シンポジウム 「ヨーロッパとイスラーム: シンポジウムの主旨 文化の翻訳」 報告要旨 山本芳久 イスラーム世界とラテン・キリスト教世界との交流関係に関しては、歴史学、文学、哲 学、美術史、音楽学等の個別分野において、数多くの優れた研究が世界的に積み重ねられ てきている。だが、これらの研究によって得られた知見は、それぞれの個別分野の垣根を 超えて共有される機会は多くない。本シンポジウムにおいては、学際的な中世研究を目指 している西洋中世学会という場を最大限に活用して、ヨーロッパとイスラームとの関係に 関わる研究を進めている各領域の専門家が参集することによって、分野の垣根を超えて既 存の知見を共有するとともに、今後の議論の土台を築いていくことを目的とする。それゆ え、特定の結論を目指して各分野の提題を一定の方向へと予め方向づけるというよりは、 提題者同士の、そして提題者と会場とのやりとりの中で、専門分野を超えた思いがけない 豊かな相互活性化の効果が生まれてくることを目指したい。そのような意味からも、提題 者のみではなく、会場の聴講者の方々からの積極的な発言を期待したい。 報告要旨 1 関 哲行 「中近世スペインにおけるモサラベ、ムデハル、モリスコ問題」 本報告で扱う時空間は、初期中世から 17 世紀初頭のスペインと広範囲に及ぶ。この間の キリスト教徒とムスリム、ムデハル(キリスト教徒支配下のムスリム)、モリスコ(改宗ムス リム)の多様で複雑な関係を、長期的視点から素描することが本報告の主たる目的である。 17 世紀初頭を帰着点としたのは、改宗後もモリスコの多くは偽装改宗者として、「旧キリス ト教徒」の差別と偏見に晒され、1609-14 年のモリスコ追放令によって、中世以来のムデ ハル問題、従って「レコンキスタ」運動の最重要課題が決着したとみなされたからである。 本報告では最初に、9-10 世紀のモサラベ(イスラーム支配下のキリスト教徒)とムデハル 問題を、終末論やムデハル社会の基本構造を含めて概観する。次いで近世のモリスコ問題 を、モリスコ社会、モリスコ教化とバロック演劇、モリスコ・モデルとしてのムーレイ・ シャイフ、モリスコ追放令などと関連づけて言及し、他分野の報告の「前座」を務めたい。 2 龍村あや子 「音楽におけるヨーロッパとイスラーム」 「音楽におけるヨーロッパとイスラーム」という問題設定は、アラブ、ペルシャ(イラ ン)、トルコという 3 大西アジア文明がヨーロッパ文明とどのように関わりあってきたかと いう歴史が中心となる。楽器のほとんどは西アジアに由来するが、ルネッサンス以降のヨ ーロッパでは鍵盤楽器をはじめとして室内楽が独自の発展を遂げ、やがて大規模なオーケ ストラへと発展していった。楽器がヨーロッパでどのように発展していったかということ については実例を挙げて解説する予定である。 ペルシャに関しては、ハーフェズやサーディーの詩がヨーロッパの文学、とりわけゲー テをはじめとする詩人たちに与えた影響、さらにそれらの詩に影響を受けたシューベルト の歌曲などが重要である。またトルコに関しては、オスマン帝国の軍楽隊がヨーロッパの 楽隊形成に与えた影響や、オリエンタリスムの影響に基づくオペラや交響詩の存在があげ られよう。スペインのアンダルシア地方では、アラブ支配の時代の建築や庭園が今日も存 在するように、音楽にもアラブ的要素の名残が見られる。一例として、聖週間の行列の際 にキリストに向けて歌われる「サエタ」と呼ばれる歌唱を取りあげる。 また宗教としてのイスラームと音楽の関係を考えるには、スーフィズム(イスラーム神 秘主義)の問題が重要である。すなわち音楽を忌避する傾向のある正統派とは異なり、ス ーフィズムにおいては、音楽や舞踊が神との合体を実現する手段として重視される。