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注釈(673KB)

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注
釈
注釈の略語について
書簡は「送り主-受け取り主」で表記し、たとえば Rutherford-Bohr はラザフ
ォードがボーアに送った手紙という意味である。20 世紀の日付は月/日/年の形式
で表し、21 世紀の日付は略さずに表記している。
長い名前については、以下の通り略語を使用した。
AE:アルベルト・アインシュタイン
AHQP:量子物理学史アーカイヴ
AZ :アントン・ザイリンガー
dB:ルイ・ド・ブロイ
Eh.:パウル・エーレンフェスト
EPR:アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼン
ES:エルヴィン・シュレーディンガー
FRS:王立協会フェロー
JRO:J・ロバート・オッペンハイマー
QM:量子力学
Somm.:アルノルト・ゾンマーフェルト
vW:カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー
WH:ヴェルナー・ハイゼンベルク
読者のみなさんへ
1. WH, Physics and Beyond, xvii.
2. 1961 年のボーアへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 229.
3. Bohr-Richardson, 1918 in Pais, Niels Bohr’s, 192.
4. 1922 年のアインシュタイン。天文学者シャルル・ノルマンによる引用。Clark,
353.
5. Pais, Niels Bohr’s, 228.
序章
もつれ
1. Howard, “Revisiting,” 24.
2. 1927 年のボーアの考えのあらましが見事にまとめられているのは彼自身に
よる「コモ・レクチャー」である。 (The Quantum Postulate & The Recent
Development of the Quantum Theory), Bohr, Atomic Theory, 52–91.
3. Bohr, Atomic Theory, 57.
4. こうした考えはハイゼンベルクのごく初期の哲学的な物理学論文(1930 年代
から)に見ることができる。Philosophical Problems of Quantum Physics 参照
のこと。物理学の哲学に関する彼の(楽しい)論文を読む際の注意点は、パウ
リがしばしば不平を言っていたように、ハイゼンベルクには「哲学がなかった」
が、当時の彼の物理学に合うものを信じていた(おそらくそれが驚くべき発見
につながっただろう)。ハイゼンベルクの哲学的な著作はすべて過去に一般講義
として行われたものである。ナチス政権下での講義は彼の純粋な意見表明を超
え、必然的に別の題目(理論物理学の存在意義の擁護など)があった。
「素粒子
は[日常生活の現象ほどには]実在性がない」という有名な 1959 年の引用も参
照のこと。(WH, Physics and Philosophy, London: Allen & Unwin, 1958;
Jammer, Philosophy of Quantum, 205.)
5. 量子物理学の基礎に対するパウリの考え(彼の論文をまとめた Writings on
Physics & Philosophy 全体を通して見られる)を端的に表しているのが、有名
なケプラー・エッセイの(現代物理学に関する)最後の部分である。(Pauli, The
Influence of Archetypal Ideas on the Scientific Theories of Kepler,1952,
Writings on Physics & Philosophy, 258-61 に転載)。
6. WH, Physics and Beyond, 206.
7. ド ン・ ハ ワ ードは 、 “Nicht Sein Kann Was Nicht Sein Darf, or, the
Prehistory of EPR, 1909-1935”を含む一連の素晴らしい論文で、アインシュタ
インにとって量子力学の問題点は常に分離可能性の欠如であったと強調してい
る。
8. AE-Lorentz, 5/23/09 in Howard, Nicht, 75.
9.コーネルとワイマンが 2001 年のノーベル賞受賞講演で言及したアインシュタ
インの 1925 年の言葉。Cornell and Weiman, Nobel Prize lecture, 2001, 79.
10. AE-Born, 3/3/47, B-E Letters, 157. 1927 年、彼は「空間に連続分布した波
が 2 つの場所で作用しないように働きかける、非常に特殊な遠隔作用のメカニ
ズム」と呼んだ。(Howard, Nicht, 92 を参照)。
11. AE-Cassirer, 3/16/37 in Fine, 104n.
12. シュレーディンガーは優れた書き手で、量子論に関する素晴らしい小論を数
多く残している。中でも最高とされるのが、1935 年に発表された「シュレーデ
ィンガーの猫」の論文である。 (Wheeler and Zurek, 152-67).
13. ド・ブロイの「パイロット波」理論、あるい「二重解の理論」が最初に完全
な形で発表されたのは 1927 年、ジュルナル・ド・フィジーク誌においてであっ
た。英語の概説については dB, 108-25 に詳しい。
14. 「観測者なき量子論」はベルの論文タイトルから取られたもので、デヴィッ
ド・ボームの隠れた変数理論の彼なりの拡大解釈のことである。“Quantum
Field Theory Without Observers, or Observables, or Measurements, or
Systems, or Wave Function Collapse, or Anything Like That” (Bell, 173).
15. Dirac, “Evolution of the Physicist’s Picture of Nature,” Sci. American
(May 1963).
16. B-E Letters を参照のこと。アインシュタインが面白がった 1948 年 3 月 18
日付の手紙(162-64); アインシュタインの偉大な論文 QM & Reality に対する
ボルンの 1948 年 5 月 9 日付の返信(173–75); Pauli-Born 1954 (221–27).
17. たとえば Peierls in NBCV, 229 にある。Pais, Niels Bohr’s, 11, 24 を参照
のこと。
18. Wheeler to Bernstein (Bernstein, Quantum Profiles, 137).
19. Web of Science, 2006. スタンフォード大学高エネルギー物理学のプレプリ
ント・データベース「スパイアズ」が指針を示している。引用数が 10~49 の論
文は「知られている論文」、50~99 は「よく知られた論文」、100~499 で「有
名な論文」、500 以上で「著名な論文」とされる(www.slac.stanford.edu/spires/)。
(S・レドナーはフィジカル・レビュー誌の論文がその後同誌に発表された他の
論文に引用されているかを調べた。「全論文の 70 パーセント近くは引用回数が
10 回未満」であり、
「平均引用回数は 8.8 回」であったと結論づけている。June
2005, Phys. Today.)科学史家オリヴァル・フレーレは、高エネルギー物理学論
文を扱う「スパイアズ」の指針と、量子物理学の基礎……分野が異なり、高エ
ネルギー物理学よりも研究する物理学者の数はかなり少ない……に関する論文
統計との比較を「鵜呑みにすべきではない」と述べている。
(そう考えると EPR
とベルの定理の論文の引用回数は驚異的である)。“Philosophy Enters the
Optics Laboratory: Bell’s Theorem & Its First Experimental Tests
(1965-1982),” Studies in History & Philosophy of Modern Physics, 37, 577–
616.
第1章
ちぐはぐな靴下
1978 年、1981 年
1. Bertlmann to LLG, Nov. 10-18, 2000.
2. Renate Bertlmann to LLG, Feb. 28, 2001.
3. Bertlmann to LLG, Nov. 10-18, 2000.
4. Peierls, “Bell’s Early Work,” Europhys. News 22 (1991), 69.
5. John Perring in Burke and Percival, 6.
6.量子力学の難題は純粋に哲学的なものだろうかとポール・デイヴィスが訊ねた
とき、ベルは次のように答えている。
「プロがする問題だと思う。つまり私は理
論物理学のプロでありきれいな理論を作りたいと思っているが、量子力学を見
ると汚い理論だと思う」。(Davies, Ghost, 53-54)「間違っているとは思いたくな
かったが、おかしいことはわかっていた」。(Bernstein, Quantum Profiles, 20)
7. AE, QM & Wirklichkeit. Howard, “Einstein on Locality,” 187 に英訳がある。
(ハワードは B-E Letters 所収のこの論文の英訳に欠陥を見つけ、自身の訳を載
せることにした)。
8. アインシュタインは パイスにそう訊ねた。
9. Bertlmann to LLG, Nov. 10-18, 2000.
10. 場所、エッカーの言葉、ベルトマンの考えなどは以下の出典による。
Bertlmann to LLG, Nov. 10-18, 2000. Bell, “Bertlmann’s Socks and the
Nature of Reality,” Journal de Physique, Colloque C2, suppl. au #2, Tome 42
(1981), pp. C2 41-61; Bell, 139–58.
11. Bertlmann to LLG, fall 2000.
12. Bernstein, Quantum Profiles, 63. 「双子のジム」については Lawrence
Wright, Twins: And What They Tell Us About Who We Are, New York: Wiley,
1997, 43–48 に詳しい。
13. Mermin, Boojums, xv.
14. Ibid., 82.
15. Ibid., 82ff.
16. Ibid., 87-88.
17. Ibid., 88.
18. 別の遺伝子配列を持つ粒子を加えると一層奇妙で極端な結果となる。(興味
のある方は自身の予想を立てて、p. 48~50 にあるケース①とケース②の「実際
の」結果とを比べてみるのも一興だろう)。
19. Bell, “Bertlmann’s Socks” (1981); Bell, 157.
20. Bell, “Atomic-Cascade Photons & QM Nonlocality,” 7/10/79, in Bell,
105-6.
21.「『空間』という曖昧な言葉を退け……『事実上剛体である基準体に対する運
動』に置き換える」。(AE, Relativity,10).
22. 「例えば私が『7 時に列車がここに到着する』と言えば、おおよそ『私の腕
時計の短針が 7 を指すことと、列車の到着が同時に起こること』を意味してい
る」。(AE, 1905. Stachel, 125 に転載)。
23. A. Aspect, J. Dalibard, and G. Roger, “Experimental test of Bell’s
inequalities using time-varying analyzers,” Phys. Rev. Letters 49, 91-94,
1804–7 (1982).
24. Feynman-Mermin 3/30/84, in Feynman, Perfectly Reasonable Deviations
from the Beaten Track (New York: Basic Books, 2006).
25. “Simulating Physics with Computers” in Hey, 133ff.
侃々諤々――闘わされた議論
1909 年~1935 年
第2章
光の量子化
1909 年 9 月~1913 年 6 月
1. AE, “On a Heuristic Point of View Concerning the Production &
Transformation of Light,” Annalen der Physik 17: 132-48.
2. ドン・ハワードの見事な論文、とりわけ“Nicht Sein Kann . . .”のおかげでア
インシュタインの量子力学の論文における分離可能性のテーマが浮き彫りにな
っている。
3. AE-Laub (月曜日と書かれている) 1908 in Clark, 145-46.
4. AE-Zangger, 11/1911 in Einstein and Maric, 98.
5. AE-Laub, “Monday” 1908 in Clark, 145.
6. AE-Laub, “Monday” 1908 in ibid., 145-46.
7. AE-Laub, 5/19/09 in Pais, ‘Subtle,’ 169.
8. AE, 1905 in Stachel, 191.
9. Eh., “Which Features of the Hypothesis of Light Quanta Play an Essential
Role in the Theory of Thermal Radiation?” 10/1911 in Klein, Paul Ehrenfest,
174, 245-51. エ ー レ ン フ ェ ス ト は 副 題 “Avoidance of the Rayleigh-Jeans
Catastrophe in the Ultraviolet(紫外部におけるレイリー=ジーンズ発散の回
避)”で初めてこの表現を用いた。
(閉じ込められた箱から放出される放射線の並
みとしての性質に関するレイリー=ジーンズの法則は、イギリス人物理学者レ
イリー卿とジェームズ・ジーンズによって導出された)。
10. AE-Laub, “Monday” 1908 in Clark, 145–46.
11. AE-Lorentz, 5/23/09 in Howard, Revisiting, 6.
12. Folsing, 27.
13. AE, Salzburg, 1909 (Holm の翻訳による) in Weaver, 295-309.
14. この発言および、プランク、シュタルク、アインシュタインの講演後の発言
は Weaver, 309-12 による。
15. AE-Laub, 12/31/09 in Pais, ‘Subtle,’ 189.
16. AE-Laub, 12/28/10 in ibid.
17. AE-Besso, 5/13/11 in Bernstein, Quantum Profiles, 158-59.
18. AE-Somm., 10/29/12 in Pais, ‘Subtle,’ 216.
19. AE-Wien, 5/17/12 in Levenson, 279.
20. このときのアインシュタインとエーレンフェスト、ラウエの議論は Klein,
Paul Ehrenfest, 294–95 に詳しい。
21. AE-Laue, 6/10/12 in Folsing, 323.
22. Nobel biography; Clark, 142, 144, 195.
23. Clark, 144.
24. アインシュタインからチューリッヒ大学のアルフレッド・クレイナーへの手
紙。Ibid., 195.(この手紙の脚注は不明)。
25. Klein, Ehrenfest, 特に 92–93 ページ。
26. Casimir, 68.
27. Laue-Eh., 1/18/12 in Einstein and Maric, xvii.
28. エーレンフェストの日記より。Klein, Ehrenfest, 294.
29. Laue to Seelig, 3/13/52 in Clark, 195.
30. AE-Zangger, 5/20/12 in Pais, ‘Subtle,’ 399.
31. AE to P. Frank in Bernstein, Quantum Profiles, 204.
第 3 章 量子化された原子
1913 年 11 月
1. 「ボーアの論文発表からほどなくしてシュテルンとフォン・ラウエはユトリ
ベルク山に登った」とシュテルンが語ったとパイスは述べている。
「頂上で二人
は腰を下ろして新しい原子モデルについて……語り合った。その場ですぐに『ユ
トリの誓い』を結んだ。もしあのとんでもない原子モデルが正しいとわかれば、
そのときは物理学をやめようと。原子モデルは正しいと判明したが二人は物理
学をやめなかった」。(Pais, Inward, 208). シラーが「ヴィルヘルム・テル」の
中でリュトリの誓いを詩に変えたのは有名な話である(「暴君の力には限りがあ
る……」)。物理学者がヴィルヘルム・テルを自分たちのために変更したもう一
つの例として、Born, My Life, 87 を参照のこと。
2. Moore, 152.
3. Frisch, 42–47.
4. Pais, ‘Subtle,’ 486.
5. Bohr, “On the Constitution of Atoms and Molecules,” The London,
Edinburgh, and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, 26, 1
(July 1913); 476 (September 1913); 857 (November 1913).
6. Pais, Neils Bohr’s, 147, 154. 「ボーア博士の大胆な仮説を正当化する根拠は
一つしかないが、非常に説得力がある」とジーンズは 1913 年に述べている。
Dresden, 24.
7. 会議でのラウエとアインシュタインの発言(アインシュタインは初めてボー
アの原子モデルを耳にした)は、その様子を目撃した人物がドレスデンに 1964
年に伝えた。Dresden, 24.
8. Bunsen in Mary E. Weeks and Henry M. Leicester, “Some Spectroscopic
Discoveries,” Discovery of the Elements, Easton, PA: Journal of Chemical
Education, 1968, 598.
9. “Chemical Analysis by Observation of Spectra,” Kirchhoff and Bunsen,
Annalen der Physik und der Chemie, 110, 161–89 (1860); インターネットに
英訳あり。
10. Weeks and Leicester, “Some Spectrocospic Discoveries,” 599.
11. Vol. 1, 800 pgs; Pais, Niels Bohr’s, 139–41.
12. Bohr to Kuhn; Pais, Niels Bohr’s, 142.
13. Ibid., 43–48 など。
14. Pais, Inward, 437.
15. 1927 年 8 月 26 日付の『サンデー・ディスパッチ』紙によれば、朗らかで笑
顔を絶やさず、いつもツイード服姿のラザフォードは「まさに農夫らしい」風
貌であった。(Eve, 324). ボーアはハイキングだけでなく、薪割りなどの力仕事
も好んだという。
16. Bohr-Rutherford, 7/6/12 in Pais, Niels Bohr’s, 138.
17. ボーアは明確な文章の書き手であるガモフに要らぬ注意をしている。(GG,
My World Line, 66–67). Rutherford-Bohr, 1913。「長い論文に読者は怖気づい
てしまいがちです。イギリスでは物事を簡潔に述べる習慣がありますが、これ
は長々とした説明が美徳であるらしいドイツとは対照的です」。(Eve, 220).
18. Hevesy-Bohr, 9/23/13 in Pais, Inward, 208.
19. Pais, Niels Bohr’s, 154.
20. Bohr, Nature 92, 231, 1913 in Pais, Niels Bohr’s, 149.
21. Hevesy-Rutherford, 10/14/13 in Eve, 226.
22. Hevesy-Bohr, 9/23/13 in Klein, Paul Ehrenfest, 278.
23. Hevesy-Rutherford, 10/14/13 in Eve, 226.
24. Eh.-Lorentz, 8/1913 in Klein, Paul Ehrenfest, 278.
25. Casimir, 68.
26. 「この成功が、初期段階ながらもまったく手に負えないボーアのモデルを新
たな勝利に導く一助となるのかと思うとぞっとしますが、それでも私はミュン
ヘンの物理学がこの道を進んでさらなる成功を収めてほしいと心から願うので
す!」Eh.-Somm., 5/1916 in Klein, Paul Ehrenfest, 286.
27. Eh., “Adiabatic Invariants and the Theory of Quanta,” 1917 in Bolles, 24.
28. G. P. Thomson, Niels Bohr Memorial Lecture, 1964; French and Kennedy,
285; ボーアは「話している相手にたえず理解を求め、うまくいくとはほとんど
期 待 し て い な か っ た が 、 あ く ま で も 楽 観 主 義 を 貫 い て い た 」。 (vW, “A
Reminiscence from 1932” in French and Kennedy, 185).
29. Kragh, “The Theory of the Periodic System,” French and Kennedy, 50–60
を参照のこと。
30. AE-Borns, 12/30/21; B-E Letters, 65.
31. Bunsen and Kirchhoff, Chemical News 2, 281 (Nov. 24, 1860).
第4章
不鮮明な量子世界の描像
1921 年夏
1. ハイゼンベルクはこの発言をパウリのものだとしているが、学生時代のパウ
リが自分の意見に従ったとするようなハイゼンベルクの描き方は真実味に欠け
る。いずれにせよ、二人はこの問題を議論し、その答えは一致していた。(WH,
Physics and Beyond, 35–36).
2. ハイゼンベルクは 1901 年 12 月 5 日生まれ、パウリは 1900 年 4 月 25 日生
まれである。
3. H. R. Crane and D. M. Dennison, Biographical Memoirs vol. 50, 268–85
(Washington, D.C.: National Academy Press, 1979)にラポルテの写真と経歴が
掲載されている。
4. Enz, 54.
5. WH, Physics and Beyond, 29.
6. 軌道についてのパウリの発言については ibid., 36 を参照。
7. Ibid., 24.
8. Born, My Life, 212.
9. 「どうやらパウリは百科事典の原稿を完成させたらしく、その紙の重さは 2.5
キロあったとか。このことから知的な重さもそれ相応のものがあるのでしょう。
あの小柄な若者は頭が切れるうえに勤勉家です」。Born-AE, 2/12/21 in B-E
Letters, 53-54.
10. 「僕たちが物理学の話をしているとたいてい友人のオットー・ラポルテが加
わった。彼の穏健で実際的なアプローチはヴォルフガングと僕の見事な調整役
となってくれた……おそらく彼がいたから僕たち三人で……自転車旅行にでか
けることになったのだ……」。WH, Physics and Beyond, 28.
11. Ibid., 29.
12. 自転車旅行に出かける半年前にパウリが述べている。Ibid., 26.
13. 「哲学はその目的のために特別に作られた学術用語を体系的に誤用したもの
だ。絶対的な主張はすべてアプリオリに否定されなければならない。我々は知
覚と直接つながりうる用語や概念のみを用いるべきだ……まさしくこうした観
測可能な現象への回帰こそがアインシュタインの大きな功績なのだ」。Ibid., 30;
p. 34 も参照のこと。
14.「至極もっともらしく聞こえる君の提言だが、すでにマッハが提唱している」
(Pauli to Laporte; Ibid., 34). 1920 年代にパウリがハイゼンベルクに書き送った
手紙にはふざけた宗教的隠喩や専門用語がちりばめられていた。こうした手紙
の中のパウリはハイゼンベルクが回想記で描いたパウリほど生真面目でも温順
でもない。
「パウリは私にきわめて強い影響を与えた。ともかく強烈な個性の持
ち主だったという意味だ……パウリは極端なまでに批判的だった。
『君はまった
くのバカだ』とか何とか、何度言われたかわからないが、それが大いに役立っ
た」とハイゼンベルクは述べている。 (Cassidy, 109).
15. Pauli-Jung, 3/31/53; Enz, 11 and 13. パウリのミドルネームは、マッハにち
なみエルンストである。
16. Pauli in WH, Physics and Beyond, 34.
17. Pauli to Laporte, ibid.
18. Laporte to Pauli, ibid.
19. ゾンマーフェルトは「数と数の間にある関係を信じていた……だから僕たち
の多くは彼の科学を原子神秘主義と呼んでいた」。(Pauli to WH in ibid., 26).
20. Somm., Atombau und Spektrallinien in Cassidy, 116. その後パウリは実際
にケプラーのこの解釈に大きな関心を寄せた。
21.自説の半量子に関する、ハイゼンベルクからパウリへの 1921 年 11 月 19 日
付の手紙。Cassidy, 125.
22. パウリがハイゼンベルクに語った言葉。
「意地の悪い笑み」については WH,
Physics and Beyond, 26.
23. パウリはハイゼンベルクが「ジャン=ジャック・ルソーの主義に従って過ご
している」と冗談を言い、自分もパウリの遅い起床をからかっていたとハイゼ
ンベルクは回想している。WH, Physics and Beyond, 28 を参照のこと。ボルン
もパウリの睡眠パターンについて述べている。B-E Letters, 63. WH, Physics
and Beyond, 27 と比較のこと。
24. ハイゼンベルクはこのテント生活を Physics and Beyond, 27–28 で美しく
描き出している。
25. Cassidy, 14–17.
26. Enz, 7-10, 15, 51, 53. パウリの子供時代は彼にとって「いつも新鮮味がなか
った」(「ウィーンっ子らしい表現」)。 (Enz, 11).
27. Greenspan, 5-8, 155–58.
28. 手紙の結びの言葉。B-E Letters, 234.
29. Born, in Greenspan, 75.
30. AE-Born, 3/3/20 in B-E Letters, 25.
31. シュテルン、ゲルラッハ、および二人の実験に関しては Pauli Gerlach: Enz,
78–79、フランクフルトのゲルラッハについては Bernstein, Hans Bethe, 12;
B-E Letters, 53; Greenspan, 102–3、作業の分担については Frisch, 24, 44 によ
る。I・ I・ラービは後年こう語っている。
「シュテルン・ゲルラッハ実験を耳に
するまでは量子論……昔ながらの量子論……を信じがたかった。古い量子論は
ばかげていると思っていた。同じ特性を持つ別の原子モデルを誰かが考え出す
だろうと思っていた。だがシュテルン・ゲルラッハ実験を避けては通れない。
我々は何かまったく新しいものと向き合っている。それは宇宙についても言え、
ちょっとした古典的なメカニズムでは役に立たず、説明もできないのだ」。Rabi
to Bernstein, The New Yorker, 10/13/75, p. 75. 1922 年にアインシュタインは
次のように書いた。
「目下のところ最も興味深いのはゲルラッハとシュテルンの
実験です。衝突のない原子の整列は放射では説明がつきません……整列は本来
100 年以上かかるものです。エーレンフェストと少しばかりその計算をしました
……」。 (AE-Born, B-E Letters, 71).
