タイ人形劇における身体表現 Author(s)

Title
踊る人形遣い : タイ人形劇における身体表現
Author(s)
岩澤, 孝子
Citation
北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 67(1): 159-174
Issue Date
2016-08
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/8039
Rights
Hokkaido University of Education
北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第67巻 第1号
Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 67, No.1
平 成 28 年 8 月
August, 2016
踊る人形遣い
― タイ人形劇における身体表現 ―
岩 澤 孝 子
北海道教育大学岩見沢校 芸術・スポーツ文化学科
The Dancing Puppeteer
― The Analysis of Body Expression in Thai Puppet Theatre ―
IWASAWA Takako
Department Education, Iwamizawa campus, Hokkaido University of Education
概 要
本研究は,豊かな伝統と文化を保有するタイの人形劇に焦点を当て,その歴史的展開および
人形操作術を明らかにするものである。タイ人形劇の正確な発祥年代は明らかにされていない
が,歴史資料から少なくとも第二王朝のアユッタヤー時代(1351-1767)には王族の葬送儀礼
や祝祭時においてフンルワンとよばれる人形劇が演じられたことがわかっている。この最初の
人形劇「フンルワン」の後,フンレック,フンクラボーク,フンラコーンレックといった多様
な人形劇の様式が生まれ,その伝統が現在に受け継がれてきた。さらに,タイ人形劇の特徴を
より深く考察することを目的として,人形遣いの身体表現にも着目する。特に,タイの伝統舞
踊および舞踊劇に影響をうけて発展した人形遣い自身の舞踊表現が,タイの人形劇において独
特の舞台演出として効果をもたらしていることを明らかにする。
1.はじめに
2014年11月,タイの首都バンコクで国際的な人形劇の祭典「ワールドパペットカーニバル」が行われた。
このイベントには世界各国から77カ国の人形劇団が集い,タイ国初の大規模な人形劇の国際的な祭典として
注目を集めた。同時に,世界中の人形劇団以外にもホスト国であったタイ国内から50の人形劇団(アマチュ
アグループを含む)が参加したことによって,タイ人形劇の多様さ,そして,洗練と成熟度を国内外に知ら
しめたイベントであったともいえる。ここには,タイ最古の人形劇「フンルワン」(のリバイバル),棒遣い
人形「フンクラボーク」
,日本の文楽に似た「フンラコーンレック」,糸操り人形「フンサーイ」,そして,
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1~2m四方の大規模な影絵人形を扱う「ナンヤイ」,インドネシアのワヤンクリッに似た小さな影絵人形
を扱う「ナンタルン」等の劇団が集った。これらは現存するタイ人形劇の伝統をほぼ網羅しており,多くの
人々の関心を集めた祭典の開催は,タイ人形劇が豊かな文化遺産として見直される好機となったといえる。
本研究は次の二点を明らかにすることを目的とする。第一の目的は,これほど豊かな伝統文化を保持して
いながらも邦文による研究資料の少なかったタイ人形劇1の歴史的展開について整理することである。第二
は,
「人形遣いの身体表現」に焦点を当て,人形操作とそれに付随する身体表現に見られる特徴を明らかに
することである。一般に人形劇における主役はあくまで人形であり,人形遣いは(観客から見えていたとし
ても)見えない影の存在である。ところが,タイの人形劇においては,人形遣いの身体動作が舞台上でクロー
ズアップされることがある。これは人形遣いの身体を人形の延長ととらえ,その身体動作によって人形の動
きを増幅させることを目的とした演出または表現である。このような表現が生まれた背景には,舞踊劇の影
響があると考えられる。論題「踊る人形遣い」は,このような本研究の意図を含意している。
なお,本研究の対象は主としてタイ語で「フン」と呼ばれる立体人形を用いた人形劇とする。そこには,
フンルワン(その発展系のフンレック)
,フンクラボーク,フンラコーンレック,フンサーイが含まれる。
一般に西洋のマリオネットに類似したフンサーイは,タイの伝統的なフン系人形劇の系譜に属さないものと
考えられている。しかしながら,21世紀現在までのタイ人形劇史を明確にするためには,フンサーイがタイ
人形劇の伝統として認められなかった理由,そして,21世紀タイの人形劇ブームの火付け役ともなったフン
サーイの役割についても触れる必要があると考えている。また,基本的に「ナン」と呼ばれる影絵芝居は扱
わないものとするが,人形遣いのユニークな身体表現を考察するために,ナンヤイについては言及する必要
があることを付け加えておく。
2.タイ人形劇史
タイの人形劇には大きく二系統の流れがある。立体人形を操る人形劇「フン」と平面人形を用いる影絵芝
居「ナン」である。フン系の人形劇もナン系の影絵芝居もどちらに関しても,その発祥時期および初期の上
演形態については明らかにされていないが,少なくともタイの第2王朝であるアユッタヤー時代(1351-1767
年)にはすでに存在したことを示す記録が残されている。「人形」または「人形劇」を意味する「フン」と
いう語に関する現存する最古の歴史資料は,アユッタヤー時代第3代王が発布した「サクディナー・タハー
ンフワムアン(武官および地方官位階田)
」2である(Posayakrit 1986: 9)。そこには「チャーン・フン(人
形職人)
」という語が明記されており,人形製作者兼人形遣いの職業集団が存在したことがわかる(ibid)。
残念ながらここからは当時の上演形式を知ることができない。その後の有力な歴史資料としては,ルイ14世
の治世にフランスからタイに派遣された外交官シモン・ド・ラ・ルベールSimon de la Loubère(16421729)が著した『シャム王国誌Du Royaume de Siam』がある。同書は,アユッタヤー時代中期のタイ宮廷
文化を見聞記録した貴重な歴史資料であり,タイ文化史を語る上で必須の文献とされている。ド・ラ・ルベー
ルがアユッタヤー滞在中(1687-1688)に人形劇を見たという記述があり(La Loubère 1693: 47),これがタ
イ最初の人形劇「フンルワン」であると推察される(Chandavij and Pramualratana 1998: 9)。また,影絵
芝居のナンも同様に,歴史資料からアユッタヤー時代まで遡ることができる(後述)。
