シニアの修学旅行 モロッコ 8日間の旅( 2014 1月2日~1月9日) パート Ⅰ 長田成美 ここ数年、8月頃になると来年の海外旅行は、何処にしようかな?と思案する日々とな る。 検索条件は、① 出発日は1月1日or 2日 ② 福岡空港発着 ③ 旅行日程は7 日~10日間の条件でリスト・アップする。 しかし、リスト・アップするほどたくさんのツアーが有るわけではない。 今回は、福岡空港発着便のツアーが無かったので仕方なく関空発着便のツアーに決 定した。 それが 「ハイライト!!モロッコ8日間の旅」でした。 私のモロッコについての知識は、アフリカの北に在り、砂漠地帯、カサブランカぐらいの 薄っぺらな物でした。 ではまず、モロッコの基本情報 《地 理》 ヨーロッパのイベリア半島のスペインと相対するアフリカ大陸の北で西側に位置し、 国土は南北に細長く、西側は大西洋の波に洗われ、東側は雪を頂いたアトラス山脈と サハラ砂漠に接している。 正式名称は「モロッコ王国」、 面積 45万9千㎢(日本の1.2倍) 人口3200万人 アラブ人の国王を元首とする 立憲君主国家、元首はモハメド6世(アラウィ―朝第15 代国王) 《宗 教》は、イスラム教(スン二派)。スンニ派はイスラム教徒全体の80%~90%を占 める。アフリカ大陸のイスラム教国家、エジプト、サウジアラビア、トルコ、アジアのイス ラム教国家など 今、世界を騒がせている《イスラム国》もスンニ派です。 シーア派は全体の 10%~20%でイラン、イラク、アゼルバイジャン、イエメン等、 《民族構成》 ベルベル人 60%、 アラブ人その他39%、 ヨーロピアン1% ベルベル人はベルベル語を話す北アフリカの先住民族の総称でいろんな民族がい る。西サハラに住む「トウアレグ族」 「ノマド」どちらも遊牧民である。現国王をはじめ国 家権力を握っている人たちは殆どアラブ人である。 《ベルベル人》 ベルベルとはギリシャ語の「バルバロイ」(意味の分からない言葉を話す人) の意、2014 年 5 月 2 日の日経新聞の文化欄に「ベルベル人の言葉探訪」として 創価大学の石原忠佳教授の一文が掲載されていた。それによると北アフリカに 3000 年以上前から住んでいるといわれる原住民ベルベル人の言語は、8 世紀に イスラム世界の支配を受けてからその言葉は長く公に禁止され、文字も忘れ去 られ、今や国連のユネスコから「消滅危機言語」に数えられている。 石原教授は長年の研究成果を「ベルベル語とティフィナグ文字の基礎」とし て出版した。これは、ベルベル語の、世界で初めての体系的な文法書である。 日本から 13600 キロも離れた土地の、消滅寸前の言語を研究した日本人がい たことに驚いた。しかも、日本から遠く離れた砂漠の民の文化や習俗に日本と 似通ったところがある事も驚きだ。 其の1つはベルベル人の赤ちゃんには蒙古斑がある。其の 2 つは、背なかで おんぶする。其の3つは、彼らの伝統民謡の調べは日本の民謡によく似ている 事だ。 モロッコの現況 モロッコは北アフリカに位置する地理上の利点とイスラム教国なのに治安の安定し た評価が国際的に認められているため欧州やアフリカへの輸出拠点として急速に存 在感を高めている。天然資源に恵まれないモロッコは経済成長には貿易のハブにな るために、早くから FTA(自由貿易協定)を推進し EU、アメリカとの FTU が発効するな ど既に50ヶ国・地域以上と締結した。日本企業の住友電装グループ、矢崎総業、日 清食品などが欧州・アフリカ進出の拠点としている。 1/2 朝からウキウキするような天気。旅にはうってつけの暖かい気持ち良い日和。 福岡空港は正月とは思えないほどの人込みで、まるで神社・仏閣の初もうでのようであ る。人込みをかき分けながら集合場所へ、ツアーメンバー38名で、添乗員1名の39名 のグループでした。 福岡空港から大阪伊丹空港へ80席余りの小さなジェット機でフライト、到着後リムジン バスで関西国際空港へ直行。 《関西国際空港》 総工費1兆5000億円の巨大プロジェクトによって完成した、すべてが人工島からなる 海上空港で日本初24時間旅客、貨物の運用を始めた。 当時の自民党行革推進本部長の太田誠一は、① 本州・四国連絡橋、② 東京湾 アクアラインと並ぶ「20世紀末の3大バカ事業」と酷評した。バブルの時期だったのでし ょう。