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Summer 1997 No.18

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Summer 1997 No.18
ハイデルベルグ城の窓から見た川向こう
ドイツでは、政権党の政策により1989年以降原子力発電所は建設されていない。
今後、電力需要の増加はないのか? 増加すれば石炭を焚くのか?
目次
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オピニオン
START-IIIを形式的な話し合いの場に終わらせないために
スタディ・レポート (7)
動燃の事故を平和利用技術促進のきっかけに 岸田 純之助
CNFCレポート
ヨーロッパのMOX燃料利用調査― 2005年までに35∼40基がMOX燃料装荷
冥王星 17
いっぴき吠えれば 後藤 茂
Special Report
核問題はこれからが正念場 今井 隆吉
Nourriture-1
異国の料理文化を考える フランスの蛙、中国の蛙 津島 雄二
原子力発電所の風景
日本のふるさと出雲
CNFC Information
第6回通常総会
Plutonium Spring 1997 No.18
発行日/1997年8月20日
発行編集人/堀 昌雄
社団法人 原子燃料政策研究会
〒100 東京都千代田区永田町2丁目9番6号
(十全ビル 801号)
TEL 03(3591)2081
FAX 03(3591)2088
会 長
向 坊 隆 元東京大学学長
副会長 (五十音順)
津 島 雄 二 衆議院議員
堀 昌 雄 前衆議院議員
理 事
青 地 哲 男 (財)日本分析センター
技術相談役
今 井 隆 吉 元国連ジュネーブ軍縮会議
日本代表部大使
大 嶌 理 森 衆議院議員
大 畠 章 宏 衆議院議員
後 藤 茂 衆議院議員
鈴 木 篤 之 東京大学工学部教授
田名部 匡 省 衆議院議員
中 谷 元 衆議院議員
山 本 有 二 衆議院議員
吉 田 之 久 参議院議員
特別顧問
竹 下 登 衆議院議員
オピニオン
START-IIIを形式的な話し合いの場に終わらせないために
米国、ロシア両国が戦略兵器削減交渉の席に引き続き着いていることは意義深いことではあるが、この交渉の着実
な前進が重要である。それが核不拡散条約(NPT)を受け入れ、NPTの無期限延長をも認めた非核兵器国に対する核
兵器国の義務であり、20世紀と21世紀の人類の希望でもあるからだ。
START-IIについては、米国はすでに批准をしているが、ロシアはまだ批准をしていない。批准しなくても実質的
な核軍縮は可能であるようだが、批准したとしても実際にロシアがSTART-IIの目標値である2003年までに戦略核
を3,000∼3,500に削減するということは、ロシアの現在の資金不足などの点から、日本を含めた他の国々からの支援
を今後も続けても、かなり難しいと見られている。
3月にヘルシンキで開催された米ロ首脳会談で、START-IIIの構想が発表された。START-IIIでは2007年までに戦略
核を2,000∼2,500までに削減することを目標値としているが、このSTART-III交渉開始は、START-IIの発効後という
条件が付いている。つまりSTART-IIIの構想は掲げられたが、ロシアの状況からして、その交渉開始は容易でないこ
とがうかがわれる。とは言え、非核兵器国は、ロシア議会(Duma)でのSTART-IIの批准とSTART-IIIの具体的交渉
が1日も早く始まることを千秋の想いで待っている。
START-IIIでの核兵器の数は、どのような考えのもとに決められたのか公表されていないが、START-I
が6,000、START-IIが3,000∼3,500ならば、START-IIIが1,500以下というのが非核兵器国に対する努力の姿勢ではな
いだろうか。3,000∼3,500を2,000∼2,500では小手先の軍縮パフォーマンスと言われても仕方ない。一部の核軍縮専
門家の間では、このヘルシンキでの構想を、「START-2.5」と称している。START-IIの「おまけ」と言ったところ
だろうか。
あえて提案したい。ゴルバチョフ前大統領が一方的に50万人の兵力の削減を発表し、実行したように、START-III
ではエリツィン大統領が核兵器を米・ロ以外の保有国並の300発にまで削減することを再提案したらどうだろうか。
エリツィン大統領の名は核軍縮の歴史に残ることになるだろう。
このSTART-IIIの交渉には米ロ以外の核兵器国は含まれていない。2,000∼2,500では他の核兵器国が交渉の場に着
く余地がないからである。ロシア、米国が共に300発にまで削減する意思を表明すれば、核兵器5大国がそろって同
じテーブルに着くことができる。21世紀に向けて5大国がSTART-IIIから核軍縮を一層前進させることを求めたい。
米国は7月2日にリバウンド(Rebound)と呼ばれる未臨界実験を実施した。核爆発を伴わないので包括的核実験
禁止条約(CTBT)の義務に違反しないとされているが、保有する核兵器の安全維持のためとは言いつつ、核兵器国
の核兵器開発技術維持への意図が強く現れている。米国は1997年内にさらに1回、1998年には4回の未臨界実験を
行う予定である。果たしてこの実験が本当に既存の核兵器の安全性確保だけのために必要かどうかは、非核兵器国に
とっては確認することはできない。より高性能の核弾頭の開発を行うためと憶測されても仕方のないことである。
ヘルシンキ・サミットにおいて、核兵器削減への意志表示をしている核兵器国が、その一方で未臨界とはいえ核兵
器に関する実験を行うことは、核兵器削減への道筋を逆行していると言わざるを得ない。また核弾頭の数の削減を進
めても、高性能の核兵器開発を進めるのであれば、STARTという交渉は単に核兵器国のパフォーマンスに過ぎない
ことになる。この未臨界実験がCTBTを発効させるためのマイナス要因であることは明らかである。
このような非核兵器国の懸念を払拭するためにも、核兵器国が地球平和のために核兵器のあり方を再検討するとと
もに、イスラエル、インド、パキスタン、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)など核兵器開発疑惑国も、核兵器を保
有する意図を確固として放棄することを明確にすることを求めたい。
神が創られた地球と人類の将来は、今や一握りの人間の英知と英断にかかっている。
(編集長)
[No.18目次へ]
Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
スタディ・レポート(7)
動燃の事故を平和利用技術促進のきっかけに
岸田 純之助 (財)日本総合研究所名誉会長
元朝日新聞論説主幹
動燃事業団の改革問題を検討していた科学技術庁の動燃改革検討委員会は、来年(1998年)秋をめどに、動燃事業
団を改組して新法人を設立することを骨子とする最終報告を、このたびまとめました。当研究会では、この改革検討
委員会の委員である岸田純之助氏をお招きして、動燃事業団の改革問題につきましてお話を伺いました。その主要な
部分を掲載いたします。(編集部)
動燃事業団は優れた技術者集団と
考えていたが…
新聞とかジャーナリズムというのは何か事件が起こるとうるさく騒ぎ立て
る。そこで騒々しい間は、おとなしく頭をさげて時間が経つのを待つ。風が通
り過ぎたらまた普通に返る。そういうスペックをどの組織でもある程度は持っ
ています。事故を起こした動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団)も同じな
のかな、と思っています。
動燃事業団の東海再処理工場、高速増殖原型炉「もんじゅ」、新型転換原型
炉「ふげん」の三つの事故で、一番深刻だと私が思っているのは、「もん
じゅ」の設計不良です。動燃事業団は優れた技術者集団だとわれわれは理解し
ていたし、そう言われていたのですが、本当にそうなのかと疑わせる出来事
だったと思います。なぜかというと、東芝が作ってきた図面を見て、「この図
面で大丈夫だと思うのか。直してこい」と言う人がいなかったからです。
私のセンスでは、動く部分のある装置で一番怖いのは振動です。その部分で
振動が起こることはないのかを丁寧に見ることが大事です。私はこのことを第
2次大戦中、海軍航空技術蔽で起こった2回の「零戦」フラッター事故で学び
ました。原子炉の場合、動くものは冷却材です。「もんじゅ」の場合、設計者
だったら、図面を見た段階で温度計は大丈夫かと、少なくとも相談していなく
てはならなかったはずだと私は思っています。
岸田 純之助 氏
ところで、政府はこれらの事故に対して「責任がないのか」ということが当然考えられるわけです。「これが政府
の責任」と、もちろん断定はできにくいのですが、政府の関与する度合いの大きい「原子力」という技術では、こう
した視点も常に肝要だと思っています。
舶用炉を地上で試験しなかったことが
「むつ」における政府の過ち
原子力に関して今までに政府が犯した大きな間違いは、三つあったと私は思っています。
その一つが原子力船「むつ」です。なぜ舶用炉の建設と試運転を陸上で先に行い、その後で船に載せることをしな
かったのか、船に直接載せる決定をしたのは誰なのかを本当は知りたい。計画は、まだ原子力基本法(1955年1月制
定)もできていない段階から研究が始まりました。どうしてそのような早い段階から始めたかというと、アメリカの
原子力潜水艦「ノーチラス号」が1954年に就役していたからです。戦後、日本海軍の残党がたくさん造船会社に入り
ました。私の勝手な推測ですが、日本でもあのようなものを造ってみたいなという気になるのでしょう。炉のほうは
わからないにしても、船のことでは自分は専門家だと思っていますから、自信があるわけです。それで陸上で炉を
造って試験せず、初めから船に載せたということでしょう。
ただ「原潜」は常時潜水している。通常の潜水艦は普段は、海上にいて時々沈む。つまり「原潜」は、これまでと
は全く異なる戦略的手段ができたことで、経済性あるいは安全性すらも超えた重要性を持っていたから早く就役させ
た。それができたから日本も「原子力船を」と考えるのは短絡的過ぎた、ということです。
この時も誰が悪かったかという話はもちろん出ませんでした。
第2の過ちは使用済燃料の
中間貯蔵を準備しなかったこと
二つ目の間違いは、原子力発電所を作る段階になって起こりました。電力会社は設置許可申請書を出すのですが、
その設置許可申請書には使用済燃料を立地地点から外に搬出するという約束をしていることです。最初そのやり方を
採用する際に、アメリカの例を調べたそうですが、アメリカでもそうなっていたというのです。
ただ、アメリカの初期の段階では、原子炉はプルトニウムを作るために動かしました。できるだけ純度の高いプル
トニウム239を取り出すために、すぐに取り出し、再処理して、プルトニウムを抽出したわけです。そうした核燃料
の管理の必要から、アメリカでは原子力発電所をつくるようになってからも同じルールが残ったのだと私は思ってい
ます。
日本では、使用済燃料の使い道もないのに、どこかに持っていって置いておくということはなかなか考えにくいわ
けです。ただ、住民の感情を考えると、「使用済燃料は搬出します」と言うほうが、地元には受け入れやすいことも
あったのだろうと思います。
しかし、平和利用の場合は、中間貯蔵の必要を最初から考えなくてはならなかったはずです。最近になって、初め
て中間貯蔵の必要性が本格的に認識され、その体制をつくろうという段階にようやくきました。回り道をしているわ
けです。
使用済燃料再処理の海外委託が
第3の間違い
三つ目は1974年から75年にかけてのことで、ヨーロッパの二つの国(仏、英)に使用済燃料の再処理を委託する
ことが始まりました。私は、それは間違いだと、当時、個人の論文でも、新聞の社説でも書きました。その後の使い
道がはっきりしていない、つまり、どれだけ必要かという必要量がはっきりしていないのに、使用済燃料全部を海外
委託に自動的に出すのは間違っていると論じました。原子力委員会でも、漸く1987年の原子力開発利用長期計画(原
子力長計)で、「海外委託は慎重に進める」となりました。1994年の一番新しい原子力長計では、「原則として国内
で再処理することにする」と修正されたわけです。
そのようなことから、動燃事業団の問題で政府の責任はないのか、政府が間違ったということはないのかと、私は
思いたくなるわけです。「動燃事業団設立の決定は、政府の間違い」とは断定できないのですが、1967年に日本原子
力研究所(原研)から、高速増殖炉、新型転換炉などの研究開発を取り上げたのは、本当に妥当で必要なことだった
のか。いまから見て、そのあたりに間違いがあったという考え方もしてみる必要があるのではないかと感じていま
す。
動燃事業団発足10年目に起こった
原子力界のカーター・ショック
だれでもよく知っている非常に深刻な問題が1977年に起こりました。1977年4月7日という日まで私はよく憶えて
いるのですが、カーター大統領がアメリカの原子力政策の非常に大きな変更、転換について発表したわけです。