2-1.宮廷人形劇~「フンルワン」と「フンレック」~
フン系人形劇の中で最古の形式は「フンルワン」と呼ばれる。ルワンが宮廷を表すタイ語であることから
「宮廷人形劇」と訳される。別名「フンヤイ(大型人形劇)」とも呼ばれるが,それは類似構造をもつ「フ
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ンレック(小型人形劇)
」と比べて,全長1mにもおよぶ大きな人形を用いたためである3。宮廷人形劇は,
タイの第4王朝であるラッタナコーシン王朝(1782-)において,ラーマ1世代(在位1782-1809)からラー
マ5世代(在位1868-1910)までは王室による庇護の対象として大いに発展した。タイ王室の黄金時代とさ
れるアユッタヤー王朝の栄華再現に尽力したラーマ1世は,舞踊劇や人形劇,影絵芝居などの上演芸術の復
興につとめた。フンルワンに関しては,宮中で人形遣いの訓練を命じ,1784年エメラルド寺院建立完成式で
『ラーマキエン』4の上演を成功させている(Chandavij and Pramualratana 1998: 11)。その後,フンルワン
は王室行事,特に葬送儀礼で演じる重要なパフォーマンスとして愛好されたが,20世紀初頭に台頭したフン
ラコーンレックに人気を奪われたこともあり(同書: 15),徐々に衰退した。
フンルワンに改良を加えた人形劇の様式に「フンレック」がある。これは,ラーマ5世代の副王をつとめ
たクロムプララーチャワン・ボーウォーン・ウィチャイヤチャーン(在位1868-1885)がバンコク在住の中
国人人形師に命じて作らせた(同書: 94)。それゆえ,フンレックは副王の名をとって別名「フンクロムプラ
ラーチャワンボーウォーンウィチャイヤチャーン」とも呼ばれる。当初は京劇に代表されるような中国歌劇
を元にした中国系人形劇のタイ語訳にすぎなかったが,それが「タイの」人形劇に改良された。フンレック
の人形はフンルワンを模範にさらなる改良を加えたものであり,人形の全長を37cmに小型化するとともに,
人形操作の要となる糸の数を(11本から)16本に増やした(ibid)。この形式は1878年に完成したものの,
副王逝去の翌年1886年の上演を最後に主要なパトロンを失って演じられなくなった(ibid)。10年に満たな
い幻の人形劇フンレックは,タイの人形劇史上最高の贅を尽くしたパフォーマンスであったと推察される。
1880年代後半のタイは,急速な近代化と西欧列強との衝突に奔走していた時期であり,これまで権力の象徴
として重用された娯楽・儀式芸能への経済的支援を行う余裕がなくなっていた(Yamashita 2005: 12-13)。
フンルワン,フンレックが衰退したのは,このようなタイの政治情勢も大きく影響している。
タイ人形劇の歴史がタイ王室を中心に発展したフンルワンからはじまったとするのは,現存する歴史資料
から導きだされた考えである。この後に生まれ発展したその他の人形劇は,一般大衆の娯楽として生まれた
せいか,人形の構造や操作術においてフンルワンやフンレックと比べるとむしろより簡易な形態である。筆
者はタイ人形劇の歴史観に異を唱えるわけではないが,この事実から,過去において娯楽や儀式のための芸
能というものは時の権力者だけが保有できる贅沢品であったことをあらためて認識させられる。
20世紀初頭には完全に上演機会を失ったフンルワン,フンレックの人形はタイ国立博物館に収蔵され,展
示されてきたが,人形のみが保管されているという状態が長く続いた。ところが,2000年に「フンルワン保
存プロジェクト」が組織され,人形を修繕して操作法が解明されたおかげでフンルワンの復活公演が実現し
た5。最初に述べた2014年のワールドパペットカーニバルで上演されたフンルワンは,このプロジェクトの
後に生まれたパフォーマンスであった。
2-2.フンクラボーク
19世紀末,王宮を中心に発展したフン系人形劇に新しい形式が現れた。フンクラボークである。竹製の棒
を支柱として操るフンクラボークは,ナコーンサワン県出身のヌンがはじめた。バンコクの北方240kmに位
置するナコーンサワン県から南方に移動したヌンは,当時海南地方からやってきた中国の人形劇に感銘を受
け,中国風の人形劇を作ったという(Chandavij and Pramualratana 1998: 58)。ヌンには舞踊劇ラコーンの
ダンサーであった三人の娘があり,彼女たちの参加によってフンクラボークはラコーンの動きや物語を模範
とした上演芸術となった(ibid)。
ヌン一家の劇団興行はタイ民衆や有力者らの心をつかみ,当時の祝祭時で人気の上演芸術となった。しか
し,20世紀中頃に勃発した世界大戦の影響を受けて上演機会を失っていく。1942年,第二次世界大戦中のタ
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イでは,外国の影響をうけたパフォーマンスを禁じるという政策が打ち出され,中国の影響をうけて誕生し
たフンクラボークの人形劇団は人形を川に捨てさせられるなどの迫害を受け表舞台から姿を消している
(Virulrak and Foley 2001: 83)。これを機にフンクラボークはほとんど演じられなくなったが,1975年に画
家のチャカパン・ポーサヤクリット(1943-)の活躍によって息を吹き返す。
1943年バンコクに生まれたチャカパンは,シンラパコン大学で美術を学び,2000年にタイのナショナル・
アーティストに認定された偉大な画家として知られる。しかし,彼は画家としてだけでなく,タイ人形劇界
にも多大な貢献をした。タイ国立博物館所蔵のフンルワン,および,フンレック人形の復元や人形劇の歴史
に関する学術研究を行うなど,近代化や世界大戦によって失われつつあったタイ人形劇を優れた芸能として
位置づけ,国内外に知らしめた立役者である。チャカパンが描く絵画はタイの古典演劇や神話,王族の肖像
など,タイの洗練された伝統文化をテーマとしたものが多い。彼はまた,幼少時代から人形劇にも興味をも
ち,国立博物館の人形コレクションを見るのが大好きだったという(ibid)。卒業後シンラパコン大学で一
時教鞭をとっていたチャカパンが,学生の引率で訪れた国立博物館で古いフンクラボーク人形を見た。アン
ティーク人形の美しさに再び心を捉えられた彼は,1974年チューシー・サクンケーオ6に師事し,自らフン
クラボークの人形を作る人形遣いとなった。1907年生まれのチューシーは1940年代から50年代に活躍したフ
ンクラボークの人形遣いであった父ピアック・サクンケーオから学んだ人形遣いで,1970年代にチャカパン
にその技を伝えた当時,アジアでも最高の女性人形遣いと称された人物である(Rutnin 1993: 204)。チュー
シー師からフンクラボークの真髄を学んだチャカパンは,どちらかといえば素朴な大衆芸能の趣をもってい
たフンクラボークに自らの芸術的センスを取り入れ,上流知識階級にアピールするような洗練されたフンク
