グローバル時代の地方文化

グローバル時代の地方文化
-アジアの地方文化の変容を読み解く方法について
大阪産業大学経済学部教授
斉藤日出治
はじめに
グローバリゼーションの進展はアジアのめざましい経済成長を呼び起こし、アジア諸国の
国境を越えた市場取引を促した。企業の貿易取引や直接投資、労働力の国際移動、金融取引
の進展はアジア諸国の相互依存関係を深めている。この動向はアジアの文化にも大きな変容
をもたらした。というのも、グローバリゼーションは工業生産物だけでなく、文化の生産物
(映像、音響、情報、建築、舞踏、習俗)をも市場取引の対象としているからである。イン
ターネットを初めとする情報通信メディアの発展は、音楽、映画、コミックなどの文化を生
み出し、アジアの新しい共通の文化的土壌をはぐくんでいる。その結果、アジア各地の固有
な伝統的地域文化は、この新しい文化産業の波に洗われて衰退する傾向が
強まる。
だが他方で、リゾート産業、観光産業、文化産業は、文化の商品価値を高めるために、固
有の伝統的文化を復活させる傾向もみられる。アジア各地のエスニック料理、民族舞踊、伝
統的芸能、工芸品などに対する関心が高まり、それらの作品を生み出す地方文化が再評価さ
れる。
したがって、グローバリゼーションは地方文化を商品化し解体する動きと、地方文化の伝
統的な固有性を再建し強化する動きをともに推し進めている。この矛盾はどこに起因し、そ
の矛盾の運動はどのような方向へと向かうのか。本論では、この課題に取り組んでみたい。
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普遍的文明としての地方文化
1)ピレネー文化の様式
今日のグローバル時代は、国民国家を越えて市場取引が進展する時代である。市場取引が
国民国家を越えた普遍性をもつようになっている。これに対して、地方文化のほうは国民国
家よりも狭い一地方の文化としてイメージされがちである。だがグローバル時代を特徴づけ
る市場文明の普遍性と地方文化の特殊性というこの対比は、けっして自明のことではない。
地方文化は、20世紀の後半になっても、市場文明に対抗し国民国家を越える普遍性をもっ
ていた。地方文化とは、近代の法と政治によって組織される国民国家の枠組みに対峙し、自
然と人間の関係をかたちづくる独自な規範をもった文明として存在していた。 地方文化を
そのような普遍的文明として描き出したのが、アンリ・ルフェーヴルのピレネー文化論であ
る(邦訳は『太陽と十字架』)。アンリ・ルフェーヴルは、日常生活批判、都市革命論、社会
空間論に関する斬新なテーゼを提起した社会学者・哲学者として知られているが、ルフェー
ヴルの研究は農村社会学から出発し、南フランスの農村文化の考察から始められた。ルフェ
ーヴルは、近代の日常生活が労働と余暇を相互補完的・機械的に反復する疎外された生活で
あることを批判し、工業化された都市文明をのりこえる都市革命を展望し、さらに幾何学的
図式と数量支配と男根崇拝が支配する近代の抽象空間を批判した。これらの日常生活批判、
都市革命論、社会空間論についてのルフェーヴルの命題は、南フランスの地方文化論を踏ま
えて提起されているのである。
ルフェーヴルはフランスとスペインの国境にまたがるピレネー山脈の一帯に広がる地方
1
文化を、その自然的条件、農村共同体の生活様式、地方の民話・神話の体系、言語、習俗な
どの総括的な視点から論ずる。したがって、かれの地方文化論は、経済学、歴史学、社
会学、言語学、民俗学、神話学など、社会・人文科学の諸領域をすべて動員した認識となっ
ている。
このような地方文化が、古代から中世の長い歴史過程を経て、フランスとスペインの国境
を越えた社会的きずなをはぐくんできた。したがってピレネー山脈一帯にはぐくまれたこの
地方文化は、両国を切り離す代わりに両国を結びつける文化として存在している。
「ピレネー山脈は人間の集団を分離する代わりに結合している」(邦訳 33 頁)
ピレネー山脈はフランスやスペインといった近代国家の行政区分に解消されることのな
い独自な社会・文明圏を築き上げている。実際にこの山脈一帯には、国境にまたがって村々
の生活を営む独自な約束事が存在した。谷間の村々にはおたがいの村に越境放牧する慣行が
