税理士試験 合格までの道のり! 栗山一税理士事務所 代表 栗山 一 晴れて官報合格! 平成12年12月12日、珍しくも1・2、1・2の横並びの日、私は税理士試験の官報合格をす ることができた。正直なところ、「嬉しい!」というよりも「良かった、ほっ!」という感じである。 これからは自らの使命を少しは果たせるのかなと思ったのだった。 「うん、使命?、使命って何?」 税理士は、その使命として弁護士と同様に、業法である 税理士法第1条において、「税理士は税務に関する専門 家として、独立した公正な立場において申告納税制度の 理念にそって、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関す る法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを 使命とする」と記されている。 つまり、高い公正性を担い、職業倫理を必要とする職業なのである。 私自身の倫理観がそれほど強いということではないし、私自身はどちらかと言えば、結構 アバウトなタイプの人間である。ただ、自己実現の場としての「税理士」という職業を考える とき、これから向える未来に思いを馳せながら、自分の使命を少しだけ考えたのである。 - 1 - バブリーな学生時代 時あたかもバブルの時、私は世間で「モラトリアム」という言葉で表現されていた学生時代 を過していた。そして、私の在籍していたのは、実社会においてはあまり役に立たないで あろうフランス文学科だった。高校時代に、「やっぱり、わざわざ大学で勉強するなら、答 え自体があんまり明らかでないようなこと、自然科学や社会科学のような実学ではなく、 『人間』を学問の対象とする人文科学を勉強しよう!」と考えた。特に語学に興味を持って いた私は、新たな挑戦として「英語以外の外国語を勉強しよう!」と思っていて、フランス 文学科に在籍していたのである。 「フランス」・・・。文化と芸術の国、人権と個人主義の国、そして普段は表には現れないラ テンの激しい血、そう、フランスにはアメリカにはない、そして、ヨーロッパの国々とも違う、 「ゴールの国」としての独特のものがある。そんな単純めいた思いで、「Bonjour!」と 「Merci!」ぐらいしか知らない私は、フランス文学と哲学を勉強していた。 そんなこんなで学生時代は、友と酒を酌み交わしながら、文学・哲学・芸術を語り、気が付 くと「そこはもう朝!」という、すっかりデカダンな生活を送っていたが、大学3年にもなると、 少しは将来のことも考え、「フランス語でも勉強してくるか」ということで、1年の休学をして、 フランス留学なるものに出発した。 初めて乗る飛行機で、初めての一人暮らし、しかも外国ということで、多少は語学をかじっ ているとはいえ、その時はかなり緊張して、ドギマギしたものである。しかも、相手の話が良 くわからない!「おいおい、こりゃ、大丈夫か?」という感じで、自問自答していた。しかし、 しばらくするとすっかり慣れ、コロッと変わり、まるで以前から住んでいたかのように、すっ かりフランス人に化していた。 そんな風に、時は過ぎ、日本のバブルがもうすぐ弾けてしまう平成元年に帰国した。私は できれば進学したいと勉強をしていたが、経済的事情により就職することになり、当時の 売り手市場の就職活動の中で、「パリに赴任できますよ」という甘い言葉を信じて、フラン スの外資系銀行に就職した。 - 2 - 似合わない銀行時代 入社当日、長髪だった私は、スーツを身にまとい、あまり新入行員には見られないような いでたちで、出社したのであった。配属先は資金管理課。市場での資金調達や為替に関 する大きな枠組みの指示と細かい管理をする部署である。この配属も、ニュースや写真で 見る「ディーラーのような仕事がいいかな」というイメージで希望していたのである。というこ とで、自分ではそこそこ考えていたつもりであったが、やはりあまり深く考えずに職業を選 択してしまったのかなと思う。 そんなこんなで、速くも3年以上の時が過ぎ、「このままでは フランス赴任も年をとってからになってしまう!」と判った私は、 「できればフランスで仕事がしたい」と強く思い始めた。 そこで、各国の在外公館で働ける可能性があるという情報を えた私は、当時たまたまパリにある日本国大使館で募集をし ていたので、その外務省関連団体の試験を受けてみた。 全く試験対策などをしているわけでもなく、また、パリ以外にもセネガルやカンボジアに欠 員があったにもかかわらず、何故か運良く第1希望の在フランス日本国大使館への派遣 が決まったのだった。 - 3 - フランス時代 そのことにより、私は平成6年3月にパリの日本国大使館の総務に派遣され、や はり総務という関係上色々な仕事をすることになる。今もそうであろうが、当時 のパリの日本大使館は大使館関係者の来訪者数が日本の在外公館の中で世界第2 位であり、国会議員などもかなり多かったので、それらの方々のお手伝いを中心 を行っていた。 その中でも、私の任期中の最大のイベントは、やは り天皇皇后両陛下のフランスご訪問であった。 私は天皇皇后両陛下の訪問準備室に配属され、仕事 をすることになった。かなりキツイ仕事だったが、 フランスでの任期中の一番印象深い仕事であったと 思い出される。トゥールーズへの出張や大使公邸で の天皇皇后両陛下のレセプションなどは特に思いで深いものがある。 また、その他にも任期中にリヨンサミット等の受け入れの仕事もあり、なかなか 日本では経験できない仕事に携われたと思う。 - 4 - 税理士試験に突入! その後、私は任期を終えると、家庭の事情により日本に帰国することにした。しかし、今度 はバブルがはじけて、平成不況の真っ只中の折、そんな簡単に今まで以上の仕事が見 つかる筈もなかった。当時私はすでに民間会社と公的機関に勤めたので、から、今後は できたら自分で生計を立てられるようになりたいと帰国前に考えていた。 しかし、私にはそんな突然の商才もないし、アイデアもない。 果てどうしたものかと考え、「できたら資格をとってやっていきたい」「やはり自由人として仕 事をやっていきたい」という気持ちの中で、帰国したのだった。 その時点では、「社会保険労務士」の資格取得を考えていたの だが、帰国して税理士の知人に会って話をしていると、「『税理士』 という資格・職業はやりがいがあるよ」と言い、「うーん、そんなもの なのか」と想い、税理士試験が「司法試験」や「公認会計士試験」 のように少ない合格率での合格か不合格かという試験でない、科 目合格制を採用している国家試験であることを考え、「まぁ、地道 に勉強していけば、自分にも何とか出来るだろう」と思い、税理士 試験の勉強を始めることに決めたのである。時すでに31才の春で ある。 - 5 - 初めての税理士試験! 勉強を始める時に、ひとつ気になった点があった。それは受験資格のことである。私はフ ランス文学科の卒業であり、法律学などの社会科学系の科目で、税理士試験の受験資格 に該当するようなものは「経営学」ぐらいしかなかったのである。もし、その「経営学」で受 験資格を得られないようだと、日照簿記検定の1級や全経上級を取得しなければならず、 最初の受験を1年間遅らせる必要がある。だから、その「経営学」の単位で税理士試験の 受験資格を果たして得られるのか、とても不安だったのである。国税庁の担当部署に電話 で問い合わせてみると、「成績証明書などの履修内容が判るものを送付して下さい。」との こと。そこで、私は成績証明書を同封して国税庁に送付し、しばらく過ぎると、国税庁の返 答は「OK!」ということで、私はその年、平成9年4月、簿記は3級から、そして、消費税法 はその年8月の第47回税理士試験を受験するために、勉強を開始した。 簿記は銀行にいる時分、会社の研修として水道橋に簿記3級の講座に行ったが、授業 があまり面白くなかったので、途中で抜け出しては、同僚と飲みに行っていた。実際の仕 事ではたまに伝票を起票するぐらいで、簿記の勉強をしっかりとはやったことはない状態 だったのである。だから、4月から簿記3級を始めたが、到底その年の税理士試験に受験 できるようなレベルに到達することはできないということだったので、簿記論と財務諸表論 は翌年の平成10年の第48回の本試験から受けることにし、その年平成9年9月から簿記、 財務諸表論、そして法人税法を勉強することにした。 日本に帰国後は、父親の経営する小さな設備会社で仕事をすることになり、生計を立て ることが出来た。そこで、なんとか早く短期間で税理士試験に合格したいという気持ちから、 その年受けることにした消費税法は、ゴールデンウィークの休みなどにビデオブースを1 日3コマ受講したりして、早く授業に追いつこうとした。その結果、消費税法のインプットは 6月前には終えることができたので、計算問題はそこそこ出来るようになったが、やはり問 題は理論の暗記ということになるのであった。特に消費税法の条文は要件が多く、条文自 体が長くなりがちである。結構イメージで適当に覚えていると、要件が一つ飛んでしまうよ うなことがあったりした。