ラボークのスタイルを構築した(同書: 205)。1975年国立劇場で演じた『プラアパイマニー』7で注目され,
続いて,
『ラーマキエン』(1977),『サームコーク(三国志)』(1982)など絢爛豪華な舞台を作り上げ,フン
クラボークの全国的な普及と発展に寄与した。チャカパンの努力によってタイの知識エリートらに注目され
るようになったフンクラボークが,1980年代以降になると大学などの教育機関において教育を目的として活
用されはじめた8。
2-3.フンラコーンレック
タイ人形劇の中で唯一「ラコーン」という言葉を用いた「フンラコーンレック(小さいラコーンの意味)」
は,その名の通り,人間の演技を彷彿とさせるような表現技巧で人気を博した。ラコーンとは,タイ語で「演
劇」の総称として用いられる語だが,伝統芸能の文脈でラコーンと言えば,古典舞踊劇を意味する。タイ演
劇は舞踊を主体に物語を表現する舞踊劇にはじまり(正確な発祥年代はわからないがアユッタヤー時代には
存在した)
,その後,歌を主体とした歌劇,役者の台詞に重点をおいた話劇へと発展していく。愛国主義政
策の成果によって学校教育に浸透した自国の伝統舞踊や舞踊劇が盛んなタイにおいて,ラコーンは仮面劇の
コーンと並んで重要な文化遺産と見なされている。タイにおいて人形劇は,その表現内容がラコーンやコー
ンといった人間の舞踊家(役者)が演じる舞踊劇とほぼ同様であり,人形の仕草は舞踊劇のそれに近づける
形で発展してきた。フンラコーンレックはその名称が示す通り,舞踊劇の影響を大きく受けた人形劇形式と
言える。
この人形劇の正確な発祥年代は明らかにされていないが,20世紀初頭の1901年に,アユッタヤー出身でラ
コーンノーク(大衆向け古典舞踊劇)劇団のマネージャーを務めていたクレ・サパーワニット(1847-1927)
がはじめたという(Yamashita 2005: 14,16)。クレの所属した舞踊劇団の主な聴衆は宮廷人ではなく一般
大衆であったため,クライアントの依頼を受けて各地を巡業しており,その巡業の途中で滞在したバンコク
でフンルワンを見た時,そこから着想を得てより簡素化した新しい人形劇を考案した(Chandavij and
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Pramualratana 1998: 84)。人形の両腕に棒を接続し,また手指は棒と接続した糸を使って操作する糸操りと
棒操りの混合様式で操作する人形劇で,この改良によってフンルワンやフンレックよりも早い動きに対応で
きるようになった。クレのフンラコーンレックは宮廷内外を問わず爆発的な人気を博し,葬式を含む様々な
場所で演じられた。
1927年,クレが亡くなると,フンラコーンレックは徐々に表演機会が減少した。これは,映画やテレビと
いった近代的な娯楽の台頭によって人形劇が時代の好みにそぐわなくなっていたことも影響している
(Yamashita 2005: 23)
。さらに1970年代になると,聴衆の激減と後継者不足のせいで,フンラコーンレッ
クはほとんど消滅の危機にさらされていた。この時,義父のクレ人形劇団を引き継いでいたイップがサーコ
ン・ヤンキアウソット(1922-2007)にたくす(同書: 24-25)。その後,タイの国策変化に乗じて1980年代以
降再び息を吹き返し,現代タイを代表する伝統芸能としてよみがえったのである。サーコン・ヤンキアウソッ
ト,彼こそ,ジョールイスパペットシアター Joe Louis Puppet Theatre(タイ語では「ジョールイ」と発音
する)を牽引し,フンラコーンレックを世界に知らしめた人物である。Yamashitaは,サーコンが「ジョー
ルイ」という名で知られるようになった経緯について次のように記している。
サーコンは1922年クレの人形劇団員でもあったクイ・ヤンキアウソット(父),チュアン・ヤンキアウソッ
ト(母)の一人息子として生まれた。…父のクイは,元は仮面劇コーンのダンサーであったが,クレの弟
子であったチュアンと出会い,クレの人形劇団に所属した。…このような家庭環境のおかげでサーコンは
幼少時代からフンラコーンレックに親しんでいたが,人形操作ではなく,コーンの舞踊(猿と阿修羅の両
方)訓練を受けていた9。…そのため,サーコンは人形遣いとしてではなく,父が後に興したリケー10劇
団の役者として,また,コーンの仮面製作者として生計を立てていたのである。これは当時のタイ社会に
おいて人形劇で生計を立てることが難しかったためである。…サーコンは僧侶がつけたリウという愛称で
舞台にたっていたが,これを人々が聞き間違え,ルイと呼ばれるようになる。この名はジョー・ルイス11
を連想させることから人気となり,以後彼はジョールイとして舞台にたつ。…劇団名もジョールイリケー
劇団となった。(同書: 27-28)
フンラコーンレックが再びタイ社会で注目を浴びるようになったのは,1980年代である。観光産業に力を
入れ始めたタイ政府による伝統文化の保護・支援が追い風となった。1985年サーコンはクレのフンラコーン
レックを再興すべく,新たな人形劇団「カナ・サーコン・ナータシン・ラーン・クルー・クレ」を立ち上げ
た(同書: 29)
。サーコンのフンラコーンレックは,クレのそれにいくつかの改良を加えることで人気を博し
たが,その最も重要な要素としてあげられるのは,人形遣い自身の動きを観客に見せることである。人形遣
いには,人形の動きにあわせてコーンのダンサーの脚の動きを導入して舞うことが要求されるため,現在の
フンラコーンレックの人形遣いは専門的にタイ舞踊の訓練を受けた経験者が多い。その他,人形の頭部に可
動性をもたせたこと(お辞儀や首のひねりが可能になった),リケー時代の経験を活かして道化の要素を導
入したこと,などがあげられる。
たゆまぬ努力によって名声を得たサーコンは1996年タイのナショナル・アーティストに認定された。2001
年にはバンコクの中心部にあるルンピニー公演内に常設劇場をオープンした(2010年閉館)。常設劇場での
公演や国内外でのツアーはこれまでにない幅広い層の観客を魅了し,フンラコーンレックは商業的な大成功
をおさめるとともに,世界にその名を轟かせる人形劇へと成長した。2007年にサーコンが死去した後は,彼
の子どもや弟子達がその伝統を引き継いでいる。
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2-4.フンサーイ
一般に,タイ人形劇として知られるのは,以上のフンルワン,フンレック,フンクラボーク,フンラコー
ンレックの4種類である。これから述べるフンサーイは,西洋のマリオネットに似た糸操り人形(サーイは
「糸」の意味)であり,
「タイの」伝統人形劇とみなされていない。しかしながら,21世紀のタイ人形劇シー
ンにおいて大きな役割を担っている。はじめに述べた2014年バンコクの「ワールドパペットカーニバル」の
開催に際して,タイ側の事務局窓口をつとめたのが2004年にフンサーイの劇団として旗揚げした「フンサー
