女性研究者の子育て&介護奮闘記 ー体験を通じて研究と家庭役割の

女性研究者の子育て&介護奮闘記
ー体験を通じて研究と家庭役割の
両立を考えるー
千葉大学大学院工学研究科
大矢 浩代
2009.1.19
1
自己紹介
•
•
•
研究分野
– 学生の時,地震学(地球物理学)
↓
– 就職後,超高層物理学(地球物
理学)
– 観測データ解析メイン
育児
– 中2の娘(産前産後育児休暇トー
タルで1年1.5ヶ月)
– 小5の息子(9.5ヶ月)
– 夫は電機メーカーの技術職(41
歳)
介護
– 実父(72歳,自宅で,休暇取得せ
ず)
– 実母(66歳,おもに病院で,3ヶ月
間)
– 一人っ子(兄弟なし)
私は千葉大学理学部で地震学(地球物理学)を専攻し、卒業と同時に千
葉大学に教務職員として就職しました。仕事の内容は、研究室に所属して、
学生実験や物品発注などです。現在は中学2年生の娘と小学校5年生の
息子と夫の4人で暮らしています。夫は、電気メーカーの技術職です。
私は一人っ子でしたので、パートナーの協力を得ながら、両親の介護と
育児、研究の両立をすることができました。今日は、どのようにして研究を
継続することが出来たか、お話したいと思います。少しでもご参考になれ
ば幸いです。
2
育児および介護休暇の時期
西暦/項 1995
目
1996
職名
教務職
員
育児
③
介護
長女誕
生
1997
1998
1999
2000
2001
助手
長男誕
生
実母
実父
①
②
92年に大学に就職し、 98年に学科改組となり、私は助手になりました。
丁度そのときは育児休暇を取得中でしたので、育休あけに昇格しました。
97年の長男誕生の前に3ケ月間、母の介護をしました。今日は、①母の
介護、②父の介護、③子育ての順でお話をしたいと思います。
3
①母の病気
• 末期胃がん
– 年齢65歳,パート勤務
–
–
–
–
住所:茨城県土浦市(私は市川市在住)
家族構成:父(当時72歳,電気店経営)と二人暮らし
手術前:余命2か月,手術後:余命6か月
手術で胃の2/3切除
– 病院の意向で,本人には胃潰瘍と説明
– 手術後,自宅療養
– 亡くなる1か月前頃から再入院
母は末期がんでしたが、病院の意向で告知はしませんでした。当時、両
親は茨城県の土浦市で電気店を経営しており、父親一人では病人食を作
り、家事をしながら商いを続けるのは難しい状態でした。私は当時28歳で、
「死ぬのは順番なのだ」と思い、親の死後の自分の人生について考えるよ
うになりました。そこで、介護休暇を取ることに決めました。
4
どうするか?
• 父一人で世話および家事の対応は無理
– 胃を2/3切除しているので,そういう病人用食事を父が作
ることはできない。
• 研究者である前に,親の人生のラストで最大限のこと
をしなければ人としてどうか?(If not, 後々,絶対に後
悔するだろう。)
• 親の死後の自分の人生(当時,私は28歳)
介護休暇をとることを決断
5
いつ介護休暇をとるか?
