No.49 平成27年1月

49
NO.
平成27年1月
年頭のご挨拶
会長 望月 久
会員の皆様、新年お
ら、我々OBも更なる自己研鑽に励むと共に、
めでとうございます。
我が国の“開発協力の動向やJICAの取り組み
皆様には、ご家族お
姿勢”等に一層理解を深める努力の必要性を痛
揃いで佳い年をお迎え
感させられた次第です。
のことと、衷心よりお
慶び申し上げます。
昨年は、日本が昭和29年(1954)のコロン
私は、昨年6月の総
ボ・プラン加盟以来「政府開発援助(ODA)」
会で第13期の会長職を
を開始して60年となる年でしたが、本年は戦後
再び仰せつかりました
70年、昭和40年(1965)4月に発足した青年海
が、本年も新任の副会長や幹事役員の皆様と共
外協力隊事業が半世紀50年目を迎えると共に、
に、交友クラブの堅実な運営に努めて参る所存
当交友クラブが平成2年(1990)3月の設立以
ですので、引き続き変わらぬご理解とご協力
来25年目となる節目の年でもあります。
を賜りますよう心よりお願い申し上げる次第
です。
交友クラブの今後の在り方につきましては、
これまでの経緯及び現状と将来展望を念頭に一
さて、平成26年度の「総会・懇親会」は、昨
昨年より種々検討を進めてきたところですが、
年の6月6日(金)に136名に及ぶ会員並びに
昨年一定の結論が得られたのを契機に総会の議
JICA役職員のご出席を頂きJICA本部で開催さ
案として付し、ご議論を頂いた次第です。「年
れました。随所で素晴らしい交流の輪が拡がり、
会費の引き下げ/入会金の廃止」やそれに伴う
旧交を温めつつご懇談を頂けましたことは、何
「会則等の変更」はご承認頂くと共に、「事業内
にも勝る喜びでした。このような機会こそが交
容の計画/見直し」等は一部継続検討とするこ
友クラブの神髄でもありますので、今後とも大
とで概ね了承を得られましたので、引き続き鋭
事にして参りたいと存じます。
意検討を加えて参りたいと存じます。皆様の今
後益々のご支援・ご教導を賜りますよう何卒宜
また、恒例の講演会では、加藤理事より
しくお願い申し上げます。
「JICAを取り巻く環境の変化」について縷々お
話を頂き、昨今の目まぐるしい国際情勢や環境
最後になりましたが、平成27年が会員並びに
変化の下で、JICAの取り組むべき課題が複雑
ご家族の皆様にとりまして輝かしき年となりま
多岐に亘っていることを伺い、現役の皆様が直
すよう、衷心よりお祈り申し上げます。
面している日々のご苦労をお察しするばかりで
した。更には、田中理事長から、このような状
況変化に対応すべくJICAが一層ダイナミック
な業務推進に取り組まれている様子を伺いなが
特別寄稿
随想「引き継ぐ一体感」
阿部 英樹(平成13年退職)
専門家として2年の任期を終え、フィリピンから帰国した直後、縁があり、あ
る国立大学大学院での客員教授と、脚本家の小山内美江子先生が主宰する国際ボ
ランティアカレッジの事務局長を務め、次世代の方々に自らの経験を中心に解説
を行ってきたところ、体調を壊し、暫く静養を余儀なくされてしまいました。そ
の後、以前、講義をしたことがある大学から非常勤講師として大学院で「国際公
共政策」を担当して欲しいとの依頼が舞い込みました。結果は、担当科目に加え
て、次の学期から「環境経済」と「国連経済開発協力論」の3科目を担当することになり、さすが
に一人で担うのは荷が重く、元同僚と現役の職員の協力を仰ぎ、70歳定年までその任を全うするこ
とができました。依頼を受けた3科目については、現在も、元同僚と現役の方々が学部と大学院に
て教壇に立っています。授業内容については大学および学生の評価が高く、今般、大学が新設する
学部に現役職員2人が常勤教員として採用されることに繋がりました。こうした流れを作りあげた
元同僚と人選に労をとっていただいたJICA人事部長のご苦労に改めて謝意を表すとともに、現役と
OBの一体感の重要性を改めて認識した次第です。
加えて私自身の再スタートとなったのも、この流れからです。複数の教え子から修士論文作成へ
の助言を求める声が届きました。最初は指導教官の存在もあり、躊躇しましたが、たっての依頼も
あり、第三者の視点からの指摘と助言を行ったところ、何れも成績優秀者として代表発表に選ばれ
たことを知り、助言の面白さとそのための勉強の面白さを実感しました。その結果、立ち上げたの
が任意団体「ODAライブラリー」です。
背景には、教壇に立ち驚いたのは、推薦図書として紹介する資料、報告書類の幾つかがJICA図書
館に所蔵されていないことでした。例を挙げると、ユニセフの「人間の顔をした調整」を筆頭に、
アジア協会の前身団体の一つ、アジア問題調査会が創刊した「アジア問題」は、合併後、アジア協
会の機関誌となりましたが、最終号となった60号までの内、合本になった18号から29号までしかあ
りませんでした。東京大学末廣昭教授が著作「戦後日本のアジア研究」で賛美しているように、機
関誌「アジア問題」は当時のアジア理解の専門書として高く評価されておりました。アジア協会の
発足に重要な役割を果たした副会長岩田喜雄氏や調査研究部長藤崎信幸氏の著作を初め、当時第一
