中国武術の現在と「道」の精神

スポーツ科学研究, 5, 128-136, 2008 年
中国武術の現在と「道」の精神
Current Chinese Wushu and the Spirit of “Tao”
鄭旭旭
Zheng Xu-xu
中国・集美大学
Jimmei University in China
キーワード: 舞踊、伝統武術、武道、道
Key Words: Dance, Traditional martial arts, Budo, Tao
抄 録
本稿の課題は右の三点である。(1)中国武術全体の概要と最近の問題点を紹介した。(2)中国武術の
本 質 的 属 性 と思 われる「戦 う」思 想 的 要 素 を、特 に舞 踊 の「美 しさ」との比 較 において検 討 した。(3)中 国
武術の将来について「道」の思想との関係を考察した。各考察内容は以下の通りである。なお、本稿は、
訪問学者として早稲田大学スポーツ科学学術院に滞在した 2007 年 1 月に、学部生に対して行った特
別講座「中国武術の形式的特徴と精神」の講義ノートを加筆したものである。
1. 教 育 ・研 究 、学 校 ・国 際 連 盟 ・選 手 権 、中 国 武 術 の三 形 式 (健 康 武 術 、競 技 武 術 、伝 統 武 術 )につ
いて紹 介 した。また、北 京 オリンピックを巡 る近 年 の問 題 、特 に、競 技 武 術 がもたらす弊 害 及 び伝 統
武術性が蘇る現在の傾向について解説した。
2. 戦国 時 代の出土 品(壷)「燕楽 射 猟 水陸 攻 戦紋 銅壷」の波 紋の下 に見 える人物 像 を分 析し、舞 踊と
武術の本質的属性の違いについて考察した。
3. 中国武術の身体運動としての多様性は、競技スポーツとして、健康とレクリエーションの手段、また警
察 官 の逮 捕 術 としてなど様 々な分 野 で幅 広 く応 用 できる。しかしこれらはあくまでも“応 用 ”の事 柄 で
あり、武 術 の持 つ本 質は、中 国 文 化のひとつとして「道 」を追求 すべきだと考 える武術家 も少なくない。
筆 者 は、老 荘 の古 典 、及 び中 国 の古 典 に見 える言 葉 を用 いて考 察 し、武 術 の最 終 目 標 としての
「道」の境地を目指すべきであると結論した。
スポーツ科 学 研 究 , 5, 128-136, 2008 年 , 受 付 日 :2008 年 2 月 13 日 , 受 理 日 :2008 年 6 月 3 日
連 絡 先 : 志 々田 文 明 早 稲 田 大 学 スポーツ科 学 学 術 院 359-1192 埼 玉 県 所 沢 市 三 ヶ島 2-579-15
E-mail: [email protected]
はじめに
中 国 武 術 の本 質 的 属 性と思 われる「戦 う」思 想 的
本 稿 の課 題 は3点 ある。第 一 に、中 国 武 術 全
要 素 を、特 に舞 踊 の「 美 しさ」 との比 較 において
体 の概 要 と最 近 の問 題 点 を紹 介 した。第 二 には、
検 討 した。第 三 には、中 国 武 術 の将 来 について
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行われている。
「道 」の思 想 との関 係 を考 察 した。本 稿 は、訪 問
学 者 として早 稲 田 大 学 スポーツ科 学 学 術 院 に滞
在した 2007 年 1 月、S 教授(武道論)の求めに応
3.中国武術の3形式
じて学 部 生 に対 して行 った特 別 講 座 「中 国 武 術
(1) 健康武術
邱丕相ほか編集, 中国武術教程 (2003) によ
の形 式 的 特 徴 と精 神 」の講 義 ノートを加 筆 したも
れば、現 在 の中 国 武 術 の形 式 は、競 技 武 術 、健
のである。
身 武 術 (健 康 武 術 の意 )、学 校 武 術 、実 用 武 術
の四 つに分 類される。しかし武 術の分類 について
I. 中国武術の現在と問題
は様 々である。そこで本 稿 では、武 術 を行 う者 の
1.教育・研究
武 術 は中 国 の優 れた文 化 遺 産 のひとつとして、
志 向 性 から健 康 武 術 (大 衆 が健 康 志 向 に行 なう
中 国 政 府 によって重 視 されている。中 国 教 育 部
武 術 )、競 技 武 術 (専 門 的 競 技 者 が行 う武 術 )、
が指 定 する体 育 学 の専 攻 領 域 は体 育 教 育 訓 練
伝 統 武 術 (アマチュアが文 化 伝 承 として行 う武
学、人体運動科学、体育人文社会科学、民族伝