あり、村々のあいだには越境放牧に関する古くからの取り決めが交わされている。この取り
決めにしたがって、羊と羊飼いがいっしょに国境を越えて移動した。この取り決めは「一種
の政治的協定」として機能し、またそこには「貢納と儀式と慣習的行事が随伴していた」(邦
訳 35 頁)
山村の住民は、毎年祭壇の回りに群れ集い、伝統的な儀式をおこなう。この儀式の際に、
越境放牧をおこなう村は牧地を提供してくれる村に牧場使用料を支払う。それは自分の村の
家畜群が消費する牧草に対する賦課の支払いを意味した。この賦課は貨幣で支払われるので
はなく、三頭の牛の引き渡しによっておこなわれる。この儀式は、スペインとフランスの牧
夫の交歓の場であった。
この社会的きずなは、この山脈一帯の牧畜と農耕の共同体に支えられていた。共同体の基
本的な単位は家で、それぞれの家族は名前をもち、一個の「道徳的かつ法的人格」(邦訳 43
頁)をなした。つまり、家と家の付属物(庭、耕地、草刈り場)は家の世襲財産で、私的所有の
対象であった。それは原則として譲渡不能で、世襲された。さらに、複数の家が連合して、
共同の規範で結ばれ、共同の財産(共有地、牧場、家畜の移動)をもった。家の連合は「近隣
組(voisionage)」と呼ばれ、そこには「所有、権利および義務のからみあった一体系が結び
ついている」(邦訳 44 頁)
牧場、水、森林は共同体の共有財産で、これらの管理にもやはり儀式や祝祭がともなった。
また共有財産の管理には家を単位とする近隣組の集会が組織され、家は原則として平等な権
利をもって集会に参加し、この集会が共有財産の管理の主権者となった(ただし、そこには
平等な関係だけでなく、
《長子の特権》や《男子の特権》といった不平等な関係ももあきら
かに存在した)。
この共同体の生活様式には、独自の宗教と民間伝承と神話がともなっていた。そこでは、
遊牧民の原始宗教にキリスト教が導入されることによって、この地域に独自な自然と文化と
の融合と葛藤の形式が生み出された。太陽と星に対する原始的崇拝とキリスト教とが
融合した宗教が、長い時間を経て一七世紀ころに定着し、この地方文化を特徴づけることに
なる(邦訳タイトルの『太陽と十字架』はここに由来している)。
したがって共同体の生活は、人間が自然とかかわる二重の様式によって媒介されている。
世襲財産制や近隣組や集会は、共同体の生活を管理する政治的・法的な規範である。だが同
時に、この生活は、自然との想像上のかかわりに媒介されている。宗教的儀礼や祝祭や民間
伝承(絵画、舞踏、衣装など)がそれである。
つまりそこには、自然とかかわる人びとの現実的な関係と想像上の関係が織物のような様
式(style)をなして不可分一体のものとなっている。(ただし、ピレネー山脈の各地方の文化の
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様式は、均質なものではなく、地方ごとに多様性をもっている。ルフェーヴルは、バスク地
方、ベアルン地方、アラゴン地方、カタルーニャ地方などの地方ごとに、その生活様式や文
化形式を叙述することによって、ピレネー文化としての共通性と差異を論じている。)
2)南仏文明の普遍性
ピレネーの地方文化は、ヨーロッパの古代ギリシャ・ローマから中世を経て、歴史の重層
的な厚みの中でつちかわれた普遍的文明である。古代ギリシャ・ローマの実践的合理性、こ
の地方独特の風味をもった料理、宮廷風の恋愛の神話、巧みな修辞の話法、固有の生活の様
式が、たがいに結びあってひとつの普遍的文明を生み出した。ルフェーヴルはフリードリッ
ヒ・エンゲルスの次の文を引用しながら、ピレネー文化がそのような普遍的な文明の域に達
していたことを強調する。「南フランスにおいては中世的現実の一面が完成の域に達してい
たというにとどまらず、古代ギリシャの輝かしい断片が中世に深く浸透していた」(邦訳 172
頁) では普遍的文明としてのピレネー文化の固有性はどこにあるのか。ルフェーヴルはそれ
を《生活を享受する術》に求める。この文明は、
「享楽、極端な快楽、充実した生、
・・陶酔、
忘我、(詩的)熱狂」といった日常の法や規範から外れたものを「日常の体験に取り入れよう