そのカーター新原子力政策は、7項目のものでした。最初が商業用再処理の無期限延期、2番が高速増殖炉
(FBR)計画のスローダウン、3番は、今になってみると大事なことと思うのですが、軍事転用の恐れのない核燃料
サイクルの研究促進、4番は、内外の需要を満たすよう、米国のウラン濃縮施設の増強、5番が他国への核燃料供給
保証のために立法措置を取ること、6番が、濃縮、再処理技術の輸出禁止措置を継続する。7番に、平和利用と核不
拡散を両立させる国際的な枠組みづくりについて、各国との協議を続ける、というものでした。これは非常に大きな
原子力政策の転換であり、後発の日本にとって深刻で衝撃的な出来事でした。
そして、4月下旬には、核不拡散法が議会に提出されました。翌月、核不拡散のためのINFCE(International
Nuclear Fuel Cycle Evaluation)について話し合おうではないかという提案が、各国に出されました。
アメリカがそのように決めて、ある種の圧力をかけるものですから、だんだんと再処理から先のことは止めようと
いう国が増えて、今ではほとんどの国がウラン燃料を一度だけしか使わないワンス・スルーになってしまいました。
再処理以降の開発をやるという看板を降ろさないでいる国は、日本、フランス、ロシア、そのほかには例えば中国や
インドなどがあるのですが、実体的には3カ国になってしまいました。これは動燃事業団にとって深刻な事情変更
で、日本の原子力の研究開発体制にとっても非常に大きな状況変化でした。
今の再処理技術には軍事利用の
尻尾が残っている
ところで、実はいまの再処理技術は、プルトニウム239の抽出装置を発展させて商業用の発電所で使えるようにし
たものですが、それの欠点は、ウランのほかはプルトニウムだけしか取り出さないことです。私のセンスでいうと、
平和利用のためには、使用済燃料の中にある燃える元素は、本来みな取り出さなくてはならないはずのものだと思い
ます。
先に述べたように、カーター新政策の3番目に、「軍事転用の恐れのない核燃料サイクルの研究促進」ということ
があります。その問題が1977年頃から議論されるとよかったと思うのですが、私は朝日新聞社での最後の8年近くは
科学技術の仕事から離れていまして、退職後(社)日本原子力産業会議の仕事をさせていただくようになってから漸
く気付きました。その仕事とは、「高レベル放射性廃棄物の地下貯蔵施設の検討」で、初めて、使用済燃料が何でで
きているのかという一覧表を見たわけです。
見てすぐ気がついたことは、「高レベル放射性廃棄物の中にもまだ燃料があるではないか」ということです。超ウ
ラン元素のネプツニウム、アメリシウム、キュリウムもある。量はプルトニウムの10分の1くらいですが、まだ10%
も残っているわけですから、平和利用技術の観点からすれば、もともとそれも燃料として使うことを考えなければな
らなかったはずなのだと私は思いました。1988年春の原産年次大会で行った「原子燃料新時代へ向けて」と題する講
演で、私はそのことを話しました。
日本こそ先進的核燃料
リサイクル技術の開発を
同じ年の秋、原研で「オメガ計画」が決まりました。これは使用済燃料の
「群分離・消滅処理」の研究開発を長期のプロジェクトにしたものでした。
そして、1994年の原子力長計で初めて、「先進的核燃料リサイクル技術の
研究開発」というプログラムが正式に加わりました。つまり、使える核燃料物
質は全部燃料として使うほうに回す。アクチニド、すなわち超ウラン元素の半
減期は、数万年から数十万年と非常に長いわけですから、そういうものを燃し
てしまえば、地下の環境に与える負荷も相当改善されるわけです。少なくと
も、半減期は何百年というオーダーまでには軽減される。これこそが文字通り
の意味での平和利用技術で、これが原子力長計で正式のプログラムになったの
は大変よかったと私は思っています。
高速増殖原型炉「もんじゅ」
しかし、不幸なことに「もんじゅ」の事故がその翌年12月に起こりました。その問題を検討していた原子力委員会
の「核燃料サイクル専門部会」も開店休業になってしまいました。
これと同じような思想での研究が、実はアメリカのアルゴンヌで行われてい
ました。Integral Fast Reactor(IFR)というプロジェクトです。これでは燃え
る物質は全部燃すほうに回す、つまり、「先進的核燃料リサイクル技術開発」
の一つといっていいわけです。ところが、日本で1994年の原子力長計が決
まったころ、そのIFRへの政府予算の支出が停止されました。
文字通りの意味で平和利用の技術体系開発を目指している国は、いまでは日
本だけになってしまったのです。
新型転換原型炉「ふげん」
日本の研究機関が
二つに分かれていていいのか
先ほど政府が犯したと思われる間違いについて、原子力船「むつ」から始まる三つの例を挙げました。政府が犯し
た間違いの四つ目に入ると思っていますのは、1967年の、動燃事業団設立の決定です。それが本当に妥当なものだっ
たかということです。
世界中が降りてしまっていて、いまや、日本こそが本当の意味での平和利用の原子力技術体系を完成する役割を
担っていると先ほど言いましたが、その日本で、原子力技術の開発に取り組む国立研究機関が、原研と動燃事業団の
二つに分かれていていいのかどうか、もう一遍考え直す必要があるのではないでしょうか。
原研は、核分裂を利用する発電技術の研究開発はほとんどやっていません。それでいいのかということです。
あんなに優秀な技術者がいて、今は何を研究しているかというと、どちらかというと非常に基礎的な、理化学研究
所がやるような研究に相当な人材が割かれています。もう一つは核融合の研究開発です。これについて、オークリッ
ジ、アルゴンヌなどかつて原子力開発の中枢にあった米国の国立研究所も、基礎研究への傾斜を強めている、との意
見が原研にあると聞きました。しかし、米国は1977年からワンス・スルーに移行しており、国立研究所での核分裂分
野の研究テーマは無くなっていること、代わって日本がその空白を埋めなければならなくなっていることに留意すべ
きだと思います。
今日本は、できるだけ早く核燃料サイクルを完成させなければならない、とくに、文字通りの意味での平和利用の
核燃料サイクル、つまり「先進的核燃料リサイクル技術の研究開発」を急ぐべき段階に来ています。それができる国
は日本しかないといってもいいくらいなのに、原研をそれらの研究開発から疎外していいのか。いまのようなやり方
でいいのだろうかという感じがします。
原子力長計は「先進的核燃料リサイクル技術の研究開発」の項で、「動燃事業団、原研において必要な試験施設・
設備の整備を進めるとともに、試験炉の必要性についても検討していく」と、二つの機関の協力体制を予想していま
す。しかし、実体はそうなっていません。
今は日本の原子力研究者、
技術者を結集する時
いまの動燃事業団の危機というのは、日本の原子力の危機といってもいいと思うのですが、「危機」というのは
「機会」でもあります。民間会社ですと、危機はその会社を立て直すチャンスなのです。そうやって普通の民間の会
社は生き残って、発展していくわけです。
原子力の場合には、まだ政府予算で相当なところを賄っていく必要がありますから、国営の研究所が必要なのです
が、そこは民間の会社のような自己修復の能力が自動的には出て参りません。だから、間違いのない政策選択をする
ことによって軌道修正していかなくてはならないと思います。
この動燃事業団の危機を、日本の原子力分野の研究者、技術者をもう一度総
結集させる、結集し直す機会だと考える必要があるのではないでしょうか。
これに対する反対意見は両側にありまして、一緒にやるのは動燃事業団も嫌
ですし、原研も嫌なわけです。二つの組織とも感情的に反発しているところが
相当あると思います。その結果、お互いに力を削いでいるようなところがあり
ます。あるいは、科学技術庁が協力の邪魔をしているところがあるとも言える
と、私は思っています。
動燃・東海事業所再処理工場
常識的に言えば、両方ともが嫌だと言っているのだから、そんな無理なこと
はできないということになるのですが、それでいいのかということです。今
は、昔の言葉でいうと、「雨降って地かたまる」の雨が降ったところです。どうやってかためるのかを真剣に考える
段階だと思うのです。
非常にはっきり言えることは、現在の課題は、動燃事業団の改革だけの問題ではなくて、これらの事故をきっかけ
に、日本の原子力開発が、総点検と改革の時期を迎えたと言うことだと思います。
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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CNFCレポート
ヨーロッパのMOX燃料利用調査 ――
2005年までに35∼40基がMOX燃料装荷
わが国では、「もんじゅ」事故や東海再処理施設での事故により、原子燃料サイクル政策に対する風当たりが強く
なり、軽水炉でのMOX燃料利用(プルサーマル)の計画が棚上げされた状態に至っています。しかしながら、将来
のわが国のエネルギー事情や核不拡散問題を考えると、特にプルトニウム利用については、先見性を持った対応が今
後とも必要であることは当然です。
当(社)原子燃料政策研究会では、今年度の海外調査として、MOX燃料
を利用しているドイツのフィリップスブルグ原子力発電所と、MOX燃
「MOX燃料の利用は当たり前の技術です」
料の加工工場であるフランスのMelox工場を視察すると共に、両国の関
(フィリップスブルグ原子力発電所
係者と意見交換を行うため、去る6月に調査団を派遣しました。この調
:パンフレットより)
査団には、当研究会副会長の津島雄二・衆議院議員、理事の後藤 茂・
前衆議院議員のほか、日本原燃(株)副社長の田沼四郎氏、同社企画部の越前正浩氏にもご参加いただき、事務局の研
究員も同行し、調査が行われました。
両国でのMOX燃料の利用は、ウラン燃料の利用と何ら変わることなく安全に、しかも自信を持って利用されてい
ることが分かりました。
ドイツの原子力発電は34%
ドイツでは現在、加圧水型軽水炉(PWR)が14基、沸騰水型軽水炉(BWR)が7基、高温ガス炉(HTGR)が1
基運転中ですが、1989年以降、新たに営業運転を開始した原子力発電所はありません。ドイツでは原子力発電所の許
認可を州政府が行うため、原子力発電所の建設も、各州与党の原子力政策に大きく影響されてきました。全16州の
内、原子力推進であるキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)が、単独あるいは連立により
政権をとっているのは3州に過ぎません。原子力に反対の社会民主党(SPD)が単独で政権を握っているのが4州、
原子力反対の緑の党と連立政権を組んでいるところが4州、SPDと他の党との連立が5州あり、これら13州は、原子
力発電に対するSPDの影響力が強い州となっています。このようなことから、これ以上の原子力発電所建設を行うこ
とは難しいようです。
ドイツでの1996年の原子力発電による発電電力量は、過去最高の1,617億kWhに達し、全電力の34%を原子力発電
で賄っております。このほかドイツでは、褐炭による火力発電が26%、良質炭による火力発電が29%、その他が石油
火力と水力による発電です。EU内での原子力発電の全電力に占める割合は37%ですから、ドイツの原子力発電はほ
ぼ平均的な供給量と言ったところでしょうか。ちなみに、旧東ドイツにありました8基の原子力発電所は、全て停止
させています。
ドイツではすでに10万本の燃料棒が利用
ドイツでは、国内全ての原子力発電所でMOX燃料を利用する方針で、カールスルーエ再処理工場、フランス原子
燃料公社(COGEMA)、イギリス原子燃料公社(BNFL)の3社と使用済燃料の再処理委託契約を結んでいました
が、カールスルーエ工場が操業を停止したため、現在ではCOGEMAとBNFLだけと契約を結んでいます。これら再処
理委託により、1993年までに核分裂性のプルトニウムが11トン分離され、このうちの6トンがMOX燃料として利用
されています。
MOX燃料は、ウランとプルトニウムを混合して燃料体にしますが、ドイツで利用するMOX燃料は、ドイツ・ジー
メンス社のハナウ工場で7万本がつくられました。その後、ベルギーのベルゴニュークリア社とフランスのカダラッ
シュにあるCOGEMAのMOX燃料加工工場で、合計3万本が製造され、合計10万本が使用されています。1992年から
ジーメンス社のハナウ工場が操業を中止したため、MOX燃料の供給量が減り、その利用量も少なくなっています。
フィリップスブルグ原子力発電所でのMOX燃料の利用は、1号機(BWR 92.6万kW)と2号機(PWR 142.4
万kW)からの使用済燃料を再処理して、それにより分離されたプルトニウムをMOX燃料に加工して2号機で使用し
ています。現在では常時平均20体のMOX燃料集合体が炉心に装荷され、利用されています。最大70体までは装荷、
利用できるように許可を受けているとのことです。MOX燃料の利用技術は、ウラン燃料の利用技術と何ら変わるこ
とはなく、順調に運転され、安全上も問題がないと担当者は自信に満ちた声で説明して下さいました。
スーパーフェニックスは本当に止まる?