32. Bohr, Atomic Physics, 37.
33. WH, Physics and Beyond, 35.
34. ゾンマーフェルトからハイゼンベルクへの手紙とハイゼンベルクへのイン
タビューによる。Cassidy, 118–19, 122.
35. Pauli to WH in WH, Physics and Beyond, 35.
36. 「自転車を押しながらなんとかケッセルベルク山の上り坂を登りきると、自
転車にまたがり、ヴァルヒェン湖西岸の急な斜面を大胆にえぐる道を楽々と駆
け下りた……この暗い湖を越えて、ゲーテは初めて雪を頂いたアルプスを目に
したのだ」。Ibid., 29.
37. この段落はキャシディの描写に負うところが大きい。キャシディは 10 代の
ハイゼンベルクを生き生きと描写している。とりわけ興味深いのは、青年運動
の創造的かつ破壊的な側面についての彼の分析である。(Cassidy, 第 2–5 章).
38. WH-mother, 12/15/30 in Cassidy, 289.
第 5 章 市電に乗って
1923 年夏
1. 「ゾンマーフェルトはそつがないというか、おおむね実務能力を備えていま
した。でも、アインシュタインは私と同じくらい実務能力に長けていたので、
彼がコペンハーゲンに来た際、 私が駅まで迎えに行くのは当然のなりゆきでし
た……私たちは駅から市電に乗りましたが、話に熱中するあまり、降りるはず
の停留所をずいぶん過ぎてしまいました。そこでいったん降りて戻ろうとしま
したが、また乗り過ごしてしまったのです。何駅乗り過ごしたのか覚えていま
せんが、アインシュタインがそのとき話に興味津々だったので市電で行ったり
来たりしました。彼の抱いていた興味がいくらか懐疑的なものだったかどうか
はわかりません―いずれにしても、市電で何度も往復したんです。まわりの乗
客はどう思ったでしょうね」。(Bohr to Aage Bohr and Rosenfeld in 1961 in
Pais, Niels Bohr’s, 229). (フェリー港はボーアの研究所から 3km と離れておら
ず、ボーアはアインシュタインがスウェーデンからフェリーでやってきたこの
旅と、ベルリンから……「当然」のことながら……列車で訪れた別の機会とを
混同しているようである)。
2. New York Times, 11/18/19 in Pais, ‘Subtle,’ 309.
3. Laue-AE, 9/18/22 in Pais, ‘Subtle,’ 503.
4. Levenson, 270.
5. 1922 年のアインシュタインの哀悼の言葉。Pais, ‘Subtle,’ 12.
6. AE, “Autobiographical Notes” in Schilpp, ed., AE: Philosopher Scientist, 9.
7. Ibid., 11.
8. Bolles, 57–62.
9. AE-Bohr, 5/2/20 in Pais, Niels Bohr’s, 228.
10. 1922 年頃にアインシュタインがそう述べている。The World as I See It,
162.
11. Bohr-AE, 5/2/20 in Pais, Niels Bohr’s, 228.
12. Bohr, “The Theory of Spectra & Atomic Constitutions” in Dresden, 140.
13. AE-Eh., 5/4/20 in Pais, ‘Subtle,’ 416f.
14. AE-Lorentz, 8/4/20 in Pais, Niels Bohr’s, 228.
15. Pauli to WH in WH, Physics and Beyond, 24.
16. O’Connor and Robertson, “Sommerfeld,” MacTutor ウェブサイトより。
www-groups.dcs.st-and.ac.uk, Oct. 2003.
17. ボルンが Fellows of the Royal Society of London に寄せた訃報。“Arnold
Johannes Wilhelm Sommerfeld,” 8 (1952), 275–96.
18. AE-Somm., 9/29/09 in AE, Collected Papers, Vol. 5, 179.
19. Bohr-AE, 11/11/22 in Pais, Niels Bohr’s, 229.
20. ボーアの 1922 年のノーベル賞受賞講演。Ibid., 233.
21. AE-Bohr, 1/11/23 in French and Kennedy, 96; Pais, Niels Bohr’s, 229 と比
較のこと。
22. 第二次世界大戦頃にブライダムスヴァイは番地が変更され、現在ボーア研究
所の所在地は 17 番地である。
23. Pais, Niels Bohr’s, 170–71.
24. Hevesy-Rutherford, 5/26/22 in ibid., 385.
25. 「私たちが知らず知らずのうちにはまってしまった新元素をめぐるこのひど
い混乱の中で、貴方からの思いやりに満ちた手紙が私たち全員にとってどれほ
ど大きな慰めとなったでしょう。新しい元素探しで化学者と競争することにな
るなど夢にも思わず、ただ理論の正しさを我々は証明したかっただけなのです
……ですがユルバンは……72 番元素の特性に関する重要な科学的議論など全く
関 心 が な く 、 問 題 を す り 替 え て た だ 優 先 順 位 を 主 張 し て い る の で す 」。
Bohr-Rutherford; French and Kennedy, 64.
26. アレクサンドル・ドヴィリエは 1920 年代を通してモーリス・ド・ブロイの
一番の助手であった。ソルボンヌ大学のジョルジュ・ユルバンは 72 番元素が 71
番と同じく希土類元素であり、22 番元素のチタンと 40 番元素のジルコニウム
の類似体……ボーアはそう予想し、コスターとヘヴェシーが発見した……では
ないと主張していたが、ドヴィリエの結果はユルバンが先に発見したことを支
持するものであった。1921 年から 1925 年にかけてこの問題や関連する内容に
ついて共著論文を執筆していたルイ・ド・ブロイとドヴィリエは、ボーアとそ
の研究所の考えや実験結果と矛盾することを繰り返し主張していた。Raman
and Forman (“Why Was It Schrödinger...?”)を参照のこと。ラマンとフォアマン
はド・ブロイ=ドヴィリエの議論はいつも主張しすぎで十分に科学的でないと
ボーア研究所に受け止められていた節があると述べている。その当時、少なく
ともドイツ人研究者の目からするとこうしたことすべてはナショナリズムに根
差していた(時代背景に注意されたい)。
27. セルチウム、オセアヌム、ハフニウム、ダニウム、ジャーゴニウムについて
は Pais, Niels Bohr’s, 210 を参照。
28. 「[アインシュタインの]やわらかい語り口と大きな笑い声があまりにも対
照的だった」とコーエンは述べている。French, Einstein, 40.
29. Bohr-Richardson, 1918; Pais, Niels Bohr’s, 192.
30. 天文学者シャルル・ノルマンが引用したアインシュタインの言葉。1922 年。
Clark, 353.
31. ハイゼンベルクは半整数を用いて間に合わせのモデルで成果を出したが、ゾ
ンマーフェルトはその考えにぞっとした。(Cassidy, 120–21).
32. 1921 年 12 月のハイゼンベルクのモデルについて、ボーアは 1922 年 6 月の
ゲッティンゲンでの「ボーア祭」で語っている。Ibid., 128–30.
33. Somm.-AE, 6/11/22 in Cassidy, 123-24; Dresden, 37.
34. 1921 年に書かれたボーアの草稿。Pais, Niels Bohr’s, 193.
35. AE-Besso, 7/29/18 in Dresden, 31.
36. Somm.-Bohr, 1/21/23. コンプトンが正しいかどうか確信が持てないとしな
がらも、ゾンマーフェルトは行く先々でコンプトン効果について講演した。Ibid.,
160.
37. コンプトン効果に関するボーアからラザフォードへの手紙。1/27/24; Ibid.,
31.
38. 1924 年のボーア=クラマース=スレーター論文。Ibid., 140.
39. Bohr, Zeitschrift für Physik 13, 117 (1923); Dresden, 140.
40. 1924 年のボーア=クラマース=スレーター論文; Dresden, 140.
41. Somm.-Bohr, 1/21/23; Ibid., 160.
42. ハイゼンベルクはボーアがそう語ったと述懐している。Ibid., 31.
43. 本章の注釈 1 を参照のこと。
44. 1961 年 7 月 12 日のボーアへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 232.
45. 1961 年 7 月 12 日のボーアへのインタビュー。パイスは 1920 年にボーアが
この 2 つめの質問をしたとは考えにくいと述べている。Ibid.
46. Gamow, Thirty Years, 215 を参照のこと。
47. 1920 年 2 月 13 日にコペンハーゲンで行われたボーアの講演。Dresden, 141.
48. 1924 年 4 月 20 日付の『ベルリナー・タゲブラット』紙に掲載されたアイン
シュタインの発言。Pais, ‘Subtle,’ 414.
49.「ですが推論の出発点となりうる原理が見つからない以上、理論家にとって
個々の事実は何の意味もなさないのです。多少広く応用できるとしても、孤立
した経験に基づく一般化では何もできないのです。そうではなく演繹的な推論
の基礎となる原理がその正体を明かすまで、我々は手も足も出なくとも、経験
的な研究のバラバラの結果に対して、ただ自分の考え方を貫き通すしかありま
せん」。1914 年のアインシュタインのプロイセン科学アカデミー就任演説。AE,
The World As I See It, 128.
50. 1962 年 7 月 10 日のフランクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 4.
51. Bohr-Somm., 5/30/22 in Dresden, 43.
52. 以下の会話は「有名な論文」や「とんでもない」といった言葉も含め、ボー
アが自分の話した内容を回想しているのを著者が言い換えたものである。ボー
アは続けて次のように述べている。
「それが最も素晴らしい天才的なひらめきで
した。私がこうした議論について……[以前は]少し遠慮がちながら伝えた点
とほぼ一致していました。ただ、アインシュタインはユーモアセンスがありま
すから、彼に可能なことなら何でも心安く話題にできました」。 (1961 年のボー
アへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 231–32).
53. 1917 年のアインシュタインの発言。Pais, ‘Subtle,’ 411.
54. 光と物質の相互作用について、ボーアからダーウィンへの 1919 年の手紙。
Bolles, 47.
55. これは 1913 年以降ずっと物理学者がボーアに投げかけた疑問である。はっ
きりとした計算もないままに得られたすばらしいとしか言いようのない結果に
ついては、アインシュタインも、ボーアの研究を導く彼の「確かな直観」に感
服する、という言い回しで指摘していた。ゾンマーフェルト、ラザフォード、
フランクはボーアに、周期表に関する研究を支える数学について訊ねている。
例えば Pais (Niels Bohr’s, 205)などを参照のこと。
56. 「ボーアは……ゾンマーフェルト、マックス・ボルンらドイツの理論物理学
者が理想としていた『数学的な化学』をほとんど信用していなかった。その代
わりに一種の直観的な理解に頼っていた」。Kragh, “The Theory of the Periodic
System”; French and Kennedy, 59.
57. ホイトは「[ボーアは]細かい点までゾンマーフェルトが間違っていると考
えていた」と述べている。フランクは「[ボーアにとって]ボルンは数学者であ
りすぎた」と述べている。ハイゼンベルクは「ボーアは数学志向の人ではない・・」
と述べている。Pais, Niels Bohr’s, 178–79.
58. Ibid., 193.
59. Somm., Atombau & Spekrallinien, 1922 in ibid.
60. ボーアについて、アインシュタインからボルンへの 1992 年の手紙。B-E
Letters, 71.
61. AE, Pais, ‘Subtle,’ 420.
62. 1961 年のボーアへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 229.
63. Somm.-Compton in Moore, 160.
64. WH-Pauli, 1/15/23 in Dresden, 42.
65. Pais, ‘Subtle’, 508-11 を参照のこと。
第6章 「光の波」と「物質の波」
1923 年 11 月~1924 年 12 月
1. Slater-mother, 11/8/23 in Dresden, 161.
2. Slater-parents, 1/2/24 in ibid., 164.
3. 1924 年 1 月 23 日付のベルリンスケ・ティデンデ紙。Pais, Niels Bohr’s, 260.
4. Slater-parents, 1/2/24 in Dresden, 164.
5. Kramers, 1923 in ibid., 143.
6. Slater-parents, 1/2/24 in ibid., 164.
7. 有名なボーアの口癖。
8. Dresden, 162.
9. パウリの言葉を伝えるハイゼンベルクからボーアへの 1925 年 1 月 8 日付の
手紙。Cassidy, 190.
10. Pais, Niels Bohr’s, 235 and Dresden, 164.
11. Slater-parents, 1/13/24 in Pais, Niels Bohr’s, 235.
12. Slater, Nature 116, 278 (1925); Dresden, 165.
13. 1924 年秋のパウリからボーアへの手紙。Enz, 158.
14. Cassidy, 172–73.
15. WH, Physics and Beyond, 46-57.
16. Bohr to Hoyt in Pais, Niels Bohr’s, 264.
17. AE-Born, 4/29/24 in B-E Letters, 82.
18. ドレスデンはデンマーク、ドイツ、オランダの新聞に言及している。Dresden,
207.
19. パイスによれば「対立」という言葉はアインシュタインが使ったという。
Pais, ‘Subtle,’ 420.
20.ハーバーからアインシュタインへの 1924 年の手紙。Pais, Niels Bohr’s, 237.
21. Ibid., 259–60, 262.
22. Dresden, 115ff, 282, 483, 526ff.
23. Gamow, Thirty Years, 49、および「カールスバーグ・ビールとその影響」
と名づけられた描画、同 p. 50。ガモフは 1928 年に無一文で研究所にたどり着
き、カールスバーグの奨学金で研究した。Pais, Niels Bohr’s, 19, 117, 256ff.
Gamow, My World Line, 64.
24. ボーアの門下生のデンマーク人の妻については以下を参照のこと。Pais,
Niels Bohr’s, 168; Weisskopf, 8.
25. クラマース夫人の話は、夫妻の子供たちの回想(「それはもう大喜びだった」、
「毎日際限なく続いた議論」、「疲れ果て、元気をなくし、落ち込んでいた」
Dresden, 289-98, 479。Pais, Niels Bohr’s, 238)、およびドレスデンとパイスの
著書をパラフレーズしたものである。
26. 1963 年 10 月 3 日のスレーターへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 239.
スレーターは学会に出席するために 1951 年にコペンハーゲンに戻ってきた。
「もしあの出来事がなければ、ボーアも年を取って丸くなったのだと思って 25
年前の彼やコペンハーゲンに対する感情を水に流せただろう……[ブリルアン
が熱力学と情報理論について話し終えたとき]ボーアは立ち上がり、常軌を逸
した激しさで彼を攻撃した。私はいい年をした大人が人前で誰かを感情的に糾
弾するのを聞いたことがなかった。しかも私の見た限りではボーアがブリルア
ンにつらくあたる理由など見当たらなかった。その態度を見て私は 1924 年にま
でさかのぼるボーアへの不信感が正しかったとわかった」。(Dresden, 169).
Gleick, 53-54; Beller, 259 も参照のこと。余談であるが、スレーターはクラマー
スの愛する女性と結婚した。Dresden, 527–28.
27. Bolles, 188.
28. Pais, ‘Subtle,’ 436–38.
29. クラインはアインシュタインからボルンへの手紙をプルチブラムの著書の
序章で引用している。Przibram, xiv.
30.アインシュタインからランジュヴァンへの日付のない手紙。Moore, 187.
31. 1923 年のクラマースの発言。Raman and Forman, 294.
32. Ibid., 295–96.
33. AHQP 所蔵の 1962 年のブラケットへのインタビュー。
34. O’Connor and Robertson, “Bose,” MacTutor History of Mathematics Web
site, www-groups.des.st-and.ac.uk, Oct. 2003. 最終アクセス日 2007 年 5 月 19
日。
35. Bose-AE, 6/1924 in Bolles, 205.
36. Ibid.
37. Bose-AE, 6/1924 in Pais, ‘Subtle,’ 425.
38. Chatterjee, Santimay, and Enakshi, Satyendra Nath Bose (New Delhi,
India: National Book Trust, 1976), 82.
39. プロイセン科学アカデミー紀要に掲載されたアインシュタインの論文、コー
ネルとワイマンの 2001 年のノーベル賞受賞講演より。エーレンフェストとシュ
レーディンガーは粒子の分離不可能性についてそれぞれ不満を述べていた。こ
の論文はアインシュタインの二人への回答であった。シュレーディンガーはそ
れでも不思議がり、アインシュタイン(1925 年 2 月 28 日)は返事を書いてい
る。
「量子を……互いに独立したものとして扱うべきではありません……私の計
算に間違いはありません」。(Pais, ‘Subtle,’ 430;. Moore, 183; Howard, “Nicht,”
67).
40. コーネルとワイマンの 2001 年のノーベル賞受賞講演。
41. AE-Eh., 11/29/24; Pais, ‘Subtle,’ 432.
42. Somm., Atombau; Dresden, 206. “non-lignet” については The Century
Dictionary (New York: The Century Co., 1913)を参照のこと。
43. Pauli-Somm., 12/6/24 in Dresden, 206.
44. Pauli-Somm., 12/6/24 in Cassidy, 194. パウリは 4 日前に排他律の論文を投
稿していた。
第7章
映画館のパウリとハイゼンベルク
1925 年 1 月 8 日
1. Cassidy, 190, 582 (注釈 40). ハイゼンベルクとパウリがチャップリンのファ
ンであったことについては、Cassidy, 196 を参照のこと。
2. 1921 年から 1922 年にかけてドイツ人の批評家たちは「チャップリンの信じ
られないナンセンス」、「アメリカ人のばかげた道化師トリック」、「完璧なるナ
ンセンス」、
「無価値」と評した。
「批評家があら探しをする一方で、ドイツ映画
では誰に聞いても前代未聞の大笑いで観客は応えた」。Saunders, 174–75 (子細
に検討された魅力的な本である)。
3. Cassidy, 193.
4. ハイゼンベルクからパウリへの 1924 年 6 月 8 日付の手紙で、初めてボーア
を法王と呼んでいる。同じく 1925 年 2 月 28 日付の手紙で初めてクラマースを
枢機卿と呼んでいる。(ハイゼンベルクがボーアの腹心としてクラマースの後釜
に座ることになり、1925 年 7 月の手紙がそうした呼び方をした最後である)。
Dresden, 268, 272。同 137 の注釈と比較のこと。
5. ハイゼンベルクはボーアとの出会いについて、
「私の真の科学者としての人生
はあの日の午後に始まった」と述べている。WH, Physics and Beyond, 38. パ
ウリは「ボーアと出会ったときに私の科学者人生の新たな局面が始まった」と
語った。Pauli, “Remarks on the history...,” Science 103, 213 (1946); Enz, 88.
Dresden, 253 と比較のこと。
6. WH to Kuhn in Dresden, 262.
7. 「クラマースはボーアほどこうした困難を真剣に受け止めようとはしなかっ
た」とハイゼンベルクは述べている。ハイゼンベルク、メーラ、レッヒェンベ
ルクへのインタビュー。Ibid., 266.
8. ハイゼンベルクからパウリへの 1924 年 6 月 8 日付の手紙。ハイゼンベルク
の「ゼーマン・サラダ」
(ゼーマン効果を半分量子的で半分古典的に説明したも
の)に関する内容で、「法王のお墨付きを得て」発表されることになっていた。
Ibid., 268.
9. Pauli-Landé, 11/10/24 & 11/24/24 in Enz, 106.
10. 「『回転する電子』についても語られるが、我々は回転する物体という考え
を重要とは考えておらず、超光速を考慮しなければならなくなるという点から
も、望ましくない。
『磁性電子』と表現すれば電子の電磁場に力点が置かれるこ
とになる」。Pauli, 1928 in ibid., 114.
11. Dirac, “On the theory of Q.M.,” Proc. Roy. Soc. A 112, 661 (1926); Enz, 128
および Pais, Inward Bound, 273.
12. WH, Z.f.P.38 (5/1926) in Enz, 129. 「君の禁止(ルビ:フェアボート)」
Eh.-Pauli, 1/24/27 (「恐ろしくも親愛なるパウリ」) in Enz, 120.
13. Eh.-Pauli, 3/25/31 (一部消失) in Enz, 257-58. 「新しい、美しい、黒いフォ
ーマルスーツ」にまつわる素敵な話については Casimir, 85–86 も参照のこと。
14. Pauli-Bohr, 12/12/24 in Enz, 124.
15. Pauli-Bohr, 12/12/24 in Cassidy, 192.
16. WH-Pauli, 12/15/24 in Enz, 124.
17. Bohr-Pauli, 12/22/24 in Cassidy, 192, および Enz, 124. キャシディはボー
アの反応を「熱意がある」と額面通りに受け取っているが、著者にはエンズが
正しいように思われる。
「ボーアが[そのような]書き方をするときはたいてい
どちらかといえば懐疑的なのだ」。(124).
18. Frisch, 95, Bernstein, Quantum Profiles, 20.
19. Pauli-Bohr, 2/11/24; Dresden, 260.
20. Born, Z.f.P. 26, 379 (1924) in Pais, Niels Bohr’s, 162: 「ボルンは量子物理
学には新しい種類の数学的基盤が必要であることを最初に認識した一人(おそ
らく最初の人物)である」。「我々[ボルンとハイゼンベルク]はボーアの独創
的ながら基本的には理解できない、量子規則と古典力学の組み合わせが正しい
のか疑ってみてもよかったのです。そのおかげで我々はついに古典力学と決別
し、新たな量子力学を確立したのです」。B-E Letters, 78–79.
21. Pauli-WH, 2/28/25 in Dresden, 269.
22. 「新たな力学の精神に一歩近づいた気がしていた。誰もが何か新しい種類の
力学がその背後にあるとわかっていたが、誰もはっきりとした考えは持ってい
なかった……この時点でそうとは知らずにもう少しで行列力学にたどり着きそ
うだった」とハイゼンベルクは述べている。クーンによるインタビューでのハ
イゼンベルクの発言。Pais, Niels Bohr’s, 274.
23. 特に Enz, 149–50 を参照のこと。 (エンズはパウリの親友フィエルツの言葉
を引用している。
「パウリ自身は彼の効果を完全に信じて」おり、シュテルンは
「パウリ効果、認定されたパウリ効果の例は星の数にも上る。
[だが私の研究室
ではそうではない]というのも、彼は立ち入り禁止だからだ」)。
24. 「理論物理学者が実験装置を扱えないことは良く知られている。彼らが触れ
ると装置は必ず壊れる。パウリは非常に優れた理論物理学者であったので、部
屋に足を踏み入れただけで必ず研究室の何かが壊れるのが常だった」とガモフ
は語っている。Gamow, Thirty Years, 64.