イセーマー(Sema Thai Marionette,以下「SEMA」と略す)12」である。
マリオネットタイプの人形劇はタイの伝統的な人形劇の様式として認知されていないのは先に述べた通り
だが,
しかしその上演は古くからタイで行われていた。タイの第3王朝であるトンブリー時代(1767-1782)
にタイ族以外の他民族による多様な人形劇の上演に関する記録があるが,その中に人形の上部に糸を取り付
けて操るマリオネットが中国の劇団によって演じられたとある(Chandavij and Pramualratana 1998: 10)。
記録によれば,少なくとも200年以上前に中国人によってマリオネットがタイに伝えられていたことは明ら
かだが,中国の人形劇の影響を受けつつもタイ化を経て発展したフンレックやフンクラボークのような受容
の経緯が確認されていないため,フンサーイはタイの「伝統」に加えられないのである。また,フンサーイ
が受け入れられなかったもう一つの理由として,SEMAの代表であるニミット氏は,「伝統的な人形劇の担
い手にとって人形(特に頭部)は聖なるものであり,それゆえに,人形を仰ぎ見るような形で人形遣いが下
方に位置すべきであるという考えが暗黙のうちに浸透している。マリオネットがタイの人形劇として認知さ
れにくかったのはこのような信仰にも似た観念が原因であった」と述べている13。確かにこのような傾向は,
古典舞踊劇の世界にも共通して見られる。
『ラーマキエン』を頂点とした舞踊劇の演目には,ヒンドゥーの神々
が物語の主要なキャラクターとして登場するが,役柄それ自身に強い聖なる力が宿ると考えられてきた。そ
して,仮面や冠など舞踊家が頭部に身につける装身具は単なる装飾品の域を超えて,聖なる力を宿す象徴的
存在として崇拝の対象となっている。舞踊家が実践してきた師匠崇拝儀礼において祭壇に象徴的に配置され
るのはこれらの仮面や冠であり,これを粗末に扱うことは禁止されている。舞踊劇との影響関係が深い人形
劇は,その歴史の中で人形の頭部に対する信仰に似た観念を有するようになったのも納得がいく。
2004年に誕生した新しい人形劇団SEMAは,バンコク市内の住宅街の一角を拠点とした現代演劇集団
Monta Performing Arts(以下,「マンター」と略記す)の人形劇部門としてスタートした。現代タイの社
会問題をテーマとした演劇創作・上演をメインに活動していたマンターは,地方巡業を行うにはコストパ
フォーマンスの悪い演劇の代わりに人形劇を採用してみようと考えたのがその始まりである。最初はケー
ドゥムドゥム劇団とともに西洋式マリオネットの人形操作と上演の基礎を学び,劇団オリジナルの物語,テー
マや人形製作や作品上演に着手した。特に,仏法(ダルマ)を教訓的に取り入れて製作した子ども向けオリ
ジナル作品がテレビ放映されたことをきっかけに,一気に人気の人形劇団になった。SEMAの人形劇は,現
代演劇を母体として生まれたパフォーマンスであるため,タイの伝統様式にとらわれないオリジナルで自由
な作品を特徴とする。人形はいわゆるマリオネットの形態を保持しているが,その他のユニークな人形を考
案したり,ペットボトル等のゴミをリサイクルした人形を創作するなど,新しい挑戦をつづけている。
SEMAはオリジナルで新しい作品群を生み出しているが,しかし同時に,タイの伝統文化,特に民衆の文化
に着目した創作を特徴としている。その取り組み姿勢に対する外部評価は,2009年にチェコで開催された国
際人形劇祭において「The Best Traditional Original Performance賞」を受賞したことによって理解できる
だろう。
SEMAの特筆すべきもう一つの特徴は,人形劇を自らの芸術的な作品を創作しそれを表現するための場と
してではなくむしろ,社会(問題解決)のために活用する手段としてとらえ,実践している点である。その
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現れとして,全国各地の学校で行っている人形劇ワークショップがある。これは単なる人形劇の上演でも,
人形操作のワークショップでもなく,学校の中に人形劇団を設立させ,青少年コミュニティの自立を促す包
括的な活動である。時間も費用もかかるため,対象となる学校数は少ないが,長期的な視野で実践したワー
クショップを経て実際に人形劇団を立ち上げ,劇団が学校や地域の活性化に多大なる貢献をしたという事例
もある。このような持続可能で自立したコミュニティづくりの手段として人形劇がうまく機能しはじめてお
り,徐々にではあるがマリオネットの人気が高まりつつある。2014年SEMAは財団法人となり,社会に貢献
する人形劇団としての性格が強化された。
2014年の人形劇の国際的祭典「ワールドパペットカーニバル」に世界各国から人形劇団が集えたのは,国
際的なネットワークを有するカーニバル事務局の力による。しかし,この最大のイベントにタイ全国の人形
劇団が一堂に会し,そして,全国の青少年アマチュア人形劇団(SEMAのワークショップを体験して劇団設
立に至る)が数多く参加できたのは,SEMAの社会貢献を目的とした活動方針によるところが大きい。タイ
人形劇の伝統的枠組みにおいてマージナルな存在であったマリオネットの劇団がこの大仕事を成し遂げたと
いう事実は,21世紀のタイ人形劇シーンにおいて重要な出来事であったと評価できる。
2-5.影絵芝居「ナンヤイ」
ナンヤイは,牛皮で作られた影絵人形を用いて演じるナン系人形劇を代表する人形劇で,アユッタヤー時
代初期のウートーン王時代(在位1350-69)頃には既に存在したとされ14,フンルワンとならんでタイで最
も古い人形劇の一つに数えられる。ナンヤイは,もう一つのナン系人形劇で有名な「ナンタルン15」と比較
すると大きな影絵(全長1~2m)で知られる。影絵には,人形の姿を象ったものと,背景を描いた円形の
ものの2種類がある。
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(左)図1.ナンヤイ。白幕の前後で演じる。光源は白幕の後方から当てる。
(右)図2.ナンヤイ。二人の人形遣いがアクロバティックに対峙する姿はコーンのダンサーと同様の所作。
ナンヤイは,棒術のクラビー・クラボーン,儀式芸能のチャクナーガドゥクダムバーン17と共にコーンの
ルーツと考えられてきたが,その表現様式にはコーンと多くの類似性が見られる。影絵の両端につけられた
2本の棒を人形遣いが両手に持ち,広い舞台の上をダイナミックに動いて操る時,その脚さばきはほとんど
コーンのそれと同じであり,コーンの戦闘シーンに見られるようなダンサーたちのポーズ,ジェスチャーは,
観客の心を捉えてはなさない。人形遣いが舞うことを「ナン・ラム(または,ナン・ラバム)」と呼ぶが,
これは特に日中に行われる多色の影絵人形を用いて演じる表現様式を指す(Dhaninivat 1988: 21)。ナンヤ