フランスは、アメリカに次いで世界で2番目に原子力発電の規模が大きい国で、その設備容量は、56基、6,100
万kWに達しています。総発電電力量に占める原子力発電の割合は、1996年には77%となりました。また、発電電力
の15%は、周辺諸国に輸出されています。
このフランスで、私たち調査団がフランスに入国する数日前に、ジョスパン
首相が、「スーパーフェニックスを閉鎖するものとする」との施政方針演説を
行いました。早速私たちは、フランスの多くの方々から、ジョスパン首相の施
政方針演説内容の真意と影響について意見を伺いました。その結果、今回の発
言について次のようなことが分かりました。
「ご視察にいつでも来て下さい。
COGEMAは大歓迎です。」
1. 首相の発言自体が未来形で、スーパーフェニックスをすぐに停止することではなく、これから6ヶ月間にわ
たって検討を行い、決めるということ。
2. 新政権の政策、施策は、まだ具体的に発表されておらず、スーパーフェニックスの方針についてもメディア
を通じての情報に限られていること。政権をとる以前の社会党は原子力に反対であったが、実際に政権を
とってからは現実路線を進んできている。今回の政権で違うのは、社会党が過半数をとれなかったことで、
連立した緑の党への政治的な配慮があったのではないか。しかし緑の党の得票率は3%で、国民の声を代表
するものではない。
3. メディアは緑の党の主張を取りあげた、偏った報道内容が目立つ。
4. ジョスパン首相自身は、原子力発電を重要なエネルギー政策と考えており、その政策を変更することは得策
ではないことは分かっている。また原子力発電所の多くは設備投資の償却も終わり、コスト的にも大変有利
になっていることから、政府が原子力政策を大幅に変更することはないと思われる。
5. スーパーフェニックスは、すでに第2炉心分の燃料を準備しており、240億kWhの発電が可能である。計画
通りプルトニウムやネプツニウムなど、超ウラン元素の消滅実験を進めることが経済的にも技術的にも妥当
であろう。
6. スーパーフェニックスの所有者・NERSAへの出資者であるイタリアのENEL(イタリア電力公社)とドイツ
のSBK(高速増殖炉製造会社)との協議はまだ行われていないようだが、計画の中止は賠償問題に発展する
だろう。しかし、今のフランス財政は緊迫しており、賠償は難しい状況にある。
以上のことから、スーパーフェニックスの取扱いについては、今後フランス内でもさまざまな議論が行われるもの
と考えられ、高速増殖炉の開発を進める日本としても、慎重に見守っていく必要があります。
フランスは28基にMOX燃料の利用を計画
フランスでは、現在、原子力発電所16基にMOX燃料の利用許可が出ており、11基にMOX燃料を装荷し、利用して
います。また、来年中にはMOX燃料加工工場の「MELOX」がフル稼動するので、これら16基全てにMOX燃料が装荷
され、発電が行われる計画です。最終的には原子力発電所28基にMOX燃料を装荷し、発電を行う予定となっていま
す。そのための公聴会がすでに実施されており、いままでのところ市民からの異論もなく順調に進められているとの
ことです。
フランス、ドイツ、スイス、ベルギーの合計では、現在22基の原子力発電所でMOX燃料を使用しており、2005年
までには35∼40基の発電所で利用されることになるでしょう。そのときの95%程度のMOX燃料がCOGEMA社製とな
るでしょうとの説明でした。
MOX燃料利用の意義の一つには、プルトニウムを燃やすことで、核不拡散上の効果が高くなることが挙げられま
す。これは国際的にも専門家の共通認識となっています。フランスのCOGEMAの関係者も、以前からこのことを主
張してきていますが、それに対して異論を唱える人にまだお目にかかったことはないとのことです。これは、アメリ
カが、解体核兵器からのプルトニウムをMOX燃料にして、発電所で燃やすと考えていることからも分かります。そ
のことは、1996年にパリで開催された「G7+1」でも専門家の間で合意されていますし、今年のデンバー・サミッ
トでも話し合われています。
再処理では、ラ・アーグ再処理工場の国内用燃料処理施設UP-2がフル稼働(年間850トン処理)しており、10年
間はこのペースで再処理の操業を続ける計画です。
COGEMAはMOX燃料加工工場を3施設所有しています。Melox(加工容量250トン)、Cadarache(40ト
ン)、Dessel(35トン)で、Melox工場はフランスの国内需要以外に日本やドイツ、ベルギー、スイスのために加工
を行っています。ここではすでに520トンのMOX燃料を加工し、フランス国内や各国に納入しています。
Melox工場は最先端の技術で開発
Melox工場では、加工工程からのウランやプルトニウムの原料廃棄物をゼロにすることを目指しています。それ
は、加工工程から出るMOX燃料の削りかすなどをリサイクルして、再度製品を作るときの原料とするほか、リサイ
クル出来ないものは再処理工程に戻して処理することにしているためです。
Melox工場は、A-MIMASプロセスという方法を採用していま
す。100トンの焼結炉を含む工程が3ラインあり、さらに小さ
なMOX燃料のペレットを4メートルほどの被覆管に詰める工程が
2ライン、できた燃料棒を束にして燃料集合体にする工程が1ラ
インあります。工程としては、次の通りです。
1. ウランとプルトニウムの粉末を均質に混ぜる
2. 5,000バールの圧力でプレス加工し、円筒型の小さなペ
レットを作る
3. 1,700℃で焼き固める
4. 形を整える
5. 焼き固められた燃料ペレットを被覆管に詰める
6. 燃料棒を束ねて集合体にする
各国のMOX燃料を加工
(Melox工場:パンフレットより)
Meloxの工場内は清潔そのもので、工程のラインは全て鉛ガラスのグローブ・ボックス内にあり、完全自動化され
ています。従業員が働いている環境は、他の原子力施設と何ら変わりありません。工場内を隅々まで案内して下さっ
た技術者の方々は、この工場を自分たちで設計し、建設し、操業していることに大変な自信と誇りを持っていること
がよく分かりました。フランスのMOX燃料に関する技術レベルの高さを実感した次第です。
今回の調査にあたり、訪問を快くお引き受け下さり、資料を整え、親切なご説明を賜り、また失礼な質問にも根気
よくお答えいただいたドイツ・フィリップスブルグ原子力発電所、フランス・電力公社(EDF)、原子燃料公社
(COGEMA)、Melox工場の関係者の方々、そのほかご意見を賜った方々に深くお礼申し上げます。また、在仏日本
大使館、関西電力パリ事務所、東京電力ロンドン事務所、動燃事業団パリ事務所の方々には、大変お世話になりまし
た。さらに、この調査を実りあるものにするために、出発前からお骨折り下さった在日フランス大使館の方々に心か
らお礼申し上げます。
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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17
いっぴき吠えれば
後藤 茂
六月のパリは、雨に濡れていた。
プラタナスの喬木に、青いまるい実が懸り、雨の滴が光っている。すずかけという綺麗な名前をつけられたこの木
を眺めていると、ふと、『すずかけの道』の歌が、口をついてでてきた。
パリでは、菩提樹もよく目にした。長い柄に細い包葉を一枚つけて、淡黄色の小さい花を開いている。可憐な花
だ。近づくと、高い香りがただよう。私は、この不思議な姿をした花が妙に気にいったので、手折って手帳にはさん
だ。
旅装を解く間もなく翌朝早々に、マルセイユに飛ぶ。今回は、プロバンス地方にMOX燃料を製造するMELOXを訪
ねる旅であった。
曇天のパリから一転、明るい太陽がかがやく南仏。マルセイユの港には、おびただしい数の船が帆を休めていた。
うすい茶色の屋根瓦、白い壁、地中海の透明な光がふりそそいで、目に眩しい。
アルルの町で、車を停めた。炎の画家ゴッホが愛した町アルル。画集でしか見ることのなかった風景を目にする
と、あの燃えるようなゴッホの芸術にうたれて、強い感動を覚える。
アビニヨンの町へ車を走らせた。一時期ローマ法王が住んだこの町は、ローヌ川のほとりに城壁をめぐらし、建造
物や、街のたたずまいに、歴史を感じさせる。私は、昔修道院だったという古風なホテルで、夕立のような雨音を子
守唄に、ピカソの描いた『アビニヨンの娘たち』を想いうかべながら、こころよい眠りにおちていった。
小鳥のさえずりで目覚めた。
アビニヨンから車で一時間足らず、濃い緑のぶどう畑がどこまでも続く。黄金色に輝くひまわりの咲く田園、その
間を点描するように群生するラベンダーの紫色の花が、彩りを添えていた。
MELOX工場の紹介は、スライドをいれて実に詳細、MOX燃料の製造工程も隅々まで見せてくれる気の使いよう。
高い技術に対する強い自信からか、と感じさせられたのであった。
旅には、良き出会いがあるものだ。
今回の旅行に稔りがあったとすれば、通訳をしてくれた原由紀子さんに負うところがおおきい。原さんは、原子力
関係者との会談や施設の見学には必ず呼ばれているそうである。専門用語もしっかりと身につけていた。わかりやす
い通訳ぶりは、どれほど私たちの理解をたすけてくれたか知れない。
原さんは、パリ在住のみなさんでつくる合唱団『ミモザ』のメゾソプラノだそうだ。教会などを借りての公演で、
きまって歌うのは、日本の『故郷』。
「兎追いし かの山…、はどんな情景かわかりますか」と私。首をふる彼女に、
「私が中学生の頃、冬になるとうさぎ狩りをしたものです。上級生がさして高くもない山の尾根にのぼって網を張
る。下級生たちは、棒切れを手に手に、藪を払い、灌木をたたきながら、鬨の声をあげて追い上げるんです。驚いた
うさぎは頂上に逃げる。そこで網にかかり御用、というわけ」と話した。
私の顔をのぞき込むように聞いていた原さんは「これからはもっと感情をこめて歌えそう」と、頬をくずした。そ
して、「もうひとつ持ち歌があるんです」と『東北地方のわらべうたによる九つの無伴奏、女性合唱曲』子守唄を、
小さい声で聞かせてくれた。
やっとこ山田の白犬こ
いっぴきほえれば皆ほえる
ねねこ寝ろねろねんねこせ
おらほのめんこさんだねんねこや
ねんねのお守りは何処さ行った
あの山越えこえ里さ行った
里の土産に何もろた
でんでん太鼓に笙の笛
私は、こんどの旅に数冊の本を携えていった。一冊は、読み残していた司馬遼太郎の『坂の上の雲』。松山に生ま
れた武人秋山兄弟と俳人正岡子規を描きながら日清戦争、米西戦争、日露戦争に織りこんでいった小説、というより
歴史の書といっていい。
奉天会戦は、幸運にもめぐまれた勝利であった。戦勝に思いあがった日本は、東進するバルチック艦隊をも一大鉄
槌を加えるだろうと信じていた。このくだりで司馬が、日本の新聞論調について書いた文章は、強く私をとらえた。
少し長いが引用しておきたい。
―日本の新聞は必ずしも叡知と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における快勝を野
放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるとい
う悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の国力などについて論ずることがまれにあって
も、いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちに太平洋戦争にま
で日本を持ちこんでゆく…。
私が携えていったもう一冊は、あの『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ペンダサンその人といわれる山本七平の
『「空気」の研究』である。戦艦大和の出撃を誰もが無謀と知りながら出撃して海の藻屑にしたのは、その場の「空
気」であったと、この本は書きだす。
―「空気」とはまことにおおきな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。
何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行さ
せ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落し込んでしまうのだ
から、スプーンが曲がるの比ではない。
