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フィリピン共和国 - Nagoya International Center

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ハロハロ!!
ハロハロ
フィリピン共和国
フィリピン共和国
面積
299,404 ㎞²(日本の 8 割の広さ)
人口
8,300 万人 (2005 年末現在)
首都
メトロ・マニラ
言語
フィリピノ語、英語
宗教
カトリック教(国民の 83%)
通貨
フィリピン・ペソ、センタボ
在留邦人数
12,913 人(2005 年 10 月現在)
在日当該国人数
187,261 人(2005 年外国人登録者数)
(外務省 HP より抜粋)
【太陽の
太陽の国】
国旗の中の太陽の 8 つの光は、スペインからの独立運動に立ち上がった 8 つの州、3 つの星は、ルソン、ビサヤ、ミンダ
ナオの 3 つのおもな島を表しています。 また、赤は勇気、青は高い政治目的、左側の白は平和を表しています。
フィリピンという国名は、スペインによる支配が始まったころ、スペイン皇太子フェリペ 2 世の名からフェリペナス諸島と名
付けられた事によります。
7000 以上もの島々からなる、東南アジアの中で、日本から一番近い国です。 北部をルソン地域、中部をビサヤ地域、
南部をミンダナオ地域と呼んでいます。 日本と同じく火山や地震の多い国で、1991 年のピナツボ火山の大噴火では、
大きな被害が出ました。
熱帯性気候に属しており、1 年中気温の変化があまりありません。 平均気温は 26~27 度と暖かくて、雨の多い国です。
また、台風の通り道でもあり、大きな被害を受けるときもあります。
セブ島やボラカイ島など、さんご礁のきれいなビーチリゾートも有名で、ダイビングなど
マリンスポーツを楽しむ人でにぎわいます。 プエルト-プリンセサ地下河川国立公園
や、古都ビガン、フィリピン・コルディリェーラの棚田群などの世界遺産があります。
© Nagoya International Center 2008
【ハロハロ】
ハロハロ】
過去に、スペイン、アメリカ、日本という3つの国に支配・侵略された歴史から、ヨーロッパ・アメリカ・アジアの生活様式と
文化がミックスされています。 300 年以上もスペインの統治下にあったことから、アジアの中の唯一のカトリック教国で、
祝祭日は、カトリックに関係したものが多いです。 英語が公用語になっているのは、アメリカの影響です。 日本との関
わりも、ルソン島の日本人街から始まり、第二次世界大戦を経て、経済でのつながりの強い現在まで、深いものがありま
す。 「ハロハロ」とはごちゃごちゃにまぜるといった意味のフィリピノ語で、いろいろな文化がミックスされたフィリピンを表
しているといえるでしょう。
国内交通で多く使われているタクシーは、普通の車の他に、ジプニーと呼ばれる相乗りタクシーが多く、これは、アメリカ
軍使用の中古ジープを改良したものです。 マニラ市内では、ミニ乗り合いバスといった感じで、路線バスのように使われ
ています。 どこから乗っても、どこで降りてもよく、料金も安くて、それぞれの運転手が車にいろいろ飾り付けをし、目立
つようになっています。 ほかに、トライシクルという、オートバイの横に座席をつけた三輪車のタクシーもあります。
教育については、小学校が 6 年、中学はなく、高校が 4 年、大学が 4 年(学部によっては 8 年)という形です。
フィリピンにしかいない動物では、ターシャと呼ばれるフィリピンメガネザルや、世界で 2 番目に大きいフィリピンイーグル、
反対に世界で 1 番小さいネズミシカなども見られます。
フィリピンメガネザル
フィリピンイーグル
ネズミシカ
【フィリピン料理
フィリピン料理】
料理】
ココヤシの実からつくったココナッツビネガー、魚でつくったパティスというしょうゆのようなものが、調味料として使われ、
フィリピン料理の味の決め手となっています。 また、マンゴー、ランプタン、ドリアン、パイナップル、マンゴスチンなど、南
© Nagoya International Center 2008
国でとれるめずらしいくだものがいろいろあります。
シニガン
野菜と海老をベースに煮込んだ、ちょっとすっぱいスープ
レチョン
子豚の丸焼きで、お祭りやお祝いにかかせない
アドボ
おしょうゆと酢で鶏肉や豚肉をじっくりと煮込んだ、スペイン風
のシチュー
ハロハロ
ナタデココやお菓子、くだもの、いろいろな種類のゼリー、
かき氷、練乳フルーツアイスクリームなどを、混ぜて食べる、
甘いデザート
© Nagoya International Center 2008
【フィリピノ語
タガログ語
】
フィリピノ語(タガログ
タガログ語)】
●簡単
簡単なあいさつ
簡単なあいさつ
マラミング サラマット
ありがとうございます
Maraming salamat.