そして、その年の税理士試験において感じたことが、情報の大切 さである。結局、私はその年消費税法をビデオで全部受講したのであるが、初めての税 理士試験でもあり、ビデオということもあり、教室で他の受講生と一緒に答案練習を受けた こともなかったので、「税理士試験」というものがどういうものなのであるかということが実感 としてやはりわからなかった。本試験においては、多少なりとも書ける理論が出て、計算で は知らない論点は1箇所だけの出題であったが、税理士試験では「どう考え、どう問題を 読み、どう解答するのか」ということが、本質的に全く解っていなかったと言っていいと思う。 この「税理士試験とは?」ということが実感として解ってくるのは、実はその翌年の48回の 本試験を受験した後になるのであるが・・・。ということで、消費税法の理論は個別理論20 題強位であろうか、6月から7月にかけての付け焼刃で覚えたものである。 - 6 - 本試験は運良く覚えた理論で、ある程度書ける問題であったので、その時は「よし!」と思っ たものである。 しかし、本試験後の解答速報会に出席してみると、自分の全く知らない論点が理論・計算 ともに合格への課題となっていた。そして、その年の結果は案の定不合格となる訳である。 合格発表の時は、各専門学校においては基礎期の最終講義の頃だから、教室では明暗 クッキリということになる。その時には私は、既に簿記論、財務諸表論、法人税法を勉強し ていたから、前年からの受験経験者で同じ講義を受講している人が合格する姿を目にす ることになった。しかし、その時点では「これから、これから」と自分を励ましていた。 消費税法の試験を受けてみて、その時の自分の考えは、 「税法はやっぱり理論で決まる!」ということだった。 もし、「本試験で自分の書けない理論が出たら・・・!」そう、 それは即座に不合格を意味することに思えた。だから、私は 法人税法の基礎期において9月から12月ぐらいまで、授業 の進行よりも若干速いペースで理論を覚えていった。 しかし、まぁ、当然のごとく覚えたとたんに忘れていくし、理解 しないで覚えていくものだから、苦行のような日々だったが・・・・。 - 7 - 税理士試験の厳しさ そんなこんなで年が明け、何とか授業にもついていくことができ、学校でもたま にはそこそこの上位グループに位置することも出来たりした。5月からは消費税 法の直前期の通信コースも受講し、自分なりに第1順位法人税法、第2順位財務 諸表論、第3順位簿記論、そして第4順位消費税法という優先順位を付けながら、 勉強していった。全部とは言わないまでも、何とか法人税法と財務諸表論くらい には合格したい、とにかく大変な科目を早く切上げたい、そして、出来ることな ら実力を充分に発揮するため、万全の体制で受験したいということで、その年は クーラーの効いている名古屋で友人と受験することにした。前年の早稲田大学で の受験は、解答用紙が汗ばみ、汗が滴ることに注意が行ってしまったというチョッ トした反省点があったのだ。だから、気持的には出来ることは、やるだけやろう という感じだった。 その頃の私の愛読書は「合格体験記」だった。他の人の合格体験記を読むことで、 合格するためには何が必要かをよく考えていたし、勉強に疲れてイヤになると、 気晴らしにパラパラと頁をめくり、また、やる気を出すという繰り返しだった。 その合格体験記の中で、私がその年以降本試験において繰り返していたのが、イ メージトレーニングである。スポーツ選手がよくやるという「あれ」である。特 にオリンピック選手などは4年に1回のチャンスしかなく、選手生命を考えたら、 一生に1度というチャンスかも知れない。その中で自分の実力を全て出し切らな ければならないのだ。そのためのイメージトレーニングである。そもそも、本試 験において自分の実力以上のものを出せることは出来ないであろう。自分の実力 を100%発揮することは稀であり、極度の緊張感では自分の実力以下の解答が普通 であろう。当然、出題の運も実力のうちだが、それを味方に出来るかどうかもま た実力の一つである。だから、私は試験が近づくにつれて、何回もイメージトレー ニングを繰り返した。 「席につく。時計やペン・計算機等のチェック、そして、受験票をセロテープで 机に張る。そこで、軽く喉を潤して、気持ちをリラックスさせながら、試験に集 中していく。しばらくすると、試験問題が配布される。若干焦る心を抑えつつ、 理論問題を透かして見る。そこで読めれば、解答の柱を考える・・・。」 「始めて下さい。」の試験開始の合図。