社会自由主義国家―ブラジルの「第三の道」

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ラテンアメリカ・カリブ研究
『社会自由主義国家―ブラジルの「第三の道」』
(新評論、2014 年)- 立命館大学・小池洋一
日本を含めて世界は金融危機、経済停滞、失
業、貧困、格差、地域経済の衰退などに直面し
ている。これらの問題は市場に過度な信頼を置
いた新自由主義と、それが加速した経済自由化、
グローバル化によって引き起こされ、現在では
問題を救済、軽減するため、あるいは感情的な
反動として、国家の経済への介入が強まってい
る。市場が不完全な制度であることは明確であ
るが、他方で国家の過度の、あるいは誤った介
入が非効率、不公平、モラル喪失を引き起こす
制度であることもまた事実である。そこで市場
主義、国家主義を超える開発モデルが求められ
ている。ブレアの「第三の道」はその一つであ
るが、それは基本的には新自由主義であり、新
要するには、ブラジルは、市場か国家かいう
自由主義が引き起こした問題を解決することは
従来の二項的な議論を超えて、市場、国家、市民
なかった。
社会からなる多元的な経済制度を追求し、その
ブラジルの「社会自由主義国家」
(Social Lib-
具体的で革新的な制度を生み出しているのであ
eral State)はもう一つの「第三の道」とも呼ぶ
る。ブラジルの挑戦は、国家、市場がともに十
べき開発モデルである。それは、イノベーショ
分に機能しないなかで、開発途上国だけでなく、
ンを通じて経済をグローバルな市場に統合する
日本を含む先進国の経済政策、制度設計にも多
一方で、教育、社会保障などの社会政策、科学
くの示唆を与えると考える。本書の目的は、こ
技術政策を国家が担う経済体制である。国家は
れまで体系的に論じられることがなかったブラ
引き続き社会、科学技術政策の資金の大半を支
ジルの「社会自由主義国家」とその制度を解明
出するが、それらの実施は「社会組織」
(social
することである。それは、開発論、経済体制・
organization)と呼ばれる非政府、非営利組織に
制度論研究と、政策と制度構築に寄与すると考
委ねられる。行政については、財政規律、効率
える。
性、透明性などが重視され、また国民投票、参
本書は三つの部分から構成される。はじめに
加型予算など市民の政治参加制度が導入されて
第 1 章ではブラジルの開発政策の変遷と「社会
いる。経済自由化に伴い市場の役割が強まった
自由主義国家」の成立を議論する。国家の強い
が、企業セクターは社会的責任を強く求められ
介入による開発 (輸入代替工業化) とその帰結
ている。さらに、第三セクターとして協同組合、
(債務危機、インフレなど)
、市場原理による開
労働者自主管理企業などの連帯経済あるいは社
発(経済自由化)とその帰結(金融危機、失業、
会経済の創造、強化が進められている。
社会格差など)
、これら国家主義、市場主義の行
著者自身による新刊書紹介
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き詰まり、破綻を踏まえたブラジルの「第三の
いる。労働政策では、全体して雇用の柔軟化を
道」とも呼ぶべき社会自由主義開発を論じる。
進めているが、有期雇用、成果給などが労働条
つづく第 2 章から 4 章では「社会自由主義国
件を悪化させ、企業のイノベーションの動機を
家」を支える制度を論じる。具体的には、参加
減殺するとし、多くの制限を加えている。これ
型予算、連帯経済、CSR(企業の社会的責任)で
ら科学技術政策、地域経済政策、労働政策と貧
ある。ブラジルを起源とする参加型予算は、代
困政策を、持続的で公正な成長という観点から
議制、官僚制が十分に機能せず、政治と行政が癒
論じる。最後にクリチバ市を例に都市政策を論
着するなかで、市民が予算作成に参加し社会資
じる。ブラジルでは人口の 8 割が都市に住む。
本を効率的、公平に供給する手段である。参加
都市は開発が引き起こした問題が集約的に表れ
型予算を国家と市民社会の共同統治と捉え、そ
る場である。その解決はブラジル社会に課され
の制度、持続性の条件を論じる。社会経済ある
ている。クリチバ市は社会政策の成功例として
いは連帯経済は国家、市場とは異なる第三の経
取り上げられるが、その虚実を含めて、その都
済セクターである。ブラジルでは協同組合、労
市政策を社会的包摂の観点から明らかにする。
働者自主管理企業などがその活動範囲を広げ、
本書の目的はブラジルの「社会自由主義国家」
政府、大学、労働組合、NGO などがそれらを支
