分子標的治療、治療個別化のための 分子病理診断

研究・最前線
研究・最前線
分子標的治療、治療個別化のための
分子病理診断
国立がん研究センター中央病院 病理科・臨床検査科
津 田
均
や遺伝子を同定する手法であり、分子病理学的検
1 はじめに
査と呼ばれることがある。本稿では、治療適応決
病院の病理診断部門の主な業務は、病理診断
(組織診断、細胞診断)である。病理診断とは、病
定のための分子病理診断を中心に現状と展望につ
いて紹介したい。
院で検査や手術によって採取または切除された検
体について、観察用標本(プレパラート)を作製
し、顕微鏡で組織・細胞を観察して病名の確定診
断を行うことである。がん診断に関わる検体が大
2 免疫組織化学法
免疫染色とも呼ばれ、組織切片に対して行うと
多数を占め、組織診断では、良性悪性の区別や、
きは免疫組織化学法(immunohistochemistry,
悪性の場合は病気の広がりや悪性度が高いかどう
IHC)、細胞診断切片に対して行うときは免疫細胞
かについての報告がなされる。細胞診断は子宮が
化学法(immunocytochemistry)という。特定の
ん検診のスクリーニング、乳がんや甲状腺がんの
分子に対してマウスもしくはウサギで作製した単
診断確定、喀痰、尿、胸・腹水中のがん細胞の検
クローナル抗体もしくはポリクローナル抗体を用
出、などに用いられる。
いて、腫瘍細胞が発現している分子(抗原)との
組織診断のためには検体から組織切片を作製し
特異的抗原抗体反応を利用する。抗マウスもしく
なければならない。採取された検体は、まず固定
は抗ウサギ IgG に対するビオチン標識抗体を 2 次
されその後、切り出し、包埋、薄切、染色、封入
抗体として用い、Avidin-Biotin Complex (ABC)
などのステップを経て切片が作製される。近年、
法やポリマー法によって増感させ、免疫ペルオキ
包埋、染色、封入などのステップはほぼ自動化さ
シダーゼ(immunoperoxidase)反応を利用して
れているが、最も重要なステップである切り出し、
DAB で褐色に発色させる。切片上の腫瘍細胞が目
薄切などは手作業で行われている。通常の染色は
的の特定分子を産生しているかどうかをみるため
通常ヘマトキシリンエオジン(H & E)染色切片
に行われる。免疫染色はリンパ腫や肉腫、原発不
で行われ診断名や広がりの評価などについての最
明がんの診断名確定や、乳がん・胃がんの HER2
終診断がなされるが、H & E 染色のみだと確定が
蛋白に対する抗体療法や乳がんのホルモン受容体
困難な場合も多い。このようなときは特殊染色、
検査による内分泌療法の適応決定などによく用い
免疫組織化学、遺伝子検査などの手を借りている。
2)
られる 。図 1 は乳がん組織における HER2 蛋白
近年、がん診療分野では、分子標的治療、治療
の発現を見たものである。乳がんでは HER2 とと
個別化が広がりを見せ、病理部門には治療適応決
もにエストロゲン受容体、プロゲステロン受容体
定診断の依頼が増えてきた。その中には正確な組
の 2 種類のホルモン受容体を免疫染色でルーチン
織・細胞診断に加えて、免疫組織化学法による特
に行っており、これらのいずれかの発現が認めら
定蛋白質の発現の検査、in situ ハイブリダイゼー
れる例はホルモン療法の適応となる。
ション法等による特定遺伝子の変化の検査が含ま
近年は免疫染色の自動化が普及している。ダコ
れる。これらの検査は、病理組織切片上で蛋白質
社、ロシュ・ダイアグノスティック社、ライカ社、
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分子標的治療、治療個別化のための分子病理診断
図1
免疫組織化学法による乳がん組織における HER2 蛋白過剰発
現の検出
免疫組織化学法による乳がん組織における HER2 蛋白過剰発現の
検出.スコアを 4 段階に分けている。a.スコア 3+ は、30%を超える
癌細胞の膜に強度の完全な染色、b. スコア 2+ は、10%以上の癌細
