第2642例会 - 大宮ロータリークラブ

ROTARY INTERNATIONAL D.2770
SINCE 1955
2008-09 大宮ロータリークラブ週報
2008-2009RI テーマ 「夢をかたちに」
会 長 李 東 建
会長:永嶋良一
副会長:岩井良彦
幹事:江本尚浩
クラブ会報担当:鈴木康男
発行 2008/8/20
第2770 地区テーマ 『 あなたが船の操縦者』
第3グループテーマ 『例会で会いましょう』
№ 2001 第 2642 例会 2008 年 8 月 6 日
Make Dreams Real
大宮ロータリクラブテーマ
「一期一会」
会長あいさつ
本日 戦争 知
者
大変恐縮
、降伏調印式
話
思
。調印式 戦
勝国
23 分間、敗
戦国日本
1 時間
28 分
。
日本
終戦記念日 、
現在玉音放送 行
8月15日
、
日本 占 領 下
1951 年頃
新聞紙上
9月2日 降伏 日 降
伏記念日 呼
。 、
戦勝記念日
降
伏調印式 行
9月2日
、1995 年 9月2日
対日
戦勝 50 周年 祈念
記念切手 発行
。因
国
際法上
、
講和条約発効 1952 年 4月28
日
第二次世界大戦 終結
。
降伏調印式 、戦艦
行
大統領 出身地
州
急遽戦艦
行
事
。
・9月2日午前 8 時
・
元帥、
乗艦。
・8 時 43 分連合軍最高指令官
・
陸軍元帥、
乗艦。
・8 時 56 分、
日本側代表団、政府全権 重光 葵(
)外相、 大本営全権 梅津 美治朗参謀総長、富岡 定俊軍令部第一
部長以下乗船。
乗艦
時 様子 、同行
外務省 岡崎勝男 「
着 、艦 覆
各国 軍人達 群
、正面
中心 各国 代表 居並 、 脇
日本 捕
虜
直前 釈放
将軍、
将軍
衰
姿
立
」 後 回想
。
9 時 2 分
元帥
前 進
始 、降
伏調印式 23 分間 渡
世界中 放送
。 時、
甲板
2 枚 星条旗 飾
。1 枚 真珠
湾攻撃時
飾
、 1 枚 1953
年 黒船来航時
艦隊 掲
90 年越
勝利
日本 屈辱 与
。
調印式
、
日本政府全権 重光 葵外相 署名 、続
大本営全権 梅津 美治朗参謀総長 署名 、続
登場
連
合国代表
・
5 本 万年筆
取 出
交代 署名 、
島 自分 代
指揮
中将、
降伏
中将
。因
残
3 本 、後
陸軍
海軍兵学校、妻
贈
、
使用
万年筆
。続
、
合衆国代表、CW
元帥、中華民国代表 徐 永昌、
代表
、
連代表
進 、順番
回
代表
大佐
欄
欄
署名
。
代表
大将
欄
署名 、
代表
大将 間違
気付 、
訂正 求
、
書
言
渋々
欄 署名
。
少将 仕方 欄外 署名
。
署名 終
、
元帥 直
署名終了宣言 行
、連合国代表団
戦勝祝賀会
船室 移動
、
大将
場 残 日本側 岡崎勝男 署名 間違
指摘
。
軍参謀長
中将 日本側 降伏文書
受入
説得
、重光 葵 指示 岡崎
中将 各国代表 署名
直 求
。
以下、岡崎勝男 回想
∼
中将 「 、
各国代表 下 祝杯
呼
。直
君 勝手 直
」
返事
。 「自分 直
何 役 立
。
駄目
参謀長
訂正
」言
、各国名
消
訂正 行
。
「
」
「
、訂
正 結構
、誰 訂正
訂正箇所
参謀長
」
、
、
調印式 済
訳
。
時間 9 時 30 分、
祝勝会 向
退席
既 1 時間以上 経
。
降伏自体 屈辱
時代、誤
見
降伏文書 持
帰
二重 屈辱 必死 交渉 回避
重光 葵以下
日本代表団 敬意 表
、最後
日本代表 心情
察 、戦勝国全権 従
得
「
」
指示
知
、独断 歴史的降伏
文書 訂正 加
中将 勇気 決断力、
男
気 心
敬意 表
思
。
清聴
。
招 手渡
士官学校、
。蛇足
第 53 代大宮ロータリークラブ会長
2008
「GSE 帰国報告」
誕生日祝
8 Happy Birthday
GSE チームリーダー 牛山 信康 様
(草加ロータリークラブ)
渡邉誠吾 会員
写真(左)
関口 茂 会員
湯川日出男会員
石田 心 会員
写真(右)
『ひとこと』
渡邉誠吾 会員
お祝いありがとうございます。私は昭和 30 年の 8 月生まれとい