を紹介することにとどまるものではない。ブラ
援している。社会経済、連帯経済の活動と、そ
ジルで進められている国家改革を通じて日本社
れらが国家、市場と並ぶセクターとなる条件を
会を照射し、ブラジルの経験から学び日本の改
論じる。CSR はブラジル企業によって活発に実
革に生かすことである。読者の多くは後進国ブ
施されている。その意義は否定できないが、利
ラジルから学ぶことがあるのかと訝るかもしれ
潤を追求する企業の社会活動には限界がある。
ない。これまでブラジルは決して学ぶ対象では
一部の地方政府、自治体では企業に社会活動報
なかった。「日本のブラジル化」と言った場合、
告を義務付けている。ここでは CSR を企業統
それは日本における貧困と格差の拡大、犯罪の
治から社会的統治へという視点から議論する。
増加などを意味していた。しかし、積極的な意
さらに第 5 章から7章では「社会自由主義国
味で「日本のブラジル化」が求められている。
家」の経済的基盤となる政策を議論する。経済
もちろんブラジルの改革はまだ途上にある。制
市場化は経済主体を短期的、機会主義的な行動
度には欠陥もある。社会問題は解決されたわけ
へと駆り立てる危険をもつ。それは経済の持続
ではない。にもかかわらず、ブラジルが挑戦し
的な成長を可能としない。「社会自由主義国家」
ている参加型予算、連帯経済などの改革、イノ
ではイノベーションとそれを通じる競争力の向
ベーションや労働政策などの政策からわれわれ
上が重視され、科学技術の振興を国家の役割と
は多くを学ぶことができる。「社会自由主義国
位置づけている。国家は、公的研究機関、公企
家」における国家と国民あるいは市民の関係も
業を通じて、農業、バイオ、石油開発、代替エネ
そうである。国民は決して国家(政治家、官僚)
、
ルギー開発などの分野で新しい技術を生み出し
企業に対しての従属的な存在ではない。労働力
ている。地域産業・社会の振興では、中小企業
の担い手として、消費者として、また有権者と
を中心とする企業部門、政府、大学、地域社会が
して主権をもつ存在である。日本ではしばしば
一体となった産業クラスターの創造を追求して
両者の関係が逆転している。法制度の不備ある
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ラテンアメリカ・カリブ研究
いは無効によって主権者として権利が侵害され
ている。膨大な政府債務の一方で続く無駄な公
共投資と官製談合、社会保障の破綻、フクシマ
原発事故と原発再稼働、特定秘密法案、イノベー
ションの停滞と産業空洞化、ブラック企業の跋
扈、商品偽装などはそれを象徴している。われ
われは、ブラジルに学び、政治、経済、社会の
あらゆる局面において主権を取り戻す営為が必
要である。
□
■
『革命キューバの民族誌―非常な日常を生きる
人びと』(人文書院、2014 年)- 大阪大学・田
沼幸子
本書は 2007 年に大阪大学に提出した博士論
文『ポスト・ユートピアのキューバ:非常な日常
の民族誌』を大幅に書き直したものである(以
後、
『革命キューバの民族誌』を単著、
『ポスト・
ユートピアのキューバ』を博論と呼ぶ)。以下
に単著と博論それぞれの章立てをあげる。
『革命キューバの民族誌』
序章
第1章「新しい人間」をつくる―フィデルと
チェの理想と現実
第2章 同志たちの愛と友情―創設フィク
ションとしてのキューバ革命
第3章 平和時の非常期間―ソ連なきあとの
非常な日常
第4章 ポスト・ユートピアのアイロニー
第5章 ディアスポラとしての「新しい人間」
―『キューバ・センチメンタル』とその後
第6章 アイロニカルな希望
第四章 非常期間
第五章 ポストモダンのシニシズム、ポスト・
ユートピアのアイロニー
第六章 アイロニカルな希望
単著の序章の導入部は、最後に一気に書いた
ものである。残りは、博論の第一章と第二章を
加筆修正した。単著の第一章は、博論の第二章
にあたる。
単著の第 2 章は、雑誌『リプレーザ』に掲載さ
れた論文を加筆修正したものである。実はこれ
は学会誌に投稿しようとしたが締め切りに間に
合わず、お蔵入りになったものだ。あまりアカ
デミックでない物語の記述をなんとか論文らし
い体裁に整えようとしたのだが、うまくいかな
かった。それが今回、革命家の特殊な物語とし
てでなく、民族誌の一部に組み込むことができ
『ポスト・ユートピアのキューバ』
たのが著者としては嬉しかった。この章は博論
第一章 革命という非常な日常
の第三章「新しい女と男」と、性やジェンダー、
第二章 非常期間までの革命
恋愛と友愛に関するエスノグラフィックな記述
第三章 新しい女と男
と分析がなされている点で共通している(ただ