群馬県立図書館「すき焼き」応援資料リスト 県立図書館の蔵書から、「すき焼き」関連の主な資料を集めてみました。参考にご覧ください。 【ぐんま・すき焼きの日制定記念キックオフイベントでの主な展示資料】 『上毛遊覧』隆成社 1909 (明治42年) 広告 p.五十一 西洋御料理 牛肉 かしわ 高崎赤城亭支店写真 『高崎案内』 早川愿次郎編 上野日日新聞社 1910(明治43年) 口絵 巻末 西洋料理牛肉かしわ赤城亭支店の写真と広告、牛肉御料食なべ屋本店の写真と広告 純良牛肉 西洋料理 高崎市嘉多町通り あづま誤 『高崎百年』1900→2000 20世紀時間旅行 高崎市役所市長公室広報広聴課企画, あさを社編 平成12年刊 高崎市 2000 p.160 連雀町なべや支店の写真(大正6年頃) 『群馬県商工人名録』 群馬県商品陳列所出品協会 1922(大正11年) 牛肉店元祖赤城亭本店の広告、北甘楽郡の蒟蒻粉問屋の広告 『前橋商工人名録』 前橋商工会議所編 前橋商工会議所 1939(昭和14年) 牛肉割烹赤城亭本店の広告 p.三十七 高崎の町割図に牛肉店「信田藤蔵」の記載(十五連隊近くで評判だったすき焼き店) 『市政五十周年記念 高崎案内』群馬与論新聞社編 1949(昭和24年) 食肉販売和洋料理「信田」の広告 『 「高崎藩日記」釈文集』 第1輯 高崎古文書の会編 2010 p.69,93,103 贈答品の中に下仁田葱の記載あり 『群馬県地誌略』上 今井匡之編, 小沢如風編 群馬県 1883 二十一丁 "下仁田町ノ葱ハ、最モ著名ナルモノニシテ・・・" (昔の地理の教科書に出てくる、最も古い下仁田ねぎの記述) 『上野国地理摘要』上 尋常科生徒用 朝岡初三郎, 長尾陽三共著 出版者 吉田鉄三郎 1890 十三丁 "下仁田葱ト稱スルハ、下仁田町近傍ヨリ産スルモノニシテ、其名世ニ髙シ" 『名著複刻全集近代文学館』 明治前期 日本近代文学館 1968 初版本複刻限定出版 旧出版事項 万笈閣 明治4(1871) 明治前期 牛店雑談安愚楽鍋 一名奴論建 仮名垣魯文著 初編 2編上 2編下 3編上 3編下 十六丁 新聞好の生鍋の絵図 【その他の主な「すき焼き」関連資料】 『前橋繁昌記 完 戦捷記念』 豊国義孝編 前橋繁盛記発行所 1906 (明治40年) 『前橋案内』 野条愛助編 1898(明治31年) p.二百六十三 赤城亭本店、旭亭本店の案内 p.一五四 牛肉店6店の店名記載 『群馬県営業便覧』 全国営業便覧編 1904 (明治37年) 『高崎郷土花街史』根岸省三 隆成社編 吾妻書館 1981 p.185-188 牛鍋料理の出現と高崎 『高崎の明治百年史 明治百年記念』根岸省三編 高崎市社会教育振興会 1969 p.185 "明治期にはいってからの料理としては、牛肉店と、カフェー、西洋料理店などであるが、高崎では 鞘町にあった羽生田の赤城亭支店が、この牛肉をまっ先にはじめ、牛鍋というものを,鍋屋本店とともに はじめた。鍋屋などという家屋号も、この牛鍋から来ているのではあるまいか、とにかく鍋谷の牛肉料理は 高崎では古い。明治初年のころは・・・ 牛肉も六銭五厘で喰えたのである。 ・・・大正から昭和にかけて この牛肉が流行し、料亭のうち、鍋屋本店と信田はこの牛鍋料理で売り出し全盛を極めた・・・ " 『大手前の子』 田中友次郎著 大手前の子刊行会 1958 p.193 "大手前の南角に、鍋屋支店が、牛肉屋と料理屋を兼ね、新装して開店したのは、ぼくの小学校 一,二年の頃と思う。表通りに面した店先では、牛肉を売り、店の北側は暖簾をくぐって、すぐ二階座敷に上れ るようになっていた。" 