線の政財界人や学者の方々の論文が掲載されており、創生期の経済協力を知る上で貴重な資料です。
藤崎部長の縁から、一橋大学板垣與一教授、慶応大学山本登教授、加田哲二教授、東京大学川野重
任教授、経済安定本部大来課長、原覺天調査官等が編集委員を務め、論文選考が非常に厳しかった
と伝えられております。
さらに、アジア協会の発足を提言した外務省「アジア経済懇談会」の最終報告書は、外交史料館
にも無く、ようやくその写しをある所で見つけました。加えて、右懇談会を引き継いだ「対外経済
協力審議会」は技術協力の拡充を提言し、人材の養成と確保の重要性を訴え、
「国際協力総合研修所」
2
の発足をも主導しましたが、国会図書館でも、審議会答申等の僅かしか所蔵されておりません。
こうしたことから始めたのが経済協力に関係する資料や報告書の収集で、これがライブラリー命
名に至りました。国会図書館、国立公文書館、外交史料館、東大経済学部図書館、ネット古書店等
が主な収集先ですが、この度、アジア協会の発足を提言した「アジア経済懇談会」の報告書と「対
外経済協力審議会」の答申等の復刻がほぼ完成し、目下、出版先を探しております。経済協力を担
う次世代の方々、その変遷を研究する方にとって参考になる資料集になると確信しています。時の
吉田茂首相の命により外務省に設置されたアジア経済懇談会ですが、侵略への反省とアジア理解、
アジアの平和維持と繁栄にとって最も大事な政策としての経済協力が生まれた背景と我が国が取り
組むべき方向性が詳細に述べられております。
海外技術協力事業団に採用された私自身は、周囲の先輩に恵まれ、数々の指導を受けましたが、
その最たるものは、出張報告以外にも自らの調査報告書を作成し、財産にせよとの助言です。作成
した小論等は、機関誌「海外技術協力」、「国際協力」および研究誌「国際協力研究」に報告や論文
として掲載され、大学院採用時の貴重な履歴にカウントされました。助言をくれた先輩達が岩田副
会長や藤崎部長の指導を受けたことは明白な事実で、こうした伝統を引き継ぐことで先輩と後輩の
一体感が維持されると再認識しました。残念ながら、「国際協力」や「国際協力研究」は、廃刊にな
ってしまいましたが、早急な復活が望まれます。
一方で、ODAライブラリー主催のセミナーは、月一回開催し、経済協力の現状と課題について、
元同僚や現役職員の方々を講師に招いて解説をお願いしております。3年前にスタートしたセミナ
ーもこの12月には30回目を迎え、記念講演会を開催する予定です。学生、教員、一般市民、NGO、
NPO、企業関係者のみならず、最近は、高校生や主婦の方々と元協力隊員やJICAの現役職員の参加
が増えており、当初の目的が達成されつつある現状を確認しております。セミナーの開催経費は、
自己負担ですが、元同僚や、青年海外協力協会、JICAパートナー、地球ひろば、VSOCのご支援を
得ております。謝金等はお支払いできないものの、その分野の専門家を初め現役職員の皆様方が講
師を引き受けて下さる現状に、改めて、JICAでの経験、つながりの大事さを実感しております。
さらに、私自身は、ワシントン在勤中に世銀関係者等を中心に立ち上げた私的勉強会、「二木会
(毎月第二木曜日に開催から命名)
」の幹事も務めておりますが、1990年の発足以降、24年間も継続
する苦労、特に、講師の方を探すのは並大抵ではありません。それでも、麻生元総理が講師を引き
受けて下さるなど、著名な方にも快く講師を引き受けていただいております。毎月一回の開催が平
均年齢60歳を超える単なる老人の勉強会としてではなく、新たに参加している次世代の方々とのつ
ながりの場になっている現状は感慨無量です。世銀、大使館、国連、マスコミ、商社、民間企業、
学界、経済協力関係者、約60名が主なメンバーですが、イラクで亡くなられた奥大使も常連メンバ
ーで、ロンドン赴任直前の会合が最後の参加になりましたが、その死を無駄にしないためにも若い
世代の方に幹事を引き継いでいただこうと切磋琢磨しております。在勤地や仕事を通じて知り合っ
た者が分野、業種を超えて付き合うことの楽しさを認識しながら、相田みつお氏の「一生勉強、一
生青春」を念頭に活動する毎日です。
最後に、「引き継ぐ一体感」の象徴でもありながら、ここ数年、その政策から縮小されつつある
JICA図書館の役割復活を祈念し、藤田元総裁寄贈による藤田文庫に加えてOBが所蔵する貴重な資
料、蔵書類が図書館の一角を占めることを願い、近況報告とさせていただきます。
3
寄 稿
マ)の種間交雑種で、シエラレオネ人のモンティ・
ウガンダ国への稲作振興協力
ジョーンズ博士が作出し、2000年にリリースされた。
日本人が年間食べるお米は一人当たり60kgで、サブ
西牧 隆壯(平成17年退職)
サハラアフリカでは25kg、その半分は輸入に頼って
いる。ウガンダでは主食はプランテーンバナナ、ソ
1974年8月JICA設立の時、私
ルガム、とうもろこし、キャサバ等で、コメの消費
はブラジルサンパウロ州のグァタ
量は一人当たり6kgとアフリカの中でも少ない。し
パラ移住地で海外移住事業団の事
かし、都市部を中心に消費は伸び続けている。結局
業所員として、低地の灌漑施設の