「空気」の前には科学的手段や論理的論証も一切は無駄、だから、この「空気」なるものの「正体を把握しておか
ないと、将来なにが起こるやら、皆目検討がつかないことになる」と山本七平は多くの例証をあげて指摘していた。
司馬遼太郎の「気分」は、山本七平の「空気」だ。あの無謀な戦争の渦中で生死の極限にたたされた二人の歴史観
であり、冷徹な、しかし柔軟な発想で視た新聞批評であった。
私は、動燃の東海再処理工場で起きた火災・爆発事故をめぐるマスメディアが、まるで天地がひっくりかえったか
のような大見出しを一面に踊らせた報道ぶりと、二人の論調を重ねあわせてみた。
解説記事でも、「原子力の明日 米では『死にかけの技術』」と四段に抜く。その出所は、「原子力の安全性を研
究してきた国際的なシンクタンク『世界資源研究所』(WRI)のジェームズ・マッケンジー主任研究員は、こう言い
切った」(朝日・3・29)からつけた見出しだ。この研究員がどういう権威をもっているかは知らないが、「死にかけ
た技術」とは独断すぎはしないか。
私は、同じアメリカでのテレビ局BBSが、4月22日夜9時から1時間にわたって放送したドキュメンタリー番組を
見た友人からFAXを受けとっていた。
「人々にとっても新聞・テレビが原子力に関する主たる情報源であり、一方、新聞・テレビは、原子力のネガティ
ブな面しか報道しない。暗黙の恐怖心から原子力を危険と感じているが事実は、そうでない。」と指摘し、「豊富で
安価な化石燃料を近視眼的に使ってよいのか、環境上大丈夫なのか、原子力を放棄することを我々の子孫は、正しい
と考えるだろうか」と疑問を投げかけていたとのことである。
わが国でも日本放射線影響学会の有志7人の方々が5月22日、東京・国立がんセンターで『東海村動燃の微量放射
能事故の健康影響についての見解』を発表している。1年間の人体に与える自然放射線の平均量を1とすれば、今回
の放射線の量は0.2程度、健康影響の心配はないと、作業者たちの体内に入った放射線を細かく分析した上でのわか
り易い見解であった。
集まったマスメディアは、十数社、しかし、翌日の各紙には、一行の報道もなかった。「科学的評価が正しく報道
されていない。かたよった報道が全国をおおっている状況は戦前、戦中の日本社会の反応とどこか似ている」と鋭い
マスメディア批判が『見解』にあったからだろうか。
一方、外国特派員は、比較的クールだったようだ。ヤン・デンマンと称するS.P.I.特派員が各国の記者との会話を
紹介した[東京発]電(『週間新潮』・東京情報4月24日号)は読ませた。たとえば火災消火の問題でも「わかって
みれば、悪気のない勘違いが引き起こした珍騒動…勘違いを隠そうとしたことは、問題だったにしろ、連日にわたっ
て虚偽だ、うその報告だと大騒ぎする必要があったのかね」とイギリス人記者。
「何も原発が爆発したわけではない。東海村で何百人も死んだわけでもない。動燃の再処理施設でおこった火災の
消火時刻が間違っていたくらいで、旧ソ連のチェルノブイリか、わが国のスリーマイル島の事故でも起こったかのよ
うなヒステリックな反応をするのは行き過ぎだよ」とアメリカ人記者も相づちをうっている。
私は、今度の旅にもう一冊の本をバッグに入れていた。H.W.ルイス博士の『科学技術のリスク』(昭和堂刊)と
いうA4版300頁の大著である。アメリカ物理学協会科学著作賞を受賞したこの本を、訳者の宮永一郎先生(元原子
力安全委員)からいただいた。
私は、一気に読んだ。
「リスクは、必ずしもいつも悪いわけではない。進化は種を強化するためのさまざまなリスクへの挑戦なしには不
可能である。良くも悪くも先祖たちが対応してきたさまざまなリスクがなかったら、われわれは今のような生物には
決してならなかったであろう」と、多くの事故の経験を挙げていた。大切なのは技術のリスクがあるかないかではな
くて、リスクが小さくなるようにして、これを利用することだと、米国第一級の科学者ルイス博士は説いている。
私は、「リスクは科学の進歩に伴って広がった不安をかきたて、政治的、社会的に大きな問題になってきた。この
ような雰囲気のもとでは民衆の煽動家がはびこるのである」というこの本の『緒言』の言葉に、考えさせられたので
ある。
私は、つい最近発刊された『ジャーナリズムの思想』(岩波新書)を興味深く読んだ。著者の原寿雄氏は共同通信
の記者から編集局長を務めた著名なジャーナリストだが、この本は単にジャーナリストに対する警告として以上に、
私の興味を惹いた。
「社会の底辺の痛みや願望をジャーナリストが共有することなしに、真のジャーナリズム活動は、できない。しか
し行動のバネとしての正義感や衝動やエモーションを、一度理性的に昇華させた次元のクールな客観報道でないと、
歴史の歳月に耐えうる有意義な報道は、望みえない」と著者は訴える。客観報道だから世論操作とは無縁だと考える
のは、間違いだといって、「日本のジャーナリズムは、これまでの客観報道を根底から問い直し、再出発すべきとき
ではないか」と反省をこめて語っていたのである。
いっぴきが吠えれば 皆ほえる。―そんなマスメディアになってもらっては、悲しい。
この7月テレビ放送の革創期を支えた人々が、『放送人アカデミー』を発足させたという。設立趣意書には、「オ
イディプスの痛みを共有しなければならない」とあるそうだ。スフィンクスの禍からテバイの国を救ったオイディプ
スは、実は、父を殺し、母を娶っていたことを知って、両の眼をふかく、突きさした、というギリシャ悲劇作品の傑
作である。
放送人は、最近の放送界の荒廃をみて、盲目になって初めて事実が見えてきたという古典から学び、憂いと愛着を
こめて後輩への「遺言」をのこしたいと集まるという。新聞人のそうした動きはでてこないのだろうか。
司馬遼太郎はNHKスペシャル番組『太郎の国の物語』のなかで遊びとして考えた概念であると断りながら、『モン
ゴロイド(蒙古人種)家』の家風を、つぎのように語っていた。
「この黄色いひとびとは存在感がどこか草のように儚くさびしく、また自己表現がすくない。さらには一個の人間
としても、脂ぎった独立性にとぼしく、その言動は、論理的であるよりも多分に情緒的である。」と。
事故に対して過剰に感情的になると、情緒的な日本人は、その空気に動かされ、日本のエネルギー政策を誤りかね
ない。原子力発電が7割以上を占めるフランスの旅は、私にそんな思いをいだかせたのであった。
アフガニスタン民謡『ライダイ』(大岡信編、『折々のうた』)に、こんな唄があった。
「こころ」が「まなこ」に/言うことにゃ/「眼(まなこ)見る役、わしゃ悩む役」
(前衆議院議員)
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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Special Report
核問題はこれからが正念場
今井 隆吉 元ジュネーブ軍縮大使
杏林大学教授
兵器としての将来、その有効性、処分のためのコスト、エネルギー価値、放
射性安全など、諸般の情勢を考えると、21世紀の核問題の多くは未解決であ
る。目下の処その方向性を決める鍵と関心は、アジアに集中しているというの
はやや言葉が過ぎるだろうか。
核の話は、そもそも兵器としての軍事機密性、専門家でないとわかりにくい
技術的内容と用語があり、勿論、多量殺戮兵器としての道義上、ならびに運用
上の障害などが重なって、世の関心の高い割には内容の詳細な議論が少ない。
特に冷戦が終わって「東西核対決」がマスメディアの見出しから姿を消し、原
子炉「事故」や「故障」が新聞、テレビを賑わすにつれて、人々はそちらに気
を取られている。
20世紀後半から21世紀前半への移転という今の大事な時期に、核がどのよ
うな文明論的な位置づけにあるのか、殆ど議論されていない。世界の基本的論
争の根元の一つに、わが国が無関心でいる事になる。 (本文の中で専門用語
と条約名などが出てくるが、立ち止まっての説明は冗長に渡るので省略した。
読者の常識の範囲で解釈して頂くようお願いしたい。)
今井 隆吉 氏
核時代が終わったのではない
冷戦が終わって、アメリカと旧ソ連が持っていた(地球を7回破壊出来るという)膨大な核の破壊力の対決が、一
応ご破算になった。核戦争の時代は終わったと思われ、世界の各地で次々と起きるめまぐるしい事件を追いかけるの
に急である。
実を言うと、合意されたのはスローガンだけで、核軍縮が実施され、核兵器が無害化するのは遠い先の事であり、
それまで人類は従来通りの核兵器の脅威の下に生きていかねばならない。その関連で「原子力発電」は、現在既に世
界全体のエネルギーの約8パーセントを供給しており、一部の人が主張するように急に止めてしまう訳にはいかな
い。核兵器の安全処理の為にも、発電所の運転維持の為にも、原子力産業は何十年のオーダーで継続するほかはない
という点は見逃されている。
今後の石油、天然ガスの世界的な動向、地球温暖化問題の行方如何によっては、21世紀に入って核の利用は急速に
伸びるかも知れない。人口1億2,000万人が単一言語を用い、新聞もテレビも自分の身の回りの関心事に日夜追われ
ている日本という小宇宙では、時に小高い丘に登って、よく周辺の世界の様子を見回わす心の余裕が必要な様であ
る。核時代は兵器についても、エネルギーについても小休止をしているのであって、終わったのではない。
簡単に言って、西ヨーロッパと北アメリカの工業先進国は、今から数年ないし10年は石油とガスにエネルギー供給
を依存し続けるつもりで、その経済、産業条件の整備が急務である。そのため、身の回りに合計5万発と言われる米
ロの核兵器が未処理のまま放置されているのに、大金を払って対処する(併せて核兵器産業を整理し、雇用問題に対
処する)事には大きな関心を払っていない。
核兵器処理は金がかかる割に経済効果はマイナスで、国ないし地域に貢献するところは少ない。(例えばプルトニ
ウムはすぐに燃料として役に立たない、或いは旧ロシアの一部、ブルガリアなど危険とわかっている原子炉でも、地
域暖房の為には運転を続けざるを得ない。)
他方、これから人口が急激に増え、2045年には100億人に達すると言われる地球人の大部分を養い、産業を起こ
し、開発を進めて行かねばならない開発途上国にとっては(1)核兵器拡散、(2)温室効果ガス(主として炭酸ガ
ス)の発生、(3)原子炉安全運転による第2のチェルノブイリの回避、は迂遠な話で、差し迫った問題として意識
されていない。
むしろ、20世紀の後半が「東西の核対決の時代」だったとすると、それが目出たく落着する一方、21世紀の初めは
地球環境に関する「資源と安全の南北対立の時代」の幕開けである。つまり環境汚染は暫く目をつぶって、開発を優
先するか(南の立場)、環境保全を優先して開発のスピードを落とすか(北の立場)、と言う新国際経済秩序以来の
問題である(図1、2)。
アジアを特に取り上げるのは、中国、インドなど人口の
増加と経済の成長がいちばん急速で、しかも、石油、天然
ガスなどの燃料を多量に開発するだけの資金、技術、人材
には欠けているからである。アフリカ、ロシア、南アジア
などはデータ不足で分析に耐えない。「今こそ東アジアの
大国日本にとって21世紀の出番」と欧州もアメリカも注
目している。
それでいて、肝心の日本には、自分に掛けられている期
待(プラスの開発貢献、マイナスの核武装などの覇権主義
の可能性)について、世界規模の問題意識が極めて希薄で
ある。
図1 OECD諸国と発展途上国の発電設備容量
1997年の今日の世界は、4半世紀前に予測されたもの
とは大分違う。事実関係については勿論であるが、もっと
注目すべきは、破壊の為にも建設の為にも核に代表される
科学技術、石油に代表されるエネルギー「文明論」のかか
わり方の相違である。いま流行の「情報」についても、伝
達手段と同時に、流通する情報の内容に思いを致すとよく
解る。早い話、発信者による支配とインターアクトを重視
すると、世界中の人はインターネットとCNNの英語支配
圏に入るのであろうか。
今我々が資源、人口、開発、安全保障などについ
て、21世紀を総合的に考えるに当たって、この事は特に
注意する必要がある。20世紀後半の科学技術の進歩と、
図2 地域別のエネルギー消費量
それに伴う国際関係の変化があまりにも急激であったため
に、この方向とスピードがこのまま続くのか、世界は戸惑っている。これが流行語の一つglobal governance問題なの
かも知れない。21世紀が20世紀の外挿(extrapolation)の上に成り立つのではないであろう。
1970年代は忘れ去られた?