• 介護休暇の期間は,前項に規定する者の
各々が同項に規定する介護を必要とする一
の継続する状態ごとに,連続する三月の期間
内において必要と認められる期間とする(勤
務時間法(介護休暇)第二十条2)。
• 手術後,余命6か月(お医者さんの予測)。
手術後すぐ∼3か月間
理由:いつ亡くなるかは本当には分からないので,少しでも元気なうちに
共に(孫(当時2歳)とも)過ごすべき。
率直に言って、いつ亡くなるかわかりません。介護休暇の取得タイミング
を考え、手術をしてすぐにお休みをいただくことに決めました。それは、親
にとって少しでも元気なうちに当時2歳の孫娘および子供(自分)と一緒に
過ごす時間をもつことが大事に思えたからです。
母は寝たきりという状態ではありませんで、結局亡くなるまでガン告知は
しませんでした。
6
介護の日々(3か月間)
• 娘(当時2歳の誕生日頃)を連れて,実家へ戻る。
• 母の状態:寝たきりではない。薬の副作用もほ
ぼない。お風呂も自力で。
• 一度,家族全員(夫も)で1泊2日の温泉旅行。
• がんであることは,本人に告知せず。
• 病人用食事,家事,娘の世話
• 論文を読む書く等,研究に関すること一切せず
(当時,携帯やPCなし)。
病人食を作るのは、本を見て作りましたが和食が中心でした。それは丁
度、幼児食にも共通するので、家族みんなで和食中心の食事をしていまし
た。
また、96年当時は、携帯電話は今ほど普及していません。一部の裕福な
人たちが使う程度のものでした。実家にはパソコンもありません。私は心
の余裕がなく、研究に関することはあまりできませんでした。
7
介護休暇が終わり,仕事復帰(妊娠中)
• 大学に戻る。
2ヶ月後
z具合が悪くなり,再入院。
•毎週末,娘を夫にみてもらい,病院へ。
•父が洗濯。
•母の妹達3人(千葉,埼玉)および義妹1人
(千葉)が交代で来てくれる。
介護3ケ月目=妊娠発覚!
さて、介護3ケ月目になって第2子を妊娠していることがわかりました。
大学に戻ったときは妊娠中です。そして、さらに2ケ月後に、母は再入院し
てしまいました。
幸い母は兄弟姉妹が多く、叔母たちが4人、交代で病院に来てくれたの
で、私は週末、夫に娘を預け、一人で病院に通いました。
8
最後の2週間
• 有給休暇(約10日間)をとり,夫と娘と共に実家
へ。
– 夫も有給休暇をとる(病院は子供の立ち入り禁止)。
• 容体悪化
–
–
–
–
記憶が混乱(子供のころと今のことを混同)
全身に冷たい汗
今見てきたかのように,あの世の話をする。
妊娠中の私を見て,「ものすごい生のエネルギーを
感じる」などと言う。
しかし、母の容態は次第に悪化していきました。最後の2週間は、記憶
が混乱してしまい、今と子ども時代が混同していました。初めて気がつい
たのですが、全身に冷たい汗が流れるのです。普通、身体が温まり体温
調節するために汗がでるものですが、母の体は冷たいのに汗が出るので
す。
また、あの世の話を口にするようになったり、妊娠中の私に対して圧迫
感を感じるようでした。
私も夫も年次有給休暇を取り、実家に滞在して、静かに看取ることがで
きました。
9
②父の病気
• 72歳の時(母が亡くなってから3年後),末期
がん(腎臓から全身に転移,余命5か月)
• 病院の意向で,本人にがん告知。
• 約1か月間入院(検査含む)していたが,手術
できず,医者から自宅で余生を過ごすよう勧
められる。
• 一人暮らし(電気店)。
さて、母の没後3年目に父が具合を悪くしました。父も末期がんでしたが、
病院の意向で本人に告知をしました。
私は二人目の育児休業から復帰して2年目、「もう研究を中断したくな
い!」と強く思うようになっていました。
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どうするか2
• 2人目の育児休暇から復帰後,約2年。
• もう研究を中断したくない。
• 3ヶ月後に,長女は小学校入学。
父をこちらへ呼んで,仕事しながら
自宅介護することを決断
そこで、家族で話し合い、父を私たちの家に呼んでケアすることにしたの
です。
介護の申請をしてから判定が出るまで1ケ月かかりました。最初は「要介
護2」でしたが、3ヵ月後「要介護4」になっていました。歩行が困難になり、
おむつを使用するようになりました。
11
介護サービス
• 要介護度2(約4ヶ月後に,要介護度4)
– 歩行困難→おむつ
• 介護用ベッドレンタル
• 椅子型トイレ購入
• ヘルパー
– 平日2時間,昼食の時間帯
– 昼食の用意
– おむつ交換
– 着替え
介護保険で、介護用のベッドをレンタルしました。リモコンで横になるもの
です。トイレはレンタルできません。木製で見かけは立派な椅子型のトイレ
を購入しました。
ヘルパーさんには終日居てもらえるわけではありません。平日2時間、
用事のある時に来てもらわなくてはならないのです。そこで昼食の時間帯
に来てもらいました。最初は、作りおいた昼食の食事介助をお願いしてい
ましたが、ある日父は「焼うどんは嫌だ。温かい汁のうどんが食べたい。」
と言うので、ヘルパーさんに相談し、作ってもらうことになりました。
でもヘルパーさんは医療行為ができません。おむつの交換時に座薬を
入れてもらうのが一番効率的なのですが、それはやってもらうわけにはい
かないので、私か看護士が担当しました。
12
ホームドクターによる往診
• ホームドクター(市川市の個人病院)に往診を依
頼。
– 兄:内科医,病院で診察,同じマンション
– 弟:麻酔科医,毎日病院にいるわけではない(他の
病院と掛け持ち?)