術 )の3種 類 に分 けて考 える。健 康 としての武 術
統 スポーツの4つである。中 国 教 育 部 (日 本 の文
は太 極 拳 のように、動 作 がゆっくりで、柔 らかくて
部 科 学 省 に相 当 )は11の学 問 コースを設 定 して
軽く円を描き、意識 が動 作を導くことを強調する。
いる。その一 つが教 育 コース(狭 義 )であり、その
精 神 を集 中 し、技 と呼 吸 と合 わせるといった特 徴
下 位 に体 育 コースがある。体 育 には民 族 伝 統 ス
は、世 界 中 の民 衆 の憧 憬 を獲 得 している。太 極
ポーツ専 攻 が設 立 されている。大 学 院 には民 族
拳には動作を簡約化した 24 式太極拳があるし、
伝 統 スポーツ専 攻 の修 士 課 程 もある。民 族 伝 統
少し複雑な 48 式、もっと複雑な 85 式という套路も
スポーツの理 論 と実 技はほとんど中国 武 術 である。
ある。さらに陳式、呉式、孫式、武式 といった風格
中国公立大学の 34 ヶ所に民族伝統スポーツ学
のちがう様 々な拳 式 がある。剣 あるいは扇 を使 う
部が設置されており、その内 21 ヶ所の大学院で、
太極 剣 あるいは太極 扇 運動もある。それに、二 人
民 族 伝 統 ス ポーツ専 攻 の修 士 課 程 の生 徒 を募
が互 いに手 を組 み合 わせて、押 す、引 く、あるい
集している。さらに上海体育学院、北京体育大学、
は反 撃 に対 して押 すことをくりかえす太 極 推 手 も
華 南 師 範 大 学 の3校 には民 族 伝 統スポーツ専 攻
盛 んになっている。これは、相 手 の力 を借 りて相
の博士課程もある。
手を倒す形式の練習方式である。
この十 数 年 間 に人 気 のでてきた武 術 に、太 極
拳 によく似 た木 蘭 拳 という拳 法 がある。これは身
2.学校・国際連盟・選手権
中 国 学 者 の琪 国 らの調 査 によると、2001 年 、
軽 な運 動 形 態 の一 種 で、舞 踊 のような美 しさがあ
中 国 では武 術 団 体 (校 、館 、院 、社 、研 究 会 )は
り、女 性 や年 寄 り方 には魅 力 的 なものである。こ
12,000 か所 があり、7,000 人 の生 徒 が全 日 制 の
のような健 康 のための武 術 は、主 に「老 人 大 学 」
基 本 教 育 を うけている 武 術 学 校 も あ る( 黄 淋 海 ,
(生 涯 学 習 機 関 の一 種 )や都 市 の公 園 で展 開 さ
任海,pp.24-25 )。中国武術の国際武術連盟には
れているが、沢 山 の太 極 拳 の習 練 者 が中 国 体 育
2006 年 12 月現在で 106 国が参加している。4年
総 局 の 武 術 運 動 管 理 センター 主 催 の様 々な全
に1回 の世 界 武 術 選 手 権 大 会 や世 界 青 少 年 武
国 太 極 拳 大 会 や国 際 太 極 拳 大 会 によって、いる。
術 選 手 権 大 会 があり、ヨーロッパやアジアにもそ
その規 模 は大 きく、参 加 者 は多 様 である。たとえ
れぞれの地域で 4 年に1回の武術選手権大会が
ば 2003 年の3月には海南島の第一回世界太極
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拳大会には 14 か国から約 4000 人が集まったと
形 態 と用 いる武 器 とによって多 くの種 目 に分 化 さ
いわれる。
れている。
これに対 して中 国 武 術 は套 路 (日 本 の形 に相
当 ) が中 心 であった。套 路 には、徒 手 、剣 や刀 を
(2) 競技武術
競 技 武 術 は大 まかに套 路 と散 打 の2種 類 に分
持 つもの(短 器 械 )、槍 や杖 を持 つもの(長 器 械 )
かれているが、同 じ武 術 と呼 ばれる競 技 であるに
があり、これら三 つの演 武 を一 つのセットで行 う。
もかかわらず、試 合 場 は別 々で、出場 の選 手 から、
さらに二 人 か三 人 で約 束 組 み手 を行 なう套 路 も
コーチ、審 判 まで、全 て異 なる人 達 によって行 わ
ある。
散打は 20 世紀 80 年代に新興した競技武術で
れる。
ある。これは二人で行うもので、互いに徒手で蹴り、
競 技 武 術 と しての套 路 は、採 点 競 技 として行
われている。套路は一般的にいって 40 から 50 個
打 ち、速 摔 ( 2秒 以 内 の相 撲 )を応 用 して戦 う競
の動 作 で構 成 される。演 武 は、踢 (蹴 り技 )、打