大学で教えていると痛感する事の一つに、教師の年代にとってはまだ「活き活きとした記憶である」1970年代は、
今の学生にとっては既に「歴史の1コマ」でしかない事である。我々にとって日本海海戦は歴史であって記憶でない
のと同じで、次の世代の問題を考えるに当たっての感覚の相違とでも言うべき、いわば伝統的な「時代ギャップ」な
のであろう。
マンハッタン計画に始まった核時代だが、アメリカとロシアの核兵器独占は1968年の核不拡散条約(NPT)で確立
され、1970年代には新しい強力な長距離核ミサイルが、東西両陣営に相互確証破壊(Mutual and Assured
Destruction, MAD)を約束していた。戦争の歴史に初めて登場した「有無を言わせぬ無条件降伏の相互強制」であ
る。原子力潜水艦が海中から発射する核ミサイルは、如何なる「第1撃」にも耐えて、相手の都市を完全に報復破壊
をする「第2撃」能力であり、これによって「核の相互抑止」が確立された。つまり合理的な判断からは全面核戦争
は起こり得ない。
1970年代の核軍縮は、如何にしてこの抑止の均衡を維持し、何かの手違いで全面核戦争が始まってしまわない為の
交渉である。信頼醸成措置(Confidence Building Measures, CBM)とは、この常識を毎日相互確認する作業であっ
た。図上作戦やコンピューター・ゲームは別として、政治の責任者達が本気で核戦争を計画していたとは考えられな
い。
長距離戦略核の総数を制限するSALT条約、核ミサイル防衛を禁止するABM条約、ヨーロッパとアメリカが別々な
核戦争に入ってしまわないように、つまりde-coupling防止のユーロミサイルなど、ジュネーブを中心に展開された
米ソ核軍縮交渉は、今となって考えると相手を力で押し潰す手段ではなく、何とかして自分の覇権を世界の桧舞台で
維持し、誇示し、しかし安全性は確保する事にあった。
1980年代の米ソ軍縮交渉の内幕話を、今となって説明しているクレムリン機密文書からも、「これだけ多量の高価
な核兵器が、こんなに沢山必要だとは思わない、長距離核については何とかして1万2,000発と言う上限を設けたが
(SALT-II条約)、相手が止めるまで軍拡を続ける以外に方法がない」と言う困り切った双方の本音がありありと出
ている。
ゴルバチョフ書記長が登場し、全ソ連のGNP(計算出来たとしての話だが)の20%近くを毎年軍事費として支出
して破産状態に陥った状況を認識し、他方、「ロシア人を皆殺しにする以外にアメリカ人の皆殺しを防ぐ方法が無い
というのは嘘だ」というレーガン政権との間で、「核戦争は戦わない」、「中距離、短距離ミサイルの全廃(INF条
約)」、「長距離戦略核は半分の6,000発にする(START-I条約)」、更に1993年にはブッシュ・エリツィンの合意
で「紀元2003年までに双方3,000∼3,500発まで減らす(START-II条約)が出来上がった。
要約すれば、これが過去25年の核軍縮であり、米ソはそれぞれ自国の独立と繁栄を護るために、全く持て余してい
た余分な核兵器の厄介払いに努力し、合意したのであって、世界平和の為に核軍縮の具体策を相談したわけでは無い
(図3、4)。
オイルショックの教訓
1973年の第4次中東戦争を機に、アラブ産油国が原油
の輸出を削減し、更に1979年のイラン革命で原油価格は
かつてのバレル2ドルが32ドルまではね上がり、原油に
エネルギーを依存していた工業先進国が大恐慌に陥っ
た。OECD諸国は原子力に代替エネルギーを求め、アメリ
カ政府は20世紀の末には世界に30億キロワットの原子力
発電所が稼働していると予測、その燃料は、濃縮ウランと
それから増殖される(高速増殖炉による)多量のプルトニ
ウムであった。
今日世界の原子力発電の総計は3.7億キロワットと、当
時の予測の8分の1である。OPEC諸国の予測に反し、北
海からアラスカなど至る所で採算のとれる油田が発見さ
れ、探鉱、採掘技術の長足の進歩と相俟って、原油価格
は1986年には大暴落、1997年の現在ではインフレ調整を
すれば、原油はオイルショック前に逆戻りをしている。
今日、石油の専門家は、紀元2010年位より先の市場の
予測をしようとしない。酸性雨など環境問題がある、地球
温暖化がある、砂漠化防止がある、太陽熱の可能性もあ
る、もっと熱効率の良い文明が出現して、多量のエネル
ギーが不要になる可能性もある。原油は近くバレル100ド
ルを超すと予言して恥をかいた人(今日約20ドル前
後)、21世紀には総ての核ミサイルを防衛するSDI(戦略
防衛構想)が実現すると予言した人の過ちは繰り返したく
ないのである。
図3 米ソ核弾頭の数
図4 米ソ核のメガトン
一次産品の需給予測は21世紀に入って一層難しくなる。その上、石油の探査と採掘で示されたように、新しい技術
の登場が従来の概念を根本から変える事があり得る。核兵器とエネルギーだけの話ではなく、科学技術、人間と自然
との関係などについて解っていない事が多く、断定的な考えを持ち数学モデルばかりに頼ってはいけないと言う考え
が広がっている。
文明論再考
核のエネルギーの破壊力と同じ核が、有用な電力の供給をしていると初めにお断りしたので、ここでもう一度全体
像を俯瞰しておきたい。一般のマスメディアから得られる印象はかなり違和感がある。核の関係が過去半世紀にわ
たって軍事機密であって、その全体像が公に議論されなかった事とも密接に関連する。1945年アメリカ原子力法には
死刑の規定があった。今日、アメリカとロシアの核の処理、処分について議論している内容は、つい何年か前までは
耳打ちするだけで銃殺ものの国家機密である。
1945年に広島、長崎で使われたのは、重量5トン程度、B-29がやっとの思いでテニヤン飛行場から運んできた。
破壊力がTNT火薬にして1万3,000トン程度(13kt)、一瞬にして広島全土を焦土と化した。1950年代に実現した水
爆は、重量1トン、TNTにして百万トン(広島の80倍、1Mt)、1957年のスプートニク時代以後は、宇宙空間を1
万キロメートルも飛んで命中精度(CEP)200メートルという格段に強力な兵器であった。1970年代には、それが米
ソそれぞれ2万発位、破壊力合計は300億トン程度、計算すると世界中の人口1人当たり数トンと言われた。中に
は、直径15センチ、長さ70センチ、重さ50キログラム、将にスーツケースに入れて相手国に密輸するフレデリック
・フォーサイスの小説張りの小型原爆(155ミリ砲弾)もあった。
同じ文明論でも1950年代とは質が違う。非核三原則を唱える日本人の殆どはそれに気付いていなかった。私
は1983年の1月に軍縮大使としてジュネーブに赴任して、核軍縮の現実の厳しさと東京の「のどかさ」の差に驚き
入ったものである。
アメリカは、当時、核爆弾の製造に10万人の人を雇っていた(人工衛星、ミサイル、潜水艦、爆撃機など。いわゆ
るplatformその他は別)、ソ連は、核爆弾製造の閉鎖都市に70万の人口を擁していた。この二つの核の巨人の対決の
中では、フランス、イギリス、中国、ましてインド、パキスタン、イスラエル、南ア、北朝鮮は3桁ぐらい格落ち
で、核軍縮の中で同列に論じられるものではなかった。だから英仏は、核不拡散条約(NPT)による自己の世界的ス
テータスにこだわったのである。だからこそSALT条約による上限の設定が重大なのである。
2万発の核弾頭は、エレクトロニクスの小型軽量化で、一つの大型ミサイルがメガトン級の核弾頭10発を一度に1
万数千キロとばして、10個の目標にそれぞれ命中させられる。START条約は、これら核弾頭とその飛び道具の大幅
削減に合意したのである。実施するにはまず米ソ全土に配備された大型ミサイルの燃料を抜き取り、ミサイルを解
体、スクラップ化し、弾頭はとりはずし、安全に保管、貯蔵、輸送しなければならない。プルトニウム5キログラム
を高性能火薬で包んでいる弾頭が爆発したら、たとえ核爆発にならなくても、チェルノブイリの4分の1の放射能事
故の惨事である。ウランやプルトニウムは、そのまま放置しておくと自然に核爆発をする。貯蔵には特別の安全設計
と装置が必要である。うっかりテロリストなどに盗まれたら、推理小説では済まない大事件になる。
ウランやプルトニウムは元素であるから、化学的に他の物質に変換はできない。唯一の方法は、原子炉の中で燃や
して同位元素の組成を変更して、爆弾には不向きな物に変えてしまうことである。プルトニウム利用反対と原子力発
電反対が闇雲に続いている間は、誰もお金を使って処理に取りかからないから、核兵器は危険なままで、後始末の目
処が立たないでいる。
核爆弾を組み立てる工場がアメリカに一つ、ロシアに三つある。そこまで無事に運んで(アメリカは飛行機、ロシ
アは鉄道)、分解、解体の上で大金を掛けて有用な原子燃料にしないと、お金と労力をドブに捨てた上で経済的にマ
イナス効果で、有効な利用方法が無く、維持費だけ莫大な核爆弾原料を抱え込むことになる。
再度付け加えると、世界には5種類の国が在る。
1.
2.
3.
4.
5.