『前橋繁昌記』(みやま文庫) 保岡申之著, 相葉伸編 みやま文庫 1974 p.95 料理店の項 "赤城亭 曲輪町 前橋一等の牛店にして西洋料理を兼ね二階ハ直に赤城山に 対し空気流通よし" 『私の食自慢・味自慢』第8巻 おでん/鍋(大きな活字で読みやすい本) 嵐山光三郎監修リブリオ 出版 2006 p.113-132 牛鍋からすき焼きへ 古川緑波、p.133-138 すき焼きの記憶 山田太一、p.139-147 エラク なりたかったら独身だ、スキヤキだ 開高健、p.148-171 鍋物について 東海林さだお 「すきやき」の食材と薬効 明治の教科書にも載った下仁田ねぎ 『下仁田ねぎの本』 上毛新聞社事業局出版部 2014 p.28-29 p.32-33 p.34-35 皇室に献上された「殿様ねぎ」 教科書に載った下仁田ねぎ 「群馬県地誌略」 上 、「上野国地理摘要」 上 文豪も愛した下仁田ねぎ 島崎藤村 『下仁田ネギ -ネギの来歴を追って』 (下仁田自然学校文庫1)里見哲夫著 下仁田自然学校 2003 p.3-16 「ネギに関する古文書、古書及び書籍、文献」(殿様葱の根拠資料多数) 『 「高崎藩日記」釈文集』 第3輯(第5巻・第6巻) 高崎古文書の会編 2010 p.22,32 贈答品の中に下仁田葱の記載あり 2014 『群馬風土記』 第13巻第2号通巻57号 1999年春季号 特集:群馬の歴史 群馬出版センター[編] p.42-44 宮中にも献上された名産 下仁田ネギ由来譚 上原安男 『かんらの味下仁田ねぎ(殿様ねぎ)』 地域食情報手づくり事業推進協議会 1991 監修:富岡農業改良普及所 『日本の郷土産業』2 関東 日本地域社会研究所編 新人物往来社 1975 p.39-42 明治以来に大発展した下仁田こんにゃく ”砂石混りの土質で水はけのよかったこと、山間地で日照時間が短いこと、それにもかかわらず、南向き斜 面が適度の土中温度を保つなどの諸要因が幸いして、こんにゃく芋栽培に適したところとなっていた。” 『こんにゃく博物館の満腹こんにゃくレシピ 日本の健康食材で毎日元気!大満足のおかず100品 (別冊すてきな奥さん)脇雅世料理 主婦と生活社 2012 p.4 こんにゃくで健康に 1 ダントツの低カロリー 2 でも、食物繊維はたっぷり 3 カルシウムの 力もあなどれません 4 美肌づくりや高血糖対策にも 『上州路』第33巻1月号通巻380号 2006.1 関口ふさの編 あさを社 特集:落語の世界に見る上州 p.26-28 上州のお噺紀行 その三 蒟蒻問答と安中 「蒟蒻問答」は、安中宿蒟蒻屋の主人が世話した古寺のニセ住職と、旅の雲水が珍妙な問答を繰り広げる 落語の一席。この言葉が上州安中の古寺で交わされた問答からきていることを知る県民は多くない。 『翻刻 江戸時代料理本集成』 第5巻 吉井始子編 臨川書店 1980 p.319-331 「蒟蒻百珍」 『実験蒟蒻講話』 志村玄一著 精華堂 〔1925〕 『こんにゃく産業論』長谷川秀男著(高崎経済大学地域政策学部教授) 天水空間造形研究所 2006 『森喜作追悼録 きのこ博士を偲んで』 森喜作追悼録刊行委員会編 森産業 1979 共同刊行: 日本きのこ研究所 p.317-338 第四章 きのこ博士森喜作の業績 その1 森指揮種菌駒の発明、その2 椎茸の人工栽培の 普及、その3 椎茸産業の育成と生産者の組織化、その4 乾椎茸の輸出振興、その5 食用きのこの開発、 その6 薬学的・栄養学的効果の研究、その7 発明・考案の実践と推進、その8 国際食用きのこ会議の開催 (森産業は2010年4月 TBS「がっちりマンデー」で紹介されました-ネット情報) 『しいたけ健康法 ついに明らかにされた菌食効果』 カッパ・ホ-ムス 森喜作著 光文社 1974 