胞の膜に弱∼中等度の完全な染色、あるいは、10%以上 30%以下
の癌細胞の膜に強度の完全な染色.c. スコア 1+ は、10%以上の癌細
胞の膜に不完全な染色、d. スコア 0 は、細胞膜染色なし, または
10%未満の癌細胞の膜に染色, をそれぞれ表す。スコア 3+ が
HER2 過剰発現陽性と判断され、スコア 0, 1+ は陰性、スコア 2+
は境界域であり、ISH 法で再検査が進められる。
ニチレイバイオサイエンス社から自動免疫染色装
置が発売されており、検査手技の標準化に役立っ
図 2 蛍光 in situ ハイブリダイゼーション(FISH)法による乳がん
組織における HER2 遺伝子増幅の検出
蛍光 in situ ハイブリダイゼーション(FISH)法による乳がん組織
における HER2 遺伝子増幅の検出. 左:細胞における第 17 染色体の
状態と FISH 法におけるシグナルの見え方(右)の模式図. 上は正
常細胞で見えるパターン.第 17 染色体は 1 対 2 本あり、HER2、
CEP17(第 17 染色体セントロメア領域で、内部コントロールとな
る ) 共 に 2 コ ピ ー ず つ 存 在 す る 。 F I S H 法 で は H E R 2 ( 赤 )、
CEP17(緑)細胞当たり各 2 個見られる。B. HER2 増幅のあるが
ん細胞の例.この例では第 17 染色体は 1 対だが、一方に染色体にお
いて HER2 を含む DNA 領域が 9 倍に増幅している。CEP17 は正
常の位置に 2 コピー存在している。FISH 法では HER2(赤)、
CEP17(緑)が細胞当たり各々 10 個、2 個みられ、CEP17 シグナ
ルに対する HER2 シグナルの個数比は 5.0 となる。がん細胞を 20
個以上計測し、HER2/CEP17 比が 2.2 を超える例は増幅あり、同
比が 1..8 未満の場合は増幅なし、1.8~2.2 の間であれば境界域とし、
再度測定して 2.0 以上となれば増幅とする。
ている。
3 In situ ハイブリダイゼーション(ISH)法
が検出できない。組織切片の蛋白質を溶かして
In situ ハイブリダイゼーション(ISH)法は組
DNA-DNA ハイブリダイゼーション反応を起きや
織切片上の DNA もしくは mRNA を検出するもの
すくするために、切片の前処理(ペプシンやプロ
で、診断においては、蛍光色素標識を用いて特定
テアーゼ処理)が必須である。
DNA を表面に露出させ、プローブ DNA との
遺伝子(DNA 配列)の変化を可視化する目的で蛍
基本的にはインキュベータや蛍光顕微鏡があれ
光 in situ ハイブリダイゼーション(FISH)法が
ばどの検査室でもできる検査である。保険収載も
広く用いられる。組織切片に熱をかけて DNA を
されており、特に乳がん、胃がんの HER2 遺伝子
一本鎖にし、蛍光色素で標識した一本鎖の特定塩
の増幅の検査、骨・軟部腫瘍の染色体転座検出の
基配列 DNA をプローブとして用いる。図 2 は
検査に用いられる。近年では肺がんにおける
HER2 遺伝子の増幅を見た画像を提示する。近年
EML4-ALK キメラ遺伝子なども見つかり、免疫染
は様々な蛍光物質が標識に用いられ、検査手順も
色法と FISH 法による検出が行われている。表 1
簡単になってきている。
に FISH 法による染色体転座の検出が確定診断用
診療で用いる FISH 法は、ホルマリン固定パラ
フィン包埋組織切片を対象として実施することが
いられている腫瘍(リンパ腫と肉腫)の種類と遺
伝子変化を示す
3 ∼ 4)
。
多い。検査までの組織の状態が重要であり、固定
FISH 法によって検出されたシグナルは短時間
時間が長すぎる標本では反応が不十分でシグナル
で褪色してしまうが、それらの画像をデジタルで
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表1
FISH 法による染色体転座の検出が診断確定に用いられるがん(リンパ腫、肉腫)2 ∼ 4)