技である。金的、後頭部、頸への攻撃は禁止され
(手の技)、摔(相撲)、拿(関節技)の表現を中心
ている。また、頭 、肘 、膝 による攻 撃 も禁 止 である。
とし、跳 躍 、平 衡 (片 足 で様 々な姿 勢 を造 ること)、
胴 、金 的 、歯 、頭 に防 具 をつけ、グローブをつけ
手型、歩型(立つ足の形である)、弓歩、馬歩、虚
ることが規 則 によって定 められている。48Kg から
歩 、仆 歩 、歇 歩 など各 種 類 の要 素 を必 ず含 んで
90Kg 以上までの体重別に 11 ランクあり、幅8メー
いなければならない。演武の時間は1分 20 秒に
トル平方で高さ 30 センチの試合場で行う。毎ラウ
定 められている。演 武 場 所 の広 さは幅 8メートル、
ンド二分の三ラウンド制で戦う。
長 さ 14 メートルの絨 毯 で行 う。審 判 が選 手 の姿
1949 年 の解 放 後 から、中 国 では政 府 により競
勢の美しさ、技の旨さ、力 の充 実さ、リズムの適当
技 スポーツが重 要 視 され、オリンピックの金 メダル
さなどを各角度から見て採点する。2002 年の新し
の獲 得 者 は政 府 や企 業 や個 人 から特 別 の待 遇
い競 技 規 則 にみると、さらに技 の難 易 度 による採
を受けて顕彰されている。同様に各地方政府は、
点が強調されつつある。套路は芸術化されている
4 年に 1 回の中国全国運動大会における金メダ
が、武 術 形 式 の表 現 運 動 を通 して、より強 く、より
ルの数 を現 地 経 済 と文 化 発 展 レベルの指 標 とし
速 く、より高 く、というオリンピック精 神 を追 求 して
て重視している。激励のための様々な政策も創立
いるともいえる。中国武術の種類は 129 種ある。し
されて、金 メダルに向 けての幼 少 期 からの強 化 訓
かし、大 きな競 技 大 会 で採 用 されている套 路 は、
練 、組 織 化 といったシステムを整 えている。武 術
長拳(揚子江委以北の拳)、南拳(揚子江以南の
競 技 のパフォーマンス・レベルも年毎 に激 しくまた
拳)、太極拳の三種類しかない(張山ら,p.36)。
難 しくなっている。一 般 人 にとって過 度 に専 門 的
な武術になったのである。
日 本 の武 道 稽 古 法 は、形 と(乱 取 り・地 稽 古 ・
組 み手 等 の)競 技 の二 種 類 がある。日 本 武 道 の
(3) 伝統武術
多 くは競 技法 を持 ち、多 くの種 目に分 化 されてい
る。例 えば、柔 道 は二 人 の者 が互 いに手 で相 手
中 国 武 術 の本 流 は伝 統 武 術 (流 派 武 術 )であ
の道衣を掴み、投げあるいは固める乱取り競技で
る。伝 統 武 術 は一 般 に競 技 は行 わないため競 技
あり、剣 道 は互 いに竹 刀 を持 って、その打 突 によ
ルールがもたらす弊 害 は少 ない。伝 統 武 術 は数
って戦 う競 技 である。空 手 は型 の採 点 競 技 と打 、
人 で小 さいサークルを作 り、公 園 や庭 などで練 習
突き、蹴りを競う「組み手」競技がある。つまり格闘
している。一方、北京の馮志強の“混元太極拳研
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究 会 ”、河 北 の孟 村 の“八 極 拳 研 究 会 ”、河 南 の
各 地 に伝 播 していっており、伝 統 武 術 性 の蘇 る
“陳 式 太 極 拳 研 究 会 ”のような大 きい団 体 によっ
傾向が現れている。
て行 われる場 合 もある。伝 統 武 術 は長 年 にわたり
II. 中国武術の本質的属性:武術と舞踊
存 在 しているが、時 期 によって盛 衰 がある。伝 統
武 術 に携 わっている人 達 は、全 国 あるいは地 方
図 1( 編 集 委 員 会 ,p.44) の左 は、中 国 戦 国 時
の国 民 運 動 大 会 で金 メダルを争 うことを目 標 とは
代(公元 221 年前)の出土品(壷)「燕楽射猟水
せず、套 路 (形 )、対 練 (約 束 組 み手 )、散 打 (自
陸 攻 戦 紋 銅 壷 」(北 京 ・故 宮 博 物 館 所 蔵 )である。
由 組 み手 )を全 て練 習 して、その中 身 を味 わって
壷の中 央を横断 する波 紋の下 に見 える人物 像 は、
いる。これは教養としての中国武術といえる。
左 の二 人 は矛 と盾 を持 つ武 人 、その右 三 人 は矛
を持 って攻 める姿 をしめし、その右 の武 人 たちは、
武 器 を持 って斜 面 を駆 け上 がる武 人 たちを槍 や
