長浜曳山祭とその継承について

国立文化財機構
平成 22 年無形文化遺産保護パートナーシッププログラム
講義5:
長浜曳山祭とその継承について
財団法人長浜曳山文化協会
西川丈雄・漣泰寿
平成 23 年 2 月 5 日
アウトライン
1. 秀吉と長浜曳山祭の成立
2. 子ども歌舞伎と囃子
3. 強固な組織-山組-
4. 曳山祭を支える組織と継承のための取り組み
5. 結び
1. 秀吉と長浜曳山祭の成立
長浜曳山祭は430年以上前に羽柴秀吉が長浜に城を築き、荒廃した長濱八幡宮とその
祭礼を復興して太刀渡りと呼ばれる武者行列を行ったことにはじまります。その太刀渡り
は現在も長刀組によって行われており、曳山祭の原型を見ることができます。そして、そ
の後秀吉の男子誕生につき町民に振る舞った砂金をもとに曳山を造営し街中を曳きまわし
たのが、長浜ではよく知られているところの曳山祭の起源に関する伝承です。この伝承の
真偽はともかく、曳山祭の成立には、秀吉の経済支援があったと考えられています。秀吉
は長浜のまちの成立に多大な影響を及ぼしており、特に年貢米や労役の免除は、のちの縮
緬などの産業の隆盛よる長浜のまちの発展に大きく貢献しました。後でご覧いただきます
曳山祭で実際に使われる曳山は、きらびやかな飾り金具や漆塗り、見送り幕などで飾られ
ていますが、そういった曳山も、長浜の商業都市としての発展や成功が背景にあったと考
えてよいでしょう。
2. 子ども歌舞伎と囃子
長浜の曳山は、台車の上に舞台を供えた移動舞台、芸屋台形式であることが特徴です。
そして、その上で繰り広げられるのが、子ども狂言(歌舞伎)であり、長浜曳山祭の最大
の見所となっています。
子ども歌舞伎は、一般的な大歌舞伎の演目を、曳山の舞台の広さと40分という上演時
間にあわせてアレンジして上演し、演者は5歳から12歳ぐらいまでの男子です。この子
ども狂言にも250年以上の歴史があり、1742年の台本や1769年以降の外題記録
から、少なくともこの頃には子ども狂言が行われていたことがうかがわれます。長浜から
京都へ生糸や縮緬を出荷するなど、商人の行き来があり、当時流行っていた歌舞伎が長浜
のまつりに取り入れられ、曳山という移動舞台の上で演じられるようになったと考えられ
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ています。
子ども狂言を行う役者たちには、春休みを迎える3月後半から約3週間、振付師による
稽古がつけられます。稽古は台本を読んで台詞を覚えることからはじまり、続いて所作(動
き)を習う立ち稽古が行われます。本番が近づいてくると、歌舞伎の語りを担当する義太
夫、その伴奏である三味線と合わせて稽古が行われます。
子ども歌舞伎は、1917年までは移動舞台を持つ12の曳山すべてで行われていまし
たが、その後6基交替となり、戦争による中断を経て1954年からは毎年4基ずつが交
替で歌舞伎を行う現在の形になっています。
子ども歌舞伎は観客に芸を見せるということに主眼が置かれているのに対して、囃子は
本来的に曳山の曳行に関わるもので、全国の山車の出る祭りには必ずといっていいほど行
われるものです。長浜では山車と囃子は分離不可能であり、囃子がそれ自体独立した音楽
として存在することはありません。囃子は曳山がつくられたことによって出来たと考えら
れます。
長浜では囃子のことを「しゃぎり」と呼び、大きく分けて曳山の曳行と歌舞伎の上演に
関わるものがあります。囃子方は主に各山組の男女の子どもたちと若衆が担い、現在20
0人以上が参加しています。囃子に用いられる楽器には横笛、太鼓、締め太鼓、摺がねが
あり、曳山の上では通常は横笛を3~4人くらいで吹き、摺がねが1人、太鼓と締太鼓の
両方を1人が叩きます。しゃぎりは曳山上部にある楼閣部分の中と曳山のまわりで行われ
ます。子ども歌舞伎も含めて曳山には男子しか上がれないため、女子は曳山のまわりや後
ろで吹くことになります。このため、横笛が10人を超すこともあります。
曳山が出るのは4月の13日から16日までですが、その間囃子の子どもたちは地域の
伝統文化の実演・学習という扱いで学校は出席扱いとなっています(これは狂言の役者も
同じです)。囃子の練習は、子ども歌舞伎が春休みだけなのに対して週1回、年間を通して
各山組の町家や個人宅、会館、曳山博物館でも行われています。
3. 強固な組織-山組-
曳山祭を運営する組織は長浜市の中心市街地にある曳山祭の組織が祭りを担い、総当番
と13の山組があります。総当番は曳山祭の執行組織で主として山組から出仕するメンバ
ーで構成されます。対して山組は曳山を持っている町で構成される曳山祭のための組織で
す。山組は一つだけの町から成っているところもあれば複数の町から成っているところも
