兵庫県建築士会会報 Dど い」 ■■■■│ ■● ││‐ =■ ■│■ │││ │■ ■│ ・ ■ │ ■■ │■ ■ ■ ■■│ ■■ ● ■■ │ 2012.December NO.414 農〓 ・h■一 ■ 上 :ド ームやミナ レッ トの銅葺の屋根は、 新 しい銅板と緑青の対比が目立つ。伺うと、 F凛 寺 奎 神戸ムス リムモスク A 長い日で見れば薬品で人工的に緑青を発生 させるよりも、自然にな じむとのこと。 l.1‐ 下左 iモ スクを写真に収めようとすると、 電線に邪魔をされる。景観上の課題である。 下右 :正 面の入口。アラビア語でマスジ ド とある。 臨時総会と60周 年記念式典 神戸 ムス リムモ ス ク tSudOiメ ール配信のご案内 「集い」誌面に掲載できない情報などを、 「tsudolメ ール」としてメール配信しています。 受信こ希望の方は下記まで、 氏名 支部を明記のうえ メールアドレスをこ登録ください。 宛先 1下 記の事務局メールアドレス (既 に受信されている方ま 登録の必要はありません ) (社 )兵 庫 県 建 築 士 会 ∪RLihttp://www hyOgo― aba o「 ip e― mali nfo2006@hyOgo― aba o「 ip N引 90神 戸 ムス リムモ ス ク 神戸市中央区中山手通 2-25-14 文 写真 奥村 由和 (特 記以外) 饒贄 モスク内部 神 戸 三 宮の 山の手 、異人館通 りの 南西 に神戸 ムスリム モスクはあ る。異 人 館 に比 べ ると周 辺 を行 き交 う人 の 数 の方位を示 す壁寵 (聖 寵 :ミ フラーブ )の ある壁 (キ ブラ壁 ) に向かつて、人々 は礼拝 を行うのである。 が、そ の姿 は北野界 隈の確 固たるラ ンドマー は多 くはなしヽ イスラム教 で は徹底的 に偶像 崇拝 を排 する。そ の ため、 クとな つてしヽ る。イスラム建築 で特徴 的な ドームと塔 を持 建築物 においても、西洋 におけるような宗教画など│よ なく、 つ 、我 が 国最古 の モスクである。 幾何 学紋様 の 装飾 が発達 した 。装飾 に │よ 宗 教 的な意 味 は としヽ なしヽ うが、世 界各地 のイスラム建築 を飾 る紋様 は精緻 イス ラ ム 教 に つ い て │● を極 め、そ の美 しさは世界 に広 く知 られるところである。 イスラム教は、預言者ム八ンマド(570-632)を 通じて、 神から下された啓示を信仰するものである。その啓示を 後年に集大成させたものが、根本聖典 コーラン (ク ルアー ■ 神 戸 ム ス リム モ ス ク の 建 設 「アッラー (口 佳一の神の意)の ほかに崇拝に値する ン)だ 。 ものはなしヽ 」とする唯一神教で、この点で │よ これまでに紹 年 にオ スマ ン 帝 国か ら派 遣 され た エ ル トゥー ル ル 号 の使 介 した ユ ダヤ教やキ リスト教 と同様である。また、イスラ ム教では、ムーサー (モ ーゼ)や イーサー (イ エ ス )も 預言 を率 い たオスマ ンパ シャは 明治天 皇 に拝謁 する。しか し、 者であるとするが、最後に神から遣わされた使徒がム八ン マドであるとする。そ して、ユダヤ教の聖典 (日 約聖書 )や する。この 出来 事 は 日本 とオスマ ン 帝 国 新約聖書もまた神からの言葉として、イスラム教の聖典で あるとしてしヽ る。 イスラム教徒のことをアラビア語でムスリムという。ム のが 1日 5 スリムが、日々の生活で欠かすことができな しヽ 日本人とムスリムの本格的な出会いは、1890(明 治 23) 節 団であるとされる。使節 団 は熱烈 な歓迎 を受 け、使節 団 そ の 帰途 エ ル トゥー ル ル 号 │よ 串本 沖で台風 に遭 遇 し遭 難 (ト ル コ )の 関係 の一大 転機 となつた 。 て は、インド人 商人 や中央 アジアから 貿易港神戸 におしヽ の難民 で あるタター ル 人 、トル コ 人 な ど、数百 人 の ムスリ ムがしヽ た らしい。彼 らは礼 拝 する場 所 を求 め 、モスク建 設 回のネL拝 (サ ラート)だ 。その礼拝の場としてモスクがある。 の機 運 が高 まった 。資金 は商人 であるインド人 が中心 とな り集 めた としヽ う。モスク │よ 1935(日 召和 10)年 の献 堂 、設 モスク│よ 、アラビア語で │よ マスジド(平 伏する場所の意 )で あるが、 スペインでメスキータと訛り、フランス語でモスケ、 計 はチェコ出身 の 建 築 家 ス ワガー 、施 工 は竹 中工 務 店 で ある。