「草の根」(五) 戦いを略す

月刊『選択』
思い出の国
連載
忘れえぬ人々
第四十一回
「草の根」(五) 戦いを略す
元世界銀行副総裁
シンクタンク・ソフィアバンク シニア・パートナー
西水美恵子
思い出の国 忘れえぬ人々
第四十一回
「草の根」
(五) 戦いを略す
し ば ら く電 気 の 話 が 続 い たが 、長 年 無 政 府 状 態 が 続 くネ パ ー ルで は 、 国営 電
力会社の経営だけがしっかりしていた。社長が素晴らしいリーダーだったから、
不 思 議 で は な い 。 人 を 引 き つけ る 指 導 者 に よ く あ る よ う に 、 何 ご と に も 徹 底 し
た 楽 天 家 だ っ た が 、 ネ パ ー ル の 政 治 だ け に は 悲 観 的だ っ た 。 予 算 が つ か な い か
ら 農 村 地 帯 の 電 化 が 進 ま な い と 嘆き な が ら 、 独 り 言 の よう に 呟 い た 彼 の 言 葉 を
思い出す。
「我が国の政治家は、大きな過ちを犯している。国造りの手段である
はずの政治を、目的に取り違えている……」
。
一 九 九 七年 、 副 総 裁 就 任 直後 のあ る 日 の こ と 。 当 時 は ま だ 見 知 ら ぬ ネ パー ル
から国王の親類にあたる実業家が訪ねてきた。表敬訪問と思ったら、
「実はプラ
イベートな話がある」と、声を落とす。「我が国は民主主義の実験に失敗した。
もし陛下の親政が再現したら、世界銀行の反応は如何に」
。会談の覚え書きをメ
モ し て い た 部 下 の顔 が 、 真 っ 青 にな っ た 。 咄 嗟 に フラ ン ス 革 命 の 歴 史 が 頭 を よ
ぎったのを覚えている。
落 ち つ け と 自 分 に 言 い 聞 か せ な が ら 、ク ー デ タ ー 突 発 に 対 す る 世 銀 の 規 則 を
説明した後、こう結んだ。
「世銀の信用を左右する重要な規則だ。それを担当国
に関して解釈する最高責任者として、言っておく。当行の株主はネパール国民。
政 府で も 国 王で もな い 。 そ の上 途 上 国 の場 合 は 先 進国 と 異 な り 、 株 主 が 顧客 で
死ぬほうがましだ 」
。
Over my dead body(
)
も あ り 融 資 返 済 の 責 任を 持 つ 。 国 民 の 意 志 に 反 す る 政 治 行 為 な ら 、 承 認 な ど し
ない。
国 王 親 政 を そ う 判 断 し た 場 合 、 融 資 を 停 止 す る 可 能 性 が あ ると で も 言 う の か
と、居直る。「正解」とひとこと返したら、「貸さなければ商売にならないだろ
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う」とせせら笑った。
頭にきた時の悪い癖が出て、啖呵を切った。
「世銀と貴社を混同しないでほし
い 。 当 行 は私 利 私 益 を 追 わ な い 。今 のとこ ろ は 余 裕 が あ る か ら 、 貸 さ な い ほ う
が 収 益 性 の 高 ま る 価 格 体 制 まで と っ て い る 。 ネ パ ー ル 国 民 一 人 あ た ま の 国 際 援
助 額 は世 界 最 高 だと 聞く が 、世 銀 の 貸 借対 照 表 上 、 総 額 は 微 々 た るも の だ 。 痛
くも痒くもない」
。今度は彼の顔が蒼白になった。
ネ パー ルは 政 治 の 紆 余 曲 折が 歴史 的 に 極 端な 国 で 、 第二 次 大 戦 後 も 止 む こ と
を知らなかった。先々代の国王が率いるクーデター 一(九六〇年 で)、憲法と国会、
政 党 政 治 が 三 十 年 間 無 効 に な っ た 歴 史 も 持 つ。 民 主 制 の復 活 が ま だ 記 憶 に 新 し
いころだったから、嫌な後味が残った会談だった。
「せいせいした」と笑う部下
に救われた。
そ の 「 ロ イ ヤ ル ・ ク ー デ ター 」 が 二 〇 〇 五 年 二 月 に 再 発 し て 以 来 、 政 治 の 紆