• ホームドクター(弟)に家の鍵を預け,週1回往診
してもらう。
– 処方される薬は,調剤薬局の方が家のポストに入れ
ておいてくれる。往診費は,月1回土曜日に病院で支
払う。
ホームドクターとの信頼関係
さて、助けていただいた、もう一つの大きな存在はホームドクターです。
市川市の個人病院に勤める医師(兄)が偶然同じマンションの住人でした。
麻酔医の弟さんが週に1回往診してくれ、後々モルヒネを使う段階になっ
たときに処方していただきました。弟さんに自宅の鍵を預け、診てもらうこ
とができましたし、調剤薬局に口添えして下さり、薬をポストに入れておい
てくれることになりました。働きながら、薬局に行き、薬を出してもらうのは
時間的にとても厳しいことでしたので、相談してよかったです。さらに、支払
は月1回、土曜日でよいということで大変助かりました。これはホームドク
ターとの信頼関係ゆえ出来たことだと思います。
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介護,育児,研究の1日の流れ
時間
項目
備考
5:00
起床
5:00∼7:00
朝食作り,洗濯,食器洗い,
おむつ交換等
7:00∼7:30
父にスプーンで朝食を食べ
させる,薬,座薬
子供達も朝食
7:30∼8:00
子供達の荷物準備,子供の
着替え,自分の朝食,自分
の準備等
連絡帳5冊(弟の保育園,姉の
小学校,姉の学童,ヘルパー,
看護師)!
朝食を食べられないことも。
8:00∼8:20
弟を保育園へ送り
姉も学校へ
8:20∼18:00
大学(研究,学生実験,雑用 通勤時間含む
等)
18:00∼18:20
保育園へ迎え
当時の私のタイムスケジュールです。朝5時には起きて、家族の朝食の
支度から父のおむつ交換までを済ませると、子どもたちが食事をしている
間に父のケアをします。ご飯を食べさせたり座薬を入れたりしながら、5冊
もの連絡帳の準備をします。子どもが3冊、父の介護で2冊です。私は朝
食を食べる時間がないこともしばしばで、この頃は本当に大変でした。
14
介護,育児,研究の1日の流れ2
時間
18:20∼19:30
項目
備考
夕食作り,風呂掃除,おむ
つ交換,点滴交換等
19:30∼20:00
父にスプーンで夕食を食べ
させる,薬を飲ませる,座薬
子供達も夕食
20:00∼20:30
自分が夕食
20:30∼21:30
子供たちとお風呂
21:30∼23:00
弟のぜんそく薬吸入,残って 子どもたち就寝
いる家事
23:00∼0:00
就寝
生きてるだけで精一杯
また、父の点滴の仕方を看護士さんに習い、私が交換することもありまし
た。この頃は、帰宅してからも慌ただしく、時間に追われていました。です
ので、体が資本と思い、23時ないし0時には、就寝することに決めました。
やるべき事をすべて片付けることはできないのです。翌朝には5時に起き
なくてはならないのですから、無理しても早く寝ることにしました。当時は、
まさに生きてるだけで精一杯という状況でした。
15
私の場合,良かった点
• 介護者(私)が,比較的若かった(30歳前後)。
– どんなに痩せていても,大人のおむつ交換は体
力が必要。
• 介護と育児が同時期だった。
ーもし夫婦二人だけで末期がんの親の介護をして