あります。この山組の中では年齢によって役割が分かれています。45歳以上の人々は中
老と呼ばれ、曳山の曳行と管理を中心として祭り全体の運営を行います。そして、18歳
から45歳までの人々を若衆と呼び、子ども歌舞伎に関わる仕事を受け持ちます。
子ども役者はその山組の中から選ばれますが、子どもがいない場合は他町からの借役者
が行われます。子どもたちは役者を経験したあと、大人になってからは若衆として子ども
歌舞伎に関わり、祭りに出場する子どもの選出に始まり、上演する歌舞伎の選定、三役(振
付、太夫、三味線)の決定、衣裳・化粧の手配、大道具、小道具の準備に至るまでの諸々
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の作業を行います。そして、自分がかつてしてもらったように献身的に役者の子どもたち
の世話をします。若衆を終えると今度は中老として祭の運営に携わります。
このように三世代がそれぞれの役割を担いながら祭りを執行していきます。三者の協力
体制がひとつになって、祭典が盛大に行われる中で、町衆は祭りに、まちに、愛着と誇り
を持ちます。そしてその喜びを分かち合った人々は、さらに強い連帯意識を持つようにな
ります。
長浜の祭りは男衆が関わる祭りです。祭典に関わる事柄は男子が遂行しますが、女性は
観客や後方支援隊として、祭りを愛し、支えます。表は男子の祭りですが、本質は女性の
熱い思いが祭りをサポートしています。
長浜曳山祭りは年齢や性別を超えて、老若男女が誇りを持って伝える祭りです。
4. 曳山祭を支える組織と継承のための取り組み
先に述べたように、曳山祭は430年以上前に始まり、270年前から曳山で子ども歌
舞伎が行われるようになり、曳山も250年前以上のものが伝わっていて現在まで連綿と
維持保存されていますが、そんな祭にも第二次大戦を境にして変化が生じています。
子ども歌舞伎に不可欠な振付・太夫・三味線の三役や囃子方は、長浜の町衆に加えてそ
の周辺部の人々によっても担われてきました。祭りになると周辺部の人々も招いていたの
です。ところが、戦後の急速な経済の復興、高度経済成長の中で人々の生活様式が変化し、
若者の都市部への人口の流出と担い手の高齢化が加速すると、周辺地域から招いていた太
夫・三味線や囃子方などの人材がいなくなってしまいました。それまで地域全体で支えて
いた祭りが、市街地だけのものとなってしまい、三役も愛知県や四国、北海道など遠方か
ら専門家を招かざるを得なくなってしまいました。また、近郷近在からやってきていた囃
子方も来なくなってしまい、一時は録音テープで代用する山組も出てきました。
このような状況に対応して、先ず1971年には長浜曳山祭囃子保存会が山組若衆によ
り結成され、囃子の保存伝承と後継者の育成をはかることになりました。囃子は曳山祭の
保存と継承の活動の中でも最も成功した事例で、伝統的に口伝えによって行われていた囃
子を、曲の五線譜化をすることにより誰でも修得出来るようにしたことと、大人が行って
いた囃子を子どもに修得させるようにして、すべて子どもたちによって演奏できるように
したことで、囃子を復活させることができました。囃子は子ども歌舞伎と同様もともと男
性のみで行われていましたが、子どもに教えるようになってからは女子も練習に参加する
ようになり、祭りでは男子は曳山の上で、女子は曳山の周りや後ろで演奏するという形を
とっています。現在では、先ほど述べたように男女合わせて200人以上の囃子方を有し
ており、曳山祭での演奏に止まらず、地域の様々な催しでも発表をしています。
長浜曳山祭は1979年に国の重要無形民俗文化財に指定されることになり、これをき
かっけとして、総合的に曳山祭の保存継承をはかる組織として長浜曳山祭保存会が結成さ
れました。これは、現在この曳山博物館を運営しています財団法人長浜曳山文化協会の前
身となる組織です。曳山文化協会のミッションとしては、曳山祭の行事、子ども歌舞伎、
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伝統工芸技術の伝統と発展に関する事業、曳山祭行事への助成、祭りの調査研究と資料収
集と活用、曳山の保存修理と保存技術の推進などがあり、2000年に開館した曳山博物
館というハードを活用しながら、これらの事業を行っています。
さて、先ほど振付、太夫、三味線の担い手不足によりこれら三役を遠方から招いている
という話をしましたが、地域独自の文化を支えて伝えていくためには、祭りに地元の人々
に広く関わってもらいたいという思いが強くありました。1988年に国が始めた個性あ
るふるさとづくりを支援する「ふるさと創生事業」を活用して「子ども歌舞伎伝承基金」
をつくり、基金の運用益で、週に一回名古屋から講師を招いて三役の養成を行う「三役修