余曲折は終局を知らない 連(載第三回・二十九回参照 。)民主化を望む国民の抗議
デモ。マオイスト 共(産党毛沢東派反政府武装軍 と)の和平交渉成立。暫定憲法の
制 定 。 マ オ イ ス ト 議 員を 含 む 暫 定議 会 の 開 始。 王 制 廃 止 。 ネ パ ー ル 王 国 は 共 和
国と名を変えた……。
マオ イスト も 含めて 、 ネパー ルの政 党は 草の根を知らな い 。はっき り言えば
興 味 さ え 持 た な い 。 イン ド の 独 立運 動 に 感 化 さ れ た 上 流 階 級 の 子 弟 が 、 カ ル カ
ッタ 現(コルカタ で)ネパール議会党を結成した 一(九四七年 の)が政党の始まり。
目 的 は、 武家 のラ ナ 一 門 に よる 摂 政 独 裁体 制 の 打 倒。 近 代 的な 民 主 社 会 を め ざ
す 革 命 が 掲 げ る 人 権 や 、 自 由 、 平 等 な ど で はな か っ た 。 明 治 維 新 と 似 た よ う な
もので、その維新に動いた若者たちが、今も党首や首脳連として君臨している。
世代交替なしにはどうにもならない。
チベットに近い女系社会の村に滞在していた時のこと。長老格の女衆から「遠
い カ ト マ ン ズ 」 に 居 座 っ て 村な ど 見 向 き も し な い 議 員 のこ と を 教 わ っ て い て 、
世代交替の話になった。彼女たちも「世代交替は絶対必要」と同意見だったが、
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「 そ れ だ け で は 駄 目 。 政 治 家を や ら な け れ ば 食 べ て い け な い 仕 組 み も 変 え な け
れば」と、政治の職業化を指摘した。
「世代交替のしるしだったマオイストのざ
まをご覧。結局彼らも汚職に走り、私たちを裏切った。我慢強い村人の我慢が、
いつまで続くか……」と、皆揃って溜め息をつく。最年少の長老が、
「いっそ中
国 に 占 領 さ れ た ほう が ま し だ わ 」と 言 い 放 って 仲 間 に 叱 ら れ 、 か ら か ら と 笑 っ
た。
雪 が 多 い 年 に は 、 い ま だ に 餓 死 す る 人 が 出 る 地 域 の 村で 、 教 育 か ら 衛 生 、 イ
ン フ ラ ま で 政 府 のす べ き こ と 全 て が 動 い て い な か っ た 。 国 際 援 助 で 細 々 と 賄 う
NGO 非(政府機関 に)支えられながら、自分たちの力で村造りをしていた。無政
府 状 態だ か ら こ そ 自 治 自 立 精神 が 強 く 、 政 治 へ の 関 心 が 高 い 人々 だ っ た 。 首 都
カ ト マン ズ を 離 れ れ ば ど こ へ 行 って も そう で 、 あ の 村 の 人 々 が 特 別な 例 で は な
かった。
数 年 後 。 政 府 の 対 マオ イ ス ト 作 戦 が 失 敗 を 重 ね 、 国 土 の 大 半 が 明 ら か に反 政
府 武 装 軍 の 支 配 下 に な っ た こ ろ 、 世 銀 も 含 めて 諸 々 の 国 際 援 助 機 関 が 援 助 戦 略
の 見 直 し を し て い た 。 当 時 の ネ パ ー ル 担当 局 長 は 、 同 胞 の 大 橋 君 。 家 族 と 共 に
カ ト マン ズ に 滞 在 し 、 現 地 採 用 の 職 員 を 重 んじ 、 草 の 根 を 熟 知 し て 、 素 晴 ら し
い 仕 事 を し て い た 。 母 国 を 憂 う 各 界 の 要 人 たち か ら 「 君 が 首 相 だ っ た ら 」 と 言
われるほど信頼されていた。
大 橋 局 長 が 提 案 し た 戦 略 は 、 政 治 に 見 放 さ れ た 国 民 の 夢 を 早急 に 実 現 す る こ
と 。 夢はふ た つ 。 子 供 に し っか り教 育を 授けて く れる小学 校と 、いつで も診 察
し て も ら え る 診 療 所 だ っ た 。 手 段 は 共 済組 合 。 政 治 家 に 甘 い 汁 を 吸わ れ 捨て ら