いたら,家の中は暗くなるばかりだっただろう。小さ
い子供たちがいたことが精神的な支えになった。
• ホームドクターが非常に親切だった。
ー同じマンション。
ー24時間365日いつでも電話OK。
当時の私は、若いだけあって体力がありました。おむつ交換など、意外と
力がいる仕事です。また、次々と家族のケアが重なりましたが、逆によ
かったといえるでしょう。子どもたちの世話がなければ、夫婦二人で暗く
なってしまったと思うからです。本当に子どもたちには精神的に支えられま
した。
また、なんといっても、ホームドクターの存在が大きかったです。24時間、
365日いつでもコールして良いと言って下さり、大きな安心感を得ることが
できました。
16
研究に関して良かった点
• その研究分野のライバルが少なかった。
– 空白領域を研究対象に選んだ。
• 観測データ解析がメイン。観測は,他大学と共
同で。
ー自動解析プログラムの開発により,自分の作業を
軽減。
•介護しているとき,たまたま学会がない時期
だった。
−出張がなかった。
研究に関して言いますと、私の研究分野はライバルが少ないという
点が最大の利点でした。日常は、観測データの解析がメインで、他大
学との共同作業が多いです。さらに、自動解析プログラムの開発をし
たことで、作業を軽減することができました。今、こうしてお話している
間にも、作業は自動で進んでいます。
何よりも、介護に従事していた期間は、学会がない季節、つまり出張
がないので助かりました。
17
心配だった点・つらかった点
• 一生懸命介護していても,一歩ずつ死に向
かって弱っていく。
– 育児は,子供がどんどん成長していくのを見るこ
とができる喜びがある。
• 父が死んだとき,一緒に暮らしている子どもた
ちはその死を受け止めることができるだろう
か?
ー結果的に,大丈夫だった。子供はたくましい。
当時、心配だったこと、つらかったことは、親が着実に死に向かっている
姿を見ることでした。育児は子どもの成長という喜びがありますが、介護は、
毎日悪化するので、結果が見えない家族ケアでした。
また、父の死を子どもたちがどのように受け止めるかも心配の一つでし
た。それは杞憂でした。子どもは意外とたくましいものだと学びました。
18
育児および介護休暇の時期
西暦/項 1995
目
1996
職名
教務職
員
育児
③
介護
長女誕
生
1997
1998
1999
2000
2001
助手
長男誕
生
実母
実父
①
②
最後に育児と研究の両立についてお話したいと思います。
育児はそれだけでも多くの事柄がありますので、今日は、病児保育と子連
れ海外出張の2点に絞って、お話させていただきます。
19
病児保育
• 8:00∼17:50(お迎えに遅れた場合,ペナルティあり)
• 最大,連続する3日間
• 個人病院
– 1階,普通の内科小児科
– 2階,デイケア
• 予約制
– 予約時間:前日8:30∼18:00,当日7:00∼
• 定員8名
• 保育料金1日3,150円(食事おやつ代込み)+診察代+薬代(薬は
持ち込み可)
• 対象:6か月∼小6
– 高熱(37.5℃以上)の場合は預かることはできない。
– 冬はインフルエンザの予防接種をしていないと預かることはできない。
子どもが病気のとき、どうするか?