としてきた」(邦訳 175 頁)。
この生活術のゆえに、この文明は近代の産業文明を圧倒する普遍性を有している。ルフェ
ーヴルはこの著書のなかで、同じピレネーの山麓に工業化とともに出現した新しい産業都市
のラック=ムランスについて覚書をしたためている。硫黄とガスの採掘のために建設された
この都市は、工場と共同住宅地がたちならぶ「半植民地的なたたずまい」(邦訳 129 頁)であ
る。それはパリに原料とエネルギーを送り込むために建設された《植民地都市》である。つ
まり、ピレネー山麓のこの産業都市は、ピレネー文化の普遍性を喪失して、フランスの首都
パリの集権的な管理に委ねられ自律性を奪われた植民地都市と化した。この都市では、高度
な自動機械が導入され、計測器を監視する労働者が忙しく立ち振る舞い、事務職員や経営幹
部が仕事に精を出す。またエネルギー開発投資に資金を提供する金融機関が立ち並ぶ。この
都市での日常生活は、工場や事務所での単調な作業の反復と、その苦痛から逃れるための気
晴らしとしての余暇の反復からなっている。労働も、余暇も、すべてが機能的におこなわれ、
効率が最優先される。
技術と自動化と機能的効率性が支配し、その経済的秩序を維持するために警察が動員され
る。それは「技術官僚の管理する工業社会」(邦訳 132 頁)という未来都市の逆ユートピアを
表現している。(天津経済開発区の生活様式)
ルフェーヴルは一九六〇年代のフランスの各地で出現しつつあったこのような工業都市
文明への対抗原理を南仏文明に求めていることがわかる。言うまでもなく、この工業都市文
明は、ひとりフランスにかぎらず、第二次大戦後多くの先進諸国において出現した型の文明
であり、さらにその後南の途上国もふくめて世界の各地で追求されてきた文明である。それ
は今日進展しているグローバリゼーションの文明と言い換えることもできる。ルフェーヴル
はこの都市を《倦怠の寺院》と呼ぶ。
「《都市》の名に値した古代の人間の集合と反対に、ここにあるのは、共同体でもなけれ
ば、生活もない個人と家族の集まりである。倦怠が支配し、ここがその倦怠の寺院である。
」
(邦訳 132 頁)
要するに、ルフェーヴルはピレネーの地方文化を20世紀に出現した産業都市文明に対抗す
る普遍的文明として措定した。近代に出現した国民国家は、人為的な行政機構をつくりあげ
て国境を仕切り、ピレネー文化のこの普遍的な絆を断ち切ろうとする。だが「ピレネー山脈
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において、国境というのは政治的・法律的な虚構である」(邦訳 35 頁)ピレネーの南仏文明
が創出した共同体のコミュニケーションと交歓の独自な回路は、国境を越える普遍性を有し
ている。それは政治的国家の人為的仕切りを越える権利をあらわしている。
「政治的国家のつくりだす残酷な殺し合いは、かくも自然に密着したこれらの法の前では無
力であり、何びとも羊や羊飼いが彼らの泉で飲み、牧場へ行くのを阻止する権利をもたなか
った」(邦訳 35 頁)
ルフェーヴルは近代の工業文明の批判的認識に立脚して、ピレネーの地方文化を普遍的な
文明として再発見したのである。
注-文化と文明について
文化(culture)は、本来土地を耕すこと、「人間と家畜に役立つ植物を地中から引き出す活
動」とされ、農業と密接に結びついた言葉である。そこには地域の自然条件や風土の中で長
い歴史過程を経てはぐくまれたその地域に特殊な生活様式、人間関係、風俗の総体がふくま
れている。これに対して、文明(civilisation)は、
「進歩、前進」が原義で、自然や野蛮に対立
する概念である。人間が自然の支配を通して獲得した成果の総体が文明である。それは「も
っとも発展した広大な社会に共通する諸性格の総体」(Petit Rober)である。それゆえ、「文
化」と「文明」はある意味で対立する概念と言える。前者が自然に根差し、小規模な地域に
おいて耕された固有な生活様式であり、後者は地域の生活様式を越えた社会の普遍的な性格
の総体である。だが、ルフェーヴルが指摘したのは、特殊な性格をもった地方文化こそが文
明としての普遍性を備えている、ということであった。