うことで大宮ロータリークラブ創立の 4 カ月前に生まれたという
ことで大宮ロータリークラブ歴史そのものが私の人生というよ
うな気が致します。
53 歳になりまして、もう人生の峠を越えて、と言おうかと思っ
たのですが、平沼さんの大変元気のあるお話を聞きまして峠を越
えてはいられないと思いました。まだ先の峠を目指して元気に頑
張っていこうと大変活力を頂戴致しました。大宮ロータリークラ
ブも 53 歳ということになりますがクラブに年は関係ありません。
より成熟味をまして会員の皆様方とともに大宮ロータリークラ
ブを持ち上げていく一員として頑張りますので、これからもご指
導ご支援よろしくお願い致します。
キム ミンシク
金 敏植君へ 米山奨学金 8 月分
私は現在大学院でヒートアイランド
に関する研究をやっております。夏にな
るといつも、東京をはじめいろんな所で
緑の効果などを調査しています。今年も
皆さんのお陰でいい実験、いいデータが
とれそうなので頑張ります。
幹事報告 SECRETARY
江本尚浩 幹事
第 3 グループからのお知らせ
◆例会変更が届いていますのでご注意下さい。
大宮シティロータリークラブからのお知らせ
◆10 周年記念式典に参加された方に記念誌が届いています。式典
に出席したけれどもまだ届いてない方は連絡お願いします。
大宮ロータリークラブからのお知らせ
◆前回お知らせしたゼロックスさんのプリンターについては会
長、副会長の 2 名ぴったりの申し出がありましたので特別ス
マイルにてお譲り致しました。
◆事務局夏期休業のお知らせ
8 月 11 日
(月)
∼ 8 月 15 日
(金)
緊急時は幹事の携帯へ連絡をお願い致し
ます。
◆8 月 13 日
(水)
は例会休会です。
ご注意下さい。
夕べはホーラン会に出席し、そ
してホームグラウンドの例会に出
席したのは今年で 3 回目です。先
輩の方々に小突かれ来年には在会
50 年になります。この会は明る
くて楽しくていいです。ただ言え
ることは私がこうしてロータリー
クラブに出てきても何も出来ることがありません。私が
入った当初は皆さんの様に大人しくてニコニコしている
先輩方はいなくて諸先輩方にずいぶん怒られました。そ
のひとつひとつがいい勉強になっているんです。これか
らもまだまだ 20 年や 30 年は生きます。来月でちょうど 88
歳になります。女房と結婚して 62 年になります。こちら
も長いですが、じいさんばあさん最後まで手をつないで
どこかに行きたいと思っていますが、海外旅行が嫌い、
温泉が嫌いっていうんですからどうしようもないですね。
ということでこれからも元気でいる間、応援をさせてい
ただきます。よろしくお願い致します。
�久�����
平沼康彦会員
「Boa tarde 」ポルトガル語でこ
んにちはという意味です。
4430 地区を約 1 ヶ月間 GSE 派遣
生の私がリーダーとして訪問して
参りました。
ブラジルのロータリアン、皆さんとっても歓迎してくれまし
た。地球の反対側ではありますが非常に温かく迎えてくれてと
ても安心しました。食事も美味しかったです。お酒も美味しかっ
たです。ロータリアンの友情もありました。ブラジルはセキュ
リティが素晴らしいです。ということは防犯が非常に重要だと
いうことです。ちょっと危険なところもあります。貧しい所も
見ました。刑務所も行って来ました。貧民のための都市計画も
たくさん行なわれていました。ルーラー大統領が来て貧民のた
めの新しい住宅造りをやっていくということでそこを訪問する
ことも出来ました。ロータリアンの暮らしですが、ブラジルの
ロータリアンは地域に対する奉仕が力強いなという印象を持ち
ました。この話をすると長くなってしまいますが、それだけ奉
仕する対象がいっぱいあるということを感じました。貧富の差
が激しいので貧しい人に何か手を貸してあげないとということ
を感じたのと同時に行政の政策が行き届かないという風に感じ
ました。日本は隅々まで行政が行き届いていますが、ブラジル
ではそこまで至っていないためにロータリアンが頑張っていま
した。