のところ、人間は主食としては小麦かコメを好むの
追加工事と水利組合の運営を担当
だろうと思う。アフリカでは一般的に小麦には気温
していた。ブラジルに赴任して2
が高すぎ、栽培に向いていない。その点、コメは土
年経っていて、28歳だった。移住
壌水分が確保されさえすれば、どこでも栽培可能で
地の百数十戸の日本人農家は入植10年を過ぎ、水田
ある。特に、これまで放置されてきた内陸低湿地は
稲作、養蚕、養鶏によってようやく落ち着きを見せ
コメの栽培には格好の適地である。
ていた。低地灌漑施設の追加工事は、予算的には小
私たちが暮らすモンスーンアジアと異なり、アフ
さなものだったが、設計から施工までまったくの直
リカの稲栽培の半分以上は陸稲が占める。アフリカ
営工事で大変な半面、それなりに楽しかった。当時、
では灌漑施設がほとんど未整備で、天水稲作が主流。
JICAになったのだから将来は南米だけでなく、東
灌漑前提に選抜された水稲品種よりも畑の状態でも
南アジアの農業開発にかかわることもあるだろうな
栽培可能な陸稲が多いのは理に適っている。これま
と考えたが、アフリカのウガンダへ行くようになる
でJICAの稲作協力は、東南アジア、南米はもとよ
とは夢にも思わなかった。まして、その時のウガン
りアフリカに対しても、灌漑水稲の単位あたりの収
ダの大統領が悪名高きアミンであることなど知る由
量をいかに増やすかということに特化され、陸稲の
もなかった。
普及協力はほとんどない。日本の優れた技術を途上
それから40年、この10年ほどはウガンダの稲作研
国に移転することをもって技術協力の目的の一つと
究と普及、特に陸稲ネリカの生長に必要な土壌水分
する限りは当然のことであるが、その技術が途上国
量の研究とその普及に携わってきた。首都カンパラ
に根づくためにはその国の現状にあった技術を選ぶ
から1時間ほどのワキソ県ナムロンゲ村にある国立
必要もある。
作物資源研究所を本拠地としてきた。この試験場は
この10年間でウガンダのネリカの栽培面積は5万
第2次世界大戦の直後、まだイギリスの植民地であ
haに達し、10万戸の農家が新たに稲作栽培に参入し
った時、綿の試験を主目的に設置された。
遠くから見るとスコットランド風の白い壁
と、赤い屋根を持った建物群と、9ホール
のゴルフコースがあって往時の美しさが偲
ばれる。しかしそばに寄ると、アミン大統
領、オボテ大統領時代の内戦時の銃弾の跡
が壁に残っていたりする。10年前、稲の研
究者は一人もおらず、最初配属された坪井
専門家がカウンターパートを一から育て
た。私自身も農学士を名乗っているけれ
ど、実のところ稲の花がこんな風に咲くの
か、千粒重はこうやって数えるのか、とい
うことは彼から教わった。
陸稲ネリカは、アジア稲(オリザ・サテ
ィバ)とアフリカ稲(オリザ・グラベリ
ウガンダ国立作物資源研究所の網室での収量調査
4
てきた。農家が新しい作物を導入し、それが地域に
(2)防風林の植林
定着するまでには少なくとも一世代30年はかかると
伐採・開墾して再生した段々畑の縁取りに、防風
される。JICAが引き続きウガンダの稲作振興協力
林を一列植えます。防風林としては今のところ六島
を続けることを期待する。
に自生する藪椿やマサキなどを考えています。特に
椿の場合は観光資源になるほか、花弁や未熟果は鶏
や家畜の濃厚飼料になるだろうし、完熟果から採れ
故郷島おこし構想
る椿油は観光土産品として、またその精製過程は体
験学習メニューにもなるでしょう。
小金丸 梅夫(平成18年退職)
(3)果樹園づくり
防風林を植え日照条件のいいところの段々畑を選
私の故郷は長崎県五島列島北端
び、果物の多種少量生産を行います。民泊/民宿の
近 く に あ る 、 周 囲 約 4 km 標 高
お客さんに好きなだけ自由に食べてもらうためで
70m足らずでひょっこりひょうた
す。現在既に台風と潮風の被害で一進一退を繰り返
ん島(鯨の形)に良く似た小さな
していますが、日本で栽培されるほぼ全ての果樹を
島(六島)です。現在人口7人で
六島に凝縮して栽培するのが夢です。六島で台木を
単身赴任の私以外は全員夫婦漁師
育苗して、自前の接ぎ木苗木を生産することにもチ
で漁業専業の限界村です。私は小
ャレンジします。JICA勤務時代は数カ国で農業開
値賀町で教育長をしている高校同期の親友から頼ま
発専門家として活動し、熱帯果樹の接ぎ木苗普及販
れて断れず、Uターン直後から教育委員としても活
売が累積約16000本の実績があるので、今度は島お
む しま
お
ぢ
か
動しています。島育ちの私にとって、JICAを退職
こし活動をしながら温帯果樹の接ぎ木苗作りにもチ
した後も東京にぶら下がって暮らしていく人生は面
ャレンジできる喜びがあります。
白くありません。それよりも帰郷して半農半漁で美
(4)花を植える
味しい食べ物を可能な限り自給自足し、島おこし活
既に民家の庭先に現存するハイビスカス、ブーゲ
動に残り人生の余熱を燃やすのが、男のロマンと考
ンビリア、ツツジ、ノーゼンカズラ、それに野生
えています。何としても故郷を無人島にするわけに
の藪椿などを挿し木繁殖させ、島の観光スポット