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地方文化の商品化と解体--資本による地方文化の形式的包摂
しかしルフェーヴルがピレネーを普遍的文明として再発見したとき、この文明は同時にそ
の普遍的性格を失いつつあった。ピレネーの生活は、市場経済と工業化の波に飲まれて変質
しつつあった。この普遍的文明が築き上げる豊かな富は、工業文明の収奪の対象とされてい
く。ピレネーの生活様式とコミュニケーションは中央集権国家の行政組織によって分断され、
硫黄やガスなどの天然資源は工業資本に開発利用され、ぶどうやコーンなどの農産物はフラ
ンスの中央部の食料品としてピレネーの外部に送られる。
「南西部はフランスにおけるコーンベルトと化した」(邦訳 192 頁)。
古代以来続いた民間伝承や風習は観光客によって自由に消費される商品となる。 「習俗
が穏健化し、山地住民の厳粛な儀式がヴァカンスでやってくる都市の人びとの見世物とな
る」(邦訳 38 頁)
ルフェーヴルは、近代国家と資本蓄積の進展にともなう南仏文明のこのような変質を《植
民地化》という表現で語ろうとしたのである。
ピレネー山脈の全域を結ぶ伝統的な絆は、中央集権国家と市場経済の発展にとって阻害要
因となる。
「家畜群の巡回に基礎を置く生産様式においては、山は絆の役を果たしていた。この絆は
しだいに増加し、重層化してゆく物と商品の流通に基礎を置く生産様式においては障害に変
わる。それはとりわけ社会的政治的生活が中央集権化された国民と国家という形をとるとき
そうなる。」(邦訳 38-9 頁)
ピレネー文化のきずなを近代社会にとっての障害として断ち切った原点にあるのが一七
八九年のフランス大革命である。近代市民革命を代表するフランス大革命とは、集権的国家
と市場経済がピレネーの普遍的な文明をうちくだいた革命でもあった。この革命は、村落共
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同体が有していた主権をその手から奪い取り集権国家に委譲する。地方にうちたてられてい
たもろもろの自由と特権は消え去り、中世に主権を保持していたフランスの地方行政組織
(コミューンと呼ばれた)は、その後名ばかりのものとなる。
「共同体精神(esprit commune)は消え去り、私的所有が勝利を占めつつある」(邦訳 67 頁)。
二〇世紀後半以降進展するグローバリゼーションは、この近代の歴史的傾向を極限まで推
し進める。そこでは、国境を越えた市場の独裁が支配し、とりわけ多国籍資本の投資戦略は、
競争優位の商品を全世界に普及させることによって、人びとの生活様式を均質化する。この
中で、かつて普遍的な文明としての性格をうちたてた地方文化は商品経済の渦に巻き込まれ、
解体させられていく。
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地方文化の再構築-資本による地方文化の実質的包摂
1)地方文化の商品化とその矛盾-独占地代の概念
グローバル時代は、地方文化が国民国家という行政機構に組み込まれて分断されるだけで
なく、グローバルな商品取引の波に飲まれて変質していく。文化産業、リゾート産業、観光
産業は、地方の生活様式、音楽、芸能、文化遺産、集団的記憶などを商品化し、価値増殖活
動の源泉にしようとする。地方文化がグローバルに取引される商品となる。
だが資本が地方文化を投資の対象として商品化しようとすると、固有の矛盾に陥る。アン
リ・ルフェーヴルの問題意識を継承して空間の経済地理学を展開したデーヴィッド・ハーヴ
ェイは、この資本が抱える矛盾を「独占地代」の概念によって説き明かそうとする。
彼が「地代の技法-グローバリゼーションと文化の商品化」
(『資本の空間』所収)において
つぎのように言う。地方文化が資本にとって価値を生む源泉となるのは、その文化がもつ固
有性や特異性である。ほかの文化にはみられない固有性や特異性が消費の対象となる。だが
文化の固有性や特異性が資本に利益をもたらすためには、地方文化が資本にとって私的所有
の対象となっていなければならない。地方の土地や文化的生産物を私的に所有し独占的に管
