おねしょの教え - ソフィアバンク

電気新聞
連載
時評「ウエーブ」
第九回
おねしょの教え
元世界銀行副総裁
シンクタンク・ソフィアバンク シニア・パートナー
西水美恵子
時評「ウエーブ」 第九回
おねしょの教え
危 機 管理 に 怠 慢 な 防 衛組 織 の改 革や 、 醜 態 が 続 出 す る 年 金 行 政 へ の対 応 、 消
費 者 行 政 に 関 す る 新 組 織 論 な ど を 見 聞 き す る 度 、 首 を か し げ て し まう 。 政 治 家
も 官 僚 も 、 報 道 界 さ え も 、 問 題 の 真 髄 を 見 据え て い な い 。 真 髄 は 組 織 文 化 。 す
な わ ち 、 組 織 を 成す 人 々 の 仕 事 意 識 と 態 度 の 問 題 な の に 、 組 織 の 形 ば か り に 気
をとられている。
組 織 文 化 は 組 織 の 人 間 が ビ ジ ョ ン と 価 値 観 を 共 有 す れ ば 変 わ ると い う の が 、
経 営 学 の 常 識 ら し い 。 が 、 ただ それ だ け で は 、 組 織文 化 な ど び く と も し な い 。
人間、頭で解っていてもハートに繋がらなければ動かないからだ。
世 界 銀 行 の 官 僚 的な 組 織 文 化 を 変 え よ う と 暗 中 模 索 の こ ろ 、 多 く の 経 営 学 者
に 意 識 改 革 の 手 法 を 聞 い て 回 っ た 。 皆 、 口 を 揃 え て 「 イン セ ン テ イ ブ ( 誘 因 )
を 変 え ろ 」と 言 う 。 が 、 一 歩 立 ち 入 っ て 具 体 的 な 話 に な る と 、 世 銀 の 人 事 規 則
に 既 に あ る イ ン セ ン テ イ ブ ば か りが 列 ぶ 。 仕 事 へ の 目 線 や 、 姿 勢 、 態 度 を 変 え
る動機づけはと尋ねると、
「リーダーが与えるインスピレーションに尽きる」と
言 う 。 し か し 、 リ ー ダー の D N A に 染 まり 過ぎ た ら 、 持 続 的 な 意 識 改 革 に は な
らない。「私が去ったらどうなる」と反論した。
結 局 、役立つこと は 何も学 べな かっ た。学 窓の 人々は 、自 ら組織や 改革 のリ
ーダーシップをとった経験がないのだから無理もない。
人 の 心 の 深 い と こ ろ で ビ ジ ョン と 価 値 観 を 共 有 す る 情 熱を ど う 刺 激 し 、 職 場
での自然体に引き出していったらいいのか…。そのヒントを与えてくれたのは、
ひとりの小学生だった。
優秀な部下の成績が下がり、目に見えて元気がなくなっていくのに気付いた。
理由を聞くと、小学生の息子。
「成績が下がり、海外出張で留守する度に寝小便。
心 配 で 仕 事 が 手 に つ か な い 」と 嘆 く 。 仕 事 と 家 庭 が 両 立 せ ず 、 い っ そ 世 銀 を 辞
めようかと迷っていた。母性本能か勘か、何がそう言わせたのかは知らないが、
ふ と 思 い つい て 「出 張 に 連 れて い っ て み た ら 」 と 勧 め た 。 や る 気 が あ る な ら 旅
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費も出すと約束した。
忘れかけた頃、その小学生から出張報告書が届いた。
「お母さんが飛行機で飛
び 立 っ た 後 の こ と が 解 っ て 嬉 し い 。 お 母 さ ん は イ ン ド の 貧 し い 人 た ち を 助け て
い る。僕 みたいな子が学 校 へ行けるように立派な 仕事をして いる。お母さんを
誇りに思う。僕もお母さんのようになりたいから、一生懸命勉強します」
。
幼 い 文 字 を 辿 り な が ら 、 溢 れ る 涙 が 止 ま ら な か っ た 。 もち ろ ん 、 お ね し ょ は
ぴたりと止まり、成績は親子揃ってうなぎ登り。部下に明るい笑顔が戻った。
部 下 全 員 と 意 識 改 革 を 話 し 合 っ て い た 時、 彼 女 が 息 子 の 話 を 披 露 して 、 こ う
括った。
「私たちは、ミエコが求める世銀のビジョンとそれを可能にする価値観
を 頭 で 共 有 して い る は ず 。 で も 自分 が 本 当 に欲 し い も のに 繋 が って い な い 。 私
が 欲 しい のは 、 毎 朝出勤 が 待ち きれ な い ほどいき いき と 楽 し く働け る職 場と 、
帰 宅 や 週 末 が 待 ち き れ な い ほど 幸 せ な 家 庭 。 皆 も そ う で し ょ う 。 こ の 改 革 は 、
私たちひとりひとりが力を出し合って、皆でその夢を追うことだと思う」
。
人 間 は 幸 せ を 追 求す る 。 こ の 共 有 感 が 頭 と ハ ー ト を 繋 げ た 。 仕 事 へ の 態 度 を
変 え る に はど う す れ ば い い の か 、 約 千 人 の 部 下 た ち が 熱 く な って 話 し 合 い 、 大
小 様 々 な 行 動 に 移 し 始 め た 。 幸 せ の 追 求を 妨 げ る 組 織 の 形 や 、 規 則 、 慣 習 を 発
掘しては躊躇せず変え続けた。改革は、楽しい学習の日々だった。
以来、人事の全てに職員のみを対象とする思考を捨てた。家庭を対象に入れ、
人 間 と し て の 幸 せ を 考 え る よう にな っ た 。 職 場 で も 家 庭で も 同 じ 人 間 。 ど ち ら
か が 不 幸 せ な ら も う 一 方 に 響 く 。 働 き 甲 斐 と 生 き 甲 斐 が 繋 が って 初 め て 、 人 間
の「生産性」が大きく変わる。
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著者紹介
西水 美恵子( にしみず
みえこ )
1975年、米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院博士課程修了後、プリンス
トン大学助教授(経済学)
。80年に世界銀行入行。97年、南アジア地域
担当副総裁に就任。2003年に退職。現在は独立行政法人経済産業研究所
コンサルティングフェロー。07年に、シンクタンク・ソフィアバンク シ
ニア・パートナー就任。著書に『貧困に立ち向かう仕事』。
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本稿は、西水美恵子氏が、二〇〇八年十二月五日付の電気新聞に、
寄稿したものです。
著作権は、著者に帰属しますが、配布は自由に行っていただけます。
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