はいかないのです!これまでの人生は国際協力を通
候補地や農道沿いなどに花を植え美観を整えていき
して30年間以上日本と開発途上国のために働いてき
ます。
ましたので、残り人生もやはり日本のために故郷の
(5)ヤギの飼育
島おこしに頑張ります。故郷を4Fの楽しめる島に
島にあふれる野草と段々畑に植える牧草でヤギの
すべく再開発して行こうと決意しています。4つの
飼育を考えており、現在、町内の地域担い手公社に
Fとは、Fishing(魚釣り), Flower(花)、Fruit(果
仔山羊雌2頭を予約注文しています。昨年9月、1
物)、Feeding Animal(家畜飼育)の意味です。
週間だけでしたが、長野県佐久市にある農水省家畜
そのために小型船舶操縦1級免許を習得して中古
牧場で山羊飼育の短期研修を受けました。ヤギの乳
漁船を購入し、漁協と農協の準組合員になりました。
からチーズ、ヨーグルト、アイスクリームを作り、
次の目標は民泊か民宿の親父になることです。六島
民宿のメニューをより幅広くヘルシーにしたいもの
に来てくれるお客さんに、半農半漁の体験学習を楽
です。
しんでもらいたいものです。そのために下記の様な
(6)六島に自生する野生果樹の栽培・加工
開発計画を推進していきます。
子供の頃におやつ代わりによく食べたオオイタ
(1)段々畑の復旧再生
ビ、イヌビワ、グミ、クワを栽培して、ジャムなど
耕作放棄20∼30年にもなる竹林・雑木林と化した
農産加工にチャレンジします。これらの野生果樹は
段々畑を、チェーンソーと草刈り機と根切鉄棒を使
国内でもほとんど栽培されておらず、うまく栽培で
い体力と相談しながら、マイペースで伐採・開墾し
き宣伝できればいきなり日本一になる可能性もある
ていきます。ただ伐採するだけではもったいないの
と思われます。オオイタビ、イヌビワ、クワの木は
で、木炭・竹炭を作って土壌改良材にしたり、木酢
昨年確認しマークしてある木が今年も豊作なので、
液を作って農薬や化学肥料をあまり使わない有機農
挿し木で増やして段々畑に植える計画です。
業の確立を目指します。
5
(7)エコ・歴史ツーリズム
がいないため休校状態ですが、まだまだ使える校舎
すぐ隣にある無人島の野崎島の野首教会は世界遺
と体育館があります。自然学級の内容として以下の
産候補として、神嶋神社は五島列島最古の神社(704
ようなメニューを考えています。
年創建)として、王位石は日本の数少ないパワー・
①野山をハイキングし自然の植物や動物を身近に観
スポットとして全国的に有名になりつつあり、国内
察して、生態的な知識を得る
や外国からの観光客が徐々に増加つつあります。英
②農作物や家畜に触れてもらう
語やスペイン語が話せる民宿親父及び通訳兼ガイド
③海岸散歩や海中遊泳して、生きた魚介類について
として、これらの観光スポットへ案内してあげたい
勉強する
ものです。試しに数年前に、波打ち際にある鳥居∼
④和舟の漕ぎ方を練習する
沖の神嶋神社・王位石∼野崎港∼野首教会∼野首港
⑤フィッシングを楽しみ、釣り上げた魚をさばいて
まで単独トレッキングしてみました。
料理して食べる
(8)ヨット・クルージング
⑥私の国際協力体験談とパワー・ポインターで外国
パソコンで検索すると、中古の安いヨットが写真
農業や異文化へ理解と好奇心を高める
入りで多数売りに出されています。六島の漁師人口
(11)世界海洋文学図書館の設置
減少でヨットが一隻係留できるスペースは十分あり
これまで買い集めた本が数千冊あり、我家の書斎
ます。2年程前に沼津市にあるヨットスクールで15
には納まりきれず納戸などを占領しているため、女
日間の訓練を受けてきました。将来、ヨット操縦の
房からの苦情が絶えません。これからは海洋文学中
体験学習ができる民宿として宣伝できればいいで
心に古本を収集して、民宿の横に小さな図書館を建
すね。
てるのが夢です。六島海峡や五島灘を見ながら世界
(9)民泊/民宿の建設
の海洋文学を読める贅沢を、お客さんにも味わって
理想的な建設場所は島の南西側で、山の中腹なと
もらいたいと考えています。黒松林のハンモックで
ころです。そこからは、水平線から生まれる朝日と
横になり、潮風に吹かれ潮騒を聴きながら「潮騒」
水平線に沈む夕日が見られ、六島海峡(六島・野崎
や「老人と海」などの名作を読むのは、生涯忘れら
島間の海峡)を眼下に見下ろし、雄大な野崎のお山
れない思い出になるかもしれませんね。私自身も図
さんを見上げることのできる、オーシャン&サンラ
書館にこもって、これまでの国際協力の経験を生か
イズ・サンセット・ビューの見晴らし最高の場所で
した、執筆活動を続けたいと考えています。
す。生まれたての朝日が、水平線から六島の海岸ま
以上、私の民宿・島おこし構想を簡単に書いてみ
で到達する「黄金色の海上の道」をつくり出す自然
ました。一度に一気にやろうとすれば、相当な予算
現象に、常日頃そんな朝日を見たことのない都会住
が必要ですが、自己資本は限られていますので、優
民は必ずや感動するものと思われます。屋上に小さ
先順位ややりやすい順に徐々にやって行きます。
な露天風呂をつけて、満天の星を見上げなが
ら温泉気分を満喫してもらおうかとも考えて