それは今日でも、働く母親にとって大きな問題です。
病児保育は現在、市単位で行われていますが、私がお世話になったの
は、クリニック併設の病後児保育です。息子は、通算100回ほどお世話に
なりました。
前日もしくは当日予約を入れるのですが、最大で連続3日までしか診て
もらえません。でも、たいてい3日もあれば、熱は下がるものです。費用も
リーゾナブルで、とても助かりました。
20
病児保育1日の流れ
時間
8:00∼8:20
内容
1階で診察を受ける。
8:20
2階デイケアルームに入室
10:00
病状に合わせておやつ
11:30
病状に合わせた給食
12:00
医者の診察後,昼寝
15:00
午後のおやつ
16:00
洋服に着替えて,お迎えを待つ,遊ぶ,DVDを見る
17:50
お迎え最終時刻
13:00∼14:00 保護者からデイケアに電話する。病状や
様子を説明してもらえる。
このクリニックの先生は、実は千葉大学の卒業生です。非常に評判がよ
く、口コミで広がり、都内からいらっしゃる方もあったようです。対象は生後
6ケ月から小学校6年生まで。6ケ月未満の新生児は要相談となっていま
す。最初は、軽い症状で連れて行き、逆に感染したりしないか心配だった
のですが、そんなことはありませんでした。
決まった時間に、こちらから電話をして、子どもの様子を伺うシステムに
なっているので、安心してお任せできました。 息子は利用頻度が高かっ
たこともあり、この保育所が大好きです。
21
子連れで海外出張
• 1週間の長期間,夫(メーカー勤務)が早く帰
宅して,子供のお迎えや家事育児をすること
はできない。
• そのときの国際学会は,ベビーシッター会社
の紹介を行っていた。
• もともと国際学会は,欧米人は家族連れで来
る慣習がある。
子連れで海外出張することを決断
次に海外出張についてです。私が1週間出張する場合、夫が早く帰宅し
て家事・育児を担う事は難しいので、子連れで海外出張することに決めま
した。もともと国際学会は、家族連れで来る習慣があります。
初めての国際学会参加時には、ベビーシッターの紹介をしてもらえまし
た。ただし、利用したのは二人とも小学生になってからです。
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子連れ海外出張
• 私の場合は,子ども2人とも小学生になってから。
• 預け先
– ホテル内のキッズクラブ(ハワイ,タイ)
– ベビーシッター(フランス,中国)
– ホテルで子供だけ(姉が中学生になってから,オース
トラリア,台湾)
• 事前準備
– 現地の情報収集(どのホテルにキッズクラブがあるか,
ベビーシッターを紹介してくれるホテルは?それらの
ホテルと学会会場の位置関係,日本でWebなどで予
約できるかどうか?)
• 海外で使用可能な携帯必須
預け先はその時々に応じて異なりました。ハワイやタイでは、ホテル内に
キッズクラブがありました。ベビーシッターを利用したこともあります。子ど
もの成長にあわせて、部屋で子どもだけで過ごさせることもありました。学
会のランチタイムが日本に比べて長いので、私はホテルに戻って子どもた
ちと一緒に昼食をとることができました。息子は、当時流行り始めたゲーム
(Wii)に保育してもらったといってもよいでしょう。
事前準備としては、現地の情報をたくさん収集することです。キッズクラブ
情報は自分でWebで探さなくてはなりません。現地サイトには情報がたくさ
んあり、ベビーシッターを紹介してくれるホテルもありました。
23
キッズクラブ
•保育時間:おおよそ9:00∼17:00
•保育料金(ランチ代含む)はルー
ムチャージで
•キッズメニューのランチセット3種
類ほど
•水族館や動物園などの遠足があ
るクラブもある(ハワイなど)。
•Tシャツなどお土産をくれるところ
もある(ハワイ)。
•外国人の子供と遊ぶことができる
利点あり。
バンコクのキッズクラブ
これはバンコクのキッズクラブでの写真です。中央が息子、背の高い男
性が保育員の方です。
ハワイの場合は、水族館や動物園などに連れて行ってくれるところもあり、
親が仕事している間、子どもが喜んでくれるので助かりました。
息子は片言の単語しか話せなくても、外国人の子どもたちと一緒に遊ぶ
という息子にとっても貴重な体験ができました。
24
ベビーシッター
•
たいてい日本で予約はできない。
– ホテルの場合,チェックイン後ならば
予約可能。
– 現地の電話帳でシッター会社を探し
たことも。
•
大学生かホテルのスタッフ
– どんなシッターさんが来るかは運次
第
•
•
•
ホテルで保育
色鉛筆など持ってきてくれることも
ある。
外国で大事な子供を預ける不安や
心配
– 朝話した時の第一印象で判断
•
保育料金が難しいことも。
– フランス:基本料金+α(αは保護者
の判断)
マリー(トゥールーズ,フランス)と子供たち
ホテルにチェックインしたら、ベビーシッターを予約しなくてはなりません。
どんなシッターさんが来るかわかりませんので、私は、朝、お話した時の第
一印象が良いかどうかで判断していました。
保育料金については、難しいこともありました。フランスのシステムは、基
本料金に加えて親が決めた保育料を支払うシステムです。写真のマリーさ
んは、子どもたちと気があったようで、仲良くなりました。
25
介護・育児を通して考えたこと
• 今この時が,最も重要。
– 今やれることは今やる。
• 人生の豊かさ(幸せ)は,体験で決まるのでは
ないか?
