1 少年と子だぬき

少年と子だぬき
作
佐々木たづ
画
遠藤てるよ
①
(歌)
夕やけ小やけの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か
子どもたちは栗やアケビでも採りに行くのでしょう。みんなで歌を歌いながら、とても楽しそうです。
はぎ
でも、よーく、見てください。もう、ほかに子どもはいませんか。道ばたの萩の茂みから、まん丸い目
でそっと、子どもたちを見つめているのは何でしょう。
そう、それはタヌキの子どもです。
②
がけ
タヌキの子は崖の端から、下の道を眺めるのが大好きでした。それから、その道を走ってくる自転車や
スクーターを見るのも大好きです。
自転車やスクーターは時々、お日さまを受けて、キラッと光ります。
子だぬき
「あ、あ、光った!」
子だぬきは大喜びです。
子だぬき
「ねえ、おかあちゃん。あっちの下の道のほうへ行ってきてもいい?」
おかあさん
「まあ、おまえ、そんな姿で出て行ったら、大変だよ」
でも、子だぬきはとても熱心に頼みました。お母さんは首をひねって、考えていましたが、
おかあさん
「じゃあ、ちょっとお待ち」
③
はぎ
お母さんは萩の花とススキの穂を取って、戻ってくると、萩の花を子だぬきの頭にさしてやって、言い
ました。
おかあさん
「お母さんは、ひいおばあさんから人の姿になる術を教わったもんだけど、ここしばらくちっと
も使わなかったので、うまくできるかどうか、わからないよ。
でも、おまえをそのままで出すのは、あまり心配だから、思い出してやってあげようね」
お母さんは子だぬきの頭の上で、静かにススキの穂を振りました。
1回 ...、2回 ...、3回 ...
1
④
すると、子だぬきは小さい女の子になりました。ただ、太くてかわいいしっぽだけが残っていました。
お母さんはそれをスカートの下へ隠してやりながら、優しく言い聞かせました。
おかあさん
「しっぽはタヌキにとっては、とても大切なものだからね、ちゃんと隠しておくのですよ。それ
から、夕方寒くならないうちに帰っておいでよ。寒くなってくしゃみをすると、元の姿に戻っ
てしまうからね」
子だぬき
「大丈夫。早く帰ってくる」
おかあさん
「じゃあ、気をつけて行っておいで」
女の子は、もう飛ぶように山の道をかけていきます。
⑤
女の子は橋のほうへ向かって、歩いていきました。途中でスクーターが走ってきて、女の子とすれ違い
ました。女の子は少し道をよけて、スクーターをしげしげと眺めました。
すぐ後ろから、今度は自転車が来ました。きれいな自転車でした。
⑥
また、どんどん、どんどん歩いて、やっと橋まで来ました。橋を渡って、女の子は考えました。
女の子
「右へ行こうかな、左へ行こうかな」
どっちへ行こうかと考えていると、左の道のほうから、自転車が来るのが見えました。
女の子
「あっ! 来た来た。あっちへ行こう」
自転車は、だんだん近づいてきました。乗っているのは男の子でした。すれ違って、女の子が見送ろう
としたとたん、自転車は何かに滑って、
ズズッ
と、音を立てました。
女の子
「あっ、危ない!」
⑦
男の子は砂利道に放り出されました。
女の子は、そっとそばに寄って、のぞいてみました。かわいそうに、手とひざがひどくすりむけて、血
がにじんでいます。女の子はとたんに思いつきました。
女の子(心の中で)
「しっぽで洗ってあげましょう」
2
⑧
女の子は川の土手をとてもうまく滑り降りては、しっぽの先に水をつけてきて、男の子のひざや手の傷
を優しく丁寧になでました。
砂も血も、すっかり取れました。男の子は軟らかいもので傷を洗ってくれる女の子を、まだ涙のたまっ
ている目でぼんやりと見ていました。そして、ふと気がつきました。
男の子
「これは、子だぬきのしっぽだ」
男の子は、この優しいタヌキの女の子にお礼を言いたいと思いました。それから、何か喜ばせてあげた
いと思いました。
⑨
男の子はポケットからキャラメルを出して、女の子と分けました。
女の子
「これ、とってもおいしいね」
男の子
「町のお菓子屋で買ったんだよ」
女の子
「町って、どこにあるの?」
男の子
「この道、まっすぐに行ったところさ」
男の子
「ぼく、何か歌を歌ってあげる。何の歌がいい?」
女の子
「夕やけ小やけの赤とんぼの歌!」
⑩
(歌)
夕やけ小やけの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か
男の子はきれいな声でした。女の子はうっとりと聞いています。
(歌)
山の畑のくわの実を
小かごに摘んだは幻か
3
真っ赤な夕やけの空がきれいでした。女の子は急に思い出しました。
女の子
「あっ、あたし、おうちへ帰らなくちゃ」
男の子
「じゃ、ぼくの自転車の後ろに乗せてってあげよう」
女の子
「えっ、ほんと? あの自転車に?」
男の子
「うん」
女の子
「でも、けがをしたとこ、痛くない?」
男の子
「ゆっくり休んだから、大丈夫さ」
⑪
自転車は走り出しました。男の子の心は、この優しい女の子の親切で、暖かく幸福になっていました。
そして、無事にお山のおうちへ送り届けなければと思っていました。
女の子も、今日の楽しい「夕やけ子やけ」の歌のこと、それから今自転車に乗っている楽しさで、とて
も幸福になっていました。
自転車は風を切って走りました。風は少し冷たくなっていました。
男の子(くしゃみ)
「クション!」
男の子が、ひとつくしゃみをしました。
女の子(くしゃみ)
「クション!」
女の子も、ひとつくしゃみをしました。
⑫
夕暮れの道を自転車はお山の方へ向かって、ぐんぐん走っていきます。前に乗っているのは男の子でし
はぎ
た。後ろに乗っているのは頭に萩をさした、かわいい子だぬきでした。
(おわり)
4