います。民宿の周りには四季折々に花が咲く
植物を配置し、体験学習で釣り上げた魚介類
をバーベキューで楽しめるようにします。夜
はカラオケでも楽しみましょう。ところが、
最寄りの建設業者に現地調査してもらった
ら、直ちに建設不可能と宣告されました。車
道がないからそこまで重機や資機材が運べな
いというのです。悩んだ結果の次善策とし
て、可能ならば休校状態の旧教員住宅の払い
下げ譲渡で代替できないものかと、町役場と
交渉中です。
(10)自然学級
夏休みに中高生対象の自然学校を開講でき
ないものかと考えています。島には児童生徒
竹林伐採後の葡萄植付け穴掘り作業
6
着するという強行日程でした。会場周辺は車両制限
2014年W杯ブラジル大会
観戦雑記
があるため、駐車場から約30分間の徒歩での入場で
した。試合結果ですが、第2戦はギリシャが前半に
退場者を出し10人となりましたが攻めきれず0─0
沢地 真(平成20年退職)
の引き分け、第3戦は前半に1─1に追いついたも
のの後半に3失点しコロンビアに1─4で完敗でし
た。何はさておき世界の壁は厚いと痛感しましたが、
1.はじめに
S高校時代の恩師(サッカー部
熱狂的な応援のもとW杯の雰囲気の一端を感じるこ
監督)のC先生から「2014年W杯
とができました。対ギリシャ戦の終了後、サムラ
ブラジル大会の観戦ツアーを企画
イ・ブルーのユニホームを着た女性3人組と空港で
して行きましょう」と誘われたの
話す機会があったのですが、仕事の都合で何と5日
は開幕の1年以上も前の2013年2
間の日程(機中泊3泊と空港での待機1泊)で日本
月でした。C先生はフランス
から駆け付けたと聞いて驚きました。
(1998年)、ドイツ(2006年)の両大会開催時にも観
4.イグアスの滝の観光
戦ツアーを企画・実施しており、2015年に傘寿を迎
オプションとして往路途中のロサンゼルス市内、
えられますが至ってお元気で、その熱意に絆され、
サンパウロ市内、イグアスの滝、リオデジャネイロ
念願のW杯を観戦しに行くことにしました。一行は
市内の観光(いずれも1日)を企画しましたが、私
S高校サッカー部のOBを中心とする平均年齢が60
は何回見ても飽きないイグアスの滝だけに参加しま
歳代半ば(?)の16人(ご夫妻が5組と添乗員1名
した。雨天が続いていたとのことでしたが、当日は
を含む)でしたが、医師2人が参加してくださった
すっかり晴れあがり、水量も多く虹もかかり素晴ら
ので、旅行中の健康管理の面では安心でした。
しい風景でした。一行のなかにはナイアガラの滝を
2.事前の準備
観光した人もいましたが、「比較にならないほど雄
世話人会に参加しましたが、先がはっきり見えな
大だ」と驚嘆していました。自然のなかでユッタリ、
いなかで前広に準備を進めなければならず、なかな
癒された一日でした。
か大変でした。このため旅行業者と10回余りの打ち
5.パラグアイ訪問
合わせを行ないました。予選リーグの日本戦の第2、
ツアーの一行とサンパウロで別れ、パラグアイま
3戦を観戦することにしましたが、組み合わせ抽選
で足を延ばし、かっての在勤地であるエンカルナシ
発表(2013年12月6日)前に搭乗便を予約する必要
オンとイグアス移住地を訪れました。アルゼンチン
から、日本がどの組に入っても第2、3戦の観戦が
との共同で建設したヤシレタダムによる水没に伴い
できるようにブラジル滞在を6月17∼27日とすると
エンカルナシオン市内一部の景観がすっかり変わっ
ともに、組み合わせ抽選発表後にはホテル料金が約
てしまったのに驚き、現地日系農協へ移管したイグ
3∼4倍に値上がりするということから、サンパウ
アス移住地のパラグアイ農業総合試験場がキチンと
ロのホテル(ツイン8室、10連泊)を予約し
ました。入場券は4人1組でFIFAによる第
1次抽選販売に申し込みましたが全員が外れ
てしまい、第2、3次抽選販売における入場
券の確保が定かでないことから、第2戦(対
ギリシャ)のVIP用入場券を購入し、その後、
出場国枠の抽選販売に申し込んだところ第3
戦(対コロンビア)の入場券を確保できま
した。
3.日本戦の観戦
第2戦(対ギリシャ)及び第3戦(対コロ
ンビア)とも会場が遠隔地であり、当日の午
前中に航空便でサンパウロを出発し、夕刻に
試合を観戦、深夜便で翌朝にサンパウロに帰
対ギリシャ戦を応援(右端が筆者)
7
運営されており安心しました。アスンシオンでのパ
である。私は、毎朝、職場には車で通勤していて、
ラグアイ最後の晩はJICAのローカルスタッフOBが
必ずシェダゴンパゴタの前を通る。運転手は、パゴ
懇親会を催してくださりました。パラグアイ在勤経
タの前に差しかかると、なんと、車を徐行させなが
験のある会員の皆様、岸さん、飯原さん、横山さん、
ら、手をハンドルから離し、少し目を閉じ、頭を下
菊池さん、パブロさん、土佐男くんほか、皆さんお
げて合掌する。初めてその姿を後部座席から見たと
元気でしたよ。
き は 、 本 当 に び っ く り し て 、 日 本 語 で「 や め
6.おわりに
ろ!!!」と声を出したほどである。しかし、今は、
開幕前にはブラジル国内の主要各都市で「W杯開