イで用いる影絵はその他の人形劇と比較すると人形自体の可動性がなく,影絵を操る人形遣いらが縦横無尽
に大きな舞台を左右に動いたり,光源とスクリーン,そして影絵の位置に変化をもたらすことで影絵を大き
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く見せたり小さく見せたりするなどの工夫によって影絵に躍動感を与える。しかし,これだけでは不十分と
考えられたのか,ナンヤイは舞踊劇を彷彿とさせるような人形遣い自身の身体表現も重視されてきた。これ
をあえて観客に見せることでよりダイナミックな表現を生み出す工夫がなされてきたのである。
ナンヤイは,その他の宮廷芸能とともに王室の庇護を受け発展してきたが,ラーマ5世代になると,宮廷
での活動がなくなっていく。しかし,この頃シンブリー県でナンヤイ・ワットサワンアーロム,ラーチャブ
リー県でナンヤイ・ワットカノンという名の二つの劇団が誕生し,都(宮廷)から離れた場所で発展した18。
また,ラヨーン県のナンヤイ・ワットバーンドンというグループも誕生し,首都のバンコクではほとんど上
演機会がなくなってしまったものの,地方のワット(寺院)を中心にナンヤイは現在も伝承されている。中
でもワットカノン寺院は,現在博物館としてナンヤイの貴重な歴史資料を一般に公開するとともに,定期的
な上演や後進の育成によって伝統文化の保全に務めている。
3.人形の構造とその操作術
3-1.フンルワン,フンレック
フンルワンの人形は全長約1mで,仮面舞踊劇コーンの仮面に類似した手法で作られる頭首部と胴体,腕,
脚,そして人形の中心をつらぬく支柱棒からなる(図3参照)。さらに,胴体は胸部と腰に,腕部は肩から
手首までと手の部分に,そして,脚部も足首までの脚部と足にそれぞれ二分されている(Posayakrit 1986:
41)
。このように分割された各部位は可動で,さらに,指は5指のうち人差し指・中指・薬指の3本は動か
すことができる。これらの各部位に取り付けられた糸(合計11本)は空洞になっている中心の支柱棒を通っ
て下部に垂らされ,その先端に取り付けられた小さな輪を引くことで動く仕掛けになっている。頭首部の素
材には木製または紙製の二種類があり,キャラクターの重要度によって素材が分かれている。物語の主要な
キャラクターは木製で,端役や動物は「サ」と呼ばれる桑の葉でできた紙で作られる(Chandavij and
Pramualratana 1998: 30)。フンルワンの主要な演目は『ラーマキエン』であり,人形が身につける衣装は頭
首部と同様,コーンを模した大変豪華なものであった(ibid)。
図3. フンルワンの人形19
図4.フンレックの人形20
フンルワンは長らく上演されなかったためにかつての正確な操作方法は明らかにされていない。残された
人形本体や寺院壁画などから推測するのみである。国立博物館所蔵のフンルワン修復プロジェクトにも関
わったチャカパンは,
「人形遣いは一人1体を操るが,立ったままで人形を人形遣いの頭上に押し上げ,片
166
踊る人形遣い
手で人形の支柱棒を持ち,もう一方の手で糸を操る(Posayakrit 1986: 44)」と推測している。また,彼が
その著書の中で資料としてあげている数点の寺院壁画の一つ,ワットマチャニマーワート寺院(ソンクラー
県)の壁画21には広場で上演されたフンルワンの様子が描かれている。壁画には広場に設営された舞台が描
かれているが,その舞台の一部として観客側からは人形だけが見え,立ったまま操作する人形遣いの姿が見
えないような高さの「蹴込み」が建てられているのがわかる22。このような操作を一人で行うのはかなりの
熟練を要することが想像できるが,複雑なからくりを持つ糸操り人形のフンルワンは,その構造ゆえに人形
の動きはかなりゆったりとしたテンポであったようだ(Chandavij and Pramualratana 1998: 30)。これは,
フンルワンに優雅な美を与えるプラスの要素でもあるが,逆にこの特徴がフンラコーンレックに人気を奪わ
れ,衰退の一因となったのも事実である。2014年のフェスティバルで筆者が見たリバイバル・フンルワンで
は,1体の人形を二人の人形遣いが操作しており,その際,一人は支柱を支え,もう一人が糸を引くという
役割分担がなされていた(図5,6参照)。
図5.リバイバル・フンルワン(裏側)23 図6.リバイバル・フンルワン(正面)
フンレックは基本的にフンルワン人形の構造と操作術を踏襲しているが,いくつかの改良がみられる。最
大の違いは,人形の全長が37cmに小型化したこと,そして,糸が16本に増えたことである。糸の増加に伴っ
て,人形の体は肘・膝・腰でさらに細分化されることになった。腕は上腕・下腕・手に,脚は上肢・下肢・
足に三分割されている。また,胸部と腰部の間の腰のくびれの位置に藤がコイル上に巻き付けられたため,
胴体を曲げたりひねったりする動きがより写実的に表現できるようになった(同書: 94)。これらはすべてよ
り自然な関節の動きを再現するための仕組みである。女性キャラクターの脚部は男性のそれと異なり,足下
が見えなくなるほど長いスカートを着用しているため,脚が取り付けられていない(ibid)。(図4参照)
3-2.フンクラボーク
フンクラボーク人形は,頭首部,肩,クラボーク(支柱:内側が空洞になっている竹で作られた長さ
20cm程度の棒),両手からなり,フンルワンやフンレックのような胴体や腕・脚部がない(図7参照)。そ
れを補うために,四角い布で作られた衣装(35cm程度)によって肩から下が覆われている。支柱の内側に
埋め込まれた蝶番を操って人形の頭部を動かすことができる。頭首部は木製でその上にサ紙を貼って,目や
眉毛の立体感を出すために,粘土や漆などを使った上に顔のパーツを彩色している(Chandavij and
Pramualratana 1998: 58)。また,両手には40cmほどの長さのタキアップ(タイ語で「箸」の意味)と呼ば
れる細い竹製の棒が衣装の内側を通るように取り付けられており,この棒をつかって人形の手を操る
(Posayakrit 1986: 82)。一人の人形遣いが1体の人形を操り,片手で支柱と1本のタキアップを保持しな
167
岩 澤 孝 子
がらもう片方の手でもう1本のタキアップを操り,人形の手を動かすのが基本的な操作となる。
腕・脚を持たないこの人形は,糸操り人形のフンルワンやフンレックと較べると容易に操作でき,テンポ
の早い動きが可能になったため,観客の心をとらえる人気の大衆娯楽芸能となった。また,庶民の間でも人
気のあった『プラアパイマニー』などを好んで演じたようだが,『ラーマキエン』の短いエピソードを演じ
ることもあったようだ(Chandavij and Pramualratana 1998: 58-59)。衣装,物語,人形遣いの動きはタイ
の古典舞踊劇ラコーンの影響を受けている。そのため,人形遣いにはタイ古典舞踊の仕草を模した動きを人
形に演じさせるテクニックが求められる(Posayakrit 1986: 84-86)。