25. シュテルンの友人の実験物理学者は「自分の装置の機嫌を取るために毎日花
を持ってくる……私のやり方はそれよりいくぶん高尚だ。フランクフルトでは
木製ハンマーを装置の横に置いていた。そうやってたえず装置を脅かしていた
のだ。ある日木製ハンマーがなくなってしまった。すると途端に装置は動かな
くなり、3 日後に見つかるとようやく動いたのだ……」。Stern to Jost in Enz,
149.
26. Enz, 147–48.
27. パウリがハリー・レーマンに話し、レーマンがエンズに語ったとされる。
(ヨ
ストへのインタビューで)シュテルンは天文学者のヴァルター・バーデに責任
転嫁している。バーデはパウリと親しくなり、1927 年にパウリと彗星に関する
共著論文を発表した。
「バーデですよ。ワイン、アルコールにパウリを誘惑した
のは彼です。ハンブルクにやってきたとき、パウリは実のところ厳格な禁酒家
でアルコールは一切口にせず、
[飲酒する]人間を痛烈に批判していたのですか
ら」。(Enz, 147).
28. Pauli-Wentzel, 12/5/26 in Enz, 147. パウリは本書の場面(1925 年 1 月 8
日)ではまだこのことに気づいていなかった可能性があるが、クリスマスには
確実に気づいていた。
「私はワインを飲めるようになり、あなたより早起きでき
るようになったこと、それに対しあなたは私を[スピン]に改宗させるのに成
功していないことを嬉しく思います」。Pauli-Bohr in Enz, 159.
29. Pauli-Kronig, 6/21/25 in Enz, 111; Pais, Niels Bohr’s, 275.
第8章
「聖なる島」のハイゼンベルク
1925 年 6 月
1. ペルシャについて詠った詩をまとめたゲーテの詩集『西東詩集』の冒頭部分。
この本がヘルゴラント島でのハイゼンベルクの唯一の友であった。
2. ハイゼンベルクのエピソードは WH, Physics and Beyond, 60–62、および
Pais, Niels Bohr’s, 275–79 より引用。
3. 1963 年のインタビューでのハイゼンベルクの発言。Pais, Niels Bohr’s, 275。
WH, Physics and Beyond, 60 も参照のこと。
4. Ibid.
5. 1963 年のインタビューでのハイゼンベルクの発言。Pais, Niels Bohr’s, 275.
6. シェラン島でボーアがハイゼンベルクに語った言葉。ハイゼンベルクはヘル
ゴラント島について回想している。WH, Physics and Beyond, 52, 60.
7. 1967 年のハイゼンベルクの発言。Dresden, 247.
8. WH, Physics and Beyond, 61.
9. WH-Kronig, 6/5/25 in Cassidy, 201.
10. マイケル・フレインの戯曲『コペンハーゲン』の公演チラシに書かれたハイ
ゼンベルクのセリフとされるが、この引用を確認できなかった。
11. WH, Physics and Beyond, 61.
12. Ibid.
13. Ibid., 62.
14. WH-Pauli, 6/24/25 in Enz, 131.
15. 1925 年のハイゼンベルクの発言。Beller, 24.
16. 1960 年のボルンへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 278.
17. WH-Pauli, 7/9/25 in Beller, 54, Cassidy, 197.
18. Born, My Life, 217.
19. Wick, 23. 実際はシュレーディンガーが 1922 年に書いた、彼の偉大なる波
動力学の前ぶれとなった論文が最初であると C・N・ヤンは述べている。「こう
してほとんど何気ない形で 1922 年にシュレーディンガーが虚数単位 i を導入し
た……ことが、物理世界の理解のまさに根底をなす深遠な概念へと発展したの
である」。 (Moore, 147).
20. WH, “Quantenmechanik,” Naturwissenschaftein 14, 990 (1926)。英訳と引
用は Beller, 27 による。ハイゼンベルクはパウリに「僕は理論が行列物理学にす
ぎないと耳にするたびに怒りを覚える……『行列』という単語は今ある数学用
語の中でも最もばかげている」と語っている。(Wick, 37). ハイゼンベルクの量
子力学を詳細に論じたボルンとヨルダンの論文をコペンハーゲンで受け取った
際、ハイゼンベルクはボーアに「ここでボルンが送ってきた論文を受け取りま
したが、僕にはさっぱり理解できません。行列だらけで、それが何なのかもほ
とんどわからないのです」と語った。 (1949 年のローゼンフェルトの発言。
Greenspan, 127).
21. WH-Pauli, 10/23/25. Dreimannerarbeit と呼ばれたボルン、ハイゼンベル
ク、ヨルダンの 1926 年の共著論文も参照のこと。「理論のさらなる発展過程で
重要な課題は……象徴的な量子幾何学が可視化できる古典幾何学と重なるやり
方の中に見出せるだろう」。Beller, 21n.
22. Born-AE, 7/15/25 in B-E Letters, 84.
23. WH, Physics and Beyond, 62.
24. Born-AE, 7/15/25 in B-E Letters, 83–84.
25. Born, My Life; Pais, Niels Bohr’s, 279.
26. Wick, 24; Pais, Inward bound, 251 も参照のこと。
27. Ibid., 251.
28. Bohr-Franck, 4/21/25 および Franck-Bohr, 4/24/25: Dresden, 210–11;
Pauli-Kramers, 7/27/25: Enz, 133; Dresden, 269–70.
29. Pauli-Kramers, 7/27/25 in Pais, Niels Bohr’s, 238; Enz, 133; Dresden,
269–70.
30. 1925 年 6 月 21 日頃のことである。Kramers to WH in Dresden, 276.
31. Kramers-Urey, 7/16/25 in ibid., 277.
32. クラマースがコペンハーゲンを去る悲しいエピソード、クラマースとパウリ
の親密な友情、互いに認めあうが緊張をはらんだクラマースとハイゼンベルク
の関係については Dresden, pp. 276–85 を参照のこと。
33. Bohr-WH, 6/10/25; Pais, Niels Bohr’s, 279–80. ボーアは 8 月下旬にオスロ
で講演したが、
「新しい量子力学について一切言及しなかった」とパイスは述べ
ている。
34. WH-Bohr, 8/31/25 in Pais, Niels Bohr’s, 280.
35. AE-Eh. in Woolf, ed., 267.
36. Enz, 134; Greenspan, 125.
37. WH-Pauli, 10/12/25 in Dresden, 58.
38. AE-Besso, 12/25/25 in Pais, Niels Bohr’s, 317。
「まさしく魔女の算法」と評
した。クラインによる英訳。French, Einstein, 149.
39. 「君の新しい水素原子理論を聞いて嬉しい。これほど素早くこの理論を作り
上げた君に感嘆しきりだ……心からおめでとう!」WH-Pauli, 11/3/25 in Enz,
135.
40. Bohr-Rutherford, 4/18/25. ボーア=クラマース=スレーター論文が息の根
を止められた翌日の日付である。(Dresden, 210); Mehra, 467. 「[ハイゼンベル
クの]……おかげで、ぼんやりとしか捉えられなかったけれども長年最も願っ
ていた見通しが一挙に実現したのです」。Bohr-Rutherford, 1/17/26 in Eve, 314;
Pais, Niels Bohr’s, 280.
第 9 章 静養地のシュレーディンガー
1925 年クリスマス~1926 年の新年
1. ES-Pauli, 11/8/22 in Moore, 145. この本でシェフについても言及している。
2. Pais, Einstein, 22.
3. ES, Z.f.P. 12 (1922) in Moore, 146.
4. Moore, 191-92. ハイゼンベルクは、研究すべき時間にデバイが葉巻をくわえ
てバラに水やりするのを毛嫌いしていた。Cassidy, 271.
5. Bloch, 1976; Moore, 192.
6. ES, “On Einstein’s gas theory,” Physikalische Zeitschrift, 12/15/25 in
Moore, 188. ES, “Are There Quantum Jumps?,” What Is Life?, 159 も参照のこ
と。
7. Moore, 194–96.
8. Ibid., 175–76.
9. Ibid., 10, 12–19.
10.よくそうしていたとイータ・ユンガーが回想している。Ibid., 200.
11. ES-Wien, 12/27/25 in ibid., 196.
12. Ibid., 196, 200.
13. Bloch, Physics Today, 1976; Ibid., 192.
14. London-ES, 12/7/26 in ibid., 147–48.
15. Enz, 140.
第 10 章 観測可能なもの
1926 年 4 月 28 日~夏
1. このアインシュタインとの会話は WH, Encounters, 112–22 の記述による。
ハイゼンベルクは Physics and Beyond, 62-69 ではやや異なる書き方をしてい
る。
2. 「アインシュタインは、私の数学的記述では『電子の軌道』は……空間の大
きさによって決まるものではないと指摘した」。WH, Encounters, 113. WH,
Physics and Beyond, 66 も参照のこと。
3. 「アインシュタインも……聴いていただろう……私は……アインシュタイン
に 新 し い可 能 性に 関心 を も っ て ほ しい と思 っ て いた 」。 WH, Encounters,
112-13.
4. 「彼は一緒に家に来ないかと誘ってくれた。そうすれば議論ができるからと
……」。Ibid., 113. 「家に向かう道すがら、彼は私の生い立ちや研究について訊
ねた……」Ibid. 「ハイゼンベルクは、ボーアと研究するためにライプチヒの職
の申し出を断るべきかどうかについて、アインシュタインの意見を知りたがっ
た。アインシュタインはボーアと研究するよう勧めた」。Cassidy, 237.
5. WH, Encounters, 113.
6. Ibid. ハイゼンベルクはアインシュタインのこの発言に「驚愕」したと述べて
いる。
7. WH, Physics and Beyond, 63.
8. Ibid. 「1930 年にフィリップ・フランクがボーアとハイゼンベルクの哲学は
『あなたが 1905 年につくったものだ』と述べたとき、アインシュタインは『う
まいジョークは何度も繰り返すべきじゃない』と答えた」。Wick, 59.
9. WH, Encounters, 114.
10. 「このような考察は私には非常に新しいもので、そのとき私に深い印象を残
した。それらの考察はまた、後に私自身の研究で重要な役割を果たした……」。
Ibid。WH, Physics and Beyond, 64 も参照のこと。
11. ハイゼンベルクはアインシュタインの問いを記憶していた。「電子が突然、
光量子を放出しながら非連続的にある量子軌道から別の軌道に飛躍しているの
か、あるいは無線送信機のように継続的に波を発しているのか。一つめの場合
は十分な頻度で観測される干渉現象を説明できない。二つめの場合は振動数が
鮮明な線になるという事実を説明できない」。WH, Encounters, 114.
12. 「アインシュタインの質問に対し、私はここでボーアの……概念を頼りに答
えた」。Ibid.
13. Ibid.
14. Ibid., 115.
15. WH, Physics and Beyond, 68.
16. Ibid., 69.
17. Ibid.
18. 1926 年の夏にイータとロスヴィータがシュレーディンガーの個人教授を受
け誘惑されたくだりについては Moore, 223–25 を参照のこと。
19. イータの回想による。Ibid., 224.
20. 「個人的なものを一切排除するという代償を払ってしか得られない世界像で
は、個人的な神と巡り合うことはできない」。ES, Acta Physica Austriaca 1
(1948) in Moore, 379.
21. ES, Acta Physica Austriaca 1 (1948) in Moore, 379.
22. 1922 年から 1923 年にかけてシュレーディンガーの学生であったアレクサ
ンダー・フォン・ムラルトが語っている。Moore, 148–49, および p. 242 を参照
のこと。
23. Ibid., 224.
24.シュレーディンガー方程式の本人の解釈は 1926 年の間に変化した。1 月から
3 月まで、シュレーディンガーは波は物質であると直接的に解釈し、粒子は単な
る随伴現象に過ぎないとしていた。同年 4 月から 6 月、その後 1928 年にかけて、
「電荷密度は波動関数の二乗によって求められる」と考えた。
「私が今まで『波
動方程式』と呼んだものは本当は波動方程式ではなく振幅の方程式なのだ」。
ES-Planck, 4/8/26 および 6/11/26。「物理的な意味は量そのものではなく、む
し ろ そ の 二 次 関 数 に 属 す る 」。 ES-Lorentz, 6/6/26. Przibram お よ び ES,
Interpretation の序文 1–5 を参照のこと。
25. シュレーディンガーはイータに自分の方程式について話したが、以下の二つ
の引用が会話として残っているすべてである。
「私は一度にすべてを書いたわけ
ではなく、あちこち変えながら最終的に方程式にたどりついた。できたとき、
ノーベル賞を取ると分かった」と、シュレーディンガーがイータに語っている。
Ibid. 「6 本の論文の抜き刷りを求める声が高まって再出版となったことに関し
て、ある若い友人[イータ]が最近著者に『あなたがこの仕事を始めたときに
は、そんなよくできた話が出てくるなんて、思ってもいなかったでしょう?』
という感想をくれた」。1926 年 11 月の波動力学論文の抜き刷りの序文。Ibid.,
200.
26.シュレーディンガーの 1933 年のノーベル賞受賞講演。Weaver, 349.
27. 「小さな物体はそれ自体が光の源のようになります……暗い部屋で明るい光
線が差し込むとチリのかけらが見えることで……お馴染みでしょう。高くなっ
た場所で太陽に照らされる細かい草の葉やくもの巣、あるいは太陽を背にして
立つ人のほつれ毛は、回折光で神秘的に光ることが珍しくないのです」。1933
年のシュレーディンガーのノーベル賞受賞講演。Ibid., 348.
28. 「原子の重い核は原子よりはるかに小さく……微小なチリが光波の中で回折
するように、原子核もこうした[電子の]波で一種の回折現象を作り出してい
るに違いありません……我々はこうした波の干渉領域、つまり回折による後光
が原子であると考えます。実際の原子はいわば、原子核に捕られた電子波の回
折現象にすぎないと断言できます」と述べている。1933 年のシュレーディンガ
ーのノーベル賞受賞講演。Ibid., 350.
29. ES, “On the Relation of the Heisenberg-Born-Jordan Quantum
Mechanics to Mine,” Annalen der Physik 79, 734-56 (1926) in Moore, 211.
30. WH-Pauli, 6/8/26; Ibid., 221。キャシディはボーアの口癖を持ち出している。
Cassidy, 215. Dresden, 70 も参照のこと。
31. ES, “On the Relation” in Moore, 212.
32. ES, “Quantization as an Eigenvalue Problem, Part IV,” Annalen der
Physik 81, 109-39 (1926) in ibid., 219.
33. Born, “Quantum Mechanics of Collisions,” Zeitschrift für Physik 37, 863–
67 (1926) in Greenspan, 139.
34. 「あなたは向こう側についてしまった」
。WH-Born; Dresden, 75.
35. ES-Wien, 8/25/26 in Moore, 225.
36. ES, Mein Leben in ibid., 81.
37. シュレーディンガーの戦時中の日記より。Ibid., 81–82. 続けてセント・エ
ルモの火のことを、「この本当に魅惑的な現象」と描写している。
38. ES-Wien, 8/25/26 in ibid., 225.
39. ES, “Quantization..., Part II,” Annalen der Physik 79 (4), 489–527 (1926)
in ibid., 208.
第 11 章
この忌まわしき「量子飛躍」
1926 年 10 月
1. ハイゼンベルクはこのエピソードについて Physics and Beyond, 73–76 で語
っている。「ボーア夫人が彼の世話をし、お茶やケーキを運んだが、ニールス・
ボーアはベッドの端に座ったままシュレーディンガーに話し続けた。
『けれども
確かに認めなくては……』」。WH, Physics and Beyond, 76.
2. 「ボーアとシュレーディンガーの議論はすでに駅から始まっており、毎日早
朝から深夜まで延々と続いた」。Ibid., 73.
3. Ibid.;「新たな数学的な図式の特定の解釈をめぐって精魂を傾けてたたかわさ
れた会話をかすかにでも写しとることができればと願うだけだ」とハイゼンベ
ルクは続けている。ボーアとシュレーディンガーの引用はすべてハイゼンベル
クの回想による。Physics and Beyond, 73–76. ただし以下の引用は除く。
4. ES, 1952; ES, Interpretation, 29.
5. ボーアが反対意見を述べる際に好んで使った表現(Gamow, Thirty Years,
180, 215-16 を参照のこと)。パイエルスはボーアがかつて「批判しようとして言
っているのではなく、あなたの議論はまったくナンセンスだと言っているのだ」
と語ったのを記憶している。(Peierls, “Some Recollections...,” French and
Kennedy, 229).
6. vW, “Reminiscence from 1932,” French and Kennedy, 187.
7. ES-Wien, 10/21/26; Pais, Niels Bohr’s, 299.
8. ES-Wien, 10/21/26 in Moore, 228.
9. WH, Physics and Beyond, 76.
10. WH-Pauli, 11/4/26; Beller, 78.
11. Bohr-Fowler, 10/26/26 in Pais, Niels Bohr’s, 300.
12. Bohr-Kramers, 11/11/26 in ibid.
13. 1935 年のロンドンとティサの論文は「巨視的な規模で量子的ふるまいを見
せるボース=アインシュタイン凝縮の考えを初めて明らかにしたもので、それ
が現在でも高い評価を受けている主な理由だった。何十年もの間議論の的であ
ったが、現在ではヘリウム 3 とヘリウム 4 に見られる超伝導と超流動という驚
異的な特性はボース=アインシュタイン凝縮と関連していることが認められて
いる」。2001 年のコーネルとワイマンのノーベル賞受賞講演。ロンドンがかつ
てシュレーディンガーの助手(親密ではなかったが)を務めたことがあるのは
偶然だろうが、この画期的な研究が当時随一の物理学者でかつてボーアの教え
子であったレフ・ランダウに一蹴されたのは偶然ではないことに注意されたい。
14. 「そこで、まったく同一の状態の粒子が多数ある状況において、波動関数の
新たな物理的解釈の可能性が生まれる。電荷密度や電流は波動関数から直接計
算できるため、波動関数は古典的、巨視的状況にも及ぶ物理的意味を持つこと
になる」。すばらしい「ファインマン講義」の最終回より。“The Schrödinger
Equation in a Classical Context: A Seminar on Superconductivity,” The
Feynman Lectures on Physics (Reading, MA: Addison-Wesley, 1965), p. 21–6.
15. Born-ES, 11/6/26, Beller, 36.
16. Pauli in Moore, 221.
17. Pauli-ES, 11/22/26 in ibid.
18. ES-Pauli, 12/15/26 in ibid., 222.
19. オッペンハイマーは「ボルンが軍隊を鼓舞する司令官さながらに、シュレー
ディンガーの考えがいかに誤っているかを皆に説明した、と冗談めかして話し
てくれた」。パスクアル・ヨルダンへのインタビュー。Beller, 46.
20. 1963 年のオッペンハイマーへのインタビュー。Smith and Weiner, 104.
21. JRO-Ferugusson, 11/14/26 in ibid., 100.
22. Born-AE, 11/30/26 in Pais, ‘Subtle,’ 443; Pais, Niels Bohr’s, 288.
23. Bohr, “Discussion with Einstein” in Bohr, Atomic Physics, 36. ボーアは少
なくとも文章では「イメージが浮か ぶような表現」をめったに使わなかった。
24. ゲスペンシュテルフェルトについて 1923 年にクラマースが回想している。
Dresden, 143. ヴィグナーの回想は Woolf; Pais, Niels Bohr’s, 287–88.
25. AE-Born, 12/4/26 in B-E Letters, 90.
26. ボルンによる解説, ibid., 91.
27. AE-Eh., 1/19/27 in Fine, 27.
28. 1927 年のプロイセン科学アカデミーの紀要に掲載されたアインシュタイン
とグロンメルの論文。Pais, ‘Subtle,’ 290.
29. Hedi-AE in B-E Letters, 94–95.
30. AE-Hedi, 1/15/27 in ibid., 95.
第 12 章 不確定性
1926 年~1927 年の冬
1. 「[シュレーディンガー訪問後の]数ヵ月間、量子力学の物理学的解釈がボー
アと私の間で交わされたあらゆる会話の中心テーマであった。当時私は研究所
の最上階にある、壁が傾斜したこぢんまりとした屋根裏部屋に住んでおり、窓
からはフェレズ公園を見下ろすことができた。ボーアはよく夜遅くに屋根裏部
屋に上がってきて、二人でありとあらゆる想像上の実験を論じあった」。WH,
Physics and Beyond, 76.
2. 「位置や速度について語る際、この不連続の世界ではどう考えてもまったく
定義されない言葉が常に必要となる……事実を記述するために用いる言葉には
すべて、あまりにも多くの c 数[c 数は「古典的な数」を指すディラックの造語]
がある。『波動』や『微粒子』が意味するところはもはやわからなくなる」。
WH-Pauli, 11/23/26 in Beller, 88–89.
3. 「現在の……そしてディラックが言うように将来の……量子力学のあらゆる
物理的応用」はディラックが現在行っている研究の「中に収まる」。WH-Jordan,
11/24/26; Cassidy, 236.「我々は現在計算を行うことはできる。少なくとも数学
的には正しい解を得ていたという明確な証明だった」。1963 年のハイゼンベル
クへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 302–3. ディラックは変換理論(彼が
1926 年後半に成し遂げた量子力学の一般化)と相対性理論の完全性を好んで比
較した。Beller, 88; Pais, Inward, 288–89 と比較のこと。
4. 「ボーアは、粒子と波動という概念は互いに排除し合うが、原子の過程を完
全に記述するにはどちらも必要なのだと主張し、両者が同時に存在できるよう
にしようとした。けれども私はそのやり方が気に入らなかった。私は量子力学
は……すでに一義的な物理的解釈を与えられているという事実から始めたかっ
た」。
(「深い真理」はボーアの好きな表現であった)。WH, Physics and Beyond,
76 および 102。1927 年 9 月 16 日のボーアの講演メモには「原子に関するあら
ゆる情報は古典的概念で表現される」とする彼の主張が書かれていた。(Pais,
Niels Bohr’s, 311; 同 302–3, 309–10 と比較のこと。1926 年当時、これは助け
を求める声で、確固たる主張ではなかった)。
「こうしたパラドックスは彼の心を
すっかり占めていたため、世界一優れた数学的図式をもってしても、誰かがパ
ラドックスの答えを見つけ出せるなどとは思いもよらなかったのです」。「ボー
アはよく『数学的図式ですら助けにならない。私は自然がどのように実際に矛
盾を回避しているのかをまず理解したい』と語っていました」
。
「むしろ彼は『ま
あ、数学的な道具なら一つある……行列力学だ。もう一つある……波動力学だ
……だが我々はまず哲学的解釈を徹底的に掘り下げなければならない』と感じ
ていました」。1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s,
302.
5. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 302–3.
6. Bohr-WH, 4/18/25 in Cassidy, 195.
7. 「ボーアは……何とかして解釈を真剣に捉え、両方の図式を利用したいと考
えていた」。1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s,
303.
8. 「これもボーアのお気に入りの言葉であった」
。Ibid., 8, 315.
9. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Ibid., 303.
10. 「我々はすっかりくたびれ果て、やや緊張した雰囲気になった」。WH,
Physics and Beyond, 77.
11. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 304.
12. 「エーレンフェストがニールス・ボーアのゲダンケン・キュッヒェ[思考の
台所]の詳細について話してくれました。知的に一流であり、並外れて批判的
で先見の明に優れており、決して大局を見失わないものでなくてはならないと」。
アインシュタインからプランクへの 1919 年 10 月 23 日付の葉書。
Pais, ‘Subtle,’
416.
13. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 302.
14. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Ibid.
15. 「そこで私は霧箱内の電子の軌道がどのようにして数学的に表現されるのか
について努力を集中した……到底乗り越えられない障害が自分の前に立ちはだ
かっているとすぐに気づいた」。WH, Physics and Beyond, 77。Wick, 37 と比
較のこと。
「私たちには一貫した数学的図式がある……それが正しいのであれば、
それに加えられたものが間違っているに違いない。なぜならそれそれだけで完
結しているからだ」。1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels
Bohr’s, 303.
16.「ある晩の夜半すぎのことだったと思うが、私は突然アインシュタインとの
会話を、特に『観測できるものを初めに決定づけるのは理論なのだ』という彼
の発言を思い出した……私はフェレズ公園へ夜の散歩に出かけてこの問題をさ
らに考えることにした」。WH, Physics and Beyond, 77–78.
17. Ibid., 78.
18. WH-Pauli, 10/28/26; Cassidy, 233; Enz, 144.「ハイゼンベルクは 9 日後に
コペンハーゲンから送った返信で、自分とボーア、ディラック、フントがパウ
リの手紙を読もうと『もみあいになった』と記している」。
19. Pauli-WH, 10/19/26 in Pais, Niels Bohr’s, 304.
20. ピエール = シモン・ラプラスは、
(18 世紀末頃に)
「ラプラスの悪魔」とし
て知られるようになるものについて書いた。
「我々は宇宙の現在の状態が、過去
の結果であり、将来の原因であると考えるかもしれない。いかなる特定の瞬間
にも自然とそれを構成する存在物の相互の位置を動かすあらゆる力を心得てい
る知性というものは、その情報を分析できるほどに巨大であれば、宇宙で最大
の物体の運動も最軽少の原子の運動も、たった一つの公式に凝縮できるだろう。
というのも、そのような知性にとって不確かなものは一つもありえず、将来は
過去とまったく同じように目の前にある現在となるだろうからである。
21. 不合理性は 1920 年代にボーアが「量子仮説」を説明する際に用いたお気に
入りの言葉であった……コモ・レクチャーでの画期的な講演(1927 年)で 3 回、
Atomic Theory (1929 年)の序文でも 3 回用いている。Pais, Niels Bohr’s, 316,
Mermin, Boojums, 188.を参照のこと。
22. ヴァイマール共和国時代の科学の風潮については、フォアマンが 100 ペー
ジに及ぶ分析 Forman, “Weimar Culture”の“Weimar Culture, Causality, and
Quantum Theory, 1918-1927: Adaptation by German Physicists and
Mathematicians to a Hostile Intellectual Environment”を参照のこと。
23. 「研究所に戻ってからおこなったちょっとした計算で、そのような状態を本
当に数学的に表現できることが示されたのである」。WH, Physics and Beyond,
78.
24. WH, Zeitschrift für Physik 43 (1927) in Beller, 99.
25. WH-Pauli, 2/23/27 in Pais, Niels Bohr’s, 304.
26. WH-Pauli, 2/23/27; Cassidy, 236.
27. WH-Pauli, 2/23/27 in Beller, 83.
28. WH-Pauli, 2/27/27 in ibid., 108–9.
29. WH-Bohr, 3/10/27 in Pais, Niels Bohr’s, 304.
30. ボーアは「1 ヵ月間ノルウェーのグーブランダールへスキーに出かけた。そ
こで初めて相補性の議論が少しずつわかってきた(とよく語っていた)」。Ibid.,
310. フェルミ夫人はボーアのスキーを「優雅」と評した(Pais, Niels Bohr’s,
497)が、フォン・ヴァイツゼッカーは「デンマークの森ではアルペンスキーは
習得できない」と評している。(vW, “Reminiscence from 1932,” French and
Kennedy, 185). この評価からボーアだけでなく、その発言者の人柄についても
窺えよう。
31. 1968 年のクラインへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 303–4.
32. その後パウリは実際にコペンハーゲンを訪れ、カルカーによれば、パウリの
来訪は「ハイゼンベルクとボーアの考えをすり合わせるのに大きな役割を果た
した」。Pais, Niels Bohr’s, 310.
33. WH-Pauli, 5/16/27 in ibid., 309.
34. 「物理現象について我々が通常行っている記述はひとえに、感知できるほど
の影響を与えずに現象を観測できる可能性があるという考えに基づいている…
…量子仮説が意味するところは……現象と観測装置のいずれにも、独立した実
在性というものを付与することはできないということだ」。コモ会議におけるボ
ーアの講演(1927 年)
。Bohr, Atomic Theory, 53–54.
35. Bohr (1929), Atomic Theory, 19。
「粒子と波、空間と時間、因果性」につい
てはコモ会議での講演や Bohr, Atomic Theory, 54–57 などを参照のこと。
36. 1927 年のコモ会議でのボーアの講演から三つ引用したい。(Bohr, Atomic
Theory, 53–57). 「量子論は古典物理学的な考えを原子の現象に応用することに
根本的な制約があると認識しているという特徴がある」。(53–54). 「まさしく量
子論の本質が、このように時空間座標および因果関係の主張……その結合が古
典理論を特徴づけていたが……を相補的だが排他的な記述の特徴であるとみな
すよう我々に強いるのだ」。 (54–55). 「[波は]単独の物質粒子と同じく抽象的
概念であり、量子論におけるその特性は他の系との相互作用によってのみ定義
と観測が可能となる。それにもかかわらず、こうした抽象的概念は……経験を
記述するのに不可欠なのである」。(56–57).
37. ラザフォードに宛てた 1930 年 6 月 3 日付の手紙で、ボーアは波動の概念や
粒子の概念の「相補性」についての洞察を、
「あきらめと熱意の入り混じったも
の」として肯定的に要約している。科学史家の J・L・ハイルブロンはこの手紙
を引用し、ボーアの「気高い悲壮感、この屈服への熱意」について評している。
(135).
38. 1951 年にハイゼンベルクは回想している。
「彼が戻ってきて論文の話をした
とき、ボーアが相補性の概念をその間に発展させていたので、理論を解釈する
ための同じ言語をすぐには見出すことができなかった」。Pais, Niels Bohr’s, 310
(同 308–9、および WH, Physics and Beyond, 79 を参照のこと)。
39. 1963 年のハイゼンベルクへのインタビュー。Pais, Niels Bohr’s, 308.
40. WH, Zeitschrift für Physik 43 (1927); Pais, Niels Bohr’s, 308–9; Wick, 41
と比較のこと。
41. 「シュレーディンガーが好むような、単に可視化できる、あるいは絵画的と
されるものよりもむしろ、物理的あるいは実験的に意味のあるものを指すもの
としてアンシャウリッヒという単語を再定義する」。Cassidy, 233; Pais, Niels
Bohr’s, 304 と比較のこと。(正式な論文タイトルは「量子論的運動学と力学の直
観的(ルビ:アンシャウリッヒ)内容について」である。力学とは運動と、運
動を生み出す力の数学である。運動学とは運動だけを扱う力学の一分野である)。
42. WH-Pauli, 5/16/27 in Pais, Niels Bohr’s, 309.
43. WH-Pauli, 5/31/27; Beller, 70.
44. WH-Pauli, 5/16/27 in Pais, Niels Bohr’s, 309.
45. AE, World as I See It, 146ff. Pais, ‘Subtle,’ 15.
46. AE, World as I See It, 156.
47. 不確定性について、ボーアからアインシュタインへの 1927 年 4 月 13 日付
の手紙; Pais, Niels Bohr’s, 309.
48. Bohr-AE, 4/13/27 in Jammer, Philosophy of Quantum, 126.
49. Bohr-AE, 4/13/27 in ibid., 125.
50. WH in vW, “Reminiscence from 1932,” French and Kennedy, 184.
51. AE-Born in B-E Letters, 96.
52. 引用と分析は Fine, 27, 99 による。
53. WH-AE, 5/19/27 in Pais, ‘Subtle,’ 444.
54. WH-AE, 6/10/27 in Pais, ‘Subtle,’ 467. Jammer, Philosophy of Quantum,
125–26 と比較のこと。
55. ノーベル賞受賞者の伝記とカイザー・ヴィルヘルム医学研究所(KWI)の
歴史を参照(共に www.nobelprize.org)。ボーア=クラマース=スレーター論文
を検証するため、ボーテとガイガーは衝突後の粒子間の「一致」を測定する全
く新しい技術を考案した。半世紀後、この技術によりベルの定理を検証する準
備が整うこととなった。Dresden, 208.
56. ボーテのノーベル賞受賞講演。www.nobelprize.org.
57. AE; Fine, 99.
第 13 章
ソルヴェイ会議
1927 年
1. Greenspan, “Surprises in Writing a Biography of Max Born”; AIP History
Newsletter, Vol. XXXIV, No. 2, Fall 2002. 「エーレンフェストがおどけた顔を
している」様子は彼女の同様の記述からとっている。End, 148.
2. de Broglie, 183.
3. アインシュタインのソルヴェイ会議での第一声。Pais, ‘Subtle,’ 445.
4. アインシュタインの次の発言。Whitaker, Einstein, 203.
5. ここでアインシュタインがソルヴェイ会議で提起した思考実験についてのボ
ーアの記述を見ていきたい(Atomic Physics, 41-42; Whitaker, Einstein, 204;お
よび dB, New Perspectives, 150 と比較のこと)。アインシュタインは会議の論
文集に掲載されたものよりも詳細で込み入った思考実験について述べているが、
ボーアとド・ブロイはアインシュタインの語った言葉がいかに「単純」かつ簡
潔であったかを記憶している。それゆえにボーアの記憶が正しいのだと著者は
感じている(一方アインシュタインが書いたものは同じ論点を伝えながらもよ
り形式ばっている)。
(同じ会議の論文集に、ボーアが 1 ヵ月前に行った 40 ペー
ジにわたるコモ・レクチャーでの講演が掲載されているが、クラマースがボー
アの実際に話した内容を書き留めたものではなかった。Pais, Niels Bohr’s, 318
の注釈)。ボーアは次のように回想している。
「アインシュタインが痛切に感じて
いた明らかな困難は……電子が乾板上のある点(A)で記録された場合に、この
電子の別の点(B)での作用を観測することはまったく不可能だという事実だ。
通常の波動伝播の法則では、二つの事象間にそのような相関の余地はない」。
Bohr, “Discussion with Einstein”; Bohr, Atomic Physics, 42.
アインシュタインの論文集のバージョンでは次のように書かれている。「[二
つめの]スクリーンに向かう散乱波は、優先的な特定があることを示していな
い。もしΨの 2 乗を、単純にある一つの粒子がある一つの瞬間にある一つの場
所にある確率であると考えれば、同一の基本的な過程がスクリーンの二つ以上
の場所で作用している可能性があることになる」
[つまり、シュレーディンガー
の猫的な話である]
。
「だが、Ψ2 乗はこの粒子が特定の場所にある確率を表すと
する[ボルンの]解釈では、特殊な遠隔作用のメカニズムの存在を前提とする
のである……」。AE in Howard, Nicht, 92.
6. ソルヴェイ会議でのアインシュタイン。Howard, Nicht, 92.
7. ソルヴェイ会議でのアインシュタイン。Wick, 54. Howard, Nicht, 92 と比較
のこと。
8. Eh. in Clark, 417.
9. このボーアの発言はクラマースの当時の断片的なメモによる。Whitaker,
Einstein, 204. Pais, Niels Bohr’s, 318 のボーアの発言と比較のこと。
10. Whitaker, Einstein, 205.
11. Eh.-Goudsmit et al., 11/3/27 in ibid., 209–10.
12. Ibid.
13. 以下を参照のこと。Bohr, Atomic Physics, 42-47; Fine, 28-29; Whitaker,
Einstein, 210.
14. Eh.-Goudsmit, 11/3/27 in Whitaker, Einstein, 209–10.
15. WH, Physics and Beyond, 81. ボーアの優れた文章は(著者の知る限りでは)
“Discussion with Einstein”であり、ボーアは同じ話について述べている。ハイ
ゼンベルクのように得意げに機転の利いたうまい受け答えをするのとは大きく
異なり、ボーアはあえていつもの回りくどいユーモアをにじませた。
「やり方も
意見もまるでバラバラだったが、ユーモアあふれる精神が議論に命を吹き込ん
だ。アインシュタインは神がさいころ遊びに頼ると本当に信じられるだろうか
とからかうように問いかけ、それに対し私は、古の思想家が警告しているよう
に、日常の言葉で神のわざを語るのはよくないと注意を促した」。Bohr, Atomic
Physics, 47.
16. WH, Physics and Beyond, 80. 「議論が最高潮に達した頃にエーレンフェス
トが愛情あふれる言い方で友人をからかい、アインシュタインの態度と相対性
理論の反対者のそれとがそっくりだと軽い口調でほのめかしたのを覚えている。
だがエーレンフェストはすぐに、アインシュタインと意見の一致をみるまでは
安心できないのだと言い添えた」。Bohr, Atomic Physics, 47. 前半部分しか伝え
ていないハイゼンベルクに対して、両方とも伝えているのはいかにもボーアら
しい。
17. 1927 年半ばのエーレンフェストからハウトスミットへの手紙。Pais,
‘Subtle,’ 443.
第 14 章 スピンする世界
1927 年~1929 年
1. de Broglie, 182.
2. AE in ibid., 183–84.
3. ド・ブロイは、アインシュタインの子供のたとえは「いつもより言いすぎた
のかもしれない」と感じた。Ibid., 184.
4. Planck to AE, 1913. (アインシュタインがシュトラウスに話し、シュトラウス
がパイスに語った)。Pais, ‘Subtle,’ 239.
5. AE in de Broglie, 184.
6. Ibid.
7. ES-AE, 5/30/28, Przibram, 29-30. (シュレーディンガーからボーアへの 1928
年 5 月 13 日付の手紙、およびボーアからシュレーディンガーへの 1928 年 5 月
25 日付の手紙の要約が同 p. 29 にある)。
8. Bohr to Peterson in Pais, Niels Bohr’s, 445.「言語はいわば人々の間に張り
巡らされた網のようなものだ」。Bohr, 1933 in WH, Physics and Beyond, 138.
9. Peterson, 1963 in Pais, Niels Bohr’s, 445.
10. AE-ES, 5/31/28 in Przibram, 31–32.
11. AE-Weyl, 4/26/27 in Howard, Nicht, 87.
12. AE-Weyl, 4/26/27 in ibid.
13. Pauli-Kramers, 3/8/26 in Dresden, 63.
14. Pauli-Kramers, 3/8/26 in Enz, 89.
15. Pauli, 1925 in ibid., 106-7. 「二つの値(two-valuedness)」をドイツ語の直
訳するなら Zweiwertigkeit となるだろうが、パウリは Zweideutigkeit(示唆に
富むこと、曖昧さ、二重の意味などと定義できる)という言葉を用いている。
(Eindeutigkeit は「明瞭さ」の意味である)。
16. Bohr-Eh., 12/22/25 in Dresden, 63.
17. ボーアがパイスに語っている。Pais, Inward, 278-79 (Niels Bohr’s, 242–43
でも述べられている).
18. Dresden, 64.
19. Eh.-Dirac, 6/16/27 in Kragh, 46.
20. AE-Eh., 8/26/26 in Pais, ‘Subtle,’ 441.
21. WH-Pauli, 7/31/28 in Pais, Inward, 348.
22. Pauli-Bohr, 6/16/28 in Cassidy, 282.
23. Pauli-Klein, 2/18/29 in Enz, 175.
24. AE-Nobel committee, 9/25/28 in Pais, ‘Subtle,’ 515.
25. Born, My Life, 240–41.
26. AE, 3/23/29, Nature 123, 464–69; Clark, 491.
27. GG in Rosenfeld, 3/3/71, “Quantum Theory in 1929: Recollections from
the first Copenhagen conference.” www.nbi.dk/nbi-history.html#firstconf
28. Eh. in Rosenfeld, 3/3/71, “Quantum Theory in 1929.”
29. Rosenfeld, 3/3/71, “Quantum Theory in 1929.”
30. Eh.-Kramers, 11/4/28 and 8/24/28 in Dresden, 313.
31. Peierls, Bird of Passage, 60.
32. Rosenfeld, 3/3/71, “Quantum Theory in 1929.”
33. ホイーラーの美しい回想記“Physics in Copenhagen in 1934 and 1935”より。
French and Kennedy, 226.
第 15 章
ふたたびソルヴェイ会議
1930 年
第 6 回ソルヴェイ会議でボーアから始めたアインシュタインとの議論の内容
は長年はっきりしないままであった。そのため、1931 年にエーレンフェストが
ボーアに宛てた手紙の最も重要な引用から見ていくのが肝要と思われる。エー
レンフェストはこう書いている。
「アインシュタインは、すでに長らく自分は不確定性関係に一切疑いを抱い
ておらず、
『重さを測れる光子箱』
(以後単純に L-W 箱と呼ぼう)を考えついた
のは決して『不確定性関係に反対する』ためではなく、まったく異なる目的が
あったためだ、と私に話しました……すなわち、不確定性関係のためにおのず
と必ずどちらか選ばざるを得ないことはアインシュタインにとって議論や疑い
の余地のないことでした。けれども疑いを抱いて思考実験をする人は、発射さ
れる物がすでに動き始めた後にどちらかを選ぶことができるというのです」。
Eh.-Bohr, 7/9/31 in Howard, Nicht, 98–99. ドン・ハワードはこの手紙を精査し
直し(誤訳されていた)、ボーアが単純にアインシュタインの思考実験が意味す
るところを理解していなかったのだとわかった。(Howard, Nicht, 100).
続く二つの引用は、ボーアの友人でもあり支持者であったホイーラー、およ
び知的な反対者であったシュレーディンガーの言葉で、どのようにこの誤解が
起こったかを理解する一助となるかもしれない。
「ボーアには二種類の速度があ
り……無関心か、熱狂的な関心を寄せるかのどちらかである」とホイーラーは
述べた。「万事この調子であった」。(Wheeler to Bernstein, Quantum Profiles,
107). そしてシュレーディンガーは、「原子の問題に対するボーアの……やり方
は……本当に目を見張るものがあります。彼は言葉の通常の意味で理解するこ
とは不可能であると確信しきっているのです。したがって会話がただちに哲学
的な問題へと駆りたてられ、すぐに彼が攻撃する立場に自分が本当に立ってい
るのか、彼が擁護する立場をはたして攻撃すべきなのか、もはやわからなくな
るのです」。(Schrödinger to Wien, 10/21/26 in Moore, 228).
1. 光子箱の実験の第一部。Bohr, “Discussion with Einstein,” Bohr, Atomic
Physics, 53.
2. 以下を参照のこと。Rozental, 112; Frisch, 169; Peat, 185.
3. Eh-Bohr, 7/9/31 および Howard, Nicht, 98–99 を参照のこと。
4. 光子箱の実験の第二部。Eh.-Bohr, 7/9/31; Ibid., 99.
5. ボ ー ア は ア イ ン シ ュ タ イ ン の 思 考 実 験 の 前 半 の み に 言 及 し て い る 。
“Discussion with Einstein,” Bohr, Atomic Physics, 53.
6. 「物体と測定装置との間の運動量とエネルギー交換の制御が排除される……
装置が現象の時空間座標を規定するという用途に適う場合……という考えに対
する反対意見として、アインシュタインは相対性理論の要件を考慮すればその
ような制御は可能であるとする議論を持ち出した」。Bohr, “Discussion with
Einstein,” Ibid., 52–53.
7. 「もし B[箱]からそのような種類の物理的影響が、飛んでいる光量子に起
こ っ て い る と す る な ら ば 、 そ れ は 超 光 速 で 伝 播 す る 遠 隔 作 用 で あ る 」。
AE-Epstein, 11/5/45 in Howard, Nicht, 102.
8. AE-Epstein, 11/5/45 in ibid.
9.「ですから私は、波動関数が実在するものを(完全には)記述しておらず、本
当に存在するものに関する(我々が経験的に得られる)最大限の知識を記述し
ているという意見が妥当だと感じています……量子力学は実在性の状態につい
て不完全な記述しか与えないとする考えを私が押し進めるのはそうした意図が
あるのです」。AE-Epstein, 11/5/45; Ibid.
10. Rosenfeld; Pais, ‘Subtle,’ 446.
11. Eh.-Bohr, 7/9/31; Howard, Nicht, 98.
12. 「可視化と因果関係を諦める……ことは原子概念の出発点をなす望みに対す
る挫折として見なされるだろう。たとえそうであっても……まさにその放棄こ
そが我々の理解の本質的な前進であると考えなければならないのだ」。Bohr,
1929, Atomic Theory, 114–15.
13. 「全く新しい分野の経験に秩序をもたらす課題に取り組む際に、論理的矛盾
を避ける要求を除けば、たとえどれほど一般的であっても我々は慣れ親しんだ
原理にほとんど頼ることはできないのです」。ソルヴェイ会議での勝利の後に交
わされた会話で、ボーアがアインシュタインに語った言葉。 “Discussion...,”
Atomic Physics, 56.
14. Forman, “Weimar Culture...,” Raman and Forman, 16-19; Pais, Niels
Bohr’s, 316, and Mermin, Boojums, 188.
15. 「原子物理学の発展から得られた教訓の要点は……原子の過程において全体
性という特徴が認識されたことである」。Bohr, 1957, Atomic Physics, 1.
16. 1929 年の Bohr の発言。Atomic Theory, 115. 同 p.11 も参照のこと。
「観測
による影響の大きさは不明なままである」。
17. Bohr, “Discussion,” Atomic Physics, 58.
18. 「その晩ずっと彼はひどく浮かない顔で、次々と誰かをつかまえてはこれが
正しいはずがない、アインシュタインが正しいのなら物理学はおしまいだと語
った」。Rosenfeld, 1968; Wick, 56. パウリとハイゼンベルクは「さほど関心を
払わなかった。[『ああ、まあ大丈夫だろう』]」(1927 年のソルヴェイ会議で)。
1961 年のシュテルンの発言。Pais, Niels Bohr’s, 318.
