水 害 鹿児島大学理学部地球環境科学科 岩松 暉 川とは何か 桃太郎 川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと… 舟運(1世紀前までは主要な物資輸送手段) 桃太郎の誕生=川は生命をはぐくむ 川は山と海の生態系をつなぐ回廊(物質循環) 八岐大蛇(やまたのおろち) 出雲国簸川[肥河](現斐伊川)の八尾の神霊 毎年娘一人を食う=洪水の犠牲 しかし,平野を生み,稲作文化を育てた 降水量 国 名 年降水量 インドネシア 2,620mm 日本 1,728mm イギリス 1,064mm アメリカ 760mm フランス 750mm 中国 660mm オーストラリア 460mm 世界平均 973mm 都市名 年降水量 札幌 1,130mm 仙台 1,204mm 東京 1,405mm 名古屋 1,535mm 大阪 1,318mm 福岡 1,604mm 鹿児島 2,237mm 那覇 2,037mm 干ばつが世界の常態 朝日新聞 2002.6.2 「水に流す」「湯水の如く」 が日常語として使える幸せ 最近大雨が多くなったか? 60 75-100mm 100mm- 50 40 30 41 46 32 24 2 1 0 0 1 3 3 1996 1997 1998 年 アメダス1時間75ミリ以上の発生頻度(2000.9.25現在) 3 (2000) 1 1995 10 4 1994 1987 12 13 10 1993 2 14 1992 1 6 17 1991 3 1986 9 1985 0 1984 3 1983 1982 0 21 14 12 11 6 1981 1980 3 0 14 1990 14 6 21 17 10 28 1989 20 26 1999 22 1988 20 1979 回 46 世界の川・日本の川(1) 標高 成願寺川 ロアール河 デュランス川 1000m 安倍川 富士川 木曽川 コロラド河 吉野川 500 セーヌ河 信濃川 ローヌ川 最上川 利根川 メコン河 0 0 500 河口からの距離 河川縦断曲線 1000km 世界の川・日本の川(2) 河川名 洪水量* 洪水比流量* (m3/s) (m3/s/km2) ボルガ川 10,000 ローヌ川 13,900 0.152 ライン川 10,000 0.071 利根川 33,300 1.98 筑後川 16,800 5.90 黒部川 8.49 * 洪水量:3-5年に1回起こる程度の水量,比流量:流域の単位面積当たりの流量 世界の川・日本の川(3) 1600 アメリカ アフリカ ヨーロッパ 400 日本 1400 1200 1000 800 600 200 0 筑後 渡 吉野 太田 淀 成願寺 木曽 天竜 富士 利根 利根 信濃 北上 最上 石狩 オ ハイ オ ミ ズリ ー ナイ ル テ ー ムズ ネ ッカ ル オー デ ル ウ ェー ゼ ル エル ベ ド ナウ ライ ン ガ ロンヌ ロー ヌ セー ヌ 河況係数(最大流量/最小流量) 大陸の河川(モンゴル) ←ウランバートル近郊 Tuul川 蛇行が激しい ↓ゴビ砂漠のワジ wadi 渇きでなく洪水で死ぬ? 2002年8月 The flooded Danube has turned roads into waterfalls Much of historic Dresden is already flooded 2001年ドナウの融雪洪水 ドナウ川支流のティサ川上流域 応用地質提供 豪NSW州2000年11月の水害 大陸の洪水floodは,奔流torrentではなく静かな氾濫overflow,なかなか引かない 平野の地形と水害 水害の種類 台地・段丘 内水氾濫 谷底低地 山地洪水 内水氾濫 緩扇状地 河川洪水 氾濫平野 河川洪水 内水氾濫 三角州 高潮 河川洪水 海岸低地 内水氾濫 ・津波 危険大の地形 凹地・浅い谷 山地内急勾配谷底 市街化台地内谷底 旧流路 後背地・旧河道 後背地・旧河道 0メートル地帯・干拓地 地番沈下地域 潟性低地 リアス式海岸 危険小の地形 平坦台地面 段丘面 段丘化扇面 自然堤防 盛土地 砂丘・砂堆 水害地形分類図 東京都葛飾区 大矢雅彦「アトラス水害地形分類図」 東京とロンドン 過去10年間の水害・土砂災害 (1986-1995) 最近の水害の特徴 地球温暖化と豪雨日 数増加(本当?) 