4.近年の問題
解 放 後 の新 中 国 政 府 は、平 和 で安 定 的 な社
弓 、剣 を持 って防 戦 している人 々の姿 を示 してい
会 においては、闘 うことを想 定 した武 術 の存 在 価
る。波 紋 のすぐ上 に見 える人 物 像 は、右 から二 つ
値は低いという判断から、青少年の身体能力と美
目 は舞 踊 の一 表 現 であろう、その左 の六 及 び九
しさを競争価値とした現代の競技武術を推進して
番目の図は弓を引く武人であろう。舞踊の図の上
きた。その傾向は長く続くが、1990 年代の後半に
は船 に載 った三 人 の姿 を描 いっている。戦 後 の
は北 京 オリンピック開 催 の意 志 を明 確 にしたこと
宴 であろう。右 の者 は杯 を差 し出 し、真 ん中 の者
から、競技武術志向は拍車がかかった。
は剣を押さえって振り返った姿であろう。その上の
一 方 、競 技 化 がさまざまな問 題 点 をもたらした
波紋 の上 にも中央 付近 に弓 や剣を持った武 人 の
ことから、1980 年 代 に、国 家 体 育 総 局 の武 術 運
姿がみえる。以上 から、武 術学 者はこの壷 絵を武
動 管 理 センターは、“全 国 武 術 観 摩 [演 武 ]交 流
術 の 起 源 の 証 拠 とし て いる。 一 方 、 舞 踊 史 の専
大 会 ”をしばしば主 催 し、全 国 の各 地 のそれぞれ
門 家 はそれを古 代 舞 踊 の表 現 態 として考 えてい
の流 派 の達 人 を招 いて演 技 をさせた。全 国 の伝
る。そこでは武 人 たちも武 を舞 う人 と見 なされてい
統 の武 術 を発 掘 し整 理 するためであった。中 国
る。
国 内 の学 者 は、競 技武 術 の方 向 性 について
右の 2 枚の写真では、武術か舞踊かの判断は
様 々な批 判 を展 開 し、最 近 では、体 操 化 、舞 踊
容易である。身体姿 態はよく似 ているが上の写真
化 の傾 向 を色 濃 くした武 術 を止 めようとする見 解
は舞 踊 である。片 足 で地 面 を支 えて少 し立 ち上
が強くなっている。筆者自身、日本 武道の友人か
がり、もう一 方 の膝 を高 く上 げて、右 の手 は充 分
ら、「武 術 は舞 踊 ではないか」、「武 術 は雑 技 では
にまっすぐ伸 びて、前 方 を打 っている。この写 真
ないか」という質 問 をうけたことがあるが、見 せるた
の演者は現代舞の演目「秋瑾」(舞踊, p.15)のス
めの派手 に演技したりする華法化 が問題となって
チール写 真 である。秋 瑾 は清 末 に日 本 に留 学 し、
いるのである。
その後 、清 朝 に一 揆 した人 物 であり、現 代 女 侠 と
太 極 拳 は、近 年 、競 技 武 術 がもたらす弊 害
しても言われた。下の写真(邱丕相ほか編,
(誇 張 や、非 実 戦 性 、危 険 性 ) から、競 技 武 術 か
p.167)にあるその演 技 者 は、中 国 で優 秀 な選 手
ら離 れる傾 向 にあ り、各 種 の流 派 の 伝 統 武 術 も
といわれる胡 宝林であり、伝統的 な通 臂拳の技を
同 様 の傾 向 を見 せ始 めている。ある地 域 で盛 ん
披露している。両者の違いはどこにあるのか。
舞踊は一般に生活舞踊と芸術舞踊に分類で
であった武 術 が競 技 武 術 から離 れ、段 々と世 界
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図 1: 武 術 と舞 踊 の姿
きる。生活舞踊は祭りごとや日常生活で感情を表
でいない。身 体運動 を通 して戦 う技 巧 を表現する。
出 するものをいう。他 方 、芸 術 舞 踊 は、主 に主 題 、
技 の合 理 性 、動 作 の速 さ、敏 捷 性 、タイミングを
人物、ストーリーで構成されている。同じ身体の動
取る旨さ、力の強さは武術の身体表現のキーポイ
きであるが、武 術 の身 体 技 法 が「戦 う」ことである
ントである。例 えば、一 人 で練 習 する場 合 におい
のに対 して、舞 踊 の身 体 技 法 の中 心 は「美 しさ」
ても、敵 が存 在 しているかのように振 る舞 う。中 国
である。舞踊は一定の空間と時間内のなかで、連
武 術 に“手 无 空 出 ,招 无 空 回 (手 を出 しも収 める
続 的 な身 体 動 作 を通 して、簡 潔 で洗 練 された姿
も,全 ては攻 防 の技 である)”という格 言 がある。も
態が表出される。このような芸術的な動きを通して
し武 術 が舞 踊 化 すれば、表 現 力 に関 しては舞 踊