理するとき、そこに地代が発生して、資本に利益をもたらす。たとえば、とりわけ優れた品
質のぶどうを栽培するぶどう園、恵まれた景観の観光地、交通の便のよいリゾート地などを
私的に所有することによって、そこに独占地代が生まれる。この独占地代の概念は、土地だ
けでなく、芸術作品(たとえばピカソやロダンの)、観光の名所(たとえばウエストミンス
ター寺院、バッキンガム宮殿など)にまで拡張することができる。芸術作品や名所も私的所
有の対象になることによって、独占地代を生む。これらのものがひとたび私的所有の対象に
なると、市場のニーズが高まるほど、その商品価値は上昇する。日本でもバブル期以降、東
西の絵画が商品として共同購入され、投機的取引の対象となった。だが文化は私的所有の対
象となることによって、つぎのような矛盾を抱え込む。文化が商品として売買されるという
ことは、その文化の固有性と特異性が失われていく、ということを意味する。文化が商品化
するということは、代価を支払いさえすればいつでも消費可能になるということを意味する。
だからたとえば、文化的イヴェントは、はじめは固有性をもった商品として売り出されても、
あちこちで商品として売り出されると、その固有性は失われていく。音楽や映像などの文化
商品も、それらが普及すればするほど、その固有性は失われる。また模造品や海賊版などが
横行していく。固有性の喪失は、独占地代の喪失を意味する。資本にとって利益の源泉が失
われる。そのために、資本は文化の固有性を新たに、たえず、生みだし続けなければならな
い。文化を商品化して売買するという自由競争を推進すると、そこに独占化が避けがたくな
る。資本はこの矛盾に陥る。
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2)市場競争と独占
この独占地代の概念は、自由競争と独占についての従来の経済学の常識をくつがえす。経
済学は資本主義の歴史的発展を自由競争から独占への過程として描き出した。だがハーヴェ
イは独占地代の概念にもとづいて、この経済学の常識を否定する。独占地代は資本主義の当
初から存在した。資本主義はそもそもそのはじめから市場の独占によって存立していた。1
9世紀の市場経済においては、交通輸送手段や情報通信の技術が未発達であったため、市場
取引は空間的に制約されており、地方市場の企業はかなりの程度競争から保護されて独占利
益を享受していた。パン、蝋燭、醸造、エネルギーなどの産業は、今日みられるような自由
な市場参入はなく、企業の独占が支配していた。
19世紀市場のこのような地方企業の独占権をうちやぶったのは、20世紀の情報と通信、
交通と運輸の技術革新であった。これらの技術革新によって、市場取引の空間的制約が打破
され、
「時間による空間の絶滅」
(K・マルクス)が推進され、競争への自由参入が可能とな
る。今日のグローバリゼーションが生み出したのは、まさしくこの情報通信の技術革新にと
もなう全地球的な規模での市場競争の全面展開である。
だがこの市場競争の全面展開は、またしても独占を強化する。自由競争の促進は、それ自
身の矛盾によって独占を生み出す。というのも、自由競争の促進は、市場の均質化を推し進
めて、独占地代の利益を消滅させるからである。そのために、資本の国際競争が激化すれば
するほど、あらゆる産業分野で資本の集中化と独占化が進行する。情報通信、自動車、航空
宇宙、小売、石油などあらゆる産業分野において、新自由主義的な規制緩和の推進が独占を
強化している。今日多国籍資本は、技術提携や市場提携をくりかえし、買収や合併を推進す
ることによって、失われた独占地代を回復しようとする。
「市場の過程は、金融と土地をふくむ剰余価値の生産手段に対する資本家の個人的独占に決
定的に依存している。私有財産の独占力は、それゆえあらゆる資本家的活動の出発的であり、
かつ到達点である。純粋な市場競争、自由な商品交換、完全競争市場の合理性は、それゆえ
むしろまれであり、生産と消費の決定を調整する手段は慢性的な不安定である。問題は経済
的諸関係を十分競争的に保つと同時に、私有財産の個人的・階級的独占権を保持するという
ことである。
」(p.397.)