→私たちは体験によって多くのことを学ぶ。
研究プロジェクト
自分の興味や関心事など
最後に、育児・介護を通して考えたことについてお話します。
私は、「今、この時が最も重要」と思いました。つまり、今やれることを、今
やるのです。将来のスケジュールは、本当に行えるかどうか分かりません。
そして、私たちは体験により多くのことを学びます。だから、人生の豊かさ、
幸せは、体験で決まるのではないか?と思いいたりました。
26
普段気をつけていること
• 書類の締切日は,1∼2日前に設定する。
– 子供の病気,親が倒れるなど,いつ何が起こるか分
からない。
• 家事の効率化
– 食材は宅配利用
– 子供たちにお手伝いさせる。
• 何でも完璧主義にならない
– 優先順位
– 平日週1回は出前や買ってきた惣菜
– たとえば,23:00(0:00)になったら時間切れというこ
とで寝てしまう。
そこで、具体的に申しますと、書類の締切日は1∼2日前に、設定してし
まうのです。いつ何が起こるかわからないので、ギリギリになって出来ない
という事がないように。また、家事の効率化ということでいえば、私は食材
の宅配を利用しています。これはまず材料を買いすぎることがない、献立
に悩む必要がない、栄養のバランスがよい、珍しい調味料などは必要な
分だけ付いてくるので無駄がない。さらに、子どもたちに手伝わせることで
楽になってきました。今では風呂掃除など進んでやってくれます。
大切なことは、完璧主義に陥らないということです。私は普段から、優先
順位をつける、平日週1日は手作りをお休みする、就寝時間を決める、と
いう3点に気をつけています。
27
考えはこう変わった!
• 最初,介護や育児はプライベートのことなの
で全く個人的な問題であると思っていた。
• 学会で,男性若手研究者に育児と研究の両立
のことなど聞かれる。
•介護や育児は,100%プライベートなことではないので
は?多くの人が悩んでいるならば,パブリックな問題。
個人が解決したら,社会に還元
できる。
私は、そもそも介護や育児は個人的なことであり、人にお話するようなこと
ではないと考えていました。でも、学会で複数の男性研究者から、「育児と
研究をどうやって両立しているの?」など、両立について聞かれることが増
えてきたのです。そこで考えが変わりました。多くの人が悩んでいるのであ
れば、これはパブリックな問題ではないかと。だから、個人が解決したら、
社会に還元できるのだと思うようになったのです。
28
人生の岐路に立った時
• 研究は理論に基づいているので,頭で考えて
結論を出すことができる。
• 人生の選択は,頭で考えても分かるものでも
ない。
•腹で考える!
そこで、皆さんにお伝えしたいことは、人生の岐路に立った時には、「腹で
考える!」ということです。日本語には、「腹」に関係した大事な表現がいく
つかあります。たとえば、「腹づもり」、「腹を決める」、「腹を括る」などで,
つまり「覚悟を決める」という意味です。研究は理論に基づいているので、
頭で考えて結論を出せます。でも、人生の選択は、頭で考えてもわかるも
のではないのです。だからこそ、腹で考えるのです。
29
ご静聴ありがとうございました
台南(台湾)に子連れで出張したときのワンショット
今日は、私の経験を皆さんにお聴きいただきました。さきほど述べました
ように、私の経験から何かヒントを得ていただければ幸いです。
なお、この写真は、台湾に子どもと一緒に出張したときのスナップです。
同行した研究者が新幹線を前に撮ってくれました。
ご清聴ありがとうございました。
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