中小河川の水害多い 小規模群発傾向 河川および流域の人 工化に伴う問題 都市型水害が多い 被害額増大 被害の長期化 内水氾濫による被害 地下街・地下室の水没 事故多発 ピーク時が早くなった ピーク流量増大 上流の開発 三面張り 直線化 低地の盛土 破堤よりも溢水多い 頑丈な堤防が危険地 への住宅進出を促進 水害による浸水面積の推移 都市型水害の特徴 被害者数・被害額大 人口・資産集中 内水氾濫による被害 人工被覆多い→雨し み込まず下水に集中 道路・鉄道などの盛土 により人工的な窪地出 現→排水悪い 地下機械室・電源室 →機能麻痺 沿岸低地に立地 被害の長期化 ライフライン損壊 地下室水没事故多発 満潮と重なった場合 被害甚大 停電・断水・ATM 食料のストックなし→ 物価高騰 高層住宅と災害弱者 災害ゴミ問題 分別収集不能 僅かな雨で内水氾濫 内水氾濫助長? 南日本新聞(2001.10.2) 内水被害 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 三大都市圏の洪水被害 % 外水被害 戸田(2000) 市街化の進行と水量変化 市街化率80% 水量 市街化率10% (建設省試算) 時間 2000年東海豪雨 秋雨前線を台風が刺激 新川天白川庄内川氾濫 新幹線多数立ち往生 東海豪雨災害被害統計 死者 負傷者 家屋全半壊 家屋一部損壊 床上浸水 床下浸水 静岡県 岐阜県 愛知県 三重県 1人 1人 6人* 1人 0 1人 52人 1人 0棟 11棟 96棟 2棟 0棟 6棟 228棟 0棟 0棟 127棟 28,449棟 280棟 0棟 353棟 49,280棟 2,796棟 * 土砂災害死者3人を含む 消防庁(2000.9.14.19:00現在) 東海豪雨災害被害写真 新川左岸新平田橋下流側→ ←新川左岸破堤部(あし原町) 京大防災研牛山素行氏提供 1999年梅雨前線豪雨 ↑福岡の地下室 ↓渋谷の地下街 1999年の主な水害 8.14 弱い熱低によ る川崎市の浸水→ ←9.15 台風16号による 岐阜県長良川の氾濫 1998年8月末豪雨災害 岩手県 福島県 栃木県 茨城県 死者行方不明 1人 11人 7人 ― 負傷者 ― 22人 19人 5人 家屋全半壊 1棟 122棟 95棟 ― 家屋一部損壊 32棟 153棟 34棟 1棟 床上浸水 119棟 1106棟 486棟 423棟 床下浸水 374棟 2645棟 2362棟 490棟 その他 719ヶ所 1444ヶ所 832ヶ所 23ヶ所 1998年8月末豪雨被害状況 郡山市阿武隈川 福島県西郷村福祉施設「太陽の 国」で裏山が崩れ,就寝中の入所 者6名が生き埋めとなった。 栃木県余笹川 郡山市洪水避難地図の効果 1998年9月高知豪雨(1) 日雨量・時間雨量共に観測史上1位の豪雨 1998年9月高知豪雨(2) 急速に市街化した高知市 東部地区が被災(元は農 地) 穀倉新潟平野の昔 地図にない湖とどぶね農業 信濃川河口域の低湿地帯 肩までつかる泥のような深田 舟農業,つつが虫病 三年一作 2~3年に1度の大洪水 おおやおやげなや(むごたらしい)曽川が切れた 抱いて寝た子も流された 渇水との闘い 一方で干ばつ時には水争いが絶えなかった 信濃川水系と微地形 強制排水 新潟平野 強制排水区域 地図にない湖 機械排水区域(紫 色の部分) 大河津分水と関屋 分水でも排水 親松排水場 大河津分水 享保年間発想 1909年着工 1922年通水 1927年完成 1931可動堰 青山 士(あき