資本主義の蓄積の論理は、このような独占地代を媒介にした固有な矛盾を内包しているの
である。たとえば、バイオ・遺伝子産業や製薬メーカーによる知的所有権や特許権の確立も、
この独占地代の論理にもとづいている。先進諸国の企業は、南の先住民族が伝統的に採集し
てきた熱帯雨林の希少植物を遺伝子素材として利用し、その特許権を申請する。この特許権
によって、先住民族の共有財産であった植物が私的排他的な所有に転化する。それは先進企
業に巨額の独占地代をもたらす。
3)グローバル資本と地方文化の再生
地方文化は商品化されることによって、今日このような資本蓄積の論理に巻き込まれてい
る。地方文化が独占地代を生み出すのは、その立地や文化の特異性であるが、地方文化は商
品化されることによって、この特異性を消滅させていく傾向にある。この傾向に抗して、資
本は、独占地代を再建するために、地方の文化的特異性を強調し、それを再構築しようとす
る。たとえば、ワイン貿易の国際競争が激化するとともに、国際ワインメーカーは、伝統的
なワインラベルの表示を使用する権利を獲得して、ワイン栽培地の土地・気候・伝統に立脚
して、独占地代を創出しようとする。
「資本は地方の文化的差異から、その美的な意味から、剰余を抽出し領有する方法をもって
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いる。」(ibid.p.409.)
ハーヴェイは特定の都市の名称と場所に付与された固有性を独占地代の源泉として開発す
る資本を、ピエール・ブルデューの《象徴資本》にちなんで《集団的象徴資本》と呼ぶ。ブ
ルデューは個人の身振りや嗜好が純粋に個人に属するものではなく、その個人が属する集団
や階級の刻印を帯びているとして、それを「象徴資本」と呼んだが、これに対して都市住民
総体の習俗・風土・ライフスタイルが《集団的象徴資本》として開発され組織されることに
よって、それは独占地代を生むようになる。パリ、アテネ、ニューヨーク、リオデジャネイ
ロ、ローマなどの国際都市は、その都市に固有な景観、歴史的遺跡、名所、風物を際立たせ、
その都市の特異性を開発し、それを集団的象徴資本として組織する。この組織化を担うのは、
大手の金融機関や開発業者や旅行業者である。
グローバリゼーションは、交通運輸や情報通信の技術革新を推進して、空間の障壁を打ち
砕き、都市開発を進めて、伝統的な建築を破壊し、均質な都市空間を出現させる。都市の景
観から都市の特異性が失われる。ハーヴェイはこれを《都市のディズニー化》と呼ぶが、こ
の傾向は独占地代を消滅させる。大企業による都市の集団的象徴資本の創造は、この失われ
た独占地代を再生しようとするこころみなのである。
そのために、グローバリゼーションの推進論者は、もっとも熱心な地方の伝統の復興論者
になる。つまり新自由主義のグローバリズムは、新保守主義の地域ナショナリズムとも節合
する。
「もっとも熱心なグローバル企業の推進者は、独占地代を生む可能性をはらんだ地域の発展
を支持する。
」(ibid.,p.402.)
だがこのようにして、巨大資本により独占地代の源泉として開発された地方文明の特異性
は、ルフェーヴルが南フランスの文明に読み取ったような普遍性を失っている。それは、近
代の産業文明に対抗する普遍性を宿すどころか、その逆にグローバル資本の価値増殖の運動
の契機として組み込まれる。
アジアの各地で進行するリゾート開発は、グローバル資本による地方文化の特異性を集団
的象徴資本として組織しようとする試みにほかならない。たとえば、安里英子[1991]は、沖
縄が、日本に復帰した後、観光地、産業用地として開発の対象となり、伝統的な名所や遺跡
や墓地が破壊されてきたが、バブル経済の時期にリゾート法が制定された頃から、破壊され
て残り少なくなってきた沖縄諸島の聖地をリゾート資本が囲いこみ、観光客に差し出す動き
が活発になってきたことを指摘している。
「今回のリゾート開発の波は、むしろその残された聖域をねらいうちするかのように、聖
域をとりかこみはじめた。都会ですでに失われた聖域の神秘性こそが、今、リゾートがもっ
ともほしがっている風景である。」(同書 11 頁)
開発業者は、一方でゴルフ場建設のために農地であれ、山の斜面であれ、ブルドーザーで
敷きならすが、他方で沖縄の特性の空間として聖域(社、樹木、海岸、岩など)を確保する。
これらの聖域は村の共有地(まきをとる山、木の芽を取る原野、ウタキなどの拜所、共同井
戸、ため池など)であることが多いが、これらの共有地が換金されて売り払われ、村の自治