フンクラボークは観客の目線が人形の高さに合うように建てられる専用の劇場で演じられる。その舞台中
央の背面には背景画の描かれた簾で仕切られ,人形遣いは簾の後側にあぐらで座って簾の下側から手を出し,
簾の前側に人形が見えるようにして操る(図8~10参照)。人形遣いは簾の隙間から人形の動きを確認する
ことはできるが,観客からは人形遣いが見えない仕組みになっている。人形は舞台の左右両側にしつらえら
れた扉から登場し,演技を終えるとまた扉から退場する。そのため,人形遣いは,あぐらの姿勢のまま簾の
後ろ側で左右に動いて人形を操っている。簾の後側は舞台前面よりも広く,必要な舞台道具が置かれるとと
もに,楽団もそこに座して合奏している。伴奏音楽は楽団に委ねられているが,人形の台詞や歌は人形遣い
自らが発声する。
図7.フンクラボークの人形24
図9.フンクラボーク(座って操る:側面)
図8.フンクラボーク舞台(正面)25
図10.フンクラボーク(座って操る:舞台裏)
人形遣いが座ったまま演技する様式の他に,フンクラボークの舞台では人形遣いが立った状態で演技する
様式もある。後者の場合も人形操作は前者と同様だが,舞台には人形遣いの体が見えない高さに蹴込みが建
てられている。このように,人形遣いの体を観客に見せず,あくまで人形を主体とする上演様式をとるのが
168
踊る人形遣い
基本だが,演技の途中で人形遣いが人形を持ったまま舞台の前面に登場し,人形遣い自身も人形とともに舞
い踊るという演出が付け加えられる場合もある。このような表現様式がいつごろ生まれたのかは定かではな
い。しかしながら,フンクラボークはヌンがこの人形劇を創始した当初から古典舞踊劇の影響が見られ,人
形遣い自身に古典舞踊の身体技法に対する理解とそれに基づく訓練が実践されてきたことはあきらかであ
る。人形を動かすためにあった人形遣いの動きはそれ自体が舞踊劇の舞踊と近似した動きとなって,観客の
目を楽しませるさらなる演出へと発展した。
3-3.フンラコーンレック
フンラコーンレックの人形はフンルワンをモデルに改良したもので,頭首部,腕,手,脚,胴体からなり
(脚・腕は膝・肘で分割されている)
,胴の内側に糸が仕込まれ,その全長は約1mである(Posayakrit
1986: 73)
。フンルワンと同様に,人形の体の中心部に糸をしこんで各部位とつなぎ,動かせるようなしくみ
になっている。主要なキャラクターの手首には糸が取り付けられ,また,道化キャラクターの口にも開閉可
能な仕組みも加わった(Chandavij and Pramualratana 1998: 84)。糸の数はフンルワンのそれより減らして
複雑な操作を回避する代わりに,人形の両手に細長い棒を取り付けている。フンラコーンレックの演目もそ
の他の人形劇同様,タイ古典舞踊劇や仮面劇のそれと同じであるため,タイ古典舞踊の特徴である柔らかく
動く手の動きが必須である。フンラコーンレックに新たに導入されたこの棒のおかげで,人形の手の動きを
フンルワンのそれよりも素早く再現できるようになったといえる。
この人形劇は主として1体の人形を複数人で操作する。この点において,他の人形劇とは大きく異なって
いる。古典舞踊劇の役種(役種については注9参照)に相当する,プラ,ヤック,リンは三人遣い,ナーン
は二人遣い,道化役は一人遣いという風に,キャラクターによって人形遣いの人数が異なっている
(Posayakrit 1986: 74)26。複数人遣いでは各人が異なる役割を担うため,他の人形劇とは異なる操作上の修
練を必要とする。三人遣いの場合,①主遣いは胴体の中心部と左手(手からのびた鉄棒で),②二人目は右
手(①と同じく手からのびた鉄棒で),そして③三人目は両足を操る(同書: 74-75)。人形遣いたちは①が人
形の左側,②は右側,そして③はその中央に立って,息を合わせてまさに三位一体となって人形を動かす(図
11,12参照)
。三人遣いの表現様式を持つこの人形劇は,タイの芸能関係者から日本の文楽と似た人形操作
法をもつものとして語られることが多い。しかしながら,文楽の主遣いは人形の頭と右手,左遣いとよばれ
る二人目の人形遣いは人形の左手を操るため,フンラコーンレックと左右逆転している。ただし,足遣いと
呼ばれる三人目の人形遣いの役割は共通している。
図11.フンラコーンレック27
図12.フンラコーンレック28
169
岩 澤 孝 子
フンラコーンレックの人形遣いは立ったまま人形を操作する。そのため,舞台では人形遣いの身体が見え
ないような蹴込みが建てられ,それは他の立ったまま演じる人形劇と同様である。さらに,この人形劇は,
観客から人形だけを見せる舞台セットの前面に広い空間を設け,そこに人形遣いが人形をもって登場するこ
とで,あえて人形遣いの動き(主に足さばき)を観客に見せる二重の舞台構造を有している。この舞台演出
の様式がはじまった正確な年代はわからないが,2-3で述べた通り,これは20世紀後半のエンターテインメ
ントとして商業的な成功をおさめたジョールイ(サーコン)の考案によるものである。
3-4.フンサーイ
フンサーイの人形と操作法について,ここではSEMAを例に記述する。フンサーイは西洋式のマリオネッ
トと似た構造で,図13にあるように,その基本的な構造は頭首部,胸部,腰部,腕(上腕と下腕),手,脚(上
脚と下脚)
,足の各パーツに分けられ,それぞれ上部のコントローラーにとり付けられた糸と結ばれている。
人形遣いは立ったまま,人形の上からコントローラーを手で持って動かしつつ,時に直接手で糸を引っ張っ
て人形の体の各部を操る。各パーツは木製に限らず,プラスティックなど多様な素材で作られ,人形製作の
自由度が高い(図14参照)
。先述したようにSEMA(あるいはSEMAの傘下にある劇団)は現代演劇から生
まれた劇団であるため,他の人形劇のように古典舞踊劇の演目およびその表現技法への傾倒はみられない。
それゆえ,人形の種類も豊富であり,同時に動きもタイ古典舞踊のそれを模倣するものではない。さらに,
SEMAはマリオネットに限定されず,図15のような棒操り人形を用いることもある。
(左)図13.フンサーイ(マリオネット)人形の基本構造29
(中)図14.バリエーション豊かなマリオネット人形30
(右)図15.SEMAの棒操り人形。人形遣いの体に人形を付け,人形と一体となって演じる。31
3-5.比較分析
ここまでの記述をもとに,歴史,人形の構造および操作術の3つの観点から5種類のフン系人形劇の比較
分析を行い,表1のように整理した。全体の特徴として,タイのフン系人形劇は糸操りと棒操り,または,
その混合様式を基本としていることが見えてくる。人形の大きさは大小2種類あり,大きなものは1m,小
さなものは約40cmの人形を好んで使用したこともわかる。そして,現代的で自由度の高いフンサーイとそ
れ以外の人形劇の間にはやはり大きな差異があり,むしろフンサーイの存在によって「タイの」人形劇の特
徴が浮き彫りになるとも言える。その違いの最大の根拠は,古典舞踊劇および仮面劇の影響であろう。2-4