組織型
リンパ腫に特異的なもの
濾胞性リンパ腫
マントル細胞リンパ腫
Burkitt リンパ腫
節外性濾胞辺縁帯リンパ腫
(MALT リンパ腫)
ALK 陽性未分化大細胞型リンパ腫
染色体転座
融合遺伝子
t(14;18)
(q32;q21)
t(11;14)(q13;q32)
t(8;14)
(q24;q32)
t(8;22)
(q24;q11)
t(2;8)(p13;q24)
t(11;18)(q21;q21)
IgH/BCL2
IgH/cyclin D1(BCL1/PRAD1/CCND1)
IgH/c-myc
IgL λ/c-myc
IgL κ/c-myc
API2/MALT1
>85
70
80
15
5
10 ∼ 20
t(2;5)
(q23;q35)
inv(2)
(p23;q35)
t(2;3)(p23;q21)
t(1;2)(q25;p23)
t(X;2)(q11-12;p23)
NPM/ALK
ATIC/ALK
TFG/ALK
TPM3/ALK
MSN/ALK
70 ∼ 80
低頻度
低頻度
低頻度
低頻度
肉腫に特徴的なもの
Ewing 肉腫/未熟神経外胚葉性腫瘍(PNET) t(11;22)(q24;q12)
t(21;22)(q22;q12)
胞巣型横紋筋肉腫
t(2;13)(q35;q14)
t(1;13)
(p36;q14)
線維形成性小円形細胞腫瘍(DSRCT)
t(11;22)(q13;q12)
淡明細胞肉腫
t(12;22)
(q13;q12)
粘液/円形細胞型脂肪肉腫
t(12;16)
(q13;p11)
t(12;22)(q13;q12)
骨外性粘液型軟骨肉腫
t(9;22)(q22;q12)
t(9;17)
(q22;q11)
隆起型皮膚線維肉腫
t(17;22)(q22;q13)
滑膜肉腫
t(X;18)
(p11.2;q11.2)
t(X;18)(p11.2;q11.2)
t(X;18)(p11.2;q11.2)
胞巣型軟部肉腫
der(17)t(X;17)(p11.2;q25)
低悪性度線維粘液性肉腫
t(7;16)(q32-34;p11)
t(11;16)(p11;p11)
類血管腫線維性組織球腫
t(2;22)(q34;q12)
t(12;22)(q13;q12)
t(12;16)(q13;p11)
EWS(EWSR1)/FLI1
EWS(EWSR1)/ERG
PAX3/FKHR (FOXO1)
PAX7/FKHR (FOXO1)
EWS(EWSR1)/WT1
EWS(EWSR1)/ATF1
FUS/CHOP(DDIT3)
EWS/CHOP(DDIT3)
EWS/NR4A3
TAF15(TAF2N)/NR4A3
COLIA1-PDGFB
SS18(SYT)/SSX1
SS18(SYT)/SSX2
SS18(SYT)/SSX4
ASPL(ASP-SCR1)/TFE3
FUS/CREB3L2
FUS/CREB3L1
EWS/CREB1
EWS/ATF1
FUS/ATF1
検出率 (%)
90
5
65
15
>95
>90
95
5
75
25
>90
65
35
<1
>95
>95
<5
>70
20
5
撮影しておく技術も開発されている。蛍光顕微鏡
画像解析装置 Metafer システム(MetaSystem 社)
は、カールツァイス社の落射型蛍光顕微鏡と自動
FISH スポットカウント用アプリケーション
MetaCyte-PathVysion オプションが搭載されてい
る。HER2 DNA の自動解析を目的として開発さ
れ た も の で 、 米 国 FDA( Food and Drug
Administration)の認可を受けたものである。目
測で計算した値とよく相関することも確認されて
いる 5)。私共は、この機器を HER2 検査以外にも
活用し、乳がんの染色体数の変化や肺がんの
MET, ALK 遺伝子の異常の検出に用いている(図
3、図 4)。
最近は FISH のように暗視野でなく、明視野で
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図 3 蛍光顕微鏡画像解析装置 Metafer システム