が崩壊して、村民の生活がなりたたなくなる。聖域は開発業者によって独占地代の源泉とし
て保存されるが、聖域の商品化によって村は共有地を奪われ、村の共同生活は崩壊し、やが
て島は無人化していく。だから、安里は「島中がリゾート化されるということは、私たちの
生活基盤を失うことである」(同書 32 頁)と結論づける。
長谷川芳郎[1987]は、マレーシアのデサルビーチという熱帯のジャングルと南シナ海に
面した浜辺のリゾートホテルの建築に、その地域独特の建築技法が取り入れられていること
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を指摘している。リゾートホテルの建築には、マレー人の代表的な部族(バタック族)の集
落に見られる独特の切妻屋根(稜線が端部に移るにつれて天に向かって切り返す独特な屋
根)のデザインが取り入れられている。この切妻屋根は「バタック族の宗教的、儀礼的な伝
統に基づく象徴」であり、現地の自然環境とも融合している。来訪者はこの地方に固有な切
妻屋根の家に住むことによって、
「その土地になじめる生活者で」あるという実感を抱き、
「現
地に住まう的発想」(邦訳 116 頁)をはぐくむことができる。
近年の日本映画やテレビ産業、マスメディア、芸能プロダクションなどにおいても、ロー
カルなものの固有性を際立たせ、それを美化あるいは聖化して、全国のスペクタクル商品と
して売り出すという手法がとられている。ローカルなものが消え去りつつあるところに、あ
るいはすでに消え去っているところに、ローカルなイメージを意図的に作り出し、それを際
立たせて、商品価値あるものとして売り出す手法がそれである。映画評論家の粉川哲夫
[2006]は、最近封切りされた『UDON』が、讃岐を聖地として売り出すマスビジネスの手
法の典型例であると論評している。
だがこのようにしてマスメディアやリゾート業者が再創造する地方文化は、ルフェーヴル
がピレネーのうちに発見した様式(style)を失い、文化を構成する諸要素がばらばらに切り
離されて個別に消費の対象として観光客に差し出されているにすぎない。集団的象徴資本は、
そこに住む住民にとっても、そこに訪れる観光客にとっても、生活の営みとは無縁な受動的
な消費財となっている。
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地方文化の新たな歴史的選択-独占地代の源泉か、グローバル・コモンか
地方文化の特異性は、集団的象徴資本として開発業者や金融資本によって開発され、独占
地代の源泉となるとき、ルフェーヴルがピレネーのうちに発見したような普遍的文明として
の性格を失う。だが資本が開発する地方文化の特異性が、私的所有の対象にならずに、人び
との共有財産として解放されるとき、そこに新たな普遍的文明の創造の可能性が切り開かれ
る。ジョン・アーリ[2000]は地方文化の景観についてつぎのように語っている。景観は《あ
る場所に住まう》という経験と不可分のものである。そして《住まう》という行為はコミュ
ニティという人間関係と一体化している。コミュニティとは共同的な人間関係であるだけで
なく、自然(農地、樹木、河川、海洋、森林など)との関係でもあり、また伝統的な慣習・
神話・追憶などの想像的な関係でもある。自然の景観はこのようなコミュニティの活動の産
物であり、コミュニティの「記憶と時間性をもった場所」(邦訳 237 頁)なのである。
「景観とは、その中に住まい、その中で自分たち自身の跡を残してきた前代の人びとによる
生活と仕事の不朽の記録として構成されるものである」(邦訳 237 頁) だから「景観はわた
したちの身体の経験に織り込まれている」(邦訳 237 頁) 地方文化の商品化とは、この身体
に織り込まれた経験の産物を身体から切り離して、スペクタクルとして観光客に差し出すこ
とによって、資本の価値増殖の源泉とすることである。
だが、地方文化の景観を私的所有の対象とせずに、すべての人びとに開かれた共有財産と
するとき、その景観は万民の身体的経験や知的内省を経由して、普遍的な文明として再創造
される可能性が生ずる。じつは、冒頭で述べたピレネーの地方文化がもつ普遍的文明として
の性格にしても、アンリ・ルフェーヴルの知的内省を媒介にしてこの普遍性が発見=創造さ
れたものと言える。普遍的文明としての景観は、その地域に住む住民だけでなく外部に開か
れ、すべての人びとに享受され、それらの人びとの美的・知的な内省を経由して普遍的文明
として生成するのである。
アーリは、このような景観を享受する権利をシティズンシップとして承認するよう提言す