著者は桐生市出身 京大農学部卒 『乾しいたけ 千年の歴史をひもとく』 小川武廣著 女子栄養大学出版部 2012 p.100 しいたけの薬効に懸けた、先人の先見性と行動力 森喜作 ビタミンD コレステロール低下作用 p.135-158 乾しいたけ 千年の歴史をひもとく 年表 p.160-179 しいたけの薬効(研究論文・報告) 『葱と蒟蒻と椎茸と共に生きた 松浦源一郎の八五年』 松浦源一郎著 2001 『椎茸のあゆみ』 甘楽富岡地区椎茸生産連絡協議会〔編〕 1978 『食の医学館』体に効く食品を全網羅 本多京子[ほか]監修 小学館 2002 p.276-277 牛肉 体をあたためて冷え症を治すとともに、貧血、疲労回復、虚弱体質の改善にも効果抜群 p.278-279 豚肉 疲労倦怠や夏バテ、イライラ、ストレスの解消はもちろん、お酒好きにも欠かせない食材 p.282-283 鶏肉 病後や虚弱体質、口内炎、神経性胃炎、肝疾患をいやす。 p.370 ジャガイモ 豊富なカリウムが血圧を安定させ、高血圧を予防する「大地のリンゴ」 p.371 シュンギク がん予防に働くカロテンを豊富に含み、造血に必要な鉄分もたっぷり p.388-389 ネギ かぜ予防はもちろん、血栓予防にも有効に働く香り成分を含む淡色野菜 p.390 ハクサイ 塩漬けにすれば整腸効果がアップ。ビタミンC補給源としても最適 p.422 とうふ ダイズと同様の栄養成分をもち、消化吸収がよいのが魅力 p.436 こんにゃく 水溶性の食物繊維が腸内をきれいに掃除してくれるダイエット食の代表 p.438-439 シイタケ 特有の成分が免疫機能を活性化させ、強力な抗がん効果を発揮 『旬の野菜と魚の栄養事典』 春夏秋冬おいしいクスリ 吉田企世子監修, 棚橋伸子監修 エクス ナレッジ 2011 p.118 しいたけ p.119 しめじ p.148 しゅんぎく p.158 ねぎ p.159 はくさい 『薬になってやくだつ野菜』 森田直賢監修 北日本新聞社 2002 p.72 コンニャク たっぷりの食物繊維が食べすぎも防ぐ p.75 シイタケ 抗がん、抗ウイルス効果も証明 p.80 シュンギク カルシウム、ビタミンKが骨の健康を維持 p.94-95 タマネギ 目を刺激する硫化アリルが元気の源 p.112 ネギ 免疫力を高め、活性酸素の生成を抑える p.113 ハクサイ 頑固な便秘を解消し、食欲を増進 『ぐんまの伝統食』 上毛新聞社出版メディア局 2008 p.192-197 原木栽培にこだわり シイタケ p.228-233 手間掛けて本物の味 下仁田ネギ 『群馬歴史散歩』 第183号 特集:下仁田町 群馬歴史の会事務局 2004 p.44-47 ネギとコンニャク下仁田名産 市川肇 "下仁田ネギ:白根の部分が太く歯ごたえがある。熱を加えると甘みが強く、葉の部分まで食べられる。 すき焼きなどに使用するのが最適である。"、"こんにゃく:大正十三年『北甘楽蒟蒻全集』によれば、 ①霧深く傾斜地が好適。山間の水流を利用して精粉に加工すれば運搬は容易。・・・ 上記の地形や日照 時間のことを考えれば、南牧・下仁田の地はその最適地である。"、"すき焼きに欠かせない全国に知れ渡 った食材が下仁田に二つあるのは貴重である。" 『下仁田町史』 暮らしの中の植物 こんにゃくの由来 下仁田町史刊行会編 下仁田町 1971 p.26 "こんにゃくは適地である条件として、越冬せねばならぬから冬は極端に寒くなく、夏のつよい日光に 長時間あたり過ぎない地(山間地)であること、日焼けをして枯れやすいのである。しかし、無論よく日の射さぬ ようなところは不適である。土地は酸性で保水性・通気性を要し、排水性のよい傾斜地を喜ぶ。