で述べたように,人形遣いが人形の下側から人形を操るという特徴は,劇の主要な登場人物を聖なる存在と
して信仰するという古典舞踊界にも共通の観念からくるものである。人形の動きについては,古典舞踊の動
170
踊る人形遣い
きを再現しようとする努力と修練が人形遣いに求められてきたこともまた,共通の特徴としてあげられるだ
ろう。その証拠に,現在の人形遣いにはタイ古典舞踊の基礎訓練を経験した者の方がなりやすいと考える風
潮さえある(ただし,フンサーイは別である)。さらに,この発展形とも言える人形遣いによる舞踊表現は,
舞台演出のハイライトとして今後も多く組み込まれていくことになるだろう。
4.考察とまとめ~踊る人形遣い~
一般に人形劇は「人形」が劇の主体とみなされるため,人形遣いはあくまで「黒子」であり,それゆえ彼
らは舞台上には存在しないかのように振る舞い,観客もそれを自明のこととして鑑賞するのが常である。し
かし,
タイの人形劇においては,人形遣い自身による舞踊的身体表現もまた観客にとっての見所の一つとなっ
ていることが本研究から明らかになった。このような表現様式の源は,タイの伝統演劇である「舞踊劇」に
おける演者の身体技法にある。古典文学を題材とした演目を上演する場合,人形の所作を舞踊劇における舞
踊家の所作に近づけようと試みるのは当然のことだが,人形遣いもまた舞台上においてその身体動作をあら
表1. フン系人形劇の比較分析表(筆者作成)
人形劇の種類
フンルワン
フンレック
フンクラボーク
フンラコーンレック
フンサーイ
歴史
アユッタヤー時代
発祥年代
廃止年代
1878年
※ラーマ5世代の副
王,ボーウォーン・
ウィチャイヤチャー
ンの命で作られた。
19世紀未
1901年(推定)
※ナコーンサワン出 ※アユッタヤー出身
身のヌンがはじめた。 のクレ・サパーワニ
ツトがはじめた。
21世紀初頭
※ただし,中国系の
マリオネットはトン
ブリー時代には存在
30~40cm
1m
決まったサイズはな
い
ラーマ6世代(推定) 1885年
※2000年に復興
人形
1m
37cm
頭首,胸,腰,腕,
手,脚,足,中心棒
(支柱)
頭首,胸,ウエスト, 頭首,肩,手,中心
腰,腕(上腕・下腕), 棒
手,脚(上脚・下脚),
足,中心棒(支柱)
頭首,胸,腰,腕(上
腕・下腕),手,脚(上
脚・下脚),足
頭首,胸,腰,腕(上
腕・下腕),手,脚(上
脚・下脚),足
○/11本
○/16本
×
○/不明
※11本より少ない
○/不明
※人形によって異な
る
×
×
○
○
×
※演出上,棒操り人
形を採用することも
ある。
古典舞踊劇,仮面劇
を模倣
古典舞踊劇,仮面劇
を模倣
古典舞踊劇,仮面劇
を模倣するが形状は
四角い筒状
古典舞踊劇,仮面劇
を模倣
自由
立つ/座る
立つ
立つ
立つ/座る
立つ
立つ
人形遣いの位置
人形の下側
人形の下側
人形の下側
人形の下側
人形の上側
入形1体に対する人
形遣いの人数
1人
※ただし,リバイバ
ル版は2人
1人
1人
1~3人
1人
不明
不明
○
○
×
×
×
△
○
※演出として組み込
まれることもある
が,ない場合もある。
×
全長
構造
糸操り/糸本数
棒操り
衣装
操作
古典舞踊劇の影響:
入形の動き
人形遣いの舞踊表現
(観客に見せる)
171
岩 澤 孝 子
わにするというのは興味深い事実である。とはいえ,ここで留意すべきは,人形遣いによる舞踊的な身体表
現は,舞踊劇などで見られる舞踊の身体表現とは異なっているという点である。それは人形とともにある表
現であり,例えば,影絵芝居のナンヤイやフンラコーンレックにおいて見られた人形遣いの身体表現のよう
に,人形の動きに立体的な深みとダイナミズムの増幅効果を与える形で表現されるべきものだからである。
そして,2014年のワールドパペットカーニバルは,タイ人形劇全体に対する再評価という大きなムーブメ
ントの現れであったことを最後に指摘したい。20世紀後半にチャカパンを中心に始まったフン人形劇の復
元・復興プロジェクトやジョールイによるフンラコーンレックの現代的エンターテインメントとしての商業
的成功,さらには今世紀のSEMAを中心とするフンサーイの社会運動的な広がりを背景にして,徐々に人形
劇に対する理解と人気が高まってきた。これらは各人形劇様式の中で個別に実践されてきた取り組みであっ
た。国際人形劇祭の開催を機にタイ人形劇が一堂に会するという貴重な機会を通じて,国際的な見地からみ
ても十分に豊かな伝統を有し発展してきた価値ある文化の一つだということを,観客のみならず人形劇関係
者も実感することができたと考える。
参考文献
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――――
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http://www.semathai.com(2016年3月20日閲覧)
172
踊る人形遣い
注
1 タイ人形劇に関する邦文の先行文献として,宮尾慈良の『アジアの人形劇(1984)
』
,そして,
『アジア人形博物館(1993)』
がある。前者ではタイの影絵芝居ナンヤイ(宮尾 1984: 101-114)
,
ナンタルン(同書: 115-125)について言及されており,
また後者では,タイの人形劇,フンクラボーク(ただし,同書では「フン・クボロック」と記載されているが)(宮尾 1993: 67-69),フンラコーンレック(同書: 70-71),そして,影絵芝居のナンヤイ(同書: 123-129)
,ナンタルン(同書: 129130)についての簡単な記述がある。
2 サクディナーとは「位階田」の意味で,社会的地位を水田の面積で表現したタイ階級制度の相対的指標であり,アユッタ
ヤー時代に整備された。
3 ヤイは大きい,レックは小さいという意味のタイ語。
4 『ラーマキエン』は,インドの大叙事詩『ラーマーヤナ』のタイ版である。
『ラーマキエン』とは「ラーマの栄光」とい
う意味のタイ語で,主人公ラーマ王子がその妻であるシーダ妃をめぐって阿修羅王のトッサカン(インドではラーヴァナと
呼ばれる)との戦いを繰り広げる。タイ版は,その物語の大筋は原点とほぼ同様だが,エピソードやモチーフなどに改良が
施されている。
『ラーマーヤナ』は,東南アジア諸国の伝統芸術の源泉として現在も広く演じられる物語であり,タイでは
舞踊劇,仮面劇,人形劇,影絵芝居といった上演芸術や絵画などの視覚芸術において最も重要な物語の一つとされる。
5 http://www.thaiartproject.org/hunluang_e.html(2015年12月1日閲覧)
6 チューシー・サクンケーオ(チューン・サクンケーオとも)は,父ナーイ・ピアック・プラサートクンの後継者として,
フンクラボークの伝統を守り続けた数少ない人形劇団の代表である。1976年,彼女はチャカパンに劇団所蔵の人形コレク