生活を表している。そして場面が音 楽および舞 台
に及 ばず、武 術 の伝 統 的 独 立 性 も失 うことになる
美 術 (服 装 、背 景 、灯 、劇 用 道 具 )に結 びつく。
だろう。武 術 の本 質 は合 理 的 に“戦 う”ことなので
それによって舞 踊 者 の感 情 を表 現 し、観 客 の気
あり、武 術 と舞 踊 はそれぞれの本 質 的 属 性 を維
分 を高 揚 させ、美 意 識 を育 て、養 成 する効 果 が
持すべきであろう。
しかし、平 和 を希 求 する国 際 社 会 の中 にあって、
期待されるのである。
一 方 、武 術 の表 現 形 式 は、套 路 、対 抗 、功 法
中 国 武 術 は、「戦 う」という属 性 を維 持 することの
(技 の速 さ、強 さ、巧 みさなどを向 上 する補 強 練
みでよいのであろうか。中 国 伝 統 文 化 のあり方 と
習 )の 3 種 類 に分 類 される。武 術 は一 種 の身 体
してのそのような形 式 でよいのであろうか。以 下 に、
動 作 であり、舞 踊 の持 つ主 体 やストーリー性 はな
この問題を考える。
く、人 物 、事 情 、環 境 、雰 囲 気 などの要 素 は含 ん
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り、動 きの動 静 が明 確 である点 に特 徴 がある)に
Ⅲ. 「道」としての中国武術
武 術 は元 来 戦 いの手 段 であるが、武 術 の表 現
24 要(24 ポイント)がある。24 要は4撃すなわち踢
方式は時代によって、特に近代になって変化して
(足 技 )、打 (手 技 )、摔 (すもう)、拿 (関 節 技 )、8
きた。武 術 の種 類 は多 彩 である。武 術 の身 体 運
法 すなわち手 、眼 、身 、歩 、神 、気 、力 、功 、そし
動としての多様性は、適応性の広い原材料のよう
て 12 型である。12 型は全て自然界に学び、模倣
に、競技スポーツとして、健康とレクリエーションの
し、自 然 の形 を追 求 するものである。“鐘 のように
手 段 として、また警 察 官 の逮 捕 術 としてなど、
座 る(坐 如 鐘 )、松 の木 のように立 つ(立 如 松 )、猿
様々な分野で幅広く応用できる。
のように起 きる(起 如 猿 )、カササギのように落 ちる
しかしこれらはあくまでも“応 用 ”の事 柄 であり、
(落如鵲 )、大川の流 れのように動く (動如涛 )、大
武 術 の持 つ本 質 は別 の所 にある、と考 える心 ある
山 のように落 ち着 く (静 如 岳 )、車 輪 のように回 る
武 術 家 は少 なくない。彼 らは、中 国 武 術 は中 国
(転 如 輪 )、弓 のように張 り強 く折 れる (折 如 弓 )、
文 化 のひとつとして「道 」を追 求 すべきだと考 える
葉のように軽い (軽如叶)、鉄のように重い (重如
のである。
鉄 )、風 のように速 い (快 如 風 )、鷹 のように鷹 揚
「道 」という概 念 は、最 初 に老 子 の「道 徳 経 」に
する (緩 如 鷹 )”ということである。このように 実 践
ある(金 谷 治 ,p.43)。老 子 の「道 徳 経 」の「道 」には
することが「最 高 」のこととして評 価 する文 化 的 環
二 つ 意 味 が あ る 。 一 つ は 「 最 初 、 最 高 」 で ある 。
境が中国武術界にあるからである。
「物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂たり寞た
武術の「道」の境界は「庖丁解牛」である。庖丁
り独 立 して殆 わらず。周 行 して改 らず。以 て天 地
(料 理 人 )という人 物 は、牛 を解 体 するのに、手 で
の母となすべし。吾れこの名を知らず。これに字 し
触り、肩で寄せ、足でふんばり、膝立てして行った。
て道と曰う」(金谷治,p.65)とあるように万物の出発
各 動 作 に応 じて、さくさく、ばりばりと音 が生 じ、牛
点 、絶 えずめぐり来 るものの意 味 を通 して最 高 で
刀の動きに応じて、ざくりざくりと音が響きわたった
あることが表 現 されるといえる。もう一 つは「規 律 、
という。それが見 事 な調 和 を得 ると、まるで名 曲 を
原 理 」である。事 物 が従 うべき法 則 である。「道 」と
聴 く想 いがするという。庖 丁 は「私 の求 めているの
いう字 は元 来 人 の歩 く道 である。字 の成 り立 ちか
は 道 で あ って 、 技 よ り 以 上 の も のだ。 始 め 臣 ( 庖