スワガー は、同 じチエコ人 で あるアン トニー・レー モ 英語でモスクとな つた。全てのモスクは、カーバ 神殿 のあ ンドと仕事 を共 にしていたとされる人物 だ。 る聖地メッカの方 向 (キ ブラ)の 軸線上 に建てられる。そ □ tsudoi 2012 12 モスクは戦災 において奇跡 的 に焼 け残 り、阪神 淡路大 震 災 でも大 きな被 害 を受 けず 、周 辺 の住 民 の避 難場 所 に もなつた。モスクの理 事 の新井 ア八 サ ンさん によれ ば、現 在 、神戸 には約 100人 の信者 が在住 しており、金 曜礼拝 に は多 しヽ ときは周辺 の都市 からの信者 も含 めて 200人 程度 のムスリムが集 り、礼拝 をおこなうという。 │=神 戸 ム ス リム モ ス ク に つ い て モスクの 中央 部 には玉 ねぎ型 の ドー ムが乗 り、それ を取 り囲 む ように北側 に 2本 と南 側 に 2本 の ミナ レットと 呼 ば れ る塔 が立 つ 。ミナ レットに │よ アザ ー ン (サ ラー トの た め 神戸大空襲後のモスク、 周辺に立つのは燃え残つた異人館の煙突 (神 戸ムスリムモスク提供 ) の 呼 びか け )の た めの 回廊 が付 く。ドー ムと北 側 の ミナ レ ットの 頂上 には、三 日月の 飾 りが乗 る。三 日月 はイスラム 教 の シンボル である。 北 側 の 正 面 に │よ 、イー ワー ンと 呼 ばれ るアー チ状 の 開 国が付 く。イー ワー ン │よ ヴォール ト天 丼 で覆 われ る半屋外 空 間であるが、ここで は敷地 による制 約 によって 奥行 き │よ 浅 く装 飾 的 で ある。イー ワー ンや窓 の 開 □部 に使 わ れ る ア ー チ の 形 は 、四 心 ア ー チ と呼 ばれ る肩 の 張 つた 尖 頭 アー チで、その周 囲や軒 など│よ 幾何学紋様 によつて飾 られ て しヽ る。 モスクは地 上 3階 ・地 下 1階 で 、1階 が男 性 、2階 が女 性 の礼拝 所である。礼拝所 には鮮やかな赤 い絨毯が 敷かれ 、 天 丼 に │よ シャンデリアが 飾 られ ている。窓 か らは黄色 いガ ラスを通 して光が差 し込み、 礼拝空間全体を金色 に染める。 荘 厳 で あ りな が ら穏 や かな空 間で ある。礼 拝所 西 側 の 壁 ミフラー ブ イー ワー ン がキ ブラ壁 で 、ミフラー ブが穿かれて いる。ミフラー ブの 形状 も他 の開 口部 と同じ四心 アーチで、それを 2本 の柱 が 支 える。ミフラー ブ上 部 の壁 の アラビア 文字 は「 アッラー の ほか に崇 拝 に値 するもの はない。ム八 ンマ ドはアッラー の使 者である」を意 味する。また 、ミフラー ブの右 側 には、 イマーム (宗 教 的な リーダー )の ための説教台 (ミ ンバル ) がある。 神 戸 モスクで は、以 前 に │よ アザ ー ンはミナ レットか ら行 われていた との ことで ある。住 宅 が周 りにできた ことか ら 早朝 の アザ ー ン │よ 控 えられ 、そ れ以 外 の 時間帯 もミナ レッ トからおこなわれることはな くなつた 。しか し、神戸 に根 付 いた 敬虔 なムスリムの 信仰 は、これか らもこのモスクを 中 心 にずつと受 け継がねていくことだろう。 ミフラーブ上部のアッラーを讃える言葉 今 年 の兵 庫 探 訪 で は、9回 をか けて神 戸 の宗 教 建 築 を 追 つた 。以 前 に紹介 した「 関帝廟 」もそ の 一 角 に挙 げるこ とができよう。神戸 には開港以 来 、世 界 の様 々な 国か ら集 まつた人 たちが、互 い に寛 容 に認 め合 しヽ 協力 しなが ら築 い てきた歴史がある。そ の一つ の現 れが、この ような多 様 な 宗教 の友 好 的共存 であろう。取材 を終えて、この 誇るべ き 「神 戸 モデル Jが 、世 界 に広 まって い くことを祈 らず には おられない。 参考資料 1「 イスラムの建築文化」アンリ スチールラン/原 書房/1987 2「 日本におけるイスラーム布教の歴史と発展」/サ リー Mサ マライ /イ スラミックセンター ジャノ く ンHP http://islamcenter orip 3「 多神教と一神教」 本村凌二/岩 波書店/2005 4日 本ムスリム協会HP http1//mus imkyoukalip/ tsudoi 2012 12■
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