19. クラブルームはフォンダシオン・ユニヴェルシテールと呼ばれていた。
Clark, 417.
20. Rosenfeld, 1968; Wick, 57.
21. 「私は 1930 年秋の大部分をコペンハーゲンで過ごし、この話に興奮した。
トランペットを吹き鳴らし、太鼓を叩いて勝利の英雄[ボーア]を迎えたとい
うわけではなかったが、我々……ガモフ、ランダウ、そして器用な芸術家ピエ
ット・ハインだったと思うが……は精密に設計された装置を作業室で作っても
らった」。Casimir, 315-16。この装置の写真は French and Kennedy, 134 に所
収。
22. 「アインシュタイン自身が大きく貢献した議論であったが、その主張は支持
しうるものではないことが明らかとなったのである」。Bohr, Atomic Physics,
53.
間奏
人も物も散り散りになる
1931 年~1933 年
1. エドゥアルト・アインシュタインの言葉。Pais, Einstein, 24.
2. Pais, Einstein, 21–25.
3. 1918 年 6 月のアインシュタインからエドゥアルトへの手紙。Michelmore,
Einstein, 62; www.einsteinwebsite.de/biographies/einsteineduard.html
4. AE-Besso; Levenson, 384.
5. 「エドゥアルトが熱中して演奏する様子が記憶に残っています。学校では疑
い深さ、不安定さ、皮肉、どこか心ここにあらずの感じが感じられましたが、
演奏しているときはすべてがすっかり消えていました」。ある同級生の言葉。
Pais, Einstein, 23.
6. Brian, 158 and 196; Michelmore, Einstein, 59, 123–24.
7. Levenson, 382.
8. AE-Eduard 2/5/30 in Brian, 196.
9. Elsa-Vallentin in Levenson, 383.
10. AE, The World As..., p. 1; Michelmore, 148.
11. Elsa-Vallentin in ibid., 149.
12. AE, Tolman, and Podolsky, Physical Review 37, 1931, 780–81.
13. Physical Review 37, 602-15, 1931.
14. 2002 年のロバート・ポドルスキーとの私信による。
15. AE, Tolman, and Podolsky, Physical Review 37, 1931.
16. Born-AE, 2/22/31 in B-E Letters, 109–10. ボルンはこの手紙で(彼にして
は珍しく)政治に楽観的なのはシュヴァイツァーを訪問して回復したおかげだ
としている。B-E Letters, 112.
17. Hedi-AE, 2/22/31 in B-E Letters, 109.
18. Pauli-Peierls, 1931 in ibid.
19. Somm. in Enz, 224.
20. Pauli-Peierls, 7/1/31 in ibid., 223–24.
21. Pauli-Wentzel, 9/7/31 in ibid., 224.
22. Pauli to Somm. in ibid., 55.
23. (ゾンマーフェルトの 70 歳の誕生日である)1938 年 12 月 5 日にパウリが
ゾンマーフェルトに宛てた手紙。Ibid., 55–56.
24. Pauli-Somm., 12/5/38 in ibid., 56.
25. Pauli to Franca Pauli, ibid., 211.(1971 年にフランカがエンズに話した)。
26. アインシュタインはフォン・ラウエに招待され、1931 年 11 月 4 日に自ら
選んだ「不確定性関係について」というテーマで講演を行った。“On the
Indeterminacy Relations” in Pais, ‘Subtle,’ 449.
27. 1931 年から 1932 年にかけての冬のことである。Casimir, 316.
28. 1933 年の春から夏にかけてのことである。ローゼンフェルトに関するコメ
ントが Jammer, Philosophy of Quantum, 172–73 に述べられている。
29. 出典不明のアインシュタインの発言。Ibid., 170–71.
30. vW, Zeitschrift für Physik 70, 114–30 (1931) in ibid., 178–80.
31. vW-Jammer, 11/13/67 in ibid., 179.
32. Eh.-Bohr, 7/9/31 in ibid., 171.
33. Eh.-Bohr, 7/9/31 in Howard, Nicht, 99.
34. Eh.-Bohr, 7/9/31 in Jammer, Philosophy of Quantum, 172.
35. 1931 年 10 月 5 日。ハワードによれば、ボーアの光子箱の説明は「後年の回
想(“Discussion with Einstein”)と基本的に同じ」だという。1931 年にエーレン
フェストがきわめて明確に説明したアインシュタインの考えをボーアが誤解で
きたのであれば、1930 年のアインシュタインの論点も誤解していたと考えるの
は難しくはないとハワードは指摘している。Nicht, 100.
36. アッシャー・ペレスによる 1995 年 12 月 24 日付のローゼンの訃報。
37. AE-Nobel committee in Pais, ‘Subtle,’ 516.
38. 1931 年にライデンで行われたアインシュタインの講演。Casimir, 316.
39. Ibid. (Pais, ‘Subtle,’ 449 と比較のこと).
40. アインシュタインの旅行日記。Michelmore, 162.
41. WH, Physics and Beyond, 93.
42. 「通常の物質なら 10-10 秒の平均寿命となる」。1930 年のオッペンハイマー
の発言。Pais, Inward, 351.
43. 1962 年 12 月 17 日に行われたブラケットへのインタビューのようなもの(彼
は録音を拒否した)。Archive for the History of Quantum Physics, Berkeley
History of Science Department.
44. Rutherford to Mott in Weinberg, 109.
45. WH, Physics and Beyond, 125–29.
46. Rutherford in Pais, Inward, 363.
47. WH, Physics and Beyond, 139.
48.トランプを使わないポーカーについてのボーアの発言。WH, Physics and
Beyond, 139. ハイゼンベルクはボーアの発言が「信じ込ませるような暗示をか
けることは到底できない」と続いたと回想している。
49. 1956 年の出来事である。Pais, Inward, 569.
50. コッククロフトの学生の一人の言葉。Hartcup and Allibone, 43.
51. Hartcup & Allibone, 39. 同 p. 43 および p. 56 も参照のこと。
52. ボードンの発言。Hendry, 17–19.
53. Hendry, 21.
54. 1932 年 9 月 29 日付のアインシュタインの手紙。Pais, ‘Subtle,’ 516.
55. Eh., Zeitschrift für Physik 78 (1932) in Jammer, Philosophy of Quantum,
117-18.
56. Eh., Zeitschrift für Physik 78 (1932) in ibid.
57. Pauli, Zeitschrift für Physik 80 (1933) in ibid.
58. Eh.-Pauli, 10/1932 in Enz, 257.
59. Moore, 223–25; 251–56.
60. エカートの教え子であるケンブリッジ大学のマティアス・クリスタンドルと
ローレンス・イオアヌがウィーンのシュレーディンガー・アーカイヴで発見し
た。
61. Gamow, Thirty Years, 167. 観客の顔ぶれについては同 p. 156 を参照のこと。
62. 1930 年に軍隊の残虐行為の言い逃れをしたスターリンの有名な言葉。
63. Gamow, My World Line, 93.
64. 「ライト(光)とライフ(生命)」と題された講演は Bohr, Atomic Physics,
3-12 に所収されている。Daniel J. McKaughan, “The Influence of Niels Bohr
on Max Delbrück: Revisiting the Hopes Inspired by ‘Light and Life,’ ” Isis 96,
507-29 (2005)も参照のこと。
65. 「シルクハットをかぶり冷静な顔つきのマックス・デルブリュックは見事な
司会進行役だった」と、カシミールはこのときとは別の「コペンハーゲン寸劇」
について記している(「いつも素晴らしいショーがあった」)。カシミール本人は、
理由は定かではないが『ファウスト』を見逃している。Casimir, 119–120.
66. Gamow, Thirty Years の最後に再掲されている。フォン・ヴァイツゼッカー
によれば、
「基本的に」マックス・デルブリュックが劇を書き(フォン・ヴァイ
ツゼッカーは研究机やスツールなどいくつかの舞台セットと、誰がボーアとパ
ウリを演じたかを報告している。French and Kennedy, 188–90 を参照のこと)、
パイエルスとローゼンフェルトによればガモフ本人が挿画を担当したという。
(French and Kennedy, 228). (ガモフはデルブリュックが「劇の一部の解釈を親
切に手助けしてくれた」ことに対して謝意を表するにとどめ、
「J・W・フォン・
ゲーテ……劇はほぼ完全に彼の詩の韻をなぞっている……を除き、著者と出演
者は名前を伏せたい」と述べただけであった。もし著者と挿画家が名乗り出な
い場合、彼の著書の印税の一部はニールス・ボーア・ライブラリーに寄贈され
るとガモフは述べている)。英訳はバーバラ・ガモフが手がけた。 (Gamow,
Thirty Years, 168–69). Segrè, Faust in Copenhagen も参照のこと。
67. vW, in French and Kennedy, 187.
68. パイエルスはかつてボーアの驚くべき言い回しを耳にしたという。「私がこ
う言うのは批判するためではありません。あなたの議論がまったくのナンセン
スだと言っているのです」。(French and Kennedy, 229).
69. vW, “A Reminiscence from 1932” in French and Kennedy, p. 190.
70. 1933 年 6 月 12 日付のフォシッシェ・ツァイトゥング紙の記事。アインシュ
タ イ ン の ウ ェ ブ サ イ ト に 引 用 さ れ て い る 。
http://www.einstein-website.de/z_biography/tuemmler-e.html (May 19, 2006)
71. アインシュタインのウェブサイトに引用されている。ヨット事件のいきさつ
が書かれており、戦後アインシュタインが探したが見つからなかったいう。
(Ibid.).
72. Pais, ‘Subtle,’450.
73. Heilbron, 153. Einstein-Ludwik Silberstein, 9/20/34; Cassidy, 307 および
B-E Letters, 263 を参照のこと。
74. Cassidy, 315; Heilbron, 164.
75. Cassidy, 316;「ヨルダンの不安定な政治的志向を見たパウリはこう述べた。
『ああ、善人ヨルダンよ!彼はあらゆる政権にこれ以上ない忠実さで仕えてき
た』」。(Enz, 180). ヨルダンは党員になった方が自分の教授であるボルンとフラ
ンクを守ることができると明らかに信じていた。彼はフランクがナチスの政策
に抗議してゲッティンゲン大学を辞任した直後に入党した。Greenspan, 176 を
参照のこと。
76. イエイツの詩『再臨』の一節。
77. Born, My Life, 250–54. B-E Letters, 113–18 も参照のこと。
78. Born, My Life, 254.
79. Born, My Life, 255–56.
80. 二人の娘は先に犬のトリクシとやってきて、ワイルは後から合流した可能性
がある。B-E Letters, 117; Born, My Life, 257.
81. Moore, 273.
82. Born, My Life, 258.
83. Moore, 272-3.
84. WH-Born in Cassidy, 308.
85. Cassidy, 483-85 を参照のこと。彼は実際にグイド・ベックを救えたようで
ある。Cassidy, 321–22.
86. Born-Eh. in Cassidy, 308.
87. 例えばパウリと友人ら(パウリの助手クローニヒや年上の同僚シェラー)が
パスクアル・
「PQ-QP ヨルダン」に宛てた 1928 年 6 月 4 日付の葉書を参照のこ
と。ヨルダンはハンブルク大学でパウリの後任を務めていた。
「親愛なるヨルダ
ン殿!我々はチューリッヒのナイトライフを研究し、パウリの新たな方法に従
って改善をもくろんでいます。すなわち比較によってです。お元気で。クロー
ニヒ」。「しかしこの方法は事態を悪くするのにも使われるかもしれません!…
…敬具、パウリ」。「私はあなたの悪い話をたくさん伺いましたので、お知り合
いになりたいものです。シェラー」。(Enz, 196–97)。
88. Casimir, 144.
89. Ibid., 145.
90. ロー ゼ ンフ ェ ルト が 記 憶 して い た アイ ン シ ュ タイ ン の 言葉 。 Jammer,
Philosophy of Quantum, 172-73 で引用されている。
91. Ibid.
92. Rosenfeld in ibid., 173.
93. Besso-AE, 9/18/32 in Brian, 236.
94. Ibid.
95. AE-Besso, 10/21/32 in ibid.
96. ハンス・アルベルト・アインシュタインの二番目の妻エリザベス・アインシ
ュタインがデニス・ブライアンのインタビューに答えている。
「幼い頃、彼[エ
ドゥアルト]は読んだものすべてを覚えている一種の天才でした。ピアノを美
しく弾いていました……夫[エドゥアルトの兄]は電気ショック治療のせいで
弟がおかしくなってしまったと考えていました」。(Brian, 195–96).
97. Brian, 247. 写真も掲載されている。
98. AE-Born, 5/30/33, Oxford, in B-E Letters, 113–14.
99. アインシュタインが 1933 年 6 月 10 日の「ハーバード・スペンサー・レク
チャー」で述べた言葉。AE, World as I See It, 131ff.
100. ボルンがセルヴァ・ガルデナからアインシュタインに宛てた 1933 年 6 月
2 日付の手紙。B-E Letters, 116.
101. Dirac-Bohr, 9/28/33 in Pais, Niels Bohr’s, 410. エーレンフェストのパニ
ック症状は実際のところ 1928 年のディラックの論文から強く現れるようにな
ったとドレスデン(p. 313)は述べている。Enz, 255–56 も参照のこと。
102. Ehrenfest to Dirac in Dirac-Bohr, 9/28/33。ディラックはエーレンフェス
トの仕草を詳しく述べ、こう結んだ。
「最後の言葉をよく覚えている……ひどく
気がかりだった……何もしなかった自分を責めずにはいられない」。Pais, Niels
Bohr’s, 410.
103. Ibid.; Segrè, 252. (パイスは事件が起きたのは待合室だったとしているが、
セグレは近くの公園だったと述べている。セグレは、息子は視力を失ったが命
はとりとめたとも記している)。
104. Pais, Niels Bohr’s, 409–10.
105. Born, My Life, 264.
106. Ibid.
107. Moore, 288 の写真を参照のこと。
108. WH-mother, 9/17/33 in Cassidy, 310.
109.シュレーディンガーが乾杯に際し述べた言葉。Moore, 291.
110. ディラックが乾杯に際し述べた言葉。Moore, 290.
111. パウリの発言。WH, Physics and Beyond, 87.
112. Moore, 290.
113. Ibid., 289.
114. WH-Bohr in Cassidy, 325. ハイゼンベルクがボーアに宛てた手紙と同時
期に書き、スイスからボルンに送った手紙については Born, My Life, 220–21 を
参照のこと。
「あなたとヨルダン、そして私がゲッティンゲンで共同で行った研
究に対して私だけがノーベル賞を受賞することになり、気分が落ち込み、あな
たに対して何と書いてよいものかわかりません」。
115. Pais, Niels Bohr’s, 543–44。ヘヴェシーがどのようにフォン・ラウエとフ
ランクのノーベル賞のメダルを溶かして守ろうとしたかについては p. 480 を参
照のこと。愛すべきフランクの数々のエピソードについては Frisch, p. 95 を参
照のこと。
116. Pais, Niels Bohr’s, 393.
117. Pais, Niels Bohr’s, 411–12.
118. von Neumann-Klara Dan, 9/18/38 (マリーナ・フォン・ノイマン・ホイッ
トマン所蔵の未公開の手紙)。ボーアの邸宅と温室の彫像は、新古典主義の偉大
なデンマーク人彫刻家ベルテル・トルヴァルセンが手がけた。この素晴らしい
手紙を見せてくれたジョージ・ダイソンに感謝申し上げる。
第 16 章
「実在性」をどう考えるか
1934 年~1935 年
1. グレーテ・ヘルマンとカール・ユング
1. Cassidy, 271-72; Teller, Memoirs, 56, 63; cf. Dresden, 264.
2. Bernstein, Hitler’s, 75, 144; Cassidy, 275, 295, 326.
3. vW, “Reminiscence,” French and Kennedy, 184.
4. vW, “Reminiscence,” French and Kennedy, 184.
5. WH to vW, French and Kennedy, 184.
6. Cassidy, 326.
7. 1931 年にハイゼンベルクがウィーンの厳格な認識論者を相手に講演を行っ
た際の発言。1929 年の哲学者向けの講演で、ハイゼンベルクは「カント的な認
識論の根幹にかかわる問題を再び引っぱり出し、……一から検討し直すという
困難な仕事」が必要だと説いた。
「……ですがこれはあなた方がやるべきことで
あって、科学者の仕事ではないのです」。Cassidy, 256–57.
8. 1931 年に『ベルリナー・タゲブラット』紙に掲載されたハイゼンベルクの発
言。Cassidy, 257.
9. ハイゼンベルクはフォン・ヴァイツゼッカーの「1、2 年後」にヘルマンがや
ってきたと述べ、キャシディもそれが 1932 年であったと裏付けている。つまり
新聞でハイゼンベルクの挑発を読むなりヘルマンはやってきたということだ。
だが会話は彼女の 1935 年 3 月の論文に密接にかかわる内容であったとハイゼン
ベルクは記憶している。ヤンマーは彼女がやってきたのは 1934 年の春学期であ
ると述べている(Philosophy of Quantum, 207)。ハイゼンベルクの著書にヘルマ
ンとの会話について語った(そしてこの会話で終わる)章があり、1930 年から
1934 年の間のこととされる。「若き哲学者グレーテ・ヘルマンは、原子物理学
の哲学的基礎に挑戦するという明確な目的のためにライプチヒにやってきた」。
(WH, Physics and Beyond, 117). ヘルマンの写真付きの伝記的エッセイ Ilse
Fischer, “Von der Philosophie der Physik zur Ethik des Widerstandes: Zum
Nachlass Grete Henry-Hermann im Archiv der sozialen Demokratie.”(ドイ
ツ語)を以下のウェブサイト www.fes.de 内で読むことができる。Seevinck,
“Grete Henry Hermann” (未発表文書)は www.phys.uu.nl で読むことができ
る。
Naturphilosophischen
Grundlagen
der
Quantenmechanik,” Abhandlungen der Fries’schen Schule, New Series, Vol.
10.
Hermann,
“Die
6, 1935, 99–102.(著者のためにミリアム・イェヴィック氏が 2004 年に英訳し
てくれた)。Harvard Review of Philosophy VII, 37 も参照のこと。この文章は
「現在の型にはまったアプローチと何を組み合わせれば厳密な予測が再び可能
となるだろうか?すべてはこの問いの回答にかかっている」と続く。
11. 「[フォン・ヴァイツゼッカーは]物理学の学生だったが、我々の話題が哲
学的な問題にぶつかるといつになくいきいきとしていた」。WH, Physics and
Beyond, 117.
12. WH, Physics and Beyond, 120. ハイゼンベルクはこの引用を「これが自然
が我々に教えてくれるやり方だ……」と始めている。
13. Bohr, Atomic Physics, 115.
14. この質問はハイゼンベルクの未発表に終わった EPR 問題への回答論文のタ
イトルである。続く 2 つの段落はこの問題へのハイゼンベルクの回答となって
おり、この論文の関係する段落のキャシディの要約(261)をなぞっている。
15. 1935 年 11 月 27 日にウィーンで行われたハイゼンベルクの講演での発言。
EPR に対して回答した彼の論文の内容も含んでいる。Cassidy, 261.
16. 「しかしノイマンの証明に必要な段階が[詳細な分析により]省かれている。
一方、もし……ノイマンのように……この段階を捨て去らないならば、他と区
別する特徴が見つからないとする、証明されていない前提を暗黙のうちに立て
たことになる。だがそのような特徴が存在しないという主張が、証明されるべ
き内容だったのである」。Hermann, Die Naturwissenschaften, 1935, (著者の
ためにミリアム・イェヴィック氏が 2004 年に英訳してくれた)。
17.「運動の軌道を決定する他の特徴」。Ibid.; Harvard Review of Philosophy,
38.
18. グレーテは Erw (R + S) = Erw (R) + Erw (S)と書いた。
「Erw」は Erwartung
の略語で、期待という意味である。“Erw (X)” と“<X>”はいずれも「X の期待
値」を表す。属性の期待値は与えられた状況下において取りうる値の加重平均
で、量子力学ではよく用いられる。
19. Hermann, Naturwissenschaften; Seevinck, “Grete Henry-Hermann.”(未
発表文書)。
20. 「不確定性関係からそのような増加の不可能性を読み取れることが示唆され
ている」。Hermann, Harvard Review of Philosophy, 37.
21. Ibid.
22. Ibid.; Harvard Review of Philosophy, 37–38. 「この主観的解釈は、波動と
粒 子 の 描 像 の 二 重 性 か ら 導 か れ る こ れ ら の 関 係 と 矛 盾 す る 」。 Hermann;
Harvard Review of Philosophy, 38. 「単に主観的に解釈」されると、不確定性
関係は「物理系の本質を何も語らないように思われる」。だがこれはハイゼンベ
ルクが波動=粒子の二重性による不確定性から導出したことと相容れないとグ
レーテは述べている。Hermann; Harvard Review of Philosophy, 38.「あなた
は不確定性を客観的な性質を備えた物理的実在に変えています」。Grete to WH;
WH, Physics and Beyond, 122.
23. Hermann in Harvard Review of Philosophy, 38.
24. Ibid.
25 彼女の論文の残りの部分はこの探索の結果を示しており、ヘルマンは自分が
ボーアの対応原理を用いて「観測の結果を決定する特徴はすでに量子力学自体
によって与えられている」ことを証明したと確信していた。Harvard Review of
Philosophy, 40). 「ノイマンの証明」ではなくこの議論にハイゼンベルクは感心
し、それを EPR への回答に用いた。だがボーアはその議論が論理的に矛盾して
いると指摘した。Cassidy, 260.
26. Pauli-Kronig, 10/3/34 in Enz, 240.
27. 1935 年秋の第 5 回タヴィストック・レクチャー後の討議でのユングの発言。
Enz, 243.
28. Ronald Hayman, A Life of Jung, NY: Norton, 2001, p. 327.
29. Pauli-Rosenbaum, 2/3/32; Enz, 241.
30. 「私の材料が大変あなたのお役に立てたことに満足しています。あれほどま
でにお褒めにあずかり、あなたがあんな風に私に話すのを聞いたのは初めてだ
と思うと、思わず笑みがこぼれました……あなたの夢解釈で完全に正確とはい
えないと感じた点が一つだけありましたのでお伝えしたいと思います。
(見ての
とおり、私はまだ簡単には『だまされ』ません)。トランプのクラブの 7 の解釈
についてですが……7 歳の時に妹が生まれましたので、7 という数字はアニマの
誕生を示唆しています」。Pauli-Jung, 2/28/36; A&A.