まずは理論問題を目視でキチンと読む。 そこでは、理論問題を一読するだけで、次に計算問題のページを軽くめくりなが ら、大体何が出題されているのかを最後まで見る。次に理論の解答用紙の枚数を 数え、計算の解答用紙の形式を確認する。ここまで30秒位であろうか。この作 業は、本試験においてはどんな問題でもやるようにした。でないと、試験問題に 対する解答の全体のバランスが把握できないからだ。 - 8 - 税理士試験は落すための試験である。官報合格者数の枠は毎年大体1,000人強で決 まっていると思われる。そして、その合格枠があることにより、各科目の合格率 も変ってくるであろうと私は考えている。だから、税理士試験は合格させるため の試験ではないし、本当の競争試験なのである。 出題の全体像を把握して一息ついてから、今度はキチンと理論問題を読む。1回 目で頭で論点を理解し、解答の柱を考えてみる。しかし、まだ書かない。もう一 度注意深く問題を読む。考えた解答の柱でよいか確認するために、問題用紙にに 解答の柱を書いていく。そして、書いた解答の柱を見た上で、再度問題を読む。 本当にその柱でよいのか自問自答して、よければ、ここで初めて解答用紙に記述 していく。 本試験において理論の解答を記述しながら、その時理論構成を失敗したことに気 付いても、それはもう手遅れだろう。そのような解答は基本的には限りなく合格 に遠ざかってしまう。だからこそ、問題の読解に3回は熟読して、理論問題2問 につきそれこそ2分ぐらいの時間をかけて欲しいと思う。 「2分?」 「えっ、そんなに?理論問題を書く前にそんなに時間をかけていたら、ただでさ え問題の量が多いんだから、計算問題とか残りの時間が足りなくなっちゃうよ!」 と考える人もいるだろう。しかし、本試験において自分で2分間の時間をかけよ うと思っても、そんなに実際はかかっていないと思う。極度の緊張と焦りから、 多分1分ぐらいであろうか。しかし、大切なのは、予めそれぐらいの時間をかけ ようと思って、余裕を持って望むことである。そこでつまづいてしまっては、残 りの1時間58分の結果が自然と違ってきてしまうのではないだろうか。ここは 一つ、「急がば、廻れ」の精神で、進んでいきたいものである。 そうやってはみたものの、その年の結果は消費税法のみの合格であった。やはり、 簿記論、財務諸表論、法人税法と、全然解らない論点が程度の差こそあれ、出題 されたのである。 受験予備校の試験と本試験の圧倒的な違いは、本試験では受験生が全く解らない であろう問題が当然の如く出題されるということである。受験予備校の問題は、 ある意味学習した知識の習得度を図る意味合いで、学習した論点が視点を変えな がら出題されている。だから、問題文も学習した論点をベースとしており、読み 慣れてくると自然と頭に入ってくるようになってくる。しかし、本試験は違う。 本試験の問題文は、時には一読だけでは全く判らないような文章で記述され、そ の結果、緊張感の中で頭がパニックしてしまうようにイジワルに記されてもいる。 しかも、受験生では勉強していないであろう論点も出題されるのである。だから、 本試験では解らない文章が出てきたとしても焦らず、冷静に対応していくことが 大切である。 - 9 - 天王山! 消費税法では、運良く理論もそこそこ書け、計算も納付税額を合わせる事ができ たので、合格することができたが、自分としては「こんなに勉強しても合格は一 つだけなのか」と税理士試験の厳しさを噛みしめたのである。 その年の本試験終了後、試験結果によって勉強する科目の選択が変ること、そして、税 理士試験に合格するためには、法人税法と所得税法のいずれかには格しなければなら ないことを考え、所得税法を年内に一通り終了することができる講義を受講した。そして、 消費税法のみの合格を受けて、翌年の49回の試験においては、簿記論、財務諸表論、 所得税法、法人税法の4科目を受験することに決め、気持的には「今年で官報合格だ!」 を目指して、勉強を再スタートした。ここでも大切に思っていたのが、合格に対しての受験 科目の優先順位である。前の年において最低順位であった消費税法が合格したように、 やはり試験は下駄を履くまで分からない。だから、ダメもとでも受験しなくては合格率は0 なのだから、要点を絞ってでもいいから少なくとも本試験は最後まで受験して欲しいと思う。 さて、この年の優先順位は、第1順位法人税法、第2順位所得税法、第3順位財務諸表 論、第4順位簿記論とした。