ら考 えると、真 ん中 の“首 ”という字 は発 音 の記 号
丁 )の牛 を解 く時 、見 る所 牛 に非 ざるものなし。三
であって、しんにゅうは道 路 をかたどったものであ
年 の後 、未 だ嘗 て全 牛 を見 ず。方 今 の時 、臣 は
るから、元 来 は人 の歩 く道 を意 識 した字 である。
神 を以 って遭 いて、目 をもつて視 ず。官 知 は止 め
それが抽 象 的 に考 えられるようになり、人 として守
て神 欲 行 なわる。天理 に依 りて、大 卻を批(撃)ち
るべき道というような行動 あるいは実 践の規 準とな
大 竅 に導 い,これの固 然 に因 る。枝 経 肯 綮 にもこ
った。
れ未 だ嘗みず」と文恵 王 に言っている。ここでは、
庖 丁 の牛 を解 く腕は、技ではなく道であるとされ、
さて、中 国 では古 来 より道 を自 然 として理 解 し
最高の境地とされたのである(舞踊,p.240)。
てきた。これを「道 法 自 然 」という。自 然 にはさまざ
次 に「道 」における「気 」の問 題 を考 える。気 と
まな事物が無限に存在し、それらは絶えず変化し
ている。人 間 も自 然 に学 び、自 然 に適 応 してきた。
は「天 地 間 を満 たし、宇 宙 を構 成 する基 本 と考 え
武 術 も道 を求 めて同 様 に自 然 に従 って技 も変 化
るもの」(『広 辞 苑 』第 五 版 )と理 解 される。「気 」は
している。中 国 武 術 の長 拳 (査 拳 、華 拳 、少 林 拳
中 国 武 術 では特 別 な意 義 をもつ。武 術 の技 法 に
の総称で、姿勢や動作が大きく伸び,上がって蹴
関して、「外 は筋、骨、皮 を工夫 して、内は気を錬
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る」という格 言 がある。たとえば、長 拳 の気 (呼 吸 )
三 九 (一 年 で一 番 暑 い時 期 である‘三 伏 ’にも、
の運 行 には提 (引 き上 げる)、沈 (降 ろす)、集 (あ
一番寒い時期である‘三九’にも休むことなく武術
つまる)、托 (ささえる)がある。また、太 極 拳 でも、
の練 習 を続 ける)”ことが求 められる。少 林 寺 の武
気 の運 行 を特 に重 視 する。精 神 と身 体 と気 を調
術 に“立 つ、歩 く、座 る、横 になることなど全 ては
整することを通して、肢体の末まで気を送り届けよ
仏 を拝 むことで、水 を運 ぶことも薪 を割 ることも全
うとする。気 の運 行は健 康を重 視する太極 拳のポ
て武 術 の修 行 である”という教 えがある如 くであ
イントとなっている。しかし、これらの「気」の運行は
る。
単 に「技 」のレベルにすぎない。「道 」の気 は呼 吸
を調 節 することではなく、「浩 然 の気 」を養 うことで
2) “厚 徳 載 物 ”は、「地 の勢 は、坤 である、君 子
ある。「浩 然 の気 」とは「天 地 の間 に満 ち満 ちてい
は、これに則 ってその徳 は厚 くして人 々を包 容 す
る非 常 に盛 んな精 気 」(『広 辞 苑 』第 五 版 )。孟 子
るのである。」(吉川幸次郎, p.239)という意味であ
によれば、それは「至 大 至 剛 にして」、「天 地 の間
る。つまり大 地 同 様 に胸 襟 を大 きく開 いて異 種 の
に」満ちており、それを持 つ人間は「富貴も淫する
事物を受容することである。中国文化は異文化に
能 はず。貧 賤 も移 す能 はず。威 武 も屈 する能 は
寛 容 する文 化 といわれる。唐 代 の中 国 は西 アジ
ず」といわれるほど重 要 視 されている(諸 橋 徹
アから多 種 多 様 な文 化 を受 容 した。“胡 弓 ”、“胡
次,p.248)。
舞 ”の言 葉 、その時 代 に“胡 人 ”が長 安 の役 人 に
ではこのような「道」、つまり「浩然の気」を養うこと
なって活 躍 したことである。 「シルクロード」は異
は、中国武術の場合、どのようなプロセスを通して
なった文 化 が交 流 する融 和 の道 であった。仏 教
可能なるのであろか。これについて中国の武術家
文 化 はイ ンド か ら 中 国 に 流 入 し 、中 国 文 化 では
の優れた人々は様々な実践を行ってきている。以
不 可 分 の部 分 となって、日 本 仏 教 に多 大 の影 響
下 にそれらを四 点 にまとめて、中 国の古 典 に見え
を与えた。
翻 って中 国 武 術 を考 えると、太 極 拳 の創 始 者
る言葉を用いて簡潔に説明したい.