運転手と一緒に、パゴタの前を車で徐行させながら
催よりも教育や医療を」といったデモが吹き荒れ、
合掌している自分がいる。そうさせるほど、このパ
一方、入場券を入手したものの搭乗便やホテルを確
ゴタには人をひきつける何かがあると感じさせるほ
保できなかったために観戦を諦めた人がいたという
ど不思議な魅力がある。
話しを聞き及びましたが、参加者全員が病気、怪我、
ミャンマーの人たちは、前世、現世、後世という
トラブルもなく無事に観戦ツアーを終えることがで
輪廻転生という世界を本当に信じている。特に、私
き、加えてパラグアイへの郷愁旅行も行ない、余生
が勤務するプロジェクトの所長は、今までに何回も
の一区切りとして楽しい思い出となりました。
出家した者であり、今でも年に数回、瞑想の修行を
する敬虔な仏教徒である。彼によれば、現世の自分
は、前世の行いによって決まっていて、前世で功徳
ミャンマーの生活と上座部仏教
を積まなかった者は、それに相当する現世が待って
いるとのことである。彼は、ある例え話として、高
金丸 守正(平成23年退職)
貴な僧侶がパゴタに来た際、パゴタの前で脱いだ草
履が誰かに盗まれてしまった。弟子たちは慌てて、
私は、最後のフロンティアとい
その草履を探しまわろうとした際、高貴な僧侶は弟
われるミャンマーに赴任してちょ
子たちに、「このことは自分にとって非常に恥ずか
うど1年が過ぎ、カラフルな女性
しいことであるから、誰にも話さないでほしい。私
達のロンジー姿が情緒的な風物詩
の草履が盗まれるということは、自分は前世におい
のひとつとして馴染んできたこの
て、誰かの草履を盗んだに違いない。まったく恥ず
頃です。
かしいことをした。」という話をしてくれた。その
この一年間を振り返ると、ミャ
時、私から、
「仮に、知人からお金を貸してくれと頼
ンマー人の心やさしさに心を癒されることがしばし
まれて貸したものの返してくれなかった場合は、こ
ばある。例えば、毎朝、鳩やスズメはもちろんのこ
れも功徳として返却を求めないのか。」と尋ねると、
と、道端でたむろする野良犬やカラスにまで近くの
「今まで、返してもらえないことがあった。それは、
住民が餌を与えている。多くのカラスが鳩のように
そのままにしている。強制的な手段を講じて返却さ
人間の足元で餌をつついている様子を見た
り、自分の手足を今まさに刺そうとしている
蚊をやさしく手で追い払う姿を見たりする
と、生物に対する愛情の深さと仏教の教えに
従順なミャンマー人の温かさにいつも驚かさ
れている。また、なんといってもミャンマー
の生活と仏教との関係で心癒されるのは、朝
靄が立ち込める中、托鉢している僧侶たち
に、多くの家庭が早朝に炊きだした食べ物を
施す姿を見ると、何か別の世界にいるような
気さえしてしまう。
ミャンマーで最初に驚いたことは、この国
で最も有名なパゴタ(仏塔)であるシェダゴ
ンパゴタに対するミャンマー人の信仰の深さ
早朝に托鉢する僧侶たち
8
れた場合、それがよい結果を生まなければ、そのこ
の次の週の金曜日に、奥様はじめ、ご家族もお招き
とが来世の自分に降りかかる。だからそのままにし
して行われ、53年入団同期の鈴木徹也さんが亡くな
ている。」との返事であった。このことを聞いて、
ってからは、現在の名称となり続けています。
私は、ミャンマーのビジネスの世界が少しわからな
今回は、隆杉美千代夫人、鈴木由美夫人は、お元
くなってきた。何故ならば、このように言っている
気に参加されましたが、残念ながらお子様方は仕事
我らのプロジェクトの所長は、ミャンマーのビジネ
や子育てに多忙であったり、米国留学中のため、
ス界を代表するUMFCCI(ミャンマー商工会議所)
参加できませんでしたが、参加メンバーと共に往時
の副会頭であり、ある意味でこの国をリードする者
を偲び、共に息災に暮らしていることを喜び合いま
の一人であるからである。このような考えで、2015
した。
年から始まるアセアン統合におけるビジネスの世界
このように、ずっと続いている同期(59歳から61
で、これからもうまく渡って行けるのかと少し心配
歳)を中心とした集まりも、次第に退職する人が多
になる。やはり、ミャンマーは不思議な国である。
くなってきました。それでも、隆杉さんと鈴木さん
という二人の同期を現役で失うという悲しみを乗り
越えることによって、二人が今なお同期の結び付き
恒例「隆杉さんと鈴木さん
を偲ぶ会」を開催しました
を強くする役割を果たしております。
この会は、同期を中心にJICAの先輩や後輩たち
が集まり、旧交を温めつつ、あるいは、JICAの近
況を知ることもできます。JICA退職後は、とかく
早瀬 隆昌(平成24年退職)
JICA関係者の人たちとの付き合いも薄くなりがち
ですが、2人のお蔭で、退職後もJICAとの絆を感
昨年10月10日にJICA53年入団
じざるを得ません。因みに、今年は10月9日(金)
組、『JICA労』7期執行委員に加
です。今から楽しみにしています。
え、隆杉実夫さんと鈴木徹也さん
と縁の深いJICA交友クラブの橋
53年入団組〈杉本充邦、甲斐直樹、伊藤隆文、小沢
本副会長と狩野幹事の参加を得
勝彦、黒柳俊之、早瀬隆昌〉