先に税法科目に合格して、最後に会計科目、特に簿記論が 残ると気持的にも結構辛いと良く言われていて、まさにその通りなのであるが、簿記論に ついての当人の合格率は本試験の問題の内容にかなりによると思われたので、何とか先 に実力の維持を図るために時間を要する税法の選択必修科目をやっつけたいと思った のである。だから、勉強時間の比率で言えば、法人税法4割、所得税法4割、財務諸表論 2割くらいであったろうか。簿記論については、直前期において自分で各論点の復習、弱 点克服のための個別演習と全国模擬試験を受験したぐらいである。だから、「本試験の問 題が自分の相性と合えば、ラッキー!それなら、勝負になるかなぁ」と思っていた程度だっ た。そして、あくまでも今年の官報合格を目指して、3回目の受験に突入していった。 試験会場に着くと、「受かるのは自分だ」と毎回常に自分に言い聞かせながら、席に着い たものだった。そして、自分が理論問題をそこそこ覚えてくると、本試験の理論問題はAラ ンクからは出ないようにと思っていて、それこそ、「Cランクぐらいから出ないかなー」と思っ たものである。 「何故って?」 「Aランクだったら皆書けてしまうから・・・。」 でも、Cランクぐらいだと全員が全員書けない理論になってくる という訳だ。 税理士試験は各科目合格率10%の競争試験。ということは、 合格したい人は合格したい科目にそれなりの準備をしてくる ということでもある。それは、10%位の人はCランクの理論でも しっかり覚えてくるということを意味している。だから、合格した い人ほど理論の穴を作らないような勉強をしてくるのだ。 - 10 - その年、私は想定問題を法人税法70題、所得税法45題くらいを覚えて、受験会場に向かっ たと記憶している。 第1科目目での簿記論での大切なことは、「問題を捨てること」である。毎年の簿記論の 模範解答と解説を読めば解るように、合格点はひどい時は40点、良くて60点位であって、 平均しても50点ぐらいであろうか。 つまり、解答できる問題は限られているということを意味している。それは、自分では幾ら 時間をかけても出来ない問題、講師でさえ制限時間内の正答率が低いような問題をやら ないということである。「これくらい知っている」と思うかも知れないが、受験予備校で出来る 問題を解答できることに慣れてしまうと、本番において自分が出来ないことに非常に焦る のである。だから、簿記論の問題に関しては、「点を捨てる勇気」を持つ事が合格への試 金石であると思われる。私の簿記論は優先順位では第4順位であったが、「出来ないとこ ろを見極めて素直に捨てよう。そして、出来ると思うところには思い切って時間を使おう!」 と思いながら、そのように事実解答してきた。だから、試験終了後は、「出来た!」とは思え なかったが、自分で出来ると思われたところは埋めてきたので、「まぁ、そこそこかなぁー」 と感じた。 次の財務諸表論がひどかった。理論はそこそこ埋めることができたが、計算が全くといっ ていい程わからない。思わず、「皆、どうしているんだ」という感じで、周りを見渡して、思考 が止まったくらいだ。自分の手応えでは「計算問題50点中10点も取れていないんじゃない か」と思うくらいであった。解答速報で今までの税理士試験の財務諸表論で最も難しい問 題と言われたが、そんなことはもちろん励ましにもならず、「ダメだ、こりゃ。また、来年も財 表か。」という感じであった。 次の所得税法は、今の本試験では2日目の第3科目目になっているが、当時は2日目の 第1科目目だった。所得税法は1年目の科目であり、自分でもそこそこの勉強もしたし、全 国模擬試験でも名前が載ったりもしたので、自分では「合格レベルにいるんだから、合格 するぞ!」という意気込みだった。ただ、最近の所得税法の本試験はかなり試験委員の色 が現れている。この年の試験委員の計算問題は、前年から個別計算問題形式で出題さ れており、もし本番で例年にない出題形式だったら、自分自身「かなり戸惑うよな」と思っ たものである。そして、試験後、模範解答を確認すると、自分の解答があいにく理論で若 干論点を外しているようだった。「うーん」という感じだった 次の法人税法では、なんと理論が2問ともAランクの問題である。こうなると後は「ヨーイ、ド ン!」の世界である。理論を書きながら、他の人がどの時間まで書いているかを目と耳で 把握する。私は結局書けるまで書くという感じになって、解答用紙の5枚終り近くまで書い てから、計算勝負ということになった。いつものように問題の取捨選択をする。問題を一瞥 して捨てるなら、まず貸倒引当金、次に受取配当等の益金不算入と決める。