アメリカ、ロシアという超核大国、
中国、フランス、英国という一応NPTで核保有を認められているが、1.に比べると二桁落ちる国、
インド、イスラエル、パキスタンという(非公式核保有の)いわゆる閾国、
南ア、リビア、イラン、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)などの「ならず者の国」、
その他核を持たない国である。
21世紀の核文明について、これらの国の立場がそれぞれ違っていて当然である。
政治的軍事的行き詰まり
START-IIというのは不思議な条約であり、ロシアの下院は批准しないと言っている。海中発射対陸上発射の大型
ミサイルの割り振りが、ロシアにとって不当に不利である事が一つの原因で、1997年3月、ヘルシンキで数も2,500
発に減らし、改訂が約束されたが、どうなるか不明である。その上、最近の大問題はNATOの東方拡大で、ポーラン
ド、ハンガリー、チェコが加盟すると、政治的な不使用声明はあっても、NATO第5条により西側450発の戦術核が
3国に配備される可能性もなしとしない。
ロシア自身にも「大国の最後の拠り所は核兵器」という心理が強い。この辺り、アメリカもロシアも、核を管理す
る担当官庁(アメリカはDOE(エネルギー省)、ロシアはMINATOM(原子力省))と軍の間が必ずしもしっくり
行っていない。何れにしても、ロシアの政情不安定があって、核軍縮は米ロ間だけでも当分揉めそうである。勿論米
ロの話が進まねば、保有する核兵器が300発クラスのフランス、中国、英国は話に入ってこないと言明しているし、
インド、パキスタン、イスラエルに至っては話にもならない。南アフリカ、リビアは論外である。
1996年にオーストラリア政府が言い出して、世界の有名人17人を集めてキャンベラ・コミッションを作り、核廃絶
の世の中を論じて、一部でかなり話題になったが、オーストラリア政府が腰砕けになり、実行を伴わない作文に止ま
り、一部の米旧軍関係者と反核理論家、非同盟に話題性を提供した以上に至らなかった。筆者も17人の1人である
が、「核の廃絶には少なくとも20年はかかる」というのが、それでも楽観的な方の意見だった。
核について整理して良く考えていないのは日本人に限らず、一見厳密な議論をしている世界の各国の有名人にも、
可成りいい加減な連中がいる事を身にしみて痛感した。
「もんじゅ」、プルトニウム、日本核武装
あかつき丸、「もんじゅ」、東海再処理工場のアスファルト火事と続いて、日本はいつのまにかプルトニウムの悪
人代表のようになってしまった。プルトニウムは重金属であるから鉛の程度の毒がある。α線を出すので呼吸系に飲
み込むとガンになる。ウラン同様核爆発をする。
(1)ウラン238が原子炉内で中性子を吸収して、プルトニウム239になる。通常プルトニウム239が93%で原爆を作
るが、この様な特性のあるプルトニウム生産の為には、特別の原子炉を作り、特別の操作をしなければならない。ア
メリカがサバンナリバーなどで、ソ連がトムスクなどで、北朝鮮が寧辺で作っていたのがこれである(図5)。これ
を4.5kgの金属球にすれば、直ちに数10キロトン級(長崎の5倍)の原爆になる。
図5
このクラスのプルトニウムを作っているのは核兵器国だけで、日本には無い。アメリカ政府は1944年から1994年
までに計111.4トンのプルトニウムを製造し、内38.2トンの原爆材料が余剰として各地に貯蔵されている。因みに原
爆用及び潜水艦燃料の高濃縮ウランは、174.3トンが余剰として貯蔵されている。
旧ソ連は設計変更、改造をせず、古い核兵器は倉庫にしまっておく傾向があり、従って、兵器用プルトニウムもあ
まりリサイクルせず、アメリカより多量に貯蔵している。数字はつまびらかにしないが、いずれにしても、先日のモ
スクワ原子力サミットで、両国が明らかにして核兵器解体のプルトニウム50トンずつを酸化燃料(いわゆるプルサー
マル)にして使うといういう計画は、ずいぶんとサバを読んでいる。アメリカもロシアもプルサーマル燃料の加工施
設が不十分で、日本、ドイツ、フランス、ベルギーなどの援助を仰がねばならない。
(2)ふつうの原子炉で出来るプルトニウムは、プルトニウム239が60%ぐらいしか含まれていないため、原爆には
ならない。アメリカで1度この種のプルトニウムを原爆に仕立てて爆発させたことがあり、それ以来アメリカは、原
子炉用プルトニウムで原爆が作れると主張して、世界を混乱させている。プルトニウム239が60%の原爆は貯蔵が出
来ず、爆発の信頼性が無く、サダム・フセインも金正日もカダフィ大佐すら手を出さなかった代物であり、他方プル
トニウム冶金の難しさを考えると、テロリストに出来る物ではない。
アメリカの主張は、カーター政権の当時から世界を随分混乱させている。北朝鮮に軽水型原子力発電所200万キロ
ワットを供給する事と、それとは矛盾しないというのは、アメリカらしいご都合主義である。それより、アメリカや
ロシアに放置されいる数万発の核弾頭の管理をしっかりし、核爆弾産業から失業した米ロの科学者、技術者たちの面
倒を見ることの方が遥かに大事である。
(3)世界には3億7,000万キロワットの原子力発電所があり、多分、年間1万トンを超す使用済燃料が取り出され
るだろう。IAEAによると、世界の再処理工場は年間5,000トンほどの能力の由だから、毎年何十トンもの原子炉級プ
ルトニウムが作られている(表1)。あかつき丸はそのうちの1トンである。日本のジャーナリズムが、何故グリー
ンピースの片棒をかついだのか不思議である。実状を知らなかったというのは言い訳にはなるが、自慢にはならな
い。
(4)「もんじゅ」とアスファルトに至っては議論をする気にもならない。あれは原子力の問題ではない。国営企業
の規律と士気と経営の問題であって、たまたまそれが高速増殖炉だったり、再処理だった為に大騒ぎをしただけであ
り、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)に関連する一連の施設を廃止し関係者を処分すればよいだけのことである。
なお、アメリカの一部とロシアのウラルの大部分が、核兵器用のプルトニウムで大汚染されており、その上、ロシ
ア原子力潜水艦の日本海投げ捨て事件などもあって、その清掃には1兆ドル以上を必要とするとされる。原子力平和
利用をこれだけ唱える日本が、もっと積極的に世界の汚染地域の清掃に乗り出してしかるべきである。「もんじゅ」
やアスファルトとは幾つも桁が違う話である(図6)。
核軍縮は当面行き詰まり
ジュネーブの軍縮会議は国連の機関であり、多国間軍縮の
唯一の交渉の場として規定され、1963年の(地下を除く)部
分核実験禁止条約の時に成立した。ジュネーブ軍縮会議は、
如何なる困難があっても全会一致(consensus)で合意をす
るのが本旨で、その為苦労を重ね、一見無駄な努力を繰り返
してきた。多数決で合意が形成されても、参加しない核保有
国があれば何にもならない。1968年の核不拡散条約(NPT)
図6 分離された民事用プルトニウムの世界の在庫量
の時の苦い経験がある。
30年間のジュネーブ交渉を通じて、核実験全面禁止(CTBT)に最後まで頑強に反対したのはアメリカである。私
は個人的にアメリカの説得を強引に試み、当時の安倍外相にジュネーブでCTBT推進の演説をしていただいて、ワシ
ントンから東京経由で強硬な申し入れを受けた覚えがある。そのCTBTをアメリカは英国とフランスの説得に屈し
て、「全会一致」の原則を無視して国連に送付した。(勿論インドが状況を読み誤ったという事情があり、中国の実
験継続の姿勢が影響したし、その間にはロシアの技術者が中国に引き抜かれたなどの噂もある。)いずれにしても国
連総会で多数決で軍縮が出来るなら、誰も苦労はしないし、むしろ、軍縮の将来に大きな禍根を残すであろう。
その第1が、軍縮用語で「cut-off」と呼ばれるものである。核兵器を新たに作らないと言うのであれば、兵器用の
核分裂物質(兵器級プルトニウム、高濃縮ウラン)の製造は禁止して良い。この点に問題はないのだが、具体的には
無数の技術問題が次々と合意され、解決されなければならない。核兵器にも使えるが、原子炉研究用のウラン燃料で
あるというのも一例である。つまり、みんなが一緒に協力して解決しようとすれば処理が出来るが、CTBTでぎく
しゃくした後だから話は行き詰まってしまった。
第2の問題は、米ソ核軍縮が紙の上の合意だけで、実質が進んでいない事に対する反感である。これは永年に渡っ
てNPT第6条の実質的不履行として、非同盟諸国が米ソ非難の焦点としていた問題である。先に述べたキャンベラ・
コミッションの報告書が非同盟諸国に広く受け入れられ、先進国の反核団体も拍手喝采したのは、「口先は良いか
ら、実行に移せ、それにはP5に任せては置けない、ジュネーブ軍縮会議が進行状況を監視する」という申し出であ
る。しかし前述の米ロの核軍縮を考えると実現は困難である。第一、非同盟諸国にこれを監視する技術的能力も、資
金もない事は、前述のSTART条約の実体を考えても明らかである。
かくしてジュネーブ軍縮会議は行き詰まり状態である。私が個人的に話した何人かの先進国大使は、メンバーが61
カ国にも増え、演説の質も落ち、取りあえず冷戦後の新秩序の目処も立たないのだから、数年休むのも良いかも知れ
ないよ、との意見の人もあった。
コンピューター信仰の行方
核兵器の時代が、コンピューターの力に押されて出現したことは、今更言うまでもない。総ての兵器はコンピュー
ターが設計する。使い方も指示する。計算という手段が戦争の実体を決めてしまっているかのようである。今日、
人々の情報論議を聞いていて気になるのは、「中身」よりも「手段」に関心が集まっていることである。
地球温暖化の議論にしても、どんな仮説をたて、どんな数学モデルを作るかで話は全く変わってくる。またモデル
計算は、長い時間の各プロセスを順を追い、平衡を保ちながら進めるのは難しく、結局、時間のステップを置いて数
値を代入するのだから、不連続な変化として将来の指標にはなっても、将来そのものの再現にはならない。
自然現象の中には、コンピューターの注文通りにものが進まないケースも多いだろう。この点数学は、論理の整合
性が成り立てば良い学問であり、だからユークリッド幾何学は学問として成り立つが、宇宙天体はユークリッド的で
はない。これに対し、物理学、あるいは自然科学は、観察された現象との合理的な妥協が出来なければ、単なる論理
の遊びに過ぎない事になる。核兵器はそのような非合理の最大の例といえるだろう。
一番簡単なのは「成長の限界」風の計算で、例えば世界の人口を指数関数的に外挿して計算する。今から20年、30
年先の世の中との相互作用を細かく分析は出来ないから、これは止むを得ないだろう。ただ心配になるのは、20世紀
の後半に世界の人口が倍増したから、21世紀の前半には人口が100億人に達するという種類の数学である。
第二次大戦後のアフリカ、中国、ソ連などの飢餓や疫病を考えても、何百万人の人が死ぬのは大変な出来事であ
る。それでは中国やインドやサブサハラで10億人の人口が増えるのは、計算式だけで出来ることだろうか。今日の環
境問題の焦点の一つが、(1)人口の急増(特にアジアを中心とする開発途上国)、(2)食糧、エネルギーなどの資源の
限界、(3)自然環境の浄化能力の限度、などにあるとしたら、今日我々が行っているのはコンピューターという現代の
神話に従って、幾つかのシナリオを考えているに過ぎず、それで全部をカバーするという保証はない。
もしコンピューターの予測が正しく、今度こそローマ・クラブの成長の限界が実現し、炭酸ガスの濃度が600ppmを
超え、地球の温度が上がり、地球上の生態系が変化して、人間も、他の生物も、食糧も、病原菌もそれぞれ住み替え
を行った時に、百億の人間に何の用意も出来ていなかったら大問題である。だからと言って、最悪の場合を予想して
今からあらゆる手段を講じておくのは、又大げさに過ぎる。
エネルギーが一つの例である。石油と天然ガスは21世紀迄は十分に持つ。但し、これらは何れも何億年前の有機物
の変化した物を、この100年ほどで使ってしまうのだから長続きはしないだろう。石炭はもう少し息が長い。但し良
く知られているように、それは炭酸ガス問題を解決する事が前提である。炭酸ガスを消滅する手段があるかも知れな