ら)によるエス ペラント語の 碑文 萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸 ナリ,人類ノ為メ國ノ為メ 分水の影響 自然に手を着けると,思いがけない所で反動 信濃川河口では海岸浸食,大河津では堆積 板東太郎・利根川の東遷 1590年家康江戸 入城 当時の利根川 荒川や入間川と 合流 下流では浅草川, 隅田川 江戸初期 江戸の洪水防止 香取海につなぎ 現在 銚子へ流す 渡良瀬遊水地 谷中湖 明治改修計画 谷中村廃村 調節池化事業 1963年着工 明治17年 1990年に概成 四国三郎・吉野川 吉野川水系図 1974 うつむき地蔵(高地蔵) 鹿児島の主要河川 河川名 流域面積 流路延長 川内川 1,600km2 137km 肝属川 485km2 34km 天降川 404km2 42km 菱田川 394km2 55km 万之瀬川 372km2 36km 甲突川 108km2 26km 中小河川多い シラス地帯流れる 溶結凝灰岩の滝多い 鹿児島県の主な水害 水害の特徴=河川改修進み減少傾向,都市型 川内川 1954.8(台風)死者13人,全半壊8,600戸,浸水12,000戸 1969.6(梅雨)死者52人,全半壊630戸,浸水20,000戸 1971.7(梅雨)死者12人,全半壊290戸,浸水12,000戸 1971.8 台風 死者47人,全半壊790戸,浸水14,000戸 肝属川 1949.6(台風)死者多数,家屋被害・田畑流失多し 1971.8(台風)死者2人,家屋被害479戸 1976.6(梅雨)死者4人,家屋被害222戸 川内川水系 白髪岳 大口 加久藤 菱刈 宮之城 栗野 東郷 川内川 川内 川内川の特徴 幾つかの山間盆地,溶結凝灰岩の滝 曽木の滝 川内川の水害 1957東郷町 1971川内市 山間盆地で氾濫 袋谷直下流の狭 隘部がネック 1993栗野町 一関市や人吉市 と同様な条件 川内川洪水氾濫危険区域図(1) 上流部 川内川洪水氾濫危険区域図(2) 下流部 肝属川の水害 肝属川の概要 高隈山系に源 幹川流路延長34.0km の一級河川 流域面積485km2 流域内人口約12万人 1976 肝属川の特徴 流域の70%シラス地帯 1938 河況係数≒50 流量安定 鹿屋分水路 シラストンネル 延長1,609m 地下水面下のシラス 掘削では最初 肝属川洪水氾濫危険区域図 平成5年鹿児島豪雨災害 平成5年8月豪雨 県都水浸し こがしら ← 河頭甲突川河畔 天文館水没 → 鹿児島市甲突川8・6水害 浸水被害 ① 浸水面積約5.4km ,浸 水家屋約12,000戸,最大浸水 約3m ② 江戸時代築造の石橋2橋 (新上橋・武之橋)流失 ③ 地下室の水没被害注目 ④ 自動車の被害(ラッ シュと重なる) 浸水経過 ① 先ず排水孔からの逆流 による溢水 ② 堤防越流による氾濫 ③ 満潮に伴う高水位(逆 流防止の水門閉鎖) 甲突川水系の地質 甲突池が水源 八重山火山岩類 の湧き水 流域の大部分は シラス地帯 小山田付近に溶 結凝灰岩分布 溶結凝灰岩の被 浸食性に依存し て遷急線形成 流域の地形 狭隘部(峡谷)に隔てられ た袋谷 僅かな平坦地に田畑 中世(左図)には豪族が割拠 ここは氾濫常習地帯 1993.8.6洪水河道流下推定図 石橋に流木が引っかかり,せき上げ効果 石橋の流失 ← 新上橋 武之橋 → (土砂埋積に注意) 五大石橋 玉江橋 新上橋(流失) 弘化3年(1846)9月11日 高麗橋 弘化2年(1845)9月 西田橋(県文化財) 嘉永2年(1849)3月 弘化4年(1847) 武之橋(流失) 嘉永元年(1848) 岩永三五郎の水防戦略 河道矯正と下流部の浚渫 天保山=残土捨場→川底浅くなる遠因(後述) 荒田側堤防意識的に1尺低くし溢水氾濫 民家には舟筏の用意させた 現代はここにも都市化,しかも地下室存在 城下側に石組連続堤防→氾濫防止 蛇行部下流に石橋→洪水流直撃の回避 