私たちはラッキーなことに移民 100 周年の年に行けたという
ことも大きな意味合いがありました。日系人約 100 万人います
がブラジルの中で非常に揺るぎない信頼を得て、そして誇りを
もって暮らしているということを私は皆様にお伝えして、黒田
君にバトンタッチしたいと思います。ありがとうございました。
ディミトリ・ヴァンオーヴェルべーク様 ( 元交換留学生)
21 年ぶりのロータリークラブで、
相変わらず雰囲気がとてもよくて懐
か し い で す。1987 年 に 大 宮 ロ ー タ
リークラブには大変お世話になりま
した。その時にはベルギーでは日本
の存在があまり知られていなくて日
本に何をしに行くんだという声もあ
りましたが、今のベルギーでは日本を知らない人はいません。
現在ルーズン・カトリック大学という古い大学で教えています
が、そこでは毎年日本語を勉強したい学生が増えてきています。
やっぱり日本はマンガや映画、武道等文化的な影響が多くあり、
ベルギーではソフトパワーといわれています。そんな訳で影響
力があり日本を学びたい学生が増えています。これからもまた
増えていくでしょう。久しぶりの日本で、いいところも悪いと
ころもずいぶん変わってきたなという感じがしますが全体的に
は雰囲気もいい、食べ物もいい、そして人々がいいというよう
な印象を感じています。これからも今まで同様よろしくお願い
します。
GSE 派遣生 黒田卓志様(大宮アルディージャ)
■日系社会
今回訪れたほとんどの
場所で日系人の方に出会
いました。ホストファミ
リ ー も 2 家 族 が 日 系 人、
訪問した企業も日系企業
が多く、街ゆく車はトヨ
タにホンダ、ブラジルに
おける日系人の活躍を目
の当たりにしました。肉
と豆しかなかった食文化
に野菜を教えたのは日本
人、近代の工業発展を支えたのも日本人、ブラジル社会にお
ける日本人の信頼は絶大で日系人は「保証つきの日本人」と
呼ばれていました。特に今年は「ブラジル移民 100 周年」で
各地で盛大な祝典が催されていました。ブラジル全人口 1%
にも満たない日系人のために全土をあげてお祝いする姿は日
本人の活躍を証明するとともに国の寛容さを象徴しているよ
うでとても印象的でした。
■例会・地区大会について
滞在中 10 回ほど例会に参加し、プレゼンテーションや歌な
どを披露しました。ほとんどのクラブが夜間例会で食事をと
りながらのミーティングでした。例会の雰囲気は日本と大き
く違いカジュアルな服装の方が多くアットホームな印象を受
けました。多くのクラブでロータリアンの皆さんが移民 100
周年を記念したはっぴを着て私たちを歓迎してくれました。
プレゼンでは我々のポルトガル語での発表に熱心に耳を傾け
てくれ、また必死のジョークに反応し最高の祝福をくれまし
た。
地区大会は当 2770 地区とは大きく違い、サンパウロ市か
ら 220 ㎞のリゾート地(アグアス・デ・リンドイア)で開催
され 2 泊 3 日のスケジュールで、多くのロータリアンは家族
連れで参加していました。
■日本とブラジルのサッカークラブの違い
◇サンパウロ FC(ブラジルの 1 部リーグに所属するクラブ)
皆様もトヨタカップ等でご存知かと思いますがブラジルで
も有名なクラブです。クラブの事業規模は 80 億円ということ
でブラジルでもトップクラスです。大宮アルディージャが約
25 億円、浦和レッズが 80 億ということで日本における浦和
レッズと同じくらいの規模のクラブです。因みに収入の内訳
ですが日本と大きく違い内訳のトップが選手の移籍金です。
これはブラジルが選手輸出国であるということを示している
と思います。自分たちで若手選手を育てて海外に売り、その
移籍金でクラブを運営していくといったところが非常に特徴
的です。あと 4 番目のスタジアム賃貸収入、これは 1 番大き
なスタジアムを持つサンパウロ FC がブラジルで 1 番の人気の
ある「コリンチャンス」にスタジアムを貸して賃貸収入を得
ています。日本では自前でスタジアムを持っているクラブと
いうのはあまりありませんのでブラジルのクラブの特徴的な