い、高温超伝導が発達して、エネルギーの安価な貯蔵や移動が可能になるかも知れない。エネルギーの利用効率が飛
躍的に進歩するかも知れない。
その様な代替技術開発の手段の一つとして、プルトニウムのエネルギー利用技術を産業技術の水準迄高めて置くべ
きだというのが、昨年発表された日米欧三極委員会(Trilateral Commission)のエネルギー報告の勧告である。つま
り人間は、「21世紀に原子力発電は要らないと判っている、と言う傲慢さ」を持つのではなく、「次の世代にどのよ
うな技術が必要になるか、常に心がけ、用意をし、準備をしていよう」という謙虚さが必要なのである。
コンピューターが予測する世界でなかった場合
今のコンピューター予測という信仰が崩れたら、次の世代は今とはかなり違うものとなり、今からその様な未来社
会への準備を始めておかねばならない。多分、科学技術に依存した20世紀的な世界の大変換を意味するのであろう。
「進歩」と「開発」が続くとしたら、それは今の私達が考えている様な「環境との調整」とはかなり違うものである
可能性がある。その様な世界で、「核」がどのような役割を占めるのか予想する事は難しい。丁度、19世紀の人類
に20世紀後半の石油文明の予測が出来なかったのと同じである。
図7 世界の原子力発電設備容量
最後に付けた図を見ると原子力発電の批判と実行にはかなり差がある事がわかる(図7)。世界一の原子力発電国
が原子力批判派で、続いてフランス、日本と来て、ロシアは何とかして原子力を急激に増大させたいと考えている
し、中国にとっては原子力と石炭の間の選択である。図8は、日本エネルギー経済研究所の試算で、炭酸ガスの排出
を制約すると、(ウランは量が不足、プルトニウムの増殖には時間がかかるから)21世紀に現在の水準のエネルギー
消費は維持できないというものである。
「緑の環境」だけで地球の文明は維持は出来ず、新しい思考が必要であろう。
図8
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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Nourriture -1
−異国の料理文化を考える−
フランスの蛙、中国の蛙
津島 雄二
食べることが人間生存の基本条件であるからには、食文化が文明の起源に遡るのはいわば当然のことです。西洋に
おいては、ギリシャ時代に詩人としても高名であった料理人アルケストラット(紀元前405年生)を料理文化の元祖
とする説があります。
この説は、パリの「三ツ星」レストランのオーナーシェフの一人、サンドラン氏(Monsieur Senderens)から学ん
だものであります。同氏は、今フランス料理の最高峰の一つ、ルカ・キャルトンを経営しておりますが、かって「ア
ルケストラット」という名の店をヌーベル・キュジーヌ(Nouvelle Cuisine)の代表格に押し上げ、ミシュランから
三ツ星の栄冠を獲得しました。
その店はセーヌ川左岸の官庁街に近い7区にあり、どちらかといえば目立たない、こじんまりした構えでした。15
年ほど前にそこを訪れた私を驚かせたのは、メニュー(フランス語ではキャルトといいますが)の表紙に、詩人アル
ケストラットの韻文が認められていたことです。
引用された文章は、概ね次のような趣旨でした。「料理の原点は素材を生かすことに尽きる。例えば兎を上手に料
理するためには、新鮮な兎肉に、選び抜かれた塩を軽く振りかけ、これを強い炭火の上で手際よく焼き上げればよ
い。食客にとって、最高のもてなしになる筈である」と。
ヌーベル・キュジーヌの旗手として、サンドラン氏は、フランス料理も原点に戻り、余りにもごてごてして濃厚な
ソースを斥け、素材の味を引き立てさせる方向に行くべきだと言いたかったのかもしれません。ちょうどその頃、高
脂血症や心臓疾患のリスクが指摘され、平均寿命が長い日本人の食生活などが注目を集めていたわけですが、このよ
うな料理における新しい風潮(ヌーベル・バーグ)が、あっという間にフランス料理の大きな流れになっていったよ
うです。
それにしても、素材の美味を生かすことが料理の原点であるとすれば、料理の文化は本来、山海の素材(Gibier―
兎、鹿、鴨など―、魚介類やチーズ)の産地から発するのが当然です。従って、フランス料理にパリ料理はあり得な
いという人も少なくありません。むしろ、アルザス、ノルマンディ、ペリゴール、オーベルジュ、リオン、プロヴァ
ンス等々、それぞれの地域の郷土料理が主体であるとするのです。また、これらの地域で生まれるワインがこれを支
えているというのでしょう。
一方、素材といえば、およそ食べられるものは何であれ、偏見無しに取り上げて、美味しく仕上げることも、料理
の神髄につながると考えられます。人間の歴史の中で、酷しい自然の洗礼(飢餓や水害など)を受け、飢えをしのぐ
ために偶然口にしたものが、次第に日常の食生活に取り入れられ、食材は豊富になっていきます。わが国も、生う
に、ほや、昆布など、他の国では余り口にされない素材を使う点では相当のものがあるといえます。しかしなんと
いっても、国土が広大、地域性も豊か、かつ、強大な中央集権国家が存在した国―例えば中国やフランス―は、群を
抜いているのではないでしょうか。中国で蛇、燕の巣、猿の脳髄などを素材にするとすれば、フランスではエスカル
ゴ、仔牛の脳髄や胸腺などが盛んに食材に供されるのです。
かつてパリに在勤中、日本の或る大学病院の教授を連れて昼食をとりに行くことになりました。そのお客さんに、
どういう料理が食べたいですかと伺ったところ、「自分は下手物好きですから、是非変わったものを食べさせて下さ
い。」ということでした。そこで左岸のカルティエラタンに近い「La Grenoille」(蛙屋)という名であったと記憶
していますが、下手物料理店に連れていきました。表にはグロテスクな蛙の看板がぶら下がっていました。
店に入って、まず二人で前菜代わりに蛙の腿肉のフライを賞味しました。やや鶏肉のささみ肉に似た肉をオリーヴ
油か何かでからっと揚げ、パセリとニンニクが利かしてあったと記憶しますが、客人もご満悦の様子でした。
それからメイン・ディッシュを注文する段になって、何にしますかと承ったところ、蛙の肉で悦に入ったその客人
は、「何でもよいから、できるだけ変わったものを試してみたい」と言われます。そこでメニューにあるCerveau de
Veau(仔牛の脳髄)を指さしてこれで良いですかと聞くと、結構ですという返事で、早速注文しました。
運ばれてきたものは、皿の上に熱々の小鍋がのせられ、蓋がされていました。その蓋を開けると、そこにあったも
のは、解剖図にある人脳そっくりの、灰白色で波打ってひだのある物質でした。仔牛の脳髄をそのまま鍋焼きにした
ような格好です。私は行きがかり上、何事もなかったような顔をしながら、スプーンで柔らかい豆腐に似たものをす
くい取って食べ始めました。珍味というか、魔味というか、何とも表現し難い濃厚な味で、舌の上でとろけるような
感じでした。一方、客人の方も、やや警戒しながらも、一さじ二さじを口に運んだようでした。それから、「これは
何でしたか?」と質問されましたので、「仔牛の脳です」と答えました。そのときの客人の表情は、今でも忘れるこ
とができません。スプーンを置き、困ったような表情で「何かほかのものを注文してくれませんか」と言うのです。
初めから気遣いすべきだったのは、この教授が脳外科の専門医であったということです。自分が日頃心血を注いで
治療に当たっている大切な臓器を、今更食材に供することは出来ないということでしょう。下手物食いも悪くありま
せんが、時と場所、そして相手を選ぶべきだと今でも反省している次第です。
蛙といえば、先月の海外旅行中に二度ばかり食卓に供されました。最初はフランスのアルザス地方の中心都市で、
欧州議会のあるストラスブール市での晩餐です。同市には、三ツ星レストランが今2店ありますが、その一つで、オ
ランジュリー公園の中に伝統的なアルザス風の農家を模した館を訪ねました。その名は「Buerehiesel」、ビュエ
リーゼルと読むのでしょうか。門から建物までいささか距離があって車も入れず、折からの俄雨の中を駈けて入り口
に入り込んだのを憶えています。
この夜のためにすでにメニューが用意され、いわゆる試食方式(de′gustation)で6皿が次々と供されました。そ
の3番目に現れたのが蛙の腿肉の薬味和え炒めでした。淡泊な素材を程良く鍋の上で炒めあげた上々の出来でした。
日本からの同行者も皆、「うまい、うまい」と言いながら、時には指で摘んだりして平らげておりました。もちろ
ん、不作法でも何でもない証拠に、指を洗うフィンガーボールもちゃんと備えてありました。
因みに、この時に奨められて嗜んだのは、アルザス産のトカイ・ピノ
グリというワインだったと思います。その後調べて分かったのですが、
この料理は同店の看板料理の一つになっているとのこと。なお、15年前
のミシュランでは、同店には一つ星が付され、すでにうまい店の一つと
されていましたが、蛙料理は看板でなかったようで、同じ店もいろいろ
変遷があるものだと感じた次第です。
今回の旅行では、欧州からの帰路、マレーシアからバンコクに立ち
寄って、ちょうど7月2日の通貨(バーツ)切り下げに出会ったり、3
日には中国に返還直後の香港に入りました。忙しげに人々(中国人も外
国人も)が行き交う街には、何事も無かったように富と利殖への欲望が
渦巻いているように見受けられました。この中国料理(特に広東料理)
のメッカで美食を求めぬ人は稀でしょう。私もホテル内にある、かなり
有名な料理屋に足を向けることになりました。
ストラスブールのレストラン(右が筆者)
テーブルに掛けると、すぐに熱い香港茶が運ばれてきました。そして渡されたメニューに時間をたっぷりかけて眼
を通すと、何と此の店の看板料理の一つとして赤字で印刷され、「蛙の肉の唐揚げ」とあるではありませんか。西の
横綱フランス料理で賞味したからには、どうしても東の横綱中国料理で同じ素材をどのように食べさせてくれるか確
かめたくなるものです。早速注文しました。
やや待つ程に待望の料理がやってきました。よく見ると蛙の腿肉に衣を掛け、油でカラッと揚げてあるようです。
皿の上の量は、フランスの時の二倍近くもあります。特性のソースが添えてあるのも嬉しい限りです。早速箸をとっ
て、焦茶色の細長いものをソースに浸して口に運んでみると、何と香ばしい素敵な味がするではありませんか。後は
夢中で皿一杯を平らげてしまいました。その時奨められた酒は、金木犀の香り高い「桂花酒」で、氷を詰めた容器で
充分に冷やしてありました。
こうして、蛙料理の東西対決は、甲乙つけ難いと判定せざるを得ませんでしたが、中国料理とフランス料理で常日
頃感じさせられるのが、ソースの多様性であります。料理の間口を決めるのが、食材であるとすれば、その奥行きを
示すのは、ソースなどの嗜好料ではないでしょうか。長い歴史の中で、他地域との交流が盛んで、人の往来も激しい
(場合によっては征服したり征服されたりする)社会ほど、食材も多岐にわたり、味付けの材料や様式も一様ではな
くなります。日本も、最近でこそ、いろいろなソース、味付け素材が利用されるようになりましたが、やはり醤油味
が支配的です。奥行きの深さという点で、限界を指摘する向きもあるようです。
他文明に支配された置きみやげが、フランス料理として大手を振って罷り通っている例が、サフランの利用であり
ます。ブイヤベース(地中海風魚料理)は、黄赤色のサフランあって成り立つもので、あの独特の、ややしつこい香
りと味が、煮込まれた魚介類を引き立ててくれます。スペイン料理のパエリア(炊き込みご飯)と並んで、ブイヤ
ベースはサフラン風味が売りものです。
このサフランこそ、フランスやスペインを1世紀以上にわたって支配したイスラム文化が、やがてキリスト教文化
によって押し返された後まで残した貴重な遺産だと言われているのです。
もっとも、サフランの風味は個性が強すぎて受け入れられない人も結構少なくないようです。かつてフランス在勤
中に、あるアメリカの、代表的な銀行の副頭取の一人と会食する機会がありました。カリフォルニア生まれの典型的
なアメリカ紳士と思しき、この人を有名な魚料理店に連れていきました。彼は当然、パリ在任の小生に料理の選択を