31. Pauli-Jung, 10/26/34.(ヨルダンの論文が同封された); A&A.
32. 「少なくとも魂(ルビ:プシケー)の一部は時空間の法則に従わないと示唆
されている。その科学的証明は有名な J・B・ラインの実験で得られている」
。
Carl Jung, Memories, Dreams, Reflections (New York: Vintage, 1989), p. 304.
33. Ibid., 304–5.
34. メーラによるケイト・ゴールドフィンガーへのインタビュー; Enz, 210.
35. Enz, 287. 1934 年当時、以下が超心理学に対するパウリの立場であった。
「私
はそこに事実に基づくようなものはまったく認めません。もし認めたら多少な
りとも信じるのか、それは誰にもわからないでしょう」。Pauli-Jung, 4/28/34 in
Pauli and Jung, 25.
36. Pauli-Jung, 11/24/50 in ibid.
37. Pauli-Jung, 5/27/53 in ibid.
38. Pauli-Jung, 5/27/53 in ibid.
39. Hermann, Harvard Review of Philosophy, 41.
2. アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン
40. “Nathan Rosen—the Man & His Life- Work,” Israelit, in Mann and
Revzen, 5-10; 1995 年 12 月 24 日付のアッシャー・ペレス(テクニオン・セネ
イト)によるローゼンの訃報; Pais, ‘Subtle,’ 494–95.「ローゼンは穏やかな話し
口調で、目立たず集団に溶け込む人でした。反対にディラックやヴィグナーは
いつも存在感を示していました。誰かが特にばかばかしいことを言うと、ディ
ラックは『ほう、それは興味深い』と言っていました。そしてヴィグナーが『な
んと愚かな!どうやったらそんなことを断言できるというのか?』とかなんと
か言うのです。するとローゼンと私の父が気遣うように笑い、ばかばかしさの
中からわずかでも有益な真実を引き出そうとしていました」。ポドルスキーの息
子ボブ・ポドルスキーが 1963 年のある学会での様子を著者に説明してくれた
2002 年 2 月 23 日付の電子メール。
41. ローゼンへのインタビュー; Jammer, Philosophy of Quantum Mechanics,
181.
42. 「ボリスが自ら言っていたように、彼が主な発案者で共同研究の推進役であ
った。[Pais, ‘Subtle,’ 494 と比較のこと。ローゼンはパイスに EPR の主なアイ
デアは自分が考えついたと語った]。彼が新しい考えを思いつき、それをネイサ
ンに投げかけたのだろう……ボリスの優れた才能の一つは、抽象的概念を取り
出して数式に落とし込む能力だった。だから相関する粒子という考えを取り上
げて数学的に記述したのは彼だった。その数式が、一つの粒子の状態の測定に
より瞬時にもう一つの粒子の状態が決定されることを示しているという事実を
指摘したのがアインシュタインだったと思う」。ボブ・ポドルスキーから著者へ
の 2002 年 1 月 9 日および 1 月 25 日付の電子メール。
43. Michelmore, 197.
44. AE-ES, 6/19/35; Fine, 35.
45. ボブ・ポドルスキーから著者への 2002 年 1 月 9 日付の電子メール。
46. ジョン・ハートから著者への 2001 年 12 月 7 日付の電子メール。
47. EPR, Physical Review 47, 777.
48. Ibid., 780.
49. 「アインシュタインの論文集に[EPR]の初期の草稿がなく、アインシュタイ
ンが発表前に論文の草稿を読んだのかがわかるやりとりや証拠も他に見つから
ない。ポドルスキーはちょうど論文投稿の時期にプリンストンを発ってカリフ
ォルニアに向かっており、アインシュタインの許可を得て彼が自分で論文を書
いた可能性も十分ある」。Fine, 35–36.
50. New York Times, 5/4/35 in Jammer, Philosophy of Quantum Mechanics,
189-91.
51. ベルクマンがシモニーにこの話をした。Wick, 286.
52. アインシュタインはポドルスキーについて言及している。ボブ・ポドルスキ
ーから著者への 2002 年 1 月 9 日付の電子メール。
3. ボーアとパウリ
53. AE in Pais, ‘Subtle,’ vi.
54. Rosenfeld in Wheeler and Zurek, 142.
55. Ibid.
56. Ibid.
57. ボーアが 1962 年 11 月 17 日に報告している。Beller, 145.
58. Rosenfeld inWheeler and Zurek, 142.
59. Pauli-WH, 6/15/35 in Enz, 293.
60. Christian Morgenstern, The Gallows Songs: Christian Morgenstern’s
Galgenlieder, Max Knight(英訳), University of California Press, 1964.
61. Pauli-WH, 6/15/35 in Cassidy, 259, and Rüdiger Schack(英訳), Fuchs,
549.
62. Pauli-WH, 6/15/35 (リュディガー・シャックによる英訳)in Fuchs, 550–
51.
63. Pauli-WH, 6/15/35 in ibid., 550.
64. Pauli-WH, 6/15/35 in ibid., 297.
65. Moore, 296–98.
66. ES-AE, 6/7/35; Moore, 304; Fine, 66.
67. Fine, 67 および Fuchs, 640 を参照のこと。
68. Bohr to Rosenfeld in Pais, 430–31.
69. Bohr, Physical Review 48, 696.
70. Ibid., 696.
71. Ibid.
72. Ibid., 702. 「[一般相対性理論と相補性との間に]驚くべき類似がしばしば見
られた」。Ibid., 701.
73. Wheeler and Zurek, 142.
74. Bohr to Rosenfeld, in ibid.
75. Bohr, Physical Review 48, 697.
76. Ibid., 699.
77. Ibid.
78. Ibid.
79. 「これらの最後の指摘はアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンが取り
上げた特殊な問題にも等しくあてはまる……上記の単純な例のように……我々
は……相補的な古典的概念の……区別に関心を抱いているだけなのだ」。Ibid.
80. Ibid., 700.
81. Ibid.
82. Ibid., 701.
83. 「測定の各手順においてこの区別がどこでなされるかが、[量子と古典の]
どちらの場合もおおむね便宜上の選択であるのは確かである」。Ibid.
84. 「量子論における根本的な重要性は、量子論的なあらゆる観測の解釈におい
て否応なく古典的概念を用いるところにある」。Ibid.
85. 「粒子と観測装置の間の反応を詳細に分析できないことが……この種の現象
の検討に適合するあらゆる実験計画の本質的な特性であるが、それに対して
我々は古典物理学にまったくなじみのない分離不可能性という特徴で対処する
しかないのだ」
。Ibid., 697.
86. Ibid.
87. Wheeler and Zurek, 142.
88. Bohr to Rosenfeld, in ibid.
89. (「ボーアが強く説いているように」)Rosenfeld in Wheeler and Zurek, 144.
90. 「量子現象の時間的記述を厳密にしようとすると、すぐに新たなパラドック
スにぶつかる……」。Bohr, Physical Review 48, 700.
4. シュレーディンガーとアインシュタイン
91. AE-ES, 6/17/35 in Fine, 68.
92. AE-ES, 6/19/35 in ibid., 35.
93. AE-ES, 6/19/35 in ibid., 38. アインシュタインの言葉は「自分にとってはソ
ーセージだ」、つまり「どうでもいい」という意味である。
94. AE-ES, 6/19/35 in Moore, 304.
95. AE-ES, 6/19/35 in Fine, 69.
96. Ibid. and Moore, 304.
97. AE-ES, 6/19/35 in Howard, Einstein on Locality, 178.
98. AE-ES, 6/19/35 in Moore, 304-5.
99. 1935 年 7 月 2 日にボーアはハイゼンベルクに EPR への回答を書き送ってい
る。同じ日にハイゼンベルクは EPR に対する自分の回答をパウリとアインシュ
タインに送り、シュレーディンガーは「アインシュタインの事例」についてパ
ウリに手紙を書いている。
100. ES-Pauli, 7/2/35 in Rüdiger Schack(英訳)in Fuchs, 551-52.
101. ES-Pauli, 7/2/35 in Moore, 306.
102. Ibid.
103. Pauli-ES, 7/9/35 in Rüdiger Schack(英訳)in Fuchs, 553.
104. 1954 年にパウリがそう述べている。Writings on Physics, 33.
105. 「いかなる原因もない究極的な事実がそうであるように、測定の個々の帰
結は……法則では理解されない」。Ibid., 32.
106. ES-AE, 7/13/35 in Fine, 74.
107. ES-AE, 7/13/35 in ibid., 75.
108. ES-AE, 7/13/35 in ibid., 76.
109. AE-ES, 8/8/35 in Moore, 305.
110. AE-ES, 8/8/35 in Fine, 59.
111. AE-ES, 8/8/35 in Fine, 50 and 47n.
112. AE-ES, 8/8/35 in Moore, 305.
113. AE-ES, 8/8/35 in Fine, 77.
114. Ibid., 78.
115. Ibid.
116. ES-AE, 8/19/35 in Fine, 79.
117. ES, Proceedings of the Cambridge Philosophical Society 31, p. 555
(1935).
118. Ibid., 555.
119. ES, “The Present Situation in QM,” Naturwissenschaften 23, 807–12;
823–28; 844–49 (第一部は 1935 年 11 月 29 日に刊行された) in Wheeler and
Zurek, 152–67. 『一般的信仰告白』として発表されたこの論文の記述がシュレ
ーディンガーの第 12 節の脚注に見られる。
120. ES-AE, 8/19/35 in Fine, 80.
121. Greenspan, 24 and 67.
122. Cäcilie Heidczek-von Laue, 4/6/42 in Greenspan, 243.
123. ES, “The Present Situation in QM,” Naturwissenschaften 23, 827.
124. ES, “Present Situation” in Wheeler and Zurek, 155.
125. ES, “Present Situation” in Moore, 308.
126. Ibid.
127. ES-Bohr, 10/13/35 in Moore, 312–13.
128. WH-mother, 10/5/35 in Cassidy, 330.
129. ES-AE, 3/23/36 in Moore, 314.
130. AE-Lanczos, 3/21/42 in Dukas and Hoffmann, 68.
131. ES-AE, 6/13/46 in Moore, 435.
132. AE-ES, 12/22/50 in Przibram, 39.
133. ES-AE, 11/18/50 in Przibram, 37.
134. Bohr to Pais, 1948 in Pais, Niels Bohr’s, 12.
135. Pais in Niels Bohr’s, 434.
136. 1948 年に“Discussion with Einstein”を口述する前にボーアがパイスに言
った言葉。Pais, Niels Bohr’s, 13.
137. Bohr, “Discussion with Einstein,” 1949 in Atomic Physics, 66.
138. Pais, Niels Bohr’s, 13.
139. Ibid.
140. Ibid.
141. ES-Born, 10/10/60 in Moore, 479.
142. Born, My Life, 270.
143. そのときの写真は French and Kennedy, 304 に所収。
研究と告発
1940 年~1952 年
第 17 章
「ただ真実を」――プリンストン
1949 年 4 月~6 月 10 日
1. Bohm in Peat, 92.
2. Gell-Mann, 170.
3. Hiley and Peat, 33 を参照のこと。その中でボームは次のように述べている。
「私が『量子論』をちょうど書き上げた 1950 年頃にプリンストンですべてが動
き始めた。自分がニールス・ボーアの相補性だと思う視点からその本を書いて
いた。実際私は 3 年間量子論を教えていて、問題全体の、特にボーアの非常に
深く捉えがたい問題の扱いかたについての理解を深めるのが主な目的でこの本
を執筆した。だが書き終えて自分の作業を振り返ってみると、まだどこか不満
を覚えたのだ」。
4. ロマニツへのインタビュー。Peat, 92.
5. Pais, Einstein, 95.
6. Jon Blackwell, the Trentonian, 1933, http://capitalcentury.com/1933.html
(March 21, 2008).
7. 「バガヴァッド・ギーターの一節が心に浮かんでいた。クリシュナが王子に
自分の責務を果たすべきだと説得している場面だ。
『我は死神なり、世界の破壊
者なり』と」。(JRO in Goodchild, 162).
8. ロマニツへのインタビュー。Peat, 92.
9. 「真実を話すべきだ、と私は彼らに言いました」。「彼らは何と?」「『我々は
嘘をつかない』と言いました」。下院非米活動委員会によるオッペンハイマーの
尋問。In the matter..., 151.
10. ロッシへのインタビュー。Peat, 92.
11. リプキンへのインタビュー。Peat, 77–8.
12. Hiley and Peat, 48–49.
13. Hearings Regarding Communist Infiltration of Radiation Laboratory and
Atomic Bomb Project at...Berkeley, 5/25/49, 321 in Bohm archive.
14. Ibid.
15. Hearings Regarding...Berkeley, 5/25/49, p. 325 in Bohm archive.
16. Peat, 95.
17. Hearings Regarding...Berkeley, 6/10/49, 352 in Bohm archive.
18. Hearings Regarding...Berkeley, 6/10/49, 352–53 in Bohm archive.
19. 2000 年 12 月のフォードから著者への電話による。
第 18 章
オッペンハイマー協奏曲――バークレイ
1941 年~1945 年
1.「ボームのオッペンハイマーに対する感情は称賛を超え、後に彼が愛情だと述
べたほどであった。ボームの知性の情熱を理解してくれるだけでなく、励まし
支えてくれる人間がここにいたのだ。13 歳年上のオッペンハイマーを自分を保
護し、理解してくれる父のように思う部分がボームにあったのも当然のことだ
った」。Peat, 43.
2. Goodchild および Smith and Weiner.
3. Bethe, Science 155, 1967.
4. Rabi et al., 6–7.
5. Goodchild, 26.
6. Ibid., 27–29; Rabi et al., 5, 6, 19; Smith and Weiner, 133.
7. JRO-brother 1/7/34 in Smith and Weiner, 170.
8. Regis, 133.
9. ボーム本人の言葉なのかワインバーグの言葉なのかは不明。Peat, 50.
10. Peat, 52.
11. 1987 年 1 月に行われたボームへのインタビュー。Omni, 1/87. www.fdavid
peat.com/interviews/bohm.htm
12. Peat, 56–58.
13. オッペンハイマーの発言。In the Matter..., 114.
14. 1979 年 6 月 15 日のボームへのインタビュー。Bohm archives, Birkbeck.
15. In the Matter ..., 119–20.
16. Ibid.
17. バークレイの調査、「科学者 X」、スティーヴ・ネルソンの記述については
In the Matter..., p. 259 を参照のこと。Hearings of the Committee on Un
American Activities, pp. v-vi, 1949, Bohm Archive.
18. In the Matter..., 811.
19.「我々の調査の結果、ジョーがジョゼフ・ワインバーグであると突き止めた」。
Pash in In the Matter..., 811.
20. ランズデールのオッペンハイマーへの尋問の引用(pp. 343–345)は、「彼
の話しぶりから、この時期に彼が『秘密の戦争計画に関わる危険人物』
(p. 344)
であると考えるようになった」という箇所を除いてすべて In the Matter..., pp.
873–83 による。
21. 2002 年の“Accuracy in Media 会議” (www.aim.org)でシェクターは自身
の著作の受け止められ方に反応してそう述べた。
22. DeSilva in In the Matter..., 150.
23. Desilva in ibid.
24. In the Matter ..., 149.
25. Ibid.
26. Peat, 66-68 を参照のこと。彼は「物理学の研究と政治的……信念を区別し
なかった」。Ibid., 135.
第 19 章 プリンストンの量子論
1946 年~1948 年
1. ボームへのインタビュー。Omni, 1/87.
2. Bohm, Wholeness, ix.
3. Bohm, Quantum Theory, 146.
4. Ibid., 145.
5. Ibid., 146.
6. Ibid., 147.
7. Ibid., 152.
8. Ibid., 622.
9. Ibid., 167.
10. Ibid., 163.
11. Ibid., 167.
12. Hiley and Peat, 46.
13. 2000 年 12 月のフォードから著者への電話による。
14. 「私の科学および哲学に関する研究において、主要な関心は一般的な実在性
の本質、とりわけまとまりのある全体としての意識の本質の理解に向けられて
いた」。Bohm, Wholeness, p. ix.
15. Bohm, Quantum Theory, 171.
16. Ibid., 169-70.
17. アブナー・シモニーがこのヴィグナーの言葉を教えてくれた。
18. Bohm, Quantum Theory, 171.
19. Ibid., 169.
20. Ibid., 171.
21. Ibid., 171.
22. Ibid., 115.
23. Ibid., 614.
24. Ibid.
25. Ibid., 615.
26. Ibid., 611.
27. Ibid., 159.
28. Ibid., 623.
29. Ibid., 167n.
第 20 章 疑念――ふたたびプリンストン
1949 年 6 月 15 日~12 月
1. ロチェスターの新聞記事は In the Matter...,p. 211 所収。ボームは歴史学者
マーティン・シャーウィンにオッペンハイマーがピーターズについて語った内
容を聞いたときにどれほど動揺したか語っている。シャーウィンへのインタビ
ュー。Birkbeck College, Bohm Archives.
2. 「保安官は親切で、ボームが助言を求めると、保釈を得られるように州都ト
レントンまで車で連れて行けると言った……。トレントンへ向かう途中で保安
官は科学について話し、アインシュタインについてボームに訊ねた。保安官は、
自分はハンガリー出身だが今では忠実なアメリカ人だと語り、ボームが国を裏
切らなかったと思いたいと言った」。Peat, 98.
3. Schweber, In the Shadow..., p. x. そこでシュヴェーバーとその友人たちは
オッペンハイマーのもとへ行き、
「彼は丁重に研究所の机をボームに提供した」。
ボームの伝記作家ピートは異なる話を伝えている。ボームを研究所に呼び寄せ
たがったのはアインシュタインで、共産主義者を保護するために研究室を利用
していると受け止められることを恐れてオッピーはその計画を非難したという。
(Peat, 104; 巻末 p. 331 の長い注釈も参照のこと)。
第 21 章
アインシュタインを説き伏せよ――量子論
1951 年
1. 「私は……著書をアインシュタイン、ボーア、パウリ他数人の物理学者に送
った。ボーアからは返事がなかったが、パウリからは熱のこもった手紙が届い
た。その後アインシュタインから電話があった……」とボームは述べている。
Bohm in Hiley and Peat, 35. ゲルマンはボームが「私の話をさえぎって興奮し
て報告してくれた……それを読んだアインシュタインから電話があり、自分に
対する反論の中ではボームが今までみたなかで最も出来のいい説明をしている、
それについて会って話し合わないかと言ってくれたと」。当然ながら次にデヴィ
ッドに会ったとき、僕はどんな会話が交わされたのか知りたくてうずうずして
いたので彼に訊ねた。彼は気落ちした様子で『やめたほうがいいと僕を説得し
た。僕は本を書く前に逆戻りしてしまった』と言った」。Gell-Mann, The Quark
& the Jaguar, 170.
2. Bohm in Hiley and Peat, 35.
3. Ibid.
4. 「これは……量子論は統計学的な配列のみを扱っているという僕の直観に近
かった」。Ibid.「アインシュタインは量子論の統計学的予測は正しいが、欠けた
要素を補うことで原理上は統計を超えて……少なくとも原理上は……決定論的
な理論に行きつくと語った。アインシュタインとの出会いは僕の研究の方向性
に強い影響を与えた。その後量子論を決定論的に拡張したものを見つけられる
かどうかを真剣に考えるようになったからだ」。
5. Ibid., 33.
6. 「マルクス主義者として、量子力学を信じるのは困難だったとデヴィッドは
語った(マルクス主義者は理論が完全に決定論的であることを好みがちなの
だ)」。Gell-Mann, 170.
7. David Bohm archive.
8. Bohm in Hiley and Peat, 33.
9. Ibid.
第 22 章 「隠れた変数」と潜伏
1951 年~1952 年
1. Bohm, Physical Review 85, 166, 1952.
2. 論文は 1951 年 7 月 5 日に『フィジカル・レビュー』誌に受理された。Ibid.
3. Ibid., 169.
4. 「この論文が完成した後、1926 年にド・ブロイが量子論に代わる解釈として
構築した同様の提案に著者の関心は向けられた」。Ibid., 167.
5. Ibid.
6. Ibid., 170.
7. Ibid., 186.
8. Ibid., 170.
9. Ibid., 180.
10. Ibid., 166.
11. Ibid., 179.
12. Ibid., 189.
13. Ibid., 166.
14. ミリアム・イェヴィックはボームがそう語ったのを覚えている。Peat, 113.
15. Ibid., 28–29.
16. Ibid., 29–30.
17. Ibid., 23–24.
18. Ibid., 84.
19. この事実は後に安全保障に関する公聴会で取り上げられ、オッペンハイマー
に不利に働いた。Goodchild, 261.
20. 「ワイスは友人が FBI から身を隠していると感じていた。ある晩、ボーム
はワイスに窓から外を見て黄色いコンバーチブルが行ったり来たりしていない
か見てほしいと頼んだ。ワイスは車を見た。
『尾行されているのか?』とワイス
は訊ねた。『ああ』とボームは答えた。『やつらは僕を探しているんだ』」。Peat,
105.
21. ボームとワイスは「暗くなるまで待ち、地下鉄まで歩いて行った……電車内
でワイスはある男性の乗客が新聞の最終面を読んでいるのに気づいた。第一面
には……ボームの顔写真が載っており、
『彼から引き出せたのは本人の名前だけ
だった』というようなことが書かれていた。とうとう新聞に名前が載るまでに
なったじゃないかとワイスは冗談を言った」
。Peat, 105.
22. Ibid., 27.
23. Ibid., 30.
24. Ibid.
25. AE-Bohm, 12/15/51 in Peat, 116.
26. Ibid., 120.
第 23 章 ブラジル
1952 年
1. Peat, 121–23.
2. サンパウロ大学のウェブサイトを参照のこと。
「洗練された」建物が繰り返し
強調されている。
3. 「いい仕事をたくさんする機会がありそうです」。Bohm-AE in Peat, 121.
4. Ibid., 122.
5. Bohm-Loewy (当時ボームはフロリダに滞在してブラジル行きの準備をして
いた) in ibid., 105.
6. Bohm-Yevick, 11/1951 in ibid., 122.
7. Ibid., 125–26.
8. Bohm-AE in ibid., 121.
9. ファインマンはブラジルの学生の問題点は丸暗記しようとすることだと述べ
ている。 “Surely,” 211–19.
10. Ibid., 165.
11. Bohm-Yevick in Peat, 131–32.
12. 「言葉の壁が大部分の人との本当に親しい関係を長期にわたってかなり難し
くするとわかってちょっと怖いくらいです……英語がよくわからない学生に物
理学を教えていると想像力があまり刺激されないのです。停滞しないように…
…守らなければならなくなるでしょう」。Bohm-Loewy,(1951 年 10 月 17 日消
印の手紙)。Bohm archive.