ことと言えるのではないかと思います。
◇コリンチャンス(ブラジルで 1 番人気のクラブ)
昨年は成績が悪く 2 部に落ちてしまいましたが人気はトッ
プクラスです。このクラブの特徴的なとことはスタジアムは
サンパウロ FC のスタジアムを借りていますが総合型地域ス
ポーツクラブとしてプール、体育館、ミュージアムも保有し
ています。
我が大宮アルディージャの場合ですと一番大きい収入内訳
は 1 番がスポンサー収入、次がグッズ移籍金を含めたその他
の収入、その下に入場料収入という風になっており日本とブ
ラジルの収入内訳の違いを大きく感じました。試合も見るこ
とが出来 7 万 2 千人の超満員でした。スタジアムの中にある
グッズショップも非常に近代的で品数も大変豊富でした。職
業研修で VIP ルームの見学も致しましたが日本の VIP ルーム
よりもはるかに豪華でした。なかなか入ることの出来ないと
ころなので貴重な経験でした。
■ブラジルの選手育成
私が非常に衝撃を受けたのはサンパウロの郊外にサンパウ
ロ FC が所属する育成センターがあります。非常に高大な敷地
にグランドが約 9 面、ミーティングルームや理容室やお医者
さんも常駐して選手のケガに対応できるような充実したサ
ポート体制がありました。選手寮には 10 歳∼ 18 歳までの全
国各地からスカウトされた選手が一緒に生活しています。部
屋はさほど広くはありませんがいろいろ完備され充実した施
設です。子ども達は朝昼練習して夕方バスが迎えに来て地元
の学校へ通います。地元と連携がとれているいうことを感じ
ました。
■サッカーと子ども達 サンパウロ市が市民サービスの一環としてサッカースクー
ルを開いてスラム街の貧しい子ども達にサッカーを教えてい
ます。コーチはボランティアで何よりも驚いたのは 30 人に
ボールが 1 個。私が行ったときはシュート練習をしていて順
番が来るまでなかなかボールが蹴れない、そういった光景を
目の当たりにしてアルディージャで使っていたボールを寄付
する約束をしてきました。子ども達は非常に目がキラキラし
ていて練習が終わると牛乳とクラッカーを貰えるのですが、
聞くところによると一日で食べているものはこれぐらいしか
ないということで非常に貧富の差を感じました。それでもサッ
カーを愛する子ども達のまなざしがとても印象的でした。
ブラジルではサッカーというものが国民の生活そのものと
いうことと誰でもサッカーが楽しめる環境が整っている、選
手輸出国として育成施設が驚くほど整っているということを
感じました。
■研修を終えて
ブラジルでたくさんのクラブを見て帰国して、私は自分の
仕事において何をしなければいけないかと考えた時にサッ
カーだけではなく総合型地域スポーツクラブとして市民のス
ポーツのニーズに幅広く応えなければいけない、その結果地
域に必要とされる存在にならなければいけないということを
感じました。選手輸入国から輸出国へ変化していかなければ
ならないと思いました。もっと若手選手を育成してソフト面
ハード面を充実させて多くの選手を育成していくべきだと感
じております。
■おわりに
GSE は 1 ヶ月の間、知らない土地、文化、風習の中に入り様々
な経験をするわけです。体力的にも精神的にも大変なことで
したが、それだけ得るものも大きいプログラムです。今回感
じたことは訪れる国の言葉を学ぶことの大切さです。「言葉」
は単純にして最大の障壁です。私は今回が 2 回目のブラジル
でしたが、1 回目は何も勉強せずに行き大変苦労し後悔しま
した。今回は基本的な言葉を勉強してブラジルに行きました。
今回の旅は言葉を知らない前回の旅よりも何十倍も楽しめ有
意義なものになりました。GSE を通じて出会ったすべての
人々とすべての経験は私の一生の宝物となりました。この宝
物は、今後財団学友として様々なロータリーの活動において
惜しみなく共有し伝えていくことを約束します。
今回の GSE 参加にあたりご協力いただきましたロータリア
ンの皆様、そして GSE で出会ったすべての皆様に心から感謝
申し上げます。ありがとうございました。