どういたしまして
ワラング アヌマン
Walang anuman.
マガンダン ウマガ
おはよう
Magandang umaga.
こんにちは
マガンダン ハポン
Magandang hapon.
マガンダン ガビ
こんばんは
Magandang gabi.
パアラム
さようなら
Paalam.
© Nagoya International Center 2008
本で
「フィリピン」を知る(名古屋国際センター
蔵書より)
フィリピンの環境とコミュニティー砂糖生産と伐採の現場から
森林の国家管理から住民管理へ、砂糖産業の衰退と農地改革、
森林と地域住民のかかわり、シュガーアイランドからの転換。
フィリピンの大衆文化
インド、中国、スペインなど多くの外国の影響を受け、またアメリカ
文化を受け入れるフィリピンの文化。担い手はもっぱら、庶民。
アキノのフィリピン
混乱から再生へーアジア経済研究所調査研究。
フィリピン社会の風土、政治・経済情勢、国際環境問題と展望。
黄色い花の革命ーフィリピン
1986
戒厳令下のフィリピン-1976、新人民軍の台頭、新人民軍解放区、
マルコスは打倒された、そして・・・。
ラバン;フィリピンの黄色い革命
Labanータガログ語で「闘争」。フォトジャーナリスト加藤 博のルポと写真。
フィリピン革命とカトリシズム
教会に支えられた植民地、民族意識の胎動、革命結社カティプーナン。
革命とリーダーシップ。
これからのフィリピンと日本ー民族交流のすすめ
新しいフィリピン民衆の課題。フィリピンから日本を見る。日本人との対話。
マニラ発妻たちのピナトゥボ応援団
手さぐりの救援ボランティア。
1991年、ルソン島のピナトゥボ火山が今世紀最大といわれる噴火。
マニラに居合わせた日本人駐在員の妻たちが中心となった救援活動。
ありがとう!
フィリピン
わが心の里子たち。
フィリピンで出会った子どもたち、好きになったフィリピン、精神里親、映画づくりと巡回映画
の旅。
© Nagoya International Center 2008
フィリピンの歴史教科書からみた日本
在フィリピン日本国大使館付属マニラ日本人学校派遣教員として赴いた著者。
学校教育で日本という国、日本人についてどのように教育されているのだろうか。
それぞれの世代のフィリピン人は日本人をどのようにうけとめているのか。
チボリーフィリピン・少数山岳民族の自立を支援して
チボリ族を絶滅から救った善意の人びとー日本の「チボリ国際里親の会」の運動。
チボリの教育・識字運動から学校教育へ、フィリピンの政変とチボリ、チボリの明日と私たち。
フィリピン女性 エンターティナーの世界ーマリア・ロザリオ・ピケロ・バレスカス
エンターティナーとして日本に来るフィリピン女性の全貌を彼女自身の「語り」を通して紹介。
なぜ日本に来るのか、仕事と労働条件、フィリピンへの帰国。
フィリピンの子どもたちはなぜ働くのか
アジアの子どもの社会学。世界人権問題叢書 1 巻。
不平等の構造と文化の中の児童労働。増加する就労児童。
タバコ売り、少女売春婦、くず拾い・・・、従属的なフィリピン経済。
狂気ールソン住民虐殺の真相
世界に冠たる軍国日本の一部隊においてなされた行為、歴史の
一頁に書き留めねばならない内容。
虐殺とは、戦争とはなんであったのか。
ハヌノオ・マンヤン族ーフィリピン山地民の社会・宗教・法
フィリピン・ミンドロ島の山地民。社会の構成、信仰と儀礼、慣習法の世界。
(南島文化叢書 8巻)
「ベンゲット移民」の虚像と実像
近代日本・東南アジア関係史の一考察。
明治 34 年着工されたルソン島ルソン平野から北部山岳地帯ベンゲット州バギオに至る道路。
パリ条約(明治 31 年)によってスペインからアメリカ合衆国に殖
民統治権が譲渡された当時、日本からこの工事のために
渡航した日本人労働者、通称「ベンゲット移民」。
フィリピンの陽気な若者と庶民生活
定年後ボランティアの教育体験
フィリピンアダムソン大学での日本語教育とキャンパスの出来事
フィリピン社会の紹介
© Nagoya International Center 2008
フィリピン新人民軍従軍記
フィリピン社会の根本的変革を主張し、実践しつつある青年たち。
マニラで公然非公然の活動を続ける人々、新人民軍をこの眼でみたい。
1979年8月、私はルソン島山岳部のゲリラ地区へ向かった。1981年8月出版。
バナナと日本人
フィリピン農園と食卓のあいだ。
知られざる日・米・比の構図。バナナはどこから? 植民地ミンダナオで。多国籍企業の戦略は?
