動いている。
アメリカで始まった規制緩和がヨーロッパやアジアに広がり、自由競争が始まった結果、
航空業界にもいろいろな変化が起きている。まず、
規制緩和によって競争戦略が発達した。
今まで各航空会社は全部の空港を結ぶグリッド型の路線を作っていたが、このやり方だと
a×(a-1)÷2 という公式から、空港が 6 あれば全部で 15 の路線が要ることになる。と
ころが、その六つの空港の一つをハブに見立て、乗り継ぎ主義を取り入れると、路線の数
は五つで済むことになる。アメリカの大学院生がこの原理に従って航空会社を作り、大成
功を収めたのを契機に、今は Hub & Spoke 型のビジネスモデルが主流になっている。
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第 2 に、コンピューター予約システムが発達した。規制が解かれる前は、飛行機の運賃
は普通運賃、団体運賃、往復割引の 3 種類ぐらいしかなかったが、現在は早割、前割、特
割といった運賃が設定されている。これはコンピューターの発達により、過去数十年の売
れ行き状況を見て、90 日前にはこういう運賃で何席割り当てればよいという計算ができる
ようになったことできめ細かい運賃設定が可能になったことだ。
第 3 に、顧客の囲い込み戦略(FFP:Frequent Flyers Program)が発達し、乗客の搭乗
距離に応じて利益を還元するようになってきている。
3.後れを取った日本の航空政策
日本は第二次世界大戦で民間航空機も軍用機もすべて破壊されたことから、航空政策で
世界から後れを取ってしまった。サンフランシスコ講和条約で主権を回復した 1951 年にな
ってやっと、政府が半分出資して日本航空株式会社を誕生させ、1952 年に航空法を施行し
た。また、昭和 45 年(1970 年)に閣議決定され、昭和 47 年に運輸大臣通達が出された 45・
47 体制(別名「航空憲法」)といわれる産業保護政策が、さらに日本の航空政策を後れた
ものにした。つまり、日本航空、全日空、旧東亜国内航空(その後日本エアシステム)の
3 社に対して、日本航空は札幌、東京、大阪、福岡、沖縄の五つの空港を結ぶ幹線プラス
国際線、全日空は幹線とローカル線プラス国際線のチャーター便、東亜国内航空は国内ロ
ーカル線プラス一部幹線という形で、国が業務区分を規定したのである。
しかし、それから 15 年ほどすると、アメリカやヨーロッパでの規制緩和の動きが日本に
も波及し、運輸政策審議会からも航空業界の自由化を進めるべきだという答申が出された。
答申では国際線への複数社参入と同時に、年間 30 万人以上の乗客数がある国内線は 2 社、
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年間 80 万人以上の国内
線は 3 社参入させること
も提言され、1986 年時点
で大蔵省が 3 分の 1 を保
有していた日本航空の株
式を民間に放出すること
も提言されている。
2000 年にようやく航
空法が改正され、路線参
入・運賃が自由化された。
ただし、航空会社が就航
を希望する路線は、国内線では羽田、国際線では成田だが、羽田も成田も狭い空港なので
入る余地がないため、中途半端な自由化にとどまっているのが今の日本の現実である。そ
の一方で現在、日本には 98 もの地方空港が存在している。これは自分の県にも空港をと地
方自治体等が誘致運動を展開した結果で、赤字空港が多いことが問題になっている。
4.世界の低コスト航空会社(LCC)
Low Cost Carrier は、Long Cost あるいは No Frill Carrier などとも呼ばれるが、要は
コスト削減で運賃を安く抑えようという航空会社である。現在、LCC は世界中に数多く存
在するが、一番有名なのはテキサス州のダラスに本拠を置くサウスウェスト航空である。
創業は 1971 年とカーター政権が規制緩和する前で、最初は州の中でしか飛べなかったが、
現在はボーイング 737 という 150 人乗りの機種に絞り、541 機を保有して、アメリカ国内
の 69 都市に就航しており、国際線は一切持っていない。また、この会社の最大の特徴は創
業以来一度も赤字を出していないことで、世界中の新しい航空会社がモデルとしている。
赤字を出さなかった理由は、本業でもうけるかたわら、価格が乱高下する航空燃油のケロ
シンを先物でうまく手当しながら損を出さないようにしたからだ。
サウスウェスト以外に世界で有力な LCC には、ニューヨークをベースにする JetBlue、
欧州ではアイルランドのライアン氏が経営する Ryanair、イギリスの easyJet、アジアでは
マレーシア系の AirAsia、
オーストラリアのカンタス航空の子会社の JetStar などがある。
実際に乗らないと話にならないので、私もサウスウェスト航空とライアン航空に乗って
みた。サウスウェスト航空はラスベガスからロサンゼルスまで約 1 時間のフライトで、半
分ほどの搭乗率だったが、
座席もしっかりしているし、飛行機の清掃もきちんとしており、
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飲み物も出してくれて、印象は悪くなかった。
ライアン航空はダブリンからロンドンまで約 1 時間のフライトだったが、サウスウェス
ト航空とのあまりの違いに驚いた。夜 7 時のフライトなのに、7 時 15 分を過ぎても搭乗口