委ねました。私は「フランス的なものがよいのではありませんか?」と訊ねると、彼はその通り、できるだけアメリ
カ的でないものにして欲しいというのです。それでは、ということで、二人分でなければ注文できない、ブイヤベー
スをオーダーしました。
やがてボーイが大きな銀色の皿に溢れるほどの魚を盛り込んで運んできました。先ずそれを“Voila′(どうです
か)と、勿体つけて客人に示し、それから別々の皿に盛り分け、別のポットに取り分けてある、例のサフラン色の
スープを注いでくれます。こうして支度の整ったブイヤベースの皿が二人の前に据えられました。
私が早速、濃厚なスープをスプーンで口に運び、やや刺激的な香味を嗜んでいるときに、アメリカ紳士は、注意深
く臭いをかいでおりました。それから彼は、おずおずとフォークで魚の一片を口に持っていきます。その一口を訝し
げに舌の上で転がしてから、無理をしているのが分かるのですが、やっとのことで呑み込みました。そして済まなそ
うに私の顔を見ながら、「どうもこの料理は食べられそうにないので、別のものを頼んでくれませんか」と言うので
す。こうして、二人分のブイヤベースを私一人で食べざるを得ない羽目になって、いささか閉口したものでした。
この例にも見られるように、異質な、食べ馴れていない料理を、どうしても受け付けられない人は、どこの国にも
いるものです。私が直接経験した例だけでも、日本人はもとより、アメリカ、ドイツ、そして宗教上の理由もあるの
ですが、イスラム文化圏の人など、随分沢山ありました。
食文化が、異質の文化や異国の人々の生き様を伝えているとすれば、出来るだけ賞味して、その魅力を理解してあ
げられればよいのですが、一人一人の個性によって、その理解に幅がありうるのはやむを得ないことです。人によっ
て許容度が違うのは当然のことですが、ただ、異国の食生活を斥けることが、偏見や差別に基因することだけは避け
たいものだと考えますが如何でしょうか。
(衆議院議員)
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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日本のふるさと出雲
島根原子力発電所
神々の集う島根半島
出雲の国、島根では、毎年旧暦10月の神無月を神在月(かみありづき)と呼び、日本中の八百万(やおよろず)の
神様が集まり、日本の祭祀に関する大神様大会が催されます。神々は、11月上旬に、まず出雲大社近くの稲佐の浜に
到着され、大社北側の上の宮で約1週間の会議の後、松江市北部にある佐太(さだ)神社に移り、諸事万端向こう1
年の段取りを取決められた後、出雲平野を流れる斐伊(ひい)川の宍道湖河口近くの万九千神社で打ち上げパー
ティーをされて、再び日本全国津々浦々へとお戻りになるという算段になっています。
島根半島は、九州から近畿に至る、馬の背のような形をした、西日本の長い日本海側海岸線のほぼ中程に位置し、
「宍道湖」と湖沼性潟湖の「中海」を内海として持つ、特異な形をした半島です。海、山、湖と多彩な自然形態を持
ち、大山隠岐国立公園や宍道湖北山県立自然公園に指定されている自然景観に恵まれた美しい地域です。
大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭った出雲大社や出雲神話に代表されるように、古代には独自の地方文化圏
があり、日本の文明発祥の可能性のある地の一つとして、現在も発掘調査や遺跡研究が盛んに行われています。昨年
も加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見され、古代史研究に話題を呼んでいます。
島根原子力発電所は、この島根半島の中央部に位置しており、県庁である松江市から北へ約10kmの日本海の輪谷
(わだに)湾に面する山間臨海部に立地しています。
出雲を一望できる発電所
中国電力(株)は、東の鳥取・兵庫県境から、西の山口県下関市までの中国地
方を供給地域として、年間約510億kWhの電力を提供しています。島根原子力
発電所は、出力46万kWの1号機が1974年3月に運転を開始し、出力82万kW
の2号機が1989年2月に運転を開始した沸騰水型原子力発電所です。また出
力137.3万kWの改良沸騰水型の3号機が2009年の運転を目指して計画されて
います。
現在は1、2号機の合計で年間約90億kWhの発電を行い、中国電力総発電
電力量の約15%を賄っています。3号機が発電を開始すると、中国電力のほ
見学者が後を絶たない
ぼ4分の1の電力が原子力によって供給されることになります。1号機は、国
(中央制御室前での説明)
内では6番目、西日本では初めて建設された沸騰水型原子力発電所ですが、国
産技術第1号の発電所として安定した運転実績を残しています。また、2号機は改良型格納容器の採用や、廃棄物の
処理をアスファルト式から、プラスチック固化処理方式に変えるなど、新技術の採用を他の発電所に先駆けて積極的
に行ってきています。
発電所はリアス式海岸の平地の殆どない立地場所であるため、建物、設備のコンパクトな配置や水源の確保に工夫
がなされています。敷地造成のため、山間を掘削した残土は、発電所の反対斜面である南面山間部の造成に利用され
ています。また、夏場の渇水に備えて、4万トンの水を蓄えることのできる貯水槽が敷地内に準備されています。県
内第2の恵曇(えとも)漁港を中心に、漁業が盛んな島根半島では、特に温排水の対策が重要であり、表層放水など
によりその影響を抑制しています。
紺碧の海とは、このことをいうのでしょう、このまま宝石として閉じ込めてみたいような、エメラルドグリーンの
海底に海草や様々な魚が泳ぎ回っています。大国主命ならずとも、1日岩場に腰掛け、釣り糸を垂れてみたいと思わ
ずにはいられません。発電所では、休日に、釣りの良場である放水口付近の構内岸壁や岩場を、地元の太公望達のた
めに一般開放しています。
発電所で1977年から始めたアワビの稚貝養殖は、地元の漁業振興に少しで
も役立てようと、始められたもので、澄みきった日本海の海草で育てられたア
ワビの甲は、まるでブルーの真珠のように輝いています。「地元の漁師の方か
ら、新鮮な海草を貝の養殖の餌として頂き、体長3∼4cmに育った稚貝を各
漁場にお返し、リサイクルして、地域の活性化に貢献したい」と専任の担当所
員が話されていました。3∼4cmに育ったものでも、無防備な稚貝は、その
まま放流すると貪欲な魚達の餌食になってしまうので、年間約2万個の稚貝を
安全な岩場に定着できるよう、工夫をしながら放流することがノウハウの一つ
とのことです。
発電所の展示館は、出雲大社の社(やしろ)作りをモチーフとした斬新な設
計の建物で、屋上は360度の回廊式となっており、北の発電所のある日本海側
から東へ中海、大山、南の松江城、西の宍道湖と出雲の国の大パノラマが楽し
めるように工夫されています。展示館周辺には地元鹿島町の花である、ツツジ
約3万本や桜が植樹されています。毎年5月には「花と緑の撮影会」が催され
て、島根の自然を美しく表現した優秀作品が、発電所の玄関や廊下にパネル展
示されています。
温排水で育てているアワビ
発電所の2号機の完成に合わせて、それまで深田土捨場と呼ばれていた、山
(3cm位のものが放流される)
間の空間が総面積26haの一大運動公園に変身しています。広島球場とまでは
いかないまでも、両翼90mのナイター設備付野球施設やテニスコート、ゲートボールなどを行う多目的運動場、打
ちっ放しゴルフ練習場などが、見晴らしの良い緑の高台に作られています。鹿島町ではこの深田運動公園の整備計画
に合わせ、町営屋内体育館・屋内プールの建設を進めており、島根でも有数の運動公園になろうとしています。ゲー
トボールの地区大会、県大会も行われ、高齢層の活動への支援も積極的に行われています。
伝統と文化を継承して
power.html
1890年8月30日夕暮れ時に、松江の町を訪れた文学者ラフカディオ・ハー
ンは、そこに良き日本の故郷のたたずまいと、良き日本人の心を見い出し、ほ
とばしるような文体で、西欧の人達には未知の国であった日本の文化と真剣に
開国に取り組む人々の姿を紹介しています。英語教師として、西欧の生徒との
比較を交えながら、当時の生徒像が描かれています。「授業中の生徒達の行儀
作法は完璧というほかはない。私語は全くなく、許可なしには顔もあげない。
しかし、教師が指名すると即座に立ち上がり、力強い声で返答をする。回りが
静まり返っている中で、慣れぬ者が聞いたらきっとびっくりするだろう。」
現代日本では、伝統や教育の在りかたについて、さまざまな議論がまきお
こっていますが、日本には古来、父母や教師への敬いや、故郷に誇りを持つ文
化や伝統があったのではないでしょうか。
社員の写真クラブの作品展示会
(中央制御室への長い廊下)
戦国の趣を残す重要文化財の松江城とその堀川を中心に、宍道湖や中海に繋がる運河を巡らし、500の橋が掛かっ
た水の都、松江の町は、幸いに戦禍をのがれ、ハーンが感じた時と同じような、落ちついた古き良き日本のたたずま
いを今も残しています。
都市集中型高度経済成長から、地域分散型持続経済へ、そして長い歴史に裏付けされた伝統と堅実で穏和な気質を
もつ日本文化への回復に、日本のふるさと出雲は、一番近い国ではないでしょうか。八雲たつ夕焼け空の宍道湖に
は、これからの日本、これからの出雲の国作りに向けて、大国主命の久々の出番がありそうな雰囲気があります。
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Aug. 28. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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原子燃料サイクル政策への信頼回復のために
−(社)原子燃料政策研究会・第6回通常総会 −
6月10日、東京・霞ヶ関において、当(社)原子燃料政策研究会の第6回通常総会が開催され、1996年度の業務・決
算報告、1997年度の事業計画・予算案が承認されました。1997年度の事業計画の概要は次の通りです。
1995年12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」の2次系ナトリウム漏洩事故、それに続く1997年3月の東海再処理施
設内のアスファルト固化施設事故は、原子燃料サイクル政策に対する国民の信頼を損ねる結果となった。しかしエネ
ルギー資源のほとんどないわが国にとっては、ウラン資源を無駄なく利用できるプルトニウムの平和利用が不可欠で
あり、また地球環境保全、開発途上国のエネルギー需要に対する配慮、さらに核不拡散上の観点からもその推進が重
要課題である。このため、一層国民の信頼回復と理解促進を図ることとする。
このような認識から、欧州諸国のプルトニウム・リサイクルを進めている関
係者との意見交換や、マスメディア関係者などとの意見交換を行い、理解促進
に努める。また、それら意見交換の内容や、研究会で議論された内容などを、
機関誌「Plutonium」やインターネットなどを通じて、内外に積極的に情報を
提供する。
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編集後記
● 米国の探査機が21年ぶりに火星に着陸しました。その探査機が収集する火星の気象データは、温暖化など地球環
境問題に大変参考になるのではと、惑星科学者の間では期待されているそうです。今回の探査では太陽系の惑星の中
でもっとも地球に似ているといわれる火星に、生命体の発見があるかもしれないと子供のような胸躍る気持ちを味
わっています。
● 今号より、当研究会副会長の津島雄二・衆議院議員に、「Nourriture」というシリーズで食文化についてのコラム
を担当していただくことになりました。機関誌「Plutonium」が原子力の専門的なことばかりでなく、後藤 茂氏の
「冥王星」と共に、文化についても幅広い情報をお届けできればと企画しました。ご愛読いただければ幸いです。
(編集部一同)
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