れ た も 同 然 の 、 建 物 だ け の 小 学 校と 診 療 所 。 そ の 管 理 権 を 、 運 営 条 件 と 予 算 付
きで、組合に譲ることだった。
狙 い は 、ネ パ ー ル 国 民 の 自 治 自立 精 神を 生か す こと 。 開 発 事業を 通 じ て 真 の
民 主 制 の 悦 び を 知 っ て も ら い た い と 、 汚 職 に 怒 る 役 人 や カ ト マン ズ 事 務 所 の 部
下 た ち と 共 に 編 み出 し た 戦 略 だ っ た 。 根 回 し を 終 え た 政 府 側 に も 、す で に 千 数
百 の 小 学 校 や 診 療 所 を 手 渡 す 政 治 意 思 と 用 意 が あ ると 言 う 。 悪 統 治 の 泥 の 中 で
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の 援 助 活 動 に は 政 治 と の 戦 い が つき も の だ が 、 そ の 戦 い を 略 す 本 物 の 戦 略 だ っ
た。「お見事」と唸った。
着 々 と 進む 履 行 も ま た 見 事 だ っ た 。 戦 略 開 始 か ら 半 年 た ら ず で 視 察 に 回 っ た
時ほど、楽しい旅はなかった。喜び勇む人々の情熱を、肌に感じた。
「診療所に
行 け な くて も 、 お 医 者 様 が 回 診 に 来 て くれ る。 夢 の よ う だ 」 と 言 う 女 衆 に 泣 か
さ れ 、 嬉 々 と し て 通 学 す る 子 供 たち を にこ にこ 見 送 る 親 の 姿 に 、 民 主 制 か く あ
るべし、とまた泣いて、「涙もろいボスだ」と笑われた。
フランス革命 一(七八九年~ も)、手段が目的に成り代わった例だと思う。叛乱
で 特 権 階 級 を 一 掃し て も 、 国 民 の 政 治 参 加 の 日 は 遠 か っ た 。 社会 の 崩 壊 に 苦 し
み 、 後 日 共 産 主 義 の 母 体 と な っ た恐 怖 政 治 に抑 圧 を 強 い ら れ た 。 米 国 の 民 主 制
に影響されたと言われる第三共和政 一(八七〇~一九四〇年 ま)で、革命勃発から
一世代の年月が流れた。
フ ラ ン ス 革 命 の 混 乱 の 歴 史 に ネ パ ー ルを 重 ね て 悲 し くな る 度 、 大 橋 局 長 の 戦
い を 略す 戦略 に 想い を は せ る。 民 が 力 を 合 わ せ て 実 ら せ た 夢 を 思 い 出 す 。 あ の
人 々 にと っ て 、 カ ト マ ン ズ のど ろ ど ろ し た 政 局 な ど ど こ 吹 く 風 の 毎 日 だ ろ う 。
教科書や医療品を注文し、教師や医者を面接し、黒板
や机を修理し、一生懸命整理した会計を集会所の壁に
貼り、夢を育み続けているだろう。
その思い出にひとすじの希望を見つけては、慰めら
れている。
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著者紹介
西水 美恵子( にしみず
みえこ )
1975年、米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院博士課程修了後、プリンス
トン大学助教授(経済学)
。80年に世界銀行入行。97年、南アジア地域
担当副総裁に就任。2003年に退職。現在は独立行政法人経済産業研究所
コンサルティングフェロー。07年に、シンクタンク・ソフィアバンク シ
ニア・パートナー就任。著書に『貧困に立ち向かう仕事』。
著者へのご意見やご感想は、下記アドレスにお送りください。
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本稿は、西水美恵子氏が、月刊誌『選択』二〇〇八年五月号に
寄稿したものです。
著作権は、著者に帰属しますが、配布は自由に行っていただけます。
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