流通ルートに何が起ったか。つくる人々を思いながらー平等なつながりのために。
ジェンダーの政治経済学
セックス、ジェンダー、社会。セクシュアリティ、イデオロギー、文化習慣。
フィリピンにおける女性と性的分業ー植民地化以前と植民地化の遺産
スペイン植民地化以前、スペイン統治下、米国統治下のフィリピン。
フィリピン独立後の性的分業。
戦後フィリピン農地改革論
フィリピンの戦後農地改革は 1955 年9月に制定された農地改革法をもってその端緒とする。
フィリピンは東南アジアのうちでもとくに地主小作関係の形成が進んだ国である。
フィリピン双書より
ノリ・メ・タンヘレーわが祖国に捧げるー
ホセ・リサール著(フィリピン国民の英雄といわれるリサールの主著)
フィリピン民衆の歴史
巻、 巻、 巻、 巻
フィリピン・ナショナリズム論 (上、下巻)
フィリピン史物語ー政治・社会・文化小史
ネグロス・マイラブ
著者 大橋成子:1996年ネグロス出身のA.ボディオスと結婚。
以来、夫の実家があるナヨン村に住む。2001年、夫はナヨン村長に当選。
夫と五人のこどもたちとフィリピン・ネグロス島の暮らし。
フィリピン街道
巻
マニラ編、バハラナ
著者日比野 宏
(フリーの写真家、人物、ファッション撮影を中心に活動、アジア 16 カ国を旅する)
フィリピン街道
巻
諸島編、マガンダ
© Nagoya International Center 2008
誤解されているフィリピン
フィリピンは危険な国ではない。
マニラ首都圏に十年間滞在した日本人ビジネスマンの目に
映った”近くて遠い隣国、素顔のフィリピン”。
フィリピンとフィリピンの人たちに対する誤解をとくために。
フィリピンはもっと近い
アジア太平洋資料センター編
フィリピンバナナと私たち、フィリピンに生き、働き、奪われる人々。
フィリピン人民の闘争は広がり深まる。フィリピン革命は前進する。
不思議のフィリピン:非近代社会の心理と行動
非近代社会の知恵、非近代のこころの意外な豊かさ。
フィリピン・幸せの島サマール
ある民際協力の試み
フィリピンで最も貧しい村、苦悩の島と言われ続けるフィリピン中部のサマール
島。
多くの困難にもかかわらず、陽気にせいいっぱい生きる人々の姿に強く魅か
れ、煩雑に訪問。
フィリピンの民衆と解放の神学
激動するフィリピン社会とカトリック教会、「解放の神学」の現場から。
キリスト教基礎共同体、司教団の方針。
フィリピン史
7000とも8000とも言われるフィリピン群島、マジェラン船団1521年から1960年ごろまで。
物語フィリピンの歴史
「盗まれた楽園」と抵抗の500年。スペインの武装宣教師船団来航後の長い植民地時代。
政治と教会が押しつぶし覆いつぶした民族抵抗の精神。
フィリピンの社会・歴史・政治制度
私の体験したフィリピン社会。フィリピンの歴史。フィリピンの政治制度。
実録イメルダ・マルコス
フィリピン大統領夫人の知られざる過去。
1932年イメルダ誕生。1953年ミス・マニラ・コンテスト。1954年マルコスと結
婚。
1965年マルコス、第6代大統領に。フィリピン社会とマルコス”王朝”政治。
© Nagoya International Center 2008
アキノ家三代
1983年マニラ空港で暗殺されたニノイ・アキノ。
アキノ家三代の家族史は、フィリピン民族主義の歴史である。
フィリピン大衆文化への招待
下町の雑踏、駆け抜けるジープニー、子どもたちの遊び、異教徒の出会い、植民地主義と相克、
警官とぶつかるデモ隊、街に村に、人びとの声があふれる。
フィリピン裏町探検隊
サリサリ、ハロハロの国へようこそ。ギャンブルに強くなければ、男の株は下がる。
フィリピン映画はラテンの味付け。マニラの正しい覗き方。
東洋と西洋が同居するオモシロさ。
現代フィリピンをしるための60章
歴史を見なおす。社会と文化を読み解く。政治を分析する。経済の実態を知る。国際関係から見
る。
そしてフィリピンを読む章。
砂糖アシエンダと貧困
フィリピン・ネグロス島小史。フィリピン有数の砂糖生産地帯としてのネグロス島。
フィリピン援助と自力更生論
ODA の大幅増加、多彩な NGO 活動の活発化にみられる「援助ブーム」。
単純な援助肯定論とその問題点。
窓口 名古屋国際
名古屋国際センター
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TEL (052)581-0102
FAX (052)571-4673
© Nagoya International Center 2008
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