その借金は我々国民の背中にズッシリと掛かっています。 アメリカ技術専門誌「ポピュラー・メカニクス」が選んだ「世界で最も奇妙な18の空港」 の一つに選出された。 アメリカ土木学会によって「20世紀最高の空港プロジェクト」の一つとして認定され た。 《飛行ルート》 日本からモロッコまでの飛行ルートは、直行便はないので中東カタールの首都ドーハ で乗り換えてカサブランカまでその飛行距離は 13600㎞です。 22:50 関空を離陸、ドーハまでの約 12 時間のフライトである。瀬戸内海を横断し日本 海へ抜け~朝鮮半島の南側を横断~北京の南を通過~中国内陸部~パキスタン・イ スラマバードの北を通過~アフガニスタン・カブールの南を通過~アフガニスタン・カ ンダハルの上空を飛行し~イラン~ペルシャ湾~ドーハへ到着した。長い飛行時間で した。飛行距離7900km。 《航空会社の評価》 カタール航空~カタールの国営航空会社で国際的にも評価は高い。機内設備は特に 問題はない。機内食は可もなく不可もなくの程度でした。 《航空会社ランキング》では 5 つ星の評価を得ている。 世界 300 社以上の航空会社の品質を 1 つ星から最高位の 6 つ星までで評価しており 最高位の 6 つ星はまだ存在しない。現在、5 つ星は 8社認定されており日本では ANN が認められている。 《エアーライン・オブ・ザ・イヤー》 カタール航空は、2010 年より毎年選出され、2014 年は第 2 位でした。 《機 内》 座席のモニターには機首を上に向けた飛行機の映像が映し出されていた。その飛 行機から任意の方向に矢印がでている。その矢印が意味するところは何でしょうか? イスラム教徒は 1 日5回メッカにお祈りをする。それは機内でもお祈りができるようにメ ッカのある方向を示している。 機内食 ドーハ―空港 PM 10:42 ドーハ着、ソフトランディング、着陸の瞬間、乗客から機長の操縦技術 に敬意を表して拍手が巻き起こった。私も遅ればせながら拍手の仲間に加わる。確か に今まで乗った飛行機の中ではベストに入るものだった。私は初めての経験でした。 着陸が巧いから拍手で表すなんて素直だな!昨年のエアーチャイナはひどかった。 広大な滑走路が広がり、行く手には駐機場がある。一角に駐機するとボーディング・ ブリッジは無く、移動式のタラップが据えつけられ地上に降り立つ。ジェット機の巨大 なエンジンのそばからバスに乗車し10分ばかり走ってターミナルビルに到着。気温8 度℃天候晴れでした。 4時間のトランジットがあり、9:55 ドーハからカサブランカ(ムハンマド5世国際空 港)へ離陸、 距離5700㎞、 飛行時間8時間30分 15:50 (現地時間)カサブランカ着、日差しは強い、さすがアフリカ。 大仰な名前のカサブランカ国際空港に到着。飛行場は広いがターミナルビルは、小 さい。日本のローカル空港のレベルでした。白い建物で道路沿いにはヤシの木が植 栽されていた。大型の観光バスに乗車し、首都=ラバトへ約90㎞の移動、 《ラバト》 モロッコ王国の首都、人口65万人、大西洋に面し政治、行政の中心である。 《ムハンマド5世の霊廟》 フランスからモロッコの独立を勝ち取った元国王の霊廟、 《ハッサンの塔》 1195年に着工し、未完成のミナレットで高さ44m。ムーア様式の傑作 と言われる。 ラバトでの観光は、ライトアップされた霊廟とハッサンのミナレットを見て終了、バスに 乗車し200㎞離れた「フェズ」のホテルに向かった。現在、夕方だけど夕食は200㎞ 先のホテルまでおあずけのようだ。 21:30 フェズのホテルのレストランで夕食、 パン~ヨーロッパのパンは殆どの地域で固いパンであるがフェズのホテルのパン は意外と柔らかく日本のフランスパンに近い味だった。モロッコ風ミネステローネ、ビ ーフの薄切り(脂肪がなくバサバサで不味い)、野菜炒め(人参、トマト、ナス、ピーマ ン、インゲン)かなり美味い。ライスはボロボロ、デザートのプティングは美味い。 モロッコのビールは特に印象はなかった。 部屋はエアコンが28度で暑い。しかし、コントローラーがない。今日は長い長い、1日 だった。福岡→伊丹→関空→ドーハ→カサブランカ、今までで2番目の距離だ。 パートⅠ 終わり
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