上流山岳地帯の治山,伐採禁止 現代は団地造成,保水力低下 天保山と「われは海の子」 河口右岸に浚渫土砂の残土捨場 海流は南(右岸側)から北へ 河口が埋まり浅くなる→上流川底も浅くなる 甲突川も明治期までは深かった 作者宮原晃一郎(1882-1945)は幼少時加治屋町か ら天保山まで泳ぐのが日課だったという 甲突川の特殊性 後背地がシラス地帯 鹿児島市小山田の土砂洗掘 シラス洪水の要素 吉田町五反田のシラス洪水 8・6水害でも郡山町上常 葉・鹿児島市小山田で土 砂洗掘 1917年の水害でも梅ヶ淵 橋~鶴尾橋付近まで土 砂で埋め立てられた 流出土砂対策が必要 教科書的総合治水だけ ではダメ 甲突川流域の都市化 1935 1972 1945 1980 1965 1990 甲突川既往水害 年月日 日雨量 順位 年月日 日雨量 順位 1898.7. 5 206.6 10 1948.6.25 210.4 8 1907.7. 6 200.9 11 1949.6.28 238.3 5 1917.6.16 305.7 1 1952.6. 8 206.8 9 1919.6.15 216.9 7 1969.7. 5 76.0 1928.6.21 255.0 4 1989.7.28 257.5 3 1936.7.23 233.8 6 1993.8. 6 259.0 2 その後の動き 激特事業完成 新しい西田橋と石組護岸 鹿児島市新川の水害 1993年8月6日涙橋付近の溢水 鹿大付近の小河川 水害は年中行事化 右報道は2001年9 月21日夜間の水害 河川改修で対応 開削記念碑(水神様) 河川拡幅進まず 用地買収難航 行政怠慢・人災説 実は藩政期の運河 文化3年(1806)開削 田上川と新川を繋ぐ 新川と田上川 古甲突川 古田上川 遺跡分布図 蟹は甲羅に 合わせて穴 を掘る 川は集水面 積に応じた 谷を穿つ 荒田川 田上川流域 鹿大玉利池 新川流域 鴨池川 新川 実際に歩いてみる 鹿大付属小 前の河川跡 旧田上川の復活も一法では? 現在は暗渠や開渠に なっている部分の活用 新川の拡幅だけでなく, 増水の一部を旧田上川に 受け持たせる 近代的河川事業の展開 治山治水三法 1896年 河川法・1897年 砂防法・森林法 これ以降,氾濫受容から正面対決へ 洪水流を河道に封じ込め,一刻も早く河口へ 河道拡幅・連続高堤防・直線化(捷水路cutoff)・ 洗掘(浚渫)・放水路(分水) 1950年代以降,日本のTVA 上流:多目的ダム,下流:排水機場・河口堰 1997年 河川法改正 河川事業の目的:治水・利水・河川環境 ハード対策 川辺川ダム 計画図 人吉の1965洪水 洪水調節ダム 堤防整備 河川改修 放水路 調整池 河口堰 ダムによる洪水調節 ①自然調節方式 ②一定量放流方式 流量 ← 流量 ← 調節後 →時間 →時間 ④不定率(鍋底)調節方式 ③一定率一定量放流方式 流量 ← 流量 ← →時間 →時間 治水治国 都江堰 現存最古(約2250年前)のダム 秦の李冰(りひょう)父子が建設 多目的ダム 司馬遼太郎画 岷江の氾濫防止・舟運・漂木 成都盆地の潅漑(66万ha) 治水原則 深淘灘低作堰 1998年長江大洪水 1998年雨期 被害 死者2,000人以上 家屋290万戸 田畑900万ha 被害者2.4億人 (全人口の1/5) 左図はSARイメージ (空色:氾濫) 長江と三峡ダム 洪水とダムの功罪(1) さくら湖 三春ダム 阿武隈川支流 1998年3月完成 三春ダム 1998年8月末豪雨 累計雨量395mm 本格運用前だった が洪水調節実施 1986年水害時より 水位70cm低かった 利水等防災以外の効果については触れない もちろん,これらを総合して功罪判定の要あり 洪水とダムの功罪(2) 昔の洪水 じわっと水位上昇 輪中や水屋で対応 ダム建設や河川改修 後の洪水 ダム放水による急な水 位上昇 水害時の僅かな過放 流が被害拡大 洪水水量の増大 すごい水勢 