の陳 王庭(1600-1680)は伝統 的な経 絡学 説を借
1) “自 彊 不 息 ”は、「天 の運 行 は健 やかである。
用し、“陰陽”の哲学理論と戚継光「紀効新書」の
君 子 は、これを則 って、自 分 からつとめはげんで
32 式を結びつけて、陳式太極拳を創っている。
息 [や] むときがないのである」 (赤 塚 忠 ,p.375)そ
また、近 代 の著 名 な武 術 家 の馬 鳳 図 (1888-
の運 行 は“常 に働 いて”、“一 生 懸 命に”と言うこと
1973.出 身 地 は河 北 省 滄 州 県 )は、「武 術 を教 養
であり、毎 日 コツコツと実 践 することの大 切 さを述
として文 通 武 備 という「通 備 拳 学 」という武 術 を作
べた言 葉 である。天 体 の運 行 は止 まることなく順
った。彼は 1911 年、天津で形意拳の名家李存義
調 に進 む。人 は一 生 懸 命 にやれば社 会 と他 人 に
と一 緒 に中 華 武 士 会 を作 った。後 期 に中 国 の西
貢 献 できる。学 問 の場 合 は、孔 子 が、「学 んで厭
の蘭 州 に常 住 した。その武 術 の技 法 は出 身 地 の
わず、人 に誨 [おし]えて倦 [う]まず]、また、「憤 り
八 極 拳 と劈 掛 掌 を中 心 とし、東 北 の番 子 拳 、戳
を発 して食 を忘 れ、楽 しんで以 って憂 いを忘 れ、
脚 と西 北 の杖 術 も受 け入 れている。ここにも中 国
老いの将に至らんとするを知らざる」と語るように、
文 化 の異 武 術 に対 する寛 容 性 を見 ることが出 来
熱 意 をもって頑 張 ることが奨 励 される(吉 川 幸 次
る。
郎 ,p.208,p.230)。武 術 の場 合 は、“拳 不 離 手 (い
3) “和 合 相 生 ”は、「易 経 」の剛 毅 が中 に、柔 和
つでも、どこでも練 習 する。)”、“夏 錬 三 伏 、冬 錬
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したものといえる。
が外にあって、和合して悦ぶ、吉であるという思想
からくる(赤 塚 忠 ,p.424)。その意 味 は天 地 のはた
Ⅳ. 結論: 道を求めて
らきが適時 適宜さを得 て、万物 が順調にすすむと
いうことである。物 事 が成 功 する時 の条 件 として、
以 上 、四 点 を別 言 すれば、「 克 苦 勤 勉 」 、「異
天 の時 、地 の利 、人 の和 という事 がいわれる。天
文 化 への寛 容 」、「自 然 と人 間 との共 生 」、「変 化 、
の時 と地 の利 とは、自 然 界 を尊 重 し、天 地 の働 き
創 造 」と置 き換 えることができよう。中 国 武 術 の将
にうまく合わせていくことをいう。人の和とは、他人
来 は、伝 承 されてきた中 国 文 化 の伝 統 に学 び、
を尊 重 し、武 を通 して友 達 を作 り、他 人 の長 所 を
それを自覚化して、発展させることにかかっている
取 り入 れて自 己 の短 所 を補 い、共 同 で向 上 する
と考える。
ことをいう。中国武術の各流派の風格は大いに異
中 国 の優 れた文 化 は、武 術 の分 野 に十 分 に表
なっているが、激 しい八 極 拳 、柔 らかい太 極 拳 、
現 されているとも言 える。社 会 の発 展 に伴 い、
跳 び上 がる長 拳 、落 ち着 いている南 拳 が共 存 し
人 々の観 念 も変 化 しつつある。現 代 の中 国 社 会
ており、共生が成り立っている。
は科 学 技 術 が急 速 に発 展 し、法 律 の整 備 も同 様
武 術 についていうと、「内 三 合 」、「外 三 合 」とい
である。法 治 国 家 において武 術 の「戦 う」価 値 は
う格 言 がある。「内 三 合 」は心 と気 と力 を合 わせる
ほとんどないに等 しい。しかしながら、武 術 に内 在
ことである。「外 三 合 」は肩 と股 、肘 と膝 、手 と足 を
する上述 した文化 性は伝統 文 化の一つとしても、