何故なら時 間がかかる割に調整額が一つしかなく、得点箇所は少ないであろうと考えていたから。本 試験終了後、自分ではそこそこ出来たのではないかと思うが、それは皆が同じように思っ ていることである。やはり、勝負は結果が出るまで分からないという風に思えた。というのも、 法人税法ほど勝負に辛い科目はないと思っているからだ。まず、選択必修であるから、受 験者の受験への取り組む意識が違う。 - 11 - 簿記論・財務諸表論は、簿記検定を終えた人も大勢いるし、税理士試験の導入科目であ るため、そんなに真剣でない人が受験することも多い。また、消費税法もボリュームが少な く、一番身近な税であるため、「税法ってどういうもの?」を知る上で取り組みやすい。しか し、法人税法、所得税法は選択必修科目であり、これらの科目合格を目指す人は、すな わち「税理士」になりたい人なのである。だから、受験者数が多く、その上受験経験者の 猛者どもがいる法人税法の1点の中には、ひどい時には何百人という人達が競争してい るのではないか?それほど合格に厳しい科目であると言える。 - 12 - リーチ! 本試験が終り、その後は合格発表まで相続税法の基礎と自分で若干不安だった所得税 法の復習をやっていた。そして合格発表の日、私は郵便を待っている気分でないため、L EC池袋校の自習室で勉強をしていた。その時である。携帯電話が鳴り、出てみると妻の 声だった。 「白い封筒が来てるよ。」 「あっ、そう。」(当然のことだけど、官報合格ではないよな) 「白い封筒を透かすと『ゴウカク』の文字が3つ見えるよ!」 「えっ、うそ、3つ?ちょっと待って。えーと、その上に科目名が書いてあるでしょ?封筒を 開けて、科目名を言ってみて。」と矢継ぎばやに聞く自分。(自分の方が落ち着いていな い) 「えーと、簿記と財務諸表論、そして法人税法って書いてあるよ!」 「えっ、ホント。あっ、そう。やったよ、やった!よかったよ!直ぐに家に帰るわ!」 正直、「よかった、よかった、本当によかった」と思えた。そして、家に戻って、3科目の合 格をこの目で確認した。この時が、税理士試験の受験中において一番嬉しかった時であっ た。 実は私は、この年の本試験終了後、この年の結果が良くなければ、受験自体をどうしよう かと考えていた。「平成9年4月より2年8ヶ月が過ぎようとしている。それで、今回の結果が、 前の年の消費税法の合格のほか、1科目程度の合格であれば、年令や将来的な事を考 えると受験を止めようかと考えていたのである。そして、そもそも自分に税理士試験合格の 能力があるのかとも思っていた。だからこそ、今回の3科目合格ということで残り1科目にな り、これなら何とかなると思えて、俄然ヤル気が出てきた - 13 - 最後の試験! 翌年1月からは税理士事務所に就職して実務に就きながら、最後の1科目の合格 を所得税法と相続税法の受験で目指した。 毎度の優先順位は、今回は第1順位が所得税法、第2順位が相続税法である。 本格的に勉強するのは5月からの直前期であったが、 最後の1科目 最後の1科目 それま でも週1回程度の演習問題はこなしていた。 この年の受験で4回目の本試験である。前の年には、娘が 生まれ、私もパパになっていた。すでに「税理士試験」の なんたるかは判っている。「この試験を最後にして、何と かアガらなくてはいけない。」こんな気持ちで、本試験に ぶつかっていったのである。 本試験においては所得税法も相続税法もほぼ満足のいく解答が出来た。だから、 解答速報会に出席して、解答解説に触れながら、「まぁ、一つは大丈夫だろう」 という感じだった。だから、合格発表の際に「ホッ」とした気持ちだったのであ る。 これで、何とか私の税理士試験を終えることができた。私の税理士試験の戦歴は 11戦6勝5敗で辛うじて勝ち越すことが出来たが、一番大事なのは、5つに勝利 することである。私も相続税法以外は全て2回目の合格である。負けてこそ勝負 のツボが分かるのである。今の税理士試験で、5科目一発合格者が長いこといな いことは有名であるが、それと同じく、一科目も失敗することのない、5科目ス トレート合格などという人は皆無だと思う。いや、いるとするならいてもいい。 ただ、それよりも大切なことは短期合格なのだから、可能であれば多科目受験に 挑戦しよう。何故なら、試験に落ちないことよりも、短期合格して早く「税理士」 になることが一番意味のあることだから。 - 14 -
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