13. 「学校のスクールではなく、魚の群れなどをいうときのスクール」。Feynman,
“Surely”..., 206.
14. Ibid., 206–8.
15.1952 年のカーニバルでファインマンはメフィストフェレスに仮装していた
とグリックは述べている。Genius, 286.
16. ボームのパスポートは奇妙な口実で取り上げられた。ボームのルームメイト
は周回する車を目撃している。Peat, 124–25.
17. Bohm-Phillips in ibid., 125.
18. アインシュタインとの会話から、ボームは決定論の立場から量子論の拡張を
試みるようになった。
「すぐに私は、波と粒子を根本的に関連づける古典的なハ
ミルトン=ヤコビ理論を検討した……ある近似(ウェンツェル=クラマース=ブ
リルアン)を行えば、シュレーディンガー方程式は古典的なハミルトン=ヤコビ
方程式と等しくなる……私は自問した。もしこの近似を行わなければ、等価性
を示そうとした場合にどうなるだろうか? 私は新しい力を表す追加のポテン
シャルが存在し、それが粒子に作用しているのだろうとすぐに理解した。私は
これを量子ポテンシャルと名づけた」。Bohm in Hiley and Peat, 35.
19. 「ファインマンに会ったとき、彼は僕の考えがおかしいと思っていたが、じ
っくり話すと論理的一貫性があると納得させることができた」。Bohm-Yevick,
1/5/52 in Peat, 126.
20. Bohm-Yevick, 1/5/52 in ibid.
21. ボームはファインマンを「役に立たないとわかっている理論の長く骨の折れ
る計算をするという気の滅入る罠から解放」してやりたいと思っていた。むし
ろ、
「ベーテや他の計算していた研究者が彼を捕まえてしまう前に、彼がそれま
でしていたように新 しい考えに取り組むよう説得できるかもしれない」。
Bohm-Yevick or Bohm-Loewy (不明) in Peat, 126.
22. ファインマンはベーテとの計算ゲームについて言及している。“Surely,”
192–95.
23.「どうして頭のいい人間は、バーに入るとここまでバカになれるのだろう?」
Feynman, “Surely”..., 187.
24. これがファインマンの物理学に対する姿勢であった。ボームはあるインタビ
ューで、ファインマンが隠れた変数に取り組もうとしなかった理由は、彼には
「そこに問題が見つからなかった」ためだと語った。Peat, 126.
25. ファインマンは「論理的には可能で、何か新しいものをもたらすかもしれな
いと確信してくれた」。Bohm-Loewy, 12/10/51 in Peat, 126.
26. Bohm-Loewy, 12/1951 in ibid., 127.
27. グリックはファインマンとフェルミの手紙のやりとりについて著書 Genius,
282 で語っている。.
28. 目の不自由なアマチュア無線家の話はファインマンの “Surely,” 211 に描
かれている。
29. ファインマンはブラジルで孤独だった。彼は手紙でプロポーズし、短い二度
目の結婚生活を始めた。Gleick, 287.
30. Bohm-Yevick, 5/8/52 in Peat, 126.「ボームは正しかった。1980 年代後半に
なっても、ボームは渡米するときはいつもファインマンのもとを訪れていた」。
第 24 章
世界からの手紙
1952 年
1. Pauli-Bohm, 12/3/51 in Bohm archive.
2. Bohm, Physical Review 85, 186; Physical Review 108, 1072.
3. Bohm in Hiley and Peat, 38.
4. Bohm-Yevick in Peat, 128.
5. Bohm-Yevick, 1/5/52 in ibid., 125.
6. Ibid., 124.
7. Bohm-Yevick, 1/9/52 in ibid., 130.
8. Schweber, 129.
9. Pauli-WH, 5/13/54 in Pais, Niels Bohr’s, 360.
10. Ibid.
11. Bohm archives.
12. 2003 年 8 月の著者によるミリアム・イェヴィックへのインタビュー。
13. Gross in Hiley and Peat, 46.
14. 2003 年 8 月のミリアム・イェヴィックへのインタビュー。
15. 2003 年 8 月のミリアム・イェヴィックへのインタビュー。
16. 「ボームは話すのが好きで、哲学を物理学の話に変えていました。深遠な問
題についてよく語りましたが、方程式はありませんでした。ユージン・グロス
はボームよりずっと地に足の着いた物理学者でした。懐疑的で、ブラック・ユ
ーモアを言うところがありました。夫のジョージはグロスの方が正しいと思う
ことが多かったようです」。2003 年 8 月のミリアム・イェヴィックへのインタ
ビュー。
17. Ibid.
18. 「ボームはとても優柔不断でしたが、グロスは(私もそうですが)決断力が
あり、歯に衣着せぬ物言いでした。ボームが理論にスピンを組み込めなかった
のは大きな問題でした」。2003 年 8 月のジョージ・イェヴィックへのインタビ
ュー。
19. 「ある夜、社交的な集まりでデイヴがふざけて幽霊と悪魔は存在するという
『説得力のある』複雑な理論を作り上げたことがあった」。Gross in Hiley and
Peat, 47.その前の文章には「一貫性のある知的な構造を作り上げるデイヴの信
じられないようなやり方に驚嘆した」とある。幽霊の話はこの特技の「なんと
もおかしい」一例である。
20. 「彼が自分や他の人間に与えた影響を古くさい言葉でしか説明できません。
冷静ながらも情熱を持って物事の本質を探究することが……デイヴのすべてで
した。彼は俗世界の聖人だとしか言いようがありません。打算や競争心という
ものをまったく持ち合わせていなかったので、彼を利用しようと思えばいくら
でもできたでしょう。彼の教え子や友人の大半は年下でしたが、それほどに稀
有な存在を守りたいという強い衝動に駆られたのです」。Gross in Hiley and
Peat, 49.
21. Bohm-Yevick, 3/9/52 in Peat, 131.
22. Bohm-Yevick, 1/1951, 1/1952, および日付不明の手紙。Peat, 131.
23 Peat, 129.
24 Bohm-Yevick および Bohm-Phillips in Peat, 132.
25. 「フォン・ノイマンは、その考えには一貫性があり『非常に優雅』ですらあ
ると考えています(節操のない奴だ)」。Bohm-Yevick, 日付不明。Peat, 132.
26. Bohm-Yevick, 1/28/52 ( 未 発 表 の 手 紙 。 Collection of Miriam
Lipschutz-Yevick)
27. Bohm-Yevick, 日付不明。Peat, 131–32.
28. Bohm-Yevick, 日付不明。Ibid., 134.
第 25 章
オッペンハイマーに立ち向かう
1952 年~1957 年
1. C・N・ヤンによる訃報, Physics Today, June 1998.
2. Dresden, H. A. Kramers: Between Tradition and Revolution. New York:
Springer-Verlag, 1987.
3. 1989 年の 5 月の米国物理学協会でのドレスデンの講演。Peat, 133.
4. JRO to Dresden in ibid., 133.
5. Pais to Dresden in ibid.
6. ドレスデンはそう回想している。Ibid.
7. JRO to Dresden in ibid.
8. Nasar, Beautiful Mind, 45, 81.
9. Nash-JRO, 1957 in Nasar, Beautiful Mind, 220–21.
10. Ibid., 221.
第 26 章
アインシュタインからの手紙
1952 年~1954 年
1. Born-AE, 5/4/52; B-E Letters, 190.
2. AE-Born, 5/12/52; B-E Letters, 192.
3. HB-AE, 5/29/52 in B-E Letters, 193–94.
4. B-E Letters, 193.
5. AE-Born, 10/12/53 in B-E Letters, 199.
6. Born-AE, 11/26/53 in B-E Letters, 205–7.「パウリはボームの息の根を止め
るような考えを思いつきました……」。これに対してウィテイカーは次のように
述べている。
「これは希望的観測に思われる。パウリはボームの論文を『人工的
な形而上学』と評したが、物理学的主張は驚くほど説得力に欠ける。ハイゼン
ベルクもそうだが、パウリはボームが既存の実験結果と矛盾することなく量子
の形式主義を修正できるとは思っておらず、確率密度と波動関数の関係の説明
を求めた。ボームと仲間のヴィジェが実際に後者を提示することもできたが、
その回答がなくともボームの『息の根が止められた』とは到底言えないだろう」。
Whitaker, Einstein, 251.
7. AE-Bohm, 1/22/54 in Bohm archives.
8. Bohm-AE, 2/3/54 in Bohm archives.
9. AE-Bohm, 2/1954 in Bohm archives.
ボームの物語のエピローグ
1954 年
1. Bohm-Yevick, 1954 年 4 月の手紙と思われる。Peat, 160.
2. Bohm, Wholeness, p. ix.
3. Feynman, Character of Physical Law, 第 6 章。
4. Ibid., 127-47.
5. Bohm, Wholeness..., 109-10.
発見
1952 年~1979 年
第 27 章
状況は変化する
1952 年
1.「彼はジェラルディン・ロードのホステルで暮らしていて……自分のバイクを
しょっちゅう分解する若者の一人でした」。Mary Bell in Bertlmann and
Zeilinger, 3.
2. Whitaker, Physics World, 12/1998, 30.
3. Bell in Bernstein, Quantum Profiles, 65.
4. Ibid., 12.
5. Ibid., 12; Whitaker, Physics World, 12/1998, 29; および Bertlmann and
Zeilinger, 7–9.
6. Walkinshaw in Burke and Percival, 5.
7. Ibid.
8. Mary Bell in Europhysics News memorial edition.
9. Walkinshaw in Burke and Percival, 5.
10. Mary Bell in Bertlmann and Zeilinger, 5.
11. パイエルスはコッククロフトが煉瓦を集めていた話をしている。 Bird of
Passage, 120.
12. Mary Bell in Europhys. News memorial edition.
13. Bell, “On the Impossible Pilot Wave” (1982) in Speakable, 159–60.
14. Mandl in Burke and Percival, 10.
15. Bertlmann and Zeilinger, 3-4.
16. Bell in Bernstein, Quantum Profiles, 65.
17. Whitaker inBertlmann and Zeilinger, 17.
第 28 章
不可能性の証明が証明したもの
1963 年~1964 年
ベルとヤウホの会話は、隠れた変数についての彼の考えの変遷を考える上で
きわめて重要であった。そのことに対してベルは後に数回にわたりヤウホに深
く謝意を表している。だがベルもヤウホも議論の内容について曖昧に触れてい
るだけで明確に書き記していない。本章でのヤウホの引用はすべて彼の著書『量
子は実在するか』からとった。この本は「1970 年秋」……ジュネーヴでベルと
重大な転機となる会話を交わした 7 年後である……のジュネーヴを舞台に、量
子力学における実在性の問題を「対話」形式で述べたものである。しかし、同
書の「会話の多くは……実際の会話を何らかの形で忠実に再現した」ものであ
る。 (p. xii). ベルの回答は 1964 年から 1986 年の間に発表された著作からとっ
ている。
「実のところ何年もこうした問題を避けてきました」とベルはデイヴィ
スに語っている。
「なぜなら私より頭の良い人たちがこの問題をほとんど進展さ
せられなかったのを知っていた上に、自分は実用的な研究に取り組んでいたか
らです。ですが 1963 年にジュネーヴで他のことで忙しくしていたときに大学で
ヤウホ教授に出会いました。彼はこの問題に集中して取り組んでおり、彼と議
論をするうちに私も何かやってみようと決心するにいたったのです」。(Davies,
The Ghost in the Atom, 56). ベルはヤウホが「かの悪名高いフォン・ノイマン
の定理をむしろ強化しようとしていました」とバーンシュタインに語った。
「私
にとってそれは闘牛に赤いものを見せるも同然の行為でした。そこでヤウホが
間違っていることを示したいと考えたのです。我々は何度か激論を交わしてい
ました」。(Quantum Profiles, 67–8). 「とりわけ J. M. ヤウホ教授に負うとこ
ろが大きい」。
([1964 年に書かれた論文] “On the problem of hidden variables in
QM”の謝辞, Bell, 11).
1. 2000 年秋のメアリー・ベルへのインタビュー。
2. Jammer, Phil. of QM, 303.
3. 「私はデヴィッド・ボームの論文で不可能なことが行われたのがわかった」。
Bell, “On the Impossible Pilot Wave” (1982), Speakable, 160. 「私は[ボーム
の論文]にとてつもない感銘を受けた。フォン・ノイマンは単純に間違ってい
るに違いないとわかった」。ベルは 1990 年にそう述べている。Bernstein,
Quantum Profiles, 65.
4. ド・ブロイの理論は「きわめて独創的な……直面せざるを得ません」Jauch,
74.
5. Jauch, x. 「にもかかわらずこの[隠れた変数]問題には、非常に興味深く、
徹底的な探究に値する科学的側面がある」。Jauch, xi.
6. Bell, “Six Possible Worlds . . .” (1986), Speakable, 194. ベルは「すり合わせ
ただけ」という言葉の前に「ほとんど」をつけている。
7. Ibid.
8. Bell, “On the Impossible Pilot Wave” (1982), Speakable, 160.
9. 「ド・ブロイは……私なら恥ずべきことと思うやり方で一笑に付され……ボ
ームはかなり無視された」。Bell (1986) in Davies, Ghost, 56.
10. Ibid.
11. Jauch, ix. 元の文章の順序を変えて引用している。
12. Bell, “On the Impossible Pilot Wave” (1982), Speakable, 160. ベルは不可
能性の証明のリストの中で、最初にヤウホについて脚注をつけ、
「いったい何の
ために?」という言葉を持ってきている。Ibid.
13. ヤウホの著書で、シムプリチオは夢を見るが、あらゆる言語で書かれた将来
のすべての本が収められた図書室にいることに気づく。彼は「素粒子について
の既知の事実をすべて説明する素粒子論」があるか尋ねる。司書は「現在知ら
れている事実に合致する……理論は 137 あります」と答える。
「これが重要な点
で、赤裸々な真実がシムプリチオに明らかにされる……アインシュタインが語
ったように、またこの夢が表しているように、真実には二つの基準があり、第
二の基準を無視すれば不合理にいきつく」とヤウホは見解を述べている。(AE,
“Autobiographical Notes” in Schlipp, p. 13 などを参照のこと). Jauch, 51–53
および 105 (注釈 15).
14. 『自伝ノート』は「隠れた変数理論がなかなか興味深い」ことを示唆してい
る。Bell, “On the Problem of Hidden Variables . . .” (1966), in Speakable, 12
(注釈 2). (Schlipp, 81–87 を参照のこと)。
15. 「その状況は……観測された現象を正しく説明できたために」。Jauch, Are
Quanta Real?, xi.
16. Ibid.
17. Bell (1990); Bernstein, Quantum Profiles, 66.
18. 「この量子ポテンシャルは、離れた粒子間の瞬時の相互作用を意味している
という批判にさらされやすい上に、いくぶん人工的な形式に思われる点も認め
ざるを得ない」。ボームは「量子力学より深いレベルでのもっと新しい量子論の
説明」を目指していた。Bohm & Aharonov, Physical Review 108, 1072 (1957).
19. 「月の満ち欠け、天球で太陽が通る星座の種類、あるいは私の意識の状態が
これらの変数の値とは無関係だとは言い切れません」。Jauch, 16.
20. Ibid., 100, 注釈 7.
21. 「あなたの言う隠れた変数の起源に関して、あらゆる理論に扉は広く開け放
たれています」。Ibid., 16.
22. Bell in Bernstein, Quantum Profiles, 72.
23. Ibid.これには背景がある。その年の後半にベルがカリフォルニアに研究休暇
にでかけたときのことについて、ベルはバーンシュタインに次のように語って
いる。
「ヤウホとの議論で私の頭の中はいっぱいで、隠れた変数の全体的なテー
マについて総説を書くことで紙の上にすべてを書き出すことにした。書き進め
るうちに、
『局所性』が問題の中心にあるという確信を強めた」。Ibid., 67–68. 著
者が調べた限りではこれが、ベルが局所性に焦点をあてた時期について最も具
体的に言及している言葉で、そのアイデアがヤウホとの会話の最中ではなく会
話の後に浮かんだ可能性を示唆している。
24. 「私はできるかぎり間違った道筋を取り除こうとしているのです。そうすれ
ば残される可能性が減り、そのなかから、物理世界全体にわたっている、基本
的な相補性の理解へつながる道を見つけ出せるかもしれませんから」。Jauch,
21–22.
25. Bell, “Bertlmann’s Socks . . .” (1981), Speakable, 155. 「彼は続けて EPR
論文への回答からボーアのお気に入りの文句を一文ずつ分析している。
『本当に
これがどういう意味なのか私にはほとんどわからないのです』。「ボーアは議論
をに反論しているというよりも、その前提……『遠隔作用はない』……を否定
しているだけなのではないでしょうか?」
26. Jauch, 19.
27. Ibid., 48.
28. Bell, “Six Possible Worlds . . .” (1986), Speakable, 189.
29. Ibid.
30. 「事実に基づく証拠の……要であることは疑いがない」。Jauch, 96.
31. Bell, “Six Possible Worlds . . .” (1986), Speakable, 190.
32. 「ボーアは深い真実の反対は……のといった格言を好んでいたようだ。馴染
みのある意味をひっくりかえして使うことで、何とも言えない満足感を覚えて
いたのだろう」。Ibid.
33. Ibid.
34. Jauch, 54.
35. Bell (1990) in Bernstein, Quantum Profiles, 52.
36. Ibid.
37. Jauch, 18.
38.「ボーアにふさわしい大きな名声」。Bell, “Six Possible Worlds . . .” (1986),
Speakable, 189.
39. Bell (1990) in Bernstein, Quantum Profiles, 52.
40. Bell, “Six Possible Worlds . . .” (1986), Speakable, 188.
41. Bell (1990) in Bernstein, Quantum Profiles, 84.
42. Ibid., 85.
43. Jauch, 16.
44.「必死に有罪にしようとする検察官……犯人探しが必要だと言う」。Ibid., 17.
ヤウホの寓話では、隠れた変数理論を作った人物は「シムプリチオ」と呼ばれ
る。
45. Ibid., 17.
46. Bell (1990) in Bernstein, Quantum Profiles, 72.
47. 「EPR の設定は重要だった。なぜなら遠隔相関が導かれるからだ。アイン
シュタインらは、量子力学的記述を完全なものにできたなら、非局所性がどう
しても立ち現れると述べて論文を締めくくっている。根底にある理論は局所的
なものとなるはずだ」。Ibid.
48.「いやはや頑固な方ですね、シムプリチオさん!尊敬してしまいますよ!あ
なたの反対意見は我々にとって難しい課題で、おかげで物理学の基礎について
より深く考察することができました。だからあなたに感謝すべきでしょうね」。
Jauch, 42.
49. Ibid., xii.
50. Ibid., xi-xii.
51. Ibid., 23.
52. Ibid., 26.
53. Ibid., 26n (101).
54. Ibid., 50–51, および注釈, 104。
55. Ibid., 104.
56. Ibid., 97.
57. Bell, “On the Problem of Hidden Variables in QM” (1964 年に投稿、1966
年に発表), Speakable, 1-2.
58.「今までで最悪の日だった」とベルはバーンシュタインに語った。Quantum
Profiles, 67.
59. 「願わくはルイ・ド・ブロイが、不可能性の証明が証明したのは創造性の欠
如ではないかと考える者たちに刺激を与え続けますように」。Bell, “On the
Impossible Pilot Wave” (1982), Speakable, 167.
60. 「そこで僕はは単純な EPR のちょっとしたモデルを考案して、量子力学的
な描像を完全なものにできるかどうかはっきりと確かめることにした。まずス
ピン1/2粒子が 2 つというごく単純な系をいじってみた。そんなに真剣なもの
ではなく、量子相関を局所的に説明できるかもしれない入力と出力の単純な関
係を得られればと思った。やってみたがことごとくうまくいかず、どうやら不
可能らしいとわかりはじめた」。Bell in Bernstein, Quantum Profiles,72–73.
61. ベルは次のように述べている。
「[スタンフォードに来る]少し前から同じ研
究者のジョゼフ・ヤウホとの議論に刺激を受け、量子力学の基礎について改め
て考察するようになっていた。彼は隠れた変数を禁じるフォン・ノイマンの忌
わしい定理を実際に強化しようとしているとわかった。赤いものを見せられた
闘牛のように、僕はカッとなった。そこでヤウホが間違っていることを証明し
ようと思った。激しい議論を交わしたこともあった。ヤウホの論文に不合理な
前提があることを突き止めていたと思った。スタンフォード大学では一人にな
れるので、量子力学について考える時間があった。ヤウホとの議論で僕の頭の
中はいっぱいだったので、隠れた変数の全体的なテーマについての総説という
形で紙の上にすべてを書き記すことにした。書き進めるうちに、
『局所性』が問
題の中心にあるという確信を強めた」。Bernstein, Quantum Profiles, 67–68.
62.「これらの論文に目を通していると、いたるところに彼女の顔が浮かぶ」。ベ
ルは論文集 Speakable の序文でメアリーに感謝の気持ちを述べている。
63. Bell, “On the problem of Hidden Variables in QM” (1966), Speakable, 11.
64. Jammer, 303.
65. Ibid.
66. ベルは次のように述べている。「方程式を思いついて紙に書き出すのは一度
の週末ですんでしまったかもしれない。けれどもそれ以前に何週間も集中的に
こうした問題について考えていた。そしてそれ以前に何年もずっと頭の片隅に
ひっかかっていたのだ」。Davies, Ghost 57; Bernstein, Quantum Profiles, 72
も参照のこと。
67. Bell, “On the EPR Paradox” (1964), Speakable, 19.
第 29 章
少しばかりの想像力
1969 年
1. Bohm, Wholeness, 109–10.
2. Abner Shimony, Tibaldo and the Hole in the Calendar (New York:
Springer-Verlag, 1998), 1.
3. 「論文の最初の草稿をブランダイス大学滞在中に書いた」。Bell, “On the EPR
Paradox” (1964), Speakable, 20.
4. Shimony to LLG, spring 2000.
5. Ibid.
6. シモニーがそう語ったとホーンが 2005 年 6 月に著者に話してくれた。
7. “Discussion of Experimental Proof for the Paradox of EPR” (1957),
Physical Review 108, 1070.
8. “Angular Correlation of Scattered Annihilation Radiation” (1950), Physical
Review 77, 136.
9. Horne, Shimony, and Zeilinger, “Down-Conversion Photon Pairs: A New
Chapter in the History of QM Entanglement” (1989), Quantum Coherence,
361. シモニーはこの言い回しを思いついたのはホーンのおかげだとしている。
ホーンはひどく驚いた。(Optical Society of America meeting in San Jose, CA,
Sept. 2007).