て、「隆杉さんと鈴木さんを偲ぶ
JICA労〈稲村次郎、小樋山覚、戸川正人、鈴木達
会」を行いました。この会は、当
男、今井史夫〉
初は、「隆杉実夫さんを偲ぶ会」として彼の3回忌
ゆかりの人〈橋本栄治、狩野良昭、田中良子、工藤
以降、毎年国際協力の日(隆杉さんの命日でもある)
悦子(旧姓村上、元組合書記局員)〉
後列右から4人目が鈴木夫人、5人目が隆杉夫人
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就任挨拶
年12月から開始されるとのマスコミ報道です。レセ
幹事 中内 清文
(広報)
ップスはかつてスエズ運河を完成した後、さらにパ
ナマ運河の建設に着手しましたが、マラリア等の熱
皆様大変ご無沙汰いたしており
帯病に苦しめられ、資金も枯渇して工事は頓挫しま
ます。このたびJICA交友クラブ
した。当時英国と覇を競う新興国で、運河に関心を
の幹事(広報担当)を仰せつかり
抱いていた米国の議会では、その開削をパナマ、ニ
ました。
カラグアのいずれにするかで見解が鋭く対立してい
2007年7月に退職後、縁あって
ました。技術的調査の結果ではニカラグア・ルート
中米ニカラグアの地に赴任してお
が圧倒的に推奨されていましたが、110年以上前の
りました。任期も終わりの頃の週末のことでしたが、
米国議会での政治的票決では僅差でパナマ・ルート
中米地峡を横断するニカラグア運河の最有望候補と
に軍配が上がりました。ニカラグア国民の運河建設
されていた河川ルートを協力隊員らと踏査していた
の夢は露と消え去った訳ですが、21世紀初頭にして
ところ、突然病気に襲われ、多大な迷惑をかけてし
夢は蘇り、オルテガ大統領政権はその国運を運河建
まいました。真に奇跡的に生還でき、人生のリセッ
設に賭けようとしています。
トボタンを押すことができました。この出来事を通
運河計画では、候補ルートのうちコスタリカとの
じて、JICAの組織力、情報力、チームワークの素
いざこざを避け、また、自然環境・先住民対策上優
晴らしさと有り難さを、身をもって実感するに至り
位なルートが最終的に選定されました。大西洋・太
ました。その後国際協力人材部で暫くお世話になっ
平洋両岸間の総延長距離は278km、計画水深27∼30
ておりましたが、2011年JICAを離れました。オン
m、幅員230∼520mで、20フィートコンテナを何と
ラインの「海洋辞典」作りや、外国人技能実習研修
25,000個積載する大型コンテナ船、40万トン級のば
生受け入れ事業に首を突っ込みながら、時に気まま
ら積み船などの通航を可能とするものです。パナマ
な放浪の旅を楽しんでおりましたところ、今回交友
運河と同じ閘門式で、船は3段式の高低差32mの「水
クラブでのお役目のお話を戴いた次第です。
の階段」を昇り降りします。また、標高100∼200m
交友クラブの会員になって早7年ほどが経ちます
の大分水嶺を貫通することにもなります。
が、会報での「一筆啓上」の他は、「海洋辞典」作
JICA退職後にこの地へ赴任できた結果、思いが
りの話題にて寄稿したくらいで、クラブ活動に余り
けず今世紀の大運河計画のルートをいろいろ現地踏
関わってこなかったのが実状です。はからずも今回、
査し、その実現可能性を考える機会をもつことがで
クラブ運営に身を置くことになり、光栄この上ない
きました。昨年、反米主義のサンディニスタ政権は、
と感じております。会報や会員名簿の発行、ホーム
運河建設事業のコンセッション契約を香港系投資会
ページの更新など、いずれも会員相互を幅広くつな
社と契約しました。いずれにせよ、パナマ運河の歴
ぐオンリーワンの大切な公式ツールです。特に「一
史が示すように、ニカラグア運河建設も幾多の政
筆啓上」は多くの会員の近況を万遍なく伝え、旧交
治・経済・技術・軍事的な困難あるいは思惑の交錯
を温める貴重なきっかけを提供してくれています。
があるものと推測されます。中米・カリブ地域では
今後は会報への寄稿のお願いなどを通じて会員の皆
ハイチに次いで貧しい国とされるニカラグアの国民
様との距離がより近づくことになり喜んでおりま
にとって、再び夢を見るだけに終わるのか、運河建
す。広報の経験はありませんが、皆様のご協力ご支
設の歴史を現実のものとするのか、今後とも注視し
援の下、少しでも貢献できるよう努めたく、重ね重
ていきたいと思います。
ねよろしくお願い致します。
長々としたご挨拶となってしまい恐縮です。何卒
余談で恐縮ですが、ニカラグア運河の建設は2014
ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
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同好会活動
最多130)でした。優勝した末森 満さんは、麹町
JICAを去る直前の快挙、ご苦労さま優勝でした。
次回幹事をよろしく! なお、永久幹事支援役の表
さんに今回もきめ細かいご尽力を頂きました。各賞
7名分をボールより新米こしひかりにしたのも彼の
アイディアでした。次回の春大会は更に楽しいもの
になることでしょう。乞うご期待!