合わせることである。左右、前後、上下を調和して、
教 育 、体 育 に教 材 としても活 用 可 能 であろう。た
様 々な動 きが順 調 に流 れて、融 通 無 碍 の動 きの
とえば太 極 拳 の世 界 普 及 に見 られるように、広 く
獲得が善しとされる。
世 界 の人 々の健 康 への貢 献 には大 きなものがあ
る。武術 の表現 の形 式 は、多 種多 様であり、現 代
4) “生 生 謂 易 ”は、「生 々する[生 々して息 むと
の人 たちは武 術 を通 して様 々な目 的 を達 成 する
きがない]、これを易 [変 化 、創 造 )という」(赤 塚
ことも出 来ると思っている。身 体文 化 としての武術
忠 ,p.420) の意 味 である。易 ( 変 化 ) は万 物 の発
の特 性 と意 義 は、たしかに元 来 は合 理 的 に“戦
生 、展 開 を保 障 する事 からであるが故 に、変 化 、
う”ことであった。しかし、中国 文 化 としての武術 の
交流を重視 することで、これを易経 では自然 現 象
最 終 目 標 は「道 」の境 地 に到 達 することではない
の理 想 的 状 態 として、泰 (陰 と陽 とが十 分 交 流 し
か。中 国 の舞 踊 家 、書 道 家 らは、各 自 の分 野 を
あう状 態 )と名 をづける。中 国 武 術 の格 言 では、
通 して「道 」の境 地 に到 達 できるように努 力 してき
「継 承 して発 展 し、古 きを退 けて新 しきを出 す」と
ているが、武 術 の「道 」への追 求 と“異 路 同 帰 ”と
いう。 中国近代武術史において、楊式太極拳は、
いえよう。
陳 式 太 極 拳 から派 生 したものである。また“意 拳 ”
武 術 家 が武 術 の伝 承 、練 磨 、伝 播 を通 して最
の創 始 者 である王 郷 斎 は、伝 統 的 な様 々な形 か
高 の境 地 の「道 」を追 求 したとしても、その「道 」の
ら分 派 して、武 術 の様 々な種 類 を創 出 する中 国
境 界 に到 達 することは困 難 である。 中 国 明 代 の
武 術 の生 産 システムの枠 組 から脱 出 して、“站
哲 学 者 王 夫 之 は「高 山 仰 止 、景 行 行 止 ,雖 不 能
桩 ”(立 禅 )、試 力 (力 を試 る)、試 声 (声 と技 とを
至 ,心 向 往 之 」 (高 い山 は見 るほど高 くみえる、
合 わせる)、試 力 (力 を使 う)、“摩 擦 步 ”(運 足 )、
素 晴 らしい人 格 は実 行 するほど素 晴 らしくなる。
推 手 、散 手 (自 由 組 み手 )”7種 の技 法 から構 成
そのような境地までは行けないかもしれないが、ず
される“意拳”を創った。この「意拳」も一種の変容
っとその目標に向かい、一生頑張ろう)と述べてい
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る。この言 葉 の実 践 に中 国 武 術 発 展 の将 来 がか
出版社:北京.
かっていると考える。
・ 金谷治 (1988) 老荘を読む,大阪書籍.
・ 黄 淋 海 , 任 海 (2001) わ が 国 民 間 武 術 学 校
文 献
を調べる, 体育科学(6):北京.
・ 赤塚忠(1987)書経・易経, 平凡社.
・ 邱 丕 相 ほか編 集 (2003) 中 国 武 術 教 程 ( 上 )
・ 舞踊, 舞踊雑誌社:北京, 2004.
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・ 張 山 ほ か (1998) 中 国 武 術 百 科 全 書 , 中 国
・ 諸橋徹次 (1988) 孟子の話, 大修館書店.
大百科全書出版社.
・ 吉川幸次郎 (1978) 論語上, 朝日文庫.
・ 編 集 委 員 会 (1998)中 国 武 術 図 典 ,人 民 体 育
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