ションをすべて譲渡している。コレクションには19世紀後半の貴重な文化遺産である古い人形も含まれていた。http://
www.chakrabhand.org/puppetry/index_eng.asp(2014年8月23日閲覧)
7 『プラアパイマニー』はタイの詩聖と称されるスントーンプー(1786-1855)
が書いたクローン詩形式の長編物語。
スントー
ンプーが生み出した8言クローン詩は,従来の難解な作詩法によらず平易な市井の語彙を用いたため,大衆文学として人気
を博した。魔笛の術を学び諸国を遍歴して奇想天外な旅を繰り広げるプラパイマニーの物語は,舞踊劇や人形劇など上演芸
術の演目としても人気が高い。
8 1980年タマサート大学演劇学科でフンクラボークのプロジェクトが組織された。このプロジェクトは子どもたち,そして
成人向けの上演プログラムに発展した。(Rutnin 1993: 205,214)
。
9 仮面劇コーンは,その唯一の演目である『ラーマキエン』の登場人物の特徴から,舞踊家は4つの主要な役種に分類され
ている。プラ(ラーマ王子を代表とする人間の男性または男神)
,ナーン(ラーマ王子の妻シーダ妃をタイ表とする人間の
女性または女神),ヤック(主人公ラーマ王子の敵軍となる阿修羅)
,リン(ラーマ王子の味方となる猿)の4種類である。
これら4つの役種は訓練法が全く異なっているために,一人の舞踊家が複数の役種を学ぶことはあまりないが,サーコンは
劇団の必要に応じてヤック(阿修羅)とリン(猿)の2つの役種を身につけ,演じ分けられるだけの高い身体能力を有した
と推察できる。
10 「リケー」とは,「ディケー」というイスラームの儀礼から発展した歌舞劇で庶民向けのエンターテインメントである。
19世紀末頃にほぼ現在の形となった。
11 ジョー・ルイス(Joseph Louis Barrow: 1914-1981)は,アメリカ人プロボクサーで元ボクシング世界ヘビー級チャンピ
オンである。
12 以下,SEMAについては,筆者がタイで実施した現地調査(2007年,2013年,2014年に実施)によって得られた調査結果
をもとに記述している。
13 SEMAの代表,ニミット・ピピッタクンとのインフォーマルな対話の中から得られた(2014年11月のフェスティバル開期
中)
。
14 http://www.thaiwaysmagazine.com/thai_article/2410_nang_yai/nang_yai.html(2014年8月19日閲覧)
15 ナンタルンはタイ南部で生まれ,発展し,現在もこの地方の祭事には欠かせない芸能として人々に親しまれる人形劇であ
る。同時にこの人形劇は,タイの東北地方に渡り,現地の方言で「ナンバクトゥ」や「ナンプラモータイ」などと呼ばれて
広がりをみせた。ナンタルンのパフォーマンスは,人形遣いが大きな舞台を動き回るナンヤイよりむしろ,インドネシアの
ワヤンクリッに近い。「ナーイナン」と呼ばれる語り手兼人形遣いが白布の裏側中央に座して,たった一人ですべての人形
を動かし,キャラクター毎に声色を変えつつ語り(歌い)聞かせる表現様式は,同じく語り手兼人形遣いの「ダラン」を有
するワヤンクリッとの共通点が多い。
16 2014年11月3日,バンコクのワールドパペットカーニバルで筆者撮影。ワットバーンドン寺院グループ(ラヨーン県)の
演技。図2も同じ。
173
岩 澤 孝 子
17 アユッタヤー時代のタイ王室で行われていた儀式芸能。古代インドのヒンドゥー神話『乳海撹拌』をモチーフにした芸能
である。聖なる須弥山をすりこぎに見立て,山にナーガ(龍)を巻き付けてその両端を神々と阿修羅が双方から綱引きさな
がらに引っ張り合う。山の地下にあるとされる海がかき混ぜられた後,甘露(アムリタ)を発すると信じられた。神々と阿
修羅の両陣営によるこの戦いのような場面が仮面劇コーンのラーマ軍と阿修羅軍の戦いを彷彿とさせることからコーンの
ルーツと見なされている。
18 注15と同じ。
19 2014年11月30日,バンコクにある国立博物館にて筆者撮影。ラッタナコーシン時代初期から中期の人形で,1984年から
1986年の修復プロジェクトによって修復されてガラスケースに展示されていた。
20 図3と同日・同場所で筆者撮影。この写真のフンレック・コレクションは未修復のものと思われる。
21 ラーマ4世代(1851-1868)の王都の職人が描いた壁画(Posayakrit 1986: 44)
。
22 Posayakrit 1986の巻末付録,図版10。
23 2014年11月10日,ワールドパペットカーニバルにて筆者撮影。1体を二人の人形遣いが操作している様子がわかる。図6
も同日撮影。
24 Chandavij and Pramualratana 1998: 60から転載。
25 2014年11月8日,バンコクのワールドパペットカーニバルで筆者撮影。図8~10はすべてチューチュートチャーンシン劇
団(サムットソンクラーン県)の演技。舞台正面,側面,裏面の撮影記録から座って人形を操る様子がわかる。
26 引用文献にある通り,チャカパンの著書には人形のキャラクターによる人形遣いの人数差が言及されているが,現在の舞
台では,ナーンは三人遣い,道化は二人遣いで演じられており,1体の人形を扱う人形遣いの人数に変化が生じてきている
ことがわかる。
27 2014年11月6日,バンコクのワールドパペットカーニバルで筆者撮影。アクサラ劇団による演技。この時,
劇ではなく『ラ
バム・シーチャイヤシン』というタイ舞踊を演じた。人形遣いたちの,隊列や脚および足の形,顔の角度などから,舞踊の
動きをできる限り再現して人形遣い自身も踊っていることがわかる。
28 2014年11月5日,バンコクのワールドパペットカーニバルで筆者撮影。カムナーイ劇団による演技。
『ラーマキエン』か
ら『チャップナーン』の段を演じた。白猿のハヌマーンがラーマ王子との旅の途中で出会った人魚と恋仲になるという有名
なエピソードである。特にハヌマーンの三人遣いの様子から,まるで人形のオーラを増幅させるかのように,ダイナミック
に人形と同じ動きをしているのがわかる。
29 2013年8月19日,ワットカオイサーン学校(サムットソンクラーム県)にて筆者撮影。これは基本モデルだが,人形の形
状や糸の数等は人形によって異なる。また,ワットカオイサーン学校はSEMAのワークショップを受講後,教員と児童を中
心にフンサーイ人形劇団を設立し,学校の枠組みを超えて全国各地で公演活動を行っている。
30 2007年11月25日,バンコクにあるSEMAのオフィス兼スタジオにて筆者撮影。
31 図14と同日・同場所でリハーサルを筆者撮影。SEMAの代表作『チャオ・ンゴ』の主人公。タイの古典文学『サントーン』
を基本に新しい解釈を加えた作品。ホラ貝の中で生まれた金の体をもつ王子が本来の自分を隠して旅をするため,先住民の
姿に変身している時の様子を表したものである。
(岩見沢校准教授)
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