次回(春季コンペ)は2015年5月22日(金)、「相
武カントリー倶楽部」9:15スタートで開催します。
イン・アウト同時スタート方式で行います。奮って
(BB幹事:岩口健二)
ご参加ください。
第33回JICA交友クラブ・ゴルフコンペ
10月17日、秋快晴、絶好の日和。八王子市周辺の
森の木々が色づき始めた中、相武カントリー倶楽部
に交友20名が集い、お互いの元気を確認し合いなが
ら楽しくプレイしました。
近年では珍しくなったハンディキャップ方式のコ
ンペですが、主な受賞者は次のとおり。
(順位)
(氏名) (グロス)(H’dcap)(ネット)
優 勝
末森 満
82
16.0
66.0
準優勝
岩波和俊
92
20.0
72.0
第3位
吉元 清
86
10.0
76.0
第4位
四釜嘉総
95
18.0
77.0
第7位
表 伸一郎
111
32.0
79.0
第10位
金木 克公
96
13.0
83.0
*評価の分れるB.B.は小林正博さん:ドラコンも
とった大器晩成型、ダークホースです。
* 当 日 賞 第 17 位 は 小 川 大 使 に 提 供 頂 い た Jim
Tompsonブランド品を得た内仲康夫さん。
今回の平均年齢は68.2歳、平均ストロークは
98(最高齢76歳 最年少60歳、最小グロス82・
Aクラス 優勝 諏訪 準優勝 吉満
第28回JICA交友クラブ秋期囲碁大会開催
Bクラス 優勝 林 準優勝 塚田
Cクラス 優勝 川村 準優勝 吉田
いまや恒例(高齢)となったJICA交友クラブ囲
碁大会は、今回も17名の精鋭が一堂に集い10月11日
(土)13時より新宿「天元」にて秋期大会を開催す
ることができました。
対戦開始に当たり、これまでJICA囲碁クラブ活
動に積極的に関わってこられた故・高橋辰夫氏(平
成26年8月にご逝去)に対し参加者全員で黙祷し哀
悼の誠を捧げました。
大会はこれまでどおり棋力(毎回の対戦成績によ
り調整したポイント制)に応じて四クラスに分けて
対戦し、各クラスの勝敗結果で優勝、準優勝等を決
定し表彰しました。
各クラス別成績結果は以下のとおり。(敬称略)
Dクラス 優勝 大久保、野田、今津
(3名が2勝1敗の同率でした)
大会終了後は近くの居酒屋で囲碁と酒をこよなく
愛する有志の方々との反省会も大いに盛り上がりま
した。
話題は勿論、囲碁関連が主ですが、加えてOB仲
間の動静やJICAの現状、昨今の日本の政治や国際
問題まで時間がいくらあっても足りない程楽しい時
間を持つことができました。
大会の成績よりも反省会参加に意義を見出してお
られる方もいらしたようです。
次回第29回春期大会は27年4月11日(土)に今回
と同様、新宿「天元」にて13時より開催を予定して
11
おります。
今回参加された方は勿論、都合がつかず残念なが
ら今回参加できなかった方々、また、メンバー
登録済みながら諸事情でしばらくご無沙汰して
いるベテラン諸氏も、囲碁に興味を持っている
友人・知人(JICA専門家、協力隊員OV他少し
でもJICAと関係のある(あった)方であれば
参加OKです。勿論、囲碁の棋力は問いません。)
をお誘いあわせの上、張り切ってご参加下さい。
今回参加者の棋力は幹事の独断と偏見で言わ
せていただければ、上は6段格、下は8級クラ
スの棋力ですので初心者も安心して?参加でき
ます。敷居はけっして高くなく、むしろ敷居が
ないといった表現が適切かと思います。
事務局からのお知らせ
訃 報(敬称略)
(1)JICA情報の入手方法
先の平成26年度定期総会において、
「JICA情報の入手に
関し、交友クラブが窓口となり各会員からの要望に応える
ことができないか」
、とのご意見がありました。
本件について、JICA広報室の担当者と相談しました結
果、今後、会員の皆様には、JICA情報の入手に関し、手
続きの煩雑さを避けるために次のように対応頂きたくお願
い致します。
①JICAウェブサイトの「サイト活用ガイド」の活用
本ガイドには各種パンフレットのダウンロードの
他、国際理解・開発教材の提供・貸し出しも可能で、
使いやすく内容も充実しております。
②上記のウェブサイトからでは足りない情報につきまし
ては、広報室広報課へ直接連絡し、必要な情報提供を
依頼してください。
(2)JICA交友クラブ団体総合生活保険の案内
会報に同封致しました「JICA交友クラブ団体総合生活
保険」のパンフレットは、これまで会員の皆様にご案内し
ていましたグループ保険とは異なり、今回新たに、JICA
現役職員を会員とします「JICA厚生会」との協同による
補償内容としたものです。パンフレットをご覧頂き、この
新しい保険への加入をお勧め致します。
(3) 広報担当幹事の就任
「就任挨拶」にありますように、広報担当幹事に、中内
会員が新たに就任致しました。
JICA交友クラブ会報
(平成 27 年 1 月発行通巻 49 号)
特に囲碁初心者・現役・女性陣の参加を期待して
おります。
(文責:林 和範)
発 行 者
連 絡 先
T E L F A X 高橋 辰夫(平成13年退職)
平成26年8月19日逝去(享年74歳)
坂牧 嘉昭(平成13年退職)
平成26年10月8日逝去(享年72歳)
入会者(敬称略)
畝 伊智朗 平成26年9月30日退職
野口 光一 平成26年10月31日退職
ここに掲載しました入会者は平成26年7月1日から平成26年11月
30日までに入会された方々です。
(入会順)
編集後記
新年明けましておめでとうございます。会報第49号をお
届け致します。
今回の号は、多くの会員から寄稿を頂き、また、会員の
皆さんと一緒に仕事をした隆杉さん、鈴木(徹)さんの偲
ぶ会の寄稿をいただき懐かしい顔ぶれの写真も掲載致しま
した。同様の寄稿がありましたら、お待ちしています。
さらに、事務局からのお知らせとしまして、昨年の総会
で提案頂いたJICA情報の入手方法や、新しい団体保険の
紹介も入れました。会報と一緒にお送りしましたパンフレ
ットをご覧ください。
本年も宜しくお願い致します。
(笠)
JICA 交友クラブ 会 長 望 月 久
〒102-8012 東京都千代田区二番町 5-25
独立行政法人国際協力機構 人事部内 JICA 交友クラブ事務局
03(5226)9776
ホームページ
http://www.jicakoyu.jpn.org/
03(5226)6398
(パスワード koyuclub)
メールアドレス
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