又、開葉して からは強い風、台風、暴風のないところなどがあげられる。このようなことから考え合わせると、下仁田・南牧の 風土はまさにピッタリといえる。" 文豪と「すき焼き」 『漱石、ジャムを舐める』 河内一郎著 創元社 2006 p.105-112 (三)牛肉・牛鍋 の項に以下のような記述が見られる。 明治のころ"牛鍋一人前は三十匁程度だった" "当時牛肉料理で一番流行したのが牛鍋屋である。関東では牛鍋、関西では鋤焼と称するようになった" "漱石は牛肉が大好きだった。牛鍋も鏡子夫人の家庭料理としてよく食べた。" "漱石の主要な小説十五編の中で、牛肉の登場するのは、この『門』の他に、『吾輩は猫である』 『坊ちゃん』『野分』『坑夫』『三四郎』『彼岸過迄』である。" 『坊ちゃん』 「坊ちゃん」の中にもすき焼きをしていると思われる場面があります。 "おれが蜜柑の事を考えているところへ、偶然山嵐が話しにやって来た。今日は祝勝会だから、君といっしょに ご馳走を食おうと思って牛肉を買って来たと、竹の皮の包を袂から引きずり出して、座敷の真中へ抛り出した。 おれは下宿で芋責豆腐責になってる上、蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際 だから、そいつは結構 だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、煮方に取りかかった。" 『鷗外全集』 第6巻 森林太郎著 岩波書店 1972 p.107-112 「牛鍋」 『鷗外全集』 第5巻 森林太郎著 岩波書店 1972 p.521-567 「金毘羅」 博士の病気のこども百合が”牛と葱が食べたい”といい、食べさせたところ病気が回 復に向かった話 『福沢諭吉全集』 第20巻 福沢諭吉著, 慶応義塾編纂 岩波書店 1963 p.38-39 肉食之説(肉の滋養を説き、肉食の普及を促している。) 『日本現代文学大事典 作品篇』 三好行雄[ほか]編集 明治書院 1994 p.18-19 牛店雑談安愚楽鍋の解説あり 『ヨコハマ洋食文化事始め』 草間俊郎著 雄山閣出版 1999 p.106-111 牛肉、牛鍋の急激な普及 p.123-138 メディアに見る牛鍋屋状況 「牛店雑談安愚楽鍋」「横浜新誌」「河童相伝 胡瓜遣」 「東京開化繁昌誌」「大阪新繁昌誌」ほか 『ネット情報くりりん』 明治4年(1871)小説「安愚楽鍋」刊行 このころ牛鍋ブーム始まる。 明治7年(1874)牛鍋の値段 並3銭5厘 『東京開化繁昌誌』 第初編巻之下 萩原乙彦 著 三木光斎 画 万青堂 1874 国立国会図書館デジタルコレクション 一丁 "数色の割烹を書 曰 すき焼 なべ焼 玉子焼" 『明治開化期文學集』(明治文學全集 1) 筑摩書房 1966 p.138-165 牛店雑談安愚楽鍋 仮名垣魯文篇 の読み下しあり 『明治初期文学集』 (日本現代文学全集 1) 伊藤整[ほか]編集 講談社 1969 p.5-36 牛店雑談安愚楽鍋 仮名垣魯文篇 の読み下しあり 『新村出全集』第5巻 南蛮紅毛篇 新村出著 筑摩書房 1977 p.454-460 大学教授による鋤焼語源調査の顛末が読み物風に記されている。 『台所に敗戦はなかった 戦前・戦後をつなぐ日本食』 魚柄仁之助著 青弓社 2015 p13-42 第1章すき焼き 一九二八年の「すき焼き」 鋤や鍬で本当にすき焼きができるのか すき焼きのプロトタイプ 家庭百科事典の「すき焼き」 すき焼きとはなんだ? 