市房ダム 洪水との共生文化が なくなる その他の影響 生態系悪影響・堆砂etc. ダムの堆砂 朝日新聞(2001.1.10) 長野県知事の脱ダム宣言 堤防 提防破堤のメカニズム 溢水(越水)・洗掘・漏水 堤防かさ上げ 王子駅付近の水害と現在の石神井川 地下河川 大都会では地下河川も造 られている 東京:環七地下調節池 大阪:寝屋川南部地下河川 神田川お茶 の水分水路 内水被害対策特措法 吉野川第十堰 第十堰 旧吉野川 流域の農 業用堰 1752建設 老朽化 治水の不公 平と堆砂 起伏式可 動堰 長良川河口堰 切腹した薩 摩藩総奉行 平田靱負→ 河口堰↓ 木曽三川は水害常 襲地帯→宝暦治水 上流にダム適地なし 河積の拡大 嵩上げ→天井川 引堤→都市部困難 浚渫→塩水遡上 河口堰 遡上防止して浚渫 生態系に問題出る ? 治水効果と風水害死亡リスク 死亡リスク(死者数/人口) 10 -4 河田(1995) -5 10 10 -6 -7 10 1950 1960 1970 1980 1990 河道主義治水の問題点 超過洪水対策の欠如 溢れないが前提→被害ポテンシャル増大 計画改定の必然化 流域開発への配慮なし→流出率増大 計画実施の長期化 通常洪水対策の遅延 二重投資避けるため通常対策怠りがち 自然・文化の多様性の破壊 生態系だけでなく地域文化も破壊 大熊(1999) 計画高水量の拡大 明治時代 現行 河川 基準地点 計画高 決定年 計画高 水量* 水量* 8,350 1909 18,000 石狩川 石狩大橋 4,730 1887 13,500 信濃川 小千谷 3,750 1900 22,000 利根川 八斗島 5,560 1885 17,000 淀 川 枚方 13,900 1907 24,000 吉野川 岩津 4,730 1897 10,000 筑後川 瀬ノ下 * 単位 m3/sec 高橋(1999) 河川との新しい関係 高橋(1999) 従来方式 プラス 大規模河川事業 (連続高堤防・ダム) 水資源確保 水害減少 マイナス 流域開発 洪水規模増大 治水施設の自己増殖傾向 河川流量変動(洪水・渇水)は自然の摂理 川との共生,川との上手なつきあい方 自然環境(水循環・生態系)をなるべく乱さない 社会環境や景観にも配慮 ものづくりの河川工学から河川環境の創造へ 自然との共存か,自然征服か 高岩 信玄堤 武田信玄 連続堤防築堤 デ・レイケ Johannis De Rijke 成願寺川 現在は天井川 加藤清正の治水工事(1) 石塘(いしども) 河川を接近させ間の 堤防を低くする 鼻ぐり井手 乱流を起こし,ヨナの 堆積を防止する 加藤清正の治水工事(2) 石刎(いしばね) 水勢を殺ぎ,堤防を 守る 轡塘(くつわとも) 合流点に造られる遊 水装置 木曽輪中堤 みづか 荒川の水塚と用心舟 2・3m盛土し, 舟も準備した みずよけりん 水除林と水屋 桂離宮の笹垣と高床式書院 桂川の氾濫対策(床下の竹桟に注意) 河川法第3条2項(1997.6改正) 水害防備林 (河畔林) この法律において「河川管理施設」とは,ダム,堰,水門, 堤防,護岸,床止め,樹林帯,その他河川の流水によつ て生ずる公利を増進し,又は公害を除却し,若しくは軽 減する効用を有する施設をいう。 エジプトはナイルの賜物 アレクサンドリア(16c) ナイルの氾濫→肥沃な黒土,塩分除去 アレクサンドリアはナイルデルタの西端に位置 デルタの穀倉地帯を控え,かつ,洪水被害が少ない 洪水のめぐみ 肥沃な土壌の運搬→平野の形成 土壌中の塩分の除去 増水を利用した魚の移動 河床の清掃 鮎は新鮮な珪藻を食べる 洪水が石の表面の古い珪藻を削り落とす 土手の植物の更新(植物遷移の中断) カワラノギクは洪水後の裸地に定着 氾濫の受容 遊水地の復活と氾濫の許容 床上浸水はゴメンだが,数十年に1度は長靴 を履こうという発想 しかし,被災住民は一滴も漏らすなと主張 住民のコンセンサス得られるか? 