10. Shimony to LLG, spring 2000.
11. Clauser to LLG, Oct. 2000.
12. Ibid.
13. Clauser, “Early History of Bell’s Theorem” (2000) in Bertlmann and
Zeilinger, 78.
14. Clauser to LLG, Oct. 2000.
15. Shimony to LLG, spring 2000.
16. Horne to LLG, Nov. 2000.
17. Shimony to LLG, spring 2000.
18. Horne to LLG, Nov. 2000.
19. Clauser in Wick, 119.
20. Kocher & Commins, “Polarization Correlation of Photons Emitted in an
Atomic Cascade” (1967) in Physical Review Letters 18, 575.
21. Clauser to LLG, Oct. 2000.
22. Ibid.; Wick, 120.
23. Bell-Clauser, 1969 in Bertlmann and Zeilinger, 80.
24. Clauser; Ibid.
25.Holt to LLG, Dec. 2001.
26. Holt to LLG, Aug. 2004.
27. Shimony to LLG, spring 2000.
28. Holt to LLG, Dec. 2001.
29. Holt to LLG, Dec. 2001.
30. Horne, “What Did Abner Do?” (OSA meeting, 2007).
31. Shimony to LLG, spring 2000.
32. Horne to LLG, Nov. 2000.
33. Horne, 2007. (OSA meeting)
34. Horne to LLG, Nov. 2000.
35. Shimony to LLG, spring 2000.
36. Horne to LLG, June 2005.
37. Clauser to LLG, Oct. 2000.
38. Shimony to LLG, spring 2000.
39. Clauser to LLG, Oct. 2000.
40. Clauser, Horne, Shimony, and Holt (1969), Physical Review Letters 23,
880.
41. Commins to LLG, Oct. 2000.
42. Clauser to LLG, Nov. 2000.
43. Commins to LLG, Oct. 2000.
44. Clauser to LLG, Oct. 2000.
45. Ibid.
46. Commins to LLG, Oct. 2000.
47. Ibid.
48. Townes, 69-71.
49. Freedman to LLG, Oct. 2000.
50. Ibid.
51. Clauser to LLG, Dec. 2001.
52. Ibid.
53. Ibid.
54. Ibid.
55. Freedman to LLG, Oct. 2000.
56. Ibid.
57. Ibid.
58. Freedman, “Experimental Test of Local Hidde-Variable Theories,” 5/5/72,
カリフォルニア大学バークレイ校博士論文。
59. Rehder to LLG, Sept. 2005.
60. Freedman to LLG, March 2005.
61. Rehder to LLG, Sept. 2005.
62. Freedman to LLG, Oct. 2000.
63. Clauser to LLG, Dec. 2001.
64. Ibid.
65. 「『光電子倍増管の世界』では、青色や紫色でない光子(波長が 4500Å超)
はすべて『赤』[と呼ばれる]。光電陰極が壊れるのはたいていそこなんだ!」
Clauser-LLG, Jan. 9, 2002.
66. Clauser to LLG, Dec. 2001.
67. Ibid., March 2002.
68. Freedman to LLG, Oct. 2000.
69. Clauser to LLG, Dec. 2001.
70. Ibid., Oct. 2000.
71. Freedman to LLG, Oct. 2000.
72. Ibid., and Shimony to LLG, 2000.
73. Commins to LLG, Oct. 2000.
74. Freedman to LLG, Oct. 2000.
第 30 章
実験物理学は単純ではない
1971 年~1975 年
1. Clauser to LLG, March 2002. Freedman-LLG, May 2008.
2. Ibid.
3. 「ジーン・カミンズはこの上なく誠実な男だ」
。Freedman to LLG, Oct. 2000.
4. 実際は先に放出される緑色の光子の方がつねに紫色の光子よりも先にたどり
着く。しかし到着時の間隔は予測可能で、電子機器で緑色の光子を遅らせるこ
とができるため、結果的に同時にたどり着き、分析が容易になる。
5. Clauser to LLG, March 2002.
6. Ibid.
7. 「僕はすっかり興奮してしまい、そのときにカミンズが部屋に入ってきたと
思う」。Ibid.
8. Ibid.
9. Ibid.
10. Ibid.
11. Ibid.
12. Ibid.
13. Ibid.
14. Clauser in Freedman to LLG, Oct. 2000.
15. Holt in Shimony-LLG, Sept. 5, 2003.
16. Holt to LLG, Aug. 2004.
17. Ibid.
18. Clauser to LLG, March 2002.
19. Ibid.
20. Holt to LLG, Aug. 2004.
21. Ibid.
22. Ibid.
23. 「時折何かの光電子倍増管のダーク・パルス・レートが速くなることがあっ
た……その現象が起こると……[5513Å の薄緑色の光子をつかまえるための]
C31000E でよく起こった……いったん機械を止め、数日間室温で光電管を保管
しておいた。再冷却されるとダーク・パルス・レートは正常に戻った」。Freedman,
“Experimental Test of Local Hidden-Variable Theories,” 5/5/72, カリフォルニ
ア大学バークレイ校博士論文 p. 76 の注釈。
24. 「競争相手がいない方がずっといい。あせらずにすむから」。Clauser to LLG,
March 2002.
25. Shimony to LLG, spring 2000; Clauser to LLG, March 2002.
26. “Introduction to the Hidden-Variable Question” (1971), Speakable, 29.
Jackiw and Shimony, “Depth and Breadth,” 90 と比較のこと。
27.フリードマン=クラウザーの実験で、決定論の理論のみならずあらゆる局所
的実在性の理論が検証されたことをシモニーは示した。シモニーの論文は
Foundations of QM, Proceedings of the International School of Physics
“Enrico Fermi,” Course XLIX, d’Espagnat, ed. (New York: Academic, 1971),
191 に再掲されている。Clauser and Horne (1974), Physics Review D, 10, 526.
28. Bell, “Introduction to the Hidden-Variable Question” (1971), Speakable,
29.
29. このクラウザーの発言をシモニーが 2000 年春に著者に語ってくれた。
30. フリードマンの不等式は Freedman, “Experimental Test,” p. v に見ること
ができる。
31. Freedman to LLG, Oct. 2000.
32. Fry, “Arrogance? Naïveté? Stupidity? An Untenured Assistant Professor
Threw Caution to the Wind for a Bell Inequality Experiment” (2007). OSA
meeting.
33. Ibid.
34. Clauser to LLG, Oct. 2000.
35. Freedman to LLG, Oct. 2000.
36. Ibid.
37. Ibid.
38. Holt, “Quantum Mechanics vs. Hidden-Variables: Polarization
Correlation Measurement on an Atomic Mercury Cascade,” 1973 Harvard
University preprint, 1.
39. Ibid.
40. Freedman to LLG, Oct. 2000.
41. Holt to LLG, Dec. 2001.
42. Ibid.
43. Freedman to LLG, Oct. 2000.
44. Holt to LLG, Dec. 31, 2001.
45. Ibid.
46. Ibid.
47. Ibid.
48. Holt to LLG, Dec. 31, 2001.
49. Faraci et al., Lett. Nuovo Cim. 9 (1974), 607. クラウザーとシモニーは次
のように述べている。
「彼らのデータは量子力学的予測とはっきり食い違ってい
る……彼らの論文はかなり要約されており、測定誤差のためにそうした結果に
な っ た の か を 推 測 す る の は 困 難 で あ る 」。 (Clauser and Shimony, “Bell’s
Theorem,” p. 1917) .
50. Horne to LLG, June 2005.
51. Clauser and Shimony, “Bell’s Theorem,” p. 1916.
52. フライはホルトとピプキンの結果を説明した。“Arrogance? Naïveté?...,”
OSA meeting, Sept. 2007.
53. Ibid.
54. Clauser to LLG, Oct. 2000.
55.CERN で若い女性にインタビューされており、ウィーン大学図書館に所蔵さ
れているビデオテープの日付は 1990 年 11 月 28 日となっているが、ベルは 10
月 1 日に他界したばかりであったのでインタビューされた日ではない。
56. Clauser to LLG, Oct. 2000.
57. Horne to LLG, June 2005.
58. Clauser to LLG, Oct. 2000.
59. Ibid.
60. Horne to LLG, June 2005.「実験をしてジョンは納得したけれど、我々の実
験に対する反応は異なっていた。ジョンは『これは好きじゃない』とよく言い、
僕は『まあ仕方ないさ』と言っていた」。
61. Clauser to LLG, Oct. 2000.
62. Shimony-LLG, Sept. 5, 2003.
63. “Experimental Distinction Between the Quantum and Classical Field
Theoretic Predictions for the Photo-Electric Effect” (1974), Physics Review D,
9, 853.
64. Clauser to LLG, Oct. 2000.
65. Ibid.
66. Clauser and Horne, “Experimental Consequences of Objective Local
Theories” (1974), Physics Review D, 10, 535.
67. バークレイ大学ルコント・ホールの屋根裏部屋をそう呼んでいた。
68. 元の議論については Ibid., p. 530 を参照のこと。これらの実験(Bertlmann
and Zeilinger, 87-88) へ の 反 対 意 見 は Clauser, “Early History of Bell’s
Theorem” (2000)を、賛成意見(Bertlmann and Zeilinger, 141–42)については
Aspect,“Bell’s Theorem: The Naïve View of an Experimentalist”を参照のこと。
69. Clauser to LLG, Oct. 2000.
70. Ibid., March 2002.
71. Ibid., Oct. 2000.
72. Fry and Thompson, “Experimental Test of Local Hidden-Variable
Theories” (1976), Physical Review Letters 37, 465.
第 31 章 設定の変更
1975 年~1982 年
1. 「ギシンもまったく同じ言葉を使った」。Aspect, Optical Society of America
meeting in San Jose, CA, Sept. 2007.
2. Aspect, (抄録), OSA meeting, 2007.
3. Aspect, “The Paper That Changed My Life” at OSA meeting, Sept. 2007.
4. Aspect, “Bell’s Theorem: The Naïve View of an Experimentalist” in
Bertlmann and Zeilinger, 119.
5. Clauser to LLG, Dec. 2007.
6. Ibid.
7. Fry, “Quantum (Un)speakables” conference in Vienna, Nov. 2000.
8. Pipkin in Fry, “Arrogance? Naïveté? . . .” (2007); OSA meeting.
9. クラウザーの興味深い分析を参照のこと。“Early History of Bell’s Theorem”
in Bertlmann and Zeilinger, 61ff.
10. Aspect to LLG, Sept. 2007.
11. 「私たちは部分的に異なる方程式を解いていた……私には何かが欠けている
とわかっていた」。Aspect to LLG, Sept. 2007.
12. Ibid.
13. Aspect, “The Paper That Changed My Life” at OSA meeting, Sept. 2007.
14. Ibid.
15. Bell, “On the EPR Paradox” (1964) in Speakable, 20.
16. 「水が高価でなくて幸運だった」。Aspect, OSA meeting, Sept. 2007.
17. Aspect et al., “Experimental Test of Bell’s Inequalities Using TimeVarying Analyzers” (1982), Physical Review Letters 49, 1805.
18. Ibid.
19. Ibid., 1807.
20. Aspect, “Bell’s Theorem: The Naive View of an Experimentalist” in
Bertlmann and Zeilinger, 119.
21. ベルがアスペに語った言葉。2007 年 9 月にアスペが著者に語ってくれた。
22. Freedman to LLG, Oct. 2000.
23. Holt to LLG, Dec. 2001.
24. Horne, “Quantum Mechanics for Everyone,” Third Stonehill College
Distinguished Scholar Lecture, May 1, 2001.
25. Horne to LLG, June 2005.
26. Horne to LLG, June 2005.
27. AZ, “Bell’s Theorem, Information . . .” in Bertlmann and Zeilinger, 241.
28. Hornw in Aczel, 210.
29. Horne to LLG, June 2005.
30. Ibid.
31. Ibid.
32. Greenberger to LLG, May 2005.
33. Greenberger, “History of the GHZ . . .” in Bertlmann and Zeilinger, 282.
「もつれの時代」の到来
1981 年~2005 年
第 32 章
シュレーディンガー生誕 100 周年
1987 年
1. Bertlmann, “Magic Moments: A Collaboration with John Bell” in
Bertlmann and Zeilinger, 29.
2. ベルはいつもそう呼んでいた。Bertlmann to LLG, Nov. 2000.
3.「儀式のようなものだった。
4 時 2 分前になると僕たちは研究室を出て CERN
のカフェテリアに行った。そこでジョンはイギリス訛りのフランス語で『レモ
ンバーベナ・ティーを二つお願いします』とお気に入りのお茶を注文した」。
Bertlmann, “Magic Moments . . .” in Bertlmann and Zeilinger, 36.
4. Leinaas, “Thermal Excitations of Accelerated Electrons” in ibid., 402.
5. Bertlmann to LLG, Nov. 2000.
6. Ibid.
7. Ibid.
8. Ibid.
9. Ibid.
10. Ibid. ベルの姿勢の記述も含む。
11. AZ, “On the Interpretation & Philosophical Foundation of QM” in
Vastakohtien Todellisuus, Festschrift for K. V. Laurikainen, Ketvel, et al.,
eds.,
Helsinki
University
Press,
1996,
www.quantum.univie.ac.at/zeilinger/philosop.html (June 2, 2008).
12. AZ to LLG, May 2005.
第 33 章 3 まで数える
1985 年~1988 年
1. Horne to LLG, June 2005.
2. Ibid.
3. Ibid.
4. Ibid.
5. 「なぜならマイク・ホーンと僕もかつて三体問題について考えたことがあっ
たからだ」とザイリンガーはグリーンバーガーにそう言ったという。2005 年 5
月にグリーンバーガーが著者に語ってくれた。
6. Greenberger to LLG, May 2005.
7. “Observation of Nonclassical Effects in the Interference of Two Photons”
(1987) in Physical Review Letters 59, 1903.
8. Horne to LLG, June 2005.
9. Ibid.
10. Greenberger to LLG, May 2005.
11. Horne to LLG, June 2005.
12. Greenberger to LLG, May 2005.
13. Ibid.
14. Mermin to LLG, Oct. 2005.
15. Ibid.
16. Ibid.
17. Clifton, Redhead, Butterfield, “Generalization of the Greenberger-HorneZeilinger Algebraic Proof of Nonlocality” in Foundations of Physics 21, 149–
84 (1991).
18. Greenberger, Horne, and Zeilinger, “Going Beyond.”
19. Mermin to LLG, Oct. 2005.
20. Mermin, Physics Today, June 1990, 9.
21. Ibid.
22. Ibid.
23. Ibid, 9, 11.
24. Ibid, 11.
25. Ibid.
26. ベルがマーミンに語った言葉。2005 年 10 月にマーミンが著者に語ってく
れた。
27. Shih and Alley in Proceedings of the 2nd Int’l Symposium on
Foundations of QM in the Light of New Technology, Namiki et al., eds.
(Tokyo: Physical Society of Japan, 1986).
第 34 章 「測定」に反対して
1989 年~1990 年
1. Mermin, “Whose Knowledge?” in Bertlmann and Zeilinger, 271.
2. John Bell, Physics World, 8/90, 33–40.
3. Mermin, “Whose Knowledge?” in Bertlmann and Zeilinger, 271.
4. Dirac, “The Evolution of the Physicist’s Picture of Nature,” Scientific
American, 5/1963.
5. Mermin, “Whose Knowledge?” in Bertlmann and Zeilinger, 271.
6. Ibid.
7. Clauser-Horne 11/25/90. Horne to LLG, June 2005.
8. Gottfried, “Is the Statistical Interpretation of Quantum Mechanics
Implied by the Correspondence Principle?” in D. Greenberger, W.L. Reiter,
and A. Zeilinger, 7th Yearbook InstituteVienna Circle, 1999.
9. Mermin-Fuchs, 12/1998 in Fuchs, 321.
10. ゴットフリートの言葉。
11. Mermin-Fuchs, 12/1998 in Fuchs, 321.
12. Shimony-LLG, Oct. 20, 2005.
13. Horne to LLG, June 2005.
14. Greenstein to LLG, Oct. 19, 2005.
15. ベルは「表面的と思われる立場に固執する者に対して、旧約聖書の預言者の
怒りに似たものを見せた」。Mermin and Gottfried, “John Bell & the Moral
Aspect of QM,” Europhysics News 22 (1991).
16. Greenstein and Zajonc, Quantum Challenge, p. xii.
17. Mermin and Gottfried, “John Bell and the Moral Aspect of QM,”
Europhysics News 22 (1991).
第 35 章
これを実用化できると?
1989 年~1991 年
1. Ekert to LLG, Sept. 20, 2005.
2. Ibid.
3. Ibid.
4. Ekert et al., “Basic Concepts in Quantum
http://arXiv.org/abs/quant-ph/0011013, 26 (April 22, 2001).
5. Ekert to LLG, Sept. 20, 2005.
6. Ibid.
7. Ibid.
8. Ibid.
9. Ibid.
10. Ekert to LLG, May 2005.
11. Ibid.
Computation,”
第 36 章 世紀の転換点に
1997 年~2002 年
1. Horne to LLG, June 2005.
2. Bouwmeester, Pan, Mattle, Eibl, Weinfurter, and Zeilinger, “Experimental
Quantum Teleportation,” Nature 390, 575 (1997).
3. Bennett, Brassard, Crepeau, Jozsa, Peres, Wootters, “Teleporting an
Unknown Quantum State via Dual Classical and Einstein-Podolsky-Rosen
Channels,” Physical Review Letters 70, 1895 (1993); Zukowski, Zeilinger,
Horne, and Ekert, “Event-Ready-Detectors: Bell Experiment via
Entanglement Swapping,” Physical Review Letters 71, 4287 (1993); Pan,
Bouwmeester, Weinfurter, and Zeilinger, “Experimental Entanglement
Swapping: Entangling Photons That Never Interacted,” Physical Review
Letters 80, 3891 (1998).
4. Jennewein, Simon, Weihs, Weinfurter, and Zeilinger, “Quantum
Cryptography with Entangled Photons,” Physical Review Letters 84, 4729
(2000).
5. Naik, Peterson, White, Berglund, and Kwiat, “Entangled State Quantum
Cryptography: Eavesdropping on the Ekert Protocol,” Physical Review
Letters 84, 4733 (2000).
6. Gisin, “Sundays in a Quantum Engineer’s Life,” Bertlmann and Zeilinger,
199.
7. Tittel, Brendel, Gisin, and Zbinden, “Violation of Bell Inequalities More
Than 10 km Apart,” Physical Review Letters 81, 3563 (1998), および “Long
Distance Bell-Type Tests Using Energy-Time Entangled Photons,” Phys. Rev.
A, 59, 4150 (1999). 約 50km 離 れ た も つ れ に つ い て は 、 Marcikic, de
Riedmatten, Tittel, Zbinden, Legré, and Gisin, Physical Review Letters 93,
180502 (2004).
8. Gisin to LLG, May 8, 2002.
9. Ibid.
10. Gisin, “Can Relativity Be Considered Complete?” (2005 Quantum Physics
of Nature Conference in Vienna). 以下のウェブサイトで読むことができる。
http://arXiv.org/abs/quant-ph/0512168.
11. Gisin to LLG, May 9, 2002.
12. Suarez, www.quantumphil.org/history.htm.
13. Gisin, “Sundays in a Quantum Engineer’s Life,” Bertlmann and Zeilinger,
202-6.
14. Gisin to LLG, May 8, 2002.
15. Gisin, “Sundays . . .” in Bertlmann and Zeilinger, 206.
第 37 章 おそらくは、謎
1981 年~2006 年
1. Feynman, “Simulating Physics with Computers” in Hey, 136–37.
2. Lloyd, “A Potentially Realizable Quantum Computer,” Science 261, 1569
(1993).
3. Chuang and Gershenfeld, “Bulk Spin-Resonance Quantum Computation,”
Science 275, 350 (1997); Chuang, Vandersypen, Zhou, Leung, and Lloyd,
Nature 393, 143 (1998); Chuang, Gershenfeld, and Kubinec, Physical Review
Letters 80, 3408 (1998).
4. Shor, “Polynomial-Time Algorithms,” SIAM Journal on Computing 26,
1484 (1997); Grover, Physical Review Letters 79, 325 (1997).
5. Lloyd, 118–19.
6. Ibid., 3ff.
7. Ibid., 49.
8. Ibid., 118.
9. Ekert to LLG, Sept. 2005.
10. Nielsen, “Simple Rules for a Complex Quantum World,” Scientific
American, Nov. 2002, p. 68.
11. Smithells-Rutherford, 1932 in Eve, 364.
12. AE-Besso 12/12/51 in French, Einstein, 138.
13. Rutherford in Capri, Anton Z., Quips, Quotes, and Quanta: An Anecdotal
History of Physics (Singapore: World Scientific Pub. Co., 2007), 170; 1933 年
のラザフォードの以下の発言と比較のこと。「不確定性理論[不確定性原理]は現
在の物質の波動理論の限界を示すものとして理論的にきわめて興味深いが、物
理学における重要性は多くの書き手によりかなり誇張されているように思われ
る。直接的、間接的に実験で実証できない理論的概念から行き過ぎた推論を導
く こ と は 、 非 科 学 的 か つ 危 険 で あ る よ う に 私 に は 思 わ れ る 」。
(Rutherford-Samuel in Eve, 378). これに関連してラザフォードは、「理論家は
記号を使って遊んでいるが、我々はキャヴェンディッシュ研究所で自然に関す
る実在する確たる事実を作り出している」とも述べている。(Eve, 304).
14. Rabi in Bernstein, “Physicist.”
15. Bell and Nauenberg; “The moral aspect of Quantum Mechanics” (1966),
Speakable, 26–28.
エピローグ
ふたたびウィーンにて
2005 年
1. エピローグ冒頭からここまでの引用はすべて著者がこの学会で聞いたもので
ある。
2. Mermin, “Whose Knowledge?” in Bertlmann and Zeilinger, 273.
3. Mermin in Fuchs, p. ii–iii.
4. Fuchs, 136, 527.
5. Ibid, 336.
6. Rudolph to LLG, May 2005.
7. Fuchs, 45.
8. Rudolph to LLG, Oct. 2005.
9. Fuchs, 333.
10. Ibid., 322.
11. Rudolph to LLG, Oct. 2005.
12. Fuchs, 68.
13. Rudolph to LLG, Oct. 2005.
14. Fuchs, p. v.
15. Rudolph to LLG, Oct. 2005.
16. Fuchs, Quantum Foundations in the Light of Quantum Information, 4,
2001. 以 下 の ウ ェ ブ サ イ ト で 読 む こ と が で き る 。
http://arXiv.org/abs/quant-ph/0106166, 2001.
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