大阪からやってきたすき焼 き すき焼きを語る人々 換わりすき焼きのいろいろ そばすき焼きという最終形態 「すき焼き」と食文化史 『全集日本の食文化』第8巻 異文化との接触と受容 芳賀登監修, 石川寛子監修 雄山閣出版 1997 p.44-46 牛鍋とすき焼 "牛鍋は、もっとも日本人の好みにあった料理法で、古くから行われていた雁鍋 や、ももんじゃのぼたん鍋などの調理法が用いられたものである。関東で牛鍋が行われていたのに対して、 すき焼きは関西の食法で、のちに東京の牛肉店にとりいれられたものである。" 『日本はじめて図鑑 身近な「もの」のはじまりがわかる』(もっと知りたい!図鑑)田中裕二監修 ポプラ社 2012 p13 すき焼き 文明開化とともに広がった食肉文化 『鍋大好き読本 知って囲んであったまる』(日曜日の遊び方) 佐藤倫朗著 料理指導 林清昭 雄鶏社 2001 p.90-100 青春の旅立ちの、すき焼き。肉は経木に包まれていた 牛脂の溶ける匂い 関西風のルーツ 関東風のルーツ 関西風の味付け 関東風の味付け 関東風の微妙な問題 ハヤシ流すき焼き(関東 風) 牛肉とねぎと生卵 卵を選ぶ器としての鍋について 『 「幸福の食卓」100のヒント』 小山裕久著 講談社 2001 p.146-147 すき焼き 家族の絆を確かめましょう 『日本食物史 下』 近世から近代 雄山閣出版 1995 p.466-p.472 牛鍋 の項で「安愚楽鍋」について次のような記述がある。 "これは牛肉を用いるのは文明開化の風であるといふ時潮に乗じて書いたもので、東京市中の牛肉流行の 有様を叙し、さまざまな階級の客の口を借りて牛肉食の効能を述べ、開化の何たるかを諷諭している。" 『近代日本食文化年表』小菅桂子著 雄山閣出版 1997 p.11 明治元年 高橋音吉が牛鍋を考案(現「太田なわのれん」) p.14 明治2年 神戸元町に牛肉すきやき店「月下亭」開業 p.28 明治7年 「東京繁昌記」に牛鍋。 "牛鍋屋の牛鍋には上等並等とわかれ、脂で鍋を磨いて烹るの を焼き鍋といって一人前五銭、葱を入れて煮たものが並等で一人前三銭五厘上等はスキ焼であり、並は牛肉 の煮込みである。" 『日本料理由来事典』 中 す~わ 川上行蔵監修, 西村元三朗監修 同朋舎出版 1990 p.15 鋤焼 『翻刻 江戸時代料理本集成』 第7巻 吉井始子編 臨川書店 1980 p.114 「素人包丁」 はまちの鋤焼の図あり 『食の歳時記 江戸・明治の味を訪ねて』 (別冊歴史読本) 新人物往来社 2006 p.100-107 すき焼 多田鉄之助 「食通ものしり読本 」新人物往来社 1977より p.108-p.111 牛のすき焼 波多野承五郎 「食味の真髄を探る」 万里閣書房 1929より 『全集日本の食文化』第4巻 魚・野菜・肉 芳賀登監修 石川寛子監修 第4巻 雄山閣出版 1997 p.241-252 食卓の牛肉(1)わが国の牛肉食の歴史と現状 宮崎昭 牛肉食のすすめ 文明開化 福沢諭吉等 p.253-261 肉ジャガとスキヤキ 吉田忠 『新日本古典文学大系』1 開化風俗誌集 明治編 中野三敏[ほか]編集委員 岩波書店 2004 p.1-232 「東京新繁昌記」(抄) 「すき焼き」といえばこの歌 『坂本九 上を向いて歩こう』人間の記録 坂本九著, マナセプロダクション編 日本図書センター 2001 p.57 「スキヤキ」ソング全米1位に "昭和三十七年に来日したイギリスのレコード会社社長が、当時 日本で流行っていたレコードを持ち帰り、その中の『上を向いて歩こう』がイギリスでもヒットすると見込ん でジャズバンドに演奏させ、シングルレコードとしてリリースした。そのとき浅草で食べたすき焼きを思い出して 「スキヤキ」と名づけた、という説がある。
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