大陸河川と異なり洪水流速大きい(破壊力大) 河畔林などで緩和するにしても被害大 流出土砂量も大きい 狭い日本列島,とくに都市部の土地確保困難 都市水害は経済的損失大 ライン川の生態学的氾濫 遊水地河畔林生態 系の復活が目的 小野(1999) 国もついに方針転換 総合治水 流域対策 早く流す → ゆっくり流す 退耕還林・保持水土 流域対策アラカルト ← 鹿児島市武岡団地の調整池 ↓熊本県庁透水性舗装 鹿児島市新川沿いの高床住宅 → 校庭貯留施設 多自然型川づくり 基本理念 魅力的な川 環境機能配慮 改修後1年目 安全で豊かな川 治水・利水機能確保 自然にやさしい川 生態機能重視 改修後2年目 ふるさとの川 景観配慮 近自然河川工法 NaturnaherWasserbau 河川改修が行われる場所の自然を保 全するための代償(mitigation)措置 (1) 回避 ヨーロッパはこれを重視 (2) 最小化 (3) 代償 (4) 修復・回復 日本の多自然型工法は(3)(4)だけ “川づくり”という発想自体が問題 小野(1999) 熊本高遊原地下浸透ダム 平常時:地下水涵養 洪水時:洪水調節 2000.8.28 与党3党合 意によって 中止決定 ソフト対策 洪水防止から水害軽減へ つきあう 川遊び,河川のしくみ学ぶ 洪水予報・浸水実績の公表 参加する 水防団活動・地縁社会の復権 個人でできる治水(浸透舛・庭の池etc.) 覚悟する 社会制度上の対策→水害保険 高床式住宅の建設 浸透舛 河川情報センター 地方河川情報システム 水防活動(水防法) 水防管理団体 市町村・水防事務組合 (水害予防組合) 巡視→危険箇所発見→必要な 措置 監視警戒→異常発見→事態即 応措置 水防作業の技術指導 水防作業の資機材調達 消防機関に出動要請 非常事態→関係機関へ通知 居住者への立ち退き指示 応援の要請 水防実施機関 消防機関・水防団 応急活動(水防工法 実施) 出水時の避難 水害死 退避警報 家ごと流される例は稀 増水中の川の見物 側溝転落が多い 気密性家屋聴取不能 停電でTV聴視不能 携帯ラジオの有効性 浸水中の避難 出水の早さ 決壊口から500m以内 1-2分,5,000mで30分 男で70cm,女で50cm 以上は不可能 小学生は20cmで困難 早めの避難を! 水害軽減と地質学 第四紀地質学 河川の発達史を総合的に理解してこそ治水 洪水ハザードマップ作成には地形学必須 水文地質学 水理学と流出係数etc. 地下水も地表水と密接な関係 上記分野は環境・防災問題にとって重要 しかるに,日本の大学は資源偏重時代のまま 岩石・地層を扱うもの以外は教えない 洪水氾濫堆積物 1995.5.12野洲川洪水 (鈴木, 2000) こうした堆積学的研究と防災との間にはまだまだ距離がありすぎる 木崎湖湖底堆積物 見かけ密度のピーク タービダイト→洪水 気候転換期に多い 公文(2000) 9~13世紀=温暖期 16~19世紀=小氷期 高潮災害 危険個所 台風の規模とコースが影響 満潮と重なると危険 海抜ゼロメートル地帯 リアス式海岸 湾奥部 河口部 急深な海底地形 1999年不知火町の高潮災害 台風9918号 熊本で史上最大の 瞬間風速66.2m/s 台風の眼,不知火 町の西側を通過 船溜まり堤防は防 潮堤より1.5m低い 地盤高はさらに2m 低い 平屋が多かった 1999高潮災害と行政 月日 時刻 9.22 17:25 強風波浪注意報 9.23 9.24 気象 竜ヶ岳町 不知火町 19:30 警戒呼びかけ 11:00 波浪警報発令 自前観測着手 20:00 対策本部設置 21:00 巡回パトロール 対策本部設置 4:12 停電,非常電源 停電,混乱 4:30 高潮発生 5:00 高潮発生 被 害 死者0全半壊77 死者12全半壊77 最近経験した高潮災害:竜ヶ岳町(1985),不知火町(1942) The End お疲れさまでした…
© Copyright 2024 Paperzz