にスタッフが来ないし、案内の表示板も全然変わらなかった。そこへいきなり飛行機が到
着し、扉からステップが自動的に降りて、乗客が降りてきた。それが終わったら、われわ
れが乗るわけである。LCC では座席指定はなく、原則は Free Seating という自由席で、早
い者勝ちである。機内の乗務員は 5 人いて、そのうち 3 人が機内を清掃していたが、掃除
は行き届いていない。座席のシートポケットに入っている機内雑誌も全座席にはなく、表
紙も取れて本当にみじめな状態だった。
日本に乗り入れている LCC は、最近話題になった中国の春秋航空以外にも、韓国のチェ
ジュ航空、エア釜山など 4 社があり、その他フィリピンのセブパシフィック、オーストラ
リアの JetStar、マレーシアの AirAsia などもある。日本の LCC としては、1998 年に最初
にできた北海道国際航空(AIR DO)
、スカイマークなどがあるが、いろいろな制約があって
本来の機能を発揮できていない。その大きな理由は大変高い着陸料だ。国内線の航空燃料
にも 1 リットル当たり 20 円ぐらいの燃料税がかかっており、経営の足を引っ張っている。
5.LCC の経営の仕方
LCC の経営手法で一番特徴的なのが機種の統一である。燃費が非常によいボーイング 737
やエアバス A320 といった 130~170 人乗りの機種で統一している。パイロットは機種ごと
に免許が必要だが、機種を統一することで、パイロットは一つの免許で操縦可能になる。
整備や予備の部品も 1 種類で済むし、スチュワーデスの訓練も一つのタイプで済む。
第 2 の特徴は短距離ないしは中距離の 2 地点間輸送(直行便主義)であることで、乗り
継ぎはせずにせいぜい 1~2 時間、最大で 4 時間ぐらいまでの距離を飛んでいる。長距離を
飛ぶと燃料を消費するし、乗務員も交代しなければいけないが、その必要がなくなる。ま
た、乗り継ぎをしないことでその分の案内係などが要らないし、手荷物の紛失などのトラ
ブルも少なくなる。
第 3 の特徴は JTB などの代理店を通さない直販方式の予約であることで、しかもほとん
どの人がオンラインで予約するので人手がかからず、町の中に大きな店舗を設ける必要が
ないし、代理店に無駄な手数料を払う必要がない。
第 4 の特徴は施設の簡素化で、空港にラウンジなどを設けない。ラウンジを作ると当然
建設費がかかるし、空港ビルに対して 1 平米当たり 3000 円(一例)の賃借料を払わなけれ
ばならなくなる。
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第 5 の特徴はサービスの簡素化である。到着してから次に出発するまでの地上滞在期間
(グランドタイム)を JAL や ANA は国内線で 40~50 分、国際線で 1 時間ぐらい取るが、LCC
では 20~25 分である。その間に手荷物や貨物を降ろして新しいものを積み込み、
点検をし、
燃料を給油するのである。機内ではごみ拾い、清掃、飲み物の追加補充などを行う。また、
原則として機内食は出さない。
飲み物や機内食は有料で、
機内販売には非常に熱心である。
6.今後の航空産業
現在、日本の人口は 1 億 2700 万人だが、2050 年には 3500 万人ぐらい減り、世紀末には
5000 万人ぐらい減るといわれる。一方、国際観光人口は現在の 10 億人から、10 年後には
16 億人に増えるといわれる。その中で一番元気がいいのが東アジア・太平洋地区である。
その活力を取り込まないと、日本は元気を取り戻せないだろう。同時に、三菱航空機の MRJ
が中型機のマーケットに参入することで、ビジネスチャンスを逃さないようにすべきだ。
また、アライアンスと LCC の競争や協調について考えなければならない。現在、世界の
航空会社は三つのアライアンスを組んでいる。一番大きなスターアライアンスには ANA、
ドイツのルフトハンザ、アメリカのユナイテッド航空などを中心に約 25 社が加盟し、ワン
ワールドには JAL、アメリカン航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどが加盟し、スカ
イチームというアライアンスもある。成田空港ではワンワールドが第 2 ターミナル、スタ
ーアライアンスが第 1 ターミナルを利用しているが、施設の共同利用、飛行機や燃料の共
同購入、宣伝も共同で行うことでお互いにコストを負担し合い、1 社当たりの負担を少な
くしている。一方、LCC は一匹狼で、なるべくコストをカットして安い運賃で競争しよう
としている。ただ、航空の世界でもユニクロのように安くて品質もそこそこのところが伸
びてくるだろうということで、アライアンスに加盟している大きな航空会社でも、LCC と
提携協定を結んで共同運航を行う企業も現れている。
さらに地方空港については、今は羽田空港や伊丹空港などの黒字で地方空港の赤字を埋
め合わせているのが現状なので、地方空港を民営化すること等で採算が取れるようにして
いかなければいけない。
それから産業の育成も重要である。JAL が破綻した原因の一つは高過ぎる着陸料だ。ま
た、航空機燃料税は国際線では無料だが国内線では取られる。そういった公租公課の負担
を軽くして、地域の人々に貢献できるような元気な航空会社を育てていかなければいけな
い。ご静聴ありがとうございました。
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