業塾を始めました。現在は30代から80代までの男女15人が稽古に励んでいて、昨年
はこの20年間の地道な活動が実を結び、過去最多の5名が曳山祭で太夫・三味線を務め
ました。また、長浜のみならず、長浜と同様に曳山の舞台上で子ども歌舞伎を行う近隣の
市町にも招かれ出演するようにまでなっています。また、地元の素人歌舞伎にも人材を送
っています。
曳山博物館の開館に伴って設立された長浜曳山文化協会は、この三役修業塾の事業を引
き継ぎ、曳山祭だけでなく、そこから派生した文化の継承のための事業を展開しています。
例えば、曳山博物館で行っている「子ども歌舞伎教室」は、曳山祭の子ども歌舞伎と同様
の課程を経験してもらうこと、すなわち稽古とその成果の発表公演を通じて子ども歌舞伎
の普及を図ろうというもので、祭とは独立して行われる子ども歌舞伎です。曳山には男性
しか曳山の上にあがれない、原則として山組の男子しか役者になれないという制約があり
ます。そこで、性別や地域に関係なく広く市内から子ども役者を公募して行うのが子ども
歌舞伎教室です。そこでは振付、太夫、三味線の三役も三役修行塾の塾生、特に女性の塾
生が活躍することになります。
曳山博物館は、山組から実際に祭りに出る曳山を預かって収蔵展示する施設です。館内
には4基の曳山が収蔵されていて、2基が常時公開されています。また祭りの映像もご覧
いただくことができます。このような展示機能を館は当然持っているわけですが、曳山博
物館がこれまで述べてきたような祭りの無形に関する部分を継承していく機能、発展させ
ていく機能を有していることは他の館にはないことです。
次に、中学校との連携について紹介します。近年、地元の長浜西中学校では、地域の子
どもたちに曳山祭の特徴や継承に力を注ぐ人々の取り組みについて学んでもらうプログラ
ムがあり、中学生たちが曳山博物館の探検や祭りの行事を体験する「曳山文化教室」や囃
子や三味線などを授業で習いその成果を発表する「伝統文化学習講座」が行われています。
曳山文化協会には主に山組の若衆メンバーで構成される伝承委員会という組織があり、
「曳
山文化教室」では、曳山博物館の各機能の紹介や体験学習への協力を行っています。また、
伝統文化講座には博物館の職員や囃子保存会のメンバーが講師として中学校の授業に参加
しています。このように中学校との連携も進んでおり、たくさんの子どもたちに曳山祭の
魅力に触れてもらうこともしています。何より曳山祭の主役は子どもですので、関心をも
ってもらえるのではないかと思っています。
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祭りを支える山組においても、中老や若衆の確保は勿論、曳山の保存にも努めています
が、少子高齢化に向けての様々な努力もされるようになってきました。
5. 結び
何百年も続いてきた地域の文化が、ある時代の社会的、経済的な変動により衰退してい
ってしまうことは、これからますます頻繁に起こりうることです。それを何もせずに見て
いるだけでは消えていくだけです。今まで受け継いできたものを伝えていくためにはいろ
いろと試行錯誤を繰り返しながら新しいことを取り入れていくことも必要ではないでしょ
うか。
囃子の担い手が少なくなり存続が危ぶまれたとき考え出されたのは楽譜に残していくこ
とでした。伝統的な音楽は口承で伝えられていくのが普通であり、そこに文字・記号の類
が用いられることはあまりありません。それらがもともとあった特徴を捨象してしまい再
現できなくしてしまう恐れがあるからではないかと思います。しかし、曳山祭の囃子では
楽譜化を行いました。それがなければ現在囃子はなくなっていたかもしれないし、200
人もの担い手が祭りで演奏するということもなかったかもしれません。
子ども歌舞伎に必要な三役の養成には長い年月が必要です。今日はじめて明日できるよ
うになるわけではありません。また技量を磨くことに終わりもありません。三役就業塾に
は15名が在籍していますが、観客に見せる子ども歌舞伎での登場となるため、技量の問
題もあって全員が演者になることは難しいことです。また、曳山の舞台に上がれるのは男
児だけです。しかし、曳山祭に出演することと継承者になるということは必ずしもイコー
ルではありません。継続的な稽古による技能の向上と発表の場を経験して、次の世代に教
えて曳山祭で活躍できる人材を育てられることも重要です。
このように長浜曳山祭は、関係者が祭りを毎年続ける中で保存や継承のために創意工夫
を行ってきました。その歴史に寄り添いつつ、現代にも対応してゆける縦横の視点が今最
も求められているのかもしれません。
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