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る。ここに進行するのは、マルクスが語った五感の世界史的変革の過程である。景観への権
利とは、見る、嗅ぐ、感ずる、聞くといった五感を駆使した感性的な活動を私的所有権に一
元化せずに解き放つことを意味する。その権利は、土地の住民だけに限定されるものでもな
ければ、ましてや資本の私的所有物でもない。
「歩いたり、車を走らせたり、山を登ったり、写真を撮ったりする中で、景観との出会いが
数多く生まれる。景観に立ち入ることができるということは、その景観を視覚によって消費
できるということを意味する。景観に付随する権利は、景観の潜在的な願望者である後世の
人びとの権利としても考えられており、つまり単に特定の土地の現在の所有者の権利である
のではない。
」(邦訳 243 頁)
このシティズンシップにおいて、文化の特異性や固有性は資本の価値増殖の手段としてで
はなく、すべての人々の共有財産、つまり《グローバル・コモン》として再生する。近代の
市民権を越える新しいシティズンシップの概念が、地方文化を普遍的文明として再発
見し再創造する契機となる。アーリは近代の市民権が国民国家の固定した空間に帰属する権
利であったが、グローバル時代の今日、この権利は《フローのシティズンシップ》として、
つまり「さまざまな協会を横断していく、リスク、旅行者、消費者、消費財、サービス、文
化、移民、訪問者といった移動とのかかわりのあるフローのシティズンシップ」(邦訳 294
頁)へと転換しつつある、と言う。
地方文化について言うと、グローバル商品の支配によって文化的な均質化が進み、いわゆ
る「コカコーラ植民地化」が進む傾向に抗して、自分の固有な文化を外にある別の《場所の
文化》と接触させ、そこにハイブリッドな文化を生み出す権利がそれである。また、自分と
は異なった地域の文化を享受し消費する権利がそれである。フローのシティズンシップは、
ナショナルな市民権のように、人びとの多様性や差異を国民に均質化するのでなく、地域の
文化的個性を重視し、またその個体性を発見する個体的でかつ普遍的な経験を重視し、その
ような経験を豊かに育む。
地方文化の特異性がこのフローのシティズンシップに支えられるとき、集団的象徴資本と
して再開発される地方文化は、グローバル・コモンへと転換する可能性をはらむ。だからハ
ーヴェイは、独占地代の追求が新しい社会空間を創造する契機となることを強調する。
「独占地代の追求は、グローバル資本に特異な地方のイニシアチブを尊重するように導く。」
(ibid.,p.409.)
それはなぜか。この追求は「特異性、真実性、個別性、独創性の価値を引き上げ、商品生
産が前提とする均質性とは整合しない社会生活のほかの次元の価値を引き上げる」
(ibid.,p.409.)からである。
だからハーヴェイはこの傾向が「希望の空間(space of hope)」を切り開く、と言う。
独占地代の源泉として地方文化を復権させる資本の活動は、地方文化を私的搾取の対象と
するか、グローバル・コモンとして解放するか、という歴史的選択と、この選択をめぐるヘ
ゲモニー闘争を始動させるのである。
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《参考文献》
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Lefebvre H.[1965][Pyr n es,Editions Rencontre.[松原雅典訳『太陽と十字架』未社]
Harvey D.,[2001]Space of Capital,Edinburgh University Press.[粉川哲夫[2006]「ローカル
を『聖化』する技法」『週刊金曜日』619 号、8 月 25 日号]
長谷川芳郎[1987]『リゾートの構図』総合ユニコム株式会社
Valene L.S.[1989]“Hosts and Guests-The Anthropology of Tourism",University
ofPennsylvania Press.[三村浩史監訳『観光・リゾート開発の人 類学』勁草書房]
Urry J.[2000]Sociology beyond Society,Routledge.[吉原直樹監訳『社会を越える社会学』法
制大学出版局]
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