蛍光顕微鏡画像解析装置 Metafer システム. 左の蛍光顕微鏡には、8
枚までのスライドを搭載でき、各スライドから多数の視野を選んで
連続的に撮像することが可能である。右の画面については図 4 参
照
分子標的治療、治療個別化のための分子病理診断
遺伝子増幅の検査を行う DISH 法、CISH 法も開
は、Dual ISH HER2 キット(ロシュ・ダイアグ
発されている。自動免疫染色装置ベンタナ・ベン
ノスティックス社)の検査を自動的に行うもので
チマーク(ロシュ・ダイアグノスティックス社)
ある。HER2 遺伝子を黒色、第 17 染色体セント
ロメア(CEN17)を赤色で反応させ、光顕下で観
察できる。FISH に対する優位点は、褪色がゆっ
くりなこと、明視野なので目的とする部位の計測
が容易なこと、などが挙げられる。図 5 は HER2
を DISH 法で調べた実例である。
4 結び
病理診断は、病変の状態を顕微鏡で直接観察し
て判断するので、その診断が最終診断となる。病
理部門の業務の中でも、正しい病理・細胞診断を
行うことが最も大事なことである。分子病理診断
が診療の場に導入されることで、今以上に正確で
しかも分子標的治療の適応を決めるような病理診
図 4 自動 FISH スポットカウント用アプリケーション MetaCyte
の操作画面
自動 FISH スポットカウント用アプリケーション MetaCyte の操作
画面. 取り込み画像(左上)、読み取りを行った各々の細胞集塊
(右上)、取り込み部位の表示、ヒストグラム、カウントの結果(下)
が、一つの画面に表示される。
断が行われるようになり、疾病の治療成績向上に
役立てるものと考えている。病理医は患者さんと
直接接触することはないが、「正しい病理診断があ
ってこそ正しい治療が行われ得る」といわれてお
り、病院の診療の質を保証する部門の一つとして
粛々と業務をこなしていきたいと考えている。
Dual ISH HER2 キットによる乳がん組織における HER2 遺
伝子増幅の検出
Dual ISH HER2 キットによる乳がん組織における HER2 遺伝子増
幅の検出.A. 正常の乳管上皮細胞.各々の細胞の核に 2 個の HER2
遺伝子のシグナル(黒)と 2 個の第 17 染色体のセントロメア
(CEN17)のシグナル(赤)が検出される。二倍体であり正常であ
る。B. HER2 遺伝子に異常がない乳がん.HER2, CEN17 のシグナ
ルはいずれも平均 2 個である。C. 第 17 染色体多倍体(polysomy)
の乳がん.HER2, CEN17 のシグナルは細胞あたり平均 3~4 個であ
る。D. HER2 遺伝子増幅を示す乳がん.がん細胞あたり 15 個以上
の HER2 のシグナル(黒)がみられるのに対し、CEN17 のシグナ
ル(赤)は 3 個 ~ 数個であり、HER2/CEN17 比は 2.2 倍を超える。
図5
参考文献
1)向井博文編:原発不明がん 適切な診断治療のポイント、メディカ
ルビュー社、東京、2012.
2)深山正久:がんの分子病理診断―免疫染色と遺伝子診断の進歩―.
最新医学、67(3):351-352, 2012.
3) 長谷川匡:軟部肉腫における分子病理診断の役割.病理と臨床、
26(7):701-710,2008.
4)Dewald GW 他、Hematology Basic principles and practice.
4th ed. (Hoffman R et al. Eds). Elsevier Churchill
Livingstone, Philadelphia, 2005, pp.928-939.
5)若井進、横澤香倫、中村祥子、他.蛍光顕微鏡画像解析装置を用
いた HER2 FISH 検査の結果判定の試み.医学検査、61(3),
印刷中
津田 均
国立がん研究センター中央病院 病
理科・臨床検査科 科長
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