その 結果、スーフィズムを伴ってイスラームを受容した国々では、独自の伝統音楽がイスラー ムの教えと矛盾なく行われている。前述のペルシャ詩もスーフィズムの思想の下に書かれ たものである。 3 毛塚実江子 「モサラベ再考~初期中世イベリア半島における美術混交~」 モサラベ(アラブ化された)とも形容される初期中世イベリア半島の美術様式であるが、 キリスト教世界の作例において、イスラームからの影響は決定的とは言い難い。とはいえ、 部分的ながら明らかにイスラームより借用された造形モティーフや文様が残り、イスラー ムの世俗工芸品がキリスト教教会や修道院の宝物庫に納められ今日に伝えられている。報 告では、キリスト教美術研究の立場から、10 世紀を中心に建築、写本、工芸においてイス ラーム美術の影響を概観し、モサラベの呼称の再検討する。そしてキリスト教写本挿絵と イスラームの象牙細工や絹織物などの工芸品を比較し、装飾文様、動物や楽士、三日月、 楽園 などの共通するモティーフを例に挙げ、多様な図像解釈の可能性を紹介する。具体的 な美術作品において共有されたモティーフと、それらに付随する象徴性とが、どのように 理解され、取捨されたのか、という点を中心に、両世界の混交を考察したい。 4 山中由里子 「旅する驚異譚―中東とヨーロッパにおける女人国伝説の交錯」 文明世界の周縁に男なしで生きるという勇武な女たち「アマゾン」は、紀元 前 7 世紀頃、あるいはそれ以前からギリシア神話に登場し、古代ギリシアの叙 事詩・芸術において欠かせないテーマの一つとなった。アマゾンは神話・伝説 の域にとどまらず、実際にどこかに存在しているはずだと信じられ、ギリシア の歴史家、地理学者、科学者は実在の民族と結び付けようとした。 中世イスラーム世界の著述家たちは、ヒッポクラテス、プトレマイオス、「ア レクサンドロス物語」など、ギリシア語の著作の翻訳からアマゾン伝説を知る こととなる。しかし、ギリシアの影響からは独立した旅行譚などをも通して、 別系統の女人国伝承が、一方は東アジア、もう一方は中央・北ヨーロッパから も入ってきた。 一部のアラブの地理書や博物誌は、神聖ローマ皇帝オットー一世に会ったと いうイベリア半島のユダヤ商人トルトゥースィーの旅行記からの引用として、 「女の都」に言及している。このエピソードの分析を通して、ヨーロッパと西 アジアの間の人間の移動と語りの伝播の連関を探る。 5 山本芳久 「ギリシア哲学の受容と変容:ラテン・キリスト教世界とイスラーム世界の対比」 ラテン・キリスト教世界がイスラーム世界からアリストテレス哲学を十二世紀に受容する ことによって、十三世紀における盛期スコラ哲学が飛躍的な発展を遂げたことは、よく知 られている。だが、実は、ラテン世界におけるイスラーム哲学の受容は、極めて選別的な ものでもあった。それゆえ、イスラーム世界からラテン世界への哲学的な影響関係を考察 するさいには、西洋中世の哲学書の中に引用されているイスラーム世界の哲学書を同定し、 それを読解して比較するというのみでは充分ではない。どのようなテキストがなぜ翻訳さ れなかったのかということも含め、より広い視野からの研究が必要となる。ラテン世界か らイスラーム世界の知的営みを位置づけようとする視点のみではなく、逆に、イスラーム 世界の知的営みの光に照らしてラテン世界の哲学を位置づけ直す視点も必要なのである。 本発表においては、ラテン語には訳されることのなかったアヴェロエスの代表作の一つで ある『決定的論考』における「法学」・「神学」・「哲学」の三極構造を、ラテン・キリスト 教世界における「神学」と「哲学」の二極構造と対比させることによって、両世界におい て「哲学」が置かれていた文脈の相違を照らし出していきたい。
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